皇室と国家の行方を心配する往復メール(一)

 友人の鏑木徹さん(一級建築士事務所 空工房代表)から、メールをいただいた。皇室と国家の行方を心配した内容であった。私も応答した。多くのかたがたにご関心のあるテーマと思われたので、二往復分の内容を公開する。

鏑木さんから西尾へ

西尾先生
突然メールいたしますことお許しください。
坦々塾生の鏑木徹です。

秋篠宮殿下が「皇族は少ないほうがよい」と御発言されました。
昭和天皇が三笠宮様を疎んじておられたという話や、今上天皇も皇族にしては大胆な発言が多すぎる寛仁親王など三笠宮家の方々に不信感を持たれている結果が、秋篠宮殿下の御発言に繋がっているのではないかと考えます。

もしこの考え通りに皇室が天皇直系のみとなったら、工作機関の皇室破壊・日本崩壊工作がやり易くなります。

いずれ天皇が平民宣言され、慈善団体のひとつとなられるのではないでしょうか。
ある会合で皇族系の慈善団体の方が、北朝鮮擁護のスピーチをされるのを聞いたことがあります。すっかり皇族系の能天気さが厭になりました。

すでに雅子妃による皇太子家工作はほぼ完成されつつあり、天皇皇后への工作も大分進んでいる様に見えます。

雅子妃の精神病は、西尾先生がおっしゃる通り仮病ではないでしょうか。
多分に小和田家を経由するコミンテルン等の工作ではないでしょうか。
今、大東亜戦争時のフランクフルト学派コミンテルンの工作を書いた若狭和朋さんの本を読んで衝撃を受けています。

雅子妃は病気を理由に皇太子を巧妙に籠絡し、愛子様を洗脳し、そして天皇皇后の孫可愛さの優しい心につけ込んでいる気がします。

たぶん、皇太子を身近には近づけないのでしょう。お労しい限りです。

愛子様不登校のモンスターペアレントのごとき雅子妃の行動は、皇室を貶める工作のひとつではないでしょうか。

国民の心を平民の情感レベルで皇室に近づけることで、結果、神々しい天皇(皇室)観がどんどん無くなっていきます。

そして国連施設などに出入することも、もし健常者であったならば大変な非難が起こり通うことは不可能になるでしょう。

日本崩壊を狙う勢力は天皇を落とすのが一番だと知り尽くしています。
昨今の男系女系の皇位継承問題も、何か仕掛けられているような気がしてきます。
それに乗って詰り合う、小林よしのり・桜チャンネル水島社長を見ていると、参院選を前にして保守陣営の分断を操作されているような気がしてなりません。

この前の西尾先生の講義で、これから先生の扱うテーマは国体及び政体の話になると推察しました。
そして天皇の御親政の再現に言及されるのではないかと思っております。

もはや日本は、政治家の精神が腐敗してしまい、政体・政治形態の変更に着手しなければ、閉塞状態から抜け出せないのではないかと思います。

今回の平沼新党も下手をしたら、自民党、民主党と同じ様な政党がもう一つ出来た、ということに成らないでしょうか。

以上、最近の思いを述べさせて貰いました。

私は今風邪を引きまして、苦しんでおります。
気候の変わり目で体調維持が難しい時期です。
先生は皆にとっても大事なお体ですので、体調に十分お気をつけ下さい。
失礼いたしました。

鏑木徹 拝

西尾から鏑木さんへ

鏑木徹様

 メールをありがとうございました。率直なお言葉で書かれてあり、あっあっと思いながら一息に読みました。衝撃的な内容でした。

 とりわけ「いずれ天皇が平民宣言され、慈善団体のひとつとなられるのではないでしょうか。」の一行に目が釘づけになりました。そこまでお考えになっているのですね。

 私などはまだ甘く、夢想的です。無理のないかたちでの旧宮家の復活や眞子様・佳子様とのこれも無理のないかたちでのご縁組が実現すればいいが、とまだ楽天的に考えています。しかし貴方がすでに仰せの通り、天皇家の側がそれをもう望んでいないのかもしれませんね。

 なにしろ情報不足なのです。秋篠宮家が学習院ではなくお茶の水附属の幼稚園を選ばれたのも、真意は分りません。東宮家の愛子内親王と共学になるのをお避けになった、というのが一番有力な理由かと思っていますが、それもわれわれ一般民衆の考えかもしれません。そうではなく、眞子様がICUに進学された例も含めて考えて、皇族の行かない一般の普通のコースを理想としていて、それが貴方の言ういわゆる「平民宣言」の準備なのかなと思うと空恐ろしいですね。ですが、単純に三年保育の幼稚園を求めたということにして余計なことは考えないでおきましょう。

 でも、皇室が旧皇族を避け「天皇直系」のみとなったら、貴方のいう通り先細りするだけであり、ますます工作機関の破壊工作はやり易くなるというのは本当のことですね。工作機関は今はコミンテルンではなく、中国系であったり、アメリカ系であったり、宗教系であったり、いろいろです。皇室の外務省支配を私は憂慮しています。それから何度も書いてきましたが、長期にわたる雅子妃のたった一人の担当医による情報独占は恐ろしいのです。

 それからまた、貴方のいう通り、いまその時期でもないのに、小林よしのりさんや水島総さんが男系女系の皇位継承問題を論争し合うのは妙ですよね。悠仁親王殿下がいらっしゃるので、いま急ぐ問題ではないと世間は考えているでしょう。秋篠宮家の眞子様佳子様にずっと皇族のまゝでいてほしいと私も思いますので、皇室典範改正はこの点早く手を打ってもらいたいのですが、このことと女系天皇是非論はまったく別の問題ですから、にわかに最近女系天皇を求める声が一部で高くなっているのはなぜか奇妙に思えてなりません。誰かがあせっているのでしょうか。

 ご文章で分らない個所があるので教えて下さい。皇族系の慈善団体の方による北朝鮮擁護のスピーチとは、誰がいつ何を語ったのですか。若狭和朋氏の本は、私はまだ十分に読みこんでいないのでちょっと分らなかったのです。どの本のどのページに何が書かれてあるのですか。少し引用して教えて下さい。それから、私の方からはTHEMIS 2月号の次の記事をご紹介しておきます。

 雅子妃が父の小和田恒氏を尊敬し、完全にその精神的影響下にあるという関係者の言葉を紹介したあとで、

 そんな状況におかれた皇太子ご夫妻と小和田家の内情に目をつけたのが、中国共産党を中心とする対日工作部隊である。前述したように中国政府は、「日中国交正常化40周年‘12年」に向けて皇太子ご夫妻の訪中を水面下で働きかけているのだ。

 亡くなった中川昭一氏が生前、こんなことをいっていた。

 「モスクワ時代、小和田家のアパートにはレーニンの写真が飾られていたという。中国政府がこの情報をどう使うか考えると怖い・・・」

 裏情報にも長けていた中川氏の予測が、杞憂に終わればいいのだが。

 寒かったり暑かったり気候不順の折、一日も早く風邪を治して下さい。
 お元気で。

                西尾幹二

ある哲学者の感想

 12月12日に『保守の怒り』をめぐって坦々塾で3時間もかけて討論した。みな異口同音に認めたのは平田文昭氏の、思いもかけない発想に満ち溢れた強靭な思索力と鋭い現実分析力だった。新しい思想家の誕生を見る思いがした。しかし討論会は「保守」概念をめぐってやゝ迷走し、肝心な論題になかなか踏みこめなかった。

 数日後に坦々塾の会員ではない人で、昔からの友人の山下善明さんから『保守の怒り』の読後感が届いた。山下さんは明星大学教授、哲学がご専攻である。ドイツの出版社から、ドイツ語で書かれた立派な哲学書を出されている方だ。

 以下に、いかにも哲学者らしい独特な解釈に基く読後感を紹介する。「保守」概念に一石も投じている。平田さんがどう思うかは聞いていないが、私はこの考え方に共感している。

西尾幹二先生へ

前略失礼します。
『保守の怒り』読了しました。

 私は先回の総選挙でも自民党に投票しました。ところが鳩山新首相によりますと、今度の選挙は「民主党の勝利ではなく国民の勝利である」のだそうです。自民党に投じた私は、非国民、反国民ということになります。そしてこの度御両名の「怒り」に触れました。正に踏んだり、蹴ったりです。

 農家の次男坊として田舎を離れてしまった私は、ずっと「農家の長男」に頼らんとして、自民党に投票して来ました。その一代目が岸~佐藤、二代目が三角大福中でした。竹下、小渕、森はまだしも二代目の名残りでした。そして三代目が安倍、福田、麻生でした。鍬も鋤も持ったこともないこの三人。(鈴木、小泉は漁師の息子ですが、小泉は博奕打ちに身を俏しました。海部、宮沢などは養子の一言でいいでしょう)

 平田氏も同じ考えのようです。氏は言う「自民党に言いたい。共産主義を退治したのは成長と分配に配慮した経済政策と智恵のある政治であって、つまり民に飯を食わせ、その家族に墓、正月とお彼岸を守ったからです。・・・勝利は堅実な政策と国民の常識と勤労によって勝ち取られたのです。」(P.270)

