マスコミ人「松本重治氏」の疑惑的な証言

ゲストエッセイ 
 溝口 郁夫
坦々塾会員


  南京大虐殺派の笠原氏は『南京大虐殺否定論13のウソ』(225頁)の中で、マスコミ人の松本重治氏を取り上げている。

 そこでは「南京にいた従軍記者の中に捕虜虐殺や強姦、暴行などを目撃見聞していた人がいたことが紹介されている」と記述するだけである。

 なぜか、「従軍記者」ではなく「同盟通信社上海支局長」であった松本氏のみを取り上げた理由が薄弱である。

 そこで、笠原氏が取り上げた松本氏の過去を調べてみよう。

 昭和五十年、松本氏は『上海時代』(上・中・下)を本多勝一著『中国の旅』発行の三年後に出している。山本七平氏や鈴木明氏から『中国の旅』の出鱈目さが指摘されていた頃である。

 本多氏支援なのか、発行のタイミングが良すぎる。

 南京には十二月十八日から十九日にかけ二日しか滞在したにすぎない松本氏は、回想録で次のように書いている。
(この二日間滞在も疑問であると推測しているが、ここでは不問)

 「・・・私は、本多氏、洞教授、鈴木氏のものを心苦しさを覚えつつも、通読したが、事件の正確な全貌は、なかなかつかめなかった。だからといって、私は反論しようとは思わない。
・・・(同盟通信社)同僚の新井正義、前田雄二、深沢幹蔵の三氏から、参考のため、直接話を聞いた。とくに深沢氏はずっと従軍日記をつけていたので、それも読ませてもらい、大いに参考になった。」(下巻251~252頁)。

 松本氏は大虐殺が進行している筈の二日間滞在したのであれば、自分でも詳しく当時の様子を書ける筈であるが、それを回避している。何故だろう。

 ここで笠原氏がとりあげなかった前田氏の回想を紹介する。

「また占領後、難民区内で大規模な略奪、暴行、放火があったという外電が流れた。(中略)私たちは顔を見合わせた。新井も堀川も中村農夫も、市内をマメにまわっている写真や映画の誰一人、治安回復後の暴虐については知らなかった。残敵掃討や区内に逃げ込んで潜伏した中国兵の摘発も十四日には終っていたのだ。もしこうした無法行為があったとすれば、ひとり同盟だけではない、各社百名の報道陣の耳目に入らぬはずはなかった」(『戦争の流れの中に-南京大虐殺はなかった』(昭和57年、125頁)。

 松本氏と前田氏のそれぞれの回想のどちらがマスコミ人としての姿勢であろうか。

 なお、松本氏は「ゾルゲ事件」で死刑となった尾崎秀實も関係した「昭和研究会」の世話人である後藤隆之助と上海で会っている(『昭和研究会』86頁)。松本氏も「昭和研究会」のメンバーであり尾崎氏とも上海で接触はあったであろう。

 松本氏が南京事件虐殺派に理解を示す萌芽は、戦前の松本氏の行動からも納得でき、笠原氏が松本氏を取り上げた背景もなんとなくうなずけるのである。   以上

       文責:溝口 郁夫  坦々塾ブログより

GHQ焚書図書開封(3)の衝撃

ゲストエッセイ 
足立 誠之(あだちせいじ)
坦々塾会員、元東京銀行北京事務所長 
元カナダ東京三菱銀行頭取/坦々塾会員


 ある国の記録を焚書・抹殺するということはその国、国民から歴史、identityを奪うことであり、その国の消滅をもたらす可能性を孕むものです。

 GHQは日本の歴史を焚書し消し去ると共に、検閲を通じて捏造した虚偽の歴史を日本人に刷り込む枠組み、システムを構築しました。

 本書、GHQ焚書図書開封第三巻は焚書された書籍に光を当て、そうした日本滅亡にまで及ぶ枠組み、システムを明らかにするものです。

 まず始めに、日本が戦った戦争の実態と日本軍兵士の実像を開封した兵士の手記から再現させています。
雨とぬかるみ、死んでいく軍馬、竹やぶと飛来する銃弾、クリークの水で炊いた臭気で食欲も出ない米飯。そうした情景は読者の脳裏にありありと浮かびます。
 
 その環境の中での兵士同士の人間味溢れるつながり、友情、部下への思いやり、戦友の死が語られます。そしてそんな苦楽をともにしてきた兄弟同様、或いは親子同然の戦友、部下の戦死の場面。言葉では言い尽くせぬ悲しみに思わず目頭が熱なることも一度や二度ではありませんでした。

 日本軍の兵士は戦後に描かれた悪逆非道な姿ではなく、極めて人情味に溢れそれでいて規律正しい戦士達であったことが分かります。

 何よりも印象に残ることは兵士達が日本という国家を信頼し何の疑念を持っていなかったことです。彼等は、正義の戦いに従軍しているという自覚、義務感が極めて旺盛であり、正義のためには命を捧げてもよいという気持であったのです。

 本書には息子の戦死に悲しみをこらえられない親についての記述も再現されています。その悲しみは現代に子供を失った親の悲しみに劣るものではないことが分かりますが、それでも国への信頼と戦争の正義を信じている気持ちは失われていません。
 
 つまり敗戦までの日本人は国を信じ、戦争を正義のためのものとして捕えていたことがわかります。
 
 戦後に書かれた戦争に係わる本では、国民はあの戦争を悪であると思い、国への信頼などなく、「心ならずも」召集されて行かされたのだとしているものばかりです。
 そして本書に再現された手記に比べるとリアリティーが決定的に欠けています。

 又初めて知る話でしたが、開戦に南米から日本へ向かっていた商船鳴門丸の舟客、船員が航海中に日米開戦を知り、ハワイ攻撃の成功を喜びながらハワイ沖を経由して奇跡的に無事日本へ帰国する話があります。そこにも当時の日本人の凛とした様子が描かれています。

 こうしてみると敗戦以前に記された書籍が描いている日本と日本人は戦後に描かれた日本と日本人とはまるで違うことが分かります。
中国側については更に大きなギャップがあります。
 
 本書で開封された焚書の一つに日本に留学していた中国人学生が祖国に帰り蒋介石軍に捕えられ軍隊に徴用された従軍と敗走の手記が取り上げられていますが、その記述は凄まじいものです。
 
 人攫い同然に一般市民を拉致して兵員にする。斥候に出た兵隊達は任務そっちのけで住民への略奪、強姦に従事していることが書かれています。日本軍からの射撃だけではなく、味方の督戦隊からの銃撃でばたばたと戦死者が出る。その死体の山の中に逃れて生き残る話など余りに酷いものばかりです。
 
 こうした話は戦後完全に抹殺され我々は全く知らないで捏造された記録のみにしか出会いませんでした。

 例えば日華事変開始当時同盟通信の上海市局長であり後に同社の専務まで勤めた松本重治は戦後「上海時代」(上、中、下三巻、中公新書)という回顧録を執筆しますが、以上とは正反対のことばかり記します。

 上海の自宅に兵隊が入り物が盗まれると、使用人の話として日本軍によるものと記したほか、総て日本が悪く中国が正しいという筆致です。
 
 婦女子を含む一般邦人二百数十人が虐殺された通州事件についても「悲劇の通州事件が起きた」とだけ書き、シナの保安隊が加害者だったことを隠蔽しています。

 尚彼は同盟通信の幹部としてGHQによる検閲に直接係わったはずですが、そうしたことについて一切口をつぐみ、日米学会の会長、国際文化会館の理事長などの要職を勤めたのです。所謂「昭和史家」の書いた昭和史はこうした松本重治の書いた類を資料としたものです。

 今回明らかにされた焚書の中で非常に多くのことを教えてくれた書籍が菊池寛の「明治大衆史」です。
 
 義和団の変に際しての欧米各国軍隊が凄まじい略奪暴行の限りを尽くしていたこと、我が軍の軍紀が極めて厳正であり模範的なものだったことが記されています。

 そもそも義和団事件は、清国が日清戦争に敗れたことから欧州各国が野盗の如く清国に対する領土の租借の競争に入ったことへの反発が原因であり、当時の弱肉強食の世界の凄まじさがわかります。

 菊池は、その前の日清戦争開始時点に日本を支持する国も好意を持つ国も一国もなかったが、その状態は日華事変の開始時点における我国を巡る列国の態度とおなじであったとのべています。

 つまり日英同盟の時期を除けば明治維新から第二次大戦まで日本はアジアの大半を植民地化した欧米と、国の体をなしていない中国に囲まれた孤独な存在であった訳です。

 そんな環境で我々の父祖は健気に独立自尊の精神で生き抜いてきたのです。本書第9章は焚書が如何にしておこなわれたかを侵略戦争という用語の開始時期などを切り口として溝口郁夫氏により鋭く分析されています。
 
