「アメリカ観の新しい展開」(八)


「ロシア革命の評価なしに世界史は完成せず」(福井)
「英ソ接近もあった」(西尾)

 福井 『天皇と原爆』は基本的には東京裁判史観を見直すというスタイルですが、私はニュルンベルク史観も見直さないと、バランスのとれた世界史、歴史にはならないと考えています。ドイツ単独責任論は、いわば政治的な議論です。ドイツは世界征服を企んでいたのではなく、地域の覇権国になりたかっただけなのに、チャーチルが大英帝国を破滅させてまでヒトラーとの「決闘」に勝つため、ヨーロッパ戦線を拡大してしまった。ユダヤ人の単なる迫害ではなく組織的虐殺が始まるのは対英和平が絶望となって以降です。

 西尾 パトリック・J・ブキャナンが『チャーチル、ヒトラー、そして不必要だった戦争』で述べていることと同じですね。この訳書が河内隆禰氏の訳で二〇一三年一月、国書刊行会から発刊されます。

 福井
 ブキャナンも今年の共和党大統領予備選で善戦したロン・ポールと同じオールド・ライトですよ。

 西尾 孤立主義ですか。

 福井 ええ。ただ、経済政策においては、ブキャナンが保護主義であるのに対し、ロン・ポールは市場重視です。国内政策においても政府はできるだけ何もしないほうがよいという、リバタリアン的立場です。他国とは貿易はどんどんやればいいが、軍隊が行く必要はないという考え方です。

 西尾 それは日本も納得できる思想ですね。

 福井 二十世紀前半史はやはりロシア革命の評価を抜きにしては完成しないということも強調したいと思います。最近秘密文書の公開が進んで、ソ連の世界赤化戦略はかなり進行していたことが分かってきました。これまでは、世界革命論者のトロツキーに対してスターリンは一国社会主義者、ただのロシア帝国主義者だと考えられていましたが、実はスターリンも全世界赤化を虎視眈々と狙っていたんです。トロツキーと基本的には目標は同じだったんですよ。ただ、トロツキーと違ってプロの政治家、リアリストだっただけなのです。

 一九三〇年代後半すでに、ソ連の軍事力は日独を圧倒していて、防衛のための兵力というには不自然で、常識的に考えて、攻撃を準備していたとしか考えられません。

 一九三一年の満洲事変の二年前の二九年、満洲で中国とソ連の戦争がありました。中東路事件、奉ソ戦争とも呼ばれています。その直前、中国がハルビンのソ連領事館を捜索したところ、赤化工作や謀略を指示する機密文書が見つかり、ソ連と中国の関係が悪化し、ソ連利権だった東支鉄道の張学良による強引な回収を契機に武力衝突となった。日本も満洲の赤化工作については非常に憂慮していたはずです。ところが、こうした事実は大きくは扱われず、関東軍がただ侵略のために満洲事変を起こしたかのように言われる。

 奉ソ戦争ではソ連軍が越境して武力攻撃したにもかかわらず、満州事変における対日非難に比べて、アメリカの対応はかなり抑制されたものでした。そのアメリカのルーズベルト政権に、ソ連のスパイが大量に潜り込んでいたことが、一九九五年に公開された「ヴェノナ文書」(ソ連スパイとモスクワ本部がやりとりした暗号電報を米軍が解読した文書)で疑問の余地なく明らかになったことは、皆さんご承知の通りです。アメリカを対日戦争に向かわせるために、ソ連の意を受けたスパイたちが政権内でその影響力を行使したことも分かってきています。ただし、ルーズベルト自身、対日戦を望んでいました。いずれにせよ東京裁判史観を否定する事実です。

 西尾 先ほど、アメリカ人宣教師たちが主導したと紹介したシナ大陸における排日運動の担い手も、ロシアから入ってきた共産主義者たちに取って代わりました。一九一七年のロシア革命から間もない二二~二三年のことです。

 福井 ソ連の世界革命戦略は、さらにドイツ単独責任論も否定します。独ソ戦は、ドイツが一方的にソ連に攻め入ったと考えられてきましたが、実は「スターリンは対独攻撃を準備していたが、ヒトラーに先を越されてしまったのだ」と考える研究者が増えてきています。ドイツのバルバロッサ作戦は、一種の予防戦争だったという見方です。興味深いことに、ロシアでは反スターリンのリベラルな研究者がスターリン責任論の中心となっています。

 スターリンが世界共産化の一環として対独戦を準備していたことを一九八五年に公刊された『スターリンの戦争』で最初に本格的に論じたのは、オーストリアの著名な哲学者エルンスト・トーピッチュです。最近の文書公開で、彼の主張の妥当性はますます増しています。ちなみに彼は極右でもなんでもなく、カール・ポパーとも親しく、西尾先生に近い古典的自由主義者です。

 西尾 スターリンが先にドイツを叩くつもりでいた。

 福井 ドイツだけではありません。一九三七年、ソ連で『東方にて』という本が刊行されています。同じ年に改造社から『極東:日ソ未来戦記』と題して日本語訳も出ました。日本とソ連が戦争して、ソ連空軍が東京を空爆し、日本に革命が起こるという小説です。

 西尾 よく当時の日本でそんな本が出版できましたね。

 福井 さすがに和訳は検閲でかなりカットされています。作者はピョートル・パヴレンコ。『戦艦ポチョムキン』で有名なセルゲイ・エイゼンシュテイン監督の作品に、『アレクサンドル・ネフスキー』という反独プロパガンダ映画がありますが、その脚本を書いた人物です。スターリンお気に入りの作家でした。つまり、スターリンは反日独プロパガンダ、戦意高揚を同時に行っていたわけです。

 西尾 日本はきっと警戒してこの本を翻訳したんだね。スターリンが世界制覇の意志を持っていて、虎視眈々とドイツと日本を攻める計画をしていた。それに対して先手を打ったのが日独防共協定だった。

 この日独防共協定に対してはイギリスが冷淡な対応をして、日本の外務省も非常に不満を持っていました。ちょうどそのころスペインに内戦があって、ドイツとイタリアがソ連と激しい対立関係に陥ります。そこで英ソが接近したのではないでしょうか。

 福井 英国支配層にはチャーチルのような伝統的な反独派だけでなく、エドワード八世(ウィンザー公)や第一次大戦時の首相ロイド・ジョージなど対独協調派も多く、勢力が均衡していました。最後はチャーチル側が勝ったわけですが、ウィンザー公の退位(一九三六年)もそれに関係しているのかもしれません。ウィンザー公はヒトラーファンで有名でしたから。ただイギリスは、安全保障上の理由などと称して、そのころの重要文書をほとんど公開していません。

『正論』1月号より

「アメリカ観の新しい展開」(一)
「アメリカ観の新しい展開」(二)
「アメリカ観の新しい展開」(三)
「アメリカ観の新しい展開」(四)
「アメリカ観の新しい展開」(五)
「アメリカ観の新しい展開」(六)
「アメリカ観の新しい展開」(七)

