私が高市早苗氏を支持する理由

令和3年9月17日 産經新聞【正論】欄より

 評論家・西尾幹二 

 自民党総裁選に出馬する高市早苗氏は、次のように語っていた。

 「日本を安全で力強い国にしたい、という思いです。経済が相当弱ってきているのに、五年先、十年先に必ず起こる事態に向けた取り組みが、何一つ手つかずであることに相当な危機感を持っています。一刻の猶予もないと思っており、ものすごい焦りがあります。今着手しないと間に合いません。だから、何が何でも立候補したいと思いました」(月刊「正論」10月号)

≪≪≪ 国難の中、日本を守れる人に≫≫≫

 私の胸に真に突き刺さった言葉で、共感の火花を散らした。21世紀の初頭には技術産業国家の1、2位を争う国であったのに、平成年間にずり落ち、各国に追い抜かれた。ロボット王国のはずだったのに、今やAI(人工知能)ロボット分野で中国の後塵(こうじん)を拝している。世界的な半導体不足は日本のこの方面の復活のチャンスと聞いていたが、かつて円高誘導という米国の謀略で台湾と韓国にその主力は移った。実力はあっても今ではもう日本に戻りそうもない。

 毎年のように列島を襲う風水害の被害の大きさは国土強靱(きょうじん)化政策も唱えた安倍晋三内閣の公約違反であり、毎年同じ被害を繰り返すさまは天災ではなく、すでに「人災」の趣がある。

 台湾情勢は戦争の近さを予感させる。尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺のきな臭さを国民の目に隠したままではもう済まされない限界がきている。少子化問題は民族国家日本の消滅を予示しているが、自民党の対策は常におざなりで本腰が入っていない。

 そもそも国会では民族の生死を懸けた議論は何一つなされないし、論争一つ起こらない。余りの能天気ぶりに自民党支持層の中から今度の選挙ではお灸(きゅう)をすえようという声さえあがった。横浜市長選挙の自民党惨敗は間違いなくその「お灸」だった。それでも総裁選挙となると、飛び交う言葉は、蛙(かえる)の面に水だった。ただ一つ例外は高市氏の出現だ。氏の新刊書『美しく、強く、成長する国へ。』(ワック)を見るがいい。用意周到な政策論著である。私が冒頭にあげた日本人の今の怒りと焦りがにじみ出ている。同書はアマゾンの総合1位にかけ上った。

≪≪≪目立たぬ努力に政治家の本領≫≫≫

 高市氏は十分に勉強した上で「日本を守る。未来を拓(ひら)く」を自らのキャッチフレーズにした。日本を守るは抽象論ではなく、「領土、領海、領空」を守ることだと何度も言った。世界各地域の戦争の仕方が変わってきたことを説明し、今の日本の法的手続きを早急に超党派で議論し、用意しておかないと、すべてが間に合わなくなると言っている。従来のような憲法改正一本槍(やり)の観念論ではない。

 私は高市氏と2回雑誌対談を行っている。私の勉強会「路の会」で講話していただいたこともある。最初は10年以上前だが、その頃すでに北海道の土地が外国人の手に渡っていることを憂慮し、これを阻止する議員立法に工夫をこらしている話をされた。一昨年行われた2度目の対談では「安全保障土地法案」(仮称)が準備中であることを教えられた。国土が侵されることへの危機感に氏が一貫して情熱を燃やし続けておられる事実に感動した。

 人の気づかない目立たぬ努力に政治家の本領は表れる。戦時徴用をめぐり、昭和34年時点の在日朝鮮人60万人余といわれていたが、徴用令によって日本にきたのは245人にすぎなかったことを外務省の資料から証明し、政府答弁書に残したのは高市氏だった。大半が強制的に日本に連れてこられたなどという誤解を正し、影響のすこぶる大きい確認作業である。
日本の政治の偏向危惧する
総裁選に出馬表明した岸田文雄氏は9日、安定的な皇位継承策として女系天皇を認めるかを問われ、「反対だ。今はそういうことを言うべきではない」と述べた。対抗馬と目される河野太郎氏が「過去に女系天皇の検討を主張しており、違いを鮮明にした」(読売新聞10日)。一方、10日に出馬表明した河野氏は、政府有識者会議の女系天皇ためらいに配慮し、軌道修正した(産経新聞11日)。

 前言を堂々と翻して恥じない河野氏にも呆(あき)れるが、「違いを鮮明にした」つもりの岸田氏も風向き次第で態度を変えると宣言しているようなもので、両者、不節操を暴露し、外交・防衛・経済のどの政策も信用ならないことを自らの態度で裏書きした。なぜなら「万世一系の天皇」という国の大原則に、フラフラ、グラグラしているのが一番いけない。

