管理人による出版記念会報告(十)

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 さて珍しい方がお見えになりました。福井から駆けつけて頂きました、チェコ日本友好協会副会長でいらっしゃいまして、福井県立大学のカレル・フィアラ教授でいらっしゃいます。

日本語の情報構造と統語構造 日本語の情報構造と統語構造
カレル フィアラ (2000/07)
ひつじ書房

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中・東欧のことばをはじめましょう チェコ語CD入り 中・東欧のことばをはじめましょう チェコ語CD入り
石川 達夫、カレル フィアラ 他 (2001/05)
朝日出版社

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 カレルさんは、チェコの方でいらっしゃいまして、西尾さんは15年前にプラハでお知り合いになりました。チェコからこられて日本の学生におしえる日本語と、日本文学の研究をつづけておられます。

 カレル・フィアラ氏のご挨拶

 西尾先生の御本を大変興味深く拝読致しました。西尾先生は江戸時代の文化を当時のヨーロッパ・中国等の文化と比較なさいましたが、この比較の結果から、当時代の日本人の精神的創造力が西洋人の創造力に劣らなかったことが推察されます。

 日本文化の特性は、戦国時代のヨーロッパ人の目にもよく見えました。第二次大戦期ごろ、イエズス会史の研究者であった神父Franz Josef Schütteが注目したように、戦国時代の日本で活躍した神父Luis Frois(1532-1567)とザヴィエルの後任Alessandro Valigniano(1539‐1606)は日本文化の高度を認め、それを基に、日本の事情に合った独自のキリスト教布教法として、いわゆる「適応説」を提起しました。

 天正年間の1582年から1585年にかけて遣欧された少年使節がポルトガルの王様とローマ教皇に日本事情を詳述する報告書を提出しましたが、この報告書も日本文化の特性を説明しています。

 1620年以降、日本で多くのカトリックの信者が殉死しましたが、そのとき、幕府はプロテスタントの主張に誘導されたようです。たとえばカトリック宣教師の一人、カローロ・スピノーラの日記から分かるように、彼は同じヨーロッパ人であるプロテスタントの信者に密告され、日本の植民地化を狙っているという容疑を掛けられました。これで幕府までもヨーロッパ宗教圏の縄張り争いの罠に嵌りかけたようですが、このことは、江戸時代に入ってからも、当時のキリスト教のヨーロッパがいかに分裂していて、いかに混乱していたかを示しています。

 また、ヨーロッパが産業革命の道を歩みだした後で、ヘーゲル哲学における「自」・「他」の融合で垣間見られるような全体主義の傾向が認められます。

 階級・階層を無妥協に対立させ、人権に対する暴力を励ましたマルクス・レーニン主義とスターリン主義、人種や民族の問題を排他的に解釈し、ホロコーストに導いたナチズムやファシズム、さらに文明衝突を予測し、文明間の対話を予め難しくした過激的な文明衝突論―これらが皆、西洋文明の中心主義における不条理や不釣合いによって支えられた危険な偏りから始まったかも知れません。

 日本では古来、西尾先生がお示しになったように、それぞれ異なる思潮が「寛容の衣に包まれて」共存していました。たとえば、中国で破壊された資料は日本で大事に保存され、五山仏教と禅の思想など本来の姿に近い形で生き続けています。

 たびたび急進的民俗主義者として批判される宣長の考え方も例外ではありません。決して攻撃的な排他的思想ではありませんでした。世界の規模で見ても、日本語の活用体系と係り結びの仕組みを学問的に記述した宣長は先端の文法学者でありましたが、彼は先端のテクストの研究者でもあり、また先端の哲学者・宗教学者・民俗学者でもありました。民俗学者としての彼はまさに、西尾先生のお言葉を拝借すれば、「シナの学問の支配する言語空間」を冷静に見直し、「儒学万能」の偏見への想像力を働かせながら、・・・「外国のものを排撃したのではなく」、「外来のものを無防備に崇拝する」日本人の悪い癖を問題にしただけです。

 また、西尾先生のご指摘のとおり、宣長の「日本魂」の捉え方自体が軍国主義的国家ナショナリズムの表れではなく、東アジアを広く包む中華思想に対し、この国、またこの国に住む族の繊細な文化アイデンティティを擁護する試みにすぎなかったようです。宣長の考え方のどこかが、同時代の人間であったヘルダーの個々の民族文化の擁護論にも何となく似ているのではありませんか。

 以上は一例だけですが、この例からも西尾先生の御本の面白さ、また江戸時代の日本人の創造力の深さがが窺えます。

 あの「平家物語」をチェコ語に訳されたばかりか、「源氏物語」の翻訳にも取り組まれ、まもなく完成と伺っております。『江戸のダイナミズム』もあっという間に読まれたそうです。それではカレル教授、ありがとうございました。

つづく

管理人による出版記念会報告(九)

 
吉田敦彦氏のご挨拶(三)