(つづく)

「アメリカ観の新しい展開」(七)

残暑お見舞い申し上げます。

 暑いですね。困っています。
 今年は体力にこたえています。

 ここ数回、たくさんのコメントをいただきありがとうございました。あらためて全部拝読しています。何らかの応答をしようと思っているのですが、あっという間に月の中半の締切が来てしまいました。時間がないのでお許しください。これから掲げるものは、以前のものの続きとなります。興味ある話題だと思いますので、コメントを遠慮なしに書いてください。

「アメリカ観の新しい展開」(一)
「アメリカ観の新しい展開」(二)
「アメリカ観の新しい展開」(三)
「アメリカ観の新しい展開」(四)
「アメリカ観の新しい展開」(五)
「アメリカ観の新しい展開」(六)

「アメリカの正義はガラリと変わる」(西尾)
「『ワン・ワールド』に地域覇権国は不要」(福井)

 西尾 まず、前回に続いてアメリカ型の正義について考えましょう。シナ大陸での戦前の排日・反日は、日本にとって最も痛手が大きい戦争原因の一つです。その排日・反日を主導したのは、実はアメリカ人の宣教師たちでした。彼らはだいたい反日スパイで、イギリス・アメリカの教会系の学校やキリスト教青年会が、排日運動を扇動する拠点でした。

 こうした施設がどれだけあったかというと、英米系の教会は、約五千八百。病院や薬局が五百七十。教会がつくった大学や専門学校が十八、中学校が三百五十、小学校が約六千、幼稚園が七百五十。こうして、全国にはられた排日の網の目で一斉に活動が始められて、シナ人をいじめているのは日本だというイメージが流布した。この流布のさせ方がすさまじく、かつ嫌らしい。いかにアメリカが素晴らしい国で日本がひどい国かということを映画にしてシナの田舎町まで持っていって上映する。そのお先棒を担いでいたのが、宣教師なんです。それがやがて日貨排斥へ発展していきます。

福井 対日戦争に非常に積極的だった『タイム』誌オーナーのヘンリー・ルースは、中国に派遣されていた宣教師の息子で、中国育ちです。それにしても宣教師たちはセンチメンタルなまでに中国が好きですね。西尾先生の『天皇と原爆』(新潮社)には、こうあります。
「私が最近しみじみ考えているのは、アメリカの抱いていた宗教的な期待のことなんです。アメリカは、中国大陸でキリスト教を布教する可能性が無限にあるように思っていました。日本ではなかなか、そうはいかなかったんですよ。日本は信仰という点では頑としてキリスト教を受け入れないところがありました。キリスト教の信徒は明治以来増えていますが、現段階でも百万を少し超えるくらいです。日本はキリスト教化されることのない国なんです」(七二~七三ページ)

 西尾 日本では布教しても効果がなかった。中国でも本当は効果がないのに、シナ人は信仰するような顔をするんです。

 福井 要は、お金が貰えるからですよね。
 
西尾 そう。シナ人は一時的に、キリスト教を信じているような顔をするんですよ。その後信仰は根付いていないでしょう。日本人は真面目で正直だから、嫌なものは受け付けない、信仰しませんときっぱりと拒否する。

 福井 日本人はしっかりしていて可愛げがないので気に食わないということでしょうか。

 西尾 原理主義は日本人の信仰には合わないんですよ。それにしても分からないことがあります。十九世紀末のカリフォルニアでは、排日の前にシナ人への嫌悪がありました。最終的にはそれが混合して、シナ人と日本人も区別がつかないので排日につながるわけだけれども、アメリカ人は最初は体質的にシナ人を軽蔑していたのに、日本人を敵視するあまり、その後大陸ではシナに入れあげて度外れたシナ擁護に変わる。このアメリカの姿勢の転換が理解できない。

 このように、アメリカ人はちょっとしたことでワッと、正義の方向が変わってしまうんです。それが怖い。いろいろな歴史的場面でそうなんです。ソ連が侵攻したアフガニスタンでイスラム原理主義のゲリラの多くをアメリカが育てたのに、その後は敵対した。イランもパーレビ国王時代には非常に親しく付き合っていたのに、イスラム革命後(一九七九年)は急に敵対的になり、イラン・イラク戦争(一九八〇年)ではイラクを応援し、と思ったらイラクともその後戦争をした。今まで親しくして、認め、応援し、経済援助も与えていた国が仇敵のごとくになるんです。中国に対してもそうです。蒋介石をあれほど応援していていたのに、第二次大戦後は手の平を返したように冷たくなった。
 
このアメリカの精神構造はどこか異常ではないですか。世界最大の軍事国家ですから、その影響は大きいんです。怖いんですよ。

 福井 世界最大の軍事国家で唯一のスーパー・パワーだからなんでもできるわけです。制約がない。

 西尾 そういう連中に、無節操で基準のない行動をされてはたまったものじゃないと思うんです。

 福井 西尾先生は前回、日米開戦の要因として人種差別を挙げられました。ただ、本当に差別しているのであれば、日本人や中国人を相手にしないはずですよね。劣等人種同士、戦争をしようが、お互い煮て食おうが焼いて食おうが関係ない。それなのに、中国に肩入れした。そうさせたのは、人種差別を超えた何かですよね。

 西尾 日本を叩くために日中を離間させるという政策だった、と思いますけれども。

 福井 前回、アメリカはイギリスを倒そうとしていたということを議論しましたが、私は、アメリカはドイツを叩きつぶすことも考え続けていたのだと思います。アメリカは、戦後のドイツ領土を縮小したうえで南北に分割し、重工業はすべて解体するなどという非常に過酷な占領計画、モーゲンソー・プランまで立てていました。原爆も本来はドイツに落とすはずでした。完成前にドイツが降伏したためにチャンスを失っただけで、人種的偏見から日本に落としたのではないと思います。

 キッシンジャー元国務長官は一九九四年、「アメリカはドイツの覇権を防ぐために二回戦争をした」とドイツの新聞で語っています。一九九〇年に東西統一がなされ、当初の混乱も落ち着いて再び強国への道を歩み出したドイツに警告を発したわけです。

 西尾 アメリカは、ソ連が崩壊して役割を終えたはずのNATOを手放しませんでした。東ヨーロッパに民主主義と市場経済を根づかせるためにアメリカが役割を果たすと称し、英仏もこれを歓迎しました。しかし実は、英仏はドイツの力の増大を恐れていたためだと思います。またアメリカもドイツの核武装、そしてロシアへの急接近を阻止したいという思惑から、NATOを使ったんですね。

