結婚式と葬式 (一)

 私は4日間ほど旅に出ていた。帰ってきて風邪をひいた。体調が乱れて、予定通りの生活が出来なかった。

 このところ寒い。こういうときには死者が出る、と不吉な予感がした。「新しい歴史教科書をつくる会」事務局で平成12年夏から約1年間ほど協力してくださった私と同じ年齢の川原祐さんという実直で、律儀な方がいた。2月6日にその方が亡くなった。私が風邪熱で早く床に臥せた日だった。

 8日の夜お通夜があるとしらせが入った。7日に熱は下がったもののまだ鼻みずは出るし、すこし咳も出る。8日夜の同じ時間帯に政治家の高市早苗さんの結婚披露宴に招かれていることをすっかり忘れていた。別件で伊藤哲夫さんから8日朝に電話が入って、そのことを言われて、あゝそうだった、と思い出した。

 お通夜のあるお寺は浅草の稲荷町、披露宴は赤坂プリンスホテルである。どちらも午後6時からとなっている。私は9日には用事が入っていて、告別式には行けないからお通夜をはずせない。

 お弔いと婚礼、死と生のどちらが尊重されるべきか。といえば当然前者であろう。けれども、死は突然訪れるものだ。婚礼は約束ごとである。私は今夜の出席の返事を出している。伊藤さんが問い合わせて、立食パーティーではないらしいよというので、テーブルに空席をつくっては相済まぬと思った。私は両方をうまく果せないかと思案した。赤坂見附と稲荷町の間は地下鉄銀座線で30分ほどである。

 会の事務局に相談したら、お寺に万が一来られないケースを考えて会として弔電を今から打っておきたいという。任せるといえばよかったが、紋切り型の弔文にしては川原さんに申し訳ない、と私には思い出のある人だからと言うと、それなら急いで文章を作ってファクスで事務局に送ってほしい、電報はこちらで打ちますというから大急ぎで文章を作ったら少し長めになった。「長いなァ、これでいいかなァ」と電話口で言うと、処理は任せてくださいと、事務局長が言うものだから大丈夫かなァと心配しながら、「ぎりぎりでもお通夜に間に合うようにお寺に行くよ」と私も言い添えた。

 赤坂プリンスホテルの2階の大広間が会場だった。待ち合わせていた伊藤さんと中へ入ると、ステージで女性歌手がロック調の声をはりあげている。情報違いで、椅子がない。やはり立食パーティであった。あゝこれなら早めに退場してお寺に駆けつけることも出来るな、と好都合に思った。あとでざっと見回して、約1500人は来ていただろう。

 歌が終って漫才師のかけ合いがあり、正面スクリーンに新郎の衆議院議員山本拓氏と早苗さんが並んでインタヴューを受けている場面が大写しになっていた。ご夫君になった方を私は存じ上げない。今から13年ほど前、私が朝まで生テレビに一番よく出演していた当時、ある時期から以後高市早苗さんがしばしば私の隣席に坐るようになった。隣席だから同陣営とみなされていたのだろうが、彼女からむしろ私は噛みつかれることが多かった。「彼女は先生の天敵ですね」と言う人もいた。議員になられる前で、20代さいごの年齢ではなかったろうか。ご本人は当時のご自分の牙をもう忘れておられるだろう。

 6時になって新郎新婦が入場し、人混みをかきわけるようにして正面ステージに登った。彼女のウェディングドレス姿は、大柄なので舞台上でもひときわよく映えた。森喜朗氏、中川秀直氏、小泉純一郎氏、武部勤氏の順に挨拶があった。最初の二人が結婚の立会人ということだった。

 政治家の話はどれもうまい。とりわけ森さんは愛想良く、上手である。けれども、どなたの話であれ、後から思い出そうと思ってもどうしても内容を思い出せない。それがまた政治家の話の特徴である。

 「早苗さんは落選しなければ大臣になっていたが、そうならば結婚はできなかったろう。」「30代で結婚したいってしきりに言っていたが少し間に合わなかった。」「落選したので秘書をしていた弟さんを山本議員に引き取ってもらった。そうしたらお姉さんまで引き取ってもらうことになった。」みんな仲間なのだろう。誰いうとなく遠慮のないそんな言葉がスピーチの中に飛び交っていた。自民党はこういうときになるとやはり派閥で集まるものらしい。

 議員になってから早苗さんは私の方へ近づいてきた。ことに「新しい歴史教科書をつくる会」の熱心な応援者になって下さった。夫婦別姓反対の女性議員の代表格でもあった。従って「山本早苗」になったはずである。

 小泉首相はステージの真中で両腕をあげて語ったが、何を言っていたかをやはりどうしても思い出せない。たゞ山本拓副幹事長はわが郵政改革の支持者だ、と胸を張って振り返るようにして言い、みなを笑わせた。そういう程度の仕草でも人が笑うような会場の雰囲気だった。

 それから30~40人くらいの氏名が次々と呼び上げられ、ステージに登壇することを求められた。森派の有力政治家が大部分だったが、評論家も何人かはいた。その中に私の名があったので、後方にいた私は混雑をかきわけて前方ステージへ登った。

 私は出席を返事していた。風邪とお通夜の件もあってよほど欠席しようかと思った。でも先方が私の存在を気にかけていたのだから、やはり失礼にならずに済んでよかったと思った。安倍晋三氏がステージの中央で乾杯の音唱をとった。私はそのすぐ後にいた。ステージの上で新郎とも新婦とも握手を交した。私は早苗さんに「さっき弟さんに会いましたよ。」とだけ言った。

