江戸のダイナミズムに寄せて(九)

guestbunner2.gif渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了
 
 深田祐介さんの「大東亜会議の真実」という本を私は読んで以前、深い感銘を受けたことがあります。1943年冬の東京で開催されたこの会議は、戦後左派が言うようなアジア各国の売国奴の集結であったわけではない。反面、盲目的な親日派の集会であった、ということでもないのです。 

 どの出席者も、正真正銘、日本の国力と国民文化に、深い敬意を抱いている。しかし戦局が不利になった日本の行く末も認識している。そしてこれまたどの出席者も、自分の国(民族)の独立運動に日本がどこまで利用できるかという判断も怠っていない。チャンドラ・ボースという人物は疑いようもなく偉大な人物ですが、彼の足跡を追えば、日本に依存する前はドイツを頼り、日本降伏直後、ソビエトを頼ろうとして事故死したわけです。「敵の敵は味方」ということがボースの論理だったといえば容易いですが、ボースはたとえば、東条首相からのインド国民軍への軍事援助の申し出に対して、それを「援助」でなく「貸与」にして欲しいと粘りました。  

 日本側とすればボースの拘りの意味がわからない。日本人にとって善意は善意に過ぎないからです。しかしボースの拘りの意味は、二次大戦終了後、イギリスの裁判のとき、インド国民軍の無罪ということに貢献するのです。無罪ということだけでなく、日本の協力を、日本と対等の立場で得た、ということを証しした、ということでもある、ということなのです。ここにボースの深謀遠慮があるというべきでしょう。

  ボースをはじめ、バー・モーやラウレルなど、みな同じくとてもしたたかな人間です。しかし「したたか」と「ずるい」は全く異なります。ボースの日本への賞賛は本当の気持ちだったし、バー・モーは日本軍の純粋な精神に何度も号泣し、ラウレルは敗戦直前の日本に来てまで日本という国に期待を賭けていました。つまり、「親日」は「追随」ということでは決してなく、矛盾した言い方になってしまいますが、「日本」と「親日」いうことは別個独立した一つの立場だと考えなければいけないことを、彼らの「日本」とのかかわりのドラマは示しているのではないでしょうか。戦前戦後を通じてずっと、日本人の大半は実は「親日」ということの本当の意味を理解できていないのではないか、と私は考えます。

 西尾先生がいろんなところで指摘されてきたことで、実は「江戸のダイナミズム」の最大のテーマの一つでもあるのですが、私達は西欧や中華世界に憧れることはできても「なりきる」ことはできないのですね。このことを裏返せば、いくら日本に正しく親しい弁護者でも、その人は「日本人」ではありません。当たり前のことかもしれませんが、そこらあたりのことをゴタマゼにして、アジア全域を日本共同体にしようとしたことろに、大東亜共栄圏というお人よしの情念的思想があったように思います。しかし、「日本人」と「親日」が無縁というかというと、そうではありません。やはり、「親日」を節度をもって育てるということも、日本人として、とても大切な任務だ、ということもいえるのです。それは戦略的思考の一つですらある、と思います。

  アメリカやドイツは、実に巧妙に「親」派を育てる。もちろんアメリカやドイツほど巧妙であるのはなんとなく違和感がありますが、私達が「親」派を育てる必要性ということを、「大東亜会議の真実」の読後感の一つとして、強く感じました。そしてこの読後感は、自分が日本という国家意識を実践形成していく上で、実に不可欠なことではないか、と日増しに強く思いはじめています。 

 黄文雄さんも石平さんも呉善花さんも、皆さんでなければできないようなたいへん優れた思想展開をもち、これからの日本にとってなくてはならない方だと私は思います。知識的にも見識的にも、どれだけ私の読書に貢献してくださったかわかりません。ただ皆さん、著作の写真で観たときよりも少し齢をとられたかな(笑)。私達にとって大切なことは、大東亜会議で不完全に終わらせてしまった、「親日」の節度ある育成ということを、これらの方々との付き合いで実現していくこと、そのことで、「日本」と別な意味空間に、「日本」でない「親日」という場を形成することだといえるのではないか、と当日の親日派知識人の皆さんの話を伺いながら思いました。 

つづく

江戸のダイナミズムに寄せて(八)

guestbunner2.gif渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了
 
 西尾先生の「ニーチェとの対話」でモンテーニュの「私は非常に単純な歴史家か、または群を抜いた歴史家が好きだ」を引用されたくだりがあったと記憶します。モンテーニュの言いたいことは、歴史観における健全な主観主義と客観主義は、歴史家において稀少な両者にしか生まれず、歴史観を破壊してしまうのは、この三流と一流の中間にあって、客観主義を装いながら凡庸な主観主義を駆使している二流の歴史家だ、ということなのですが、大学時代の知己で、少なくない同年あるいは同年に近い出版業の人間と話すとき、私はいつも、このモンテーニュの言葉を苦々しく思い浮かべます。 