 「国民の常識と勤労」は敗れて、今や非国民、反国民となりました。「墓、正月とお彼岸を守る」ものとて無く、今やそれらは打ち捨てられました。守る「長男」はいなく、荒れるがままになりました。西尾氏は自分よりはるかにラディカールだと言うが、平田氏は決してラディカリストではない。そのradixを農にもつ氏が、どうして急進主義者でありえよう。平田氏が「もの言わぬ、しかし堅実な日本人生活者こそ、そしてそれこそが保守ですが、ぎりぎりのところで皇室を支えているのです。」(P.234)という時、堅実な日本人生活者と皇室を余りに短絡したか。いいえ。氏も言うが如く「この瑞穂の国を治める君主たるべきものであるという神勅によって皇室は存在している」(P.153)のですから、堅実な日本人生活者、「墓、正月とお彼岸」を守る農民民草は、まっすぐ天皇に絡がっているのです。

 「万世一系」とは、「国土」が万世一系ということです。天皇は「領土」の皇帝emperorではなく「国土」の天皇なのです。しかし「国民が勝利した」今、日本の国土は「日本国民だけのものではない」んだそうです。つまり、「国土」はなくなりました。皇室も民営化されると思います。「旧郵政省のある霞ヶ関の土地。あれは普通だったら絶対手に入らないですけど、民営化してしまえば手に入ります」(P.43 )、皇居のあるあの超一等地も。

 どうして、こうなったのか。

 平田氏は語る、「靖国史観では全戦没将兵は忠勇無双で陛下の万歳を唱えて死んでいった。そこに功績の優劣はない。従軍した戦争はすべて聖戦です。しかし参謀本部や外務省であれば、作戦の得失、用兵の成否、政略の巧拙など、冷酷な検証がなされてしかるべきでしょう。この両者は並存し得るし、しなければならない。左右ともこのことがわかっていない。」(P.241)

 この両者とは何か。それは「戦争」の「戦」と「争」の両者のことです。左は「争」だけ見て「戦」を見ない。右は「戦」だけ見て「争」を見ない。だから「左右ともこのことがわかっていない」。左はただの「争い」反対でしかないのに、平和主義の使徒だと思っている。争いを避けて「相手のいやがることをしない」小心卑劣な「親(シン)」が「和」だと思っている。「国土」の和人が再び倭人になってしまっていることにも気付かずに。

 右はどうなのか。確かに戦は平田氏の言う如く必ず聖戦です。しかしその戦いの美しさに、美談に見惚れてしまっている。左が平和主義の自分に自惚れているのよりは少しはましでしょうが。

 農民なら知っています、自然との「戦い」においてすら自然との「争い」を避けえないことを。平田氏が「保守の人は経済を語らず、語れず、政治の人は経済に疎く」と言うのなら、私は言いたい「保守の人は鍬も鎌も握らず握り得ず」と。

 『江戸のダイナミズム』への私批評(傍線)でも申しましたことを図にしますと。

  自然B(ジネン)「善悪の彼岸」(P.321)
線b________________________宿命「運命」(P.122)

       戦い
歴史・・・・・・・・・・・・・・善悪の渦流
       争い

線a_________________________
  自然A(シゼン)善悪の此岸

 左の人は、争いしか見えませんから、争いを避けて、自然Aに落ちます。そこは善悪の此岸として対立なきところですから、「善人」となれます。中曽根元首相は鳩山を評して「政治は形容詞ではなく動詞でやるもの」と言ったそうですが、「善人」鳩山は、政治家としてどころか、その人生そのものに動詞がありません。

 右の人は折角の「戦い」も、争いなく、従って自然Aもなく宙に浮いています。西尾氏は「60年間論争疲れしているのですが、どうしても最後の一歩が踏み出せないのです」(P.118 )と言いますが、最後の一歩も何もない、そもそも踏み出す脚がないのです。自然A(シゼン)に立脚していないから、自然B(ジネン)に出る動力をもたないのです。勿論自然B(ジネン)は出るところではありません。

 親鸞の言葉で言えば、「善からんとも悪しからんとも思はぬ・・・・・形もましまさぬ故に自然(ジネン)と申し候ふ」でありますから、「ある」ともいえませんから、出るところではありません。しかしそこに出でんとする動力があってのみ、線a,即ち運命、宿命があります。「ゲーテが見た、神と自然が調和した秩序」(P.325)があります。「歴史はすべて肯定、善も悪も含めて肯定されるべきもの」と西尾氏が言う所以のものがあります。線aが見えない限り、「歴史の内側ばかりみて」(P.115)いることになります。思想が見えず、現実が見えず、「現実が見えないから現実と戦う(傍線)こともできない」(P.73)

                                 敬具 
山下善明

 なかなか難しい言葉遣いだが、「戦争」の「戦」と「争」の両者は並存し得るし、しなければならないのに、ばらばらに分離して、左の人も右の人もそれぞれ線aと線bの外に出してしまって宙に浮いている。日本人がこれを克服しまともになるには「農」に立脚した自然への回帰が必要だと仰有りたいのだろうか。少し単純化して分り易く私なりに読み直すとそういうことかと考えてみたが、山下さんは平田氏の思想に一つの哲学的な解釈の図解を示して下さったのである。

 もう一度読み直していただきたい。いろいろ含みのある、山下さん一流の、現代日本批評になっているように思える。

コラム「正論」(その一)

 足立誠之さんから以下のようなお励ましのおことばを頂戴しました。
感謝して掲示させていただきます。

西尾幹二先生

 前略、本日のコラム「正論」拝読いたしました。
 
 雑誌「正論」6月号で鋭くご指摘されたと同様、北朝鮮問題の本質を鋭くご指摘されたことで目を覚ます日本人もでてくると信じます。
 
 残念なことに、今日本が北朝鮮の核施設を破壊しなければ米国も中国もなにもしないで時を過ごし、核を搭載したノドンの前に日本が屈服するかたちに追い込まれるということを、政治家の誰一人口にしないのです。議員の一人としてそうした声を発するものがいなければ、アメリカも中国も北の核武装解除に動くはずはないのにです。こうしたことすら口にしない議員しかいないのは残念です。

 5月13日のコラム「正論」では岡崎久彦氏が、日朝国交正常化を日米共通の武器として対北交渉に当たれと論じました。その翌日名前は忘れましたがどこかの教授が、保守主義者に現実的になれと述べていました。これを読んで産経新聞はもう終わりだと思った次第です。
 
 特に岡崎氏にはあれほどアメリカに裏切られながら、日本の貴重な外交カードを裏切って間もないアメリカと日朝国交正常化を持ち出すという神経では、もう岡崎さんもおしまいだと思いました。

 先生の論文が世論を動かし、議会を動かし、政府を動かし、日本を動かすように我々も努力しなければならないと思います。
                                       足立誠之拝

 足立さん、ありがとうございました。
 本日のコラム「正論」の大意は10日ほど前にこの日録に書きました。丁寧に論を整えて先々週の終末に新聞社に渡しましたが、なかなかのせません。
 
 最初ゲラについていた見出しは「覚悟なき北制裁継続こそ危険」で、まあいいと思っていました。そして、昨日核実験の報道があったので、新聞社はやっとのせてくれました。

 ただし、見出しは承諾なしに変更されていました。
 
 新聞でご覧のとうり、「敵基地調査が必要ではないか」になっています。私の趣旨は、経済制裁はすでに日本の宣戦布告に等しく、明日ノドンを打ち込まれても不思議はない、日本人の大量核爆死を防ぐには敵基地破壊のほかに方法はなく、アメリカや国連に期待する時期はおわりつつあり、覚悟なき経済制裁はかえって危険である、したがって敵基地調査が必要であり、専門筋から知りえた限りでは、自衛隊の戦闘爆撃機で十分に対応できる、というものです。
 
 「専門筋」とは田母神さんのことです。
 
 足立さんがご推察のとうり、産経新聞は見出しの表現をわざとずらして、やっとのせてくれたのです。
 
 経済制裁は戦争行為という思想はパリ不戦条約の発案者からきています。私の論理を新聞で確認してください。
 

坦々塾(第十三回)報告(二)

 3月14日の坦々塾のことはすでに一度報告がなされている。その後私のあの日の講演についていくつも感想が送られてきた。最初にご紹介するのは坦々塾の事務局長の大石朋子さんのコメントである。
 

先生のお話の中で、日本は戦争の目的は自存自衛であったがアメリカの目的は何だったか?
私はこの事については考えたことがありませんでした。

ヨーロッパと異なりアメリカは輸出国になって植民地を求める必要がなくなったので戦争を行う必要は無いということですよね?
ヨーロッパ諸国と違い戦争に慣れていなかったから、日本という国に対して恐怖だったという理由だけで戦争し、原爆を落としたのだとしたら、アメリカほど罪深い国を先進国として見習ってきた日本の教育は、つくる会の教科書により歴史を学び直す必要があるということを改めて感じました。

そして西尾先生のGHQ焚書図書開封を多くの人に読んでもらいたいと思いました。

日本はアメリカをヨーロッパの一国と勘違いしていた。
ヨーロッパには有る秩序が、アメリカには無いという事を理解できなかった。
そういう勘違いは私達の身近なところでもあることで、外交の難しさは当時のまま今に至っていると思えます。

私は先日の黄文雄先生の講座を受講したときの事を思い出し、逆にアメリカは日本と中国を同じアジアの国として一つに考えて本当の日本の姿を理解していなかった為、叩きのめすということに躊躇しなかったのだと思いました。
同じように日本がアメリカを理解していなかったのですから、お互いの理解不足から戦争が起きたと考えて良いのでしょうか?

