田母神都知事の実現を祈念する

 1月28日(火)18:30~20:00に千代田区永田町の憲政記念会館で田母神俊雄都知事候補を応援する緊急集会が開かれた。10人くらいの政治家や知識人がひとり3分と制限されたスピーチをした。私は少し3分を越えたかもしれないが、話をした。短いのでたいした話はできていない。ここに録画を公開する。

 過日おこなわれた田母神氏の記者クラブにおける立候補説明の記者会見の録画をたまたま今日見て、大変に強い感銘を受けた。私のスピーチはどうでもよい。こちらを見ていただきたい。じつに立派である。多方面にわたってよく考え抜いて語っている。柔軟であるし、人間味もにじみ出ている。

 田母神さんにぜひ都知事になってもらいたい。真の政治的リーダーとなる素質を備えている。メディアの前評判をくつがえし、地辷り的勝利を収めるのではないか。

「路の会」の新年会

 「報道2001」の私のテレビ発言について、50個に近いコメントが寄せられた。近頃にないことで心から御礼申し上げる。ひとつだけこの件で言っておきたいのは、今回は局側が私の発言をそれほど強く制限しなかったので、私はある程度、自説を述べられたのであって、とくにあの日体調が良かったからとか、自分好みの論題だったからとかいうことではない。この点は誤解しないで頂きたい。

 もし私に30分の自由時間をテレビが与えてくれたら、国民に心に残るメッセージを与えることは可能だろう。しかし地上波テレビは私にそういうチャンスを与えない。日本文化チャンネル桜のYou Tubeを見ていたゞきたい。これを見れば、私の訴えはすべてお分かりになるだろうと思う。

 「報道2001」は今回は私に例外的な対応をした。従って、このあと当分の間は出演を言ってこないだろう。左翼から圧力がかかっているだろう。視聴者のみなさんは、私に限らずいい人のいい話を聞けるか否かも局側の匙加減ひとつであって、出演者の自由でも責任でも努力課題でもない、ということを分っていただきたい。日頃のテレビを悪くしているのはすべてテレビ局にあるのだということをよく弁え、局にがんがん投稿することが必要である。左翼が圧力をかけつづけているのであるから・・・・。

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 さて皆さん、正月10日に「路の会」で新年会を開催した。「路の会」は毎月順調に例会を開いてきたが、当ブログではあまり報告されていない。

 新年会は故遠藤浩一さんに対する黙祷から始まった。何とも言いようもない衝撃で幕を開けた今年の正月だった。私は1月3日に彼から葉書をもらっていて、日付をみると12月31日に書かれていて、1日に投函されている。ひょっとしたら絶筆かもしれない。みなさんにお見せした。この一枚の葉書をどう扱ったらよいか分らない。葬儀が行われないというので、気持が鎮まりようがない。私は「正論」に追悼文を約束しているので、そこに祈りをこめることとする。

 新年会には21人が集まった。順不同で、加藤康男、尾崎護、大島陽一、木下博生、入江隆則、三浦小太郎、渡辺望(今回初参加)、伊藤悠可、堤堯、福井義高、大塚海夫、高山正之、宮脇淳子、河添恵子、藤井厳喜、北村良和、宮崎正弘、そして徳間編集部の力石幸一、赤石の諸氏に私である。

 長老の尾崎さんの「献杯」で会は始まり、中華料理をいたゞきながらの自由討論会となった。昨年アメリカに渡って、慰安婦像設置反対のための講演の旅をした藤井厳喜さんの話をぜひ聞きたいと堤堯さんから提案が出され、まずその話が披露された。

 サンフランシスコ郊外にクパチーノという町がある。アップルの本社があるシリコンバレーの中心の一つで、しかも反日運動の拠点だといわれる世界抗日連合会本部が置かれている都市である。かつて拉致された慰安婦は20万人とのばかばかしい数字がひとり歩きしていたが、世界抗日連合会は50万人にかさ上げした。半分は韓国人、半分は中国人だそうである。中国が運動に介入してきたからで、そうなると「白髪三千丈」のたぐいの大ウソが平気でどんどん広まる。

 藤井さんはクパチーノ市の市長と会ってきた。市議会議員は5人しかいないが、うち4人は慰安婦像の設置に反対している。外国人の間のトラブルを自分たちのコミュニティーに持込んでもらっては困る、という常識的判断が働いている。議会筋の話も入れて総合すると、この市の像設置はおそらくないだろう。だがと藤井さんは言った。

 今後はアメリカ全土の見通しは楽観できない。中国が介入し、ロビー活動が動き出しているからである。慰安婦も、南京も、いよいよ攻撃が強まるだろう。在米日本人はがんばっているが、日本政府がしっかりしていない。歯がゆいばかりである、と。

 日本も組織的反中反韓運動を組み立て、政府がそこに資金を投じ、情報キャンペーンに本腰を入れるべきである。現代の戦争は歴史の解釈の戦争であり、言葉の戦争である。まず日本国内で「日中友好」再燃ムード阻止、「韓国冬季オリンピック」協力ムードの阻止を確立すべきであると思う。

 海上自衛隊の大塚海夫さんが久し振りに姿をみせた。以前は例会を欠かしたことのない人だったが、国家の周辺の急変事態でこのところずっとお休みだった。「海将補」という新しい名刺をもらったが、昔の位でいえば海軍少将だそうである。

 靖国参拝についてのアメリカの例の「失望した」発言でこのところぎくしゃくしている日米関係が防衛にどう波及するかが話題になった。大塚さんは在日米軍と海上自衛隊との関係はゆるぎないものであると仰有った。もともと在日米軍の主力は海軍なのだが、家族を含めて日本に在留しているので、日本の良さがよく分っていて、それが米軍そのものとの良好な関係にもつながっているとのお話であった。さもありなんと想像できた。その他微妙な情報もいろいろあったが、ここで公開するわけにはいかない。

 ブルートレイン廃止の是か非かで、1月3日の産經に大きな顔写真と共に石破自民党幹事長との対討記事がのっていた福井義高さんがお話になった。福井さんは元国鉄勤務で、その方面の本もある。ブルートレインは廃止論者で、存続論の石破氏と立場を異にしていた。しかし新年会で話題になさったのは鉄道のことではない。アメリカ大統領選挙のことだった。

 オバマの次は誰になるか、が日本の政治にも関係してくる。前回の選挙で立候補した共和党のロン・ポールは80歳で、最近引退し、息子のラント・ポール上院議員(50歳)が父の思想的立場を承けて立候補するらしい。ロン・ポールは名うての孤立主義者で、今のアメリカの向かっている潮流に棹さしていた。ラント・ポールは同じ傾向とはいえ父親より穏健なので、より巾広い層の支持を得られる可能性がある、との福井さんの観測であった。

 孤立主義はオバマがすでにそうである。オバマは評判が悪い。日本に対してはそもそも関心がない。しかし福井さんにいわせれば日本が「離米」するチャンスでもある。孤立主義の外交政策は日本は日本の侭で行かせよ、という考え方である。米海軍はラインを東南へ引き下げる。陸軍のコミットメントを止める。アメリカの国境はいよいよ露骨に日本列島そのものになる。むかしのアチソンラインに似ている。日本列島がアメリカの軍事的最前線になり、しかも米軍は主力を引き上げる。長距離核だけで対峙するということになろうか。いよいよ日本はぼんやりしてはいられない。庇護者アメリカは完全に消えてなくなるだけでなく、日本を砲弾の楯にしようとしているのである。

