中国、この腐肉に群がるハイエナ(四)

 私はかつて、アメリカは超大国らしい振る舞いをしないのにまだ超大国のつもりでいて、行動と意識がずれていると書いたことがある(本誌平成二十六年五月号)。ウクライナの件でも、今度のAIIBの件でも、アメリカの失政が困難を招いている。最初ウクライナの反ロシアデモをアメリカが強力に支援したことがロシアの不安と不満を引き起こし、争乱になった。アメリカは資金と技術を中国に与え、長期にわたる元安政策を支え金満大国を作り上げておきながら、世界銀行やIMFやアジア開発銀行で力にふさわしい役割をこの国に与えなかった。アジアのインフラ開発の必要度が今や非常に高まっている時であるのにである。中国はうまくタイミングを掴んだといえる。諸国に広がるアメリカの高姿勢と不決断への不満をかき集めることに成功した。

 アメリカの失政というより、オバマの失敗である。シリアの開戦処理に彼が逡巡して、稚拙な残虐を誇示する「イスラム国」というテロ集団を引き出してしまい、制禦できずにいるのも、オバマの気質的無能に端を発している。加えて同盟国のヨーロッパ諸国の反アメリカ感情をまで呼び出してしまった。ロンドン・シティの新たな行動はわけても厄介である。

 超大国アメリカの衰弱とよくいわれる現象が背後にあるともみられるが、しかし別の目で見ると、そこには不気味な混沌、地球全体をいま揺さぶっている精神的無秩序の次第に大きくなる暗い広がりも感じられる。それはアメリカだけが原因ではない。経済のグローバル化、無制限に移動する資本、IT技術が可能にする巨大化した目に見えない金融の闇。国家を超える有効な機関が存在しない現代世界の無政府的状態は、中世末期の個人同士と同じように、国家と国家とが互いに対立し合い、相互に恐怖を感じ合う状態に近づいている。同盟を組んだり、毀したり、また新たに組んだり、そのうち大きなパワーとパワーが衝突することにもなるだろう。

 もともと近代とはイギリスの世紀のことであった。スペインが開いてイギリスが受け継ぎ、オランダ、フランスを圧倒して、アメリカに引き渡したのが近代史の大筋だ。そのイギリスの中核をなす王室は海賊と手を組んでいた。貧しい二流国家だったテューダー朝がスペインを破り、オランダに追い迫る過程で、カリブ海の奴隷貿易による利益が国運を決める役割において決定的だった。肝要な点はエリザベス女王が海賊の取引に最初から深く関与していたことだった。金銀満載の南米帰りの外国船を襲撃、掠奪してイギリス財政がささえられたので、女王はこの件でもつねに投資団の先頭に立って旗を振った。

 そういう時代だったといえばそれまでだが、第一次大戦まで地球を支配した英海軍による制海権なるものが、海賊の侠気と智謀と背徳に起源を発していたことはいくら強調してもし過ぎることはないだろう。

 追いつめられた野獣は何をするか分からない。私は、歴史はいま五百年前に戻りつつあるような気がしている。国家と国家が互いに恐怖を抱き始めている。地球上をほぼ隅なく劫略したのはイギリスだったことを忘れてはならない。そしてスパイと金融という得意分野はまた中国の得意分野でもあるのだ。

 一九九五年海部元首相が中国で江沢民主席と会ったときのことである。中国の核実験に日米ともに反対だと言ったら江沢民は、核兵器はアメリカが世界一だ。そういう国が反対だというのは「州の官吏は放火してもいいが、百姓は電灯もつけてはならないということか」とアメリカの言い分に食ってかかった。面白い喩え話ではある。海部氏は「それなら日本が電灯を点けても貴方は文句を言いませんね」とひとこと言い返せば見事なのに、彼にそんな度胸もないし、ユーモアもない。ひたすらへりくだって唯一の被爆国の悲願とか何とか言い「ぜひ中国は懐の深さを示してもらいたい」と言うばかりであった、と当時の新聞が伝えている。

 江沢民の心意気は私には分からぬではない。欧米に包囲され追い込まれた昔の日本の苦境を思い出させるからである。彼の意気盛んで己を恃む態度は、ワシントン会議から開戦までの日本に一脈通じているように思える。そして私は、中国はこのまま侭いけばいつかアメリカと正面衝突するな、とそのとき思った。 

 いまの世界には中心点がなく、ばら撒かれているいくつもの力点が揺れ動き、衝突し合っている。どの国も成算がなく、予測が立たなくなっている。

つづく
「正論」6月号より

中国、この腐肉に群がるハイエナ(三)

 ロシアに猛威を感じても中国には感じないヨーロッパ諸国は、他方では強過ぎるドルを抑えこみたいという一貫した政策を持ちつづけている。そもそもEUの成立が、ひところ世界のGDPの四割を占めた日米経済同盟に対する危機感に発していた。湾岸戦争もドルに対するユーロの挑戦という一面があった。ギリシアの混乱以降、ユーロが基軸通貨としてドルへの対抗力とはなり得ないことが判明して、他に頼るべき術もなく、人民元を利用しようとなったのだ。ルーブルを強くするのはヨーロッパにとっては不利だが、人民元なら怖くない。それに日本がアジアへの投資において、日本が得意の総合総社のパワーで自由自在であるのを見て、ヨーロッパ諸国は、元植民地支配者の流儀が今や通用せず、すっかり立ち遅れているので、中国の申し出は渡りに舟でもあった。

 中国の力を味方につけて中露分断を図り、ロシアの力を少しでも抑止したいのがヨーロッパの政治的欲求であることはすでに述べた。遠い国と結んで近い国を抑えるのは古代の昔から不易の法則で、安倍政権がロシアへの接近を企てているのも――ウクライナ紛争でいま中断しているが――、北方領土のせいだけでなく、中国を牽制したいと考えるからであろう。アメリカにこの点を理解させるのが日本外交の要点である。いま経済的にロシアは困窮している。積年の問題を解決するチャンスではないか。北朝鮮にロシアが力を貸し始めているので、拉致の問題でも突破口となる可能性はある。ロシアと敵対しているアメリカをどう説き伏せるかに成否はかかっていよう。

 ヨーロッパは経済的に日米から、政治的にロシアからずっと久しく圧力を感じつづけていて、そこからどう自由になるかが政策のモチーフとなり勝ちである。AIIBへの彼らの参加はそう考えると分かり易い。日米ほどに抵抗がない理由はここにあると思うが、しかしそれなら共産主義の解消の問題、「ベルリンの壁」がまだアジアでは存続しているあの歴史への責任問題をヨーロッパではどう考えているのか、という疑念が強く浮かび上がってくる。とりわけイギリスが率先して加盟に動いた事実は日本人にとって、ことに保守層の日本人にとって小さくない衝撃であった。明治以来イギリスがヨーロッパ文明の代表である時代はずっとつづいていた。今でもまだその基調は変わっていないと思われてきた。しかし何か変だ、と今度初めて感じる人も出てきたと思う。

 私見では、イギリスは国際情報力と金融業以外になにもない、生産力を失った弱い国になったことに真因があると思われる。イギリスは追い詰められている。スコットランドにあわや逃げられかかったあの一件が象徴的である。もし国民投票が通っていたら、国名もイングランドとなり、国連の今の地位も失って、二流国に転落したであろう。

 イギリスとアメリカはつねに利喜の一致する兄弟国ではなかった。一九三九年まで日本政府も「英米可分」と判断していた。しかし第一次大戦で疲弊したイギリスは、その頃も何かにつけアメリカを楯に利用するしかなく、第二次大戦にアメリカを誘い込むために謀略の限りを尽くしたことはよく知られている。この知謀の国はまた何かを企んでいる。

 国際金融の世界では「タックスヘイブン」とか「オフショア」とかいう巨額脱税の一種の・いかさま・が実在していることはよく知られていよう。アメリカはそれを解消しようとしたが、表向きで、一部の州で企業に有利な法体系や特定の人への税の優遇措置が認められている。アメリカはそれでも不公正な闇に批判的ではあるのだが、イギリスはそうではない。国家ぐるみの大規模なアングラ・マネー隠しの構造を死守しようとしてきた。金融立国イギリスの中心地シティがその役割を果たす場所である。
 
 「世界のマネーストック(通貨残高)」の半分はオフショアを経由している」とか、「外国直接投資総額の約三〇%がタックスヘイブンを経由している」とか、そういう証言を読む度にただただ驚かされるが、ヴァージン島とかキプロスとかケイマン諸島といった地名も近年では新聞紙上に瀕出するようになった。そのいわばグローバル金融のハブがロンドンのシティなのである。シティは二〇〇八年のデータで、国際的な株式取引の半分、ユーロ債取引の七〇%、国際的な新規株式公開の五五%を占めている、等の記述を関連文書の中に見ると、世界の経済がどこで誰によってどのように動かされているのか、私ごときには謎が深まるばかりで、じつに息苦しい。

