『GHQ焚書図書開封 5』の刊行

GHQ焚書図書開封5 ハワイ、満州、支那の排日 GHQ焚書図書開封5 ハワイ、満州、支那の排日
(2011/07/30)
西尾幹二

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 7月31日に『GHQ焚書図書開封 5』(徳間書店、¥1800+税)が刊行されました。副題は「ハワイ、満州、支那の排日」で、表紙絵をご覧の通り、帯に「パールハーバー70周年!」と銘打たれています。今年の12月8日は真珠湾攻撃の70周年記念日に当たります。

 この件については「あとがき」をすでに掲示しました。

 今日は目次を紹介しておきます。

第1章 米国のハワイ侵略第一幕
第2章  立ちつくす日本 踏みにじる米国
第3章 ハワイ併合に対する日本の抗議
第4章 アメリカのハワイ・フィリピン侵略と満洲への野望
第5章 長與善郎『少年満洲讀本』その一
第6章 長與善郎『少年満洲讀本』その二
第7章 長與善郎『少年満洲讀本』その三
第8章 支那の排日の八つの原因
第9章 排日の担い手は英米系教会からロシア共産主義へ
第10章 支那の国民性と黄河決壊事件
第11章 現実家・長野朗が見た理想郷・満洲の矛盾

〔巻末付録〕標題に「満洲」と入った焚書図書一覧(作成・溝口郁夫)

 以上の通りです。

 日本人がなぜアメリカと戦争をするという判断の間違いを犯したかではなく、なぜアメリカは日本と戦争をするという無法に走ったのかと問うべきだ、というかねての私の主張はこの本でかなりはっきりするでしょう。

 敗戦の負の感情を返上し、正の意識を回復しましょう。日本が前向きになるのはすべてそこからです。

アマゾンのレビューより

By スワン – レビューをすべて見る

レビュー対象商品: GHQ焚書図書開封5 ハワイ、満州、支那の排日 (単行本)

本書は<逆転の発想>に立っている。
「日本はなぜアメリカと戦争したのか」ではなく、「アメリカはなぜ日本に牙をむいてきたのか」と問うているからだ。

取り上げられる<GHQ焚書図書>はつぎの三冊。
・吉森実行『ハワイを繞る日米関係史』(昭和18年)
・長与善郎『少年満洲読本』(昭和13年)
・長野朗『日本と支那の諸問題』(昭和4年)

最初の本では、アメリカがハワイを併合したのが1898年と知って少々驚いた。たった100年前の出来事なのだ!
18世紀に独立を果たして以来、西へ西へと領土を広げてきたアメリカは、メキシコとの戦争でカリフォルニア一帯を奪うと、今度は、太平洋上にあって戦略的に重要な位置を占めるハワイに目をつける。
そこで軍隊を上陸させると、女王を脅かし、強引に退位させ、ハワイを併呑してしまう。

米東海岸→米西海岸→ハワイ→フィリピン、という具合に領土を広げてきたアメリカが、そのつぎに目をつけたのは満州だ。
ところが、そこには日本が陣取っていた。
……といっても、日本は満州を不当に侵略したわけではない。
満州と日本の歴史、あるいは日本人移住者たちの姿は『少年満洲読本』に活写されていて、とても参考になる。

なかなか満州に進出できないアメリカは中国と手を組み、シナ大陸で<排日>の嵐を巻き起こす。
日本・中国・アメリカ間の諸問題に関しては、三番目の本で詳しく語られる。

以上のような流れを追いながら著者は、<西へ向かうアメリカ>と<その進路に立ちはだかっていた日本>という地政学的な構図をあぶりだし、日本に対するアメリカの<戦意>を見事に描き出す。

本書を通読して強く印象に残ったのは、つねに変わらないアメリカや中国の<体質>だ。

一例を挙げれば――日本軍の追撃を受けた蒋介石軍は、その進軍を阻むため、なんと黄河の堤防を爆破して大洪水を引き起こし、十万人以上の同胞を犠牲にしたのである。
先ごろの<中国版新幹線>の事故処理を見ても、中国人の体質は戦前の本に描かれた<暴虐>とまったく変わっていない。

アメリカも同様。
メキシコやスペインに戦争を吹っかけ、キューバ、米西海岸、ハワイ、フィリピン……をつぎつぎに奪い取ってきた<横暴>は、すべてに我意を押し通そうとするアメリカ外交のひな型となっている。

いまなお、そんなアメリカと中国と付き合わざるをえない日本はどうふるまうべきか?
本書には、それを<考えるヒント>がいろいろちりばめられている。

心の琴線にふれた(る)西尾先生の言葉と私

ゲストエッセイ 

髙石宏典 

 「西尾幹二のインターネット日録」の愛読者の皆様、こんにちは。私は山形県の南部にある南陽市内の小さな街で、会計事務所を営んでいる髙石と申します。何度か「日録」のゲストエッセイ等に文章を掲載していただいたことがあり、もしかしたら覚えて下さっている方もおられるかもしれません。自分でこんな風に申し上げるのはちょっと変ですが、紆余曲折の平坦でない道をいつの間にか半世紀近くも歩いて参りました。西尾先生のご本とのご縁は大学生の頃ですから約30年前に『ニーチェとの対話』を拝読したことから始まり、それ以来今日まで先生のファン状態が続いています。