 在日米軍は家族ぐるみで日本社会と接しているので、大塚さんの仰有る通りたしかに他国よりも日本に親和性を保っているのかもしれない。しかし軍は政治の支配下にある。時期大統領選挙は日本の運命は大きく影響するので、今から研究を重ねていく必要があろう。

もうひとこと申し上げる

 私より若い私の友人に青山学院大学教授の福井義高さんがいる。彼は会計学がご専門で歴史家ではないのだが、日本の歴史学者は歴史を知らないので、こういう人の発言が一番ありがたい。私と彼との『正論』誌上での対談は全体の三分の一だけすでにここに掲示されている。間もなく残りも提出する。

 日本の自虐的な歴史観、世界を鏡に自国の過去を「反省」ばかりしているわが国のほゞ全知性を蔽っている歴史観について、あるとき福井さんは「あれは皇国史観ですな」と仰言った。

 「皇国史観」の定義はここでは戦後悪口でいわれている言葉の用い方に合わせて自己満足史観のこと、自国が世界の中心で自国の善と美があまねく世界四方を照らし、世界史を動かして行くという普遍思想である。東南アジアの島々に神社を作ったなどもその現われである。神道にはそのような普遍性はない。ないところに強みもあると考えるべきである。

 戦後を支配した歴史思想、ことさらに自国の軍隊の欠点をあげつらい、罪と悪の日本史を仕立てて、日本はここで間違えた、あそこで判断を誤った、としきりに言い立て相手の軍隊の罪や悪をほとんど見ようとしない歴史観は、自己満足史観で、日本が正しい道を歩んでいたら戦争は起こらなかった、という前提に立っている。日本が道徳的に立派だったら、相手の軍隊も道徳的に立派に振舞い、戦争は避けられ、世界史の歩みは変えられた、という仮説の上でものを言っている。傲慢である。

 これこそまさに「皇国史観」の再来であろう。福井さんはそういう意味のアイロニーをこめて言ったのだと思う。けだし名言である。私より若い世代にこういうリアリストが出現したのが私にはうれしい。

 戦前も戦後も日本人の大半は世界の現実が見えない。最高学府の知性にも見えていない。戦争は相手があって初めて起こる、という子供にも分る常識から出発していない。反省と自己批判から出発している。しかもそれによって自己の誠実を証明し、自己の美化を企てている。救いがたい自閉的性格である。ここに普遍思想の生まれる土壌はない。

 戦前の「皇国史観」もまたマルクス主義が出現しなかったら生まれなかった反動的近代現象であって、日本文化の本来性に発していない。戦前も戦後も、日本知性の陥った過誤の性質は同質である。日本の知性のどうにも救いがたい欠陥である。

 最近、皇室問題がしきりに論じられるが、皇室が危機にあるからだと思う。私は日本文化の柱に皇室への崇敬があると信じているが、ここからだけでは普遍性は出てこない。「神仏信仰」という言葉があるように、日本人の信仰は「神」と「仏」の二重性によって支えられてきた。天皇もまた歴代仏教の信徒だった。地上の神と超越神との二重性である。後者は見えない遠い異国の唐天竺に浄土を求める心事にも発している。

 日本人が古代中国や近代西欧に理想のモデルを求めたのは、超越信仰の一種ではないだろうか。これがないと皇室も危うくなる信仰のパラドックスがあるのではないだろうか。アメリカは「見えない遠い異国の唐天竺」の代用になり得ないことが最近明らかになったわけだ。

 ならば何が「超越神」となるのであろうか。すぐには答の出てこない難問で、今の日本はその未解決の混迷の只中にある。皇室問題がしきりに取沙汰されるのもその不安の表現である。

読者へのご挨拶

 今年の「謹賀新年」に付けられた「コメント5」に次の意見があった。

5.いつも、この日録とかネット番組:「GHQ焚書図書開封」を拝読・拝見いたしております。

ですが、先の総選挙における「阿倍政権」の誕生については、何の言及もありません。ひたすら、ご自分が関わられた著書の宣伝にこれ努めているという感じです。

西尾教授は、「反原発」のお立場の様ですから、この視点でも反駁されて然るべきかと思います。(尚、私めは「原発推進」・「核武装しかるべし」・「靖国分祠検討すべし」という立場です。)

何か、深い深いお考えがあっての「日録でのご発言」かとは推察いたしておりますが、少しく寂しく感じております。

コメント by 佐藤生 — 2013/1/6 日曜日 @ 16:37:01 |編集

 これを読んで私は少し当惑しています。深い考えなどありません。当ブログは私の思想活動のごく一部、しかも小さな一部で、全体の思想活動を一冊の本にたとえると、ちょうど「目次」のような役割を果していると思います。そう思って見て下さい。

 私は尖閣問題、女系天皇問題、原発問題、TPP問題について、また日米問題、総選挙とその結果についても、書物もしくは雑誌その他で大抵どのテーマであろうと洩れなく私の考えを述べています。雑誌は今は「正論」「WiLL」「言志」(チャンネル桜の電子言論マガジン)です。そのうちの幾つかは許される限り当ブログに掲示するようにしています。「脱原発」では書物を二冊出しています。

 「コメント5」の佐藤生さんにおねがいします。書物や雑誌などの活字言論をきちんと見て下さい。そちらの方が私の本筋です。ブログだけ見て私の思想を判定しないで下さい。ブログは「目次」か「表紙」なのです。宣伝めいたものと思われても仕方ありません。読者の方はこれを手掛りにして下さい、と言っているだけです。ブログで全思想を表現している人もいますが、それとはやり方が違うのです。

