10月の私の仕事

 一昨日、今月の仕事が校正も含めて大体ピークを過ぎたら、昨日は夜よく眠っているのにどういうわけかたゞたゞ眠くて仕方がない。犬の散歩から帰って、久し振りに風呂場で犬を洗ってやり、やれやれと座敷の片づけをし始めていたら、壁を背に柱に凭れていつの間にかぐっすり眠っていた。夜七時間眠っているのに、どうしてかと思う。

 今年は5冊刊行すると豪語していたが、4冊目『三島由紀夫の死と私』の完成部分160枚に100枚加筆する仕事が10月10日に終った。だいぶ時間をかけていたので、今月すべての加筆部分を書いたわけではない。この本は新書予定だったが、PHPからの単行本に決まって、11月21日の刊行も決定した。

 11月25日に憂国忌があり、そこで今年は私が話をするので、その日までに間に合わせる必要から急いだのである。加筆部分は小説論が中心なので、久し振りに田山花袋や岩野泡鳴や太宰治や葛西善蔵や近松秋江を読み、また中村光夫の論考を精読した。彼の「笑いの喪失」はいい評論だと思った。

 そんなわけで月末に月刊誌の仕事が迫っているのに、落着いて取りかかれない。原因はもう一つある。9月後半からのアメリカ発の金融破産である。アメリカが潰れるのはいいが、巻き添えを食う日本の未来が心配だ。10月10日から後はもっぱら『日本経済新聞』ばかりを読んでいる。

 10月10日にPHPに原稿の最後を渡したことは先に書いた。そのあと私がどんな毎日を送ったか、よくぞ体力が持ったもの、テーマがばらばらにならなかったものと、今日になって振り返って感慨ひとしおである。

 12日に小石川高校時代の同窓会があり、一日を失い、14日夜、銀座で論壇人のあるグループのカラオケ大会があり、夜中まで遊んだ。18日までに残る日数は6日間しかない。どうして可能だったか今もって不思議だが、18日までに『WiLL』と『諸君!』の各12月号にそれぞれ相当量の評論を間に合わせた。

 『WiLL』は題して「麻生太郎と小沢一郎『背後の空洞』」(33枚)。これは政局論ではない。題名には迷って、花田編集長も最後の最後まできめられなかった。最初は「ついに裸身になった日本」と付けてみたり、「『アメリカの没落』に襲われる日本の政治」と付けてみたり、迷いに迷ったが、どれも説明的で面白くない。で、上記の表題となった。非常に広い、大きい内容を打ち出しているので、ぴったり内容に合った題の付けようがないのである。

 それに対し『諸君!』のほうは「雑誌ジャーナリズムよ、衰退の根源を直視せよ」という派手な表題である。内田編集長がこちらは迷わずに付けた。13ページに渡る大型評論である。これは去る9月29日に行った(財)日本国際フォーラム主催の講演「私の視点から見た論壇」を基にしているが、かなり内容を増やし、書きこんでいる。

 このほかに西村幸祐責任編集の『撃論ムック』に「アメリカの中国化 中国のアメリカ化」を出した。

 さて今月は以上の通り、私の意識はあっちへ行きこっちへ行きで落着きなく、ご覧の通り、田山花袋とポールソン財務長官と『英霊の声』とリーマンブラザーズとテロ支援国家指定解除と『私小説論』と……どこでどうつながるのか、傍目には不可解な話であろう。

 昨年の憂国忌では井尻千男氏が高揚した悲愴な武人三島由紀夫像を語ったが、今年はがらりと調子を変え、二葉亭四迷からの近代小説史における長編作家としての三島を論じる予定だ。それでもさいごは多分天皇論になる。

 14日の夜の銀座のカラオケでは「イヨマンテの夜」を歌った。フジテレビの黒岩祐治アナが私の帽子をちょっと貸してと取って、斜めに被って、沢田研二を演じた。しかし何と驚くなかれ、座の中心にいて、声量抜群の声でMy Wayを歌った人――それは朝日新聞前社長・中江利忠氏(79才)である。中江さんと一緒に歌うのはこれで二度目である。そういう会なのである。

 『WiLL』と『諸君!』の私の二篇では勿論、朝日新聞は最大の敵に位置づけられているわけだが……しかし歌では隣席だった。仲良く握手して別れた。まったく互いに他意はない。中江さんの歌は本格派である。

9月末から10月初旬への私の仕事

 私は今『三島由紀夫の死と私』(PHP新書)の最後の章の執筆と全体の整理に追われていて、他に書くゆとりはあまりなく、『Voice』10月号の後の仕事でご報告できるものは次のものになります。

 「静かな死の情景」――『撃論ムック』(西村幸裕責任編集)連載中の「思想の誕生」第3回。この一冊は「猟奇的な韓国」という題のムック本で、拙文とは別に、評判になっています。