 話を第二次大戦前に戻せば、アメリカの敵は日英独だったということですね。ロシアはどうだろう。
 
福井 ロシアもそうでしょう。世界支配のため、まずイギリスと日本とドイツを蹴落とし、冷戦という最後の決戦でロシアにも勝利したわけですよね。

 前回紹介したように、日米開戦前年の一九四〇年の大統領選で共和党候補だったウェンデル・ウィルキーは、一九四三年に『ワン・ワールド』という本を出し、大ベストセラーになります。この時の共和党大統領候補の選出は非常に不可解で、前年まで民主党員でまったくのダークホースだったウィルキーが選ばれた。彼の主張はルーズベルトと大差なく、有力対立候補が出馬すれば再選(三選)は難しいといわれていたのに、国民は事実上選択肢を奪われたわけです。開戦後も彼はルーズベルトに協力して、世界中を回り、戦後に実現すべき「ワン・ワールド」を説き、イギリスの植民地主義を厳しく批判した。『ワン・ワールド』では、毎日欠かさず神に祈りかつ聖書を読む思慮深い人間として、蒋介石が絶賛されています。

 西尾 一九四三年十一月のテヘラン会議でのルーズベルト大統領も同じですね。米英ソに加えて、蒋介石の中国を加えた四カ国で世界の平和維持にあたるという「四人の警察官」構想を主張しました。チャーチルやスターリンは反対したのに、ルーズベルトが押し切って中国を入れた。

 福井 中国を入れることで、「我々には人種的偏見はない」と強調したかったのではないでしょうか。『ワン・ワールド』でも中国が戦後世界秩序に主体的に参加することの重要性が強調されています。

 西尾 つまり世界を分割統治する。もちろんアメリカが中心だけれども、英露中という代官を置く。その代官には日本もドイツも入ってない。産業的にみれば本来は日独ですよね。

 福井 「ワン・ワールド」を確立するうえで、アメリカと別の意思を持った地域覇権国は邪魔な存在であり、日独がそうならないようにした。今のEUの経済危機でも、英語圏メディアはドイツ批判ばかりしています。何も悪いことをしていないのに。

 西尾 今のEU問題はドイツいじめですよ。

『正論』1月号より

(つづく)

「侵略」非難は欧米の罠にすぎぬ

 月刊誌『正論』9月号(今店頭に出ている)に、「日本民族の偉大なる復興」(下)の「『侵略』非難は欧米の罠にすぎぬ」を発表しました。この論文はかなり野心的で、新しい考え方を掲げることを企画している内容のつもりです。(上)(下)読まなくても(下)だけでもいいので、これを読んだ方にこれに即してコメントしていただけたら大変にありがたい。

 ブログのコメントはブログにだけつけられるものでなく、活字現行にも応答していただきたいとつねづね考えています。よろしくおねがいします。

第 6 回 「西尾幹二全集刊行記念講演会」 報告

 

渡辺 望さんによる、第 6 回 「西尾幹二全集刊行記念講演会」の報告です。

 

7月15日(月)、市ヶ谷グランドヒルホテル三階の「瑠璃の間」にて、西尾先生の全集第七巻「ソビエト知識人との対話」刊行にあたっての記念講演会が開催されました。講演会題名は「スペイン、オランダ、イギリス、ロシアは地球をどのように寇掠したかーその概要と動機」でした。

 当日は暑い日には変わりませんでしたが、前日までの猛暑の連続に比べると若干ですが過ごしやすい気候の一日となりました。約一年前の七月の同じ市ヶ谷グランドヒルホテルでの全集記念講演会がたいへんな暑さで汗だくになったのをよくおぼえているせいもあって、自分としては涼しい日という印象がより感じられる日でした。

 講演会の主題名はそのようなものでしたが、先生の講演を始めから終わりまで聞いて、独りよがりかもしれませんが、私がもしこの講演に副題をつけるとしたら、「国家というフィクション」がよいのではないかと感じました。この「国家とフィクション」は、先生の今回の全集の中のソビエト滞在記の文章の題名と実は同一のものです。

 文明論を語るとき、語る人間を一番制約してしまうのは、何より時間的なスケールの狭さだということがいえます。戦後的視点からしか戦前の語れない文明論、20世紀的視点からしか19世紀以前を語れない文明論、そういった文明論の洪水に私たちはうんざりし、あるいは洗脳されてしまっている。しかし西尾先生は冒頭でまず、「たかが500年、というふうに考えてみたらどうでしょう」と私たちを文明論特有の時間的制約から解放して、先生自身が挑んでいる文明論の世界に誘いはじめてくださいました。

 「たかが500年」の以前の時代、実はイギリスという国はヨーロッパの中でも下位に属する弱小国に過ぎなかった、それどころか、国民国家イングランドという形さえ成立しているといえない状態だということを先生は指摘されました。英語文化圏の世界支配に慣れきっている私たち日本人からすれば全く信じがたいことですが、イギリス以外にも、オランダやスペインといった後に世界覇権の中心に躍り出る国々もまだとても強国などといえる段階ではなく、ヨーロッパ内部の力関係の中でうごめいている段階でした。そもそも、ヨーロッパ自体が後進的な地域でした。500年という時間で、世界の情勢は、何もかもが、あまりにも変わってしまった。ヨーロッパの中心はこの当時はイタリアでした。

 世界覇権に乗り出すという以前の問題として、ヨーロッパは全体として「中世」という巨大な暗黒を抱えていた、という指摘がそれに続きます。日本人にとって鎌倉や室町という中世時代は別に暗黒でも何でもありません。しかし、ヨーロッパにあった「中世の暗黒」ということこそ、この日の先生の講演会のテーマを読み解く最大のキーワードなのです。まずこの暗黒ということを実感しなければならないでしょう。

 「中世の暗黒」ということでたとえば私が思い浮かべるのは、グリム童話ですね。中世のヨーロッパ人の生活観に基づくグリム童話は、その原型の形で読むと、なんとも凄まじい話の連続です。「ねずの木の話」では、母親が腹違いの息子の首を切断、その死体をシチューにして父親に食べさせるなんていう話が出てくる。「赤頭巾ちゃん」でも原型の話だと、赤頭巾が狼に騙されておばあちゃんの「血と肉」を「ワインと干し肉」と騙されて食べるというお話になっている。こうしたグリム童話の猟奇的ホラーのおぞましさに何とか対抗できる唯一の日本の中世民話は「カチカチ山」の姥汁の話くらいのものでしょうか。

 中世ヨーロッパと中世日本では「悪」のレベルがそもそも全く違っている。お菓子の家でよく知られる「ヘンゼルとグレーテル」では、実母(のちにグリム兄弟は継母と書き改めた)が食い扶持減らしのために息子と娘を森に置き去りにしてくるという話ですが、中世日本には姥捨て山の話はありますが、少年少女を実母が森に置き去りにするなんていう話はない。あるいはどんなに「悪い親」でも、自分が食べていくために子供を置き去りにしていくような人間は中世日本にはいません。想像を絶するほどの飢餓、衝動的な猟奇犯罪に満ちたまさに暗黒の底、これがヨーロッパの中世というものです。そういうふうな捉え方で読むと、ヘンゼルたちのあの華やかなお菓子の家も、中世ヨーロッパ人の異様な妄想のあらわれのような気がしてきて、なんだか不気味に思えてきます。

