非公開:『諸君!』4月号論戦余波(三)

 今日は対論をめぐる三つの観点をとりあげてみたい。私の所論への批判の最も典型的と思われるものが次に挙げる第一番目の例である。これはほんとうに典型的である。

筆不精者の雑彙

『諸君!』秦郁彦・西尾幹二「『田母神俊夫=真贋論争』を決着する」より一部引用

 小生はこれらの切り口とは少し異なった点から、主として西尾氏の言論を批判してみたいと思います。といいますのも、小生のこの対談を一読した際の感想は、議論が全く噛み合ってない、ということでした。西尾氏が「これが正しいのだ!」と叫ぶのを、秦氏は「あー、うざいなあ」という感じでいなしている、そんな印象です。

曲がりなりにも日本近代史の勉強をしてきた身として、秦氏の発言は至極当たり前に感じられました。それに噛みついている西尾氏の言動は、歴史を論ずるということ自体を根本から分かっていない、と書くのが傲岸であるとするならば、歴史でない何かを論じようとしている、そのようにしか読み取れませんでした。であれば議論が噛み合わないのも当然です。雑誌の煽り文句で、広告にも掲載された秦氏の言葉が「西尾さん、自分の領分に帰りなさい」というのも、歴史でない話をしたいなら歴史でないところでやれ、という謂ということだろうと思います。

 しかし、ネットで見つけた上掲のいくつかのブログを読むと、歴史でないものを「真の」歴史と思い込んでいるブログが少なくないことに気がつきます。小生は、これこそがこの対談の最大の問題であろうと思います。つまり、歴史の「何を」論じているかではなくて、歴史を「いかに」論じているか、そちらが肝心なところだと。

文:bokukoui(筆不精者の雑彙)

 私に対して「歴史を論ずるということ自体を分っていない」といい、「歴史でないなにかを論じようとしている」という言い方からしてすでに秦氏流の歴史がすべてだと思い込んでいる人の典型的きめつけといえる。この人は彼の考える「歴史」というものを信仰している。

 しかし『諸君!』3月号拙論のほうで私が「パラダイム」の変換ということを言ったのを覚えておられる人もいよう。歴史は動く、とも言ったし、歴史は時間とともに違ってみえる光景だとも私は言った。秦氏自身がこのことをまったく理解していなかった。

 二番目にあげる例文が一番目の人の迷妄を完膚なきまでに料理している。一番目の人の「歴史」はたくさんの歴史の中の一つの歴史にすぎない。パラダイムが安定している枠内ではじめて可能になる歴史である。

セレブな奥様は今日もつらつら考えるのコメント欄より

遅ればせながら、数日前にようやく「諸君!」の西尾・秦論争を読んでみました。お二人はすごく対立しているように読めるし、実際、そうなんですが、しかし両者とも対話に必要な相互承認というものがあって、とても有益な批判の応酬になっているんですね。西尾先生はインターネット日録で秦さんのことを、保阪正康さんや半藤一利さんたちよりずっと認めている、といわれていましたが、本当にそうだと感じました。

 ただ、そういうことを中立的に私が言っているだけでは、読者としてやはり欺瞞的なことで、はっきりいいますと、私はやはり秦さんの立場は採用できないですね。

 お二人が一番鮮明にその対立点を明確にしているのは、西尾先生が、「史実を確認することはまだ歴史じゃない」「厳密には史実の認定なんてできない」といい、歴史の本質というものは物語であり神話である、と言われたことに対して、秦さんが猛然と反撃して、「私達専門家の領域を侵犯しないでください」というところ、やはりここになったなあ、と思いました。

  「認識される対象の意味が固定的でない」こと、つまり事実というものの意味が絶えず変化する、ということは、(とりわけ近代以降の)哲学理論や社会思想史ではある意味普遍的な前提で、ニーチェはもちろんのこと、メルロ・ポンティのような社会的には左翼的立場を採用した哲学者も繰り返しいっているし、読み手と文字の間の間に絶えず「意味のズレ」が生じていくことが「意味」である、といってポストモダニズム思潮の旗手だったデリダも、こういう思考を前提としています。こうした事実認識は歴史的問題にもまったく同じだ、というのが西尾先生の立場だと思われます。

 たとえば、コロンブスの北米大陸到着も、ジンギスカンの大陸制覇も、当時そのものの状況に近づけば近づくほど、個人や民族のエゴイズムに無限に近づいていきます。コロンブスなんてただの山師だったと思います。しかし今では、両者の行為は東西文明の出会いという「別な意味」を与えられている。こういうふうに「史実は絶えず変化する」のです。同じことは日本と中国やアメリカの戦争についてもあてはまるはずなのです。しかし秦さんはそれをまったく認めようとしない。秦さんは徹底徹尾、「事実」の意味を単一なものの方向性へと固定し、その「事実」そのもの集積の先に見出せる大きなものがある、というある意味で非常に古典的な(といっても「近代古典的」な)観方に固定するという職業意識から故意に離れないんですね。

 だから、西尾先生のいろんな「事実の読みかえ」の可能性の指摘、つまりコロンブスやジンギスカンの例のようなことの指摘が、「正しい意味」をもっていると信じている秦さんからすると全部、陰謀史観にみえてしまうのです。そして、暗に、西尾先生に対して、「それはヨーロッパ哲学の専門家の西尾先生の意見でしょう」といいたげです。昭和史の歴史的事実の解釈については、お二人の応酬にあるように、それぞれいろんな捉え方ができるでしょうし、秦さんの事実認定のすべてがおかしいわけではないし、西尾先生の事実認定に対しても反論の余地がありうると思います。しかし、そんなことは本当はどうでもいいのではないでしょうか。もっとも大切なことは「歴史に対しての態度」ということで、その根源に触れあったとき、秦さんは「専門家」という「籠城戦」に後退し、西尾先生の攻勢の継続で対談は終わっている、といえます。

  しかし、この「歴史に対しての態度」という根源の触れあいに至っただけでも、他の悪口の言い合いだけの凡庸な対談とまったく違う、強い有意義があったと考えるべきでしょう。それは西尾先生と秦さんが、お互いに和して同ぜずの相互承認で認めあっているからこそ可能だったもの、と思います。

 西尾先生も言われていますけど、こういう秦さんのスタイルだからこそ可能だった秦さんの業績や存在感というものもあるということは公平にみなければならないと思います。最近も秦さんの旧制高校についての著作を読みましたが、秦さんらしく、本当によく調べて書かれた貴重な研究書でした。しかしそういう秦さんらしさが発揮されるのは、この旧制高校の書にあるように、資料と著者の関係が「安定」している場合に限られれるわけですね。

文:N.W(うさねこ)

 二番目の方は渡辺望さんといい、私の若い知友の一人である。知友だからといって格別に私に贔屓して言っているのではない。私と秦さんの両方を公平に見ている。

 渡辺さんはよく勉強し、しかも洞察力のある人である。私が先に言った「歴史は光景だ」は実際メルロ・ポンティから採っていたのである。

 秦さんと彼に基く一番目の人の歴史は19世紀型の歴史である。外枠(パラダイム)が安定していた時代の歴史主義の歴史で、実証らしいことができるのはそういうときの歴史に限られる。

 しかも秦さんの歴史意識は日本の軍部は悪者だとつねに決め付けている敗戦国文化に色どられている。だから実証的にしているつもりでも、実証にならない。立場の違う人には逆の意味に読まれてしまうからである。

 この点で次にとり上げる三番目の人は、歴史と政治の関係をしっかり踏まえて、秦さんの実証が成り立ったケースと成り立たないケースとの両方があることを見て、これを区別して論じている。以下を読めば、歴史と政治の関係をみないならば、彼のことばでいえば木を見るだけで森を見ないならば、どんなに緻密な実証も見当外れに終ることがはっきり分るであろう。

えんだんじの歴史街道ろ時事海外評論より

西尾幹二氏 対 秦郁彦氏

雑誌「諸君」4月号で両氏が田母神論文で激突対談を行っています。私はこの両者の対談を興味深く読ませていただきました。西尾幹二氏と私の大東亜戦争史観はほとんど同じです。ところ秦氏の戦争史観が、私にはいま一つわからないとことがありました。特に秦氏が田母神論文批判の先鋒になったからです。

秦氏は、いまはやりの歴史捏造、歪曲の朝日新聞や左翼知識人とは異なり、現在の日本国家に貢献する非常に良い仕事もしておられます。秦氏最大の貢献は、「従軍慰安婦」事件の調査です。「従軍慰安婦」事件の始まりは、元山口県労務報国会下関支部動因部長を自称する吉田清治が、1982年に「私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行」という本を出版した時からです。