 西洋で文献学が犯す破目になった、このような近代の理性の物差しを当て嵌めて見ることで、古代の真実を卑小化したり、雲散霧消させてしまう誤りに陥ることを、『古事記伝』で宣長は、彼が「いささかもさかしらを加えずて、古より云傳えるままに記されたれば、その意も事も言も相稱て、皆上代の實なり」と言う、『古事記』に記された「上代の實」に、後の代の意、さかしらによる批判を加えることを断固として拒否することで、すでに先んじて18世紀に回避していた。

 その『古事記伝』のことを西尾氏は、「宣長の『古事記伝』は形而上学的衝動と言語科学的分析が両翼となって、当時の日本においてもなにか説明のできない、人知を超えた巨魁のようなものを露呈されました」(254~255頁)と言われる。『古事記』が露呈させたと西尾氏が言われるこの「なにか説明のできない、人知を超えた巨魁のようなもの」は明らかに、ニーチェが「ディオニュソス的なもの(das Dionysische)と名づけたものに対応する。

 つまり宣長は、西尾氏が『古事記伝』の両翼と言われる一方の翼の言語学的分析で、ヴィラモヴィッツ・メレンドルフに比肩すると同時に、他方の翼の神話的始原を志向して止まぬ形而上学的衝動では、それに批判の痛撃を加えることになるニーチェの卓見もすでに先取りしていた。西尾氏の大著を繙く者は、そのことをまざまざと感知させられ、それによって宣長の卓抜した偉大さに、あらためて心の底からの強い感銘を覚えさせられる。

 宣長の『古事記伝』の価値をわれわれ日本人にとって、どういう価値を持つか、それがわれわれに一番大切なことであるわけですが、世界の思想史の中でも非常にユニークなものであるということを極めて見事に、博覧強記をもって明らかにしてくださった。

 そういうことで、この本はいわば現代の学問の一つの頂点を極められた大作ではないかと私は感動をもって受け止めさせていただきました。西尾先生にそのことを、心より感謝申し上げたいと思います。

 吉田先生、ありがとうございました。

 上記の吉田先生のお話は、この日の為の原稿と、実際にお話になったテープを元に再現している。原稿の方がかっちりとしているが、当日の話し言葉のほうが、私にはやはりよりわかりやすいような気がした。

 内容を読まれてお分かりのように、出版記念会での来賓のご挨拶なのに、まるで吉田先生のミニ講演会のようであった。

 吉田先生といえば、神話については本当に大変権威ある先生でいらっしゃる。出版記念会に出席し、直にご挨拶いただいたことは、西尾先生にとっても、大変名誉なことではないだろうか。(文・長谷川)

つづく

管理人による出版記念会報告(八)

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吉田敦彦氏のご挨拶(二)

 

19世紀の後半から20世紀の前半にかけてドイツで一つの頂点を極めた、ヴィラモヴィッツ=メレンドルフを代表者とする西洋古典文献学は、古典古代の事象を文化人類学に照らし解釈しようとした。フレーザーらいわゆる英国ケンブリッヂ学派の能率家揃いの学者たちの膨大な著作などには、傲然として一顧も与えずに、原典の厳密な本文校訂を達成した。

 だが、一見すると「古代ギリシァのことは、あくまで古代ギリシァ語で」という、禁欲的な立場を見事に貫徹したように見えるヴィラモヴィッツ流のこの文献学は、西尾氏が「現代市民風の健全かつ凡庸な理性」(100頁)と喝破される、宣長の言う「後の世の意」を持って、古代ギリシアのことに終始対していた。それでその理性の常識ではそもそも、捕らえられようはずの無かった、明るい文明の表層の奥にある神秘と非合理の深層の把握がまったく欠落しているという、西尾氏が「想像を絶する一撃」と呼ばれる批判の痛打を、ニーチェから浴びせられることになった。

 他方で聖書解釈学の方は今や、西尾氏が「われわれはイエスが実際に語ったこと、本当に行なったことに、解釈学の研鑽を重ねることによって、いったいほんの少しでも正確に近づくことになるのでしょうか。それとも相対化された不可知論の空虚の中に、すべてが放り出されたままに終るのでしょうか」(104頁)と述べられて表明された、懸念のまさにその通りの袋小路に入り込む結果に立ち至っていると思われる。

 そのへんのことはたとえば、斯学のわが国における第一人者で世界的にも権威であられる、A氏の主著の一つを評して、門外漢だがきわめて慧眼のN氏がいみじくも、「猿がらっきょうの皮をせっせと剥いて行ったら、実が出てこなかったという本」と断じられた、至言に照らしても明らかであろう。

つづく
つづく

管理人による出版記念会報告(七)

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guestbunner2.gif長谷川真美

 
 つづきまして学習院大学名誉教授の吉田敦彦(よしだ・あつひこ)先生です。

ブーバー対話論とホリスティック教育―他者・呼びかけ・応答 ブーバー対話論とホリスティック教育―他者・呼びかけ・応答
吉田 敦彦 (2007/03)
勁草書房

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面白いほどよくわかるギリシャ神話―天地創造からヘラクレスまで、壮大な神話世界のすべて 面白いほどよくわかるギリシャ神話―天地創造からヘラクレスまで、壮大な神話世界のすべて
吉田 敦彦 (2005/08)
日本文芸社

