原発事故のこと

 福島原発のことが気がかりで私も何となく気が晴れない。春の陽気になって、街にはとりどりの花が咲いているが、心が沈み勝ちである。

 原発に関しては14日に日本文化チャンネル桜の討論会に出て、考えを述べた。メンバーは次の通りである。

番組名  :「闘論!倒論!討論!2011 日本よ、今...」
テーマ  :「原子力発電の未来を問う」
 この度の福島第一原子力発電所の問題を検証しながら、これからの日本がとるべき原子力発電の未来について、様々な観点から議論していただきます。

放送予定日:平成23年4月16日(土曜日)
       20:00~23:00
       日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
       インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp/)

パネリスト:(原発推進)50音順敬称略
      齋藤伸三 (前原子力委員会委員長代理・元日本原子力研究所理事長)
      竹内哲夫 (前原子力委員会委員・元日本原燃社長・元東電副社長)
      林 勉   (エネルギー問題に発言する会代表幹事・元原子力メーカー技術者)
      兵頭二十八(軍学者)      
       
      (原発反対)50音順敬称略
      菊池洋一 (元GE技術者・福島第一原発施工管理担当)
      鈴木邦男 (作家・政治活動家)
      西尾幹二 (評論家・文学博士)
      前田有一 (映画評論家)
     
便宜上、推進と反対に分けておりますが、単純な対立的議論ではなく、それぞれの立場から日本のエネルギー問題として、原子力発電の未来を考える議論ができればと考えております。
      
          
司 会 :水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

 福島第一原発の設計者であった元GEの技術者の菊池さんという方はユニークな個性の方である。ひとりで人の三倍も喋って司会者を当惑させていたが、この方の人生の物語りが私には面白かった。

 放送後に日本文化チャンネル桜のホームページの左側にあるニコニコ動画とかYou Tubeとかを開くと見られるそうである。第二回目の最後の私の発言の場面で私は自分の一番言いたかったことを語った。第三回目では原子力安全委員会などを代弁する方の余りに型通りのきれいごとに、私は少し強い調子で疑問を述べた。

 今度の事件が人災かどうかは別として、日本社会の官僚化の欠陥が表面化したのだと考えている。それから、日本は非核三原則などといってこわいものは逃げてきた。原子力潜水艦ひとつ建造していない。そんな国が「平和利用」だけやろうとしてうまくやれるはずがない。いいとこどりだけやろうとしてうまくできるはずがない。何か根本的に間違っているのではないか。

東北沖地震(四)

最悪の中の最悪を考えなかった

 ≪≪≪ 許されぬ「想定外」の言い訳 ≫≫≫

 原発事故下にあえぐ福島県の地域住民の方々、ならびに原発現場で日夜を問わず国の破綻を防いでくれている多くの勇敢な方々に、まず、心から同情と感謝を申し述べたい。これから後は、いよいよ指導者たちが政治的勇気を見せる番ではないかと考える。

 今度の福島第一原発の事故は、原子力技術そのものの故障ではなく、電源装置やポンプや付帯設備(計器類など)の津波による使用不能の事態が主因である。防止策として予(あらかじ)め小型発電機を設置しておくべきだったと批判する人がいたが、福島では非常用ディーゼルが用意されていて、しかも、それがちゃんと動いたと聞く。しかしディーゼルを冷却するポンプが海側にあって流され、冷却できなかった。これがミスの始まりだったようだ。電源が壊れ、原子炉への注水機能がきかなくなった。Aの電源が壊れたらBの電源・・・・C、Dと用意しておくほど、重大な予防措置が必要なはずではないか。

 東北は津波のたえない地域である。設計者はそのことを当然知っていた。東京電力は今回の津波の規模は「想定外」だというが、責任ある当事者としてはこれは言ってはいけない言葉だ。たしかに津波は予測不能な大きさだったが、2006年の国会で、共産党議員がチリ地震津波クラスでも引き波によって冷却用の海水の取水停止が炉心溶融に発展する可能性があるのではないかと質問していた。二階俊博経産相(当時)は善処を約していたし、地元からも改善の要望書が出されていたのに、東電は具体的改善を行わなかった。

 同原発は原子炉によっては40年たち、老朽化してもいたはずだ。東電が考え得るあらゆる改善の手を打っていた後なら、津波は「想定外」の規模だったと言っても許されたであろう。危険を予知し、警告する人がいても、意に介さず放置する。破局に至るまで問題を先送りする。これが、日本の指導層のいつもの怠惰、最悪の中の最悪を考えない思想的怠慢の姿である。福島原発事故の最大の原因はそこにあったのではないか。

≪≪≪ 「フクシマ」に国家の命運かかる ≫≫≫

 作業員の不幸な被曝(ひばく)事故に耐えつつも日夜努力されている現場の復旧工事は、今や世界注視の的となり、国家の命運がかかっているといっても過言ではない。何としても復旧は果されなければならない。230キロの距離しかない首都東京の運命もここにかかっている。決死的作業はきっと実を結ぶに違いないと、国民は息を詰めて見守っているし、とりわけ同型原子炉を持つ世界各国は、「フクシマ」が日本の特殊事情によるものなのか、他国でも起こり得ることなのか、自国の未来を測っているが、日本にとっての問題の深刻さは、次の2点であると私は考える。

 第一は、事故の最終処理の姿が見えないことである。原子炉は、簡単に解体することも廃炉にすることもできない存在である。そのために、青森県六ヶ所村に再処理工場を作り、同県むつ市に中間貯蔵設備を準備している。燃料棒は4、5年冷却の必要があり、その後、容器に入れて貯蔵される。しかし、フクシマ第一原発の燃料はすでに溶融し、かつ海水に浸っているので、いくら冷却してもこれを中間貯蔵設備に持っていくことはできないようだ。関係者にも未経験の事態が訪れているのである。

