「アメリカ観の新しい展開」(十五)

「不思議な魅力もある厄介な国家」(西尾)
「『のらりくらり』がアメリカには有効」(福井)

 西尾 その日本がなぜ今だらしないのか。

 福井 しかし、そのだらしない日本でも国際社会でそれなりの敬意を払われ、米中に日本警戒論が絶えないのも、「負けるに決まっている」戦いを世界最強のアメリカに対して挑み、死力を尽くしたからでしょう。だらしなくしているほうが、アメリカから目をつけられずにすむし、かつての日本とのギャップの甚だしさは、逆に不気味に見えているのではないでしょうか。そうして、アメリカが弱るのを待つ。実際、弱まる徴候が見えてきているわけですから。

 西尾 高等戦術としてはあり得るかもしれません。いま、集団的自衛権の行使を可能にすべきだということが議論されていますが、どうにもおかしなことがあります。確かに集団的自衛権の行使は認めるべきだと私も思いますが、同時に米軍基地の縮小なり、撤退なりも議論するのが筋です。ところが、そうした声はまったく上がっていない。

 国内の米軍基地をアメリカに自由使用させているのは、日米安保条約が不完全だからです。日本はアメリカに守ってもらうけれども日本はアメリカを守る必要はないという片務性ゆえに、米軍基地の無条件、半永久的使用を認めざるを得ない。もし集団的自衛権を認めて「日本はアメリカのためにも戦いますよ」と宣言するならば、米軍基地は撤廃していただいて、日本の国防自主権を確保するのが本来の姿です。勿論、中国や北朝鮮、ソ連の脅威に対応するため残ってもらうという議論はあっていい。しかし、集団的自衛権をめぐる議論に米軍基地の撤廃問題が出てこないのはおかしい。心理的対米依存の度が過ぎているのではないか。安保条約の根本に戻って考えてみる必要があると思っています。

 このままでは、日本の自衛隊がアメリカの尻馬に乗って、アメリカ軍司令官の指揮のもとに危険な場所に引っぱり出されるだけです。

 福井 既にドイツはそうなってしまいました。「テロとの戦い」で、アフガニスタンに派兵させられています。日本の、のらりくらりとした政策というか無政策のほうが巧妙かもしれません。

 西尾 海上自衛隊を給油のためだけにインド洋に派遣していたのは巧妙な作戦でした。

 福井 日本は、アメリカの押しつけた憲法の制約で集団的自衛権の行使が認められないと言い訳しています。これは極めて巧妙な政策です。認めたうえで「国益と合致しないから協力しない」というと角が立つので、今の不平等条約に基づく「永久占領」が続く限り、当面は「集団的自衛権行使を認めない勢力を無視できない」とかわし続ければいい。

 西尾 あと何年?

 福井 私が生きている間には独立した日本を見たいんですが。

 西尾 私の生きている間は無理ですか(笑い)。

 福井 それは分かりません(笑い)。

 西尾 先述したように複雑なトラウマを反映した行動原理、はた迷惑な宗教的使命感を持つアメリカですが、一方で、カウボーイ的な明るさもあります。

 大東亜戦争でアメリカと激烈に戦った日本人でしたが、終戦から二?三年が経つとアメリカ礼賛一色になってしまいました。私が中学生になった昭和二十三年、学校では「アメリカ研究」が始まりました。戦時中には「鬼畜米英」と言っていた国の素晴らしさを学ぶわけです。世の中もアメリカブームで、「ターザン」などのアメリカ映画が一世を風靡していました。青年たちが特攻隊としてアメリカの艦船に突っ込んでいったのはつい昨日のことですよ。なぜそこまで様変わりしたのか分からないほどの不思議な変化が日本にありました。

 昭和二十四年には大リーグのサンフランシスコ・シールズが来日し、戦後初のプロ野球日米親善試合を行いました。羽田空港では女優たちが出迎え、銀座ではパレードをして花吹雪が舞いました。アメリカチームはとにかく強くて、川上哲治はクルクルと三振するし、別所毅彦もボコボコに打たれた。唯一通用したのが、のちに横浜大洋やヤクルトの監督となった軟投派、下手投げの関根潤三です。  日本人はそれらを見て、こんなに強いアメリカ、明るいアメリカ、金持ちのアメリカとなんで戦ったかと、嘆くことしきりでした。そして戦争をした日本人は悪い、軍人は悪いと言い出して、特攻隊も国賊のように言った。アメリカは映画をプロパガンダの道具として使っていて、「明るく素晴らしいアメリカ」を描いた作品だけを流した。黒人や貧民街の映画は禁止して流さない。そして製作されたのが「青い山脈」(昭和二十四年)です。アメリカの民主主義なるものを賛美し、国民に「悪くて暗い封建主義の戦前日本よ、さようなら」という意識を刷り込んでしまった。

 不思議な危険と不思議な魅力をあわせ持つのがアメリカです。今でもそうです。野球の話をしましたが、現代日本のトッププレーヤーたちも大リーグを夢見て、大勢が海を渡ってプレーしています。一方で、日本が二連覇している野球の世界一決定戦「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)では、収益配分などをめぐって主催者の大リーグ側の横暴がまかり通っていて、日本プロ野球の若手選手たちが一時は二〇一三年の大会への参加を拒否するという行動をとりました。不正は絶対に許さないとがんばったあの態度は素晴らしいですが、アメリカの正体は野球にまで出てくる。厄介な相手だと思います。

 福井 やはり、関根の軟投のような「のらりくらり」戦術が有効なんですよ(笑い)。救済思想を抱えて「ワン・ワールド」オーダーを目指すアメリカへの現時点での対処法のヒントは、そこにあるのではないでしょうか。

 西尾 しかしそれは意図してうまくできるものではありません。戦術としてつねに成功するものでもありません。結果として辛うじて今まで無難ではありましたが、「のらりくらり」がイデオロギーになって硬直すると、スキを突かれて攻撃を受けるかもしれません。とにかくアメリカは、昨日の味方を今日はあっという間に敵にする危うさを持っています。アメリカの衰弱と下降は動かない大きな流れでしょうが、それだけにかえってどう変貌するか分からない未知のきわどさを感じています。

『正論』25年2月号より

(おわり)

プロフィール

 西尾幹二氏 昭和10(1935)年、東京生まれ。東京大学文学部独文学科卒業。文学博士。ニーチェ、ショーペンハウアーを研究。第10回正論大賞受賞。著書に『歴史を裁く愚かさ』(PHP研究所)、『国民の歴史』(扶桑社)、『日本をここまで壊したのは誰か』(草思社)、『GHQ焚書図書開封1?7』(徳間書店)。『西尾幹二全集』を国書刊行会より刊行中(第5回「ニーチェ」まで配本)。近著に『第二次尖閣戦争』(祥伝社、共著)、『女系天皇問題と脱原発』(飛鳥新社、同)。

 福井義高氏 昭和37(1962)年、京都生まれ。東京大学法学部卒業。カーネギー・メロン大学Ph・D。日本国有鉄道、東日本旅客鉄道株式会社、東北大学大学院経済学研究科助教授を経て、平成20年より青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授。専門は会計制度・情報の経済分析。著書に『鉄道は生き残れるか』『会計測定の再評価』(中央経済社)『中国がうまくいくはずがない30の理由』(徳間書店)、訳書にウィリアム・トリプレット著『悪の連結』(扶桑社)。

『正論』25年2月号より

(了)

「アメリカ観の新しい展開」(十四)

「大陸介入をことごとく邪魔した日本」(西尾)
「日本は『ワン・ワールド』を理解せず」(福井)

 西尾 太平洋を西へと拡大していったアメリカはフィリピン支配まではストレートに武力を行使しましたが、なぜ中国大陸を目前にしながら軍事侵略をしなかったのか。一つは、大陸には既にロシアやイギリスが入っていて、出遅れたということがあったでしょう。そこに割って入るために、国務長官のジョン・ヘイが「オープン・ドア(門戸開放)政策」を要求してもいます。  アメリカはここで屈折して足踏みしましたが、それでも改めて三つのコースから大陸に迫ろうとします。第一のコースは、満洲進出を手がかりとする北方コースです。アラスカ経由ですからロシアが邪魔で、日本を戦わせて抑えた。ところが、気がついてみると、満洲にはロシアの代わりに日本が居座ってしまった。それでもアメリカは満洲での投資をあきらめません。満洲をめぐる米英ソ、そしてドイツの駆け引きは、多くの史実として残されています。鉄道や橋、道路に投資をして、現地の人々から通行税をとる。これは確実に日銭が入ってきます。そして工場に投資をして、金利を吸い上げる。まさに経済侵略です。