 盃をかゝげながらステージをぞろぞろ降りる途中で町村外相と目が合った。「やあお久し振りです」と先方。前の文相時代は「新しい歴史教科書」の検定騒ぎ、韓国からの改訂要求の時代だった。「今度はあなたが外務大臣になられて、日本は腰が坐ったかんじで安心して見ていられます。」と私は応じた。

 二人は立ち止まって話す姿勢になった。「本当は私は文部大臣になりたかったんですよ。でも、今度の文部大臣はしっかりしている方で、安心です。」「今度は外も内も手堅く安全ですね、本当によかったです。」と私が応じると、「でも、教科書の内容はお手柔らかに願いますよ」と4年前に戻ったような調子で言う。「いや、すでに検定で調査官から手厳しくイジメラレテイルようですよ。」と私はあえて答え、それでそのまゝ人混みの中へ左右に別れた。

 何ということはない意味のない対話である。けれども思い出すことが一つだけある。町村さんとは4年前、検定も採択もすべて終って、秋になってからある空港の貴賓室で会談した。両者の旅が同じ時刻にクロスするのを親切な人がキャッチして、仲介したのだった。町村さんはそのとき、私たちが教科書の検定内容を大幅に受け入れたことが意外だったらしく、「あんなことならもっと削ればよかった」と冗談のように仰言った事実を思い出した。

 あの教科書の主張を少しでも「守る」のではなく「削る」のが当時の政府の、そしてひょっとすると今の政府の心の奥にあるものなのかもしれない。それを思うと心が寒々とし情けない気がする。

 この情勢が逆転しなくてはいけない。左翼の教科書を検定で少しでも「削る」。――それが政府の意向であるという風にならなくてはいけない。家永教科書裁判の時代まではそうだった。いつの間にか家永側が主流になり、こちらが少数派になった。今の日本はまだこの状態がつづいているのかもしれない。

 ステージの下に数多くの政治家がいて、挨拶を交した。元防衛庁長官の衛藤征士郎氏が近寄ってきて、私の本をよく読んでいると言い、尖閣の魚釣島に2000mの滑走路を作ること、沖の鳥島にレーダー基地を建設することを立案し、いま実現を目指してがんばっていると仰言った。実現すればまことに有難いし、心強い。

 私は尖閣もいいが、中国は先に台湾攻略を考えているので、宮古島、石垣島、与那国島といった台湾に至近のいわゆる南西諸島に自衛隊を常駐させることをもっと本気で考慮して下さいと言った。

私の2月の活動

(1)雑誌『正論』3月号短期集中連載

「歴史と民族への責任」(第一回)
男女共同参画と「従軍慰安婦」に通底する病

(2)責任編集『新・地球日本史』①

産経連載の単行本化。副題は「明治中期から第二次世界大戦まで」で、発売日は2月28日。
②は6月刊行予定

(3)雑誌『諸君!』3月号
 「特集・言論界の“善男善女”――新聞、テレビでお馴染のオピニオン・リーダーたちのご立派な言論を徹底批判する。」

姜尚中    ←浅川晃広
香山リカ   ←矢幡洋
藤原帰一   ←八木秀次
森達也    ←青沼陽一郎
伊豆見元   ←島田洋一
小林よしのり ←大月隆寛
榊原英資   ←遠藤浩一
上野千鶴子 ←西尾幹二

 私は上野氏については『新・国民の油断』で言うだけのことは言ったので、ここで新しいことを言うのは大変に時間を要し、面倒だった。でも、新しい材料で新しい問題点を提出している。

1月の私の表現

(1) 平松茂雄氏との対談「領海侵犯は偶然ではない」Voice2月号
1月10日発売
特集・「日中友好」は終った、の中の一つである。
この特集には古森義久、岡崎久彦、櫻井よしこの各氏が執筆している。

この2~3年でVoiceはすっかり甦った。ひところ目的不鮮明の雑誌になって、売行きの落ちた時期があったが、最近はそれ以前の代表的オピニオン誌の立場に再び復帰した。一層の発展を祈る。

(2) 講演加筆再現「行動家・福田恆存の精神を今に生かす」諸君2月号
12月25日に店頭に出たので、これについてはすでに詳報した。

(3) 八木秀次氏との共著新・国民の油断――「ジェンダー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす――』
1月11日店頭発売。386ページの大著。
PHP研究所刊 ¥1500(特価)
これについては1月11日にあらためて詳報する。

(4) つくる会第27回シンポジウム
国民の油断 ジェンダーフリー・領土・教科書

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
親よりもすすんだ子供の性知識と野蛮な言葉狩り・映像干渉
伝統的家族・社会を蝕んでいくジェンダーフリー派のソフトファシズム
もはや尖閣にとどまらず、沖ノ鳥島から沖縄全域が脅かされている南西領土問題
そして、歴史だけでなくすべての教科に広がる教科書の反日・無国籍化
驚くべき写真やフィルムで次々に明らかにされる衝撃的な現実
あなたは、この亡国的状況に果たして耐えられるか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

パネリスト:平松茂雄、工藤美代子、中西輝政、西尾幹二、八木秀次

日 時  :平成17年1月23日(日)13:30開場/14:00開演/18:00閉演

会 場  :銀座ブロッサム
      東京都中央区銀座2-15-6
     地下鉄有楽町線 新富町駅 1番出口 徒歩1分
     地下鉄日比谷線・都営浅草線 東銀座駅 3・5番出口 徒歩8分

前売り券:¥1800下記にて発売中(当日券は2000円)
● ローソン(Lコード:39806)
● チケットぴあ(http://t.pia.co.jp)
(Pコード:603-656、取扱いはセブン・イレブン、ファミリーマート、サンクス)
(TEL 0570-02-9966・自動応答)
*つくる会会員の方は「史」11月号をご参照の上、お申し込みください。

