非公開:『GHQ焚書図書開封』をめぐる二友人の手紙

  『GHQ焚書図書開封』が世に出て、ある程度売れているという以上の情報を持たないが、メールを下さる二人の友人がいて、印象的なご文章を送ってくださった。

 一人は山形で公認会計士をなさっている高石宏典さんで、昔の日録への投稿でご縁ができたが、まだお眼にかかっていない。ひところ手紙の交換を頻繁にした。

 もう一人はここによく書いてくださる足立誠之さんで、カナダでお眼を悪くされて、この本もルーペでお読みくださるといっていた。

 二編つづけてお眼にかける。

拝啓  西尾幹二先生

 一昨日の日曜日は大変お疲れ様でした。そして、どうもありがとうございました。山形の高石です。日本保守主義研究会主催の講演会に私も参加し、先生のご講演を拝聴いたしました。

 講演会の後で、先生にせめてご挨拶だけでもと思いその機会を窺っておりましたが、隣の席の方に話しかけられて時間を逸し、そうこうしているうちに列車の時刻に迫られ、やむなく阿佐ヶ谷の会場を後にしてしまいました。心残りではありましたが、ご講演中、何度か先生と視線が合いその度にドキリとしながらも、西尾先生の謦咳に接することができ忘れられない一日となりました。

 ご講演では、ドイツが戦後生存の必要性からナチスの所業を棚に上げて自国の歴史を否定した結果その連続性を失い、今ではドイツ文化が昔日の面影をすっかり無くしてしまったというお話が印象的でした。GHQの「焚書」によって戦前と戦中の我が国の本当の歴史が分からなくなり、我々日本人が精神的支柱を失い「戦後を自分でなくて生きている事実にすら気がつかなくなって」亡国の道を辿っているのだとしたら、それはドイツと同じことですね。

 『GHQ焚書図書開封』はとても面白く拝読いたしましたが、自分の身に引き寄せて一言だけ感想を申し上げるとすれば、一国家だけでなく一個人においても、自己の歴史を肯定・尊重し精神的独立性を保つことこそが生存の根本的条件であり、それらに事欠くということは生存理由が脅かされかねない大変な問題なんだということを改めて痛感いたしました。先生のご講演も新著もGHQの「焚書」という思想的犯罪を糾弾しつつも、問われているのは実は私たち日本人ひとり一人の心のあり方や生き方なのではないかと感じたのはたぶん私だけではないと思います。

 ニーチェは「教育者としてのショーペンハウアー」の最初の方で、「どんな人間も一回限りの奇蹟である」と言っていますが、また別の箇所では「余人ならぬお前が生の河を渡ってゆく橋は、お前自身を措いて他のなんぴとにも架け渡すことができないのだ。(中略)この世にはお前以外の誰にも辿ることのできない唯一無二の道がある。それはどこに通じているのだろう?問うことをやめ、ただその道を歩いて行きたまえ。」とも言っております。先生のご講演を拝聴した後この文章を認めている間に、昔読んだニーチェの感動的な以上のような言葉の記憶がふと蘇り、埃をかぶった白水社版のニーチェ全集を再読してみました。我が国や日本人というよりは、私個人の行く末を暗示してくれているような言葉もあり、また過去が現在に繋がっていることを実感できた真夏の一日だったようにも思います。

 以上、とりとめのない文章で失礼いたしました。機会があればまたぜひ先生のご講演を拝聴したいと存じます。猛暑の日々、何よりも西尾先生のご健勝を祈念申し上げる次第です。

                                敬具
平成20年7月15日  高石宏典

西尾幹ニ先生

 前略、過日は産経7月24日付け「正論」ご寄稿に関係してお電話と賜り恐縮いたしております。有難うございました。

 本メールでは身の回りで起きている「GHQ焚書図書開封」を巡る反応についてご報告申し上げます。

 現在私のところには毎週ヘルパーさん2人、歩行訓練インストラクターが来てくれておりその他にも市役所の職員が頻繁に来てくれています。

 この4人が夫々リビングの机の上に私が読書中の「GHQ焚書図書開封」に気付きどんな本であるのか聞いてくるのです。

 この質問に私は「第一次世界大戦の後、ベルサイユで講和会議が開かれたのは知っていますね。このときにここで国際連盟が設立されました。その規約に”人種平等”を入れようとある国が提案しましたが、ある別の国が強硬に反対したので結局この提案は実りませんでした。このとき”人種平等”を提案したのはどこだったと思いますか」と質問しましたが、全員が「アメリカでしょう」とこたえたのです。私が「実は提案したのは日本で強硬に反対して廃案にしたのがアメリカなのです」というと彼等はびっくりします。

 そこで私は「この本は日本が人種平等の提案国であり、アメリカがそれを廃案にしたのに、何故今日の日本人はそれを知らないのか。それは人種平等だけではなく沢山あるのですが、何故そうなったのかを研究している本です」と説明しましたが、彼等が受けた衝撃は大きかったようで、その一人はその後「あの本がベストセラーブックの中に入っていいました」等と報告してきました。それで御著書を取り寄せながら、一人一人に貸し「何時返してくれてもOK、また貸ししてもOK」と告げました。

 今日の日本人の大部分はこの4人と同じ認識ではないであると思います。「GHQ焚書図書開封」が国民の間に清とすれば、日本は変わり再生するでしょう。それがなければ日本は滅亡するかもしれません。戦後の戦争に日本が勝利するためには「GHQ焚書図書開封」が鍵をにぎると思います。米国は日本との戦争に原爆で戦争にとどめを刺し、「検閲」と「焚書」で完全に骨抜きにしようとし、それは今まで続いてきました。「GHQ焚書図書開封」は日本の独立のための文字による原爆以上の武器であると信じております。

足立誠之拝

「迷い」ということ

当日録がかねて指摘してきた産経渡辺記者の偏向報道の実態を「つくる会」公文書が詳しく分析し、明らかにしました。下欄に掲示してあります。

 日録コメント欄に「あきんど」の名でよく知られる方は池田修一郎さんといって、北海道在住者で、私は手紙を交す仲になったが、まだお目にかかってはいない。

 このところコメント欄に宗教と政治をめぐるテーマで「橘正史」さんと「誤認官」さんのお二人がたびたび発言している。池田さんは「橘正史」さんと個人的に知り合いだそうである。私にファクスで彼の信仰のテーマに対する反論を送ってきた。

