第17回坦々塾勉強会講演要旨(二)

第17回坦々塾勉強会講演要旨 平成22年3月6日(土)

講師 佐藤 松男
演題「福田恆存の思想と私」
(年号はすべて昭和で記載してゐます)

Ⅲ 国家を超える価値―T.S.エリオットとの出会ひ

 55年、清水幾太郎「日本よ国家たれ 核の選択」の国家論は、個人を超えるものとしての集団を認めるが、集団を超える個人を認めない単なる戦後の個人暴走の反動でしかないと清水氏を批判。

 エリオットは1939年に「クリスト教社会の理念」の中で、国家に対する忠誠と教会に対する忠誠は、後者がいつも優位にあるとしてゐる。また、「文化の定義に対する覚書」の中で展開した教育論を補充するため、エリオットは1950年にシカゴ大学で「教育の目的」と題する連続4回の講演を行ひ、「善き国民は、必ずしも善き個人(人間)ではない。善き個人(人間)は、必ずしも善き国民ではない。」と述べてゐる。かうしたエリオットの考へを援用し、国家を超える価値を我々読者に対してなんとか解らせようと訴へかけてゐる。我々は、軍人でなくても善き国民として個人を超えるもの、すなわち国家に忠誠心を持たなければならない。善き個人(人間)として、国家を超えるものすなわち良心、歴史、自然の源泉に忠誠心を持たなければならない。善き個人は、良心に賭けて国家に反抗する自由がある。たとへその自由が認められてゐない制度の下に於いても。このことを考へるにあたつては、ソポクレスの「アンティゴネ」が我々にヒントを与へてくれる。国家を超える価値の模索は、福田先生の終生のテーマであつたが、29年の「平和論の進め方についての疑問」をきつかけとした平和論争の際にも、既に明確に主張されてゐた。「個人が国家に反抗する制度ではなく、さういふ哲学が最も必要であると思ひます。私の平和論争の発想の全てはそこにあります。」(「個人と社会」)福田恆存が世の保守主義者、現実主義者とは明確に異なる所以である。

Ⅳ 文民統制といふこと

 福田先生にとつては、日本の近代化といふ問題が物を書き始めて以来、終始、心のうちに蟠り続けてきたのであり(全集第五巻の覚書)、38年「軍の独走」等を緒として、55年の「日本よ、汝自身を知れ< 軍事政権といふこと>」に至るまで、日本近代化達成における軍の役割と戦後最大のタブーである軍事政権について、執拗に論じ続けた。以下自説を交へつつ、その骨子を紹介する。

 駐日大使ライシャワーが、明治憲法下において、軍が文民政府から独立してゐなければ、日本は実際に歩んだ道と異なる道を歩んでゐたらう、つまり満州事変も大東亜戦争も起こらず、したがつてその敗北もなかつたであらうと言つてゐたことに対し、福田先生は、軍が文民政府から独立した、所謂軍事政権でなかつたら、ヨーロッパ列強の侵略にあひ、シナのやうに半植民地化されるか、ロシア革命が飛び火し、日本は共産化されてゐたかもしれないと批判した。軍が日本の近代化に果たした役割は極めて大であり、同時にその即物的生き方と過酷な訓練のため、軍こそが日本の近代化の代表選手でもあつた。

 54年の森嶋通夫との論争に於いても、わけの解らぬ西洋からの「借り物の言葉」の最たるものとして、「文民統制」を取り上げ詳述してゐる。戦後日本は文民統制ではなく、軍排除の文民独裁であり、その証拠に安全保障会議には、首相、副総理をはじめ主要各省大臣が構成メンバーであるが、制服組のトップである統合幕僚長がメンバーから除外されてをり、首相が必要と認めた時だけ出席し、意見が述べられるにすぎない。ヨーロッパでは、大統領または首相のもとに制服組のトップである統合幕僚長は国防大臣と対等で直属してをり、閣議や国防会議に出席する権限と責任があり、時には直接大統領(首相)に意見を具申し得る。アメリカに於いては、オバマ就任翌日に安保会議が開かれたが、メンバーは国防長官、統合参謀本部議長、中央軍司令官、駐イラク司令官等、ほとんどが制服組で占められてゐる。日本に於いては、制服組が排除されてゐるだけでなく更に、防衛省には制服組に対する目付役、監視役として、警察庁・財務省などの出向官吏でほとんど占められてゐる内局が存在してゐる。

 文民の容喙が軍政だけでなく軍令まで及べば、楠木正成の故事にもあるやうに、湊川の敗北に繋がることになる。

 福田先生は孤立を怖れず、空疎な言葉と観念の氾濫する時代風潮を常に批判し続けてきた。昭和55年、その時既に論壇の主流になつてゐた浮薄な保守的論調に対しても、「同じことが言へるやうな風向きになつたからそれに唱和するといふのが、私の嫌ふ戦後の風潮である。」(「近代日本知識人の典型清水幾太郎を論ず」)と斬り捨てた。

資料 西尾先生と福田先生の対談抜粋が過去の日録で読めます。

http://www.nishiokanji.jp/blog/?m=20041111

文責:佐藤松男

第17回坦々塾勉強会講演要旨(一)

 第17回坦々塾勉強会講演要旨 平成22年3月6日(土)

講師 佐藤 松男
演題「福田恆存の思想と私」
(年号はすべて昭和で記載してゐます)

Ⅰ 評論―D.H.ロレンスのアポカリプス論との出会ひ

 福田先生は「私に思想といふものがあるならば、それはこの本によつて形造られたといつてよからう。」(57年 中公版「黙示録論」訳者あとがき)と述べてをり、卒論もロレンス論であることから、先生にとつてロレンスは教祖であり、「アポカリプス論」はバイブルであつたと言つてよい。従つて、先生の考へをより深く識るためには、ロレンスの「アポカリプス論」を解剖する必要がある。
アポカリプス(新約聖書「黙示録」)は弱者の歪んだ自尊と復讐の書といはれる。世には二つのキリスト教があり、一つはイエスに中心を置くもので、互ひに愛せよと無我の同胞愛を説く愛他思想である。

