『GHQ焚書図書開封』は第1巻から第6巻まで徳間書店より刊行されています(各巻¥1700)。8月に第7巻が出ます。副題は「中国人の本質」です。
Bruxellesさんのコメント
拙著『天皇と原爆』について幾つもの書評を掲げてきたが、何回目かに気になる内容の投稿コメントがあった。Bruxellesさんからの二通である。
最初は『正論』の冨岡幸一郎さんの書評(2012.6.5)に対するコメントで次のように書かれている。
お邪魔します。
書評10番目にようやく触れられた、天皇とその責任論。平和主義者、軍閥の被害者論をいつまでも続けていては、歴史を否定するばかりで、いつまでたっても「国体」によって宗教戦争を戦い抜いた民族の偉大な叙事詩としてさえ、あの時代を称揚することができない。
巻末に付された帝国政府声明文の効力も霧散せざるを得ない。軍人集団をより好戦的・凶暴にするためのハッシッシに成り下がってしまう。
今後の展開のために用意された、相乗作用のある二つの伏線だと思う。西尾先生の頭の中には、伏線を活用するべき壮大な展開がすでに出来上がっている筈だ。
コメント by Bruxelles
巻末に付された帝國政府声明(昭和16.12.8)は大抵の記録集に載っていない。天皇の開戦詔勅は載っているが、政府声明の方はなぜか出てこない。拙著の巻末に入れておいたのはそのせいである。本の中の対応するページは100ページである。
それにしてもBruxellesさんの期待は大きくて、重いので、ウーン、何を考えておられるのかなと首をひねっていた。すると間もなく二度目のコメントが出た。今度は武田修志さんの私あての書簡(2012.6.15)のある引用に対するコメントで、次のように記されている。
お邪魔させていただきます。
その前の部分の引用に対しー目の覚めるような真実の言葉です。ーと書かれていますが、全く同感です。
実は私もこの本をblogで紹介する際、その部分を引用させていただき以下のような感想を加えました。
「これは論壇におけるアポロ11号の月面着陸に匹敵するほど画期的な論説で、定着するには時間がかかるかもしれませんが、東京裁判史観の拘束からの解放、自虐史観の粉砕、OSSの罠からの脱出、そのすべてに向けての67年目の漸くの大きな第一歩となると思います。」
ただ武田修志氏は「誰か翻訳してくれないでしょうか。」と書かれていますが、アメリカ人どころか、日本人の多くもこの本の斬新な視点による展開に関して、ほとんど理解できていないのではないかと、不安を感じます。
固定概念に対する変化を要求するからこそ、斬新なのであり、その分、抵抗も強く予測でき、理解されるにも時間がかかる、さまざまな反応を見てそう思います。すいすいすいと誰にでも理解される内容ならば、今まで待つことも無かったし、ほかの誰かもとっくに書いていたでしょう。誤読される不安も大きく、書くには結構勇気と決意のいる内容だったと私は思います。
コメント by Bruxelles
「アポロ11号の月面着陸に匹敵するほど感動的な論説」といわれると何とも面はやく、恥しいが、昨日今日考えたことではなく、私は若い頃からこんなことをしきりに考え、書いてきたように思う。
誤解のないように言っておくが、「戦争責任」なんてものは国際的には存在しないし、ナンセンスである。だから天皇は国際社会に対してはいかなる戦争責任も負っていないのは自明である。存在しないものには負いようがないからである。
けれども、国内的にはいつまでも、いつまでもこの語が日本国民につきまとって、天皇にまでまとわりついて、いかんともしがたい。左翼にだけでなく保守までがとらわれている。Bruxellesさんも対外的と国内的とをはっきり区別して論じておられるのは賢明である。
それはそうとして、Bruxellesさんの名をクリックするとTEL QUEL JAPON という有名なブログが画面に出てくる。このブログは日本の敗北的平和主義と戦後の歴史観をわれわれが克服するうえでこの上ない貴重な資料とデータと画像と論証と記録文献を次々と提供し、的確な論説を積み重ねてきている他に例のない稀有にして貴重なネット言論である。私は折にふれ参考にし、有難く思っている。
その方がコメントを寄せて下さり、ほとんどの日本人が私の提起した問題の切り口を理解できていないのではないかと不安を感じる、「抵抗も強く予想でき、理解されるにも時間がかかる」と思う、と言っておられることは少し私の胸にひびいた。成程そうかと思う。多分そうだろうとも思う。私のあの本もある程度は注目されたが、予想外に売れていない。
私は考えを変えるつもりはなく、益々ここでのテーマを深く追究していきたいと思うが、説得の仕方を少し変えなければいけないのかなあ、などとあれこれ思案している昨今である。
ありがとうアメリカ、さようならアメリカ (五)
Voice6月号より 戦争へ向かう東アジア
同盟国を「最国家」へと向かわせる日