 しかしこれも失敗に終わり、アメリカは第二のコースに乗り出します。この対談の第二回でも紹介しましたが、中国の中央部上海を中心とした文化侵略、教育侵略です。教会や学校を建て、そこを拠点に憎い日本の排撃を煽って日中離間を策しました。シナ人に日本の商品ボイコットをさせるなどし、満洲事変から支那事変に入るころには日本人が襲撃される事件も相次いでいました。

 排日にはイギリスも同調しましたが、ロシア革命後にはコミンテルンが煽動の主役になりました。そして、英米とコミンテルンは手を結んだ。私はその契機は一九三六年の西安事件だと考えています。そこで第二次世界大戦の構図が出来上がった。

 福井 確かに米英とソ連は、日本を叩きたいということで利害が一致していました。「ワン・ワールド」オーダーを目指すアメリカとしても、その邪魔になるイギリス、ドイツ、ソ連、そして日本のすべてを同時には敵にできず、順番に追い落とすことになります。まずは日独を蹴落とし、その過程でイギリス、大英帝国も没落させる。そして最後はソ連を蹴落として今がある、ということでしょう。

西尾 アメリカが第一と第二のルートで足踏みした後に目指したのが、フィリピン、グアムを拠点に、イギリスやオーストラリア、オランダと南太平洋で組んで、南から中国に入っていくという第三のルートです。いずれのルートでも最大の障害は日本であったわけですが、言うまでもなく第三のコースで日米衝突は決定的局面に至ることになります。

 だから、日本が戦争を始めたのではなく、アメリカが三つのルートから迫ってきて日本を排除しようとして大東亜戦争の開戦に至ったと私は理解しています。これも、従来の歴史学、歴史研究では言われていない視点だと思います。

 福井 ただ、アメリカが中国大陸に介入した理由として経済的動機が大きかったとよく言われますが、本当にそうでしょうか。そうした説明は当時もなされていましたが、実はアメリカにとって親中反日政策に経済的合理性はありませんでした。アメリカの実務家たちは「中国よりも日本との貿易のほうが儲かる」と主張していました。経済的には合理性のない極東政策だったわけです。

 西尾 確かにアメリカは大陸に膨大な投資をしたけれども、満足な利益を上げることができなかった。日本も、一九四〇(昭和十五)年に日米通商航海条約が廃棄されるまでは莫大な貿易量からして日米開戦はありえないと考えていました。経済的動機ではないとすると、アメリカを動かしていたのは別の使命感だということになりますね。

 福井 そうです。「ワン・ワールド」オーダーに照らせば、地域に覇権国が登場するのは困る。そこで日本を叩いたということだと思います。逆に中国が強すぎたら中国を抑えにかかる。今がそうでしょう。

 当時、日本が地域の覇権国になるのをあきらめて、アメリカのジュニアパートナーになると宣言していれば、戦争にはならなかったのかもしれませんが、第一次大戦前の欧州中心秩序の優等生「名誉白人」であった日本はそんなアメリカが理解できなかった。「ワン・ワールド」オーダーは、「バランス・オブ・パワー」、いわゆる勢力均衡による外交に対する革命ですから。

 西尾 日本の政治家や知識人には想像もできなかったでしょう。当時、わが国では「日本のモンロー主義」ということまで言われていました。「南アメリカは北アメリカのもの」というモンロー主義をアメリカが唱えるのであれば、アジアは日本が、アフリカはヨーロッパが管理するという形で棲み分けができると考えていた。しかし、実際にはアメリカはそういう棲み分けも「地域の帝国誕生は許さない」として認めなかった。

 福井 アメリカにも、国際法の泰斗ジョン・バセット・ムーアのように、極東の現状変更を否認したスティムソン・ドクトリンを批判し、日本の東アジアでの優位を黙認する識者もいました。しかし、ルーズベルト政権が日本の屈服を目的としていた以上、 それを真正面から受け止めた当時の日本人は戦わざるを得なかった。

 西尾 そうです。やるべきことをやったんです。立派だったんですよ、日本人は。  

 福井 今の日本人が「負けるに決まっていたのになぜアメリカと戦ったのか」と当時の日本人を批判するのは冒?です。例えばソ連がフィンランドを攻めたとき、フィンランドは負けるに決まっているのに戦った。しかし、そこでフィンランドは戦ったからこそバルト三国と違って戦後の独立を保った。それと同じだと思います。

『正論』25年2月号より

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(十三)

「国内でも批判は高まっている」(福井)
「救済思想はニーチェも批判」(西尾)

 福井 スワードがアメリカ帝国主義の基礎固めを行ったという西尾先生の御指摘は、今年(二〇一二年)出たウォルター・スターによる本格評伝『スワード』の中心テーマになっています。 「救済する国家」論については、この対談の第一回で紹介しました。トゥーヴェソンという宗教思想史家が『リディーマー・ネイション(救済する国家)』という古典的著作で、アメリカの対外政策史は、「リデンプション・オブ・ザ・ワールド(redemption of the world)」、つまり世界を救済するというミッション、宗教的使命感に強く支えられてきた歴史であると指摘しています。

 今から半世紀前の一九五三年に初版が出た、アメリカ保守主義の古典的名著であるラッセル・カークの『保守の精神』(The Conservative Mind)にも「ニューイングランド」つまりアメリカ支配層は「他国の民を善導し、浄化するよう止まることなく誘(いざな)われてきた」とあります。

 さらに、トゥーヴェソンを高く評価し、同様の視点から第一次大戦参戦を描いたリチャード・ギャンブルの『正義のための戦争』(The War for Righteousness)がイラク戦争と前後して二〇〇三年に公刊されています。ピューリッツァー賞受賞者でもある歴史学者ウォルター・マクドゥーガルはこの本を絶賛し、こう言っています。「バンカーヒル[独立戦争時の著名な戦闘]からバグダードまで、アメリカの戦争は常に『神聖』であった。なぜなら、かつてのピューリタンから今日の世俗的リベラル、ネオコンサバティブそして福音派に至るまで、アメリカ人は自らの国を、必要ならば武力を用いてでも、世界を救済する使命を帯びた約束の地と思い込んでいるからである」。まさに西尾先生と同じ視点ですね。

 一方で、アメリカのオールド・ライトの人たちは、宗教的な救済思想や「ワン・ワールド」オーダーに対して批判的です。アメリカにも西尾先生と同じように考える勢力があるわけです。しかし、これまでのところは「浄化しようとする人々」が主導権を握り続けている。  西尾 ネオコンにみられるように、その勢力は強くなっていますね。  福井 ただ中東介入の最近の泥沼化を見て、リアリストと呼ばれる中間派の人たちからも、やりすぎだという批判が出てきています。

 西尾 批判はあっても、それを受けての抑制は戦争という手段にとどまっていて、金融という手段では逆に見境がなくなっていませんか。

 福井 金融の場合はアメリカというより、むしろ超国家的なユダヤ人ネットワークの影響も大きいのではないでしょうか。先の金融危機以降、中小商工業者を核とした一般国民を意味する「メイン・ストリート」と「ウォール・ストリート」の対立という構図での議論がアメリカでも盛んに行われています。  

  西尾 前回、全世界反ユダヤ主義監視法を紹介しましたが、彼らの影響はあらゆる分野に及んでいるように思えます。

 福井 アメリカのメディアや言論界では圧倒的な影響力を持っています。たとえユダヤ人の影響力に疑問を持っていても、私もそうですが小心者のインテリは怖くて声を上げられません。政治家として有能かどうかはともかく、人道主義者であることは確かなジミー・カーター元大統領ですら、パレスチナ人に同情的過ぎるとして、徹底的に批判されているのがアメリカの現状です。

西尾 一九六〇年代に世界を席巻した新左翼運動の教祖ともいえるヘルベルト・マルクーゼの影響を受けたリベラルたちが金融界に入り込み、現在の金融グローバリズムの原動力となっている金融工学というものを創り出した。やはりユダヤ金融資本とソーシャリズム、社会主義には親和性があるように見えます。実際、インターナショナリズムという点では同じでしょう。かつてのユダヤ人には国家がなかったから、ナショナルなものを否定する。わが日本もシングル・ネイションですから否定される。いま問題になっているTPPもそうですが、単一文化というものを認めない方向に国際情勢は動いているように思えます。

