第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」 要旨(三)

このシリーズは第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」での録音を起こし、要旨を文章化したものです。  

 

 真贋ということ ー 小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって ー

文章化担当:中村敏幸(つくる会・坦々塾会員)
                   平成二十四年五月二十六日 於 星陵会館

 そこで、今日は真贋についてお話しているので、福田恆存の真贋について考えてみたいと思いますが、福田恆存は、自分は本物であると意識したかもしれないが、真贋の違いに敏感であった。小林さんを意識したが、一方で、小林さんは真贋と一度言っただけであり、本物を仰ぎ見て、それに近づこうとした人生であったが、福田さんは本物とニセ物を峻別する人生であり、真贋の概念を思想的に展開している。そして、ニセ物を批判し、ニセ物に対し手厳しかった。しかし、自分の中のニセ物性をも強く認識する人でもあった。福田さんは自覚の人であって、自覚出来ないものでも自覚しようとする、そういうタイプの激しい自己認識の人でした。

 従って、自己表現の中には、自己表現の怪しさについては小林秀雄と同じように辛辣でした。

 自己表現の中には権力意識というものが含まれている。そういうことを言い続けたのか福田恒存で、文学者の自己表現が安易であるのは、自らの権力感情に気が付かないからで、それ程非文学的行為はない。

 小林秀雄の中には自己表現のうちに、表現者の権力意識という発想はありませんでした。これは福田恆存の新しい意識であると同時に、ロレンスというものに取組んだことと関係があると思います。

 つまり、西洋的な自我を意識し、小林さんよりはるかに西洋的であった。かつ倫理というものに強くひかれる人でもありました。エゴティズムとか自己愛に強い問題意識を持った人であった。
 
 福田恆存に「俗物論」という大変面白い評論があります。俗物とはニセ物のことです。これは、すべての本物はすぐにニセ物になるという、非常にめまぐるしい世界をえがいている評論で、

 「私たちの仲間(作家)では、原稿の注文が降るようにあるのを言外に示す俗物がゐると同時に、それをかたはしから断ることに快感を感じる俗物がゐる。しかし、かれはその断ったことを黙ってはゐられない。あれやこれやを断ったといふ話を人にせずにはゐられぬのである。そのとき彼は俗物になる。かうして、自己拡大慾は、つねに他人の目を必要としてゐるのである。いや、おれは他人の眼はこはくない、自分を見てゐる自分の目がこはいのだ、といってみてもはじまらぬ。自分の眼などといふものはありはしない。それは結局、他人の眼が自分の中にはひりこんだといふだけの話だ」
 
 「俗物の特徴として、自分が仲間入りしたい上流階級、あるいは文壇とか学会とかの悪口をいふ性癖がある。これは一見颯爽としてゐるやうだが、やはり他人の眼を気にしてゐるさもしさには変わりがない。さういふ俗物に限って、その目ざす世界に仲間入りできたあとでは、猫のようにおとなしくなる。つまり『孤独俗物』は水の向けやうで、容易に『交際俗物』に転化するのである」。

 これはもう、私たちの世界で日頃よく見聞きすることですが、こういうことをあらゆる局面について書いています。そうすると世の中のすべての人間が俗物になる。これは価値基準というものは無いということで、一番最初にお話した。ニセ物が本物になるという露伴の話にも通じているところがあります。

 「パスカルの世界」と「江戸の戯作」にはこういう点で、皆さんは意外に思われるかもしれませんが、相通じるところがあって、これは通の世界ですか。俺は通だと言ったらとたんに野暮になる。通と野暮、本物とニセ物の関係はめまぐるしく入れ替わる。いきがっていると、たちまち野暮になる訳です。
 
 一般の社会、会社や官庁では人格と評価は別かもしれない。しかし、作家、思想家、芸術家の世界はやっかいである。作家、思想家、芸術家の人格と表現は一致するものである。
 
 書き手の人格、語り手の精神の高さが勝負どころであり、何を語るかではなく、どう語るかである。人間性は仕事に表われます。そのことを、私は、小林さんや福田さんや三島さんの文章を読んでいる時に痛切に感じました。

 私は今度の本の解題の中でも次のように書いています。「政治や世相を語っても、単に政治や世相を言葉として語るのではなく、語り手の精神の高さが同時に問われていることが、往時に於いては普通であった。何を語るかではなく、どう語るか、語り手の倫理的動機が常に問題であった。論じる人の精神の高さが勝負だった。文章に表われる人品が問われていた。読者が本能的に人格を嗅ぎ分けていた。語り手や書き手の人間が問題であった。読者の関心は常にそこに集まっていた。政治や世相を論じる方も読む方もある意味で私小説的であった。しかし、いつの間にか語り手の人品のの魅力よりも情報や知識が多いか少ないかが決め手になった。どう語るかよりも何が語られるかが中心になった。(中略)精神の価値の下落である」。これが、いま起こっている世界です。

つづく

文章化担当:中村敏幸

第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」 要旨(二)

このシリーズは第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」での録音を起こし、要旨を文章化したものです。  

  真贋ということ ー 小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって ー

文章化担当:中村敏幸(つくる会・坦々塾会員)
                   平成二十四年五月二十六日 於 星陵会館

 小林秀雄は、ある学生たちとの対話の中で、多くの仕事を残してこられた先生の生き方がどのようであったか、と問われると「これまでの一生を振り返って見ると、僕は計画の立たない人生であった」と語っているが、小林さんは、先ず一つの明瞭な感動があり、芸術作品等との感動と次々に出会いそれを追い求め、その感動を如何にして言葉にするかが彼の人生であり、計画の立たない人生であったというのです。

 また、こうも言っている。一体、自分とは何かということですが、「何を書いても結局自分しか出て来なかった」、単に自己をさらけ出した自己表現、そういう自己表現では駄目だということです。自分を出さなければいけないが、同時に自分を殺さなければいけないし、自分を捨ててかかっている。だが、結局は、やっぱり自分しか出てこない。