ロシアのプーチン大統領が最近、核武装をしていない国は主権国家と認めない、という思い切った発言をしたが、不気味だが、真実の一面を言い当てて余りがある。北朝鮮はいったい何を目指して来たのか。日本ははたしてあの国を笑えるのか。4月13日のミサイル発射騒ぎの一件は日本の運命をいわば裏側から暗示し、喜劇を演じているのはそもそもどこの国かを通説に風刺した一光景であったといってよいであろう。
明日アメリカが覇権の座を降りるわけでも、ドルが基軸通貨でなくなるわけでもないとしても、明日でなければ明後日、明後日でなければ次の日へと、現実の変化は少しづつじりじりと動いている。アメリカが中国をリベラルな民主制度に作り替えるだけの力がないことははっきりしている。韓国、台湾、トルコ、サウジアラビア等へのアメリカによる安全の約束に関してすでに信頼性に疑いが生じており、それらの同盟国を庇護するのではなく「再国家」へと向かわせる必要をアメリカ自身が認める日は近づいている。アメリカはNATOから抜けて、ヨーロッパから軍事力を撤退させ、EUを独立したパワーとして、その周辺の権益を自分たちで守れるように責任を委嘱する決断の日もそう遠くはないだろう。
アメリカが日米安保条約を破棄し、独立した大国としての日本に進んで報復核抑止力を与え、海上輸送ルートや海上領土主権を守るための軍事力の充実に強力することが、アメリカの国益であるということに否応なく気づく時期は遅かれ早かれやってくる。われわれはそれをただ無為に待つのではなく、それには相応の準備、一年や二年ではできない心の用意と法制度の改変と整備が至急求められることは、改めて言うまでもない。
超大国としてのアメリカが冷戦中、日本経済の再生のために尽くしてくれた功績は大きく、ヨーロッパも同様の感謝の念を抱いていよう。19世紀末以来つづいた一極集中の覇権構造は多くの災禍と破壊をもたらしたが、稔りある創造と繁栄をも招来した。それが終わりつつあることが世界にとっての新しい季節の到来であることを知り、転換に恙(つつが)なく、遅滞なく遂行されることを期待してやまない。
了
ありがとうアメリカ、さようならアメリカ (四)
Voice6月号より 戦争へ向かう東アジア
日本と中国が支えた「アメリカ国債本位性」
これからまだ10年か15年くらいはアメリカに代わるスーパーパワーはすぐには出てこないだろう。今まで何かとアメリカの力に庇護され、利益を得て来た国々は――日本もその一つであるが――容易に頭を切り換えることはできないかもしれない。しかし、そう遠からずして徐々に世界は必然的に多極化し、平和を維持する方法は再び十九世紀ヨーロッパのように同盟と同盟が競合するかたちになるのか、あるいはまったく別の形式が模索されるのか、今のところ予想がつかない。
ただ一つはっきり言えることは、晩かれ早かれ超大国であることを止めるであろうアメリカから日本はゆるやかな形で離れ、独立する準備をすることがいかに必要かということである。そしてそのことがまだ分からないのは親米保守と護憲左翼が手を組んでいる大手マスコミの、ものを考えない言論体制である。日本はアジア・アフリカ諸国の中で唯一欧米の植民地にならなかった例外国と称され、自らもそう任じてきたはずだが、事実はまったく逆であった。アジア・アフリカ諸国がすべて解放され、地上から植民地がなくなった時代が来たというのに、日本一国のみが政治的・外交的・軍事的・経済的にアメリカ一国に植民地のごとく服属している異様さは疑うことができない現実である。それはドイツと日本が冷戦の中段階で、NPT(核不拡散条約)が生まれた1970年代に、核を持たない国として特定され、封じ込められ、いわば「再占領」状態に陥ったことに由来しているといっていいだろう。
中国が核実験に成功したのは1964年である。インドは1974年であった。イスラエル、パキスタン、北朝鮮と中小国にまで核保有国が広がるにつれ、大国独占が狙いのNPT体制は事実上、存在理由を失ったが、それでもアメリカはドイツと日本を保有国の仲間に誘いこもうとはしない。第二次大戦の勝敗が世界を呪縛する重い縛りは、戦後の平和が長くつづいたことも原因しているように思える。戦争と平和をめぐる世界中の人々の問題意識が戦後も早いある時期から以後、ピタッと動かなくなってしまったのである。それをいいことにアメリカは経済力を急速に落としているのに、覇権国の地位を脅かされないでいる。それも核の威力である。
ドイツは今のところ直接の脅威を受けていないから比較的安全である。惨めなのはわが日本である。北朝鮮のミサイル騒ぎをバカバカしい子供の火遊びであるとアメリカや中国やロシアならば笑いとばすことができるが、日本はそれさえもできない。笑いたくてもその資格がないのだ。
アメリカが覇権国でありつづけるのは軍事力だけではなく、基軸通貨発行権を保持している特権のゆえでもある。今までのところ米ドルに抵抗し、取って替わる勢いを一時的にでも示したのはユーロだけであった。2008年の金融ショックでドルの権威が揺らいだとき、ユーロ、円、ルーブル、ポンド、人民元、あるいはそれらを混合したバスケット方式が取り沙汰されたが、結局今までのところ他に代替はなく、基軸通貨が再びドルに戻ったのは、アメリカによって戦争をも辞さない並々ならぬ決意が示されたせいでもある。