≪≪≪ 見えて来ぬ事態収拾の最終形 ≫≫≫

 殊に4号機の燃料は極めて生きがよく、いくら水を入れてもあっという間に蒸発しているらしい。しかも遮蔽するものは何もない。放射性物質は今後何年間も放出される可能性がある。長大で重い燃料棒を最後にチェルノブイリのようにコンクリートで永久封印して押さえ込むまでに、放射線出しっ放しの相手を何年水だけを頼りにあの場所で維持しなければならないのか。東電にも最終処理までのプロセスは分らないのだ。

 それに、周辺地域の土壌汚染は簡単には除染できない。何年間、立ち入り禁止になるのか。農業が再開できるのは何年後か、見通しは立っていない。当然、補償額は途方もない巨額になるだろう。

 問題の第二は、今後、わが国の原発からの撤退とエネルギー政策の抜本的立て直しは避け難く、原発を外国に売る産業政策ももう終わりである。原発は東電という企業の中でも厄介者扱いされ、一種の「鬼っ子」になるだろう。それでいて電力の3分の1を賄う原発を今すぐに止めるわけにいかず、熱意が冷めた中で、残された全国48基の原子炉を維持管理しなくてはならない。そうでなくても電力会社に危険防止の意志が乏しいことはすでに見た通りだ。国全体が「鬼っ子」に冷たくなれば、企業は安全のための予算をさらに渋って、人材配置にも熱意を失うだろう。私はこのような事態が招く再度の原発事故を最も恐れている。日本という国そのものが、完全に世界から見放される日である。

 手に負えぬ48個の「火の玉」をいやいやながら抱きかかえ、しかも上手に「火」を消していく責任は企業にではなく、国家の政治指導者の仕事でなくてはならない。

産経新聞20113.30「正論欄」より

東北沖地震(三)

 地震・津波の心配はいつの間にか原発事故への心配ごとに変わってしまいました。余震はまだつづいていて、東京でも日に一回か二回かは軽く揺れていることに気づくていどの余震を体感していますが、そのことへの不安よりも、原発事故がうまく収まるのかどうか、それがもっぱら気懸りです。19-21日の連休は街に賑わいがありません。みんなひっそり家でテレビの事故解説に暗い顔で向き合っているのかもしれません。

 技術による問題は当該技術のより一層の進歩によってしか解決し得ないというのが原則です。技術は走り出すと引き戻すことができないからです。同じ路線の上をいっそう早く走って、立ち塞がって押さえるしか制御のすべがないからです。原子力も恐らく例外ではないでしょう。

 たゞ原子力の利用は「選択」のテーマが先行しています。「選択」しないという道があります。フランス以外に積極的な国はありません。アメリカもドイツも消極的です。事故がこわいからです。恐らく日本も今後、撤退の方向へ少しづつ進み、原子力消極国家へ変わっていくでしょう。経済的にいかに有利でも、原子力エネルギーへ世論をもう一度よび戻すことは今後難しいと思います。

 そうなると原子力発電を外国に売るという産業政策も恐らく立ち行かなくなるでしょう。それよりもなによりも電力の約三分の一を原子力に依存している今の国内の体制をすぐに中止することはできず、維持しながら、少しづつ減少させていくのは至難の技です。また国内各地に存在する54の原子炉の安全確保、ことに今度問題になった電源装置を万一に備え複数用意することなどの事故再発防止策が急いで求められねばなりません。

 私は原子力発電については今度新たに知ることが少くありませんでした。簡単に解体することも廃炉にすることもできない厄介な装置だということは知っていましたが、使用済核燃料は水につけて冷却し、再処理するまでに10-50年も置いておくのだということは今度はじめて知りました。

 重くて長い使用済みの、放射線出しっ放しのあれらの数千本の棒を最後にコンクリートで永久封印して抑え込むのに、何年にもわたって、「水」だけが頼りだというのはあまりにもプリミティブすぎて、可笑しいくらいです。焚火の跡に危いから水をかけておくのと同じで、人類の考えつくことは恐しく単純ですね。

 自衛隊が水をヘリコプターで空から撒いて、青空に白い水しぶきが衆目にさらされました。あれじゃあダメだとみんな思いました。東京消防庁がホースで放水し、うまく行ったようですが、水が壁に当って飛び散ったり、うまく入らないケースもあったようで、放射能漏れが心配されています。関係者のご苦労には頭が下がりますが、暴れ出した巨獣を小人(コビト)が取り巻いて取り抑えようと四苦八苦している様子にもみえ、どんなに進歩した技術社会でも、思いつくことは子供のアイデアと同じです。

 今度の事故ではっきり分ったことは、事故の正体は原子力の制御と活用の技術そのものの故障ではなく、電源装置やポンプや付帯設備(計器類など)の津波による使用不能という事態だということです。これを防止する保護措置を幾つも用意しておかなかったのは大失敗だといわざるを得ないでしょう。核燃料そのものは幾つもの防壁で守られていて、そのうち鋼鉄の圧力容器と格納容器は今でも安全です。熱を出しっ放しの使用済核燃料が悪さをしつづけているのです。それを抑える水、水を送るポンプ、ポンプを動かす電源、これらが使用不能になったことが事故のすべてでした。

 私の記憶に間違いがなければ、ポンプはたしか海側にありましたね。外部電源の取り込み設備が使えなくなったことが最大の問題のようです。Aの電源がこわれたらBの電源・・・・・C、Dと用意しておくほど重大な予防措置が必要なはずでした。福島では非常用ジーゼル発電機が用意されていて、今回はそれが動いたのでした。しかしこれを冷却する必要がやはりあり、海側のポンプが流されて冷却できなかった、ここに致命的ミスが起こったのでした。設計ミスといわれても仕方がないでしょう。

 津波のたえない地域です。今回は1000年に一度という規模の地震で、「想定外」だったことは分りますが、50年に一度、あるいは100年に一度の規模の地震がくりかえされる地域です。最悪の中の最悪を考える思想は果して存在したでしょうか。