ここ何年かでアメリカが中国に近づき始めたことは、足立誠之さんに以前お話いただいたUSCCを考えると、両国が近づいたから親しくなったと考えるのは間違いであると思います。
日本は情報収集が容易な国であることは中国と比べようがありませんがUSCCの研究が物語っているようにアメリカが中国の情報を収集しようとしているエネルギーを知ると、真のパートナーと考えているとは思えませんが、アメリカと中国で建築基準法を国際基準にしようと日本の頭越しに約束しているところを知るとこれまた自国の利益に走るアメリカの真意が疑問です。

今日の西尾先生のお話でそんな事を考えました。

文章:大石朋子

 日本はなぜアメリカと戦争をしたのか、とばかりわれわれは問うて来て、アメリカはなぜ日本を相手に戦争をしたのかと日本人はこれまで問わないできた。

 アメリカの鈍感さと無作法ぶりは、金融危機以来ますます目立ってきた。1920-30年代のアメリカの無軌道ぶり、傍若無人が問題のすべてだった。歴史は新たに読み直される必要がある。日本人の負け犬根性を叩き直すためにも、歴史が鍵である。

 いま発売中の西村幸祐責任編集の『世界に愛された日本』(撃論ムック)の私の連載第7回「アメリカはなぜ日本と戦争をしたのか、と問うべきだ」(一)に、坦々塾の私の講演の前半部分が掲載されている。

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 さて、坦々塾の会員の浅野正美さんが次の感想をくださった。立派なご文章である。私を過分に褒めて下さっている部分だけ削ってご紹介しようと思ったが、それも不自然になるので原文のまゝにする。私は少し羞しいし、知らぬ第三者の読者は鼻白むかもしれない。

 浅野さんは(株)フジヤカメラの営業部長さんで、49歳である。一度だけご一緒にお酒を飲んだことがある。そのとき彼が私を評して「西尾先生はご損な性格のかたですね。」と仰ったことばに私は少し傷ついた。

 私が何でも大胆に発言するのを損な役割だと評する人は世に多い。私は私なりに慎重な発言をしているつもりだが、他人から見るとそうではないらしい。

 たゞ私は損をしているとか得をしているとかいわれるのが好きではない。浅野さんにそう言われたとき少しムッとなった。私の文業が実績どおりに社会から評価されていないのを哀れと思って彼は「損をしている」と言ったらしいのだが、そう言われると私はますます不愉快になった。

 私には私の「神」がいるのだからご心配には及ばぬ、と言いたかったが、そのときは黙っていた。次に掲げる感想文を今度拝読して、私は浅野さんを誤解していることに気がついた。そしてホッと安堵した。有難いと思った。

 浅野さんは私が考えていたよりもずっと深い処で私を理解してくださっていると判ったからである。

 以下はそんないきさつがあってのご文章である。私のこのような心の内側の打ち明け話に浅野さんもきっと今びっくりされるているだろう。

毎回の西尾先生の講義を拝聴し、それぞれの講義のために費やされたであろう多大な事前準備と、思索の深さにいつも圧倒され、襟を正す思いがしています。先生のお話には独特のリズムとメロディーが感じられ、名曲を楽しむ心地に似た感興も味わっています。これは、活字にはない臨場感と一回性によるものだと思いますが、そうした場に居合わせる幸福は、私の生活にとって何よりも贅沢な時間となっています。

それぞれの講義と精力的なご執筆からは、いつも深い感銘と刺激を受けて参りました。無学な私が感想をなど大それたこと、もとよりお忙しい西尾先生の貴重なお時間をお煩わせすることは本意でないと考えておりましたが、勇気を持って書かせていただきました。

前回の坦々塾のことに限定せず、この一年余り、先生の謦咳に接する機会を得た中で受けた思いを述べさせていただきたいと思います。

この一年、先生からはたくさんの話題が講義や活字で語られてまいりました。金融危機に始まる世界経済の問題。雅子妃殿下をその本質とする皇室問題。三島由紀夫。田母神発言。焚書図書開封。そしてそれらすべてに通奏低音として流れている歴史認識問題。先生は常々、歴史とは現在の人間が過去を裁くためにあるのではないといいます。

また年代記の羅列や、事実とされていることだけを客観的に重視することにも異を唱えます。歴史とは、そのとき、その場に居合わせた人間の営みが産み出した悲喜劇であり、人間の存在とその思考結果、未来に対する期待を考慮しない歴史叙述は不毛であるとして、そういった歴史認識を徹底的に批判します。

歴史は未来からやって来る。

歴史に事実はない。事実に対する認識を認識することが歴史観である。

事実は動く。登山者の目に入る眺めが一歩ごとに変わるように。

相対性の中に絶対を求める。

上記の言葉は、講義の中で先生が語られた中から、特に印象に残ったものをノートから拾い出したものです。どの言葉にも、歴史の本質を捉えるにあたり、我々が肝に銘ずべき事柄が,短い表現で的確にいい表わされています。複雑極まりない人間の綾なす歴史を考える上で、大変示唆に富んだ表現となっています。愚鈍な私は、歴史とは通史のテキストを読めば学習できるものと考えておりましたが、そういった無機質な歴史理解こそ最大の誤りであったということを思い知らされました。

藤原定家は、古今集を編纂するにあたり、「文学は経国の大業にして不朽の盛事なり」といいました。定家は文学の意味を、物語、詩歌に限らず、言葉で書かれたあらゆる事象であると解釈し、物語を小説、歴史を大説と定義、物語も歴史も哲学も宗教も、およそ言葉で書き記されたものはすべて文学であると、そのように考えていたといいます。先生の歴史に対する真摯なお姿と、同胞に対する限りない慈しみや思いを伺いながら、先の定家の言葉をふと思い浮かべました。何かが共通するというのではないのかも知れませんが、先生の歴史観には文学者の視点があると感じておりますので、定家の言葉を連想したのかと考えています。

文学とは、何よりも人間の本質を追究することに主眼があるとすれば、人間が引き起こす歴史から学ぶということは、紛れもなく文学的な営為ではなかろうかと、そんなことをぼんやりと考えています。

かつて先生は、建前や偽善は、それをつねに言い続けることで、いつかそのことが習い性となってしまい、何ら本質に触れないきれい事だけの社会が醸成されてしまう、ということをお話しになったことがあります。人間が人間と関わり合って行くためには、そのような社交術は不可欠でありますが、個人も国家も利己的な存在であるという最低限の認識を持たないナイーブさは、とても危ういものに思えます。

話はそれますが、私の子供達が在籍した小中学校では、10年以上同じことを言い続けています。一つは「夢は必ずかなう」であり、もう一つは「地球温暖化防止」です。温暖化がブームになる前は「地球環境に優しく」でした。

授業でも、課題でも、また折々の行事の訓話においても、必ずこの言葉はセットで語られています。私も負けずに、我が子に向かって「夢は滅多にかなわない」「温暖化防止よりも大切なことがたくさんある」と言い続けなければなりませんでした。「夢は必ずかなう」などということが嘘であることぐらい、現場の教師はとっくに知っているにも関わらず、事なかれ主義と大勢順応で子供達に誤った考えを浸透させています。

普通の認識力があれば、ある程度の年齢を重ねることで、そういったことは幻想であることに気がつきますが、恐ろしいことに、多くの愚かな母親がその言葉を信じてしまうという現実が出来してしまいました。

偽善というものは、見かけは正しく、美しい言葉で飾られていますが、実体はただのきれいごとに過ぎません。そんな理想的な社会は決して実現しません。教育もマスコミも、自分のことは棚に上げて建前ばかりを喧伝して恥ることなく、社会にはそれを是とする嫌なムードが蔓延しています。営利を目的とする企業経営者の中にもそういうことを言う人が見受けられます。

多様性の中に絶対を求める。その多様性が、外の国からもたらされ、それを絶対として信じてきたのが戦後の日本人でした。自らの相対を、我が国の絶対にすり替えたのは、米国であり中国・韓国でした。さらには、相対そのものを捏造するというところにまで、事態は進んでしまいました。今や日本人が内部から外部の相対を絶対視するまでになってしまいました。自ら考えることを放棄した結果でしょうか。

人間は自ら考えることをしなければ、どんなに誤ったことでも信じてしまうほどに弱い存在であるということを、最低限このことを肝に銘じていきたいと思います。

先生の歴史観から受ける何よりの感動は、つねに人間を通して歴史を見るという姿勢にあります。人間の考えは実証できない、などという言葉の何と虚しいことかと思います。人は平気で嘘をつきます。

自らの利害のためであれば、他人をだますことも裏切ることもあります。その同じ人間が高い使命感や、理想のために、自己犠牲もいとわずに行動することもあります。一個の人間の中にすらこのような矛盾する要素が同居して、平気で折り合って生きています。先生は哲学や文学を通してつねにこの不可思議な人間の本質を追究してこられたからこそ、歴史の解釈に血が通っているのではないかと思います。

今でも印象的な場面があります。先生が小学生時代のこと。尊敬する人物として豊臣秀吉をあげたところ、教師から「秀吉は封建主義者だからだめだ」と言われます。それに対して小学生の先生は、こう反論します。封建時代に生きた人間が、封建主義者であるのは当たり前である。人は生まれた時代と、時代の価値観からは逃れられないのであり、その制約の中で精一杯生きていくしかないではないか。その論理でいけば、将来民主主義が否定されれば、あいつは民主主義者だったからだめだ、といって現代の人間を否定することになる。坦々塾に集うほどのメンバーであれば、民主主義の欠陥や欺瞞性は充分わかっていますから、この件では、場内拍手喝采となりました。

