2月1日に坦々塾主宰の私の講演会がホテル・グランドヒル市ヶ谷で開かれた。その草稿を元にして『正論』4月号に一文を草したことはすでに見た通りである。
『正論』4月号の拙文は読み直してみてそれなりにまとまってはいるが、30枚余と最初から制限があるので、内容は講演とは部分的に重なってはいるものの、違ったものになっている。
講演の音声から文字起こしをして整理して下さった会員の阿由葉秀峰さんからA4で25枚の講演草稿がファクスで送られてきた。読んでみて『正論』4月号とはかなり違う内容だと分った。
『正論』4月号の拙論をよくよく理解していたゞくためにも、講演草稿をここに掲示するのは意味があると思った。
阿由葉さんのご努力にあらためて御礼申し上げる。最初の書き出しは『正論』4月号とほゞ同一文だが、辛抱して読み進めていたゞきたい。
坦々塾講演 ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(決定稿)
(一)
「イスラム国」を名乗るテロ集団による日本人の犠牲が出て、国の政治が停止してしまったかのような狼狽が見られました。
アメリカ人やフランス人の殺害は対岸の火事でした。なぜ日本人が? という疑問と、やっぱり日本人も? というついに来たかの感情が相半ばしています。
今のこの時代にこんな原始的な脅迫殺人が起こるとは考えられない、と大抵の人は心の奥に底冷えする恐怖を感じたでしょう。時代の潮流が急速に変わりつつあるのかもしれません。
アメリカからは脅迫に屈するな、の声が日本政府に届いていました。アメリカ人ジャーナリストがオレンジ色の衣を着せられ脅迫されたときには、アメリカ国民は慌てず、いうなれば眉ひとつ動かさず、犠牲者を見殺しにしました。イギリスもそうでした。たしかにテロリストと取引きすると、事態はもっとひどくなります。福田赳夫元首相がダッカのハイジャック犯に金を払って妥協してから北朝鮮の拉致は激化しまた。それだけではありません。取引することはテロ集団を国家として認めることにもつながるのです。
それでもなぜ日本人が? の疑問は消えないでしょう。日本人は宗教のいかんであまり興奮しない国民です。イスラム教とキリスト教の2000年の対立が背景にあり、パリの新聞社襲撃テロを含めて何となくわれわれには地球の遠い西方の宗教戦争であり、日本人には関係ないと思う気持ちがありました。せっかく親日的なイスラム教徒とは対立関係になりたくないという心理もありました。「イスラム国」のテロリストは他のイスラム教徒とは違うとよく言われます。この事件でイスラム教やイスラム教徒に偏見を持ってはいけないとも言われています。それはその通りです。けれどもキリスト教徒に問題はないのでしょうか。
イスラム教とキリスト教の宗教戦争が根っこにあり、イギリス、フランスの20世紀初頭の中東政策への怨みが尾を引いているのは間違いないでしょう。中世までイスラム文明が西ヨーロッパ文明に立ち勝っていた上下関係が18~20世紀にひっくり返った歴史も、イスラム教徒の許し難い気持ちを助長させていることでしょう。
4世紀のゲルマン民族大移動とローマ帝国の崩壊の後のユーラシア西方全体の歴史に、対立は深く関係しています。最初イスラム教徒が圧倒していました。キリスト教徒11世紀より後に「十字軍」を遠征してまき返します。13世紀にヨーロッパにモンゴルが襲撃してきたときでも、キリスト教徒はモンゴルより憎んでいたのがイスラムでした。モンゴル軍と妥協してでもイスラムを撃ちました。イスラムの方が比較的寛容でした。地中海の東方の出口を抑えていたからで、レパントの海戦(1571年)でイスラムが敗れ、キリスト教徒はインド洋、太平洋を制圧し、形勢を逆転させました。その後はキリスト教文明優位のご承知の通りの歴史の展開です。
イスラムは、かつては文明的に野蛮な西ローマ帝国やフランク王国を見下していました。それが今はすっかり逆になっていしまった。キリスト教国に押さえこまれてきた歴史の長さ、重さ、劣等感がついに過激なテロの引き金を引かせる心理の一部になっているのは紛れもない事実でしょう。ヨーロッパのイスラム系移民の2世、3世が「イスラム国」に参加している例が多いことからみても、やはり歴史の怨みと現代の閉塞感が重なった宗教戦争の色濃い出来事であるとはいえるでしょう。
歴史的反省をしたがらないヨーロッパやアメリカなどのキリスト教国は、あえてこのことを見ないで、「テロは許せない」とか「たとえ宗教批判になっても言論の自由はある」といった一本調子の観念論で、やや硬直した言葉を乱発していますが、これもキリスト教国側が承知で宗教戦争を引き受けている証拠なのです。
こう見ていくと、日本人はどちらにも肩入れしたくない。公平な立場でありたいと願います。ところが、イギリス、アメリカ、フランスなどのキリスト教国側に乗せられ、キリスト教国でもないのに「テロは許せない」の西側同盟の一本調子のキャンペーンに参加している観があります。オバマ政権から脅迫に屈するな、の声が届けられ、テロリストと取引をしてはいけない、の教訓に縛られていたように見えます。それでいて、西側諸国と違って軍事力は行使できません。それならば何もしなければいいのです。日本は神道と仏教の国。宗教戦争には手を出さない、の原則を貫いた方がいいのではないでしょうか。「イスラム国」から被害を受けた地域の犠牲者に2億ドル(240億円)の救済金を出すと胸を張って宣言したような今回の日本外交のやり方は、関係者は気がついていないかもしれませんが、事実上の「宣戦布告」なのです。