 原子力発電はどの地方でも怖がられ、地元の人は逃げ腰です。やっと設置を許してくれた地域に企業側は過剰期待し、あれもこれもと押しつけ、バランスを欠くほど無理が重なっていなかったでしょうか。福島第一原発は昭和42年スタートで、老朽化していなかったのでしょうか。

 原子力発電は東電という企業の中でも荷厄介扱いされ、一種の「鬼っ子」であったということを聞いたことがあります。福島の事故が切っかけになって、日本の電力エネルギーの方向が少しづつ原子力から離れていく趨勢は避けられないと思います。そうなったときの安全確保は今まで以上に難しいといえるでしょう。なぜなら、企業は安全のための予算を渋り、人員配置を手薄にすると考えられるからです。各地方はさらに逃げ腰になるでしょう。国全体が「鬼っ子」に冷たくなれば、残された原発を安全に維持し、運転する情熱もしだいに衰えていくからです。しかし危険なものを抱えていく情勢は変わりません。

 私はこのような未来にいちばん不安を抱いています。福島原発を抑止し、今の危険を解決するのは可能だと思っています。しかしこれから手に負えぬ50個の「火の玉」をいやいやながらどうやって抱き擁えていくのか、これが問題で、電力会社のテーマではなく、一国の政治のテーマです。

 今の政治にその力のないことは歴然としています。現政権は東電という一企業に責任を丸投げして、無力をさらけ出しています。半年前に那覇地検に責任を押しつけたのと同じ手口です。

 現政権に期待しないとしても、原子力から他の新しい何らかのエネルギーの開発に成功するまでの長い道のりを、危険な「火の玉」をあやしながらこれを利用し、しかも上手に「火」を消していく安全な道程としなければならないのですからこれは大変です。私どもはいずれにせよそんなことのできる新しい政治力の成立に夢を託さざるを得ません。

東北沖地震(二)

 十四日(日)も終日テレビを見ていました。仕事に手が着かず、落ち着かない一日でした。

 私は判断を間違えていました。犠牲者は予想外に少いように見えると書いたのは、押し寄せてくる水の前を走り逃げまどう人々の姿が初日のテレビの画面にほとんど映らなかったからです。避難はかなり成功したのかと思っていました。

 南三陸町というところの人口は1万7千人で、うち1万人が行方不明だと聞いてびっくりしました。宮城県警が宮城の犠牲者数は1万人を越えるとの予想を立てていると公表しましたので、逃げられずに家ごと水に流された人の数がおびただしく、あの粉々にされた木材の破片の山は犠牲者の隠された悲劇の証拠で、想像を絶する恐怖のドラマが展開されたことが分りました。

 公表される100人単位の犠牲者数は誤解を生みます。被害の総体はまだまったく掴めていないのだと思います。

 地震学者が1200年前の平安時代に東北でほゞ同規模の地震があったことが学会の総意で推定されていたという話は印象的でした。携帯電話が不通になったのは驚きでした。クライストチャーチから富山県に携帯が通じていたのに、今回は不通で、被害地は情報遮断を強いられました。超近代社会の無力は、原発事故でたちまち国内の電力不足が現実のものとなった点にも現われています。電話が通じないというようなことは戦争中にもなかったことで、情報化社会の盲点です。電力不足で電車が間引きされる今朝からの事態も、戦後の65年間ずっとなかったことでした。

 どういうわけか戦時中をしきりに思い出したのは、決して私だけではないでしょう。テレビは全局同じになり、BSも同じで、コマーシャルが消されて、どこのチャンネルも地震情報で画一化され、世界からその他の新ニュースを知りたいと思ってもそれはなく、ムード的に「挙国一致」があっという間に出現しました。「国難」という言葉が、普段はそんなことを言いそうもない菅総理と女性某大臣の口から出ました。

 「未曾有の大地震」と「壊滅的被害」はテレビキャスターや報道記者の常套句となりました。やむを得ぬ交代制の「計画停電」が告知され、途方もない不便が予想されますが、誰ひとり異を唱える者はなく、国民はこぞって粛々と「運命」を引き受ける様子です。急にガラっと空気が変わりました。あるキャスターは国民は今こそ落ち着いて我慢して行こうと訴え、ほとんど私はむかしの「欲シガリマセン勝カツマデハ」を思い出しました。

 管理された「停電」は私に戦時中の「ローソク送電」を連想させました。暗い夜に「懐中電灯」を用意せよ、のテレビの指示ににもなぜか私には昔の暗い夜への懐かしさを抱かせました。そういえば陸前高田という町の、壊滅した広々とひろがる大地に駅舎がポツンと残る光景は、あの懐かしい空襲後の焼跡にそっくりです。一晩中燃えつづけた気仙沼市の夜景は夜間空襲の惨劇を思い出させました。

 このような国民的記憶を喚起する事件はたしかに65年の戦後社会にはこれまでになく、阪神大震災のときとはだいぶ異なります。日本人が「国難」を本気で意識し、「復興」を叫ぶことばがメールやネットで飛び交っているのは悪いことではなく、原子力発電の重要性(なかったら大変なことになる)が広く分るのも無意味ではありません。

 自然災害の忍耐強い国民性はもともとのもので、そこに今度のような危機感、この国のもろさ、弱さ、頼りなさへの不安、いったい明日どうなるのだろうかという急激な変化に対する心もとなさが加わって、国民的緊張感が高まることは、それ自体久し振りの感覚で、国家としての「めざめ」に多少とも役立つことになるのかもしれません。

 けれども、さて、どうでしょう?いつまでつづくのでしょうか。少くともテレビの世界は遠からず元へ戻り、地震関連のニュースは激減し、本当はもっと解明されるべき悲劇のトータルな総体を地道に追及するパワーは、お笑いタレントなどのあのバカバカしい映像に席を譲ることに再び立ち戻ってしまうのではないでしょうか。

 コマーシャルを消した「挙国一致」の危機意識が地震以外の他のあらゆる方面においても一般的になって欲しいと思います。

緊急出版『尖閣戦争』(その三)

尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223) 尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223)
(2010/10/30)
西尾幹二青木直人