 もう一つは、ヨハネの黙示録に中心を置くもので、強きものを打倒せよ、貧しきものをして栄光あらしめよとの教へであり、弱者の支配欲、権力欲等の我意(エゴイズム)である。

 権力欲は金銭やパンより人間にとつてアダム以来の根源的な欲求であり、決して消滅することはない。しかし、イエスはこのやうなエゴイズムを絶対に認めようとはしなかつた。だが、エゴイズムはいくら否定されても消滅することはないため、否定されれば地下に潜り、しかも、死に絶えることなく、大義名分といふ美名に覆はれ、地上に再び姿を現す。かうして、エゴイズムを大義名分に擦り替へる自己欺瞞が生まれることになる。

 福田先生の評論における自己欺瞞を衝く視点は、かうしたロレンスのアポカリプス論から学んだものと言へる。

 自己欺瞞の具体例と脱却について
(1) 「文学と戦争責任」(21年11月15日)
戦争を否定するイデオロギー(大義名分)と個人生活を破壊していく戦争への不平(エゴイズム)と、ぼくはぼくのうちのこの二つの要素にあくまで同席を許すまいとした(擦り替へ、混同)。

 他に、「一匹と九十九匹と」、「現代の悪魔」、「平和の理念」等で自己欺瞞の具体例を紹介

(2)福田先生は、自己欺瞞からの脱却方法として44年、「諸君」創刊号に「利己心のすすめ」を著し、「利己心に徹したらどうか、さうして初めて人は利己心だけでは生きられないといふ事実を痛切に感じるであらう。」と説いた。

Ⅱ 芸術論、人間の生き方―O・ワイルドとの出会ひ

 「芸術とは何か」の中で初めて論じた「演戯論」は「汝自身たれ」といふワイルドの言説に基づいて展開されてをり、更に、福田先生の最高傑作である「人間・この劇的なるもの」に於いても、「舞台ではハムレットがハムレット役を演じてゐるが、現実の人生では、ローゼンクランツやギルデンスターンがハムレット役を演じさせられてゐる。」とのワイルドの考へを基に、現実の人生は、ままならぬが故に、我々が欲してゐるのは、自己の自由ではなく、自己の宿命である。自分が居るべき所に居るといふ実感―宿命観とはさういふものであるとの福田人間観の集約が語られてゐる。

 「日米両国民に訴へる」に於いても、「結婚の第一の基盤は相互の誤解である。→結婚の最大の障害は理解である。」とのワイルドのエピグラムを引用し、日米関係といふ結婚においても、相手を理解したとは思はず、自己の貧弱な理解力の中に相手を閉じ込めず、相互に相手方を「敵」以上に始末に負へぬ「敵」と見做し、その実情に関する知識、情報の収集に努めなければならないとした。

 このやうに見てくると、福田恆存へのワイルドの影響は、決して小さくはない筈だが、ワイルドとの関連について言及した福田論を未だ寡聞にして知らない。

つづく

日本をここまで壊したのは誰か(三)

 「経済大国」といわなくなったことについて―――あとがきに代えて

 ここでわれわれがなすべきは何がなされたかの苦い現実を正確に知り、希望的観測などで自分をごまかさないことである。

 日本人は自分をごまかしてきた古い記憶がある。昭和20年(1945年)の敗戦の際にわが国に起こったことは米軍による「解放」ではなく「占領」であり、しかも米軍は一時的な短期の「占領軍」ではなく「征服者」であった。また日本に起こったことは、一国による「征服」であった。その後アメリカは戦争を世界各地でくりかえしたが、朝鮮戦争でも、中東戦争でも、湾岸戦争でも、日本に対してなされたような戦後の社会と政治まで支配する征服戦争は一度もなかった。ドイツに対してもなかった。ドイツに対しては連合軍の勝利であり、戦後は四カ国管理であった。

 軍事占領下の日本において戦争は終わっていなかったといっていい。大東亜戦争ではなく「太平洋戦争」という名の戦争が仕掛けられ、戦争はひきつづき継続していたのだが、誰もそのことを深く自覚しなかった。史上最も温健な占領軍という評価だった。だからそれを「進駐軍」と呼び、敗戦を考えたくないので「終戦」と言った。そして経済復興にだけ力を注ぎ、さらに反共反ソの思想戦にだけ熱心だった。後者はアメリカと手を携えての共同行動だった。それが保守とよばれた勢力の主たる関心事だった。私もその流れに棹さしていたことを否定するつもりはない。

 日本人はこのように戦後ずっと苦い現実を見ないで、希望的観測に身を委ね、自分をごまかしつづけてきた。1989年から91年の「冷戦の終結」という新しい事件を迎えても、また同じ自己韜晦をくりかえしてこなかっただろうか。それが江沢民とクリントンに仕掛けられた新しい「戦後の戦争」に再び敗れて、今日この体たらくに陥っている所以ではあるまいか。

 2009年に自民党から民主党への政権交替が行われた。鳩山内閣は沖縄の基地問題で、日米の政府間交渉の手続きも何も踏まずにいきなり変革を求めたことで、幼い不始末を天下にさらした。その愚かさは罰せられなければならないが、しかし、国内に外国軍による「征服」の証しがいつまでも存続することへの疑問にいっさい蓋をしてきた自民党にも責任がある。鳩山由紀夫氏が総理になった直後に「日米対等」を口にしたのは何の用意もない学生風の出まかせとはいえ、この小さなナショナリズムが国民をして民主党を勝たせた理由の一つでもあることに、保守側も謙虚でなければいけない。

 基地問題を旧に復し放置することはもはや許されなくなった。民主党の間違いは、沖縄の基地に何らかの変革を加えたいのなら、まずは憲法を改正し、名実ともに国軍の位置を確立し、アメリカ軍から信頼の得られる軍事力を備えることから着手すべき点である。いけないのは順序を間違えていることである。

 私はアメリカ軍を日本列島から排除したらいいなどと言っていない。それは軍事技術上からみて現実的ではないだろう。日本艦隊がアメリカ軍と共同して太平洋を管理するというような成熟した両国の関係が生まれるのが理想で、今のような一方的依存関係から徐々に脱することが目標とされるべきである。

