この文章は、「新しい歴史教科書をつくる会」創立20周年記念集会(2017年1月29日)の挨拶文です。加筆修正したものが正論4月号に掲載されました。表題の一部「歴史教科書運動」のはずが「歴史教育運動」に間違って掲載されました。注:管理人
私はつくる会の20年にわたる努力を思い起こし、私が辞任した後の皆様の固い意思と熱い情熱に敬意を抱きつづけています。本日は体調不良で、皆様にお目にかかれないのは大変に残念であり、申し訳なく思っております。
さて、半年ほど前から、世界は大きく変わろうとしている、日本はこれから大変だ、という言葉が盛んに聞こえるようになりました。いったい何が変わり、日本にとって何が大変になるのでしょうか。防衛費を増やすことでしょうか。ひと昔前のような日米貿易摩擦が再来するのをどう防ぐかということでしょうか。アメリカは国防長官を最初に送り込んできて、防衛問題で日本のアキレス腱を押さえ、次に経済問題の追い打ちを掛けて、ゆっくり日本からカネをむしり取ろうといういつもの手を再び使おうとしているのでしょうか。
それらを心配し、政府が対応策をいろいろ打ち立てるということは当然なされるでしょう。けれどもそういう心配や対策は全部受け身の話であって、日本がアメリカからの攻撃に備えどう身を防ぐかの話にすぎません。それはそれで今は大切ですが、単にそれでいいのでしょうか。
「トランプ大統領の出現は日本再建のチャンスだ」ということが、一方で言われますが、われわれとしてなすべきは、トランプとアメリカ国民に次のように言うことです。「トランプさん、あなたの言うアメリカファーストはよく分かりました。それならこれから我々日本人も、ジャパンファーストで行きますよ。」
さて皆さん、私だけでなく、すでに多くの方がジャパンファーストで行こうと叫んでいます。しかしどれだけの人がこの語の持つ本来の意味について考えているでしょうか。日本人はもう受け身ではいけない、という困難で危険なこの言葉の重みについて、思いを至しているでしょうか。
世界史を日本中心に見直す
ほぼ20年前に、ジャパンファーストで行こうと声をあげたのは、「新しい歴史教科書をつくる会」にほかなりません。例えば私はつくる会機関紙「史」創刊号にこれを「自己本位主義」との名で呼びました。1930年代のナショナリズムと混同されるのを恐れたからです。
「自己本位主義」とは、われわれが日本の歴史を敗北史観から取り戻す、というようなレベルの話ではありません。戦前の歴史を回復すればよい、という単純な話ではないのです。日本を中心の視座に据えて世界史を見直すということです。その世界史の中に日本を位置づけ、受け身の日本の歴史記述を止めることです。歴史学者の多くが陥っている内に籠った視野狭窄症をまず打破することです。国内政治史をこと細かに語るばかりで、世界史から自分を見ていない内向的歴史観の弊害を排除することです。次に世界の中で日本がどう鼓動しているか、どう対応し、結果としてどういう作用・反作用を地球上に引き起こしているかを見て、日本が外から受ける波だけでなく、外へ働きかけている目に見えない波をも見逃さず、世界史における日本の主体性の物語りを創造することです。これは明治日本もやっていません。
そのプロセスで日本の弱点、宿命的な「孤独」の運命をも見失わないことが大切でありましょう。孤独であることの自覚、すなわち孤立感の自己認識は、自閉や閉鎖性を引き起こすものではありません。自覚はむしろ自閉や閉鎖性に陥る弊害から人を解放してくれるはずのものであります。
このような「自己本位主義」で語られた世界史の中の日本史はいまだ存在しません。しかし少なくともわれわれはそれを理想として教科書を作成し、採択にまで手を拡げ、子供たちに渡して、日本と世界の関係を変えようとしました。
教科書採択の成果は乏しかったのですが、そこから流れ出したジャパンファーストの精神運動はさまざまな方面の人々に引き継がれました。いま、5,6冊の保守言論界を代表する雑誌が出ていますが、そこに集結した人々の文章のみが、今では唯一の国論をリードするパワーです。そしてここに「新しい歴史教科書をつくる会」の精神は流れ込んでいます。外国に日本の言論を英訳して紹介する運動も起こりました。中国や韓国にやられっぱなしの「歴史戦」に必死に風穴を開けようとしてきたつくる会中心の努力も見事です。「新しい歴史教科書をつくる会」の運動本体の声は小さくなりましたが、その声は八方に飛び広がり、影響を与えつづけてきました。本当は政府がやらなければならない仕事を代りに実行したのが「新しい歴史教科書をつくる会」です。そしてそのジャパンファーストの精神的課題はさまざまな人の手に渡り、拡大し、今も続いています。
