GHQの思想的犯罪(七)

お知らせ(本日です!)

日本文化チャンネル桜出演(スカパー!216チャンネル)

タイトル :「闘論!倒論!討論!2008 日本よ、今...」
テーマ :「オバマ政権と米中同盟」
放送予定日:前半 平成20年12月18日(木曜日)19:30~20:30
       後半 平成20年12月19日(金曜日)19:00~20:30       
パネリスト:(50音順敬称略)
      青木直人(ジャーナリスト)
      加瀬英明(評論家)
      日下公人(評論家・社会貢献支援財団会長)
      西尾幹二(評論家)
      西部 邁(評論家)
      宮崎正弘(作家・評論家)
司会:水島総(日本文化チャンネル桜 代表)

◆歴史を捨てたドイツ

 日本がアメリカに力を依存した理由の根本は、戦後の経済復興でアメリカが極めて寛大に市場を開放してくれたからです。隣の中国では戦争が続いているし、革命まで起きました。朝鮮半島でも戦争が勃発しました。したがって、日本は自らの経済復興をとげるのにはアメリカに依存する必然から逃れられなかった。

 一方、ドイツはすべての西欧諸国、近隣諸国を相手にして戦争をしました。ですから、その全部と和解し、貿易をしなければ復興することができなかった。ということは、日本よりもはるかにつらい立場ですよね。だから西欧諸国に全部頭を下げなければドイツは生きることができなかったんです。

 では、西欧諸国の代表はどこかというとフランスです。ですからフランスに頭を下げる。ドイツは日本と違い、日米関係でなくて独仏関係の進展を要として欧州全体と和解しました。今のEUはパリ―ベルリン枢軸といわれています。パリとベルリンが手を握って成立している。ただ、日米関係と決定的に違うのは、力の源泉の所在です。日米は米の方にありますけれど、独仏関係では誰が見ても力の源泉はドイツの方にあるんですよ。そこが全然状況の違うところです。

 ただし、ドイツが強いられた苦しみというのは、日本の比ではなく、その結果、自国の歴史を捨てたということに現われます。ドイツは自国の歴史の連続性を捨てたんです。嘘をついたのですね。ナチスが支配した12年間は歴史の穴で、それ以前にナチスはなく暴力はなく、それ以降にも暴力はないという歴史を作った。つまり、悪魔が支配した、ならず者の集団が支配した12年間はドイツの歴史ではない。それ以前にならず者はいなかったし、それ以降の歴史にもならず者はいないと。ドイツ民族はならず者に集団的に捕縛されたので、自分たちも被害者であり、自分たちも犠牲者であった、と。

 こんな嘘ありますか?しかし、そういう嘘をつく以外にドイツは生きて行くことができなかった。憲法にまでそう謳っている。その恐るべき嘘によってドイツは生き抜きました。ヴァイツゼッカーの演説もそれです。そしてヨーロッパ諸国はドイツを許している。ユダヤ人迫害にはフランスも、スイスも、東欧にも見に覚えがある。それに、ドイツを許さなければやっていけないからですよ。それがEUの実態なんです。

 ではドイツで今何が起こっているかと言ったら、ドイツは自分の歴史を捨てたから、文化がことごとく没落しました。ドイツ哲学はなくなりました。ドイツ音楽も水準がものすごく低い。演奏でも何でも。ドイツ文学も消えました。ドイツの医学もなくなりました。昔日の花は全くないです。ドイツの教育、これももう、私が『日本の教育、ドイツの教育』を書いていたあのころまではよかったんですが、今はますます酷くなっちゃっている。

 つまりドイツは生きるために文化を捨てたのです。そしてドイツにはたくさんの外国人が入ってきてしまっている。ドイツはアイデンティティを失った。アイデンティティを捨てる代わりに生存を選んだというふうに言っていいかもしれません。

 あるいはヨーロッパの中にもぐりこむ形で自分のパワーを発揮する、ドイツ経済を生かす。そしてドイツ人と他のヨーロッパ文化との間の区別が分らなくなる形でドイツはそのEUという仮面でナショナリズムを満足させているといえるかもしれない。だとしても、それはやっぱり嘘ですから、何かとひずみが出てくるということに現在なっているようです。