前回の坦々塾では、今もまだ厄介な隣人である米国について、何故米国は日本と戦ったのかという疑問が堤呈示されました。米国という国は、腑に落ちない行動ばかりする。いい加減で大袈裟、相手にすると途方に暮れ、世界が翻弄されてきた。知性は幼稚で幻想的である。

日本と欧州は、歴史的に封建時代を経験している。また、ルネッサンスや宗教改革といった文化体験も積んできた。そういった歴史の蓄積によって、双方の社会には文化的成熟が蓄積された。

文化の基底に理解し合える土壌があるが、米国と中国はそういった体験を経ていないため、無秩序である。この話を聞いて日頃疑問に感じていた両国の、大人になりきれていないような振る舞いに納得がいく思いがしました。

その幼稚さがディズニーランドや、大袈裟で騒がしいだけのハリウッド映画を産み出す原動力になっているのかも知れませんが、日本がそういった米国娯楽マーケットの有力な得意先になっているという情けない現実も一方にあります。

勉強会の終わった後、会場でとったノートをもう一度書き写すようにしています。その場では書けなかったことも、思い出せることは付け足すようにして、毎回復習をしています。そうそうたるメンバーの皆様を拝見すると、気後れすることばかりであります。不肖な教え子ではありますが、これからも祖国への強い思いを、先人が未来に向けた理想と期待を、歴史を通して現在を見るという姿勢を貫いて行こうと思っています。

坦々塾の塾生でいられる幸運をかみしめつつ。        文章:浅野正美

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非公開:4月号の『WiLL』と『諸君!』(三)

 今日は個人的感情を隠していない「応援歌」のような二人の友人のメールをご紹介する。こういうのを頂くのも有難いし、うれしい。

 その前に冒頭に出てくる『諸君!』の廃刊については、ただただ驚いているだけだということをお伝えし、後で感想を述べる。最初のメールレターの主は元『逓信協会雑誌』編集長の池田俊二さん、私の『人生の深淵について』の生みの親であり、洋泉社親書の『自由と宿命・西尾幹二との対話』の相手をして下さった方だ。旧友の一人といっていい。

 『諸君!』(近く廢刊になるさうですね)での對論についての、尾方美明さんと足立誠之さんの感想、實にいい點を突いてゐますね。
秦といふ人については、尾方さんのおつしやる「愛情が決定的に不足」が全てでせう。何故さうなるのか、私からすれば、單なるバカだからとしか言ひやうがありません。

足立さんの「秦氏は木っ端微塵に碎けた」にも、完全に同感です。まともな眼で見れば、それ以外に評しやうがないでせう。しかし、本人も、多くのジャーナリズムも「碎けた」とは感じないのではないでせうか。そして、今後もイケシャーシャーと、「西尾さん、本來の持ち場にお歸りなさい」などと言ひ續けるのではないでせうか。

先生が「相手として戰はなければならない今の時代の典型的な『進歩的文化人』」5人の一人として、秦氏を擧げられる所以でもありませう。

「今の時代」にあつては、連中と「戰ふ」ことが、先生の責務とされるのでせう。それは否定出來ません。しかし、私としてはまことに悲しい。最高の知性が、あのやうなゴミを相手にせざるを得ないとは! ゴミは我々大衆が處分すべきです。そして、先生は『江戸のダイナミズム』のやうな、ゴミとはかかはらないお仕事に專念されることを願つてきましたが、大衆がかくも怠惰・魯鈍では、さうは問屋が卸しませんね。

「後世に遺る」といふことが、私の念頭にありますが、一方、少しでも時代の要請に應へる――時の風潮を匡す――ことも大切ですから。「朝まで生テレビ」にお出にならざるを得ないのと同じことですね。

まあ、この世も、人生も思ひどほりにはゆかないものですね。折角御健鬪を祈り上げるのみです。

 ありがたい「応援歌」でもあるが、大切なことを要請されてもいるのである。『ツァラトゥストラ』に「市場の蠅」という一節がある。

 市場においてだけ人は「賛成」とか「反対」とかの問いに襲われるのだ。市場と名声とを離れたところで、すべての偉大なものは生(お)い立つ。

 およそ深い泉の体験は、徐々に成熟する。何が己れの深い底に落ちてきたかがわかるまでには、深い泉は長い間待たねばならぬ。

 逃れよ、私の友よ、君の孤独の中へ。私は君が毒する蠅どもの群れに刺されているのを見る。逃れよ、強壮な風の吹くところへ。

 君は小っぽけな者たち、惨めな者たちの、余りに近くに生きていた。目に見えぬ彼らからの復讐から逃れよ。君に対して彼らは復讐心以外の何者でもないのだ。

 彼らに向かって、もはや腕をあげるな。彼らの数は限りがない。蠅たたきになることは君の運命ではない。

 池田さんは私に「蠅たたきになるな」と言って下さっているのである。肝に銘じたい。

 『諸君!』編集長の内田さんは私の『江戸のダイナミズム』を総力を挙げて編纂し、出版してくださった担当編集者である。二年前『諸君!』のチーフになったとき、私たちは私の仕事について相談し、私はなんらかの形での十八世紀論を連載することを彼に提案し、了承されていた。しかししばらくは現代との格闘をして欲しい、とも彼は言って、その間に準備を進めることになっていた。

 私の準備は遅れがちであるが、今でもこの計画を変えていない。『江戸のダイナミズム』は言語論、宗教論だったので、今度は十八世紀の中国と西欧に対する江戸の政治論、外交論を書きたいのである。私の「鎖国論」でもある。

 西欧にではなく中国に対する「鎖国」が問題の中心であったことを今までの人は見ていない。また、大東亜戦争につながるイギリス、フランス、オランダ、ロシアのアジア侵略は江戸時代に完了していた。江戸の研究家は江戸文化にばかり目が向いて、中国と西欧に対する当時の日本の静かな対応、拒絶と憧憬のもつ意味を見ない。

 私はデッサンだけしか書けないかもしれない。書きたいのは、十八世紀の西欧の成熟した文化は江戸の文化と呼応していて、日本人は中国文化とは江戸を通じてどんどん距離が出来ていたということなのだ。清朝時代の中国は秩序というものを知らない。

 それが明治以後に複雑に波動している。大東亜戦争の由来も、そしてその積極的意義も、ここから考えなければいけない。

 しかし、残念ながら『諸君!』の廃刊は私のこの仕事の連載を不可能にした。私にとっては打撃である。内田さんも恐らく残念に思っているだろう。三日前に私にかけてきた報告の電話の声は興奮していた。

 私の上記の企てを引き受けてくれる雑誌は当分の間見つかりそうもない。昔は文芸誌『新潮』が対応してくれたものである。今の文芸雑誌はさま変わりしている。

 大型の充実した連載が可能な雑誌は見当たらない。それが簡単に見つからない情勢だから、雑誌の廃刊が相次ぐのである。今の時代の文化が重い荷物を担うことができなくなったためである。左傾とか右傾とかいう話ではない。文化のパワーの衰弱の結果に外ならない。

 さて、もう一人の「応援歌」はパリのFさんが寄せてきた次のメールレターである。当「日録」がコメント欄を開いていた当時、たくさん書き込んで下さった方である。『諸君!』3月号論文に向けて書かれている。

西尾幹二先生

ご無沙汰いたしております。

お元気でいらっしゃいますか。

先生の日録は精力的で、毎日クリックする楽しみがあります。
お忙しい中、次から次書いておられる勢いに、なんかこう、若さを先生から感じます。諸君の3月号『米国覇権と「東京裁判史観」が崩れ去るとき』を拝読いたしました。

先生はとても大事な難しい事柄を、主婦の私にも何とか理解できる文章で表現されることに、真贋の真を感じます。次を待ちたい気持ちになります。

市販本「新しい歴史教科書」が発売されてすぐに買ったつもりが、2001年6月10日の第1刷発行より10日遅い2刷発行でした。

6~7ページの『「歴史を学ぶとは」・・・・過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである。・・・歴史によって、それぞれ異なって当然かもしれない。国の数だけ歴史があっても、少しも不思議ではないのかもしれない。個人によっても、時代によっても、歴史は動き、一定ではない。しかしそうなると、気持ちが落ち着かず、不安になるだろう。だが、だからこそ歴史を学ぶのだともいえる。』を読み、歴史というものを年代暗記ではなく、物語として捉える楽しみがあるのだと。

私もこんな教科書で学びたかったと思いました。

昔この教科書に出会っていたならもっと歴史を勉強したかもしれないと、ないものねだりの自分がありました。

この「歴史を学ぶとは」が現行の教科書では、中学生に難しいということで削られたということですが、大人は子供を見くびっていますね。この言葉がこの教科書のダイヤモンドなのに・・・。 一番いいものを子供に触れさせない大人は、精神の怠け者です。

そしてふっと、山本夏彦氏の言葉も蘇ってきました。故人とも旧知の仲になれると読書の醍醐味を語っていました。小説の作家やその本の中に出てくる人々とも友に似たものになれると。

先生が論文で挙げておられる歴史家の先生方は、歴史の勉強は沢山したのでしょうが、その時代に生活していた人々を忘れた勉強の仕方だったのではないかしらと。

また、「人生の価値について」の中で、先生が大学生の時の教授のことを書いておられましたが、デパートのような内容の教授には人間的な魅力が感じられなかったということも、なぜか思い出しました。

先生が今なさっておられる「GHQ焚書図書開封」の仕事こそ、歴史家がよだれを出しそうな仕事だと思うのですが、果たして自称昭和史家の彼らはこの仕事に取り組んでいるのでしょうか?