 政治、経済、外交、軍事の四輪がほぼ同じ大きさでバランスをとってはじめて車はうまく回転し、スムーズに前進する。経済だけが大きく、経済に外交と軍事の代行役を押しつけるような「経済大国」でなくなっていくことは、むしろこれからの日本にとって幸いと見なすべきではないかと思っている。

 本書のまとめと出版に当たっては草思社の木谷東男氏からお世話いただいた。各論文を最初に掲載してくださった各雑誌の担当者とともに、諸氏に感謝申し上げたい。

2010年4月20日

西尾幹二

追記

 本書の「トヨタ・バッシング」の教訓――国家意識のない経営者は職を去れ」には、補記(65-76ページ)が加えられている。これは雑誌には書かれなかった新稿である。「アメリカ・オーストラリア・シーシェパード」とでも補記にも題をつけた方がよかったかもしれない。イルカ・鯨問題の根は深い。白人植民地主義の人種差別感情が関係している。補記は第一次世界大戦をめぐる日豪間の外交衝突と、第二次世界大戦を誘発した米豪接近の怪しい歴史を描いている。

日本をここまで壊したのは誰か(二)

「経済大国」といわなくなったことについて―――あとがきに代えて

 最近日本人は「経済大国」という言葉を気羞しくて使えなくなっているような気がする。いい傾向である。世界には「大国」と「小国」はあるが、「経済大国」などという概念は存在しない。

 あんなに貧しかった中国が経済力を外交や政治に使い始めるようになって以来、日本人はこの言葉を用いなくなった。それまで長い間、日本は経済力があるというだけでそれを国際社会の中で政治力と誤認してきた。外交も防衛も経済力に肩代わりさせてきた。しかし経済力がそのまま何もしないで政治力になるわけがない。そう錯覚する時代は終わった。それを終わらせたのも中国の台頭である。

 ずっと以前からアメリカの経済は政治力であった。経済が「牙」を持っていた。経済で戦争もしていた、と言いかえてもよい。日本の経済には牙がなかった。軍事力を使えないからカネを出す。アメリカとは逆だった。しかし貧しかったはずの中国の経済には、貧しい時代の最初から「牙」があった。中国は日本から援助を受けながら、アフリカなどに援助して、着々と政治力を育てていた。

 最近クロマグロの禁漁か否かを決める国際会議で、中国がアフリカの票をとりまとめて政治力を発揮し、日本に協力した一件は記憶に新しいが、日本も永年アフリカに援助していたはずなのにいっこうに政治力を身につけていない。

 経済で外交や防衛の肩代わりをするのではなく、経済が国家の権力意志を表現し、自己を主張して他国を支配する手段としての役割を日本は果していない。しかし経済が「牙」を持たない限り、経済それ自体もうまくいかなくなるのだ。すなわち経済が自分を維持することさえ難しくなる、そういう状態に日本は次第に追いこまれつつあるように思える。そのことにいまだ気がつかないのは、外交官や政治家だけではない、経済は経済だけで翼を広げられると思っている現代日本の能天気な企業家たちである。

 ボーダレスとかグローバリズムとか多国籍とかいって、国家意識を失っているのが今の経済人である。トヨタ事件は日本側の技術や経営の問題では決してない。トヨタの油断や新社長の失策の話でもない。アメリカという国家が発動した政治的行動である。軍事力を使わない軍事行動であった。

 これを契機に私は永年抱いていた経団連や日経連を代表する人々への疑問、彼らが政治を動かし外交を捩じ曲げてきた十年来の言動の問題点を、本書で初めて取り上げ、明らかにしようと思った。

 十年より前には、私の考える国家像と政治観は、いま挙げた経済団体の代表者の方々との間でそう大きなへだたりはなかった。それどころかむしろ財界には知友も多く、私の読者と考えられる支持者も少なくなかった。

 歴史教科書と靖国と拉致は三つの象徴的タームである。重要なキーワードとしての役割をここ十数年の日本人の政治意識の中で果している。左翼がこれに反対するのなら分かる。そうではなく財界人をはじめ保守的な階層の人々が承知で問題の所在をあえて知らない振りをするようになった。日本社会は急に変質し始めた。中国の台頭と自民党の崩壊は並行して進んだ。

 なにか新しいことが始まっている。

 本書第一部はその問題を考えた。四篇の評論は平成22年(2010年)の二月初旬から四月半ばまでの間に集中的に書かれた最新の文章である。

 なにか新しいことというのは大元に根があり、原因がある。しかも新しい事態、この変質は突き止めておかずに放置しておくと取り返しのつかない国家の衰弱につながりかねない。

 近い原因は1993年から中国とアメリカに江沢民とクリントンの反日政権が生れたことである。両政権は「経済大国」日本を解体させるというはっきりとした戦略的な攻撃を開始していたのに、日本人はぼんやりしていて、最近まで気がつかないか、あるいは今も気がついていない。そしてそのことは勿論80年代またはその以前に遡って原因があり、歴史的に考察するべき根を持っている。旧戦勝国による日本の「再敗北」、もしくは「再占領」という事態が進行しているといっていい。本書はその流れを示唆的に解明しようと心掛けた。

 日本は本来あるべき方向、国家としての自立自存とは逆の方へ向かって変化し始めている。しかもどこへ向かうのか明確な国家像もなく、茫々たる海洋を諸国に小突き廻されながらただひたすら漂流している幽霊船のようである。

 昭和43年(1968年)頃ハーマン・カーンは21世紀に日本は名実ともに世界一位の国になり、「日本の世紀」が訪れるだろうと予言した。わが国はそれに近い所まで登りつめて、そのあと腰が折れて実際にはそうならなかった。

 外からの激しい破壊工作(ボディブロウ)に、何がなされているかも気がつかずに打撃され、ぐらっぐらっと揺れて倒れかかっているのである。

つづく

日本をここまで壊したのは誰か

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 新刊が店頭に出始めましたので、ご紹介します。

日本をここまで壊したのは誰か(草思社 1680円)