 大概の私の出版業者の知己は「こういう本もあってもいいのではないか」という私の見解を素人呼ばわりし、出版不況の現状を知らない空論だというふうに言われてしまいます。私の見解が素人なのは事実だとして、では、出版者としての彼らの職人意識に、マーケットメカニズム以外のどういう見識が存在しているのか、というと、実に情けないものしかもっていない場合がほとんどです。大体、不況といいながら、出版不況の原因が、自分達出版人であるかもしれないという謙虚さが全く感じられない。さらに不思議なのは、純粋にマーケットメカニズムに徹しているかというとそういうことでもなくて、こういう友人に限って、どう考えてもおかしな出版計画や雑誌企画を思い描いていたりするんですね。 

 もちろん、モンテーニュが言ったのは歴史認識の問題であって、出版業界の話とは全く関係ありません。しかし、認識における「主観」と「客観」の図式に拘りすぎて、「客観」主義の立場を「マーケットメカニズム」主義に一致させつつ、その内実はいろんな主観主義の悪戯をして出版界を疲労させている、というのがこの日本の言論界の現状なのではないだろうか、と私はお門違いを承知で、モンテーニュの言葉を飛躍させて考えます。歴史家と出版人において、共通点を見出してしまうくらいに、私は認識における職人意識が嫌いで仕方ないのです。

 モンテーニュが言う「単純な歴史家」は、自分達のできる範囲で読者に誠実に良書を提供しようとする地味だけれども忍耐強い出版人、「群を抜いて優れた歴史家」は、絶えず斬新で的確な出版計画や雑誌企画を有しつつ、むしろそうした斬新さがマーケットメカニズムを変えてしまうような、実は評論家としても一流な出版人、そういうふうに平行移動して私はモンテーニュの言葉を理解しています。    

 言うまでもなく文藝春秋は「群を抜いて優れた歴史家」に該当する出版社です。1930年代という難しい時代の「文藝春秋」のバックナンバーを読むとそのことがよくわかります。世論がドイツとの同盟賛成に急傾斜しているとき、「ナチスは日本に好意をもつか」という鈴木東民氏の論文を掲載し、あるいは近衛文麿に対するこれまた世論の急傾斜に対し、近衛の革新思想被れを厳しく指摘する阿部真之助氏の論文を掲載したりしています。もちろん、これらは、反体制というイデオロギー依存の形での懐疑から生じたものではなく、この日本にあって、この日本でしか生きられないという前提を決して動かさない上での懐疑主義ということであって、その良心はずっと文藝春秋において、維持されているということができるのでしょう。

 そういう意味で、乾杯の音頭を文藝春秋の社長氏がとられることは、西尾先生の今回の著書の出版元であったという以上に、西尾先生の著作の良心を象徴することに相応しいことだったように私には思われました。  

 二次会のレストランで、私の隣席だった方は、一般的にみて、あまり有名でない出版社の社長氏でした。しかしとても腰の低い見識豊富な人物で、私の知己に多いような二流の職人意識をひけらかしたりする出版人とは正反対の人物でした。「単純な歴史家(出版人)」か「群を抜いて優れた歴史家(出版人)」のいずれかはわかりませんが、モンテーニュが賞賛する人物であることは間違いないように思われました。「西尾先生の本を私のようなところでもいつか出版して、いろんな方に読んでいただきたいのですよ」と繰り返し言っていらっしゃいました。

 私は西尾先生がかつての著作で「自分の本当の姿はさほど有名でない哲学誌や文芸誌に載っていたころにこそある、とさえ思っている」という言葉を思い出して、「そのうち必ず、その機会がやってきますよ」と、だいぶ酔いのまわってしまった口で話したら、その社長氏は本当に嬉しそうな顔で頷いておられたので、ちょっとだけいいことしたかな、と当日の楽しい宴の小さな満足感の記憶になりました。

つづく

江戸のダイナミズムに寄せて(七)

guestbunner2.gif渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了
 
 パスカルに「人は普遍的であるとともに、すべてのことについて知りうるすべてを知ることができない以上は、すべてのことについて少し知らなければならない。なぜならすべてのことについて何かを知るのは、一つのものについてすべてを知るよりずっと美しいからである」という言葉があります。当日、西尾先生のスピーチを聞いていて、何よりもまず、パスカルのその言葉が私の頭に思い浮かびました。パスカルにはまた、「幾何学的精神」と「繊細な精神」の二者の精神の区別を通じて、いろんな意味において、後者の精神が世界の真理に近づきやすい、というくだりもあります。
 
 もちろん、「繊細な精神」というのは優しさやヒューマニズムという意味ではなく、特定の公理や専門的知識によって説明される特定の「眼」に納得できず、たえず様々な「眼」の可能性にこだわり、死にいたるその日までどんな解答にも満足できず、専門より真実を優先する精神、とでもいうべきでしょう。しかし近代とりわけ20世紀という時代は、パスカルの警句とは全く正反対の方に事態が進行してしまった時代です。