 本日はこれを掲示する。

 「橘正史」さんの信仰をめぐる所論は、コメント欄の4月24日3:32、25日14:44、28日02:32、29日21:42、5月1日00:24、1日10:47、3日02:09、3日02:44、などで、それらを見ていただきたい。

 もうひとりの「誤認官」さんが書いているのは信仰のテーマでは必ずしもなく、宗教と政治運動の関係に集中している。(「誤認官」さんは日本会議の事務局の方ではないかと私は推理している。)「誤認官」さんにしろ「橘正史」さんにしろ、今度の事件の発端に関する真相を知らなさすぎる。近く時間を見て私は昨年夏に遡って、私だけが知る真実のいくつかを今のうちに語り伝えておきたいので、しばし待っていただきたい。お二人の疑問に全部答える必要も義務もないが、しかし私が真相を語れば、私の考え方の出発点が少しは分ってもらえるだけでなく、この問題の見方が大きく、新たに修正されるだろう。

 信仰には非合理な要素がからみ、政治と関わるときに危うい面がつねに出てくる。皇室問題は歴史知識のテーマではなく、「信仰」のテーマだと私は先に書いた(『諸君!』4月号)。それだけにきわどい面があるのが常だ。私はすべてのファナティシズムとは一線を画す。懐疑を伴わない信仰を、ファナティシズムという。

 なおこうした問題の設定は私の思想上の立場の表明であって、「つくる会」の姿勢とは関係がない。教科書の制作団体がファナティックであってよいわけはないが、しかしそれは私がどうこう言うことではなく、私が立ち去った今、残された会の理事諸氏が考えるべき事柄である。

 私が心配しているのは日本の保守政治のこれからの流れである。進歩的文化人や左翼リベラリズムへの敵愾心で自己を保ってきたこの潮流は、ひたすら左ばかり見ていて、知らぬ間に右のファナティシズムとの境界線を曖昧にしてきた嫌いはないだろうか。

 問答無用のファナティシズムは小泉純一郎にまっ先に現れた。昨夏の劇場型選挙を人はたいしたことではないと思っているかもしれないが、あのとき〈自由と民主主義〉は間違いなく危殆に瀕した。

 一度あゝいうことが起こると、人の心は次第に同じタイプの局面の変化に慣れてしまうのである。それがこわい。私はただ「つくる会」の話をしているのではないのである。


「迷い」ということ

                           池田修一郎

 岩田温氏の投稿(日録「怪メール事件」(四)4月24日付補説)は多くの識者にとって強い波となって響いた。正直私もその一人であります。

 今までつくる会に対する思いは、何の迷いもないまま信奉し、そこに集まる方々を全て仲間として受け入れ、日本社会における矛盾を取り払う目的を一つにし、心を通じ合わせる事によって輪を広げていく事に、何の躊躇いもなく参加していたのが実体と言って良いでしょう。その中心に位置する西尾先生が今度、自ら会の内部の新しい危機と病根を提示し、最初はひどく衝撃を受けたのも事実です。

 しかし、先生がそこまでして、つくる会の内部に矢を刺す何かがきっとあるのだろうと誰もが予測したに違いありません。

 それに反応するかのように、若い岩田氏によって一つの組織の影響力の問題点が提起され、つくる会が抱えている重大な危険性が、多くの方に知られる事になりました。

 当然それに対して様々な反応が起こり、新たな展開も生まれたわけですが、その反応の一つに、日本会議を仕切る中核の組織、日本青年協議会側からと思われる方面の非難は特に厳しいものとしてさまざまな意見が寄せられました。

 私はつくる会にも日本会議にも全く縁のない立場でありますが、つくる会を微力ながらも日録を通じて支える気持は持ち続けてきたわけです。そうした立場の私にとっても今回の内紛は驚愕に値するわけですが、それよりも注目すべきは日本の保守層に深く関係する組織の実態を知る事の意味合いが、私には重くのし掛かったのが事実です。

 組織側からの反応には様々なものがありますが、その中でたまたま私が知り合いでもある橘氏の投稿はよく知っている方であるだけに考えさせられ、注目に値すると思いました。

 彼は谷口雅春師(氏とは言わず師と語る事に目を留めるべきです)の思想を噛砕くように切々と語られております。

 その文中には「生長の家」の信仰を疑う事なく多くの若者達が日本の保守中道を支える為に、日頃から精神を鍛え励み、日本民族の真の在り方を問い、いかにしてこの国を守り抜くかを記しておられます。

 確かに人間は視点を定め、迷う事なくその方向に突き進む事に人生の美学を見出すケースはあると思います。つくる会の発足もそうした美学が無くして有り得ないと見る事は可能かもしれません。

 しかし私はある種の違和感をそこに感じないわけにはいきません。

 人生の美学の追求の前に、人間ならば誰しも起こり得る「迷い」の感情というものが有るのではないか。どうしてそれを許容できずに前進できるのか。私にはその点がどうしても疑問として生じないわけにはいきません。岩田氏が組織に関わった際に感じたものは、おそらく私のそれと近いものがあるのではないかと思うわけです。

 組織をまとめる際に自然発生する理念の洗脳は、突き進めば進むほど心地良さが増し、後ずさりする意識を自分自身が恐怖と捉え深みに嵌るというの実態かと思うわけです。そうした一種の危険性を回避する要素として人間は迷う余力を持ち合わせていると言えるかもしれません。それが人間の自然であり、生きる力の源なのかもしれません。

 おそらく組織側にとっては、その迷いこそは逃げと断じ、時には卑怯者扱いまでして、組織の正当性を保つことも有ることは容易に予測できます。

 本来志を強くするという事は、同時にそれと同等の迷いや疑念というものがあって初めて人間の感情は保たれるのではないでしょうか。橘氏は文中でハンナ・アレント女史に触れております。私は女史の著作に接したことはありませんが、西尾先生の著書に『地図のない時代』という本があり、それを読んでアレント女史の思想にわずかながら理解を示す事ができた事があります。

 その時の私自身の見解と橘氏のそれとを対比しますと、どこかはっきりと食い違う点があるように思えてなりません。

 橘氏はアレント女史の『革命について』を題材とされ語られていますが、私がとり上げる題材は『イェルサレムのアイヒマン』について述べられた西尾先生の見解によるものである点、多少の論点のズレはいたしかた無い事とお許しいただかなければなりませんが、しかしながら一人の思想家の本質を探る上では、題材の違いはそれほど支障を伴わないとも考えられますから、私なりの意見を上げさせていただくことに致します。