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世界神話事典 世界神話事典
大林 太良、 他 (2005/03)
角川書店

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日本神話 日本神話
吉田 敦彦 (2006/05)
PHP研究所

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 吉田先生は神話に関する研究書や一般書をたくさん書かれた、人も知る神話学の世界的な権威、日本を代表する神話学者でいらっしゃいます。お願いもうしあげます。

 吉田敦彦氏のご挨拶(一)

西尾先生、本日は本当におめでとうございます。私のような者が、お話させていただくのは、本当に僭越ですけれども、先生からのご指名ですので、しばらくお耳を汚させていただきます。

 本文だけで550ページに垂らんとする大著述の『江戸のダイナミズム―古代と近代の架け橋』で、西尾幹二氏は、本居宣長の『古事記伝』をその精華とする「文献学」における、わが江戸期の文化の世界にも比類の無い価値と先進性を、端倪すべからざる博識を駆使され、満腔の情熱を傾注されて、もののみごとに解明してのけられた。

 西尾氏によれば「歴史意識」と呼べるものが成立した地域は、地球上でただ地中海域と中国、日本のみだが、「文献学」は奇しくも17世紀から19世紀にかけての時期に、これらの三地域に並行して勃興した。ただ中国で、古代語の精密な解明を目指す清朝考証学が開花したのは、乾隆、嘉慶の両皇帝の時代(1725~1820年)であり、この中国の文献学には、聖典として尊尚された経書の絶対性をそもそもの前提としていたので、その聖典であるテキストへの本来的懐疑は存在のしようがなかった。

 聖典であるテキストをも相対化する文献学は、西洋と日本でだけ成立したが、西洋で近代文献学の真の端緒を開いたヴォルフの『ホメロス序説』は、1795年に刊行された。ところがわが国では、清朝考証学の全盛期より半世紀も前にすでに、荻生徂徠の儒学によって、脱孔子の道を拓こうとする野心的な模索がされており、そのあと1745年には、当時30歳だった富永仲基によって、仏教の経典を批判的に考究した主著『出定後語』が刊行されていた。

 このような「聖典」に対する批判的な態度を西尾氏は、「一つの自立した知性が聖典の背後にまわり、宗教の開祖を相対化する破壊の刃を突きつけるという危険な意識」と呼ばれ、「不思議なことにそのような意識にいちばん早く目覚めたのは、・・・・江戸時代の日本であったことに気がつきます」と、言われている。

 ところがこれらの徂徠の儒学と仲基の仏教経典研究のあとに出て、国学の基礎を確立した偉業となった『古事記伝』44巻の中で本居宣長は、言語科学的分析を、それらよりいっそう厳密なものにする一方で、それによって明らかにされる『古事記』に書かれていることに対しては、後代の知恵による懐疑や批判を加えるのを、いっさい許容せぬ立場を徹底して貫いた。『古事記』のテキストに対するこの宣長の態度は、エッカーマンとの対話の中でゲーテが「ヴォルフはホメロスを破壊してしまった」と論評したという、ホメロスの原文に対するヴォルフの取り扱い方とは、まさに正反対のもので、一見すると徂徠や仲基の文献学に世界に先駆けて見られた、先進的な批判精神をいっきょに後退させてしまったようにも見える。

 だが西尾氏はこの宣長の『古事記』の原文の扱い方が、西洋古典文献学とその方法に倣って聖書、とりわけ福音書の原文を分析しようとした聖書解釈学とが、やがて共に陥ることになる陥穽を先んじて回避していたという点で、じつは別の意味できわめて先進的で、あった所以を、鋭く指摘されている。

つづく
つづく

管理人による出版記念会報告(六)

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佐藤雅美氏

 
 
それではここで何人かのゲストの皆様からご挨拶を頂きます。

 トップバッターは発起人を代表しまして、直木賞作家の佐藤雅美(さとう・まさよし)さんでございます。

覚悟の人―小栗上野介忠順伝 覚悟の人―小栗上野介忠順伝
佐藤 雅美 (2007/03)
岩波書店

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 佐藤さんは『大君の通貨』で鮮烈のデビューをされまして、江戸時代の造詣が深く、また十日ほど前には『小栗上野介伝(おぐりこうずけのすけ)』を岩波から出版されました。五月からテレビ朝日のゴールデンアワー、午後7時より、佐藤さんの小説がテレビドラマ化されます。まさに売れっ子作家でございます。

 それでは佐藤先生、お願い申し上げます。

 佐藤雅美氏のご挨拶
 

 今ご紹介いただいた佐藤と申します。私ごときが、また畑違いのものが、こんなところでご挨拶させていただくというのは、まことに恐れ多いのですが、ご指名いただきましたので、一、二分時間をとってご挨拶させていただきたいと思います。

