佐藤和代さんという若い女性のかたから分析的論考が寄せられた。いろいろな会合でお目にかかっている人である。
「『男子、一生の問題』は女子にとっても一生の問題となります。女子はいずれ一人の男子に一生を賭けるのですから。」というもの言いも清々しい。
彼女の論理的分析は以下の通りである。
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先生は『男子、一生の問題』51頁で「私の書いた本は、~本の題材や内容は違っていても、結果的にはたった一つのことを言ってきている」「この『一つのこと』とは何か、それを語ることがほかでもない、本書の課題であるといっていい」とお書きになっていました。私はその「一つのこと」とは何かを突き止めたいと思いながら、読み進めました。
先生は「考えるよりも前に~走り出していた」「何かをやるときには、行動が先にある」と述べられ、人間一般についても「人間は言葉や思想を通して生きているのではない。行動を通して世界を知るのである。」と断言されています。
「一つのこと」とは、つまり「全てに先んじて行動があり、言葉や思想はその後からついて出てくるもの」「私はそれを実践してきて確かであると自信を持って言える」「(加えて)言葉を弄ぶだけの言論活動に、苦言を呈したい」ということでしょうか。
先生はいつでも行動をもって主張される。先生の行動と思想は、一致している、―先生の支持者は、そこに先生の魅力を感じ、信頼をおいているのだと思います。
さらに読み進み、4章になりますと、そこに次なる課題が出てきました(116頁)。
「行為がすべてで、言葉は後からついてくると前に言った」が、
「言葉(地図)は必ず行為(旅行)と同時についてこなくてはならない。そして思想がそれに伴ってこないと、それは行為にもならない」
「新しい思想が必要になる」「とは言え、言葉や思想が先にあるのではない。行動が先にある。~言葉や思想は後からついていく。けれどもそれはなくてはならないものなのである」
そして先生は「そこが不思議なのだ」とおっしゃっています。私は、そこで先生が“不思議”という言葉を出されたことの方が不思議でした。それは当然のことではないか、と私は思います。先生がおっしゃるのは、先生は「直感」によって行動されていたことになると思います。
すぐに言葉では説明できないが、そうせざるを得ない何かがあり、それと同時に、確証はないが、そう行動しても間違いないという自信もあったから行動されたのではないでしょうか。
直感はほんの一瞬の出来事です。しかし人間の直感は、動物的本能や感性ばかりではない、と思われます。それは、人間は日常、動物の遠く及ばない複雑な精神活動をしており、直感はそれまでのその人の経験が一点に集中した状態ではないかと思います。
凝縮された一瞬です。
つまり、直感は、それまでの理性的思考過程(言葉による思考、思想)も感性も、動物的本能もみな、ひっくるめてのものだということです。直感は一瞬にして起こる。それは、言葉のない状態というより、超スピードで起こるので、言葉が追いつかない状態である(逆に言えば、後で何とか言葉に置き換え可能である。しかし、そのものズバリではないかもしれない)、と言えるのではないでしょうか。
私がここでお伝えしたいのは、「直感による行動には、実は理性的思考も入っていた(特に先生の場合は行動と思想が共に在り、いつでも身体は臨戦態勢にあられるので、直感力が鋭く働くのではないでしょうか)」ということです。
ですから、行動と言葉は少々のずれ(時間的、質的)があるが、現在において絡まりあって進行するものと私は考えます。
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少し長い引用になったが、論理的なので切るわけにいかない。まだこの後つづくのだが、以下は割愛させていたヾく。
佐藤さんの仰有る通りと思う。格別異論はない。行為と言葉を私は峻別しているが、そんなにくきり分けられるものではないだろう、というご批判とうけたまわった。
行為の動的側面と言葉の静的側面を私は少し誇張したレトリックで区別して書いている。しかし勿論、行為と言葉はつねにほゞ同時的に出現する。
人間は言葉でしか思考しない。行為は思考に先立つようにみえて、大抵思考を伴っている。しかしまったく思考とか反省とかを伴わない純粋な行為というものもあると私は思っている。自分の意志も介在していない行為。行為に見舞われるという意味の行為。――これは特定の劇的行動のようなものを指しているのではない。
例えばある一つのことが心に懸ってじっと独りで鬱然としている。他人から声をかけられて振り向く。その瞬間にさっきまでの自分を忘れてしまう。対話を始める。すると自分は新しい別の世界に入って、今までの自分ではもうない。
意識の自由な転換、自分へのこだわりをさっと捨てる気侭さ、無責任な非論理性――これなくしては人間は正常なバランス感覚を維持できない。そのとき思考や反省は役立たないのだ。言葉はその瞬間に存在しないのである。