英国のEU離脱について

平成28年6月26日 坦々塾夏季研修会での私の談話

 6月25日のニュースを見ながら考えました。今回のイギリスの決定で、離脱派の党首と思しき人物がテレビで万歳をして、イギリスの独立、インディペンデント・デイだと叫びました。常識的に考えて、世界を股にかけ支配ばかりして、世界各国から独立を奪っていた国が、自ら「今日は独立の日だ」などと叫んでいるのですから、いったい地球はどうなっているのかと思いました。

 今日の段階で日本のメディアはヨーロッパの情勢ばかり言っています。アメリカや中国を含む地球全体の話をほとんどしません。そして英国のEU離脱、すなわちEUというグローバリズムの否定、英国ナショナリズムをさも悪いことのようにばかり言っていますが、そうなのでしょうか。

 ヨーロッパは今、確かに混乱していて、伝え聞くところでは、ドイツのメディアは気が狂ったかのようにイギリスを罵って、「こんな不幸なことを自ら招いている愚かなイギリスの民よ・・・、これからイギリスは地獄に向かってゆく。あれほど言ったではないか。」私には、これがドイツの焦りの声に聞こえます。さっそくドイツ、フランス、イタリアの外務大臣が会合して、意気盛んに「すぐにでも出てゆけ。来週の何曜日に出て行け。」まるで借家人を追い出すような勢いで言っているそうです。フランスもイタリアも次の「離脱国」になりそうで怖いのです。ですからイギリスはいろいろ長引かせようと思っても、そういう四囲の状況から早晩追い立てられるようにして出ていくことになるのではないか。いっぽうイギリスの中では後悔している人が何百万人もいて、再投票をしてその再投票願望のメディア、インターネット上の票数が何百万に達したとかいうような騒ぎもありますが、もうそんなことは出来ないでしょうから、決められたコースに従って粛々と動いてゆくことだろう思います。

 それもこれも日本のメディアがEUというグローバリズム、国境をなくす多文化主義を一方的に良い方向ときめつけて、それに反した英国の決定を頭から間違った方向と定めているからではないでしょうか。必ずしもそうではない、という見方が日本のメディアには欠けています。

 各国の思惑はそれぞれで、日本のメディアはとてもそこまで伝えていないけれど、基本的にはヨーロッパの情勢を伝えているだけですので、私は今日は今度の一件を端的にアングロサクソン同志の長い戦い、米英戦争の一環と考えてみたいと思います。アメリカとイギリスという国は宿命の兄弟国であり、また宿命のライバルでもあって、何かというと、どちらか片一方が跳ね上がると、すぐもう片一方が制裁を加えるということを繰り返しています。これはずっと昔からそうで、私が『天皇と原爆』の中でも書いたように、基本的に第二次世界大戦は「アメリカとドイツ」、「アメリカと日本」の戦いであると同時に、実は「アメリカのイギリス潰しの戦い」でもあったということを何度も何度も歴史的な展望で語ったのをご記憶かと思いますが、私の見る限りではそういうことは度々あるわけです。

 今回のイギリスはやり過ぎていますね。何をやり過ぎたかというと、キャメロン首相とオズボーン財務大臣というのは組んでいて、オズボーンはキャメロンと大の友達で、キャメロンの後を継ぐことにもなっていて、キャメロンを首相に持ち上げた人ですが、大英帝国復活の夢を露骨に言い立てています。しかし今の自分の国の力だけでは出来ないので中国の力を借りるという路線に踏み込んで、オズボーンは中国に出かけて行って「ウイグルは中国の領土だ」と言って習近平を喜ばせたりしてやっていたイギリスの勢力です。私なんかは日本人として苦々しく思っていましたが、アメリカの首脳部も苦々しく思っていたのだ、ということがいろいろ分かってきました。

 基本的にヨーロッパはどの国も中国が怖くありません。煩くもないので、中国を利用したいという気持ちがつねにあり、そしてロシアが邪魔という気持ち、この二つがあります。それからドルは出来るだけ落ちた方がいい、ドルの力を削ぎたいという気持ち。これがヨーロッパ人が考えている基本姿勢です。ですから日本に対する外交も全部その轍の中に入っています。なんとかして日本を・・・、という考えは全く無く、この間の伊勢志摩サミットでどんな話が出たのか分かりませんが、結局今言った基本ラインがヨーロッパの政治の中枢にありますので、そういう方向だったでしょう。

 今中国が握っている人民元は2,200兆円(22兆ドル)です。ところが中国は3,000兆円もの借金をしています。だから2,200兆円を世界にばら撒いても、借金が3,000兆円で、年間150兆円の金利を払わなければいけないのですが、中国にそんな力はありません。ですからズルズルと中国経済がおかしなことになっているのが我々には見えているのです。そのズルズルとおかしなことになっている間に人民元が急落するでしょうから、そうなる前に何とか自国に取り込もうと、少しでも自分たちの利益になるようなことをしようということを、各国が目の色変えてやっているのです。その先陣を切ったのがイギリスでした。ご承知のAIIB、アジア・インフラ投資銀行でイギリスが真っ先に協力を申し出たというので、世界を震撼せしめました。それは先ほど言った財務大臣オズボーンの計略だったのです。中国の力を使ってシティを復活させたい・・・。中国もシティの金融のノウハウを手に入れたい・・・。

 中国共産党党員の要人が金を持ち出しているのは夙に有名ですが、その持ち出した金は1兆5千億ドルから3兆ドルの間と、はっきりした額は分らないのですが、1兆ドルは100兆円ですから、「裸官」によっていかに途轍もなく多くの金が海外に飛び出しているのです。しかし、なによりもそれをアメリカがしっかり監視し始めて、アメリカはこれを許さない、というスタンスになってきた。中国人からするとアメリカではもうダメだ、ということで、中国共産党の幹部たちはその資金をシティに逃がしたい。香港経由で専ら中国とイギリスは手を結んでいましたので、シティを使って自分たちのお金を逃したいということもあるのでしょう。

 それを暴露したのがパナマ文書ですよね。それでキャメロンが引っかかったではないですか。ものの見事にアメリカは虎の尾を捕まえたのです。おそらくEU離脱派を主導しているジョンソンという人が次の総理になる可能性が高いと思いますが、あの人物もトランプに顔が似ていてね・・・。(笑)ジョンソンが首相になったら、彼は反中ですから、イギリスはAIIBから抜けますと言う可能性は高いし、今まで支持していたSDRの人民元の特別引き出し権も止めるかもしれない。つまり、イギリスは中国から手を引いて一歩退くという方向に行くかもしれない。中国の悲願は、人民元が国際通貨ではないということをどうやったら乗り越えられるか、何とかして人民元を国際通貨にしたい、どこの国でも両替できる通貨にしたい。それができなかったので、今は香港ドルに替えて、そこから国債通貨にしていますから香港ドルに縛られていたのです。10月からSDRを認められて、人民元はいよいよ国際通貨になれると期待されていますが、英国の離脱でさてこれもどうなるか?疑問視されることになるでしょう。