吉田は何回も韓国へ行き、謝罪したり、土下座したり、慰安婦の碑をたてたりしています。テレビにも日韓両国で出演、朝日新聞は吉田を英雄のように扱い、何度も新聞紙上に大きくとりあげて報道しました。この本の翻訳文が日本人弁護士によって国連人権委員会に証拠として提出されました。また教科書裁判で名を馳せた故家永三郎などが、自分の著作にこの本を参考文献として利用しています。

この本の内容に疑問をもった秦氏は、1992年済州島にわたり裏付け調査をし、吉田の本の内容がでたらめであることがわかりそれを公表しました。吉田はそれを認める発言をしたため、あれほど新聞紙上に何回も登場させていた朝日新聞は、それ以来ぴたりと吉田を登場させず、吉田を語らなくなりました。吉田は、メディアにも登場しなくなりました。秦氏は日本国家の名誉を救ったのです。

秦氏は、沖縄の集団自決問題でも、集団自決の原典ともいうべき沖縄タイムス社の「鉄の暴風」を批判、その「鉄の暴風」を基に書かれた大江健三郎の「沖縄ノート」を批判、秦氏自身も集団自決を否定しています。

その他、秦氏は教科書裁判で名前をうった故家永三郎がまだ生存中現役で活躍していたころの家永を批判していますし、また朝日新聞を反日新聞と批判しています。その秦氏が田母神論文を一刀両断のもとに斬り捨てているのです。だからこそ私は、秦氏が西尾氏にどのような主張をするのか非常に興味があった。

雑誌「諸君」に語られている秦氏の主張をいくつか挙げてみます。
1.東京裁判は、マイナスの面があったが、プラスの面もあった。比較的寛大であった。
その証拠に日本国民の反発がなかった。
2.コミンテルンの陰謀はなかった。
3.ルーズベルトが日本を戦争に追い込んだという陰謀説は成り立たない。
4.ルーズベルト政権の中国援助は、国際政治の駆け引きにすぎない。
5.日本はナチスという「悪魔」の片割れだった。

こういう彼の主張を読んでいると、私はただ驚くばかりです。なぜなら秦氏は、昭和の歴史を細部までよく知っているからです。彼の著書に菊池寛賞を受賞した「昭和史の謎を追う」上下巻(文芸春秋社)があります。上下巻とはいえ、一頁を上段下段に分け細かい字でびっしり書かれています。実質的には一巻から四巻に匹敵する大作です。なにを書いているかと言えば、昭和で話題になった37件の事件を詳細に調べあげて書いています。秦氏の作品は、綿密に調べあげて書くので定評があります。

要するに私が主張したいのは、秦氏のように歴史の細部を知っているからといって、必ずしも歴史観が正しいとは言えないということです。俗にいわれる「木を見て森を見ず」なのです。なぜこういう現象が起きるのかその理由を西尾氏の意見と重複するところもありますが三つあげます。

1.大東亜戦争を昭和史の中で理解しようするからです。そのため自ずと日本国内の動きだけを追いかけ日本批判に陥ってしまうのです。大東亜戦争は幕末の時代から追っていかないと本質をつかめません。

2.私は、60年以上前に起きた大東亜戦争を現在の価値観で裁くなといつも主張しています。西尾幹二氏も本誌で「現在の目で過去を見る専門家の視野では、正しい歴史は見えない」、また「歴史とは過去の事実を知ることではなく、過去の事実について過去の人がどう考えていたかを知るのが歴史だ」とも書いています。全く同感です。

皆さんは特攻隊員の遺書を読んだことがあるでしょう。彼らの遺書を読むと、特攻隊員に共通の認識が理解できます。彼らの共通の認識とは何か。それは大東亜戦争を自衛の戦争と考えていたことです。だからこそ特攻隊に志願したりするのです。自分の死に大義名分があるのです。彼らは、自分の家族や恋人に遺書をのこしましたが、自分の死に対する不満やぐちを書いていたものがありましたか。

もし大東亜戦争が、侵略戦争であるというのが彼らの共通の認識でしたら、特攻隊に志願するでしょうか、家族や恋人への遺書には、自分の死に対する不満や愚痴だらけになっていたのではないでしょうか。

3.大東亜戦争は、日本史上国内で戦われた合戦とは大違いです。異民族、すなわち白人との戦いです。その白人は、コロンブスがアメリカ大陸発見以来500年間、すなわち20世紀まで有色人種の国家を侵略し続け植民地にしてきた。そのため大東亜戦勃発時、有色人種の国で独立を保っていたのは、日本以外の独立国はタイやエチオピアなどほんのわずかです。従って大東亜戦争は、世界史というわくの中で理解しなければなりません。また敵国民族は白人ですから、白人の文化とか白人の精神構造とかいわゆる白人の民族性まで考慮して大東亜戦争というものを捉えていかないと大東亜戦争を理解できないのです。

秦氏の歴史観の欠陥は、大東亜戦争を世界史の中で全く捉えようとしないことです。だから戦争前からアメリカが日本にいだいていた悪意を全く理解できないのだ。また秦氏は、精神的にナイーブな面もあるのでしょう。裁判所は悪人を裁く所という解釈だけしか理解できないのではないか。勝利国が自己を正当化するために裁判を利用するなどという考えは、秦氏には想像できないのではないか。

秦氏は、西尾氏の面前で田母神氏についてこう語っています。「一部の人々のあいだで、田母神氏が英雄扱いされているのは、論文自体ではなく、恐らく彼のお笑いタレント的な要素が受けたからでしょう。本人も『笑いをとる』の心がけている」と語っています。すかさず西尾氏から「田母神さんを侮辱するのはやめていただきたい」と注意されています。

秦氏は、なぜ田母神氏が多くの人に熱狂的に支持されているかその背景がまったく理解できていません。田母神氏を侮辱することは、彼を支持する私たちを侮辱するのと同じです。私は怒りを感じます。「秦さん、あなたは私の著書、『大東亜戦争は、アメリカが悪い』を読んで勉強しなおしてください。

本誌でも西尾氏が指摘していますが、中西輝政氏が三冊の名著をあげています。その一冊にJ・トーランド「真珠湾攻撃」があります。この翻訳本(文芸春秋社)の246頁にマーシャル参謀総長は、「アメリカ軍人は、日米開戦前、すでにフライング・タイガース社の社員に偽装して中国に行き、戦闘行動に従軍していた」と公言しています。ところが秦氏は、本誌で「この時期フライング・タイガースはまだビルマで訓練していて、真珠湾攻撃の二週間後に日本空軍と初めて空戦したんです」と語っています。

マーシャル参謀総長の発言、「戦闘行動に従軍していた」という意味は、なにも秦氏が主張する日米空軍機どうしの実際の空中戦にかぎらず、シナ事変中米軍機が輸送活動に従事していたら日米開戦前に米軍は参戦していたことになりませんか。

最後に西尾氏と秦氏の人物像をとりあげてみます。1960年代、日米安保騒動華やかなりし頃、日本の多くの知識人は、ほとんど我も我もと言った感じで、反米親ソ派と自虐史観派になりました。そのころでさえ西尾氏(20代)の歴史観は、現在となにも変わっておりません。皆さんは知識人の定義とはなにかと問われれば、なんと答えますか。私の答えは、知識人とは時勢、時流、権威、権力に媚びないことです。日本には時勢、時流、権威、権力に媚びる人知識人が多すぎます。従って日本には真の知識人と呼ばれる知識人が非常に少ない。西尾幹二氏は、その少ない真の知識人の一人です。

秦郁彦氏が、日米安保騒動時代どういう態度をとったのか私は知りません。彼の経歴を見ると、国際認識というか国際感覚というものに鈍感どころか鋭敏であってもおかしくありません。それにしても大東亜戦争を世界史の中で捉えるということが全然理解できていません。全くの自虐史観です。しかし彼は歴史の細部、「従軍慰安婦」事件や沖縄の集団自決などでは反マスコミです。ここでもし秦氏が、自虐史観を改めたら、マスコミに相手にされなくなってしまいます。

マスコミは、自分たちの日頃の歴史捏造や歪曲に批判する秦氏が自虐史観を主張するので余計彼を利用する価値があるのではないでしょうか。従って歴史観に関することには、積極的に秦氏を利用しているように見受けします。秦氏は、ひょっとしてマスコミ受けをねらった器用な生き方をしているのではないでしょうか。