ギリシアを初めとする南欧諸国の財政危機でユーロがいま解体の不安にさらされている。EUには結局、一国家としての主権がなく、政治権力の所在が不明である。貨幣の信用を支えるのは権力である。権力は軍事力と切り離せない。NATOを握っているアメリカはヨーロッパ諸国が市場統合と通貨統合を果たすところまでは認めても、EUが国家になることを認めようとはしない。EUが揺らいでいるのは必ずしも経済が原因ではない。
主権が相互にせめぎ合って乱立しているヨーロッパが容易に政治統合を達成されないことは、ユーロ不参加国イギリスが身をもって示しているように、EUのそもそもの最初からの運命であった。オランダのジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレンが言っていたが、EUは官僚国家で、その官僚が国家意識を持たない烏合の衆である点で日本という国家に似ている、と。これは日本に対する痛烈な皮肉でもあるのである。
基軸通貨ドルはさしあたり安泰なように見えるが、アメリカの実体経済が示すところは、先行き不安を告げている。そもそもアメリカ国内にドルへの不信が渦巻いている。金本位制に再び戻るのではないかという噂もあるほどである。そのせいかアメリカは着実に金の保有量を高め、2011年末において8133トンで、二位のドイツの3401トンをはるかに凌駕している。日本はわずか765トンで、やっと八位であり、世界最大の債権国の名が泣く不用意といっていいであろう。しかしアメリカがいくら金の保有量を高めても、世界中に乱発ドルが溢れ返っていて、新ドル紙幣に切り換え旧ドル紙幣の無効宣言でもしない限り――そういうことをすれば戦争になる――再び金本位制に戻るなどということが簡単に現実の話になるとは思えない。
アメリカは金本位制を捨てた以後、いったい何を本位にしてドルの支えとしてきたかというと、煎じつめると「アメリカ国債本位制」に切り換えたといってよく、これは言ってみれば一種のペテン経済にほかならない。周知の通り、アメリカ国債は日本と中国がしこたま買い込んでアメリカ経済を支えている。中国はいつでもこれを売ることができるが、日本は売ることができない仕組みになっていて、アメリカの浮沈といわば運命を共にしている。
つづく
ありがとうアメリカ、さようならアメリカ (三)
Voice6月号より 戦争へ向かう東アジアシリーズより
EUより御しやすく、簡単に脅しがきく日本
以上の事実から、アメリカの一極構造の優位性への意志は第二次大戦よりはるか前から、一説には1890年代に始まり、戦後の米ソ冷戦期間中にはソ連という競争相手がいたためにはっきりそれが見えなかっただけで、隠されていたのが今かえって見えだしているといえる。
そう考えると、東アジアにおけるアメリカの支配意志の一貫性はむしろ戦前から明確だったことに思い至る。19世紀前半のメキシコ戦争など西へ進むこの国の本能的拡大志向については周知の歴史なのでここでは触れない。1898年の米西戦争の勝利でスペインからフィリピン諸島を奪って、太平洋はアメリカの海になった。日米戦争に至るすべての歴史はここから始まるので、日本人が自国の戦争の歴史を過度に反省的自虐的に解釈するのはまことに愚かである。アメリカは中国大陸を目指し、途中の邪魔な抵抗をことごとく抹殺しようとした。戦争を誘発したのはアメリカであって、日本ではない。が、いま戦争の歴史はここでの主題ではないのでこれ以上は論及しない。
ソ連という悪役がいたために冷戦中アメリカの世界制覇の意志が日本人の目に隠されて、見えにくかったのはヨーロッパ人の場合とほぼ同様であるが、違うのはソ連が消えても、東アジアでは中国との冷戦がつづいていることである。冷戦後アメリカがドイツの復活を恐れ、抑えにかかっているのと同じように、東アジアでは日本を国際政治における「潜在的な敵性国家」(1990年、パパ・ブッシュ政権下の国家安全保障会議)と定義し、一貫して軍事的な自己決定権を持てない国に仕立てて、日米同盟を維持する目的をそこ見て、日本がアメリカに依存しつづける仕組みを作り上げてきたのはある意味でEUとの関係にも似ているが、EUより日本は御し易く、簡単に脅しがきく状況にあるのは、反日国家軍に取り巻かれた孤立した単一国だからである。
ドイツは近隣諸国とスクラムを組んでアメリカに当たってきたが、東アジアはいまだにある意味で冷戦構造下にある。日本がアメリカへの依存を必要とする程度は、他のいかなる国にもみられないほどの悲劇的レベルであったし、今もなおあるので、日本国民は容易に自立自存の精神に立つことができない。それでも、アメリカがソ連や中国との対決姿勢を明確にしているときには日本は安定し、経済ナショナリズムを確立することができたが、そうでない場合には赤子の手が捻られるようにアメリカに翻弄される政治的外交的条件下にある。