 小林さんは、更に「感動した時はいつも統一している。分裂しているものではありません。感動した時には世界はなくなって、いつも自分自身になる。何を書いても自分しか出てこなかった」と言っていますが、自分自身になることは一種のパーフェクトなものになることです。

 さっきの坂口安吾との対談での中でも「信仰するか、創るか、どっちかだ、それが大問題だ」と言っている。これはとても凄い言葉で、感動するということも同じ言葉です。

 福田恆存が「小林秀雄の考えるヒント」の冒頭で次のようなことを書いている。
「人は一寸先が闇であるようにしか生きられない。われわれが道を歩いているとき、一里先の山道に目を奪うような桜の大樹があることを、われわれは知らない。それに出会ったときの喜びが人に伝わらぬような書物は、真の書物とはいえない。小林の学問は、真の書物に出会った際の、生きた感動を語った経験録であり、そのために小林は結果を予想して考え書くということを、自らに禁じている。考えるとは頭で考えることではなく、行為することと同じである」
 
 計画を立てない。行き当たりばったりである。考えることはそれ自体が目的である。考えることは運動すること行為することと同じである。

 また、福田恆存は「人間・この劇的なるもの」で次のように書いている。
 「役者のせりふは、戯曲のうちに与へられてをり、決定されてゐる。いひかへれば、未来は決まってゐるのだ。すでに未来は存在してゐるのに、しかも、かれはそれを未来からではなく、現在から引き出してこなくてはならぬ。かれはいま舞台を横切らうとする。途中で泉に気づく、かれはそれに近づいて水を飲む。このばあひ、気づく瞬間が問題だ。泉が気づかせてはならない。かれが気づくのだ。かれが気づく瞬間までは、泉は存在してはならないのである」

 小林さんが桜の大樹に出会うようにして、一冊の書物に、驚きをもって、感動をもって出会うのと同じように、そこを、役者は演技でもってこれを表現しなくてはならないという、福田さんの場合には、演技論というもう一つの課題があると私は思います。

 坂口安吾は対談の最後に、「福田恆存に会った。小林秀雄の跡取りは福田恆存という奴だ、これは偉いよ」、「あいつは立派だな、小林秀雄から脱出するのを、もっぱら心掛けたようだ」と述べ、それに対し、小林は「福田という人は痩せた、鳥みたいな人でね、いい人相をしている。良心を持った鳥のような感じだ」と応答し、安吾は「あの野郎一人だ、批評が生き方だという人は」と述べている。

 批評家は小林秀雄と福田恆存だけであった。中村光夫、江藤淳など色んな人が出たが、批評は生き方だという姿を見せた人は小林秀雄と福田恆存しか居ない。他は皆、学者でなければ解説家に過ぎなかった。
 
 ところが、福田さんは小林さんと違った面があり、二元論的対立相克の世界である。自由と宿命、行為と認識、生と死、善と悪、理想と現実、個人と集団、政治と文学、本物とニセ物を大変な対立概念で取り組んだか、小林さんはそんなことはしない。

 小林さんは本物とニセ物、真贋というものを出したが、福田さんはこれに囚われた。囚われたと同時に大きく展開した。

 小林さんは芸術作品の対象の選び方が自由奔放で、天才の乱捕りと悪口も言われた。「ゴッホ」を書いたと思ったら「福沢諭吉」を論じ、そうかと思ったら「実朝」というふうに、無差別に取り組み、西洋と日本の基軸の対立はなかった。無差別で自由奔放であった。

 しかし、福田と三島は西洋と日本の関係に対する取り組みは、はるかに深刻で悲劇的であった。どんどん対立軸に追い込まれて、自分をその中に追い込んで行った。そこが、小林さんと福田さん、三島さんとの違いであった。

 しかし、それは小林さんの弱点でもあった。かれは歴史意識を問題にしたが、遂に歴史を自ら叙述することはなかった。彼自身は古代学者ではなかった。古代と戦った本居宣長等を対象としたに過ぎない。しかし、福田恆存、三島由紀夫は実作者であった、福田さんは劇団の主宰者でもあった。三島さんは盾の会を主宰した。つまり、具体的な行動家であった。

 小林さんは、大正文化主義、或いはまた学者的な有り方に対し色々悪口を言いましたがそういう世界に片足を突っ込んでいた人だと言えないこともない。

つづく

文章化担当:中村敏幸

第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」 要旨(一)

このシリーズは第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」の録音を起こし、要旨を文章化したものです。  

 真贋ということ ー 小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって ー             文章化担当:中村敏幸(つくる会・坦々塾会員)
                   平成二十四年五月二十六日 於 星陵会館

 幸田露伴に「骨董」という文章がある。これは、一つの定窯(宋の時代に定州の窯で焼かれた)の宝鼎をめぐって展開された明末の実話をもとにして書かれた作品であり、その宝鼎は、「実際無類絶好の奇宝で有り、そして一見したものと一見もせぬ者とに論無く、衆口嘖々として云伝へ聞伝へて羨涎を垂れるところのものであった」という。しかし、「その宝鼎を見て感動したある人物が作った複製品が、本物と寸分違わぬ出来映えであったために、思いがけない経緯により、やがて、本物として独り歩きをし始めてしまい、本物とニセ物の区別がつかなくなってしまったが、代を重ねるうちに世間ではその委曲を誰も知らなくなってしまった」という話が書かれている。
小林秀雄の「真贋」その他のエッセイは、露伴のこの一文を下敷きにして書かれた作品であり、本物と見定めた物が贋物であったり、贋物と鑑定された物が本物であったりすることが興味深く書かれている。