 いつかお会いして直にお話しできればと念願しておりましたが、先月の7月16日に稀有な幸運に恵まれ西尾先生と90分間懇談させていただく機会を得ることができました。その際に先生から「ゲストエッセイに書いて下さい!」とご依頼があり、まさか「すみません、お断りいたします。」とは口が裂けても言えない感じでしたので、拙い文章を綴らせていただくこととなった次第です。それなら何をどう綴っていくべきなのか少し迷いましたが、西尾全集の刊行が間近に迫りその全巻内容と「私を語る」というエッセイが公表されたことでもあり、私がこれまで先生のご本から感銘を受けた言葉を手掛かりにして話を展開してみようと考えました。そうすることが、「私を語る」で先生がお書きになっている私個人にとっての「自分の体験に基づく自己物語」に通じるとも思えたからです。

 さて、西尾先生のご著書の中から心の琴線にふれた言葉を敢えて一つだけ選ぶとしたら、私にとっては以下の言葉になるでしょうか。この言葉に私は大いに刺激を受け励まされ、大学卒業後5年半経った時点で「遅すぎた春」を何とか迎えることができたのです。

 「他人と同じ存在になろうとして競争し、その挙句、微妙な差別に悩まされるくらいなら、他人と違う存在になろうと最初から決意し、微妙な差別から逃れようとするのではなく、むしろそれを逆手にとって、差別される存在にむしろ進んでなるという強い決意でそれを乗り超えていく生き方だってあり得るのではないだろうか。」(『日本の教育 智恵と矛盾』134頁「教育改革は革命にあらずー臨教審よ、常識に還れー」より)

 この『日本の教育 智恵と矛盾』を私が通読したのは昭和63年の冬で、公認会計士第二次試験に合格する前年に当たっています。当時、私は公認会計士の資格を得ようと実家で家族に守られながら独りで受験勉強を続けておりました。私が就職活動を一切せずに公認会計士の資格取得を目指したのは、上の先生の言葉にあるように大学の序列という「微妙な差別」から少しでも自由になりたかったためです。また、受験専門校に頼らずに独りで勉強しようと考えたのは、大学受験時に高校のカリキュラムや課題に振り回されて結果を出せず結局失意のまま入れる大学へ入ってしまったことへの抵抗と反省があったからです。
こうした動機を胸に秘めながら来年こそはと悲壮な決意でかったるい受験勉強をしていた時に目にした上記の先生の言葉は、私にはまるで自分のために書いて下さった言葉そのもののように思えて深く激しく心を揺さぶられました。「誰かに分かってもらえなくてもいい。自分の考えは間違っていない。ただやり通せばそれでいいんだ!」と前向きな気持ちになれたことが、孤独な闘いをしていた自分にはどんなにありがたく、またどんなに試験突破の精神的支えになったか分かりません。

 私がこうして恥も外聞も捨てて単なる私的な昔物語を正直にお話しするのは、いわゆる学歴コンプレックスなるものがもはや自分にとってどうでも良くなったこともありますが、私が若い頃に悩まされた上記のようなことは今なお一部の例外者を除いて多くの人に当てはまる、結構深刻な問題ではないかと推察するからです。先生がおっしゃる「微妙な差別」をどう克服しあるいは緩和し、自分自身とどう折り合いをつけて社会との関係を築いてゆくのかということは、特に将来ある若者にとって人生上の重い課題の一つなのではないでしょうか。

 さらに、もう一つだけ西尾先生の同じご本の同じ論文の中から心にグッと迫ってくる言葉を挙げさせていただきましょう。

 「それぞれの道で果てしない競争が待っている。ただ他人と同じ存在になろうとする競争ではもはやなく、他人と違う存在に価値を見出す競争である。共存共栄を約束するのは後者の競争だけである。」(『前掲書』135頁)

 この言葉も実に温かく、過去の自分ではない今の私が前向きになれる言葉です。要するに、私は単に人と同じことをすることが嫌いなへそ曲がりに過ぎないのですが、そういう人間でも存在意義や生きる道はあると言われているようで少しだけ力が湧いてきます。実社会に出てからこれまで、監査法人と税務会計事務所(会計士等として約8年勤務)、大学院(一時研究者を目指し3年在籍)及び県立短大(講師として7年勤務)と職場や組織を転々としてきたものの、私は結局どこにも馴染めず今の自営スタイルでの会計士業・税理士業に落ち着きました。仕事は必ずしも順調とは言えませんが、建設的で健康的な競争は回避しないで様々な仕事に取り組んでいこうと思っています。

 ところで、上記で取り上げさせていただいた該当論文を含む西尾全集の目次内容を眺めていると、論じられている内容が余りにも広範囲に亘っていることに改めて吃驚させられます。文学、思想、教育、歴史、外交、防衛、政治、経済、文化そして人生など対象領域の広さを考えれば、西尾先生がお一人で全てお書きになられたとは俄かには信じられない程です。一方で、読者としての私の先生のご著作への関心領域はかなり限定的で、「このままならない人生をどう生きるのか?」という関心の範囲内で先生のご本とも関わりを持たせていただいて来たと一応言えるのかもしれません。そうした意味で先生のご本の中で印象深く私が好きなものは、『ニーチェとの対話』、『人生の価値について』、『人生の深淵について』及び『男子、一生の問題』等です。

 また、私の場合、独断と偏見で先生のご本の都合の良い箇所だけに着目しそのうえ誤読し誤解している可能性を否定はできませんが、一読者に過ぎない私にとってはそういう読み方で良いと思っています。たとえ誤読し誤解していたとしても、先生の言葉や文章が私の心の襞に触れ行動に影響が及んだことがあるというその事実がとても大事なことであるように思えます。これまでの経験上、心を揺さぶられるような言葉や文章に出合うことなど滅多にあるものではありません。西尾先生のご本は、私にとってそうした稀有な機会を提供していただける大切なものの一つであります。間もなく出版される『西尾幹二全集』を手にし拝読して、自己を再発見し生きる糧としていければこれほど有意義なことはないと思っています。