猟奇的な韓国 (OAK MOOK 241 撃論ムック) 猟奇的な韓国 (OAK MOOK 241 撃論ムック)
(2008/09/19)
西村幸祐

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 テレビ出演「GHQ焚書図書開封」第26回「戦場の生死と『銃後』の心」
    日本文化チャンネル桜9月27日(土)午後23:00-24:00
  (特別番組のため、放送が延期されました。今後の予定は未定です。)

 テレビ出演、花田紀凱ザ・インタビュー。皇室問題への発言以後の反響その他について語ります。
    BS11 10月5日(日)午前9:00-9:55
    再放送 10月18日(土)午後15:30-16:25
 (花田紀凱ザ・インタビューは今後、発信局がBS11に移り、全国放送になるそうです。その第一回です)

 『WiLL』11月号に『正論』編集長と松原正氏に対する、私と『WiLL』編集部の連名による謝罪要求の短い文章がのっています。

 評論集『真贋の洞察』(文藝春秋刊)は10月7日に店頭に出ます。目次とあとがきの一部紹介を、近づいたら告知いたします。

 この間に『日本の論点2009』(文藝春秋)に皇室問題について寄稿しました。

 9月29日に財団法人日本国際フォーラムの国際政治懇話会で、数ヶ月前から頼まれていたテーマ「私の視点から見た日本の論壇」というユニークな論題での話をいたします。外交官、経営者、学者知識人等の集りですが、こんなきわどい題材で私に一席語らせようというのですから、当の私が少し驚いています。活字になったらきっと驚天動地ですね。

 9月21日の姫路市における私の講演を聴衆の中でまとめて下さった方がおり、長谷川さんのブログ「セレブな奥様は今日もつらつら考える」に掲示されました。以下に転載させていたゞきます。

 以下に述べられた以外のことも私はたくさん語っています。2時間ありましたから、当然です。以下はあくまで一つの要約です。しかし、概略こういう内容でした。むつかしい「まとめ」をして下さった聴衆の中のお一人(新聞「アイデンティティ」の葛目浩一さん)に御礼申し上げます。

昨日、姫路で行われた西尾幹二先生の講演を聞きに参りました。自民党総裁選を翌日に控え、生々しい話をされました。

民主党に政権を渡せば国が亡びるこれだけの理由 

西尾幹二氏特別講演 要旨
『国家中枢の埋没』 
-東アジア危機・国家観のない小沢一郎・外国人参政権と移民問題
 平成20年9月21日
 イーグレ姫路3階あいめっせホール
 主催 自民党兵庫県第11選挙区支部(支部長衆議院議員 戸井田とおる)

 (アメリカ帝国の崩壊) 
 今、100年に一回の大ドラマが展開されている。サブプライム問題に関連してリーマン・ブラザースの破綻など、今、アメリカ帝国は音を立てて崩壊している。数年後は米ドルは紙切れになる。では、中国はというと、バブル経済の破綻、経済格差による民衆の暴動でこの国の崩壊も近い。
 
 日本は、強力なリーダーのもとで国民が自信を持って立ち向かえば、今、世界で一番底力のある国は日本だから、世界を救う国となる。
 
 (麻生首相は政権を投げ出すな) 
 この非常時に、麻生氏は、来年9月の任期満了まで、石にかじり付いても解散してはならない。もし、次選挙で民主党が政権をとれば、日本破滅となる。
 
 民主党小沢一郎代表の国家観、国家主権意識、領土観がない。国連至上信仰は必ず国を亡ぼす。
 
 (国家滅亡への道、民主党の危ない政策)
 ①過度な国連信仰
  テロ特措法に反対だが、国連軍なら戦闘地域に自衛隊員を派遣すると言っている。武器使用基準で縛られている隊員をアフガンなど危険な戦闘地域に派遣できるのか。
 小沢氏は、国の安全を国連に委ねると言っている。わが国の南方諸島を中国から侵攻された際、わが国が安保理に訴えても、安保理の一員の中国が拒否権を発動するのは明らかだ。
 
 ②地方議会への外国人参政権付与
 小沢氏が熱心な地方議会に対する外国人参政権付与問題は自民党内の安倍、麻生氏ら保守系議員の反対で国会上程を阻止してきたが、民主党が政権を握れば民主党が国会に上程、公明党と自民党一部の賛同で一挙に成立する。その後に起こることは、対馬への韓国人、沖縄の離島への中国人の住民票移動によって、わが国の地方自治体の一部が敵性外国人によって実質的に支配されることになる。
 
 ③外国人移民一千万人計画
 自民党元幹事長中川秀直氏らの主張する移民一千万人計画は元々は民主党松本剛明氏らの一千万人移民構想が下敷としたものだ。
 少子化による国力の衰退、労働力不足を外国人労働者によって充足しようとするもので、財界一部の支持もある。民主党が政権を取れば、外国人参政権付与問題同様、一挙に可決される危険性が高い。
 そうなると、すでに、池袋で進んでいる中国人街計画が日本中に広がり、日本の底辺で行われている、フイリッピン人、ヴェトナム人との抗争が激化し、その牙が日本人に向けられる可能性が高い。
 日本は大和の国だから、外国人も文化も容易に同化できるというデマに騙されてはいけない。人口の1割近くも外国人を入れたらどうなるか。
 移民問題で内乱頻発のオランダの過ちを繰り返してはならない。
 