 一方、幸いなことにこの日本という国は、一人の天皇が戦争の始まる前から、そして戦争中、さらには戦争の終わった瞬間から戦後の経済繁栄の時期までの全時代を、60数年間にわたり統治してこられた。だからこそ私たちの歴史は連続性が保たれている。日本民族の経て来た時間はどこを切ったって同じなんですよ。そう思うことは非常に幸せなことでもあるんです。それを皆忘れて、戦争責任だなどと未だに言っているのでは話にならない。

 とにかく私たちの文化というのはドイツと違う連続性を守られた。ただそれを本当に守っているという自覚を持っているかどうかは別ですが。無自覚的には日本の統一、日本のアイデンティティというのは無くなってないでしょう。もちろんこれは一千万人の労働者を入れたらなくなります。

 だけどかろうじて日本はアイデンティティを守っている。だからこそ日本人論が盛んに言われたり、日本文化論が絶えず出版されているのです。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(六)

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タイトル :「闘論!倒論!討論!2008 日本よ、今...」
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司会:水島総(日本文化チャンネル桜 代表)

GHQ焚書図書開封 GHQ焚書図書開封
(2008/06)
西尾 幹二

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◆日本の「力」を埋めてきたもの

 失った力、奪われた力が何かによって補完されない限り国家は成立しません。ロシア人は石油の力とプーチンの力により、わずか5年で力を取り戻しました。一方、ドイツは完全に取り戻すことはできないでいるのですが、日本の方がまるでさらに駄目なんですね。

 日本はどのように「力」を補ってきたか。皆さん知ってのとおり、その力はアメリカによって埋められました。つまり一切の力をアメリカに委ねた。これは日米安全条約というものが憲法9条とワンセットになっているということで明白です。憲法が発効した日に日米安保条約が効果を発揮して、有効になっています。

 では、そのアメリカの方針がどのように変わってきているのか。アメリカは今日本に、「もう外交と軍事のお手伝いはしませんよ」と言っているわけです。もし尖閣が襲われた時のことを考えても、「日米安保条約が発動される」なんて言っていますけど、そんなことはあり得ないんです。

 私はアメリカが我が国に持つ「力」を手放してくれたらいいと思っています。これは逆にチャンスです。米軍撤退してくれよ、それで日本列島独立できますよ、と。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(五)

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(2008/06)
西尾 幹二

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◆ドイツの敗戦

 ドイツは大変な思いをしました。言うまでもありませんけど、ヒトラーが壕で自殺した瞬間にドイツという国家がなくなってしまいました。第一次世界大戦のときとは全く違います。このときもヴィルヘルム二世皇帝が失脚してしまうなどの悲劇が起こっていますが、かろうじて国家は残ります。ですから、第一次大戦のときも第二次大戦と同じように戦争犯罪人の摘発を要求され、裁判を請求されるんですけど、その当時のドイツ政府は、国家が残っていたので、戦争犯罪人の摘発を連合軍に対して全部拒絶しました。

 どうしてもしつこく言ってくるロイド・ジョージなどの要求に対して、当時のドイツ政府は国内で裁判を開き、全部無罪か法廷不成立にしてしまって、アッカンベーということをやったのですよ。そうやったということは、ドイツに国家があった証拠なんです。

 しかし第二次大戦の時には、国家がなくなり、そのために占領地域のドイツ国民が一番ひどい目にあいました。特に旧ソ連の占領地域が残酷だったんですよ。異常なほどの婦女暴行などが激しく起こっているんです。他にも、窓から赤ん坊を投げて捨てられたりとか、悲惨な記録がものすごくたくさん残されていて、読むのも嫌になるくらいです。