 西郷隆盛から第二次大戦まで日本人は侵略と言う言葉を専ら欧米の行為としてのみとらえていたことが分かります。

 本書の圧巻は「あとがきにかえて」です。

  西尾先生はNHKが今年の夏に報道した秘話を以下のように採り上げておられます。 終戦の詔勅が放送されるその直前の午前に秋田県にある小都市が米空軍により空襲され小学生にまで犠牲者がでた。しかしNHKの報道はここで行われた米軍による戦争犯罪行為について追及することがなかったことは勿論、それに言及すらせず、「戦争は悲惨だ」という形で片付けた。
 
 戦争は国家間の軋轢から起こりお互いに敵同士となる。NHKを先頭に日本ではその軋轢がなにであったかそしてどう戦争に結びついたかについては触れることなくただ「戦争は悪い」ということに問題をすり替えて、更に「悪い戦争は日本によっておこされた。だから日本が悪い」という型に総てを集約してしまう。そこから導き出されるものは、日本の総て交戦国は何をしても免責されてしまうということです。
 
 アメリカは非戦闘員である日本の一般市民を原爆をふくむ空襲で殺傷するという明白な戦争犯罪を犯しながら、戦後今日に至るまで日本はそれを追求することなく、「戦争は悪い」「その戦争をおこした日本が悪かった」ということしか口にしなくなっている。

 広島の原爆記念碑には「もう過ちは二度とくりかえしません」と記されているが、これは「もう過ちは繰り返させません」とすべきものであると先生は述べられておられます 。
 
 更に先生は、こうしたことを放置すれば同じ状態が戦後100年後にまで続くと述べられ、こうしたことを放置するのは勇気が欠けるためであり、リベラルだけではなく所謂保守においても同じなのだと喝破されておられます。
 
 国が歴史を失うことはidentityを失うことであり、国そのものを消滅させることにつらなります。
 GHQにより行なわれた焚書を解明しないで放置することは正に国を消滅させることにつらなるのです。

 「GHQ焚書図書開封」は国民の総てにとり必読の書です。

          文責:足立 誠之

 足立さんのこのゲストエッセーに対し、次回ひとこと私からのエントリーを上げます。

GHQ焚書図書開封感想文

ゲストエッセイ 
大月 清司  
坦々塾会員

反滑稽読書・孤峰の熱き論説より

GHQ焚書図書開封(3)

GHQ焚書図書開封(2)

GHQ焚書図書開封
 
 ひとり西尾幹二だけが、思弁の丈を孤峰になっても、知性の壁を打ち破り論説を、老骨をやすらぐことなく、熱く、勁(つよ)く語りつづける。
 
 だから、冷徹な分析、論旨だけでは、ベースにそれをおいていても、いまの曖昧模糊とした、しかも美名に飾られた情緒に流される世情の中では、大きな響きを谺(こだま)のように伝えることはできないことを知り尽くしている。

 そして、文学のもつリアリティを知るゆえに、それが軍人の美談でも、些細(ささい)なことの積み重ね、基盤にひととしての血と涙が流れているもの、いまにつづく日本人の人情、情感を手繰り寄せる。高所から見下げるのを嫌い、低い視点から焚書された書籍と向き合っていく。
 それは、歴史家の語る知性、繰り返される愚かしさを、菊池寛が著した当時を生きてきた文学性によって、その歴史のツボを心得てものとして、その本と向き合っていくことにつながっていく。

 更に、敗戦後の米国流の時流に迎合し、ただ安易に流されるままに、世渡りのすべとして、学識、評論、知性、学問までもが、なすすべもなく迎合していくさまを一刀のもとに斬る。いまなお深く根づき、無意識のままに刷り込まれていることへ、容赦のない批判の切っ先を向ける。

 いまも昭和初期と同じ情況にあり、アメリカと北京政府の挟み撃ちに合いながらも、日本の内部からすすんで同調、協力していく、そういう論調に黙してはいられない。

 日本は昭和史のためにあるのでもなければ、その前史もあり、いまにつづき、更に未来へと、島国としての温かみのある人びとの連続性を維持しながら生きつづけている。

 現在の出版界も、実は「焚書の世界」に、すっぽりと飲みこまれている。あたりさわりのない、時の勢いをただただ追い求め、読者にいっとき、迎合、提供することばかりにうつつをぬかしてはいまいか。二一世紀へと残すにたり得る書籍があるだろうか。

 本書で第三弾になる、西尾幹二『GHQ焚書図書開封3』(徳間書店・新刊)は、それに反して、きわめて例外的で、重厚なシリーズの一冊である。この出版社の損得抜きの勇気ある英断と、氏の渾身の著書、健筆に心から感謝したい。それを待ちこがれている、わたしは次なる名著を愉しみに、活字人間たる幸福をひたすら感じている。

反滑稽読書・孤峰の熱き論説 つき指の読書日記 by 大月清司 より

「決定版 国民の歴史 上・下」 感想文

ゲストエッセイ 
浅野 正美 
坦々塾会員

 ちょうど一週間で読了した。お腹をすかせた子供がご飯をかき込むようにして読んだ。本当は、上等なお酒をじっくり味わうような読み方があってもよかったと思うが、それはできなかった。

 文庫本を読むのに先立って、あのずしりと重たい単行本の奥付を見て、この本が世に出されて早くも10年の年月が流れたことを改めて感じた。この間、無作為を繰り返すばかりだった自民党はついに自壊した。「冷戦の推移に踊らされた自民党」の章で指摘されているように、理念なき政党は国民から見放された。

 「国民の歴史」は私が30代の最後の最後に読んだ本である。若い頃、きちんとした読書をしてこなかった私は、その頃になってあせりのような気分を抱いていた。それ以降、何ら系統立った目的もなく、雑然と本を読み散らかして来た。

 私の読書は、中学時代の北杜夫「幽霊」が原体験となっている。北杜夫からトーマス・マンを知り、マンからワーグナーとショーペンハウエルを知り、西尾先生が翻訳された「意志と表象としての世界」を読んだときは、すでに26歳になっていた。私はその哲学書にまったく歯が立たなかった。ただ、こんなにも難解な書物を翻訳してしまう知の巨人がこの世の中にはいるのかという、恐れとも驚きともつかない当時の感情は今もはっきりと思い出すことができる。それ以来私の中では、「西尾幹二」という名前は特別な響きを持っている。それからほぼ四半世紀が経った。

 単行本から10年、私に起こった最大の変化の一つは、坦々塾の会員として西尾先生から直接教えを受けるという僥倖に恵まれたことである。若いとき、知の巨人と仰いだ人から、名前を覚えていただく日が来るなどということは、夢想だにできないことであった。

 大著を再読するということは滅多にない。読まなくてはならない本がたくさんある、という強迫観念から未だ脱することができないからだ。
 今回再読して感じた初読との一番の違いは、文章が以前より明瞭に理解でき、すんなりと頭に吸収される感覚を味わったことである。10年で利口になるわけはないから、これは間違いなく、坦々塾の勉強会の成果である。

 西尾先生の主張は一貫して揺るぎがない。私は前回この本を、恐らく多くの読者がそうであったように、自国の歴史の失地回復、名誉挽回の本として読んだ。いわば知識の吸収を目的として読んだ。

 西尾先生は歴史に向かう姿勢として、「事実に対する認識を認識する」という哲学的な態度の重要さを説かれた。また、人間の織りなす歴史を認識するということは、文学、哲学、宗教といった人間の本質を究明する教養が基礎にあって初めて可能なことであるともいった。また、歴史とは各国が相互に影響し合い、利害を衝突させながらそれによって翻弄されるものである以上、日本史もまた、世界史の視野をもって考察されなければならないという視点も示された。

 そういった西尾先生の、哲学、史学感を直接耳にしてきたことで、私の歴史に対する向き合い方が、坦々塾以前と以降とでは明らかに違った。もちろんまったくの勉強不足ではあるが、単なる年代記としての歴史、実証主義に呪縛された歴史、洗脳され修正された歴史、こういった我が国にはびこっている歴史観からは決別できた。10年前には、こうした視点から読むことはできなかった。そういう意味で、今回の文庫化は私にとって、大変いいタイミングであった。単行本を再読するという方法もあるが、今回は「決定版」である。迷わず買った。