 この江戸のダイナミズムが『諸君!』に連載されていたときに、ふと、本当にふと目が留まりまして、一度、二度、多分三度は読んだと思います。それで、早く本にならないかなとずっと楽しみにしておりました。その間に、先生のことは私は一ファンで存知あげなかったのですが、ご紹介いただいて、先生と親しくさせていただくようになりました。それで、いつごろ本になるんですか、とずっと尻をたたいていたというか、そう催促しておりました。

 昨年の暮れ、来年の何月ごろかに出ると決まって、いくらか私も文藝春秋の方と親しくしていただいておりますから、自分で書評をやらしてくれ、というふうに売り込みました。売り込んで、なかなか返事がいただけなくて、ちょっと心配だったのですが、二ヶ月くらいたって、やっとお願いしますという電話がかかってきたときには、嬉しかったです。

 もちろんそっくり一から読み直しまして、直ぐ書き上げて、原稿を送って、それがおかげさまでここに収録されております。内容については私は門外漢ですので、あれこれ言える立場にもおりませんが、特に私が感服したというのは、ちょっとこのくだりですが、書評に書いた部分を読んでみます。

といって内容は類書にありがちな、二、三行も読むと瞼が塞がる無味乾燥なものではなく、そこには巧まずしてストーリーがあり、倦ませることなく飽きさせることなく展開していて、こういっては畏れ多いのだが文章もこなれていて読みやすく、またはっとするほど、小説家も顔負けするほど、表
現や比喩に天性の上手さ巧みさがある。

 これが私が内容もさることながら、非常に感服して言いたかった点であります。先生はご存知のように当時は超難関高校の小石川高校から、もちろん超難関大学である東京大学に進まれておられますから、当然のことながら思想というそちらの方へ進まれたと思うのですけれど、もし先生が私らのように、私らのようにと言えば失礼なのですが、私のように並みの高校から並みの大学に進んでおられたら、学問の世界に進まれるということがなく、ひょっとしたら小説でも書いてみようか、などと思われたかもしれない。挑戦しておられたら、大作家になられておられたかもしれない、という風に思ってもみます。

 そんなことで、いろいろと今度の本も改めて読ませていただいて、感服いたしました。なんでも先生によると、あと10年は仕事を続けるということです。お酒もとても強くて、がんがん飲まれる、お仕事もこれからもどんどん続けていかれて、いついつまでも何冊も何冊も本を出して、読ませていただきたいと思います。どうも失礼しました。

佐藤先生、ありがとうございました。

つづく

管理人による出版記念会報告(五)

   

小澤征爾―日本人と西洋音楽 小澤征爾―日本人と西洋音楽
遠藤 浩一 (2004/09/16)
PHP研究所

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 遠藤先生の朗読のつづき

(七)伊藤仁斎の『論語古義』はもとよりとてもいい本です。例えば孔子が鬼神や人間の死生を論じないのは、こういう問題は人おのおのが自得すべきことで、本来人に教えるといった性質のものではない、だから口に出さなかったのだ、という解釈(巻の六十一余論)など、私はハタと膝を打ち、内心深く納得します。仁斎の孔子解釈は悪くないのです。しかしこれはあくまで仁斎の孔子解釈であって、『論語古義』を読んでいると純粋なる孔子、あるいは孔子それ自体というものがあたかも実在するかのごとく、そしてそれを自分だけが知っているというがごとくであって、彼が囲いを作って孔子の言説をその中に追い込んでいくような印象を受けます。

 新井白石にも荻生徂徠にもそれは感じません。『論語』をはじめ四書がテキストとして不完全だという自覚が仁斎にはまったくないかのごとくです。孔子の残した客観的で正確なテキストなどじつは存在しないのです。門人によって纏められた現存の『論語』の外に、孔子をめぐる膨大な言説と伝承がある。それは畢竟、すべてが神話です。この自覚こそほかでもない、私が本書でくりかえし強調して来た主題でした。

 (十)北ヨーロッパ人の人文主義者エラスムスが古代復興を志して真っ先にしたことは、ヴェネチアに行ってギリシア語を学ぶことでした。不完全なギリシア語の知識で彼は新約聖書のギリシア語訳を完成させようとします。そもそも聖書の原典テキストはギリシア語で書かれていたからです(中略)。

 ヨーロッパ人が同一性を確立するのに、十五-十六世紀には異教徒の言語であったギリシア語の学習から始める――この不条理は日本人にはありません。仏教や経書といった聖典の書かれた文字の学習を千年以上にわたって断たれた不幸な歴史を、日本人は知りません。

(十三)文献学は認識を目的とします。しかし宣長やニーチェのような人にとって、認識はなにかのための手段でしかありません。二人は徹底的に文献学的ですが、また文献学の破壊者でもあります。通例の安定した客観性を目指している認識の徒には、とうてい理解の及ばない目的があるからです。

 それは一口でいえば、余り単純な言い方で気がひけるのですが、神の探求です。しかしそれは神の廃絶と同時に行われる行為で、懐疑と決断は別のものではなく、つねに一つの行為です。