グローバリズムはその当時は「国際化」というスローガンで色どられていました。つくる会は何ごとであれ、内容のない幻想めいた美辞麗句を嫌いました。反共だけでなく、反米の思想も「自己本位主義」のためには必要だと考えたし、初めてはっきり打ち出しました。私たちの前の世代の保守思想家、例えば竹山道雄や福田恆存に反米の思想はありません。反共はあっても反米を唱える段階ではありませんでした。国家の自立と自分の歴史の創造のためには、戦争をした相手国の歴史観とまず戦わなければならないのはあまりにも当然ではないですか。三島由紀夫と江藤淳がこれに先鞭をつけました。しかし、はっきりした自覚をもって反共と反米とを一体化して新しい歴史観を打ち樹てようとしたのは「つくる会」です。われわれの運動が曲り角になりました。反共だけでなく反米の思想も日本の自立のために必要だということをわれわれが初めて言い出したのですが、これは単に戦後の克服、敗戦史観からの脱却だけが目的ではないというわれわれの理想の表われだったということが今忘れられています。
日本の近現代は江戸時代から
「新しい歴史教科書をつくる会」が設立記者会見を開いたのは1996年12月でした。その翌年私は産経新聞社の故住田良能社長に呼ばれ、保守系知識人を糾合した歴史に関する大型連載を主宰してくれないかと頼まれました。藤岡信勝氏主宰の『教科書が教えない歴史』がベストセラーになった直後のことでした。新聞社は二匹目のドジョウを狙ったのかもしれませんが、「私はベストセラーは出せません、私がやらせていただけるのなら、日本を軸とする世界500年史です。」とお答えしました。即答したのです。年来暖めていたテーマです。自分ひとりではできません。『地球日本史』という題の連載とその後同じ題の五巻本が刊行されたことを皆様覚えておられるでしょう。
『地球日本史』第1巻「日本とヨーロッパの同時勃興」、第2巻「鎖国は本当にあったのか」、「第3巻」「江戸時代が可能にした明治維新」、そして少し間を置いて、『新・地球日本史』第1巻「明治中期から第二次大戦まで」、第2巻も同じく「明治中期から第二次大戦まで」として全五巻が出版され、うち最初の三巻は扶桑社文庫にもなりました。
全五巻に書いて下さった執筆者は総数で七十人に及びました。お名前を全部ここに掲げることができたら、歴史の専門家からジャーナリストまで含むその多彩な顔ぶれに驚かれるでしょう。そしてあのとき、ジャパンファーストの歴史観が言論界の一角に、初めて立ち現われたのです。専門の歴史学界と歴史学者たちを嘲笑うように、一定数の有力な知識人の賛同を得て、わが国の歴史を500年遡って世界史の中に位置づけ考察するものの考え方が初めておぼろげながら姿と形を表わしたのでした。
なぜ500年でなければいけないのか。100年や200年ではいけないのか。100年や200年を遡るだけなら、明治維新が近現代史の中心の位置を占め、決定的な意味をもったということになりかねません。しかし日本史の現実が告げるものは果してそうでしょうか。私は江戸時代に日本の近代史は始まったと考えています。
欧米とはまったく別の根幹から、独自の主体的な歴史が展開されていたと考える者であります。世に広がっている通説はご承知のようにそうではありません。明治に日本が世界に向け閉ざしていた窓を開け、欧米模倣国として文明開化したことからすべてが始まり、今日に至るというのが一般的な考え方です。あらゆる教科書はその通念に従っています。
しかし他方、こう仰有る方もいるでしょう。江戸時代は最近「初期近代」として歴史学会でも尊重され始めていると。私はそれとも少し違う考え方をしています。世の中にはマルクス主義の影響がまだ残っていて、歴史を古代、中世、近世、近代というように時代区分する単純な発展段階説にとらわれている人が圧倒的に多いのです。そのため江戸時代を「初期近代である」とか「近代準備期」であるなどと呼ぶ人が少なくないのですが、少し違う考え方をしてみて下さい。私は「近代」はヨーロッパやアメリカに典型があるのでもなければ、われわれが「目的」として意識するような性格のものでもなく、そもそもどこかに「完成品」が存在するものではないと考えています。いわば固定されていない動く概念であるといっていいでしょう。
例えばアメリカの歴史を一例として考えて欲しい。アメリカ史はひところ明るい「近代」の実現のモデルのように思われたかもしれませんが、よくみると野蛮な暗闇、「前近代」の暗黒を今に至るもいかに深く宿した国の歴史であるかということを痛感させられます。一方、イスラム世界は「前近代」の代表のように扱われてきましたが、そんな簡単なことがいえるでしょうか。キリスト教徒の偏見の面もあるのではないでしょうか。
