「アメリカ観の新しい展開」(十三)

「国内でも批判は高まっている」(福井)
「救済思想はニーチェも批判」(西尾)

 福井 スワードがアメリカ帝国主義の基礎固めを行ったという西尾先生の御指摘は、今年(二〇一二年)出たウォルター・スターによる本格評伝『スワード』の中心テーマになっています。 「救済する国家」論については、この対談の第一回で紹介しました。トゥーヴェソンという宗教思想史家が『リディーマー・ネイション(救済する国家)』という古典的著作で、アメリカの対外政策史は、「リデンプション・オブ・ザ・ワールド(redemption of the world)」、つまり世界を救済するというミッション、宗教的使命感に強く支えられてきた歴史であると指摘しています。

 今から半世紀前の一九五三年に初版が出た、アメリカ保守主義の古典的名著であるラッセル・カークの『保守の精神』(The Conservative Mind)にも「ニューイングランド」つまりアメリカ支配層は「他国の民を善導し、浄化するよう止まることなく誘(いざな)われてきた」とあります。

 さらに、トゥーヴェソンを高く評価し、同様の視点から第一次大戦参戦を描いたリチャード・ギャンブルの『正義のための戦争』(The War for Righteousness)がイラク戦争と前後して二〇〇三年に公刊されています。ピューリッツァー賞受賞者でもある歴史学者ウォルター・マクドゥーガルはこの本を絶賛し、こう言っています。「バンカーヒル[独立戦争時の著名な戦闘]からバグダードまで、アメリカの戦争は常に『神聖』であった。なぜなら、かつてのピューリタンから今日の世俗的リベラル、ネオコンサバティブそして福音派に至るまで、アメリカ人は自らの国を、必要ならば武力を用いてでも、世界を救済する使命を帯びた約束の地と思い込んでいるからである」。まさに西尾先生と同じ視点ですね。

 一方で、アメリカのオールド・ライトの人たちは、宗教的な救済思想や「ワン・ワールド」オーダーに対して批判的です。アメリカにも西尾先生と同じように考える勢力があるわけです。しかし、これまでのところは「浄化しようとする人々」が主導権を握り続けている。  西尾 ネオコンにみられるように、その勢力は強くなっていますね。  福井 ただ中東介入の最近の泥沼化を見て、リアリストと呼ばれる中間派の人たちからも、やりすぎだという批判が出てきています。

 西尾 批判はあっても、それを受けての抑制は戦争という手段にとどまっていて、金融という手段では逆に見境がなくなっていませんか。

 福井 金融の場合はアメリカというより、むしろ超国家的なユダヤ人ネットワークの影響も大きいのではないでしょうか。先の金融危機以降、中小商工業者を核とした一般国民を意味する「メイン・ストリート」と「ウォール・ストリート」の対立という構図での議論がアメリカでも盛んに行われています。  

  西尾 前回、全世界反ユダヤ主義監視法を紹介しましたが、彼らの影響はあらゆる分野に及んでいるように思えます。

 福井 アメリカのメディアや言論界では圧倒的な影響力を持っています。たとえユダヤ人の影響力に疑問を持っていても、私もそうですが小心者のインテリは怖くて声を上げられません。政治家として有能かどうかはともかく、人道主義者であることは確かなジミー・カーター元大統領ですら、パレスチナ人に同情的過ぎるとして、徹底的に批判されているのがアメリカの現状です。

西尾 一九六〇年代に世界を席巻した新左翼運動の教祖ともいえるヘルベルト・マルクーゼの影響を受けたリベラルたちが金融界に入り込み、現在の金融グローバリズムの原動力となっている金融工学というものを創り出した。やはりユダヤ金融資本とソーシャリズム、社会主義には親和性があるように見えます。実際、インターナショナリズムという点では同じでしょう。かつてのユダヤ人には国家がなかったから、ナショナルなものを否定する。わが日本もシングル・ネイションですから否定される。いま問題になっているTPPもそうですが、単一文化というものを認めない方向に国際情勢は動いているように思えます。

 福井 一方でユダヤ人国家イスラエルは現在、世界で最もナショナリスティックな国です。先生や私の立場は、お互いのナショナリズムを尊重し、それぞれの違いを認めてほしいという「相互主義」に尽きるのですが。

 西尾 そういうものでしょう。世界は、そもそも多様なんですからね。ところで、「ワン・ワールド」思想は、ブッシュ・ジュニア大統領のドクトリンである「プリベンティブ・ウォー」ともつながっていませんか。予防戦争、あるいは先制的自衛攻撃。

 福井 予防戦争という概念は、かつてドイツも対ソ戦で主張しました。その時は荒唐無稽な説として一蹴されたのに、アメリカならよいのですかと問いたいですね。世界赤化の意図とそれを裏付ける巨大な軍備を持ったスターリン相手でも「荒唐無稽」だとすれば、貧弱な軍隊しか持たず対米侵略など考えられない田舎独裁者サダム・フセインに対する予防戦争など実に悪い冗談です。なぜ、日本のリベラルと称する人たちは、ブッシュ政権首脳を東京裁判と同じ基準で裁けと言わないのか不思議です。  とにかくアメリカは、自分たちは常に正しく、勢力均衡が我慢できない。その点、世界赤化を究極目標としたソ連共産主義と同じです。

 西尾 そう、共産主義と精神的につながります。

 福井 一種のメシア的、千年王国的な特異な発想です。

 西尾 基本はキリスト教ですね。

 福井 ユダヤ教に先祖返りしたようなキリスト教と言えるかもしれません。その根底にあるのが救済思想です。

 西尾 それこそ、ニーチェが批判した思想ですよ。

 福井 ニーチェのキリスト教批判の対象はプロテスタントですよね。カトリックは地上で神の国を実現させようなどとは考えませんから、葬式仏教ならぬ結婚式キリスト教として、ニーチェにとっては無害だったのでしょう。

  西尾 ニーチェが救済思想を批判したのは、弱者が宗教的道徳を利用して権力者になろうとし、そこに虐げられし者が必要になるという構造があるからです。弱者は地上で満たされなかった権力遺志を天上で得ようとして救済の理念に走りますが、ニーチェは、そういう弱者を利用して強者になろうとしたり権力を得ようとしたりする人々を、最も賤しい人間、「賤民」だと厳しく批判しました。  カトリックとプロテスタントの違いは、いわば大人と子供の違いです。ヨーロッパ諸国の侵略は、動機が非常にはっきりしていました。奴隷が欲しかったのです。中世ヨーロッパは奴隷を否定していましたから、奴隷がいなかった。騎士道もありました。社会的弱者を擁護するのが騎士たちの義務であり、決闘でも相手を認め、勝者も敗者を許すのが一般的でした。それに対し、アメリカには中世がなく、奴隷を内に抱えている。騎士道もなく、勝者が敗者をとことんやり込め潰滅させるまで止めません。やり方が子供っぽいのは、プロテスタントが主流であることも影響しているかもしれません。

『正論』25年2月号より

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(十二)

「対日戦争は『正義病』の歴史の一コマ」(西尾)

 西尾 宗教を見てみましょう。アメリカに渡った移民は多様で、メイフラワー号に乗ったプロテスタント、ピューリタン(清教徒)だけではありません。カトリックも、クエーカー教徒もいました。ただ、いずれも宗教戦争に敗れ、排斥され、追いつめられ、救いを求めて新天地に逃れてきた人々でした。その彼らがインディアンを根絶やしにし、黒人を奴隷にしたわけです。

 江戸時代の太平にまどろんでいた同時期の日本人には夢にも考えられないような残虐な体験の数々が、アメリカという国の体質の深層にあるのではないか。その体験がトラウマとなり、これまで取りあげてきたアメリカの「正義」という問題、「正義病」と言ってもよいアメリカ人の行動原理を形成したように、私には思えてなりません。

 ヨーロッパで迫害され、追放されて心に傷を負ったがために抱えた宗教的な救済思想が、彼らを「正義」へと駆り立てる。そうであるがゆえに、インディアンを虐殺し、黒人を虐げたことを直視することができず、頑なに「救済する国家」として振る舞う。心のトラウマの反映だと思います。戦いでは自分の側には決して落ち度を認めず、相手の自尊心をつぶすまで打ちのめす。敗者の気持ちを認め、許し、生きる道を残すという勝者の余裕もない。相手の息の根を止めるまでやる。日米戦でも、日本に無条件降伏を要求し、結果として戦争を長引かせました。相手にも理があると考えてみるという発想を最初から頭の中から追い払っています。

 この対談の第一回で述べた南北戦争の戦い方もそうでしょう。第一次世界大戦で破ったドイツのヴィルヘルム二世の訴追。第二次大戦でナチスを裁いたニュルンベルク裁判や東京裁判では、人類の名において敗者を裁いた。人類という名前を出すことで、自分たちの問題を巧妙に消し去ったのです。十字軍意識と言ってもいいかもしれません。この十字軍意識というものが、戦争に至った日米関係を考えるうえで、いままで語られてこなかった重要な要因だったのではないか。