 しかし、ドイツ人はこうした苦しい苦しい境遇について、戦後、一言も国際的に訴えることができなかったんです。言ってしまったら最後、「ナチスのユダヤ人虐殺の犯罪に比べてお前たちのこうむったことなどは何だ」ということになる。しかもちょうど四カ国管理が始まるまでのドイツでは、かのアウシュビッツの惨劇が世界的に知られるようになり、その衝撃が世界に広がりましたから、ドイツ市民に対してはどんな暴行を行っても報復は許されるというのが占領してきた人々の感情だった。ドイツの立つ瀬は全くなく、あのとき本当に一番残酷な仕打ちを受けたんです。長年、その記憶を怒りとともに表現することすらできなかった。

 それが突如として爆発したのが50年後でした。1995年の5月8日の終戦記念日に、ドイツでは我慢していた怒りが堰を切ったように流れ出た。ナチスの罪であるから、自分たちの受けた苦しみを帳消しにしてはいけない、などという要求はもう我慢できないと。そんなバカなことはないじゃないかと。その怒りが初めてやっと出てきて、それからの十年間は色々な場でドイツも果敢に言えるようになってくるわけです。

 それでも以前は「ドイツはそういうことを言って、ナチスの問題を相対化してはいけない」というような議論は相変わらず、アカデミズムなどでは強かったものです。でも様々な学者が出てきて反論しています。まあ、世代は色々動いているようです。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

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日本文化チャンネル桜出演(スカパー!216チャンネル)

タイトル :「闘論!倒論!討論!2008 日本よ、今...」
テーマ :「オバマ政権と米中同盟」
放送予定日:前半 平成20年12月18日(木曜日)19:30~20:30
       後半 平成20年12月19日(金曜日)19:00~20:30
       
パネリスト:(50音順敬称略)
      青木直人(ジャーナリスト)
      加瀬英明(評論家)
      日下公人(評論家・社会貢献支援財団会長)
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GHQの思想的犯罪(四)

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日本文化チャンネル桜出演(スカパー!216チャンネル)

タイトル :「闘論!倒論!討論!2008 日本よ、今...」
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放送予定日:前半 平成20年12月18日(木曜日)19:30~20:30
       後半 平成20年12月19日(金曜日)19:00~20:30
       
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GHQ焚書図書開封 GHQ焚書図書開封
(2008/06)
西尾 幹二

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◆敗戦後も存続した大日本帝国

 さて、本日GHQの検閲のお話をするわけですが、この最初に出てくる付録1、つまり、GHQが日本政府に要求したこの封筒の差し出し名の部分を見てください。“Imperial Japanese Government”宛てになっているんです。これは終戦から8ヶ月もたっているんですよ。大日本帝国はあったんですよ、まだ。

 大日本帝国があったということは、大変な事実ですよ。ドイツは国家そのものがなくなっちゃったんですから。ドイツの敗戦と日本の敗戦を比較しますと、日本はずっと条件が良くて、今言ったように、国外で悲劇を蒙った人たちは無権力状態におかれましたが、国内にいた人たちは一定の保護を受けていたのです。確かに、あのころは戦後の混乱もありました。皆さんにも記憶にあるようなたくさんの戦後の悲劇があったのですが、それにしても岩田さんが話された坂口安吾の『堕落論』を読み直してもちっとも感心しないですね。私はいつか、「これはくだらない文章だ」って書こうと思っています。「甘ったれるな」と言いたいですね。

 一方、『麦と兵隊』という作品を書いた火野葦平という従軍作家がいます。あの人の文章は素晴らしい。これは実際に戦場を歩いているからです。先ほどから私が言っているのは、本当に肌でこの国家の崩壊を経験したのは、そういう兵士たちや抑留された人たち、満州から逃げ帰ってきた人たちや、そういう人たちであって、国内にいた人は、知識人も含めてみんな体験が浅く、駄目だったんじゃないかなと、そういうことです。

 せいぜい『リンゴの歌』と『青い山脈』で慰められるようなものではなくて、本当の意味での危機感、無秩序、そういうものに晒されていたらば、権力が必要だということ、国家は本当に骨の髄から秩序という物を作らないと駄目なんだということ、それらが腹のそこから沸き立っていたはずです。

 無秩序、無権力にたいする恐怖、これが当時なかった。ここに来て、この国が陥没している一番の原因はこれではないかと私は思います。しきりにこういうことを思うのは、ドイツとの比較をするからですね。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(三)