 福井 一方でユダヤ人国家イスラエルは現在、世界で最もナショナリスティックな国です。先生や私の立場は、お互いのナショナリズムを尊重し、それぞれの違いを認めてほしいという「相互主義」に尽きるのですが。

 西尾 そういうものでしょう。世界は、そもそも多様なんですからね。ところで、「ワン・ワールド」思想は、ブッシュ・ジュニア大統領のドクトリンである「プリベンティブ・ウォー」ともつながっていませんか。予防戦争、あるいは先制的自衛攻撃。

 福井 予防戦争という概念は、かつてドイツも対ソ戦で主張しました。その時は荒唐無稽な説として一蹴されたのに、アメリカならよいのですかと問いたいですね。世界赤化の意図とそれを裏付ける巨大な軍備を持ったスターリン相手でも「荒唐無稽」だとすれば、貧弱な軍隊しか持たず対米侵略など考えられない田舎独裁者サダム・フセインに対する予防戦争など実に悪い冗談です。なぜ、日本のリベラルと称する人たちは、ブッシュ政権首脳を東京裁判と同じ基準で裁けと言わないのか不思議です。  とにかくアメリカは、自分たちは常に正しく、勢力均衡が我慢できない。その点、世界赤化を究極目標としたソ連共産主義と同じです。

 西尾 そう、共産主義と精神的につながります。

 福井 一種のメシア的、千年王国的な特異な発想です。

 西尾 基本はキリスト教ですね。

 福井 ユダヤ教に先祖返りしたようなキリスト教と言えるかもしれません。その根底にあるのが救済思想です。

 西尾 それこそ、ニーチェが批判した思想ですよ。

 福井 ニーチェのキリスト教批判の対象はプロテスタントですよね。カトリックは地上で神の国を実現させようなどとは考えませんから、葬式仏教ならぬ結婚式キリスト教として、ニーチェにとっては無害だったのでしょう。

  西尾 ニーチェが救済思想を批判したのは、弱者が宗教的道徳を利用して権力者になろうとし、そこに虐げられし者が必要になるという構造があるからです。弱者は地上で満たされなかった権力遺志を天上で得ようとして救済の理念に走りますが、ニーチェは、そういう弱者を利用して強者になろうとしたり権力を得ようとしたりする人々を、最も賤しい人間、「賤民」だと厳しく批判しました。  カトリックとプロテスタントの違いは、いわば大人と子供の違いです。ヨーロッパ諸国の侵略は、動機が非常にはっきりしていました。奴隷が欲しかったのです。中世ヨーロッパは奴隷を否定していましたから、奴隷がいなかった。騎士道もありました。社会的弱者を擁護するのが騎士たちの義務であり、決闘でも相手を認め、勝者も敗者を許すのが一般的でした。それに対し、アメリカには中世がなく、奴隷を内に抱えている。騎士道もなく、勝者が敗者をとことんやり込め潰滅させるまで止めません。やり方が子供っぽいのは、プロテスタントが主流であることも影響しているかもしれません。

『正論』25年2月号より

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(十二)

「対日戦争は『正義病』の歴史の一コマ」(西尾)

 西尾 宗教を見てみましょう。アメリカに渡った移民は多様で、メイフラワー号に乗ったプロテスタント、ピューリタン(清教徒)だけではありません。カトリックも、クエーカー教徒もいました。ただ、いずれも宗教戦争に敗れ、排斥され、追いつめられ、救いを求めて新天地に逃れてきた人々でした。その彼らがインディアンを根絶やしにし、黒人を奴隷にしたわけです。

 江戸時代の太平にまどろんでいた同時期の日本人には夢にも考えられないような残虐な体験の数々が、アメリカという国の体質の深層にあるのではないか。その体験がトラウマとなり、これまで取りあげてきたアメリカの「正義」という問題、「正義病」と言ってもよいアメリカ人の行動原理を形成したように、私には思えてなりません。

 ヨーロッパで迫害され、追放されて心に傷を負ったがために抱えた宗教的な救済思想が、彼らを「正義」へと駆り立てる。そうであるがゆえに、インディアンを虐殺し、黒人を虐げたことを直視することができず、頑なに「救済する国家」として振る舞う。心のトラウマの反映だと思います。戦いでは自分の側には決して落ち度を認めず、相手の自尊心をつぶすまで打ちのめす。敗者の気持ちを認め、許し、生きる道を残すという勝者の余裕もない。相手の息の根を止めるまでやる。日米戦でも、日本に無条件降伏を要求し、結果として戦争を長引かせました。相手にも理があると考えてみるという発想を最初から頭の中から追い払っています。

 この対談の第一回で述べた南北戦争の戦い方もそうでしょう。第一次世界大戦で破ったドイツのヴィルヘルム二世の訴追。第二次大戦でナチスを裁いたニュルンベルク裁判や東京裁判では、人類の名において敗者を裁いた。人類という名前を出すことで、自分たちの問題を巧妙に消し去ったのです。十字軍意識と言ってもいいかもしれません。この十字軍意識というものが、戦争に至った日米関係を考えるうえで、いままで語られてこなかった重要な要因だったのではないか。

 日本だけなく、イラクに対しても、イスラム原理主義のゲリラたちに対しても、イランに対しても同じです。自分たちが守り育てて擁護して優しい態度をとっていた相手に対して突然豹変して、徹底して破壊する。第二次大戦中は、アメリカはソ連とも手を結んでいました。前回の対談ではアメリカのウォール街とコミュニズムの論理が近いという話をしましたけれども、ソ連と握手できる要素があったにもかかわらず豹変して、半世紀近くも世界中を厳しい対立状況におき続けた東西冷戦を生み出した。あるいは?介石と中国を賞賛して熱心に支援しておきながら、大戦が終わると手のひらを返すように?介石も中国も否定してしまった。そして突然、また手を結んだ。自らの主観だけで善か悪かを決めて、悪だと決めたら、あるいは言うことを聞かなければ殺してしまう。極めて単純で脳にひだのない自己正当化を繰り返してきた。  虐殺したインディアン、奴隷とした黒人たちのほうが「正しかった」と少しでも考えたり、自分たちの理を疑い始めたりすると国家が崩壊してしまう。アメリカ人自身の人格が崩壊してしまう。だから屁理屈をつけてでも、「あいつらが悪いからこうなった」と信じ込んでいる。本当は違うと薄々は分かってはいても、その感情を押し消している。これが、アメリカの「正義病」の根源なのだと思います。

 冒頭で申し上げた、さまざまな要因の総合作用として歴史をみるということは、こうした分析です。日米関係だけに注目して日米戦争を考えると、わが国がペリーに強姦された、あるいは黒船来航以降の日米の宿命的な対立が戦争へとつながった、といった受け身の議論になり、誤解を招きやすい。日本だけに視点を向けた従来の矮小な議論、蛸壺史観へと議論が方向づけられてしまうからです。

 日米が開戦に至った理由を考えるうえで日米関係を特殊化してはならない。そうではなく、「アメリカとは何か」という命題を立ててアメリカの歴史全体の中で考察する。インディアン虐殺や黒人奴隷、フィリピン征服などアメリカ人が起こした世界史的トピックの流れの中に対日関係、日米戦争を位置づけることで、見えてくるものがある。「アメリカとは何か」という命題を生体解剖学的に考えるべきだと思うんですね。

 福井  米英ソのような本物の大国に比べれば、戦前の日本はせいぜい二流の地域大国でしかありませんでした。その日本が戦争を欲したので世界大戦となり、日本がおとなしくしていれば東アジアの平和は保たれたという現在支配的な史観は、悪役とはいえ日本をまるで世界史の主役であるかのように描く、裏返しの皇国史観ではないでしょうか。そういう人に限って戦前の皇国史観に批判的なところが滑稽ですが。

西尾 戦後の左翼こそが皇国史観だというのは言い得て妙で、面白い見方です。今までの話を少しつづけます。

 中国という国が、「北守南進」といって北方に向けては万里の長城をつくって守りを固め、南方へ進むという本能を持っていたように、アメリカには「東守西進」の本能がある。東方に対してはモンロー主義という名前で防波堤をつくり、西方にはどんどん遠慮なく進撃してきました。  リンカーン政権の国務長官だったスワードは、南北戦争を戦いながら大西洋の守備の重要性を訴えましたが、大西洋には防衛拠点となる島がないために苦労した。そのために彼は太平洋時代に備えてハワイ征服を考えます。これは一八六〇年代の話で、実際にアメリカが太平洋に進出してハワイを侵略するにはそれから三十年を要しましたが、スワードは一八六七年にアラスカを買収するなど、さまざまな太平洋進出策を画しました。いわばアメリカにおける最初の帝国主義者です。彼は太平洋と大西洋を睨んでいた。つまりアメリカは日本だけを叩こうとしたのではなく、大西洋も太平洋も睨んでいたのです。その根底には「ワン・ワールド」思想があった。そのことを抜きに、当時の日米関係を語ってはならないと思います。「私たちの国対アメリカ」という構図で考えるのはあまりに矮小だということです。