 『第二次尖閣戦争』について、アマゾンに書評がのっていましたので、紹介しておきます。

第二次尖閣戦争(祥伝社新書301) 第二次尖閣戦争(祥伝社新書301)
(2012/11/02)
西尾 幹二、青木 直人 他

商品詳細を見る

「尖閣」でアジア近現代史の虎の尾を踏んだ中国, 2012/11/12
By 閑居人

 「尖閣諸島」という南海の小島の帰趨は、単なる領土紛争を超えて、「近代日本」という国家の政治的経済的アイデンティテイと表裏一体繋がっている。明治維新以来、弱肉強食の帝国主義の世界を生き抜き、敗戦による「帝国解体」も経験して、尚かつ「皇室」の伝統と民主的な諸文化に立脚する「日本」という民族国家。その近現代史と「国家主権」という一点で切り離すことができない問題だからである。
 それにしても、中国人という人種は一体何者なのか。西尾が言うように「一度も国政選挙をしたことが無い国、近代法治国国家でない国、他国を威嚇し脅迫する(無法国家)」(233p)であることは疑えない。
 この対談の中で西尾は繰り返し「中国人とは何者なのか」と問う。そして最近西尾自身が「GHQ焚書図書開封7」で紹介した戦前のシナ通、長野朗が指摘する「ウィルスのように侵入し、シロアリのように食い荒らし、エゴイスティックであるにもかかわらず、集合意志を持つ民族」といった表現に共鳴する。
本書の中で、西尾は怒りを隠さず過去の歴史から説き起こし、青木は冷静に中国、アメリカ、朝鮮半島等日本を取り巻く状況を分析する。西尾が説くように「尖閣戦争」は、近代以来の歴史問題を背後に潜まさせている。そしてそれは、これからの日本という国家の在りようと不可分の関係を持つ問題なのだ。この重大な問題に、石原慎太郎のトラップに乗った中国は、不覚にも多くの日本人を目覚めさせてしまった。
 官製デモの連発は、振り返って1919年「五・四運動」や1920年代の「五・三十事件」等戦前の反日運動が巧妙に仕組まれた官製デモであり、しかも英米大使館やドイツの教唆、コミンテルンの策動と絡んだ事件であったことを改めて想起させた。1945年以来、GHQや共産中国、岩波・朝日が浸透させた「敗戦史観」は、学会で率直にその是非を論じたり、自由に批判したりすることがタブー視されていた。しかし、その呪縛は確実に解けている。
 本書で、二人の論者が説くことは、「尖閣」という南海諸島の一角にある小島が、アジア近現代史において日本が引き受けざるを得なかった歴史の謎を解くと同時に、今後の日本国民の対応が21世紀アジア地域の平和と安定の鍵を握るという、国際政治の現実である。

日本政府よ、覚醒せよ! と訴える一冊。言うべきことははっきり主張すべきだ。, 2012/12/9
By あらフォーティー “Z”

尖閣問題を起点に、中国の現状、米国の立場、そして
日本がとるべき態度と戦略を示す一冊。

ひとつ驚いたことは、尖閣5島のうち、すでに2島は
米国に貸し出されていて、うち1島は国有だということ。

新聞やTVはこのことを報道したか?
そもそも調べてもいなかったのではないか?

そして何よりも、「問題を起こしたくない」「とりあえず穏便に」という害務省の態度と、
中国に誘い込まれて進出し、人質となって逆に政府の足かせとなった経済界。
これが大きな問題だということがわかった。

中国と米国の思惑をしたたかに利用して、日本の国益をしっかりと
守って欲しい。そういう知恵のある政治家の登場が待たれる。

なぜジュンク堂の特集コーナーには置いていないのか, 2013/1/14
Bymt –

尖閣諸島問題・中国問題を取り上げた本の中では最高のものと思われる。以下、いくつか本書で取り上げられた衝撃の内容を書き出してみる。

・小泉首相の靖国神社参拝をめぐって中国で反日暴動がおこったとき、トヨタ自動車の奥田碩(会長)が胡錦濤と極秘に会談し、次期首相は絶対に参拝させないと約束し、実際に安倍首相は参拝しなかった。
・中国の対日経済制裁で困るのは日本国民ではなく、個別の進出企業である。
・最初から永住することを目的とした中国人が大量に来日しており、その連中が日本の福祉を享受している。
・国内問題で困った習近平が、大量流民を放出し、沖縄が占拠され、それが「人権」の名のもとに正当化され、日本侵略がすすんでいく可能性。尖閣問題はこうした破局に至るかどうかの一里塚である。
・2012年の暴動で日本企業が多大な被害を蒙ったその数日後に、野中広務・河野洋平・田中真紀子・高村正彦らは経団連会長の米倉弘昌とともに北京詣でをして、早々と膝を屈した。日本政府が抗議のために、公式行事を中止するようなことはいっさいなかった。
・日本からの中国向けODAは合計3兆6461億円で、2012年も無償援助と技術協力は42.5億円。さらに国民のまったく知らない、財務省の資源開発ローンが3兆円もある
・アジア開発銀行の出資は日本がトップであるが、総裁の黒田東彦は「中国は覇権国家ではない」と公言するほどの東アジア共同体論に染まった官僚で、日本からのODAが減っても、黒田からの対中出資は減っていない。
・アメリカはかつて尖閣の主権が日本にあると認めていた(ケネディとアイゼンハワー)が、その後態度を曖昧にしている(ニクソンから)。アメリカは日中紛争の火種を残しておきたいのである。久場島と大正島は米軍管理下にあり、少なくともこの2島についてはアメリカは中立の立場は取れないはず。それをマスコミも報道しない。
・中国は世界銀行人事をめぐってアメリカと対立はしていない。米中の経済相互依存関係は深く、米中が対立することは不可能となっている。
・中国とアメリカの石油メジャーは非常に仲がよい。クリントンの日中の共同油田開発論
・中曽根は、中韓の圧力に屈してすでに検定にとおった教科書を4回も改定させて。それ以降続く中曽根内閣の呪い。

まだまだ、引用したい部分がある。ほかのレビューワーが西尾幹二氏の日本は三流国家となっている、という発言を敵視しているが、自分で自分を守れない日本はまさに三流国家になろうとしていると言えるだろう。
ところで、ジュンク堂の尖閣諸島特集コーナーにはこの本は置いていない(少なくとも大阪の3店舗では)。極左の孫崎亨の本は置いてあるのに、である。ジュンク堂の政治的偏向が伺われる。

消された秀吉の「意志」(二)

 日本人が過去に世界に向かって本格的に自分の「意志」を構成する試みを行っていても、後世の人間がそれを率直に認めることに気遅れがしてしまうのは、日本文化の本来的特性に関係があるのだろうか。

 日本人は言挙げしないとよくいわれる。自分から言葉でいちいち自分の立場を世界に向けて説明しない。分ってもらおうと敢えてしない。国内では日本人同士が交わるときには強い「意志」を示さない方がかえって相手の理解を得るのに良い場合さえある。

 たしかに唯我独尊や夜郎自大はみっともないが、しかしノーベル賞をもらうたびに日本人が大騒ぎするのはさらにみっともないのである。日本人は「縮み志向」だということを書いた韓国人学者がいた。繊細な細工ものをよくする指先の器用さが民族的な特徴だというのだ。しかし必ずしもそんなことは言えない。古代の出雲大社の巨大階段の例もあるし、戦艦大和の例もある。『新しい歴史教科書』がこの二例をグラビアに掲げたのは、日本人が自らを矮小化したがる自己卑下の偏見を正したい思いがあったからだろう。

 自尊を卑しむのは日本社会の美点かもしれない。しかしこれも度が過ぎると世界の中の自分の姿を正確に見ることにも差し障りが生じかねない。そして、そのような過度の自己矮小化はやはり第二次大戦の敗戦の後遺症の一つであり、教育の世界、ことに歴史学者に数多くの悪い先例があることはよく知られているが、最近も私は次のような例に出会った。それも秀吉の朝鮮出兵の論争点をめぐるもう一つのケースである。

 私が福地惇、福井雄三、柏原竜一の三氏と共に月刊誌『WiLL』でシリーズ「現代史を見直す」の討議を連載していることはご存知かと思うが、それも最新刊の2月号では第9回目を数え「北岡伸一『日中歴史共同研究』徹底批判2」と題して、安倍首相の肝入りで始められた企てに対する文字通りの「徹底批判」であった。