 本書の上巻では中国に関する記述が多くを占める。我が国では、国の成り立ちの根本を成す多くの要素を、中国から学び、受容してきたとされている。漢字、仏教、儒教、稲。そういった中華大文明に対する負い目が、いかに幻想であるかが、圧倒的な筆致をもって描かれている。特に、文字を持たなかった縄文一万年の、記録に残らなかった歴史に言及する部分は圧巻である。先生は縄文語という言葉を使い、その当時間違いなく話されていた言葉があったという。今も我が国に残る意味不明な日本語の中にもそういった縄文時代から語られてきた言葉があるのではないかと思う。

 私の故郷、信州諏訪には、古事記に登場するタケミナカタノミコト(オオクニヌシの子)を祀る諏訪大社が鎮座するが、この地にも国譲り神話があり、諏訪から見たタケミナカタは征服者であり、土着の神は「ミシャグチ」と呼ばれている。

 この「ミシャグチ」が何を意味するのか、今ではまったく解らない。室町初期、すでに解らなかったという。私は密かに、縄文時代、諏訪の古神道によって信仰されていた、何か偉大な存在を昔から伝えてきた言葉でないかと考えていた。余談だが、諏訪では国譲りの際、権権二分を採用することで、両者の存続を計った。

 タケミナカタは地勢権を譲渡され、政治の実務を担当し、その血を受け継いだ人間が後の諏訪藩主となった。
土着神ミシャグチは祭祀権を継承し、幼い童に神霊を憑依させて祭祀を執り行う。

 現在大方の日本人は、中国に対して愛憎相半ばする感情を抱きつつ、こころの奥底の部分では、偉大なる師、文明の先達といった憧憬と、ある種抜きがたい劣等感を併せ持っているのではないかと思う。彼の国は歴史が古く、面積は広大であり、大事なことはほとんど中国から教えてもらったと漠然と考えている日本人が多い。

 我が国は教義の確立した大宗教も、文字も発明しなかったが、それらを受容して発展させていく過程において、偉大なる事跡を残した。現在の中国では近代概念を書き表すのに多くの日本語を使わなくては成り立たなくなっている。国名「中華人民共和国」も、中華以外は日本語である。
 また、稲を宗教的シンボルとした。各地に伝わるお田植え祭りや、豊饒祈願、秋の感謝祭に見られるように、日々の糧である米を、単なる食料の一つではなく、霊性をもった神からの献げものであるとして大切にしてきた。

 伊勢や宮中の新嘗祭がそれを端的に象徴している。私が子供時代の祖母は、天皇陛下が新米を食べるまでは口にしてはいけないといって、新嘗祭(勤労感謝の日)がすぎるまで新米を買うことを許さなかった。東北の農家に産まれた彼女は、そういったしきたりの中に育って来たのであろう。

 本書に稲妻についての言及がある。雷が田んぼの稲と交合することによって、稲穂が実るという思考は、とてつもなく壮大で、ロマン的である。雷を、天が稲の受胎のため使わす鳴動と捉えた。光と音による神の使い。その想像力とスケールの大きさには、ただ圧倒されるばかりだ。梅雨明け間際にはよく雷が鳴る。ちょうど稲が実り始めるころである。

 古神道の解釈を巡って、神はまれ人信仰か、祖先崇拝か、といった論争があるが、そのどちらでもあって構わないと思う。我が国の宗教観は、祖先崇拝、先祖慰霊を最も大切に考える。先生がおっしゃったように、この神道的な慰霊の心が、仏教においても取り込まれ、我が国独自の信仰を生み出した。我々の仏教儀礼といえば、葬式、法事、墓参りに尽きる。現世利益は、どちらかというと神道が担う。

 さて、キリスト教に関して、なぜ日本では信者が国民の1%以下にとどまっているのか、といった問題に、先生は一神教の持つ原理主義にその原因を求める。日本人は基本的に大まかで、何でも受け容れては加工することで自家薬籠としてしまい、肌に合わないとなれば放り出してしまうといった国民性を持つ。一つの神しか認めず、聖書に書いてあることを絶対の教義とするキリスト教はまったくなじまない。戦争に敗れた占領期は、アメリカにとって日本人を改宗する絶好の機会であったにも関わらず、成功しなかった。

 我が国の巨大構造物についての記述も、興味を引いた。仁徳天皇陵とエジプト・クフ王のピラミッドを同縮尺で図解し、我が国が模倣と精密加工に特化した縮み思考の国であるという通念を覆す。出雲の巨大空中神殿は、近年地下から巨木を三本束ねた柱の遺構が発掘されて、その実在が証明されたが、大林組によると縄文時代の土木技術で建立は可能であるということである。大林組では、出雲神殿再現プロジェクトチームを発足させて、現代土木技術・機械を一切使わないで、建築が可能かどうかのシミュレーションを行い、出版した。そこには、必要日数、人足、工法、現在価値に換算した必要経費も算出されている。大社裏山の中腹にロクロ(柱を建てるために、回転させながらロープを巻き付ける装置)を設置して、縄を結わえることで、このような巨大な柱を建てることも可能であるという。

 諏訪の御柱祭では、最後の御柱曳き建てを今でも重機を使わず、ロクロと人力だけで行っている。出雲と諏訪は親子神なので、お互い巨木信仰に対する親和性があるのではないかと思う。ある本には、古代日本に巨大建造物が多いのは、文字を持たなかったからではないかという推定が書いてあった。偉大な人物の事跡を文字で残せなかった時代には、その存在を古墳の大きさで表したのではないかというものである。4世紀を境に、巨大古墳は姿を消していくという。

 西尾先生は6月の坦々塾で、「思想的に明治以前に用意されていた国学が、明治の自覚とともに疑うことを不必要とした」、というお話しをされた。先生のこの短い言葉の中に、大河の奔流のような、我が国近代の歴史の悲劇と栄光がぎっしりと詰まっていると思う。それは運命でもあり、歴史の必然でもあった。白人による世界分割統治の最終局面において、日本は敢然と立ち上がり、防波堤となり、彼らの壮大な野望を挫いた。日本は神国として、世界と対峙した。江戸時代の国学者達は、よもや自らの思想が後の世で我が国が世界と戦う上でのバックボーンになろうとは思いもしなかったに違いない。

 時代の必要が、人材を輩出した。しかも、江戸中期という早い段階から周到に用意され、時間と共に思想は深化し、明治の自覚を待った。開国維新から、大東亜戦争敗北にいたる百年の歴史の何というダイナミズム。
「江戸のダイナミズム」があってこそ初めて成し遂げた偉業であった。まるで細い支流を幾本も呼び込むことで、大河が形成されるように、ゆったりと、静かに、そして着実に、明治の自覚を待った。肇国以来の危機がこうして回避された。

 下巻では近代世界が語られる。明治以降三つの大きな戦争を戦い、最後に破れた日本。そこに至るまでの世界の動きと、各国のエゴイズムは凄まじいの一言である。ナイーブな日本人は、そういった荒波に翻弄され続けた。

 アメリカの中国に対する幻想も災いした。蒋介石を支援しつつ、結果的に毛沢東を勝利させることで、人類に大きな厄災をもたらした。後に数千万人の人間が、命を奪われた。それは確かに結果論かもしれないが。

 日系人収容所に関しては今夏、「東洋宮武が覗いた世界」というドキュメンタリー映画が上映されている。

 その中に大変印象深いシーンがあった。インタビュアーが日系2世、3世に「収容所に入れられたことについて父母や祖父母はどんなことを話していたか」とたずねる。2世、3世はもはや日本語を話さないため、質問は英語である。その質問に対して、彼らの両親や祖父母が語った中に「仕方がない」という言葉が何度も出てきた。しかもこの「仕方がない」だけは日本語で発音していた。英語にはそれに相当する言葉がないのだろうかと思った。地道に働き、やっとその土地に生きる場を見つけ、結婚もし、あるいは小商店の主となってささやかに生きていこうとしていた彼らにとって、日本人であるというただそれだけの理由で、キャンプに収容される。ナチスのように殺さなかったから、アメリカの方が人道的であるという理屈は通用しまい。まったくの理不尽な仕打ちである。そういった運命に対して、「仕方がない」といって従容と受け容れる日本人。ここに我が同胞の民族性がよく表れていると思う。

 映画では、写真館主として成功していた宮武の、キャンプ内での撮影の様子が再現され、職業がこの方面に近い私は、そういった面での感動もあった。カメラの持ち込みは厳禁であったが、アメリカ人の中にも、協力者がいたようである。若い青年が年老いた父親(祖父?)に向かって、「どうして父さん達は、抗議の声を上げなかったのだ。広く国民に訴えれば、必ず賛同者を得られたはずだ。アメリカは自由と民主主義の国ではないか。」といって食ってかかるシーンがあった。記憶は曖昧だが、そんな息子に対して父は「人種差別というものが確かに存在した時代があった」、という意味のことを語ったように思う。