 本章ではヨーロッパの文明の開始起点に不安があり、中国にはあまりそれがない、という観点をひとつ提起してみました。不安のあるなしは幸、不幸とは関係ありません。

中国には不安がない代わりに、歴史もありません。否、中国は歴史の国といわれていますが、歴史は自然と違って、変化の相を特徴とします。事実の一回性を尊重します。そういう意味での歴史がないのです。

(十四)地球上に歴史意識が成立したのは三地域しかありません。地中海域と中国と日本列島です。十七―十九世紀に、そこで文献学が同時勃興しました。江戸の儒学・国学が一番早かったといえるでしょう。古代と近代を結び合わせる言語ルネッサンスが、西洋古典文献学においても、清朝考証学においても、江戸につづいて相次いで起こりました。本書は可能な限り、三者を比較しつつ総合的に描こうと試みました。

 文献学は宗教の問題でした。私は思想史に関心がなく、偉大な思想家にのみ関心があります。

遠藤さん、有難うございました。
 

 会場は500人は入るという大広間。スクリーンに朗読中の文字を映すため、場内の照明は薄暗く落とされた。

 始まったばかりなので入り口は、人と人がぶつかるほど混雑しており、私は人混みを掻き分け、壁際の椅子が並んでいる場所に移動した。遠藤先生は、正面演台に向かって左手にある司会台に両手をつき、大きな体を少し前かがみにして、マイクに向かって朗読なさっていた。右手の大きなクリーンには、朗読されている文字が映し出されていた。

 西尾先生の文章は内容があるのに難解ではない。声に出せば心地よいリズムがあることがわかる。そのうえ、薄暗い中で遠藤先生が、ソフトでありながら力強く、メリハリの効いた口調でそれを朗読されるのだ。私はまるで芝居の世界に迷い込んだような、なんともいえないよい心地がした。その場は、背景の音楽とともに幻想的な雰囲気がかもし出されていた。宮崎さんの心憎い演出である。

 今、手許に来た朗読のテープを改めて聞いていると、つい聞きほれてしまう。音声をアップする技術が身に付いたら、是非この箇所だけでも皆さんにお聞かせしたいと思う。

 なお、上記に漢数字の番号が打ってあるのは、小冊子に抜粋してあるものと同じ便宜上のものである。

つづく

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映し出された画像
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朗読する遠藤氏

平成14年(2002年)8月から平成16年11月までの過去録はこちら

管理人による出版記念会報告(四)

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 遠藤浩一氏の発言部分  (江戸のダイナミズムからの抜粋・朗読原稿)  

 遠藤でございます。書棚に置いていたと過去形で司会者が言われましたが、今も置いておりますので、お間違いのないように。どうぞ皆さん、右手のスクリーンをご注目ください。

(一)よく考えてみると過去において日本人が シナの学問で世界像を描き出し、西洋の物指しで世界を測定して生きてきた事実はいぜんとして残り、にわかに消え去るものではありません。

 日本人は自分というものを持っていないから かような体たらくに陥っているのでしょうか。今まで私はずっとそう思いこんできました。ところが、話はじつはひょっとして逆かもしれない、と、ふとあるとき、私の心にひらめくものがありました。日本人はある意味で秘かに自分に自信をもっている。自分を偏愛してさえいる。ただそれをあらわに自己表現しないだけだ。シナからであれ、西洋からであれ、外から入って来たものは外からのものであるとずっと意識していて、忘れることがない。日本人は外と内とを区別しつづけている。逆に言えば、「内なる自分」というものを終始意識しつづけているともいえるでしょう。

 いったいこの「自分」は何であるのか。日本人は自分がないのではなく、自分があり過ぎるからといってもいいのかもしれませんが、それも詭弁とされるなら、日本人は一面では自分を主張しないですむ、何か鷹揚とした世界宇宙の中に生きているがゆえに、簡単に外から借りてきた西洋史や中国史でやり過ごしてきたのではないか。

 外国から借りて自分を組み立ててもなお自信を失わないで済む背景というものが昔から日本人にはあったのではないか、「何か鷹揚とした世界宇宙の中に生きている」と言ったのはその意味ですが、それはいったい何か、というこの問いに生涯かけて立ち向かった思想家が、ほかでもない、本居宣長であったと私は秘かに考えているのであります。

(二)日本には「道があるからこそ道という言葉がなく、道という言葉はないけれども、道はあったのだ」に、宣長のすべてが言い尽くされているといっていいでしょう。

 しかしこの美徳は本来外へ主張する声を持たないはずです。言挙げしないことを、 むしろ原則とします。ところが宣長は原則を破り、このような日本人の道なき道を外へ向かって主張し、言挙げしようとしたのでした。

 「皇大御國」の一語をもって『古事記傳』の序「直毘霊」を始めた理由はそこにあると思います。自己主張を必要としたという点で彼は近代人なのです。さりとて、政治的偏向をもって宣長が非難されるたぐいの固定観念は、彼にはもともとありません。日本人のおおらかさ、言葉をもたない柔軟さ、道といわれなくてもちゃんと太古から具わっている道、宇宙の中の鷹揚とした生き方、自然に開かれ、自分の個我を小さく感じる崇敬と謙虚の念――こういったものを、野蛮な外の世界のさまざまなイデオロギーから、彼は守ろうとしたにすぎません。宣長の思想は最初から最後まで守勢的であり、防衛的です。