文:えんだんじの歴史街道と時事海外評論より

 この文章を書いた人は鈴木敏明さんといい、幾冊も著作のある私の知友である。知友だから私を応援している、という文章ではない。人間はそんな風には決して生きていないのである。ご自身の価値観に関わる問題だから一生懸命書くのである。

 とくにインターネットに書く場合には、頼まれて書くのではないのだから、無私である。私もこれを書いたのは誰かはじめのうちは分らなかった。

 一番目の人が私に対し「歴史を論ずるということ自体を根本から分っていない」とか「歴史でないなにかを論じようとしている」と決めつけていたときの「歴史」が非常に狭い、固定した一つの小さなドグマ、特定の観念にすぎないことがお分りいただけたであろう。

非公開:『諸君!』4月号論戦余波(二)

 もうネットサーフィンはしないと書いたが、『諸君!』4月号論争についてこういう掲示があったと教えてくれる人がいたので、ご紹介する。

 最初の松永太郎氏は、私がもち出した英文の本などに詳しい方のようで、いまさらもう何年もたつ古い本を持ち出すとは何ごとだ、「情けなくなる」と私は叱られたが、まあそう言われても仕方がない。ただ詳しい方面の関係者には余りに自明なこれらの本さえ秦さんはひとつも目を通していなかった。そして、そんな文献は全部無価値で、歴史家にとっては検討に値しない本だと乱暴なものの言い方をしたのである。松永さんはこのことも分ってくれたようでありがたい。

西尾vs 秦 論争 呆れた「諸君」4月号、秦郁彦氏の発言  by 松永太郎  @甦れ美しい日本  
2009年3月6日 NO.277号

月刊誌「諸君」4月号に「 田母神俊雄=真贋論争」を決着する、捨て身の問題提起か、ただの目立ちたがりか、などと題して、歴史家の秦郁彦氏と西尾幹二氏の対談が掲載されている。

ちなみに、この対談で、西尾幹二氏が紹介されている、ニコルソン・ベイカーの「ヒューマン・スモーク」、ジェラルド・シェクターの「聖なる秘密」や「ヴェノナ」関係の本は、すべて、筆者が、すでにこのメールマガジンで、ご紹介ずみの本ばかりである。

 ヴェノナ文書といわれるものが、公開され、それを基にした歴史書が何冊も英米で発表されるようになって、もう何年もたつ。それなのに、今さらのように、それをもとにして「論争」が行われ、「陰謀論だ」「いや、そうでない」などという話が言論誌で展開されるのを見ると、今の日本の現状を鏡に映しているような気がして、興味深い、と同時に情けなくなる。

 それにしても、この「諸君」の対談のタイトルは、節度がない。この対談でも、次のような問答がある。

 秦 こういうものは日米関係にもけっしてよい影響は与えません。一部の人々の間で、田母神氏が英雄扱いされているのは、おそらく彼のお笑いタレント的要素が受けたからでしょう。本人も「笑いを取る」のを心がけていると語っています。

 これに対して、西尾氏は、

  日米関係に悪影響云々は政治家が言うべき言葉で歴史家の言葉ではありません。田母神さんを侮辱するのは、やめていただきたい。軍人には名誉が大事なのです。

 と答えているのは、当然のことながら、さすがである。軍人を侮蔑したり、軽蔑したりする「インテリ」の悪い癖は、そろそろやめたほうがよい。

それにしても、秦氏が「日米関係に悪影響云々」を言うのは、本音が表れた、というべきであろう。もって東京裁判史観を叩き込んだ占領軍の洗脳工作の怖さが伺える。アメリカの歴史家の間では、ほとんど常識と化している「ルーズヴェルトは日本を戦争に追い込んだ」という説を言うことさえ、日本の現代史家は、恐ろしくて、いえないのである(「日米関係に悪影響があるから」)。

 それにしても、この対談における秦氏の無知にはあきれかえる。彼は、最初にあげたような本はぜんぜん読んでいない(自分で言っている)。いないまま、ホワイトがソヴィエトの工作員であった(コードネームさえ付いている)、という事実を、平清盛がペルシア人だったという説と同じような荒唐無稽な説としているのである。これでは話にならない。これらの本は、すでに少なくともアメリカでは歴史家の評価も確立しているのである。それともまだ翻訳されていないし、誰も読んでいないから、何を言っても大丈夫だと思っているのだろうか。

 権威主義的な学者や評論家は、都合が悪くなると、相手を陰謀論と決め付ける。しかしルーズヴェルト政権が、日本を締め上げて戦争に追い込んだ、というのは、陰謀論ではない。では、ルーズヴェルト政権は日本との平和を望み、最後まで、和平交渉に全力であたっていたのであろうか。そんなことはないことは、「ハル・ノート」を見れば、すぐにわかる。そして、その原案を書いたのはハリー・デクスター・ホワイトであり、彼は、ソ連の工作員だったのである。

 まだ言いたいことはたくさんあるが、とりあえずの感想を書いておきたい。
  文:松永太郎

次は佐藤守氏のブログである。佐藤さんには『諸君!』3月号の拙論もあったことをお知らせしておきたい。

西尾vs 秦 論争 似非保守派学者に「諸君」は食いつぶされた  「子供達を戦場に連れて行く?」   @軍事評論家=佐藤守のブログ日記  から
2009-03-04 

同時に言論界にも面白い現象がおきている。

 保守派総合雑誌の「諸君」が休刊になったのである。文芸春秋社の目玉の一つで、「紳士淑女」欄は私の愛読していたもので残念だが、昨年末、それも田母神“事件”以降、「諸君」に登場する「保守派物書き」が、田母神氏を批判する度に「一般書店での売れ残り」が目立っていたから、私はこのことを感じていた。

 つまり、「諸君」が重用していた保守派物書きや歴史学者などの「正体」がばれ、読者が何と無く「胡散臭いもの」を感じたからであろう。同誌の「休刊」は残念だったから、昨日一冊購入したが、これには「西尾幹二氏と秦郁彦氏」の撃論が出ていて、二人を良く知る私としては興味津々である。

 明らかに西尾氏の“勝ち”だが、こんな似非保守派学者に「諸君」は食いつぶされたのだと感じる。勿論、それを見抜けなかった編集者の目も問題だが。

文:佐藤守

非公開:『諸君!』4月号論戦余波(一)

 昔は論壇時評というのが各新聞にあった。否、今もあるのかもしれないが誰も読まなくなった。昔も一般読者はあまり読まず、論壇時評を読むのはその月に論文を書いた執筆者とそれを担当した編集者だけだと言われたものだった。

 しかし今ではその人たちも読まなくなった。新聞ごとの政治偏向が著しく、信頼性を失っているからである。あるいは、毒にも薬にもならない中性的な論文ばかりが取り上げられる傾向が強く、論壇時評つまり評論の評判記は、すっかり影が薄くなった。

 オピニオンの多様性といえば聞こえがいいが、本当のことを発信しなくなった今の大手のマスコミ、新聞やテレビが大半の意味を失っていることにも比例している現象で、オピニオンが相互に噛み合わない情勢、人間同士の相互の深い無関心の現実を反映しているといえるだろう。

 その代わり評判記は匿名のインターネットに移ったようだ。実名を出しているものもある。訳のわからぬ見当外れの論もあるが、本当のこと、自分にとって大切なことを言おうとする真剣さは少くともある。『諸君!』4月号の秦郁彦氏との論争に関しては、私への批判も含め、賛否両論の渦をなしている。

 ネットサーフィンというのだそうだが、そのうちから拾ってみる。最初は私への批判の含みがある例だ。

 『諸君』の今月号「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」がすこぶるおもしろい。現代史家の秦郁彦氏と評論家の西尾幹二氏が田母神論文をめぐって丁々発止。久しぶりに、対談の面白さを堪能できる読み物だ。西尾氏は「自虐史観」派、秦氏は「日本軍部による侵略戦争」派で、考えは正反対といってもいいだろう。

 田母神論文は都合のいいところをつぎはぎしたものだとする秦氏に、そんなことはないと反論する西尾氏。読む限りは、秦氏に「西尾さん、自分の領分に帰りなさい」と諭される西尾氏に分が悪い。こうした考えに、『諸君』という雑誌で、面と向かって反論した秦氏の気迫を感じた。最後の二人の言葉に、この国の進む道に対する考え方の違いがよく出ている。

「秦 (中略)しかし、これからの日本は世界の覇権争いに首を突っ込むのではなく、石橋湛山流の小日本主義の道を行くという手もあると思いますけどね。博打は打たないで、大英帝国のように、能う限り衰亡を遅らせていくというのは立派な国家戦略だと思います。