 アレント女史が『イェルサレムのアイヒマン』について語ろうとしたものの骨子として、人間の迷いというものを強調する部分があります。ユダヤ人であるアイヒマンが自らナチスの手先となって同族をうらぎる背景に、人間としての弱さや個人の生き様を訴える文章が登場しますが、西尾先生はアレント女史の作品に触れ、真の意味での言葉の自由というものを感じ取られています。

 実はこの話をする前に『地図のない時代』ではホーホフートという「個人の責任」を主張する作家と、アドルノという「組織による個人への主体性の剥奪」を当然と考える哲学者の論争を持ち出しております。

 両者の見解は答えの出ない闇の世界に入り込む在りがちな論争であると同時に、二つとも「迷い」のない思想の典型であるわけですが、西尾先生はそうした両者の見解が極と極の衝突によるところに問題の根本があり、どちらでもない「迷い」の中に立つ強さに鍵があることを説いておられます。そしてその闇を取り払う手段として、アレント女史の作品は大きな存在であるとも語られています。

 つまり「個人」と「組織」の主張の対立がいかに不毛で、無意味なものかをアレント女史の作品は追求してくれているとおっしゃっています。

 ある一定の方向から人間の感情を見定める事の怖さを、私は西尾先生の本から教えられました。そしてそこには「人間がいかに迷いというものを多用しながら生きているか」が示されているわけです。迷いというのは人間にとって自由がいかに大切かということではないでしょうか。

 しかしそうした見解に比べ、橘氏の論点は一種の形にこだわり、「人間とはこうあるべきだ、こうしなければならない」という拘束感を感じさせているように思うわけです。

 それは時に人間にとっては必要でもあり、又生きる上で都合のよい支柱となるでしょう。しかし橘氏が言うように、人間とはそれほどスムースに方向を定められるように作られているのでしょうか。

 氏は迷いというものを感じた事がないのでしょうか。いやおそらく絶対有るはずです。そして氏の場合、所属する組織においては出来有る限りその迷いを打ち消そうとしているのではないでしょうか。もしそうだとしたらば若い岩田氏をとうてい説得することはできないでしょう。岩田氏が一番申されたい点はそこなのではないでしょうか。

 ですから西尾先生にとっては、今回の「日録」を拝見していると、藤岡先生の迷いこそは人間の本質の部分であり、重要な要素であるとおっしゃりたいのではないでしょうか。そうした思いやりこと、人間の正しい教えとなり、いつの時代にも残しておくべきものなのではないでしょうか。

5/10 一部訂正
 

新 し い 歴 史 教 科 書 を つ く る 会

              つくる会FAX通信

  第174号    平成18年(2006年)5月11日(木)    送信枚数 3枚
  TEL 03-5800-8552  FAX 03-5804-8682  http://www.tsukurukai.com

        3月29日付け産経新聞報道記事の問題点

 FAX通信第173号(5月2日)で、3月28日の理事会の内容を伝えた3月29日付け
 産経新聞の記事が「不正確」「歪曲」などとされていることについて、会員か
 らどういうことなのか説明して欲しいとの問い合わせをいただいております。
 以下に、理事会終了後、会を代表して種子島会長と事務局の鈴木氏が産経新聞
 記者に電話で伝えた内容と、実際に新聞に掲載された記事とを対比し、問題点
 を解説します。

■つくる会側の発表

 3月28日の理事会は、午後8時40分に終了した。その後、理事間の和解の意味も
 含めて事務局で急遽会場を用意し、懇親の場が設定された。その席で、午後9時
 過ぎに、種子島会長と事務局の鈴木氏が産経新聞教科書問題取材班の記者に携
 帯で電話した。まず、鈴木氏が、八木氏が副会長に任命されたことを告げたあ
 と、会の新しい方針として、FAX通信第170号(3月29日)にも掲載された次
 の項目を読み上げる形で伝えた。

1.法務、財務、人事、教科書制度・採択制度研究について担当理事を任命し、
それぞれのプロジェクトとして早急に取り組む。さらにブロック担当理事を任命
し、支部の採択活動の支援に当たる。

2.会長、副会長に担当理事を加えた執行部会を隔週開催し総会に向けた方針の
具体化に取り組む。

3.執行部会で検討された内容は4月、5月、6月の理事会で逐次決定し、総会に向
けた方針とする。

4.次期総会は、7月2日(日)に東京で開催する。

5.総会に向けた人事案件などについては6月の理事会で決定し、総会に提案する
以前に評議会に諮ることとする。なお、評議会は欠員補充等の人事を早急にはか
り、体制を強化する。

6.前記方針を実現するために、種子島会長を中心に理事会が一丸となって取り
組む。

7.前記方針の決定をみたので、藤岡、福地両理事に緊急に要請した会長補佐の
任を本日をもって解く。両理事のご尽力に感謝する。

 次に、種子島会長が携帯電話を取り、「つくる会は、『創業者の時代』から
 『組織の時代』の第2ステージに変わらなければならない。そういう立場で新し
 い方針を決めた」という趣旨のコメントをした。

■3月29日付け産経新聞の報道記事 ※二重括弧を施した部分が、問題の箇所。

【見出し】

 ≪八木氏会長復帰へ≫/「つくる会」内紛収束

【本文】

 新しい歴史教科書をつくる会は28日の理事会で、会長を解任されていた八木秀
 次理事を副会長に選任した。≪7月の総会までに会長に復帰すると見られる。≫
 同会の内紛は≪事実上の原状回復で≫収束に向かうことになった。
 
 つくる会は先月27日、無許可で中国を訪問したことなどを理由に会長だった八
 木氏と事務局長だった宮崎正治氏を解任。種子島経氏を会長に選任していた。
 副会長だった藤岡信勝氏も執行部の責任を取って解任されたが、≪2日後に「会
 長補佐」に就任していた。≫

 しかし、地方支部や支援団体から疑問の声が相次いだことなどから再考を決め
 た。≪藤岡氏は会長補佐の職を解かれた。≫種子島会長は組織の再編などを進
 めた後、≪7月に予定されている総会までに八木氏に引き継ぐと見られる。≫≪
 宮崎氏の事務局復帰も検討されている。≫
 
 ≪理事会では西尾幹二元会長の影響力を排除することも確認された。≫種子島
 会長は≪「会員の意見を聴いたところ、八木待望論が圧倒的だ。≫内紛はピン
 チだったが、『創業者の時代』から第2ステージに飛躍するチャンスにしたい」
 と話している。