 対談内容は西安事件、盧溝橋事件、第二次上海事件、南京事件をめぐるテーマで、25ページ近くを「徹底批判」で埋め尽くしているから、秀吉が話題に入ってくる余地はないのだが、悪例のひとつとして私があえて取り上げた東大教授の歴史学者がいる。

 私たちは波多野澄雄、庄司潤一郎の両氏を最初疑問の俎上に載せていたが、私はそこにもう一例を挙げた。日本では信頼される保守系の研究者といわれている波多野、庄司両氏が中国人相手の討議の場に出ると、説を曲げ、中国側に都合のいいように口裏を合わせる例がいかに多いかに、私たちはそこに至るまでにさんざん言及し、論破していたが、その途中で私は次のように発言した。

西尾:さらに付け加えると、東大教授の村井章介さんが書かれた「第一部 東アジアの国際秩序とシステムの変容 第2章 15世紀から16世紀の東アジア国際秩序と日中関係」について、指摘しておきたいことがあります。私は村井さんのことは非常に評価していて、拙著『国民の歴史』(文春文庫)の中でも秀吉に関して引用させていただきました。

「16~17世紀のアジアを見た場合に、ヨーロッパが出会う相手となったことだけが、この次期のアジアが世界史的文脈のなかで担った役割ではない。むしろアジア自身のなかで、この時代には大きなうねりが、ヨーロッパを必ずしもふくまないかたちですでに生じていた。(中略)

 もうすこし具体的に言えば、最初にふれた日本史における統一権力の東條、中世から近世への移行という事態も、中国における明清交代という世界システムの激変と、共通の性格をもつものと考えるべきではないか。

 その本質をひとことでいえば、世界システムの辺境から軍事的な組織原理で貫かれた権力があらわれ、あらたな生産力を獲得し、やがては中華に挑戦して崩壊させてしまう、という事態である。(中略)

 豊臣秀吉はこの挑戦に失敗して自滅への道をあゆみ、秀吉を倒した江戸幕府は軌道修正に腐心することになるが、挑戦にあざやかに成功して中華を併呑(へいどん)したのか、女真族(じょしんぞく)の後金(こうきん)(のち清)であった。このようなアジアの巨大なうねりに重なるかたちで、ヨーロッパ勢力のアジア進出、地球規模の関連性の形成も生起した」(傍点引用者・村井章介『海から見た戦国日本』)

 ところが、この日中歴史共同研究の報告書では全く違うことを言っているんです。村井さんは〈豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争〉と書いている。

福地:完全な二枚舌ですね。

西尾:〈1595年に至って、小西行長と明側のエージェント沈惟敬との間で講和条約が合意された。その結果、秀吉を「日本国王」に封ずる冊封使が発遣され、96年に聚楽第で秀吉と対面した。通説では、秀吉はこの会見で自身が明皇帝の臣下とされたことを知り、激怒して第2次の戦争を始めた、とする。しかし、これは江戸時代になってから現われる解釈であり、同時代の史料には、秀吉の怒りの原因は、彼が望む朝鮮南半分の割譲が無視され、朝鮮からの完全撤退が和平の条件であることを知ったことにある、と記されている〉。

 秀吉の意思を、あっという間に矮小化してしまう。

 そして、〈すでにそれ以前から、秀吉の獲得目標は、明征服ふぉころか、朝鮮半島南半の確保という領土欲に矮小化されていた〉。

 当時の地球規模での行動と解釈せず、侵略戦争という書き方をしています。これも、それまでに村井さんが書いていることとは違います。波多野さんや庄司さんと同じようなものです。売国的行為と言わざると得ません。

福井:国際的な場に出て行くと、精神的に持ちこたえられないというのは日本人の国民性なのでしょうか。

柏原:これは間接的に聞いた話ですが、なにか問題になると代表の北岡さんが出て行かれて、調整してそれで強引に中国側と決めてしまったようですね。

西尾:つまり、波多野さんや庄司さんや村井さんの文章は、記名で書かれていますが、北岡さんが強引に進めてしまったということですか。

 たとえそうであったとしても、波多野さんや庄司さん、村井さんには同情する気にはなれません。仮にそうであるならば、自らの学者の良心に従い、席を蹴って辞退すれば良い話ではありませんか。やっていることは犯罪行為ですよ。

 村井章介氏は魅力的な研究書を書いてきた人で視野も広い学者のはずである。ちょうど今、吉川弘文館から他の二人の歴史学者と共編で、「日本の対外関係」(全7巻)のシリーズものを出している最中で、日本の歴史学会を代表している一人である。そういう人が、否、そういう人だからこそと言うべきかもしれぬが、この体たらくである。

 学識もあり、経験も積み、研究歴も長い学者が、惜しむらくは世界と張り合うときに自分を貫く「意志」を欠いている。秀吉の海外雄飛を論じる資格なんかないのである。秀吉は「意志」の人である。どういうわけか東大教授にこういう例が多い。

 日本の歴史を悪くしているのはこういう人である。日本の国益を損ねているのは政治家や外交官だけではない。この手の学者が輪をかけている。そしてそれが与える影響は裾野が広く、長期にわたり、見えない形で日本の知性一般を犯し、麻痺させている。

 保守系の雑誌である『SAPIO』の編集者までが秀吉の「大言壮語」と書き、私に改められても「気宇壮大」にとどまり、「断固たる意志」という文字が使えなかったのは、この手の曲学阿世の徒の小さな臆病と卑劣が巨悪となって国民に降りかかった結果の一つにほかなるまい。

(つづく)

消された秀吉の「意志」(一)

 謹賀新年 

 世界に渡り合う救国のネゴシエーター(交渉巧者)を日本の歴史の中から探し出し、三人挙げてほしい、というアンケートが年末にあった。『SAPIO』誌からの依頼である。私はあまり深く考えず、豊臣秀吉、小村寿太郎、岸信介の名を挙げた。簡単に理由を書けという欄があったので、豊臣秀吉は国内の英雄としてではなく、スペインの脅迫にたじろがず、東の涯から世界的覇者たらんとする声をあげ、その意志をスペイン国王フェリペ二世に伝えた人物として、日本史唯一のネゴシエーターの名に値するという理由づけを書き添えた。

 小村寿太郎は風説と異なり、例のハリマンの満鉄共同開発拒否を積極的に解釈したいと書き、岸信介は国内の反対を抑えて日米安保条約を改訂し、米軍による日本防衛の責務を条文に明記させたことを評価すると書いた。いづれも国外に向けた「意志」の表現者・伝達者としての評価に基く。

 まあ、あまり深く考えない人選で、アンケートに答えた後忘れていた。間もなく『SAPIO』編集部から私の挙げた三人が上位五人に選ばれているとの知らせがあり、少し驚いた。1位から10位までは次の通りである。1位 小村寿太郎、2位 黒田官兵衛、3位 豊臣秀吉、4位 鈴木貫太郎、5位 岸信介、6位 勝海舟、7位 大久保利通、8位 陸奥宗光、9位 川路聖謨、10位 徳川家康。そして3位に選ばれた豊臣秀吉について私に2ページの記事を書いて欲しいとの依頼があった。