 冷戦体制下に繁栄をきわめていたタックスヘイブンの運営は、国際的な反対運動の力もあって次第に難しくなり、富裕層が頼みとするスイスの金融業が批判にさらされ一部危うくなった等のニュースは私もたびたび耳にする。シティもまたオフショア金融センターとしての機能を次第に失いつつあるといわれる。ただしシティはイギリスにとっては「国家の中のもう一つの国家」といわわれるほど大きな存在で、自治区として中世以来の特権的立場を認められ、なにびとも指を触れることのできないイギリス財政の聖域であった。これが危殆に瀕していることはこの国の生存に関わるであろう。何とかしたいというのがイギリス政治の必死の思いであることは分からぬではない。

 けれども、イギリス金融業界が目をつけたのがこともあろうに中国との連携であったのはただの驚きではすまないように思える。シティは人民元取引のセンターとなることにより、凋落しかけたその立場を復活させようというのが狙いであろうが、これはドル基軸通貨体制への挑戦であろう。ブレトンウッズ体制を覆す引き金にならないとも限らないではないか。アメリカが衝撃を受けたのは余りにも当然である。しかもキャメロン首相率いる保守党政権が企てたのだ。

 アメリカと対決する中国がなり振りかまわずイギリスを必要とするのは当然であるが、イギリスが腐敗して崩れかけたモンスター国家に飛びつくのは理解できない。そこまでこの国は追い込まれ、零落したのだろうか。それとも中国の明日にも知れぬ経済破綻についての情報が届いていないのだろうか。というよりここ数年ではなく国家百年の計に賭けた歴史的取り組みだというのだろうか。人口十三億は二百年来の世界貿易の垂涎の時だったが、やはりそういうことだろうか。
 それにしても、と私は言いたい。イギリスはじめ西欧諸国はナチスの全体主義と闘い、戦後はソ連のスターリ二ズムに耐え抜いて、やっと「近代的自由」を手に入れたはずだった。習近平が何を企てているかが見えてないはずはあるまい。歴史に逆行するこの見境いのない選択は、余りといえば余りのヨーロッパ人の倫理的気質の喪失でなくて何であろう。

つづく
「正論」6月号より

中国、この腐肉に群がるハイエナ(二)

 ヨーロッパから見るとロシアも中国も東方にあるが、脅威を受けて来たのはロシアで、中国は久しく哀れで無力な国であり、いま力をつけて来たからといっても、ヨーロッパには直接危害の及ばない政治的に無関係な国である。じつは昔から、大戦前からそうだった。イギリスやアメリカが日本の大陸政策にあゝだこうだと難癖をつけて来た戦前のある時期を思い起こして欲しい。イギリスは例えば満州の実態を何も知らないで、国際連盟の名において、満州の治安には正規軍を用いず憲兵で当たれ、というような要求をしてきた。大陸は軍閥の内戦下にあった。千々に乱れていたその治安をどうやって憲兵だけで守れるであろう。日本政府は呆れてものが言えなかった。国際連盟を相手にせず、の気持になるのはきわめて自然な成り行きだったのだ。

 こんな風に遠いアジアのことには無理解で、しかも植民帝国としてさんざん利益を吸い上げた揚げ句、危いとなったらさっさと逃げて行く。それがヨーロッパやアメリカのしたことだった。政治的負担を背負うのはつねに日本だった。今また同じようなことが始まっている。

 中国主導によるアジアインフラ投資銀行(AIIB)に英国を先頭に仏独伊などヨーロッパ代表国の参加意思が表明され、世界57カ国にその輪が広がり、日米両国が参加しなかったことが世界にも、またわが国内にも、少なからぬ衝撃を与えたように見受けられる。中国による先進七カ国(G7)の分断は表向き功を奏し、アメリカの力の衰退と日本の自動的な「従米」が情けないと騒ぎ立てる向きもある。

 しかし中国政府の肚のうちは今や完全に見透かされてもいるのである。これまで中国のGDPを押し上げる目的で用いられた産業は不動産業だった。今や不動産はバブルとなって、次の時代の何らかの高付加価値の新産業の創出が課題となっているが、残念ながらそれは見当っていない。自動車販売は中国市場が世界一である。けれども平均して民衆の所得水準が上がるにつれて中国車は売れなくなった。価格は安いが故障が多く、先進国との技術の差は埋められないどころか、ここへきて一段と引き離されているのが実態であると聞く。

 中国が改革解放の時代を迎えた三十年ほど前、道路、鉄道、そして不動産に向かったのは、格別の独自技術の開発を必要とせず、先進国からの技術移転と模倣、そして得意の人海戦術で、一息にGDPの拡大を図ることが出来ると見たからであろう。事実それは成功し、GDP世界二位を豪語するに至っているが、しかしこの先どうなるのであろう。中国は過去三十年間の国力上昇時代に重大なチャンスを逸したのではないか。発展する国は必ず次の時代を予告する技術革新をなし遂げているものである。中国にはそれがなかった。移転と模倣にはもう限りがある。これからの労働力減少に備えてはロボット技術の発展が不可欠だといわれるが、中国の水準はあまりに低すぎる。

 であるならいまこの国が考える政治的経済的戦略構想が、自分の国の外への、自分の国をとり巻く地域へのインフラ投資となるのは理の当然であろう。道路、鉄道、港湾、ビル建設を外へ広げる。今までやって来てうまく行った方策を海外展開する。それ以外にもう生きる道がない。中国は鉄鋼、セメント、建材、石油製品などの生産過剰で、巷に失業者が溢れ、国内だけでは経済はもう回らないことは自他ともに知られている。粗鋼一トンが卵一個の値段にしかならないとも聞いた。

 加えてこの計画には人民元の国際通貨化、ドル基軸通貨体制を揺さぶろうとする年来の思惑が秘められている。南シナ海、中東、中央アジアの軍事的要衝を押さえようとする中国らしい露骨な拡張への布石も打たれている。こんなことは世界中の人にすべてお見通しのはずだ。

 さらに、他国は知っているかどうかは不明だが、日本でさかんに言われているのは中国はじつは資金不足だという点である。この国の外貨準備高は二〇一四年に約四兆ドル(約四八〇兆円)近くに達しているが、以後急速に減少しているとみられている。中国の規律委員会の公認として一兆ドル余は腐敗幹部によって海外に持ち出されているとされているが、三兆七八〇〇億ドルが消えているとする報道もある。持ち出しだけでは勿論ない。米国はカネのすべての移動を知っているだろう。日本の外貨準備高は中国の三分の一だが、カネを貨している側で、海外純資産はプラスであるのに、中国はゼロである。最近知られるところでは、中国政府は海外から猛烈に外貨を借りまくっている。どうやら底をつきかけているのである。辞を低くして日本に参加を求めてきている理由ははっきりしている。日本人に副総裁の座を用意するから参加して欲しいと言って来たようだ。

 AIIBは中国が他国のカネを当てにして、自国の欲望を果たそうとしている謀略である。日米が参加すれば当然巨額を出す側になるので、日本の場合、ばかばかしいほどの額を供出する羽目になる可能性がある。ドイツのメルケル首相が日本に参加を求めたというのも自国の據出金の負担を減らしたいからだろう。安倍政権がいち早く不参加を表明したのは賢明であり、六月末に延ばされた締め切りにも応じるべきではない。

 中国は生きる必要から必死になっているのは確かである。それはどの国も同じだから理解できなくはない。世界銀行やアジア開発銀行やIMF(国際通貨基金)など既成の世界金融機関がアメリカの意向に支配されていて、力をつけてきた中国には面白くない。この点に同情の余地はある。中国を支持する声のひとつである。もちろんこの範囲においては理解できる話ではある。

 しかし、最大の問題は、中国が遅れて現われたファシズム的帝国主義国家だというあの事実である。「ベルリンの壁」はアジアでは落ちなかったのではなく、いま崩落しつつあるのである。共産主義独裁国家が同時に金融資本主義国家の仮面をつけて、情報統制された国家企業が市場マーケットの自由を僣称する摩訶不思議な現代中国というモンスターの出現こそ、ほかでもない、「ベルリンの壁」のアジア版である。

 何とかしてこの怪異なる存在を解体すること、すなわち壁を撤去すること、分かり易くいえば中国共産党体制をなくすことがアジアの緊急の課題である。十三億の中国民衆に自由を与え、中国経済を本当の意味で市場化し(変動相場制を導入させ)、中国人民銀行を政府から独立した近代的金融機関に育て上げること、等である。アジアに残存するすべての不幸の原因はこれがなし得ないでいることである。拉致、領土、韓国の対日威嚇など日本を苦しめているテーマも究極的にはここにある。来たるベルリンサミットでは安倍総理におかれては、中国共産党の消去こそが日本国民だけでなく、中国国民の久しい念願であることを訴え、ぼんやりしているG7の首脳たち、アジアのことになると金儲けのことしか考えない、ていたらくな指導者たちに喝を入れていただきたいのである。