 日本だけなく、イラクに対しても、イスラム原理主義のゲリラたちに対しても、イランに対しても同じです。自分たちが守り育てて擁護して優しい態度をとっていた相手に対して突然豹変して、徹底して破壊する。第二次大戦中は、アメリカはソ連とも手を結んでいました。前回の対談ではアメリカのウォール街とコミュニズムの論理が近いという話をしましたけれども、ソ連と握手できる要素があったにもかかわらず豹変して、半世紀近くも世界中を厳しい対立状況におき続けた東西冷戦を生み出した。あるいは?介石と中国を賞賛して熱心に支援しておきながら、大戦が終わると手のひらを返すように?介石も中国も否定してしまった。そして突然、また手を結んだ。自らの主観だけで善か悪かを決めて、悪だと決めたら、あるいは言うことを聞かなければ殺してしまう。極めて単純で脳にひだのない自己正当化を繰り返してきた。  虐殺したインディアン、奴隷とした黒人たちのほうが「正しかった」と少しでも考えたり、自分たちの理を疑い始めたりすると国家が崩壊してしまう。アメリカ人自身の人格が崩壊してしまう。だから屁理屈をつけてでも、「あいつらが悪いからこうなった」と信じ込んでいる。本当は違うと薄々は分かってはいても、その感情を押し消している。これが、アメリカの「正義病」の根源なのだと思います。

 冒頭で申し上げた、さまざまな要因の総合作用として歴史をみるということは、こうした分析です。日米関係だけに注目して日米戦争を考えると、わが国がペリーに強姦された、あるいは黒船来航以降の日米の宿命的な対立が戦争へとつながった、といった受け身の議論になり、誤解を招きやすい。日本だけに視点を向けた従来の矮小な議論、蛸壺史観へと議論が方向づけられてしまうからです。

 日米が開戦に至った理由を考えるうえで日米関係を特殊化してはならない。そうではなく、「アメリカとは何か」という命題を立ててアメリカの歴史全体の中で考察する。インディアン虐殺や黒人奴隷、フィリピン征服などアメリカ人が起こした世界史的トピックの流れの中に対日関係、日米戦争を位置づけることで、見えてくるものがある。「アメリカとは何か」という命題を生体解剖学的に考えるべきだと思うんですね。

 福井  米英ソのような本物の大国に比べれば、戦前の日本はせいぜい二流の地域大国でしかありませんでした。その日本が戦争を欲したので世界大戦となり、日本がおとなしくしていれば東アジアの平和は保たれたという現在支配的な史観は、悪役とはいえ日本をまるで世界史の主役であるかのように描く、裏返しの皇国史観ではないでしょうか。そういう人に限って戦前の皇国史観に批判的なところが滑稽ですが。

西尾 戦後の左翼こそが皇国史観だというのは言い得て妙で、面白い見方です。今までの話を少しつづけます。

 中国という国が、「北守南進」といって北方に向けては万里の長城をつくって守りを固め、南方へ進むという本能を持っていたように、アメリカには「東守西進」の本能がある。東方に対してはモンロー主義という名前で防波堤をつくり、西方にはどんどん遠慮なく進撃してきました。  リンカーン政権の国務長官だったスワードは、南北戦争を戦いながら大西洋の守備の重要性を訴えましたが、大西洋には防衛拠点となる島がないために苦労した。そのために彼は太平洋時代に備えてハワイ征服を考えます。これは一八六〇年代の話で、実際にアメリカが太平洋に進出してハワイを侵略するにはそれから三十年を要しましたが、スワードは一八六七年にアラスカを買収するなど、さまざまな太平洋進出策を画しました。いわばアメリカにおける最初の帝国主義者です。彼は太平洋と大西洋を睨んでいた。つまりアメリカは日本だけを叩こうとしたのではなく、大西洋も太平洋も睨んでいたのです。その根底には「ワン・ワールド」思想があった。そのことを抜きに、当時の日米関係を語ってはならないと思います。「私たちの国対アメリカ」という構図で考えるのはあまりに矮小だということです。

『正論』25年2月号より

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(十一)

アメリカは なぜ日本と戦争をしたのか 下

「正義病」の根源 「アメリカ人とは何か」という視点で歴史を 分析して初めて見えてくる日米戦争の深層

 西尾 少し長く話したいと思います。私は、歴史というものは、宗教であったり、人種であったり、金融であったり、地政学的な力学であったりと、さまざまな要因の総合作用の結果なのだと考えています。とくにアメリカの歴史を考えるときには、そうした視点が必要です。  十九世紀のヨーロッパにとって、「アメリカ」とは端的に言って「ラテンアメリカ」、つまり南米大陸を指す概念でした。十九世紀初頭、南アメリカの原住民、いわゆる「インディオ」の人口は千五百万人でした。これに対し、北アメリカの「インディアン」は五十万?百万人です。それだけの差があったのです。移民の数も南アメリカが千七百万人で、北アメリカの五百万人の三倍以上でした。

 ところが約百年後の十九世紀末には、南北の移民の数は逆転していました。南アメリカの六千万人に対し、北アメリカは八千万人。力が一気に北に移動し、いつの間にか北アメリカがアメリカの代表になっていたのです。

 いうまでもなく、南アメリカの移民は主にスペインから、北アメリカの移民はイギリスからやって来ていました。当時の両国の政治体制をみると、いまだ封建末期だったスペインに対して、イギリスは近代国家の道を歩み始めていました。文明が歴史的に辿ってきた段階としていえば、百年から百五十年の違いがあった。あるいは重商主義と資本主義の違いと言ってもよいでしょう。移民も、南アメリカにやって来ていたのはスペイン王朝のための富を求めた人々だったのに対して、北アメリカにはイギリスの王家に反逆し、「新しい土地」で共和主義的自治国をつくろうとした人々でした。

 原住民への対応はどうだったでしょう。スペインからの移民たちの基本政策は、原住民をキリスト教に改宗させてスペイン国王に富をもたらす臣下にするというものでした。一方、文明がより進んでいたはずの国からやってきた北アメリカの移民たちは、インディアンたちを異質な存在として排除し、単純に除去しました。そのやり方がまた凄まじい。単に殺戮しただけではありません。彼らの生きる根拠だったバッファローをまず大殺戮することによって、インディアンたちを衰えさせた。もちろんスペインの移民も原住民を虐殺しましたが根絶やしが目的ではありません。

 この原住民への対応の違いはスペインとイギリスの文明の違いによるものではなく、大きくは原住民の数の違いによるものと思います。南アメリカでは移民よりも原住民の数が圧倒的に多かったために排除できず、混血が広がった。混血によって人種の違いを緩める政策をとらざるを得なかった。つまり、スペインとイギリスの南北アメリカでの振る舞いには、表面的な違いはあっても、膨張主義、占有欲、征服、そして抵抗する意志のある原住民は排除するという共通項があったということです。

 異なっていたのは、北アメリカの移民たちがインディアンを除去するに当たって、宗教的な屁理屈をひねり出していたことです。キリスト教の新約聖書の言葉を使いました。「マタイ伝」二十四章二十七節のイエスの予言です。「神はこの世の終わりにあたって、その福音を西に伝えようと思っておられた。福音はかつて東から昇り、これまでは光によって東方を照らしていたが、この世の後半期になれば西のほうに傾き、沈む前にはこの西方の部分を輝かしい光で照らしたまうのである」

 移民たちはこの福音を、広々とした西部はキリストが与えてくれた征服にふさわしい土地で、拡大することが許される新天地だという劇的な暗号として受け止めました。これが有名な「マニフェスト・ディスティニー」という信仰にもつながります。この言葉は、一八四五年にサリバンというニューヨークのジャーナリストが最初に唱えた特殊なイデオロギーで、メキシコから奪ったテキサス併合の正当化に用いられました。百年以内に二億五千万人もの人口に達する白人がアメリカ大陸を占領するのは明白な神の意思であり、自由な発展のために神が割り当てたもうたこの大陸に拡大していくのはわれわれの運命、「ディスティニー」だとサリバンは述べています。第七代大統領のジャクソンは白人のアメリカ大陸への西進を進歩と文明のマーチだと言いました。西部開拓のイデオロギーを表わすフロンティア精神とは、侵略の暗号である「マニフェスト・ディスティニー」を朗らかな言葉で言い換えたにすぎません。