 西尾先生は中世ヨーロッパについて、平均寿命30歳程度、識字率も極度に低く、また都市というのは、「森」という海の中にぽつりぽつりと存在する島のようなもので、下手に森の世界にいけばまず帰ってくることはできない。フランス革命近くまでパリには狼の襲来があった、そうした事実をあげて、「中世の闇」について説明されました。

 こんな救いようのなヨーロッパ世界からすれば、まずこの中世の克服ということが目指されなければ、ただの野蛮な後進地域として終わってしまうことになる。思想哲学もそのことが志向されるようになります。先生は「中世の克服」を志向した代表としてホッブスをあげられます。

 自身が清教徒革命などの血なまぐさい中世を目の当たりにしていたホッブスは、万人の万人への暴力や強権を自然権として善悪以前に肯定しました。しかしこの自然権を単に野放しにすると、万人は死に至らざるを得なくなる矛盾ももってしまう。そこで人々は、この自然権を調停調和する存在として「国家」=コモンウェルスというものを社会契約的に必要とするようになる。このホッブスの国家論は、あらゆる非合理や悪が渦巻いていた中世ヨーロッパを実感していなければなかなか理解できないことです。まして、日本人のように、自然発生的国家観が根付いている国ではなおさらです。

 ホッブスのコモンウェルスの思想は「国家はフィクションである」ということに言い換えられるように思えます。民族や地域や共同体や個人の延長拡大に「国家」があるのではなく、それら国家以前のものの矛盾混乱を調停調和するものとして国家がフィクションされている。少なくとも、近代以降のヨーロッパにとって「国家」とはそういうものなのです。先生がいわれるように、バルセロナはスペインの一部でなくヨーロッパの一地方であり、ミュンヘンとベルリンの間には、私たち日本の東京と大阪のような共有感情はない。このことについて私が考える例はありふれたものかもしれませんが、よく知られた小説であるドーデの「最後の授業」の話です。あの小説の舞台となった地域はもともとはドイツ語の地域なのであって(主人公もドイツ語名のフランツ君ですね)あの小説のフランスナショナリズムへの感動は「国家というフィクション」の「ずれ」への勘違いからきているともいえます。

 ここからが先生の講演の最も重要部分になります。話が次第に現代に、そして日本に近づいてきます。以降の先生の話の展開の方向を二点に集約すると、以下のようになると思われます。

 たしかにヨーロッパはホッブス的な思考に従って、血みどろの政争、内乱、戦争を通じて、次第に各コモンウェルスをつくりあげ、「内なる中世」を何とか克服していったのだけれども、しかし「内なる中世」の野蛮さ・残酷さは、ヨーロッパ以外の世界の征服方法に姿を変えて向けられることになったということ、これがまず一つです。
 
 今一つは、先生が引用された20世紀のドイツ最大の法学者カール・シュミットが鋭く見抜いたように、ホッブスが克服しようとした中世ヨーロッパ的状況が今一つ、ヨーロッパ以外の地域に存在していたし存在している。それはアメリカ大陸だ、ということです。

たとえば、スペイン・ポルトガルのトルデシリャス条約による世界分割計画のような、地球全体に勝手に線引きするというやり方は、20世紀のウィルソンの14か条原則やチャーチル・ルーズベルトの大西洋憲章に継承されていきます。まったく身勝手な国際政治の手法に他なりませんが、「ヨーロッパ人(アメリカ人)はなぜこんな勝手な方法を採用するのか?」ということについての答えは、ヨーロッパ中世の恐ろしい非合理性に起源をもつのであって、ギリシャやローマの古代文明の合理性の世界にそれを見出すことは不可能だといえるでしょう。

 スペイン人の南北アメリカ人への残忍さは、それがライバル国であったオランダやイギリスの宣伝工作だったという誇張を差し引いたとしても、「これが果たして私たちと同じ人間のやり方なのか」と日本人なら驚いてしまうようなものです。侵略や虐殺を肯定するロジックも滅茶苦茶なものです。しかしこうしたことは、「内なる中世」というものが、ヨーロッパ以外の世界で再びよみがえったのだ、というふうにみることもできるのでしょう。

 今一つの先生の提示された、カール・シュミットの「アメリカ=ヨーロッパ中世」という捉え方ですが、ここで私がふと思いついたのは、西洋史学者の池上俊一氏が紹介する中世ヨーロッパでの「動物裁判」の話でした。中世ヨーロッパでは、人間の子供をひき殺した豚や、人間の寝床で痒みをもたらした南京虫を裁判にかけて処刑するというような馬鹿げた動物裁判が大真面目におこなわれていました。

 この中世ヨーロッパの「動物裁判」と、シーシェパードの反捕鯨テロリズムに代表される、アメリカでの過激な動物愛護主義は、共通の精神的土壌をもっているようにおもいます。中世ヨーロッパでは、人間というものは動物と区別がつかない衝動的で得たいの知れない存在であったのでしょう。実は今のアメリカもそうなのです。人間は動物のようなものであり、動物は人間のようなものである。こうして、「動物に人権を認める」というロジックの錯乱が、現在アメリカでは中世ヨーロッパのように起きてしまっているということができるでしょう。

 「アメリカ=中世ヨーロッパ」であるという文化現象は、アメリカ国内でこれ以外にもたくさんみられます。銃規制の不徹底の現実はホッブス的状況の最たるものでしょうし、妊娠中絶をする病院がキリスト教原理主義者に国内で頻繁に爆破されるということは、宗教と社会倫理の峻別という近代社会のミニマムの条件がクリアされていないことを意味しています。「中世」と「コモンウェルス」の間を行ったり来たりしているこのアメリカという国の海外政策は、20世紀以降になっても、中世的な野蛮をたっぷりもっていて、それが日本に向けられているということ、講演全体におけるこの核心部分へと話が進みます。

 ここでもう一人、重要な哲学者ジョン・ロックが先生の話に補助線として登場します。いうまでもなくロックは近代哲学と近代法思想の確立に大きな貢献をなしましたが、文明論も多数記した人物であり、ここでは文明論者ロックについての話になります。先生によれば、アメリカの外交政策のしたたかさは、ロックの思想を巧みに利用していることによって成り立っているのだという。これはどういうことなのでしょうか。

 まずロックによると、当時、スペイン・ポルトガル等が一方的におこなっていた被植民地地域の人々の権利無視行為は間違いだ、といいます。一見すると自然権者ロックがその人権思想を文明論に敷衍しているかのように思えますが、実は正反対なので、ロックは続けて「アメリカ大陸は例外で、アメリカ大陸は世界全部の所有物である」というのです。なぜか。ロックによれば、「アメリカには無限の土地があってまだ未開拓である。これを開墾し広げていくという行為は平和経済的なことなので、軍事侵略的ではないからである」という。