 四月十二日午前九時からのNHK日曜討論を拝聴したが、出席者の榊原英資、河合正弘、渡辺利夫、朱建栄、瀬口清之の五氏のうち、自国の矛盾を国際的に解決しようとする中国の暴慢をたしなめ、この国の国家的に偏頗な構造にAIIBの動機があることを指摘していたのはわずかに渡辺氏ひとりであった。他の方々は中国に対するやさしい理解者であろうとばかりしている。しかもそれを日本の国益の立場において語るからどうしても日本の国家と国民を惑わす話になる。朱建栄氏のような政治的理由で収監され、今も中国政府の監視下にあると考えられる中国人を討議者に選ぶNHKの不見識も問責されてしかるべきである。

 習近平がアジア版独裁者「聖人」のカリスマ性を誇示し、スターリンや毛沢東の似姿であろうとしている現実に、隣国の日本国民は少しずつ恐怖と警戒感を感じ始めている。テレビの発言者だけが不感症である。イギリスを先頭に、西欧各国が怪異なる国の現実を知らずに――漢字が読める読めないはかなり決定的な差異であるように思える――この国に手を貸そうとしているかに見えるため、日本国民の対中イメージに新たに不安な混乱が生じているように思える。

つづく
「正論」6月号より

中国、この腐肉に群がるハイエナ(一)

 ヨーロッパから見るとロシアも中国も東方の大国で、専制独裁の皇帝制度の歴史を擁した国々である。イワン雷帝やスターリンのイメージがプーチンに投影されるし、歴代の中国皇帝は毛沢東や蒋介石だけでなく、金日成にも、カリスマ性という点だけでいえば李登輝にも、典型としてのある雛型を提供している。これに対し欧米の国家指導者は性格を異にしている。前者のアジア型指導者を「聖人」、後者を「法人」の呼び名で興味深く整理したのは中国文学者の北村良和氏だった(『聖人の社会学』京都玄文社、一九九五年)。私は面白いな、と思った。「聖人」の「聖」とは道徳的宗教的意味ではない。

 欧米の指導者はたとえ独裁者でも、例えばナポレオンやヒットラーを見てもアジア型皇帝の非法治主義の系譜は引いていない。皇帝がいなければ国家統一がどうしてもできないという民衆の心の古層にある暗黙の前提、奴隷的依存心の欲求度が違う。欧米型独裁者は永つづきしない。アジア型は伝統を形づくり、同じパターンが繰り返される。民主主義にはどうしてもならない。

 ひるがえって日本はどうかというと――ここからは北村氏とは少し違う考えになるが――日本は昔から法治主義の国ではあるが、二典型のどちらにも入らないのではないかと思う。天皇はどの類型にも当て嵌まらないからだ。日本の政治が何かと誤解されつづけるのはそのためである。また、カリスマ的政治指導者がわが国に出現しないのもそのためである。欧米も、アジアの国々も、自分たちの歴史の物指しで日本の政治権力を測定し、勝手に歪めてああだ、こうだと騒ぎ立てることが多い。まったく迷惑である。

 今はアメリカがアメリカ型民主主義をアジアに移植した成功例としてわが国を、再び歓迎しようとしている。しかし少し違うのである。民主主義に関する微妙な誤差が大問題になる可能性もある。

 他方、中国や韓国は、実証主義を欠いた歴史認識、歴史を自己の政治的欲望の実現に使おうとする前近代的意識に立てこもり、そこを一歩も踏み出すことはない。討議も論争も成り立たない。そのいきさつをアメリカは理解しているのだろうか。

 しかしここに来て新しい厄介な事態が出現した。技術や生産力を高め豊かになれば体制を転換させ、民主主義国家に近づくであろうとアメリカが期待した中国が逆の道を歩き始めたのだ。習近平はスターリン型独裁者、アジアのあの「聖人」になろうとし始めている。中国国民はひょっとしてそれを希望し、期待するのかもしれない。

 中国の大学ではマルクス主義の教育理念の再確認がはじまった。次々と上層部に逮捕者の出る汚職撲滅の名において独裁的手法が強化されている。経済データひとつ正確には公表しない秘密主義。日本の国家予算規模の巨額を海外に持ち逃げする党幹部の個人犯罪とその犯罪を罰すると称して政権の権力闘争にこれを利用する二重の犯罪。そこに法治主義のかけらもない。水・空気・土の汚染と急速に広がる砂漠化によって人間の住めない国土になりつつある理由も環境保護の法を守るという最低限の自制が行われないためだ。格差の拡大などという生易しい話ではない富の配分のデタラメさ。臓器移植手術にみるナチス顔負けの人間性破壊。チベット・ウィグル・内モンゴルでの終わりのない残虐行為と南支那海・東支那海への白昼堂々たる領土侵略。しかもこれらの情報のいっさいから国民が疎外されている言論封圧の実態こそがスターリン型国家がすでに再来しているしるしといってよいのではないだろうか。

 一九八九年十一月九日の「ベルリンの壁」崩壊のあの喜びの声はアジアではいったいどうなり、どこへ行ってしまったのだろう。

つづく
正論6月号より

中国の金融野心と参加国の策略

産經新聞4月16日「正論」欄より

 中国主導によるアジアインフラ投資銀行(AIIB)に、英国を先頭に仏独伊など西欧各国の参加意思が表明され、世界50カ国以上にその輪が広がったことが、わが国に少なからぬ衝撃を与えたように見える。中国による先進7カ国(G7)の分断は表向き功を奏し、米国の力の衰退と日本の自動的な「従米」が情けないと騒ぎ立てる向きもある。

≪≪≪ なぜ帝国主義台頭を許すのか ≫≫≫

 もとより中央アジアからヨーロッパへの鉄道を敷き、東南アジアからインド洋を経てアフリカ大陸に至る海上ルートを開く中国の壮大な「一帯一路」計画は夢をかき立てるが、しかしそれが中国共産党に今必要な政治的経済的戦略構想であり、中華冊封体制の金融版にほかならぬことは、だれの目にもすぐ分かるような話ではある。

 中国は鉄鋼、セメント、建材、石油製品などの生産過剰で、巷(ちまた)に失業者が溢(あふ)れ、国内だけでは経済はもう回らない。粗鋼1トンが卵一個の値段にしかならないという。

 外へ膨張する欲求は習近平国家主席の「中華民族の偉大なる復興」のスローガンにも合致し、ドル基軸通貨体制を揺さぶろうとする年来の野心に直結している。それはまた南シナ海、中東、中央アジアという軍事的要衝を押さえようとする露骨な拡張への動機をまる見えにしてもいる。

 それならなぜ、遅れてきたこのファシズム的帝国主義の台頭を世界は許し、手を貸すのだろうか。今まで論じられてきた論点に欠けている次の3点を指摘したい。

 計画の壮大さに目がくらみ、浮足立つ勢力に、実行可能なのかどうかを問うリアリズムが欠けている。中国の外貨準備高は2014年に4兆ドルに達しているが、以降急速に減少しているとみられている。中国の規律委員会が1兆ドルは腐敗幹部により海外に持ち出されているとしているが、3兆7800億ドルが消えているとする報道もある。

≪≪≪ 策略にたけた欧州の狙い ≫≫≫

 持ち出しただけではもちろんない。米国はカネのすべての移動を知っているだろう。日本の外貨準備高は中国の3分の1だが、カネを貸している側で対外純資産はプラスである。最近知られるところでは、中国政府は海外から猛烈に外貨を借りまくっている。どうやら底をつきかけているのである。

 AIIBは中国が他国のカネを当てにし、自国の欲望を満たそうとする謀略である。日米が参加すれば巨額を出す側になる。日本の場合、ばかばかしい程の額を供出する羽目になる可能性がある。安倍晋三政権が不参加を表明したのは理の当然である。

 第2に問われるべきは欧州諸国の参加の謎である。欧州はロシアには脅威を感じるが中国には感じない。強すぎるドルを抑制したいというのが欧州連合(EU)の一貫した政策だが、ユーロがドルへの対抗力にはなり得ないことが判明し、他の頼るべき術(すべ)もなく、人民元を利用しようとなったのだ。

 中国の力を味方につけて中露分断を図り、ロシアを少しでも抑制したいのが今の欧州の政治的欲求でもある。それは安倍政権がロシア接近を企て、それによって中国を牽制(けんせい)したいと考える政治的方向と相通じるであろう。欧州は経済的に日米から、政治的にロシアから圧力を受けていて、そこから絶えず自由になろうとしているのがすべての前提である。