 ④沖縄を中国に売り渡す民主党沖縄ビジョン
 日本からの自立独立、香港のような「一国二制度」、中国語を始めとする外国語教育、地域通貨の発行、本土との時差、東アジアのエネルギーセンター構想など正気とは思えない沖縄を中国に切り渡す民主党の文字通り売国ビジョン。
 

 以上、どうしても自民党に勝って貰わなければならない。今、勝てないならぎりぎり任期一杯政権を保持し、その間得点を挙げて国民の支持を得るべきだと語っています。

日本の国家基盤があぶない(一)

【正論】評論家・西尾幹二 日本の国家基盤があぶない

 《《《米国の道義的な裏切り》》》

 拉致問題は今では党派を超えた日本の唯一の愛国的テーマである。拉致を米政府にテロ指定させるまでに関係者は辛酸をなめた。北朝鮮の核の残存は日本にとって死活問題である。

 完全核廃棄の見通しの不明確なままの、米政府の45日という時間を区切ったテロ支援国家指定解除の通告は、悪い冗談でなければ、外交と軍事のお手伝いはもうしないという米政府の見切り宣言である。それほどきわどい決定を無責任に突きつけている。

 そもそも北朝鮮を悪の枢軸呼ばわりして寝た子を起こし、東北アジアを一遍に不安定にしたのはブッシュ大統領であった。核脅威を高めておきながらイラク介入前に北朝鮮には武力解決を図る意志のない手の内を読まれ、翻弄(ほんろう)されつづけた。

 今日の米国の体たらくぶりは予想のうちであったから、日本政府の無為無策と依存心理のほうに問題があることは百も分かっているが、それでも米国には言っておかなくてはならない。

 核不拡散条約(NPT)体制は核保有国による地域防衛の責任と道義を前提としている。米国は日本を守る意志がないのなら基地を日本領土内に持つ理由もない。

 テロ支援国家指定解除の通告は、第一に米国による日本への道義的裏切りであり、第二に日本のNPT体制順守の無意味化であり、第三に日米安保条約の事実上の無効消滅である。

 《《《半島関与に及び腰対応》》》

 日本は以後、拉致被害者の救済を米国に頼れないことを肝に銘じ、核武装を含む軍事的独立の道をひた走りに走る以外に自国防衛の道のないことを米国に突きつけられたに等しい。それほどの情勢の変化に政府がただ呆然(ぼうぜん)として、沈黙するのみであるのもまた異常である。

 問題は誰の目にも分かる米国の外交政策の変貌(へんぼう)である。米国の中国に対する対応は冷戦時代の対決から、対決もあり協調もある両面作戦に変わり、次第に協調のほうに軸足を移しつつある。

 いつまで待っても覇権意志をみせない日本を諦(あきら)め、中国をアジアの覇権国として認め、台湾や韓国に対する中国の外交攻勢をも黙認し始めた。戦火を交えずして中国は台湾海峡と朝鮮半島ですでに有利な地歩を占めた。

 最近の米朝接近が中朝不仲説を原因としているか、それとも半島の管理を米国が全面的に中国に委ねた結果なのか、いま論点は割れているが、どちらにせよ米国の半島関与が及び腰で、争点回避の風があるのは否めない。

 中東情勢と米国経済の推移いかんで、米軍のアジアからの撤退は時間の問題かもしれない。そうなれば台湾は中国の手に落ち、シーレーンは中国によって遮断され、日本はいや応なくその勢力下に置かれることになる。それは日本の技術や資本が中国に奪われることを意味する。

 
 《《《日本の核武装を封じる》》》

 これほど危険な未来図が見えているのに、日本の政界は何もしない。議論さえ起こさない。ただ沈黙である。分かっていての沈黙ではなく、自民党の中枢から権力が消えてしまった沈黙である。

 ワシントンにあった権力が急に不可解な謎、怪しい顔、恐ろしい表情をし始めたので手も足も出なくなった沈黙である。

 もし日本が国家であり、政府中枢にまだ権力があるなら、テロ支援国家指定の解除は北朝鮮に世界銀行その他の国際金融機関を通じて資金の還流を許すことだから、ただちに日本から投資されているそれらの機関への巨額資金の引き揚げが用意され、45日以内に宣言されなければならないだろう。

 6カ国協議は日本の核武装を封じるための会議であると私は前から言ってきた。米中露、それに朝鮮半島までが核保有国となる可能性の発生が北朝鮮問題である。太平洋で日本列島だけが核に包囲されるのを指をくわえて見ていていいのか。