 私は戦国武将としての国内における秀吉の活躍については、子供のころにさんざん読んだ覚えがあるが、今さら興味はなく、ヴァスコダ・ガマからマゼランに至る大航海時代に雄飛した世界制覇への「意志」の表明者の中に秀吉を入れていいという考えから、朝鮮出兵を解釈し直したいとつねづね思っていた。『国民の歴史』16節「秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか」に同趣旨のことをすでに書いている。『SAPIO』誌には要点を短くまとめることにした。関係文献を少し読み直し、今まで書かなかった新しい知見も若干加味した。いま販売中の『SAPIO』2011年12・22/1・6号に掲載されている。

 秀吉の攻略の目標が朝鮮を越えて大唐国(シナ)の明に据えられていたことはよく知られている。しかし関白秀次にあてた書状によると、彼の壮大な世界征服計画はそんなレベルにとどまっていなかった。

 北京に後陽成天皇を移す。秀吉自らは寧波に居を定め、家臣たちに天竺(インド)を自由に征服させる。この構想は中華帝国に日本が取って代わるのではなく、東アジア全域に一大帝国を築き上げようとするものである。秀吉は北京にいる天皇をも自らは越えて、皇帝の位置につき、地球の半分を総攬すべき統括者になろうとするこのうえもなく大きな企てであった。これはすなわち中華中心の華夷秩序をも弊覆のごとく捨て去ってしまう日本史上おそらく最初の、そして最後の未曾有の王権の主張者の出現であったと見ていい。

 これを誇大妄想として笑うのは簡単である。結果の失敗から計画の評価をきめれば、すべては余りに無惨であった。しかし彼は病死したのであって、敗北したのでは必ずしもない。秀吉はモンゴルのフビライ・ハーン、スペイン国王のフェリペ二世、清朝の祖・女真族のヌルハチと同じ意識で世界地図を眺めていた日本で唯一の、「近代」の入り口に立った世界史の創造者の一人であった、と私は考える。織田信長が生き延びていたら、やはり秀吉と同様の行動に出たであろう。

 勢威ある国々から自らの「意志」で地球規模の歴史を築こうとした人間群像が次々と立ち現われた時代の感情、歴史の奥底からのうねりのようなものに参加した日本人が存在した、そのことが大切な認識なのだ、と私は言いたかったまでである。『SAPIO』誌にそのように書いて、原稿をファクスで送った。

 ほどなくゲラ刷りが送られてきた。編集者がつけたタイトルは次のように記されていた。最後の四文字が私は不快だった。間違えているとさえ思った。私の文意が読めていない。

 豊臣秀吉―覇者スペイン国王をも畏れさせた「神の国」からの大言壮語、となっていた。

 論文のタイトルは書き手が空白のまま送り、編集者が付けるのがこの業界の慣習である。書き手が付けて送っても、取り替えられてしまうことがまゝある。

 私はゲラを送り返すときに「大言壮語」はネガティブなことばです、止めて下さい、と記した上で、四文字を消し、そこに「断固たる意志」と書いて置いた。雑誌が完成して、配送されたページをすぐ開いてみると「断固たる意志」も採用されず、そこに「気宇壮大」という新しい四文字がはめこまれていた。

 なるほど「気宇壮大」はネガティブな概念ではない。秀吉を貶めてはいない。しかし、必ずしもポジティブな言葉でもない。堂々として立派な良い性格を表す言葉と読めばポジティブにもなるが、読みようによってはネガティブにもなる。少くとも私が想定している秀吉の、日本人離れした「意志」を示す言葉としては必ずしも的確ではない。私はそう思ったが、もう雑誌は刷り上ってしまい後の祭りである。

 『SAPIO』は保守系の雑誌として知られ、従ってこの号にも、錚々たる保守論壇のメンバーが小村寿太郎以下10人のネゴシエーターを解明する論説を掲げている。雑誌そのものの歴史観は決して自虐的ではないし、反日的でもない。むしろ逆である。自虐的反日的な歴史イメージを否定する論文を並べている。

 それなのに、それを担当する編集者の意識に、世界に向かって日本人が一歩もたじろがない政治意志を示したという事跡に対し、そう表明することになんとなく気遅れがあり、後ろめたさがあり、ある種の照れ臭さ、あるいは恥ずかしさがあるように見受けられる。

 フェリペ二世の「断固たる意志」を表現することにはまったくの躊躇はないのだが、しかし、秀吉となるとそう言ってはいけないとなぜか頭から思い込んでいる。私に指示されても、それに合わせられないでいる。

 日本人が朝鮮を越え、シナを越え、インドを越えてものを考え行動するなどということはあり得るはずがない、と考えているのだろう。秀吉はフェリペ二世に挑戦状を叩きつけた、と私が秀吉の文面を引用してさえいるのに、それがどうしても信じられない。言葉にするのは憚れることだ、あってはならないことだと思い込んでいる。

 これは一体何だろう。このためらいはどう考えたらよいのだろう。

(この項つづく)

自分の殻をこわしたい

 すでにお気づきになった方もいるかもしれませんが、近頃の私の仕事の周辺に私より若い共同研究者、あるいは知的協力者の名前が何かと目立つようになってきています。わざと心掛けてそうなったのではなく偶然なのですが、協力して下さる友人たちに恵まれて私自身は有難いことだと思っています。

 『GHQ焚書図書開封 3』では北大工学部出身のエンジニアとして新日鉄で定年まで活動された溝口郁夫氏が、全十章のうち一章を分担して下さいました。氏が畑違いの現代史に関心をお寄せになったのは50歳台で南京戦参加の元軍人の話を郷里で聞いて、南京事件の虚報なることをとくと知って、秘かに心に思う所あってのことのようです。氏は焚書図書に関する独自の研究を進めておられます。拙著にご考察の一端を発表して下さいました。これを切っ掛けにご自身の研究を拡大、発展していただけたら大変うれしいです。

 満五十歳になった評論家の平田文昭氏は、間もなく刊行される私との対談本『保守の怒り――天皇、戦争、国家の行方』でその才能を全面開花させました。私はそう判断しています。氏もこれを汐どきにして大きく起ちあがってくださると思います。

 『WiLL』1月号で柏原竜一、福地淳、福井雄三の三氏と始めた「現代史を見直す研究会」は三回目を迎え、今回は話題の書、加藤陽子東大教授の『それでも日本人は「戦争」を選んだ』をとり上げました。われわれはこの思わせぶりな題名の本の無内容かつ有害である所以を語り尽くしました。今月号は前編で、次号にもつづきがあります。

 三人の中の福地、福井の両氏はすでに知られた方ですが、柏原竜一氏は最近『インテリジェンス入門』(PHP研究所)を出したばかりで、注目されている新人です。国際政治学の知見に秀でていて、今回も日清・日露をめぐる外交史上の知られざる豊富な知識をもって、加藤陽子女史の見識の低さをいかんなく暴露することに成功しています。