 露伴は坦々と書いているが、小林さんは「所謂書画骨董といふ煩悩の世界では、ニセ物は人間の様に歩いてゐる。煩悩がそれを要求してゐるからである」という面白い言い方をしている。
「真贋」の冒頭で、良寛の「地震後作」という詩軸がニセ物と分かり、一文字助光の名刀で縦横十文字にバラバラにして了った話が書かれているが、小林さんは、更に「一幅退治してゐる間に、何処かで三幅ぐらゐ生まれてゐるとは、当人よく承知してゐるから駄目である」、「ニセ物は減らない、本物は減る一方だから、ニセ物は増える一方といふ勘定になる、ニセ物の効用を認めなけれは、書画骨董界は危殆に瀕する」とも書いている。

 また、「ニセものというのは素人の言い方で、玄人はそんなことは言わない。二番手だとか、ちと若い、これはイケマセンねと言ったりして、決してニセものとは言わない」。
 
 このような話が沢山書かれていて、皆さんも知っての通りですが、小林さんも相当イカレてしまった人である。

 小林さんは、ある日、知り合いの骨董屋で、李朝の壺がふと眼に入り、それが激しく自分の所有慾を掻き立て、逆上して、買ったばかりのロンジンの最新型の時計と交換して持ち帰った。「今から考へるとこれが狐が憑いた始まりだ」と言っているが、骨董いじりとはそういうもので、現代の知識人は「古美術の鑑賞」というが、しゃらくさい。「本当に好きになること、『好き』と『嫌いではない』との間には天地雲泥の差がある」と言っている。
 
 「美術館で硝子越しに名画名器を観賞して、毎日使用する飯茶碗の美には全く無関心でいる」、そんなのは駄目だと言っている。

 小林さんは、トルストイのクロイチェルソナタの話を出して、トルストイは「音楽にしても美術にしても芸術作品というものは体を躍らせるものである」と書いているそうですが、だから、「行進曲で軍隊が行進するのはよい、舞踏会でダンスをするのはよい、ミサが歌はれて、聖餐を受けるのはわかる」だが、普通の音楽「クロイチェル・ソナタが演奏される時、人々は一体何をしたらいいのか。分けの解らぬ力を音楽から受けながら、音楽会の聴衆は、行為を禁止されて椅子に釘付けになってゐる」。ニセ物をつかまされたり、家中が焼物だらけになったり、家庭をかえりみなくなったりする、言わば狂気に近い骨董いじりの世界は、体を使ってぶつかる、そう云うことをしないで、頭だけ、目だけキョロキョロさせて、絵画の美とも日常生活とも関係のない現代知識人の芸術鑑賞とは一体何事だと言っている。

 小林さんのこの一連のエッセイを読んで皆さんもきっと感じると思いますが、小林さんはこうも言っている。
 
 「美は信用であるか。さうである。信用されていれば美は成り立つが、美という客観的な評価はない。人がそれに感動すれは本物である」。本物がニセ物になったり、ニセ物が本物になったり、めまぐるしく入れ替わるわけで、本物とニセ物の定義はない。自分にとって本物であればそれで良い。つまり、このことは、ある種の、美の評価に対する無政府状態を言っているようなものである。しかし、それが美に対する行為ではないか。

 行為を禁止された美術鑑賞にはトルストイは疑問をもっているが、我々は外国に行った時、美術館で大量の作品を、限られた時間に見るが、そんなことで感動することは出来ない。逆に疲労感を伴うものである。
 
 疲労感を伴うような美術鑑賞とは、美が人に愉快な行為を禁じて、人を疲れさせるとは、なんと奇妙なことだろう。

 小林さんは、ゴッホの「烏のいる麦畑」の絵は、後に見た本物よりも自分が持っている複製画に感動したと言っているが、我々は、翻訳で外国文学を理解し、レコードで西洋音楽を観賞し、複製品の美術全集で絵画を見る。それでも感動するときは感動するし、本物を見ても感動しない時は感動しない。ある意味、すさまじい話で、無政府状態と私は言いましたが、美に、明確な、客観的な標準や基準はない。

 小林秀雄と坂口安吾の対談で、安吾は「僕は歴史の中に文学はないと思うんだ、文学というものは必ず生活の中にあるものでね。モオツァルトなんていうものはモオツァルトが生活していた時は、果たして今われわれが感ずるような整然たるものであったかどうか、僕は判らんと思うんですよ。つまりギャアギャアとジャズをやったりダンスをやったりするバカな奴の中に実際は人生があってね、芸術というものは、いつでもそこから出て来るんじゃないか」と言い、骨董いじりに狂っておつにすましている小林に対して、気取っていやがると噛みついている。
 
 それに対し小林さんは「骨董趣味が持てれば楽なんだがね。あれは僕に言わせれば、女出入り見たいなものなんだよ、美術鑑賞ということを、女出入りみたいに経験出来ない男は、これは意味ないよ。だけども、そういうふうに徹底的に経験する人は少いんだよ。実に少いのだよ。・・・・・狐が憑く様なものさ。狐が憑いてる時はね、何も彼も目茶々々になるのさ。・・・・・結構地獄だね。」と答え、「これは一種の魔道でもある」とも言っている。     

 更に、「それに、あの世界は要するに観賞の世界でしょう? 美を創り出す世界じゃないですよ。どうしてもその事を意識せざるを得ない。此の意識は実に苦痛なものだ。これも地獄だ。それが厭なら美学の先生になりゃアいいんだ」と言って、批評家の悲しみや絶望も語っている。この辺に、小林さんの芸術と人生のすべてが語られているように思いますが、また、「自分は感動して、それを言葉に表しているだけで、創作は出来ない」と言い、一方では美を創り出す人に劣等感を感じている。でも、「自分は体で美を感じているのであって、頭で感じているのでは駄目だ」と言っている。