■産経報道記事の問題点
 
 上記報道記事は、会長と事務局の正式発表の内容と会の立場を無視した問題だ
 らけの内容である。以下、5つの論点にしぼって指摘する。

(1)≪八木氏会長復帰へ≫(見出し)、≪7月の総会までに会長に復帰すると見
られる≫理事会では八木氏の副会長任命を決定しただけで、それ以外の決定は行
っていない。
 
 なお、この点について付け加えておけば、種子島会長は理事会に対し「7月総会
 で八木会長とする」ことを提案したが、討議の結果、それは含みとしておき、
 会長は6月の理事会で決めること、「含み」の部分は対外的には一切公表しない
 ことを確認した。従って、「含み」についても、理事は新聞記者に話すなどの
 ことをしてはならないのは当然の義務である。しかし、理事の誰かがそれをリ
 ークしたのである。そうでなければ、記者がその立場をわきまえず、特定のグ
 ループと一体になっていたことの現れである。

(2)≪2日後に「会長補佐」に就任していた≫ 、≪藤岡氏は会長補佐の職を解
かれた≫

 八木氏が会長に復帰する見通しとなった反面、藤岡氏はあたかも失脚したかの
 ような書き方になっているが、そうした事実はない。もともと「会長補佐」は
 会則にもない会長の相談役に過ぎないもので、2月27日の理事会が会長のみを選
 出して散会したことから緊急措置として設置され、福地、藤岡の両名が任命さ
 れていた。3月の理事会が八木氏を副会長に選任し、執行部が成立したので、役
 目を終えて2人の補佐が退任したというのが事実である。これを、藤岡氏にだけ
 言及し、あたかも権力闘争の結末であるかのように報じるのは悪意のある意図
 的な書き方で、読者に誤解を与えるものだ。

(3)≪宮崎氏の事務局復帰も検討されている≫

 理事会ではこうした話は一切出ていない。理事会では、種子島会長が、2月28日
 に会長の指示したFAX通信の内容を宮崎氏が別のものと差し替え、理事会の
 投票者の実名まで公表する背信行為をおこなったことに触れ、「これは本来懲
 戒免職にすべきことだが、過去の宮崎氏の会への貢献と、今後更に会に対する
 攻撃をさせないという現実的判断から、宮崎氏から出されていた辞表を受理し、
 円満退職の形で処理したので了解していただきたい」という趣旨の発言があっ
 ただけである。本来、事務局の人事は記事にするほどのことではなく、しかも
 まだ決まっていないことまで書くのは、記者のニュースバリューの感覚を疑わ
 れる。
 
(4)≪理事会では西尾幹二元会長の影響力を排除することも確認された≫

 理事会としてこんな確認など全くしていない。そもそも、会として特定の人物
 の「影響力を排除する」ことを確認することなどあり得ないことは、常識的に
 判断すれば明らかである。西尾氏に関する話題は新田理事が理事会に持ち出し、
 影響力排除を決議しようとまで提案したものである。これについては、「西尾
 先生は正しいこともおっしゃる」、「西尾先生の発言をとめることは出来ない」
 など様々な発言があり、それだけで終わったものである。もし、記事の通りの
 ことを理事会として確認したとすれば、全理事がそれに拘束されることになり、
 そうしたことからも、あり得ないことが理解できるだろう。

(5)≪会員の意見を聴いたところ、八木待望論が圧倒的だ≫      

 種子島会長は、理事会直後の上記の電話取材では、このような話はしていない。

 最後に、この記事の問題点を、総括的に述べておく。

 第一に、3月28日の理事会決定は、会長人事ならいざ知らず、副会長人事を決め
 ただけであるから、普通の感覚では15行程度のベタ記事(1段組み記事)扱いが
 常識である。それを3段にまたがる大きな見出しを付け、大々的に報道したのは、
 「八木会長復帰」を既成事実化しようとする記者の意図に発したものである。
 新聞記者としては起こった事実を報道することに徹するべきである。報道を利
 用して事実をつくり出そうとするのは、新聞という社会の公器の私物化と言っ
 てよく、新聞記者のモラルとして絶対にやってはならないことである。

第二に、3月29日付けの新聞記事は、前夜の9時53分に「産経web」でネット
上に配信されていた。取材から配信までが極めて短時間であり、記者は予定原
稿を準備していたと考えられる。4月3日、記者は「藤岡党籍問題」のガセネタ
を信じ込まされていたこと、謀略をしていた一味の一員であったことなどを事
実上告白していたから、新聞記者の権限を利用した上記の党派的行動は最初か
ら計画的なものであった疑いが強い。なお、一般会員の間にも数日前から、
「八木会長復帰」の情報が流れていた事実がある。

 第三に、つくる会としては、新聞報道がなされた3月29日の午前中に、種子島会
 長、八木副会長の承認を得て、事務局から担当記者に対して正式に抗議した。
 FAX通信第170号(3月29日)でも、特に上記の(3)と(4)について「明
 らかに理事会の協議・決定内容ではありません」として会員に告知している。

なお、4月30日の理事会で種子島会長と八木副会長が辞任したことを、産経新聞
は全く報道していない。これは、教科書問題取材班が解散したことと関係して
いる。会の「内紛」には一切介入せず、「内紛」が収まるまでは会の報道を一
切行わないという産経新聞社の方針の反映であると考えられるが、「内紛」を
書き立ててきたのが朝日新聞ではなく産経の記者であったことを考えると、こ
れはむしろ歓迎すべき方針である。

 周知の通り、産経新聞は「新しい歴史教科書をつくる会」の発足当初から、一
 貫してこの会の試みを好意的に報道して下さった。今回、一部の記者の行動に
 よってこのような事態に立ち至ったのは誠に残念でならない。しかし、会員各
 位におかれては、産経新聞全体と一部の記者の行動を混同することなく、正確
 な認識をお持ちいただくようお願いしたい。

5/12 追加

新しい友人の到来(四)


伊藤悠可氏誌す

私はあまり心配していないのです。われわれが目撃している事実は「カタルシス」だということがだんだんわかってきたからです。「Katharsis」というのは内臓の中に溜まった悪いものを排泄させることを意味する言葉らしいのですが、易の火風鼎の卦がそれです。鼎は三本足の素焼きの祭祀具。中央下から火をくべて、上部の鍋の供物を煮るのだが、これを神聖なものとして供するには、一度逆さにして調理の残り物、残滓を除いてからでないといけない。
カタルシスだと悟れば、こびりついた煮物は除かれる。