アメリカが悪魔的であるのは、表向き日米同盟を親和的関係のごとくリップサービスしながら、現実には冷戦の対象国と深く利害を共にする握手を交わしていることである。2003年に共産中国に江沢民政権、アメリカにクリントン政権が誕生した。クリントンは1200人の大型ミッションを引き連れて、北京に九日間も滞在し、ビッグビジネスを展開した。あれ以来、米中経済同盟が日米軍事同盟を空文化させた。衰弱するアメリカ経済が中国に首根を抑えられるような形に徐々に近づいているのは哀れむべき光景であるが、日本人はいま自らの政治的自立のために、この光景をしかと目を見開いて見つめなければならない。
アメリカがこの十数年に日本にした仕打ちは、冷戦時代に日本を庇護し、米国市場を日本商品に開放した寛大さへの恩義をあっという間に忘れさせるほどひどいものであった。アメリカによる円高と人民元の安値固定化は、いくらアメリカ企業の必要に発していたとはいえ、まことにアンフェアな政策で、日本と中国の力関係をがらっと変えてしまった。そのことがアメリカの国益にも反するのではないかという疑いは今もつづく。中国と韓国の輸出気産業はだいたいが欧米系資本である。だからアメリカは自国の利益に目の色を変えて動いたのだと思うが、円高是正のための日本の為替介入にはいちいちクレームをつけ、中国や韓国の通過には寛大だった。日本は家電も車も円高でみるみる競争力を失った。
ひところオバマ大統領は、G2と称して米中二カ国でアジアを支配しようなどと唱えた。中国は甘言に乗らなかった。オバマはその後ほどなく中国の脅威を再び言い出した。しかし習近平訪米に際し、型通り「人権」を俎上に載せたものの「人権」一般であって、チベットもウイグルも固有名詞はいっさい口にしなかった。
オバマに限らず、冷戦後のアメリカの外交政策と軍事政策には、偽善性が著しく認められ、ダブル・スタンダードが目立ち、世界中至る処で大幅に信頼性を失っている。たとえ型通りであってもその昔アメリカの大統領は自由と民主主義を堂々と主張し、そこに独裁や共産主義の不正を排そうとする強い情熱が感じられたものだ。
大戦と冷戦の両方が終わった今、一極構造の硬直した覇権意志を示しつづけた国はナチスでもソ連でもなくアメリカであったことが判明した。その明るさと公開性の裏に隠された一方的な独善性は、次第に世界を疲れさせ、飽きさせてきた。アメリカのある面での善さや強さや正しさはこれからいくらも回顧に値しようが、「世界政府」を自認した瞬間にあらゆる国は壁にぶつかるのである。
つづく
ありがとうアメリカ、さようならアメリカ (二)
Voice6月号 戦争へ向かう東アジアシリーズより
第二次世界大戦以前からの一貫した世界統治意志
先の大戦の終結から67年、米ソ冷戦の終結から23年たった今、少しづつ次第にはっきり分かってきたことがある。
アメリカ軍が西ヨーロッパ、ペルシア湾岸地域、東アジアに駐留していた理由はソ連に対する脅威のせいだとわれわれは思い込まされてきたが、冷戦が終わってもアメリカはいっこうに撤兵しない。世界中の基地を維持しつづけている。日本などは本土の基地はほとんど兵力が空っぽなのに返還に応じようとしない。
西ヨーロッパではソ連が崩壊してもNATO(北大西洋条約機構)は崩壊せず、東欧や中欧に民主制度と自由市場を拡大させるという表向きの理由で軍事コミットメントは継続された。西ヨーロッパの側に当初、これを歓迎する空気もあった。アメリカの真意は統一ドイツの出現によって、ヨーロッパに再び各国が力を張り合うバランス・オブ・パワーの不安定な外交政治が出現するのを恐れるという、平和維持の超大国としての役割意識もあったと考えられるが、実際には統一ドイツをNATOにつなぎ止めることによって、その独自の強力外交や核武装を阻止しようという思惑が本当の目的だった。加えてドイツがロシアに必要以上に接近するのを阻み、ロシアが再び大国になるのを抑えるという狙いもあった。
こうなると、第二次世界大戦の以前からあったアメリカの一貫した一極集中の覇権意志の鎧が、衣の裾からチラチラと見えてしまうのである。第一次大戦後のパリの講和会議にバランス・オブ・パワーの伝統的なヨーロッパ外交を否定して、「世界政府的」な理想主義めかしたウィルソン米大統領の政治意志が表明されたことがあるが、あれも今思えば覇権思想の表明だった。そしてチャーチルと洋上会議をして決めた大戦直前のルーズベルト米大統領の「大西洋憲章」は紛れもなく今から見ればアメリカによるヨーロッパ支配の宣言書のようなものだった。
こうしてみるとソ連が崩壊した後のヨーロッパ政治へのアメリカの介入は、第二次世界大戦より以前からひょっとするとそれ以前から、この国に強固な世界統治意志があった証拠だ、と見えてきてしまう一面がどうしてもある。冷戦後の1990年代にアメリカの出方は一段と露骨になった。バルト三国、ウクライナ、コーカサス地方、中欧など伝統的にロシアの勢力圏であった地域にまでNATOの戦略的関心は及ぶという言い方で、西ヨーロッパを政治的にリードした。いいかえればNATOはアメリカがヨーロッパにおいて自らの覇権意志を永続させるための道具にほかならなかった。