 また、「僕は陶器で夢中になっていた二年間ぐらい、一枚だって原稿を書いたことがない。陶器を売ったり買ったりして生活を立てていた」とも言っている。
 
 小林秀雄の人生とは、そういうものだったと思いますが、この坂口安吾との対談が大変面白いのは、小林さんが自分の弱点をさらけ出しているところにある。
 
 この対談の中で、小林秀雄はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャに感動して、「アリョーシャって人はねえ、あれは凄いよ、我慢に我慢をした結果、ポッと現れた幻なんですよ。鉄斎の絵に出てくる観音様だね。アリョーシャを書けるのはただごとではない。自分は、今は自信がないが、将来はそこまで書きたい」と言っている。更に彼は批評家であって、小説家ではなくドストエフスキーにはなれないのに、「アリョーシャを書きたい、俺の人生はそれが目的だ、駄目かもしれないが本当の俺の楽しみはそこにある。楽しみってつらいことだ」とまで言っている。
 
 この大矛盾が小林秀雄の人生である。これはすばらしいことでもあるし、小林さんの弱点でもあった。

 彼にとって芸術作品というものがあって、芸術作品を自己がどう感じるか、芸術作品と自己の対決が小林さんの人生、頭ではなく体で、行為で、骨董いじりも行為であった。実際彼の作品は私小説的である。

 彼は、客観的に認識することを一段低く見ており、彼の場合は体で、行為することが知ることであると考えており、この頭脳の世界でない「体で」ということは福田恒存、三島由紀夫にもつながっている。

つづく

文章化担当:中村敏幸

『天皇と原爆』の刊行(十一)

 春先きに鳥取大学教授(ドイツ文学)の武田修志さんから次の書簡をいたゞいていた。掲載のご許可を得たので、全文をお伝えします。

わが町は空に道あり鳥帰る(修志)

 先日白鳥がわが家の上をシベリアへ帰っていく姿が見られました。
 鳥帰る春の初めとなりましたが、西尾先生におかれましては、その後いかがお過ごしでしょうか。

 御著書『天皇と原爆』を御送付いただきましてから、すでに二ヶ月が過ぎてしまいました。この間、いつもカバンの中に入れて持ち歩き、二度拝読いたしました。たいへん遅くなりましたが、私の感想を述べさせていただきます。

 この本の中でわたしが最も共感しましたのは、111ページ~112ページの次の言葉です

 (日本人は)「戦争を含む過去の歴史をトータルとして・・・肯定すべきである・・・・」「つまり、悪だからと否定し、陸軍をスケープゴートに仕立てて責任を追及するような、そういう女々しい精神ではなく、たとえ悪であろうとなかろうと、過去から逃れるすべはないのであり、過去をことごとく肯定する強靭な精神を持つことが、今の日本人に求められている最大の心の試練だと申しあげざるを得ないんです。

 なぜかというと、天皇は、あの時代において全的存在であって、天皇の戦争責任を否定することは国民が自分を否定すること、自分の歴史を否定することと同じになってしまうからです。(・・・)私に言わせれば、天皇は平和主義者だと言って、それを通じて戦後の自分たちも平和主義者だと言いたくて、悪かったのは過去の軍人だ、軍部だ、そんな言い逃れで過去の一時代から目を逸らすのは、言ってみればアリバイづくりをしているようなものです。(・・・)」

 目の覚めるような真実の言葉です。久しぶりにこういう心に響く言説に出会って、背筋がしゃんとしてくるのを感じます。かつては小林秀雄や田中美知太郎を読むと、こういう言葉に出会うことができたように思いますが、今や、こういうことが言える言論人は先生一人になってしまわれたようです。

 しかし、小林秀雄からも田中美知太郎からも聞けなかった言葉が、右の引用文にはあるように思います。「天皇は、あの時代において全的存在であって、天皇の戦争責任を否定することは国民が自分を否定すること、自分の歴史を否定することと同じになってしまう」この言葉に、私は今回特に感銘を受けました。「天皇は」、あの当時、我々日本人にとって「全的存在」であった――この理解はたいへんに独創的です。日本人にとっての天皇を「全的存在」という一語でとらえた歴史家がいままでにいるのでしょうか。――その存在を否定すると我々全部を否定してしまうことになる存在、全的存在・・・「全的存在」という言葉は、これから天皇を論ずるときのキーワードになるかもしれません。

 御著書『天皇と原爆』は、拝読して、全編教えられることばかりでしたが、今回、右に書いたこととは別に、もう一つ目の覚めるような、何とも嬉しい知識を一つ得ることができました。それは「わが國家は生まれた國であって作られた國では無いといふこと」です。先生の言葉で言い直せば「自然発生国家」だということです。なるほど!とこの指摘には感激しました。これは、日本という國の根本的性格を一言で言い表しているように思います。そして、そもそも日本人のだれもが、そんなふうに何となく感じているのではないでしょうか。『ヨーロッパの個人主義』の中の叙述も、33歳の先生が、直感的に「日本は自然発生国家だ」とご存じであったところから生まれた文章ではないでしょうか。

 今回、先生が大東亜戦争の原因を糾明するために、「なぜアメリカは日本と戦争したのか」と、アメリカ側の立場を問題にする視点を持ち出されたのが、すでに全く独創的ですが、この観点から見ていくとき、おのずからのように、アメリカという国の「宗教国家としての側面」がさまざまに検討されることになったのは、私にとってたいへん印象的でした。宗教国家としてのアメリカ?これは、非常に多くの日本の知識人の盲点ではなかったかと思います。私も全くこれまでこのような関心の持ち方をしたことがなく、先生の博覧強記に教えられることばかりでした。