 日本はこれに対しても沈黙だとしたら、もはや政治的知性が働いていない痴呆(ちほう)状態というしかない。

 海辺に砂山を築いて周囲から水を流すと、少しずつ裾野の砂が削られる。水がしみこんでしばらくして、ボコッと真中が陥没する。そこへ大きな波がくるとひとたまりもない。

 今の日本はボコッと真中が陥没しかけた段階に来ているのではないか。国家権力の消滅。国家中枢の陥没。

 折しも自民党から日本を移民国家にし1000万人の外国人を導入する案が出された。日本列島に「住民」は必ずいる。しかし日本民族はいなくなる。自民党が国家から逃亡した証しだ。砂山は流され、消えてなくなるのである。(にしお かんじ)

産経新聞 平成20年 (2008) 7月24日[木]より 

「移民」は救世主か問題児か 反対論(三)

「国内国家」の乱立で日本社会が変質

 日本は今度インドネシアとフィリピンからの受け入れを認めたが、他のアジア、中南米、アフリカの各国からの労働者受け入れの要請を拒めるのだろうか。日本政府は摩擦を好まないので、いったん入れた外国人にフランスのように露骨に不平等を強いる冷酷な対応をしないため、2005年のパリの暴動のような反乱は起きないかもしれない。だが、その代わり日本人社会が妥協し、無理をして彼らに特典を与え――在日朝鮮人に与えているように――自分の利益を奪われ、屈辱を強いられるまでに市民権を後退させないだろうか。

 日本のような民族国家が受ける最大の被害は、社会が移民の受け入れで変質することである。固定した階級のない、移動性の高い柔軟な社会体質が日本の特徴である。外国人の定住化で、下層カーストや「国内国家」型集団が生まれると日本人の側は受け身になり、防衛的になり、日本人社会が知らぬ間に階層化し、保守的に固定化し、自由な流動性を失いはしないだろうか。

 それに人口問題とも密接な関係がある。人口減少が進んでいる時期に外国人を入れると、不思議なことに減少を加速する力にこそなれ、増加させる力にはならない。近年フランスは思いきって気前のいい額の助成金で若干の出生率の上昇をみたが、助成金の恩恵を受けているのはもっぱら移民労働者の家庭で、純粋なフランス人の人口は増えていないとも聞く。

 日本が今度、看護師と介護士の「無制限」労働許可に窓を開いたことはいわば蟻の一穴で、ここから水が漏れ、やがて堤防が決壊し、移民の大群に日本が襲われる日の近いことを私は恐れる。政策当局者の考えは甘いし、無制限に移入枠を増大させるのは許せない。

 世界の状況がすでに明示しているように、外国人労働者問題と難民問題とは同じ次元のことなのである。難民というものはあらかじめ存在するのではなく、発生するのである。誘因の存在するところへ向かって人の波が動き出す。

 何といっても厄介なのは国境を越えてすでに八方へ溢れだしている中国人の問題である。加えて、イスラム教徒は世界の人口の五分の一、十億人といわれているが、半世紀以内に人類の二人に一人はイスラム教徒になるという予測もあり、中国人より恐れられている。

 この点に関連して、アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、カナダなどで心配されているのは白人の人口減である。ことにアメリカでは黒人とヒスパニックと中東イスラム教徒に白人が呑みこまれる日の到来への恐怖は、黒人奴隷の歴史をもつ国だけあって、想像以上に強い。オバマ大統領候補の出現はすでに微妙な何かを物語っている。

 アメリカ人はかつて日系移民を憎んだ。しかし今日本から労働者は行かない。日本を民主化させることに成功したからだと自惚れのアメリカ人は信じている。中東を民主化させればイスラム教徒は北米大陸にやって来ない。日本の先例からそう思ってイラクを攻撃したのだという説もある。

 こういう世界情勢下でイスラム教徒のインドネシア人に「労働開国」する日本の行政府の鈍感さと政治的無知には開いた口が塞がらない。

おわり

『SAPIO』7月9日号より

「移民」は救世主か問題児か 反対論(二)

日本人の職、教育に波及する悪影響

 これまで世界各国の何処でも同じ軌跡を辿ったが、外国から先進国に労働に来た人々は、入国直後は「仕事にありつけさえすればありがたい」とへりくだっているが、少し長くいると必ず社会での上昇のチャンス、地位と生き甲斐を求め始める。人間だから当然である。

 日本に来れば日本人と恋愛もするし、結婚もする。個人の自由だからこれはやめろといえない。既婚者は必ず故国から家族を呼ぶ。これも人道上拒めない。家族が来れば住宅や教育や医療の負担が日本の自治体に襲いかかってくる。しかも言語の違う子弟の教育には特別に手がかかる。そこまで考えないで安易に受け入れに賛成した、と言っても後の祭りである。

 民族国家においては少数派の移民は必然的に被害者の位置に自らを置く。移民がどんなに優秀でも、エリートにはなれないからだ。インドネシアの看護師や介護士も将来そう簡単に病院のリーダー、施設の長にはなれないだろう。そのことはやがて彼らの不満と怒りを引き起こす。