 西尾先生のかつての著書の中に「学問のためでなく、学会のためにのみ活動している学者」という実に的確な指摘の言葉があったと記憶します。つまり専門家の大半が安易な「幾何学的精神」の自足の果てに、そんなスモールポリティックスの世界に生きてしまっているのが現実で、専門家の諸氏はそれでいいでしょうが、真実というものを学問的認識に求めている一般人にとっては、この現実はたまったものではありません。
  
 「ライターとして生きてきた」という西尾先生の言葉は、自分はパスカル曰くの「繊細な精神」を自分は持ち続けたのだ、ということの言い換えであるように思えます。私の考えるところ、優れた大思想家は、皆、「ライター」ですね。しかしさらに重要なことは、ニーチェのように早々に研究者業を廃業し全面的に孤高の「ライター」人生を選択した潔癖な大思想家もいれば、その反面、「専門家」の虚しさを知りながらも、専門家と「ライター」を兼業し続けたたくさんの器用な大思想家がいる。そして西尾先生のスピーチは、ニーチェの潔癖すぎる潔癖さと、器用に専門家への軽蔑を隠し続けた大思想家の諸氏の両方ともを、私達が学ばなければならない本物の思想家と言われているように思います。
   
 おっしゃるように、専門家と一口にいっても、たいへんな専門家、優れた専門家というのもたくさんいるのですね。西尾先生は言語学の橋本先生の例を挙げられましたが、私は以前、必要があって、美濃部達吉や瀧川幸辰といった昔の法学者の著作に目を通したことがあります。その世界を極める専門家のすごさというのを感じると同時に、よく読むと、昔の専門家というのは、他分野への旺盛な好奇心が、専門分野の表現に巧みに現れている、ということがわかりました。わかりやすく専門家と「ライター」を兼業している人物より、ずっと隠れた奥深いところで、「ライター」を兼業しているのが昔の大専門家なのです。だから昔の大専門家の本は、何処か面白くて、読んでいてもなかなか眠くならないんですね(笑)。
   
 私達は専門と反専門のことを考えるとき、ニーチェの生き方に感動しますが、しかしいざ生き方の選択、という面で考えるとき、ニーチェのような専門家との潔癖な敵対は、ある意味で危険な精神行為で、「潔癖」は「潔癖すぎる」ことにつながりかねません。「繊細な精神」を静かにたたえた、巧みな大専門家というのも実はたくさんいるからです。ニーチェならそれは見抜けるでしょうが、私のような凡人がいい気になってニーチェの精神を獲得した気になったとしても、それは難しいのです。

 しかし西尾先生の著作を読んだ上で、西尾先生の当日のこのスピーチの言葉を考えると、そのわかりづらさが、わかりづらくないように思われてくる。ニーチェの在り方も、反専門と専門を使い分ける在り方も、そしてかつての大専門家の在り方も、皆、パスカル曰くの「繊細な精神」の旗のもとに集う、読むに値する人達なんだ、ということが、心から納得できるような気が私にはしました。これらすべてを正しく配慮しているからこそ、西尾先生の本は専門書であると同時に、反専門書でもあるのだ、と私は思います。

つづく

江戸のダイナミズムに寄せて(六)

guestbunner2.gif渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了

  当日のパーティー参加者には吉田先生の読者が想像していた以上に多く、挨拶された諸先生の中で一番、読者が多いのではないだろうか、と思えるくらい、あちこちで、「今日は吉田先生が挨拶されるんだ」という声が聞こえてきました。
  
 私にとって神話解釈というのは、気にせず通り過ぎようとすると何となく気になってしまい、どうしようもなくなり、逆に集中しすぎると現実がみえなくなってしまう、まことに厄介なものでした。レヴィ・ストロースの構造主義的、あるいは記号解析的な神話解釈は私の頭が追いつかず、フロイトの神話解釈は新たな神話つくりにしか思えない、そんな私のジレンマの中で、吉田先生の本はたいへん明晰な形で私に神話解釈の世界を与えてくれるものでした。
 
 ロラン・バルトに、「神話とは語源そのものであり言葉そのものである」というくだりがあったと記憶しますが、つまり、言葉・語源と言い換えていいような、私達が生きている現実世界の根幹を、あますところなく説明してくれるものとしての神話解釈の世界が、吉田先生の著作の最大の魅力です。日本神話の造化三神から「無為の中心」を、さらにそこから日本人の和の精神を説明されたり、あるいはアマテラスの忍耐強い性格に、世界の皇室・王室でほとんど唯一とさえいえる日本の皇室の伝統的な温和な性格の起源を明らかにされる。吉田先生の神話解釈はバルトの言葉に忠実に、常に現実を説明してくれるもので、ゆえに多数の読者を獲得しえている、ということがいえるのではないでしょうか。
 