西尾 私はちがうと思う。アメリカなき世界における国家間のサバイバルゲームは過酷なものになるでしょう。ナンバーワンを目指す確固たる意思を持たないかぎり、オンリーワンにもなれないんです。国家の生存すら維持できない。世界は覇権主義が角逐する修羅場です。その激しさに翻弄されず、日本が生き延びていくための第一歩が東京裁判史観や自虐国家観からの脱却であると私は信じます。」

 もちろん私は、秦氏に共感を覚える

元木昌彦のマスコミ業界回遊日誌3月3日(火)より一部引用)

 執筆者の元木昌彦氏は元『週刊現代』の編集長で、『現代』にもいた。もう定年退社している。年末に私は新宿のバーでお目にかかっている。

 偶然隣り合わせに坐り、知り合いの講談社の知友の噂ばなしなどをした。私が昨年『諸君!』12月号に書いた「雑誌ジャーナリズムよ、衰退の根源を直視せよ」を大変に面白いと言っていた。

 人間はみな心の中にどんな「鬼」を抱えて生きているのか分らない。老齢になるとことにそうである。また、若いときに一度刷り込まれた物の考え方は、どんなことがあっても消えることはないようである。

 次は匿名で、ブログの名は書道家の日々つれずれ

西尾幹二氏、秦郁彦氏の偽善「歴史家」の素性を看破する
雑誌「諸君」4月号に「田母神俊雄=真贋論争」を決着する / 秦 郁彦 西尾幹 」と言う特集があった。
このページはなんと4ページ分まで「諸君」4月号のHPに掲載されている。

ここで、秦氏は田母神氏の論文の「ルーズベルト陰謀説」について一笑に付している。

それに対して、西尾氏は状況証拠を突きつけて行くのだが、秦氏は「開戦をあと1か月延期すれば、フリーハンドの日本はどんな選択もできたし、当分は日米不戦ですんだかもしれません。」という。
この歴史上のifに対して西尾氏は異議を唱えて、「最後にやらなくてもいい原爆投下まで敢行したことを思えば、アメリカの、破壊への衝動というのは猛烈、かつ比類のないものであることがわかります。」と反論する。
この点、秦氏と言うのは歴史から何も学ばないというか、国というものの普遍的な性格というものを何も学んでいないようだ。
なぜなら、その後の米国の政治としての戦争の歴史、そして今批判しているイラク戦争を見てみれば、秦氏のノーテンキさが良く分かると言うものである。
その無神経なノーテンキさが何に由来しているのかと言うことは、西尾氏の追求で次第に明らかになるが、単純に言えば「日本は攻撃的人種」、米国は「平和主義者の聖人」というもの。
正に、洗脳教育の賜が根幹をなしている。
だから、秦氏は「もし日本側、枢軸国が勝っていたら、東京裁判と似たような戦争裁判をやっていたでしょう。あるいは、日本人による恣意的な、人民裁判に近いような形になったかも知れない。」という。
続けて、「東京裁判の最中、これといった日本国民の反発は見られませんでした。」と言ってしまう。
西尾氏は、「日本人の方が不公正なことをすると決めつけるのはどうしてですか。」と反論するも反論記載はない。
秦氏と言うのは、歴史上の事実であっても自分の都合の悪いことは黙殺するという傾向があるようである。
なぜなら、東京裁判中の世論の反発がなかったというのは厳重な「言論統制」によるもので、特に東京裁判と憲法問題に関しては厳重に行われたことは教科書にも載っていたことである。
そして、それに反すれば学者と言えども更迭され、それが恐ろしくて憲法擁護の日本国憲法論や歴史学が構成され、戦後60年も経っても継承されてきたのは明らかだ。
そんなことを歴史家である秦氏が知らないはずはない。無視するのは都合が悪いからである。
同じように都合が悪いのは、日英同盟が結ばれた経緯だろう。
なぜなら、北京の55日で有名な義和団事件で各国軍隊、海兵隊が北京に進軍するが、進軍する時の略奪が酷い。
特に酷かったのがロシア軍で、軍隊が間に合わなかった。
その中で、略奪一つなく速やかに進軍して当然一番早く北京に到着したのが日本軍であった。その規律正しい日本軍の態度が日英同盟の基本にあった。

次に、西尾氏は、「ヴエノナ文書」による米国政府の内部に浸透した「コミンテルン」に言及するが、秦氏は「「ヴエノナ文書‥‥決定的な証拠は何もないのです。」と又言い切ってしまう。
そして、状況証拠を突きつけられると「歴史学の専門的見地からいえば‥‥‥ほとんど価値がない‥‥」と逃げる。
西尾氏は、「その歴史学的見地というものを私は信用していない」と反論する。
そして、「張作霖爆殺事件」について言及して関東軍特務機関河本大作大佐が真犯人だとはわかっていないという。
ところが、秦氏は「河本大作大佐が何者であるか、隅々までわかっていますよ。」と又断定する。
ここまで来ると、秦氏と言うのは歴史分析というものにダブルスタンダードを使っていることがわかる。
なぜなら、河本大作大佐が「張作霖爆殺事件」の犯人であるとは、本人が言っている訳でもなく、そうではないかという憶測だからだ。
この「張作霖爆殺事件」と言うものは、「満洲某重大事件」とか「張霖某事件」とか実際は呼ばれて、昭和40年代前半に何回もNHKで検証ドラマが行われた。
そして、初めはNHKでも張霖某重大事件の首謀者は不明とナレーションがあり、その後には関東軍特務機関の仕業と噂されているになり、最近では河本大作大佐の仕業と言い切っている。
簡単に言えば、東京オリンピック以降とはいえ「張作霖爆殺事件」当時の状況をよく知っている人達が生きているときは従来からの見解を踏襲しているのである。
又、「関東軍特務機関河本大作大佐真犯人説」は東京裁判から後の話である。そして、今現在に至っても真犯人は不明な事件であるはずだ。
それを「河本大作大佐が真犯人」と言い切ってしまうというのは、語るに落ちたとは秦氏のことだろうと言うことがわかる。
そして、この秦氏と言うのは、以下のようなきれい事を言って自己を正当化する偽善者であることが分かる。
「プロの歴史研究者は、史実として認定できないものは全て切り捨てて、取り得えず棚上げにしておきます。」
ここからは、西尾氏も腹を立てたようで‥‥
歴史に「善悪の判断」をしているとか、歴史の悪いところばかりを取り上げて、良い部分を無視するとか、‥‥ととどめを刺す。
後は、秦氏が全面逃げを打って、聞く耳持たずのいわゆる「戦後歴史観」の言いっぱなし。

結局、秦氏の馬脚が全部ばれてしまった顛末。
全くお粗末な秦氏でした。
書道家の日々つれずれ より)

 匿名なのでどういう方か分らないが、トータルとしての理解の仕方をありがたく思いつつ読んだ。ここはもう一寸強調して欲しいとか、別の面にも触れてほしいとか、いろいろあったが、それを言い出せばバチが当る。「鬼」の多い世界で「仏」に出会えてあらためて感謝申し上げる。

 ただ、秦郁彦さんのためにあえてひと言弁明してあげておきたい。彼は張作霖爆殺事件については緻密な研究論文を書いている。私は抜刷りを一冊もらった。彼らしいしつこい実証論文である。

 だが、その実証論文には外国の文献への言及がない。外国の研究を視野に入れていない。もうそれだけで「実証」にはならないのである。私はそういうことが言いたかったのである。

 なにしろ爆殺事件は外国で起こった出来事である。日本は外国と戦争したのである。外国が何をしていたかを考えないで日本の国内だけ詳しく掘り起こしても「実証」にはならない。

 日本の近代史について確定的なことはまだ何も言えず、国民的に納得のいく20世紀日本の全体像が生まれるのは50-100年かゝるだろう。

非公開:4月号の『WiLL』と『諸君!』(二)

 さっそく二人の友人からの反応があった。

 尾形美明さんは論争相手の考え方の抜き書きを作って並べて下さった。

「諸君!」誌上の秦郁彦氏との対談を拝読致しました。

 全面的に西尾先生のご主張に賛同致します。
秦氏には幾ら言ってもダメですね。日本国と日本民族に対する愛情が決定的に欠けています。

・「東京裁判はほどほどのものだった。戦時下の日本は裁判もしなかった」
・「東京裁判にはプラスの面もあった。その証拠に日本国民の反発は無かった」
・「コミンテルンの策謀は無かった」
・「ハリー・ホワイトがソ連の利益のために働いたというのは憶測に過ぎない」
・「ルーズベルトが日本を戦争に追い込んだ、と云うのはおかしい。アメリカにとって日本は片手間の相手だった。開戦を後1ヶ月延期すれば、日本はどんな選択もできた」
・「ルーズベルト政権の中国援助は、国際政治上の駆け引きに過ぎない」
・「世界には、第一次大戦の後に侵略はやめようという国際的合意が出来ていた」
・「日本はナチスと云う”悪魔の片割れ”だった」
・「アジア諸国の日本への感謝は”政治的な含み”に過ぎない」