   第Ⅰ部

江沢民とビル・クリントンの対日攻撃になぜ反撃しなかったのか
―――自由民主党の罪と罰

トヨタ・バッシングの教訓
―――国家意識のない経営者は職を去れ

左翼ファシスト小泉純一郎と小沢一郎による日本政治の終わり
―――EU幻想と東アジア共同体幻想

外国人地方参政権 世界全図
―――なかでもオランダとドイツの惨状

  第Ⅱ部

アメリカの「中国化」 中国の「アメリカ化」
―――日本の鏡にはならない両国の正体露呈

私の人生と思想
―――中学一年生のときの恩師との論争から

「世界で最も道義的で公明だといわれる日本民族を信じる」(フランス紙)
―――日本が「列強」の一つであった時代

日本的王権の由来と「和」と「まこと」
―――『国体の本義』(昭和12年)の光と影

日本民族の資質は迎合と諂(へつら)いにあるのか
―――シベリア抑留者のラーゲリ体験より

  第Ⅲ部

講演 GHQの思想的犯罪

「経済大国」といわなくなったことについて
―――あとがきに代えて

初出一覧

私の独断的政局論

 小沢が前原とウラで手を握っている、というのが私の推理の基本である。鳩山はそれに気づいていない。

 小沢はつねに誰かを総理にしてやるといって自らが生き延びるのが常套であった。失敗したのはミッチーこと渡辺美智雄だけだった。

 小沢は自らが生きるか死ぬかの瀬戸際にある。否、民主党そのものが瀬戸際にある。前原以外に国民を納得させられる新首相はいない。小沢と前原は対立していると見られているのが好都合である。

 本来は小沢と鳩山は党を二分して死闘を演じてもおかしくはない情勢にある。第一回の検察審議会が「起訴相当」を出してきたときが、鳩山が小沢を蹴落とすチャンスだった。民主党が支持率を回復するチャンスでもあった。しかしそういう気配はまったくなかった。

 次期総理に菅の呼び声は最近次第に小さくなっている。鳩山が前原の台頭にも、小沢と前原の関係にも気づいていないのは、単なるバカだからである。

 東京地検のうしろにはアメリカがいる。これが私の第二の推理である。

 検察庁は権力そのものである。しかし日本という国家には権力はない。『「権力の不在」は国を滅ぼす』は私の本の題だった。

 アメリカは東京地検と組んで小沢をコマの一つとして使うことに決めたようだ。小沢はアメリカに脅されている。

 普天間問題の迷走が始まった8ヶ月前、アメリカは怒ったし、呆れもした。しかし日本の政治の非合理性の根は深く、安定した親米秩序がいつになったらできるのか見通しが立たないことに、アメリカは次第に不安を感じ始めた。

 アメリカは忍耐強いのでは必ずしもない。基地としての日本列島を失うかもしれないことに恐怖を抱きだしたのだ。沖縄民衆の反乱が拡大することをひたすら恐れている。

 アメリカはこの状況を収束させられるのは力しかなく、力を持っている小沢にすべてを托す以外にないと判断したのだろう。

 それがいつの時期かは分らない。鳩山が沖縄海兵隊の抑止力を「学習」したと発言してもの笑いになったあれより少し前だろう。普天間問題が最初の自民党原案に立ち戻り始めたのと歩調を合わせて、検察庁による小沢「不起訴」が繰り返された。

 鳩山は1996年11月の文藝春秋に「民主党 私の政権構想」という論文を書いていて、沖縄の基地問題を論じている。それによると、「革命は未来から」と旗を掲げた上で、「手前から少しづつ前に進むのではなく、未来から大胆に今を直す」のがわれわれの流儀と宣言している。沖縄問題は米軍基地撤廃と完全返還という「未来から」手を着けると言っている。

 これは学生運動家の発想だが、ひどいもので総理になってその通りに実行しようとしたのである。「最低でも県外」と言ったのはそのしるしである。彼はバカなのではなく、確信犯なのである。だから恥しい素振りもみせず、終始図々しいのである。

 国内には鳩山をまだ守ろうとする声がある。支持率は20%台になったというが、まだ依然として20%台なのである。本当は5-7%になってもおかしくはないのに、左翼マスコミもまた確信犯にほかならない。

 しかし起死回生を狙って小沢は前原を擁立するだろう。普天間は時間をかけ自民党原案に落ち着くだろう。それが私の独断的政局論の読みである。時期がいつかは分らない。もちろん予想外のことが起こり得る。検察審査会の第二回目の「起訴相当」はアメリカの影の力をもってしてもいかんともしがたい。

 基地が反米の旗をさらに高く掲げてこれ以上混乱したら、アメリカの苦悩は深まり、次の手を打ってくるだろう。その方がずっとこわい。アメリカは日韓の関係の悪化を今は望んでいないが、日本の「韓国化」をむしろ画策するかもしれない。

 アメリカは占領軍だということを今回ほど如実に感じさせた事例はない。鳩山は寝た子を起こした廉でいづれにせよ罰せられねばならない。

アンケート「日本史上最強の女傑」

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 奇妙な企画だと思うが、SAPIO(2010・5・12)が「日本史上最強の女傑は誰か」というアンケートを企画し、第10位に美智子皇后が選ばれ、私がそこに短い文章を書くように求められた。

ちなみに選ばれた10人は次の通りである。
1位  北条政子
2位  神功皇后
3位  春日局
4位  日野富子
5位  淀殿
6位  坂本乙女
7位  山本(新島)八重
8位  乃木静子
9位  野村望東尼
10位  美智子皇后

 なかなか難しい。私の知らない女性もいる。美智子皇后に寄せた私の添え書きは以下の通りである。

無言の説得力を持ちこの国の中心を担う

 明治時代を代表する日本人は政治家にも軍人にもいる。昭和時代を支えた人は誰か。「新しい歴史教科書」でコラムを作成するとき昭和天皇に衆議一決した。ならば平成時代は?まだそんな段階にはならないが、私は美智子皇后を挙げるだろう。

 平成時代は国力の停滞と下降の時代だが、皇室が国民共同体の中心であることはこの方のおかげで守られてきた。民間人から嫁がれて格別のご苦難は国民周知だが、「私はいつも自分の足りない点を周りの人々に許していただいてここまで来たのよ」(雅子妃に語った言葉として伝えられる)は日本人の理想とする皇室の徳、つつましさ、控え目、ありのまま、清潔、謙譲、飾りのなさ、作為のなさ、総じて慎重な心づかいを自然体で現わしていて、しかもその節度と品格ある生活態度の中に、凛として清冽(せいれつ)なつよさをつねに感じさせるものがある。