 ポストモダン思想ブーム華やかなりしころ、私は大学生になりたてでしたが、ニューアカデミズムブームに乗る学生達の多くは、中沢新一さんや山口昌男さんたち「流行」の神話解釈モデルに乗っかって、吉田先生を読む私を「地味」呼ばわりしていたことを思い出します。私は意地になってでも「吉田派」でなんだか自民党の派閥みたいでしたが(笑)、私に言わせれば、現在や自分にかかわりを持たない神話解釈学はどうでもよくて、日本人の素朴な表情を説明してくれるものはどうしても吉田先生の著作の方であり、神話と現実を橋渡しし「過去を行為」しようとする学問的精神のいったい何処が「地味」なのか、と何度も思ったことを憶えています。
 
 出版記念会の後何日かして、吉田先生の本を斜め読みしていて、「崇めることは、これはもう人間がそれなくしておそらく生きていくことができない、人間の文化が成り立ちえないような肝心なことであると思うわけです」(「神話のはなし」)、というかつて読んだ一節をみつけました。これは吉田先生の当日のスピーチの内容に、意外なほど近い内容ではないかな、と思いました。つまり、ニーチェの文献学批判や、宣長の解釈方法に近いお考え、ということです。

 今から考えれば、吉田先生の方がニーチェや宣長のある意味での激しい精神に近く、逆に流行理論をもてあそんでいた私の知己の方が、ニーチェや宣長の批判対象になるような硬直性をもっていたのではないかなと、私は思います。

つづく

江戸のダイナミズムに寄せて(五)

guestbunner2.gif渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了

  当日、佐藤雅美先生の話を聞いていて、ながらく西尾先生に関して私が思っていたある問いが、佐藤先生なりに卒直に語られていることをとても面白く思いました。私の問いというのは、「西尾先生は作家・小説家を目指そうとされたことは果たしてあるのだろうか」ということです。
 
 それは偉大な著述家に対しての冷やかし的な関心ということでは全くありません。佐藤先生が言われるように、西尾先生の表現の各所は、文学的にもたいへん巧妙です。小説的世界の人間関係の配置の妙が、概念関係の配置の妙へとそのまま平行移動しているかのような巧みなストーリーテラーの世界が、私にとって西尾先生の著述の魅力の第一に他なりません。このストーリーテラーの世界の始まりは、いったいどこで形成されたのだろう、という関心ですね。
 
 私は大学生の頃、神田の古本屋街で文学書を読み漁り・買い漁りしていた時期があって、西尾先生が1970年代に書かれた「新潮」の二葉亭四迷論や「国文学」の小川国夫論を読んで、(その頃はまだおぼえたてだった)西尾幹二という人は何て頭のいい文芸評論家なんだろう、と驚嘆したことをおぼえています。論理的な精緻だけでなく、文学にとって最も大切な情感や愛情という、文学の大地にしっかり足がついていて、驚嘆した同時に、これほど文学を精緻に見通せる人間が、文学の実践活動、端的にいえば小説・戯曲を書こうとされたことはなかったのだろうか、ということを感じて、ずっと頭の片隅にしまっていた問いのまま十数年がすぎ、それが佐藤先生のスピーチを聞いて、不意に蘇るのを感じました。
  
 二次会、三次会と、先生が小説あるいは戯曲を書かれる人間になっていたらどんな作品を書いていたのだろう、と思いながら、つい酔いがまわり、もっと刺激的な話題に満ちて、「先生が作家になっていたら・・・」という問いを西尾先生本人にとうとう聞きそびれてしまい、すばらしいことだらけの一日で、その点だけが、ちょっと残念でした。

つづく

江戸のダイナミズムに寄せて(四)

guestbunner2.gif渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了

 4月4日の「江戸のダイナミズム」出版記念会のこの日、私は生まれてはじめて西尾先生とお会いしました。私は当日まで、お誘いを心底嬉しく思う反面、ハラハラする気持ちがないわけではありませんでした。私は普段ほとんどテレビは観ない人間で(DVDやビデオは呆れるほど観ます)、西尾先生の本はほとんど読みながら、私の中の西尾先生の「肖像画」はメディア的には十数年前、外国人労働者問題で討論番組をした番組でストップしたままになっていました。先生の最近の姿を撮影した著作もなかったわけではありませんが、なぜか、そういうある意味貴重な本は入手し落としています。
 