≪≪≪ 日本の本当の隣国は米国だ ≫≫≫

 それなら英国が率先したのはなぜか。英国が外交と情報力以外にない弱い国になったからである。英米はつねに利害の一致する兄弟国ではなく、1939年まで日本人も「英米可分」と考えていた。

 第二次世界大戦もそれ以降も、英国は米国を利用してドイツとロシアを抑止する戦略国家だった。今また何か企(たくら)んでいる。中国はばか力があるように見えるが直接英国に危害を及ぼしそうにない。その中国を取り込み、操って政治的にロシアを牽制し、日本と米国の経済的パワーをそぐ。これは独仏も同じである。日本が大陸の大国と事を構えて手傷を負うのはむしろ望むところである。AIIBは仮にうまくいかなくても巨額は動く。欧州諸国の巧妙な策略である。

 第3に中国と韓国は果して日本の隣国か、という疑問を述べておく。地理的には隣国でも歴史はそうはいえない。隣国と上手に和解したドイツを引き合いに日本を非難する向きに言っておくが、ドイツが戦後一貫して気にかけ、頭が上がらなかった相手はフランスだった。それが「マルクの忍耐」を生んでEU成立にこぎ着けた。

 それなら同様に戦後一貫して日本が気兼ねし、頭が上がらなかったのはどの国だったろうか。

 中国・韓国ではない。アメリカである。ドイツにとってのフランスは日本にとっては戦勝国アメリカである。日本にとっての中国・韓国はドイツにとってはロシアとポーランドである。その位置づけが至当である。こう考えれば、日米の隣国関係は独仏関係以上に成功を収めているので、日本にとって隣国との和解問題はもはや存在しないといってよいのである。

講演 ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(決定稿)(一)

 2月1日に坦々塾主宰の私の講演会がホテル・グランドヒル市ヶ谷で開かれた。その草稿を元にして『正論』4月号に一文を草したことはすでに見た通りである。

 『正論』4月号の拙文は読み直してみてそれなりにまとまってはいるが、30枚余と最初から制限があるので、内容は講演とは部分的に重なってはいるものの、違ったものになっている。

 講演の音声から文字起こしをして整理して下さった会員の阿由葉秀峰さんからA4で25枚の講演草稿がファクスで送られてきた。読んでみて『正論』4月号とはかなり違う内容だと分った。

 『正論』4月号の拙論をよくよく理解していたゞくためにも、講演草稿をここに掲示するのは意味があると思った。

 阿由葉さんのご努力にあらためて御礼申し上げる。最初の書き出しは『正論』4月号とほゞ同一文だが、辛抱して読み進めていたゞきたい。

坦々塾講演  ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(決定稿)

                 (一)

 「イスラム国」を名乗るテロ集団による日本人の犠牲が出て、国の政治が停止してしまったかのような狼狽が見られました。

 アメリカ人やフランス人の殺害は対岸の火事でした。なぜ日本人が? という疑問と、やっぱり日本人も? というついに来たかの感情が相半ばしています。

 今のこの時代にこんな原始的な脅迫殺人が起こるとは考えられない、と大抵の人は心の奥に底冷えする恐怖を感じたでしょう。時代の潮流が急速に変わりつつあるのかもしれません。

 アメリカからは脅迫に屈するな、の声が日本政府に届いていました。アメリカ人ジャーナリストがオレンジ色の衣を着せられ脅迫されたときには、アメリカ国民は慌てず、いうなれば眉ひとつ動かさず、犠牲者を見殺しにしました。イギリスもそうでした。たしかにテロリストと取引きすると、事態はもっとひどくなります。福田赳夫元首相がダッカのハイジャック犯に金を払って妥協してから北朝鮮の拉致は激化しまた。それだけではありません。取引することはテロ集団を国家として認めることにもつながるのです。

 それでもなぜ日本人が? の疑問は消えないでしょう。日本人は宗教のいかんであまり興奮しない国民です。イスラム教とキリスト教の2000年の対立が背景にあり、パリの新聞社襲撃テロを含めて何となくわれわれには地球の遠い西方の宗教戦争であり、日本人には関係ないと思う気持ちがありました。せっかく親日的なイスラム教徒とは対立関係になりたくないという心理もありました。「イスラム国」のテロリストは他のイスラム教徒とは違うとよく言われます。この事件でイスラム教やイスラム教徒に偏見を持ってはいけないとも言われています。それはその通りです。けれどもキリスト教徒に問題はないのでしょうか。

 イスラム教とキリスト教の宗教戦争が根っこにあり、イギリス、フランスの20世紀初頭の中東政策への怨みが尾を引いているのは間違いないでしょう。中世までイスラム文明が西ヨーロッパ文明に立ち勝っていた上下関係が18~20世紀にひっくり返った歴史も、イスラム教徒の許し難い気持ちを助長させていることでしょう。

 4世紀のゲルマン民族大移動とローマ帝国の崩壊の後のユーラシア西方全体の歴史に、対立は深く関係しています。最初イスラム教徒が圧倒していました。キリスト教徒11世紀より後に「十字軍」を遠征してまき返します。13世紀にヨーロッパにモンゴルが襲撃してきたときでも、キリスト教徒はモンゴルより憎んでいたのがイスラムでした。モンゴル軍と妥協してでもイスラムを撃ちました。イスラムの方が比較的寛容でした。地中海の東方の出口を抑えていたからで、レパントの海戦(1571年)でイスラムが敗れ、キリスト教徒はインド洋、太平洋を制圧し、形勢を逆転させました。その後はキリスト教文明優位のご承知の通りの歴史の展開です。

 イスラムは、かつては文明的に野蛮な西ローマ帝国やフランク王国を見下していました。それが今はすっかり逆になっていしまった。キリスト教国に押さえこまれてきた歴史の長さ、重さ、劣等感がついに過激なテロの引き金を引かせる心理の一部になっているのは紛れもない事実でしょう。ヨーロッパのイスラム系移民の2世、3世が「イスラム国」に参加している例が多いことからみても、やはり歴史の怨みと現代の閉塞感が重なった宗教戦争の色濃い出来事であるとはいえるでしょう。

 歴史的反省をしたがらないヨーロッパやアメリカなどのキリスト教国は、あえてこのことを見ないで、「テロは許せない」とか「たとえ宗教批判になっても言論の自由はある」といった一本調子の観念論で、やや硬直した言葉を乱発していますが、これもキリスト教国側が承知で宗教戦争を引き受けている証拠なのです。

 こう見ていくと、日本人はどちらにも肩入れしたくない。公平な立場でありたいと願います。ところが、イギリス、アメリカ、フランスなどのキリスト教国側に乗せられ、キリスト教国でもないのに「テロは許せない」の西側同盟の一本調子のキャンペーンに参加している観があります。オバマ政権から脅迫に屈するな、の声が届けられ、テロリストと取引をしてはいけない、の教訓に縛られていたように見えます。それでいて、西側諸国と違って軍事力は行使できません。それならば何もしなければいいのです。日本は神道と仏教の国。宗教戦争には手を出さない、の原則を貫いた方がいいのではないでしょうか。「イスラム国」から被害を受けた地域の犠牲者に2億ドル(240億円)の救済金を出すと胸を張って宣言したような今回の日本外交のやり方は、関係者は気がついていないかもしれませんが、事実上の「宣戦布告」なのです。

 軍事力を行使しなくても戦争はできます。否、軍事力を行使する戦争をしたくないばかりに、それでいて戦争をしたふりをしないと西側に顔が立たないので、いつものように引きずられるようにカネを差し出す。平和貢献と称する度重なるこの欺瞞は今度の件でほんとうに最終的に壁にぶつかったと考えるべきでしょう。

 「イスラム国」のテロリストからは今回は脅迫されただけでなく、完全にからかわれたのです。二億ドルというぴったり同額のどうせ実現できないと分かっているほどの巨額の身代金を求められたではありませんか。しかも直後にカネはもう要らない、女性の死刑囚との交換をせよとあっという間に条件を替えられたではありませんか。相手が非道で異常なのは事実ですが、日本は愚弄されたのです。テロリストの頭脳プレーにより、日本国家は天下に恥をさらしたのです。

 もちろんオバマ大統領はじめ西側諸国はそうは言わないでしょう。日本の積極姿勢を評価するでしょう。差し当たり他に日本に打つ手がなかった、という政府擁護論にも十分に理はあります。

 ですが、日本は「のらりくらり作戦」がどうしてもできない政治体制の国なのだ、とあらためて思いました。そして、いわゆる西側の「正論」に与する前に、ほんの少しでもイスラム教とキリスト教の2000年に及ぶ宗教戦争の歴史に思いが及んだだろうか、と政府当局者に聞いてみたいと思います。さらに、国際社会の「法」と呼ばれるものがいつ、どのようにして形成されたかを、これもヨーロッパの中世より以後の歴史の中で検証したことがあるのだろうか、と疑問とも思えるのです。