 フランスのアルジェリア人、ドイツのトルコ人はみなヨーロッパに自分の運を開く新天地を求めてやって来た。フランス人やドイツ人にすればこれは困る。運を開きたいならどうかアルジェリアやトルコでチャンスを作って欲しい。ヨーロッパの大国は自由と寛容を建前とするから初めは忍耐しているが、景気後退の時期にでもなると、たちまち摩擦が始まる。

 アメリカのような移民国家は事情が少し違う。フランスやドイツのような非移民国家、日本もその一つだが、そこでは多数派の国民が少数派の移民に対しまず最初は加害者となるが、次にそこから生じる葛藤で多数派もまた被害者になる。

 先進国側は労働者提供国に対し富を「与える」立場だと最初思っているが、前者が後者のパワーに依存し、自由を「奪われる」という事態に襲われたことにすぐ気がつくだろう。日本でもレストランなどのサービス産業でも皿洗いや台所仕事に外国人を使っていないところはないといわれるぐらいだが、仮に今入管が厳しい措置をとって彼らを全員強制退去させてしまったら、レストランなどたちまち困ってしまうだろう。

 ドイツではかつて、トルコ人に帰国されたら洗濯屋さんがなくなって立ち往生するからやっぱり彼らにいてもらわなければならない、という認識になったことがある。

 同じことが今後日本で正規導入するインドネシアやフィリピンの看護師や介護士の例でも起こるだろう。彼らの給与が悪くなく――17万円から20万円くらいだそうである――日本で失業者が巷にあふれ、「外国人よ帰れ」という怨嗟の声がわき上がるときがきたとしても、技術と経験をつんだ看護師や介護士は急にはつくれない。彼らに帰国されたら日本の病院や施設が成り立たなくなる。「ぜひ日本に居続けて欲しい」、そういう話になるに相違ない。日本人看護師や介護士の養成に手を抜いたつけが回るのである。

 いいかえれば外国人に日本側が自由を「奪われる」事態を迎えることとなる。何とも情けない話だが、必ずそういうことになる。

 しかも移民が一般化してくると、外国人がいないと工場が成り立たない、町が成り立たない、国家が成り立たないという、より広範囲な状況を引き起こすだろう。日本人失業者が増えてなおそうなる。フランスやドイツの例でいうと、大体人口の7~10%まで外国人単純労働者を吸収する収容力が先進国にはある。そのラインを越えると政治的に異質な事件が多発する。*2004年のオランダ、2005年のフランスはイスラム系住民と事実上の内乱に近い情勢となった。

 2005年の統計ではドイツ人口約8200万人のうち移民は670万人、フランスは人口約6200万人のうち約430万人、イギリスは約5880万人のうち約460万人。以上は概数だが、移民はイスラム系が多数を占め、宗教的民族的対立を高めている。

 キリスト教とイスラム教の積年の宿敵関係がヨーロッパの移民問題の底流あるのに対し、日本にはそれがない代わりに、韓国人、中国人がすでに大挙して移住してきて、新しい移民同士、日本国民とは関わりないところで人種間抗争を繰り広げる可能性はある。それが日本の小中学校に影響してくれば、教育の現場は今まで経験したことのない混乱に見舞われるだろう。

 パリにはイスラム系住民だけが住む特定街区がある。ヨーロッパの各大都市にもそれはある。自民党議連が移民1000万人を受け入れる提言案をまとめたが、仮に日本に移民が1000万人入ってきて、そのうちインドネシア人が100万人だとすると、彼らは在日韓国・朝鮮人の民団や総連よりも閉鎖的な「国内国家」をつくるだろう。パキスタン人もバングラデシュ人も、その他中東系諸国の人々も、不法労働者としてではなく正規移民として入ってくれば、それぞれ強力な「国内国家」に立て籠もるだろう。日本の警察権の手が入りにくい複数の民族集団が形成される。

*2004年オランダでイスラム教徒を批判した映画の監督がモロッコ系移民に殺害された事件をきっかけに、モロッコ移民が暴動を受けたりイスラム系施設が襲撃されるなどした。またフランスでは2005年、アフリカ系移民の青年2人が警察に追われ逃げ込んだ変電所で感電死し、アフリカ系移民が公共施設を襲ったり、車を炎上させるなどの暴動を起こした。

つづく

『SAPIO』7月9日号より

「移民」は救世主か問題児か 反対論(一)

(賛成論:大前研一 反対論:西尾幹二)

イスラム教徒のインドネシア人を大量に受け入れる政府の政治的無知

評論家 西尾幹二

大量失業、国情不安定化を防ぐために「労働鎖国」を敷くべきである。

 たとえ限定的なかたちであっても、外国人労働者の受け入れは、やがて日本に悪影響をもたらす――。こう語るのは20年以上も前から移民容認に異を唱えてきた評論家の西尾幹二氏である。折しも日本は今年から海外からの看護師・介護士の受け入れをスタート。氏のいう「限定的な受け入れ」が始まっている。さらに与党からは「移民1000万人受け入れ案」が急加速している。はたして氏が警鐘をならす「悪影響」とは――。   文章:SAPIO編集部