「森鴎外か小説『渋江抽斎』に登場させた人物。『金風さん』と親しく呼んでいる人は長井金風のことだが、彼は『最新周易物語』でこんなことを書いている。

『――徳川の時、渡邊蒙庵とかいひし物があって、遠州のもので、真淵の末流を組んだものだが、日本書紀の注釈といふを書き、それが冷泉卿か、菊亭卿の手から上覧に入ったといふので、おおひに面目を施したつもりに思ってゐた。一年洛に上りその卿に謁することになった。本人の考へでは余程賞めに預かることと心得て行ったのだが、恭しく導かれて謁見を賜はつたまではよかりしも、卿は蒙庵を一目見て、その方賤しき匹夫の身を持って、国家の大典を注釈せんなど、神明に憚らざる不埒ものである、といつたのみで、御簾は既にきりきりっと捲き下された。蒙庵はぶるぶると振ひながら罷りくだつたといふ。』

金風はこの卿のわきまえのあるを讃え、もと国史というものは百姓を導くために書かれたものではなく、帝王の鑑として帝王のためにつきうられたのみである、と言っている。古事記の傳なり、初期の注なりと我れは顔に物して、小人匹夫が触れ得るものにあらず。あまりにおのれを知らざる天朝を憚らぬものどもで、田舎の神主あがりの国学者などというもののしたり顔して御事蹟を喋々するのが多い、と怒っている。

伊藤思う。いまどき、このようなことをいう知識人はいないし、またいたとしても巷間、誰もそれに服するものなどはあろうはずがないが、しかし、面白い話だと思って読んだ。天朝、国家の大典という言葉をかざして人を黙らせるのが痛快だという意味では勿論ない。身分の隔てがなくなった今、誰もが人倫国家を云々できるようになったが、本来、精神の貴族性をもたない人々が参加できるような運動ではないのであろう。百姓というのは精神性の「貴」と「清」とが無縁な人というふうに充当すれば、この長井金風の意とするところはちっともおかしくはない。

 つくる会FAX通信172、173号が発行されました。173号の前半に種子島、八木両氏の捨て台詞めいた弁明文の要約、後半に藤岡氏の公正めかした美しい演説文の要約がのっていますが、ここではそれらを取り払って、本日録に関係のある部分のみを掲示します。

(2)藤岡・福地両理事による反論

 両理事は、「つくる会の混乱の原因と責任に関する見解」という本文6ページと
 付属資料からなる文書を用意し、概要次のように述べ会長・副会長の辞任理由
 に反論しました。

〈我々両名は、2月理事会の翌日28日から3月28日理事会までの1ヶ月間、種子島
会長を支える会長補佐として会の再建に微力を尽くしてきた。3月28日の理事会で
は、副会長複数制が妥当であるとの我々の進言を無視し、会長はその任命権を行
使するとして八木氏のみを副会長に任命した。それでも理事会の宥和を重視し、
我々はその人事に同意し、二度と内紛を起こさないようにしようという精神で合
意した。このまま何事もなく推移すれば、7月に無事に八木会長が誕生したはずで
ある。

 ところが、この理事会直後から、会の宥和と団結の精神に反する不審な事態が
 続発した。
 
1.3月29日付け産経新聞は理事会の内容を歪曲し、理事会で議論すらしていない
ことまで報道された。理事の誰かが誤情報を流して書かせたのである。

2.3月末から4月初めにかけて、西尾元会長の自宅に一連の脅迫的な内容の怪文
書がファックスで次々と送られた。これについて西尾氏が自身のブログで発信す
る事態となった。

3.4月3日、渡辺記者は藤岡理事に面会を求め、藤岡理事に関する「平成13年 
日共離党」という情報を八木氏に見せられて信用してしまったが、ガセネタであ
ることがわかったと告白して謝罪した。6日には、謀略的怪文書を流しているのが
「八木、宮崎、新田」であると言明した。

 福地理事は、事態は深刻であり速やかに事の真相を糺す必要があると判断、4月
 7日に種子島会長に八木副会長から事情聴取する必要があると進言したが拒否さ
 れた。4月12日、西尾宅に送られた「西尾・藤岡往復私信」は八木氏の手にわた
 ったもの以外ではあり得ないことが判明した。同日、藤岡・福地の両理事は会
 長に対し、八木氏が3月理事会の精神に反する一連の謀略工作の中心にいる可
 能性が極めて高く、その証拠もあることを説明し八木氏の聴聞会の開催を改め
 て求めた。会長は、1.八木氏に確かめ、事実を認めれば解任し、自分も任命
 責任をとって会長を辞す、2.否認すれば八木聴聞会を開く、と表明した。翌
 日13日、種子島、八木、藤岡、福地、鈴木の5人の会合の場がもたれ、冒頭で会
 長は両名の辞任を表明した。従って、前日の1のケースであったことになる。
 こうして会を正常化しようとする我々の真摯な努力は水泡に帰した。

 この間、種子島会長は、「過去は問題にしない」と言い続けてきたが、一連の
 謀略による内紛の再燃は、宥和を確認した3月理事会の後に起こったことであり、
 現在の問題である、また、辞任の理由として、我々両理事が内紛を仕掛けたか
 のように語っているが、それは明らかな事実誤認に基づく責任転嫁である。〉

(3)討論の流れ

 田久保理事から、「藤岡理事は八木氏宅へのファックスにたった一言書き込ん
 だ言葉について八木氏の自宅に赴き、夫人に謝罪した。藤岡氏の党籍問題に関
 するデマ情報の流布は極めて重大な問題であり、八木氏はそれを他の理事など
 に公安調査庁の確かな情報であるとして吹聴したことについて藤岡氏に謝罪す
 べきである」との発言がありました。事実関係についても、参加者から具体的
 な補足情報の提供がありました。

 内田理事は、藤岡理事の言動が会の最大の障害であるとして、藤岡理事を解任
 すれば種子島会長は辞任を思い留まるのかと質問しました。それに対し、種子
 島会長は、それが筋だが健康に自信がない旨述べて会長を続けるつもりはない
 と発言しました。
 
(中略)
 
 議論は2時間半以上にわたって続きましたが、結局八木氏は謝罪せず、種子島・
 八木両氏は辞意を撤回するに至らず、辞任が確定しました。この両氏の辞任に
 続いて、新田・内田・勝岡・松浦の4理事も辞意を表明(松浦氏は欠席のため文
 書を提出)、会議場から退出しました。
                                (以上)

