*****日本の背筋を正すのは*****
伊藤: では、そういう日本をもう一度取り戻すためにはどうしたらよろしいでしょうか。
八木: 西尾先生からもお話がありましたが、やはり「保守」というものを内実をはっきりさせることです。例えば、対外認識でのリアリティを取り戻すことが先決ではないかと思います。元産経新聞の高山正之さんの明言で「世界はみんな腹黒い」という(笑)のがありますが・・・・・。
伊藤: 相林さんという中国の民主化運動をやっている日本の代表がいるんですが、その人にインタビューしたときに、世界は狼ばっかりだと、狼だらけだと。世界は羊ばかりだと考えているのは日本人だけだと、こう言われた。非常に印象深かったことがあります。
八木: そういう甘い対外認識を変えるとともに、人間は性善なるものだという人間観についても見直す必要があります。みんな平等でなくてはいけないんだという考えは間違っているということを基本にした具体的な政策を提言することだと思います。
また結論をいえば、やはり保守の理念を正確に理解している指導者の輩出、そしてそれを支える国民運動の必要性ということに尽きると思います。
伊藤: 西尾先生はこれに何か付け足されることがありますか。
西尾: 自虐などという言葉を誰が考えついたのかしらないけれど、自分が悪いことをしたらそれをひたすら言って歩いて、世界の人に頭を下げて歩き、謝れば許されると思っている。それだけではなくて、謝れば謝るほど、自分が美しく見える、自分が道徳的に見えるという錯覚を僕は一番問題にしたいと思うのです。
あるドイツの歴史の先生がベルリンでドイツの戦争について講義された。その時、日本人が立ち上がって、日本も韓国人や中国人に酷いことをしたんですと言ったのです。すると、そこにいたユダヤ人が、「今、日本人からそういう意見があったけれども、一つの民族を組織的に集めて、組織的に大量に虐殺した国は史上ドイツ以外にはない。日本はその中に入らない」と言ったのです。その日本の知識人はしゅんとしてしまい、言い返す言葉もなかったという話をその場にいた人から聞いたことがあります。実に愚かな話です。
伊藤: 本当の悪というものを見ていないが故に、本当の善というものも見えなくなっているということですね。
八木: 善もそうですが、本当に美しいものに対する認識もなくなっています。
今、韓国のテレビドラマ「冬のソナタ」が日本で大ブームになっていますが、その主演俳優が日本に来たら、30代から60代までの女性たちが大騒ぎした。ドラマは初恋の淡い思いがテーマですが、なぜ日本のその年代の人たちがそれだけ熱中するかといえば、日本にはそういうものが無いからなのです。
伊藤: 純愛ものがないと。
八木: 日本の多くの若者は体の関係から入っていくし、学校ではいきなり肉体的な性教育から始まっていて、感情や精神の教育はない。文学作品を読んで恋に憧れるということもない。しかし、悔しいことながら韓国にはそういうものがあるということなのです。日本ではむしろ、そうした美しい感情が教育によって潰されていると思うのです。本来、秩序あるものは美しいものだし、上品・下品という言葉があるように価値の上下があること自体は美しいことです。それが今の日本では不平等だという言い方で、つまりは甘い言葉で次々と潰されている。しかし、「冬のソナタ」の大ブームを見ると、多くの人たちは実はそういう美しいものを求めているのではないか、と思うのです。
伊藤: そういう意味でも、九段下会議では今の日本の状況を深く掘り下げていただき、警鐘を乱打しているわけですね。
西尾: 今、北朝鮮を巡る6カ国協議で問われているのは、実は北朝鮮ではなくて日本であると思います。各国が日本の行く末、とりわけ日本の軍事力をどうしてやろうかというふうに見据えていると思うのです。
この点をマニフェストはこう述べています。
《日本をとり巻く四囲の国際環境はがらりと変った。もし判断を間違え、改革の方向を取り違えるなら、「第二の敗戦」だけでは済まない。米中露の谷間の無力な非核平和国家であることに自己満足しているうちに、知らぬ間に友好の名における北京政府の巧妙な内政干渉が、日本の政治権力を骨抜きにし、あっという間に事態は悪化し、気がついたときにはもう遅い。警察権力の内部にまで中国が入りこむ。かくて「第二の占領」を完成し、日本はアメリカに愛想をつかされ、見捨てられるという事態も起こらぬではない。》
さらに、米中対決が深刻化し、そのなかで日本が中国寄りのまま、優柔不断をくりかえすなら、アメリカとしてはこの土地を放棄しないと決めた以上、「再占領」以外の手はないことになるであろう、とも書きました。むろん、いずれも極端なケースであり、明日起こるというわけではないのですが、最悪のシナリオを心の隅に思い描いて、それへの用意を片ときも忘れずに政策を組み立てるのが政治というものです。
話を6カ国協議に戻しますと、テーマは朝鮮半島の非核化であり、日本が求めていることでもあるわけです。しかし、それは同時に日本列島を含む太平洋の真ん中を非核化して、米中露三国の核大国が取り巻くという構造を恒久化することも意味している。つまり、北朝鮮の核問題の解決は農法によっては日本の非核化の恒久化にもつながっているのです。
しかし、それは中国、ロシア、アメリカが核を持たないのであればいいけれども、そうでない以上、日本が永久に各国に翻弄されることになりかねず、はなはだ危険です。
核に限らず、軍事力というのは、何も明日戦争を起こすためにあるのではないのであって、軍事が政治に跳ね返ってくるということが大事なのですね。現に、今度イラクに派兵しただけで、かなりの政治効果が期待されているのです。これは北朝鮮に対する無言の圧力になったし、中国に対しても同様です。その意味で、見せるべきときには見せなければならないのです。
つまり、軍事力というのは、ある意味では日本人の心の支えなのです。実際に打って出るとか、戦うとかいう話ではなくて、いつでも大丈夫だよという支えです。それがないから、びくびくして北朝鮮に対する経済制裁一つできない。どんなことがあったって大丈夫だよという備えがあって、初めて経済制裁をして相手を倒してでも拉致の被害者を連れ戻すという決意を示すことが出来るのです。これが国家というものではないでしょうか。
拉致問題について日本が身動きできないのは、日本が戦争ができない体制になってしまっているからです。ここのところを何としても変えなければ、この国は背筋を正すことができないと思います。
国が近隣の不正を自らの力で罰したり、あるいは遠いところで起こっている紛争に出て行って調停をしたりすることをしなければ、子供たちが学校の中で、いじめっ子が横暴なことをしても黙ってしまうのは仕方がないという思想や精神態度を育成していきます。
先ほどの「冬のソナタ」という韓国の映画を私も見ましたが、学校の先生の生徒に対する態度など、イメージとしては30年前の日本を見たような感じがしました。そういう面だけをとれば韓国はまだ健全です。
逆に日本はネジを元に戻さなければダメです。これ以上崩れたらもうおしまいです。そのためにも、日本政策研究センターに多いに頑張っていただいて、指導的役割を果たしていただきたいと願っています。