 パナマ文書という言葉が先ほど出てきましたが、ついこの間までタックスヘイヴンやオフショア金融とかいう言葉が飛び交ったことはご記憶かと思います。タックスヘイヴンは「脱税システム」ということで有名です。私は、あぁこれこそ歴史上イギリス帝国が植民地を拡大した時の悪貨な金融システムなんだなぁと・・・。そうなのです。イギリスは酷いことをやっていたのですよ。タックスヘイヴンというのは、その中心、大元締め、つまり元祖みたいなものはシティです。シティというのは、イギリスの女王がシティに入るためにも許可がいるというほどイギリスの中の独立国みたいなものです。つまりローマの中のヴァチカンのような一つの独立国みたいなもので、それくらい権威が高く、しかも中世から続いているわけです。そしてそれを経て東インド会社ができて、世界中を搾取した、あの大英帝国の金融の総元締めであって、そしてそれによって皆が脱税などを繰り返した。そう、二重財布ですよね。つまり日本でも税金を納めないでやるために商店とかでも二重財布をやっているでしょう。実際の会計と、それから違う会計を作ってやってるではないですか。その二重財布みたいなことをやって、これで世界を支配していたんだなぁと。武力だけではなかったということです。日本は明治維新からずうっと手も足も出なかったではないですか。悪質限りの無いこのオフショア金融あるいはタックスヘイヴンのシステムというものを、今でもアングロサクソンは握っているのですが、結局この思惑が米英で今ぶつかったのですね。

 アメリカはイギリスのやり方がやり過ぎている、というか、チョッと待てと・・・。じつはアメリカだって隠れてやっているけれど、パナマ文書にアメリカは出てこなかった。イギリス人やロシア人や中国人は出てきたけれど、アメリカは国内にそういうシステムがあるものだから誤魔化せるわけですね。ですがアメリカは国際的に大々的にはやりませんよ。その代り各国の不正な取引は監視します、と。

 なぜそういうことになったかというと、一つにはリーマンショック。自分の不始末で金融がぐちゃぐちゃになって、これを何とかしなければいけない。監視しなければいけない。それからもう一つは、ダブついたお金がテロリストに回って、イスラム国みたいなテロリスト集団が出てきたから、これを何とか抑えなければいけないということ。この二つの動機からアメリカは断固取り締まるという方向になりました。そうすると目の色が変わるのはシティです。イギリスはシティによっていま一度大英帝国の夢を・・・、ということですから、これは当然ながらイギリスのシティがアメリカのドル基軸通貨体制の存立を脅かすということになってきます。深刻な対立が生まれていたことがお分りかと思います。

 「中国の野望」は「イギリスの野望」を裏から支えているという姿勢があります。つまり所謂プレトンウッド体制というものが毀れかかってきている。そのためにアメリカは過去にイラク戦争もしてきたわけですから、アメリカは焦っている。しかも身内であるイギリスがそういうことをやったということで、対応をとる処分に苦慮してきたのだろうと思います。

 それでもアメリカとイギリスが永遠に対立するなどということは無いので、結局イギリスの中の体制が変わってキャメロンが辞めて、きっと親米政権が生まれるでしょう。そして、どうせまたアメリカとイギリスは手を結ぶことでしょう。いずれはウォール街とシティは和解するのです。今度の出来事はその流れの一つではないかと思いますが、皆さんいかがでしょうか。

 そうなると、残ったEUはどうなるでしょうか。先ほども申したようにドイツは頻りに「哀れなイギリスよ、お前たちは泥船に乗ったのか?」と言っているそうです。メディアも頻りに「可哀想なイギリスよ」とやりたてている。テレビなどがイギリスは明日ダメになってしまう、というようなことをどんどん流しているそうです。そしてシティがEUから離れていくわけです。そうするとEUは必然的に没落します。それでシティの代わりにフランクフルトにいろんな金融機関が集まってくるということが興りかかっているそうです。しかし100パーセントそうはならないでしょう。つまりこのあとアメリカはイギリスの出方ひとつでシティを守るかもしれません。だから結局EUはドイツが中心。アメリカとドイツが永遠に仲良くなるとは思えませんし、結局アメリカとイギリスは和解してEUはダメになる。そしてシティはアメリカの管理下に置かれる。アメリカ、というかウォール街がシティの上に立つような構造になるのではないか、ということが当たるかどうか分かりませんが私の予想です。
ヨーロッパ全体はおかしくなってくる。フランスやイタリアもEUを否定する政権になるかもしれず、ドイツは英国を憐れんでいましたが、話は逆になるかもしれない。ドイツはEUという泥船をかかえてどうにもこうにもならなくなるかもしれません。

 少なくとも中国の世界戦略は破綻した・・・。良かった!と思います。今度の事件で私は良かった、と思ったのですが、私はドルを少し持っています。ドル建て債券を持っていて、円高になるからみんな落っこっちゃったのです。私なんかほんとに僅かだけれど、その変化をみていると、企業や国家が持っているドルはどんどん目減りするわけですから、大変なことになるだろうなぁと思っています。アベノミクスがうまくいったとかいうのは、あれはほとんど円安政策です。円安があそこまでいったから経済が動き出したのですから、名目上のことです。とにかく個人的には不味いのだけれど、私の中の非個人的な部分は万歳と・・・。心の中で喜んでいます。

 私の短い人生の中でこんなことが沢山はないのです。つまり中国が台頭したのも理解できない。あの最貧国が大きな顔をして、お金で他国を威圧するなどということは5年くらい前までは夢にも考えられなかったということ。そしてあのアメリカがタジタジとして自分で自分を護れなくなっているというのもビックリする話で、イギリスもおかしくなってきた。おそらくスコットランドが独立するのではないかという気がします。スコットランドがもう一回独立投票をやれば確実に離れるでしょう。そうするとイギリスという国は無くなるのです。ブリティッシュという概念は無くなってイングランドになる。イングランドになると同時に大国ではなくなります。何がおこるかというと、おそらく第二次世界大戦の戦勝国としての地位を失う。即ち国連の常任理事国としての地位を継承できなくなると思います。だってそうでしょう。ブリティッシュ、ブリテン大国がイングランドになったら、これはもう違う国なのですから。そういうことが直ぐにではなくとも必然的に起こりますよね。これでイギリスに片がつくと・・・。明治以来日本の上に覆いかぶさっていた暗雲が私の短い人生の中で一つずつ消えてゆく、というようなことを考えながら昨日(6月25日)のニュースを見ていた次第です。

文章化:阿由葉秀峰

青葉を観ながら考えさせられたこと

ゲストエッセイ
坦々塾会員 伊藤悠可

 梅雨入りしたが雨が少ない。初夏の光のある間に青葉をみておこうと、先般、親しい人たちと近郊の名所を訪ねた。春の桜もいいが新緑の瑞々しさは格別だ。最近、力作の論文を書き続け、講演でも活躍する坦々塾の中村敏幸さんも一緒だった。彼は文章と同様、意見の交換も常にストレートである。ふだん同じ方向を向いているつもりでも、論点で微妙な差異が見つかることは却って面白い。その日、彼と違いをぶつけあって楽しかった。