 この点に関する先生の論述を辿っていて、私は強く、アメリカ人の無意識の深さということを感じました。アメリカの歴史をたどれば、そこにどれだけの「悪」があるか、これを振り返る力をこの国の人々は非常に微弱にしか持ち合わせていない、そしてそのことと、彼らが宗教を頼りにする心性は深く結びついている――そんなことを感じました。これは、別の言い方をすれば、アメリカという国を相手にするには、アメリカの表向きの主張のみならず、いつも、その無意識の部分まで洞察しないと、うまく交際できない相手であるということです。御著書を拝読していますと、こういう点について、日本人はあまりに無自覚だったのではないかと反省させられます。

 こういうことも考えました。先生がこの本でやろうとなされていることは、ある意味でアメリカ人の無意識部分の剔抉であり、意識化と言ってよいでしょう。それで、この本を英語へ翻訳して、アメリカの知識人に読ませたら、「いや、本当はここに書かれている通りだ」と、この著書を肯定する人がどのくらいいるであろうか・・・と。誰か翻訳してくれないでしょうか。

 先生の憲法「前文」は中央公論に発表されたときに一度拝読しています。先生の文章の歯切れの良さと柔らかさがよく出ています。私は近頃しばしば音読しますが、この文章も音読してみました。音読に耐える文体であり、内容です。これを教科書に載せて、日本の小学生、中学生がときどき音読したら、それだけで彼らの人柄が随分よくなるだろうと思います。今のところ、教科書は無理でしょうから、先生も、小学生・中学生へ向けた一書をお書きになって、そこにこの「前文」を載せられたら、どうでしょうか。大人に読ませているだけではもったいないと思います。

 今回も誠に拙い感想になってしまいました。ご容赦ください。

 『西尾幹二全集 第5巻』は読了しましたが、読了したらちょうどそのとき、父が亡くなりましたので、感想を書く機会を逸してしまいました。またいつかもう一度読み返したら、感想を書かせていただきます。

 今日はこれにて失礼いたします。
 お元気でご活躍くださいませ。

平成24年3月17日         武田修志
西尾幹二先生

『天皇と原爆』の刊行(十)

書評 文芸評論家 富岡幸一郎 「正論」平成24年7月号より

「脱東京裁判史観」探求の新たな到達点

 「アメリカは一種の『闇の宗教』をかかえているとみています」と著者が雑誌『諸君!』の討論会で発言し周囲を驚かした話が出てくるが、「大東亜戦争は宗教戦争だった」という本書を貫く主張に驚く読者もいるだろう。

 しかし日米戦争を世界史の潮流のなかで捉え直すとき、著者の洞察はきわめて本質的な問題提起となる。「闇の宗教」とは、アメリカのキリスト教がヨーロッパでの宗教戦争に敗れたピューリタンたちが、新天地で建国を果たした経緯による。彼らの「神の国」信仰は宗教原理主義を色濃く抱え込んでいるからだ。著者は直接にそのような言い方はしていないが、米国のキリスト教は16世紀宗教改革の異端は(再洗礼派のような過激性)を起源としているからこそ、その「正義」の言動は破壊性と倒錯性を孕む。インディアンの虐殺、南北戦争、そして太平洋をホワイトパシフィックと化し日本に原爆を投下した歴史を辿れば(近くでは予防的先制攻撃なる概念の捏造によるイラク攻撃など)枚挙に暇がない。

 日本はなぜアメリカと戦争したかではなく、「なぜアメリカは日本と戦争したのか」が問われなければ日米戦争の本質は永遠に封印されたままになる。その封印を解く鍵は米国の根っこにあるその宗教的ラジカリズムなのである。西へと膨張する「神の国」と衝突せざるをえなかった日本もまた、もうひとつの「神の国」であり、西洋列強の強圧のなかで「国体」を歴史的伝統の天皇信仰により形成した日本人は、この“文明の衝突”を不可避のものとするほかはなかった。本書の最終章「歴史の運命を知れ」は『江戸のダイナミズム』で日・中・欧の壮大な比較文明論を展開した著者ならではの説得力のある一文であり、情緒的な宿命論ではない。

 もうひとつ本書で看過してはならないのは、昭和天皇の「戦争責任」に言及している個所である。左翼が欺瞞的な平和主義からいうのとはむろん異なり、開戦の詔書は天皇の名によって記されており、それは日本が「神の国」であり、その「国体」によって宗教戦争を戦い抜いたことの歴史的証言だからである。天皇に責任はなかった、悪いのは陸軍だ軍人だといった議論はいわゆる保守派のなかにもあるが、それは大東亜戦争の本質を見ようしないばかりでなく、「戦争は悪である」という典型的な戦後レジームの言辞に過ぎない。これは別の形で、著者の平成の皇室に向けた発言の真意にも重なるのである。

 紙幅がなく詳述できぬのが残念だが最後に、日米の全く異質な「神の国」の激突を国学者として洞察した折口信夫が敗戦後に「神やぶれたまふ」と語ったことに対して、本書は否「やぶれた」のはどちらかという歴史への、日本人への究極の問いを未来に向けて孕んでいることを指摘しておきたい。

文芸評論家 富岡幸一郎

『天皇と原爆』の刊行(九)

『天皇と原爆』 感想文

     坦々塾会員 浅野 正美

 西尾先生が常々おっしゃっておられることに、「日本人はどうしてアメリカと勝てるはずのない無謀な戦争をしたのかということをずっと考えてきたが、どうしてアメリカは日本と戦争をしたのかを考えなくてはならない。」という問題があります。本書はその真意を、遠い歴史を遡って突き詰めています。

日本とアメリカを、「二つの神の国」と捉えるところから思索は始まります。日本の神はいうまでもなく天皇を頂点とした神道の神。我が国は古くから八百万の神々が鎮まり給う神の国です。一方アメリカは、初期移民のピューリタン(清教徒)によるプロテスタントを土台としたキリスト教信仰が社会を強く支配しています。アメリカは、キリスト教原理主義国家でもあります。手元に西尾先生からいただいた大変興味深い資料があります。それは世界60カ国の価値観をアンケートして割合を示したものですが、宗教に関するいくつかの設問の日米比較を見ると、アメリカが紛れもない宗教国家だということが大変よくわかります。
(最初の数字が日本で後の数字がアメリカ。単位は%)