 西荻窪駅近くのお店で昼食をごちそうになって西尾先生と懇談させていただいた90分間は、本当にあっという間でした。ただ懇談と言っても、約1時間は先生から原発問題に関する水島総氏との討論と全集校正作業や『GHQ焚書図書開封5・6』の出版等に関するさわりを放映や「日録」掲載前に生真面目な学生のように拝聴し、残りの30分程で山形県出身の左巻き有名人のこと、大川周明とその全集のこと、著名な保守論客のベストセラー本に共感できないこと、未知だったヴォーヴナルグの古本を求めたこと、そして西尾全集見本の素敵なお写真のこと等をお話しさせていただいた感じだったでしょうか。

 先生が福島第一原発事故に関連して話された「宇宙開発や生体臓器移植など神の領域に挑戦することには理由がなく、後で必ずしっぺ返しを受けることになる。」(以上は髙石個人の回想による要約)というお話に私は瞬時に共鳴いたしましたが、原発問題を含めてこれらの事象に共通して私が感じたのは人間の傲慢さに対する生理的な嫌悪感であったように思います。諸外国人がどうであれ、日本人は本来もっと謙虚な国民であったはずなのではないのでしょうか。そうした日本人としての本性に立ち返ることが、今こそ求められているような気がしてなりません。何者かに糸を引かれ、その何者かに手を差し伸べていただいて、何とか私はこの半世紀を生きてこられたのかもしれないと時折ふと感じる、漠然たる神々への信仰心が私にこう直観させるのです。

 3年ぶりの上京でしたが、西尾先生には大変お世話になりました。ご多忙中にもかかわらずお仕事のご予定を変更されてまでこんな私のために貴重なお時間を割いていただき、恐縮したことこの上もありません。本当にありがとうございました。末筆ながら、猛暑の折、西尾先生、「日録」管理人の長谷川様、そして「日録」愛読者の皆様におかれましては、くれぐれもご自愛願います。また、東日本大震災で被災された皆様におかれましては、一日も早い復興を心からお祈り申し上げます。それでは皆様お元気で。さようなら。  髙石宏典

特別座談会 日本復活の条件(1)の(三)

JAPANISM 02より 

NHKが歴史を解釈できないわけ
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富岡: 先程大事な話が出ました。要するに、アメリカに対しての日米戦争というのは近代対近代の戦争だったとおっしゃったことが非常に重要で、いわゆる保守派の中で、先ほどの九一一の問題と引っ掛けて言えば、イスラム原理主義的なものに対して、錯覚なんですけど、イスラム原理主義的なもの、それが反文明、反近代に通じ、どこかシンパシーを寄せてきた。実はあの大東亜戦争が近代文明たる西洋に対して日本が反近代的な戦いをしたという誤解がありそうです。

西尾: だから、ビン・ラディンに共感して、イスラム原理主義と日本を一緒にする。

富岡: ですから、それは戦前の、あるいは戦中のいわゆるアジア主義という問題から実は繋がっていて、必ずしも戦後だけの問題じゃない。そのことを戦争からもう一回、保守派としてどう捉え直すのかと。あれはまさに近代対近代の戦争であったという認識が重要です。林房雄と三島由紀夫が、昭和四十一年に対談して『日本人論』という一冊になっています。林さんは終戦時、四十歳を過ぎていた世代ですから、よく分かってたんです。日本が近代国家としての物量でアメリカという強大な物質国家と戦って、そこで負けたんだと。
 
 だけど、三島さんの場合は終戦が二十歳でしたから、どうしても反近代とか、そういうところへの愛着が非常に強いんです。だから、その問題は実は保守の側でしっかり腑分けされていないというか、議論が深められてないという問題があります。

古田: 私は歴史に善悪とか考えるのは嫌いなんですよ。世界はビリヤードの玉みたいなもんで、大きい玉もあれば小さい玉もある。そういうのがぶつかり合ってる、そういう世界だと私は思ってますよ、今も昔も。そこに善悪なんか介在する余地がない。

西尾: それは『善悪の彼岸』なんです。ニーチェのね。

富岡: そういう意味では、近代化した日本とアメリカという巨大な近代がぶつからざるを得なくなったのは、文学的にも歴史の宿命と言える。その宿命、運命と言ってもいいですが、なぜ戦後の日本人が深く味わえないのかと。

西尾: 間違ってたということしか言えない。

富岡: だから、日本人に大事なのは、今NHKが真珠湾七十年後に放送してる、こうしたら開戦を回避できたかという議論ではなく、あの太平洋というこの場所で、アメリカとぶつかるのは必然だったと。その歴史の必然に対して日本人が、どう思うのかということなんです。そこからしか、新しいものは出てこない。

西村: それはすごく重要な前提なんですが、なかなか一般的な認識がそこまで行かない。

古田: 歴史に必然なんかないですよ。僕はそう思ってます。過去から、結果から原因をさかのぼるから必然になるんであって、歴史に必然なぞない。

富岡: いや、だから運命でもいいし、宿命でもいいんだけれど。

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西村: 具体的に言いますとね、NHKが例のシリーズを始めたときに、僕がツイッターで書いたんですよ。「なぜ日本は戦争を防げなかったのか」というテーマで放送するとNHKの広報がツイッターで宣伝していたので、この問題設定が間違いではないか、「なぜ米国が戦争を防げなかったのか」というテーマの方が新しいと僕がツイッターで書いたら、半分の人は共感してくれました。ところが、全く理解できないっていう人も半分いるんですね。今、NHKが放送するなら、「アメリカはなぜ太平洋を侵略したのか」とか、「日本はどうすれば勝てたのか」というテーマなら、まだ分かる。