 なぜ最近にわかに私の仕事の周辺にこのように共同研究者が多くなったか、自然にそうなっただけなので私自身にもよく分らないのですが、近頃年齢のわりに仕事量が多く、しかもマンネリを恐れる私はつねに同じテーマを二度書かない原則を守ろうとしているうえに題材を広げる欲ばりのため、手が回らなくなってしまった、だから人の手を借りるほかなくなってしまったのかもしれません。そういう見易い理由も勿論ありますが、たゞそればかりではないような気もしているのです。

 私は自分が小さな殻にこもって固定するのがつねに恐いのです。私は自分で自分の殻を壊したいという衝動に突き動かされて生きてきたように自覚しています。自分を破壊することは自分の手では出来ません。他人の知見に自分をさらすことが必要です。私が共同研究者を求めるのは私の内的欲求に発していることなのです。

 勿論私とお付き合い下さる方の発展や成長も同時に心から期待しています。しかしそれだけではないのです。自分を教育しようとしない人は他人を教育することもできません。私は私を教育するために私より若い人の力で私を壊してもらいたいという欲求を強く持っているのです。既成の出来あがった有名人との共同作業を私が必ずしも望まない理由もそこにあります。

 『保守の怒り』という今度の新しい政治的な本の「あとがき」を私は次のようなまったく政治的でない言葉で書き始めていて、これが今述べたことに関係がありますので、冒頭の部分を引用してみます。

 私は昔から知りたがり屋で、本からだけではなく、人との対話からの知識にも関心を抱くほうだが、近頃一段とその傾向は強くなった。私より若い三人の歴史学者と現代史を見直す研究を企画し、討議内容をある雑誌に載せていただくことになったのも最近だ。ほかにも似た計画をあれこれ考えている。

 価値観が私とはほぼ同心円で重なる人との対話は、思考の食い違いからくる負担を省いてくれるが、それだけでなく、思考の微妙な違いは当然あって、それが生産的に脳を刺激してくれる。遠い人よりも近い人との間に橋を架けるほうが困難だ、はある古人の言葉だが、遠い人よりも近い人との間に横たわる溝のほうが深く、大きく、嵐を孕んでいるからである。そして、それだけに価値観の近い人との対話は思いがけぬ結果をもたらし、発見も多い。右記の現代史を見直す会も価値観が互いに近い四人が討議し、互いの小さな相違点からかえって豊かな内容を得ることに成功している例であるが、平田文昭さんとの対話をまとめた本書は、さらに一段とこの趣旨で成果を挙げた一書になったといっていい。

 世の中には他人には危険だが、自分には危険でない言葉が溢れています。自分を危うくしないような批評は批評ではないという意味のことを小林秀雄が言っています。小林さんが自分を危うくするような批評を言いつづけた人かどうかは別問題ですが、ともあれこれは大切なことです。

 ものを書いて行く人間にとって一番の危険は思考のマンネリズムで、あゝまた同じことを言っているなと思われたらおしまいです。読者にはバカも多いので、気がつかないで同じ芝居をくりかえし見て飽きないという読者もいるにはいるのですが、書いている自分を恥しく感じなくなったらさらにも危ういのです。

 文章を書くということは一つの特権です。ましてやそれで金をもらえるということは恐ろしいことです。しかしそれが習慣になり、職業になると特権であることを忘れます。自分の前作の模倣をくりかえす「自分だまし」をどうやったら防止できるか、まともなもの書き手ならそれぞれ工夫をこらしているはずです。

 私が最近信頼できる友人との共同行動を試みているのも、さして自分では意図してそうなったわけでは必ずしもないのですが、今にして思えば「自分だまし」を避けようとする私なりの本能の働きの一つであるといえるように思います。

経済制裁はすでに戦争行為

 パリ不戦条約(1928年)の提案者の一人であるケロッグ国務長官が「経済封鎖は戦争行為である」と証言していることを前提に、先の大戦では大々的に対日経済封鎖を行ってきたアメリカのほうが日本より先に攻撃をし掛けてきた侵略者であった、という考え方が成り立つという一文を最近読んだ。日米開戦をめぐる数多くの議論の一つである。

 話題は変わるが、私はこれを読んでふと不安になった。経済封鎖が戦争行為であるとしたら、日本は北朝鮮に対して、すでに「宣戦布告」をしているに等しいのではないか。北朝鮮がいきなりノドンを撃ち込んで来ても、かつての日本のように、自分たちは「自衛戦争」をしているのだと言い得る十分の根拠をすでに与えてしまっているのではないか。

 勿論、拉致などの犯罪を向こうが先にやっているから経済制裁を加えたのは当然だ、という言い分が日本にはある。しかし、経済制裁を加えた以上、日本は戦争行為に踏み切っているのであって、経済制裁は平和的手段だなどと言っても通らないのではないか。

 相手がノドンで報復してきても、何も文句を言えない立場ではないか。たしかに先に拉致をしたのが悪いに決まっている。が、悪いに決まっていると思うのは日本人の論理であって、ロシアや中国などの他の国の人々がそう思うかどうかは分らない。

 武器さえ使わなければ戦争行為ではない、ときめてかかっているのは、自分たちは戦争から遠い処にいるとつねひごろ安心している、今の日本人の迂闊さのせいである。北朝鮮がたけだけしい声でアメリカだけでなく国連安保理まで罵っているのをアメリカは笑ってすませられるが、日本はそうはいかないのではないだろうか。

 アメリカは日米のやっている経済制裁を戦争行為の一つと思っているに相違ない。北朝鮮も当然そう思っている。そう思わないのは日本だけである。この誤算がばかげた悲劇につながる可能性がある。

 「ばかげた」と言ったのは、世界のどの国もが同情しない惨事だからである。核の再被爆国になっても、何で早く手を打たなかったのかと、他の国の人々は日本の怠慢を哀れむだけだからである。

 拉致被害者は経済制裁の手段では取り戻せない、そう判ったとき、経済制裁から武力制裁に切り換えるのが他のあらゆる国が普通に考えることである。武力制裁に切り換えないで、経済制裁をたゞ漫然とつづけることは危ういことなのである。なぜそれが分らないのか。

 『Voice』6月号で科学作家の竹内薫氏が迎撃ミサイルの防衛不可能を説き、「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する以外に、技術的に確実な方法は存在しない」と語っている。「『科学技術の歴史』という視点から見ても、独裁国家は強力な破壊力をもつ軍事技術を有した場合、それを使わなかった歴史的な事例を見つけることはできない。」と。

 北朝鮮の核開発は対米交渉を有利にするための瀬戸際外交だと人はよく言うが、この通説は、真実から目を逸らす逃げの口実であるから、もうわれわれはいっさい口にすまい。たとえそういう一面があるにしても、アメリカがそう考えるのは許されるが、北の幹部の誤作動や気紛れやヒステリーで100万単位の可能性で核爆死する日本人がそういうことを言って問題から逃げることは許されない。

 あえて9条の改正をしないでも防衛のための先制攻撃は合憲の範囲である。パック3を100台配置しても間に合わない時が必ず来る。しかも案外、早く来る。イスラエルのような自己防衛の知恵と意志の結集が求められている。

