『スーチー女史は善人か』解説(二)

変見自在 スーチー女史は善人か (新潮文庫) 変見自在 スーチー女史は善人か (新潮文庫)
(2011/08/28)
高山 正之

商品詳細を見る

『スーチー女史は善人か』 高山正之著  解説西尾幹二 

 氏は外国の悪口ばかり言っているという誤解があるが、それは違う。第五章の「タイへの恩は忘れない」は、日本が困ったときにそっと手を差し伸べて助けてくれる奥ゆかしいタイに感謝し、返す刀で韓国の恩知らずを斬っている。氏の悪口にはそれなりに理由がある。自分の弱みを見ないで逆恨みする卑劣な国々が許せないのだ。返す刀は朝鮮について「この国はまた、誰も干渉しないのにまだ南北に分れたままだ。」と遠慮しないで書く。南北統一ができないのも日本のせいだというたぐいの愚論に氏は「(南北は)お互い五輪では統一チームを作る仲だろう。いつも悪口を浴びせる日本に頼らないで、自分たちで始末をつけたらどうか。」とズバリと書く。弱虫のルサンチマンが氏は許せないのだ。またそれを正義のように扱う日本の外交官、学者知識人、マスコミとりわけ朝日新聞に、日本人に特有のもうひとつの卑劣の型を見出して、繰り返し執拗に批判の矢を放っている。

 日本人は一般に外国を基準に自分を過度に反省する傾向が強い。それは必ずしも戦後だけではない。ペルシアやインドなどのすべての文化文物が西から渡来し、日本列島に蓄積され、そこから外へ出て行かなかった文明の型に原因しよう。遠い外の世界に本物が住んでいて、自分の国のものは贋物だという意識は西方浄土信仰にもあるが、これが起源ではない。もっと根は深い。日本文明は他を理解し受容する凹型である。そういう本来性に敗戦体験が重なった。自分を卑下し外国を基準に自分を裁く「自虐」という悪弊が底知らずに広がった。高山氏の反発や怒りが日本人のこの過度の自己反省に向けられているのはバランス感覚の回復のためである。加えて氏が外国人の本心、隠されている正体をあばき出すのは、日本人に客観的に正しい世界の姿を伝えたいからである。

 一番いい例は日本人の欧米崇拝の極北イギリスに対する冷徹な見方に現われている。日本の対アフリカ債権は90億ドルなのに、ナミビアやウガンダをかつて植民地に持ったイギリスのそれはわずかに1000万ドル。しかもイギリスはそこで20億ドルもの武器商売をやっていて、代金は日本からの援助金で支払わせる。それが滞ると、アフリカの債務帳消しを紳士面を装って提言し、日本が債権放棄をすると、それらの国々には余裕ができるので、そこを見計ってイギリスは代金を回収し、また新しい武器を売る。

 アフリカはエイズに苦しんでいるが、治療する医師や看護婦が少ない。日本の援助で看護婦を養成すると、彼女らをイギリスなどが高い給料でさらって行ってしまう。こういう現実を知ってか知らずか、元国連づとめの明石康は朝日新聞に、アフリカの平和のための貢献に日本はあまりに存在感がないなどと非難する。そこで高山氏はこれだけ貢献している日本をなぜくさすのかと問い質す。悪質なイギリスなどをなぜ論難しないのか、と。明石康は「国連に多額の寄付をした笹川良一の国連側の窓口を務めて、それだけで出世した」男だ、と侮蔑をこめて書く。まさにそのレベルの男であることはよく知られている。個人名を挙げてたじろがないではっきり書く。高山氏のこのスタイルがいい(以上第二章「朝日の記事は奥が深い」参照)。

 本書はどれも秀抜な文章ばかりだが、どれか一篇を推薦しろといわれたら、私は第3章の「カンボジアが支那を嫌う理由」を挙げるだろう。また人物評でどれがいいかといえば、後藤田正晴の寸評(第三章「変節漢への死に化粧」の後半三分の二)が肺腑をえぐり、正鵠を射ている。

 フランスは植民地ベトナムを支配する手先に華僑を用いたので、ベトナム人は中国人をフランス人以上に生理的に嫌悪する。フランスはカンボジアを統治するのに今度はそのベトナム人を利用したので、支配医者面して入って来るベトナム人をカンボジア人は許せない。カンボジア人もまたフランス人への嫌悪が薄い。西洋人の支配の巧妙さがまず語られている。

 アメリカと戦ったベトナム戦争の間にベトナム人が頼ったのは中国ではなく、ソ連だった。中国に親分風を吹かされるのが嫌だったからである。戦争が終って自信を得たベトナムは国内の華僑を追い払った。それがボートピープルの正体である。中国はベトナムの離反を見て、カンボジアに親中国派の政権を打ち樹てた。ポルポト派である。ところが毛沢東かぶれのこの党派が狂気の大虐殺を展開し、世界の耳目を聳動させた。この地獄からカンボジア人を救ったのは皮肉にも彼らが最も嫌ったベトナム人だった。中国は華僑を追い払われるや、子飼いのポルポト派までやられるやで踏んだり蹴ったりで、腹を立て、ついにベトナムに攻め込んだ。中越戦争である。共産主義国同士は戦争をしないという左翼の古典的理念を嘲笑った事件だが、ベトナム人はそれをも見事に返り討ちして、小国の意地を見せ、中国は赤恥をかいた。

 「カンボジアが支那を嫌う理由」を短く要約すると以上のようになるが、高山氏はつづけて次のように述べている。

 「それでも支那はつい最近までポルポト派残党に地雷など兵器を送り込んでカンボジア人を苦しめてきた。

 今カンボジアの民が一番嫌うのはベトナム人ではなく支那人に変わった。
 そのポルポト派の虐殺を裁く国際法廷の事務局次長に支那人女性が就任した。」

 あっと驚く虚虚実実の世界政治の現実である。ぼんやり生きているわれわれ日本人は、このあざとい恐怖の歴史をよく知らない。高山氏は政治用語を用いず、もっぱら心理的に描き出してくれる。並の人なら100枚もの原稿用紙を埋めて書くだろう。それをわずか5枚ていどで過不足なく書く。詩のようである。アフォリズム集のようでもある。行間の空白を読め、と言っているのである。