中村さんは断っておくが安倍首相の“応援団”という人ではない。シンパでなく、むしろ厳しい視線を常に注いでいる批評家である。だが、この間のサミットについてかなり高評価を与えていることを知った。「安倍首相がサミットの開催地に伊勢を選んだことを君はどう思うか」と私に訊くからである。中国経済の末期症状、南シナ海問題、北朝鮮の核などの会議の内容ではなく、何と開催地についてだった。

 私はある程度、中村さんという人間を知っている。そもそもこんな質問をするのは、伊勢神宮への崇敬の念から出ていることは察せられるし、さすが安倍晋三はツボを心得ていると感心してのことだろう。いきなり「君はどう思うか」というときは大体、強烈に同意を求めているときである。可笑しかったが、私は反対なのである。感心しないと答えた。

 まだ選定のはじまる時期ではない頃から、何となく「伊勢」が候補地に上がるだろうなと自分は予想していた。日本文化の中心であり、魂のふるさとであり、最も尊い聖地。安倍という人のこだわりそうなことである。各国首脳をここに招き、実地に神域にふれさせ、至尊の幣垣内に導きたい。中村さんはいう。「地上絶類の清らかな神気をこうむった首脳たちは、そのときは何も感じなくても、将来、この瞬間の感動はリーダーたちの深層にはたらくのではないか」と。

 おそらく中村さんの頭には、アインシュタインやアンドレ・マルロー、マルローと親交のあった竹本忠雄さんのことなどがよぎっているのだ。安倍首相も同じような動機かもしれない。伊勢の神気というものを念頭において、純粋に目の当たりに神明造りの社を見せたいという気持ちがあったのだろう。

 そのとおりなら、私はその純粋な動機が子供じみていて深慮に欠けているとも感じられ、少しいやなのである。自分は伝統を最も重んじる政治家だ、伝統の最上といえば伊勢だ、神宮のすばらしさをトップリーダーの眼にやきつけてもらう。言い換えれば図式化された感動づくりなのだ。安倍晋三にはそういうところがある。日本イデオロギーというべきか。

米国議会でのスビーチがまずそれだ。七十年談話がそれだ。韓国との慰安婦問題のケリのつけかたがやはりそれだ。この三つの歴史の課題はここで触れないが、安倍首相はこのあたり明確にカーブを描いている。心情は曲げないが言葉は相手の受けをみて変える。いっそう良くないことなのだが、そうなっていないか。こっちは政治なのだ、と安倍は手を打つようになった。

 話を戻したい。伊勢参りの有名な浮世絵を思い出す。広重のなかでも私の好きな一枚は、主人に代わって参詣するけなげな犬である。けものだから宇治橋は渡させてもらえないのだろうか、たもとで参詣者の群に埋もれていたと思う。犬を家族としてきた私ほこの版画にほろっとしてしまうのだ。ここで皮肉を言っているわけではない、オバマやメルケルは広重が描いた犬ほど無心で清朗だろうか。オバマやメルケルはマルローの感受性をもっているとは思えない。

サミットはなかば格闘技である。私が反対なのは、神宮が貴いというなら神宮を使うな、という意味なのである。政治の土俵は神宮の対極にあるのではないだろうか。伊勢は遺跡でないし、廟でもないし、施設でもない。

それから、危惧もある。現実の脅威となったテロリストにヒントを与えるべきではない。

  春めくや人様々の伊勢参り
  参宮と言へば盗みも許しけり
 (蕉門の連句だったと思いますが、二つともいいですね)

 大事なものはそっとしておくものだと思う。伊勢と同等には語れないが、国内各社で世界遺産に指定された神社が多い。厳島神社、下賀茂・上賀茂の両社もそのため内外の観光客が増えたにちがいない。これからの予算も心痛のタネかもしれぬ。しかし、世界遺産の指定を何にもまして夢見るという感覚は本来神道界のものではあるまい。私は寺社にかぎらず世界遺産全般に良い印象をもっていない。落とし穴のありそうな不吉な贈答品だというイメージが拭えない。

 考えてもみよ、何で「遺産」なのか。人類はまだ若いかもしれないじゃないか。

 素人の私には、神道というものが濃い霧に包まれてほとんど奥行きがわからない世界にみえる。神宮・大社とよばれるところでは、非合理というべき契りや秘密や伝えが残されている。私はこう書きながらもう一つ記憶がよみがえる。それは昭和二十年十二月十五日に発せられたマッカーサー司令部の「神道指令」である。

 日本政府に発した「神道指令」とは、国家神道の禁止と政教分離の徹底であった。これによって神道の本質はほとんど抹殺されると震撼した日本人が少なくない。発令から一週間を経た二十二日夜、宮中でお茶会が催されたのだが、そこに召されていた歴史学者の板沢武雄博士が陛下に述べられたという。「この司令部の指令は、顕語をもって幽事を取扱うものでありまして、譬えて申しますならば、鋏をもって煙を切るやうなものと私は考えて居ります」。これを陛下はまことに御感深く御聴き遊ばされたと、木下道雄著『宮中見聞録』に書かれている。

 その人の著書を読んだことがなく板沢武雄のことは何もしらない。が、顕語をもって幽事を取り扱うという言葉も、鋏をもって煙を切るという表現も、とても味わい深い。これほどの達観と自信とをわが国の神道人は今もたずさえているのだろうか。さっさと忘れて新しい道を歩いているのだろうか。若葉を観ながら、中村敏幸さんが投げかけた、どちらかというと他愛のない伊勢サミットの話題から、さまざまなことを考えさせられた一日だった。
(了)

新刊『日本、この決然たる孤独』について

 このたび、6月30日付で、『日本、この決然たる孤独――国際社会を動かす「平和」という名の脅迫――』という題の評論集を刊行しました。すでに一部の店頭には出ています。

 さしあたり「あとがき」の最初の部分と、目次をおしらせします。

 版元は徳間書店で、定価は¥1700(税別)です。

あとがき

何年も前に書いた私の予言が当たることが比較的多いのは少し恐いことである。本書の中にも、当たったら大変な事態になることが語られている。私は希望的観測に立ってものを言わないからだろうか。いま政府や関係官庁が本気になって目前の災いを取り除いてほしいと思えばこそ、きわどい真実を語るのである。私は観察し、そして恐れている未来への思いを正直に打ち明ける。外国との関係に幻想を持たない。日本の弱さにつねに立脚する。自国の優越に立ってものを考える前に、他国の劣弱をしっかり見抜くべきことを説く。歴史は自国の優位を汲み出す泉ではなく、他国の主張する諸価値のウラを読み解く鍵である。自国の歴史に自信がなければ他国は見えない。自国の特性を美化する人が多いが、自信は秘匿されていなくてはいけない。私はあらゆる意味で〝守り″の思想家なのだ。