軍事力を行使しなくても戦争はできます。否、軍事力を行使する戦争をしたくないばかりに、それでいて戦争をしたふりをしないと西側に顔が立たないので、いつものように引きずられるようにカネを差し出す。平和貢献と称する度重なるこの欺瞞は今度の件でほんとうに最終的に壁にぶつかったと考えるべきでしょう。
「イスラム国」のテロリストからは今回は脅迫されただけでなく、完全にからかわれたのです。二億ドルというぴったり同額のどうせ実現できないと分かっているほどの巨額の身代金を求められたではありませんか。しかも直後にカネはもう要らない、女性の死刑囚との交換をせよとあっという間に条件を替えられたではありませんか。相手が非道で異常なのは事実ですが、日本は愚弄されたのです。テロリストの頭脳プレーにより、日本国家は天下に恥をさらしたのです。
もちろんオバマ大統領はじめ西側諸国はそうは言わないでしょう。日本の積極姿勢を評価するでしょう。差し当たり他に日本に打つ手がなかった、という政府擁護論にも十分に理はあります。
ですが、日本は「のらりくらり作戦」がどうしてもできない政治体制の国なのだ、とあらためて思いました。そして、いわゆる西側の「正論」に与する前に、ほんの少しでもイスラム教とキリスト教の2000年に及ぶ宗教戦争の歴史に思いが及んだだろうか、と政府当局者に聞いてみたいと思います。さらに、国際社会の「法」と呼ばれるものがいつ、どのようにして形成されたかを、これもヨーロッパの中世より以後の歴史の中で検証したことがあるのだろうか、と疑問とも思えるのです。
日本人の安全はカネを差し出すのではなく、本当の意味での実力行使以外に手はなく、他の手段で自国民を守れないという瀬戸際についに来ていることをまざまざと感じさせる事件でした。
中国や韓国が戦後の日本からの経済支援に感謝しないばかりか、国民に支援の事実を知らせもしない、とわれわれのメディアはこれまでもしばしば怒ってきました。しかし一般に外国からの経済支援はその国の政治指導者を喜ばせるかもしれませんが、その国の国民には歓迎されないものです。歓迎されないのが普通です。アメリカからの戦後日本へのララ物資は日本人を救ったはずですが、われわれは家畜に食わせる餌を食わせた、と言わなかったでしょうか。どの国民にもプライドがあります。他国からの経済支援に感謝するのはそのときだけで、あっという間に忘れてしまうのが普通です。それがむしろ健全です。そして外国からの支援金でなにがしかの成功を収めると、自国の力が発揮された結果だとその国の政府も言うし、国民もそう信じたがります。中国や韓国が格別に不徳義なわけではありません。彼等が口を噤んでウソをつくのは許せませんが、カネを支払う平和貢献を軍事的威嚇のできない代用とする日本外交のいぜんとして変らぬ思い込みの方がはるかに大きな問題です。馬鹿々々しいだけでなく、今や醜悪でさえあります。ことに命の代償に240億円が数え立てられ、かつ取り下げられたテロリストの頭脳プレーにより、日本国家は天下に恥さらしたのです。
オスマントルコ脅威の時代にイスラムが西洋を文明的に圧倒していたと同じように、中国は宋の時代まで日本に優越していました。中国人自身の主観では清の時代まで中国大陸優越を想定しているでしょう。ところが近代史に入って日本優位に逆転しました。それが中国人には許せません。口惜しさ劣等感が尾を引いていることはRecord Chinaなどに現れる観光客その他ネット情報を見ているとよく分ります。韓国人にも似たような一面があります。
中韓両国による対日批判は今や世界中に伝えられ、地球の不協和音の一つに数えられていますが、先の大戦が主原因と思われていて、アメリカやヨーロッパではよもや他の原因があるとは考えられていません。しかし戦争の歴史解釈は動機いかんで変わります。中韓両国民の動機は何に基いているか。イスラム教徒の歴史は欧米人の歴史像とはまったく違った展開になっているはずです。中韓両国の対日批判の動機もイスラム教徒の欧米批判の動機に似ていて、不合理で、情緒的で、宗教ドグマ的で、先の大戦をめぐる実証主義に基く客観性を著しく欠いています。そのことを欧米世界に、日本人はキリスト教とイスラム教の宗教対立を例にあげて説明し、日本における神仏信仰、皇室尊崇心と、中韓における朱子学(現われ方いかんでは一神教に近い)とでは水と油であることを分らせるよう働きかけるべきです。
朝鮮半島と日本との間には、パレスチナとイスラエルとの間にある宗教的なへだたりにも似たへだたりがあることを、例えばオバマ大統領に知らせることは、このうえなく重要です。
いたずらにわが国が右翼傾向を強めているなどと欧米から批判的に見られるのは、先の大戦の全像の見方を(少なくともドイツと日本とは違うことを)欧米側がいささかも変更しないことにあります。しかも中韓両国の感情的な対中批判を鏡に用いて、それに照らして、日本は歴史修正主義を志しているなどと言うのです。中韓の批判はイスラム教徒のキリスト教文化圏に対する劣等感に基く混迷な原理主義的感情論にも似ているのです。日本が「イスラム国」に対処するのにアメリカやフランスやイギリスの姿勢に合わせるのもいいのですが、それなら欧米が中国や韓国の主張に対処するのに、欧米の基準だけでものを言うのではなく、日本の姿勢にあわせることに道理があることを訴えていくべきです。
つづく