『正論』25年2月号より

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(十一)

アメリカは なぜ日本と戦争をしたのか 下

「正義病」の根源 「アメリカ人とは何か」という視点で歴史を 分析して初めて見えてくる日米戦争の深層

 西尾 少し長く話したいと思います。私は、歴史というものは、宗教であったり、人種であったり、金融であったり、地政学的な力学であったりと、さまざまな要因の総合作用の結果なのだと考えています。とくにアメリカの歴史を考えるときには、そうした視点が必要です。  十九世紀のヨーロッパにとって、「アメリカ」とは端的に言って「ラテンアメリカ」、つまり南米大陸を指す概念でした。十九世紀初頭、南アメリカの原住民、いわゆる「インディオ」の人口は千五百万人でした。これに対し、北アメリカの「インディアン」は五十万?百万人です。それだけの差があったのです。移民の数も南アメリカが千七百万人で、北アメリカの五百万人の三倍以上でした。

 ところが約百年後の十九世紀末には、南北の移民の数は逆転していました。南アメリカの六千万人に対し、北アメリカは八千万人。力が一気に北に移動し、いつの間にか北アメリカがアメリカの代表になっていたのです。

 いうまでもなく、南アメリカの移民は主にスペインから、北アメリカの移民はイギリスからやって来ていました。当時の両国の政治体制をみると、いまだ封建末期だったスペインに対して、イギリスは近代国家の道を歩み始めていました。文明が歴史的に辿ってきた段階としていえば、百年から百五十年の違いがあった。あるいは重商主義と資本主義の違いと言ってもよいでしょう。移民も、南アメリカにやって来ていたのはスペイン王朝のための富を求めた人々だったのに対して、北アメリカにはイギリスの王家に反逆し、「新しい土地」で共和主義的自治国をつくろうとした人々でした。

 原住民への対応はどうだったでしょう。スペインからの移民たちの基本政策は、原住民をキリスト教に改宗させてスペイン国王に富をもたらす臣下にするというものでした。一方、文明がより進んでいたはずの国からやってきた北アメリカの移民たちは、インディアンたちを異質な存在として排除し、単純に除去しました。そのやり方がまた凄まじい。単に殺戮しただけではありません。彼らの生きる根拠だったバッファローをまず大殺戮することによって、インディアンたちを衰えさせた。もちろんスペインの移民も原住民を虐殺しましたが根絶やしが目的ではありません。

 この原住民への対応の違いはスペインとイギリスの文明の違いによるものではなく、大きくは原住民の数の違いによるものと思います。南アメリカでは移民よりも原住民の数が圧倒的に多かったために排除できず、混血が広がった。混血によって人種の違いを緩める政策をとらざるを得なかった。つまり、スペインとイギリスの南北アメリカでの振る舞いには、表面的な違いはあっても、膨張主義、占有欲、征服、そして抵抗する意志のある原住民は排除するという共通項があったということです。

 異なっていたのは、北アメリカの移民たちがインディアンを除去するに当たって、宗教的な屁理屈をひねり出していたことです。キリスト教の新約聖書の言葉を使いました。「マタイ伝」二十四章二十七節のイエスの予言です。「神はこの世の終わりにあたって、その福音を西に伝えようと思っておられた。福音はかつて東から昇り、これまでは光によって東方を照らしていたが、この世の後半期になれば西のほうに傾き、沈む前にはこの西方の部分を輝かしい光で照らしたまうのである」

 移民たちはこの福音を、広々とした西部はキリストが与えてくれた征服にふさわしい土地で、拡大することが許される新天地だという劇的な暗号として受け止めました。これが有名な「マニフェスト・ディスティニー」という信仰にもつながります。この言葉は、一八四五年にサリバンというニューヨークのジャーナリストが最初に唱えた特殊なイデオロギーで、メキシコから奪ったテキサス併合の正当化に用いられました。百年以内に二億五千万人もの人口に達する白人がアメリカ大陸を占領するのは明白な神の意思であり、自由な発展のために神が割り当てたもうたこの大陸に拡大していくのはわれわれの運命、「ディスティニー」だとサリバンは述べています。第七代大統領のジャクソンは白人のアメリカ大陸への西進を進歩と文明のマーチだと言いました。西部開拓のイデオロギーを表わすフロンティア精神とは、侵略の暗号である「マニフェスト・ディスティニー」を朗らかな言葉で言い換えたにすぎません。

 さらに、アメリカの西部開拓でわれわれが見落としてはいけないことがあります。映画「アパッチ砦」で有名なインディアンのアパッチ族との抗争で、アパッチ族を捕らえて軍隊の監視下に置いた留置場が一九一四年まで存続していたということです。私がアメリカの対日姿勢のクリティカル・ポイントだと言った一九〇七年よりも後です。カリフォルニアの排日運動も起きていて、米比戦争によるフィリピン征服もすでに終わっていました。米比戦争の過程では桂・タフト協定(一九〇五年、日本がアメリカのフィリピン統治を、アメリカが韓国における日本の指導的地位を相互承認)も結ばれ、太平洋をめぐる日米対立の構図が姿を見せ始めていました。アパッチ砦、つまり「マニフェスト・ディスティニー」に支えられた西部開拓と対日戦争は歴史として連続していたのです。

『正論』25年2月号より

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(十)

「言論統制が世界中で進んでいる」(西尾)
「言論統制は『共産主義だ』」(福井)

 西尾 いま、世界は非常に危ないところに来ていると思っています。アウシュビッツ、ナチスによるユダヤ人迫害の事実をいっさい批判してはいけないという法律を、ドイツがつくりましたね。
 
 福井 ヨーロッパのほとんどの国に、同様の法律があります。

 西尾 それが暗黙の内ではなくて、いわゆる法文化されるというのは、およそやっぱり精神の自由とは正反対のことだと思うんです。それはソフトファシズムではなくてファシズムそのものでしょう。そういう傾向が世界的にどんどん強まっているような気がして不気味でなりません。

 じつは、アメリカは二〇〇四年十月に、「全世界反ユダヤ主義監視法」をという法律を制定しています。世界中の反ユダヤ主義の動きを国務省が記録し、各国の行動に対して評価を下すという内容です。一般的に、反ユダヤ的とみなされる指針は、(一)政府・マスコミ・国際ビジネス社会や金融をユダヤ社会が支配しているという主張、(二)強力は反ユダヤ感情、(三)イスラエルの指導者に対する公然たる批判、(四)ユダヤの宗教をタルムード、カバラと結びつけて批判すること、(五)アメリカ政府並びにアメリカ社会が、ユダヤ=シオニストの影響下にあると批判すること、(六)ユダヤ=シオニスト社会がグローバリズム、または「ニュー・ワールド・オーダー」を推進していると言ったり批判したりする、(七)イエス・キリストがローマによって磔刑に処せられたのは、ユダヤ指導者のせいであると非難すること、(八)ユダヤ人のホロコースト犠牲者を六百万人よりも少ないと主張すること、(九)イスラエルが人種主義的国家であると主張すること、(十)シオニストの陰謀があるとの主張、(十一)ユダヤとその指導者たちが共産主義、ロシアボルシェビキ革命をつくり出したと主張する、(十二)ユダヤ人の名誉を毀損する主張、(十三)ユダヤ人にはパレスチナを占領する聖書に基づく権利はない、との主張、(十四)モサドが九・一一同時多発テロに関与したとする主張─などと言われています。
 
 いままで我々が議論してきたことも含まれますが、なるほどこれらの主張内容は単なる妄想的な陰謀論なのかもしれない。そこは分からない。しかし、このような法律の出現は、在米ユダヤ・ロビーの決定的な影響力を示しています。

 前回、アメリカの日系移民政策を批判した『日米開戦の人種的側面、アメリカの反省1944』(翻訳は草思社)という本が第二次大戦中にアメリカで出版されていたことを紹介しました。実はこの本は、ユダヤ系の出版社から出ているんです。ユダヤ人は日系人排斥や収容の動きをみて、自分たちの身の危険をも感じていた証拠ですね。当時は彼らは大変に不安だった。ところが、彼らはいまや監視法まで制定させる原動力になった。我々は長い過酷な歴史を歩んできたユダヤ人は同情に値すると考えていますが、弱者がいつの間にか強者になっていたのではないでしょうか。

 福井 ユダヤ人であるビル・クリストルというネオコンのオピニオン・リーダーが、共和党からイスラエルに対して批判的な有力者を追い出したという趣旨の発言をしています。ブッシュ・シニアや、彼の政権の国家安全保障担当大統領補佐官、国務長官だったブレント・スコウクロフト、ジェームズ・ベイカーたちです。

 西尾 共和党も二色あって、親イスラエル、反イスラエルがいるけれども、後者は反ユダヤなの?