 私はロックがこういうことを言っていることを先生の紹介まで知りませんでしたが、いかにもヨーロッパ人らしいしたたかな論法に唖然とする思いがしました。ロックの論法は、中世ヨーロッパを克服するための啓蒙主義を装いつつ、ヨーロッパ外への中世的に野蛮な世界戦略を肯定する、という二面的な顔をもっているようです。被植民地への暴力を無制限に肯定したカトリック教会の思想に比ると、ロックの哲学のやり口は一層手が込んでいます。

 これを踏まえた上でアメリカは日本の中国進出を非難するためにロックの哲学を利用したという先生の指摘の流れは見事なものと感じられました。アメリカは、自分たちの国がそれによってつくられたロックの哲学をそのまま中国大陸にあてはめて「満州・中国は世界全体の共有物である」、つまりその世界共有を侵犯している日本は悪者だといったわけです。

 もちろん、アメリカの論理は根本的あるいは現実的にはまったく破綻しています。しかし、アメリカ人が覇権戦争を仕掛けるときに、このロックの哲学を利用することがあり得るということそのものが重要です。それは「切り取りの侵略哲学」とでもいうべきでしょうか。いずれにしても、アメリカの覇権の根底には、中世ヨーロッパ→フィクションとしての国家・コモンウェルス→ロックの哲学、そういったものがあるという先生の指摘の流れは、いつものことながら、目から鱗が落ちる思いでした。

 私たちの現実として認識しなくてはいけないことは、中世ヨーロッパは再び世界によみがえりつつあるのではないか、ということです。近代が終焉に向かいつつある、ということはよくいわれることです。では近代の後に来るものは何なのか。国内的にはグリム童話の世界を彷彿させるような衝動的で無目的な犯罪の多発、国際的には中世ヨーロッパの気配をどこか濃厚に漂わせるアメリカの覇権とその影響などです。ニヒリズムの実質とは中世の闇の復活なのかどうか、これは私たちのこれからの生き方にかかわってくる問題だと思います。

 最後に、先生の講演全体から受けて考えはじめたことの一つなのですが、ロックの哲学とほとんど同じことをしようとしたのは日本の満州国の理念だ、と先生が言われていましたが、もちろん日本人に満州国をアメリカ大陸にしていくようなしたたかさはできませんでしたが、しかし石原はいったいどこでロック的な考え方の手口を学んだのでしょうか。石原が考えた「五族協和」思想というのは確かにロックの「アメリカ大陸は世界全体のものだ」という思想とほとんど同一のものですが、それを生み出す思想的土壌がどう考えても日本の伝統哲学にはないように思えます。石原は基本的には反米主義者です。ここに解明探求すべき一つの歴史の謎があるようにも思えました。

 夕方五時頃に終えた講演会ののち、50名ほどの参加による有志懇親会がひらかれました。東中野修道氏(亜細亜大学大学院教授)、石原隆夫氏(「新しい歴史教科書をつくる会」理事)、二瓶文隆氏(「新しい歴史教科書をつくる会会員、「日本維新の会」参議院議員選挙立候補者)によるスピーチ、そして岡野俊昭氏(「新しい歴史教科書をつくる会」副会長)による乾杯の音頭、最後は松木國俊氏(韓国問題研究家、つくる会三多摩支部副支部長)による締めの音頭の流れで、楽しい歓談のひとときとなりました。

 西尾先生、本当にご苦労さまでした。先生の講演会を取り仕切ってくださいました小川揚司さまはじめ坦々塾事務局の皆様にも感謝の言葉を記したいと思います。

                                            渡辺望

宮崎正弘氏による書評

憂国のリアリズム 憂国のリアリズム
(2013/07/11)
西尾幹二

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いまや東京裁判の議論をやめよう、日本は大目標を抱け
  安倍政権に欠けているのは世界的展望をもつ思想的哲学的主張である

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西尾幹二『憂国のリアリズム』(ビジネス社)
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 「こうなることは分かっていた」
 こうなる、とはどういうことか? それは米中の狭間に立たされる日本が「頼りにしていたアメリカがあまりアテにならないという現実が、やがてゆっくり訪れるだろうとは前から思っていた」と保守論壇の重鎮、西尾氏が述べる。
 その通りになった。
アメリカは「尖閣諸島に日本の施政権が及んでいることを承知しているが」としつつも「尖閣の帰属に関しては関与しない」と言ってのけた。つまり中国がもし尖閣諸島を軍事侵略しても、アメリカは日本のために血を流さないと示唆していることになる。(もっとも、その前に日本が自衛しなければ何の意味もないが)。。。

しからば、なぜこういう体たらくで惨めな日本に陥落したのか。
「そもそも原爆を落とされた国が落とした国に向かってすがりついて生きている」からである。日本は「この病理にどっぷり浸かってしまっていて、苦痛にも思わなくなっている。この日本人の姿を、痛さとして自覚し、はっきり知ることがすべての出発点、何とかして立ち上がる出発点ではないか」(49p)とされる西尾氏は、東京裁判史観の克服をつぎのように言われる。
「今さら東京裁判を議論する必要などない。東京裁判がどうだこうだと議論し、東京裁判について騒げば騒ぐほど、その罠に陥ってしまうからである。日本国民全員がより上位の概念に生きているのだという自己認識さえ持てば、それで終わるのである」。
「上位の概念」とは日本の伝統的思想、その宗教観である。

西尾氏は現下の危機の深化に関して次のように続ける。
 「中国が専制独裁国家のままであり続けていて、しかも金融資本主義国家の産業形態をも取り入れるというこの不可解なカメレオンのような変身そのものが、厄介なことに『ベルリンの壁の崩壊』のアジア版ということだった」と或る日、西尾氏は気がついた。
 そして氏の認識は嘗ての歴史のパターンを連想させる。
 すなわち「『ベルリンの壁の崩壊』から『ユーゴスラビアの内戦』へのドラマがやっと危険なかたちで極東にも及んできたのだ。私は昨今の情勢から、あり得る可能性をあれこれ憂慮を持って観察している」
その憂慮の集大成が、この論文集となって結実した。
 日本が直面する未曾有の危機を克服するために如何なる道筋が日本に残されているのか。奇跡のようにカムバックした安倍政権は、「歴史的使命」を帯びて、「中国共産党の独裁体制の打破」に挑むべきであり、そのために憲法改正は必須であると説かれる。
 ついでながら評者(宮崎)は「アジア版ベルリンの崩壊後のユーゴ」は、中国が仕掛ける尖閣戦争の蓋然性よりも、むしろ中国内部の大騒擾、すなわちウィグル、チベット、蒙古の反漢族騒乱が活火山化することだろう、と見ている。

 安倍政権で前途に明るさが見えてきたことは確かである。しかし「何かが欠けている」と西尾氏は嘆く。
強靭化プログラムは良いにしても、なにが欠けているのか?
 すなわち日本の深い根に生い立った、「思想的哲学的主張が見えない」。日本には「世界史的な大目標が必要なのである」。