 自己防衛力は民族の生命力の表現である。イスラエルにあって、日本民族にないはずはないだろう。

 4月1日の『中国新聞』に広島市立大広島平和研究所の浅井基文所長が「米国の脅威にさらされ続けた北朝鮮が、最後のよりどころとして核兵器を持っていることを理解すべきだ。」と北朝鮮に味方するもの言いをしているのを読んで、日本人は誰も何でこんなひっくり返ったバカな発言をする人間が同じ民族の中にいるのかと訝み、怪しんだ。しかしよく考えると北の言い分を代弁している浅井の言葉には、核の脅威の裏づけがあり、日本の経済制裁には何の軍事的裏づけもない。

 浅井の言葉を怪しみ、憐れみ、かつ笑うことができるのは、明日にも北の核基地を先制攻撃で破壊することに賛成している人だけである。経済制裁は平和的だからこの程度でさし当りまぁいいや、と中途半端に考えている人には浅井を笑うことは決してできないはずである。

3月号の『WiLL』と『諸君!』

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 今月の月刊誌発表の二論考について簡単に報告しておきたい。

 『WiLL』3月号の拙論には妙な題がついている。「『文藝春秋』は腹がすわっていない」(但し表紙は「迷走」)という題である。いうまでもなく先月号の同誌「秋篠宮が天皇になる日」に向けて付けられた題だが、これは私の本意ではない。『文藝春秋』の同論文について述べた部分はわずか10枚にすぎない。論文全体の五分の一である。

 拙論は雑誌で18ページをも占める大型評論だが、皇室問題がすべてではない。「皇室問題と日本の分水嶺」という副題がついている。国家の存立に対する危機意識がずっと私の中でつづいている現われである。

 論文の一番最後の数行に私はその不安な思いをこめている。そこを読み落とさないでいたゞきたい。

 『諸君!』3月号は前回切迫した時間内で二回に分けて書いたと報告したあの論文である。「米国覇権と『東京裁判史観』が崩れ去るとき」という題である。これも私ではなく編集長が付けている。(言論誌の論文の題は編集長の裁量下にある。)

 そもそも現代史に歴史の専門家はあり得ない、否、あってはならない、それが私の今回のメッセージである。

 秦郁彦、保阪正康、北岡伸一の三氏の歴史に向かっていく姿勢を疑問とした。歴史に現在の人間のありふれた信条やドグマを当てはめている。半藤一利、五百旗頭眞、御厨貴の諸氏も同じ方向と見て名を挙げているが、こちらはまだ詳しく取り上げていない。

 現代史を扱う歴史家はなぜ歴史哲学上のイロハを知らないのだろう。歴史は見えない世界なのである。なぜなら歴史は過去の人間のそれぞれの未来像の集積だからである。今回は根源的なところから問いを立ててみた。

 それと関係しているのだが、論文の一番さいごの2ページに「江戸時代と大東亜戦争は連続している」という小見出しをつけた叙述がある。

 前回高校の友人のK君がベトナムやインドで経験した西洋文化の二重性、西洋はアジアに進歩と破壊だけでなく調和と文明をもたらした、というあのテーマに関わっている新たな問題提起である。

 私はたったいま「進歩と破壊だけでなく調和と文明をもたらした」と言ったのであって、「破壊だけでなく進歩をもたらした」と言ったのではない。「進歩」と「破壊」は私の文脈では同義語なのである。

 西洋も18世紀までは「進歩」とも「破壊」とも無関係だったのではないだろうか。もちろん日本も江戸時代まではそうだった。西洋は「調和と文明」と「進歩と破壊」の二面をもつ双面神だった。

 GHQ焚書のことをやっていてしみじみ感じたのは、欧米のアジア侵略は江戸時代にほゞ完了していることだ。戦争の歴史をとらえようとするとき、パラダイム(認識の枠組み)を思い切ってぐんと大きくとらなければいけないと思う。

 3月号の二誌の拙論はこれからの私の思考の起点になるかもしれない。

入学試験問題と私(八)

 今回で「入学試験問題と私」と題したシリーズは最終回とする。とりあえずは先に問題を見ていただきたい。

群馬県立女子大 平成18年度
美学美術史学科推薦入学試験
小論文(120分)

 次の文を読んで設問に答えなさい。

 カミュの『シーシュフォスの神話』のボウトウ(1)部分は印象的である。シーシュフォスは岩を山の頂まで運び上げると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまう。彼はこの無益で、希望のない労働を永遠にくりかえさなくてはならない。神々がシーシュフォスに与えた刑罰であった。この比喩に刑罰を見る問題意識を、おそらくカミュはドストエフスキー『死の家の記録』のあのよく知られたエピソードから取っているのだと思う。ドストエフスキーはシベリアの徒刑地で、懲役の労働が囚人たちに過酷なのは、仕事の内容のつらさではないという。仕事の内容のつらさという点では農民のほうがよほど苛酷なはずだ。けれども、農民には自分のために働いているという目的がある。だが懲役の労働には目的も意味もない。それが刑罰の刑罰たるゆえんである。そこまでは『シーシュフォスの神話』の認識と同じである。

 ドストエフスキーの炯眼①はさらにその先を見ている。彼は囚人たちが他のなにかの労働ではない、例えば家を建てる仕事を与えられていると、にわかに夢中になり、生き生きしてくるさまを伝えている。強制労働で立派な家を建てても、賞金がもらえるわけではないし、刑期が短くなるわけでもない。それでも囚人たちは少しでも具合よく、良い家を仕上げようと一生懸命になるという彼の深い観察のうちに、人間の生きる目的ということの秘密が宿っているのではないだろうか。

 ひるがえってわれわれの市民生活、労働するわれわれの日常生活は、すぐ転がり落ちる岩をふたたび繰り返し山頂にまで持ち上げるあのシーシュフォスの営々たる空しい努力にも似ているといわねばならぬであろう。だからといって、われわれは必ずしも毎日の生活を「刑罰」とは感じていない。否、パスカルのような鋭敏な人なら――彼は生きるとは行く手にあるダンガイ(2)に向かって夢中で走っているようなものだと言っている――、毎日の月並みな生活をも「刑罰」と感じているのかもしれない。しかし世の中の大半のひとびと、われわれボンヨウ(3)の徒は、単調な仕事のなかに、あるいは仕事で得たホウシュウ(4)のなかに、なにがしかの目的を見出している。自分のそれなりに意味のあることなのだと信じている。が、信じきれないときもあるだろう。われわれはそのときふと幻想のヴェールAの裂け目を覗き見て、いいようのない空しさの思いにとらわれたりもするのである。

 しかしドストエフスキーが示唆②するように、人間は物を作るという行為のうちに、それがよしんば小さな物であっても、他人の利益にしかならぬ物であっても、理屈ぬきでなにがしかの満足を感受する存在なのであろうか。もし、それが確かなら、人生の「目的」はどうやら大規模な、大袈裟③な種類のものである必要はない。人間はまったく絶望的な状況のなかでも――シベリアの監獄が絶望的でないはずがなかろう!――自己統一を壊さないで済むだけの生の自足感情を、物を作るというささやかな仕事のなかに見出すことに成功するというこの事実は、人間というもののヒアイ(5)を感じさせるというより、むしろ、人間の強さ、生きんとする意志の強さを感じさせる。