 女傑とか女丈夫とかの概念とは余りに違うようにみえるが、外国にお出まし賜ってそのお人柄には人を魅了し感服させる無言の説得力のあることがわかり、日本国民として誇らしくも、嬉しくも感じられる。

 昭和天皇亡き後、「第二の敗戦」といわれた平成の御代に、何とかご皇室を、そしてこの国を、ここまで持ちこたえさせてこられたのも、国の中心に魂のあるご存在がおられたからである。

 私は先日「皇室と国家の行方を心配する往復メール」(六)で、美智子皇后のテレビ報道が人格主義に傾くことは最良の皇室報道ではない、という意味のことを書いたのに、私の文章はその傾きを免れていない。自説に矛盾して申し訳ない。しかし、皇后について書けばどうしてもこういうことになるのは何とも致し方ない。ここに書いてある通りに普段考えているから、正直その通りになった。

 尚アンケートは日本史上最高の美女の10人という企画も同時に行っていて、興味があると思うのでついでに紹介する。

日本史上最高の美女10人

1位  お市の方
2位  細川ガラシャ
3位  小野小町
4位  陸奥亮子
5位  和泉式部
6位  原節子
7位  額田王
8位  山本富士子
9位  弟橘媛
10位  石井筆子
10位  吉永小百合
10位  山口百恵

「秩序」を巡る戦後の戦争

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足立 誠之(あだちせいじ)
坦々塾会員、元東京銀行北京事務所長 
元カナダ東京三菱銀行頭取/坦々塾会員

 「WiLL」6月号の冒頭に去る4月10日に日比谷野外音楽堂で行なわれた西尾幹二先生の 講演内容が掲載されました。講演の中心は日米戦争開戦の翌年昭和17年11月「中央公論」誌上で行なわれた当時の日本を代表する4人の哲学者による座談会を巡るものでした。

 この座談会を載せた本は、GHQの焚書により60余年の間我々の眼にふれることのなかったものであり、昭和17年11月当時日本の識者が文明史の上で日米戦争をどう俯瞰し、位置づけていたのかという重要な事実が戦後初めて明らかにされたのです。

 この座談会の内容を私なりに理解しますと、「あの戦争」は従来の戦争とは全く異なるものであり、「秩序」言い換えれば「思想」、「世界観」を巡るものであって、武力による戦争が終わっても継続されるものであるということが趣旨となっています。 驚かされることは、こうした俯瞰された戦争観はその後今日に至る世界の動きの性格を見事に言い当てている点です。

 こうした捕え方をベースに、かつての欧米の「秩序」の下にあった植民地がどういう経路をたどることになったのかを俯瞰してみますと、次の様になります。

 日米戦争にいたるまで欧米が植民地としていた地域は、総て工業化以前、近代化以前の地域、今の言葉で言えば低開発地域でした。アフリカは欧州の「秩序」の下部構造に組み込まれており、中南米は1823年のモンロー宣言以降アメリカの「秩序」にくみこまれていました。アジアはアメリカの「秩序」の下にあったフィリピンを除けば欧州諸国の「秩序」の下にありました。

 ここで注意しておかなければならないことは、今でこそ忘れられていますが、欧米の「秩序」は植民地の人々の差別を当然のこととみなし、これを前提としていたことです。因みに第一次大戦後のパリ講和会議で設立が決定された国際連盟の規約に「人種平等」条項をいれようとした日本の提案は、アメリカ、オーストラリアなどの反対で実現しませんでした。こうした歴史的な事実も日本国民の記憶から抹殺されたまま今に至っています。

 さて、日本が戦った戦争は東南アジア地域を欧米のこうした「秩序」から解放し、新たな大東亜共栄圏秩序へと転換せしめることを目的としたものでした。昭和20年8月15日日本は降伏し、「武力による戦争」が終わります。しかし一旦欧米の「秩序」の下部構造から解放された東アジア地域が元の「秩序」に復することはなかったことは、ご承知の通りです。

 その後の世界の低開発地域の推移はどうか。

 はっきりしていることは、今日経済的な離陸(テークオフ)に成功している地域はASEANに代表され、中国をも包含した東アジア地域のみであるということです。アフリカも中南米も工業化、近代化を伴う経済的離陸には至っていません。何故この様な差が生じたのか。それはこれらの地域がたとえ形の上では独立したといっても、依然として欧州諸国やアメリカの「秩序」の下部構造から離脱出来ていなかったからであると考えられます。

 戦後のこうした低開発地域を下部構造においたままの欧米の秩序は、新たな植民地主義としてアジア・アフリカ会議などにより激しく排斥されたことはご承知の通りです。このアジア・アフリカ諸国の運動には中国や北朝鮮も参画しており、共産主義を「秩序」として目指す動きも強いものでした。然しこうした共産主義の「秩序」が経済離陸、工業化をもたらすものではなかったことはその後中国自体が証明しています。

 韓国、台湾、香港、シンガポールなどのNICsとASEANが選択した工業化、経済的離陸、近代化への「秩序」は日本をモデルとするものであったことは誰も否定できないものです。そして70年代末にはアメリカに次ぐ世界第二のGNP大国になっていた日本は、それに見事に応えました。

 80年代から90年代にかけてのASEANの経済発展は、日本を先頭にする雁の飛行になぞらえられ、「雁行型発展モデル」と呼ばれました。当時のマレーシアのマハティール首相は「ルックイーストの標語で日本に学ぶことを提唱し、現に同首相の子息が私の銀行に修行に来ており一般行員に混じってコピー取りをしている姿も見られました。

 私自身東アジア(中国、インドネシア)には合計6年8ヶ月駐在し、日本企業による生産拠点の構築とその運営について相当程度関与してきましたが日本企業のそれは欧米企業のアプローチとはかなり異なるものでした。現地工員と同じ作業服で働き、昼食時には同じ食堂で現地工員とメラニン樹脂の丼に盛られたネコ飯(現地米に煮魚を載せ汁をかけたもの)を食べるといった光景も目にしました。