 議会制民主主義統治下の世界全体のあらゆる政党政治の中に置いてみると、日本の自由民主党は決して保守ではない。ほとんど左翼政党と映る。日本のメディアは左翼一色である。
高市氏が一般メディアの中で自分が右翼として扱われることに怒っていたが、怒るには及ばない。もし中道保守の高市氏を右翼というなら、世界地図に置くと公明党も立憲民主党も政党以前の極左集団と言われても不思議ではない。(にしお かんじ)}

『「アメリカ」の終わり』の著者山中泉氏の講演を聞いて

ゲストエッセイ
坦々塾会員 松山久幸

 7月3日、文京シビックセンターで『「アメリカ」の終わり』著者、山中泉氏の講演会があるのを知って興味を覚え、会場に足を運んだ。「英霊の名誉を守り顕彰する会」の佐藤和夫会長が主催する講演会である。そもそも『「アメリカ」の終わり』は西尾幹二先生が、ご自身のお読みになる前から私に勧めてくれた著作である。直ぐ購入して読んだ同著には、アメリカの惨憺たる状況が余すところなく記されていて、ただ驚愕するばかりであった。

 滞米30数年の山中氏はアメリカの現実を肌で感じ、日本とアメリカを行き来する度に、独自の取材源を持たない日本のメディアが、FOXニュースを除き民主党びいきであるアメリカ主要メディアの単なる受け売りであり、垂れ流しに過ぎない、横書きをただ縦書きにしているだけだと嘆いている。そんな訳だから、私達日本国民に正確な情報など伝わって来ないのは当然至極のことである。

 同書にも書かれていることではあるが、アメリカの大学の現況に触れ、左派系教授13人に対し保守系教授はたったの1人という比率(カーネギー・コミッション レポート)にまでなっていて、大学の左傾化は驚くべき状態に陥っているという。学内がヘルベルト・マルクーゼを中心としたフランクフルト学派の亜種共産主義思想に侵され、それが蔓延した結果である。フランクフルト学派の思想による「critical race theory」(批判的人種論、人種多様性理論)がまさに猛威を振るい始めている。

 人種差別撤廃やキャンセルカルチャーの名のもとに、いまアメリカの学校では、建国が1776年の独立宣言ではなく、1619年の黒人が奴隷としてアメリカに初めて連れて来られた年を建国の年、すなわち黒人奴隷がアメリカを作ったとして教えられているそうな。奴隷として連れて来られた黒人は被害者で善、奴隷を連れて来た白人は加害者で悪として位置づけられて、2020年5月のジョージ・フロイト事件以降は、共産主義者が組織したBLMやアンティファによる都市破壊活動が猖獗を極め、J・ワシントン、リンカーン、コロンブス、グラント等の偉人の銅像の破壊まで起きている。しかも50あるアメリカの大都市の中の35は民主党の市長で、彼等は暴徒に対する厳しい処置は敢えて取っていない。中でもニューヨーク市は警察予算を6000億円から1000億円をカットしている。

 学校教育の現場では、教員組合の指示で小学1年の子供に、男の子・女の子・お父さん・お母さんの呼称を禁じるまでに至っている。一般家庭の母親からは流石に強い反発を受けてはいるようだ。

 また、軍隊においては白人男性兵士がいま最も弱い立場になり、女性・黒人・ゲイ(少数弱者)などが優遇されているため、軍の士気はかなり低下しているという。軍から白人が排除されつつあるといってもよい。軍の統合参謀本部議長(黒人)が、私はマルクスやレーニンを読んでいますと告白していて、暗に将校たちにそれを読めと言っているに等しいと。

 2008年から2016年までのオバマ大統領時代は、生活保護者という弱者に殊の外配慮をして、オバマケアを実施した。その負担をしたのはミドルクラスであり、山中夫人の保険料も30,000円から60,000円に倍増したとのこと。弁舌爽やかなオバマはそもそもディープ・ステイトのパペット(操り人形)として選ばれた。バイデンもまた同様のパペットで、世間ではオバマ第3期目だと揶揄されている。現在、バイデンの後ろにはオバマがいて、オバマの後ろでは、JPモルガンやゴールドマンサックスといったウォール街やビッグテックがディープ・ステイトとして睨みをきかす構造となっている。

 片や、トランプは善良なる白人労働者・黒人・ヒスパニック・ジア系などに支持層を拡げて、先の大統領選では現職大統領としては最高得票の7,500万票を獲得した。かつての共和党と民主党の支持基盤は逆になって仕舞った。