 さらに、アメリカの西部開拓でわれわれが見落としてはいけないことがあります。映画「アパッチ砦」で有名なインディアンのアパッチ族との抗争で、アパッチ族を捕らえて軍隊の監視下に置いた留置場が一九一四年まで存続していたということです。私がアメリカの対日姿勢のクリティカル・ポイントだと言った一九〇七年よりも後です。カリフォルニアの排日運動も起きていて、米比戦争によるフィリピン征服もすでに終わっていました。米比戦争の過程では桂・タフト協定(一九〇五年、日本がアメリカのフィリピン統治を、アメリカが韓国における日本の指導的地位を相互承認)も結ばれ、太平洋をめぐる日米対立の構図が姿を見せ始めていました。アパッチ砦、つまり「マニフェスト・ディスティニー」に支えられた西部開拓と対日戦争は歴史として連続していたのです。

『正論』25年2月号より

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(十)

「言論統制が世界中で進んでいる」(西尾)
「言論統制は『共産主義だ』」(福井)

 西尾 いま、世界は非常に危ないところに来ていると思っています。アウシュビッツ、ナチスによるユダヤ人迫害の事実をいっさい批判してはいけないという法律を、ドイツがつくりましたね。
 
 福井 ヨーロッパのほとんどの国に、同様の法律があります。

 西尾 それが暗黙の内ではなくて、いわゆる法文化されるというのは、およそやっぱり精神の自由とは正反対のことだと思うんです。それはソフトファシズムではなくてファシズムそのものでしょう。そういう傾向が世界的にどんどん強まっているような気がして不気味でなりません。

 じつは、アメリカは二〇〇四年十月に、「全世界反ユダヤ主義監視法」をという法律を制定しています。世界中の反ユダヤ主義の動きを国務省が記録し、各国の行動に対して評価を下すという内容です。一般的に、反ユダヤ的とみなされる指針は、(一)政府・マスコミ・国際ビジネス社会や金融をユダヤ社会が支配しているという主張、(二)強力は反ユダヤ感情、(三)イスラエルの指導者に対する公然たる批判、(四)ユダヤの宗教をタルムード、カバラと結びつけて批判すること、(五)アメリカ政府並びにアメリカ社会が、ユダヤ=シオニストの影響下にあると批判すること、(六)ユダヤ=シオニスト社会がグローバリズム、または「ニュー・ワールド・オーダー」を推進していると言ったり批判したりする、(七)イエス・キリストがローマによって磔刑に処せられたのは、ユダヤ指導者のせいであると非難すること、(八)ユダヤ人のホロコースト犠牲者を六百万人よりも少ないと主張すること、(九)イスラエルが人種主義的国家であると主張すること、(十)シオニストの陰謀があるとの主張、(十一)ユダヤとその指導者たちが共産主義、ロシアボルシェビキ革命をつくり出したと主張する、(十二)ユダヤ人の名誉を毀損する主張、(十三)ユダヤ人にはパレスチナを占領する聖書に基づく権利はない、との主張、(十四)モサドが九・一一同時多発テロに関与したとする主張─などと言われています。
 
 いままで我々が議論してきたことも含まれますが、なるほどこれらの主張内容は単なる妄想的な陰謀論なのかもしれない。そこは分からない。しかし、このような法律の出現は、在米ユダヤ・ロビーの決定的な影響力を示しています。

 前回、アメリカの日系移民政策を批判した『日米開戦の人種的側面、アメリカの反省1944』(翻訳は草思社)という本が第二次大戦中にアメリカで出版されていたことを紹介しました。実はこの本は、ユダヤ系の出版社から出ているんです。ユダヤ人は日系人排斥や収容の動きをみて、自分たちの身の危険をも感じていた証拠ですね。当時は彼らは大変に不安だった。ところが、彼らはいまや監視法まで制定させる原動力になった。我々は長い過酷な歴史を歩んできたユダヤ人は同情に値すると考えていますが、弱者がいつの間にか強者になっていたのではないでしょうか。

 福井 ユダヤ人であるビル・クリストルというネオコンのオピニオン・リーダーが、共和党からイスラエルに対して批判的な有力者を追い出したという趣旨の発言をしています。ブッシュ・シニアや、彼の政権の国家安全保障担当大統領補佐官、国務長官だったブレント・スコウクロフト、ジェームズ・ベイカーたちです。

 西尾 共和党も二色あって、親イスラエル、反イスラエルがいるけれども、後者は反ユダヤなの?

 福井 反イスラエルというより、イスラエルに一方的に肩入れせず、アラブとも仲良くしたほうがよいと考えているだけです。
 
 西尾 国家の指導者として当然のバランス感覚でしょう。
 
 福井 反ユダヤ監視法に署名したブッシュ・ジュニアは、父親が追い落とされる過程を見ていた。だからイスラエル・ロビーを敵に回すと自分も追い落とされてしまうと考えていたのかもしれません。
 
 一方、オバマ大統領はイスラエル・ロビーとは一定の距離を置いています。だからオールド・ライトは今回の選挙で、親イスラエルのミット・ロムニーには批判的で、オバマ再選を歓迎しているのではないでしょうか。アメリカ保守は一枚岩、ひと塊ではないんですね。
 
 西尾 イラク戦争では五千人も戦死し負傷者が十倍いるという。イスラエルを守るための戦争にアメリカ人は確実に疲れ始めています。今度の大統領選挙の結果は、「神権国家」アメリカ像が大揺れに揺れている表れではないでしょうか。それでもアメリカの保守は根強く、何かというとすぐ、ひと塊になりつつあるから怖い。
 
 福井 ネオコンサバティブですね。それでも、ロン・ポールが予備選でかなり善戦したわけですから、共和党の現状に不満のある人も多いわけです。だから、われわれ日本の保守派がネオコンに肩入れしなければならない謂われはない。
 
 西尾 威勢のいいアメリカにくっついていたいだけでしょう。
 
 福井 今のアメリカの好戦的な政策を批判することイコール反米左翼、というわけではないんです。保守派としても批判できるわけです。
 
 西尾 言論を一元化してそれ以外のことを言ってはいけないというのは、民主主義国家・アメリカの建国の精神を裏切っていますよ。

 福井 それでもヨーロッパに比べると、まだ憲法上保障された権利として言論の自由は守られています。ドイツでは、ナチス戦犯を裁いたニュルンベルク裁判を批判したら刑務所行きを覚悟しなければなりません。フランスなども事情はそれほど変わりません。ドイツの移民増加を憂いて政策を批判し、二〇一〇年九月にドイツ連銀理事を事実上解任されたティロ・ザラツィンの問題でも、当初は検察が動いたんです。
 
 さきほど、ファシズムだとおっしゃいましたけれども、アラン・ド・ブノワというフランス「新右派」(Nouvelle Droite)の代表的イデオローグが、こんなことを言っています。「政治的システムとしては、ナチズムはファシズムとはまったく違う。同様に、社会主義もまた、共産主義とは違う」「ナチズムとファシズムを同じ概念にしてしまうのは、結局レオン・ブルム(フランス人民戦線内閣の首相)とスターリン、リオネル・ジョスパン(シラク政権で首相、元仏社会党第一書記)とポルポトを同じ壺の中に投げ込むことと同じだ」
 
 要は、安易に「ファシズム」という言葉を使うのは「スターリン語」(la langue de Staline)だということです。それは「ファシズム対反ファシズム」というスターリンが一九三〇年代に作り出した枠組みにとらわれた見方であって、イタリアとドイツの近さよりも、ナチスとソ連の近さのほうがはるかに密だということが、彼の主張です。
 
 西尾 ファシズムをわりにリベラルに考えているわけだ。スターリニズムが全体主義であるのに、それを例外的に認めているようなものの言いようは、結局ナチスとスターリニズムの近さというものをよく認識してない表れであるということですね。それはそうだ。スターリンとヒットラーは互いに相手を認め、影響し合っていたのですから。
 
 福井 だから、言論統制を「ファシズムだ」と批判するよりも、「それは共産主義だ」と言ったほうが本質を突いているということです。日本の人権侵害救済法案(人権擁護法)を考えれば、よくあてはまっています。この法律を推進しているのが、どういう勢力なのか。
 
 西尾 ヘルベルト・マルクーゼが出てきたので、ひとこと言わせてください。私は一九六五~六七年のドイツ留学から帰国した後に「後遺症」という論文を『批評』という雑誌に発表しました。マルクーゼ批判です。留学したときのドイツは学生運動の最中で、マルクーゼは西ドイツで体制批判をやっていて教祖的存在でした。帰国してみると、日本も同じことになっていた。そのマルクーゼは「左翼の独裁」ということをしきりに言っていたんですね。左翼の言うことは正義だから、これを政治体制化しようというわけです。その後の日本はずっとこの流れの中にある。
 