主催・問合せ
新しい歴史教科書をつくる会
TEL 03-5800-8552
FAX 03-5804-8662
http://www.tsukurukai.com

(5) 講演「国家解体をどう阻止するか――ジェンダーフリーと南西領土問題――」
1月30日(日)午後6:00~8:00
長崎県佐世保市 アルカスSASEBO(JR・MR佐世保駅から徒歩3分)

参加費:¥1000
主 催 :日本会議長崎
連絡先:090-8295-8969朝永氏
     0958-23-9140北村氏
日本会議長崎事務局
〒850-0006長崎市上西山町19-3

謹賀新年(五)

 年末から年始にかけては独特な忙しさがある。それがいやで、正月は嫌いだという人も少なくない。そういう忙しい時期を津波のように襲ってくるのが年賀状である。

 準備が容易ではない。私は印刷と宛名書きまでは他人の手に委ねている。そこから先は自分の仕事である。ひとりひとりに寸言を記す。今年は約1000枚なので、全部にはとうていできない。

 しかしそれよりも時間を要するのは、元旦の配達から発送リストに合わせて、到来したか否かをチェックする仕事である。住所の変更も確かめる。7日ぐらいまでこれがつづく。そんなことをしなければ良いと思うかもしれないが、ある著名な作家から82歳になったので年賀状を止めるので来年から出さないでくれと書いてきたし、ある物故した私の先生の奥様のご家族から、母は養老院に入ったので、永い歳月のお付き合いを感謝しますと認めてあり、暗に来年から賀状は寄越さないでほしいという意味を認めてある。

 これらは今年のうちにリストから消しておかないと、来年も機械的に発送され、迷惑をかけることになる。一年間で住所を変更した人が少なくない。これらも今年のうちにリストの住所を修正しておかないと、来年は宛先不明で戻ってくる年賀状の山が築かれることになる。郵便局が旧住所でも届けてくれるのは一年間に限られるからである。

 それやこれやで、正月は賀状の山と格闘する時間がバカにならない。津波のように襲ってくるこの波に耐え、何とか泳ぎきると、もう休み明けの日常が始まっている。毎年こんな調子である。

 他の人はどうしているのだろう。やはり年賀状に苦労しているのだろうか。それでも昔と違って、年始回りをしないし、年始客も来ない。年賀状くらいは最後のつとめとも思う。

 昔は元旦に、近所の奥様が正装してお互いの家に挨拶回りしていた。母が応対していた。午後になると必ず羽子板の音が聞こえた。獅子舞いもあって、門付けといって若干のお金を包んで渡した。若い女性は大晦日のうちに髪結いに行って丸髷げに結ってもらって、初詣は必ず和服だった。

 大晦日は美容院も床屋も明け方までやっていた。初詣の神社の境内は、私の記憶では1975年くらいまで、女性の華やかな和服姿で一杯だった。私は正月二日か三日に何軒かの先生や先輩の家に年始のご挨拶に伺い、馳走に与った。

 あんな時代もあったなァ、と思う。会社や団体のお偉いさんの家ではやはり今でも、元旦から千客万来なのだろうか。私は世間のこの面には疎くなって、他家の様子がもう分らない。

 さて、年賀状に戻るが、今年来た中で、印刷されていた文言にハッとなって、私の目を射た一文があった。ご本人の承諾を得て掲載する。元『文藝春秋』編集長の堤堯氏からの賀状である。

==================

謹賀新年

台湾の命運が気になります。いまやアメリカは独立へ向けての住民投票にすら反対します。かつて米中国交回復のおり、二十年来の忠実な同盟国を冷酷に切り捨てました。日米安保も不変ではあり得ません。ここ数年が、日本の岐路と思われます。

今年も変らぬご健勝を念じております。
2005年元旦

堤  堯

===============

 住民投票の「住民」に傍点が付ってあった。アメリカは自国の流儀を他国に強制して恥じない。自国の法律を他国に当て嵌めることにも躊躇しない。北朝鮮人権法がそれである。しかし法を施行するかどうかはいつも自国の事情次第である。

 北朝鮮にはせっかくつくった法を発動せず、台湾には法がなくても住民投票にまで無遠慮に干渉する。そういうことになるかもしれない。すべて自国のご都合主義だからである。

 9・11ニューヨーク同時多発テロまで、アメリカは中国を仮想敵国とみなし、包囲網をつくりつつあった。最大の敵はテロだということになって以来、対中国政策を緩和した。中国はその好機をつかんで、巧妙に立ち回り、経済維持につとめている。

 この両国の良好な関係がいつまで、どこまでつづくか分らない。

 堤氏の言う通り、日本は最悪のことを考えておかなくてはいけないのかもしれない。それでもアメリカが100パーセントの鍵を握っているのではなく、台湾防衛に日本がどういう意志をもちどれだけのことをするかひとつで、情勢は少からず左右されるはずである。

 「ここ数年が、日本の岐路と思われます」は、他の何人かから来た賀状にも認められてあった。戦後60年はやはり戦後50年とは少し違うようである。戦後50年は国会謝罪決議などというばかげた猿芝居に現(うつつ)を抜かしたが、さすがにもうそういう空気ではない。

 最後に、年賀状ではないが、「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」の「読者の声」に私と私の講演に関する記事があったので、転載させて頂く。宮崎氏を介して、筆者のご了解を得てある。