 福井 反イスラエルというより、イスラエルに一方的に肩入れせず、アラブとも仲良くしたほうがよいと考えているだけです。
 
 西尾 国家の指導者として当然のバランス感覚でしょう。
 
 福井 反ユダヤ監視法に署名したブッシュ・ジュニアは、父親が追い落とされる過程を見ていた。だからイスラエル・ロビーを敵に回すと自分も追い落とされてしまうと考えていたのかもしれません。
 
 一方、オバマ大統領はイスラエル・ロビーとは一定の距離を置いています。だからオールド・ライトは今回の選挙で、親イスラエルのミット・ロムニーには批判的で、オバマ再選を歓迎しているのではないでしょうか。アメリカ保守は一枚岩、ひと塊ではないんですね。
 
 西尾 イラク戦争では五千人も戦死し負傷者が十倍いるという。イスラエルを守るための戦争にアメリカ人は確実に疲れ始めています。今度の大統領選挙の結果は、「神権国家」アメリカ像が大揺れに揺れている表れではないでしょうか。それでもアメリカの保守は根強く、何かというとすぐ、ひと塊になりつつあるから怖い。
 
 福井 ネオコンサバティブですね。それでも、ロン・ポールが予備選でかなり善戦したわけですから、共和党の現状に不満のある人も多いわけです。だから、われわれ日本の保守派がネオコンに肩入れしなければならない謂われはない。
 
 西尾 威勢のいいアメリカにくっついていたいだけでしょう。
 
 福井 今のアメリカの好戦的な政策を批判することイコール反米左翼、というわけではないんです。保守派としても批判できるわけです。
 
 西尾 言論を一元化してそれ以外のことを言ってはいけないというのは、民主主義国家・アメリカの建国の精神を裏切っていますよ。

 福井 それでもヨーロッパに比べると、まだ憲法上保障された権利として言論の自由は守られています。ドイツでは、ナチス戦犯を裁いたニュルンベルク裁判を批判したら刑務所行きを覚悟しなければなりません。フランスなども事情はそれほど変わりません。ドイツの移民増加を憂いて政策を批判し、二〇一〇年九月にドイツ連銀理事を事実上解任されたティロ・ザラツィンの問題でも、当初は検察が動いたんです。
 
 さきほど、ファシズムだとおっしゃいましたけれども、アラン・ド・ブノワというフランス「新右派」(Nouvelle Droite)の代表的イデオローグが、こんなことを言っています。「政治的システムとしては、ナチズムはファシズムとはまったく違う。同様に、社会主義もまた、共産主義とは違う」「ナチズムとファシズムを同じ概念にしてしまうのは、結局レオン・ブルム(フランス人民戦線内閣の首相)とスターリン、リオネル・ジョスパン(シラク政権で首相、元仏社会党第一書記)とポルポトを同じ壺の中に投げ込むことと同じだ」
 
 要は、安易に「ファシズム」という言葉を使うのは「スターリン語」(la langue de Staline)だということです。それは「ファシズム対反ファシズム」というスターリンが一九三〇年代に作り出した枠組みにとらわれた見方であって、イタリアとドイツの近さよりも、ナチスとソ連の近さのほうがはるかに密だということが、彼の主張です。
 
 西尾 ファシズムをわりにリベラルに考えているわけだ。スターリニズムが全体主義であるのに、それを例外的に認めているようなものの言いようは、結局ナチスとスターリニズムの近さというものをよく認識してない表れであるということですね。それはそうだ。スターリンとヒットラーは互いに相手を認め、影響し合っていたのですから。
 
 福井 だから、言論統制を「ファシズムだ」と批判するよりも、「それは共産主義だ」と言ったほうが本質を突いているということです。日本の人権侵害救済法案(人権擁護法)を考えれば、よくあてはまっています。この法律を推進しているのが、どういう勢力なのか。
 
 西尾 ヘルベルト・マルクーゼが出てきたので、ひとこと言わせてください。私は一九六五~六七年のドイツ留学から帰国した後に「後遺症」という論文を『批評』という雑誌に発表しました。マルクーゼ批判です。留学したときのドイツは学生運動の最中で、マルクーゼは西ドイツで体制批判をやっていて教祖的存在でした。帰国してみると、日本も同じことになっていた。そのマルクーゼは「左翼の独裁」ということをしきりに言っていたんですね。左翼の言うことは正義だから、これを政治体制化しようというわけです。その後の日本はずっとこの流れの中にある。
 
 その「左翼の独裁」という概念に反発して書いたのが「ヒットラー後遺症」ですが、私はこの論文を当時何冊も発刊した自分の単行本の評論集に入れなかったのです。忘れたのではありません。もう一本、「大江健三郎の幻想風な自我」という大江批判の論文も評論集に載せませんでした。いずれも私の全集(国書刊行会)第三巻には入れましたが、この二本の論文をなぜ当時の評論集に載せなかったのか、今となっては分からないんです。言論界では左翼が全盛の時代で、私が生きるために避けたのかもしれないし、出版社が嫌がったのかもしれない。
 
 人は、自分の心の主人公であるとは限りません。私は今まで自分の言論の自由というものにずっと飢餓感を持っていて、今でもそうです。当時のスクラップを見ると、私が出した三冊の評論集に、全部で三十一篇の書評が寄せられています。それだけ注目を浴びたら飢餓感などないだろうと思われるかもしれないけど、これは心理的に同時に起こる矛盾した現象で、私の心の中にはずっと飢餓感があった。それはひょっとすると、この大事な二本の論文を評論集に載せていないことと関係があるのかもしれない。私は言論界で生きるために載せることを避けたのかもしれない。偽の自分になって生きてきたのかもしれないのです。
 
 福井 同じようなことを、二十世紀アメリカを代表する社会学者ジェームズ・コールマンが死ぬ前に言っています。彼は黒人問題について、人種差別的に受け取られかねない研究を発表した。それでも、「自分は批判を恐れて十分に発言しなかったのではないか」という懺悔の言葉を遺しています。
 
 西尾 マルクーゼの「左翼の独裁」といった思想は、当時全共闘だった今の日本の法務官僚や政治家の頭の中に染み込んでいるのではないか。そのことの表れが、人権侵害救済法案や、日本の「戦争責任」を追究する恒久平和調査局の設置を盛り込んだ国立国会図書館改正法案でしょう。後者は、一定の戦争観以外は許さないという、とんでもない法律ですから。ナチスのホロコーストの歴史のない日本に、ドイツの「アウシュビッツは嘘」断罪法のまねをするようなばかばかしい過誤は絶対にあってはなりません。

『正論』25年1月号より

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(九)

 西尾 日本にもドイツではなくてイギリスと手を結べという親英米派が多数いました。本当に微妙な運命の分かれ目でしたが、結局はアメリカの圧力で次第に追い込まれた日本が勢いのあったドイツ側に付いたと今では解釈されています。ただイギリスとアメリカは別だ、と永い間分けて考えられていました。

 福井 日独伊三国同盟は、アメリカの圧迫に対するディフェンシブな同盟だという見方もできます。ドイツも日本も地域の覇権国になりたかっただけなのに、アメリカがそれを認めなかった。そのために、ソ連と組むという試みも現実に進めていたわけですよね。

 西尾 松岡洋右が当初目指していた日独ソ伊の四か国同盟ですね。

 福井 日独ソが組むと、さすがのアメリカも攻められないだろう考えた。それは一つの考え方だったと思います。結局失敗しましたが。

 西尾 スターリンは日独と手を結ぶような玉じゃなかったでしょう。それは日本の計算違いでしたね。

 福井 いわゆるウィッシュフル・シンキング(希望的観測)だったのかもしれません。スターリンは一国社会主義者だと当時強く言われて、ただのロシアの帝国主義者であるという見解も有力でしたから。