 さて、しかしさらに考えると、戦う意思を捨てて戦うというこうしたあり方は一つの矛盾であり、論理破綻ではないでしょうか。

立場なき立場こそが日本人の無私なる本来性であるなら、これを主張する立場というものを立てるのはおかしいのではないか、という疑問が生じます。

 言挙げしないという日本人の良さをあえて言挙げする根拠はどこにあるか。我を突っ張らない日本人の自我の調和をどうやって世界に向けて突っ張るのか。

 宣長の自己表現の激越さは、この矛盾、論理破綻そのものの自覚に由来するように思えます。そして現代の日本人がじつは世界人であろうとして直面しているさまざまな問題もここに関係していることを我々は直視しなくてはなりません。宣長の矛盾、論理破綻の自覚の共有は、われわれ現代日本人の課題でもあるのです。

(四)知るということの意味が富永仲基と荻生徂徠とでは決定的に異なります。そこに問題があります。

「知る」とは仲基にあってはすべての人間に開かれていなければなりません。客観的な目に見えるしるしであると同時に、万人に公開され、受け入れられることをもってはじめて「公徴」となるのです。仲基は開明主義的合理の人でした。

それに対し徂徠はまったく違う世界観の住人でした。彼は時間的にも、空間的にもはるかかけ離れ、隔絶した中華草昧の時代に絶対の「価値」を置き、そこへの復帰の理想は復帰の不可能の認識を伴っています。「古文を知る」と言いながら、じつは言葉の裏には知り得ない絶望を湛えています。その矛盾が仲基には見えません。徂徠が亡くなった年に仲基は十四歳で、宣長と秋成の間の『呵刈葭』のような討論本が可能でなかったのはとても残念です。

本居宣長と上田秋成との間、荻生徂徠と富永仲基との間には、それぞれ決定的に深い溝があり、どちらも歩み寄りが不可能な、世界観を異とする二つの別の精神態度といえるでしょう。

 興味深いのは、秋成は宣長の古代認識を批判し、否定する際に、仲基は徂徠の古代認識を批判し、否定する際に、いずれも「私」という語を投げつけていることです。今日のことばでいえば、主観に堕している、という非難になりましょう。あるべき客観的歴史認識を怠っているという批判になるでしょう。しかし宣長も徂徠も泰然として動ぜず、主観も客観もないですよ、そういうものに捉われて遠い、高いものへの理想を失った者は、万民向きの広い世界を見るという、そういう「私」に陥っているまでですよ、と言うでありましょう。

つづく

つづく

管理人による出版記念会報告(三)

   
 

 今回、この「江戸のダイナミズム」の出版記念会をやってはどうかと最初に提案されたのは宮崎正弘先生らしい。宮崎先生が二次会で、西尾先生が犬の散歩がお好きなように、人の出版記念会を企画実行するのは私の趣味です、とおっしゃっていた。ということで、この会の裏方スタッフの中心は宮崎さんとそのお仲間の方々。その他に保守主義研究会の岩田温君を中心とする若い方々、内田さんを初めとする文藝春秋の方々、そして坦々塾という西尾先生を中心にした勉強会の何名か(私もその中の一員)である。司会は日本文化チャンネル桜の仙頭直子さん。

 それらのスタッフの方々から、写真やその日のテープ、司会原稿などの資料がようやく集まってきた。順を追ってあの会の内容を出来るだけ正確に再現していくことにする。司会の言葉は青色で、演出は緑色で表示し、途中私の感想は四角で囲み、来賓のご挨拶なども再現していきたい。

 なお、この会に出席した方の感想をコメント欄で受け付けます。

(1800)入場開始 (同時にBGMスタート)。1805頃から画像を点滅 x 2回。


 ただいま会場に流れております音楽は江戸時代とヨーロッパと中国を象徴する曲目です。モーツアルトのヴァイオリン・コンチエルト1番、長唄は「元禄花見踊り」、グレゴリオ聖歌「御身(おんみ)は羊らの牧者」、支那古典からは「紫竹調(しちくちょう)江南(こうなん)の童歌(わらべうた)」、小唄「梅は咲いたか」、そして「のりと」です。

また映し出されている画像は、『江戸のダイナミズム』の基調をなす、古代エジプトの海中に没した図書館から中国の清朝考証学関連、江戸の思想家、芸術家などの映像です。のちほど西尾先生から詳しい解説があります。
   

 < 音楽、画像中断。照明を明るく >

 まもなく会が始まります。来場の皆さまに御願いがあります。携帯電話のスイッチをお切り下さいますよう。また前の方が空いておりますので、ご参会の皆さま、できるだけ前の方へお詰め下さい。

 桜の満開はすぎたとはいえ、会場の付近には桜が咲き乱れています。

 皆さん、この嵐のような天候の中、ようこそおいで下さいました。ただいまから西尾幹二さん『江戸のダイナミズム』出版記念会を開催いたします。

 私は本日の総合司会役を仰せつかりました仙頭直子と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。有難うございます。