つづく

『スーチー女史は善人か』解説(一)

変見自在 スーチー女史は善人か (新潮文庫) 変見自在 スーチー女史は善人か (新潮文庫)
(2011/08/28)
高山 正之

商品詳細を見る

 『スーチー女史は善人か』 高山正之

解説文 西尾幹二

 短い文章に、変化に富む内容が詰まっている。抽象語をできるだけ避け、具体例で語る。憎しみや嫌悪をむしろ剥き出しに突き出す。それでいて情緒的ではない。抽象語は使わないのに、論理的である。痛烈かつ鮮烈ですらある。辛辣などというレベルをはるかに越えてさえいる。しかし決して混濁していない。知的に透明である。勿論冷静である。一糸乱れぬといってもいい。

 音楽でいえば太鼓の連打のようなものだが、単調な響きにならないのは、一行ごとに隙間があり、飛躍があり、そこを平板な叙述で埋めていないからだ。言葉を抑制し、思い切って省略している。ある処まで語って、そこから先を語らない。空白のまま打ち切ってしまう。絶妙な間を置くその間合いが高山正之氏の文章のリズムであり、美学である。コラムという字数制限がそういう文体を作り出したのかもしれないが、それだけではなく、高山氏の思考の型が贅語(ぜいご)を慎み、簡潔を好む資質に根ざしている。

 歴史を語ってじつに簡にして要を得ている二例を挙げてみよう。

 「日露戦争後、日本は李氏朝鮮を保護国とした。そのころの話だ。
日本はそれまでこの国に自立を促してきたが、この国はそれを嫌って支那に擦り寄って支那の属国だもんと言ったり、その支那が頼るに足らないことを日清戦争で教えてやると、今度は日本が最も恐れるロシアになびいたり。

 それで日本は日露戦争も戦う羽目に陥り、二つの戦争であわせて12万人もの将兵が異国の地で散華した。

 朝鮮にこれ以上愚かな外交をさせないというのがこの保護国化の目的だった。」(第四章「朝日の浅知恵」)

 別に目新しい歴史観ではない。自国史を主軸に考えれば認識は必ずこうなる。これでも迷わずに二大戦争と日韓関係をこれだけピシッと短く語った文章の例は少ない。

 もう一つはアボリジニ(原住民)の虐殺の歴史を持つオーストラリアについてである。

 「ニューサウスウェールズ州の図書館に残る1927年の日記には『週末、アボリジニ狩りに出かけた。収穫は17匹』とある。

 600万いたアボリジニは今30万人が生き残る。ナチスのホロコーストを凌ぐ大虐殺を行った結果だ。

 困ったことにこの国はその反省もない。

 この前のシドニー五輪の開会式では白人とアボリジニの輪舞が披露された。過去に決別して友愛に生きるということらしいが、登場した“先住民”は肌を黒く塗った白人だった。

 その翌年、アジアからの難民が豪州領クリスマス島に上陸しようとした。ハワード首相は、『難民が赤ん坊を海に捨てた』と拒否、難民を追い返した。

 しかし後に『赤ん坊を捨てた』という報告はまったくの作り話と判明する。

 ここは白人の国、有色人種を排除するためなら首相でも平気で嘘をつく。」(第四章「害毒国家は毒で制す」)

 オーストラリアはたしかにこういう国である。首相までが公然と反捕鯨の旗を振る国だ。鯨の知能は人間並だという勝手な理屈をつけて動物界に「序列」をつけるのと、人間界に人種差別という序列を持ち込むのとは、同じ型の偏見である。囚人徒刑囚の捨て場から国の歩みが始まった取り返しのつかない汚辱感と、原住民の虐殺だけでなく混血と性犯罪の歴史が元へ戻したくても戻らない汚れた血の絶望感とが、この国の白人たちに背負わされてきた。第一次世界大戦より以後、最も不公正な反日国家だった。アジアの中で近代化の先頭を走った日本を許せないという、自分の弱点と歪みを怨恨のバネにした卑劣な国々に韓国と中国があるが、高山氏が両国に加えてオーストラリアを卑劣の系譜に数え入れているのはじつに正当である。

つづく

西村幸祐氏の新刊

 西村幸祐さんが新刊を出された。今日9月22日が店頭発売日だそうだ。私が推薦文を寄せている。表紙と推薦文は次の通りである。

mediasho.jpg

最近知らぬ間にある言葉が使えなくなり、魂が管理され、数年前まで普通だった「考え」が無意識のうちに統制される恐ろしさが感じられる。昔はアメリカ占領軍の、今は特定アジア(中国・韓国・北朝鮮)の工作に、NHK・朝日・日経などメディアの中枢、大手のテレビが連動し、日本国民を麻痺させている。西村氏はすぐに忘れられる日々のニュースの連続する底流から矛盾を見抜き、日本の主権侵害への国民の無関心とメディア関係者の道徳心の麻痺に憤りをにじませる。そしてメディアが構造的に現実を捉えられないことを明らかにした。この儘いけばわが国の独立は間もなく危ない。本書は現代史を書く人にとって将来、資料の宝庫と見られるに違いない。

 目次もついでに紹介しておく。

【第一章】状況としての民主党政権
●民主党政権とメディア・コントロール──菅談話への道と隠された権力維持装置
●『1Q84』でなく『一九八四』の世界を迎えた日本
●中川昭一氏の死。誰が「政治」を殺したのか?
●報道されない亡国法案――外国人参政権は氷山の一角、夫婦別姓と「国会図書館法改正法案」を見逃すな
●メディアの暴力と弁証法的民主党解党論──旧体制(アンシアン・レジーム)からの脱却と変革の時代へ

【第二章】混迷する北東アジア情勢
●捏造・改変なんでもあり! やっぱり変わらない韓国メディアの「反日無罪」
●韓国滅亡へ導く「トンマッコル症候群」
●戦後日本の鏡、「人間動物園NHK」
●かつて世界を愛した日本と、NHKの犯罪
●毒餃子テロと「媚中地球儀」。二十一世紀冊封体制の構造
●横田滋・早紀江夫妻の三千八百日の闘い──「諸君!」で読む、横田夫妻五年間の軌跡

【第三章】メディアの暴走
●情報統制と報道テロリズム
●米国製・反日映画「南京」誕生の舞台裏──日本の 〈情報力〉は反日プロパガンダに対抗できるか?
●反日スプリンクラーとして歪曲・偏向報道を世界に撒き散らす、ニューヨークタイムズ東京支局
●亡国の防大校長、五百旗頭真
●日本人に問われている国のカタチ
●なぜ、日本人は記憶喪失になったのか?