===================

(読者の声2)『いま日本は、いわゆる生ぬるい保守と「共産主義と一体化していた左翼進歩平和主義」とが対立しているものではもはやない。後者は例の゛週刊金曜日゛に屯するていどの矮小グループに転落した。代わりに保守が二つに割れて、日本改造の構想力をもつ行動的保守と、リベラル左翼にほぼ重なっている生ぬるい現状維持の保守、外交的にいえば中国不信派と中国眉態派、威嚇や恫喝に屈しない派と威嚇されれば無限に謝罪する派とに分裂し始めているといってもいいであろう。』以上は《愛国者の死》と題した西尾幹二氏の、坂本多加雄氏追悼文の一節です。年頭この論に接して自分らは”日本改造の構想力をもつ行動的保守”に連なりたいと誓い、また”中国不信派”・ ”威嚇や恫喝に屈しない派”でありたいと念じます。
西尾氏は昨年11月の福田恒存氏に関わる講演会で <文化や学問で人は果たして死ねるか>というマックス・ウェーバーの言葉を引用しています。この鋭い刃を持った言葉を日本の知識人に突きつけたのが福田恒存氏であると。命を懸けてというと誤解を招き反論を浴びるもの云いですが、旧制高校、旧制大学に蔓延った『知的あり方』とそこを拠所とした”知識人”が批判の的です。
微温的で、閉ざされた狭い世界で限られた仲間と薄っぺらな知識と軽薄な自尊心で民を啓蒙しているとうぬぼれている日本の”知識人”への痛罵です。知識や論を弄ぶ輩は所詮いのちを差し出してまで事を行なう覚悟はあるまいという卓見です。その意味で三島由紀夫は日本文化を守ろうと命を懸けた例外的な稀有の存在です。
『日本人が国境を越えた外のものに公平で、憧れをもって遠望し、近づいてくれば無邪気にこれを歓迎するのは、太古からの本能みたいなものではなかろうか。縄文以来といえばべつに証拠はないので大げさといわれるかもしれない。』(諸君掲載の西尾氏論文より)。
そんな無邪気な日本人はいつになったら福田氏の悟達に至れるのでしょう。
文化面だけではありません。80年代あれほどうまくいっていた日本的経営を守れず、90年代にグローバル・スタンダードというアングロ・サクソン基準で見事なまでに欧米に食い潰されボロボロにされた日本経済。それに手を貸したMBA帰りの同胞諸兄。日本の安全、国民生活の安寧を守ることが言葉や言論を以ってどこまで可能なのか。自らを助けることが出来る国に果たしてなれるのか。
それは何時になるのか。そんな自問自答を正月、半酔半醒の中でしています(笑)。
          (しなの六文銭)

 
==================

 私の昨今の意向をよくつかみ取って下さった一文にあらためて感謝する。この手の文が宮崎正弘氏のメルマガに掲げられ、私の日録の感想掲示板には出てこないのは遺憾である。

「日録」の更新もままなりません

 12月の仕事は例によって過密スケジュールで進行し、「日録」の更新もままなりません。いづれ詳報しますが、やった仕事はやがて表に出て来ます。本日は完了した仕事の報告をいたします。

 八木秀次氏との対談本『新・国民の油断』は360ページのどっしりした本、グラビア、図版多彩の充実した反撃本です。「ジェンダーフリー・過激な性教育は日本を亡ぼす」の副題あり。すでに校了です。1月11日店頭発売、PHP研究所刊、¥1500。一冊仕上げるまでには大変な作業量でした。

 「福田恆存の哲学」という11月20日の講演は、大幅に加筆し、『諸君!』の2月号に36ページ約130枚、一挙掲載となります。題して「行動家・福田恆存の精神を今に生かす」で、私は12月7日から13日までこれに没頭、14日の明け方校了となりました。

 もうひとつは平松茂雄氏との対談「Voice2月号」――特集「日中友好は終わった」の中の「領海侵犯は偶然ではない――陸上自衛隊は米軍とともに東シナ海の警戒を強めよ――」。軍事防衛問題には私は関心が尽きない。そして産経の「新・地球日本史」12月20日から25日まで、三浦朱門氏と、連載をめぐって年末対談を行います。これも完了しました。

 これだけやっていると「日録」の更新はおろか、インターネットを開く時間もないのです。

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(七)(前の月の生活に即した所感です)

=================

お 知 ら せ

Voice11月号(10月10日発売)
拙論「ブッシュに見捨てられる日本」25枚

尚同誌に横山洋吉(東京都教育長)、櫻井よしこ両氏の対談「扶桑社の教科書を採択した理由」があり、注目すべき内容です。

福田恆存歿後十年記念―講演とシンポジアム
日 時:平成16年11月20日 午後2時半開演(会場は30分前)
場 所:科学技術館サイエンスホール(地下鉄東西線 竹橋駅下車徒歩6分、北の 丸公園内)

 特別公開:福田恆存 未発表講演テープ「近代人の資格」(昭和48年講演)
講 演:西尾幹二「福田恆存の哲学」
     山田太一「一読者として」
シンポジアム:西尾幹二、由紀草一、佐藤松男
参加費:二千円    
主 催:現代文化会議
(申し込み先 電話03-5261-2753〈午後5時~午後10時〉
メール bunkakaigi@u01.gate01.com〈氏名、住所、電話番号、年齢を明記のこと〉折り返し、受講証をお送りします。)

====================

9月18日(土)~23日(木)
 頭を切り換えて国際政治の現状分析に没頭した。『Voice』11月号に25枚の評論「ブッシュに見捨てられる日本」として発表されたが、題は書く前から編集部があらかじめつけてきていた。

 私は日高義樹氏の論文2篇と新刊本
『日本人が知らないアメリカひとり勝ち戦略』のゲラの一部、及び江畑謙介氏の新著
『日本防衛のあり方―イラクの教訓、北朝鮮の核』、さらに英文と和文の大量のインターネット検索から得た米韓情報を読んだ。A4で300枚くらいはあったろうか。