 しかし、これは逆にいえば、人間は時間の完全な空虚――無意味な行為の単調な繰り返し――には耐えられないきわめて弱い存在だというふうにも見ることができるのである。シーシュフォスに課せられた無益で希望のない労働と同一のことを、ドストエフスキーは次のように言う。「もしも囚人に、一つの手桶の水を他の手桶にあけ、それをまた逆に始めの手桶にあけたり、砂を搗いたり、あるいはまた、土の山を一つの場所から他の場所へ移し、それをまた元へ戻すというようなことをさせたら‥…囚人はきっと四、五日も経ったら首を吊るか、でなければむしろ死んでそんな侮辱や苦痛から逃れようと思ってどんな罪でも犯すだろうと思う。」

 この彼の言葉は、完全な「退屈」が人間にとっては最大の刑罰であることを暗示しているだけではなく、じつは、われわれ市民的な日常生活の背後に、いつもこの「時間の空虚」が伏せられていてBわれわれは日々それから目を逸らし④、毎日毎日を小さな目の前の目的(用事)や、関心事や、刺戟や、くだらぬ楽しみことで紛らわし、「空虚」を無意識に埋めているだけではないかという問いをも示唆しているのである。実際われわれの暮らしや仕事もまた、つきつめて考えると「一つの手桶の水を他の手桶にあける」作業の繰り返しのようなものだと自嘲⑤せずにいられぬ一面をも具えている。

 しかしそれを刑罰とも感じないし、苦痛とも感じないのは、われわれが鈍感だからということもあるが、毎日の活動のなかに、なにか物を作る行為に似た行為によって自分で自分を生かす目的なり意味なりをいつの間にか黙って自ずと見出して、その日その日の自分を無言のうちに支えているからだともいえるであろう。否、そうまで自己説明する必要さえない。かりにお前のしていることには目的や意味はないといわれても、われわれはいっこうに動じない。われわれは生きている。その不思議さのほうがはるかに圧倒的に大きいといわねばならないのかもしれない。

 私の言いたいのは、つきつめて考えると、この人生に生きる価値があるのかどうかを問うことをわれわれはある意味では封じられているということである。Cそういう問いが心中に湧き起こるのは自然なことであり、いかにも避けられない。われわれの生には究極的に目的も意味ないのかもしれない。そう問うことは自由であり、可能である。けれども人生は無価値だと断定するのもまた虚偽なのである。なぜなら、人間は生きているかぎり、生の外に立って自分の生の全体を対象化して眺めることはできないからである。

 われわれは自分の人生の価値について客観的な判定者になれない。そのような判定者になれるのは、われわれが自分の生の外に立ったときだが、そのとき、われわれはこの世にはもはや存在しないのである。したがって生きているかぎり、われわれは自分の生を総体として把握することを封じられた存在であって、仮説をあれこれ立ててみる自由しか与えられていない。

 さまざまな問いを立て、仮説を試みることは可能だし、一方で大切なことだとは思うが、われわれがいま現に生きているというこの単純な事実の外部にあたかも立脚点を持つことができるかのようなあらゆる立論は空しいシニシズムに終わることもまた、われわれがわきまえておかなくてはならないもう一つの問題点である。

(西尾幹二『人生の価値について』1996年 新潮社)

(注)シニシズム…社会風習や道徳・理念などを冷笑・無視する態度のこと
【設問】
問(1)傍線部①~⑤の読みを書きなさい。
①炯眼  ②示唆 ③大袈裟 ④逸らし ⑤自嘲

問(2)傍線部(1)~(5)のカタカナを漢字に直しなさい。
(1)ボウトウ (2)ダンガイ (3)ボンヨウ (4)ホウシュウ (5)ヒアイ

問(3) カミュとドストエフスキーが主に活動した国の名前と文中で挙げられていない著作一点をそれぞれ答えなさい。

問(4) 赤線部Aの「幻想のヴェール」とは何を指しますか。30字以内で答えなさい。

問(5) 青線部Bの「われわれの市民的な日常生活の背後に、いつもこの「時間の空虚」が伏せられている」という著者の考えについて100字以内でわかりやすく説明しなさい。

問(6) 著者は、緑線部Cのように、「この人生に生きる価値があるのかどうかを問うことをわれわれはある意味では封じられている」と言いながらも、さまざまな問いを立て仮説を試みることを否定していない。この著者の主張に対しその根拠を説明し、あなたの考えを600字以内で述べなさい。

 問(3)でドストエフスキーのロシア、『罪と罰』くらいは答えられるだろうが、カミュのフランス、『異邦人』(あるいは『ペスト』)は、はたしてどうであろう。今の女子高生の常識のレベルを私は知らない。

 問(4)は直前に書いてあることばを拾えばよいのだから易しいが、問(5)も問(6)も容易でない。ことに問(6)は600字で、点数も最高であり、これは大変である。私は若い受験生が120分間四苦八苦している姿を想像して、断然同情的になってしまう。

 問(6)は私にだって答えられない。誰にも答えられまい。原則的にそういう問いである。ただし人生の経験をつみ、年をとれば深いことばが書けるというものでもない。若い頭脳は死を思うこと多く、案外に哲学的なのである。

 比較的最近の出題例から、八回にわたってタイプの異なる問題を選んでみた。まだ他に数多くあるが、手許にすぐ見つかるかたちに保存されていない。

 高校入試の問題も予想外に多いらしいが、これは送られてこない。代りに問題集を出版する会社から掲載許可ねがいがくるので、予想外に多いのだと気がつくのである。

 他に河合塾とか代々木ゼミとかの模擬テストの採用例となると何倍もの数になり、数え切れない。一年の終りに使用リスト一覧と謝礼金が送られて来て、どの本から年間何回ぐらい使用されたかが分るが、詳しく見ていない。

 受験生は大変だなと思う。自分が受験生だったときのことを思うと、点数を稼げるのは暗記物(私の場合は「日本史」と「世界史」)で、国語というのはうんとひどい点にもならないが、高得点も望めない教科だった。

 いくら勉強しても点のとれる保証がない。それが国語である。私の若い時代からそうだった。私の著作からの出題例をみても同じことがいえる。誰にも答えられないような人生そのものへの問いが出題されているのだから、受験勉強は何の役にも立つまい。

 受験生はうんと本を読みなさい、などと指導されているだろう。しかし本をいくら読んでも、いい答が書けるとは限らない。

 つまり国語に関しては受験勉強なんかしない方がいい。してもしなくても同じである。私は高校生の頃にそう思っていたが、今の問題群をみてもやっぱりそう思う。

 受験は評点をつけて人を評価する制度である。いくら勉強しても準備として役立たない国語は、出題側がどうしても無責任になるし、受ける側は無保証の不安定の唯中に立たされることになる。しかもそれで評点をつけられてしまうのである。

 人生そのものの理不尽に似ているのかもしれない。国語は人生の不条理そのものかもしれないな、などとふと思う。