その後、ヨーロッパは軍事的にはともかく、経済的にはアメリカに距離を置こうとし始めた。1971年に金兌換制度と手を切ったドルの無方針な乱発とたれ流しの将来を恐れて、経済統合による自存独立の方向へ舵を切った。EUによる市場統合と通貨統合が達成され、政治統合に進みそうになって挫折したのは、ヨーロッパ内部の主権国家同士の調整がどうしてもつかないという理由ももちろん大きいが、アメリカがEU独自の軍事力の成立を認めないという一貫した政治干渉が行われたことが何といっても一番大きい。アメリカは自分にカウンター・バランスする能力を持つ国ないし地域の出現を許さないのだ。EUはどこまでも経済統合であって、国家にはさせないよ、それがアメリカの方針であった。
ドイツがEUの成立に熱心で、不利益を蒙っても忍耐づよいのは、ナチの歴史を抱えたこの国は己れの国家意志を打ち出すにはヨーロッパ全体の名において行なうしか方法はないが、いつの日にかゲルマンはこの方法でアングロサクソンに打ち勝つという粘り強い長期戦略に支えられているのだと私自身は見ていたが、アメリカがそんなことを見抜いていないはずはない。
ヨーロッパの伝統的な外交政策とアメリカの強引な一極大国の論理が正面衝突した最近の目立つ事件といえば、イラク戦争の開戦直前の激しいやり取りと論争だった。ヨーロッパはここでも折れて、見切り発車で開戦となったが、ドルの凋落とユーロの優勢が目立ったあの時点で、イラクが石油売却をユーロで行ない、以来、基軸通貨としてのドルの信認が世界的に危うくなりだしたことがイラク戦争の主たる原因だった。中東へのアメリカの石油依存度はわずか10パーセント程度で、イラク攻撃は石油利権が目的ではなく、ユーロからドルを守ること、基軸通貨国の地位をアメリカが死守することこそが戦争の目的だった。そして、ドル=ユーロ戦争はその後もずっとつづいていて、2011年のギリシアに端を発するユーロ危機に対し、ドルはポンドと組んで、ある程度距離をもつ冷淡な対応をしていることからも、米英による独仏封じ込めの、新しい目に見えない経略が動き出していることが暗示されている。
つづく
ありがとうアメリカ、さようならアメリカ (一)
Voice6月号より 戦争へ向かう東アジアシリーズより
日本に核抑止力を与え、領土主権を守るための軍事力充実に米国が協力する日が近づいている!
日本をいつまでも「軍事的準禁治産者扱い」
生き残りを賭けた北朝鮮の言い分は昔も今も一貫して筋が通っている。大国はみな弾道ミサイルを開発して来た。日本も人工衛星を射(う)ち上げている。わが国だけが禁止される理由はない。国連の安保理決議は茶番である。北朝鮮がそう言い立てているのはまことに尤もであり、どの国も返す言葉がないはずだ。国民が飢えているのにミサイルに巨額を使うなんて?というのは外国人の言い分で、北朝鮮にすれば余計なお世話だ、国が生き残るのが最優先だ、ということになろう。そしてそう言わせてきたのはアメリカである。さればこそ、ミサイルは北米大陸に届くのが目的であることを北朝鮮は隠そうともしていない。日本と韓国を最初から眼中に置いていない。」
北朝鮮は今までにいろいろ試して来た。核実験はもとより、日本列島を越えるミサイルを飛ばして見せたり、繋留中の韓国船を魚雷で破壊したり、国境を越えて韓国領内へ白昼堂々と実弾を打ち込んでみせたり、いろいろしたが、アメリカは動かない。否、日本にも韓国にも手出しをさせない。核が成功しかけても何もさせない。かつてイスラエルが建造中のイラクの核基地を空爆で破壊したとき、アメリカは黙認した。今イランの核基地に同じことが起こりかねないが、万一起こったとしてもアメリカはイスラエルを窮地に追い込まないだろう。
アメリカにとってイスラエルは大切だが、日本や韓国は覇権国アメリカの大戦略の図面に合わせて行動させる将棋の駒にすぎず、ぎりぎりまで自由にさせないつもりだ。北朝鮮の核弾道ミサイルが北米大陸に届くと分かったら、つまり王手を掛けたら、さしもの自己本位のアメリカも具体的に動き出さざるを得なくなるだろう。しかしそうなった頃には、日米韓の将棋盤上の陣形は崩れ、手に負えなくなっているだろう。
アメリカはヨーロッパも中東もパキスタンもアフガニスタンも東アジアもすべてを牛耳りコントロールしようとしてきたが、その力を次第に失いつつある。日本と韓国はある日突然、放り出される可能性がある。海兵隊のグアムとオーストラリアへの移動は早くも勢力撤収の徴候といえる。岡目八目を決め込んで、へぼ将棋をニタニタ笑って見ているのが中国とロシアである。してやったりであろう。なんと中国は北朝鮮に戦闘爆撃機など大規模な兵器輸出を企画中と伝えられる。日本はどうしてこんなに割の合わない、身動きできない、切ない窮地に立たされてしまったのだろうか。
四月十三日朝、日本政府がミサイル発射の確認に手間取って発表が遅れ、またしても危機対応のお粗末ぶりを国民は見せつけられ、寒気がする思いだったが、それよりもなによりも、イージス艦を並べてPAC3を配置して、二段構えでミサイルを撃ち落す、という防衛省の作戦が公開されたとき、私は正気が、とそのばかばかしさに呆気に取られた。真上から落下するミサイルは迎撃しようがない、とある専門家が言っていたが、問題はそのことだけではない。今回の件は、四月十二日から十五日までと時間が限定され、海域と空域まで指定された「落下物御注意案内」の対応にすぎなかったのだ。本当の戦争になったらどうするつもりか、防衛省にお尋ねしたい。イージス艦を俊二に百艘そろえ、PAC3を列島に1㎞ごとに配列しても間に合わないだろう。