5/3 追記

新しい友人の到来(三)

伊藤悠可氏誌す

「なぜ、ここにいる」と先生を罵倒した男。先生は全共闘を彷彿されたという。全共闘世代。これは先の親世代が甘やかして育てた過剰肥料の産物だ。或いは、心が緩んでいた時に生んだ子供たちだ。戦争で緊張感があった。その時代に命をなげうった人には子供がいない。終戦で、死ぬかもしれないという危険がゼロになった。そこでどっと子供が生まれた。「ああ、死ななくてよかった」と弛緩したときに生まれた子供たちなのだ。だから二十歳になってイタズラをしたのだ。今まで彼らがやったことを児戯でなかったと思ったことは一度もない。そのオフセット版がいみじくも先生があぶり出した保守屋の中年。全共闘世代を評する限りサルトルは当たっている。「この世に放り出されただけ」の存在なのだ。私も全共闘世代に入るらしいが。

そう言えば、「保守」の人口が増えたなというのが、あるときからの印象である。今回のような事件をみると、水増ししたに違いない。こんなにいるはずがない。あの当時は全然いなかった。

こういうときは悪人のほうがわかりやすい。善人は語るべきときに語らず、語ってはならないときに語ったりする。不測の事態というときには、善人が当てにならないだけではなく、実際に悪い役割を果たす。

「愚直」というのはない。愚かなるものは必ず曲がる。「愚曲」はあり、「愚直」はなし。私が歩いた拙い人生からでもそれが言える。自分で愚直といってえばる人間はほとんど曲がっている。

「保守」という言葉も、全共闘が汚してしまった「総括」と同じように穢れてしまうのだろうか。紫の朱を奪うものたちの手によって。

「目的の為には手段を選ぶ」。これが日本人の澡雪の中心である。先生は昔から左翼であっても進歩主義者であっても、隔意なく人間として敬意をもっておつきあいなされた。それを最近の日録で知って我が意を得たりと思った。九段下会議で先生の身振り手振りをみているだけで、それはわかるはずだ。

「目的の為に手段を選ぶ」。その中には、禮も長幼の序も金銭の使途の性格も、さらに言えば団体に参加しているという動機までも、規範されるものであろう。つまり、卑怯をしないということだ。

わが古代から中世へかけて廃れていた思想に「恩を知る」ということと、「分を守る」という思想があって、それは平和的な感情でもあるが、運命的な思想に培われたものであると私は信じる。けれどもその運命を裏切らんとした人々が不必要な動乱を敢えてしたために、世の人々が難渋したことも幾度もあったので、これも日本だけのことではないであろうが、この二つの感情が自然と流れていた時代と人世にノスタルジーさえ感じる。
突き詰めて言えば、この二つさえ放擲しないで生きられるなら、人としてあまり大きな過ちはおかさないでいられると思うほどである。

保守知識層が結集してやっておられる運動の大半は、「大衆感化運動」だと思っている。大衆覚醒運動と呼んでもかまわない。しかし、この運動の核にほとんどの大衆が入ってきては困るのだ。

こちらが大衆浴場になってしまったら、誰に呼びかけるのであろうか。
(つづく)

 つくる会の種子島会長、八木副会長は4月30日の理事会で会長・副会長のみならず理事も辞任し、会そのものから離れると発表しました。

 さらに新田、内田、松浦、勝岡の四理事も辞任。

 ただし、会長、副会長の自己弁解を披瀝したつくる会FAX通信172号は、新執行部(高池会長代行)の成立直前に、これを出し抜いて出した種子島、八木両氏の犯した、不正かつ卑劣な文書で、ただちに無効となっている。

 私はただ、八木は知らず、種子島の何故かくも、陋劣なるかを、彼を知る旧友とともに哀れむのみ。

4/30 追記

新しい友人の到来(二)

 それからしばらくして、さらに次のような長文の感想文が届いた。今の私が今の私の置かれた環境をこれ以上語ることは困難だと思っていた矢先、外から私と私の環境を心をこめて語って下さる次のような文章を得て嬉しい。さっそくにも紹介したい。


伊藤悠可氏誌す

「つくる会」幹部の不可解。おそらく語るに落ちる行状がふくまれているにちがいない。尋常なら今のような収拾(注・4月3日の段階・八木氏副会長へ復帰)をするはずがない。易経の水地比の卦にある「人に匪ず。また傷ましからずや」といったものだろう。「人にあらざる人と交わりを強いられ」先生が心を傷められたという卦です。それらの大部分を胸内に秘めて語らずにおられるのは、保守の軒下にいるはずのない人間がいたという衝撃と、もう一つは理ありとも事に益なきは君子言わず、という思いがおありになるからだ。ここでいう「益」とは足を引っ張ってきた君たちが思っている「利益」「私益」ではない。「実りあるもの」に資するという意味なのだ。先生は大変な忍耐をしておられる。

事実無根の中傷と誹謗に対して、おのれ自身のために弁明するのは時として徳を損なうかもしれないが、人がいわれなき中傷誹謗にさらされているのを見たときは、断然その人のために弁明しなければならない。それが日本人ではなかったのか、保守ではなかったのか。理事の面々よ。

産経新聞の某記者まで繰り出して、狂騒乱舞しはじめた「つくる会」。やっぱり「ふるいにかけられた」連中は想像したとおりの愚をおかす。彼らは苦しくてしかたがないのだ。つまり、先生の眼前で、正体をあらわしてしまった悶えにすぎない。これからもっと百鬼夜行のような景色がみられると思う。楽しみにながめていたい。

八木氏は、蘇生する最後のチャンスを自分でつぶしてしまった。わざわざ先生が一日、会って下さったというのに。転んだ少年がまた馬上に乗っかってしまった。彼はいつか見たことのある「上祐さーん」というようなファンがいっぱいいる。先生が日録に書かれた御婦人たちもその類になる可能性が高い。目覚めてほしい。

「つくる会」が内部から腐ってしまったというのに、「つくる会」の看板だけ磨いて住みつづけようという人がいる。Bestではないが、Betterならよいと、声援をおくる人が私の近しい中にもいる。私はいずれもうまくいかないと思う。同志的結合でない利害集団はかならず内ゲバをおっぴろげる。小人の群はそれが専売特許だから。