 こうした基調で貫かれた本書の肯綮部分は、評者(宮崎)の独断から言えば第三章である。
つまり日本の根源的致命傷に関しての考察で、第一にGHQが消し去った日本の歴史である。氏は過去数年、GHQの焚書図書を発掘し、それらがいかに正しい歴史認識の元に日本の国益を説いてきたかを縦横に解説されてきた労作群があるが、日本人のDNAから我が国の輝かしい歴史が消えてしまえば、GHQの思い通りに「敗戦史観」『日本が悪かった』「太平洋戦争は悪い戦争だった」ということになり、まして「旧敵国の立場から自国の歴史を書く」という恥知らずな日本の歴史家が夥しく登場し、負け犬歴史観で武装し、「日本だけの過ちをあげつらう『新型自虐史観』に裏打ちされた、面妖なる論客がごろごろと論壇を占拠し、テレビにでて咆える惨状を呈したのだ。
 ようするに「戦後日本は『太平洋戦争』という新しい戦争を仕掛けられている」のだ、と悲痛な憂国の主張が繰り返されている。
 一行一行に含蓄があり、いろいろと考えさせられた著作である。

『憂国のリアリズム』発刊

憂国のリアリズム 憂国のリアリズム
(2013/07/11)
西尾幹二

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 目 次

まえがき

第一章  いま目の前で起こっていること

第二次安倍政権の世界史的使命
よみがえれ国家意識
アメリカよ、恥を知れ――外国特派員協会で慰安婦問題を語る
国防のニヒリズム
原発は戦後平和主義のシンボルに外ならぬ

第二章  少し過去を振り返ってみる

「保守」は存在しない
ノンポリ中立主義の仮面の恐怖――NHKをどう考える
アリ地獄に陥ったアメリカ依存症――憲法改正の前に立ちすくむ
自民党への失望が生み出す新しい波
亡国の大勲位、中曽根康弘の許されざる勘違い
さらけ出された小沢一郎の正体

第三章 日本の根源的致命傷を探る

米占領軍(GHQ)が消し去った歴史
旧敵国の立場から自国の歴史を書く歴史家たち
日本人は本当の敗戦体験をまだしていない
戦後日本は「太平洋戦争」という新しい戦争を仕掛けられている
戦後から戦後を批判するレベルを超えて

第四章 皇族にとって自由とは何か

「弱いアメリカ」と「皇室の危機」
「雅子妃問題」の核心――ご病気の正体
背後にいる小和田恒氏を論ずる
正田家と小和田家は皇室といかに向き合ったのか
おびやかされる皇太子殿下の無垢なる魂――山折哲雄氏の皇太子退位論を駁す
「皇后陛下讃」

第五章 実存と永遠

三島由紀夫の自決と日本の核武装(没後四十年)
吉本隆明氏との接点
ニーチェ研究と私――全集刊行を機に回顧する
宗教とは何か

あとがき

初出誌紙一覧

                    

まえがき

 こうなることは分っていた。アメリカと中国のはざまに立たされ、頼りにしていたアメリカがあまり当てにならないという現実が、やがてゆっくり訪れるだろうとは前から思っていた。ユーゴスラヴィアが火を噴いたとき、地球の東側にも同じタイプの火が点くのではないかと憂慮していた。核で維持された米ソの冷戦対立は地球の安定に久しく役立っていた。それが壊れたのだから、何が起こってももう驚くわけにはいかない。

 けれどもアジアに「ベルリンの壁の崩落」は決して起こらなかった。中国が全体主義独裁国家をいつまでも維持しつづけたからである。そして、私はふと気がついた。ああ、そうか、そうだったのだな、中国が専制独裁国家のままでありつづけていて、しかも金融資本主義国家の産業形態をもとり入れるというこの不可解なカメレオンのような変身そのものが、厄介なことに「ベルリンの壁の崩落」のアジア版ということだったのだな、と。

 尖閣沖で中国漁船が海上保安庁の監視船に衝突してきて、不意をつかれて民主党政権があわててばかげた、臆病な対応をした例の事件が起こったとき、私は戦後はじめて日本は外国から物理的直接攻撃にさらされたのだと解釈した。大げさな解釈だと人から嗤われたが、それほどにも米ソ冷戦構造下の日本は安定したぬるま湯の平和を与えられていたのだ、と私は言いたかったのである。そのあと日本人の商店やスーパーや工場を狙い撃ちした中国全土を挙げた反日暴動が起こったが、1920年代の五四運動の「日貨排斥」(日本商品ボイコット)にそっくり同じであることが興味深かった。もの言いまでよく似ていた。日本経済は支那との貿易に依存している。日本を苦しめ懲らしめるには商品ボイコットがききめがあるのだ、といった声が北京や上海に広がった。それは当時の日本の新聞が、支那の市場を大切にせよ、日本の未来がかかっている、と書いていたからである。今とそっくり同じである。そんな事実はないのに、日本のメディアがしきりにそう書きそれが支那に伝播したところまでよく似ている。戦前の日支関係に立ち戻ってしまったのである。

 尖閣に対する中国政府の強引な物言いや鉄面皮なやり方に日本人はいま少なからぬ驚きと恐怖を抱いていよう。しかし第一次大戦後、山東半島返還をめぐる中国の強引で、理窟も何もないもの言いはやはり同じであった。当時の日本は軍事力があったので屁にも思っていなかっただけだ。ただパリ講和会議で中国の肩を持ったアメリカのごり押しにはうんざりさせられている。イギリスやフランスの全権代表は日本を支持しているのに、アメリカの全権代表は西洋の法理論を知らない中国人に自国の法律顧問団を全面開放して、利用させ、ひたすらしつこいほどの日本攻撃に余念がなかった。日米戦争は1919年のこのときに始まっていたともいえるだろう。

 習近平が登場して中国の強引さと鉄面皮ぶりはさらに一段と倍化した観がある。尖閣はわが方の「核心的利益」だという。中国は領土問題でどこまでも「主権」を守るという。1953年の「人民日報」と1958年の中国発行の地図に尖閣は日本領だと記されていた事実が突きつけられたし、海底の石油埋蔵が見つかってから以降のにわか仕立ての領土主張であることは今や天下周知であるが、そんなことはいくら言っても蛙の面に水である。暖簾に腕押しである。つまり俺さまが俺のものだと言っているのだから、テメエたちはつべこべ言うな、とやくざのように暴言を吐いているのが隣国であり、この厚顔無恥は世界中にみんな分ってしまっているのである。が、それでも言いつづけ、実行しようとする。侵略国家とはこういうものである。中国は自ら侵略国家であることを世界に告知しようとしているといっていい。