 本日はお忙しい中、また遠路はるばると上京されて参加いただいた方も大勢いらっしゃいます。外国からのお客様もいらっしゃいます。まさに、西尾先生の代表作のひとつ『江戸のダイナミズム』への関心の高さが伺えることと思います。

 それでは冒頭、正面の大型スクリーンにご注目下さい。

 これから西尾幹二先生の大作、『江戸のダイナミズム』の重要部分を数カ所、スクリーンに映し出します。またお手元の冊子にも同文が掲載されております。記念冊子の二ページ目からです。

 抜粋の朗読をしていただきますのは評論家、拓殖大学教授の遠藤浩一(えんどう・こういち)さんでございます。

 遠藤さんは高校二年生のときに、金沢の高校に講演にきた西尾先生のおはなしを聞いて、それ以来、交友会雑誌にのった西尾先生の講演記録をずっと大切に保存し、書棚のいつでも出せるところにおいていたそうでございます。

 それでは遠藤さん御願い申し上げます。

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右端が遠藤さん、真ん中が富岡幸一郎さんです。

つづく

管理人による出版記念会報告(二)

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 音楽評論家浅岡弘和さんのブログ巨匠亭から,許可を得て転載させていただいた画像です。西尾先生の所在を知らせるためのアドバルーン(銀色の風船)が上っています。
guestbunner2.gif長谷川真美

       

 4月4日の出版記念会に出席して下さった中の主だった人々

(A) 黒井千次、高井有一、岡田英弘、宮脇淳子、加瀬英明、桶谷秀昭、高山正之、日垣隆、藤井厳喜、平川祐弘、入江隆則、富岡幸一郎、猪瀬直樹、工藤美代子、百地 章、佐藤雅美、井尻千男、黄 文雄、田久保忠衛、渡部昇一、関岡英之、高階秀爾、吉田敦彦(神話学者)、遠藤浩一、石 平、三浦朱門、福井文雅(宗教学者)、萩野貞樹(国語学者)、呉 善花、平間洋一(近代日本史家)、饗庭孝男(文芸評論家)、ヴルピッタ・ロマノ(日本文学者)、カレル・フィアラ(日本文学者)、秦 恒平、石井竜生、潮 匡人、岸田 秀、西村幸祐、山崎行太郎、新野哲也、岸本裕紀子、大島信三、浜田麻記子、合田周平、花岡信昭、福田 逸、福地 惇、山際澄夫、高橋昌男、藤岡信勝、田中英道、大蔵雄之助、平田文昭、堤 堯、花田紀凱、宮崎正弘、

(B) 林田英樹(前東宮大夫・国立新美術館長)、伊藤哲朗(警視総監)、朱文清(台北代表処)、上野 徹(文藝春秋社長)、齋藤 禎(日本経済新聞出版社会長)、松下武義(徳間書店社長)、加瀬昌男(草思社会長)、木谷東男(草思社社長)、千野境子(産経新聞論説委員長)、鈴木隆一(ワック社長)、松山文彦(東京大神宮宮司)、山本卓眞(富士通名誉会長)、加藤惇平(元ベルギー大使・外務省元審議官)、黒河内久美(元フィンランド大使・軍縮会議日本政府代表部元大使)、尾崎 護(元大蔵事務次官・国民生活金融公庫総裁)、早川義郎(元東京高等裁判所判事)、奥島孝康(前早稲田大学総長)、岡本和也(元東京三菱銀行副頭取)、大島陽一(元東京銀行専務)、羽佐間重彰(元フジサンケイグループ代表)、田中健五(元文藝春秋社長)、川島廣守(元プロ野球コミッショナー)、藤井宏昭(国際交流基金理事長)、関 肇(元防衛医大副校長)、松島悠佐(元陸上自衛隊中部方面総監)、重松英夫(元陸上自衛隊関西地区補給処長)

(C) 山谷えり子(参議院議員・首相補佐官)、泉信也(参議院議員)、古屋圭司(衆議院議員)、高鳥修一(衆議院議員)、西村眞悟(衆議院議員)、戸井田とおる(衆議院議員)、古賀俊昭(都議会議員)、森喜朗(代)、中川昭一(代)、

祝金  森喜朗(元首相) 
     柏原保久
     念法眞教
     岩崎英二郎(元独文学会理事長)
     川渕 桂
     加藤 寛
     野井 晋
     杉山和子
     伊藤玲子

花輪 文藝春秋
    徳間書店 
    ワック
    PHP研究所
    産経新聞(住田良能、清原武彦 羽佐間重彰)
    台北代表処(許世階)
    植田剛彦
    長谷川三千子
    坦々塾

祝電 高市早苗(衆議院議員・内閣府特命担当大臣)
    下村博文(衆議院議員・首相補佐官)
    平岡英信(学校法人清風学園理事長)
    楠 峰光(西日本短期大学教授)
    高松敏男(大阪府立中之島図書館員)
    武田修志(鳥取大学助教授)