などなどですが、殆んど信じられないような考えです。どうしたら、このような思考が可能なのでしょうか。共産主義者なら、”革命のため”ということでそれなりに理解できますが。
ご苦労様でした。

尾形拝

 以上を読むと、あらためて論争相手の論の立て方の安易さが分る。当事者である私は気がつかなかった。こう並べてもらって成程と合点のいくところがある。

 次いでお目を悪くしている足立誠之さんが以下のように直に反応して下さった。本当にありがたい。当方も鼓舞される。

西尾幹ニ先生

 本日弟にきてもらい二誌の内容を拝読いたしました。
 いつもながら、新たなお話に目から鱗が落ちる気持ちでおります。

 『WiLL』論文については、極東軍事裁判のそもそもの淵源が第一次世界大戦にまでさかのぼること。アメリカは既に第二次世界大戦に参戦する以前から勝利の暁には人類の名において戦争犯罪裁判の実施準備していたことなど、戦後に行なわれた施策が戦前と一つのセットになっていたことがよく理解されました。これは今日でもアメリカには残っている遣り方であり、今後もそうした流れはつづくのでしょう。こうした全体を理解しない外交や国際 政治、歴史解釈はあり得ない筈です。
 
 『諸君』の秦郁彦氏との対談では、秦氏のレベルの低さに驚きました。もう少しマシな人であると思っていましたが、レベルの低さ、それに嘘まで口にすることに嫌悪感を感じました。 旗色が悪くなると「歴史家である私に任せろ」と論争を回避する。思想も何も無く、 俯瞰図もない秦氏は歴史家ではありません。

 氏は「事実、事実」といいますが、それが事実であるのか否かの判断の基準は歴史の流れの中である視点、思想で検証、評価されるもので、そうした視点、思想を持たない人間は「事実」を「事実」として検証することは出来ないはずです。
 
 これは一般の犯罪裁判でも証拠を結びつけるには論理が必要なことと似ているのではないでしょうか。動機はどうなのか、心理状態はどうなのかなどはある基準があってできるものでしょう。秦氏が思想を否定するならば、歴史の作業など出来ないはずであり、私は秦氏は歴史家ではないと思います。
 
 日本が1941年12月1日に開戦をやめていたら国際政治でフリーハンドを握っていたであろうと言うのは驚くべき発言です。彼は大東亜戦争について何もわかっていないのです。
 
 日本軍が捕虜に対して法務官の判断を下して日本の軍法会議で決めていたら、あとで戦争犯罪で死刑になる日本の軍人はいなかったというのも嘘です。映画にもなりましたが、第13方面軍司令官岡田資中将はこうした軍法会議で米軍捕虜を無差別爆撃という戦争犯罪を犯したとして処刑しましたが、そのために米軍の報復裁判で絞首刑にされています。

 正直な感想ですが、秦氏は木っ端微塵に砕けました。
 
 歴史を「昭和史」とい時間内に限定することが、何を意味するのか、それをご指摘された先生のご慧眼に改めてご敬服もうしあげます。この「昭和史観」は司馬遼太郎氏を始め殆どの日本人が陥っていたアメリカの陥穽であり、渡部昇一氏ですらその影響をうけていたほどですから。
 
 ありがとうございました。
 足立誠之拝

 ここにも述べられている通り、論争相手はあの戦争のすさまじさ、というより戦争そのもののすさまじさを分っていない処がある。考え方が甘いのである。

 細かなことをたくさん知っている方だが、肝心なことが分っていない。学問的にみえるが、学問的ではないのである。実証的といっているが、じつは実証的ではないのである。

師走の近況報告

 私はいま四つの会に参加ないし関与している。ひとつは私の主催する勉強会「路の会」で、毎月の例会は順調に開かれている。10月は新保祐司さんの「信時潔について」、11月はヴルピッタ・ロマノさんの「ムッソリーニについて」、そして12月はこれから開かれるが、桶谷秀昭さんの「マルクス『資本論』を読む」である。

 どれも面白いのでそのつどこの日録にレジュメを書きたいと思いつつ、果せない。来年は必ず実行しようと思う。テープ録音しているので、聞き直すことに意味がある。どうも片端から忘れていくので勿体ない。

 もうひとつは坦々塾である。これは3ヶ月に一度の割で開かれ、プロの評論家たちとは違う社会人の楽しい仲間が集う。11月の例会ではメンバーのお一人の三菱カナダ銀行元頭取の足立誠之さん、ゲスト講師として評論家の西村幸祐さん、それに私の三人が各一時間のスピーチをした。

 足立さんのスピーチは文章化されているので近くここに全文を掲示する予定である。私の話は『撃論ムック』の私の連載において評論文体に改め、正確に再現する計画である。次回の坦々塾は1月に新年会を開き、3月に次の例会を開催する。3月の会合のゲスト講師は山際澄夫さんにきまった。

 以上のほかに私は日下公人さんが座長の「一木会」、中曽根元首相を囲む箕山会(きざんかい)のメンバーに誘われ、毎月一度のペースで参加している。そこでの経験も追い追いお知らせしよう。これだけでも大変に忙しい。

 年をとると社会生活が乏しくなるとよくいわれる。だから人に会うのは大切であるとの言葉をよく耳にする。孤独が性に合っているので社交的に行動することは昔から苦手である。年をとったからどうしなければ、ということは私に限ってはない。たゞ大学勤務がもうないので、これくらいの会合に出る時間のゆとりはある。

 このほかに私が定期的にやっていることといえば、(株)日本文化チャンネル桜の「GHQ焚書図書開封」の放映である。放送日が少し間遠になっているが、毎月録画をするのが慣例である。第27回まで実行され、第23回分までが今校了直前まできている同書第二巻に採録される予定である。

 従っていま放映中のものは来年出す第三巻への集録を予定している。少し内容を変えて、第三巻は歴史を離れ、戦時中の日本人の心の秘密をさぐる、という方向の内容を模索している。

第24回放送 日本文明と「国体」
第25回放送 戦場が日常であったあの時代
        ――一等兵の死――
第26回放送 戦場の生死と「銃後」の心
第27回放送 空の少年兵と母

 考えてみると「国体」も「銃後」も死語であり、「七ツ釦は桜に錨」の予科練の「少年兵」ももう実感として知る人は少なくなっている。少年兵と母というところが肝心で、放映中文章をよみ上げながら私は思わず涙ぐんでしまった。

 以上のほかに『WiLL』や『諸君!』や『Voice』等に寄稿したり、関連の講演に出かけたりするのが私の日常だが、今年は例外的に単行本を数多く出したので、そのこともあってひどく忙しかった。

 2月号向きには『諸君!』から「わが座右の銘」アンケートをたのまれ、ニーチェのある言葉に3枚のエッセーをつけて提出した。

 12月20日には既報のとおり、『WiLL』記念四周年の講演会で話すことになっている。話題の田母神前空幕長が私の前に講演されるらしい。詳しくは『WiLL』1月号112ページを見られたい。

 『三島由紀夫の死と私』は出たばかりで、どう読まれているのかは知らない。「つき指の読書日記」で感想文がのったので、ご紹介する。また朝まで生テレビ出演に関して、友人から新しい感想文が届いたので、以下に二つをつづけて掲示し、近況報告を閉じる。