 米議会下院を7月に通過した「北朝鮮人権法」が丁度上院の審議にかかっていた。私は資料を読むために4日、書くのに2日かけた。丁度資料を読み終わったころ、法案は下院の審議に入り、私が原稿を書き上げた日に北朝鮮のミサイル発射の不気味な情報が流れた。私は同法案成立へいら立つ北朝鮮の威嚇であろうと察知したが、日本の新聞にはそもそも同法案のニュースそのものがその頃もなおほとんど出ていない。日本人は北のミサイルの威嚇意図が何であったかついに分らず仕舞いではないかと、私はマスコミの迂闊さに憤った。

 米議会上院は民主党が修正動議を出したので、いったん動きが止まった。ミサイル威嚇が停止したのも丁度そのころである。私の論文もそこで雑誌校了となった。

 米議会上院の通過は結局10月4日だった。日本のマスコミは「北朝鮮人権法」についてようやく、そして一斉に報じだした。私にいわせれば遅すぎる。

 10月7日付コラム「正論」に、次の関連論文を書いた。本当は10月1日付けでも出せるほど早く私は書き上げていたのに、産経新聞も7日付に延ばし、タイミングを逸した。それでも末尾は十分に新しい見方かと思う。

===================

金政権崩壊促す米国の「北朝鮮人権法」

――日本政府に求められる自助努力――

≪≪≪ミサイル威嚇のサインは≫≫≫

 北朝鮮のノドンミサイル発射の兆候を日米両政府がつかんだのは9月21日午後だった。22日夜に公表された。結局何も起こらなかったが、何かのサインであったことは間違いないだろう。

 「北朝鮮人権法」というこのうえなく重要な、中朝両国に厳しい内容の法案が7月に米国の下院を通過し、9月21日に上院に上程された。23日付『ワシントン・ポスト』は共和党議員が全員無条件で賛成、そこまで行ったが、民主党議員が法案内容をもっと詳しく知りたいといって留保した。丁度そういう日に当たっていた。

 私は同法案とミサイル威嚇の間には、なんらかの関係があったと推理している。

 同法案は中朝両国の人権侵害を弾劾し、内政干渉となろうがなるまいがお構いなく、「世界政府」的見地から、米国の法律を他国に適用するといういかにも合衆国一流の強引な内容である。

 けれども、これからの北朝鮮に対しては、拉致された日本人と韓国人の情報の全面開示、彼らの本国への全員無条件帰還が認められるのでなければいっさい経済援助の交渉には応じないものとする、というきっぱりした内容をうたっている。

 いったいどこの国の法律であろう。米国の徹底度には目を見張るものがあり、人権と民主主義の総本山としての自負心横溢(おういつ)の文書といっていい。スキあらば日朝国交正常化を行おうとする小泉内閣の姿勢は明白に否定され、退けられたに等しい。

≪≪≪腰が引けた外務省の姿勢≫≫≫

 同法案は脱北者を摘発しては北朝鮮へ強制送還する中国政府を、手厳しく批判し、脱北者を助けようとする外国人牧師などの活動を迫害する中国政府の国際法違反を問責している。

 腰が引けたこれまでの日本政府とは大違いで、日本政府の非倫理性は改めて糾弾されてしかるべきと思うとともに、やはり軍事力の支えがなければ一国の外交に正義と倫理を反映させることは不可能なのか、と改めて痛恨の思いを抱かざるを得ないのである。

 国際協力とかいっている日本政府が脱北者支援のための国家プロジェクトを一度でも考えたことがあるだろうか。

 同法案は北朝鮮の人権回復のために働く団体に年間二百万ドルの資金を提供することや、米政府系「自由アジア放送」を一日4、5時間から12時間に増やすこと、脱北者の保護を中国政府に要求することなど、具体的なプログラムを掲げているが、軍事制裁には触れていない。しかし金正日政権の「転覆」をめざす政治意志は明らかで、法案は上院で28日修正可決、4日に下院が再可決したので、今後米国は同法に従う。

 謎の爆発や相次ぐ大量脱北で末期に近づいている金政権は1988―89年の、まずハンガリー人が逃げて、全面崩壊につながった東欧の状況に似ているように思われているが、決定的に違うことが一つだけある。ハンガリーからの避難民はウィーンなど西側自由圏に直接流れ出した。

 北朝鮮の避難民は中国へ逃げるしかない。これはハンガリー人などが当時のソ連へ逃げるというあり得ないばかばかしいケースに当てはまる。中国の協力がない限り、大量脱出といえども体制崩壊につながらないことを示すが、中国政府にその意志はない。

≪≪≪海外逃避の兆候出た韓国≫≫≫

 盧武鉉が大統領になってから韓国の親米派、自由主義者、富裕層は不快な攻撃にさらされ、北朝鮮が中国化されることを思うと不安で夜も眠れない、と書いている韓国人の文章を私は最近読んでいる。韓国から海外への不法送金は前年の十倍に達し、ロサンゼルスの不動産が高騰している。『中央日報』9月7日付によると、南米型の資本流出、富をそっくり持っての海外移住が始まっているらしい。

 つまり、朝鮮半島でいま起こっていることは東欧の状況に似ていない。1975年のサイゴン陥落後のベトナムに似ている。南ベトナムの人々がボートピープルになって脱出したあの悲劇がまた起こるか否かは、米中両国の意志ひとつにかかっているが、日本の政治意志も全く無関係ではないのである。日本の目の前に迫っている日本の危機である。米政府が求めているのは自助努力である。

 6カ国協議という外交交渉の限界は見えてきた。中国の対日敵意もはっきりしてきた。日本政府は「北朝鮮人権法」に示された米国の法の精神を他人事のように扱っているわけにはもはやいかないはずである。

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(六)(前の月の生活に即した所感です)