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 編集者が自ら作成した本を自らのことばで紹介する産経新聞の読書欄(産経書房11月13日)に、祥伝社の角田勉氏が次のように書いて下さった。氏から発売後10日で3刷3万部になったとのしらせを受けた。

【書評】『尖閣戦争 米中はさみ撃ちにあった日本』西尾幹二、青木直人著
2010.11.13 07:45

「尖閣戦争」 

「必ずやってくる」中国に備え

 実を言うと、この対談は、別のテーマで取材日が9月25日と設定されていた。ところがその前日の24日に、中国漁船の船長釈放というニュースが飛び込んできたため、急遽(きゅうきょ)テーマを変更し、対談から発売まで1カ月という異例のスピード進行で出来上がったのが本書である。

 それが可能だったのは、この両者の日頃(ひごろ)の言説に触れている人にはおわかりの通り、今回の事態は想定内のことであり、これまで散々に警告を発してきたことであるからである。

 西尾氏はかねてより、米中が経済面においては事実上の同盟関係にあり、利害を一にしている以上、いざというときには日米安保は全く当てにならないこと、そして、アメリカが日米の同盟関係を強調するときは、その裏に、日本の再軍備や核武装論を抑え、米軍の駐留費を引き上げる目的が秘められていることを指摘してきた。

 青木氏は、その精細な中国分析から、中国の海外進出が、歴史的にも国内事情からも周到に準備されてきていることを述べてきた。

 そしてこの両者の一致する見解は、今回の事件が日米中三国関係の構造の変化に伴う必然であり、一過性のものではないこと、中国は次も必ずやってくるということだ。そのために日本はいま何をしておくべきなのか。それは間に合うのか。日本に切れる外交カードはないのか。議論は尽きることなく続いた。

 騒ぎがいったん収まったと言って、安心している場合ではない。ともかく、ここは日本の正念場である。(祥伝社・798円)

 祥伝社新書編集部 角田勉

 さて、最近知ったが、沖縄をめぐる中国の言い分には相当にすさまじいものがある。アメリカが沖縄を日本に返還した1972年に、蒋介石はアメリカに対して激怒したそうだ。沖縄(琉球王国)はかつて中国の朝貢国だったから、アメリカは沖縄を中華民国に返還すべきだったという考えからである。そして、ときの北京政府も同じ立場で、キッシンジャー周恩来会談で、このことが取り上げられたという話である(毎日新聞 2010.10.21)。

 しかし琉球王朝はわが国の薩摩藩にも朝貢していて、いわば両属だった。1871年に日清修好条規が結ばれた。同年琉球の島民66人が漂流中に台湾に流れついて、54人が台湾人に殺害されるという怪異な事件が起こった。

 日本政府は琉球島民の権利を守るために台湾を管理する清国に責任を問うたが、清国政府は台湾人は「化外の民」(自分たちの領土の外に住む人)だからといって責任を回避したので、日本はただちに台湾に出兵し、台湾住人を処罰し、責任を明らかにした。

 この問題の解決に当り、清は琉球島民を日本国民と認めたので、日本は1879年に琉球を日本領として、沖縄県を設置した。これを「琉球処分」という。以上がわれわれの理解する略史である。

 今の中国がもしこれに反対して現状変更を求めようとするのなら、130年前の近代史上の国境確定をくつがえそうというとんでもない企てである。暴力(戦争)以外に方法はない、というのが中国サイドの究極の考え方だろう。

 もう少し歴史を振り返ってみたい。永い間中国はまともな主権国家ではなかった。第一次大戦中の「21か条要求」にしても、よく調べてみると日本はそんな無茶な要求はしていない。袁世凱政権が日本からこんなひどい要求を突きつけられたとウソの内容をでっち上げて内外に喧伝したので、それを聞いて怒った中国国民が反日運動に走ったというのが実情である。いまは詳説しないが、中国人特有の謀略にはめられた日本政府の甘さは、今も昔も変わらない。

 あのころの中国はイギリス、フランス、ドイツそしてアメリカなどに歯向かうことをむしろ避け、弱いものを標的にする排外運動、すなわち排日に走った。一方日本の中国に対する基本姿勢は中国を救済し、西欧列強から防衛するという一方的な善意の押しつけの面があった。優越した立場から「面倒を見る」というのが対中対応であった。巨額の援助金で支援した孫文に裏切られたのがいい例であるが、日本人の善意は大抵逆手にとられ、すべて悪意に仕立てられていった。そして、西欧列強はそういう日本に冷淡で、中国に利のあるときは群がり、危うくなればさっさと逃げ出したのである。

 最近の日本の置かれている立場は当時とまったく同じに見える。尖閣問題は世界のどの国からも同情されていない。関心もほとんど寄せられていない。ドイツの友人から知らされたが、ドイツのテレビには報道もされていないらしい。尖閣が中国に占領されても、たいした話題にもならないだろう。一昨日のG20の経済会議に際し、フランス大統領は目の色を変えて中国との巨額商談をまとめた。少し前にイギリスもドイツも中国詣でに夢中だった。

 たゞアメリカは人民元の安さに苦しめられている。9月末に人民元切り上げを迫る制裁法案が下院で可決された。20%-40%くらい人民元は安いと見て、アメリカをはじめ世界の雇用をおびやかしていると批判した。

 アメリカは制裁法案を実行して本格的に経済戦争をはじめるつもりだろうか、それとも中国の言い分を認め、異常な前近代のままの中国中心の世界経済秩序を認めるつもりだろうか、今、二つに一つの岐路にあるといえる。もし後者の道をアメリカが選べば、日本は完全に見捨てられることになる。

 130年前の「琉球処分」を白紙に戻そうという中国の野望は「近代」を知らない非文明の大国のエゴイズムに文明の側が屈服することにほかならない。しかしこれをはね返すには、なまなかな覚悟ではとうてい及ぶまい。