昭和16年12月8日の開戦の報を聞いた、何人かの著名人の言葉を数年前に読んだのですが、先生が書いておられるように「・・・必ずしも不安や恐怖ではなくある説明のつかない安堵感であったといわれています」と同じような内容でした。いまになって、その本をきちんととって置けばよかったと悔やんでいます。

先月法事で日本へ帰国していた友人が、フランスに帰ってきて私への第一声は、「日本のテレビは朝から晩まで、社会面のニュースばかり、それも同じことを取り上げていて、どうして今問題になっているガザのニュースをしないのか?」でした。その頃のフランスの夜8時のテレビのトップニュースは、ガザでした。

また先日フランスで大規模のデモがあり、そのことについて、サルコジ大統領が各局のニュースキャスターや新聞記者の質問に答えるテレビ番組がありました。チャンネルを変えても変えても同じ画面。6チャンネルあるうちの3つのチャンネルが同じ放送をしていました。

フランス人は、大統領の所信演説などの放送はよく見ます。

他人のフィルターを通した解説より、自分の耳で聞きそして自分なりの判断をする。3つのチャンネルがサルコジ大統領の番組を放映したことについて、後日友人にフランス人は政治に関心があるね、日本では考えられないことだと言いますと、サルコジ大統領はテレビ局を手中に収めたから、これも注意していないとね、という鋭い答えが返ってきました。

今年の1月5日から(夜の8時~朝の6時まで)2チャンネルと3チャンネルから宣伝がなくなりました。

テレビの見方の日仏の違いを考えてしまいました。良くも悪くもフランス人にとっては、「レゾンデートル」が一番の関心事なのだろうが、私なりの結論です。

それだけに利己主義、国粋主義の多いこと、うんざりしてしまいますが、私は反面羨ましくも思います。まず自分が大事、自国が大事、フランスが一番、がフランス人の思考です。
これを堂々と言葉に出すフランス人。「レゾンデートル」を思う人間にとっては普通のことだと思うのですが、日本人の私はやはり羨ましい。

フランスの子供はませています。起こった事柄に現実的に判断をするということです。自分のことの責任は自分にあるということを小さい時から躾けられています。フランス人は自分の国は自分たちで護る。国連に自分の国を護ってもらおうとは考えません。ちょっと賢い高校生は、国連は自国の利益になるように使うものだということを大人を見て知っています。ここら辺が、フランスという国のすごいところです。
これも私はとても羨ましい。

つい先日、息子の友人のアメリカ人が遊びに来た時、我が家にある戦争映画(DVD)の話題になり、私は「これらは日本人を悪者に描いてあるから見たくない」というと、彼は解説の制作年、1943年、44年を指差し「よく見て制作年を、まだ終戦前だよ。政府がハリウッドに作らせたプロパガンダ映画なんだよ」と。

それにしても日本人は、沢山の映画をうっかり見てきたのだなぁ、とその時思い知らされました。

先生のお姿を、チャンネル桜の討論会やGHQ焚書図書開封で楽しみにして拝見しています。先生のお仕事で私達日本人に真贋を見分ける眼を与えてください。

どうぞお体大切になさってお元気で過ごしください。
取り留めなく書いてしまいました。お読みいただきありがとうございました。

 パリのご家庭の様子が目に浮かぶようである。帰国された折、東京で一度お目にかかっている。

 今の日本には激変が近づいている。政治の枠組みがガラッと一変するかもしれない。それを見ないようにしているのが新聞・テレビ・出版社の大手マスコミである。パリではそんなことはないと仰っているわけだが、そのことに日本で気がつき、言うべきことを言って警鐘を鳴らすのはだからとても大切な仕事である。けれどもその役を引き受けることは、端的に言って、「市場の蠅たたき」になることに外ならない。

 「彼らに向かって、もはや腕をあげるな。彼らの数は限りがない。蠅たたきになることは君の運命ではない。」という声も、地鳴りのように私の耳には響いているのである。

非公開:4月号の『WiLL』と『諸君!』(二)

 さっそく二人の友人からの反応があった。

 尾形美明さんは論争相手の考え方の抜き書きを作って並べて下さった。

「諸君!」誌上の秦郁彦氏との対談を拝読致しました。

 全面的に西尾先生のご主張に賛同致します。
秦氏には幾ら言ってもダメですね。日本国と日本民族に対する愛情が決定的に欠けています。

・「東京裁判はほどほどのものだった。戦時下の日本は裁判もしなかった」
・「東京裁判にはプラスの面もあった。その証拠に日本国民の反発は無かった」
・「コミンテルンの策謀は無かった」
・「ハリー・ホワイトがソ連の利益のために働いたというのは憶測に過ぎない」
・「ルーズベルトが日本を戦争に追い込んだ、と云うのはおかしい。アメリカにとって日本は片手間の相手だった。開戦を後1ヶ月延期すれば、日本はどんな選択もできた」
・「ルーズベルト政権の中国援助は、国際政治上の駆け引きに過ぎない」
・「世界には、第一次大戦の後に侵略はやめようという国際的合意が出来ていた」
・「日本はナチスと云う”悪魔の片割れ”だった」
・「アジア諸国の日本への感謝は”政治的な含み”に過ぎない」

などなどですが、殆んど信じられないような考えです。どうしたら、このような思考が可能なのでしょうか。共産主義者なら、”革命のため”ということでそれなりに理解できますが。
ご苦労様でした。

尾形拝

 以上を読むと、あらためて論争相手の論の立て方の安易さが分る。当事者である私は気がつかなかった。こう並べてもらって成程と合点のいくところがある。

 次いでお目を悪くしている足立誠之さんが以下のように直に反応して下さった。本当にありがたい。当方も鼓舞される。

西尾幹ニ先生

 本日弟にきてもらい二誌の内容を拝読いたしました。
 いつもながら、新たなお話に目から鱗が落ちる気持ちでおります。

 『WiLL』論文については、極東軍事裁判のそもそもの淵源が第一次世界大戦にまでさかのぼること。アメリカは既に第二次世界大戦に参戦する以前から勝利の暁には人類の名において戦争犯罪裁判の実施準備していたことなど、戦後に行なわれた施策が戦前と一つのセットになっていたことがよく理解されました。これは今日でもアメリカには残っている遣り方であり、今後もそうした流れはつづくのでしょう。こうした全体を理解しない外交や国際 政治、歴史解釈はあり得ない筈です。
 
 『諸君』の秦郁彦氏との対談では、秦氏のレベルの低さに驚きました。もう少しマシな人であると思っていましたが、レベルの低さ、それに嘘まで口にすることに嫌悪感を感じました。 旗色が悪くなると「歴史家である私に任せろ」と論争を回避する。思想も何も無く、 俯瞰図もない秦氏は歴史家ではありません。

 氏は「事実、事実」といいますが、それが事実であるのか否かの判断の基準は歴史の流れの中である視点、思想で検証、評価されるもので、そうした視点、思想を持たない人間は「事実」を「事実」として検証することは出来ないはずです。
 
 これは一般の犯罪裁判でも証拠を結びつけるには論理が必要なことと似ているのではないでしょうか。動機はどうなのか、心理状態はどうなのかなどはある基準があってできるものでしょう。秦氏が思想を否定するならば、歴史の作業など出来ないはずであり、私は秦氏は歴史家ではないと思います。
 
 日本が1941年12月1日に開戦をやめていたら国際政治でフリーハンドを握っていたであろうと言うのは驚くべき発言です。彼は大東亜戦争について何もわかっていないのです。
 
 日本軍が捕虜に対して法務官の判断を下して日本の軍法会議で決めていたら、あとで戦争犯罪で死刑になる日本の軍人はいなかったというのも嘘です。映画にもなりましたが、第13方面軍司令官岡田資中将はこうした軍法会議で米軍捕虜を無差別爆撃という戦争犯罪を犯したとして処刑しましたが、そのために米軍の報復裁判で絞首刑にされています。

 正直な感想ですが、秦氏は木っ端微塵に砕けました。
 
 歴史を「昭和史」とい時間内に限定することが、何を意味するのか、それをご指摘された先生のご慧眼に改めてご敬服もうしあげます。この「昭和史観」は司馬遼太郎氏を始め殆どの日本人が陥っていたアメリカの陥穽であり、渡部昇一氏ですらその影響をうけていたほどですから。
 
 ありがとうございました。
 足立誠之拝

 ここにも述べられている通り、論争相手はあの戦争のすさまじさ、というより戦争そのもののすさまじさを分っていない処がある。考え方が甘いのである。

 細かなことをたくさん知っている方だが、肝心なことが分っていない。学問的にみえるが、学問的ではないのである。実証的といっているが、じつは実証的ではないのである。

大寒の日々(三)