 私のハラハラは、西尾先生の容姿が、成熟とはいえない時間の流れを刻んでいたらどうしよう、ということでした。言い換えれば、あるべき成熟の時間軸からずれるように老いていたら・・・という危惧です。先生の最近の著作を読む限りでは、そんな心配は微塵も感じられない。思想家としての成熟を恐ろしいくらいに驀進している先生の姿が想像できます。創作家の「肖像画」というのは絵画にせよ写真にせよ実に面白いもので、たとえばトルストイは若い創作家時代も年配になった創作家時代も感動的な最後の家出間近の最晩年も、そのどの肖像画も、あるべき一人のトルストイである、という一見すると矛盾したような当たり前のような言い方ができると思います。

 つまり、生涯現役の創作家である人間は、まるで必然的であるかのような時間軸の歩みをすすめていて、それが正直に現れているのですね。歳を重ねることと老いることは全然別のことなのだ、とも言えるでしょうか。作品の成熟がそれを「肖像画」へと、忠実に反映しているのです。対照的に晩年、醜い「肖像画」に転じたのが永井荷風で、あの洒脱な荷風文学は晩年になるにつれて、年齢以外の何の理由もなく溶解し、彼の人生的時間は時間軸からみるみるずれ、そして荷風の肖像画も、虚ろな写真としてのみ残っています。壮年期までの荷風と晩年の荷風はあるべきでない一人の荷風である・・・西尾先生は、作品を読む限り、荷風のような老いを経験しているはずはない。

 しかし実際を観るまでは・・・それが私のハラハラでした。西尾先生のファンであるからこそ、そのハラハラは心底のものだった、ともいえるでしょう。

 心配はもちろん、全くの杞憂でした。十数年前のメディアで観た頃のままの、早口で、物事の本質をスピーディーとらえ続ける西尾先生の姿がありました。当日の先生もまた、若い頃の先生と同じく「西尾幹二」の肖像として後世にはっきりと残る先生の姿だったわけですね。やはり著作内容通りの成熟の時間を歩んでいる先生の「肖像画」が私に、幾つも刻まれていきました。
私が特に驚いたのは、パーティーの後の打ち上げで、私の眼前で、とある有名保守系オピニオン誌の編集長を相手に、一糸乱れぬロジックで「オピニオン誌から政治家の文章を追放せよ」とある種激しい感情をこめて主張されたことです。

 衰えるどころか、逆にますます盛んなエネルギーを発している先生を感じて、私は驚きを感動に変えていきました。かつてドイツの各地公演で、傲岸不遜なドイツ人を前に、感情的に喋り、つい大きな声で「目をさましてください!」といったという先生のエピソードを思い出しました。少し後、先生の話題が別にそれたとき、その保守系オピニオン誌の編集長に私は小声で「やはり西尾先生は二百歳まで生きますね」といったとき、私より一回り大きい年齢の彼は、満面の笑みを浮かべて肯いていて、そのことが思い出深い一晩のいろんな記憶の中で、最も大きい印象をもって私に残っています。

つづく

江戸のダイナミズムに寄せて(三)

guestbunner2.gif渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了

 宣長論の後の後半部分、更に読み進んで、昨晩までに、最終章まで読み終えることができました。長編の思想書や文学書を交響曲的な音楽になぞらえる評がよくあり、クラシック音楽好きの私からしてみると、言葉と音楽というものは全然違うものなのだから、そういう類の評というのは通俗的だなあと思ってきたのですが、そんな私が、今度の先生の著作は、実に交響曲的な読後感を感じることができました。交響曲というのは、鮮やかな序曲の印象、そして正しくクライマックスに向かい展開しているようにみえながら、途中で、序曲の印象がいったん何処かに隠れたりして、この曲はいったいどこに向かって進むのだろう、というハラハラ感を感じさせながら、最終章で、見事に、途中抱いていた色んな感情を、清涼感としかいいようのないものに結んでいくのですね。
  
 たとえば、伊藤仁斎の、儒教へのヨーロッパ有神論的解釈の存在の意義を説かれるあたり、序章から宣長論までの展開があまりにも鮮やかだったため、理解はできても、「この曲(本)はいったい何処に向かい進むのだろう」という印象を抱かれた方は少なくないと思います。いったい、伊藤仁斎あるいは、ヨーロッパの有神論的な儒教・孔子解釈を登場させる必要がここであるのだろうか、という印象ですね。しかし、それは、最終章の認識の味わいのための巧みな前段階というふうに思われる。交響曲というのもそういうもので、一見するとあまり意味のないような中途の何処そこのメロディが、最終章の感動と密接になっている場合が少なくないのです。ヨーロッパの有神論的な孔子・儒教解釈というのは、最終章での「ヨーロッパの不安」という主題に、裏道から結実していくものなのですね。
  
  西尾先生の著作によってはじめて知ったフェヌロンの安直なソクラテスと孔子の創作対話、あるいは意外に有名なヘーゲルの杜撰な孔子批判、そういうものを私達はヨーロッパ中華思想、として片付けてしまいがちで、結論的にいえば確かにそれはそうなのですが、中国の中華思想が実に複雑なプロセスを経て成立したのと同様、ヨーロッパ人の中華思想も、ただ単に成立したのではないのです。大体、孔子を有神論的に解釈する必要など、ヨーロッパ人が正真正銘に傲慢だったら、行う必要はないものです。