落下するミサイルに対する迎撃ミサイルでの防衛は不可能である。打ち上げ前の核ミサイルを基地ごと上空からミサイルが空爆で破壊する以外に技術的に確実な防衛方法は存在しないのだ。そんなことは軍事専門家はみんな知っているし、アメリカ軍当局も知っている。イージス艦とPAC3による防衛網は日本国民を政治的に安心させ、慰撫し、時間稼ぎをしているアメリカの「戦争ごっこ」である。(韓国は分かっているから、かねて隠して用意していた北朝鮮向けのミサイルをその後あえて公開した)
平穏無事のためと称し日本にこんな屈辱的な足踏みを余儀なくさせ、中露両国の思う壺に日本がみすみす填(は)まるのを放置するのはアメリカの国益にも必ずしも合致しないはずなのに、アメリカはいつまで経っても対日方針を改めない。もう自らの抑止力にもさして自信がないくせに、同盟の名において日本をいつまでも何もさせない弱国扱い、軍事的準禁治産者扱いをつづけている。
こうなったのには恐らく世に知られている原則以外の別の大原則があるからに違いない。「日米関係は日本外交の基軸」と言い古されてきた大前提にメスを入れる必要が日ごとに増大していると思われる昨今である。
つづく
第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」 要旨(六)
このシリーズは第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」での録音を起こし、要旨を文章化したものです。
真贋ということ ー 小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって ー
文章化担当:中村敏幸(つくる会・坦々塾会員)
平成二十四年五月二十六日 於 星陵会館
三島由紀夫は、東大教授の三好行雄さんとの対談で「今、われわれは、来週の水曜日に帝国ホテルで会いましょうという約束をするでしょう。戦争中は、来週の水曜日に帝国ホテルで会いましょうといったって、会えるか会えないか、空襲でもあればそれまでなんで、その日になってみなきゃ、わからない。それが、つまりぼくの文学の原質なのですけれども、今は、来週の水曜日、帝国ホテルで会えること、ほぼ確実ですね。そして文学は、僕の中では依然として、来週の水曜日、帝国ホテルで会えるかどうかわからないという一点に、基準がある。それがぼくの、小説を書く根本原理です」と言っている。
現代に於いても、「文学の世界では会えないような状況を追及する。世界をつくる」ということが、彼が小説を書く根本原理だと言っています。
終戦直前の東大の学生寮を舞台にした「若人よ甦れ」という作品があります。一人の女学生の恋愛物語であり、明日のない世界であるが、明日はどうなるか分からないような状態であっても恋愛はあった。しかし、戦争が終わると恋愛は消えて無くなってしまったと書いている。
行動と認識の一致と言いますが、先程、私は行動と認識は一致しないんだと言いました。
意識が自由であるということは俗物であるということ、つまり、ニセ物だということです。皆ニセ物で生きているということです。
三島を本当に理解した人、三島が最後に許した人は一緒に死んだ森田必勝たった一人であった。一番否定されたのは村松剛であった。一番理解しているような顔をしていて、アナウンサーのような解説をやっていて、三島に拒否された。一番近い人が一番激しく否定された。彼には三島さんに何が起こったのか解らなかった。ニーチェも、彼が最後に許したのは、一緒に付いてきたあわれな音楽家ペーター・ガストたった一人であった。母親も妹も許さなかった。
ラディカリストというのはそういう恐ろしいもので、三島もニーチェも恐ろしい世界なんです。結局、三島文学というものは最終的に其処へいってしまった。
三島さんに、「わが友ヒットラー」という作品があります。「サド侯爵夫人」の方のサドは舞台に立たたないで、主人公は舞台に立たないで間接話法で表現されているが、「わが友ヒットラー」では、ヒットラーという悪魔が、舞台に堂々と登場し、薄気味悪いほど切迫した説得力がある。私はこの舞台を見ていないので上演したときの効果は分からないが、この作品化が表現した主題は、ドイツでは全く扱われなかった視点である。それは不可能であった。この作品が、凄絶にリアルな印象を与えるのは、三島自らヒットラーの狂気に取りつかれ、自ら狂気と化して書いているからです。自己の文学であり、認識と行動の一致であった。三島自身の政治参加と密接な関係があった。狂気を客体化することではなくて、自ら狂気と化することによって、狂気をぎりぎりのところで意識化しまし。そういう意味で盾の会は彼の文学のために必要であったのです。
ホッホフートやペーター・ヴァイスなどのドイツの作家の試みたナチス批判は、たとえ、ノーベル賞をもらった人でも単なる批判であって文学になっていない。ヒットラ―を初めから狂人扱いして書いて居り、自分の心の中の狂気は全く書けていない。だから作品が事実に負けて文学になっていない。