 インドネシア人の看護師と介護士の日本への受け入れが、昨年の八月に決まっていたそうである。われわれは迂闊であった。

 安倍前首相とインドネシアのユドヨノ大統領との間の首脳会談で署名がなされていた。当初二年間で1000人を上限とする旨の約束であったようだ。というわけで、今月七月下旬に最大500人が早くも来日するといわれているのは、この協定に基づく話だということがわかる。

 報道によると、フィリピンとの間でもすでに一昨年に協定が結ばれていて、インドネシアと同様にやはり二年間で計1000人を受け入れる予定だそうだが、フィリピン側がまだ批准していないために、開始時期は未定のままになっているという。

 官僚がさっさと決めて、政治家がろくに考えもしないで簡単に署名する。その結果が日本に長期にわたって大きな災いをもたらすことに気づいてもいない。民族文化の一体性を損なう災いだけではない。経済的にも政治的にも日本は深い痛手を負うだろう。

 厚生労働省が示したインドネシアとの契約内容を読んでいて、私は唖然とした。彼らインドネシア人は資格取得後、日本国内の病院や介護施設で就労するのだが、「在留期間上限三年、更新回数制限なし」と書かれてあるのである。在留は事実上の無期限である。日本は帰化が容易な国だから、何年か滞在すればみな日本国籍が得られる。インドネシアはイスラム教国、フィリピンはカトリックの国で、日本とは異文化である。

 いわゆる期限付き就労許可ということでさえ、昔から厳格に維持できるかどうかは疑問視されてきた。期限をかぎってもたぶん守られない。いったん先進国に正規の許可を得て入国した外国人労働者は帰国しない。不法滞在者なら強制退去も不可能ではないかもしれない。不法滞在者だって簡単に帰国させることが難しいのはようやく日本でも分かってきているが、まだしも退去させることが可能なのは不法の場合である。

 しかし正規に法的に入国許可を一度でも与えた場合には、期限をかぎっても、先進国側が強い退去命令をだすことはできない。その国に寄与した労働者を、約束の期限が来たからといって、追い返すことは人権問題になる。

 ところが、インドネシアの今度の件は、事実上の「無期限」である。これには驚いた。厚生労働省に問い合わせたところ、最初二年で1000人だが、評判がよければ三年目以後には人数を増やしていくという。

 いったいいつ日本は「移民国家」になったのだろうか。ここで述べられているのは外国人労働者受け入れの話ではない。「移民国家日本の宣言」にほかならない

つづく

『SAPIO』7月9日号より

七月の仕事

 今月私は『WiLL』(9月号)に皇室問題(第4弾完結篇)、『正論』(9月号)にいわゆる「自民党案1000万人移民導入論」への批判を書いています。目下作業中です。前者は55枚、後者は30枚です。

 尚『GHQ焚書図書開封』は増刷ときまりました。第2刷は18日に店頭に出ます。

スカイパーフレクTV! 241Ch.日本文化チャンネル桜出演

タイトル  :「闘論!倒論!討論!2008 日本よ、今...」

テーマ   :「どうする!どうなる!?1000万移民と日本」(仮題)
 「移民」は日本を救うのか?滅ぼすのか?その是非を、現在の在日外国人問題も含めて議論します。

放送予定日:前半 平成20年7月17日(木曜日)夜8時~9時半 
        後半 平成20年7月18日(金曜日)夜9時~10時

パネリスト :(敬称略50音順)
      浅川晃広(名古屋大学・大学院国際開発研究科・講師)
      出井康広(ジャーナリスト)      
      太田述正(元防衛庁審議官)
      桜井 誠(在日特権を許さない市民の会 代表)
      西尾幹二(評論家)
      平田文昭(アジア太平洋人権協議会 代表)
      村田春樹(外国人参政権に反対する会 事務局)
      

司  会  :水島総(日本文化チャンネル桜 代表)
       鈴木邦子(桜プロジェクト キャスター) 

6月の仕事

 どういう訳だろう、よく分らないが、今月は雑誌発表の仕事が集中した。先月からやってきた課題がひとつづつ片づいてきたせいだが、全生活がスケジュールにハイジャックされているような拘束状況がつづき、少し疲れた。すでに表に出たものとこれから出るものを合わせ、一覧し、ご報告する。

1)「思想の誕生」(連載)『撃論ムック』西村幸祐責任編集 第一回「ひとり暗い海にボートを漕ぎ出す」(20枚)店頭にすでに出ている。

 『撃論ムック』にはしばしば書いてきたが、今度月刊になるという。西村さんの新門出を祝し、連載をひき受けた。

 連載の内容はむかし日録に書いてきたような思想散策である。

2)「決定版・坂東眞理子の品格を斬る!」『新潮45』7月号(24枚)店頭にすでに出ている。

 編集部がつけたリードには「『女性の品格』308万部、『親の品格』87万部――。著者は元高級官僚にして、昭和女子大学長。その品格を稀代の論客が問う」となっている。

 なぜこんな論文をわざわざ書いたかというと、秋に出す『真贋の洞察』(文藝春秋)という私の評論集で「贋」の実例を丸山真男以下何人も取り上げたのだが、今の読者は知らない人ばかりだ、というので、じゃあみんなが知っている「贋」の一例を出そう、と思いついて、二冊の「品格」を串刺しにした。新刊の『親の品格』に主に焦点を当てているが、著者は男女共同参画社会基本法をつくった張本人。そのときの内閣府の初代局長である。