泣いて馬謖を斬ろうとしたら、「ぼくは斬られるのがイヤだ」と馬謖が走り去ってしまった。そんなやつなら「魏」に逃げ込むのだろうと、思っていたら何と「蜀」に戻ってきていて、この国をよくしたいと言い出した。西尾先生の泣く機会を奪った八木さんの罪は重い。だから先生は泣かないで笑うしかないのだ。

つくる会のゆくすえを案じる方々、どうか不謹慎だとお怒りにならないでください。吾々がいま見ているのはまさしく「喜劇」なのだ。国は「喜劇」のなかにおいて亡びていく。「悲劇」のなかでは国は亡びない。
(つづく)

SAPIO最新号(5月10日号)に怪メール事件が報じられました。

4/29 追記

新しい友人の到来(一)

 九段下会議は最近開かれていないが、以前そこで知り合った伊藤悠可さんという方がいる。いつも無口で、静かに注意深く人の言を聴いている方だが、最近私に励ましのメールを下さってからこの方のご文章に感服し、文通が始まった。

 ご自身の自己紹介によると「記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営むかたわら、易経や左伝の塾を開いている」という。これは丁度いい、私も徂徠の難著『論語徴』を読み始めた所なので、難解な箇所を教えてもらおうと思う。

 伊藤さんは高校時代に拙著『ヨーロッパの個人主義』を読んで、生涯のうちに必ずこの本の著者に会えるかもしれないと思っていたそうで、こういう勘は全部当っているという。小林秀雄先生にも、岡潔先生にも、思った通りに会えて、直に御話しする光栄に浴したという。福田恆存先生にも編集者時代に目の前にお姿を拝したという。

 私も会えると思って伊藤さんが読みつづけて来て下さった一人に入れていただいているようでむしろ光栄だが、まず書簡の一部を紹介すると、

九段下会議に小川揚司さんが君も来ないか、西尾先生にご紹介するからと呼ばれたとき、ああ38年ぶりにあの頃思ったことが実現せられるのだとドキドキしたことでございました。大石さん経由のメールがきっかけで御葉書の文に接し肩がすぼみました。恐懼して居ります。

つくる会の連中はこの先生の怖さがわからないのです。犬猫は神社の境内、神前でも尿を排して悔ゆることはありません。先生にあのような言葉が吐けるということ自体彼らは既にその類である証明、人倫国家を語る以前の問題で、人品の賤しき保守というのは高潔な詐欺師というに等しく本来矛盾の存在です。

先生が目撃なされた彼らの卑怯は想像を超えたものと察します。私個人の感情としては、もうあのような低劣な人達の中で孤軍奮闘なさるのは痛々しく、誰か先生に代って泥とつきあう者はいないか、弟子はいないかとはらはらしていたことでした。実際先生の文面をなぞって、今度は幾夜自分のほうが憤りを制御するのが難しい程でした。
(中略)
つくる会で暗躍する者は早晩自壊作用をもよおします。彼らの行動はなめくじが塩を求めることになりましょう。率直な気持ちを申し上げれば、先生はしばらく地上の雑音から遠ざかり一旦成層圏に昇られ悠々と俯瞰なさることが一番ではないか。
(中略)
然し先生にふるいをかけられ、正体をあばかれた者たちは大いに煩悶し、憎悪の念を燃やし妬忌を行うでありましょう。悪知恵は尽きることはありませんが、現下の先生の沈黙は却って彼らを苦悶させ、自壊を促すとみています。
(中略)
先生には世俗的な表現に過ぎますが、いのちの洗濯をなさることがあってもいい、手塚富雄先生のお言葉を以って、私などが西尾先生に呼びかけるのは本末転倒ですが、「行動する人間にとっては、正しいことを行うのが重要な問題である。正しいことが起こるかどうかについて心を煩わすべきではない」とゲェテは箴言と省察の中で言い、手塚先生は世に正しいことはほとんど起こらないが、「しかし広く見る者は、それにもかかわらず自分のする正しいことが人間の世界にたいして意味をもつことを疑いはしない。それは微小でも時と共に象徴として力を増してくるのである」と仰せられ、まさしくこれは西尾先生の御立場だと、発見した気持ちになりました。

K君への見舞い状

 高校の友人のK君が放射線治療を受けることになった。早期発見だから心配はいらない、彼はそう書いてきた。私は早速次の見舞い状を出した。(注)以外は原文どおりである。

拝啓

 寒い日がつづきます。
 放射線治療に入った由、驚きとともに共苦の感覚への記憶をもって受け止めました。同種治療はあなたは前にもご経験があり、全快されており、自信もおありでしょう。でも、放射線治療は初めてと思います。私のケースは舌でした。ラジウム針刺入という処置でした。

 別便でそのことにも言及した『人生の価値について』をお送りしました。この本、ご存知か否か分りませんが、1996年の本で(注:私の発病は1981年)、今度別の会社から再販刊行されます。同題名です。

 油井君(注:放射線医・私の主治医で共通の友人)は私の叙述に少し不満みたいでした。

 このあいだは私のつくる会退会のしらせに丁寧にご返書を書いて下さり、ありがとうございました。

 クラス会の幹事などいろいろやって下さり、感謝します。次回もおねがいします。築地さんからクラス誌のことで連絡がありましたので、ファクスで返信しておきました。

 治療における肉体の苦痛はさしたるものではないでしょう。たゞ心の不安が切ないです。不安が永くつづくのもまた辛いです。

 病気をするとわれわれも生物の一つだとしみじみと思います。生物であるからには、どんな生物にも末路があり、分っていることとはいえ、肉体が脅されないと分らないことがあるものです。

 しかし喉元すぎるとまた忘れるのが人間の常です。あなたも幸いそうなるでしょう。忘れるのはいいことです。病気をくりかえすことは、死へのソフトランディングだと思っています。健康な人はかえってハードな衝撃があるでしょう。

 私はいま二つの病院と歯科医院と三つにつき合っています。これが時間の上でもお金の上でも相当な負担と気苦労です。病院は舌ガンのころから私には親しい世界になり、早め早めに行くことにためらいはありません。そのあと心臓をやられました。

 それから10年です。それでいて懲りない証拠に、毎晩酒は飲んでいますよ。

 あなたは今しばらく食べられなくて鼻からの栄養補給ですか。私はそうでした。治っても味が半年なくなりました。5年後に歯が三本抜けて、旧い患部が何度も痛くなり、再発かと恐れましたが、旧い傷跡が反乱を起こすのですね。そのつど油井さんに電話しましたし、診てもらいました。