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(2008/06)
西尾 幹二

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◆ロシアにおける権力の不在

 話を前に戻しますと、現在、権力というものがなくなっている。ところが皆さん、人は権力を求めるものなのです。それは権力がなくなると、途端に自分たちが困るからです。

 1991年にソビエトが崩壊しました。ロシアになり、そこからウズベク共和国やタジク共和国といった多くの共和国が生まれました。新興の共和国に住んでいたロシア人は悲惨な目にあいます。「叩き殺してやる」とか、「出て行け」とか、「いやここにとどまって奴隷になれ」とか。それはもうたちまち無権力状態に放り出されたわけです。つまり、ロシア人が敗戦国民になったんです。これは冷戦という第三次世界大戦の結末、即ちソビエトの崩壊、アメリカの勝利という、つい最近起こった、歴史的事件です。私たちの敗戦経験というのはもう遠い昔なので忘れてしまっているのですが、同じようなことが起こったんですよ。ロシアは敗北したのです。

 しかし、日本やドイツが蒙った敗北ほど酷くはなかったので、程々だったのですが、ロシア語の教育がいっぺんになくなり、ロシア人を否定するような歴史教育にどんどん変わっていきました。それで、ソルジェニーツィンという人が各地を歩き回って、「祖国よ甦れ、どうなっているのか」と嘆いたのでした。これは90年代の話ですが、そういう本が書かれています。ロシアも苦しんでいるんだな、と思っていました。

 そう思っていたら、あっという間にプーチンが出現した。何故プーチンのような独裁者がと皆さんは思うかもしれませんが、ロシア人はもともと体質的に独裁者が好きなんです。しかし、それだけでは説明できないですね。もう一つの理由としては、国内に豊富な石油があって、それが幸運をもたらしたということもあります。

 しかし、プーチンを中心に結集した力というのは、「甦れロシア!」という叫びだったに違いないんです。それによって、不安と絶望と屈辱を強いられたロシア人が、自らの地位と立場、つまり安全保障のためにやはり強力な権力を求めたわけです。

 ここで私、ふと思ったんですけれども、わが国は1945年の崩壊のとき、シベリアに抑留された人や満州から帰国した人が無権力状態におかれました。そして、BC級戦犯は皆、田舎に帰ってきて百姓などをしていたにもかかわらず、再びシンガポールやフィリピンに呼び出されて死刑になりました。このような悲劇を受けた人は、武装解除をされたこの国家の悲劇をもろに受けた多くの人々、全体の国民から言えば少数の人々ですが、国外にいた人たちですね。しかしこの列島の中には無権力状態はなかったんです。国家はかろうじて存続していたのです。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(二)

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 ◆危機に立つ日本

 砂山が海辺に砂を盛り上げて、その砂に水を上から流して行くと、裾野をぞろぞろと水が崩していきます。そんな時代がずっと前から続いていて、その水が砂地の下へともぐりこんでいくのです。そして、ある時期が来るとボコっと真ん中が陥没してしまいます。

 そしてそのボコっと陥没したところへ海からワッと大きな波が来ると、あっという間に砂山はなくなってしまいます。例えるなら、今、そのボコっと陥没したところへこの国は来ているのではないか。私はそういうイメージを持っています。私は今、皇室問題の危機について発言していますが、このテーマはまさに国家の中枢にボコっと穴が開いている証拠じゃないでしょうか。

 もうひとつは、長年、この国を統治していた自由民主党の中から権力が消えてしまったということです。そう感じませんか?権力がなくなっちゃったでしょ、この国の保守政党から。中心にいるのが、あの森喜朗さんじゃどうもね(笑)。あの方が権力ですか?さまにならないですよね。権力というものがなくなると、国も組織も成立しない。権力を中心にして人が動き出し、そしていろいろな問題が解決して行くのです。権力が支配することで、とんでもない方向へ行くこともありますが、権力があるから反抗することもできるのです。しかし、権力なき今、反抗する相手がいなくなってしまいました。