 その「左翼の独裁」という概念に反発して書いたのが「ヒットラー後遺症」ですが、私はこの論文を当時何冊も発刊した自分の単行本の評論集に入れなかったのです。忘れたのではありません。もう一本、「大江健三郎の幻想風な自我」という大江批判の論文も評論集に載せませんでした。いずれも私の全集(国書刊行会)第三巻には入れましたが、この二本の論文をなぜ当時の評論集に載せなかったのか、今となっては分からないんです。言論界では左翼が全盛の時代で、私が生きるために避けたのかもしれないし、出版社が嫌がったのかもしれない。
 
 人は、自分の心の主人公であるとは限りません。私は今まで自分の言論の自由というものにずっと飢餓感を持っていて、今でもそうです。当時のスクラップを見ると、私が出した三冊の評論集に、全部で三十一篇の書評が寄せられています。それだけ注目を浴びたら飢餓感などないだろうと思われるかもしれないけど、これは心理的に同時に起こる矛盾した現象で、私の心の中にはずっと飢餓感があった。それはひょっとすると、この大事な二本の論文を評論集に載せていないことと関係があるのかもしれない。私は言論界で生きるために載せることを避けたのかもしれない。偽の自分になって生きてきたのかもしれないのです。
 
 福井 同じようなことを、二十世紀アメリカを代表する社会学者ジェームズ・コールマンが死ぬ前に言っています。彼は黒人問題について、人種差別的に受け取られかねない研究を発表した。それでも、「自分は批判を恐れて十分に発言しなかったのではないか」という懺悔の言葉を遺しています。
 
 西尾 マルクーゼの「左翼の独裁」といった思想は、当時全共闘だった今の日本の法務官僚や政治家の頭の中に染み込んでいるのではないか。そのことの表れが、人権侵害救済法案や、日本の「戦争責任」を追究する恒久平和調査局の設置を盛り込んだ国立国会図書館改正法案でしょう。後者は、一定の戦争観以外は許さないという、とんでもない法律ですから。ナチスのホロコーストの歴史のない日本に、ドイツの「アウシュビッツは嘘」断罪法のまねをするようなばかばかしい過誤は絶対にあってはなりません。

『正論』25年1月号より

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(九)

 西尾 日本にもドイツではなくてイギリスと手を結べという親英米派が多数いました。本当に微妙な運命の分かれ目でしたが、結局はアメリカの圧力で次第に追い込まれた日本が勢いのあったドイツ側に付いたと今では解釈されています。ただイギリスとアメリカは別だ、と永い間分けて考えられていました。

 福井 日独伊三国同盟は、アメリカの圧迫に対するディフェンシブな同盟だという見方もできます。ドイツも日本も地域の覇権国になりたかっただけなのに、アメリカがそれを認めなかった。そのために、ソ連と組むという試みも現実に進めていたわけですよね。

 西尾 松岡洋右が当初目指していた日独ソ伊の四か国同盟ですね。

 福井 日独ソが組むと、さすがのアメリカも攻められないだろう考えた。それは一つの考え方だったと思います。結局失敗しましたが。

 西尾 スターリンは日独と手を結ぶような玉じゃなかったでしょう。それは日本の計算違いでしたね。

 福井 いわゆるウィッシュフル・シンキング(希望的観測)だったのかもしれません。スターリンは一国社会主義者だと当時強く言われて、ただのロシアの帝国主義者であるという見解も有力でしたから。

 西尾 
なるほど。

 福井 この日独と手を結ぶというのはソ連にとっても悪くない話でした。いわゆる対英「グレート・ゲーム」でイランとアフガニスタンも手に入る。しかし、スターリンの思惑はそんな小さなことではなくて、世界征服だった。

 西尾 アメリカと一緒だな。

 福井 ええ。前回紹介した『救済する国家(リーディマー・ネイション)』(アーネスト・リー・トゥーヴェソン)に従えばそうなります。復習すると、同書の概要は、アメリカの外交政策は、世界を救済するというミッション、使命感に支えられてきた歴史であり、アメリカで支配的な一部プロテスタントの神学の「千年王国を実現する」という強い志向に支配されているというものです。その手段として、アメリカン・デモクラシーの普及が言われているわけです。

 西尾 それが「ワン・ワールド」オーダーへとつながるわけですね。シングル・ネイション、ヴァラエティーに富む単一国家が組み合わさったシビリゼーションというものを信じている我々からすれば、非常にはた迷惑なんだ。我が国の国体にも合わないわけでね。

 福井 マルクス主義が、キリスト教の源流といえるユダヤ教の救済史観に強く影響された思想であることは常識です。アメリカの世界一国支配思想と共産主義は根が同じだともいえるわけですね。

 西尾 マルクス主義思想の根本に千年王国論があるのは間違いない。

 福井 太平洋問題調査会(IPR)という国際組織がありました。ゾルゲや尾崎秀実も関係していたソ連エージェントを含む共産主義者の巣窟でした。ビル・クリントンが最初(一九九二年)の民主党大統領候補受諾演説で自らに大きな影響を与えた人物として言及したことで話題となったキャロル・クィグリーという国際政治外交研究の泰斗がいます。彼は千頁を超える大著『悲劇と希望』で、IPRがウォール街と密接に関係していたことを詳述しています。ロックフェラーやモルガンが資金を出していた。IPRとロックフェラーを結ぶ中心人物だったのが投資銀行家ジェローム・グリーンで、日本生まれ、宣教師の息子です。
 そして、共産主義とウォール街をつなぐキーパーソンはトロツキーだという説さえあります。トロツキーは、じつはロシア革命の前にはアメリカにいました。ヨーロッパからアメリカに渡航する際には、一文無しに近かったはずなのに、家族で一等船室を利用し、上陸時には円換算で百万円程度の現金を所持していました。革命直前のロシア帰国も含めて、イギリス情報機関の暗躍があったのではないかとも言われています。これは極右の妄想ではなく、現代ロシア史研究者リチャード・スペンス教授(アイダホ大)が学術誌に発表した論文の内容です。

 西尾 マルクスの共産主義研究に資金援助したのはロスチャイルド家で、ドイツ出身のアメリカの哲学者で、フランクフルト学派のヘルベルト・マルクーゼの文化破壊的な研究に資金援助していたのがロックフェラー財団です。核兵器の一元的管理を考えたアインシュタインやバートランド・ラッセル、湯川秀樹ら科学者が作った「パグウォッシュ会議」も、それを実現するために世界統一政府を主張していましたが、そこでもユダヤ人のイートン財団が大きな役割を果たしていました。

 福井 日露戦争のときに日本の戦費調達にユダヤ人銀行家は協力的でした。当時はロシアが世界最大の反ユダヤ国家だったわけですから。

 西尾 反ユダヤだった帝政ロシアをユダヤ人は非常に憎んで、革命の推進派になったわけですよ。

 福井 ロシア革命は抑圧されていたユダヤ人が中心だったこともあり、アメリカは革命を転覆させる意図などなく、旧体制が残るほうが困るというぐらいに考えていた。だからロシア革命を本気で阻止しようとしていたのは、日本とフランスだけだったとも言われています。

 西尾 そのとおりだと思わせるのが、日本のシベリア出兵をめぐるアメリカの批判、あるいは嫌がらせです。その後の歴史も全部そうです。ヨーロッパはロシア革命に危機感を持っていました。アメリカにシベリア出兵を依頼した派遣団の団長はフランスの哲学者ベルグソンでした。だというのに、アメリカはルーズベルトまでずっと親ソ連だった。

 福井 先ほど、イギリスの対独協調派と反独派の話をしましたが、後者の伝統的ドイツ嫌いのチャーチルやその周囲には、彼らを支援するユダヤグループがいました。

 西尾 そうすると、チャーチルとユダヤ人、そしてコミンテルンがひとつにつながりますね。中国大陸では、西安事件(一九三六年、蒋介石を張学良が拉致した事件。これを機に第二次国共合作が行われ、国民党の掃討により壊滅寸前だった中国共産党は延命した)の前後にイギリスが介入してコミンテルンと手を握ろうとしていました。そこにユダヤ人が暗躍していました。そしてイギリス介入して、一挙に米英ソという連合国陣営が出来上がり、第二次世界大戦の構図が明確になった。

『正論』平成25年1月号より
(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(一)
「アメリカ観の新しい展開」(二)
「アメリカ観の新しい展開」(三)
「アメリカ観の新しい展開」(四)
「アメリカ観の新しい展開」(五)
「アメリカ観の新しい展開」(六)
「アメリカ観の新しい展開」(七)
「アメリカ観の新しい展開」(八)

「アメリカ観の新しい展開」(八)


「ロシア革命の評価なしに世界史は完成せず」(福井)
「英ソ接近もあった」(西尾)