 日本人の安全はカネを差し出すのではなく、本当の意味での実力行使以外に手はなく、他の手段で自国民を守れないという瀬戸際についに来ていることをまざまざと感じさせる事件でした。

 中国や韓国が戦後の日本からの経済支援に感謝しないばかりか、国民に支援の事実を知らせもしない、とわれわれのメディアはこれまでもしばしば怒ってきました。しかし一般に外国からの経済支援はその国の政治指導者を喜ばせるかもしれませんが、その国の国民には歓迎されないものです。歓迎されないのが普通です。アメリカからの戦後日本へのララ物資は日本人を救ったはずですが、われわれは家畜に食わせる餌を食わせた、と言わなかったでしょうか。どの国民にもプライドがあります。他国からの経済支援に感謝するのはそのときだけで、あっという間に忘れてしまうのが普通です。それがむしろ健全です。そして外国からの支援金でなにがしかの成功を収めると、自国の力が発揮された結果だとその国の政府も言うし、国民もそう信じたがります。中国や韓国が格別に不徳義なわけではありません。彼等が口を噤んでウソをつくのは許せませんが、カネを支払う平和貢献を軍事的威嚇のできない代用とする日本外交のいぜんとして変らぬ思い込みの方がはるかに大きな問題です。馬鹿々々しいだけでなく、今や醜悪でさえあります。ことに命の代償に240億円が数え立てられ、かつ取り下げられたテロリストの頭脳プレーにより、日本国家は天下に恥さらしたのです。

 オスマントルコ脅威の時代にイスラムが西洋を文明的に圧倒していたと同じように、中国は宋の時代まで日本に優越していました。中国人自身の主観では清の時代まで中国大陸優越を想定しているでしょう。ところが近代史に入って日本優位に逆転しました。それが中国人には許せません。口惜しさ劣等感が尾を引いていることはRecord Chinaなどに現れる観光客その他ネット情報を見ているとよく分ります。韓国人にも似たような一面があります。 

 中韓両国による対日批判は今や世界中に伝えられ、地球の不協和音の一つに数えられていますが、先の大戦が主原因と思われていて、アメリカやヨーロッパではよもや他の原因があるとは考えられていません。しかし戦争の歴史解釈は動機いかんで変わります。中韓両国民の動機は何に基いているか。イスラム教徒の歴史は欧米人の歴史像とはまったく違った展開になっているはずです。中韓両国の対日批判の動機もイスラム教徒の欧米批判の動機に似ていて、不合理で、情緒的で、宗教ドグマ的で、先の大戦をめぐる実証主義に基く客観性を著しく欠いています。そのことを欧米世界に、日本人はキリスト教とイスラム教の宗教対立を例にあげて説明し、日本における神仏信仰、皇室尊崇心と、中韓における朱子学(現われ方いかんでは一神教に近い)とでは水と油であることを分らせるよう働きかけるべきです。

 朝鮮半島と日本との間には、パレスチナとイスラエルとの間にある宗教的なへだたりにも似たへだたりがあることを、例えばオバマ大統領に知らせることは、このうえなく重要です。

 いたずらにわが国が右翼傾向を強めているなどと欧米から批判的に見られるのは、先の大戦の全像の見方を(少なくともドイツと日本とは違うことを)欧米側がいささかも変更しないことにあります。しかも中韓両国の感情的な対中批判を鏡に用いて、それに照らして、日本は歴史修正主義を志しているなどと言うのです。中韓の批判はイスラム教徒のキリスト教文化圏に対する劣等感に基く混迷な原理主義的感情論にも似ているのです。日本が「イスラム国」に対処するのにアメリカやフランスやイギリスの姿勢に合わせるのもいいのですが、それなら欧米が中国や韓国の主張に対処するのに、欧米の基準だけでものを言うのではなく、日本の姿勢にあわせることに道理があることを訴えていくべきです。

つづく

H27年坦々塾新年会講義

ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった

(一)

 「イスラム国」を名乗るテロ集団による日本人の犠牲が出て、国の政治が停止してしまったかのような狼狽が見られました。

 アメリカ人やフランス人の殺害は対岸の火事でした。なぜ日本人が? という疑問と、やっぱり日本人も? というついに来たかの感情が相半ばしています。

 今のこの時代にこんな原始的な脅迫殺人が起こるとは考えられない、と大抵の人は心の奥に底冷えする恐怖を感じたでしょう。時代の潮流が急速に変わりつつあるのかもしれません。

 アメリカからは脅迫に屈するな、の声が日本政府に届いていました。アメリカ人ジャーナリストがオレンジ色の衣を着せられ脅迫されたときには、アメリカ国民は慌てず、いうなれば眉ひとつ動かさず、犠牲者を見殺しにしました。イギリスもそうでした。たしかにテロリストと取引きすると、事態はもっとひどくなります。福田赳夫元首相がダッカのハイジャック犯に金を払って妥協してから北朝鮮の拉致は激化しまた。それだけではありません。取引することはテロ集団を国家として認めることにもつながるのです。

 それでもなぜ日本人が? の疑問は消えないでしょう。日本人は宗教のいかんであまり興奮しない国民です。イスラム教とキリスト教の2000年の対立が背景にあり、パリの新聞社襲撃テロを含めて何となくわれわれには地球の遠い西方の宗教戦争であり、日本人には関係ないと思う気持ちがありました。せっかく親日的なイスラム教徒とは対立関係になりたくないという心理もありました。「イスラム国」のテロリストは他のイスラム教徒とは違うとよく言われます。この事件でイスラム教やイスラム教徒に偏見を持ってはいけないとも言われています。それはその通りです。けれどもキリスト教徒に問題はないのでしょうか。

 イスラム教とキリスト教の宗教戦争が根っこにあり、イギリス、フランスの20世紀初頭の中東政策への怨みが尾を引いているのは間違いないでしょう。中世までイスラム文明が西ヨーロッパ文明に立ち勝っていた上下関係が18~20世紀にひっくり返った歴史も、イスラム教徒の許し難い気持ちを助長させていることでしょう。

 4世紀のゲルマン民族大移動とローマ帝国の崩壊の後のユーラシア西方全体の歴史に、対立は深く関係しています。最初イスラム教徒が圧倒していました。キリスト教徒は11世紀より後に「十字軍」を遠征してまき返します。13世紀にヨーロッパにモンゴルが襲撃してきたときでも、キリスト教徒はモンゴルより憎んでいたのがイスラムでした。モンゴル軍と妥協してでもイスラムを撃ちました。イスラムの方が比較的寛容でした。地中海の東方の出口を抑えていたからで、レパントの海戦(1571年)でイスラムが敗れ、キリスト教徒はインド洋、太平洋を制圧し、形勢を逆転させました。その後はキリスト教文明優位のご承知の通りの歴史の展開です。

 イスラムは、かつては文明的に野蛮な西ローマ帝国やフランク王国を見下していました。それが今はすっかり逆になっていしまった。キリスト教国に押さえこまれてきた歴史の長さ、重さ、劣等感がついに過激なテロの引き金を引かせる心理の一部になっているのは紛れもない事実でしょう。ヨーロッパのイスラム系移民の2世、3世が「イスラム国」に参加している例が多いことからみても、やはり歴史の怨みと現代の閉塞感が重なった宗教戦争の色濃い出来事であるとはいえるでしょう。

 歴史的反省をしたがらないヨーロッパやアメリカなどのキリスト教国は、あえてこのことを見ないで、「テロは許せない」とか「たとえ宗教批判になっても言論の自由はある」といった一本調子の観念論で、やや硬直した言葉を乱発していますが、これもキリスト教国側が承知で宗教戦争を引き受けている証拠なのです。

 こう見ていくと、日本人はどちらにも肩入れしたくない。公平な立場でありたいと願います。ところが、イギリス、アメリカ、フランスなどのキリスト教国側に乗せられ、キリスト教国でもないのに「テロは許せない」の西側同盟の一本調子のキャンペーンに参加している観があります。オバマ政権から脅迫に屈するな、の声が届けられ、テロリストと取引をしてはいけない、の教訓に縛られていたように見えます。それでいて、西側諸国と違って軍事力は行使できません。それならば何もしなければいいのです。日本は神道と仏教の国。宗教戦争には手を出さない、の原則を貫いた方がいいのではないでしょうか。「イスラム国」から被害を受けた地域の犠牲者に2億ドル(240億円)の救済金を出すと胸を張って宣言したような今回の日本外交のやり方は、関係者は気がついていないかもしれませんが、事実上の「宣戦布告」なのです。