 今これを書いているのは10月16日である。当「日録」をリアルタイムに書いて欲しいという要求があったが、そんなことは私の身体が二つない限り不可能である。忙しいときには日録を書いている余裕はない。最も忙しいときにはインターネットを開いている余裕もない。

 リアルタイムに書けという要求がいかに無体であるかを示すために9月の多繁期を現在の感想と交差させながら回顧しておく。大体次のような毎日である。

9月16日(木)
 明日は人間ドックを予約している。1週間後の22日には、八木秀次さんとの『新・国民の油断』のための第2回目対談がセットされている。ほゞ同じ日に『Voice』11月号の25枚評論の〆切りがくる。両方が同時期に重なるのは無理だと直ちに判断した。

 明日17日には青春出版社の『日本人は何に躓いていたのか』の初校ゲラの校正もどしが予定されている。17日正午がタイムリミットである。私は人間ドックをキャンセルする決心をした。次いで『新・国民の油断』の第2回対談のためにも資料を読み、考えをまとめる時間が必要なので、関係者に連絡して、4日間だけ延ばして、26日(日)にしてもらうことにした。さもないと『Voice』が入らない。

 私は最近日程を変更してやりくりするこんな落ちつかない事ばかりしている。どたばたの騒ぎである。不手際のせいではなく、仕事量が多すぎるせいである。幸い八木さんやPHPのご好意もあって、延期は可能になった。

 私は今、約1ヶ月前の9月の日付をきちんと追った日記風の記録をここに掲示している。理由は、私がどんな風に自己整理して、否、自己混乱して日々を生きているかを公開しておきたいと思ったからである。

 明日17日までに『日本人は何に躓いていたのか』の初校ゲラを見終えて、同日午後から国際政治の新しい資料を一斉によみ始め、22日夜までに『Voice』論文を書き上げる。私でなくても、もの書きはみんなこんな時間の綱渡りをしている。私は大学の勤務がなくなった分だけ楽なのである。

9月17日(金)
 『日本人は何に躓いているか』は4月1日に書き始め、8月15日に脱稿した。(勿論、4~7月は「江戸のダイナミズム」18~20回の連載と重なっている)。9月の初旬に初稿ゲラを受け取っているが、十分に見ている時間がなく、後で再校、三校で修正量が多く、苦労することになるが、9月17日、すなわち本日までに初校に一通り目を通して戻さなければならなかった。

 この本は平成16年度の私の出版物の中心の位置を占める。330ページ、10月29日刊、¥1600、初版部数1万2000ときまった。

 現在――10月16日の段階で、三校まで修正の筆を入れ、校了となった。
目次の各章の題目とあとがきの「おわりに」をお知らせする。各章の下に見出し語が並ぶが、これはここでは省略する。

===============

『日本人は何に躓いていたのか』

目 次

序 章 日本人が忘れていた自信

第一章 外交 ――日本への悪意を知る
第二章 防衛 ――冬眠からの目覚め
第三章 歴史 ――あくまで自己を主軸に
第四章 教育 ――本当の自由とは何か
第五章 社会 ――羞恥心を取り戻す
第六章 政治 ――広く人材を野に拾う
第七章 経済 ――お手本を外国に求めない
 
おわりに

====================

 ここにも編集者との間で小さなやりとりがあり、変更を余儀なくされている。第一章の副題は最初私が「他国の悪を知る」とした。今でもこのほうが私の真意に近い。第三章の副題は最初「自己本位」とのみした。どちらも今の読者には唐突、または難解であるとの理由で、ご覧の題に落ち着いた。

====================

 おわりに

 最近日本人は永く忘れていた自信を少し取り戻しつつあるように思える。物事がすべてうまく行っているからではない。むしろ過去半世紀のほうが物事は円滑にはこび、日本人の生活は気楽だった。

 最近の日本は地域紛争の当事国になりかけている。国家財政の行方にもただならぬ不安がある。町には大型化した犯罪が増え、性風俗は乱れ、学校の生徒が昔のように勉強しなくなった。平成に入って、つまり冷戦が終わって以降ということだが、目立って問題が多く発生し、日本はこのまま行けば力を失っていくばかりで、この国は地上から消えてなくなってしまうのではないかと極論する人さえいる。

 こうなって初めて、最近卒然と何かを悟る気運が生じている。私にはそう見える。何を悟るかというと、日本を衰滅させてはならない、国がなくなれば自分の人生も生活も危うい、という動物の生きんとする本能のようなものが動き始めているように見える。

 国家主権というものを過去60年ほど日本人は考えないで済んでいた。最近そうはいかないのではないかと少し気がついた。日本という国を衰滅から守るという考え方が、言論界でも一般社会でも主流になりつつある。それに逆行する考えはこれから恐らく通るまい。

 大切なのは国家だと気がついたとき、忘れかけていた自信をかえって取り戻す心が至る処に見られるようになった。

 私もまた自信を回復しつつある一人である。本書はこのような精神状況を迎え、日本及び日本人を総体(トータル)として、あらためて捉え直し、描き出すという私にとって初めての試みである。

 何しろ日本の現代の全貌を七つの観点から一人で論じ尽くすのであるから、無謀といえば無謀である。うまく論じ得たという自信はないが、今必要なのはちまちました議論ではなく、立体的総合論ではないかという私の意図と野心の一端に共感を持って付き合っていただけたら、このうえもない喜びである。

 本書は平成16年4月1日から稿を起こし、8月15日に脱稿した書き下ろし稿である。

 一書のモチーフを私から引き出し、共に考え、支えてくれた青春出版社書籍編集部の辻本充子氏、並びに背後からバックアップしてくださった書籍編集部編集長の桑原渓一氏に心より深謝申し上げる。