【第四章】メディア症候群
●〈慰安婦〉情報戦争の真実──反日ファシストたちの情報ロンダリング
●反日プロパガンダと日本の情報発信力
●〈いま・ここ〉 にある危機
●メディアの自殺――ネット言論の可能性と「WEB3・0
●情報戦争としての「靖国問題」 特別収録
●メディアの解体(『反日の構造』PHP研究所より)
 あとがき

 尚、この本を、アマゾンで買った人には西村さんと私との1時間の自由対談をネットで見ることのできる特典が与えられる。私はスタジオでそのために彼との1時間の対談をした。新手の売り方のようだ。こういう遣り方があるとは知らなかった。

 ネット世界の若い読者が私との対談などに興味を抱かないだろう、と私が担当編集者に言ったら、いえそんなことはありません、ネット世界の若い読者に「日録」は広く知られていて有名なんです、との答えをいたゞいた。さて果して本当だろうか。

 当「日録」の管理をして下さっている長谷川真美さんのブログ「セレブな奥様は今日もつらつら考える」9月20日付に西村さんのもうひとつ別の本が紹介されている。『歴女が学んだホントの歴史』というのだそうである。私はこの本は見ていない。

 長谷川さんはブログの中で「西村幸祐氏は日本人大好き人間達に、ネットという武器を自覚させてくれている。いい仕事していますねぇ。」と応援の弁を語っている。

 ネットはたしかに私の生活からも切り離すことができなくなっている。私にネットの手ほどきをしてくれたのが長谷川さんだが、西村氏からも教えていたゞいている。

 ネットは情報と検索の二面で私をすでにとりこにしている。しかし、そのために毎日相当に時間をとられ、本が読めなくなっているのは苦痛でもある。私はあまり器用な人間ではないのである。

メディア症候群 メディア症候群
(2010/09/22)
西村幸祐

商品詳細を見る

河添恵子『中国人の世界乗っ取り計画』推薦文

 河添恵子さんが産経新聞出版から『中国人の世界乗っ取り計画』という本を出すので推薦文を書いてほしい、と頼まれ、送られてきたゲラ刷りの原稿を読んだ。河添さんには直接お会いしたことはないが、『正論』などでその健筆ぶりは拝見している。

 一読して驚いた。中国人の世界進出のすさまじさはかねて聞いていたし、先週号の『週刊新潮』でもどこかの公団住宅で起こったルール無視の生活態度、ゴミ出し・掃除の仕方で日本人社会に迷惑をかけっぱなしの中国人の暮らし方はすでに読んでもいたが、河添さんの筆は世界中に及んでいて、その比ではない。じつに驚嘆すべき実態レポートである。

 昨夜書きあげた私の推薦文をまずはご覧に入れる。

 ある移民コンサルタントが移民の相談をしに来た中国人に「卒業証明書は?」と尋ねたら、「どこの大学がいいか?明日準備するから」と言われて絶句したという話が書かれている。偽造書類作成は朝飯前のツワモノぞろいの中国人世界である。中国国内では人民元の偽札問題が日常化している。銀行のATMからも偽札が出る。銀行は回収してくれない。中国の全通貨発行量の20%は偽札だと囁かれている。

 賄賂による無税の収入と不動産と株売買で得た不労所得がメインとなった中国バブル経済で突如成金となった一部富裕層は、先進国に永住権を求めて世界中に飛び出した。彼ら中国人は中国人を信用していないし、中国を愛してもいない。あらゆる手段で他国に寄生し、非常識と不衛生と厚顔無恥な振る舞いのオンパレード。納税してもいない先進国で、教育も医療も同等の待遇を得ようと、がむしゃらな打算で欲望のままに生きようとする。自国との関係は投資目的だけ。自国の民主化なんかどうでもいい。

  私は非社会的な個人主義者である中国人がなぜ現在世界中から恐れられているようなまとまった国家意志を発揮できるのか今まで謎だった。しかしこのレポートの恐るべき諸事実を読んで少し謎が解ける思いがした。法治を知らない民の個々のウソとデタラメは世界各地に飛び散って、蟻が甘いものに群がるように他国の「いいとこどり」の利益だけしゃぶりつくす集団意志において、一つにまとまって見えるだけである。

 「ウソでも百回、百ヶ所で先に言えば本当になる」が中国人の国際世論づくりだと本書は言う。すでに在日中国系は80万人になり、この3年で5万人も増えている。有害有毒な蟻をこれ以上増やさず、排除することが日本の国家基本政策でなければならないことを本書は教えてくれている。

 本は4月8日発売予定だそうである。なによりも事実のもつ説得力には有無をいわせぬものがある。カナダはもとよりイタリアからアフリカまで世界各地の中国人の狂躁ぶりが余す所なく描かれている。

『国民の歴史』の文庫化

 6月のほぼまる一ヶ月をかけて『国民の歴史』の文庫化に取り組んでいる。作業が全部終わるのには7月一杯かかり、8月末日が校了で、10月刊行の予定である。文春文庫で、上下2巻となる。

 あの本が出たのは平成11年10月で、ちょうど10年になる。よく売れたから新潮文庫からも講談社文庫からもオファーがあった。しかし本が出て間もない早い時期にいち早く要望してこられたのは文藝春秋であった。原著の版元の扶桑社との間で交した契約書によって、文庫化などの二次利用は5年間禁じられていた。

 短時日で作成した大著なので、口述筆記の章がいくつかあり、そこは文章が粗い。今度丁寧に赤字を入れ修文し、読みにくい個所は平明にした。内容上の加筆もなされた。文庫本を定本とする。