 風俗、習慣、宗教の異なる世界に企業活動に不可欠な時間の観念や規律を植えつけ、チームワークを育てる。組織の底辺からトップにいたるまでの総てを伝播させるというものでした。

 それがそれほど簡単なことではなく、時間と忍耐を要するものであったことは、日本では余り知られていません。欧米企業と日本企業のこうした差の由来を遡れば、国際連盟の規約に「人種平等」条項を提案した日本とそれに反対したアメリカという図式に帰着すると言えるでしょう。

 アメリカは1776年の独立宣言の中で「人間は生まれながらにして平等である」と謳いましたが、実際にはそうではなかったのです。こうしてみると昭和17年11月の中央公論誌上座談会で4人の哲学者が「日本が英米を 指導する」と発言していることも当然のこととして理解できます。

 それでは、東アジアの雁行発展モデルが日本企業、日本人による「人類みな兄弟」の精神に基づく博愛、友愛だけでもたらされたのか、と言えばそれは違います。それだけでは絶対に不可能なのです。

 発展途上国と言うのはそんな生易しいものではありません。法制度、システムが整っておらず、裁判で信頼出来る判決が下されるかといえばそんな確信はとても持てない。警察が保護してくれるかといえば、それどころか逆の場合もある。最近でこそ改善されてきているといわれますが、賄賂や汚職も蔓延していました。権力者のファミリー企業の専横も酷いものがありました。そんな中で「善意」や「友愛」だけでは丸裸にすらされかねないのです。

 私の2度目のインドネシア勤務はカナダの移民権を得てからのことでしたのでインド ネシアではインドネシア・カナダ商工会議所のメンバーでしたし、日本大使館だけではなくカナダ大使館にも頻繁に出入りしていました。そうした中で気がついたことがあります。 それは日本やアメリカの企業に比べカナダの企業の方がトラブルに巻き込まれたり、被害に遭う頻度が高いように思われたことです。銀行や保険会社ですらそうしたことに巻き込まれ、撤退を余儀なくされるところもありました。それで私も相談や協力を求められたこともあります。

 目には見えないがアメリカ企業は強力なアメリカの軍事力が背後に控えていますが、カナダ企業の場合にはそうはいきません。カナダの企業や当局がインドネシアの当局に働きかけてもインドネシア側の動きはかなり鈍いのです。

 このことから言えることは、実際に力を行使するか否かはともかく、現地人に畏敬されているということが必要なのです。アメリカや日本に比べてカナダはそうした点で弱いと思われているのではないでしょうか。

 日本はどうか。日本企業はいろいろな困難を乗り越えて来ました。大統領ファミリーの無法な行為にたいしても敢然と立ち向かう。そうした気概がなければ企業活動を正常に運営していくことは出来ません。日本人は大人しくて優しいが、いざとなると勇敢な国民であると思われつまり畏敬されている。この日本人、日本にたいする”畏敬”の気持ちが現地になければ成功しなかったでしょう。

 彼等が何故日本を畏敬するのか。それは日本が敢然として白人大国ロシアに立ち向かい見事に勝利したこと。そして例えアメリカであっても立ち上がり戦ったこと。そうした日本人の勇気を記憶しているからです。

 東アジアの経済的な離陸は我々の世代だけが指導し、協力した故に成就したものではあ りません。日本民族が畏敬されていたから可能であったのであり、それは日露戦争、そして日米戦争を敢えて戦った我々の父祖の存在を抜きにしてはなし得なかったことなのです。

 昭和17年11月当時の日本は英米をも指導するという自信に満ちた世界観、思想を持ち、勇気を備えていました。今日の日本の劣化した指導層、即ち、政治家、財界人、経営者層、そして言論界はこうしたことに思い至っていないどころか想像すらしていません。彼らにみられるものはひたすら「したて」「もみ手」をすることであり「友愛」を口にすることです。そこには世界をリードするという気概も、力も、そして何よりも大切な勇気のかけらも見られません。これでは畏敬されるものはゼロに等しいのです。

 このまま時代が推移すれば日本人はただ「卑屈」「卑怯」な民族としか看做されなくなり、いずれは国際社会から相手にされなくなるでしょう。

 21世紀にはいり、アフリカは欧州の「秩序」からの離脱に徐々に動きだしました。中南米においてもアメリカの「秩序」に対して激しい離脱の動きが始まっています。日本が深く関与した東アジアの近代化、工業化による経済的な離陸が、アフリカや中南米に波及しつつあることは否めません。

 昭和17年11月24日の中央公論誌上で行なわれた4人の哲学者の描いた未来の俯瞰図は、こうして実現しつつあります。その一方では情けないことに日本が日に日に劣化してきています。西尾先生はこうした現象を「戦後の戦争」に敗れたと喝破されました。その原因がアメリカによる占領時代の「検閲」と「焚書」に由来することは明らかになりつつあります。

 それでも劣化が進むのは何故か。

 それもまた西尾先生は本講演で喝破されておられます。それは日本人がどっぷりと甘美で怠惰な安逸に安住し、正義のために戦う勇気を喪失しているからであると。人間も国家も勇気と希望を失えば存在の意義を失います。日本国民は自らの歴史を学び、そこから勇気を取り戻さなければなりません。

平成22年5月 文責:足立 誠之

皇室と国家の行方を心配する往復メール(六)

西尾から鏑木さんへ

 ご返事が遅くなってすみません。漫然と日を送っていたからではなく、著作家として厳しい時間を経過していたからで、その成果が表に出るのは何ヶ月も以後になります。ここのところ「インターネット日録」に時間を割く気力もなくなっていました。

 パソコンでも、活字でも、文字を扱うエネルギーは等量です。一方に打込んでいると、どうしても他方に力を振り向けることができなくなります。そういうときには普通の手紙を書くこともできなくなります。そんなわけでご返事をせずに何日も空けてしまって申し訳ありません。

 話の順序を変えて、アメリカのことから始めます。世界の中で最も出鱈目なことや最も傲慢尊大なことをやってきて、それでいて世界からあまり憎まれないで信頼されているというのが、アメリカという国の不思議な処です。アメリカは反米を恐れません。世界中どこへ行っても反米の声が溢れていて、いちいち驚かないのです。