 福井 『天皇と原爆』は基本的には東京裁判史観を見直すというスタイルですが、私はニュルンベルク史観も見直さないと、バランスのとれた世界史、歴史にはならないと考えています。ドイツ単独責任論は、いわば政治的な議論です。ドイツは世界征服を企んでいたのではなく、地域の覇権国になりたかっただけなのに、チャーチルが大英帝国を破滅させてまでヒトラーとの「決闘」に勝つため、ヨーロッパ戦線を拡大してしまった。ユダヤ人の単なる迫害ではなく組織的虐殺が始まるのは対英和平が絶望となって以降です。

 西尾 パトリック・J・ブキャナンが『チャーチル、ヒトラー、そして不必要だった戦争』で述べていることと同じですね。この訳書が河内隆禰氏の訳で二〇一三年一月、国書刊行会から発刊されます。

 福井
 ブキャナンも今年の共和党大統領予備選で善戦したロン・ポールと同じオールド・ライトですよ。

 西尾 孤立主義ですか。

 福井 ええ。ただ、経済政策においては、ブキャナンが保護主義であるのに対し、ロン・ポールは市場重視です。国内政策においても政府はできるだけ何もしないほうがよいという、リバタリアン的立場です。他国とは貿易はどんどんやればいいが、軍隊が行く必要はないという考え方です。

 西尾 それは日本も納得できる思想ですね。

 福井 二十世紀前半史はやはりロシア革命の評価を抜きにしては完成しないということも強調したいと思います。最近秘密文書の公開が進んで、ソ連の世界赤化戦略はかなり進行していたことが分かってきました。これまでは、世界革命論者のトロツキーに対してスターリンは一国社会主義者、ただのロシア帝国主義者だと考えられていましたが、実はスターリンも全世界赤化を虎視眈々と狙っていたんです。トロツキーと基本的には目標は同じだったんですよ。ただ、トロツキーと違ってプロの政治家、リアリストだっただけなのです。

 一九三〇年代後半すでに、ソ連の軍事力は日独を圧倒していて、防衛のための兵力というには不自然で、常識的に考えて、攻撃を準備していたとしか考えられません。

 一九三一年の満洲事変の二年前の二九年、満洲で中国とソ連の戦争がありました。中東路事件、奉ソ戦争とも呼ばれています。その直前、中国がハルビンのソ連領事館を捜索したところ、赤化工作や謀略を指示する機密文書が見つかり、ソ連と中国の関係が悪化し、ソ連利権だった東支鉄道の張学良による強引な回収を契機に武力衝突となった。日本も満洲の赤化工作については非常に憂慮していたはずです。ところが、こうした事実は大きくは扱われず、関東軍がただ侵略のために満洲事変を起こしたかのように言われる。

 奉ソ戦争ではソ連軍が越境して武力攻撃したにもかかわらず、満州事変における対日非難に比べて、アメリカの対応はかなり抑制されたものでした。そのアメリカのルーズベルト政権に、ソ連のスパイが大量に潜り込んでいたことが、一九九五年に公開された「ヴェノナ文書」(ソ連スパイとモスクワ本部がやりとりした暗号電報を米軍が解読した文書)で疑問の余地なく明らかになったことは、皆さんご承知の通りです。アメリカを対日戦争に向かわせるために、ソ連の意を受けたスパイたちが政権内でその影響力を行使したことも分かってきています。ただし、ルーズベルト自身、対日戦を望んでいました。いずれにせよ東京裁判史観を否定する事実です。

 西尾 先ほど、アメリカ人宣教師たちが主導したと紹介したシナ大陸における排日運動の担い手も、ロシアから入ってきた共産主義者たちに取って代わりました。一九一七年のロシア革命から間もない二二~二三年のことです。

 福井 ソ連の世界革命戦略は、さらにドイツ単独責任論も否定します。独ソ戦は、ドイツが一方的にソ連に攻め入ったと考えられてきましたが、実は「スターリンは対独攻撃を準備していたが、ヒトラーに先を越されてしまったのだ」と考える研究者が増えてきています。ドイツのバルバロッサ作戦は、一種の予防戦争だったという見方です。興味深いことに、ロシアでは反スターリンのリベラルな研究者がスターリン責任論の中心となっています。

 スターリンが世界共産化の一環として対独戦を準備していたことを一九八五年に公刊された『スターリンの戦争』で最初に本格的に論じたのは、オーストリアの著名な哲学者エルンスト・トーピッチュです。最近の文書公開で、彼の主張の妥当性はますます増しています。ちなみに彼は極右でもなんでもなく、カール・ポパーとも親しく、西尾先生に近い古典的自由主義者です。

 西尾 スターリンが先にドイツを叩くつもりでいた。

 福井 ドイツだけではありません。一九三七年、ソ連で『東方にて』という本が刊行されています。同じ年に改造社から『極東:日ソ未来戦記』と題して日本語訳も出ました。日本とソ連が戦争して、ソ連空軍が東京を空爆し、日本に革命が起こるという小説です。

 西尾 よく当時の日本でそんな本が出版できましたね。

 福井 さすがに和訳は検閲でかなりカットされています。作者はピョートル・パヴレンコ。『戦艦ポチョムキン』で有名なセルゲイ・エイゼンシュテイン監督の作品に、『アレクサンドル・ネフスキー』という反独プロパガンダ映画がありますが、その脚本を書いた人物です。スターリンお気に入りの作家でした。つまり、スターリンは反日独プロパガンダ、戦意高揚を同時に行っていたわけです。

 西尾 日本はきっと警戒してこの本を翻訳したんだね。スターリンが世界制覇の意志を持っていて、虎視眈々とドイツと日本を攻める計画をしていた。それに対して先手を打ったのが日独防共協定だった。

 この日独防共協定に対してはイギリスが冷淡な対応をして、日本の外務省も非常に不満を持っていました。ちょうどそのころスペインに内戦があって、ドイツとイタリアがソ連と激しい対立関係に陥ります。そこで英ソが接近したのではないでしょうか。

 福井 英国支配層にはチャーチルのような伝統的な反独派だけでなく、エドワード八世(ウィンザー公)や第一次大戦時の首相ロイド・ジョージなど対独協調派も多く、勢力が均衡していました。最後はチャーチル側が勝ったわけですが、ウィンザー公の退位(一九三六年)もそれに関係しているのかもしれません。ウィンザー公はヒトラーファンで有名でしたから。ただイギリスは、安全保障上の理由などと称して、そのころの重要文書をほとんど公開していません。

『正論』1月号より

「アメリカ観の新しい展開」(一)
「アメリカ観の新しい展開」(二)
「アメリカ観の新しい展開」(三)
「アメリカ観の新しい展開」(四)
「アメリカ観の新しい展開」(五)
「アメリカ観の新しい展開」(六)
「アメリカ観の新しい展開」(七)

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(七)

残暑お見舞い申し上げます。

 暑いですね。困っています。
 今年は体力にこたえています。

 ここ数回、たくさんのコメントをいただきありがとうございました。あらためて全部拝読しています。何らかの応答をしようと思っているのですが、あっという間に月の中半の締切が来てしまいました。時間がないのでお許しください。これから掲げるものは、以前のものの続きとなります。興味ある話題だと思いますので、コメントを遠慮なしに書いてください。

「アメリカ観の新しい展開」(一)
「アメリカ観の新しい展開」(二)
「アメリカ観の新しい展開」(三)
「アメリカ観の新しい展開」(四)
「アメリカ観の新しい展開」(五)
「アメリカ観の新しい展開」(六)

「アメリカの正義はガラリと変わる」(西尾)
「『ワン・ワールド』に地域覇権国は不要」(福井)

 西尾 まず、前回に続いてアメリカ型の正義について考えましょう。シナ大陸での戦前の排日・反日は、日本にとって最も痛手が大きい戦争原因の一つです。その排日・反日を主導したのは、実はアメリカ人の宣教師たちでした。彼らはだいたい反日スパイで、イギリス・アメリカの教会系の学校やキリスト教青年会が、排日運動を扇動する拠点でした。

 こうした施設がどれだけあったかというと、英米系の教会は、約五千八百。病院や薬局が五百七十。教会がつくった大学や専門学校が十八、中学校が三百五十、小学校が約六千、幼稚園が七百五十。こうして、全国にはられた排日の網の目で一斉に活動が始められて、シナ人をいじめているのは日本だというイメージが流布した。この流布のさせ方がすさまじく、かつ嫌らしい。いかにアメリカが素晴らしい国で日本がひどい国かということを映画にしてシナの田舎町まで持っていって上映する。そのお先棒を担いでいたのが、宣教師なんです。それがやがて日貨排斥へ発展していきます。