 建前として、人種差別は現在の地球上には存在しないことになっているが、そんなことは真っ赤な嘘である。

 一人我が国だけが、こうした偽善を信じている。政治家も官僚もマスコミも教師も、建前を本音と信じ、偽善を真実であると信じて疑わない。この極端なナイーブさはまったく変わっていない。我が国の大きな弱点、宿痾ですらあると思う。一定の品格を求められる大新聞が、ある程度建前をいうのは仕方ないのかもしれない。それは我々も、日々の社交という場面で繰り返している。ただしその裏にある、真実を見抜くもう一つの目を持たなくては、いいように手玉にとられてしまうであろう。人は善悪を共に内包する存在である。そのことをきちんと認識しない限り、我が国はこれからも世界の孤児として蹂躙され続けるであろう。

 商人は、卑屈に頭を下げて、無理難題もごもっともと聞いて、利のあるところに群がるが、最後は財布を開かせて金を受け取る。我が国は、卑屈に頭を下げて、無理難題もごもっともと聞いて、さらにお金も払っている。

 敗戦以降、精神の荒廃は止まず明治の光輝は完全に否定された。神話は忘れられ、歴史は貶められ、祖国は悪いことばかりしてきた、どうしようもない国だと定義されてしまった。丸山昌男の8.15革命説のように、原爆の光によって、戦後日本という新しい国が誕生したという錯覚に陥っている。

 アメリカ占領期の洗脳工作が、戦後64年を経てもなお一向に溶けないのはなぜであろうか。すでに世代は、占領国民の2世、3世の時代になっているにも関わらず、状況は悪化するばかりである。

 こんなにも、きれい事で現実を糊塗するような風潮は、一体いつから染みついたのであろうか。大衆が、大きな流れに漂ってしまうのは、これは仕方がないのかもしれない。ただし、一定のエリートや指導者には確乎とした人間洞察力がなくてはならない。これを養うためには、先生が言うように、文学、哲学、歴史、宗教に触れ、そこから学び、自らの血肉とする以外にない。私の回りにも、かつての偏差値秀才が、中学生レベルの正義感のまま、大人になったとしか思えない人間が何人もいる。先生はこうした現象を、福島瑞穂現象と喝破した。辻元ほど騒々しくなく、土井ほど憎たらしくなく、発言は一応正論。こういった人間は、民主党の多数をなし、やがて自民党の多数にもなろうとしている。驚くべきことに、実利を何よりも重視する実業界においても、こういった人間が多くなったように思う。私の先輩世代にあたる戦後創業者達は、皆一様に欲望に正直で、脂ぎった体質と強面の風貌をしており、風圧すら感じさせた。そういった人達が一線から去り、あるいは亡くなっていって、二代目が後を継ぐケースが増えている。彼らはおしなべて高学歴で、留学経験があったり、外国語を習得したりと、父親に較べて上品ではあるが、気迫には欠ける。何か日本人全体を象徴しているように思えてならない。行き着くところは、「唐様で売り家と書く三代目」であろうか。我が子の世代には、日本は売りに出ているのかもしれない。

 今の体たらくを見ていれば、これがあながち冗談とも思えない。

 勤勉、優秀、山紫水明、規律的、倹約、忍耐。日本を定義するこれらの美徳の、一体どれだけがその時残っているだろうか。

 戦後、金科玉条として来たスローガンに、平和、憲法遵守、民主主義、人権尊重と並んで平等という観念があった。偽悪的な言い方になってしまうが、私は人間のどうにもならない不平等をこそ教えるべきではないかと思う。少なくとも中学生ともなれば、そういったことは自らの人生を通して経験して来ている。

 私はこの10年間で通史と呼ばれるものを、日本史(16巻)、明治開国100年(10巻)、世界史(23巻)、古代ローマ史(28巻)と読んできた。二種類の日本史はどちらも階級闘争史観、マルクス主義史観で書かれている巻も多く、その部分は楽しくない読書であった。西尾先生の大著二冊「国民の歴史」と「江戸のダイナミズム」は、これらの通史とは明らかに違う。何よりも読んでいて楽しい。江戸のダイナミズムに関しては、難解であったという感想を何人かから聞いた。確かに易しい本ではないが、先生のいう、読みやすいことが良書の条件という基本は外れていなかったと思う。今回、感想を書くつもりが、ほとんどそれ以外の個人の世迷い言になってしまった。

 「決定版 国民の歴史」は、これ一冊を読めば、コンパクトに我が国の通史が理解できるという便利な本ではない。そもそも、そんな本は存在しない。私は今回この本を、歴史の本質とは何であるかということを、考えながら読み進んだ。そして先生がいつも講義で話し、ご著書で書かれている人間洞察のない歴史理解は、不可能であるという点にも注意した。さらに、人間はそれぞれ異質であるということを、異質には異質の正義があるということにも思いを馳せた。善意、正直といった価値観は、普遍でも真理でもない。ヨーロッパにもアメリカにも中国にも、それぞれの価値があり正義があり利害がある。ただ、それだけである。

 私達は日本に生まれた。特に私のように戦後(昭和34年)に生まれた世代は、歴史上誰も経験したことのないような、平和で豊かな生活を送って来た。ただし、わずかな時間をさかのぼれば、我が国もまた大きな国難に何度も見舞われて、必死に戦って来た。総力戦を戦うためには、軍備だけではなく、国学、思想といった知をも総動員した。先生はこの本で、何が何でも日本を礼賛しているわけではない。そう、歴史もまた是々非々で見るべきだと思う。先生の視点は、我が国の長い歴史を語りながら、つねに現在へのまなざしを忘れていないのではないだろうか。歴史に学ぶということを、我が国では過去の悪を繰り返さないと定義してしまったが、そこに大きな不幸があったと思う。本当に歴史から学ぶということは、人間が起こした歴史から、人間の本質を探り、現在のあるべき姿に反映させることではないかと思う。異質を理解するということは、その異質を育んだ文化の基底を知ることでもある。日本人も海外から見たら異質であろう。それで構わない。すぐれた点も、どうしようもない欠点もある。それらをすべて受け継ぐかたちで今の日本人がいる。近代文明を生み出し、文理にわたる近代学問を確立したと自負するヨーロッパにも、歴史の暗部はある。より多くあるといってもよい。歴史といわれているものの多くが、実は戦争の記述である。古代の英雄譚も戦史であり、NHKの大河ドラマも半分くらいは、内戦の物語ではないだろうか。権力闘争は、人間のどうにもならない本能であろう。現在はたまたま経済による代理戦争を戦っているが、戦争もまた、権力闘争であり、かつ経済闘争でもあるという側面を持つ。これも古代から変わらない原則ではないかと思う。

 人間のみがつねに過剰への欲求を持つ。蕩尽への飽くなき渇望がある。これがある限り、争いがなくなることはないであろう。

      文責:浅野 正美
(坦々塾のブログより転載

坦々塾(第十五回)報告(三)

ゲストエッセイ 
浅野 正美 
坦々塾会員

道元禅師『正法眼藏』と私        水島 総

「道元との出会いで人生を生きられた」。水島氏は今回の講義をこういって語り始めた。

 氏の多方面にわたる行動は、改めて紹介するまでもない。一日本人として、祖国の名誉回復を願い、歪んだ歴史観に果敢に挑み、心ある多くの国民を共に行動に駆り立てて来た。そんな、情念的な行動家ともいえる水島氏であればこそ、人間としての深い苦悩があったのであろう。学生時代はドイツ文学から学び、トーマス・マンに傾倒する。やがて日本に、そして道元禅師の正法眼藏にたどり着いたという。

 キリスト教、浄土真宗は空間的意識の宗教である。禅とは、鎌倉仏教とは何か。禅の本質は時間の宗教である。ここでいう時間の感覚はヨーロッパとは違う。キリスト教徒は、つねにより良い場所を求めてさまよう。ここではないどこかにいいところがあるという意識をつねに持ち、拡げようとする。その意識は宇宙にも向けられている。

 氏はカール・ブッセの有名な詩「山のあなた」がそれをよく表しているという。

山のあなたの空遠く
幸住むと人のいふ 
噫われ人ととめゆきて
涙さしぐみ、かへりきぬ
山のあなたになほ遠く 
幸い住むと人のいふ

 易姓革命もまた、空間の移動と拡大同様に、時間が断絶する。禅はまったく軸が違う。空間的な拡大や移動を求めない。氏は台湾の少数民族を訪ねて、そこに漂う感覚に禅に通じるものを見た。彼らは母系社会を形成し、山を隔ててそれぞれが違う文化を継承している。そこには、自然、時間、祖先を共有する生活があった。決して山を越えて領土を拡張しようという意志はない。あるいはより良い新天地を求めようとは考えない。