天国の存在を信じるか   22/85
神の存在を信じるか     35/94
死後の世界を信じるか   32/76
地獄はあると思うか     17/72

 不謹慎なことですが、最初にこの数字を見たときは思わず吹き出してしまいました。

 正確な名前は忘れてしまいましたが、アメリカには「聖書博物館」のようなものがあり、そこではアダムとイブから始まって、聖書に書かれたいくつかの重要なトピックスをジオラマ形式で展示していて、熱心な信者達が車で何時間もかけて家族で見に来るそうです。ここでは、近々ノアの方舟の実物大?模型を造ると意気込んでいました。その施設を見学していたアメリカ人家族にインタビューすると、学校では嘘を教えるので、子供を学校に通わせないで家で教育しているとその両親は話していました。そうした子供が全米では100万人にものぼるということですから、これには驚きというよりも恐怖すら感じます。

 天地創造、処女懐胎、ノアの方舟、十戒の焼付、出エジプト、復活。門外漢の私でも辛うじてこのくらいの「奇跡」は思いつきますが、これらを現代科学の知見で証明できないことは明らかです。進化論問題という、日本人から見たらばかばかしいとしか思えない論争を真剣に行っている欧米キリスト教国家ですが、西尾先生は聖書もキリストも神話であると、実に明快に言い切っておられます。別の著書では、ああした存在としてのキリストは存在しなかった、とも明言しておられます。

 また、日本人はよく無宗教だといわれるが、決して無宗教ではない。無宗教の国民に天皇は戴けないともおっしゃっています。そしてその天皇を中心とする国学の思想が近代的国家意志と結びついたときに明治の開国を向かえます。思想としての国学は、江戸の中期には沸き起こっていましたが、最初は小川のような細い流れであった国学は、いくつもの支流を呼び込み合流することで巨大な一本の大河となりました。明治とはそうした皇国史観に対して疑うことを不必要とした時代でした。明治の自覚の元、国学は奔流となって大東亜戦争の敗戦にいたるまで、我が国の精神的支柱であり続けました。

 そうした「二つの神の国」の戦いが、先の大東亜戦争であった。そこから冒頭のテーマである、「なぜアメリカは日本と戦ったのか」という問題解明に進みます。そうして、それはキリスト教が伝える西方にあるとされる、約束の地への飽くなき進軍であったと書かれいます。アメリカの国土拡張史を大雑把に列挙してみます。ルイジアナ買収(仏)、フロリダ購入(西)テキサス・オレゴン併合、対メキシコ戦争でメキシコ北部、カルフォルニア収奪、(ここで太平洋に到達)アラスカ買収(露)、ハワイ併合、プエルトリコ・フィリピン・グアム植民地化、と確かに西へ西へと領土を拡大していきました。

 日露戦争後のアメリカは、我が国を仮想敵国として「オレンジ計画」という対日戦争計画を練っていたことはあまりにも有名ですが、清の門戸開放等三原則が示すとおり、太平洋に進出したアメリカは次はユーラシア大陸の権益を虎視眈々とねらっていました。満州建国によって彼の地への権益獲得ができなくなったアメリカは、真剣に日本の排除を考えました。我が国は、領土を奪われたインディアンや、簡単にアメリカの植民地にされた諸国とは違い、総力戦をもってアメリカと戦いました。このとき「二つの神の国」が相まみえたことは歴史の必然といっていいのかも知れません。アメリカの理想を実現するためには、どうしても日本を排除する必要があったからです。その後の歴史はアメリカが望んだ通りに進んだかに見えましたが、大東亜戦争を含む世界大戦における共産主義に対する誤った認識が大戦後の世界と、もちろんアメリカ自身にも大きなコストと悲劇をもたらすことになりました。

 アメリカは共産主義という本当の敵に気がつかず、うまくそれを利用したかに見えながら、実は戦後の長きにわたって、勝ち戦の何倍にもわたる犠牲を払うことになってしまったのです。

 以降のアメリカはさらに西に向かって、アフガニスタン、イラク、イランといった中東で実りのない絶望的な戦争に明け暮れています。信仰への熱狂ということでは、イスラムもまたアメリカ人以上に熱心です。しかも神の根っこが同根であるだけに憎悪もまたより深くなるのでしょうか。

 私にはキリスト教もイスラム教もユダヤ教の分派にしか見えません。唯一神「ヤハウェー」と「アラー」は同一であり、キリストはそもそもいなかったと、そう考えることにしています。

 魔女狩り、錬金術の例を持ち出すまでもなく、人間の脳は時にとんでもない暗黒の存在を考え出してしまいます。これを心の闇といっていいものかどうかはわかりませんが、人類が考え出した最大の闇の存在こそが宗教ではなかったかと、そんなことも考えています。人は不安を感じる生物ですが、その不安を解消するために多くの発明、発見を行って生活を快適にし、寿命を延ばしてきました。そしてきちんとした教育こそが、こういった迷信や世迷い言から人間を解放する唯一の道であるということも信じています。にも関わらず多くの国民が高等教育を受ける先進国においても未だに多くの迷信が信じられています。星座占い、姓名判断、手相、風水、血液型などは無邪気な遊びであり、目くじらを立てるほどのものでもないという人もあるかと思います。神社のおみくじのようなものだと。しかし、こうした無邪気な遊びも、今では一大産業を形成しており、こうした心を持つからこそ、人間はたやすく宗教を受け容れてしまうのではないかとも考えることがあります。