本書は主に2014-16年(前半)に右に述べたような態度で書かれた文章から成り、それ以前に書かれた文章も若干含んでいる。一冊の表題は迷っていくつもの案があったが、「日本、この決然たる孤独」という私の好みの題をつけさせてもらった。ただ、もう少し説明がほしいといわれ、副題に「国際社会を動かす『平和』という名の脅迫」を添えた。日本の国内の平和主義の弊害をはるかに越える恐ろしい沈黙の脅迫が世界を支配している。

(『日本、この決然たる孤独』目次

Ⅰ 安倍政権の曲り角──わたしの疑問と諫言
 総理に「戦後七十五 年談話」を要望します
 日韓合意、早くも到来した悪夢 
 北朝鮮への覚悟なき経済制裁の危険 
 外国人問題で困るのはタブーの支配 

Ⅱ 中国とヨーロッパ
 歴史の古さからくる中国の優越には理由がない 
 中国、この腐肉に群がるハイエナ 
 ヨーロッパの「正義の法」は神話だった 
 人民元「国際化」のごり押しに目をつむる英仏独 

Ⅲ アメリカと日本
 「反米論」に走らずアメリカの「慎重さ」を理解したい 
 日本の防衛はアメリカからとうに見捨てられている 
 無能なオバマはウクライナで躓き、アジアでも躓く 
 「なぜわれわれはアメリカと戦争をしたのか」ではなく、
 「なぜアメリカは日本と戦争したのか」と問うてこそ
  見えてくる歴史の真実
 悲しき哉、国守る思想の未成育 

Ⅳ 韓国について
 「十七歳の狂気」韓国 
 韓国との「国交断絶」を覚悟しながら歩め
   ──世界文化遺産でまた煮え油!     

Ⅴ 朝日新聞的なるもの
 「朝日新聞的なるもの」とは何か 
 ドイツの慰安婦と比較するなら 
 朝日叩きではない、朝日問題の核心 

Ⅵ 掌篇
 本の表題 
 岡田史学と『国民の歴史』
 遺された一枚の葉書
   ──遠藤浩一氏追悼 
 文学部をこそ重視せよ
   ──国家の運命を語ってきた文学的知性 

Ⅶ 歴史の発掘
 仲小路彰論 
 仲小路彰がみたスペイン内戦からシナ事変への潮流 

あとがき

ketuzen

トランプ外交も本質変わらず…米国への「依頼心」こそ最大の敵

6月9日産經新聞「正論」欄より

 米大統領選挙のあとに日米関係は大きな変化が訪れ、わが国は今まで考えていなかった新しい国難や試練を強いられるのではないか、という不安が取り沙汰されている。

≪≪≪ 孤立主義は米外交の基本ライン≫≫≫

 オバマ米大統領の8年間の外交政策の評価は低い。現在の世界の不安定は相当程度に彼の不作為に原因がある。何と言っても同盟国を軽視し、仮想敵国(中国やイランなど)との融和を図る腰のぐらつきは困ったもので、日本、イスラエル、サウジアラビア、トルコなどをいたく不安がらせてきた。さらにイギリス、ドイツ、韓国を「習近平の中華帝国」に走らせ、フィリピンまでが“親中派”ともされる大統領を選んだ。

 米国のいやがる安倍晋三首相のロシア接近も、親米一辺倒の昔の自民党なら考えられぬことだ。すべてはオバマ政権が覇権意志を失いかけていることに原因がある。

 大統領選共和党候補トランプ氏が言い立てている外交戦略は、オバマ大統領の政策とはまるきり違い、大胆なものとの印象を与えているが、それほど大きな隔たりはない。「米国は世界の警察官にならない」と2度にわたって宣言したオバマ大統領の方針と本質的な違いがあるとは思えない。

 背景には軍事予算の大幅削減の事情があり、だれが大統領になっても「孤立主義」「米国第一」「国際非干渉主義」は、イラク戦争が失敗と分かってから以後の米国外交の基本ラインである。ただトランプ氏は、中国やロシアに対しては同盟を組まなければ米国も自分を守れないということが全く分かっていない点に、相違があるのみである。

≪≪≪ あらゆる面で依存してきた日本 ≫≫≫

 動かせない米国の内向き志向の情勢下で、肝心なことは、わが国が依存体質をどう脱し、自立意志をどう高めるかである。軍事力を背景に現状を変更しようとしている中国に対する米国の抑止力は弱まるだろう。アジア各国は米国への不信感を募らせ、それぞれ生存を図ろうと中国との関係を調整し(すでに始まっている)、同盟の組み替えを試みるようになるだろう。そして国内に中国共産党の意向を迎える勢力の拡大を少しずつ許すようになるだろう。わが国も多分、例外ではない。

 恐るべきことが始まろうとしている。米国の“離反”を目の前にして、わが国が今まで米国に何をどのように依存していたかを整理してみる必要がある。核抑止力と通常戦力、軍事技術の基本的な部分、安全保障に必要な国際情報のほぼすべて、エネルギー輸送路の防衛、食料の大部分、驚くべきことに水資源も食料という形で大量に輸入している。これだけ依存していれば米国から離れられるわけがない。

 米国は今でも世界の国防費の37%を掌握している。中国が11%でそれに次ぎ、ロシアが5%、約3%が英、仏、日本である。日本の自衛隊の質は非常に優れていて、装備の性能や技術力も高いが、兵員や装備は数量的に劣っている。法的準備態勢などはご承知の通り、だめである。なぜ日本が安全であったかといえば、世界最強の軍事大国と同盟を結んできたからである。
 これは否定することのできない事実である。そしてこの事実の代償として、わが国の国土に133カ所の米軍基地(施設・区域)を許し、軍事装備品の米国以外からの購入も自主開発も制限され、約1兆ドルにも及ぶ米国債を買わされ売却する自由はなく、貿易決済の円建ては事実上、封じられている。しかも金融政策まで米国の意向に合わせざるを得ない。

≪≪≪ 国内が引き裂かれる状況に ≫≫≫

 これはすなわち“保護国”ともいえる証拠である。逆に米国は日本から防衛費の何倍もの利益を得ていることになる。トランプ氏はこの事実を知らない。わが国民も中国の「侵略」を目の前に見て、同盟国に責任と補償をさらに求めてくる米国のこれからの対応-大統領が誰になっても-に対し、今まで体験してこなかった想定外の戸惑いと苦悶(くもん)を強いられることになるだろう。

 なにしろ中国の現預金は22兆ドル(約2400兆円)もあり、そのだぶついているカネを、人民元が暴落しないうちに少しでも取り込もうと、欧米の金融資本は目の色を変えている。南シナ海を侵す醜悪なスターリン型全体主義体制を、あの手この手で生き永らえさせ、温存することに必死である。日本の財務官僚も例外ではない。
 恐ろしいことが起こりつつある。日本は一国では中国に立ち向かえない。米国の助けが必要である。しかし米国は内向きで、日本が必死になってすがりつこうとすればするほど、背負うべき負担はさらに倍増され、一方、国の独立と自存に無関心な国内の親中派が米国との関係を壊そうとする。