 例えば あるブログに次のような言葉があった。

フジタの社員が4人スパイ罪で捕まりましたが、スパイだから銃殺される可能性もあった。中国という国はそういう国家であり、フジタもそれを覚悟で中国に進出しているはずだ。だから社員が4人捕まっても自己責任で解決すべきだろう。日本企業は安易に中国に進出することは国益を害するのであり、進出した日本企業は中国の人質なのだ。

「株式日記と経済評論」より

 私はさきに「なまなかの覚悟ではとうてい及ぶまい」と書いたときの「覚悟」とはさしあたりこういうことである。しかも、これに類することが今後相次ぐだろう。例えば、進出企業が中国側に接収さsれるというようなことだって起こり得るかもしれない。

 変動相場は今の市場経済の前提なのに、人民元だけが固定相場である。世界がこれに悩まされながら許しているのが不思議である。非文明の大国のやりたい放題を我慢しているのが奇怪である。隣国の日本が災難を一手に引き受けざるを得ない不運な立場に世界の同情がないのも、大戦前と同じである。

 日本の今後の政策は非文明の大国を文明国家にするべく可能なあらゆる手を打つことである。アジアは経済の成長センターで中国はその希望の中心である、というようなものの言い方をやめるべきである。中国は北朝鮮を巨大にしたレベルの国家にすぎない。規模が大きいだけにソフトランディングの周辺国に及ぼす影響は破壊的である。

 尚最後に付記するが、沖縄の言語(琉球原語)は3世紀ごろに日本語から枝分かれした、世界でただひとつの日本語の親類語である。アイヌ語も朝鮮語も日本語とは系統を異にする。

尖閣ビデオ

 友人の粕谷哲夫氏の「ニュース拾遺」で集められた情報が有用だと思いますので、以下に転載します。

ニュース拾遺2010年11月05日BBB

本物の尖閣ビデオが流出!YouTube動画有り!停船後の映像は全くないので意図的に流出させ、海保隊員が支那漁船に乗り込んだ後の殺人未遂シーンを徹底隠ぺいか?・ノーカット無修正ビデオを見た人物が殺人未遂シーン削除方針など暴露・11/6集会&デモ  @正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現… 2
尖閣ビデオ  @ねずきちの ひとりごと.. 17

尖閣ビデオ流出!現場の反乱だ  @狼魔人日記… 18

尖閣動画流出キタ━(゜∀゜)━! @この国は少し変だ!よ よーめんのブログ.. 20

緊急速報!尖閣諸島中国漁船衝突映像!!刮目!これが今まで国民に隠されてきた真実の映像!!国思う議員の質問で嘲笑し・あるいは恫喝し、闇法案にたして当たり前の危険性を訴えても意に返さず、反日を反日では無いと開き直るこれでも民主党に政権交代してよかったと思いますか?   @銀色の侍魂… 24

TRUTH OF CHINA INVASION OF SENKAKU ISLAND 1.flv
http://www.youtube.com/watch?v=3jvw8prMt0U
TRUTH OF CHINA INVASION OF SENKAKU ISLAND 2.flv
http://www.youtube.com/watch?v=Vr6BUoym8xw
TRUTH OF CHINA INVASION OF SENKAKU ISLAND 3.flv
http://www.youtube.com/watch?v=6r0emFsfZCI
TRUTH OF CHINA INVASION OF SENKAKU ISLAND 4.flv
http://www.youtube.com/watch?v=VORS6SUsxmk

TRUTH OF CHINA INVASION OF SENKAKU ISLAND 5.flv
http://www.youtube.com/watch?v=ZwNFuUiw-tM
TRUTH OF CHINA INVASION OF SENKAKU ISLAND 6.flv
http://www.youtube.com/watch?v=1PZZxl5tjug

TRUTH OF “CHINA INVASION OF SENKAKU ISLAND ” 3 watch1:18
http://www.youtube.com/watch?v=uZV8n4oCPJ8
TRUTH OF “CHINA INVASION OF SENKAKU ISLAND ” 4 Watch2:18
http://www.youtube.com/watch?v=kjqP4WszObc

緊急出版『尖閣戦争』(その二)

 アマゾンに早速にも書評が出たので、感謝をこめて紹介する。

崖っぷちに追い込まれた日本人の必読書, 2010/11/1
By 桃栗三年柿八年

レビュー対象商品: 尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223) (新書)
実にタイムリ-な内容。一気に読める。

今般の尖閣危機を踏まえ、日本と米・中関係を軸に、政治・経済・軍事・文化・歴史など多角的な観点から、鋭く深くかつリアルに洞察されており、現在の日本の危機の実像と今後とるべき道筋が鮮明に浮き彫りになる。

東アジア、世界情勢が混迷の度を増す中、無能無責任内閣を頂いてしまった日本を、私達国民はいかなる理念を持ち、いかなる敵と闘い、いかなる形に立て直すのか。

今、求められているのは、非現実的な楽観論でも無責任な悲観論でもない、ましてマスコミに登場する勉強もしない自分で取材もしないような人々が語る知ったかぶりの評論でもない。
まさに、本書のような私達が本気で闘うための手引書である!

 もうひとつ報告しておきたいのは、ブログ「株式日記と経済展望」の10月30日と31日付の二つの文章である。

 「株式日記と経済展望」は私の愛読ブログの一つであり、政治、経済、産業の各方面に目くばりの良くきいた秀れた分析は私の感心を逸らしたことがない。ときおり言語に関してもレベルの高い内容の比較文化論が書かれることがあり、そのつど感銘を新たにしている。

 ブログ更新もほゞ毎日に近い頻度数の高さを誇り、しかも何年前から始まったのであろうか、じつに長期にわたって書きつづけられているその粘り強い書きっぷりにもつねづね驚嘆している。

 このように私が敬意を抱いているブログが10月30日に『尖閣戦争』を大きく取り上げてくれた。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/d/20101030