 般若心経における色即是空の色とは物質であり、空とは時間であり悟りである。自分が時間になりきることである。日本人が失った時間、日本の禅、空解釈を変えなくてはいけない。

 以下はテキストからの引用である。

「苦集滅道」 四諦(したい) これまでの仏教の教え。「苦」この世は苦しみ「集」欲望があるから「滅」それを滅すれば「道」悟りへの道が開く

禅の教え 「苦」頭で考えた思想・イデオロギー、理想・価値 「集」感覚でつかもうとするが、ものであり物質を基礎に考える(科学的見方・唯物論)価値の喪失 「滅」現実の物と心を双方認め、行為によってそれを示していく。(中道)正しい行いが人間生活の中心 座禅への道 この場所 現在の瞬間の行為 人間本来の姿に戻る 「道」宇宙全体の時空との関連・連動 悟りへの道が開く(時間軸に生きることへの移行)

「集」をヨーロッパでは唯物論や観念論からアプローチするも、未だに解決できない。

「滅」プラグマティズム(行為)、座禅につながる。

「道」行為に時間が入ってくる。物事すべてに時間を入れる。

となふれば 仏も我もなかりけり 南無阿弥陀仏の声ばかりして 一遍

 ここでは結句に「声ばかりして」とあるため、聞いている自分がそこにいて、「仏も我もなかり けり」が嘘になってしまう。未決。

 となふれば 仏も我もなかりけり 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

 これが悟り(空)である。

静かさや 岩にしみ入る 蝉の声  芭蕉

空間と時間を融合し、岩を擬人化している。ここに日本の非合理がある。

日本人の心に肉体化していた時間(もののあわれ)が減少していった。座禅はそれを再発見する道ではないか。

神道の禊ぎ、祓いも大乗の本覚に通じるものがある。本覚の悉有仏性(ことごとくに仏性はある)とは、あらゆる存在は仏性で、そのまま仏のいのちであり、仏のいのちでないものはない。道元の解釈では、過去、現在、未来という時間もまた同じである、というものである。

存在(物質)と時間は一緒である。存在が時間の上に乗っているのではない。これは近代合理主義では理解できない。

幕末における廃仏毀釈とは、近代合理主義に基づく、我が国が継承してきた時間制の喪失であった。

明治維新において我が国は空間を導入した。これは日本にとって、時間と空間による股割き状態であった。

明治の日本人は夕焼けを夜明けと勘違いした。やがてやってくる長い夜に気がつかなかった。日本人が失ったものは、自分と他者を差別しないという意識である。日本人が時間を取り戻すことができるか。できなければ、欧米キリスト教、中国の物質世界に圧倒されるであろう。

皇位の継承を水と皿(肉体)で捉える。皿は水を受け取った。この水こそ時間である。神武天皇から受け継いだ時間である。時間軸を失った国体論は、形としてとらえられた。

インディアンの特徴として、時間が自由であるということがあげられる。そこには死んだ人間も一緒にいる。日本でも、先祖霊がお盆に帰る、仏壇に仏様がいると考える。仏性は過去、現在、未来が一緒であり、いつも輝いて、瞬間瞬間を生きている。時間を取り戻すとは、大らかさを取り戻すことである。近代の流入によって失ったものがあるが、日本人には、DNA、基礎があることを思い出す必要がある。日本人がそれを世界に発信する必要がある。台湾のパイワン族も、インディアンもそういう時間を生きている。広がりを求めず、過剰を求めない。そこで自足している。一匹の猪をみんなで分け合い、次に食べる人のためにも、余分な狩りはしない。蕩尽は空間が産み出す。皇室が持っているのは時間。時間は自足している。

 ここから水島氏は、トーマス・マンを通して近代ヨーロッパについて語る。19世紀リアリズム小説である「ブッテンブローク家の人々」は、作者が鳥の目を持って俯瞰的に描いた小説である。ここでは、登場人物も物語も作者の掌中にある。その後第一次世界大戦が起き、兄のハインリッヒとの論争を行い、この戦争を文明と文化の戦いであると意識する。三島由紀夫の文化防衛論は、この論争に影響を受けているのではないかと指摘があった。

 「魔の山」「ヴェニスに死す」になると明らかに文体が変わる。登場人物と一緒に歩くようになるのだ。

 「ヴェニス」では、ヨーロッパ近代の終わりを感じた。ここに登場するギリシャの美少年とは、ギリシャ文明の象徴、外見は完璧な美を保ちながら、一点だけ歯に欠陥があった。内側は腐っている。そのことにより彼は、にせ者となる。内部に病を持つことが、近代ヨーロッパを象徴している。主人公の老作家は、少年に魅せられ、厚化粧をし、付きまとう。このさまよい歩く姿こそ、空間に呪縛されたキリスト教世界の比喩である。水島氏はこの様子を、みっともないヨーロッパの姿、と非情に辛辣に表現した。村上春樹が同じことをやっている。こっちが駄目ならあっちと、本質的にはまったく同じである。ただし、水島氏は村上春樹は民主主義者の中では現代最高の作家であるという。意識的なコスモポリタンではあるが、最高でありしかも限界でもあるという。

 冒頭触れたように水島氏は果敢な行為の人である。そんな氏を突き動かす座右の銘が最後に披露された。

典座教訓 生死事大 無常迅速 私がやらねばだれがやる。いまやらねばいつできる。

石はいつでも石。しかし、磨いて磨いてぶつけ合わせれば火花となり、遼火となって野を焼き尽くす。泥石では火花は出ない。自分を磨くことがすなわち行為である。

 講演後、西尾先生から「私も火花を散らす存在でありたい」、という感想があった。さらに、もう一度「時間」を取り戻そうとしたのが大東亜戦争ではなかったか、不合理そのものが日本の過去だった、ともいわれた。

 この言葉については、是非皆さんも一緒に考えていただければと思う。特に、散らした火花が遼火となって野を焼き尽くす、その炎を起こすために必要なことは、言葉(火花)を受けた私達が、それをどう受けとめるのかにかかっていると思うからだ。

 三人の先生方の講義は西尾先生の言葉通り「ずっしり重く坦々塾ならではの集中した時間」でした。私のつたない記録ではあの臨場感はとても伝え切れておりません。理解や表現に講師の真意と異なる点も多くあると思いますが、それらすべての責任は私にあります。特に宗教の問題に関しては基礎的な素養がなく、私にとっては困難な作業でしたが、このような機会を与えてくださった西尾先生に深く感謝申し上げます。

 なぜ御皇室は存続し続けたのか、日本にはなぜキリスト教が根付かなかったのか、ということが私の最近の関心事となっておりますが、今回の講義でその問いに対する一つの方向性を見出していただいたと思っております。本当にありがとうございました。

 今回の記録作成にあたって、過去の諸先輩方の文章を拝読し、その構成力、文章力、そして何よりも文章の土台となっている教養の深さに改めて圧倒された次第です。

文責:浅野 正美

坦々塾(第十五回)報告(二)

ゲストエッセイ 
浅野 正美 
坦々塾会員

 開会にあたり西尾先生から短いご挨拶があった。「自民党は滅びるだけ滅びよ。つぶれるだけつぶれよ」。

 世界金融資本の陰謀と日本の近現代史   福地 惇

 最初に新しい歴史教科書の採択率が前回の0.4%から今回は1.6%へと、四倍に大飛躍したことが報告された。

 現在世界の歴史で常識とされていることの多くは、作為を持って捏造されたものである。例えば、一般的な日本人の自国に対する歴史観をざっと書けばこうなる。明治日本は戦争好きで、総増上慢となり、朝鮮は36年間苦しめられた。東亜と中国を支配しようという野望に燃え、真珠湾をだまし討ちした卑怯な国家であった。そんな卑怯で極悪な日本人を懲罰するためにアメリカはやむなく戦った。原爆の投下は、双方で数百万人の命を結果的に救うこととなった。坦々塾の塾生は、自ら学び考えることができるので、こんなことは信じないが、大方の国民は、これがまさしく歴史の真実だと信じている。ただし、常識は真実に非ず。歴史は常に歪曲と偽装に満ちている。

 そもそも、現代の欧米の歴史認識が異常であり、それが日本にも反映している。公認の歴史、物語の本筋は国際金融資本が作成し、それにつながる御用学者が「正史」を書くという仕組みになっている。