 大丈夫、すべて過ぎ去っていきます。

 そしてどうにもならないときはいつかは来ます。だいぶ先にね。いまあなたは神さまからソフトランディングの試験をためされているんですよ。

 私も同じです。いま小康状態です。そう思っています。何がいつ襲ってくるか分らないですから。

 では又。お見舞いに病院には行かないよ。代りに同封しておきます。すべて治療が終ったら、ハガキください。

                                         敬具
 2月5日
                                         西尾幹二
 K・T様 

追記
 K君は銀行員を立派に務めあげ、フランス語が得意であるためベトナムに派遣された。ベトナム戦争のさなかで、テト攻勢の頃現地にいた。

 高校時代に私は歌謡曲しか歌えなかったが、彼はアメリカの映画音楽を英語で歌うのが上手だった。「荒野の決闘」の主題歌の「ハイ・ヌーン」は十八番だった。彼がさいごにこれを歌うまでクラス会はいつも終らなかったものだ。

 そうだ、病気が治ったらカラ・オケに無理にでも連れ出して彼に「ハイ・ヌーン」を歌わせよう。

編集長からの手紙

 この手紙をもらって私は大変うれしかった。私信公表なのでご本人の許可をいただいて――お立場上、若干ご本人もためらわれたが――ここにのせさせてもらう。

 私がうれしかったのは勿論私の論文を評価して下さったからだが、論の骨格を正確に読み取っていただけたこともある。

 年末の仕事の中心が福田恆存に関する講演と論文だった。『諸君!』が掲載してくれる約束だったのだが、量が多いので、削減を求められるのを私は恐れた。削られるくらいなら二ヶ月にわたる分載でいいから、全文のせてもらいたいと思った。そう希望しておいた。

 すると、講演を聴いていなかった編集長が手書きの私の草稿を読ませてほしいと言ってこられた。その結果、雑誌の立場としては分載するくらいなら全文一括で掲載させてもらいたいという。

 でも、確実に100枚は越える。さらに加筆するから最終的には何枚になるか分らない、と言ったら、それでもいいという。余り例のない話である。

 おかげで『諸君!』2月号に36ページもの一挙掲載となった。編集長には12月20日に一緒に酒を飲む約束をした。それからしばらくして、次の手紙が来た。まだ見本刷は出来ていない段階であった。

===============

 西尾幹二先生

 今月は福田恆存論をありがとうございました。年末のお忙しい時に、大作に挑んでいただき、感謝いたしております。お電話で構想をうかがった時はよくわからなかったのですが、60年代から70年代にかけての福田さんの言論、行動の重さを、全身で受けとめて、その精神を継承しなければならないというお考えが、強く伝わってきました。

 『常識に還れ』『私の國語教室』『批評家の手帖』の三方向からの「非文学」がいかに本来の意味での「文学」であり、行動であるかが、すごくよくわかりました。そして70年以後の、そこからの撤退。私自身が福田恆存の文章を熱心に読んだのは、70年から72、3年にかけて、新潮社から出ていた七巻本の評論集でしたから、その後半が今回、先生が主として論じられたところでしたが、時代の中で非常に孤立というか孤高な印象があり、その精神がレトリックと笑いによって、むしろ積極的に現実に働きかけてくるような凄味がありました。

 たしかに今度の論を読んでいて「アメリカを孤立させるな」や「日本共産党礼讃」がもっていたほがらかな破壊力と、それが破壊たりえた日本という国や社会の岩盤の固さが、70年代以後の日本から徐々に、かつ急速に失われていったことを思いました。変えようとした現実がどんどん不定形で軟体動物のようなものに変容していった中で、三島さんは死に、福田さんは論壇文壇から距離をとり、その空虚に耐えながら、先生の言論活動があるという歴史の構図がみごとに見えてきました。

 私的な回想のエピソードも美しく、没後十年にふさわしい文章をいただけて感謝しております。お疲れさまでした。また頂戴いたしました『日本人は何に躓いていたのか』を福田恆存論を脇に置いて読み直しますと、現実への働きかけへの情熱がまたちがって、ひときわ大きく見えてきました。

 どうもありがとうございました。それでは、20日の夜にお目にかかるのをたのしみにいたしております。

12月16日

                               「諸君」細井秀雄
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 私の言論活動が三島由紀夫、福田恆存の衣鉢を継いでいるというお話は勿論私に自覚のあることだが、一方ではこれは自己過大視と人には見えるかもしれないが、他方では大変に心を冷え冷えとさせる話でもある。この一本の流れは原則的に孤立者の系譜だからである。保守の中に仲間がいるようでいて、じつはいない。

 私は自分を時代に合わせ随分変えてきたつもりであるが、それでも孤立の宿命は避けられなかったし、これからも避けられないだろう。しかも時代と共に日本の条件はひどくなっていく一方である。保守は増えたが、精神は解体している。

 私は残りの人生において、恐らく健康が維持できてあと5年をどう過ごすか、仕事の内容と幅をどうきめていくか、年末年始に当りしっかり考えなければならないと思った。福田先生が脳梗塞で倒れられたのは今の私の年齢、69歳である。

 遅咲きの私はまだ語り残していることが数知れない。これからが生命を燃やす最後の段階であると思っている。

 教科書問題は安心できる後継者を得たので、今まで以上に私はここから離れることになろう。やり残している数多くの関心のあるテーマ、昭和の思想、古代と文字、ゲーテとフランス革命、萩原朔太郎、ショーペンハウアーの母、ニーチェ(続編)、荻生徂徠、空海、韓非子等々、まだほかにもあるが、やりたいテーマは山積している。ドイツ神秘主義にもずっと前から関心をもっていて、文献は大量にあつまっている。よほどよく選んで考えないと、不満な結果に終るだろう。

 福田先生が「もうこれ以上自我の芯で戦うのは間違っているのではないか」と私に自戒の言葉をお示しになったことは論文中に記したが、現代の目の前の愚劣な問題と「自我の芯」で切り結ぶことは私も間違っていると思いつつ、ジェンダーフリーにまで手を伸ばし、来年は憲法、中国問題、皇位継承問題など目が放せない問題が並んでいる。たゞどこまで付き合うか、現代との距離のとり方がこれから限られた貴重な時間内で、さらにむつかしくなってきたと痛切に自覚している。

 年末に編集長からの例外的な手紙を紹介する機に、所見を披露した。連載中の「正しい現代史の見方」は勿論まだつづく。