 このブログはコメント欄が完全に自由化され、自らに失礼な内容のコメントもよくのせているが、今度も言いたい放題の文章はそれなりに参考になった。

 なお、10月31日の記事は私の本への直接の言及はないが、アメリカと中国の両サイドの共有する問題が日本に与える影響の深刻さを論及していて、その点で私の本のテーマと重なっていることに注目した。同一のテーマを逆の方向から見ていて、興味深い。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/m/201010

緊急出版『尖閣戦争』(対談本)

尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223) 尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223)
(2010/10/30)
西尾幹二青木直人

商品詳細を見る

senkaku3.jpg

 対談本『尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本――』(祥伝社新書)¥760が刊行されました。青木直人氏との対談本です。10月30日(土)には店頭に出る予定です。

目次
はじめに――西尾幹二
序章  尖閣事件が教えてくれたこと
一章  日米安保の正体
二章  「米中同盟」下の日本
三章  妄想の東アジア共同体構想
四章  来るべき尖閣戦争に、どう対処するか
おわりに――青木直人

 私の筆になった「はじめに」を紹介します。

 はじめに

 尖閣海域における中国漁船侵犯事件は、中国人船長が処分保留のままに釈放された9月24日に、日本国内の衝撃は最高度に高まりました。船長の拘留がつづく限りさらに必要な「強制的措置」をとると中国側の脅迫が相次ぎ、緊張が高まっていたときに、日本側があっさり屈服したからです。

 日本人の大半は敗北感に襲われ、国家の未来に対する不安さえ覚えたほどでした。

 間もなく日中政府間に話し合いの雰囲気が少しずつ出て来て、中国側は振り上げた脅迫カードを徐々に取り下げました。いったん幕は引かれ荒立つ波はひとまず収まったかに見えます。このあとすぐに何が起こるかは予断を許しませんが、こうなると何事もなかったかのごとき平穏な顔をしたがるのが世の風潮です。政府は果たすべき責任を司法に押しつけて逃げた卑劣さの口を拭(ぬぐ)い、「大人の対応」(菅首相)であったとか、「しなやかでしたたかな柳腰外交」(仙谷官房長官)であったとか自画自賛する始末です。マスコミの中にも、これを勘違いとして厳しく戒める声もありますが、事を荒立てないで済ませてまあよかったんじゃあないのか、と民主党政府の敗北的政策を評価する向きもないわけではありません。

 しかし、常識のある人なら事はそんなに簡単ではないことがわかっているはずです。海上への中国の進出には根の深い背景があり、蚊を追い払うようにすれば片づく一過性のものではなく、中国の挑発は何度もくり返され、今度は軍事的にも倍する構えを具えてやってくるであろうことに、すでに気づいているはずです。

 だからひらりとうまく体を躱(かわ)せてよかった、などとホッと安堵していてはだめなのです。中国は必ずまたやって来る。今度来たならどう対応するかに準備おさおさ怠りなく、今のうちにできることからどんどん手を着けておかなければなりません。

 沖縄領海内の今回の事件は、明らかに南シナ海への中国の侵犯問題とリンクしています。中国は今年3月、南シナ海全域への中国の支配権の確立を自国にとっての「核心的利益」であると表立って宣言しています。これに対しアメリカは、7月、ASEAN地域フォーラムで、南シナ海を中国の海にはさせないという強い意思表明を行なっています。

 2008年以来のアメリカの金融危機と、それに伴うEUと日本の構造的不況は、中国に今まで予想もされていなかった尊大な自信を与えています。アメリカの経済回復の行方と中国の自己誤解からくる逸脱の可能性は、切り離せない関係にあります。世界各国がすでに不調和な中国がかもし出す軋(きし)みに気がついています。その現われが劉暁波(りゅうぎょうは)氏への2010年度ノーベル平和賞授与であったといってよいでしょう。

 世界はたしかに中国の異常に気がつきだしていますが、この人口過剰な国の市場への経済的期待から自由である国はほとんどありません。アメリカもEUも日本も例外ではなく、中国を利用し、しかも中国に利用されまいとする神経戦をくりひろげていて、各国も他国のことを考えている余裕がなくなっています。そこに中国の不遜な自己錯覚の生じる所以があります。

 アメリカと日本と中国は三角貿易――本書の二章で詳しく分析されます――の関係を結んでいます。これは互いに支配し、支配される関係です。アメリカは中国に支配され、中国を支配しようとしています。その逆も同様です。アメリカは必死です。経済破局に直面しているアメリカは、日本のことを考えている余裕はないのかもしれません。それでも南シナ海を守ると言っています。しかしいつ息切れがして、約束が果たせず、アメリカは撤退するかわかりません。

 本書を通じて、私共が声を大にして訴えたテーマは、日本の自助努力ということです。アメリカへの軍事的な依頼心をどう断ち切るかは国民的テーマだと信じます。

 私は20年前のソ連の崩壊、冷戦の終焉(しゅうえん)に際し、これからの日本はアメリカと中国に挟撃され、翻弄される時代になるだろうと予想していましたが、ゆっくりとそういう苦い時代が到来したのでした。

 尖閣事件は、いよいよ待ったなしの時代に入ったというサインのように思います。

 今回対談させていただいた青木直人氏は、もっぱら事実に語らせ、つまらぬ観念に惑わされないリアリストであることで、つねづね敬意を抱いていました。氏は国益を犯す虚偽と不正を許さない理想家でもあります。この対談でも、現実家こそが理想家であることを、いかんなく証して下さいました。ありがとうございます。

平成22年10月15日

西尾幹二

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 裏の帯に書かれた細かい文字(編集部によって書かれた)を紹介しておきます。

日本人が知っておくべき衝撃の事実

〇 尖閣を、アメリカ軍は守ってくれない。
〇 中国海軍が、南シナ海でおこなっていること。
〇 日本はアメリカから、ますます金をせびりとられる。
〇 アメリカと中国は、事実上の同盟関係にある。
〇 なぜ米中間には「貿易摩擦」が起きないのか。
〇 EUにはできても、東アジア共同体はできない理由。
〇 修了したはずの中国援助のODAが、アジア開発銀行を迂回して、今も続いている。
〇 神田神保町から、なぜ尖閣・沖縄の古地図が消えたのか。