本の論説がいまの私の生きざまに迫ってくる、こんな為体(ていたらく)でよいのかと射ぬいてくるとは思わなかった。日々、読書に明け暮れし、一端(いっぱし)の読書家気取りでこうしてブログで駄文を書き散らかしている。行動とは無縁の状態にある。
 団塊の世代で、当然、全共闘にかかわった世代である。三島由紀夫の事件は、二〇歳過ぎ、東京で学生生活をし、鮮明に記憶に刻み込まれている。それこそ多くの報道や写真に、受動的に眼をとおしていた。
 東大全共闘との三島由紀夫の討論、当時、読んでいた。意外と共鳴する部分の多いのに驚かされた。しかし、同じ世界、拡がりには住んでいるとは思っていなかった。あの事件は異質な出来事、単なるアナクロニズムだとみなし、それ以上は思考を取り止めた。
 西尾幹二『三島由紀夫の死と私』(PHP研究所)を、またしても吸い込まれるように読んだ。ある意味で怖ろしい書である。氏が三島由紀夫との出会いになる『ヨーロッパ像の転換』も、その訪問時の印象を書いている『行為する思索』も読んでいる。手に入らなかったのは『悲劇人の姿勢』だけで、村松剛、徳岡孝夫両氏の本も後に目をとおしている。江藤淳のその部分は読んでいない。その書籍で事件を判断しようとは思わなかった。西尾幹二のように、刃を突きつけられることはなかった。本書の強靱さで、その奥底にある深さ、理解への重い扉をはじめて開いてくれた。
 団塊の世代は全共闘運動をその後、回想することはなかった。内ゲバと浅間山荘で、一括りにできない現実だけが暗鬱に残り、語らないことを当然視しているのは、私だけではない筈である。それほどの思想ではなかった。自分を含め、教養主義の残滓だけ抱えているひとはいる。
 文学も当時とはちがい、芸術とか政治とか、あまり活字が大きくなることは嫌っている。私小説はもともと馴染めなかったし、青臭い話よりはエンタテインメントか、大人の情感に裏打ちされた直木賞を愛するようになった。三島由紀夫の小説も数多く読んでいるが、『豊饒の海』以降は止めた。
 いま西尾幹二は、日本の自立を熱く語りはじめている。現下の問題を超えた、日々の時流に流されず、先々の時流を織り込んだ、俯瞰力のある論をいずれ示してくれるだろう。問題は他国にあるのではなく、足許の日本にある。そこから思考停止せずに組み立てていくしかない、そう思って、迫真の書を置いた。

つき指の読書日記より

F
「日録」に、あの番組についての感想、ほぼ出揃つたやうですね。そのどれもまったうと存じます。
まことにお疲れさまでした。
以前は、私が先生なら、あんな番組には出てやるものかと考へてゐました。あのウジ蟲以下の連中と席を同じうすることは不愉快に決つてゐるからです。思ふだに蟲酸が走ります。この思ひは多分先生におかれても同じでせう。
けれども、最近は、さういふ感情を抑へて出演される先生のお考へが、多少なりとも分るやうになつてきました。如何に癪に觸らうと、言ふべきことを言ひ、視聽者の何%かでも啓蒙できればといふお考へでせう。
そして、これは今囘成功したと思ひます。私の場合、通つてゐる接骨院の待合室で、をばさん達の「あの西尾といふ人、なかなかしつかりしてゐて、いいことを言ふわね」といつた會話を聞いた程度で、何%といふやうなことまでは、とても分析しきれませんが。
先生が大聲を發せられたり、イライラなさる場面、はらはらしながら、痛々しく拜見したことはたしかです。しかし、結果として「きちんと説得的に」話されたことは間違ひありません。だからこそ、下町(場末?)のをばさんまで感ずるところがあつたのだと思ひます。
それにしても、ギャラ(幾らか存じませんが、大した額ではないでせう)に合はぬ、面白からざる役ですね。私なら、やはり「出てやらない」でせう。
田母神さんといふ人、日を經るにつれ、私は好意を募らせてゐます。特に、そのユーモアと生まじめさが好ましい。
そして、誰かが言った「國民の國防意識に大變革を齎すかもしれない」との説には、さうあることを切望します。しかし「まづ國民にショツクを與へること」(ヒトラー)、「民衆をして唖然たらしめること」(マキャベリ)の有效なことを思ふと、田母神さんの、あまりの靜かさ、穩やかさがマイナスになることを危惧します。
田原なぞが口モグモグで、誰も何も言へないうちに、靜かに、堂々と核武裝を進めてくれるやうな英傑の出現は、我が國に於ては望めないのでせうか。
先生によつて教へられた、ミラン・クンデラの「一國の人々を抹殺するための最初の段階は、その記憶を失はせることである」は、日本に於て既に半ば以上成功してゐませう。しかし、なんとかこれを覆したいものです。
先生の御健鬪を祈るや切です。但し、お年と御健康もお忘れなく。

非公開:『GHQ焚書図書開封』をめぐる二友人の手紙

  『GHQ焚書図書開封』が世に出て、ある程度売れているという以上の情報を持たないが、メールを下さる二人の友人がいて、印象的なご文章を送ってくださった。

 一人は山形で公認会計士をなさっている高石宏典さんで、昔の日録への投稿でご縁ができたが、まだお眼にかかっていない。ひところ手紙の交換を頻繁にした。

 もう一人はここによく書いてくださる足立誠之さんで、カナダでお眼を悪くされて、この本もルーペでお読みくださるといっていた。

 二編つづけてお眼にかける。

拝啓  西尾幹二先生

 一昨日の日曜日は大変お疲れ様でした。そして、どうもありがとうございました。山形の高石です。日本保守主義研究会主催の講演会に私も参加し、先生のご講演を拝聴いたしました。

 講演会の後で、先生にせめてご挨拶だけでもと思いその機会を窺っておりましたが、隣の席の方に話しかけられて時間を逸し、そうこうしているうちに列車の時刻に迫られ、やむなく阿佐ヶ谷の会場を後にしてしまいました。心残りではありましたが、ご講演中、何度か先生と視線が合いその度にドキリとしながらも、西尾先生の謦咳に接することができ忘れられない一日となりました。

 ご講演では、ドイツが戦後生存の必要性からナチスの所業を棚に上げて自国の歴史を否定した結果その連続性を失い、今ではドイツ文化が昔日の面影をすっかり無くしてしまったというお話が印象的でした。GHQの「焚書」によって戦前と戦中の我が国の本当の歴史が分からなくなり、我々日本人が精神的支柱を失い「戦後を自分でなくて生きている事実にすら気がつかなくなって」亡国の道を辿っているのだとしたら、それはドイツと同じことですね。

 『GHQ焚書図書開封』はとても面白く拝読いたしましたが、自分の身に引き寄せて一言だけ感想を申し上げるとすれば、一国家だけでなく一個人においても、自己の歴史を肯定・尊重し精神的独立性を保つことこそが生存の根本的条件であり、それらに事欠くということは生存理由が脅かされかねない大変な問題なんだということを改めて痛感いたしました。先生のご講演も新著もGHQの「焚書」という思想的犯罪を糾弾しつつも、問われているのは実は私たち日本人ひとり一人の心のあり方や生き方なのではないかと感じたのはたぶん私だけではないと思います。

 ニーチェは「教育者としてのショーペンハウアー」の最初の方で、「どんな人間も一回限りの奇蹟である」と言っていますが、また別の箇所では「余人ならぬお前が生の河を渡ってゆく橋は、お前自身を措いて他のなんぴとにも架け渡すことができないのだ。(中略)この世にはお前以外の誰にも辿ることのできない唯一無二の道がある。それはどこに通じているのだろう?問うことをやめ、ただその道を歩いて行きたまえ。」とも言っております。先生のご講演を拝聴した後この文章を認めている間に、昔読んだニーチェの感動的な以上のような言葉の記憶がふと蘇り、埃をかぶった白水社版のニーチェ全集を再読してみました。我が国や日本人というよりは、私個人の行く末を暗示してくれているような言葉もあり、また過去が現在に繋がっていることを実感できた真夏の一日だったようにも思います。

 以上、とりとめのない文章で失礼いたしました。機会があればまたぜひ先生のご講演を拝聴したいと存じます。猛暑の日々、何よりも西尾先生のご健勝を祈念申し上げる次第です。

                                敬具
平成20年7月15日  高石宏典

西尾幹ニ先生

 前略、過日は産経7月24日付け「正論」ご寄稿に関係してお電話と賜り恐縮いたしております。有難うございました。

 本メールでは身の回りで起きている「GHQ焚書図書開封」を巡る反応についてご報告申し上げます。

 現在私のところには毎週ヘルパーさん2人、歩行訓練インストラクターが来てくれておりその他にも市役所の職員が頻繁に来てくれています。

 この4人が夫々リビングの机の上に私が読書中の「GHQ焚書図書開封」に気付きどんな本であるのか聞いてくるのです。

 この質問に私は「第一次世界大戦の後、ベルサイユで講和会議が開かれたのは知っていますね。このときにここで国際連盟が設立されました。その規約に”人種平等”を入れようとある国が提案しましたが、ある別の国が強硬に反対したので結局この提案は実りませんでした。このとき”人種平等”を提案したのはどこだったと思いますか」と質問しましたが、全員が「アメリカでしょう」とこたえたのです。私が「実は提案したのは日本で強硬に反対して廃案にしたのがアメリカなのです」というと彼等はびっくりします。