西尾: 勝てたという「if」も反省の裏返しだから・・・。

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古田: いいんです。負けてもいいんです。負けたんだったら、どうしてもっとアングロサクソンの研究しないのかと思う。戦後の日本は、なぜまたマルクスやったのか、どうしてまたフロイトやったのか。負け甲斐がないんです。負けたんだったら、どうして、もっとアングロサクソンの研究しなかったのか。ヒュームもいればバークリーもいるし、それから、食えないラッセルもいるしね。

西村: 食えないか(笑)。

古田: 戦後、またマルクスなんですよ。平気でマルクスなんです。(続く)

特別座談会 日本復活の条件(1)の(二)

JAPANISM 02より

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大東亜戦争は、近代と近代の戦争だった

古田: 要するに、おっしゃりたいことは日本がアジアという地域の地域保全を求めたので、アメリカとぶつかったということなんでしょう。

西尾: 満州ですね、基本的にはね。

古田: 地域覇権で成功したのはアメリカ一国なんですよ、歴史上。全部失敗してますから。日本はアジアの地域覇権を確立しようとしてアメリカとぶつかったと思うんですけど。

西尾: でも、アメリカは地域覇権を放棄しますね。つまり、地域覇権というのは植民地ですけど。

古田: 僕はそういう意味で言ってるのではなく、その地域の、要するに経済力・武力等の支配力を地域覇権と言っているんです。

西尾: アメリカ大陸のですか。

古田: そうです。

西尾: 南北大陸の覇権。

古田: はい。地域覇権を日本も確立しようとしたのに、それでぶつかってしまった。

西尾: なるほど。これはアメリカが南北アメリカ、ヨーロッパはアフリカ、ユーラシア、日本はインド・中国を含むアジアの覇権と。

古田: はっきり言えばそうです。

西尾: これは日本のある外務次官が主張しましたが、一種のモンロー主義だから、文句言うなということですね。日本が中国やアジアの諸国をコントロールすることを欧米は文句言うなと。それが失敗したわけです。

古田: はい。僕は地域覇権がぶつかったという意味で戦争を捉えています。それで、アメリカ兵を結局三万殺して、日本は民間人合わせて三百万人殺されます。要するに、百倍のしっぺ返しを食うわけですけども、随分、一所懸命、立派に戦ったと思うんです。アメリカ人を三万人も殺せないですよ。大したもんだなと、私は思ってるんです。ただ、地域覇権は失敗したということです。

富岡: だから、結局、今、西尾先生がおっしゃった大東亜戦争っていうものを、我々を含めた戦後世代が、保守も左派も、大東亜戦争とは何であったかっていうことを、文明史とか近代論とか、さまざまな問題から徹底的に検証できていないからだと思います。今年はパールハーバーから・・・

西村: 日米開戦七十周年なんです。

富岡: そうですよね。本来、それを、今、やらなければいけないし、それが全ての戦後の問題点の解決に繋がります。あの戦争を「総括」っていう言葉はよくないな。何かちょっと考えますが・・・

古田: 北朝鮮では「総和」と言います(笑)。

富岡: あの戦争を思想論的に日本人が当時の世界史の状況も含めて、今、おっしゃったような問題、地域覇権の問題を含めて、ほとんど思考をしてなかったということが問題だと思います。平成十八年(二〇〇六)に、朝日新聞だったと思うんですが、極東軍事裁判の内容を知ってるかというアンケートをしたときに、約六割以上、七割近い人が東京裁判の内実を知らないと答えた。二十代に至っては九〇%が東京裁判がどういうものかを全く知らない。戦争の結果、東京裁判があって、日本がどうなったかということすらも、知識としても知らない。だから、そういう状態の中で今の論点を一般の人が理解するのはかなり不可能ではないかという気がします。

西尾: 僕は東京裁判にこだわる保守派にも疑問なんです。東京裁判は間違いですと、それで問題にしなければいいわけです。だって、もう一回、裁判をひっくり返すことはあり得ないんだから。だとしたら、これは絶対に間違いだということを言えばそれでいいんです。国内的にそれを処理すればいいので、「東京裁判史観からの解放」とか言い過ぎることは、それに囚われているということで、結局、みんな反省なんです。自己反省に返っていく。

古田: おっしゃる通りだと思います。若い世代としてはね・・・。私、若い世代なんです(笑)。けれども、やはり戦後の左派のやったことの方がもっと大きいと思います。というのも、東京裁判史観に多くを引きずっていって、そして、日本の文化とかをみんなダメダメとはんこを押していったわけです。ダメ!日本人ばか、とずっとやっていって、それは丸山真男を読んだって、加藤周一を読んだってみんなそうです。加藤周一なんか、日本に碌な文化はないって言ってる(笑)。

西尾: 今や渡部昇一までそういうことを言うんだから。

古田: 丸山真男などは日本人には権利意識が芽生えない。なぜなら自然権という思想がないからだ、だから、いっそのこと各戸に一丁ずつ鉄砲を持たしちゃえと小冊子に書いてる。こういう、「日本の文化ダメ、日本人バカ」というのはずっと続いてきて・・