 西尾 
なるほど。

 福井 この日独と手を結ぶというのはソ連にとっても悪くない話でした。いわゆる対英「グレート・ゲーム」でイランとアフガニスタンも手に入る。しかし、スターリンの思惑はそんな小さなことではなくて、世界征服だった。

 西尾 アメリカと一緒だな。

 福井 ええ。前回紹介した『救済する国家(リーディマー・ネイション)』(アーネスト・リー・トゥーヴェソン)に従えばそうなります。復習すると、同書の概要は、アメリカの外交政策は、世界を救済するというミッション、使命感に支えられてきた歴史であり、アメリカで支配的な一部プロテスタントの神学の「千年王国を実現する」という強い志向に支配されているというものです。その手段として、アメリカン・デモクラシーの普及が言われているわけです。

 西尾 それが「ワン・ワールド」オーダーへとつながるわけですね。シングル・ネイション、ヴァラエティーに富む単一国家が組み合わさったシビリゼーションというものを信じている我々からすれば、非常にはた迷惑なんだ。我が国の国体にも合わないわけでね。

 福井 マルクス主義が、キリスト教の源流といえるユダヤ教の救済史観に強く影響された思想であることは常識です。アメリカの世界一国支配思想と共産主義は根が同じだともいえるわけですね。

 西尾 マルクス主義思想の根本に千年王国論があるのは間違いない。

 福井 太平洋問題調査会(IPR)という国際組織がありました。ゾルゲや尾崎秀実も関係していたソ連エージェントを含む共産主義者の巣窟でした。ビル・クリントンが最初(一九九二年)の民主党大統領候補受諾演説で自らに大きな影響を与えた人物として言及したことで話題となったキャロル・クィグリーという国際政治外交研究の泰斗がいます。彼は千頁を超える大著『悲劇と希望』で、IPRがウォール街と密接に関係していたことを詳述しています。ロックフェラーやモルガンが資金を出していた。IPRとロックフェラーを結ぶ中心人物だったのが投資銀行家ジェローム・グリーンで、日本生まれ、宣教師の息子です。
 そして、共産主義とウォール街をつなぐキーパーソンはトロツキーだという説さえあります。トロツキーは、じつはロシア革命の前にはアメリカにいました。ヨーロッパからアメリカに渡航する際には、一文無しに近かったはずなのに、家族で一等船室を利用し、上陸時には円換算で百万円程度の現金を所持していました。革命直前のロシア帰国も含めて、イギリス情報機関の暗躍があったのではないかとも言われています。これは極右の妄想ではなく、現代ロシア史研究者リチャード・スペンス教授(アイダホ大)が学術誌に発表した論文の内容です。

 西尾 マルクスの共産主義研究に資金援助したのはロスチャイルド家で、ドイツ出身のアメリカの哲学者で、フランクフルト学派のヘルベルト・マルクーゼの文化破壊的な研究に資金援助していたのがロックフェラー財団です。核兵器の一元的管理を考えたアインシュタインやバートランド・ラッセル、湯川秀樹ら科学者が作った「パグウォッシュ会議」も、それを実現するために世界統一政府を主張していましたが、そこでもユダヤ人のイートン財団が大きな役割を果たしていました。

 福井 日露戦争のときに日本の戦費調達にユダヤ人銀行家は協力的でした。当時はロシアが世界最大の反ユダヤ国家だったわけですから。

 西尾 反ユダヤだった帝政ロシアをユダヤ人は非常に憎んで、革命の推進派になったわけですよ。

 福井 ロシア革命は抑圧されていたユダヤ人が中心だったこともあり、アメリカは革命を転覆させる意図などなく、旧体制が残るほうが困るというぐらいに考えていた。だからロシア革命を本気で阻止しようとしていたのは、日本とフランスだけだったとも言われています。

 西尾 そのとおりだと思わせるのが、日本のシベリア出兵をめぐるアメリカの批判、あるいは嫌がらせです。その後の歴史も全部そうです。ヨーロッパはロシア革命に危機感を持っていました。アメリカにシベリア出兵を依頼した派遣団の団長はフランスの哲学者ベルグソンでした。だというのに、アメリカはルーズベルトまでずっと親ソ連だった。

 福井 先ほど、イギリスの対独協調派と反独派の話をしましたが、後者の伝統的ドイツ嫌いのチャーチルやその周囲には、彼らを支援するユダヤグループがいました。

 西尾 そうすると、チャーチルとユダヤ人、そしてコミンテルンがひとつにつながりますね。中国大陸では、西安事件(一九三六年、蒋介石を張学良が拉致した事件。これを機に第二次国共合作が行われ、国民党の掃討により壊滅寸前だった中国共産党は延命した)の前後にイギリスが介入してコミンテルンと手を握ろうとしていました。そこにユダヤ人が暗躍していました。そしてイギリス介入して、一挙に米英ソという連合国陣営が出来上がり、第二次世界大戦の構図が明確になった。

『正論』平成25年1月号より
(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(一)
「アメリカ観の新しい展開」(二)
「アメリカ観の新しい展開」(三)
「アメリカ観の新しい展開」(四)
「アメリカ観の新しい展開」(五)
「アメリカ観の新しい展開」(六)
「アメリカ観の新しい展開」(七)
「アメリカ観の新しい展開」(八)

「アメリカ観の新しい展開」(八)


「ロシア革命の評価なしに世界史は完成せず」(福井)
「英ソ接近もあった」(西尾)

 福井 『天皇と原爆』は基本的には東京裁判史観を見直すというスタイルですが、私はニュルンベルク史観も見直さないと、バランスのとれた世界史、歴史にはならないと考えています。ドイツ単独責任論は、いわば政治的な議論です。ドイツは世界征服を企んでいたのではなく、地域の覇権国になりたかっただけなのに、チャーチルが大英帝国を破滅させてまでヒトラーとの「決闘」に勝つため、ヨーロッパ戦線を拡大してしまった。ユダヤ人の単なる迫害ではなく組織的虐殺が始まるのは対英和平が絶望となって以降です。

 西尾 パトリック・J・ブキャナンが『チャーチル、ヒトラー、そして不必要だった戦争』で述べていることと同じですね。この訳書が河内隆禰氏の訳で二〇一三年一月、国書刊行会から発刊されます。

 福井
 ブキャナンも今年の共和党大統領予備選で善戦したロン・ポールと同じオールド・ライトですよ。

 西尾 孤立主義ですか。

 福井 ええ。ただ、経済政策においては、ブキャナンが保護主義であるのに対し、ロン・ポールは市場重視です。国内政策においても政府はできるだけ何もしないほうがよいという、リバタリアン的立場です。他国とは貿易はどんどんやればいいが、軍隊が行く必要はないという考え方です。

 西尾 それは日本も納得できる思想ですね。

 福井 二十世紀前半史はやはりロシア革命の評価を抜きにしては完成しないということも強調したいと思います。最近秘密文書の公開が進んで、ソ連の世界赤化戦略はかなり進行していたことが分かってきました。これまでは、世界革命論者のトロツキーに対してスターリンは一国社会主義者、ただのロシア帝国主義者だと考えられていましたが、実はスターリンも全世界赤化を虎視眈々と狙っていたんです。トロツキーと基本的には目標は同じだったんですよ。ただ、トロツキーと違ってプロの政治家、リアリストだっただけなのです。

 一九三〇年代後半すでに、ソ連の軍事力は日独を圧倒していて、防衛のための兵力というには不自然で、常識的に考えて、攻撃を準備していたとしか考えられません。

 一九三一年の満洲事変の二年前の二九年、満洲で中国とソ連の戦争がありました。中東路事件、奉ソ戦争とも呼ばれています。その直前、中国がハルビンのソ連領事館を捜索したところ、赤化工作や謀略を指示する機密文書が見つかり、ソ連と中国の関係が悪化し、ソ連利権だった東支鉄道の張学良による強引な回収を契機に武力衝突となった。日本も満洲の赤化工作については非常に憂慮していたはずです。ところが、こうした事実は大きくは扱われず、関東軍がただ侵略のために満洲事変を起こしたかのように言われる。

 奉ソ戦争ではソ連軍が越境して武力攻撃したにもかかわらず、満州事変における対日非難に比べて、アメリカの対応はかなり抑制されたものでした。そのアメリカのルーズベルト政権に、ソ連のスパイが大量に潜り込んでいたことが、一九九五年に公開された「ヴェノナ文書」(ソ連スパイとモスクワ本部がやりとりした暗号電報を米軍が解読した文書)で疑問の余地なく明らかになったことは、皆さんご承知の通りです。アメリカを対日戦争に向かわせるために、ソ連の意を受けたスパイたちが政権内でその影響力を行使したことも分かってきています。ただし、ルーズベルト自身、対日戦を望んでいました。いずれにせよ東京裁判史観を否定する事実です。