 力に由来する寛大さ、強さからくる野放図さは、9・11同時多発テロ以来少しさま変わりしているかもしれませんが、それでも根は変わらないはずです。貴兄もそういうアメリカ像を抱いているように推察しました。

 日本などが真似のできないアメリカの政治文化のスケールの大きさは認めた上で、私はアメリカ人の心の底に、自分を信じる余りの他を省みない一方向性、他国を傷つけてもそれに気づかない鈍感さ、パターナイズした正義の押しつけと親切の押し売りを認めます。世界を自分の眼でしか見ないある種の単純さ、平板さは、「帝国」の名にし負うのかもしれませんが、理念なき「帝国」の現われです。アメリカは、たゞ漫然と「世界の長」をつとめているだけで、今後に発展も成熟も起こりそうにありません。

 貴兄のアメリカ像もほゞ似たようなものだと思いました。たゞアメリカの反日感情は「日露戦争以後の日本との行き違い」に起因し、それほど根深いものではないと仰言いましたが、果してそうでしょうか。ペリーの来航は砲艦外交でした。琉球を占領する予定でした。日本が邪魔で、叩き潰す衝動は最初から根強く存在し、外交上の単なる「行き違い」が原因ではないのではないでしょうか。

 さて、話を本題に移しましょう。小泉内閣下の皇室典範有識者会議はいったい誰が望んで秘かに仕掛けられたのかは謎で、いまだに分りませんが、皇后陛下のご意向が強く働いた結果だというような噂は、当初からあちこちで囁かれていました。理由もよく分りません。これも噂が八方にとび交って、口さがないことがいわれつづけましたが、何も確かなことは知りようがありません。

 そういう中での貴兄の最初の指摘には吃驚しました。有識者会議の報告文と皇后陛下のご発語との共通点、ことに「伝統」の概念修正が似ているという発見ですね。よくお見つけになりましたね。つねづね皇室の未来を心配し、なにを読んでも心が敏感に反応するような心理状態になっている証拠です。貴兄こそ現代において稀な皇室思いの「忠臣」です。

 貴兄の発見は上記の単なる噂ばなしを何歩か前進させる傍証のようにも見えますが、それでも確証とはいえません。皇后陛下が「女系容認・長子優先」であらせられるかどうかに関して、われわれが一定の判断を下すには余りに情報が足りないのです。

 そもそも皇室のことは、根本に関してはつねに情報不足です。御簾の奥のことですからね。それでいて、われわれ民衆の目から見て気になるサインが至る処にばらまかれます。われわれはつい皇室の御心をご忖度したくなりますが、本当は不可能なのかもしれません。

 私は遥るか遠くから仰ぎ見ていていつも思うのですが、天皇陛下と皇太子殿下に比べて皇后陛下と皇太子妃殿下の方がより多くの人の関心を呼び、話題になり、とやかく語られることが多いのではないでしょうか。女性だからでしょうか。民衆から見て何となく分るものが感じられるからではないでしょうか。天皇陛下と皇太子殿下のお二方は何となく近づき難い、分り難いご存在だからではないでしょうか。どこか神秘的だからなのではないでしょうか。

 貴方のご文章の中で、読んでいてギクッとした決定的に重要な一行がありました。すなわち「こう言っては何ですが天皇家は良くも悪くも民間女性の影響が強すぎるのではないでしょうか。」

 本当に強いのかどうか真相は分りません。ただ民衆の目から見てそう見えるのは間違いありません。私にもそう見えます。

 民間ご出身のお二方には私たちの世界の尺度が当て嵌まるからだと思うのです。判断ができるからです。あれこれ忖度したくなるのは、そもそも想定ができるからです。

 例えば皇后陛下が伝統の養蚕に手をお出しになると聞いて、良くやるなァ、そこまでなさるのかと思うのは、私たちの身に当て嵌めてみて考えているからです。天皇陛下のご祭祀がお身体を使う大変に厳しいものだと聞いても、これには私たちは言葉がなく「良くなさるなァ、そこまでなさるのか」とは考えません。私たちには想像もつかない別世界の出来事だからです。

 皇太子妃殿下は今年も赤十字の恒例の大会に皇族のご婦人がたがずらりと勢揃いされているのにおひとりだけやはりご欠席でした。テレビを見ていてそれと分ると私たちが異様に感じるのは、私たち一般社会の流儀を当て嵌めているからです。皆んながやることをひとりだけやらない、しかも長期間やらないのは私たちの一般的感覚は「異様」と判断します。ましてやその方がスキーやスケートは決してお休みにならないのが知らされているので、「なにか変だ」と思うのは民衆的感覚からいって自然で、避けることはできません。

 赤十字の恒例の大会に皇族のご婦人がたが毎年勢揃いされるのをテレビで見ても大変だともご苦労だとも私たちが特に思わないのは、これも別世界の出来事だからです。

 民間出身の皇后陛下と皇太子妃殿下は宮中の伝統に融けこむご努力をなさるにしても、ご努力をなさらないにしても、私たち民間人の目から判断され、評価されるのを避けることはできないでしょう。私たちは私たちの物指しで判断するからです。貴方が「天皇家は良くも悪くも民間女性の影響が強すぎる」というのは民間女性がやはりはみ出て見えるからでしょう。本当に影響力が強いのかどうか分りません。多分、相当に強いのでしょうが、民間人の社会と皇室の環境の相違が大きく、それが目立つからだとむしろ考えるべきです。

 さて、結論を述べますと、皇位継承問題で皇后陛下が「女系容認・長子優先」なのではないか、という貴方の推理に反対する論拠は私にありません。「皇太子妃は私たちの大切な家族なのですから」と擁護なさったお言葉もかつてありました。たゞほかに貴方の推理に積極的に賛成する材料も私にはありません。いろいろ揣摩臆測する以上のことはなにもできないのです。

 そうはいえテレビその他が皇室報道で皇后陛下にスポットを当て過ぎ、その分だけ天皇陛下の影が薄くなるような報道の仕方に対し、つねひごろ私が疑問を覚えているということを最後にお伝えしたいと思います。「影響が強すぎる」という貴方のご判断は、多分に皇室報道のせいでもあると考えるからです。