 このように国内が引き裂かれる状況になるのをどう避けたらよいだろう。これからの日本に真に大切なのは、国民が自らの弱点によく気づき、国家の自立意志を片時も忘れぬことだろう。(にしお かんじ)

ユネスコ記憶遺産登録

ユネスコ記憶遺産登録の無法ぶりに対しずっとわれわれはなすすべなく、自らの無力に歯ぎしりしていました。しかし次のニュースに接し、ついに無法に切り込んでくれる日本人の実行者が現れたこと、そしてともあれ一太刀あびせることができたらしいことをうれしく思いました。実行者の皆さまに御礼申し上げます。

日本政府には期待できません。民間団体によるこの登録申請は、歴史戦に対する日本側からの初めての挑戦で、日本の歴史にとってまことに画期的なことと思います。

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(一社)新 し い 歴 史 教 科 書 を つ く る 会

つくる会FAX通信

第390号 平成28年(2016年)6月3日(金)  送信枚2枚

TEL 03-6912-0047 FAX 03-6912-0048 http://www.tsukurukai.com 

ユネスコ記憶遺産に

「通州事件・チベット侵略」「慰安婦」を登録申請

歴史戦の新しい展開を「つくる会」は支援

5月31日、日本、チベット、アメリカの民間団体が共同して、ユネスコの記憶遺産に2つのテーマを共同申請しました。共同申請とは、一つの国の枠を越えて、複数の国の団体や個人が共同で申請する記憶遺産のルールにもとづくものです。

第一のテーマは、「20世紀中国大陸における政治暴力の記録:チベット、日本」というタイトルで、1937年7月29日に起こった日本人虐殺事件(通州事件)と、戦後の中国によるチベット民族消滅化政策を、中国の政治暴力の犠牲者として位置づけた申請です。

第二のテーマは、「慰安婦と日本軍規律に関する文書」というタイトルで、日米の共同申請です。慰安婦制度の正しい姿を知ることの出来る資料を登録する内容です。

それぞれの申請書の概要部分は下記のとおりです。

なお、この中で、申請の主体となっている「通州事件アーカイブズ設立基金」は、通州事件についての資料の発掘、調査、保存、普及のためのNGO団体で、5月に発足しました。

会見は、「通州・チベット」側から、基金の藤岡信勝代表、皿木喜久副代表、ペマギャルポ、三浦小太郎の各氏、「慰安婦」側から山本優美子、藤木俊一、藤井実彦の各氏が出席しました。今後は年内におおよその結論を出すとみられる小委員会と対応し、来年10月の登録を目指します。

これらの申請の登録が実現するよう、当会も全面的にバックアップをしてまいります。

(1)「20世紀中国大陸における政治暴力の記録:チベット、日本」

<申請者>日本:通州事件アーカイブズ設立基金

チベット:Gyari Bhutuk

<概要> 20世紀の中国大陸では、他国民あるいは他民族に対する政治暴力がしばしば行使された。この共同申請は、対チベットと対日本の事例についての記録であり、東アジアの近代史に関する新たな視点を示唆するとともに、人類が記憶すべき負の遺産として保存されるべきものである。以下、事件の概要を、時間順に従い、(A)日本、次いで(B)チベットの順に述べる。

(A) 日本: 1937年7月29日に起こった通州虐殺事件の記録である。この事件は暴動によって妊婦や赤ん坊を含む無辜の日本人住民200人以上が最も残虐なやり方で集団的に殺害されたもので、日本人居住者を保護する立場にあった冀東自治政府の中の治安維持を担当する保安隊を主体とした武装集団がやったことであった。

(B)チベット: 中華人民共和国建国直後の1949年から始まったチベットに対する侵略行為の記録である。それから1979年までに、1,207,387人のチベット人が虐殺された。犠牲者の中には、侵略者に対する抵抗運動の中で殺された者や、収容所や獄中で拷問の末に殺された者などがいた。チベット仏教の文化は消滅の危機にさらされている。チベットのケースは、日本とは規模は大きく異なるが、残虐行為の実態は驚くほど共通している。

(2)「慰安婦と日本軍規律に関する文書」

<申請者>日本:なでしこアクション、慰安婦の真実国民運動

     アメリカ:The Study Group For Japan’s Rebirth

<概要> 慰安婦comfort womenについて誤解が蔓延しています。正しく理解されるべきであり、記憶遺産に申請します。慰安婦とは、戦時中から1945年終戦までは日本軍向け、戦後は日本に駐留した連合軍向けに働いた女性たちで、民間業者が雇用、法的に認められた仕事でした。他の職業同様、住む場所・日常行動について制限はありましたが、戦線ではあっても相応な自由はあり、高い報酬を得ていました。彼女らは性奴隷ではありません。申請した文書には、日本人33人の証言集があります。これは当時、慰安婦らと直に会話し取材したものです。また、慰安所のお客が守る厳格な決まり、占領地の住民を平等に扱ったこと、ヒトラーのドイツ民族優位論を否定するなど、日本軍の規律や戦争に対する姿勢などが記されている文書もあります。慰安婦制度が現地女性の強姦や、性病の防止に効果があったこと、日本軍は規律正しかったことも記されています。

オバマ広島訪問と「人類」の欺瞞

 オバマ大統領の広島演説を聴いた。予想した通り「人類」という言葉が使われた。短い発言を区切って一語一語をたしかめるように語り、演説の効果を高めていた。うまいと思った。

 その後につづく安倍首相の演説は長過ぎた。内容もやや低調だ。きれいごとを冗漫に語りつづけ、もうここいらで止めたらいいのにと何度も思った。

 大統領に謝罪を求める気持ちが日本人にないということがアメリカに伝わり、好感情を持たれ、それがオバマの訪問を後押ししたといわれる。何ごとにでもすぐ安易に謝罪したりされたりしたがる日本人が、原爆投下に対してだけは謝罪を求める気持ちを持たないということは深く複雑で、簡単にすぐ解ける問題ではない。

 70年間にわたり日本人を支配したのは「恐怖」だった。今も消えてはいないし、これからもつづく。アメリカに対する怨みや、憎しみや、敵意といった単純な心理で説明することのできない、何とも言いようのない理不尽なものを感じつづけてきた。悪ではない、悪以上の何か、非道なことを平然とやってのける冷酷さを感じつづけてこなかった日本人は恐らくいないだろう。

 「恐怖」を逃げるために日本対アメリカの対立構図を避けて、日本とアメリカの両方を越える「人類」という概念に救いが求められる。そして、オバマ大統領も私が予想した通り「人類」の語を使った。日本の被爆者代表の人もよくこの語を用いたがる。