「近代」という心の現実、ないしは精神の秩序はたしかにあると私も信じています。ただしそれは「古代」との緊張関係のもとで初めて捉えられているものであって、ヨーロッパがアラブ世界と「古代」を奪い合ってきたように、日本は中国と「古代」を張り合って来た歴史があり、そのことと「近代」の自我の確立が無関係であるとは思えません。つまり「近代」はカミの概念、自己の歴史の根幹にある「神格」の追求と更新、その破壊と再創造の微妙な精神活動と無関係ではないと思えるのです。
ですから江戸時代は「前近代」でも「初期近代」でもないのです。「近代」そのものなのです。むしろ明治以後においてわれわれは「近代」を再び失っているのかもしれません。そういうとびっくりされるでしょうが、「近代」は動く概念です。
ともかく単純な発展段階説を止めましょう。例えば、漢唐時代の中国の官僚制度に私は「近代」を認めるのにやぶさかではありません。歴史を大きなスケールで相対化し、複眼で捉え直しましょう。そして、そういう目で見た世界史の中に日本史を置いて、既成の観念を取り払いましょう。それが「新しい歴史教科書をつくる会」が精神運動としてもっていた本来の意味だったのです。
今の議論に欠けているもの
けれども、実際には世の中はどんどん動いています。最近ではジャパンファーストの歴史論は別のいろいろな形で次々とどぎつい姿で出版されています。例えば日米戦争で悪かったのは日本ではなくアメリカの方だった、という言い方が最近はやりになり出して、それにイギリス人ジャーナリストやアメリカ人学者が動員され、参加しています。中国や韓国を批判するのに中国人や韓国人を登場させるあざとい商法が、欧米人にまで応用されだしていることに私は驚くとともに、隔世の感を抱いています。
東南アジアでわが国将兵が残留し現地解放の任を果たした事はよく知られています。比較的若い世代の中に、今この事実をあらためて調査し、感謝して下さる現地の人々のストーリーを日本に紹介して下さる方がいます。われわれが勇気づけられる有難いお仕事ですが、16世紀のスペインやポルトガルの却掠以後のあの地の仮借ない歴史が総合的に反映されていないと、なにとはなく不足感を感じさせられます。
日本を主張することと日本を褒めることとは別です。中国や韓国はなぜいつまでも日本のように近代文明を手に入れることができないのかを、単に自国を自慢するために説きたてるのだとしたら、その本の魅力は始めから半分失われています。
歴史の根っこをつかまえるのだとしていきなり『古事記』に立ち還り、その精神を強調する方が最近は目立ちますが、神話と歴史は別であります。神話は解釈を拒む世界です。歴史は諸事実の中からの事実の選択を前提とし、事実を選ぶ側の人間の曖昧さ、解釈の自由をどうしても避けられませんが、神話を前にしてわれわれにはそういう自由はありません。神話は不可知な根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません。ですから神話を今の人の心にも分かるように無理なく伝えるのは至難の技です。多くの哲学的・神霊学的手続きが必要です。たいていの『古事記』論はそういうことをやっていません。
以上私はいくつかの例をあげ、最近メディアに登場している日本万歳論を取り上げてみました。どの本も力作ですが、何となくムード的です。理論を欠いています。歴史とは何かを問う哲学的思索に裏付けされていません。日本は素晴らしいという、ばくぜんとした情緒にのせられています。これではだめなのです。長持ちしません。
皆さん、トランプ米大統領が出現してから、今までグローバリズムの名で自らのナショナル・エゴイズムを隠していたアメリカが、にわかに牙を剝きだして来た姿にわれわれはいま驚いています。アメリカはそれだけ余裕がなくなり、没落しかけている証拠かもしれません。これからひと波乱もふた波乱もあることが予想されます。対抗するにはジャパンファーストで行くしかないのです。それには歴史がポイントです。自国の歴史に主体性の物語を見出すことがいかに大切かがあらためて実感されます。「新しい歴史教科書をつくる会」の創設と活動がこの点で今あらためて振り返られ、再認識され、どこに真の問題の鍵があったかが再発見される必要が今こそ高まっているのではないかと感じる次第です。
「新しい歴史教科書をつくる会」創立二十周年記念集会の挨拶(2017.1.29)