福井 対日戦争に非常に積極的だった『タイム』誌オーナーのヘンリー・ルースは、中国に派遣されていた宣教師の息子で、中国育ちです。それにしても宣教師たちはセンチメンタルなまでに中国が好きですね。西尾先生の『天皇と原爆』(新潮社)には、こうあります。
「私が最近しみじみ考えているのは、アメリカの抱いていた宗教的な期待のことなんです。アメリカは、中国大陸でキリスト教を布教する可能性が無限にあるように思っていました。日本ではなかなか、そうはいかなかったんですよ。日本は信仰という点では頑としてキリスト教を受け入れないところがありました。キリスト教の信徒は明治以来増えていますが、現段階でも百万を少し超えるくらいです。日本はキリスト教化されることのない国なんです」(七二~七三ページ)

 西尾 日本では布教しても効果がなかった。中国でも本当は効果がないのに、シナ人は信仰するような顔をするんです。

 福井 要は、お金が貰えるからですよね。
 
西尾 そう。シナ人は一時的に、キリスト教を信じているような顔をするんですよ。その後信仰は根付いていないでしょう。日本人は真面目で正直だから、嫌なものは受け付けない、信仰しませんときっぱりと拒否する。

 福井 日本人はしっかりしていて可愛げがないので気に食わないということでしょうか。

 西尾 原理主義は日本人の信仰には合わないんですよ。それにしても分からないことがあります。十九世紀末のカリフォルニアでは、排日の前にシナ人への嫌悪がありました。最終的にはそれが混合して、シナ人と日本人も区別がつかないので排日につながるわけだけれども、アメリカ人は最初は体質的にシナ人を軽蔑していたのに、日本人を敵視するあまり、その後大陸ではシナに入れあげて度外れたシナ擁護に変わる。このアメリカの姿勢の転換が理解できない。

 このように、アメリカ人はちょっとしたことでワッと、正義の方向が変わってしまうんです。それが怖い。いろいろな歴史的場面でそうなんです。ソ連が侵攻したアフガニスタンでイスラム原理主義のゲリラの多くをアメリカが育てたのに、その後は敵対した。イランもパーレビ国王時代には非常に親しく付き合っていたのに、イスラム革命後(一九七九年)は急に敵対的になり、イラン・イラク戦争(一九八〇年)ではイラクを応援し、と思ったらイラクともその後戦争をした。今まで親しくして、認め、応援し、経済援助も与えていた国が仇敵のごとくになるんです。中国に対してもそうです。蒋介石をあれほど応援していていたのに、第二次大戦後は手の平を返したように冷たくなった。
 
このアメリカの精神構造はどこか異常ではないですか。世界最大の軍事国家ですから、その影響は大きいんです。怖いんですよ。

 福井 世界最大の軍事国家で唯一のスーパー・パワーだからなんでもできるわけです。制約がない。

 西尾 そういう連中に、無節操で基準のない行動をされてはたまったものじゃないと思うんです。

 福井 西尾先生は前回、日米開戦の要因として人種差別を挙げられました。ただ、本当に差別しているのであれば、日本人や中国人を相手にしないはずですよね。劣等人種同士、戦争をしようが、お互い煮て食おうが焼いて食おうが関係ない。それなのに、中国に肩入れした。そうさせたのは、人種差別を超えた何かですよね。

 西尾 日本を叩くために日中を離間させるという政策だった、と思いますけれども。

 福井 前回、アメリカはイギリスを倒そうとしていたということを議論しましたが、私は、アメリカはドイツを叩きつぶすことも考え続けていたのだと思います。アメリカは、戦後のドイツ領土を縮小したうえで南北に分割し、重工業はすべて解体するなどという非常に過酷な占領計画、モーゲンソー・プランまで立てていました。原爆も本来はドイツに落とすはずでした。完成前にドイツが降伏したためにチャンスを失っただけで、人種的偏見から日本に落としたのではないと思います。

 キッシンジャー元国務長官は一九九四年、「アメリカはドイツの覇権を防ぐために二回戦争をした」とドイツの新聞で語っています。一九九〇年に東西統一がなされ、当初の混乱も落ち着いて再び強国への道を歩み出したドイツに警告を発したわけです。

 西尾 アメリカは、ソ連が崩壊して役割を終えたはずのNATOを手放しませんでした。東ヨーロッパに民主主義と市場経済を根づかせるためにアメリカが役割を果たすと称し、英仏もこれを歓迎しました。しかし実は、英仏はドイツの力の増大を恐れていたためだと思います。またアメリカもドイツの核武装、そしてロシアへの急接近を阻止したいという思惑から、NATOを使ったんですね。

 話を第二次大戦前に戻せば、アメリカの敵は日英独だったということですね。ロシアはどうだろう。
 
福井 ロシアもそうでしょう。世界支配のため、まずイギリスと日本とドイツを蹴落とし、冷戦という最後の決戦でロシアにも勝利したわけですよね。

 前回紹介したように、日米開戦前年の一九四〇年の大統領選で共和党候補だったウェンデル・ウィルキーは、一九四三年に『ワン・ワールド』という本を出し、大ベストセラーになります。この時の共和党大統領候補の選出は非常に不可解で、前年まで民主党員でまったくのダークホースだったウィルキーが選ばれた。彼の主張はルーズベルトと大差なく、有力対立候補が出馬すれば再選(三選)は難しいといわれていたのに、国民は事実上選択肢を奪われたわけです。開戦後も彼はルーズベルトに協力して、世界中を回り、戦後に実現すべき「ワン・ワールド」を説き、イギリスの植民地主義を厳しく批判した。『ワン・ワールド』では、毎日欠かさず神に祈りかつ聖書を読む思慮深い人間として、蒋介石が絶賛されています。

 西尾 一九四三年十一月のテヘラン会議でのルーズベルト大統領も同じですね。米英ソに加えて、蒋介石の中国を加えた四カ国で世界の平和維持にあたるという「四人の警察官」構想を主張しました。チャーチルやスターリンは反対したのに、ルーズベルトが押し切って中国を入れた。

 福井 中国を入れることで、「我々には人種的偏見はない」と強調したかったのではないでしょうか。『ワン・ワールド』でも中国が戦後世界秩序に主体的に参加することの重要性が強調されています。

 西尾 つまり世界を分割統治する。もちろんアメリカが中心だけれども、英露中という代官を置く。その代官には日本もドイツも入ってない。産業的にみれば本来は日独ですよね。

 福井 「ワン・ワールド」を確立するうえで、アメリカと別の意思を持った地域覇権国は邪魔な存在であり、日独がそうならないようにした。今のEUの経済危機でも、英語圏メディアはドイツ批判ばかりしています。何も悪いことをしていないのに。

 西尾 今のEU問題はドイツいじめですよ。

『正論』1月号より

(つづく)

「侵略」非難は欧米の罠にすぎぬ

 月刊誌『正論』9月号(今店頭に出ている)に、「日本民族の偉大なる復興」(下)の「『侵略』非難は欧米の罠にすぎぬ」を発表しました。この論文はかなり野心的で、新しい考え方を掲げることを企画している内容のつもりです。(上)(下)読まなくても(下)だけでもいいので、これを読んだ方にこれに即してコメントしていただけたら大変にありがたい。

 ブログのコメントはブログにだけつけられるものでなく、活字現行にも応答していただきたいとつねづね考えています。よろしくおねがいします。

第 6 回 「西尾幹二全集刊行記念講演会」 報告

 

渡辺 望さんによる、第 6 回 「西尾幹二全集刊行記念講演会」の報告です。

 

7月15日(月)、市ヶ谷グランドヒルホテル三階の「瑠璃の間」にて、西尾先生の全集第七巻「ソビエト知識人との対話」刊行にあたっての記念講演会が開催されました。講演会題名は「スペイン、オランダ、イギリス、ロシアは地球をどのように寇掠したかーその概要と動機」でした。

 当日は暑い日には変わりませんでしたが、前日までの猛暑の連続に比べると若干ですが過ごしやすい気候の一日となりました。約一年前の七月の同じ市ヶ谷グランドヒルホテルでの全集記念講演会がたいへんな暑さで汗だくになったのをよくおぼえているせいもあって、自分としては涼しい日という印象がより感じられる日でした。

 講演会の主題名はそのようなものでしたが、先生の講演を始めから終わりまで聞いて、独りよがりかもしれませんが、私がもしこの講演に副題をつけるとしたら、「国家というフィクション」がよいのではないかと感じました。この「国家とフィクション」は、先生の今回の全集の中のソビエト滞在記の文章の題名と実は同一のものです。

 文明論を語るとき、語る人間を一番制約してしまうのは、何より時間的なスケールの狭さだということがいえます。戦後的視点からしか戦前の語れない文明論、20世紀的視点からしか19世紀以前を語れない文明論、そういった文明論の洪水に私たちはうんざりし、あるいは洗脳されてしまっている。しかし西尾先生は冒頭でまず、「たかが500年、というふうに考えてみたらどうでしょう」と私たちを文明論特有の時間的制約から解放して、先生自身が挑んでいる文明論の世界に誘いはじめてくださいました。