西尾: 今、半藤一利などはみんなその流れです。それから、保阪正康、加藤陽子、秦郁彦・・・。みんなそうです。福田和也もそう。

古田: 日本はダメということを、まるでインテリの証しのように言うと、若い世代が乗ってくるんですね。

つづく

特別座談会 日本復活の条件(1)の(一)

ジャパニズム02 ジャパニズム02
(2011/06/25)
安倍晋三、青山繁晴 他

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JAPANISM 02より 
   
 まず戦争の問題から歴史を考えよう

東日本大震災が戦後日本の敗戦なら、日本の再生は可能なのか?
あえて知の領域から挑む、思想的、文明論的アプローチ。
大震災前に収録した、危機の本質を歴史的文脈から解き明かすドキュメントを、
震災後四カ月を控えて断続連載として掲載。

西尾幹二+古田博司+富岡幸一郎+西村幸祐

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歴史の解釈が第一条件

西村: 日本を取り巻く環境と現在のわが国の中で起こっている様々な事象を考えると、相当危ない所に来ているのではないかと思います。もちろん、悲観論をことさら煽ってよしとするのが私たちの立場でないことを最初に明確にしておきたいのです。というのも、最近は短絡的反応をする読者の方もいて、ちょっと本質的なことに言及するとすぐ「悲観論」だとか、果ては「陰謀論」とか平気で言い出す人もいる。何でもデジタル的に+か-かでしか判断できない傾向の表れだと思います。そんなことでは考えることさえ不可能になってしまうからです。
 
 もちろん、日本には今でも素晴らしい可能性がたくさんあり、過去のそういう資産に支えれて日本人の生活があります。そんなことは百も承知で、私たちには素晴らしい歴史や伝統、それに技術、ソフトパワー、人材、知的資産に溢れていると言っても過言ではありません。でも、にもかかわらず、日本は危機的な状況だと言わざるを得ません。
 
 それは日本の政治状況がひたすら退嬰的になっていて、デフレで苦しむ経済も一向に解決しない。おまけに世界の動きに全く対応できないで、アジアの中ですら支那や南北朝鮮の攻勢の前で何もできないで手をこまねいているだけです。尖閣諸島や竹島問題、拉致問題などは、その一つの表れにしか過ぎません。だから、これを日本の危機と言わずして何というのか。この危機の淵から、日本はどうやって復活できるのか、というのが今回のテーマです。
 
 具体的には日米関係をどうするのか。アメリカを基軸にした日本の外交の見直し。ヨーロッパとの関係を見直すべきではないのか、などなど色々出てきます。そんなところから考えてみたいと思ってるんですけども。あとは、個々の例として、日本のオリジナルというか、日本のアイデンティティーをどこで、どう発揮していくのか? どこに求めていくのか。結局それがはっきりしないと、このままポストモダン状況の中でどんどん日本が埋もれていってしまう。そんな気がするんです。

西尾: 僕は最近、いつも同じテーマなんだけど、戦争の問題ですよ。

西村: 戦争ですか?

西尾: 先の大戦をどう解釈するかということができないからおかしなことになるんで、初っぱなに申し上げれば、二〇〇一年九月十一日の同時多発テロが改めて認識すべき重大な問題だと思ってるんですが、風化しちゃってね、アメリカの行動の虚妄が拡大されたために、知識人にとって、あるいは日本人にとってどう考えるかっていうことも終わったように思っています。あのとき一斉に上がった声は、私は忘れもしないんだけど、保守の多くの人々があの事件に日本の真珠湾攻撃と、ひいては特攻隊を重ね合わせて議論したんですよ。みんな忘れちゃってるでしょう。驚くような人たちがそういうことを言ったんです。

富岡: 立花隆です。「文藝春秋」に書いた文章ですよ。

西尾: 立花隆のような人が言うなら驚かないですけど、そうじゃない、そうそうたる保守が皆そのような発想で、つまり、わが国の過去の戦争をビン・ラディンのごときテロリストと同じように認識してるという。これには、僕はびっくりしたね。

西村: 逆の意味で、筑紫哲也などもそういうふうに言ってました。

西尾: だから広範囲の認識がそうだった。アメリカから真っ先にその声が出たけど、それは違いますっていう激しい反撥の声が起こらないんだよ。

古田: 反論がなかったですよね。

西尾: 私だけだよ、「ノー!」と言ったのは。つまり、日本はあの戦争を滅茶苦茶なテロリストのように戦ったのでは全くなく、近代国家の重装備の、ほとんど諸外国と何の遜色もない強大な組織と政治力と軍事力を以て四年間戦ったわけです。飛べない飛行機を作ったわけでもなければ、政治思想においてもマルクス主義の洗礼は受け、ほぼ同時にゾルゲのごときスパイに翻弄されることもあり、アメリカ、イギリス、ドイツ、ソ連、それらの国と対等以上の強大な意志力を以て戦った。ビン・ラディンのごとき半端ものでは全くなかった。
 
 しかし、大東亜戦争をイスラム革命とか反近代とか、西洋近代合理主義に対決するアジアの反抗とか、そんな解釈から、ビン・ラディンを出した人がいた。でも、それは全く間違いです。まともな人でもビン・ラディンと西郷隆盛と一緒に挙げたりね。
 
 つまり、何が問題かっていうと、自分たちの過去の実像が見えてないっていうことなんです。もっと分かりやすく言うと、わが国が戦争した場合に、どういうわけかみんなが内向きのことばかり言って、自分たちがいかに失敗したか。前はいかに犯罪を犯したかだったんだけど、最近は犯罪がなくなって、その代わり、いかに愚かだったかと。