 写真や図版が100点以上もあるので、文庫の作成も手間がかゝる。あらためて目次をご案内する。赤字部分は新しく今度書き加えられた箇所である。

上巻目次

 まえがき 歴史とは何か
1・・・・一文明圏としての日本列島
2・・・・時代区分について
3・・・・世界最古の縄文土器文明
4・・・・稲作文化を担ったのは弥生人ではない
5・・・・日本語確立への苦闘
6・・・・神話と歴史
7・・・・魏志倭人伝は歴史資料に値しない
8・・・・王権の根拠―日本の天皇と中国の皇帝
9・・・・漢の時代におこっていた明治維新
10・・・奈良の都は長安に似ていなかった
11・・・平安京の落日と中世ヨーロッパ
12・・・中国から離れるタイミングのよさ―遣唐使の廃止
13・・・縄文火焔土器、運慶、葛飾北斎
14・・・「世界史」はモンゴル帝国から始まった

 上巻付論 自画像を描けない日本人
――「本来的自己」の回復のために――

下巻目次

15・・・西欧の野望・地球分割計画
16・・・秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか
17・・・GODを「神」と訳した間違い
18・・・鎖国は本当にあったのか
19・・・優越していた東アジアとアヘン戦争
20・・・トルデシリャス条約、万国公法、国際連盟、ニュルンベルク裁判
21・・・西洋の革命より革命的であった明治維新
22・・・教育立国の背景
23・・・朝鮮はなぜ眠りつづけたのか
24・・・アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その一)
25・・・アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その二)
26・・・日本の戦争の孤独さ
27・・・終戦の日
28・・・日本が敗れたのは「戦後の戦争」である
29・・・大正教養主義と戦後進歩主義
30・・・冷戦の推移におどらされた自民党政治
31・・・現代日本における学問の危機
32・・・私はいま日韓問題をどう考えているか
33・・・ホロコーストと戦争犯罪
34・・・人は自由に耐えられるか
原著あとがき
参考文献一覧
下巻付論 『国民の歴史』という本の歴史

 上下巻にそれぞれ加えた二つの「付論」は50枚論文で、力をこめている。上巻付論「自画像を描けない日本人」は著者による本書の解説というか、意図や狙いを語った文章である。「日本から見た世界史のなかに置かれた日本史」が本来の自国史のあり方であるのに、なぜ日本人にはそれが不可能であったかを考えている。日本列島の地理上の位置や9世紀前半以後の「鎖国」ぎみの歴史の流れも考慮に入れて書いている。

 律令がわが国では不完全にしか定着しなかった。その頃からわが国は東アジアで勢威を競い合う必要がなくなり、王権は動かない存在となり、小世界へと変容していく。じつに明治維新までそうではないか。日本人が自画像を描けないのには理由がある。「世界史」を表象することができなかったのである。

 私は上巻付論に「『本来的自己』の回復のために」という副題を添えたが、「回復」より「発見」ないし「発掘」のほうがよいかもしれない。今考慮中である。なぜなら自画像を描けないのは戦争に負けたからとか、自虐史観がどうとかいう話ではまったくないからである。

 上巻につけた「まえがき 歴史とは何か」は約9枚の簡潔な文章で、歌うように書かれた箴言調の一種のマニフェストである。

 下巻の「参考文献一覧」は当時夢中で没頭した、約400冊の書名を掲げる。10年前のあのときには時間的にも、スペースの面でも、使用した本の名を一覧表にするという当然の措置がとれなかった。今度やっとまともな体裁となるのである。「定本」ないし「決定版」と名づける次第である。

 今私は書庫をかき回して、「参考文献一覧」の作成に大わらわで、あと一週間はかゝりそうである。

福井雄三『板垣征四郎と石原莞爾』の序(二)

言葉の最も正当な意味における歴史の書 つづき

 本書は時間的にだけではなく、空間的にも、国内の政治家や軍人官僚にだけ目を向ける凡百の昭和史の狭さを排しています。独ソ戦の推移やイギリスの対米謀略やアメリカの参戦の動機不明など、軍事的外交的に世界全体をたえず見渡しながら日本のそのつどの行動を点検し、批評していくという視野の広がりを示しているのが、読む者に信頼と関心を惹き起します。

 そして、最も興味深いのは、日本が北進してソ連を正面の敵として戦えばアメリカは参戦の口実を失い、ドイツとの挟撃戦に成功して、これが第二次世界大戦に対する日本の唯一の勝機ではなかったかと問うている点です。

 勿論、歴史にイフ(もしも・・・・ならば)はありません。しかしこの仮説が歴史の反省に有効なのは、日本の陸軍は大陸で戦うように訓練され、太平洋の島々や密林の中で戦うように仕組まれていなかったこと、ノモンハンの戦いが必ずしも敗北ではなく、ソ連の伝えられる超近代兵器が張子の虎であったこと(それらは戦後も最近になって国民にやっと分かって、後の祭りですが)、なぜ当時正確な勝算の情報が中央に伝わらなかったのかの遺憾も含め、上海に軍を派遣するなど海軍の意向が強く働き、南進に政策が傾き、結果としてアメリカを正面の敵として迎えざるを得なくなったこと、等々が、筋道立って述べられている点です。

 著者は戦後の論調が海軍に好意的であることに対して批判的です。陸軍は大陸で戦えば、当時地上最強の軍であったと言います。へたな作戦で彼らを海中の犠牲とし、密林で餓死させた南進策を徹底的に批判しています。

 勿論、終わってしまった運命を責めるすべはありません。しかし、今にしてみれば明らかに失敗であった日本のアメリカとの戦争を、別様に歩めば避けることもできたのにといって、戦後しきりに歴史を否定し、断罪するのも、後知恵である点ではまったく同じであって、あまりにも安易に過去を現在から裁いている例が多いのではないでしょうか。

 次の一文は、著者がいかに過去を、その過去の時代に立ち還って見ているかの好例です、

 「ドイツとの枢軸関係が、結果的に日本をアメリカとの戦争に追い込み、日本を破滅させることになったとよく言われるが、これはあくまで後世の後知恵による判断である。日本がドイツに接近したのは、国際的孤立を解消するためとソ連の脅威に備えるためで、アメリカとの戦争など誰も予想していなかった。アメリカはこの当時伝統的な孤立政策の中で、国民は圧倒的に戦争反対であり、少なくとも板垣陸相のときに、ドイツに接近することが即アメリカとの戦争になる可能性などなかった。