 恩讐の彼方に、ということなのだろうか。そんな風に単純に考えていいのだろうか。

 私はオバマ訪日の5月26日の二週間前に、新雑誌「月刊hanada」のために27日の広島を予想して一論考を書き上げ、編集者に渡した。題して「オバマ広島訪問と『人類』の欺瞞」

 ところが雑誌が店頭に並ぶ26日より2日前に私の手元に一部届けられ、目次を開いたら「オバマ広島訪問と拉致問題」にとり替えられていた。私は正直がっかりし、また悲しかった。ずっとそのあと気分がすぐれず落ち込んでいる。

 私の論文は拉致問題を話題にしてもち出してはいるが、単に冒頭に論述上の枕として用いただけで、拉致のテーマは論じていない。私の従兄の原爆死、叔母の悲嘆、従姉との思い出などを基本に、あの有名な原爆碑の碑文をめぐるテーマを取り扱っている。オバマが「人類」という概念を用いるであろうことを三週間前に予想して書き上げた内容だ。

 私の読者に告げておきたい。雑誌にのる私の文章の題名は私がつけるのではない。題名を無視して欲しい。内容を読んで、私の真意を自らつかんで欲しい。

 「オバマ広島訪問と『人類』の欺瞞」が「オバマ広島訪問と拉致問題」に取り替えられたとき、文章の内容の70%はすり替えられてしまっている。私の真の読者はごまかされないだろうが、一般の広い読者は誤読するだろう。こんなことは一昔前の言論界にはなかったことだ。

 いつの日にか私はこの論文も単行本に収める日が来るだろう。そのときには元の題「オバマ広島訪問と『人類』の欺瞞」に戻すだろう。しかし書誌的には私が本に入れるときに改題したということになり、不本意な思いが残る。

 こういうことが最近あまりに多い。だんだん書く元気がなくなってきている。

 で、読者の皆さまにお願い申し上げる。私の評論が雑誌に出たとき、標題はないものにして考えないことにして欲しい。標題が目に入っても大抵これは別の人の作為が入っているから当てにならない、と考えて欲しい。そして「人類の欺瞞」がこの評論の中心テーマだと知って今気持ちをあらためて当該論文を手に取って読んで欲しい。

特別対談 西尾幹二先生 × 菅家一比古主幹(三)

●文芸評論家の使命

菅家 先生は数々の文芸評論家と関わって来られましたが、最近の文芸評論家について感じられることは?
西尾 もう文芸評論の時代は終わりました。そんなものはもうないのですよ。私も人生をかける仕事だと思って入り込んだのですが間違えました。当時はそう思った人がたくさんいました。
 世界から文学がなくなることはありません。けれども、詩や小説のレベルが低下した時代に、一流の文芸評論は生まれません。
 昭和の高度成長期、あの時代は文芸評論を志す人がものすごく多かった。それで才能を発揮できなくて敗北。でも私は途中でふと気がつきました。文芸評論なんかやっていても駄目だと。それで九十年代の初頭に足を洗いました。
菅家 時代は昭和から平成へと移った頃ですね。
西尾 私の評論活動の価値を申し上げておきます。謙虚に申し上げます。私の評論活動の意義は、冷戦崩壊後にやっと起こったと自己解釈しております。
菅家 冷戦崩壊後にですか?
西尾 はい。冷戦崩壊後に共産主義の世界的な動きを論じ、その全体主義の危険と影響を見極め(『全体主義の呪い』)、引き続いて起こったアメリカの対日批判に向き合い、日本のポジションを主張し、文化的・経済的意義を説き、そして散々それを論じて一歩も引きませんでした。
 まもなくその淵源が先の戦争の是非にあると知り、教科書改善運動に取り組み、それを主導し、終わって一挙にこの運動からも離れました。
 その後、歴史、文明の独自の世界観を切り開くことにし、長編評論をいくつも書き、その結果、主なもので『国民の歴史』『江戸のダイナミズム』『少年記』などを出版しました。『少年記』は私の五歳から十七歳までの文学的表現です。戦争真っ最中の記録。ですから私の戦争体験記でもあるのです。
菅家 先生は戦時中、どちらで過ごされたのですか?
西尾 茨城県の水戸と栃木県寄りのとある寒村です。つまり疎開です。
菅家 それも読んでみたいですね。
西尾 私の独自性、つまり小林秀雄や福田恆つねあり存や竹山道雄(三人とも日本を代表する文芸評論家)と異なる点は、冷戦崩壊後にやっと発揮されたということです。
 彼らは冷戦前ですから、はっきり言って「反共親米」だったのです。 しかし私は若い時からアメリカを批判していました。世界の現実を見ようという立場から親米ではなく、「反共反米」にならざるを得なかったのです。

●原発問題の本質

菅家 先程核武装のお話がでましたので申し上げます。先生の脱原発、本当に前から私も同じ意見です。
 五年前の東日本大震災、その年の七月に都内のホールで大きなシンポジウムがあり、パネリストで私も呼ばれたのです。錚そうそう々たるメンバーがたくさんいまして。
 それで私は何故ここへ呼ばれているのかなと自問して、古神道家としての観点からなのかと思ったので、あえて言わせて頂いたのです。私は「脱原発です」と。私以外、みんな原発推進論者でした。
 当然その理由はと聞かれました。それで、日本は火力発電がありますが、火の神様がいます。水力発電も水の神様がいます。風力発電、風の神様がいます。そして火山の神様、地熱発電、これも神様がいらっしゃいます。
 しかし、原発大明神などという神様はいません。つまり自然のエネルギーではないのです。プルトニウムという人間が勝手に作り上げたこの元素、これは異常です。これは日本の国柄には合っていません。
 だから私は脱原発。左翼団体の反原発とは違います。今の日本は確かに原発エネルギーが必要です。しかし十年計画、十五年計画を通して、原子力に替わる代替えエネルギーを産学官共同で研究開発すべきですと。
 しかしながら、左翼市民平和団体の主張は異常過ぎます。別の意図が隠されていますね。
西尾 私は原発もしばらくはあっていいと。ただ徐々に減らしていくべきだと当時書きました。私も核武装論者で、従って『平和主義ではない脱原発』という本を出しています。
菅家 はい、存じております。先生のおっしゃっていることと私の考えていることは全く同じなのです。
西尾 ただ原発の問題は益々難しくなってきています。今再稼働しても、やはり採算が合わないのではないでしょうか。
菅家 しかし日本の技術力と潜在的能力は、必ず近い将来ポスト原発の再生エネルギーを可能にすると信じております。
 ただ、この原発の件で保守派の意見が分かれていることは残念です。
西尾 これはおかしい。もうちょっと柔軟に考えなければ。
菅家 近代文明社会、即工業化社会、日本の保守派はそちらに流れてはいけないように思います。。
西尾 原発によって国土が汚されるのが不愉快でなりません。
 福島の汚染も解決していないのに、今度は西日本で起きたらどうなりますか。福島は海へ流れたからまだ良かったものの、西日本で起きると風が東へ流れるから大変なのです。
 一番問題なのはテロに対する防衛体制が脆ぜいじゃく弱すぎる。自衛隊が原発を守っていないということ。誰が守っているかというと民間の警備員です。
菅家 警備会社まかせです。
西尾 危機管理がなっていない。この国はどうなっているのかというのが、私の根本的疑問です。怖ろしい国ですよ。ですから原発賛成という前に、まず安全面を確立して欲しい。
菅家 原発を一つ襲われたら、日本人はかなり目が覚めるかもしれませんね。
西尾 全然わかってない。何度やられてもわからない国民だね。