今日沖縄は中国の海になった!(その六)

 まずかいつまんで報告だけしておこう。尖閣問題について私の仕事は昨日でほとんど終わった。昨日まで忙殺されていて、私の思想の大半はまだ表に出ていない。コラム「正論」に書いた短文と『WiLL』臨時増刊号に書いた「米中に挟撃される日本」の二篇のみが表に出ている。

 10月30日(土)に青木直人氏との対談本『尖閣戦争』(祥伝社新書)が次の仕事として店頭に出る。緊急出版である。対談は9月25日に行って、加筆を重ねた。一冊の本の刊行がこんなに早い例は少ない。着手が早かったせいである。

 目次は次の通りである。

序章 尖閣事件が教えてくれたこと
一章 日米安保の正体
二章 「米中同盟」下の日本
三章 妄想の東アジア共同体構想
四章 来るべき尖閣戦争に、どう対処するか

 それから月刊誌『正論』12月号にも「日本よ、不安と恐怖におののけ」と題した評論を寄せた。『WiLL』臨時増刊号の拙論にはまだ書いていない別の視点から綴られている。ある程度内容の重なるところもあるが、別の雑誌の求めに、同じ題材で、それぞれ別の内容をもって応えようとする難しさはいつも経験しているが、ついぞ慣れるということはない。

 この「日録」には尖閣事件に関する私の考察はほとんどまだ語られていないと思って頂きたい。雑誌と本という活字メディアを中心に仕事をしているので、どうしてもそうなるのである。ブログ失格かもしれないが、今回はやむを得なかった。

 対談相手となって下さった青木直人氏は中国通のお一人で、北朝鮮と中国の関係についてリアリズムに立脚した洞察鋭い本を出している。また日本政府の対中ODAや中国協力者である日本の財界人や官僚の腐敗について、数々の事実を教えて下さった人だ。私は前から関心を寄せ、敬意を抱いていた論客である。

 その彼が対談も終り近く、四章の半ば過ぎでおやと思う発言をなさった。とつぜん会津藩の悲劇について語りだしたのである。中国がチベットに対してやったような冷酷な仕打ちを薩長は会津藩に加えたというのだ。

 その怒りや恨みは今につづいているという。また会津は賊軍で、薩長こそ正しかったという勝利者の側から書かれた歴史観、歴史教育が明治になって小学校から会津の子弟たちに行われたことの屈辱と怒りは今なお消えていない、とも語った。

 沖縄はかつて中国領であったという歴史の勝手な捏造をにわかに声高に言い出している中国は、アジアを解放したのは毛沢東で、日本に勝ったのはアメリカではなく中国共産党だという歴史観をやはり声高に語っている国である。青木さんはこのテーマを次のように結んだ。

 チベットの農奴制を解放したのは毛沢東と人民解放軍であるという教科書をチベットの子どもたちが使わされ、それを受け入れない限り、中国によって弾圧されるという構図。中国が日本を含めて東アジア全体に拡張してきたときに、軍事だけではなくて、自分たちの歴史観を同時に強制してくるということの恐さに、日本人は、ここで気づくべきではないのでしょうか。

 そうだった。たしかにそういうことだな、と私はあらためて考え直した。ここまで考えが及んでいなかった。悪夢だが、しかし当然起こり得る可能性の範囲内にあることである。

 われわれはまだ事柄を甘く考えている。沖縄が中国領になってもならなくても、沖縄の海域一帯が中国の政治支配下に事実上入った場合には、日本の国内は中国一色になり、政権は親中国的立場をとる政党のみが独占する事態になるだろう。そうなれば、教育内容も教科書もとんでもない方向へ変更を強いられることになるだろう。

 そんなことに私たちは耐えられるだろうか。否、そこまでひどいことには決してなるまい、とまだ私たちは高を括っているが、仙石官房長官のような人物がすでに政治の中枢に坐っているのである。彼は中国人でさえ嫌悪をもってしか語らない文化大革命の礼賛者だというのである。

 それでも今度私たちが少し心静かに事態を見守っていられるのは、民主党政権に日本国民が相当に激しいリアクションを起こしていて、さらにアメリカはじめ世界各国の中国を見る目がにわかに厳しくなっている情勢のゆえである。

 今日の産経では全国の地方議会が民主党政権に反対声明を次々と発しているということである。水島総さんがプロモートした10月16日の中国大使館包囲デモは大成功で、世界のメディアの注目を浴び、政治的意味が大きかった。アメリカが中国に厳しい視線を寄せはじめたことにも影響を及ぼしている。アメリカはここで日本を応援し、日本人の不安を拭って、普天間以来ぐらついていた日米関係を立て直そうという思惑もあるだろう。

 しかし私の論調は必ずしもそこで安堵していない。「日本よ、不安と恐怖におののけ」(『正論』12月号)からポイントを拾うと次の通りである。

 私がいま訴えたいのは日本の自助努力である。アメリカがともあれその気になっている間に、わが国が少しでも独立した軍事的意志を確立するべく時間的に間に合わせなくてはいけない。

 しかしながら、実は日本の自助努力を阻害するようにつねに作用するのはアメリカの軍事的協力の約束そのものであり、尖閣は安保適用対象であるというような単なる「客観的認識」が日本国民に与える気休めめいた安心感にほかならない。

 沖縄海域での米軍と自衛隊との合同演習が近く行われる予定が組まれたと聞く。差し当たりの安心材料ではある。

 ただ、ここが考えどころなのだ。このように――いつもそうなのだが――アメリカの協力を待ってはじめて外からの不安や危険が排除され、日本は自分に対する脅威を自ら排除しない。繰り返されるこのパターンの固定化が恐ろしいのである。