 西尾 先ほど、アメリカ人宣教師たちが主導したと紹介したシナ大陸における排日運動の担い手も、ロシアから入ってきた共産主義者たちに取って代わりました。一九一七年のロシア革命から間もない二二~二三年のことです。

 福井 ソ連の世界革命戦略は、さらにドイツ単独責任論も否定します。独ソ戦は、ドイツが一方的にソ連に攻め入ったと考えられてきましたが、実は「スターリンは対独攻撃を準備していたが、ヒトラーに先を越されてしまったのだ」と考える研究者が増えてきています。ドイツのバルバロッサ作戦は、一種の予防戦争だったという見方です。興味深いことに、ロシアでは反スターリンのリベラルな研究者がスターリン責任論の中心となっています。

 スターリンが世界共産化の一環として対独戦を準備していたことを一九八五年に公刊された『スターリンの戦争』で最初に本格的に論じたのは、オーストリアの著名な哲学者エルンスト・トーピッチュです。最近の文書公開で、彼の主張の妥当性はますます増しています。ちなみに彼は極右でもなんでもなく、カール・ポパーとも親しく、西尾先生に近い古典的自由主義者です。

 西尾 スターリンが先にドイツを叩くつもりでいた。

 福井 ドイツだけではありません。一九三七年、ソ連で『東方にて』という本が刊行されています。同じ年に改造社から『極東:日ソ未来戦記』と題して日本語訳も出ました。日本とソ連が戦争して、ソ連空軍が東京を空爆し、日本に革命が起こるという小説です。

 西尾 よく当時の日本でそんな本が出版できましたね。

 福井 さすがに和訳は検閲でかなりカットされています。作者はピョートル・パヴレンコ。『戦艦ポチョムキン』で有名なセルゲイ・エイゼンシュテイン監督の作品に、『アレクサンドル・ネフスキー』という反独プロパガンダ映画がありますが、その脚本を書いた人物です。スターリンお気に入りの作家でした。つまり、スターリンは反日独プロパガンダ、戦意高揚を同時に行っていたわけです。

 西尾 日本はきっと警戒してこの本を翻訳したんだね。スターリンが世界制覇の意志を持っていて、虎視眈々とドイツと日本を攻める計画をしていた。それに対して先手を打ったのが日独防共協定だった。

 この日独防共協定に対してはイギリスが冷淡な対応をして、日本の外務省も非常に不満を持っていました。ちょうどそのころスペインに内戦があって、ドイツとイタリアがソ連と激しい対立関係に陥ります。そこで英ソが接近したのではないでしょうか。

 福井 英国支配層にはチャーチルのような伝統的な反独派だけでなく、エドワード八世(ウィンザー公)や第一次大戦時の首相ロイド・ジョージなど対独協調派も多く、勢力が均衡していました。最後はチャーチル側が勝ったわけですが、ウィンザー公の退位(一九三六年)もそれに関係しているのかもしれません。ウィンザー公はヒトラーファンで有名でしたから。ただイギリスは、安全保障上の理由などと称して、そのころの重要文書をほとんど公開していません。

『正論』1月号より

「アメリカ観の新しい展開」(一)
「アメリカ観の新しい展開」(二)
「アメリカ観の新しい展開」(三)
「アメリカ観の新しい展開」(四)
「アメリカ観の新しい展開」(五)
「アメリカ観の新しい展開」(六)
「アメリカ観の新しい展開」(七)

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(七)

残暑お見舞い申し上げます。

 暑いですね。困っています。
 今年は体力にこたえています。

 ここ数回、たくさんのコメントをいただきありがとうございました。あらためて全部拝読しています。何らかの応答をしようと思っているのですが、あっという間に月の中半の締切が来てしまいました。時間がないのでお許しください。これから掲げるものは、以前のものの続きとなります。興味ある話題だと思いますので、コメントを遠慮なしに書いてください。

「アメリカ観の新しい展開」(一)
「アメリカ観の新しい展開」(二)
「アメリカ観の新しい展開」(三)
「アメリカ観の新しい展開」(四)
「アメリカ観の新しい展開」(五)
「アメリカ観の新しい展開」(六)

「アメリカの正義はガラリと変わる」(西尾)
「『ワン・ワールド』に地域覇権国は不要」(福井)

 西尾 まず、前回に続いてアメリカ型の正義について考えましょう。シナ大陸での戦前の排日・反日は、日本にとって最も痛手が大きい戦争原因の一つです。その排日・反日を主導したのは、実はアメリカ人の宣教師たちでした。彼らはだいたい反日スパイで、イギリス・アメリカの教会系の学校やキリスト教青年会が、排日運動を扇動する拠点でした。

 こうした施設がどれだけあったかというと、英米系の教会は、約五千八百。病院や薬局が五百七十。教会がつくった大学や専門学校が十八、中学校が三百五十、小学校が約六千、幼稚園が七百五十。こうして、全国にはられた排日の網の目で一斉に活動が始められて、シナ人をいじめているのは日本だというイメージが流布した。この流布のさせ方がすさまじく、かつ嫌らしい。いかにアメリカが素晴らしい国で日本がひどい国かということを映画にしてシナの田舎町まで持っていって上映する。そのお先棒を担いでいたのが、宣教師なんです。それがやがて日貨排斥へ発展していきます。

福井 対日戦争に非常に積極的だった『タイム』誌オーナーのヘンリー・ルースは、中国に派遣されていた宣教師の息子で、中国育ちです。それにしても宣教師たちはセンチメンタルなまでに中国が好きですね。西尾先生の『天皇と原爆』(新潮社)には、こうあります。
「私が最近しみじみ考えているのは、アメリカの抱いていた宗教的な期待のことなんです。アメリカは、中国大陸でキリスト教を布教する可能性が無限にあるように思っていました。日本ではなかなか、そうはいかなかったんですよ。日本は信仰という点では頑としてキリスト教を受け入れないところがありました。キリスト教の信徒は明治以来増えていますが、現段階でも百万を少し超えるくらいです。日本はキリスト教化されることのない国なんです」(七二~七三ページ)

 西尾 日本では布教しても効果がなかった。中国でも本当は効果がないのに、シナ人は信仰するような顔をするんです。

 福井 要は、お金が貰えるからですよね。
 
西尾 そう。シナ人は一時的に、キリスト教を信じているような顔をするんですよ。その後信仰は根付いていないでしょう。日本人は真面目で正直だから、嫌なものは受け付けない、信仰しませんときっぱりと拒否する。

 福井 日本人はしっかりしていて可愛げがないので気に食わないということでしょうか。

 西尾 原理主義は日本人の信仰には合わないんですよ。それにしても分からないことがあります。十九世紀末のカリフォルニアでは、排日の前にシナ人への嫌悪がありました。最終的にはそれが混合して、シナ人と日本人も区別がつかないので排日につながるわけだけれども、アメリカ人は最初は体質的にシナ人を軽蔑していたのに、日本人を敵視するあまり、その後大陸ではシナに入れあげて度外れたシナ擁護に変わる。このアメリカの姿勢の転換が理解できない。

 このように、アメリカ人はちょっとしたことでワッと、正義の方向が変わってしまうんです。それが怖い。いろいろな歴史的場面でそうなんです。ソ連が侵攻したアフガニスタンでイスラム原理主義のゲリラの多くをアメリカが育てたのに、その後は敵対した。イランもパーレビ国王時代には非常に親しく付き合っていたのに、イスラム革命後(一九七九年)は急に敵対的になり、イラン・イラク戦争(一九八〇年)ではイラクを応援し、と思ったらイラクともその後戦争をした。今まで親しくして、認め、応援し、経済援助も与えていた国が仇敵のごとくになるんです。中国に対してもそうです。蒋介石をあれほど応援していていたのに、第二次大戦後は手の平を返したように冷たくなった。
 
このアメリカの精神構造はどこか異常ではないですか。世界最大の軍事国家ですから、その影響は大きいんです。怖いんですよ。

 福井 世界最大の軍事国家で唯一のスーパー・パワーだからなんでもできるわけです。制約がない。

 西尾 そういう連中に、無節操で基準のない行動をされてはたまったものじゃないと思うんです。

 福井 西尾先生は前回、日米開戦の要因として人種差別を挙げられました。ただ、本当に差別しているのであれば、日本人や中国人を相手にしないはずですよね。劣等人種同士、戦争をしようが、お互い煮て食おうが焼いて食おうが関係ない。それなのに、中国に肩入れした。そうさせたのは、人種差別を超えた何かですよね。