『悲劇人の姿勢』の刊行記念講演会は次の通りです。

  第三回西尾幹二先生刊行記念講演会

〈西尾幹二全集〉

 第2巻 『悲劇人の姿勢』刊行を記念して、講演会を下記の通り開催致します。

ぜひお誘いあわせの上、ご参加ください。

   ★西尾幹二先生講演会★

【演題】「真贋ということ
 ―小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって―」

【日時】  2012年5月26日(土曜日)

  開場: 18:00 開演 18:30
    
【場所】 星陵会館ホール(Tel 3581-5650)
     千代田区永田町201602
     地下鉄永田町駅・赤坂見附駅より徒歩約5分

【入場料】 1,000円

※予約なしでもご入場頂けます。
★今回は懇親会はなく、終了後名刺交換会を予定しています。

【場所】 一階 会議室

※ お問い合わせは下記までお願いします。

【主催】国書刊行会 営業部 

   TEL:03-5970-7421 FAX:03-5970-7427
   
   E-mail: sales@kokusho.co.jp
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・坦々塾事務局   

   FAX:03-3684-7243

   tanntannjyuku@mail.goo.ne.jp

星陵会館へのアクセス
〒100-0014 東京都千代田区永田町2-16-2
TEL 03(3581)5650 FAX 03(3581)1960

『天皇と原爆』の刊行(八)

アマゾンのレビューより

「文明の衝突・宗教戦争」としての大東亜(太平洋)戦争, 2012/3/1
By 閑居人 (福島県)
レビュー対象商品: 天皇と原爆 (単行本)

ブッシュ・ジュニアがイラク戦争に踏み切ったとき、「日本を倒して民主主義国家に作り替えたのだから、イラクもできるはずだ」という声がアメリカから聞こえてきた。多くの日本人が、違和感を感じたはずだ。敗戦当初と異なり、戦前の日本が世界で英米仏と同等の議会制民主主義国家であった事実は国民の常識であり、さらにそのルーツは、明治維新以前の江戸時代に確立された統治体制(政府組織)と「村掟」に代表される民法的概念を含む農民社会にあることに気がついているからだ。

だが、アメリカの言っていることは、アメリカから見た「大東亜(太平洋)戦争」の本質をはしなくも露呈している。つまり、あの戦争は、「イスラム世界」同様、全く異なった「日本という宗教・社会体制国家」との「文明の衝突」(ハンチントン)だったと彼らが認識していたことを示している。

アメリカ人の「マニフェスト・ディスティニー」による西漸運動は、西部のフロンティアを超えて太平洋に迫り、中国、満州、東南アジア、豪州を目指した。このとき、アメリカの主要な敵が「イギリスと日本」だったとは、著者の指摘であるが、「利権争奪」の観点に立てばそれ以外にはあり得ない。第一次大戦後、アメリカが「日英同盟の破棄」と「四カ国条約」という名ばかりの相互牽制条約を作り、ワシントン体制を構築したねらいもそこにあった。W.ウィルソンは「14ヶ条」を唐突に出し、「民族自決」をうたったが、その狙いは「大英帝国の解体」だったという著者の指摘は鋭い。結果的に「オーストリア・ハンガリー帝国」を解体しただけだったが。このアメリカの驚くべき狡猾さと事業家的情熱は、アメリカの世界制覇のための自己増殖的活動であり、20世紀を「革命と戦争の世紀」にした原因の一つである。

さらに言えば、もう一つの明白な原因は、20世紀を風靡した「社会主義革命」への幻想であり、それを増殖させていく「コミンテルン」による情宣活動と諜報工作である。アメリカとロシア、20世紀の主役は彼らだったのかも知れない。

また、著者によれば、「欧米の金融資本」は、コミンテルンの策動に水面下で飛びついた。そうでなければ、1930年代にマルローやヘミングウェイのような知識人が「人民戦線」に飛び込んでいく背景が理解できないという。もしその通りなら考えられることは、金融資本から迂回された資金をもとに、巧妙なリクルート活動が行われたのであろう。無名の、しかし、功名心に富んだ青年たちを取り込み、出版を陰で援助する。金融資本家たちのロマンティシズムと保険が「人民戦線」というコミンテルンのカバーを新しい価値あるものに錯覚させたのかも知れない。

著者は本書ではあえて触れていないが、この時期、コミンテルンの策動がアメリカの隠された世界制覇の野心と結びついて成果を上げたものは、エドガー・スノーの「中国の赤い星」である。パール・バックの「大地」がキリスト教布教と結託してアメリカの中国への夢想を駆り立てたものとすれば、スノーは食い詰めた貧乏記者がアメリカ共産党と中国共産党の広報政策に乗って、類い希な成功を収めたケースである。この本を読めば、スノーの日本に関する無知と対照的に中国共産党に関する準備周到な叙述に驚かされる。「毛沢東に率いられた共産党」を農民民族主義に偽装し、毛沢東を「やせたリンカーン」と評するなど、アメリカにアピールする手管を考え抜いている。これらの「レッドブック」はイギリスの出版社が一手に引き受けて出版していたが、その資金はコミンテルンから出ていたものと思われる。林達夫は、かつて「ブラウダー主義」と称してアメリカ共産党指導者のとんまぶりを笑ったが、なかなかどうして、スノーもスメドレーも、変幻自在なエージェント「岡野隆」こと野坂参三もアメリカ共産党に草鞋を脱いでいたのだ。

著者は、ハリー・デクスター・ホワイトに代表されるアメリカ政権内部に巣くったコミンテルンのスパイたちを「スパイという自覚がなく、ソビエトがアメリカと共同で世界統治にあたることのできる同志」と考えていた可能性があるという。そのとおりであるとすれば、ルーズベルトを含めて彼ら全体が「社会主義への幻想」を共有していたのだ。