 そこで私は「この本は日本が人種平等の提案国であり、アメリカがそれを廃案にしたのに、何故今日の日本人はそれを知らないのか。それは人種平等だけではなく沢山あるのですが、何故そうなったのかを研究している本です」と説明しましたが、彼等が受けた衝撃は大きかったようで、その一人はその後「あの本がベストセラーブックの中に入っていいました」等と報告してきました。それで御著書を取り寄せながら、一人一人に貸し「何時返してくれてもOK、また貸ししてもOK」と告げました。

 今日の日本人の大部分はこの4人と同じ認識ではないであると思います。「GHQ焚書図書開封」が国民の間に清とすれば、日本は変わり再生するでしょう。それがなければ日本は滅亡するかもしれません。戦後の戦争に日本が勝利するためには「GHQ焚書図書開封」が鍵をにぎると思います。米国は日本との戦争に原爆で戦争にとどめを刺し、「検閲」と「焚書」で完全に骨抜きにしようとし、それは今まで続いてきました。「GHQ焚書図書開封」は日本の独立のための文字による原爆以上の武器であると信じております。

足立誠之拝

日本の国家基盤があぶない(二)

 友人の粕谷哲夫さんが「ニュース拾遺」といって、毎日膨大数の情報、記事やブログやネットニュースをまとめて送って下さる。私以外にも送ってもらっている人は相当数にのぼるはずである。

7月24日付のコラム「正論」(産経新聞)の拙文「日本の国家基盤があぶない」について、「ニュース拾遺」の中で、次のような粕谷さんからの評価があった。

 現今の政治の空気がコンパクトかつコンデンスされた文体で過不足なく総括されている。彼は与えられた字数・枚数にコンテンツを埋め込むプロであることを自負していたが、うなづける。

コンテンツ・コンパクト・コンデンスの<3コン>に欠ける「正論」にも遭遇することがある。

 こう言っていただけるのはありがたい。

 たゞ私はコラム「正論」は滅多に書かないことにしている。昔と違って、よほど肚に据えかねることがあるとき以外には、手を出さない。前回は2月29日に「自衛隊の威信は置き去りに」(イージス艦衝突事故のこと)、を書いている。

 今回の「日本の国家基盤があぶない」について、「東アジアファシズムを斬る」というブログで、以下のような批評があった。この批評の存在を教えてもらったのも、粕谷さんの「ニュース拾遺」からである。

「西尾幹二氏の体内で脈打っているナショナリズム」@東アジアのファシズムを斬る!
2008/7/24

産経の正論に西尾幹二氏のまさに正論が載っていたのでご紹介する

【正論】評論家・西尾幹二 日本の国家基盤があぶない  (本文省略)

私は西尾氏の意見にはほとんど賛成なのだが、全面的にではない。例をあげると、いつまで待っても覇権意志をみせない日本を諦(あきら)め、中国をアジアの覇権国として認め、台湾や韓国に対する中国の外交攻勢をも黙認し始めた。というのは違うと思う。米国は「平和憲法」の押し付け以来、終始一貫日本を属国として取り扱ってきた。もし、覇権国にしたいのなら、日本の核武装を奨励したはずである。6者協議は氏がおっしゃっているように、日本に核を持たさないための協議であることでも明らかである。

このように意見の相違が多少ある西尾氏だが、論文を読むと、いつも感動する。それは氏の体内で脈打っているナショナリズムに共感を覚えるからである。戦後レジームは、贖罪史観と米国依存という長年に渡って日本を支配してきた二つの思想に凝縮されている。

近隣諸国とは波風を立てないのが一番と、「南京大虐殺」も、「強制連行」も、「従軍慰安婦」も中韓の言うがままに認め、侵略への備えは米国任せ。「スパイ活動防止法」すらない体たらくである。これが長い年月拉致を許してきたばかりか、今尚、たった5人しか取り返していない原因である。

中共・北朝鮮というファシズムを倒すには、米国依存では不可能である。ナショナりズムの勃興を図らねばならない。伝統が育んだ日本固有の民族性を無視し、「1000万人の移民受け入れ」などという、売国政治家は放逐しなければならない

 ところでここで述べられている、アメリカが期待していた日本の覇権意志の存在の有無だが、私もそんなことがあったと安易に考えているわけではない。ニクソン=佐藤栄作の時代に、やゝそれに似た構えがアメリカ側にもあったかなと思い出す程度である。

 アメリカの日本封じ込めの対応は戦後一貫していることは私の論題の一つでもある。WiLL 9月号の皇室論(第四作)の一節に私は次のように書いているので、「東アジアのファシズムを斬る」のブログとこの点での意見は同一である。

 米国に「武装解除」され、政治と外交の中枢を握られて以来、60年間操縦席を預けたままの飛行は気楽で、心地いいので、自分で操縦桿を握ろうとしなくなった。米国はこれまで何度も日本人に桿を譲ろうとした、自分で飛べ、と。米国人も今や呆れているのである。尤も操縦桿は譲っても、飛行機の自動運行装置を譲らないのが米国流儀である。日本人はそれが嫌になって投げ遣りになったのかもしれない。

 アメリカの日本封じ込めはここに述べた通りだが、日本に独立への本当に強い意志があればアメリカもなし崩しに譲歩せざるを得ない情勢になったこともなかったわけではない。たゞ、日本側にいつもやる気が欠けていたのである。

 ひょっとすると今がアメリカの譲歩を得る機会が到来しているときかもしれない。日本側に心の用意が出来ていないのは依然として同一で、それが根本問題なのである。

 日本人はいま中国批判に熱心だが、アメリカの虎の威を借りていくら中国批判をしても、もう虎はいなくなったのだからダメである。

 アメリカに日本の核武装を納得させることが先決である。それを試みて失敗したときアメリカの真意が分る。そこから初めて、アメリカからの軍事独立の難しさと同時にその必要性の緊急なることを一層確然と悟るであろう。

非公開:「皇太子へのご忠言」続篇(一)

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西尾幹二先生

「WiLL」の第二弾は、第一弾にも増した感銘を覚えながら拝読しました。
前号では衝撃が読者の心を捉えたと思いますが、今号は国難に瀕する「覚悟」が読者をゆるがせたに違いありません。
皇室が信仰に根ざす故に、不合理であるという根本を鋭く指摘されており、小生がかねてより考えていた皇室感とも全く一致します。それが、いつもながら先生の論旨の明確さに支えられて展開するので、痛快ですらあります。
不合理だからこそ美しい歴史として国民の尊崇の対象となるのです。

しかしながら、いかに先生の本稿が素晴らしくても、肝心の皇太子夫妻の耳に声が届くのかどうか、それが問題なのです。
皇太子本人が決定すべき事項が余りにも多く、それをペンディング、若しくは放棄しているのですから残念ながら解決の糸口は絶望的だともいえます。誰も皇太子夫妻に直接諫言できる側近がいないまま時間が過ぎ、天皇・皇后は無念を抱いたまま加齢されてゆきます。

西尾先生の二回にわたる論文を皇太子夫妻が心を開いて読んでくれることを祈るばかりです。
とにもかくにも小生は、先生の本稿がこれまでの凡百の皇室特集を粉砕して余りある内容だと思いました。
皇室問題には一歩距離をおかれてきた西尾先生が、ここへきて直言を書かれたことの意義は大きく、一人でも多くの読者に読んで欲しいと念願してやみません。

取り急ぎ愚考まで。

加藤康男

拝復

 肝腎なことが起こると貴方が必ずお手紙をくださるのがありがたく、いつも貴方がどう考えてくれるのかなと思いながら書くことも多いのです。雑誌はまたバカ売れしたようで、二度増刷したそうです。増刷分だけで5万部だと昨日会社の人が自慢していましたが、妻子を殺された人の手記も大きかったのでしょう。花田さんは根っからの編集者魂の人なのですね。

 雑誌はそんなにたくさんの人に読まれても、私に感想を書いて下さったのは貴方おひとりでした。友人たちはいつも誰も何も言わないのです。それだけに貴方のメールを嬉しく存じました。

 仰せの通り、現実はそんなに大きく動きません。当事者が読んで心を入れ換えるなんてあり得ませんから、結びの一文に書いたように、もうすべてが遅すぎるのかもしれません。

 ただせめて一つでも変わることがあるとすれば、例えば『文藝春秋』が座談会でお茶をにごし問題を先送りするような、姑息な編集方針を改めるようになることです。

 言論で何を訴えても変化は小さいものです。ものを書くということは非能率で、空虚な作業だと思うことは常々ですが、せめてものを書く人間だけでも「責任」ということをもっと考えてくれればと思います。編集者が官僚化してはおしまいです。