 冷戦構造に守られていた日本人はすっかり忘れているが、戦前は世界中がみんなこういう無理難題をぶつけ合っていた。その代表格はアメリカだった。日本は一貫して受け身だった。アメリカ、イギリスはすでに有利な前提条件、金融、資源、武力、領土の広さの優越した立場をフル利用して、無理なごり押しを平然とくりかえしていた。日本はどんどん追い込まれた。それが戦前の世界である。尖閣紛争と中国の脅迫は日本人に大東亜戦争の開戦前夜の感覚を思い出させるのに十分であった。日本は当時も今もいかに孤独で、誠実に振舞っていることであろう。

 私は実は深く恐れている。アメリカは今だって自国のことしか考えていない。2013年6月7日~8日のオバマ・習近平会談で、尖閣についてオバマ大統領がどういう口調で何を語ったかは明らかにされていない。アメリカは強権国家に和平のサインを送って何度も失敗している。朝鮮戦争で北朝鮮が、湾岸戦争でイラクが突如軍事攻撃をしかけてきたのは、アメリカの高官のうかつな線引きや素振りやもの言いのせいだった。アメリカが軍事的に何もしないとの誤ったサインを与えると、中国のような強権国家は本当に何をするか分らない。八時間にも及ぶ両首脳の対談で、尖閣についてオバマ大統領は日中間の話し合いでの解決を求めたというが、話し合いなど出来ないところまで来ているのに何を言っているのだろう。アメリカの弱気、軍事的怯懦(きょうだ)、今は何もしたくないという尻込みしたオバマ大統領のことなかれ心理が読みとられると、習近平はこれは得たりとばかりほくそ笑んで、時機をうかがう態勢に明日にも入っていくかもしれない。そして本当に尖閣が軍事的に襲撃されるかもしれない。

 「ベルリンの壁の崩落」から「ユーゴスラヴィアの内戦」へのドラマがやっと危険なかたちで極東にも及んできたのだ。私は昨今の情勢から、あり得る可能性をあれこれ憂慮をもって観察している。

ご報告

 管理人です。
ここで前々回お知らせした、グレンデール市の慰安婦像設置について、
市議会の結果が出ました。
西尾先生のご指示により、私のブログから転送します。

残念なことに
先のエントリーで紹介したアメリカの地方都市グレンデールに
慰安婦像設置・・・・が決定したそうです。

・・・・・それにしても小さな街みたいですね。

本日グレンデール市特別委員会(現地7月9日)にて、慰安婦少女像の設置が可決されてしまいました。

現地からの情報によると

・現市長のみが反対で他の議員は賛成に投じた(賛成4、反対1)
・公聴会開会時まで決めかねていた女性議員1人がいた。
・100人の収容人員の会議室が満員で 驚くことに 韓国系らしいものが20人位? 残りは 日本人同志。
・韓国人の発言は7人 日本人は30人はゆうに発言していた
・韓国に行き 日本大使館前で写真を取られている Quintero氏 (元市長・現市議)はバタン死の行進など 自分の非を自己弁護する発言を含めナンセンスばかり。
・Quintero氏の発言で 注目した点は 総領事館と連絡をとったが反対はなかったと言った点。(真偽は未確認)
・市長は公共の場にこのような建造物が建てられることに反対するが、最終的に市は「日本人への非難ではなく、歴史的にこのようなことがあったと後世に伝えることに意義がある」との見解で閉会。
・事前に話がついていた感じ、出来レースのようであった。

とのことです。

承認されたことは非常に残念ですが、これまで現地メディアは抗議側の日本人を一方的にナショナリストと書いていたのが、採決を前に日本人の意見も記事に書くようになりました。
これは日本からの抗議メールの影響だと思います。
ニュースによると市長には約350通の抗議メールが届いたそうです。

また、たくさんの日本人が反対の声を挙げるために公聴会に集結したことは、大きな前進だったと思います。
この度立ち上がった現地の日本人の方々から、「日本からのたくさんの支援に心より感謝を申し上げたい」のメッセージをいただいております。

慰安婦少女像の除幕式は7月30日グレンデール市「韓国慰安婦記念日」に行われる予定です。

<関連記事>

Glendale approves Korean ‘comfort woman’ statue despite Japanese protest
http://www.glendalenewspress.com/news/tn-gnp-me-glendale-approves-comfort-woman-statue-despite-japanese-protest-20130709,0,7258435.story

Japanese nationalist protest of ‘comfort women’ sculpture fails
http://www.latimes.com/news/world/worldnow/la-fg-wn-japan-korea-comfort-women-20130709,0,920922.story

Korean-Japanese dispute over “comfort women” heats up in Glendale: Opinion
http://www.pasadenastarnews.com/opinions/ci_23621344/korean-japanese-dispute-over-comfort-women-heats-up
↑このニュースの日本語訳はこちら
http://sakura.a.la9.jp/japan/?p=4103

第 6 回 「西尾幹二全集刊行記念講演会」 のご案内(再掲)

 

       
  西尾幹二全集 第7巻 の刊行を記念し、下記の要領で講演会が開催されますので、是非お誘いあわせの上、ご聴講下さいますようご案内申し上げます。
        

演 題: スペイン、オランダ、イギリス、フランス、ロシアは地球をどのように寇掠したか  - そ の 概 要 と 動 機 ー 

日 時: 平成25年7月15日(月・祝) 開場:午後2時 開演:午後2時15分
    (途中20分程度の休憩をはさみ、午後5時に終演の予定です。)

会 場: グランドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」 (交通のご案内 別添)

入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

懇親会: 講演終了後、サイン会と西尾先生を囲んでの有志懇親会がございます。どなたでもご参加いただけます。 (事前予約は不要です。)

     午後5時~午後7時 同3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円 

お問い合わせ  国書刊行会(営業部)
   電話 03-5970-7421 FAX 03-5970-7427
E-mail: sales@kokusho.co.jp

坦々塾事務局(中村、小川)
中村 電話 090-2568-3609FAX 0279-24-2402
              E-mail: sp7333k9@castle.ocn.ne.jp
小川 電話 090-4397-0908FAX 03-6380-4547
      E-mail:ogawa1123@kdr.biglobe.ne.jp

緊急告知

管理人です。西尾先生の承諾を得て、お知らせします。

 これは5月26日に放映された新報道2001の中から、西尾発言を主に取り出した映像です。ご覧ください。

 以下のお知らせがなでしこアクションから届いています。8,9日が山場のようですので、ご協力ください。

 緊急お願い!9日までに抗議メール送って下さい!
┗…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…━…

カルフォルニア州グレンデール市中央公園に韓国の日本大使館前にあるものと同じ慰安婦少女像を建てる計画があります。
市議会は7月9日(火)に特別委員会を開き少女像を承認しようとしています。

現地の仲間から緊急のお願いが届きました。
一通でも多く抗議メールを送っていただきたいとのことです。

韓国団体は、グレンデールをスタートに各地に同じ少女像を建てると宣言しています。
最初の計画で潰さなくては全米各地に広まりかねません。

最近、現地メディアも日本からの抗議に関心を持ってきました。
現地日本人も反対行動に頑張っています。

我々も出来る限りのことをしましょう!