 その後国際情勢は猫の目のように激変し『昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵』で、複雑怪奇をきわめた。このような状況の中で一寸先は闇であり、明日の状況などどうなるのか、誰も正確に読むことはできなかった。刻一刻と移り変わる国際政局を見すえながら、あたかも博打を打つように、その瞬間に感じて対応していたのである」

 そうなのです。あの時代を少し詳しく調べると、ここに書かれてある通りなのです。これが歴史を見る心、歴史を書く心なのです。

 ですから、日本はなぜ愚かにもアメリカと戦争する羽目に陥ってしまったのか、といって、自国の政治家の迷走をしきりに責める今までの考え方はもう止めて、逆に、アメリカはなぜ日本を敵に回して戦争する気になったのか、その見識のなさ、判断力のいい加減さ、右往左往ぶり(結果としてアメリカは大損しているのですから)をむしろ問うことが同じくらい必要だということに気がつくでしょう。

 三国同盟は、アメリカが対日戦争を実行するに至る明確な戦争目的などにはなりえません。日本よりも、アメリカのあのときの行動のほうがはるかに謎めいています。日本が仏印進駐をしたからといって、アメリカに何の脅威があったというのでしょう。最後に原爆まで落とすほどの戦争をする必要がアメリカのどこにあったのでしょう。

 戦後60余年封じられていたこの新しい設問を呼び覚ますことも本書は可能にしてくれます。本書は最も言葉の正当な意味における歴史の書だからです。

 1938年、五大臣の会議で日本は「ユダヤ人対策綱領」を定め、ユダヤ人を排斥しないことを政府の国策として正式に表明しました。この方針を提案し、その成立に最も熱心に尽くしたのが板垣征四郎でした。朝鮮軍司令官に赴任してからのある日、板垣は朝鮮のある知識人に、「朝鮮は近いうちに独立させなければならないね」とふと語り、相手を唖然とさせたともいいます。

 20世紀の「人種問題」において、日本はナチスドイツとは正反対の位置にいました。ひょっとすると黒人問題を抱えるアメリカとも正反対の位置にあったのかもしれません。日本は第一次大戦後のベルサイユ講和会議で「人種平等案」を提訴して、アメリカ代表に退けられ、否決されました。アメリカが日本を憎んで、わけのわからぬ不合理な行動をくりかえすようになった発端は、案外にここにあったのかもしれません。

福井雄三『板垣征四郎と石原莞爾』の序(一)

 昨年知り合った友人・福井雄三さんの新刊の本の草稿を読んでいる。『板垣征四郎と石原莞爾』という題で、4月下旬にPHPから刊行される。

 この本に序文を書いて欲しい、と著者ご本人と版元から頼まれ、序文を書くには丁寧に二度読むくらいの念の入れ方が必要なので、この二ヶ月他の事をしながらのかなり大変な仕事量だった。序文は13枚になり、3月29日に書き上げることができた。

 とてもいい本である。苦労し甲斐はあった。以下に二回に分けて序文を紹介する。

 著者の福井さんは大阪青山短期大学准教授、55歳。『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』『司馬遼太郎と東京裁判』の二冊の司馬批判の本はすでにかなり知られている。カール・カワカミ『シナ大陸の真相』の訳者でもある。

 言葉の最も正当な意味における歴史の書

 板垣征四郎と石原莞爾という共に満州国建国に関わった二人の軍人をその生い立ちから説き起こし、二人の出会いと、交差する活動歴を描いた本書は、一見個人的な友情物語のように思われるかもしれません。私も最初しばらくはそう思って読みつづけました。しかし間もなくそうではないことに気づきます。

 この本の主人公は歴史なのです。あの最も困難だったわが国の昭和前半の歴史が著者の関心の中心です。著者は激動の歴史を世の通説をはねのけるような新鮮な筆致で、ときにエピソードを混じえ、ときに大胆な新しい史観をもち出して語っています。

 著者には軍事史の知識があり、外交史の観点もあります。昭和史を狭い国内の政治史にしていません。政治家の過失と軍人官僚の愚かな判断ミスの歴史として描くにしては、あまりにも日本人の尚武の気質は美しく、挑戦した文明上の課題が大きかったことを、著者は知っているからです。

 そう思いつつ読み進めていくうちに、私はふと気がつきました。成程、この本の叙述の多くは国家の歴史に当てられ、個人史の記述は少ないと今申しました。しかしながら板垣征四郎と石原莞爾の生い立ちも活動歴も、相互の信頼や友情も、家族のエピソードも、満州国建国をめぐる日本の歴史と切っても切り離せない関係にあります。あの時代は個人を個人として語っても叙述になりません。日本人の歴史、とくに軍人の歴史は国家の歴史といわば一体でした。本書の題名に秘せられた著者の深謀遠慮はこの辺りにあるのだと思いました。

 本書の主人公は個人ではなく、右のような意味において歴史だとくりかえし言いますが、それなら著者の描き出した激動の昭和史はどういう内容のものでしょうか。どなたもお読みになればすぐ分かることについて、へたな解説は避けたいのですが、今までに例のない新しい日本史であることは明らかです。石原莞爾のことはこれまでも何度か論じられ、研究されてきましたが、板垣征四郎を正面きって尊敬と愛情をこめて肯定的に描くのですから新しくないはずはありません。

 処刑されたA級戦犯板垣は悠揚せまらぬ大人物として、偉大な実行家として、軍事思想のいわば天才であった石原を抱擁するように歴史に登場し、満州国建国の壮大なドラマを演出します。本書はそのいきさつを今の時代に得られる学問的知見を駆使して叙述するのですが、前にも述べた通り、二人は中心をなす点として扱われ、それを取り巻く歴史の全体像が面として展開されます。