西村: 失敗の話ばかりになってきましたね。

西尾: その話ばかりになって、昭和史と称して、その内側でそれを延々と論ずるということで。もっとびっくりしたのは、渡部昇一さんがこういうことを言ってるんですよね、ずっと一貫して。渡部昇一さんのワックから出てる昭和史で、昭和史の柱をたった一本でずっと書いてる。その中心のテーマが統帥権の失敗と暴走なんです。でもそれは、昭和史の伏線の一本にすぎないので、それだけで日本はリーダーなき迷走をしたと。そして、日本には主体がなかったと。これはどっかで聞いた話なんです。

富岡: 丸山真男ですね(笑)。

西尾: そう。保守の真ん中に丸山真男が突然として出てくる。その渡部さんの本は最後には、日本の迷走を食いとめたのは広島、長崎の原爆であったと書いてある(笑)。なぜ、そういうことが起こるかっていうと、パースペクティブを間違えてるんです。内側ばっかり見てるんです。自分の国のことばっかり。世界が日本をどうしたのかっていうことを考えないんですよ。今でもそうでしょう。

西村: NHKが今年になってその路線をやり始めている。

西尾: あの戦争を回顧するとき考えなくてはいけないのは、アメリカが日本を籠絡し、攻略することは作戦・策定の中に早くからあったということです。どうじたばたしても、日本は宿命として米国と戦わざるを得なかったので、最終的には武力とか科学の力に優れていた方が強かったというだけの話です。日本も同じように強い武力と強い科学の力を持っていて、近代が近代と衝突したのであって、前近代が近代に反抗して敗れたって話では全くないんですよ。

 アメリカの第二次大戦の仮想敵は決してドイツではないですよ。日本だったんですから。それから、アメリカの戦争の動機は満州を獲るという経済的乱暴に他ならなかったんで、ナチスを倒す英米の戦いは西洋における内戦ですが、日本に対する欧米の戦いは西洋の内戦ではないから戦う根拠も何もない。理由もないんです。

つづく

西尾幹二全集発刊にからむニュース(2)

 全集というと著者の昔の本をたゞ集めて並べるだけと思われがちだが、それは誤解である。たゞ集めて並べるだけなのは著者の死後に作られる全集である。

 著者がまだ生きている生前全集はいろいろな作品を再編集し、未発表稿なども入れて、作り直して出すのである。少くとも私の場合はそうなっている。

 第一回配本の『光と断崖――最晩年のニーチェ』は翻訳がひとつ入っているが、それを除けばすべてまだ本に収録されていない、未刊行の文章から成り立っている。筑摩書房が一冊にまとめる計画が私のつごうで延び延びになっていた。最重要な刊行予定がたまたま残っていたのである。だからこれを第一回配本とした。

 自分としてはこんな大切な仕事がまだ本になっていなかった、これは勿怪の幸いだと思った。

 そういうわけで整理も大変だったが、「後記」にも力を入れ、60枚も書いている。渾身の一冊なのである。

 現在少しづつ他の巻の目次も確定し、印刷も進行している。第一巻と第二巻の目次が定まり、すでに校正中である。以下に示す第二巻の目次は、「内容見本」(カタログ)よりさらに進化している。

 色変わりの文字の部分は「内容見本」には出ていない。これらは最後に加えられて、目次が確定した。

I 悲劇人の姿勢
   アフォリズムの美学
   小林秀雄
   福田恆存 (一)
   ニーチェ
     ニーチェと学問
     ニーチェの言語観
     論争と言語

   政治と文学の状況
   文学の宿命-現代日本文学にみる終末意識
   「死」から見た三島美学
   不自由への情熱―三島文学の孤独

Ⅱ 続篇
行為する思索―小林秀雄再論
    福田恆存小論 五題
     福田恆存(二)
     “大義のために戦う意識”と戦う
     現実を動かした強靭な精神―福田恆存氏を悼む
     時代を操れると思う愚かさ
     三十年前の自由論

   高井有一さんの福田恆存論
   田中美知太郎氏の社会批評の一例
   田中美知太郎先生の思い出
   竹山道雄先生を悼む

Ⅲ 書評
   福田恆存『総統いまだ死せず』 三島由紀夫『宴のあと』 三島由紀夫
   『裸体と衣装』 竹山道雄『時流に反して』 竹山道雄『ビルマの竪琴』
   吉田健一『ヨオロッパの世紀末』 中村光夫『芸術の幻』 佐伯彰一『
   内と外からの日本文学』 村松剛『歴史とエロス』 江藤淳『崩壊から
   の創造』

Ⅳ 「素心」の思想家・福田恆存の哲学
   
   一 知識人の政治的言動について
   二 「和魂」と「洋魂」の戦い
   三 ロレンスとキリスト教
   四 「生ぬるい保守」の時代
   五 エピゴーネンからの離反劇
   六 「真の自由」について

Ⅴ 三島由紀夫の死と私

   一 三島事件の時代背景
   二 一九七〇年前後の証言から
   三 芸術と実生活の問題
   四 私小説風土克服という流れの中で再考する

Ⅵ 憂国忌

   三島由紀夫の死 再論 (没後三十年)
   三島由紀夫の自決と日本の核武装 (没後四十年)