 私は次のように思っています。おそらく、自由民主党の国会議員の大半が福島瑞穂みたいなものじゃないか、と。自由民主党の三分の二ぐらいの議員が学生と同じレベルの知能しか持っていないのではないか。三、四十年前、ゲバ棒を振り回していた左翼学生と同じようなレベルです。あの時代、誰もが平気で反体制みたいなことを言っていましたからね。そういう連中が次の世代の総理大臣だというから恐ろしいことです。後藤田正純とか、河野太郎とか、みんな旧社会党みたいなことを言っています。それが次の次の総理大臣候補だというふうに週刊誌で名前が出ているものですから、私はあきれ返りました。

 最近、大変驚いたことがあります。自民党の代議士が二人いて、その場で日米戦争の話が出た。その二人が、三十代か、四十代かは知らないけれど、日米戦争があったことを知らなかったというのです。高校生だったらある話ですが、腐っても代議士ですよ。今やここまできているんですね。

 それはそうでしょう。学校で習ったことしか頭になくて、お父さんが代議士だったから代議士になったという人ばっかりですから。今、独立で全くのゼロからスタートしたという人は絶滅稀種じゃないでしょうか。

 しかし、あの新しい大阪府知事などを見ていますと、世に人材はいるんですね。あの人はテレビで硬派ぶりを発揮したことで人気が出て、世の中への登竜門をくぐれたわけですが、他ではなかなか出現するチャンスがないわけですよね。才ある人に登竜していく道がない、というのがこの国の一番の危機です。こうした状況は、日本がまともな国家としてもう長くはないという証拠じゃないか。そう思わざるをえません。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(一)

《特集》日本保守主義研究会7月講演会記録より

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(2008/06)
西尾 幹二

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◆はじめに

 お暑うございます。さっきまで何だか私の若いときが蘇ったような人が喋っていましたね。大変心強く思いました。やっぱり出てきたな、と。今までずいぶん若い論客の出現を待っていたのですが、なかなか本物には出会えませんでした。

 岩田さんには、私の言おうとしていたことをいま全部先取りしてお話されてしまいました。そのなかで例えば「憤り」という話がありましたけれども、確かに今、この国が憤りをすっかり失っている。

 アメリカによる北朝鮮のテロ支援国家指定解除の告知があって、NPT体制という核に関わる約束事のシステムが無意味になり、日米安保条約が事実上無効になりました。これらに対して、朝野を挙げて激しい論争が起って当然じゃないですか。“NO”という怒りの声があっていい。しかし何の動きもないんですよね。政界になし、言論界になし、そして新聞テレビにも全くない。

 それに比べ、あの開戦を控えた昭和16年の時代には外への恐怖や怒りが沸々とたぎっていました。あの当時の日本人の方がよほど今より上等であろうと思われます。何故ならば、戦争に勝とうが負けようがともかく自分で開戦を選択して、そしてともかく自分で負けたからです。しかし戦後、この国は「自分で」という意志の主体がなくなりました。すべて誰かにゆだねて安心という、骨の髄までそうなっている構造というのは、とてつもなく危機的なことです。

 そして、自分のことを他人ごとのように傍観して、沈黙している。ひたすら沈黙を続けるだけで、“NO”という声、あるいは「どうしたらいいか」という論争ひとつ起らない。とても不気味です。

 実は今日、こうした話を結論に持って行こうと思っていたのですが、岩田さんに刺激を受けて、結論を最初に話すことになってしまったのです。

つづく

私の視点から見た日本の論壇

 9月29日に財団法人日本国際フォーラムの国際政経懇話会(第207回)で、「私の視点から見た日本の論壇」と題した講演をいたしました。質疑をいれて正午より2時までで、いろいろな角度から議論を提起しました。

 以下は同フォーラムの事務局がまとめた要旨です。参考までに掲げておきます。

 果たして現在の日本に「論壇」があると言えるか。もはや論壇は滅んだと言えるのではないか。文壇はとっくに滅びたが、それと一体で丸山真男に代表される大学知識人の崩壊が、1960年代終わりから75年頃にかけて進んだ。