 軍事力を行使しなくても戦争はできます。否、軍事力を行使する戦争をしたくないばかりに、それでいて戦争をしたふりをしないと西側に顔が立たないので、いつものように引きずられるようにカネを差し出す。平和貢献と称する度重なるこの欺瞞は今度の件でほんとうに最終的に壁にぶつかったと考えるべきでしょう。

 「イスラム国」のテロリストからは今回は脅迫されただけでなく、完全にからかわれたのです。2億ドルというぴったり同額のどうせ実現できないと分かっているほどの巨額の身代金を求められたではありませんか。しかも直後にカネはもう要らない、女性の死刑囚との交換をせよとあっという間に条件を替えられたではありませんか。相手が非道で異常なのは事実ですが、日本は愚弄されたのです。テロリストの頭脳プレーにより、日本国家は天下に恥をさらしたのです。

 もちろんオバマ大統領はじめ西側諸国はそうは言わないでしょう。日本の積極姿勢を評価するでしょう。差し当たり他に日本に打つ手がなかった、という政府擁護論にも十分に理はあります。

 ですが、日本は「のらりくらり作戦」がどうしてもできない政治体制の国なのだ、とあらためて思いました。そして、いわゆる西側の「正論」に与する前に、ほんの少しでもイスラム教とキリスト教の2000年に及ぶ宗教戦争の歴史に思いが及んだだろうか、と政府当局者に聞いてみたいと思います。さらに、国際社会の「法」と呼ばれるものがいつ、どのようにして形成されたかを、これもヨーロッパの中世より以後の歴史の中で検証したことがあるのだろうか、と疑問とも思えるのです。

 日本人の安全はカネを差し出すのではなく、本当の意味での実力行使以外に手はなく、他の手段で自国民を守れないという瀬戸際についに来ていることをまざまざと感じさせる事件でした。

報告者:阿由葉秀峰
(つづく)

 朝日新聞的なるもの

 知人からいただいた残暑見舞いの一文に「韓国からの情報戦に対する政府の反応の鈍さが気がかりです」とあり、目が釘づけになった。8月5日朝日朝刊の「慰安婦問題 どう伝えたか/読者の疑問に答えます」が出てから二週間たった日の出来事である。多くの日本国民は、外電の伝える韓国の変わらぬ居丈高や、米国務省のサキ報道官らの韓国寄り対日道徳的叱責から受ける不快感と、露呈した朝日の取り返しのつかぬ国家犯罪との落差のスケールの余りの大きさに、あれからじっとうずくまるようにして忍耐している。だが無力感に苛まれるばかりで動けない。ネットで怒りの声はたくさん読んだ。朝日記者の国会喚問と社長の謝罪会見はいうまでもない。河野洋平氏の自民党籍剥奪と叙勲取り消しの要望もあった。一連のパフォーマンスで国際社会に強制連行はなかったことを政府が率先して強く訴えてほしい、と念じているが、二週間たってもそういう動きは見えない。「政府の反応の鈍さが気がかりです」の先の一文はこの点に触れている正直な一般国民の不安の表明である。

 二十年以上も前になるが、ドイツの二つの代表紙で日本軍による二十万人の少女の強制連行という記事を読んだときの居たたまれぬ恥辱感が甦る。ウソと知っていたからである。

 中学校の歴史の全教科書に慰安婦の偽りのストーリーが載せられたのを知り、怒りを共にした者が集まって「新しい歴史教科書をつくる会」を起ち上げたのはそれから間もなくであった。慰安婦問題こそが歴史教科書問題に火を点けた着火剤だった。そしてここから「歴史認識」という聞き慣れぬ言葉が一般にも普通に使われるようになった。

 インドに住むあるタイ人女性が挺身隊問題アジア連帯会議というところで、「日本軍さえたたけばいいのか。インドに来た英国兵はもっと悪いことをしたのに」と泣きながら訴える場面があったそうだ。すると、売春問題ととりくむ会という団体の事務局長の日本人女性が「黙りなさい。余計なことをいうな!」といきなり怒鳴ったという話がある記事で書かれていた(産経2014年5月25日)。ほんの少しでも日本軍の残虐行為に異議を唱えるとたちまち逆上するメンタリティ、これこそがほかでもない、「新しい歴史教科書をつくる会」の前に立ち塞がった高い壁、というより黒々とした深い沼のような心の闇だった。彼らの心情は理性では判断できない。正常な感覚では理解できない。つまりある病理学的(パトローギッシュ)なセンチメントの底の深さを目の前に、私たちメンバーはたじろいだ。

 これは日本人に特有の心情で、ドイツでは起こり得ないことを示すいい例がある。私が『諸君!』(1993年11月号)に書いた「ヴァイツゼッカー前ドイツ大統領謝罪演説の欺瞞」の冒頭に紹介した次のエピソードである。

 「過日、ベルリンの小さな集会で、日本人とドイツ人が戦争の話をした。ナチ犯罪が相変わらず大きなテーマだった。大学のドイツ語の先生をしているある日本人が、まるで自らの善意を示すかのように、日本にも捕虜収容所があり、南京虐殺などの犯罪があったと、日本人もドイツ人と同じようなひどいことをしたという反省の言葉を語った。すると、そのとき居合わせたあるユダヤ人が、最後に「アメリカにもイギリスにも日本にも収容所はあったが、一民族を根絶するために収容所を作って、それを冷酷かつ合理的に運営した国はドイツの他には例がない」と言ったら、その日本人は顔色なく、シュンとなってしまったそうである。人から伝え聞いた話だが、面白いので印象に残っている」

 この場には勿論ドイツ人もいたはずである。ドイツ人はこんなものの言い方をされてもじつは平気なのである。感情には来ない。自分の世代のしたことではない、と思っているからだけではない。ウクライナでも、ルーマニアでも、ロシアでも、フランスでも、イタリアでも、スイスでもユダヤ人迫害はあった。虐殺もあった。ドイツのやったことは大規模だったが、他の国もみんな脛に傷を持つ身であって、とことん追及なんかできないことをドイツ人は暗黙のうちに知っているからである。ときどき政治的パフォーマンスで「反省」してみせるのは、ドイツが強くなり過ぎるのを周りの国々がこわがっているのだと承知していて、われわれは融和主義で行きますよと広告しているだけで、過去のことで心が震えてなんかいない。しゃあしゃあとしている。ヨーロッパ諸国もこれを了解している。お互いにユダヤ人迫害では歴史の共犯者だから、ドイツを必要以上に責める気はない。いわゆる「独仏和解」とはこういう共通心理の上に乗っている。

 日本人にはどうしてもこれが分からない。このドライな割り切り方と政治環境の違いが分からない。旧日本軍を肯定するとたちまち逆上するかの事務局長の女性や、日本も戦争犯罪をしたとわざわざ外国人の前で善意の反省を吹聴したがった大学のドイツ語の先生の例は、まことに病理学的心理の典型例であって、これが私や私の仲間たちがぶつかった手に負えない壁だった。日本ではこれが大学やメディアや言論界や歴史学界や教育委員会等でいわばとぐろを巻いて伏在している。ほかでもない、これこそが朝日新聞の三十二年間の大虚報を可能にした、他の国では考えられないばかばかしい「心の闇」の正体である。私は名付けて朝日新聞的なるものと呼ぶ。

 本当に子供っぽいのである。しかしこれは手強い。恐ろしい。日本人の愚劣さそのものだが、愚劣さは商売になるからである。朝から晩までテレビのコメンテーターは何を喋りまくっているか知っているだろう。集団的自衛権を批判するのは勿論いい。しかし中国が軍事的威嚇をしているという前提を決して言わない。日本政府が戦争の準備をしているとばかり言う。フェアーではない。愚民は騙される。千年一日のごとくこの調子である。朝日新聞は大誤報を告知したが、このあとも決して変わるまい。知能はあるが、知性のない手合いがこの新聞のお得意さまで、残念ながら後から後から量産される。「天声人語」は入試によく出る知性の結晶というコマーシャルを耳にするたびに、私は腹をかかえて笑う。 

 ドイツの戦争は日本とは違ってまことに能動的積極的な侵略戦争であった。が、ドイツ人は今まで侵略について謝罪もしていないし、反省もしない。ヨーロッパの歴史で各国みなやっていたことを謝る理由はないからである。六百万人とされるユダヤ人の虐殺、ホロコーストについてだけ謝る。それもドイツ民族がやったのではない、ナチ党という例外者がやったのだと言い募り、ドイツ人に「集団の罪」は認めない。罪はどこまでも「個人の心」の問題だと、宗教を持ち出して言い張る。だからドイツ国家に道徳的責任はない。ただし政治的責任があるので金は支払うというのである。これをしないと周辺国と貿易を出来なかったからである。