 『女性の品格』『親の品格』ともに論じる必要のない無内容の本だが、官僚として彼女のやったことを背景に置くと、本とそれを書いたキャリア官僚の興味深い像がみえてくる。

 小さな評論を書くためにも、彼女の若い頃の本(菅原眞理子の名で出していた)や役人として参加していた対談、座談会、講演録までさがし出して、虱潰しに読んでみた。

 何をやるにも容易ではない。少し面倒でいやになったが、出来映えはまぁ面白いので、褒めて下さい。

3)イスラム教徒のインドネシア人を大量に受け入れる政府の政治的無知。大量失業、国情不安定を防ぐために「労働鎖国」を敷くべきである。
『SAPIO』7月9日号(6月25日発売)(10枚)

 「移民」は救世主か問題児か、と題したSPECIAL REPORTの「反対論」を代表した。「賛成論」を書いたのは大前研一氏と聞く。

 外国人1000万人の導入のための移民庁設立案(中川秀直の唱える)の出ている時代だから、いよいよ来たなという感じだ。昔とった杵柄(きねづか)でさっさと書いた。

 移民庁、外国人参政権、人権擁護法――すべてひとづながりの悪法、自民党腐敗政権のおできが発する膿を見る思いだ。

4)皇太子さまへのこれが最後の御忠言
『WiLL』8月号(6月26日発売)(52枚)

 例の第3弾である。21日校正も終了したばかりだ。

 「最後の」と付けられたが、じつは第4弾も予定されている。まだまだ書くことが残っているから、書き切るまでは止まらない。ただ皇太子さまへの御忠言にはもう限界がある。今度は国民の責任が問われねばならぬ。

5)巻頭言・真贋について(前)『澪標』5月号(15枚)

 岩田温君や早瀬善彦君がまだ学生だと思っていたら、堂々と立派な思想雑誌を発刊して、存在感を一段と発揮してきた。日本保守主義研究会に、会名も改めたようだ。

 その雑誌『澪標』(れいひょう)に巻頭言をたのまれて、お祝いの意をかねて書いた。保守的はあっても保守主義はない、と書き出したら勢いがついて長くなり、3回に分載されるらしい。お手数をおかけして申し訳ない。

 岩田氏、早瀬氏――お二人ともよく勉強をしていて、とてもたのもしい。保守言論界に若い力が欲しかった。いよいよ出て来たという感じだ。自重して大成して欲しい。

 この次からはこの雑誌にのっている思想は本格的な論評の対象にする。勿論、遠慮もしない。

 年間購読料5000円、Tel.Fax.03-3204-2535にお問い合わせになるとよい。岩田氏は「松柏の会」という会員制のゼミナールも主宰している。

お葬式と香典

 お葬式に香典をつつむという習慣を守っているが、最近それを辞退されるケースや、葬式そのものをやらない場合もあって、小さくない戸惑いを覚えている。

 この冬三人の知人が旅立った。

 高校の同級生と同じ高校の恩師、そしてこの十年ほど信頼し合える仲となった私と似た仕事をしている学者の三人である。恩師は当然十数年歳上である。他の二人はほぼ私と同年齢といっていい。

 私はいま72歳である。高校の同級生約50人のうち10人ほどが他界している。多い方だと思う。

 20台で逝った三人は自殺だった。中年の死は圧倒的にガンが多かった。60歳台ではじつは一人しか亡くなっていない。ガンである。残っている同級生はみな矍鑠(かくしゃく)としている。なにか仕事をしている。よく酒も飲む。

 と思っていると、今冬一人が逝った。70台半ばのある先輩が、「君、70を過ぎると同級生が次々と消えて行くよ」と数年前に言っていて、そんなものかと当時実感がなかったが、最初の例が出て、あゝやっぱりと思った。

 私は自分が老人だという自覚がほとんどない。仕事の内容は変わらないし、食欲も酒量も落ちない。大学の勤務を離れてからの方が生活はずっと充実している。

 ところが、昨年路上で二度ころんだ。何でもない路面の小さな凹凸に躓(つまづ)いた。二度とも若い女性が走り寄ってくれて嬉しかったが、やっぱり老人としか見られていないのだと思った。

 手の平のすり傷を医者に診てもらい、路面が荒れていたからだと言ったら、医者は「いや、あなたの脚がちゃんと上っていなかったんです。自分では上げているつもりでしょうが」といわれた。