 「たかが500年」の以前の時代、実はイギリスという国はヨーロッパの中でも下位に属する弱小国に過ぎなかった、それどころか、国民国家イングランドという形さえ成立しているといえない状態だということを先生は指摘されました。英語文化圏の世界支配に慣れきっている私たち日本人からすれば全く信じがたいことですが、イギリス以外にも、オランダやスペインといった後に世界覇権の中心に躍り出る国々もまだとても強国などといえる段階ではなく、ヨーロッパ内部の力関係の中でうごめいている段階でした。そもそも、ヨーロッパ自体が後進的な地域でした。500年という時間で、世界の情勢は、何もかもが、あまりにも変わってしまった。ヨーロッパの中心はこの当時はイタリアでした。

 世界覇権に乗り出すという以前の問題として、ヨーロッパは全体として「中世」という巨大な暗黒を抱えていた、という指摘がそれに続きます。日本人にとって鎌倉や室町という中世時代は別に暗黒でも何でもありません。しかし、ヨーロッパにあった「中世の暗黒」ということこそ、この日の先生の講演会のテーマを読み解く最大のキーワードなのです。まずこの暗黒ということを実感しなければならないでしょう。

 「中世の暗黒」ということでたとえば私が思い浮かべるのは、グリム童話ですね。中世のヨーロッパ人の生活観に基づくグリム童話は、その原型の形で読むと、なんとも凄まじい話の連続です。「ねずの木の話」では、母親が腹違いの息子の首を切断、その死体をシチューにして父親に食べさせるなんていう話が出てくる。「赤頭巾ちゃん」でも原型の話だと、赤頭巾が狼に騙されておばあちゃんの「血と肉」を「ワインと干し肉」と騙されて食べるというお話になっている。こうしたグリム童話の猟奇的ホラーのおぞましさに何とか対抗できる唯一の日本の中世民話は「カチカチ山」の姥汁の話くらいのものでしょうか。

 中世ヨーロッパと中世日本では「悪」のレベルがそもそも全く違っている。お菓子の家でよく知られる「ヘンゼルとグレーテル」では、実母(のちにグリム兄弟は継母と書き改めた)が食い扶持減らしのために息子と娘を森に置き去りにしてくるという話ですが、中世日本には姥捨て山の話はありますが、少年少女を実母が森に置き去りにするなんていう話はない。あるいはどんなに「悪い親」でも、自分が食べていくために子供を置き去りにしていくような人間は中世日本にはいません。想像を絶するほどの飢餓、衝動的な猟奇犯罪に満ちたまさに暗黒の底、これがヨーロッパの中世というものです。そういうふうな捉え方で読むと、ヘンゼルたちのあの華やかなお菓子の家も、中世ヨーロッパ人の異様な妄想のあらわれのような気がしてきて、なんだか不気味に思えてきます。

 西尾先生は中世ヨーロッパについて、平均寿命30歳程度、識字率も極度に低く、また都市というのは、「森」という海の中にぽつりぽつりと存在する島のようなもので、下手に森の世界にいけばまず帰ってくることはできない。フランス革命近くまでパリには狼の襲来があった、そうした事実をあげて、「中世の闇」について説明されました。

 こんな救いようのなヨーロッパ世界からすれば、まずこの中世の克服ということが目指されなければ、ただの野蛮な後進地域として終わってしまうことになる。思想哲学もそのことが志向されるようになります。先生は「中世の克服」を志向した代表としてホッブスをあげられます。

 自身が清教徒革命などの血なまぐさい中世を目の当たりにしていたホッブスは、万人の万人への暴力や強権を自然権として善悪以前に肯定しました。しかしこの自然権を単に野放しにすると、万人は死に至らざるを得なくなる矛盾ももってしまう。そこで人々は、この自然権を調停調和する存在として「国家」=コモンウェルスというものを社会契約的に必要とするようになる。このホッブスの国家論は、あらゆる非合理や悪が渦巻いていた中世ヨーロッパを実感していなければなかなか理解できないことです。まして、日本人のように、自然発生的国家観が根付いている国ではなおさらです。

 ホッブスのコモンウェルスの思想は「国家はフィクションである」ということに言い換えられるように思えます。民族や地域や共同体や個人の延長拡大に「国家」があるのではなく、それら国家以前のものの矛盾混乱を調停調和するものとして国家がフィクションされている。少なくとも、近代以降のヨーロッパにとって「国家」とはそういうものなのです。先生がいわれるように、バルセロナはスペインの一部でなくヨーロッパの一地方であり、ミュンヘンとベルリンの間には、私たち日本の東京と大阪のような共有感情はない。このことについて私が考える例はありふれたものかもしれませんが、よく知られた小説であるドーデの「最後の授業」の話です。あの小説の舞台となった地域はもともとはドイツ語の地域なのであって(主人公もドイツ語名のフランツ君ですね)あの小説のフランスナショナリズムへの感動は「国家というフィクション」の「ずれ」への勘違いからきているともいえます。

 ここからが先生の講演の最も重要部分になります。話が次第に現代に、そして日本に近づいてきます。以降の先生の話の展開の方向を二点に集約すると、以下のようになると思われます。

 たしかにヨーロッパはホッブス的な思考に従って、血みどろの政争、内乱、戦争を通じて、次第に各コモンウェルスをつくりあげ、「内なる中世」を何とか克服していったのだけれども、しかし「内なる中世」の野蛮さ・残酷さは、ヨーロッパ以外の世界の征服方法に姿を変えて向けられることになったということ、これがまず一つです。
 
 今一つは、先生が引用された20世紀のドイツ最大の法学者カール・シュミットが鋭く見抜いたように、ホッブスが克服しようとした中世ヨーロッパ的状況が今一つ、ヨーロッパ以外の地域に存在していたし存在している。それはアメリカ大陸だ、ということです。

たとえば、スペイン・ポルトガルのトルデシリャス条約による世界分割計画のような、地球全体に勝手に線引きするというやり方は、20世紀のウィルソンの14か条原則やチャーチル・ルーズベルトの大西洋憲章に継承されていきます。まったく身勝手な国際政治の手法に他なりませんが、「ヨーロッパ人(アメリカ人)はなぜこんな勝手な方法を採用するのか?」ということについての答えは、ヨーロッパ中世の恐ろしい非合理性に起源をもつのであって、ギリシャやローマの古代文明の合理性の世界にそれを見出すことは不可能だといえるでしょう。

 スペイン人の南北アメリカ人への残忍さは、それがライバル国であったオランダやイギリスの宣伝工作だったという誇張を差し引いたとしても、「これが果たして私たちと同じ人間のやり方なのか」と日本人なら驚いてしまうようなものです。侵略や虐殺を肯定するロジックも滅茶苦茶なものです。しかしこうしたことは、「内なる中世」というものが、ヨーロッパ以外の世界で再びよみがえったのだ、というふうにみることもできるのでしょう。

 今一つの先生の提示された、カール・シュミットの「アメリカ=ヨーロッパ中世」という捉え方ですが、ここで私がふと思いついたのは、西洋史学者の池上俊一氏が紹介する中世ヨーロッパでの「動物裁判」の話でした。中世ヨーロッパでは、人間の子供をひき殺した豚や、人間の寝床で痒みをもたらした南京虫を裁判にかけて処刑するというような馬鹿げた動物裁判が大真面目におこなわれていました。

 この中世ヨーロッパの「動物裁判」と、シーシェパードの反捕鯨テロリズムに代表される、アメリカでの過激な動物愛護主義は、共通の精神的土壌をもっているようにおもいます。中世ヨーロッパでは、人間というものは動物と区別がつかない衝動的で得たいの知れない存在であったのでしょう。実は今のアメリカもそうなのです。人間は動物のようなものであり、動物は人間のようなものである。こうして、「動物に人権を認める」というロジックの錯乱が、現在アメリカでは中世ヨーロッパのように起きてしまっているということができるでしょう。

 「アメリカ=中世ヨーロッパ」であるという文化現象は、アメリカ国内でこれ以外にもたくさんみられます。銃規制の不徹底の現実はホッブス的状況の最たるものでしょうし、妊娠中絶をする病院がキリスト教原理主義者に国内で頻繁に爆破されるということは、宗教と社会倫理の峻別という近代社会のミニマムの条件がクリアされていないことを意味しています。「中世」と「コモンウェルス」の間を行ったり来たりしているこのアメリカという国の海外政策は、20世紀以降になっても、中世的な野蛮をたっぷりもっていて、それが日本に向けられているということ、講演全体におけるこの核心部分へと話が進みます。

 ここでもう一人、重要な哲学者ジョン・ロックが先生の話に補助線として登場します。いうまでもなくロックは近代哲学と近代法思想の確立に大きな貢献をなしましたが、文明論も多数記した人物であり、ここでは文明論者ロックについての話になります。先生によれば、アメリカの外交政策のしたたかさは、ロックの思想を巧みに利用していることによって成り立っているのだという。これはどういうことなのでしょうか。