 それを象徴するのが三島事件である。 「知識人の死」という中で、かつての言論雑誌は見る影もなくなっている。反中国、反朝日は勢いづいているが、勝利宣言をしてよいかと言えば、それは表向きであり、そうとも言えない。靄のようなものが覆い、毎回毎回同じことを言って徒手空拳の感がある。

 言論雑誌の全体を総覧した時に、三つの問題点が指摘できる。一つ目は、政治論と政局論を混同していることである。政局騒ぎが言論界の中心テーマになっているが、これは思想のなすべき仕事ではない。かつて石原慎太郎政権樹立や安倍晋三政権樹立を煽ることが言論雑誌のメインテーマとなり、彼らを登場させることが編集長の手腕として評価され、売り上げにつながるとされた。こうした状況を週刊誌が後追いし、状況を歪めている。

 二つ目は、日本の論壇は、経済を論じていないという点である。言論雑誌はドメスティックに閉じ篭もり、防衛、教育、社会保険庁、国内政治などばかりを論じているが、金融を論じていない。「金融は軍事以上に軍事である」とも言える。金融とはそれ自体がパワーであり、政治である。他方、主要な経済雑誌には、経済情報が豊富であるが、政治の視点が欠けている。経済指標ばかりを取り上げて論じても、それは数字遊びに終わってしまい、ナンセンスである。議論が政治だけ、経済だけになっており、両方を全体から見る必要がある。

 三つ目は、国際政治を別扱いにし、国内政治を国際政治の視点から論じていないことである。例えばロッキード事件は、国内問題として扱われたが、背景には米ソ対立が安定期に入ったことが関係している。また、いわゆる「55年体制」の崩壊も冷戦終結と関係している。国内で起こることは国際政治とリンクして考えるべきだ。

 それでは、なぜこのような論壇停滞の状態が続いているのかと言えば、それはイデオロギーにとらわれているからだ。イデオロギーに対置されるのがリアリティーであるが、リアリティーとは常に変化し、ぐらぐら動くものである。これに対して、固有の観念や先入観にとらわれたイデオロギーが言論界を跋扈している。

 非現実的な保守イデオロギーは戦後左翼の平和主義と変わらない。私の皇室問題に関する発言に対しても、典型的な対極の二つの反応があったが、いずれもイデオロギーにとらわれている。

 一つは、日本は自由であるべきだから、皇太子ご夫妻にもっと自由を与え、皇室改革するというイデオロギーであり、もう一方は、皇室にもの申すこと自体、不遜であるというイデオロギーである。イデオロギーとは常に厄介なものである。とかく人はイデオロギーにとらわれやすく、一つの固定観念で自分を救って、大きく変化する世界から目をそらそうとする。

 こうした状況に対して固定化を破り現実を露呈させるように発言していかなければならないというのが私の立場である。

二つの講演会(二)

 レジュメの中の一、のみを前回示した。今回お示しする二、以下も聴衆に配った要旨である。これだけ見ても多分読者には何のことかよく分らないだろう。

 各個条に少しづつ説明を加えれば多少分り易くなるだろうが、そんなふうにして分り易くすることは本旨に反する。一番いいのは全文を掲げることだが、それができないので申し訳ないがレジュメだけを掲示する。「日録」は私の覚書きでもあり、メモでもあるからやむを得ない。

二、 宣長の「やまとだましひ」

 つひにゆく 道とはかねて 聞しかど きのふけふとは 思はざりしを

(『古今集』業平の朝臣)

三、 漢意(からごころ)と西洋崇拝

 もろこしのまなびする人、かの國になき事の、御國にあるをば、文盲(モンマウ)なる事と、おとしむるを、もろこしにもあることゝだにいへば、さてゆるすは、いかにぞや、もろこしには、すべて文盲なる事は、なき物とやこゝろえたるらむ、かの國の學びするともがらは、よろづにかしこげに、物いはいえども、かゝるおろかなる事も有けり

(『玉勝間』七の巻)