 私はずっと以前の西尾先生の著作で、先生に執拗に、日本人の近代の成功を、五輪書その他を、ヨーロッパ的解釈によって、強引に説明しようとするドイツ人のエピソードを思い出しました。日本人からすれば喜劇的にさえ思えるような、異世界の成功や栄華を自分流に理解しようとする彼らの一貫した精神背景には、自分達は原典というものから切り離されているものだ、というヨーロッパ人の不安感があるのですね。たとえばドイツ人に典型的な、原理を異常に重視する思考法も、原理と現実の間が引き離されているという「不安感」があるからこそ固執するわけで、日本人のように、現実世界に原理が内在すると考える民族には、カントの定言命法のような道徳的形式論は実際的にはほとんど理解できない、ということになるのでしょう。
   
 不安感というものは乖離感でもあり、たとえば私達は、こういうヨーロッパ人の不安感を、存在と実存の乖離など、哲学史論に置き換えて考えたりします。しかし先生のこの著作は、そうした従来の知的戦略をあえてとらず、「文献学解釈」というものの存在を通じて、いわば巧みに裏道から描き出そうとされたわけなのですね。哲学書も文献の一部ですから、ある意味、文献学の方が哲学よりも深いというふうに、論理が裏返ることがありえます。たとえば私はこの著作を読むまで、エラスムスの聖書原典への情熱を、文献学的な偏執の一種で、単に謎めいているものだ、としか考えていませんでした。しかしあの謎めいた情熱こそに、ヨーロッパ人の中華思想的排他主義の根源を説明しうるものがあった、ということがほとんど衝撃的なくらいにわかりました。考えようによっては、「文献学解釈」は最も根源的なのです。

 そして、最終章のこのエラスムスのことを読んでいるときに、伊藤仁斎のところで触れられたヨーロッパの有神論的な孔子・儒教解釈ということの意味も、私には、より理解できるようになります。仁斎の章ではヨーロッパ人の「不安」が読者にはまだ明確でなかったので、煙に巻かれたような気がしてしまったのですけれど、「不安」という解釈をはさんで考えると、このヨーロッパの有神論的解釈の詳述が、ボディブロウのように、ジワジワ意味をもってきます。そして更に掘り下げると、そうした有神論的孔子像にクロスした伊藤仁斎という思想家の存在も、不思議なくらいに存在感が大きくなってきます。なぜかといえば日本人には「不安」がないにもかかわらず、仁斎のような人物が現れたからですね。

 仁斎は宣長に比べれば、思想家としての偉大感は少ないような気がしますが、しかしヨーロッパのような精神的背景がないのに、仁斎のような人物が現れたこと自体が、私達に、江戸時代のおそろしいくらいの幅を示してくれます。いろんな意味で、最終章まで読み進んで、後で以前の章を読み返す、ということが多かったのですけれど、読書というのは繰り返しすることができるので、歴史よりずっと音楽に近く、やはり書を交響曲にたとえるのは、決して俗的なことでないな、とも段々思えてきました(笑)。これも先生の著述の巧みさによるものでしょう。

 最終章の展開で、最終章の結論ともいうべき点、中国の文献学は自己否定を内包していないがゆえに「自足」しており、原典の不安定さを有している「不安」なヨーロッパはニーチェのような文献学破壊の徒を持つことができたのだ、という点は、ニーチェの実際の激しい生き方を熟知していらっしゃる先生が言われることを思うと、感動的ですらあります。「破壊」が決して安易にできる行為でなく、ニーチェは全身が粉々になるよな精神行為を通じて、その破壊を実践しえたことを、西尾先生はよくご存知だからですね。

 しかし、交響曲を聴き終えた私達に、何も課題がない、とはいえないとも思います。ニーチェと同等に評価しうる宣長のような人物を生み出した私達、日本人の精神原理には「不安」も「自足」も明確にあるわけではないのです。もちろん宣長的にいえば、「何か」と実体的概念を求めた瞬間に、すでに私達は日本人の精神原理の考察のダイナミズムから離れてしまいます。しかし何か得体のしれないものがあるからこそ、私達は江戸時代の驚くべき幅をもったたくさんの先哲を持ちえたのでしょう。日本人の不思議さを解くことができるのは日本人だけで、考えることはむしろこの著作を読んで後に始まるのだ、ということを、先生の見事な作曲を聴き終えて、私は強く思うことができました。

つづく

江戸のダイナミズムに寄せて(二)

guestbunner2.gif渡辺 望 34歳(1972年生まれ)坦々塾会員、早稲田大学大学院法学研究科終了

 昨晩、今日、と本居宣長論など、「江戸のダイナミズム」の中盤部分を拝読いたしました。私の期待していた通りのボリュームが充分に味わえて、本当にとても感謝しています。私はせっかちな人間なので、思想論文も小説も、雑誌連載時は読まないようにしているのです。面白ければ面白いほどイライラしてしまうからですね(苦笑)。