 私はアメリカの政府要人はむしろ日本国民を空しく安心させる「客観的認識」を言わないで欲しいと思う。

 会津戦争の話を青木さんから聞いて以来私の中の悪夢がまたふくらんでいたが、インターネット情報によると、中国共産党の解党が近いらしいという噂も聞こえてくるのである。出所は「大紀元」らしいが、体制崩壊後を早くも予想して、共産党内部が幹部の犯罪の証拠煙滅の準備会議を開いたというようなことが語られている。本当だろうか。

 この噂によると、18日に党大会で次期主席を約束された習近平は共産党を整理するゴルバチョフの役割を果すだろう、アメリカは着々とその方向を支援し、推進する動きをしている、というのであるが、本当だろうか。だったら万々歳である。アジアにも「ベルリンの壁崩壊」の時節が到来することになる。

 私は半信半疑で、早速宮崎正弘さんにそんな噂は聞いていないか、と電話をしたら、「全然」と即座に否定されてしまった。あゝやっぱり駄目か、とがっかりした。

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」(10月22日通巻3110号)は私のこのときの電話に対する答だったようだ。ご覧下さい。中国の近い未来に変化はないらしい。私の悪夢はむくむくとまた大きくふくらみ始めているのである。

今日沖縄は中国の海になった!(その五)

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 今日14日に『WiLL』の緊急増刊「守れ、尖閣諸島!」が発売された。ご覧の通り執筆の皆さんは中国憎し、民主党許せないの一点張りで、同盟国アメリカが最大の問題、アメリカに対する日本人の依頼心理をどう断ち切るかが今後の最大の課題だということが必ずしも中心主題になっていない。これは残念だが、言外には勿論、どの論文もそういう方向を向いてはいるけれど。

 西村眞悟氏と金美齢氏と塚本三郎氏との気迫のこもった奔ばしるような言葉の数々は魅力的だった。そのほかの方々もみな勢いのある鋭い表現を発し、次々と現実をえぐっているが、私が一番感心したのは青山繁晴氏の「中国共産党、二つの誓い」であった。私の気がつかない新しい発見がいくつもあった。例えば、

 私はいまから八年ほど前、ある政府機関の委託を受けて北京の人民解放軍の将軍たちと議論をしました。・・・・・

 私といちばん時間をかけて向き合った将軍はとても有名な方で、朝鮮戦争の指揮官の一人でした。彼はこう言いました。

 「青山さん。我々は1949年10月1日に北京に紅い星を立てて、共産党と人民解放軍による政府を樹立した時、二つのことを誓いました。これは今まで外国の方に言ったことはありません。

 第一の誓いは、中国は二度と周辺諸国に脅かされない。万里の長城のような役に立たないものを作るのではなく、積極的に周辺地域を抑えようと。

 第二の誓いは、人口です。当時は重荷だったが、やがてこのたくさんの人口が我々の財産となり、中国を世界一流の国に押し上げる。だから人口はあくまで増やし続けていく。

 この二つの誓いをドッキングして考えると、一つの国が思い浮かびます。わかりますか?」

 私が「それはインドですか」と聞くと、将軍は「その通りです」と答えました。インドだけが、やがて中国の人口を追い抜く可能性があるからです。

 中国がチベットを侵略したのはインドを抑えるためだった。これは西へ向けての企てである。次に北に向けて、1969年に中ソ国境紛争を起こした。

 モスクワで軍当局者に聞くと、ソ連はユーラシア大陸に大きな身体でのしかかるような国です。前や後ろは強いけれど、真ん中のおなかは柔らかい。そこを槍で突っつく奴がいる、誰かと思ったら中国だった、と私に語りました。中国はソ連の弱いところを見抜いて、戦いを仕掛けたわけです。

 北の次は南です。これもまた十年後の79年に、ベトナムと中国の中越戦争が起きている。中国は昔からベトナムに領土的野心を持っていた。ベトナムはフランスと戦い、アメリカと戦い、いずれも叩き出した。その様子をじっくり見て、アメリカは二度とベトナムに戻ってこないと確認してから、中国は南下を始めた。

 西、北、南と出ていき、一ヵ所だけ出てこない方向、東にあるのは日本です。しかし、今度はすぐには出てきませんでした。日本があるからではない。アメリカ軍が怖いからです。漢民族はもともと戦争に弱い。だから、二度と負ける戦争はしない。というのも現代中国の戦略なのです。

 1969年、ECAFE(国連アジア極東経済委員会)の調査によって、尖閣諸島の海底に資源があることがわかった。すると、翌年から中国が突然、尖閣の領有を宣言しました。ところが、行動には出なかった。先ほど言った通り、その頃は南下をしており、東シナ海より南シナ海に出ていこうとしていたからです。

 あれから40年後の現在、なぜこのタイミングで中国が東に出てきたのか。おそらく多くの人が、普天間問題で日米同盟が揺れたからだと考えているでしょうが、それはごく一部の動機に過ぎません。中国は目の前のことでは動きません。

 東側にいよいよ出ていく時期だと決断したのは、実は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件が真の契機です。

 ここから先は青山さんの文章を直接読んだ方がいい。尖閣への中国の侵略がきわめて戦略的な、長期にわたって練られた行動計画の終着点だったことがここから分る。東西南北の四方向に向けてのこの国の深謀に根ざした膨張行動であることを考えれば、尖閣問題が今回の一件で終わるはずはないのである。

 戦後わが国は一貫して幸運でありすぎた。いよいよそうはいかなくなってきた、と思えてならない。これから怒涛のごとく押し寄せてくる変動にまずは心の準備をしておかねばなるまい。

 今朝参議院予算委員会での山本一太氏の代表質問をテレビで見た。山本氏は首相と官房長官と法務大臣に果敢によく噛みついていたが、いよいよの所で追いこめていない。船長の処分保留の侭の釈放は検察の判断であって政治は関与していないという例のごとき三人の答弁に対し、山本氏はむしろ「それならなぜ指揮権発動をして検察の暴走を防ぎ、政治に主導権をとり戻さなかったのか」と追い詰めるべきではなかったろうか。青山さんもこの見地からの指揮権発動の必要を論じているのが注目に値する。