四、 古事記と不定の神

 いわゆる超越原理、なんらかの規範のある民族が多いが、日本人にはそれがない。

 ユダヤ人の律法、ギリシア人のロゴス、インド人の法(ダルマ)、中国人の礼(または道)

五、 自画像を描けない日本人

 日本人がこれから目指すべき歴史観は、日本から見た世界史でなければならない。シナから見た世界史であってもいけないし、西洋から見た世界史であってもいけない。日本から見た世界史の中に置かれた日本史――これでなければ今後はやっていけまい。

 日本人は一面では自分を主張しないで済む、何か鷹揚とした世界宇宙の中に生きているのではないか。

六、 宣長の覚悟

 道あるが故に道てふ言(こと)なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり

(『直毘霊』)

七、 江戸儒学(合理主義)のカミの扱い

 神代と人代との断絶の意識
 林羅山、鷲峰の『本朝通鑑』、水戸光圀の『大日本史』、新井白石の『古史通』にみる「神とはヒトなり」

八、 孔子以前の世界を見ていた徂徠はカミを志向する

 論語とは聖人の言にして門人の辞也。之を聖人の文と謂ふ者は惑(まどひ)なり

(『論語徴』題言)

 蓋し天なる者は得て測る可からざる者也

(『辮名』)

九、 儒学が日本人に与えた歴史意識、国家意識――徂徠から宣長へのドラマ

 
 時間の関係で松山では六、まで、拓大では全部のテーマに一応は触れることができた。

 例によってあちこち脱線して、三、では「もろこしにもあることゝだにいえば、さてゆるすは、いかにぞや」は、「欧米が評価することだといえばそうだそうだと承認する風潮ははたしていかがなものであろう」と翻訳することもできるだろう、と言った。漱石や鴎外の西欧体験、小林秀雄のゴッホやモーツァルトの話にもなった。

 仏教はインドの地で大乗や密教にいたるまで歴史的全展開を終えたのに文献のかけら、痕跡も残っていない。他方キリスト教はイスラエルではほとんど展開せず、ヨーロッパに渡ってから東ローマ帝国や西ローマ帝国でそれぞれ深化し発展した。まるきり関係が逆であるのは面白いという話にもなった。

 本居宣長は日本語の固有の表記法が最初からあるかのように考えているらしいが、今の研究では古代の日本人は漢詩作成で初めて文字で詩を書くことを知ったと考えられている。日本の歌謡はずっと口誦で来て、文字表現への欲求は和歌の内部からは誕生しなかった。

 日本人の文字利用への切っ掛けは歌謡や祈りや呪術からではなく、通商、政治、外交からであった、という話もした。

 みんなそれぞれ脱線した自由な話題の一つである。文字と古代日本人のテーマは神秘的で、多分関係があると推理しているだけだがと断って、私が伊勢神宮で体験した、祝詞の文字を決して外に出さない不可思議に、一種の文化ショックを経験した、という話も語った。

 日本のカミはカミであって神ではなくましてやGODではないとも言った。「神話」は中国語にも日本古来の語にもなく、mythosの明治新造訳語であり、「新聞」や「電話」や「百貨店」と同じように逆に中国に伝えられたのだという面白い話も言い添えた。

 拓大では2時間30分も許されたので、脱線もたっぷり可能で、話していて楽しかった。終って井尻さんから、2時間半も立ちっぱなしで熱弁をふるわれお疲れでしょう、としきりにねぎらわれたが、疲れたという感じはまったくなかった。

 茗荷谷のお魚のおいしい店で井尻さんや拓大のスタッフの皆さんと楽しい時間をすごした。喋った後のビールの一口は何ともこたえられない。

 翌日同席していた宮崎正弘さんからメールが入っていた。「拓殖大学講義は大変有意義でした。江戸のダイナミズム、いよいよ刊行が楽しみです。」

 『江戸のダイナミズム』は少しづつ完成に近づいている。本文テキスト1100枚、注180枚の予定。

(了)

二つの講演会(一)

