男の中にはたいてい「鬼」が住んでいる。女の中にも住んでいるかどうかは分らない。住んでいるとしても違うタイプの鬼だろう。
男の抱える「鬼」は天に向かうのと地に這うのと両方である。前者は天と張り合う、つまり果てしないものと戦うのであるから現実には無私の姿にみえる。後者は仲間と張り合う、つまり他に抜きんでて高くなりたいという邪心を抱えていて、あまり強く出すぎるとみっともいいものではない。
どちらか片一方という男はいない。男は両方を抱えている。二つの「鬼」を同時に体内に宿している。男の心の中で二つの「鬼」が相争うのである。しかし、どちらかが一方的に圧勝するということもない。両方がつねに併存している。
人間はみんなしょせん競争心と劣等感の塊りで、天に向かう「鬼」なんて持っているやつはいないよ、とわけ知り顔で言う俗流心理学を私は信じない。
ただ、天に向かう「鬼」を心の中に抱えているとわかる人とわからない人との違いがあることは事実である。この「鬼」は気紛れで、それを持っているとわかる人は地を這う「鬼」も強い人である。従って自信家である。しかし、どんなに自信に溢れていても傲慢からはほど遠い。事に当って自ずと謙虚な振舞いをする。
無私な行動家は少ない。卑屈と謙虚は外見がよく似ていて、間違えることがある。本当に謙虚な人はときに驚くほどの我の突っ張り、強い意志を示すことがある。「鬼」がそうさせるのである。
なぜ今回にわかにこんなことを書きだしたかというと、昨年5月に日本政策研究センターの20周年記念の会で挨拶をしたときの私のことばが活字になって、印刷された紙片を数日前に初めて手渡された。さっと一読して、私はふと「鬼」という文字が思い浮かんだ。なぜか分らない。穏やかな伊藤さんは鬼面ではない。その日の自分のスピーチをもう一度蘇えらせてみよう。
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私が伊藤さんの会を始めて知りましたのは『明日への選択』という雑誌を通してでございます。大変に驚いて、初めて伊藤さんにお目にかかる機会があったとき、なぜ市販しないのか、本屋で売ったらものすごく売れるよと言いました。実は『諸君!』や『正論』、その他の雑誌をも凌ぐ密度の濃い情報が短い頁の中にぎっしりと詰められています。大変に感銘を受け、これは貴重な資料だと思いました。
私がその次に非常に強く惹かれたのは伊藤哲夫という人格でございます。うまく言葉では言えないのですが、本当にソフトなんです。そして優しいんです。「柔の中に硬あり」というような一歩も引かないものが常にあるのですが、しかし何か包んでくれるような優しさがある。恐らくこれが全国のさまざまな運動家の方々を惹きつけている原因ではないかと私は思っております。加えて、皇室への非常に強い崇敬の感情というものが伊藤さんにはあります。私にはとても及ばないものがございますけれども、こうした強い気持ちがありながら、彼の書いたものや『明日への選択』は徹底的なリアリズムで貫かれていて、いわゆる感傷右翼的な要因は一切ない。これが伊藤さんとこの会の特徴です。日本のバックボーン、アイデンティティ、愛国心というものがありながら、出してくる材料、情報はリアリズムだということです。
もう一つ私が感銘を受けていますのは、包括するテーマは内外非常に豊富で、外交においても領土問題その他、また内政においてもジェンダーフリー、夫婦別姓その他。それから韓国問題、中国問題など多岐に渡っているのは皆さんご承知の通りですが、しっかりした史実に裏づけられた材料や情報の提供ということがなされていて、私どもは非常に参考になる。何かあったときに本当に助けになるものが、普通の雑誌以上に短いながらピシッと書き込まれている。つまり、大きな意味での輪郭と指導性をもった内容でありながら中身が極めて具体的なのです。これは背反する方向ですが、その正反対の方向のものをきっちり持っている。それがこの雑誌の魅力であると同時にこの会の魅力であると思っております。
私はセンターの日常活動をよく知らないのでございますが、この雑誌と伊藤さんの人柄を知れば、ほとんど申すまでもない、信頼は非常に強いものがあるわけです。
(平成16年5月1日、日本政策研究センター創立20周年記念パーティーにおける祝辞より)
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なぜこの自分の挨拶のことばを再読して「鬼」という文字が私の頭にひらめいたのかはいまだに分らない。ただ今、私はそのとき心をよぎった思いの幾つかを書き留めておこうと不図思って筆を執った。
伊藤さんは自分を超えた何かを信じている人である。中国では「鬼神」ということばで呼ぶカミの概念であり、日本語で「鬼」というと怪異的で怪物的なイメージに限られるのとはだいぶ違うようであるが、それでもやはり、「鬼神」は甘い、優しい概念ではなく、パワフルな霊威の底深い力を感じさせることばである。
伊藤さんの行動をみていると、自分を捨てて、何かを信じてひた向きに生きる人の説明のできない無私の情熱が漂っていることに気がつく。
この人は何だろう、ずっと私は謎を抱きつつ、黙って説得されてきた。行動が議論を封じる、その力が彼にはある。
人生は寂しい。老いて新しく人を知ることは難しい。私は伊藤さんという人を知った、という気に少しなっている。
追記:日本政策研究センターのホームページは「日録」とリンクしています。