さて、小林さんと三島さんの違いはお分かり頂けたと思いますが。最後に、小林さんと福田さん、三島さんの違いを申し上げたいと思います。それは、西洋というものに対する意識の違いです。
ただ、日本精神の復活と言っても、日本的であろうとすればそれで良いと言う訳ではない。我々の日常生活は、生活文化は西洋化されてしまっています。
三島さんは、福田さんも同じですか、西洋化を突き抜けて行かなければならない、徹底的に西洋化しなければならないと考えていた。
小林さんは徹底的に対立するとは言わなかった。もう純粋な日本は失われているという危機感が強かった。
作家は西洋化された長編小説を書かなけれはならないという恐怖観念が三島さんにはあったし、同様に福田さんにもあった。西洋化された、西洋のままに新劇を作らなければならないと考えた。日本の市民社会の中に演劇を見に行く層をつくろうとして「劇団雲」をつくった。しかし、そんなことは、一人の知識人の力で出来る訳がない。せつない、むなしい努力であった。
西洋化を捨てて日本文化に向かうということではなく、柳田国男にしても、鈴大大拙にしてもそう言っているが、そうではなく、三島さんは純粋日本は敗北している、その宿命を見据えようと言っている。純粋日本は観念にすぎないと言っている。
そうであるならば、西洋化を捨てて日本文化に向かうのではなく、西洋化を突き抜けて行かねばならない。徹底的に西洋を学んで西洋を乗り越えていかねば日本回復の道はないという逆説が生まれる。これは福田恆存も同じであった。それが、三島さんにとっては「豊穣の海」であり、福田さんにとっては「劇団雲」ということになる。
同時に、三島さんは、「英霊の声」で昭和天皇を否定する。戦後、これ程ラディカルに天皇制を否定した人は他にいません。旧敵国に庇護された戦後日本の平和体制と現行の天皇制度が妥協している点が、三島さんは許せなかった。しかし、これは生き延びるためにはしかたがなかった。我々は戦後の運命を知っているためにそう思います。ですから、三島さんの要求は現実離れしているし、悲劇的にならざるを得なかった。
しかし、同じ思いは私も持っています。恐らく、皆さんも持っておられることでしょう。最近の皇室の様子を見ていると、やっぱりおかしいのではないか、やっぱりバイニング婦人は無かったのではないか。やっぱり、やっぱり、という思いは益々強くなるように思います。
了
文章化担当: つくる会・坦々塾会員 中村敏幸
第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」 要旨(五)
このシリーズは第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」での録音を起こし、要旨を文章化したものです。
真贋ということ ー 小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって ー
文章化担当:中村敏幸(つくる会・坦々塾会員)
平成二十四年五月二十六日 於 星陵会館
小林秀雄は歴史意識を問題にしたが、ついに、自ら歴史を叙述することはしなかった。出来なかった。俺はものをつくれないと言った。宣長教団をつくって、どうやったら、今の現代に宣長の復権を果たすことが出来るかとの行動をしなかった。それにもかかわらず、小林さんは「歴史は観照ではなく行為だ、歴史は自己認識である」と言った。その行為が、例えば骨董にのめり込むようなことになっていった。
小林さんには古代への思慕があった。そして、現代人としての深刻な危機意識があった。その相克の中に立ち尽くすしかないという決心、自分の限界に対しても謙虚であった。自分も古代人と同じように生きて見せたいと思った。
私は小林さんにブルックハルトの姿を見ます。ブルックハルトという歴史家は凄い人でした。ブルックハルトと対立するのはニーチェです。ブルックハルトとニーチェは二十五歳の年の差があったが、バーゼル大学で互いに尊敬しあい、年上のブルックハルトは類まれなニーチェの才能を認めていたが、危ういなあと思っていました。ニーチェの過激思想にはついて行けなかった。
歴史を真剣に理解するだけでなく、自分の行為の中に体現するということをブルックハルトは知りません。出来ませんでした。何故なら、これは歴史に対して冷静でなくなり、どうしても、宗教家になっていくからです。
ニーチェは若い頃、大変危険な縁に立ちました。若い頃のニーチェは、単なる研究や学問だけでは満足出来ず、古代ギリシャのソクラテスのようなあの賢人達によるアカデミィを、親友ローデなどの若い友人たちをさそって十九世紀のドイツに甦らせようとしました。これは間違いなく一種のカルト教団です。しかし、その頃、普仏戦争が始まり挫折しました。ある意味それでニーチェは救われたかもしれません。彼は、この時危険な縁に立っていましたが、しかし、夢は捨てていなかった。次に彼はコジマを取り込み、ワーグナーを担いでカルトを作ろうとしました。しかし、ワーグナーは取り合いませんでした。