追補 福田恆存・西尾幹二対談「支配欲と権力欲への視角」

   
   後 記
     

 「悲劇人の姿勢」ということばは私の第一エッセイ集の標題である。Ⅰはそのときの目次を踏襲している。最も初期の私の思索の結晶である。

 小林秀雄、福田恆存、ニーチェを並べたのは私の若さである。若書きの未熟な作かもしれない。しかしこの三人が、私の掲げた旗なのである。不遜にも自分もこの人たちのように生きようと宣言したも同じである。そうこうしているうちに三島由紀夫が自決した。

 Ⅰのさいごの二篇「『死』から見た三島美学」「不自由への情熱――三島文学の孤独」は、第一エッセイ集には入っていない。第一エッセイ集『悲劇人の姿勢』は三島の自決直後に出されたのだが、この二篇はあえて入れていない。

 「論争と言語」というのは同人誌に書かれたもので、本邦初公刊である。1962年、27歳の執筆の奇妙なニーチェ論である。

 Ⅱの「“大義のために戦う意識”と戦う」も「田中美知太郎氏の社会批評の一例」も、ともに私の本には収録されていない未公刊の文章である。後者は田中美知太郎全集の月報である。

 巻末に追補として掲げた福田恆存先生との対談は貴重な記録で、未公開である(一度当ブログに出したことはある)。いま福田恆存対談・座談集全7巻が玉川大学出版部から刊行中で、その中にも収められる予定である。私の36歳の折の、理想視していた先生との対談であるから、貴重な記録なのである。

 私はこの巻に名を挙げた諸先生から注目され、期待され、希望に溢れて生きていた。その唯中へ、三島の自決事件が起こった。

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(追記・内容見本は国書刊行会03-5970-7421に電話すれば送ってもらえます。)

暑中お見舞い申し上げます(二)平成23年

『GHQ焚書図書開封 5』の「あとがき」

 本書は『GHQ焚書図書開封』シリーズの第五冊目に当たる。副題に「ハワイ、満州、支那の排日」という言葉が並んでいる。互いに関係のない文字のように思われるかもしれないが、第二次大戦に至る日本の歴史に関わりの深い重要な地名ないし概念であることは一目で分るであろう。

 三冊の非常に良い本に出会うことができた。吉森實行『ハワイを繞る日米関係史』、長與善郎『少年満州読本』、長野朗『日本と支那の諸問題』の三冊である。このほかに長野朗のきわめてユニークな短い満州論も視野に入れることができた。また蒋介石による黄河決壊の蛮行を告発した仲小路彰の格調の高い文章も紹介することができた。

 最初の三冊の本に出会えたのは偶然であった。けれども太平洋を西進するアメリカの覇権意志の起点はハワイ併合にあり、満州への関心は日米両国の不幸な一致点であり、支那の排日はよく知られたこれらの事実の背景をなす泥沼のような現実であった。そう考えれば日米戦争の前史にいずれも関係が深く、三冊の本を見つけたのは偶然でも、三冊を選んでこのようにここに並べたのは決して偶然ではない。戦争に至る歴史のほんとうの姿を知りたいと願ってきた本シリーズの動機に添う選択であって、いよいよ五冊目で戦争の真相探求に次第に迫ってきたともいえるであろう。

 ハワイも満州も戦争の歴史を解く鍵をなす地名である。けれどもハワイについて知る人は少ない。ましてアメリカのハワイ併合に激しく抗議した日本の歴史を知る人はさらに少ない。満州について、たくさんの研究があるが、戦前の日本人がどう感じ、どう考えていたかを具体的に分らせてくれる本は少ない。支那の排日についても、支那人のしぶとさやしたたかさを踏まえて、十重二十重に絡まる複雑な心理的、経済的、政治的原因を手に取るように分解し、説き明かしてくれる本は少ない。この三冊は以上の点で私を満足させてくれただけでなく、ここに大戦に至る前史のこのうえなくリアルで微妙な内容が展開されたと信じている。

 じつは『GHQ焚書図書開封』第六冊目がすでに準備されていて、二、三ヶ月の後には刊行される手筈である。こちらは「日米開戦前夜」と名づけられる予定である。「前史」ではなくいよいよ「前夜」である。私は第六冊目のほうを先に世に送ろうと最初考えていた。しばらく迷って計画変更し、第五冊目と第六冊目をほゞ同時出版することにした。この二冊をもって、昭和16年(1941年)12月8日の真珠湾(パールハーバー)攻撃の70周年記念に時を合わせるのがよいのではないかと考えるに至った。

 第五冊目のハワイをめぐる日米関係史はその意味でいよいよ今こそ知るに値する内容であるといえよう。加えて第六冊目の冒頭が満州をめぐる日米関係史から説き起こされることもお知らせし、ハワイ、満州、支那大陸が大東亜戦争のキーポイントであることをあらためて再認識しておいていただきたいと考える。

暑中お見舞い申し上げます(一)平成23年

 6月末から真夏が始まり、このまま9月末まで猛暑がつづくのかもしれません。私は夏男で、どんなに暑くてもこたえません。血圧の高めの人間はたいていそうで、冬の寒さの方が嫌いです。

 私の書斎は太陽の光の入る地下室で(妙だと思うでしょう)、室温自体は低く、クーラーも扇風機もあまり使いません。しかし冬は地下暖を入れて、それでも腰から下が冷えて困ります。最近は椅子に坐って腰から下を包む電気炬燵を用いています。

 『WiLL』に書いていた震災の感想(5月号)と脱原発論(7月号)が人の目に留まり、KKベストセラーズが数人の論者をあつめて出す単行本に収録することを申し出て来たので、合意しました。刊行は8月で、数人の論者とはだれか、近づいたら詳しい内容を公表します。