 私自身、本居宣長はだらだらと読んだことが何回かあるのですけれど、西尾先生が宣長論で最初に触れられている、本居宣長の兼好法師嫌いについて、ほとんど意識せずに宣長を読みすすんでしまっていた自分に気づかされました。この点に関してまず、私達に実にいろんな自省が可能だと思われました。私達は日常、兼好法師的な修辞学で、「日本」を語っていると錯誤している面が多い、ということにもっと自覚的であるべきなのでしょう。

 私達の少なからずが、松竹系の映画を観て「人情」を日本的人情といい、花の美しさや季節の食事の美味しさを語るときの「風情」を日本的風情といいます。しかしそれらを語るとき、「日本的」はすでに一種の固定的観念に化しています。固定的観念というものは、固定されていた枠が崩れれば、いずれは退化してしまうものです。裏返せば、「人情」や「風情」を復活させることが、「日本」なるものへの復活だという錯誤になりかねないといえましょう。もっと奥深い、言葉になりえないものに、「日本」的なるものは潜んでいると考えなければならない。宣長は兼好法師の修辞学が通俗的日本論に転落しかねないことを指摘していたのですが、ここらあたりも、現在的関心から読み込んでいける宣長の普遍性の出発点があるわけですね。
   
 宣長が、「常識」論にせよ「自然」論にせよ、呆れるくらいに一貫しているのは、西尾先生の言葉を借りれば、「何かがあるが、何であるかはわからない」ものを絶えず意識対象にしていた、ということなのでしょう。だから、兼好法師批判と、「猿と争う阿呆もいる」という漢意批判には、観念化する思想や思念に対しての拒絶という意味において、しっかりとした結びつきの地脈が存在しているのだ、といえるでしょう。ですから、宣長が「皇国イデオロギー」という形式的思想を受容したなどとはとても考えられないのは当然であるというべきなのですね。「文学」という言葉がそれを発するときに一個の概念に化してしまうことに生涯嫌悪を向け続け、「行為」の意味に激しくこだわった小林秀雄が、まさに反解釈的な解釈という宣長的修辞学を通じて、宣長を晩年に多く語ったことが、西尾先生の宣長論を通じて、改めて実によく認識できたような気がします。

 小林秀雄の宣長論と西尾先生の宣長論の相違は、前者が読者に対して反良心的に書かれ、後者が良心的に書かれている、ということだと思います(笑)。宣長の神話への「反解釈」ということは西尾先生がおっしゃるように、ニーチェのアナクシマンドロスたちギリシア哲学の空想的哲学者への自然理解に共通するものがあるのは確かですが、ハイデガーもまたこの空想的哲学者の一群の修辞に「存在」探求の在り方を見出していますし、あるいはキルケゴールも宗教学者を「哲学銀行の出納係」といっていたことなどを思い出しました。ハイデガーにせよキルケゴールにせよ、「近代」の硬直性に大変敏感であった思想家であったわけで、宣長は、これらの近代懐疑論者の一群に加わる世界的思想家といっていいのでしょう。
   
 ですから、常識的なインターナショナリストであり、実は私達が通俗に使う「近代」という意味での「近代人」であった上田秋成との論争は大変興味深いと同時に、よってたつ土壌が全く違っている、と考えなければならないわけですね。そこで、私達がどういう在り方を宣長あるいは宣長周囲に起きた論争から学ばなければならないのか、という問題が大きく生じてきます。私達は保守革新を問わず、とりわけ論争的な場で、秋成のようなロジックに親しまなければならないことはどうしても避けられないのではないか、と思うのです。

 たとえば中国や韓国が非常識的な政治主張をしてくるとき、私達が「近代」の「常識」で応酬しなければならないときはたくさんあったし、これからもある、と思います。しかしこの場合の「近代」も「常識」も、宣長の精神とはほとんど無縁と考えなければならないでしょう。使いわければいいというほど単純な話はないし、あるいは戦後の小林秀雄のように、いろんな意味での「放棄」を巧みに行って引きこもりに転じた生き方が大きく正しいとも、どうも思えません。実はここに、ナショナリズムの修辞学の展開の一番の難しさが、明晰に描かれているのではないでしょうか。答えは決して近くにはないのですね。近くにあると思いすぎてしまうことに、ここしばらくの保守派陣営のいろんな混乱の源があったともいえます。西尾先生の宣長論の読後のボリューム感には、この点がしっかりと存在しているように思えて、それが他の日本論・ナショナリズム論にはないすばらしい幅になっているように私には思えました。

つづく

江戸のダイナミズムに寄せて(一)