そして、「本当に知ることは、行う事である」と言いながら、そこで、止まってしまった小林さんと、そうではなく、行動した三島さんの違いがここにあります。
つまり、ブルックハルトとニーチェ、そして、小林秀雄と三島由紀夫、これはある意味で見事な対比になるかもしれません。
小林さんの歴史はブルックハルトと同類で、小林さんは「歴史は観照ではない」と言いながら、観照にとどまっているところがあった。それに対して、観賞を打ち破って、行動に出る。危険極まりない、文学者が宗教家になるということ、それがどういうことかということが三島さんの問題ではないかと思います。
つづく
文章化担当:中村敏幸
第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」 要旨(四)
このシリーズは第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」での録音を起こし、要旨を文章化したものです。
真贋ということ ー 小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって ー
文章化担当:中村敏幸(つくる会・坦々塾会員)
平成二十四年五月二十六日 於 星陵会館
三島さんは真贋ということを、福田さんのように余り意識して、言わなかった。しかし、自己が行為と一緒でなければならないという意識を持っていた。福田さんと同じよう日本対西洋という意識を強く持っていた。その点、小林さんとは違っていた。しかし、小林さんの影響を非常に強く受けていたと私は思います。
小林さんは、初めて「認識は行為である、歴史は観照ではない」と言った。大正文化主義の、例えば、和辻哲郎くらいまでは、認識は知識であり、歴史は教養であった。露伴まではそうです。
小林秀雄はそのアンチテーゼでしたから、「私の人生観」の中で、「歴史は客観視ではない。自己である、本当に知ることは、行うことである」と言った。これは、お釈迦様が弟子に向かって、「お前は毒矢に当ってゐるのに、医者に毒矢の本質について解答を求める負傷者のようなものだ、自分は毒矢を抜く事を教へるだけである」と言ったことを引き合いに出して、「空の形而上学は不可能でだが、空の体験といふものは可能である」と述べた次に出て来る言葉です。
三島さんにとっては、認識と行為の一致こそが目指す方向であった。
三島さんのボディビル、乗馬、飛行機に乗ったりすること、こういう行う事と同じ行いと考えていたのではないか。これが私にとってずっと謎だった、今でもまだ謎ですが、三島さんにとって、小林さんの「本当に知ることは、行うことである」というのは、そういう一連の行動と同じことだったのかなあと云うことが私にとってずっと謎であった。
その謎について、まだ解決はして居りませんが、大きく局面が開けたのはオウム真理教でした。十五年程前、オウム真理教の出来事に出会って、私は三島由紀夫のことをすごく考えました。
盾の会はカルトであり、そして、三島さんは作家なんです。そして体なんです。体で表現しているのです。作家というのはそういう存在なんです。七十年代から現代に及ぶ色々な時代の病があった。彼は、色々な小説の中で時代の病を表現(先取り)している。
果てしなく現実から遠く、それでいて果てしなく狂気から遠い。垂直の洞穴を掘るためにまっすぐ穴の中を落ちていく。そして、日常市民生活からかけ離れている。こういう構造の有り方に於いてオウム真理教と三島由紀夫は同じでした。
勿論、三島さんには自己意識があり、日本の社会に対する強い倫理的な意識がありましたから、他を破壊すのではなく、自分を破壊するのですから、オウム事件と三島は方向は逆であったが、しかし、ラディカリズムでは一致していたと思います。
オウムは宗教であり、その行動は犯罪であった。宗教が有る段階から犯罪になったのではありません。宗教が犯罪を犯すことはない。そんなことはありません。宗教はどんなに成熟していても、日常性とは正反対です。宗教はおどろおどろしいカルト性を抱えています。
現代は、聖書や仏典の言葉が、本当に悩み苦しんでいる人の心に届かなくなっているのではないか。響かなくなっているのではないか。今日、沙漠のような状況に我々は生きているのではないか。聖書や仏典が、ただの教科書でしかなくなっているのではないか。
まともな宗教なら、自分も仏陀やキリストのように生きたいと思わせるようになるのが当然です。すべての教団はカルトから出発しました。キリスト教も仏教も怪しげなカルトから出発した。
そこで、宗教の真贋、本物とニセ物についてですが、先程の「俗物論」の真贋を思い出してください。小林さんの、焼き物の真贋に客観的な尺度がないように宗教の真贋にも客観的な尺度はない。どこかに本当の超越神がいて、その神様が優劣を判定してくれるのなら別ですが、困ったことに、宗教の優劣というのは、その神様同士が互いに争って、互いに否定しあっているのが実態で、宗教の争いほど過激なものはない。オウム真理教がサリンを作っても不思議はないのであって、それを防げなかった国家に問題があった。
つづく
文章化担当:中村敏幸