 戦後出た日本史専門家によるほとんどすべての昭和史は、時間的にも、空間的にも、わが国のあの時代の歴史を小さく狭く区切って限定的に論述する例が大半だといってよいでしょう。時間的には昭和3(1928)年から昭和20(1945)年までと限定したがります。それは日本を占領した連合軍(GHQ)の都合によります。日本の軍事行動を1928年の不戦条約に違反した「侵略」であったとする、東京裁判の一方的で無理な規定を押しつけてくる政治的な動機があるからです。

 とかくの日本史叙述を思い出して下さい。張作霖爆殺事件(1928年)から日本史は迷走の時代に入った、とか、あるいは満州事変(1931年)から中国を侵略する15年戦争が始まり、日本は暗黒時代に突入した、などといった歴史家の紋切り型のもの言いは、恐らくどなたの記憶にもあるでしょう。今でも日本人の歴史学者がGHQの呪縛の下にある証拠です。

 また空間的にも、歴史学者はわが国のこの時代を狭く限定的に眺め、世界史の中に置いて描こうとしません。天皇と西園寺の言動、内閣が小刻みに替わる政治指導力のなさ、軍人の無分別と横暴ぶり、愚かな中国侵略の無方針な拡大、そしてついにアメリカの逆鱗に触れた揚句の大戦突入――日本の指導層の言動はことごとくウスラ馬鹿のトチ狂いと言わんばかりの描き方のなされる歴史叙述が受けていて、よく読まれています(例えば、半藤一利『昭和史』)。叙述の舞台を国内に狭く閉ざし、たとえ外国の動きを描くとしても、国内から見た外国の姿にとどまります。

 しかしあの時代には中国大陸をめぐって、イギリス、ソ連、アメリカはもとよりドイツまでもが日本軍の動きに介入し、謀略の限りを尽くして中国人の抗日活動を煽り立てていました。また日露戦争以来、日本はイギリスの金融資本の支配の網につかまっています。コミンテルンの策謀が史上最も効果的に世界中の知識人の頭脳を蠱惑(こわく)していた時代でもあります。

 アメリカ人宣教師が中国各地でいかに狡猾な排日煽動を重ねていたか。第一次大戦に敗れたドイツが軍備温存のために革命後のソ連に接近して、さらに中国に軍事顧問団を派遣し、蒋介石軍を手とり足とりして指導したことがいかに日本を苦しめたか。日本はあの時期、世界中の災厄を一身に浴びる運の悪さでしたが、その原因の中心には「黄禍」があったと思います。
 
 本書ではこのテーマを扱っていませんが、人種問題は20世紀政治の根底にあり、アジアで一番早く台頭した日本が白人国家の最大のターゲットになった所以は、戦後アジア・アフリカ諸国が一斉に続々と独立を果した歴史の経過からも明らかです。日本がアジア解放の旗手だったと敢えて言わなくても、20世紀前半には、ナチスの反ユダヤ主義も含めて、人種をめぐる瘴気(しょうき)が地上に瀰漫していたことは紛れもない歴史事実です。

 本書は従来の歴史書と違って、時間的にも空間的にも、著者の視野が長く、広い範囲を見渡しつつ叙述されているのが特徴です。満州事変、そして満州の建国を、本書は大陸における戦乱の時代の始まりと捉えるのではなく、清朝末期から果てしなくつづいていた混乱の終止符と見ています。満州事変から始まる15年戦争などという歴史の見方はまったくの間違いであって、大陸のいかんともし難い閉塞状況と混迷に終止符を打ち、最終的安定をもたらすためにとられた政治的軍事的解決――それが満州建国であったという考え方です。「1931年に起きた満州事変と、1937年に起きたシナ事変は、まったく別個の事件であり何の関係もない」と著者は書いています。

 清朝末期から大陸は内乱と疫病、森の消滅と巨大水害、いなごの害などで数千万人単位の餓死者を出しつづけた不幸な国土でした。匪賊(ひぞく)すなわち強盗団が跋扈(ばっこ)する無法社会で、中華民国になってからも内乱はますますひどくなり、政府がいくつも出来て、外交交渉さえままなりません。中国はそもそも国家ではなかったのです。

 そこに満州という世界希有な国家、一つの「合衆国」をつくることで全面的解決を図ろうとした石原や板垣たちの理想は、なし遂げた達成のレベルを見ても決して嗤うべき夢想ではありませんでした。ただ大陸は近隣であったがゆえに日本独自の地政学的対応をする必要があったのにそれがうまく出来なかったうらみがあります。それはドイツの戦争に時期的に重なった不運と、江戸時代の海禁政策が長く、日本人が中国文明を観念的に考え過ぎて実際の中国人を知らなさすぎていたせいでしょう。

 盧溝橋の一発ですべての理想は空しくなりました。しかし本書が示している通り、満州という「五族協和」の理想は、あの時代の日本人が自国の国防だけを考えていたのではなく、大陸の混乱を救おうとした道義的介入の結果にほかなりません。

GHQの思想的犯罪(八)

GHQ焚書図書開封 GHQ焚書図書開封
(2008/06)
西尾 幹二

商品詳細を見る

 ◆GHQの仕掛けた時限爆弾

 さて、そこから今日の話の本題に行くわけですが、そのせっかくのアイデンティティが徐々に徐々に無自覚の形で失われてきている。現在の権力喪失状態、さきほど言った砂山の真ん中から穴が空くような、何となく活性化しない無気力状態になった。物を考えなくなってしまった。戦おうとしなくなった。自分たちのアイデンティティを本当の意味で政治権力にまで高めなければ自分たちが守れなくなる。自分も守れなくなるという自覚がなくなってきたのです。今、日本はアヘン戦争前の清朝末期のような状態になっています。

 こういう恐ろしい事態になっている理由は何だろうか、ということを考えると、それは何らかの時限爆弾が仕掛けられていたのではないか、それが今頃になってパーンと爆発しているのではと思うわけですが、それが正に焚書なのです。

 時限爆弾というと分らない人もいるかもしれませんけど、少なくとも天皇の問題に関してはこの時限爆弾は効いてきているわけですな。ものすごく効き目がある。皇室がおかしくなってきているということの背景にあるのは、やはりアメリカの占領政策なのです。アメリカの占領政策というのは巧妙でした。この巧妙さの由来はアメリカなのかアングロサクソン全体なのか、あるいはローマ帝国時代からのやり方なのか、ちょっと私は戦略問題の歴史を研究していないからよく分かりません。