 現在西尾先生の筆による、日録は休載しています。お知らせ参照のこと。
 西尾先生の許可を得て、秀逸なコメントをエントリーとして挙げていきます。

(文・長谷川)

guestbunner2.gif渡辺 望 年齢(34歳、1972年生まれ)坦々塾会員、最終学歴(早稲田大学大学院法学研究科終了)

 
 前半部分、本居宣長のところの少し前まで、読ませていただきました。私なりの考えでは本居宣長論の部分が本著のクライマックスと思いますので、まずはそれ以前の部分に関して、考えた感想を記したいと思います。
  
 非常に面白いと思ったのは、荻生徂徠に関しての評価の部分です。「なりきる」と「かぶれる」ことは思想実践において全然違うのだ、ということですね。徂徠は気が触れたかと思われるくらい、異常なほどに中国の儒学世界に接近した。これを「かぶれる」ことと評価する人間が多いのですが、しかしこの異常な接近はどうも「なりきる」ことだったようです。「なりきる」ということは、実はギリギリの追求地点において「なりきれない」ことを知ることですね。徂徠は訓読み否定運動などを通じて、「儒学を身につける」とは何か、ということをほとんど死にもの狂いで追求したのだ、ということが西尾先生の指摘からよく伝わってきました。

 多くの儒教専門家が指摘するように、儒教は本来、中国の伝統的社会構造と密接なもので、他国人がそう易々と受容できるものではない。徂徠の知的冒険というのは、裏返しの意味において、そうした儒教の性格を伝えるものであったわけです。それを指摘ということにとどめず、ニーチェのギリシア文献理解と鮮やかに対比展開するところが、さすがというか、「西尾学」の「ダイナミズム」ですね(笑)。和・漢・洋を読みこなす人でなければ日本人の自画像は描けないのだ、と私は日頃から思いますが、西尾先生はその一人だということを改めて感じる著作なのだな、と私は思いました。
  
 文献学と歴史学の相違という冒頭近くの指摘は、気づいているようで、なかなか私たちが意識的になれないことです。徂徠をはじめ、数々の文献学者を筆致豊かに語られる前半部分の中で、私が思い浮かべたのは、私たちの実際の生き方の中で、「文献学」的な生き方と、「歴史学的」な生き方ということが、いろいろと混在しているんだろうなあ、ということです。どちらが優劣ということではないのですが、私自身は文学や思想書を、時間蓄積的に読むことをあまり好まない人間で、テキスト自体の不安定さとの直接対決を読書の本質と考える人間です。「歴史学的」な視点が強すぎると、何でもかんでも理解して、実は何も理解していないということが起こりうると思うのです。もちろん、これは文献学や歴史学そのものの評価とは別のことですけれど。

 西尾先生がかつての著作で、(世界観が全く異なる)ガブリエル・マルセルとサルトルを平然と並行して語れる学者というのはおかしい、といわれていたと思いますが、こういう理解は、私からしてみると、過剰に「歴史学的」なのです。そう考えると、江戸期におけるわが国の文献学評価を通じて歴史評価を再考するという西尾先生の知的戦略はなかなか面白いものであるように私には思われます。

つづく

最近の西尾先生の仕事

 こちらが日録新館です。  
 西尾先生の近況を尋ねましたら、以下のようなお返事があり、 日録に掲載してもよいとの許可を得ましたので報告します。(文・長谷川)

 5月22日、毎日新聞から「安倍政権と知識人」という題で、取材を受けます。

以下は活字の仕事

1、「個人主義とは何か」 PHP新書
  最終章「日本人と自我」約50枚を加筆。
  すでに書店に出ています。

個人主義とは何か 個人主義とは何か
西尾 幹二 (2007/05)
PHP研究所この商品の詳細を見る

2、朝日新聞「社説21」を嗤う 『WiLL』 7月号 15ページ
  6月25日発売

3、なぜアメリカに許しを乞うのか
  ――二つの世界大戦と日本のつつましい孤独――
  『諸君!』 7月号 60枚  24ページ  7月1日発売

4、教育再生会議の議論を吟味、批判する
  『Voice』 7月号  7月10日発売

5、GHQ焚書図書開封  チャンネル桜
  2週に一度 各1時間出演
  すでに9回が放映されている
  (いずれ複数冊の本にまとめる予定)

6、復刊「沈黙する歴史」
  改題して「日本人はアメリカを許していない」
  ワック文庫 月末までに「まえがき」5-6枚
  7月15日 店頭発売  解説 高山正之

7、新刊評論集 表題未定
  「国家は謝罪しない」(仮題) 徳間書店
  論文選定は終了 補論がまだ
  6月10日まで  7月なかば刊行

8、「あなたは自由か」 ちくま新書  6割完了

9、「三島由紀夫の死と私」 PHP新書
  インタビュー記事完了 修正加筆がまだ着手されていない