 別の出版社から「保守主義者のための脱原発論」を一冊にまとめて欲しいと頼まれ、半ばその気になりながら、決心がつきかねています。

 資料はどんどん貯っています。ジュンク堂に行って20冊くらい原発関連の本を買って来ました。雑誌や新聞やブログに書いたものはそのままでは一冊の本にはなりません。時代が動き、情報もどんどん変わるからです。もう一度一から考えを整理し情報を再構成してみなくては、一冊の本は書けません。私はいわゆる専門家ではないので、一文学者として、一思想家として、一人の人間として、思索の書を書くのでなくてはなりません。まとめるのには相当に時間がかゝりそうな気がしています。

 『WiLL』8月等にはなにも書かないことになります。『正論』の臨時増刊号に相次いで二論文を書いたのはご存知でしょうか。別冊正論15・「中国共産党」特集に「仲小路彰がみたスペイン内戦から支那事変への潮流」、正論8月号臨時増刊号「『脱原発』で大丈夫?」に「さらば原発――原子力の平和利用の誤り」を出しています。

 『GHQ焚書図書開封』5と6とが相次いで刊行されることになります。5の題は「ハワイ、満州、支那の排日」、6の題は「日米開戦前夜」です。5はこの7月中に店頭に出ます。6は12月8日のパールハーバー攻撃70周年記念日までには刊行します。

 このところあれやこれや多種の原稿の整理で追いまくられました。というのは、全集の第5巻の校了後、第1巻の再校ゲラ、第2巻の初校ゲラが相次いで出て、やいのやいのと言われているからです。第3巻の目次内容がまだきまらないのでそれも編集部から早くせよと要求されています。

 各巻に私以外に4人の校正者がいて、厳密な作業をしてもらっていますが、私が再校を読んで「後記」を書き、三校を私を含め4人が読み直してそれぞれの巻を終わらせます。各巻600ページですから容易ではありません。

 全集の内容見本は出来ましたが、各巻の収録文の内容はまだ厳密にはきまっていないのです。昔の本を読み直すすべての作業はこれからです。

 全集の内容見本(カタログ)は国書刊行会03-5970-7421に電話すれば送ってくれます。よろしくおねがいします。

 今日『GHQ焚書図書開封 5』の「あとがき」を書き上げましたので、どんな内容か次にお知らせします。

 尚、16日午後8時から一時間放映された水島総氏との討論がYouTubeにありました。

チャンネル桜出演のお知らせ(1)

日本文化チャンネル桜でいつも討論・倒論・闘論が行われている時間帯に次の番組が流されます。

私は土曜日(16日・午後8時)に一時間、水島さんと原発について対談放送を行います。ご期待ください。水島さんは原発推進派です。

番組名: 対談スペシャル「桜戦線~夏の陣~」

お相手: 水島 総(チャンネル桜・代表)

内容 :日本を代表する論客と水島総が一対一でざっくばらんに日本を論じる不定期対談シリーズです。
今回は、西尾幹二先生、西部邁先生、渡部昇一先生との対談を一時間毎に順番に放送させていただきます。

放送予定日:平成23年7月16日(土)20時~23時00分
日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp/)

西尾幹二全集発刊にからむニュース(1)

 これからときどき全集発刊までに少しづつ完成していく全集関連の新しい具体的情報をお知らせするようにしたい。

 全集の制作はやはり容易でない。大きな山を登攀(とうはん)する苦しさにも似ている。毎日毎日心をゆるめずに作業しなくてはならない。細心の注意と大胆な判断を必要とする。時間がかゝり、まだるっこしく、いらいらするが、自分のことなので投げ出すわけには行かない。協力者から自分のことなのにちゃんとやらないと叱られたりもしている。

 やっと第5巻(第一回配本)『光と断崖――最晩年のニーチェ』が先週校了となった。内容見本の最終ページをごらん下さい。本はこんな形になる。ここには目次の大略も書いてある。

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 箱入りの古典的全集スタイルだが、箱には帯がつき、帯には宣伝文句が記されることになる。帯の表側と裏側の両方に言葉がある。やっと先週帯の二面に添える言葉がきまった。

すべてを凌駕する決定版 
西尾幹二のニ ー チエ!!!
発狂寸前のニーチェ像を立体化する
名著『ニーチェ』に続く未収録を集大成
『光と断崖―最晩年のニ ー チェ』
国書刊行会 定価:本体5,800円+税

『光と断崖』より
ニーチェの生の概念も、ゴッホの光の効果も、近代を支えていた明るい現世肯定の、影も憂いもない理性に導かれた楽天的な安定性を誇っていない。それらはぐらぐらと揺れている。背後の闇から突き上げて来るものを抱えている。しかも、二人はともに自己崩壊し、精神のこの闇に吸い込まれてしまう直前に、いずれも仏教あるいは浮世絵という思いがけぬものを手掛かりに、自分らの知らぬはるか遠い「異世界」に期待の目を向けたのだった。

次回配本 第1巻『ヨーロッパの個人主義』’12年1月刊。

                    

第5巻の読みどころはやはり「光と断崖」という『新潮』(1987年10月号)に掲載された160枚の論文であろう。もうひとつ逸せられないのは「ドイツにおける同時代人のニーチェ像」で、私が初めて打ち出した、資料に語らせる新しい形式のニーチェ像である。これはなかなか魅力のある読み物だときっと読者は言ってくれるだろう。本邦初公刊である。