 松山はいつ来ても緑の山が町の真中にあって、路面電車がゆっくり走っていて、長閑でいい。銘酒梅錦がまたことのほかに私の好みに適っている。

 6月30日久光製薬のモーラステープ発売10周年記念講演会に招かれ、当地の外科のお医者さんを中心とした皆様に、全日空ホテルで講演をし、代表の愛媛大学の山本晴康教授(整形外科)ほか2名の方々と、夜は期待した通りホテル内の料亭で梅錦を愛飲させていたゞいた。

 お迎え下さった山本教授がまた竹を割ったようなご気性、明朗豁達を絵に描いたような御方で、私の本の久しい愛読者でもあられたので、話ははずんだ。酒もつい深酒となった次第だ。

 この講演会は大分前に企画されていた。テーマも乞われて三つほど先に私が提案してあって、山本教授が選んで下さっていた。私がいまどんなテーマで話をするのを好むか、少しここで紹介しておきたい。

 私は講演を依頼されると三つテーマをつねに提示している。(1)古き良き日本人の心(日本人の魂を考える)、(2)二つの前史――歴史は連続している、(3)皇位継承問題を考える。

 (1)は本居宣長のことばを中心に展開することにしている。(2)は、これだけでは少し分りにくいと思う。江戸時代は近代日本の母胎であり、戦争は戦後の繁栄の前提であるという「二つの前史」を具体的な数多くの事例で説明する。そして、明治維新と昭和20年は歴史の切れ目では決してないこと、歴史は連続していることを説いている。(3)は説明を要すまい。男系継承と万世一系の維持をOHPの系図説明で分り易く説明している。

 どういうわけか最近は(3)が減った。急にこのテーマは関心のピークを越したのかもしれない。山本教授は(1)を選んで下さっていた。これは私には具合が良かった。7月4日に拓殖大学日本文化研究所(所長井尻千男氏)の公開講座「新日本学」の最終の第十二講を担当することになっていて、ほゞ同内容を語る予定だったので、私としては3日置いての登壇で、やり易い。与えられた時間は松山では1時間、拓大では2時間である。当然話の密度が異なるけれども、方向は大略同じである。

 どんな話をしたか、これをいま書き誌すのは難しい。冒頭、日本人が歪みをもった茶器を好むのを永く不思議に思っていた呉善花さんが、ご両親を日本に招いて、信楽の茶碗にご飯を盛って出すと、「あんな犬の茶碗のようなみっともないものを捨てて」といわれるエピソードから、日本人の風雅として通例いわれている器の歪みを考えてみる。

 次いで、万葉学者中西進氏の、花は満開のときだけがいいのではない、月は満月だけがいいのではない、という徒然草の有名な一節をあげて、宴のあとなど、盛大に何かしたあとには哀感がただよう。ある俳人が「何もなき菊人形の出口かな」という句をつくった。菊人形という華麗なものがあって、それを見終って、出口にはなにもないその空虚を見たときに初めて何かを感じる。徒然草の一節はそういう意味だろう。

 「そこまで考えて、私はハッと気づいた。われわれの命は、生きていることだけを見ていては、命を見つめたといえないのではないか、ということだ。『生』がないもの、『死』というものを含めて見なければ、本当の命を見たとはいえない」(中西進 『日本人とは何か』)

 以上、呉善花さんと中西進さんのお考えの二例はこれはこれでいいのだが、じつはここから私の講演は始まるのです、と私は言った。いま、申し上げた内容を本居宣長は全部ひっくり返している。そんなのは「つくり風流(みやび)」だと言っている。宣長は兼好法師が大嫌いなのです、仏教の影響を受けた風雅が大嫌いなのです、と。

 という風にして話を大逆転させ、本題にズカズカと入っていく。講演の全体を記すわけにはいかない。

 私の作成したレジュメをここに掲示する。ここから何とか想像していたゞきたい。

新日本学(拓殖大学)平18・7.4

 講義参考資料  

西尾幹二

一、 つくり風流(みやび)について

 みな花はさかりをのどかに見まほしく、月はくまなからむことをおもふ心のせちなるからこそ、さもえあらぬを嘆きたるなれ、いづこの歌にかは、花に風をまち、月に雲をねがひたるはあらん

(『玉勝間』四の巻)
つづく