 国際金融資本の陰謀、詐欺、策略は隠されており、都合の悪い資料は破棄され、決して表に出ることはない。

 第一級の資料は隠されるため、実証史観はできない。残されるのはきれい事ばかりで、そうして残された一次資料を都合よく使って、歴史が改竄される。コントロールセンターは国際金融資本の黒幕で、ロンドン、ニューヨークに本拠を置き、全世界の都市に拠点と支部を持つ。世界銀行、IMF、各国中央銀行、政府も支配下にある。組織はユダヤ人が中心となる。ユダヤ教の教えでは、非ユダヤ人は禽獣の類であり、ヒツジやラクダの方が、清い。全分野に支配力を発揮し、目的のためには手段を選ばない。そのために歴史を改竄する。日本も被害者である。

 第一次・第二次大戦は国際金融資本が作り出したはめられた戦争であった。国家を弱体化させる方法は、言語、儀礼、歴史の記憶を消すことである。文化的に破壊された跡には生きる屍としての肉体のみが残り、やがて国家は消滅する。地域、家族を形骸化することで、これらが常識を育てる場ではなくなり、学校、巨大メディアがそれに変わった。教育とメディアを掌握する者が真の権力者となる。こうして世間の常識と大衆社会の歴史認識を作っていく。

 力(パワー)は武器である。独裁権力(パワー)による政治的実験が共産党国家の建国であった。また、パワーの源泉はマネー、資源、金融である。日本人は、好意には好意で応えるが、ユダヤ人に恩返しの概念はない。ユダヤ人には、ユダヤ人を救った美談は通用しない。まさに人間にあるまじき民族である。ユダヤの秘典、聖典タルムードには、「非ユダヤ人の最良の部分を抹殺せよ」とある。また、目的のためには手段を選ばないため、異教徒は殺しても構わない。ヨーロッパの歴史は、ユダヤ対キリスト教徒の歴史であった。ユダヤは政権中枢や王家にまで寄生し、搾取を繰り返した。最初寛容であったものが、我慢の限界を超えてユダヤ人を迫害する。外国で文化や慣習になじもうとせず、中世のヨーロッパは、ユダヤへの抵抗記といってもよい。ユダヤ教の基本が、選ばれた民、世界を支配する民である。目的達成のためのスパンは、二世、三世、百世、と非情に長い。現在の日本はユダヤにとって、物を作る奴隷である。

 好況、不況といった経済の振幅は、コンドラチェフの波で説かれるように、経済の予定調和と思われがちだが、金融、財政をコントロールすることで作り出している。戦争、革命もまた然り。

 反歴史、反国家を他国、他民族においては画策するが、それらはユダヤの本意ではない。自分たちだけが最後の勝者として生き残るのが最終目的である。

 ユダヤ人は地球人口の一握りであり、コントロールしているのはわずかに数千人である。第一次大戦のベルサイユ条約で、ウイルソンのブレーンはユダヤ人であった。ドイツに天文学的な賠償金を課し、いじめの反動を読み込んでいた。支払い不能な賠償金にドイツは我慢できるはずもなく、第二次大戦のシナリオがここで書かれていたと考える方がわかりやすい。

 ロシア革命も、ロマノフ王朝の圧政があったとするのは嘘であり、事実は善政であった。首都の情報が入らない地方の農民を攪乱し、農奴解放、奴隷解放を説いて内乱状態を誘発した。

 安定した国家はつぶす、こうしてロシア、ドイツ、日本をつぶしてきた。政治の不安定化、弱体化が目的である。現在も、英米有名大学、財団に巨額の資金を提供して、まじめで愚鈍な英米人に対していいことをしていると見せかけて、捏造を繰り返している。

文責:浅野 正美

坦々塾(第十五回)報告(一)

ゲストエッセイ 
浅野 正美 
坦々塾会員
 
9月5日(土)に、第十五回坦々塾が行われました。

福地 惇さん  
西尾先生
水島 総さん 

  の順番で講義をいただきましたが、まず西尾先生のご講演から報告させていただきます。

 宗教戦争としての日米戦争        

 前回「複眼の必要 日本人の絶望を踏まえて」の中でアメリカの特殊性について学んだが、今回は宗教をキーワードとして、何故大東亜戦争が戦われなければならなかったのか、という講義を聴くことができた。

 講義の冒頭、先生が披露したエピソードが大変印象的であり、また今回の講義録をまとめるうえでも大変重要になると思うので紹介する。

 1981年、レーガン米大統領就任演説翻訳文を掲載した朝日新聞には、重要な一文が抜けていた。しかも故意に削除したのではなく、日本人の常識に照らして必要ないと判断されていたという。その文章とは次のようなものである。

 「私は、何万人もの祈りの会が本日開かれていると聞いている。そうして、そう聞いて私は深く感謝している。

 われわれは神の下の国であり(We are a nation under God)、私は神こそがわれわれを自由にしようと思っていると信じている。もしこれから何年間も大統領就任演説の日に、祈りの日であると宣言されれば、ふさわしいし、よいことだと私は思う」。

 この文章にレーガン大統領、万感の思いがこもっていることに我々は気がつかない。ここに日本人のアメリカを見つめる時の盲点がある。普段の生活で私たちは宗教を意識しない。政治にも持ち込まない。若人、弱者、悩める者の心の救済として、あるいは死後の存在としてのみ考え、アメリカにとって宗教こそ共同体のアイデンティティーの問題であるという認識がない。この大きな断絶を理解しないと、「宗教戦争としての日米戦争」という今回の講義の真意がつかめないのではないかと思う。

 アメリカに国教は存在しないが、まぎれもなく神権国家であり、宗教原理主義といってもよい。そこでは個人の上位に共同体があり、共同の理念がある。

 国教はないが、見えざる国教があり、それは聖書を教典とするキリスト教に近い宗教であり、それらの間にのみ信教の自由が認められる。信教の自由とは多種多様な教会を認めることであって、移民、アジア、黒人、インディアン、等に対する寛容ではない。あくまでも身内における自由であり寛容なのである。

 西尾先生から、先進六カ国の国民の宗教観に対するデータが配付されたが、天国、地獄、死後の世界、神、それぞれの存在を信じるアメリカ人は、すべての項目にわたって70%を超えている。特に神の存在に関しては94.4%の回答者がその存在を信じているという。ちなみに我が国は、どの設問においても一番低い数値をしめしている。日本人は国家意識の基礎に宗教がなく、その必要も感じていない。

 平安朝の遣唐使、吉備真備(きびのまきび)に関する逸話も紹介された。唐でつらい留学生活を送る吉備真備に対して、朝廷から難問が出され苦悩する。阿倍仲麻呂が鬼となって現れ助けてくれるが、さらなる難問が出される。そこで吉備真備は、日本に向かい日本の神に助力を乞うたところ、蜘蛛が現れ糸を引いて答えを教えてくれた。吉備真備は仏教を学びに唐に渡ったにも関わらず、「困ったときの神頼み」では、日本の神に祈った。ここに見えるパラドクスこそ古代日本の神認識の姿である。

 縄と紙垂(しで)に囲まれ限定された空間、あるいは氏神様、祖先神、といったように、我が国の神は古来限定された場所で、特定の人によって祀られていた。天照大神は天皇家の皇祖神ではあっても、全国民の神ではなく、国民は祈ることもできない時代があった。

 平安末期以降、我が国では仏教が優勢となる。まず御仏があり、神々はその生まれ変わりの姿であるという本地垂迹説が説かれた。仏と神は一体であり、この時代仏像を模した神像が造られていく。神が刀や鏡に象徴されていた時代から、現実の姿として表現された時代である。われわれが今神様のお姿として思い浮かべるのは、神話の挿絵に出てくる白い衣をまとった姿だが、これは明治になって初めて創作されたものである。

 さて、中世以降天皇家が力を失って行くとともにに、神は国民の信仰の対象へと変わっていく。東西統一権力が成り、鎌倉仏教は天皇家を無視、大本の仏が大事で天照大神はその代替信仰であるという位置付けであった。仏教の中に於ける神道という概念が定着し、幕府もそこに身を置いた。皇祖神の天照大神はこうした中、仏教の手を借りて全国に広まっていく。

 明治に入り、廃仏毀釈となったのはご存じの通り。神祇官が任命され、神社優位となり、国学者、神官は増長した。

 幕末の日本は、アングロアメリカ(英・米)とぶつかった。我が国は、欧米という言葉がしめすように、ヨーロッパとアメリカを同じ文化圏として認識していたが、実は両者は異質のものであった。