●いま問う、戦後七十年という時代

菅家 西尾先生の『国民の歴史』を読んで、歴史家・言論人としての見識と情熱に改めて感動しましたが、
当時そうとう反響があったのではないでしょうか。
西尾 私はあの本を「日本から見た世界史の中に置かれた日本史」という構想で書きましたが、『国民の歴史』をそんなに評価してくれているのはあなただけです。
菅家 『人生について』も素晴らしい本です。みんなに読んで欲しい。
西尾 実は『国民の歴史』を書いてから悪口ばかり言われたので、傷ついてもいるのです。当時私の顔を見た国立大学のある先生が「国民なんてものはないんだ。国民の歴史なんて変だ。国民なんて概念はないんだ」と、そう言いました。お前は頭の固い馬鹿だと言わんばかりに。
 「国民国家とかいうものは過去のものだ」という意見なら、文明論上の議論を交わしてもいいと思いますよ。だけど国立大学の教師が「国民」という言葉をさも汚いもののように考えている。彼らはみんなそう。そう思っている連中にマスコミは媚こびを売っています。
 そんな勢力にああだこうだと言われてきましたから、あの本がいい本だなんて自分でもわかりません。 
 第一あの本を正面から論評してくれる人が殆どいません。批判的な単行本なら十冊位出て、左翼の歴史家から総立ちになって叩かれました。
菅家 注目されたんですね。反応があったんですよ。
西尾 彼らも痛いところを突かれたのでしょう。網野善彦などむきになって噛みついていました。
菅家 最後にお伺いしますが、文明論的に日本の歴史とは、いったい何でしょうか?
西尾 日本は、地理的、時代的に孤立した宿命を背負わされた民族で、他に類例をみない地球上の孤独な立場におかれてきました。
 それにも関わらず、極めて短期間にその悲運を跳ね返しました。そのわずか数十年の歳月を乗り越えた幕末、明治、大正、昭和初期までの日本人の対応力は、これまた世界史上に例がありません。
 でも、私は日本人は偉大だったなどと言うのではなく、そのことに耐えて戦った人々の苦難と悲しみを偲び、ただひたすら共感し、同情し、痛哭し、よくやってくださったという尊敬の念のみがあります。
 そして今を無思慮に生きる我々の焦り、怒り、苛立ち、空しさのことを考えております。
 安倍首相の戦後七十年談話はあっけなかった。期待していたのに、こんな馬鹿みたいな逃げ方は無かったと思います。私たちは過去の人たちをどんな根拠があって批判出来るのでしょうか。
 私は過去をなんでも礼讃するのではありません。健気な努力と悲しみで生きた人たちの想いに、ただ胸が痛くなるということだけです。
 そして西洋にただ同化すればいいと思っていた思想は空しくなりました。明治初期、時代はそういうものでした。それを今さら明治時代は偉大だと絶賛する人もいますが、それを言ったからってどうなりますか。
菅家 明治のバックボーンは江戸時代に培われた日本人の気質でした。
西尾 歴史は未来によって変わります。明治は偉大だったのではなく、悲しくつらい時代だった。幕末から昭和に生きた人々は国難に耐え、よくやったと思います。私たちよりも偉大な発展を短期間で行いました。それに比べれば私たちは一体何をやっているのでしょうか。
菅家 要するに、何も出来なかった。戦後七十年も経つのに、何も変えることができなかった。日本人はここまで西洋文明のマインドコントロールにかかってしまいました。
西尾 それもあると思いますが、同じようなことは明治にもあった筈です。あんな厳しい状況は無かったのですから。戦後の七十年間はそこまで厳しいとは言えません。何も考えないで、呑気に過ごしてしまった。
菅家 日本人の意識を変えて、西洋文明による病を克服しなければなりません。
 私事ですが、六月から「平成菅家廊下・翔塾」を開講いたします。総合人間力の向上を目的に知徳、人徳、天徳、知性、品性、霊性、これを高めていく本格的な人間教育をして参ります。
 西尾先生もどうか私たち後進を育てて下さい。本日は貴重なお話を伺えました。本当にありがとうございました。
西尾 ありがとうございました。

 

西尾幹二先生との対談は文字に起こすと三万文字を超え、これをどのようにまとめ、掲載可能な一万字に抑えることができるかと、とても苦労しました。削られた三分の二の中身の濃さは、本当に勿体無い限りです。
 西尾先生は若き日にミュンヘン大学の研究員となり、その体験を元に書かれたのが『ヨーロッパ像の転換』『ヨーロッパの個人主義』でした。これらは当時、学者、文化人、知識人から多いに注目され、哲学者の梅原猛は「一人の思想家の登場を見た」と言い、ジャーナリストの草柳大蔵は「論理の超特急」と評しました。
 私が西尾先生と最初に出会ったのは四十年近く前になると思います。先生は若くして知性派として知られ、いまでは天下の碩学であり、日本の言論界の重鎮として大きな影響力を持っておられます。その洞察力はあまりにも深くて鋭いものがあります。
 三時間近くに亘った対談はどれも素晴らしい内容のもので、その全てが載せられないのが残念でなりません。これからも益々お元気で日本の行く末を見守っていただきたいと思います。
 西尾先生、本当にありがとうございました。
菅家一比古

(文責・編集部)

特別対談 西尾幹二先生 × 菅家一比古主幹(二)