 2月1日(日)の夜、この日録で高校時代の友人のK君として紹介してきた河内隆彌君と二人だけのお酒を飲む会を持った。

 河内君は東京銀行に入行し、ベトナム、インド、ベルギーなどにも勤務し、ことにベルギーは長かった。ベトナムはあのテト攻勢の最中のサイゴンを経験している。なぜこれらの地が活動の場となったかといえば、大学で第二外国語としてフランス語を選んだからである。

 フランス語はわれわれの若い時代に、文学部か理学部数学科でない限りあまり選択されなかった。社会科学系の河内君にしては珍しいコースだったと思う。勿論彼は英語もよくできる。英仏両刀使いのビジネスマンだった。

 彼は私たちの高校時代(昭和26-29)、クラスの誰からも信頼される、男らしい男、きっぷのいいいわゆるナイスガイだった。アメリカ映画音楽の流行った時代で、彼の歌ったHighnoonやDomino や Kiss of Fire は今でも忘れがたい。

 彼はこの夜カルカッタの話を盛んにした。インドは多民族多言語国家で統一国家ではない、と言った。中国もそうだろう、と私が言うと、中国はそれでも秦が統一した時期を経ているのでインドとは違う。インドを統一したのは英国であった。しかも英国は海から入っていったので内部に入っていない。それでいて英語が唯一の共通語だ。中国は漢字で相互理解ができるが、インドは英語以外に手がない、等々。カルカッタの底抜けの貧しさも強烈な思い出になっているようだった。

 私もそういうインドと中国が、期待される「大国」として台頭している現代は理解しがたい、と言った。しかし20世紀の前半に日本が「大国」として台頭したことも、ヨーロッパ人ことにイギリス人は理解しがたかったことと思う。

 河内君はいま Colin Smith というイギリス人の書いた Singapore Burning という本を読んでいるというので、もっぱらその話になった。まさに日本の台頭に対するイギリス人の戸惑いと恐怖の物語なのだ。

 イギリス軍ははじめ噂にきく「零戦」の出現を信じていなかったようだ。しかし目の前で次々とイギリス軍機が撃墜された。とはいえこの本は必ずしも戦闘場面だけの本ではないそうだ。

 イギリス人、オーストラリア人、日本人、インド人などが総勢550人も出てくる人間群像の物語で、辻政信も源田実もチャンドラボースも登場人物として出てくるという。勇気と献身、ためらいと逃避の両面が描かれている、まさに人間の物語だそうで、個々の人間のエピソードが綴られ、具体的な描写に満ち満ちているというから私も読みたくなった。

 何よりもいいことはイギリス人の著者の「公平さ」だという。勝利した日本軍に対する敬意、あわてふためいたイギリス軍に対する自戒と反省も書きこまれているという。たしかにあのとき以来、イギリス海軍は太平洋で二度と起ち上がることはできなかった。プリンス・オブ・ウェールスとレパルスの撃沈は17世紀以来無敵だったイギリス海軍を事実上消滅させたほどに衝撃的な出来事だった。

 もし日本がアメリカと戦争をしなかったら、歴史は大きく変わっていたろう。そんな話を二人でしていて、今の日本の言論界の空気、田母神問題で揺れている敗北者心理のことを考えた。

 Singapore Burning のような日本側が大勝利を収めた事件、それを日本人ではなく向う側の人が「公平」に書いた本ほど今のわが国の愚かな歴史意識をいっぺんに吹きとばしてくれるものはないだろう。世界は日本を公平に見ているのに、日本人が自分を歪めて見ようとするのだからどうにも話にならない。

 2月3日に同じ東京銀行にいた足立誠之さんが私の論文「米国覇権と『東京裁判史観』が崩れ去るとき」(『諸君!』3月号)について、次のようなコメントを送ってきてくれた。

 足立さんは前にも言ったが、カナダで緑内障を悪化させ失明した。カナダ在住中に奥様を亡くされた衝撃が眼の病気に致命的に作用したと聞く。本当にお気の毒でならないのだが、力強く生きている。

 文字を音声化する機械があるそうである。私の『GHQ焚書図書開封』はそれでお読みになったそうだ。ありがたいし、申し訳ない。

 以下の文から足立さんの知性の高さ、生命力の強さがはっきり看取される。いかばかりかご不自由な生活であろう。しかし、彼の日本への愛と再生への期待はそれを乗り超えるのに余りあるほどに強烈である。

 私は私の文が評価されていることではなく、足立さんのいつも変わらぬ平静さと取り乱さない一貫した愛国心のしなやかさに心から敬意を捧げたいと思う。

西尾幹ニ先生

 「諸君」3月号掲載の先生の論文を拝読いたしました。(実は弟に読んでもらったのですが)
 
 文芸春秋、諸君、正論、Voice, WiLLの主な論文は弟が先ず見出しを読んでくれ、それの中かから興味あるものを読んでもらうわけです。目が見えていたときにも感じたのですが、この頃の論文は読む気がしません。どうも論文が自分の主張を主張するために何でもかんでも都合のよい情報をパッチワークし、論文にしたようなものが多い。
 
 そうした方法に私は嫌気がさしているようです。
 
 娘が理工系で、ある企業の研究機関で働いていますが、頭とコンピューターで仮説を立て、コンピューターを使いながら実験を重ねて仮説を検証していく、そして総ての疑問が実験と検証で満足がえられた末に理論が出来る。そこでは”多数決”は無縁です。
 
 ところが人文科学の世界ではそうではありません。ある学説が都合のよい材料をかき集めて出来上がり、それを”確立した学説”、”学会の通説”などと言う。これは科学でもなく、近代精神にも無縁な中世的現象とも言えるでしょう。

 「田母神論文」問題ではそれが村山談話に合致しているのかという観点ばかり、あるいはそれが正しい歴史認識であるのかという議論ばかりが今までの論壇誌の中心でしたが、先生はそうした議論の元となる方法論に言及され、アプローチが科学の名に値するのかという点に鋭く切り込まれています。

 これは雑誌のつまらなさの本質をつかれています。

 私は2002年以来アメリカの対中国政策のUSCCの報告書、公聴会議事録を読んできました。それを動機つけたものは、新たに見出した世界に「あやしふこそものぐるほしけれ」の喜こびが湧き上がるからでした。

 「GHQ焚書図書開封」はおなじような思いを抱かせて呉れました。歴史を考える時にはその時代に一度自分が浸らなければ話ははじまらないことは当然で、それをしない歴史家は「あやしふこそものぐるほしけれ」の心境には絶対になれず、したがって歴史とは無縁な存在になるわけです。
 
 保守を自認する人達の多くがこの点で科学とは無縁の存在でしょう。
 
 更に先生のご指摘通り、”昭和史家”なる言葉までうまれて、これは時間と空間にある一定の限界を設けることによる事実の隠蔽です。
 
 毎年夏になると、文芸春秋などには半藤一利、保阪正康、秦郁彦などの「昭和史家」による「なぜあの戦争に負けたのか」論のテーマで戦前の日本の歴史を断罪する特集が組まれます。多くの人はもうこんな雑誌には飽き飽きしています。
 
 今年こそ、こうした雑誌の安易な編集に変更がくわえられるべきでしょう。飽きられた「昭和史家」でない新しい企画の登場を雑誌の世界に希望します。生半可な感想で恐縮ですが、以上ご報告申し上げます。
                         足立誠之拝

 上記の分析と感想に心から感謝申し上げる。今日ご登場いただいた河内隆彌氏、足立誠之氏のご両名は河内氏が七歳上の同じ東京銀行入行者であると最近聞き知った。が、互いにまだ面識がない。

 お二人はともにビジネスマンであった人で、政治とも戦争とも関係がないのである。平和な時代の日本の繁栄の担い手だった。そして今、日本のことを憂えている。

 機会を得てお二人が出会い、海外任地での活躍の時代の思い出を語り合ってもらいたいと思う。

大寒の日々(二)

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 友人の粕谷哲夫君が30日にいち早く次のようなメールをくれた。私の手許にもまだ来ていない『諸君!』3月号の拙論に関する心安だてな感想である。後で聞けば予約購読者には少し早く届けられるのだそうである。

 友人だからざっくばらんに書いてきてくれる。「ページ数が足りない」というのは、40枚も書いているのだから足りないはずはない。足りなく感じられたということだろう。それは退屈しないでさっさと読めた、という意味にもなり、重ねてありがたい。

 我田引水で申し訳ないが、まずこれを掲示する。

西尾 兄

「諸君」3月号の 論文 今 読んだ。
たいへんよく出来ている。

西尾幹二論文の中でも 小生の見たてでは 率直のところ 上位の 論文です。

あえて言えば ページ数が足りない。これは貴兄の責任ではないが、大衆向きには若干舌足らず。
まだあると思ってページをめくったらそれで終わっていたのは残念、という感じがしないでもない。
その意味でも続編があっても いい。

小生は この論文の背景はなんども聞いているので 論理に飛躍はないが、初めての人には 若干理解が難しいかもしれない。

また アメリカが公文書公開を いまなお押さえている事実、NY Times など当時の新聞にあった ルーズベルト発言 など多くの 日本を打て の言説の存在の事実(ヘレン・ミアーズも多数引用しているが、まだまだたくさんあると思う)を見て いつか 日米開戦の歴史評価は 変る 可能性が大きい・・・・・ (それが歴史と言うもの)など 具体例がもう少しあればよかったかと いう感じもするが 欲張りすぎでしょう。