 私は自己欺瞞を重ねざるを得なかったドイツ人の苦しい胸の内に戦後ずっと同情してきたが、ホロコーストの歴史を知らない日本が謝罪や反省に関してドイツ人に付き合う必要はないと思ってきた。しかしここが「朝日新聞的なるもの」に埋没した人が理解しないか、わざと誤解して踏み出す点で、かれらは南京虐殺を持ち出して、日本はドイツと同じホロコーストをしたと言いふらし、このもの言いが中国や韓国に次第に伝わり、両国に乗り移って今の騒ぎになっている。

 南京虐殺の実在しないことは北村稔氏、東中野修道氏その他多くの方々の献身的作業で論じ尽くされ、敵性国家中国の対日攻撃手段の一つと今では見なされている。つまり南京を言い立てる者は中国のイヌである。そこまで分かってきているが、それでも沼のようなあの「心の闇」に閉ざされている多くの日本人はまだ目覚めない。

「どうして日本と日本人を貶めるストーリーが、巨大なメディアや政府中枢で温存され、発信されるのか。日本は一刻も早く、この病を完治しなければならない」と書いているのは英国人ジャーナリストのストークス氏である。「慰安婦問題だけではない。いわゆる『南京大虐殺』も、歴史の事実としては存在しなかった。それなのに、なぜ『南京大虐殺』という表現が刷り込みのように使われるのか。この表現を報道ではもう使うべきではない」(ZAKZAK8月14日)。 

 思えばまだ慰安婦も南京も話題ですらなかった1960年の安保騒動で、日本の立場を有利にする筈の条約改定の合理性には、いっさい目をつむり、安保改定は戦争への道と騒ぎ立てた筆頭は朝日新聞だった。反米の旗幟鮮明で、反米こそ朝日の平和主義の柱だった。それがアメリカへの甘えだということには気づかず、この会社はそのうちいつの間にか親米に傾き、アメリカの虎の威を借りて日本の国家としての主体性をなくそうとする潮流に今や夢中になって手を貸す方向に動いている。最近同紙に採用される言論人の所説をよく見てほしい。護憲左翼と親米保守が仲良く手を結んでいる曖昧さが特徴である。そこにはあの「心の闇」、世界がたとえ嵐でも駝鳥(だちょう)が砂の中に頭を突っ込んで動かないような盲目的敗北的平和主義、「何もしない」主義の未来喪失の姿を認めることができよう。そしてひたすら中国に媚びるのである。

 GHQが戦後七千余点、数十万冊の日本の本を没収廃棄したことは知られていようが、出版元別にみて最も多く廃棄されたベストスリーは、朝日新聞社百四十点、講談社八十三点、毎日新聞社八十一点の順であった。いうまでもなく戦時体制にその出版物で最も迎合的に協力した筆頭三者である。そしてこの三社は周知の通り、戦後長いあいだ反日左翼のムードを代弁し、日本の侵略、アジアの攪乱を言い続けてきた歴史自虐の代表マスコミである。見事に逆転した心理構造には私は尽きせぬ興味を感じている。ここには間違いなくあの「心の闇」の秘密が潜んでいる。

 岩波書店は日共系知識人に支配された出版社だから、そこの左傾化は純粋に戦後の現象である。朝日、毎日、講談社はそうではない。代表的戦時カラーから代表的戦後カラーにがらっとものの見事に衣替えした。戦前までの自分の姿を忘れたというより、さながら過去の自分を憎んでいるかのごとき情緒的反応である。GHQに「焚書」されたことと深層心理的に深い関係があると私は見ている。

 戦争の敗北者は精神の深部を叩き壊されると、勝利者にすり寄り、へつらい、勝利者の神をわが神として崇めるようになるものだからである。今の朝日新聞は戦争に敗れて自分を喪った敗残者の最も背徳的な無節操を代弁しているように見える。

(月刊誌「正論」10月号より)

無能なオバマはウクライナで躓き、日中韓でも躓く(四)

 気鋭の歴史研究家、渡辺惣樹氏が『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』(草思社)という日米開戦に関する新しい観点の一書を世に問いました。フランクリン・ルーズベルト大統領の戦争責任に関する、アメリカにおける論争史を整理したような内容です。ジェフリー・レコードという国防政策の専門家が分析し、二〇〇九年に発表した開戦に関する文書、「米国陸軍戦略研究所レポート」と題されていますが、これを渡辺氏が翻訳し、自ら詳細な解説を付して二部構成の書物に仕立てています。解説の方では当時のアメリカの世論の動向をていねいに説明し、ルーズベルトの功績を高く買ってその戦争指導は大筋において正しかったと評価する従来の説と、そこに陰謀やソ連への無警戒、悪夢のような冷戦、共産国家中国を作ってしまった罪責などを見届けようとする否定的な説、前者を「正統派」とすれば後者は「修正派」と呼ばれていますが、この二つの織りなす解釈の流れを語っています。

 歴史観にはやはりこのようにオモテとウラがあります。オモテは最初に公認され、通説として確立されて根強いのですが、ウラも無視できず、ウラが有力な証拠を突きつけて、通説を破壊し、少しずつ習慣化したオモテの公認史観を修正し、色を塗り替えていくプロセスは、日本の戦後史のようにオモテが硬直化し、観念化し、動かなくなってしまったのと違って、大変に参考になります。

 先述の「米国陸軍戦略研究所レポート」は基本的には「正統派」に属するのですが、日米開戦に関しては「修正派」の立場でもあり、その結論はルーズベルトが過重な経済制裁を加えて日本を「戦争か、アメリカへの隷属か」の二者択一へと追い詰めた外交政策に開戦原因の一半があったと見る方向の考え方を大胆に検証したものです。

 最近はフーバー大統領の回想録やビーアドの『ルーズベルトの責任』等により、この方向を模索する動きは勢いを得ていますが、だからといって現民主党政権内のオバマ大統領やケリー国務長官やサキ報道官の頭の中まで変えるにはまだ至っていません。第二次大戦の戦争責任はアメリカにもあった、と認めさせることはいつの日か可能でしょうが、アメリカにこそあった、と認めさせることは恐らく容易ではありません。まして慰安婦問題を持ち出せばこれは人権問題だ、と別件扱いされるでしょうから、戦争責任の問題(「侵略」の概念の問題)に結びつけるのは得策ではないと思います。(という意味は河野談話と村山談話は別テーマだということです。)

 渡辺氏の本の結論にさながら符合するかのごとく、私の最新刊『GHQ焚書図書開封9』(徳間書店)は『アメリカからの「宣戦布告」』という題で、三月三十一日付で刊行されたばかりです。開戦の直接の原因となったアメリカによる経済封鎖の実態、石油、鉄と屑鉄、非鉄金属、機械類などの禁輸、船舶航行禁止、そして最後に資産凍結に至った、日本人が今やすっかり忘れてしまった恐怖の日々の実相を伝えた内容の本です。あのときの世界情勢の中での、アメリカの暴戻と戦争挑発、ぎりぎりまで忍耐しながらも国家の尊厳をそこまで踏みにじられては起つ以外になかったわが国の血を吐く思いを切々と訴えた、貴重な記録となった一冊であります。

 いま読者の注意を促したいのは単にこの本自体のことではなく、渡辺さんの本と私の本との二冊の開戦動機の内容の接近です。私の本は昭和十八(一九四三)年刊行の古書に依拠しています。「米国陸軍戦略研究所レポート」は二〇〇九年に書かれ、渡辺さんの著作自体は二〇一三年刊です。ルーズベルトの過酷な経済封鎖に開戦の原因を見出している点で両者は共通しています。細部はいま措くとして、六十六年という長い歳月を間に挟んで、歴史は敵味方を越えて同じ現実を露呈させつつあるのが興味深いのです。あの過去は政治ではなく、だんだん歴史に、本当の歴史になりだしているのです。

 敗者が体験していたものが真の現実で、永い間勝者がそれを蔽い隠してきました。勝者のプロパガンダが真相に蔽いを掛け、敗者は法令、教育、放送、言論などを通じて、現実にあったことは考えてはならない、言ってはならないこととして、「洗脳」を強いられてきました。オモテがウラを押し隠してきたのです。そのため日米開戦については最初のうちは敗者の挑発であり、犯罪であるとされ、やがて少し時間が経っても敗者の失敗か愚行であったと言われつづけ、いまだにそのようなマインドコントロールが色濃くて、一定の締めつけを続行しているのですが、時間とはこわいもので、勝者もまたウラを覗くようになります。オモテの胡散臭さに耐えられなくなるからです。