●司馬史観の克服

菅家 歴史ブームの中で以前から違和感があるのは司馬遼太郎です。彼は小説『坂の上の雲』で乃木将軍を非常に批判的に描いています。
西尾 とんでもないですよ、あれは。『坂の上の雲』は途中まで読んで馬鹿らしくてやめました。
 日露戦争から帰ってきた乃木将軍が凱旋行進をした時、他の将軍はみな馬車に乗っているのに、乃木は一人馬上にあり、頭こうべを垂れ、深々と羞しゅうち恥と謝罪の感情を示しつつ、うらぶれた姿で歩んだ。そしてこれに民衆は感動しました。しかし、これを「乃木は芝居を打った、パフォーマンスだ」というのが司馬の見方です。
 同じく司馬が書いた『殉死』の乃木将軍像もおかしいですね。読んでいて腹が立ってきました。人間の高貴さとか、健気さとか、美しさとかを認めないで、賎しいものとして描く。特に愛国的な賎しさというものを茶化して、それに司馬好きの人は迎合してしまっています。
 例えば乃木将軍は若い頃酒乱で女遊びもしたけれど、ドイツに留学して心機一転した。ドイツ人の規律正しさと軍人精神の一貫性というのを目撃して、自ら反省して乃木は急遽変わったと。
 それから日常生活では私服を一切着ないで、軍服だけ着て日々を過ごす。家へ帰っても軍服を脱がない。寝る時も脱がない。
菅家 板の間に何か敷いて、軍服のまま寝ていたといいます。
西尾 これを司馬はパフォーマンスだという。儀礼的形式に一人酔っているヒロイズム(英雄崇拝主義)だというのですよ。
菅家 違いますね。それはパフォーマンスではない。パフォーマンスでは続かないでしょう。
西尾 パフォーマンスというか、そういう芝居がかったある種の自己満足的自己顕示欲、それが乃木を支配していたと司馬はいいますが、私は違うと思う。司馬は人間を信じることが出来ない男。何かが欠けている。
菅家 『翔ぶが如く』を読みまして、最後に司馬遼太郎はこう結論づけるのです。五年間も連載していながら「とうとう私は西郷のことが分からなかった」と。それでこれが司馬史観の限界だと思ったのです。
西尾 分からないと書いているなら正直まだいい。結局、分からない人のおしゃべりなんですよ、司馬の小説というのは。

●三島事件の意義を問い直す

菅家 日本の歴史を考えた時にどうしても不思議なことは、危機的状況の時に、救世主型の人物が現れてきます。例え二十三歳の執権が、元軍を退けます。これが文永の役でし。そして三十歳の時、弘安の役で元軍を退けた後、すぐ死んで逝きます。
 或いは坂本龍馬という人間が現れる。しかし使命を果たした後、すぐ天が召していく。これも三十三歳。西郷と言う人物も、吉田松陰という人物も児玉源太郎もそうです。
 東郷平八郎は、連合艦隊を率いてあんな働きをするとは誰も予想しなかったわけですから、奇蹟的な人物だと私は思っています。それを作戦参謀として活躍したのが秋山真之。そのように日本の歴史を見渡すと、危機的状況の時に必ず救世主型の人物が現れました。
西尾 戦後史はどうですか?
菅家 人物と言っては失礼ですが、昭和天皇様のご存在がなかったら、戦後日本の復興はなかったのではないでしょうか。
 個人的にもう一人挙げるとすれば、三島由紀夫です。 三島由紀夫事件の歴史的な位置づけもやはりその時代によって変わってくると思いますが、今こそあの事件の意義を見直す必要があるように思うのですが。
西尾 誰の三島論を評価しますか?
菅家 今までかなり色々な方たちの三島論を読みましたが、どうもいま一つピンときませんでした。 
 ただフランス文学者で評論家の村松剛先生が、書かなかったけれども私に語ったことがあります。私は若い頃村松先生と親しくさせていただいた時期があったので、ある日ホテルで聞いてみた事があるのです。 「村松先生、どうして三島先生のことを語らないのですか?」と。
 その時、村松先生はこう言われました。 「口に出せば空しくなる。あのことは口に出したら空しくなってしまう。だから言わないんだ」と。
 要するにいくら言っても、誰も分からないだろうというようなニュアンスでした。
西尾 私は三島氏の死後四十年忌に「三島由紀夫の自決と日本の核武装」という題名の論文を雑誌『WiLL』に発表しました。
 三島さんは単に内面の死を遂げたのではなく、外の世界に政治的対応物があったと書きました。あの最期の「檄文」をもう一度丁寧に読んでください。あの中にはっきりと、NPT(核拡散防止条約)への憂慮が書かれてあります。
 そしてあの時の政治状況を考えてください。私は佐藤内閣の動きを全部丁寧に順を追って書きました。佐藤栄作の政治とやはり関係があるのです。佐藤はあの時、三島さんを気き違ちがいだなんて言いましたが、政治家には全く理解できない、非政治的政治行動だったのです。
菅家 三島由紀夫事件の、先生なりの歴史的位置づけというか、ご意見を聞かせて頂けますか。あれほど謎に満ちた、評価の分かれる事件はないわけです。
西尾 たびたび考えて、それで結局いつも徹底して考える事が出来ないテーマなんですよね。
菅家 でも西尾先生の論文を大変評価された方がおられましたね。澁澤龍彦氏は今まで三島関係の論文の中で一番的を射た、秀でた論文だというふうに評価していましたが。
西尾 それは私が三島さんの死の直後に書いた「不自由への情熱」という小さな論文のことでしょう。
 三島さんもよく知っているフランス文学者の澁澤さんが、直後に書いた私の文章を、「三島の死のラディカリズム、これはニヒリズムとラディカリズムの結合である。それ以上のものでもそれ以下のものでもない。そのことを正面からはっきりわかって書いた人は、西尾幹二の他にはいなかった」と評してくれました。
 「左翼にも三島由紀夫のファンがたくさんいるのは当然である」と、左とか右とかの話ではないということも澁澤さんは言っていましたね。
菅家 三島先生はこう言っていました。「私は目に見えない天皇に忠義を尽くすのだ」と。
西尾 それは私も同じ気持ちです。目に見えない天皇、つまり憲法の枠を超えた天皇、神話から始まる皇室の歴史、そういうものに対する帰依の意識だと思います。
菅家 私は若い時から古神道をやっていますから、その「目に見えない天皇」というのは、天皇、皇室を〝顕あらしめてやまないもの〟のことであることがわかります。
 天皇と皇室、日本というものを顕らしめているものはいったい何なのか、そこを三島由紀夫先生は見ていたのだと思うのです。
西尾 おっしゃる通りですね。
菅家 ですから政治的云々ではなくて、三島先生にはかなりの危機感があった。このまま日本の文化がどんどん衰退していって滅んでいくのか。あるいは日本の伝統文化を全面的に取り戻して、日本を立ち直らせるのか。さあどっちだと突き付けたのがあの『文化防衛論(三島由紀夫著)』の主旨でした。
 それがあの昭和四十五年十一月二十五日の市ヶ谷に至ったのではないですか。
西尾 だから死ななきゃいけないというのは困るけどね。
菅家 でも三島先生があのようなかたちで死んだあとから、日本の言論界が変わってきたように思います。
西尾 三島事件と三島さんを失った衝撃は、当時相当なものでした。
菅家 三島由紀夫事件以降、言論活動が盛んになって、良識派、保守派の巻き返しが始まったのではないでしょうか。
西尾 雑誌『諸君!』の役割もあったかもしれません。その『諸君!』も廃刊されて、最近の『文藝春秋』
は左傾化してしまっています。
菅家 でも三島先生は私の心の中に生き続けてくれました。「後に続く者を信ずる」私の中には未だその言葉が生きております。言論と具体的な大衆運動を通してやっていくのみです。それが美し国「日本蘇り」運動です。

つづく