歴史哲学に スペースをとりすぎの感無きにしも非ずだが、これもやむをえないでしょう。
世間が無知だから。

何もかも書くと言うのであれば 大著にならざるを得ないので 雑誌論文としてはやむをえない。

「国民の歴史」のころと異なり アメリカの腰が砕け、中国は相当の重症(今まで稼いだ金はあるが、新たな収入は期待できず、民情は乱れ、・・・・)に陥り、客観情勢は一変した。それだけに この論旨をさらに肉付けした 大型企画を期待する次第。

そのほか 歴史の全体と部分 という問題ですが、小生は <歴史を鳥瞰する>視点と、  <歴史を虫瞰する>視点 ・・・・・・<鳥瞰> と<虫瞰> が 一つの切り口だとかねがね思っています。
両方含むと<大河小説>  虫瞰だけだと<私小説>。

保阪氏の言っていることは <虫瞰> 次元ではほとんど正しい。 何せ3000人ぐらいの人の話を聞いて書いているので、嘘は言っていない。しかし 3000の<虫瞰>だけでは 真実の 歴史の<鳥瞰>は 出てこない。

保阪氏は 小生知っていますが、 中西氏の言うような 外国の視点はないし、 トインビーやハンティントンの<鳥瞰する>視点もない。  森林よりも 花粉に 関心が傾斜することには間違いない。

・・・・歴史は一筋縄ではいきません。

あすは 拓大の 黄文雄6時間歴史講義を聴きに行きます。
3回で合計18時間、あの日本語を 聞くのはつらいけど、 自分は史実をしらなすぎる。歴史書では頭に入らない。

明後日には あの茂木さんが歴史の勉強会をやるというので、何をしゃべるのか聞きに行きます。あとは 東アジア近代史は小説でよむ。 おっしゃるとおり。歴史は小説がいい。

阿片戦争はイギリスが悪いのだが、あとあと 阿片は 軍の資金づくりのために必要欠くべからざる 重要物資で、蒋介石も毛沢東も これを使っているし、日本陸軍も イランから中国への阿片輸入介在による資金づくりを内密に里田甫に 懇請している。・・・・歴史とは一筋縄ではいきません。

以上雑感まで

粕谷

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 ちなみに粕谷君は商社員としてアメリカ経験が長く、親米派である。そして、そういう意味ではあえて言っておくが私も親米派である。少くとも反・反米派である。

 歴史は歴史、政治は政治である。誰かが言っていたが、政治に歴史をからめるのには「時効」があって当然である。(さもないと日本はもう一度戦争をしなければならなくなる。)

 オバマ政権にそういうおおらかさを期待してよいのではないか。白人でないことの影響は小さくないと思っている。イギリスの没落はその意味で大きい。ただし政権内にはユダヤ人が多い。

 31日に「黄文雄6時間歴史講座」を聴きに行った。前から行くつもりでいたのだが、日時を記録していなかった。粕谷君のメールで注意を喚起され、朝9時に家を出た。予約していないので心配だったが、席はあった。

 行って良かった。今しみじみそう思う。内容もさることながら、6時間語りつづける一人の人間の、しかも時間が進むにつれ次第にホットになっていく高まる情熱に打たれた。

 黄さんが情熱家であることは前から知っていたが、頭でそう知っていることと、壇上から流れ出すパトスの「気」を浴びることは別である。目の前に無私の情熱が服を着て、不動の立ち姿で音声を発しつづけている。黄さんの人生が会場に奔流している、そう思った。

 満70歳でこの知識量、この視野の広さ、この体力はそれだけで人を感動させる何かではある。黄さんがどういう切っ掛けで「6時間歴史講座」を計3回(このあと2月14日と3月28日の各土曜日に行われる)思い立ったのかは知らない。人生のある区切りを意識しての試みなのであろうが、それだけに聴講者にもある緊張を求めてくる大きな意志の力が感じられた。

 1月31日の今回は題して「日本植民地の真実」で、三部に分れ、第一部台湾、第二部朝鮮、第三部満州の順序でお話された。あまりにもたくさんの内容なので下手な要約や紹介はここではしたくない。

 一番最後の主題の整理で、「植民地主義」という概念には「社会主義」に優るとも劣らない一時代の夢と希望が托された人類解放の理念がこめられていたという説明にはあらためて目を開かされた。

 「植民地主義」といえば今では侵略や征服のイメージと結びつくが、19世紀から20世紀にかけてはユートピア思想だった。地上の人類の楽園の開拓、いいかえれば先進民族が後進民族を解放し、宗主国(主として白人の)が文明開化を地球に広めるのは義務であるという考えに立脚した解放思想であったということが今一度強く意識される必要がある、と私は話を聴きながらあらためて思った。

 今からみれば白人の植民地主義は「侵略」の別名だが、19世紀人類最大の夢、コスモポリタン的思想としての概念でもあった。だからこそ日本もまたそれに100年おくれて巻きこまれたのである。100年おくれたことに運命はあるが、夢と理想に近いことを実現したのは白人国家ではなく、日本の植民地主義の成果、台湾、朝鮮、満州であった――これが黄さんの日頃の主張でもあり、またたくさんの証拠を突きつけて語られた今回のご講演のテーマでもあった。

 私は再考三考せねばならぬ、日本の歴史を考えるうえでの貴重なヒントを数多くいたゞいたことに感謝した。

 これを読んだ人にぜひ次の2回の講演会場に足を運んで下さい、と私はお誘い申し上げる。私も聴講する。

2月14日(土)10:00~17:00「日中戦争史観」
3月28日(土)10:00~17:00「大東亜戦争の文明史的貢献」

会場は拓殖大学、2月14日がF館301号教室(80名収容)。
3月28日が同大学、C館301教室(200名収容)。
入場無料。
申し込み方法は黄文雄事務所、
FAX 03-3355-4186
E-Mail :humiozimu@hotmail.com

2月14日分はすでに予約が〆切られているので、試みてみるといい。3月28日分は3月18日が予約〆切。

拓殖大学は地下鉄丸の内線荷ヶ谷下車徒歩3分。

非公開:『GHQ焚書図書開封 2』をめぐって(二)

 1月11日高校の親しい友人の集まる新年会があったが、私は欠席した。

昨日は残念でしたね。19名(うち女性5名)、いつもながら、いつものように楽しく一夕過ごしました。

次回は、2010年1月17日(repeat 17)(日)16:00、同じく「吉祥日比谷店」なので、今から手帳にご記入ねがいます。
「焚書図書開封2」読みました。戦後、あの短時日でよくもまああれだけの、「的確な」本を選んでいたものと感心します。(第1巻のときもそう思ったのですが・・)第1巻に紹介があったと記憶していますが、「協力者」の知的レベルが別の意味で相当の水準だった、ということでしょうか?

 1月12日にこういう書き出しでメールを下さったのは友人のK君である。私は世話役のK君に釈明のメールを打っていた返事だった。

 10日には既報のとおり坦々塾があり、六本木でカラオケをして疲れたからといって本当は翌日酒の席を避けるほどのやわではまだない。じつは『WiLL』と『諸君!』と『撃論ムック』の〆切りが迫っていて、ギリギリ延ばして18日(日)夜がデッドラインであることが分っていた。合計100枚くらいにはなるだろう。

 私はにわかに焦っていた。坦々塾のための講演の準備で8日も9日も雑誌論文には手をつけていない。なぜこんなに急迫したかというと年賀状の処理に時間がかかることを計算していなかったのである。

 毎年のことなのに何という不始末なのだろう。パソコンで絵も文字も宛名もひとりでやるというのは初めてである。今年は100枚減らして900枚。私のパソコンの技術も上達したものだ、とひとり悦に入る。

 とはいえ講演と宴会とカラオケの疲れで11日はやはり論文の執筆は開始できず、それから10日間悪戦苦闘がつづいた。本日22日正午に最後の追い書きの校正ゲラの最終チェックを『諸君!』編集部にファクスで送って、すべてが終了した。あゝ、何という毎日だったろう。

 「追い書き」というのは次のようなやり方だ。今回は原稿用紙で約束の30枚までを20日正午に渡して、大きなテーマ展開になったのであと10枚を書いてもよいと許諾される。21日午後2時が10枚の制限時間であった。編集部からは30枚までの校正刷が午前中に届けられていたがそれを私は見ないで午後2時の時刻を守った。その後30枚までの校正刷を見て、編集部はその夕方にこれを印刷屋に送るのと同時に10枚の追い書きを合わせて印刷に回した。22日正午に私は戻ってきたその最終チェックをしてファクスで送り、終了した。ファクスと電話を用いたいわば時間の綱渡りである。

 編集部に迷惑をかけるこんな仕事の仕方はいつもやるわけではないが、緊急事態の許された処理法である。その間に調べを要する疑問が校正部から回されてくるから書きながら研究するようになる。後からふりかえると息も詰まるような時間であった。やはり三誌をいっぺんに書くのはもう無理なのかもしれない。

 三つの雑誌評論の内容については次回に少し語ろう。私の仕事の舞台裏を今日はちょっと紹介してみた。私が同窓会を欠席して自分の仕事時間を守ろうとしたいきさつを、K君をはじめ友人たちに分ってもらいたくてこんな報告をした。