 テレビその他が、皇后陛下を気高く典雅な女性に描き出すのはもちろん私は納得して見ている一人ですが、そこには民間女性であるがゆえの今までのご努力への敬意もあり、テレビ側が自分たち民間人の物指しで分り易い価値判断を当て嵌めたがる傾向もあって、本当の皇室報道のあるべき理想に反しているのかもしれません。

 つまり、このようなやり方は皇室を人格主義の型にはめこんで、天皇陛下のご血統の神秘さと尊厳を国民に暗黙のうちに知らしめる皇室報道の本来の目的に添うていないのではないかと危惧されるからです。

 逆にいえばこうです。天皇家が次の世代に移ったときに、テレビやマスコミは何をどう描いていくつもりか、その用意が今から出来ているのか、と私は問い質しておきたいのです。

(了)

皇室と国家の行方を心配する往復メール(五)

鏑木さんから西尾へ

西尾先生

不手際のメールで色々、ご迷惑かけましてすみません。皇族関係者のスピーチとしたのは、私の早とちりで誤りでした。

 「小泉首相の皇室典範会議にまでコミンテルンが手を伸ばしている」というのは先生ご指摘の通り、大方は私の妄想でしょう。

 改めて「皇室典範に関する有識者会議 報告書 平成17年11月24日」をしっかり読んでみました。するとその中で次の様な文言を見つけてしまいました。

・・・・・
II. 基本的な視点
・・・・・

② 伝統を踏まえたものであること

・・・また、伝統とは、必ずしも不変のものではなく、各時代において選択されたものが伝統として残り、またそのような選択の積み重ねにより新たな伝統が生まれるという面がある。・・・・・ (P3)

 皇后陛下のお言葉「型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名のもとで古い習慣が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましくありません」と同様の言い方ですが、一般論としての偶然なのでしょうか。

 たぶん、皇后陛下もこの報告書をご覧になっており、少なくとも反意は持っておられないということではないでしょうか。

 この報告書の結論は、ご承知の通り女系容認・長子優先です。つまり、皇位継承順位は皇太子殿下の次は愛子様となります。

 皇后陛下はご立派な方ですが、皇位継承に関してはやはり女系容認・長子優先なのではないでしょうか。そして、その意向が天皇陛下の判断に影響し、陛下の明確な対応を遅らせているのではないでしょうか。

 まさに悠仁様の誕生は天悠でした。

 アメリカについてですが、私はアバターを観ておりませんので先生のお話で判断しますと、地球人=アメリカ人、宇宙人=インディアン・アジア(日本)人という図式でアメリカの自戒の念が垣間見られるということですね。

 しかし現実世界では、アメリカは屹然と世界と対峙する強靭さがあります。この精神の図太さはある意味羨ましいですが、カルトとまでは言えなくても多分に宗教的です。

 私のアメリカの理解は、近代理性主義に迎合したキリスト教プロテスタントのマインドを国民のベースに持ち、支配層はユダヤの世界支配の野望とフランクフルトマルキストの理想社会実現の野望のリゾーム状態の様なものと考えています。

 私はアメリカを大東亜戦争での日本への仕打ち(原爆投下、無差別爆撃など)から残虐な国家国民と判断しておりました。街で白人黒人をみると今にも拳銃を抜いて撃ってくるのではないかと警戒していました。

 しかし日露戦争以後の日本との行き違いで反日感情を醸成させていったという論は、同じ人間としての目で冷静にアメリカ人を見られるのです。

 これ以上は私も先生のお話を伺ってからにしたいと思います。

 雅子様の件は、先生のおっしゃる通りに納得するよう致します。

 そうなればこの際、皇太子殿下は雅子様の病気を理由に皇位継承を辞退なさって、雅子様の病気治療と愛子様の教育に専念されるべきでしょう。離婚して皇位を継ぐというのは天皇として相応しくないと思います。一生雅子様に寄り添い、精神病に病む妻を持つ家庭の長として模範となる生き方を国民に示して頂きたい。そして愛子様をすばらしい日本女性に育て上げることが浩宮様(敬愛を込めてそうお呼びしたい)のお勤めではないでしょうか。そうすることで皇室に対する国民の敬意は、逆に高まっていくと思います。

 そして小和田家の皇室への関与も終わります。

 デビ夫人のブログ見ました。

 私は良くテレビを見ますので以前からこの方は聡明な方だと思っておりました。皇室に対する意見は本当に素直で真っ当なものですね。別の記事で北朝鮮関係のものはセレブの悲しい能天気ですが。

 このブログによると愛子様不登校問題のいじめた側の生徒は転校したのですね。天皇皇后両陛下のご懸念が現実となりました。

 まずは浩宮様の決断ですね。

 私は浩宮様と同い年で、先生が陛下に思いを寄せるのと同様に、私は浩宮様と共に育ってきたという思いがあります。実直で優しい浩宮様が大好きなのです。

 だから、しっかりして下さいと哀願するだけです。

 そして浩宮様は、今上陛下、秋篠宮殿下の良きアドバイザーとして日本という大きな家族の安寧にも尽くしてもらいたい。

 皇后陛下は立派な方ですが、民間出身ということが皇統維持の判断に僅かに狂いを生じさせるのではないでしょうか。そして先生が平成の女傑に選んだほどの方ですから誰も反対しようとしません。

 ここは直系男子の御三人だけでじっくりお話合い頂きたいと思います。

 そして様々な意見がある現皇族の枠組みを維持し、他宮家の皆様の話も良く聞いて頂きたいです。こう言っては何ですが天皇家は良くも悪くも民間女性の影響が強すぎるのではないでしょうか。

 私は最初のメールでしきりに工作機関の陰謀を言っておりましたが、多少被害妄想の誇張がすぎたかもしれません。皇室や政治の問題の多くは日本自身の衰退に原因するところが大でしょうが、先生もおっしゃるように、そこにつけ込み利用しようする外部勢力の存在が感じられてなりません。

 ここは天皇・皇室が日本国の超越した存在として真価を発揮して頂き、賢明な判断で国民を安心させて頂きたいです。

 靖国の英霊が「などてすめろぎは民となりたまいし」と怨嗟の声を発しないように、天皇家男子がしっかりして、日本の国と皇室を守って頂きたいと切に願うのみです。

                      鏑木徹拝