 ただしすべての戦争がこのような経過を辿るとは考えていません。ナチスとの戦いでは右のようなことは言えないでしょう。日米戦争は欧州大戦とは異なります。戦勝国アメリカの側に日本に対する戦争目的そのものの曖昧さの自覚があり、第一次大戦後のパリ講話会議より以後に日本を一方的に追い込んだ外交上の無理強いの自己認識があるのだと思います。というのも対独戦争の記録は開戦前からほぼすべて公開されたのに、対日戦争の記録は外交も軍事も含めて未公開のものが多く、どのくらい蔵されているのかも分らないほどです。なにか表に出したくない理由が英米側にあるのだ、と国際政治学者は言っています。後めたさがあるのでしょう。全部公開されたらウラがすべてオモテになり、東京裁判の悪行が白日にさらされることになるのではないでしょうか。

 そういうわけですから日本人は自分の歴史に自信をもってよいのです。私がGHQに没収された古書の文字をこつこつと拾い出しているのは、そこからは愚直な声、真実の響きが聞こえてくるからです。例えば東欧やフランスのナチ協力者は民族への薄汚い裏切り者とされますが、アジア各国の旧日本軍の協力者は各民族の愛国者であり、戦後も民族国家の建設に邁進した人々です。もうそれだけで二つの敗戦国は決定的に違うのです。

 最近のドイツが中国や韓国の口車に乗って反日プロパガンダに興じるのは哀れな自己欺瞞です。ホロコーストは今の自分たちとは関係ない、あれはナチがやったのだと言ってドイツとナチを区別したがる彼らは、他の国の歴史の中に悪の道連れを無意識に欲しているのです。そういう苦しいドイツ人を利用しようとする中国人や韓国人のほうがよほど悪魔的ですが、最近ではユダヤ人の発言に、ホロコーストと慰安婦とを同一視されるのはたまらない、いやだというクレームをつける向きがあるそうです。それはそうでしょう。ナチスドイツはルーマニアやポーランドからの若い女性の強制連行も軍が直接手を出した慰安施設の経営管理もやっていましたが、そのていどのことはホロコーストの惨劇に比べれば影が薄く、戦後だれも問題にしませんでした。常識は物事のバランスや程度をつねに秤りにかけて考えます。いまアメリカ政府が韓国の主張にもならない主張を使って日本の不満を抑えにかかろうとするのは、考えによれば中国人や韓国人よりも悪魔的なことなのかもしれません。

 日本は外交上の戦術を考えるべきです。ワシントンで安倍首相に日本人の名誉のための記者会見を開いて欲しいという渡部提案に私は先に賛成しましたが、このほかにも日本が意図的に打って出すべき主張はあります。戦前から人種平等の精神を謳っていたわが国政府はユダヤ人排斥に政府として反対でした。五相会議で「猶太人対策要綱」を国策として決定しましたが、これを主導し提案した人は板垣征四郎陸軍大臣(A級戦犯)でした。また、ユダヤ人問題ベテランの安江仙弘陸軍大佐や樋口季一郎陸軍少将の行動をドイツ外務省の抗議から守って、ユダヤ人擁護に道をつけたのは東條英機(A級戦犯)や松岡洋右(A級戦犯)でした。くりかえしますが日本は国策としてユダヤ人排斥に反対していたのです。杉原千畝はただそれに従っていただけで、勇気ある個人的善行であったとは必ずしも言えません。杉原の行動はそれはそれで立派ですが、戦後日本の外交当局が東京裁判をひたすら恐れて、史実の全貌を示さず、杉原の個人芸を強調したために、国家としての日本の名誉は失われました。また過去の指導者たちの天に恥じない義に従った行動が曲げられてしまいました。日本政府はユダヤ世界とユダヤ人の多いアメリカ社会に向けて右の史実を明瞭な言葉で公表し、併せて東條英機をヒットラーとするたぐいの中国韓国にはびこる妄論を一掃していただきたい。

無能なオバマはウクライナで躓き、日中韓でも躓く(三)

 安倍首相は三月十四日に参議院予算委員会で河野談話を安倍内閣において見直すことはないと表明しました。さらにこうも述べたといいます。「慰安婦問題については筆舌に尽くしがたい、辛い思いをされた方々のことを思い、心が痛む」。また村山談話についても「歴代内閣の立場を、引き継いでいる」と。今までのご自身の意向をとり下げ、すべての期待をもひっくり返す驚くべき発言といわざるを得ません。海外で献身的に慰安婦像の取り下げ運動をしている愛国者たちに日本政府は合わせる顔がないでしょう。

 同じ方針を菅官房長官は十日に公表していました。アメリカ国務省のサキ報道官は十日の記者会見で、安倍政権が「河野談話を支持する立場」を明らかにしたとの認識を表明し、韓国を念頭に近隣諸国との関係改善に向けた「前向きな一歩だ」と評価したのです。そして「今後とも過去の歴史に起因する問題に取り組むよう日本の指導者に促していく」とも述べたというのです。

 菅官房長官は十一日の記者会見でこれを承けて、河野談話の継承はたびたび述べてきた通りだと重ねて強調し、さらに「決着した過去の問題が韓国政府から再び提起されている状況なので、しっかり(談話の作成過程を)検証する。国会から要請があれば、調査結果の提出に応じる」とも言っています。十二日には検証の結果にかかわらず、談話を見直す考えはないとも補説しました。同日斎木外務次官が韓国を日帰り訪問しました。参議院予算委員会における首相の十四日の正式発言はこれら全部を承けています。

 韓国がアメリカ国内のいたるところに慰安婦像や石碑を次々と乱立させようとしていることは周知の通りです。さらにフランス国際漫画祭での日本侮辱の展示、ハルビン駅頭での安重根の記念館の開設、ユネスコ・世界記憶遺産への性奴隷犯罪資料の登録や記念日制定の推進、など今や国や手段を選ばぬ狂乱ぶりです。中国もこれに歩調を合わせ、世界五十ヵ国の外交機関で、靖国参拝はナチスの墓詣りに等しく、東條英機はヒットラーと同じであるとの国際キャンペーンを展開しました。習近平はドイツ訪問に際し、ホロコースト施設訪問を希望し、そこで日本誹謗演説を企てましたが、さすがこれはドイツ政府から拒まれました。

 中国の歴史非難は、日米間に楔を打ち込む政治意図があり、韓国をそこから切り離し、引き戻そうとするのがアメリカ政府の思惑でしょう。ただ動機があるていど読める中国と異なり、韓国の心理状態はすでに病的です。日本が謝罪し後退すれば対日攻撃はこれに反比例し、笠に着て増大することは経験上明らかです。日本の忍耐は限界に達している近年の異常ぶりは、果たしてオバマ大統領にきちんと伝えられているのでしょうか。サキ報道官の言葉から伺い知る限り、アメリカ政府は困難を理解しようとする気がなく、東アジアの現実をひどく軽く考えているように思えてなりません。そしてただ日本にだけ過重な心理負担を要求するのであれば、今まで協力的だった保守的国民階層のアメリカ離れはさらに急速に進むでしょう。

 日本政府は河野談話を検証はするが見直さない、と言ったわけですが、これはいったいどういう意味でしょう。安倍氏は第一次内閣と同じようにまたまたへたれたということでしょうか。「戦後レジームからの脱却」はどうなったのでしょう。ここが踏ん張り所ではないのですか。

 サキ報道官は日本の決定を「前向きな一歩」と評価しましたが、日本とアメリカは価値観は同じではありません。日本の歴史認識は日本人が決めるのです。サキ氏の物言いは傲慢です。われわれは単に自国愛と自尊心からのみ言っているのではなく、中国と手を組んだ韓国の度重なる対日侮辱は、日米韓の防衛協力を不可能にするようなていのものです。敵性国家はどこかを新たに露呈させました。日韓両政府の非公式協議で日本側の一人が、半島有事が起きたとき日米安保の事前協議において、日本は米軍が日本国内の基地を使うことを認めないこともあり得ると発言したとき、韓国側は凍りつき、言葉を失ったといいます(産経新聞三月十八日)。日米同盟の対策を根本から練り直さなければならないような現実の変化が起こっているのです。北朝鮮有事に際し、韓国は中国側に寝返る可能性が高いのです。ロシアの不安な心が事前に読めなかったオバマ大統領は、日本の不安な心もまったく分らないのかもしれません。

 日本の側も黙っていては何も動きません。渡部昇一氏がいい提言をしています。安倍首相自身がワシントンに行って会見を開く。事前に慰安婦に関する想定問答集をつくって研究し、効果的な応答の仕方を準備し、世界中のテレビや新聞の質問に答える。渡部氏は言います。「安倍さんが断固として発言する。そうしなければ日本の名誉は永久に回復されないでしょう」(渡部昇一・馬渕睦夫『日本の敵』飛鳥新社)

 私も賛成です。安倍さんならできる。首相の弁論能力を高く評価しています。問題は腹を括って決断できるか否かの一点です。

 慰安婦問題と尖閣の防衛問題がいま同時に現われたのは偶然ではなく、韓国と中国を用いてアメリカがあらためて敗戦国日本を抑えたがっている点に問題の本質があるのです。

つづく