 「20日正午」「21日午後2時」という時刻は絶対に揺るがせに出来ない時刻であった。いつも犬を連れて散歩に行く時間なので、ワン公は待ち切れず、書斎のドアを鼻で開けて這入ってきて、催促するようにピタリと足許にうずくまっていた。

 さて、K君の手紙だが、『GHQ焚書図書開封 2』について次のようにつづく。

インドシナのあたりの記述、大変興味深く拝読しました。
今から思うと、ベトナム戦争のあたりまでは、白人(フランスにアメリカが変わっただけ)の「侵略」の図式が続いていたように感じられます。同国の本当の?独立は、ベトナム戦勝利以後のことかも知れません。小生は、ベトナム、インドと勤務しましたが、それぞれのローカルの人たちは旧宗主国(それぞれフランス、英国)に対して、いうにいわれぬアンビヴァレントな感情を持っていました。少なくとも「文化的」にはしっかりと「刷り込み」をやったのですね。
以上新年会ご報告かたがた、簡単な読後感です。

 K君は東京銀行に勤務していて、丁度ベトナム戦争の最中の危険な時期にサイゴンにいた。当「日録」を読んでくれていて、たびたび登場する足立誠之さん(坦々塾の前回の報告文にも出てくる)は、自分より8年後に入行した東京銀行の同僚であると言っていた。東京銀行は三菱銀行と合併した。ただ面識はないらしい。

 上記の文の「アンビヴァレントな感情」が気にかゝり、私はどういうことかと質問のメールを送ったら、大変に面白い次のような返信が届けられた。

「アンビヴァレントな感情」について。
貴兄が第2巻で述べられた植民地支配の第3段階で、ベトナムはフランス式、インドはイギリス式の教育、法制その他もろもろを導入しました。(いまの若い人はどうなのかわからないが、まあ、あまり変ってはいないような気がする)小生が付き合った年頃の連中(ある程度のインテリ)は、たとえば学校教育で、むしろ宗主国の歴史の方を詳しく習っています。(ベトナムではその辺のおじさん、おばさんでも、たとえばジャンヌダルクのことなど、普通の日本人よりはるかに詳しい)宗主国の搾取?の歴史は勿論知っているが、文化的な帰属意識をかなり西欧においている。

たとえば、インドのカルカッタには、ヴィクトリア女王没後に、イギリスが「ヴィクトリア・メモリアル」という、壮大な建築物をつくったが、独立後もこれは中身もろともそのまま保存され、観光(カルカッタはよほどの物好きでないと、観光には行かないにせよ)の目玉になっています。

カルカッタは州政府がずっと共産党だったので、中央政府の援助があまりなかったり、中印紛争、バングラデシュ独立などで難民が入り込み、ご存知のようにマザー・テレサが「活躍」した、全市これスラム街のような都市であるにもかかわらず、地元市民は、このメモリアルに結構プライドを持っています。(なかの展示には、ヴィクトリア女王関係、またその時代の展示物のほか、悪代官?であった歴代の総督の肖像画なども飾ってあるのです。)

かれらは、アタマでは西欧の支配を否定していても、宗主国の文化には「胸キュン」となる場面があるような気がします。このあたりが小生のいう「いいしれぬ・・感情」というところです。

 ここで指摘されたことはかなり重大な内容である。西洋文化は調和と進歩、文明と破壊の二つをもつ双面神だったので、進歩と破壊だけが入ってきたのではない。背後にある調和と文明も同時に入ってきた。日本に対しても同様である。

 しかしそのことの区別の不明瞭が今われわれの歴史認識を惑乱させている問題の核心につながっているのである。「追い書き」で間に合わせた『諸君!』3月号の「米国覇権と東京裁判史観が崩れ去るとき」でも文明論上のこのテーマに少し触れたので、次回で考察をつづけることにしよう。

非公開:『GHQ焚書図書開封』をめぐる二友人の手紙

  『GHQ焚書図書開封』が世に出て、ある程度売れているという以上の情報を持たないが、メールを下さる二人の友人がいて、印象的なご文章を送ってくださった。

 一人は山形で公認会計士をなさっている高石宏典さんで、昔の日録への投稿でご縁ができたが、まだお眼にかかっていない。ひところ手紙の交換を頻繁にした。

 もう一人はここによく書いてくださる足立誠之さんで、カナダでお眼を悪くされて、この本もルーペでお読みくださるといっていた。

 二編つづけてお眼にかける。

拝啓  西尾幹二先生

 一昨日の日曜日は大変お疲れ様でした。そして、どうもありがとうございました。山形の高石です。日本保守主義研究会主催の講演会に私も参加し、先生のご講演を拝聴いたしました。

 講演会の後で、先生にせめてご挨拶だけでもと思いその機会を窺っておりましたが、隣の席の方に話しかけられて時間を逸し、そうこうしているうちに列車の時刻に迫られ、やむなく阿佐ヶ谷の会場を後にしてしまいました。心残りではありましたが、ご講演中、何度か先生と視線が合いその度にドキリとしながらも、西尾先生の謦咳に接することができ忘れられない一日となりました。

 ご講演では、ドイツが戦後生存の必要性からナチスの所業を棚に上げて自国の歴史を否定した結果その連続性を失い、今ではドイツ文化が昔日の面影をすっかり無くしてしまったというお話が印象的でした。GHQの「焚書」によって戦前と戦中の我が国の本当の歴史が分からなくなり、我々日本人が精神的支柱を失い「戦後を自分でなくて生きている事実にすら気がつかなくなって」亡国の道を辿っているのだとしたら、それはドイツと同じことですね。

 『GHQ焚書図書開封』はとても面白く拝読いたしましたが、自分の身に引き寄せて一言だけ感想を申し上げるとすれば、一国家だけでなく一個人においても、自己の歴史を肯定・尊重し精神的独立性を保つことこそが生存の根本的条件であり、それらに事欠くということは生存理由が脅かされかねない大変な問題なんだということを改めて痛感いたしました。先生のご講演も新著もGHQの「焚書」という思想的犯罪を糾弾しつつも、問われているのは実は私たち日本人ひとり一人の心のあり方や生き方なのではないかと感じたのはたぶん私だけではないと思います。

 ニーチェは「教育者としてのショーペンハウアー」の最初の方で、「どんな人間も一回限りの奇蹟である」と言っていますが、また別の箇所では「余人ならぬお前が生の河を渡ってゆく橋は、お前自身を措いて他のなんぴとにも架け渡すことができないのだ。(中略)この世にはお前以外の誰にも辿ることのできない唯一無二の道がある。それはどこに通じているのだろう?問うことをやめ、ただその道を歩いて行きたまえ。」とも言っております。先生のご講演を拝聴した後この文章を認めている間に、昔読んだニーチェの感動的な以上のような言葉の記憶がふと蘇り、埃をかぶった白水社版のニーチェ全集を再読してみました。我が国や日本人というよりは、私個人の行く末を暗示してくれているような言葉もあり、また過去が現在に繋がっていることを実感できた真夏の一日だったようにも思います。

 以上、とりとめのない文章で失礼いたしました。機会があればまたぜひ先生のご講演を拝聴したいと存じます。猛暑の日々、何よりも西尾先生のご健勝を祈念申し上げる次第です。

                                敬具
平成20年7月15日  高石宏典

西尾幹ニ先生

 前略、過日は産経7月24日付け「正論」ご寄稿に関係してお電話と賜り恐縮いたしております。有難うございました。

 本メールでは身の回りで起きている「GHQ焚書図書開封」を巡る反応についてご報告申し上げます。

 現在私のところには毎週ヘルパーさん2人、歩行訓練インストラクターが来てくれておりその他にも市役所の職員が頻繁に来てくれています。

 この4人が夫々リビングの机の上に私が読書中の「GHQ焚書図書開封」に気付きどんな本であるのか聞いてくるのです。

 この質問に私は「第一次世界大戦の後、ベルサイユで講和会議が開かれたのは知っていますね。このときにここで国際連盟が設立されました。その規約に”人種平等”を入れようとある国が提案しましたが、ある別の国が強硬に反対したので結局この提案は実りませんでした。このとき”人種平等”を提案したのはどこだったと思いますか」と質問しましたが、全員が「アメリカでしょう」とこたえたのです。私が「実は提案したのは日本で強硬に反対して廃案にしたのがアメリカなのです」というと彼等はびっくりします。

 そこで私は「この本は日本が人種平等の提案国であり、アメリカがそれを廃案にしたのに、何故今日の日本人はそれを知らないのか。それは人種平等だけではなく沢山あるのですが、何故そうなったのかを研究している本です」と説明しましたが、彼等が受けた衝撃は大きかったようで、その一人はその後「あの本がベストセラーブックの中に入っていいました」等と報告してきました。それで御著書を取り寄せながら、一人一人に貸し「何時返してくれてもOK、また貸ししてもOK」と告げました。

 今日の日本人の大部分はこの4人と同じ認識ではないであると思います。「GHQ焚書図書開封」が国民の間に清とすれば、日本は変わり再生するでしょう。それがなければ日本は滅亡するかもしれません。戦後の戦争に日本が勝利するためには「GHQ焚書図書開封」が鍵をにぎると思います。米国は日本との戦争に原爆で戦争にとどめを刺し、「検閲」と「焚書」で完全に骨抜きにしようとし、それは今まで続いてきました。「GHQ焚書図書開封」は日本の独立のための文字による原爆以上の武器であると信じております。

足立誠之拝