漢詩 寄上梓記念賀莚 孤劍楼(加地伸行)

 出席総数382名

 出版記念会事務局より以上の報告がありました。西尾先生から各方面へ心より御礼申し上げたい旨、伝言がなされていますことをご報告いたします。

 

 今こうして主だった人たちの名前を目にして、有名な方々が大勢来られていただろうということは感じていたが、予想以上の顔ぶれにびっくりした。会場では政治家をマイクで紹介したり、祝電の紹介もなかったので、森元首相からお祝いがあったことも意外だった。

 私が話しかけた方では、エスカレーターで山崎行太郎さん。動くエスカレーターの上でついこちらはインターネットで写真を見ているものだから、知り合いのように声をかけてしまった。

 井尻千男さんは、私が隣の山口県の水西倶楽部の会合でお会いしたことを告げると、嬉しそうに握手してくださった。

 西村幸祐さんには、以前西尾先生がよその人気サイトとトラブルがあった折に、仲をとって事を収めていただいたことがあり、その時の御礼をいった。

 山谷えり子さんは、広島においでいただいて講演会を開いたことがあったので、すぐに挨拶に行った。今は政府の中枢におられ、選挙もあり忙しいはずなのに、わざわざ出席してかなり長い間会場におられたようだ。

  名前はわからないのだけれど、壁際に並べてある椅子のところで、上品な年輩の男性がぽつんと座っておられた。私はお節介かなと思いながら、お寿司を運んでいった。普段は下にもおかない扱いをされるような、きっと社会的に地位の高い方だろうなと思う。

 もう一人、受付で男性が読みにくい字で記帳していて、何と読むのだろうと思っていたら、名刺を渡された・・・・・見るとオフィス松永の松永さんだった。電話で一度お話したことがあるので、声と顔と一致しませんね、というと、それはいい意味ですか?と聞かれてしまった。二次会でかなりゆっくりとお話することができた方である。
 
 西尾先生という一人の人間との関わりのために、あんなに大勢の人々が、あの春の冷たい嵐の中に集まっていたのだなと思うと本当に感心した。

 

つづく

管理人による出版記念会報告(一)

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 4月4日、市ヶ谷グランドヒルホテルの三階瑠璃の間で夕方6時半から、西尾先生のための「江戸のダイナミズム出版記念会」が開催された。

 東京は桜が満開とはいえ、予報では真冬並みの寒気団が下りて来ると聞いていたので、広島の家を出るときに私はスプリングコートにするか、冬用のコートにするかぎりぎりまで迷っていた。結局冬用のコートで出かけたが、その選択は東京にいる間、何度となく間違っていなかったと感じるほど、4日の東京は寒かった。

 当日私と娘はスタッフとしてお手伝いすることになっていた。ホテルを出る頃には、雲行きがあやしくなり、雷もなりはじめ、タクシーを待つ間、冷たい雨が容赦なく斜めにふきつけ、雨はだんだんにみぞれになっていった。あれだけの天候だったから、出席をあきらめた人も大勢おられたのではないだろうか。

 5時前にホテルに到着し、エスカレーターで階上に上っていると、下りのエスカレーターに乗っておられた西尾先生と奥様にすれちがった。スタッフと同じように、もう到着しておられたのだ。

 私と娘は出版記念会が終った翌日は、おのぼりさんのように「はとバス」で東京見物をしたので、昨晩遅く新幹線で帰宅した。感想はゆっくり書けばいいと思っていたのに、山崎行太郎ブログオフィス松永のブログ(現役雑誌記者によるブログ日記)に、もう出版記念会の様子が書いてあったので、ぼやぼやしていてはいけないと今キーボードをたたいている。

 現役記者「その他」さんも書いておられるとおり、その日の出席者は400名弱(380くらい?)で会場はぎっしり満員、どこに誰がいるのか近くの人しか解らないような混雑であった。受付や、雑用をして出たり入ったりしていたので、祝辞の内容も今詳しく書くことはできないが、そのあたりは全部の情報が集まってからひとつずつ報告していきたい。

 とりあえずは、私個人の目と耳が接した範囲での感想にとどめることにする。

 受付では、国会議員でも、どんな偉い人でも記帳をしていただき、会費を徴収し用意した小冊子を配布した。受付が一段落して私が会場に入った時は、中は薄暗く、ひな壇に向かって右手に大きなスクリーンが下ろされ、何かが写され(左手にいたので良く見ることができなかった)、遠藤浩一さんが「江戸のダイナミズム」の一節を朗読しておられた。  遠藤さんのめりはりの利いた声は、まるでお芝居の長い台詞のようであり、西尾先生の文章はどこを切り取ってもそのまま「台詞」として通用する、リズムのあるものだからなのだと感心もした。

 詳しくは続きで書いて行くが、全体の印象として保守的な政治集会でもないし、かといってジャーナリストばかりの会でもなく、いろいろなジャンルの学者の方々が西尾先生のコネクションで集まった重厚な顔ぶれの集まりであったように思った。

つづく