 アメリカという国の成り立ちを、南米、北米、北米における南部と北部という点で歴史を振り返る必要がある。

 19世紀初頭、アメリカ大陸の人口は、南米が1,700万、北米が500万であった。南のインディオ、北のインディアンは共に1.5~2万人。ヨーロッパが意識したアメリカは当初南米であった。南米はスペイン王朝が富を獲得をするために利用された。そこでは暴力を行使し、あるいは十字軍的な使命感で、原住民を改宗していった。

 人民は混血し、人種政策はゆるめられた。経済的にはスペインの本国経済と深く結びついていた。

 北米大陸には、南部と北部という問題がある。南部は豊かで土壌は肥沃、農地として適している点では、南米とにている。北部は農業に恵まれず、貿易、造船が大きな経済的基盤であった。独立前すでに造船量は大英帝国の三分の一に達しており、本国の干渉を避け、独立の気風が養われていく。広い国土の自由使用を認め、富を広く豊かに拡げるために平等相続制度を採った。この頃の欧州は長子相続であった。北の世界に対する意識にはキリスト教があった。これが、我が国に深く関係する問題である。

 マタイ伝によるイエスの予言によれば、西に新しい土地があり、そこはキリストが与えた、征服に相応しい土地である。アメリカ大陸侵略を正当化するために、これ以上ない予言であった。選民意識に基づく、約束の地アメリカを、出エジプトに置き換えた物語が生みだされた。ワシントンは、モーゼに擬せられた。こうしてインディアンに対する掃討戦は正当化され、1914年、フィリピン侵略も完成する。すでに日米開戦も間近である。アメリカの宗教戦争はこうして続き、このアメリカの信仰への熱狂は、むしろイスラムに似ているといえる。今のアメリカ人も神を信じている。通常文明の進展と共に国民は脱宗教化するといわれており、アメリカはすでにヨーロッパとは異質な国家となっている。同性愛、人工妊娠中絶が選挙の重要なテーマとなり、教会の政治に対する発言力は極めて強い。アメリカ人にとって信仰は誇りであり、大統領選挙では、当落を左右する問題である。

 翻って我が国は無宗教国家であろうか。決して無宗教ではない。無宗教で天皇を戴くことはできない。江戸時代まで、天皇の認知は謎であった。わずかに思想家のみが考えた。思想的に明治以前に用意されていた国学が、明治の自覚とともに、疑うことを不必要とした。

 国の学問の中心は仏教から儒学へと移り、1670年から書かれた大日本史は孔子の正統主義に基づき、南朝正統を認めた。神話を否定して、神武天皇から南朝最後の天皇である後小松天皇をもって南朝の滅亡とする史観を採用した。道徳的叙述により歴代天皇も批判し(論賛)、1740年にいったん編纂が止まった前編は朝廷に献呈されなかった。

 後期水戸学は神話を復活し、易姓革命史観を否定、論賛を削除した。我が国の歴史の継続性を主張し、日本は一つ、国名も一つ、日本は不要、題号は国史でよいと主張した。これが幕末の国体論につながる。これが前述した「思想的に明治以前に用意されていた国学が、明治の自覚とともに、疑うことを不必要とした」状況に繋がる。

 我が国は尊皇攘夷・尊皇開国(文明開化)の間を揺れ動きながらも、最終的にはアメリカの宗教戦争の仕上げに飲み込まれて行く。アメリカにとって日本は、インディアンやフィリピンと同様、簡単にねじ伏せることができる相手だと考えていたが、我が国の抵抗は想像以上に激しいものだった。戦争には勝ったが、戦後経済の分野で幾多の苦杯を舐める。特に国家を象徴する産業の一つである自動車産業において、アメリカは半世紀の長き敗北を喫した。アメリカは我が国の底力にようやく気がついた。果たして復讐はあるだろうか。

 「神の国」と「神の下の国」という二つの国家の戦いが、大東亜戦争であった。

文責:浅野 正美

秋葉忠利広島市長と日本会議広島は同列である。

ゲストエッセイ 
早瀬 善彦
京大大学院生、日本保守主義研究会学術誌『澪標』編集長

 

8月6日に広島で予定されていた田母神氏講演会は、秋葉忠利広島市長の卑劣な脅迫にも屈することなく無事行われることが決定したという。そのこと自体は歓迎したい。

 民間団体が主催する講演会に「待った」をかけた秋葉広島市長の凶悪かつ卑劣極まりない権力行使には、唖然とするほかない。共産主義者の正体みたり!とはこのことであろう。言論弾圧体質が骨の髄までしみ込んでいるからこそ、市長という立場も忘れてとっさにこうした暴挙に出てしまうのであろう。

 しかしながら、それ以上に看過できないのは、秋葉氏の言論弾圧にたいする主催者側(日本会議広島)の対応である。主催者関係者は以下のように語ったという。

 「私達は市長以上に核廃絶を願っている。北朝鮮や中国の核実験が問題になるなか、真の平和のためにどうすればいいのか、という趣旨の講演会がなぜふさわしくないのか全く理解できない」

 さらに、日本会議広島が中国新聞に掲載した意見広告が問題である。

 「1.『核兵器のない世界』は私たちの願い」と題した上で、「核兵器廃絶は私たちの願いです。本会には被爆者や被爆二世の方々も多数おられ、平和を希求する思いは誰にも劣るものではありません。」と謳っている。

 続けて、「2.北朝鮮の核に触れないヒロシマの『平和宣言』への疑問」では、「『核兵器も戦争もない世界』を実現するには、その精神を高く掲げつつ、万全を期して現実的脅威に備えることが必要です。そのためには客観的に現状を把握し、具体的施策を考え努力することが大切です。」と主張しているのである。

 仮に、保守を自認する日本会議広島が心の底からこうした思想を持っているとしたら、それはそれで大きな問題だとしかいうほかない。

 「万全を期して現実的脅威に備えることが必要です。そのためには客観的に現状を把握し、具体的施策を考え努力する」のならば、核の廃絶など決して現実的な選択肢には入ってこないはずである。というのも、核廃絶と平和は現状において、決して結びつかないからだ。

 たとえば、冷戦中、地政学的にも陸軍力においても不利を極めていたアメリカが、ソ連にたいし、かろうじて優位性を維持できた大きな理由は、長距離(中距離も含む)核ミサイルの存在にある。

 第二次大戦後の国際社会、つまり核兵器が世界各国に実戦配備された世界では、どんなに政治的に対立した国家同士も、直接的な戦争だけは何とか最小限にとどめようと務めてきた。この歴史的事実は誰しも認めるところであろう。

 通常の国民国家同士の争いにおいては、恐怖の度合いが抑止の信頼性につながるという哀しい現実がある限り、真の世界平和を目指すのであれば、現状における核の廃絶はおよそ現実的な政策ではない。

 かつて、サッチャー首相が語った「われわれは核兵器の無い世界ではなく、戦争の無い世界を目指すべきです。」という言葉ほど心理を鋭くついたものはないだろう。

 日本会議広島の今回の態度をみている限り、彼らも所詮は「戦後民主主義の常識」から完全に抜け出すことのできない、うす甘い心情的左翼なのではないかと思えてくる。

文:早瀬善彦

坦々塾(第十四回)報告(四)

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ゲストエッセイ 
河内 隆彌(こうち たかや)
坦々塾会員

○「逆境に生きた日本人」― 鈴木敏明さん

 独特のユーモラスな語り口で、きびしいお話をされましたが、面白くうかがいました。「自虐史観」のルーツを日本人の資質に求めるという大変な勉強をされて、いくつかのケース・スタディで実証されました。 挙げられた日本人のひとつの特質、「裏切り」については、言葉どおりであれば、陰険、卑怯というマイナスのイメージもあり、やや納得しがたいところでしたが、それが「変節しやすい」「迎合的」というようなニュアンスであれば分かりやすいところだと思いました。 「スターリン大元帥への感謝状」、早速インターネットで調べました。この話は聞いたことがありませんでした。 「自衛隊の左翼方向でのクーデター」の話、ドキッとしました。日ごろサヨクが「力」(物理的な意味での)を持つ、ということは考えたことがなかったので、それもそうだな、と目が開かれました。(生憎予約しそこなったので、ご著書はまだ読んでいない時点での感想です。)