 西尾 日本を叩くために日中を離間させるという政策だった、と思いますけれども。

 福井 前回、アメリカはイギリスを倒そうとしていたということを議論しましたが、私は、アメリカはドイツを叩きつぶすことも考え続けていたのだと思います。アメリカは、戦後のドイツ領土を縮小したうえで南北に分割し、重工業はすべて解体するなどという非常に過酷な占領計画、モーゲンソー・プランまで立てていました。原爆も本来はドイツに落とすはずでした。完成前にドイツが降伏したためにチャンスを失っただけで、人種的偏見から日本に落としたのではないと思います。

 キッシンジャー元国務長官は一九九四年、「アメリカはドイツの覇権を防ぐために二回戦争をした」とドイツの新聞で語っています。一九九〇年に東西統一がなされ、当初の混乱も落ち着いて再び強国への道を歩み出したドイツに警告を発したわけです。

 西尾 アメリカは、ソ連が崩壊して役割を終えたはずのNATOを手放しませんでした。東ヨーロッパに民主主義と市場経済を根づかせるためにアメリカが役割を果たすと称し、英仏もこれを歓迎しました。しかし実は、英仏はドイツの力の増大を恐れていたためだと思います。またアメリカもドイツの核武装、そしてロシアへの急接近を阻止したいという思惑から、NATOを使ったんですね。

 話を第二次大戦前に戻せば、アメリカの敵は日英独だったということですね。ロシアはどうだろう。
 
福井 ロシアもそうでしょう。世界支配のため、まずイギリスと日本とドイツを蹴落とし、冷戦という最後の決戦でロシアにも勝利したわけですよね。

 前回紹介したように、日米開戦前年の一九四〇年の大統領選で共和党候補だったウェンデル・ウィルキーは、一九四三年に『ワン・ワールド』という本を出し、大ベストセラーになります。この時の共和党大統領候補の選出は非常に不可解で、前年まで民主党員でまったくのダークホースだったウィルキーが選ばれた。彼の主張はルーズベルトと大差なく、有力対立候補が出馬すれば再選(三選)は難しいといわれていたのに、国民は事実上選択肢を奪われたわけです。開戦後も彼はルーズベルトに協力して、世界中を回り、戦後に実現すべき「ワン・ワールド」を説き、イギリスの植民地主義を厳しく批判した。『ワン・ワールド』では、毎日欠かさず神に祈りかつ聖書を読む思慮深い人間として、蒋介石が絶賛されています。

 西尾 一九四三年十一月のテヘラン会議でのルーズベルト大統領も同じですね。米英ソに加えて、蒋介石の中国を加えた四カ国で世界の平和維持にあたるという「四人の警察官」構想を主張しました。チャーチルやスターリンは反対したのに、ルーズベルトが押し切って中国を入れた。

 福井 中国を入れることで、「我々には人種的偏見はない」と強調したかったのではないでしょうか。『ワン・ワールド』でも中国が戦後世界秩序に主体的に参加することの重要性が強調されています。

 西尾 つまり世界を分割統治する。もちろんアメリカが中心だけれども、英露中という代官を置く。その代官には日本もドイツも入ってない。産業的にみれば本来は日独ですよね。

 福井 「ワン・ワールド」を確立するうえで、アメリカと別の意思を持った地域覇権国は邪魔な存在であり、日独がそうならないようにした。今のEUの経済危機でも、英語圏メディアはドイツ批判ばかりしています。何も悪いことをしていないのに。

 西尾 今のEU問題はドイツいじめですよ。

『正論』1月号より

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(六)

 「アメリカ型正義で歴史が非人間的に」(西尾)
「戦争ではなく『警察行動』」(福井)

福井  『天皇と原爆』五十三ページですが、「私は先にアメリカは膨張国家だと言いました。しかしその膨張の仕方はロシアともイギリスとも中国とも異なります。アメリカは先ほど言った通り本当は膨張する必要がないのに、建国の理念、宗教的に自らを『正義』の民とするイデオロギーのために膨張せざるを得なくなっているのではないかとの疑念に襲われることがあります。いちばん厄介な膨張国家です」と書かれています。これは、先ほど紹介したトゥーヴェソンの『救済する国家』の内容と一致しています。アメリカが世界を救済するという宗教的信条が、アメリカの対外政策の背景に一貫してあるということです。

西尾 正義を売りものにする。

福井 そうです。リンカーンは南北戦争時、そう考えていた。逆に、だからこそ残虐になれる。大変立派なことをしていると信じているので、手段を選ばない。

西尾 南北戦争のリンカーンの正義の理念が、その後の世界の戦争の形態を残酷にしました。第一次世界大戦が終わったときに、「戦争犯罪」「戦争責任」という概念が初めて出てきて、ドイツ皇帝だったヴィルヘルム二世の訴追が言われ、彼はオランダに亡命せざるを得なかった。

 それでもアメリカは、何百人ものドイツ人を戦争責任者として摘発して裁判をすると言い出した。イギリスもフランスも大喜びで同調しましたが、ドイツは拒否します。それでもしつこく米英仏が言うので疑似裁判をしたけれども、結局、ドイツは証拠なしということですべて拒否します。これは筋の通った態度でした。  当時のドイツは、戦争はお互いの正義のぶつかり合いで、力の勝った者が領土を取ったり、賠償金を取ったりすることで解決しているのであって、道義的な正義の観念を持ち出すのは間違いだと言って拒否しました。まことに立派だった。

 ところが、それが、その後も繰り返される。アメリカは第二次大戦に参戦する前の一九四一年八月には、早くもそういう計画を立てている。大西洋憲章です。今度の戦争では二度目の戦争犯罪国ドイツを徹底的に法の名の下に、普遍的な人類の名において裁くと約束する。それが終戦後のニュルンベルク裁判として実現するわけですが、日本は関係ないのに側杖を食って東京裁判をやられた。そして正義と悪の対立関係を持ち込まれて裁かれ、それが日本悪玉史観として今もなお日本を縛っている。敗北者を法の名の下に裁くという発想は、リンカーンから始まっているんですよ。リンカーンの時代には、敗軍の将、敗れた南軍の南部連合国大統領デーヴィスに足かせをつけて、残酷な見せしめまでした。

福井 戦争ではなくて、「警察行動」だったんですね。お巡りさんと犯罪者。  

西尾 その発想はどこから来たのか、ということです。

福井 「自分たちが正しい」という宗教的信念に基づいているということを、『救済する国家』は半世紀近くも前に言っているわけです。決して西尾先生の極論ではありません。

西尾 その「犯罪者」に対する処罰は、どんどん、残酷になっています。大統領デーヴィスが足かせをつけられ、ヒトラーに対しては、そこにいるのが分かっている壕を爆撃せずに自決するのを待った。まだそれは、相手を認めているということでしょう。

 ところが、イラク戦争では、隠れていたフセインを穴の中から引きずり出す模様をテレビで流し、罵声を浴びせながら絞首刑にした。それもテレビで公開された。相手のトップに対する処遇は、だんだん非人間的になってくるんです。カダフィ大佐にいたっては、見つかった現場で射殺された。少年が撃ったということになっているけれども、歴史がアメリカ型の正義の名の下で非常に非人間的になってきていると感じますね。

『正論』12月号より 了

(プロフィール)  西尾幹二氏 昭和10(1935)年、東京生まれ。東京大学文学部独文学科卒業。文学博士。ニーチェ、ショーペンハウアーを研究。第10回正論大賞受賞。著書に『歴史を裁く愚かさ』(PHP研究所)、『国民の歴史』(扶桑社)、『日本をここまで壊したのは誰か』(草思社)、『GHQ焚書図書開封1~7』(徳間書店)。『西尾幹二全集』を国書刊行会より刊行中(第5回「ニーチェ」まで配本)。11月初旬に『第二次尖閣戦争』(祥伝社、共著)を発売予定。

 福井義高氏 昭和37年(1962年)京都生まれ。東京大学法学部卒業。カーネギー・メロン大学Ph・D。日本国有鉄道、東日本旅客鉄道株式会社、東北大学大学院経済学研究科助教授を経て、平成20年より青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授。専門は会計制度・情報の経済分析。著書に『鉄道は生き残れるか』『会計測定の再評価』(中央経済社)『中国がうまくいくはずがない30の理由』(徳間書店)、訳書にウィリアム・トリプレット著『悪の連結』(扶桑社)。