メールは以下を参考にしてください。
グレンデール市長、市議へのメールは戻ってくる可能性があります。(gmailからは送信できます)
よって、CCの宛先も加えてていただけると効果あると思います。

御協力よろしくお願いいたします。

メール内容ここから*************************

【宛先】
To:グレンデール市長、市議
fquintero@ci.glendale.ca.us, lfriedman@ci.glendale.ca.us,
anajarian@ci.glendale.ca.us, dweaver@ci.glendale.ca.us,
sochoa@ci.glendale.ca.us, ZSinanyan@ci.glendale.ca.us,

Cc: 教育委員会 とメディア( 記念碑の記事を書いた記者と日系新聞 )
NNahabedian@gusd.net, MBoger@gusd.net, GKrikorian@gusd.net,
CWalters@gusd.net, AGharpetian@gusd.net, Brittany.Levine@latimes.com,
christina.villacorte@dailynews.com, info@nikkansan.com, gwen@rafu.com,
jjgoto@sbcglobal.net,

【件名】I am against Comfort Women Monument

【メール文例】
Dear the members of the City Council of Glendale,

I heard that the City Council of Glendale will have a special public
meeting to approve Installation of a Korean Sister City “Comfort
Women” Monument on July 9th. I also heard the monument will be
unveiled on July 30that a public event in Central Park.

The core part of the Korean claims is that Japanese officials abducted
about 200,000 Korean women and forced them into sexual servitude for
Japanese soldiers during World War II. It is a completely false story
or demagogy for political propaganda forged by anti-Japan people.

I haven’t heard of a single person in the world who could present
single verified evidence supporting the story. I have a strong doubt
whether or not you have got the verified evidence supporting the
story. If not, you are going to disgrace Japanese people without any
verified evidence.

We Japanese are strongly against “Comfort Women” monument.

I would sincerely and strongly request you to review the decision
about the “comfort women” checking the true and verified evidence and
rescind the decision to keep honor and dignity of Japanese people as
well as those of American people.

Sincerely,

ここに差出人の名前

メール内容ここまで***********************

メールが苦手な方には、お手紙を用意しました。
プリントして、日付、署名を入れれば完成します。是非ご利用ください。

<グレンデールへの抗議の手紙>
お手紙ダウンロード
http://sakura.a.la9.jp/japan/wp-content/uploads/2013/07/letter.doc

封筒宛先
Councilman Frank Quintero
the members of the City Council of Glendale
Glendale City Hall
613 E. Broadway
Glendale, CA 91206
USA

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

*上記お知らせ転載フリーです。拡散にご協力いただけますようお願い申し上げます。

*今後、なでしこアクションからのお知らせメールが不要の方は、件名に「メール不要」と書いて、このメールに返信願います。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

正しい歴史を次世代に繋ぐネットワーク
なでしこアクション http://sakura.a.la9.jp/japan/
代表 山本優美子
問い合わせ先 JapanNetwork1@gmail.com

歴史認識と安倍総理

 3日午後記者クラブで行われた各党党首の記者会見をテレビで見た。質疑は多岐にわたったが、その中で歴史認識について安倍総理は質問に答え、今まで通り、歴史の内容について政治家が政治判断を下すのは間違いで、専門家に委ねるべきだと語ったが、私は聴いていて、その言葉の影に、いつもより強い信念のようなものを感じた。

 記者が専門家の仕事は歴史の細かいデータの検証に関わるのであって、日本が朝鮮を植民地にしたのか否か、中国を侵略したのか否かのような大局の認識は中曽根氏がそうであったように、政治家が断を下すべきものではないのかと問うたのに対し、安倍氏は中曽根氏もそういう決定の断を下したことはない、と述べた。そして植民地とか侵略とかの概念の重さに対し政治家はどこまでも「謙虚」であるべきであって、それを簡単に認めることはかりに今の情勢下では政治家にとってやり易く、気が楽だとしても、自分はそういう風に弱い逃げの態度であってはいけないと考えている、ときっぱりと仰有った。内外からの風圧に決して負けない、との気概を示されたように私は受けとめた。

 私はそこから8月15日か秋の例大祭かのいずれかで総理は靖国参拝をなさるのではないかという気がした。アーリントン墓地にアメリカ大統領は参拝する。南軍の将兵が祀られているからといって参拝は奴隷制度を認めるものではない、と総理が言ったのに対し、記者団の中から南北戦争は内戦であって意味が違うと反論の声があった。安部氏はこれに対し、アメリカの学者の議論をもち出ししきりに切り返していた。相当思いつめいろいろ考えを深めて来た様子がうかがえた。これら全部を聴いていて、靖国参拝をなさるつもりなのではないかとの予感をもった。

 私は7月発売の『正論』8月号に40枚の評論を書いて、歴史認識についての所見を述べた。題して、「日本民族の偉大なる復興――安倍総理よ、我が国の歴史の自由を語れ――」(上)である。この題がある人の専用の題をもじったアイロニーであることは気がつく人はすぐ気がつくだろう。分らない人は、論文の4ページ目に種明かししてあるので、そこを見てもらいたい。

 間違えていけないのは、朝鮮半島は「植民地支配」ではなく「併合」である。アメリカのハワイ併合のごときものである。支那事変は「侵略」ではなく仕掛けられた挑発を受けて立った「事変」であって、従って宣戦布告はない。盧溝橋も第二次上海事件も、蒋介石がコミンテルンに踊らされた謀略攻撃に対するわが国の自衛的対応にほかならない。日本政府に対応のまずさ、深追いし過ぎた処理の仕方の混乱はあったが、全土を制圧する征服戦争の意図はなかった。日本は和平を言いつづけていたのだ。拒んだのは支那サイドだった。

 安倍総理はこうした論点に細かく深入りすることは恐らくできないだろうし、すべきでもない。せいぜい言えるとしたら、19世紀から1941年まで日本は侵略される側にいて、侵略されずに残った最後の砦であったこと、それが今から見て明らかな地球全体の動きだった、という大局観を叙べることだろう。そして詳しいことは学者の論争に委ねたい、と。(歴史家と言ってほしくない。日本の歴史家は歴史を語る資格がないのだから。)

 いくらこう言っても中国や韓国が理解を示すとは思えない。しかし世界は広い。他のアジア諸国に共鳴の手を挙げる人は必ずいるだろう。欧米にもいるだろう。

 70年近く経ってもそういう声を世界中に向けて上げて、論争の渦をまき起こす時期だろう。それができれば安倍氏は世界的スケールの政治家になれる。

 私は上記論文にこういうテーマについて書いている。『正論』8、9月号に(上)(下)として二回つづけて掲載される。始めたばかりの大型連載(「戦争史観の転換」)のほうは申し訳ないが休載させていたゞく。