平成16年10月9日
                        西尾幹二

==================

 以上で本書の方向は大体察知いただけたであろう。9月の前半はこれの初校もどし、9月30日に再校もどし、10月12日三校最終ゲラもどしを実行した。再校、三校ともに修正多量で時間に追われる苦しい日々だった。

10/22脱落個所掲載
10/23誤字修正

「たかんじんのそこまで言って委員会」に出席して

 
**************
お知らせ

(1)10月23日(土)14:00~16:00
西尾幹二講演会「正しい現代史の見方」入場無料
  帯広市幕別町緑館
主 催:隊友会道東連合会
連絡先:自衛隊帯広連絡部
飯島功昇氏
TEL 0155-23-2485

(2)Voice11月号(10月10日発売)
拙論「ブッシュに見捨てられる日本」25枚

尚同誌に横山洋吉(東京都教育長)、櫻井よしこ両氏の対談「扶桑社の教科書を採択した理由」があり、注目すべき内容です。

*************

10月17日に関西より以西で放映されたよみうりテレビの「たかじんのそこまで言って委員会」を早速文字化して下さっているサイト、「ユウコの憂国日記」があるので、以東の方もここをクリックして、読んで下されば、何があったかは分ると思う。大阪の三人の知人から「良かったよ、胸がスーッとした」と電話があったので、テレビ効果はそれなりにあったに相違ない。

 けれども、出演した本人は肝心な話の内容が全部カットされているので、テレビ局の扱いに大変に当惑し、不満だし、内心怒っている。

 南京虐殺はなかったということは証明できないが、あったという論拠も今やことごとく覆され、証明できず、限りなく「なかった」に近いのだという私の判断はたしか収録されていたはずである。しかし、私はその理由を数点、以下のごとく分かり易く述べておいたのである。

(1)  1941年の蒋介石政府の内部報告書は虐殺があったという認識をもっていない。掠奪や放火はあったとされるが、これも日本軍がやったとは限らない。

(2)  毛沢東が延安で書いた「持久戦について」の中で、日本軍が蒋介石の軍隊を殲滅しなかったのは戦略的にまずかった、とさえむしろ言っている。ここにも大量虐殺の認識はない。

(3)  虐殺を主張してきた日本人学者が主に依拠したのはティンパーリ、ベーツ、ラーベといった欧米の特派員の報告や文書である。しかし彼らは蒋介石政府の顧問であったり、武器商人であったりで、情報撹乱を意図していたスパイであった。証拠能力がない。

(4)  この他に大量虐殺があったと語ったいくつかの証言はすべて伝聞であって、誰かから聞いたという間接証言にすぎない。目撃証言もあるが、それは一人か二人の処刑を目撃したという話であって、大量虐殺の話はひとつもない。

(5)  ハーグ陸戦法規によれば、軍服をぬいだ不法戦闘員、つまりゲリラであるが、これは捕虜として保護される権利を持たない。日本軍が正規の捕虜を処刑したという証言は、昭和12年から東京裁判まで存在しない。

 私は以上の5点を、テレビだから分り易く、例えば「不法戦闘員」などと言わず、「軍服を着ていないゲリラは、捕虜とは認められなかったので処刑されても不法ではなかったんですよ。」という言い方をした。

 戦争のさ中だからゲリラの処刑はあったし、一般市民の誤殺もあっただろうと私は考えている。けれども組織的大量虐殺は考えられない。もしあれば、ナチスのような科学的焼却工場でも作らなければ屍体処理ができない。また殺戮任務の特殊部隊を用意しなければ、殺害自体が不可能である。特殊部隊編成の記録は必ず残る。しかしそういうものは日本軍史には存在しない。

 私の知識はそれほど深くはない。大体こんな程度の莫たる知識しかもっていない。今、専門家の間ではより詳しい、細部に入った論議がなされているはずだが、私は常識の域を越えない。

 ただその程度の予備知識でもテレビの視聴者は知っておくべきと思い、分り易いことばに改めて、ポイントだけ述べておいた。にもかかわらず、ことごとくカットされている。これはひどい。何のために私に南京問題の質問を向けてきたのか分らない。

 私の出演したテレビに関心をもって下さった方は、私に上記の発言があったことも加味して、考えて下さい。

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(五)(前の月の生活に即した所感です)

9月15日(水)
 日本時間15日夜、小泉首相がサンパウロで泣いた。ブラジル移民の集いで日系移民の苦労を察してと称して男泣きしてみせた顔相がテレビの画像に何度も映った。私はなんとも説明のできない気味の悪さと嫌悪を感じた。

 老いた横田夫妻に涙がなく、何で「移民の苦労」というような抽象的なテーマで滂沱と涙が頬を伝わるのか。小泉再訪朝の直前、孫のへギョンちゃんの来日要請が伝えられた老夫妻は断腸の思いでこれを辞退し、金正日に会ったら「娘は1995年まであなたの一族の家庭教師であったはずだと問い正して欲しい」と官房長官を通じて切願した。首相は経済制裁はしない、と自分から言い出す前に、なぜこの一言がいえなかったのか。首相の心の中で重要な位置を占めていなかったからである。

『日本がアメリカから見捨てられる日』の第一章の題は「個人の運命にも国家にも無関心なあぶない宰相」である。「情感を持たない機械みたいな人間」ということばも用いている。週刊誌は冷酷非情な人格と書いた。それをきちんと片眼で見て、国民にそうでないと見せるために、サンパウロで泣いてみせたのである。

 一挙手一投足がことごとく自己演技である。真心がない。総裁選に出る以前に、彼が靖国を尊重し、特攻隊に関する歴史知識を深めていたという話は聞いたことがない。それでいて、特攻隊員を思って涙を浮かべたという話がどこかから伝わる。サンパウロで流したのと同じ涙なのだろう。それならなぜ再訪朝前に横田夫妻に会おうともしなかったのか。