 それから、よほど過激な左の人でない限り、いまはみな天皇制度の擁護の立場に立った上であれこれ言って、現状を守ろうとしますね。今後私に反論の文を寄せる人が出てきたら必ずそういう書き方になります。

 最初のページに私が「天皇制度を擁護している知識人の論文の中にこそ、本当に信じていない人間に特有の利口な無関心が顔を覗かせている」と書いておきましたが、大部分こういう人ばかりです。

 そして大切なのは、私も「利口な無関心」に半身を入れているのですよ、と私が言っていることであって、この点に気がついてもらわないと本当のことは分らないのです。

 皇室問題は信仰だということ、信仰だから半分は信じられないのだということ、そして神話への信仰が基本だということ、神話はつくり話だと思っていますかいませんか、と皆さんに問い質したのがあの論文です。

 加藤さん、貴方はちゃんと見抜いて下さいましたね。不合理ゆえに美しい、という貴方の言葉に置き換えてこのことを述べて下さいましたが、このことが分る人は少いのです。

 大概の人は自分の観念に安住するからです。皇室問題に関する私の定まった観念はありません。私は自分が信じられるのか信じられないのか、そのことを自分の心に問い掛けているだけです。

 そして、それは皇室問題だけでなく、すべてのものを書く行為の基本ではないでしょうか。

 自分が簡単に信じられることは書いても仕方がないのです。先々どうなるか分らないこと、よく見えない未来を見えるようにすること、つまりそのつど賭けること――それは信じられるか信じられないか分らないことに挑戦するということと同じ態度です。

 誰しもが分っていること、みんなが信じている「観念」に乗ってものを言うのはもっとも価値のない行動です。

 ですから、私は福田内閣批判をしきりに書く人の気持が分りません。国民の100人のうち99人は福田はダメだと分っています。言論人はこんな安易なテーマを捨てるべきです。

 言論人は群衆の一人になってはいけないのです。

 私は安倍晋三氏が保守言論界の宿望を担って登場し、首相にならんとしたときに、この人はダメだと書きました。政治が分っていない人、性根の据わっていない人と見抜いたからです。

 しかしあんな形で内閣をほうり出すということまでは予想がついていたわけではありません。たゞ私は自分が信じられない、と書いただけで、固定したどんな「観念」も私は持っていません。信じられないのを自分の心に問うただけです。

 福田康夫氏は最初から言論人の誰にとってもダメな人とお見通しでした。であれば、今さら彼について論を張るどんな意味があるのでしょう。

 皇室問題も基本は同じだと思います。私は信じ、そして信じていないのです。だからこそ強く信じることができるのです。不合理だから美しいという貴方のことばを大切にしたいと思います。

 近くまた一杯やりましょうね。鰹のうまい季節がきました。あれの旬のときは酒もうまいのです。

                              西尾幹二

非公開:『三島由紀夫の死と私』をめぐって(五)

謹啓 

 『飢餓陣営』の論文拝読しました。日録に感想を寄せた方々と同じ思いです。先生の『ヨーロッパ像の転換』の本の帯に三島氏の言葉があったと記憶します。「これは日本人による『ペルシャ人の手紙』である。……我々は一人の思想家を見出した。」という内容だったと思います。それで三島氏は早くから先生に対して相当の評価をなさっているのだと思っていました。

 あの事件の翌日、三島氏の本を買うために店頭に多くの人が並ぶニュースを見ました。当時先生が書かれた論文を読んでも十代の私には理解不能だったはずなので、今回の連載は大変有難い気持ちです。難しいので何度も読みました。

 三島氏の二元論、政治と行動などの問題についてこれ程精密な文章を私は初めて読みました。読んだ後は切ない気持ちになりました。まるで何度も聴きたくなる交響曲のようでした。近頃思うのですが、自分たちの靖国神社のことを外人に教えてもらう必要は全くないし、映画『明日への遺言』も上司の鏡だという似たような感想ばかり目につくので、かえって観る気が失せてしまいました。

 本当のことや肝腎なことは何も語られない社会。我々は、他人の服を着ている様な居心地の悪さを感じつつ、そこに安住することなく、両眼をカッと見開いて、絶えず過去を振り返りながら真の自己に突き当たる瞬間を求めて、未来に向かって走り続けなければならないのでしょうか。背筋の伸びる論文でありました。小さくかつ乱筆お許し下さい。
                                敬具
平成20年4月12日

 私信でしたが、私にはありがたく、しかもいい内容のご文章でしたので、取り上げさせてもらいました。女性の方からです。講演会でお目にかゝったことがあり、お名前は存じていますが、住所が書かれてありません。掲載は困るという場合には、その旨至急ご一報ください。消去します。

非公開:『皇太子さまに敢えてご忠言申し上げます』をめぐって(二)

 いただいたコメントの中でもう一つだけ面白いご文章があったのでご紹介する。苹さんは書道家で、「日録」がコメント欄を開いていた当時ユニークなご文章、国語と言語文化に敏感なご文章をたくさん寄せて下さり、私は大いに啓発されたものだった。今度も読んで面白く、ハラハラさせられる内容である。

題:見てるかな
  苹

(余談)
 「書」とは何か、と問われたら困るが、「書」の本質は何か、と問われるならどうにかなる。全体を丸ごと描き出す必要はなく、本質だけ~すなわち「書く事だ」と答えるだけでよいからだ。

  ~なぜ書くのか。「読む」または「読まれる」ために書く。つまり「書く」には「読む」が内在する。ところが一方では「読む」を度外視した書き方も成り立つ。しかしそれとて結局は「書く」本人独自の読み方で書いただけの事に過ぎず、雑駁には或る意味「他人に読めないだけ」のエニグマ(謎)とも云える。…借問しよう。作曲家が意図した通りに、我々はエルガーのエニグマ変奏曲を聴けるのかね。にもかかわらず我々は我々の仕方で曲に近付こうとする。聴き手が書き手に近付こうとする様に「スコアを読み」「演奏を聴く」。それと似通った読み方が存在する。
 
 「書く様に読む」行為と「読む様に書く」行為との循環と接近、そしてそれらの限界が「書」の本質に相当する。「書く側と読む側の一致」を仮構しても実際そうならないがゆえに、本質それ自体が両者の相反する仮構性を牽引するからだ。言い換えるなら、本質は両者にとって「中心」であらねばならない。その渦に巻き込まれた両者~「書き手」や「読み手」はどちらも本質を牽引しているのではなく、本質に牽引されている(或いは「牽引」の箇所に「所有」とか「獲得」の語を用いた場合のニュアンスを交えてもよい)。
 
 しかしこれを“「書」とは何か”の側から見れば、多分「本質らしからぬ答え」と映るだろう。そこには「手段としての巧拙」や「副産物としての滋味・風流」を「目的であるかの様に」転倒させた見方が絡む。目的と本質を取り違えるからそうなる。目的を適宜(都合や流行に応じて?)設定すれば、それに見合った優劣評価がごく当たり前の様に可能となるだろう。差詰め「ウマイ字を書いた本人が自分の字を読めない」ケースなんか、本質そっちのけで好成績という目的に満足するのではないか。
 
 そう云や教員時代の同僚に、本質を教える事にあからさまな拒否反応を示した商業科教員が居たっけ。(この件については支援板で詳しく考察する予定。)

(本題)
 今日、『WiLL』五月号を買ってきた。目当ては「日録」で知った西尾先生の「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」稿。…ウマイ事を書いている。「能力主義の行き着く果ては不毛なんです。だけどついに能力主義は皇室にまで入ってしまったんですよ、こんど」(P.32)と書いたのが十五年前。それを今回、またまた時間をかけて煮詰めている訳だ。

 先生は「雅子妃仮病説」について、「インターネットを見ているとうねりをなすような国民の裏声がそれだということを、知らない人のために申し添えておきたい」と書いている(P.37)。ここも見てるかな~(わくわく)。所謂「皇室外交」云々の話題では、「もしそれを外交官のご父君が予め教えていないのだとしたら、小和田氏の罪である」との記述も四年前に出してあったそうな(P.36)。どちらの旧稿も教育問題と密接に絡む。それを書道に見立てれば上記の通り。

 書かれたものは破棄されても、書く行為の方は「書」の本質をめぐる諸々の手段に則って書き継がれてきた。…皇室の方はどうだろうか。西尾先生は「滅びるものはどんなに守ろうとしても滅びる。滅びないものは滅びに任せても蘇生する」(P.36)と再録するが、今の時点で読むと表現の大胆さに驚かされるばかり(それだけ事態は深刻って事か)。