 しかしはっきり言えることは、巧妙で、上手に統治するために無理なことはしない。何々をしろ、ということは命じないというやり方です。例えば各家庭の門に星条旗を掲げよ、というような露骨なことは絶対に言わない。その代わり、マッカーサーや占領軍の誹謗、悪口を言ったものは厳罰に処しました。恐怖感を与えるわけです。「何々をするな」という命令だけをするわけです。

 「するな」と言われた方が益々怯えて行くというふうになるのです。これは一番巧妙なやり方です。有名な話は、文部省が君が代をいつまでも教科書に入れないのでGHQの方が「なぜ国歌を教科書に入れないのか」とたずねた話がありますね。そしたら、それは最初に入れるなと言われたので、もう入れていいのではという時期になっても入れようとしなかったとこたえたそうです。これはつまり、ひとつの強迫観念ですね。勝手に自分で自分を縛る。恐怖を与えれば上手くいくことを占領軍は知っていた。そういったことをするのがアメリカは上手です。色々なことがそういう形で行われて、やはり「するな」とは言うけれども、「何かせよ」ということは言わない。

 そう見ていきますと、この焚書というのは、「するな」という政策のもっとも極端な形式だったろうと思います。読んじゃいけないというしばりを無意識に与えてしまった。恐怖を与えられていますから、この手のものが例え図書館に残されていても人は読まなくなってしまうわけです。

 この前ある人は、「焚書、焚書と言っても、本があるじゃないか」と私に言ってきました。「焚書というのは、本が物理的に処分され、まったく消えてしまったことではないのか」と。それを聞かされたとき、私は「何てものを知らないのだ」と思いました。

 実は秦の始皇帝の焚書坑儒のときも、宮廷には全冊儒学の本を残していました。なくなったのは秦が滅びて宮殿が燃えたときです。だから焚書をしたときに本を焼いたのも事実ですけど、それでも本がすべてなくなったのではなくて、宮殿の図書館が戦火で燃えてしまったためになくなってしまったのです。それでも本はどこかに隠されていた。壁の中に隠されていた本とか、学者が暗記していたものとか。そういうものは秦が終わってから再現させ、復興するわけですね、漢の時代になって。だから前漢の時代に新しい文書が出てきた時に食い違いがある、そこで文献学が生じたわけです。

 「土の中から掘ってきました。実物です」といったときに、これとこれとでどっちが古いもので正しいのか、とそうなるのが常です。それから学者が暗記していたものよりも土中から掘られてきたものの方がより正確だということになったり、その逆だと分かったり、大騒ぎになったりして、それから偽者が出てきます。中国のことですから(笑)。そこで、中国では儒学の経典の言語学的、文献学的論争が絶えないというわけです。それだけでもって巨大な学問をなしているわけです。経書の文献学的研究だけでね。

 では、日本の場合はどうか。これからお話しますけれども、もちろん本は一部残っているし、今でもインターネットで何冊かは買うことが出来ます。私が自分で集めることも多少は出来ます。リストから20冊くらい調べると、一冊くらいはまだ買えますね。それから古書店を歩き回って集めてくださっている人もいます。五千冊集めたという方も世の中にいます。それからチャンネル桜は千五百冊くらい集めています。結局、そういった形で国立国会図書館には八割くらい残っています。でもそれは見ることはできても、自由に多くの人の心にしみ通り、考えを築くのに役立つようになるかどうかは別の問題です。現実にはね。

 つまり久しく読むことができなくなった本というのは流通が途絶えたということですから、流通を途絶えさせれば事実上、学者は研究者は読むことはできても、多くの人に新しい認識を持たせることはできない。そのことをGHQは知っていたわけです。ここがミソです。それが今、大きな影響を私たちの国に与え続けているのです。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

非公開:佐藤優さんからのメッセージ

 佐藤優さんのご活躍には目覚しいものがあるが、私はまだお目にかかったことはない。いままでの論壇人の枠にはまらない新しいタイプの思想家として理解しているのは、佐藤さんが各方面の雑誌にとらわれなく広く健筆を振るっておられるからである。

 こういう方が登場して、言論界の既成の枠を壊してくれることを私はかねて期待しているし、佐藤さんがその役を引き受け、風を起こし、世の思考の柔軟さ回復に寄与されんことをつねずね祈っている。どうか乙に取り澄ました大家にならないで欲しい、と思っていたので、今回佐藤さんが拙論をとりあげ、いま述べた同じ趣旨のことを強調してくださったことは大変にうれしい。

 自由でありすぎる時代に生きて、自由であることはむずかしい。枠にとらわれないでいようとするだけでは自由にはなれない。枠をこわすことに意識的であることも必要である。そのために枠にはまった思考にあえてとらわれてみる実験も求められる。一筋縄ではいかない。

 いまは未来がまったく見えない時代に入ったから、かえって生き生きできるのである。間違えることを恐れる人間はかならず脱落する。精神は冒険を求めているのである。佐藤さんがそういう意味の拙論の趣旨を最大限にくんだ次のような評論をあえて新聞に書いてくださったことに感謝し、ご承諾を得て、ここに再録させていただく。

【佐藤優の地球を斬る】
雑誌ジャーナリズムの衰退 西尾幹二氏の真摯な言葉

 右派でも左派でも、論壇において論争と言えないような罵詈(ばり)雑言の応酬が行われることが多い。沖縄の集団自決問題、靖国神社への総理参拝問題、原子力発電の是非、憲法改正問題など、執筆者の名前を見るだけでどういう立場かすぐに想像がつき、実際に読んでみても、先入観を確認するだけの論文が多い。

 このような状況に突破口をあけたいと思うのだけれども、力不足でなかなか現状を変化させることができない。この問題について、最近、素晴らしい論文を読んだ。
『諸君!』12月号(文藝春秋)に掲載された評論家・西尾幹二氏(73)の「雑誌ジャーナリズムよ、衰退の根源を直視せよ」だ。西尾氏は現下論壇の問題をこう指摘する。