 私が一番自分も歳をとったなァ、と思ったのは41歳になったときだった。もう若い方に属していないと認めるのはショックだった。しかしそれ以後は加齢については何も感じないできた。

 70になっても感じなかった。が、周りが容赦しないのだ。新聞をみると同年齢の訃報がつづく。妻は私の亡き後の自分の暮し方を気にしている。

 私の葬式についてどうしたらよいかと遠慮なく聞く。「慣習に従って世間並にやりなよ。お通夜はお酒とご馳走をたくさん出して賑やかにやって欲しい。お香典は正確にきちんと半返しにする。間違ってもどこぞへ寄附いたしましたとはやらないでくれ。寄附したいなら半返しをした残りを世間に黙って寄附すればよいのだ。香典のやり取りには鎮魂の意味があるんだよ。」などと勝手なご託を並べることもある。

 高校の友人のお通夜とお葬式はいまの私の趣旨にほぼ添っていた。お浄めの席は賑やかで、遺骸のある隣りの部屋は臨時クラス会のような酒を酌み交わす談笑の場となった。

 新聞記者だったその友人は、むかし酒席で、「西尾、お前言論雑誌でどんな派出なケンカをしてもいいが、負けるケンカだけはするなよ」などと肩を組みながら大きな声で耳許で叫んだのを私は思い出し、ふと涙ぐんだ。

 談笑の中に追悼がある。威儀を正さなければ祈りがない、などということはない。威儀を正すとかえって気が散れて、余計なことを考えたりしてしまう。

 高校の恩師の葬儀はキリスト教の教会で行われた。国語の先生だったが、黒板に英語やフランス語をどんどん書くユニークな先生だった。

 私は試験の答案の余白に、出題の意図をウラ読みする批評を書いたり、先生の人生観を風刺する歌を書いたりすると、必ず面白い返事の文句を書き並べた答案が返されてきた。私は今でもそれを大切に保管している。

 教え子に囲まれた先生の葬儀は荘厳で、立派な内容のある追悼の言葉で飾られていた。私は教会用のお香典袋を用意して持って行ったが、固辞され、受け取ってもらえなかった。そういう方針だというのである。他のすべての参会者が香典袋を押し返されていた。

 私は自宅に帰ってからも落ち着かなかった。追いかけて花環でも贈ろうかと思ったが、迷っているうちに時間が過ぎた。

 香典の金額は少額である。小さな寄進である。ただの形式である。しかしそれで気が鎮まるということはある。

 自分が参加したという裏付けのようなものである。私は先生を思い出すたびに、まだ務めを果していないような居心地の悪さを引き摺っている。

 私と似た仕事をしている学者の知友の場合には、葬式がなかった。遺族が身内だけで葬儀をすませ、初七日を過ぎてから訃報を伝えてきた。最近よくあるケースである。取り付く島がない。

 友人知人にも鎮魂の機会を与えるために葬儀がある。香典だけ送る、という手もあるが、それは好ましくない。自宅にバラバラに出向いてお焼香をするというのも、遺族への遠慮がって限りがある。どうして普通の葬式をしてくれなかったのかと私は遺族に不満を持った。

 私は一計を案じ、都内の某会場を借りて追悼記念会をやることにした。著作家の友のことだから、遺徳や業績を偲ぶ人は多い。

 しかしこのとき、人が死んだらできるだけ他人と違うことはしない方がよいと私は思った。

 死を迎えるのはどこまでも自分であるが、死ぬ前の自分と、死んだ後の自分は社会的な存在なのである。

『逓信協會雑誌』2008年5月号

天下大乱が近づいている(六)

 戦前から戦後にかけてアメリカとイギリスがユーラシア大陸を包囲して支配するという世界戦略がつづいていた。しかしアメリカのイラク戦争の失敗と金融不安の醸成によって、一極集中の大陸包囲政策は次第に難しくなりつつある。ユーラシア大陸は大ざっぱにいって、EUとロシアと中国という地元の大国が中心になって安定維持や紛争解決を図るという、多極化された覇権体制に移っていくだろう。その結果、長い間大陸包囲網の東の要衝にあった日本もその役割を解かれるというきわめて厄介な事態になりつつあるのである。

 「カオスが近づいている」と私が言ったのはこの意味である。大統領選の結果にもよるが、アメリカの対外不干渉主義、いいかえれば寛容主義の方向が大きな流れであることは変わらないだろう。北朝鮮問題へのアメリカの無責任はこの最初の現われである。日米同盟は新たな危機に直面しているとみていい。

 分かり易くいえば、世界は第二次大戦前の情勢に戻りつつあるのである。戦後わが国がアメリカを頼りにして中国やロシアを仮想敵にしていた政策はとても安定していて、気が楽だった。しかしこれからは中国だけでなく、アメリカも油断がならないのである。私が言いたいのはそのことである。60年間忘れていた、すべての国がどこも平等に自分の対決相手、格闘相手だという認識の復活が今ほど求められているときはない。

(「修親」2008.5月号より)

おわり