 個別的な話として、ユナイテッド航空は自社のパイロット資格を、黒人と女性だけに限る方針を打ち出したという。

 この日のもう1人の講演者である元米軍海兵隊員のマックス・フォン・シュラ―氏は、岩国基地での勤務経験もあり、次のような面白い話題を提供してくれた。アメリカ軍艦のアメリカ製部品は欠陥が多く、日本の佐世保や横須賀の基地で修理して日本製に取り換え、それでやっとまともな軍艦になるという。会場内がどっと笑いに包まれた。その米海兵隊には退却や撤退はなく、大日本帝国陸軍と同じだと強調していた。

 講師の山中泉氏の著作『「アメリカ」の終わり』は今のアメリカ社会をリアルに冷静に見つめて描写したものであり、読者に対して強い説得性を持つ。偏向したというより、左傾民主党のプロパガンダ機関に堕したアメリカ大手メディアとそのコピーに過ぎない日本マスコミ(産経も含めて)の論調ばかりを目にする私にとっては、アメリカのかくまでの左傾化の現実は全くの驚きであった。アメリカの左傾化がこのまま進めば世界情勢は一体どうなって仕舞うのか。そして日本は果たしてどうなるのか。甚だしい危機感を覚えずにはおれない。

 最後に付言しておきたいことがある。アメリカの左傾化に深く切り込んだ著作がもう1冊最近出版されている。渡辺惣樹氏の『アメリカ民主党の欺瞞2020-2024』(PHP研究所)がそれだ。渡辺惣樹氏もカナダ在住で、奇しくも山中泉氏と同様に実業界に身を置きながら評論活動を精力的に行っている。まだお読みでない方には『「アメリカ」の終わり』とともに渡辺氏の近著もお薦めしたい。
(令和3年7月4日記)

西尾幹二の近況報告(読者の皆様にコメント欄もお願いします)

 西尾全集はその後一体どうなっているのか、との問い合わせが最近多くなってきたと版元から伝え聞きました。お答えします。

 西尾全集は余すところあと2巻になったとお伝えしてから1年有余、新情報が出せず、ご心配とお怒りはしごく当然のことでございます。

 集積された残りの原稿が余りに多く、2巻ではとうてい収まりがつかないことが判明し、読者の皆様へのご負担のお願いを予めお願いを申し上げることにも関連し、版元の英断により次のように決まりました。

第21巻① 現代日本の政治と政治家(印刷完了、目下再校正中)
 〃  ②  天皇と原爆(印刷中)
第22巻① 運命と自由(編集完了、4月には印刷開始)
 〃  ②  神の視座と歴史/年譜、その他、各種記録/

 この20年の著者65才~80才の最も力を発揮したシャープな文章が蒐められた26冊の評論集・単著・書き下ろしの単行本を解体し、第21巻~第22巻の4冊に組み替え、編成し直しました。例えば『平和主義ではない脱原発』は『運命と自由』の巻に所を得ています。先の大戦のテーマは『現代日本の政治と政治家』を経由して、『天皇と原爆』の巻で止めを刺しています。

 しかしながら大変申し訳ないのですが、多くの方から高い評価をいただいている『GHQ焚書図書開封』は全集には1冊も収録することができませんでした。

 まだ私は85才で、書きつづけていきます。収録できなかった作品を今後どうするかは、読者の要望のいかんで決まると、版元との相談会で語られています。残された私の時間は限られています。全集継続には大変な労力を要します。少しでも多くの新しい未知の作品を書いて、残された全集化の仕事は後世に委ねたいとの思いもあります。皆様はどうお考えになるでしょうか。コメント欄を版元も注目しています。

令和3年(2021年)元旦

賀正

 米国大統領選挙で私は明白な「不正」の数々を知った。

 何十万票が一夜にしてトランプからバイデンにすり替えられてしまう投票マシーンの存在。民主党の予備戦でそれがサンダーズを追い落としにも使われていたこと、今後上院の決戦投票でこの後に及んでなお使おうとしていること、そのサーバーの奪い合いで銃撃戦が起こり、六人の兵士が犠牲となっていること。

 ジョージア州の開票所で議員を帰した後の深夜居残りの四人が机の下に隠していた大量の投票用紙をバイデン有利にスキャンしたこと、これが監視カメラに全部映っていて公開されたこと。居住人口より多い投票数、何千人という死者の投票、投票日過ぎてから有効となった郵便投票。

 それでいてCIAもFBIも動かない。州知事や司法長官が言を左右にする。

 米国は今や法治国家ではない。買収や脅迫が横行するベネズエラ並の選挙風景である。大手メディアは一切報道しない。権力構造の全体に異変が生じたのだ。ビル・ゲイツやジョージ・ソロスの名がその一角にあり、他方社会全体の左傾化は著しく、やがて「人民党」が台頭し、二大政党制はなくなるに違いない。(十二月十一日記)