 まずロックによると、当時、スペイン・ポルトガル等が一方的におこなっていた被植民地地域の人々の権利無視行為は間違いだ、といいます。一見すると自然権者ロックがその人権思想を文明論に敷衍しているかのように思えますが、実は正反対なので、ロックは続けて「アメリカ大陸は例外で、アメリカ大陸は世界全部の所有物である」というのです。なぜか。ロックによれば、「アメリカには無限の土地があってまだ未開拓である。これを開墾し広げていくという行為は平和経済的なことなので、軍事侵略的ではないからである」という。

 私はロックがこういうことを言っていることを先生の紹介まで知りませんでしたが、いかにもヨーロッパ人らしいしたたかな論法に唖然とする思いがしました。ロックの論法は、中世ヨーロッパを克服するための啓蒙主義を装いつつ、ヨーロッパ外への中世的に野蛮な世界戦略を肯定する、という二面的な顔をもっているようです。被植民地への暴力を無制限に肯定したカトリック教会の思想に比ると、ロックの哲学のやり口は一層手が込んでいます。

 これを踏まえた上でアメリカは日本の中国進出を非難するためにロックの哲学を利用したという先生の指摘の流れは見事なものと感じられました。アメリカは、自分たちの国がそれによってつくられたロックの哲学をそのまま中国大陸にあてはめて「満州・中国は世界全体の共有物である」、つまりその世界共有を侵犯している日本は悪者だといったわけです。

 もちろん、アメリカの論理は根本的あるいは現実的にはまったく破綻しています。しかし、アメリカ人が覇権戦争を仕掛けるときに、このロックの哲学を利用することがあり得るということそのものが重要です。それは「切り取りの侵略哲学」とでもいうべきでしょうか。いずれにしても、アメリカの覇権の根底には、中世ヨーロッパ→フィクションとしての国家・コモンウェルス→ロックの哲学、そういったものがあるという先生の指摘の流れは、いつものことながら、目から鱗が落ちる思いでした。

 私たちの現実として認識しなくてはいけないことは、中世ヨーロッパは再び世界によみがえりつつあるのではないか、ということです。近代が終焉に向かいつつある、ということはよくいわれることです。では近代の後に来るものは何なのか。国内的にはグリム童話の世界を彷彿させるような衝動的で無目的な犯罪の多発、国際的には中世ヨーロッパの気配をどこか濃厚に漂わせるアメリカの覇権とその影響などです。ニヒリズムの実質とは中世の闇の復活なのかどうか、これは私たちのこれからの生き方にかかわってくる問題だと思います。

 最後に、先生の講演全体から受けて考えはじめたことの一つなのですが、ロックの哲学とほとんど同じことをしようとしたのは日本の満州国の理念だ、と先生が言われていましたが、もちろん日本人に満州国をアメリカ大陸にしていくようなしたたかさはできませんでしたが、しかし石原はいったいどこでロック的な考え方の手口を学んだのでしょうか。石原が考えた「五族協和」思想というのは確かにロックの「アメリカ大陸は世界全体のものだ」という思想とほとんど同一のものですが、それを生み出す思想的土壌がどう考えても日本の伝統哲学にはないように思えます。石原は基本的には反米主義者です。ここに解明探求すべき一つの歴史の謎があるようにも思えました。

 夕方五時頃に終えた講演会ののち、50名ほどの参加による有志懇親会がひらかれました。東中野修道氏(亜細亜大学大学院教授)、石原隆夫氏(「新しい歴史教科書をつくる会」理事)、二瓶文隆氏(「新しい歴史教科書をつくる会会員、「日本維新の会」参議院議員選挙立候補者)によるスピーチ、そして岡野俊昭氏(「新しい歴史教科書をつくる会」副会長)による乾杯の音頭、最後は松木國俊氏(韓国問題研究家、つくる会三多摩支部副支部長)による締めの音頭の流れで、楽しい歓談のひとときとなりました。

 西尾先生、本当にご苦労さまでした。先生の講演会を取り仕切ってくださいました小川揚司さまはじめ坦々塾事務局の皆様にも感謝の言葉を記したいと思います。

                                            渡辺望

宮崎正弘氏による書評

憂国のリアリズム 憂国のリアリズム
(2013/07/11)
西尾幹二

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いまや東京裁判の議論をやめよう、日本は大目標を抱け
  安倍政権に欠けているのは世界的展望をもつ思想的哲学的主張である

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西尾幹二『憂国のリアリズム』(ビジネス社)
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 「こうなることは分かっていた」
 こうなる、とはどういうことか? それは米中の狭間に立たされる日本が「頼りにしていたアメリカがあまりアテにならないという現実が、やがてゆっくり訪れるだろうとは前から思っていた」と保守論壇の重鎮、西尾氏が述べる。
 その通りになった。
アメリカは「尖閣諸島に日本の施政権が及んでいることを承知しているが」としつつも「尖閣の帰属に関しては関与しない」と言ってのけた。つまり中国がもし尖閣諸島を軍事侵略しても、アメリカは日本のために血を流さないと示唆していることになる。(もっとも、その前に日本が自衛しなければ何の意味もないが)。。。

しからば、なぜこういう体たらくで惨めな日本に陥落したのか。
「そもそも原爆を落とされた国が落とした国に向かってすがりついて生きている」からである。日本は「この病理にどっぷり浸かってしまっていて、苦痛にも思わなくなっている。この日本人の姿を、痛さとして自覚し、はっきり知ることがすべての出発点、何とかして立ち上がる出発点ではないか」(49p)とされる西尾氏は、東京裁判史観の克服をつぎのように言われる。
「今さら東京裁判を議論する必要などない。東京裁判がどうだこうだと議論し、東京裁判について騒げば騒ぐほど、その罠に陥ってしまうからである。日本国民全員がより上位の概念に生きているのだという自己認識さえ持てば、それで終わるのである」。
「上位の概念」とは日本の伝統的思想、その宗教観である。

西尾氏は現下の危機の深化に関して次のように続ける。
 「中国が専制独裁国家のままであり続けていて、しかも金融資本主義国家の産業形態をも取り入れるというこの不可解なカメレオンのような変身そのものが、厄介なことに『ベルリンの壁の崩壊』のアジア版ということだった」と或る日、西尾氏は気がついた。
 そして氏の認識は嘗ての歴史のパターンを連想させる。
 すなわち「『ベルリンの壁の崩壊』から『ユーゴスラビアの内戦』へのドラマがやっと危険なかたちで極東にも及んできたのだ。私は昨今の情勢から、あり得る可能性をあれこれ憂慮を持って観察している」
その憂慮の集大成が、この論文集となって結実した。
 日本が直面する未曾有の危機を克服するために如何なる道筋が日本に残されているのか。奇跡のようにカムバックした安倍政権は、「歴史的使命」を帯びて、「中国共産党の独裁体制の打破」に挑むべきであり、そのために憲法改正は必須であると説かれる。
 ついでながら評者(宮崎)は「アジア版ベルリンの崩壊後のユーゴ」は、中国が仕掛ける尖閣戦争の蓋然性よりも、むしろ中国内部の大騒擾、すなわちウィグル、チベット、蒙古の反漢族騒乱が活火山化することだろう、と見ている。

 安倍政権で前途に明るさが見えてきたことは確かである。しかし「何かが欠けている」と西尾氏は嘆く。
強靭化プログラムは良いにしても、なにが欠けているのか?
 すなわち日本の深い根に生い立った、「思想的哲学的主張が見えない」。日本には「世界史的な大目標が必要なのである」。

 こうした基調で貫かれた本書の肯綮部分は、評者(宮崎)の独断から言えば第三章である。
つまり日本の根源的致命傷に関しての考察で、第一にGHQが消し去った日本の歴史である。氏は過去数年、GHQの焚書図書を発掘し、それらがいかに正しい歴史認識の元に日本の国益を説いてきたかを縦横に解説されてきた労作群があるが、日本人のDNAから我が国の輝かしい歴史が消えてしまえば、GHQの思い通りに「敗戦史観」『日本が悪かった』「太平洋戦争は悪い戦争だった」ということになり、まして「旧敵国の立場から自国の歴史を書く」という恥知らずな日本の歴史家が夥しく登場し、負け犬歴史観で武装し、「日本だけの過ちをあげつらう『新型自虐史観』に裏打ちされた、面妖なる論客がごろごろと論壇を占拠し、テレビにでて咆える惨状を呈したのだ。
 ようするに「戦後日本は『太平洋戦争』という新しい戦争を仕掛けられている」のだ、と悲痛な憂国の主張が繰り返されている。
 一行一行に含蓄があり、いろいろと考えさせられた著作である。