○「複眼の必要―日本人への絶望を踏まえて」―西尾塾長           

 塾長のお話は、鈴木さんのお話をちょうど受けた格好で、ここまでのテーマは「日本人論」になっていた、と思います。 塾長は、「国体の本義」を取り上げられ、そのなかの、和と「まこと」の心、に潜む危険性に話を及ぼされました。小生は、このお話を伺いながら、唐突に「わが国の振り込め詐欺」のことを思い出していました。オレオレ詐欺の時代から、この犯罪は流行り出してからもう何年経ったろうか?あれだけ警戒信号が発せられながらいまだに騙されている人があとを絶たないようです。(警視庁統計:20年度、7836件、被害額112億 21年4月まで、3023件 被害額36億)この犯罪は外国でもあるのでしょうか?多分あまりないのではないか、と思います。ある意味で、こういう善意の日本人のなかで暮らせること、幸せではあるのですが、憲法前文は日常の暮しにも充分生きているようです。ここまで考えていたら、塾長が「騙され易い日本人」というご本を紹介しておられました。 ちょっと文脈から外れますが、最近とんと目にしない「国体」という言葉、「日本人の歴史教科書」「特別寄稿・天皇と日本」の末尾で、寛仁親王殿下がさり気なく使っておられることが印象的でした。 引用:・・・全く他国に見られない行いを神話の時代から連綿と続けてきました。国民一人一人の、国体を守る、「民族の知恵」を感じざるを得ません。

○「中国の崩壊と日本の備え」―石平さん

 先生は、熱情を以ていまの中国共産党を弾劾 されました。 「権貴資本主義」という言葉を知りました。なるほどなあ、権力と貴族が結びついている、まるきり古代ではありませんか?貧富の格差といったレベルではなく、奴隷制ですね。当日サインを頂いた「中国大逆流」も読みました。8%成長率がいかに大事な数字かよくわかりました。 日本の将来は中国共産党がつぶれるか、つぶれないかに、かかっている、というメイン・テーマですが、つぶれれば、勿論つぶれ方にもよりますが、おとなしくつぶれてくれるわけではないので大問題だし、つぶれなくても いまの世界経済構造(アメリカの消費ー中国の輸出超過ー米国債保有)が破綻しかかっているので、どちらにしても大変化が予想されるわけです。・・・ということを確認させていただいた講演でした。「日本の備え」?果たして間に合うのでしょうか?まもなく行われる総選挙で、だれがどう舵取りをして行くのかわかりませんが、「外交」は間違いなく今後の一大イシューになることでしょう。

     文責: 河内隆彌

坦々塾(第十四回)報告(三)

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つづきにチャンネル桜出演のお知らせがあります。

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ゲストエッセイ 
浅野 正美
坦々塾会員

 鈴木敏明氏が問題提起し、西尾先生がそれを発展され、石平先生が中国の危機を分析した今回の坦々塾勉強会は、随所に新しい視点が盛り込まれていて、新鮮な感銘を受けた。特に、従来日本人の美質と思われてきた国民性が国際社会では通用せず、かえって文化摩擦を生むという西尾先生の指摘には深く考えさせられた。

  国体の本義第一部にある・肇国・聖徳・臣節・和と「まこと」というキーワードの中では、最後の和とまことこそが問題であるとされた。明き浄き直きこころ(あけき、きよき、なおき)、清明心といった神道の奥義にも通ずる思想であるが、こういった認識は日本人通しには通用しても、国際社会を相手にするときには、だまされやすさに通ずると説く。講座のタイトル「複眼の必要 日本人への絶望を踏まえて」の意味がここにあったことが理解できた。

 近頃の我が国では、過去の道徳をほめ称える風潮が盛んになってきた。また、品格、清貧、武士道、世直しといった言葉が飛び交い、政治家も美しい国、友愛といった空疎な言葉を口にする。過去への郷愁であり、日本人論好きにつながる、日本人とは何かという思いが基本にあるという。西欧の個人主義は、個人と個人の闘争(ホッブス)であり、神と自然と人が一体となって和を成す日本の思想とは相容れない。和とまこと、こそ現代日本につながる概念であり、日本人の弱さになっている。

 鈴木氏は、日本国民には変節の遺伝子があると指摘し、信念を通す人に冷たいと喝破した。日本人の極端から極端に振れる国民性について、西尾先生は、ご自身の体験として、昭和24年6月28日の日記を披露された。その日、舞鶴港にはシベリア抑留引き揚げ船の第二弾、第一船が入港したが、彼ら200人は今までの帰還者とは様子が違い、お互いを同志○○と呼び合い、明らかに人間改造、思想改造されていた。日記には、当時西尾先生が疑問に感じたことが率直に綴られている。13歳の少年の日記とは思えない、深い人間洞察力に満ちた文章である。先生にとっては、人間があのように改造されてしまうことが信じられなかった。とても不思議だった。

 当時の日本は左翼偏重時代、インテリがおかしい時代ではあったが、インテリはそうした事実に不思議を持たなかった。調査もしなかった。ラーゲリーでは日本人が日本人を苦しめた。反ソではなく、反日本人将校であった。先生はラーゲリーに戦後日本があるという。大勢に迎合し、異端を排除し、自らは考えない国民性だろうか。鈴木氏はまた、敗戦直後の昭和20年9月に発行された「日米英会話辞典」がわずか数ヶ月で360万部という大ベストセラーとなった事実をあげて、進駐軍に媚び、迎合する日本人の性向を披露された。西尾先生もまた、戦後すぐ日本人がアメリカになびいたのは、謎だといわれた。当時ソ連、アメリカという権力に、こうも簡単になびいてしまった日本人が、次は中国になびかないとどうしていえようか。

 米中接近にすり寄るために、自民党は靖國も拉致も放棄する裏切りの挙に出た。労組幹部を取締役に取り込んで、労組を弱体化するように、安倍晋三という保守の星を使って保守をつぶす行動に出た。田母神前空幕長否定は、こういった流れにつながっているのではないか。NHK幹部と自民党がつながっているのであれば、「JAPANデビュー」の真の敵は自民党である。考えたくもないシナリオだが、思考停止が一番いけないことであろう。戦後の日本は、いつかいつかといいながら、何もしないままに過ごして、どんどん悪くなるという道を歩んできたと、西尾先生はいう。今また、地殻変動のような世界再編の可能性が取りざたされているこの時期に、同じ轍を踏んではならないと思う。

 石平先生は、中国共産党の至上命題である経済成長率8%死守のからくりと、それが崩壊したときの新たな危険性について豊富な具体例と共に示された。軍、警察、秘密警察、マスコミを権力下に治め、議会も世論もない中国にあって、経済は無情である。共産党の命令を聞かない。これは中国にとって大きな地雷だという。

 ここでも最悪のシナリオが示された。かつて鄧小平が、天安門事件のもみ消しを計って、国民に金儲けに走ろうと号令をかけた「南巡講話」。以来中国は驚異的な経済成長を遂げたが、ただし永遠には続かない。また、成長にともなう腐敗や、貧富の格差の拡大といったひずみやほころびも目立って来た。格差問題が、社会的不安要素となったとき、共産党権力は権力を死守するために、毛沢東原理主義+ナショナリズムで軍国主義化する危険がある。共産党とは権力を守るための執念であり、そのためには何でもするという。現在の中国には、毛沢東時代を懐かしがる風潮があるという。皆が貧しかったが、ユートピアを作ろうとした時代という認識が広まり、毛沢東は外国にも強く主張した偉人として復活する兆しがあるという。

 中国が抱える矛盾が爆発するのを防ぐためには、反日愛国心に求心力を求め、軍事的暴発をする危険性が指摘された。それを防ぐためにも、日本は毅然として国益を守る態度を保持する必要があると強調する。

 また、天安門の時代になくて現在にあるものは、インターネットである。このツールは中国においても極めて有効に機能するであろうといわれた。我が国でも映画「三丁目の夕日」をはじめ、過去を美化する風潮がある。現実のあの時代は、政治的に左右が激しく対立し、公害が国民を苦しめていた時代であった。奇しくも日中が同時に、半世紀以上前の自国の佇まいに郷愁を持つということに何らかの共通点があるのであろうか。

 アメリカはもはや頼りにならない。

         文:責浅野正美

お知らせ

日本文化チャンネル桜出演

タイトル:「闘論!倒論!討論!2009 日本よ、今…」

テーマ:「漂流日本、どこへ行く!?」

放送予定日:平成21年6月26日(金曜日)
        20:00~23:00
        日本文化チャンネル桜(スカパー!219Ch)
        インターネット放送So‐TV(http://www.so-tv.jp/main/top.do)

パネリスト:(50音順敬称略)
       鈴木邦子(外交・安全保障研究家)
       塚本三朗(元衆議院議員・元民社党委員長)
       西尾幹二(評論家)
       西村幸祐(評論家・ジャーナリスト)
       花岡信昭(ジャーナリスト・産経新聞客員編集委員)
       水間政憲(ジャーナリスト)
       三輪和雄(日本世論の会代表・正論の会会長)

司 会:  水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)