「大東亜(太平洋)戦争」の原因を、日本の陸軍と海軍との勢力争いに矮小化し、「連合国」を国際正義の体現者のように錯覚することは、アメリカの知的誘導に過ぎない。「大東亜(太平洋)戦争」という日本民族の苦難を、当時の国際情勢を踏まえた、アメリカの世界政策の影響として捉えていく著者の視点は、読者を深い考察の世界に導いてやまない。

宗教とは何か(三)

 外国文学にせよ歴史にせよ、言葉の世界であり、文字表記の世界である。しかし涯(はて)しなく時間を遡れば、私たちは言葉も文字もない世界にぶつかる。空間を拡大しても同じである。

 宗教は「外国」や「過去」といった何か具体的な手掛かりのある有限なものを実在とするのではなく、何もない世界、死と虚無を「実在」とする心の動きである、とひとまず言っておきたい。これはしかし途方もないことである。

 宗教の中には死と虚無を認めない立場もあれば、時間と空間の涯に死と虚無しかないことをしっかり直視している立場もある。死ではなく永遠の生、虚無ではなく永遠の存在を信じ、これを主張し、防衛する立場が恐らく世の宗教組織、宗教教団、宗教思想の依って立つ立脚点であろう。数限りない世界の宗教、細分化される宗派宗門、それぞれ独自の経典とそれに基づく密儀秘祭の細則、修行の戒律、伝播と教育と教宣活動、そしていたるところに建立されてきた大伽藍。私はそれらのすべてに関心があり、すべてを等価と見る文化史的見地にどうしても立つので、どれか一つの宗派の選択だけが正道であるとする信仰者の強靭な生き方、聖アウグスチヌスが「まちがった魂を滅亡から救うためには、強制もまた止を得ない」と言ったあの不寛容への決意のようなものに自分を追い込むことは思いも及ばない。それでいて私は宗教人の頑迷さに似たものに敏感であり、信仰に似た心の働きにつねに敬意を抱く。

 人間は歴史をいくら遡っても、文字言語の確かめられる所までしか遡れない。文字なき以前の遠い時代に、民族の純粋な声を聞き取ろうとした本居宣長のような人もいるが、彼にしても死と虚無を「実在」として、その上に「自己」を組み立てていると見ていい。

 本居は既成のあらゆる存在の名、ことに中国伝来の「天」の概念も仏教や朱子学の理念も否定して、日本の神々の世界に「むなしき大虚無(オホゾラ)」が広がっていると言っている(『古事記伝』第九巻)。現代風にいえばニヒリズムの自覚である。

 自己と事物一切の根底にリアルに潜む虚無が「自己」の前に立ち現れるとき、目前にあるのは名づけようのないものである。「大虚空」としか言いようがなかっただろう。それは古代初期ギリシャ哲学の時代にタレスが万物は「水」であると言い、ヘラクレイトスが「火」であると言った、等々のことに共通する何かであるように思える。

 私は特定の宗教に心を追い込むことがどうしてもできない。今なお死と虚無を「実在」とする立場なき立場に立ちつづけているが、それを「迷える子羊」だとも思っていない。

 だいたい宗教というこの二つの文字は、中国でむかし仏教の中の諸宗、各々の教えを呼んでいた言葉で、明治の近代日本がレリジョンの訳語に採用して以来、アジアの漢字文化圏に広がって、「宗教」は仏教の上位概念になって今日に至ったのである。ヨーロッパ語で宗教思想等が再編成されたときに、総括概念として使われたのが「宗教」で、それまでは仏教や神道やキリスト教や道教や儒教等々は存在したが、「宗教」は存在しなかったのだ。このことは案外多くを語っている。

 “宗教をどう考えるか”というようなこの稿の編集部からの質問が、すでに信仰の立場からではなく、近代の宗教学の立場からのアイデアである。

 宗教学者は信仰家である必要はないが、信仰がどういうことかを知っていなければ、信仰を学問の対象にすることはできないだろう。しかし信仰を知るとは物体の運動法則を知ることと異なり、あくまで自分の心が問われるのである。これは大矛盾である。信仰を知るとは何かの対象を「実在」として知ることと同じではない。対象化できない何かにぶつかることなのである。

 このように、学問と宗教は相反概念なのであるが、明治以来われわれはヨーロッパから近代の学問の観念を受け入れ、死と虚無を「実在」として生きているのが現実であるにも拘わらず、ニヒリズムの自覚に背を向け、誤魔化しつづけて生きている。そのため宗教とは何かを問われたり問うたりして平然として「自己」を疑わないでいるのである。

『悲劇人の姿勢』の刊行記念講演会は次の通りです。

  第三回西尾幹二先生刊行記念講演会

〈西尾幹二全集〉

 第2巻 『悲劇人の姿勢』刊行を記念して、講演会を下記の通り開催致します。

ぜひお誘いあわせの上、ご参加ください。

   ★西尾幹二先生講演会★

【演題】「真贋ということ
 ―小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって―」

【日時】  2012年5月26日(土曜日)

  開場: 18:00 開演 18:30
    
【場所】 星陵会館ホール(Tel 3581-5650)
     千代田区永田町201602
     地下鉄永田町駅・赤坂見附駅より徒歩約5分

【入場料】 1,000円

※予約なしでもご入場頂けます。
★今回は懇親会はなく、終了後名刺交換会を予定しています。

【場所】 一階 会議室

※ お問い合わせは下記までお願いします。

【主催】国書刊行会 営業部 

   TEL:03-5970-7421 FAX:03-5970-7427
   
   E-mail: sales@kokusho.co.jp
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・坦々塾事務局   

   FAX:03-3684-7243

   tanntannjyuku@mail.goo.ne.jp

星陵会館へのアクセス
〒100-0014 東京都千代田区永田町2-16-2
TEL 03(3581)5650 FAX 03(3581)1960