 というよりも、再訪朝後の度重なる実務者協議で、くりかえされる北朝鮮の非礼な拒絶を前にこの期に及んでなお「粘り強い交渉を」となぜ苦悩のない、当り前なことばを首相は平然と言いつづけるのか。

 男は簡単に泣くものではない。まして泣き顔を他にさらすものではない。泣きたくても怺えて静かに笑っているのが男子たるものの心得である。親の葬儀でも男は泣かない。焼香客が全部帰って、夜ひとりで蒲団の中で初めて男は号泣するのである。

 どうしてあんなに易々と涙が出てくるのか。どこぞの俳優学校ででも学んだのか。安っぽい涙はまさに感情を持たない人間であることの証拠である。

 男は簡単に泣くものではない。まして泣き顔を他にさらすものではない。

日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(四)(前の月の生活に即した所感です)

9月13日(月)
 12:30入れ歯の調整に医歯大へ行く。新しい入れ歯は非常に具合がいい。口腔内に違和感がない。私は担当の水口俊介先生に「先生は名人ですねー」と賛辞を呈する。

 3:30から渋谷の「日本文化チャンネル桜」のスタジオに赴き、初めての出演をする。知っている人ばかりで集まっていて、私たちの仲間のテレビ局だということがよく分る。

拙著『
日本がアメリカから見捨てられる日』を司会の大高未貴さんが用意していて、私の出演中ずっとテーブルの上に立てて置いてくれた。こんな厚遇は他局では考えられない。

 私はテレビが嫌いで、最近はニュース以外はほとんど見ない。私の老化のせいではなく、番組内容の劣化のせいである。アメリカでは240ものチャンネルが選べると聞いた。私がかって杉並ケーブルテレビに加入していたときには60のチャンネルがあった。24時間天気予報だけを流しているチャンネルなどもあって、その限りでは便利だった。

 私はあらゆるテレビ受像機が100くらいのチャンネルを映し出す電波の自由化の到来を待っている。NHKと既成民放の電波独占が番組内容の劣化を招いている。郵政の民営化より電波の自由化のほうがずっと優先価値が高い。テレビと大新聞の情報の独占、画一化、愚かな自己規制、小さくても途方もなく重要な情報の選別能力の欠落、その結果としての番組内容の空虚化――こうしたことをいっぺんに解決するのが電波の自由化である。

 私はこの点では秩序派ではなく、情報の戦国時代を良しとする者である。「日本文化チャンネル桜」はぜひその尖兵になってもらいたい。何が電波の自由化を阻んでいるのか、原因を究明している論文をどなたか知っていたら、教えてほしい(感想板に書いてほしい)。

9月14日(火)
 12:00~14:00の時間帯に時事通信社の内外情勢調査会の講演で大宮市に行く。聴衆は企業の経営者が多いと聞いたので、あえて経済をテーマに選んだ。

 私は最近、14年前の日米構造協議における日本側の屈服を批判した私の観点は間違っていなかったと自信を深めるようになった。「日本経済は閉ざしている」という根拠なき強迫観念から解放されない限り、日本は立ち直らない。さすがに日本経済は遅れているとは今は誰もいわなくなったが、その代りに閉ざしていると口々に言い、遅れているというのと同じ思い込みに陥っている。

 果して閉ざしているだろうか。諸外国と比較してもそうは思えない。系列、談合、株の持ち合い、終身雇用、官僚主導、愛社精神などをことごとく「閉ざした」表徴として自己批判させられてきて、日本はアメリカ経済の前に膝を屈した。しかし、今にして分ったが、解雇したり不動産を売却したりして数字合わせをした日産よりも、日本型経営を守ったキャノンの方が、ずっと正しかったと思えてくる。

 日米構造協議から日本の没落が始まった。堺屋太一や、中谷巌や、竹中平蔵はやがて「日本をアメリカに売り渡した男たち」のドラマの主人公となるであろう。日本の資本主義は日本独自であってよい。アメリカが資本主義の正統で、日本が異端だなどというそんなバカな話はない。ファロアーズの『日本封じ込め』以来、ずっとなにかが狂っている。

 私は今日の講演で、90年代前半までの日本がいかに正当な自由競争社会であったかを例をあげて力説した。郵政民営化もアメリカの陰謀に相違ない。

 日米構造協議は海部内閣の時代だった。あのころまだ若かった小泉首相の頭の中に「日本は閉ざされている」という強迫観念が宿ったのであろう。中曽根首相の国鉄と電々の民営化が成功したかにみえたので、残るは郵政と思い込んだのに違いない。

 電々の民営化は時代の要請に合っていたし、国鉄の民営化もまあ仕方がなかった。しかし後者は巨額負債を棚上げして国民の負担として残した侭である。加えて廃線になった地方の山奥の人々を苦しめてもいる。100パーセントの成功とはとてもいえない。

 日本の国力は明治以来、「統合」と「公平」の観念に支えられ上昇した。教育と郵便と鉄道と保健衛生はその象徴である。義務教育の国庫負担削減という最近の政策は、貧乏県の教育を切り捨てるという結果をもたらす。小泉内閣は病院を株式会社にし、治療費を保険と自己負担に分ける自由選択制に切りかえようと画策している。保険の患者は粗末に扱われるようになり、日本の健康保険制度――世界一といってよい――は崩壊し、アメリカのような貧乏人早死制度になり果てるであろう。

 何でも自由競争にすればよいというものではない。郵政の民営化も大いなる疑問である。ストップ・ザ・カイカク!

(10/17削除修正)