 <言論雑誌がなぜ今日のような苦境に陥ってしまったのか、本質的に、これはイデオロギーの災いであると私は見ています。

 イデオロギーといえば、だれしもかつてのマルクス主義を思い浮かべるでしょうが、私がいうのは、そんな複雑、高尚なものではありません。手っ取り早く安心を得たいがために、自分好みに固定された思考の枠組みのなかに、自ら進んで嵌(はま)り込むことです。

 イデオロギーの反対概念は、現実--リアリティです。リアリティは激しく動揺し、不安定です。たえず波立っています。その波の頂点をとらえつずけるためには、極度の精神的な緊張と触覚の敏感さが必要となります。>

 ■「不可能の可能性」に挑む
 この箇所を読んで、中世の実念論者(リアリスト)のことを思った。筆者は、世間ではロシア専門家のように思われているが、本人の自己意識では専門はチェコ神学だ。15世紀のチェコにヤン・フス(1370ごろ~から1415年)という宗教改革者がいた。最後は、カトリック教会によって火あぶりにされてしまうのであるが、マルティン・ルター(1483~1546年)らより100年も前に本格的な宗教改革を行った。

 中世神学では、実念論(リアリズム)と唯名論(ノミナリズム)が対立していた。哲学史の教科書をひもとくと、当初優勢だった実念論が唯名論に徐々に地位を譲っていったと書いてある。15世紀になるとヨーロッパ大陸の神学部はすべて唯名論を採用していたが、ただ一つだけ例外があった。カール[プラハ]大学の神学部だ。この大学の学長がフスだったのだ。実念論者は、リアルなものを人間がとらえることはできないと考える。しかし、人間はリアルなものをとらえようとしなくてはならない。いわば「不可能の可能性」に挑むことが重要と考える。

 <(リアリティの)その波の頂点をとらえつずけるためには、極度の精神的な緊張と触覚の敏感さが必要となります>という西尾氏の言葉に触れて、こういう本質的な事柄に気づき、発言するのがほんものの知識人であると思った。

 ■「言論人も実行家たれ」
 米国発金融危機について、西尾氏はこう述べる。

 <新聞や雑誌で、この件に関連する論を立てている人々には、不安の影は見いだせません。アメリカの経済はかならず復元すると思い込むにせよ、もう回復不能なところまで来ているととらえるにせよ、かれらはさしたる逡巡(しゅんじゅん)もなく易々(やすやす)といずれかの意見に与(くみ)し、とうとうと自説を述べて倦(う)むことを知りません。実行している三菱(UFJフィナンシャル・グループ)や野村(ホールディングス)の人はリアリティに触れているから未来は見えません。不安に耐えています。さも未来をわかっているかのように語る人はすべて傍観者です。見物人です。イデオローグなのです。だから不安がありません。

 私がいいたいのは、不安が必要だということです。言論人も実行家たれ、ということです。実行家は必ず何かに賭けています。賭けに打って出る用意なくして、安易な言葉を発してはいけないのです。>

 筆者も西尾氏の発言に全面的に賛成だ。率直に言うが、筆者自身も、論文を書くときは、必ず何かに賭けている。今後も知行合一(ちこうごういつ)につとめたい。西尾氏には人知の外にある超越性をつかむ力がある。それだから、現下の世界における出来事を読み解くキーワードとして「不安」をあげるのだ。

 特に、普段、西尾氏の言説に触れない朝日新聞、『世界』、『週刊金曜日』などの読者に西尾氏のこの論文を是非読んでほしいと思う。真摯(しんし)な言葉には、左右のイデオロギーを超え、人間の魂に訴える力がある。その力を是非感じてほしい。
 (作家、元外務省主任分析官 佐藤優/SANKEI EXPRESS 平成20年11月13日)

小冊子紹介(二十)

謝辞 西尾幹二

 私にとって出版は余技ではなく、これをいわば生業として参りましたので、私は出版記念会をしてもらうべき立場ではないと考え、今まで固辞してきました。しかし今回気が変わりました。ある人に電話でそういうお話をいただいて迷っているのだと申し上げたら、「先生、お受けになってください。先生は明日お亡くなりになっても不思議はない年齢なのですから、ぜひお受けになってください」とズバリと言われて、ああそうかと思ったからです。

 私は格別健康に不安はなく、早くも次の著作へ向けて活動を開始しているのですが、言われてみればこの人の言うとおりです。私は『江戸のダイナミズム』よりもっと大きな本を書く計画ですが、運命がそれを見離すかもしれません。これが最後の大著とならないとも限りません。出版記念会を開いてお祝いしてあげようという友人知人の皆さまの声に素直に従うことにしました。

 私は28歳のときドイツ文学振興会賞という学会関係の小さな賞をいただいたことがあります。修士論文を活字にしたものです。「ニーチェと学問」と「ニーチェの言語観」の二篇が対象でした。もうこれでお分かりと思います。「学問」と「言語」は『江戸のダイナミズム』の中心をなすテーマです。若い頃の処女論文のあの日から一本の道がまっすぐに今日までつづいて、そしてそのテーマを拡大深化させたのが今日のこの本だと言っていいのかもしれません。

 学会に論文を推薦してくださったのが秋山英夫先生、論文審査会の審査委員長が高橋健二先生、そして、そのときのドイツ文学振興会の会長が手塚富雄先生でした。翻訳などでよく知られたこれらの先生がたのお名前を懐かしく思い出してくださる方もいるでしょう。ですが、もうどの先生もいらっしゃらないのです。

 「あのときの君のあの論文が今日のこの大きな本になったのだね」と言ってくださる先生がたはもう何処にもいません。人生の悲哀ひとしおです。

 本日の会を開いて頂いて、今度の本が私の一生にとっても特別記念に値する場所に位置していることを、このように改めて思い出させてもらったことも有難く思っております。

 それにしても、貴重な春の宵のひとときを犠牲にして私のためにこうして皆さまに御参集いただけましたことは、望外の出来事であり、驚き、かつ深く感謝申し上げております。

 会の企画を提案してくださった多数の発起人の諸先生、日本を代表する出版社のトップの方々、また具体的に今日の会を立案し、動かしてくださった事務局のスタッフの皆さまにも、厚くお礼を申し上げる次第です。

 本当に有難うございました。