「自由」を脅かすものは一体何か 

評論家・西尾幹二
令和2年(2020)11.19産經新聞正論欄より

≪≪≪日本学術会議をめぐり≫≫≫

 日本学術会議のあり方が問われ出して以来、「学問の自由」という言葉が飛び交っている。しかし「自由」は果たして根本から問い質(ただ)されているだろうか。

 一方、米国と中国の対立が深刻化して以来、日本のメディアはそこに必ず覇権争いの一語を添える。覇権争いは喧嘩(けんか)両成敗の意味を含む。日本のような中小国はどこまでも中立だという意識を伴う。自国の経済と安全保障の損得だけ考えていればいい、と。自分自身の問題をそこに見ない。だがそんなことで果たして「自由」の本質に立ち入れるだろうか。

 そこで私はまず自由を脅かすものは一体何かという問いを掲げてみたい。日本では自由を脅かすものは国家だと頭から信じ込んでいる。だが自由を脅かすものは第一に自分自身であり、今の我々の享受している自由の内容である。
 第二に国家の外にある何か強大なイデオロギー、宗教体系、合理的な仮面をつけた世界説明の闇、その他である。しかし先の大戦の敗北以来、大半の日本人は自由の敵は国家であり、自国の歴史であると単純に捉えがちである。こういう国民は実は少数である。

 ごく大雑把(おおざっぱ)な図式になるが、イスラム圏やインドでは宗教の権威が政治より上位にあった。東アジアの歴史では逆に政治が宗教より上位にあった。それに対し西欧では宗教と政治の力が均衡し、絶え間ない衝突と葛藤が生じ、そこに近代的自由の必要が生じた。

 即(すなわ)ち中世からずっとローマ教会は世俗の権力でもあり、領土を有し、武力を備えた、国家にも似た一大パワーであった。近代的な市民社会の自由の概念-「学問の自由」もその中に入る-は封建貴族や王権を倒せば直ちに得られるというものではなかった。その前に宗教権力が立ちはだかっていた。「自由」のための戦いは三つ巴(どもえ)の構造を示していたことになる。

 例えばイタリア王国とローマ教皇ピウス9世の争いは長期にわたり、有名なラテルノの和解で一応の妥協が図られたのは何と20世紀に入ってからの1929年のことであった。

≪≪≪自由の敵は国家ではない≫≫≫

 西欧では自由の敵は決して国家ではなく、まず宗教であった。宗教の武力に脅かされるというこの観点はわが国の近代史ではオウム真理教までみられなかった。「政教分離」はだからわが国では、国家の悪から宗教を守って、宗教に自由を保障するという根の浅い、甘っちょろい概念であった。自由の側に戦いの試練もなく、血塗られた経験もない。

 西欧の精神は時代が変わってもその本来の精神は変わらず、今では米国がその衣鉢を継いでいる。近代世界では宗教は次第に穏健になり、代わりに共産主義という現代の宗教がしつこい挑発を続けている。同時に自由は過剰であるという自己批判の精神も鋭敏になった。米国政府が中国共産党と全面対決の意志を示している最中、本年10月に米司法省が、巨大富を集中させるグーグルを反トラスト法(独占禁止法)違反で提訴した。外では共産主義と戦い、内では公正な競争を阻害する資本主義のマイナス面と戦う-これが西欧の文化伝統から出た「自由」の発露である。いずれも目前の現実と戦いそこから目を逸(そ)らさない。

 一方日本学術会議の言う「学問の自由」とは敗戦の日の思い出漂うムードを頼りにした消極概念で日本の現実に立脚していない。そもそも誰がどのようにしてメンバーに選ばれているか、はっきり分からない秘密集団だ。草創期には人名を出し組織解剖した桶谷繁雄東工大名誉教授による「日本学術会議は日本共産党の下部組織だ」という明確な証言もある(「月曜評論」昭和52年10月24日)。

≪≪≪自由の本義に立ち還り議論を≫≫≫

 最近ではノーベル賞学者も並べカムフラージュしているが、司令塔はあるに違いない。国会論争で共産党があれほどむきになるのは最後の利権だからだ。論戦は大いに結構だが、やるなら「自由とは何か」の本義に立ち還(かえ)ってやってもらいたい。いつまでも自由を脅かす敵は国家だ、という認識のレベルなら打ち切るにしくはない。

 それに比べてみるなら菅義偉首相の多様性を尊重し、既得権益を排し、出身大学に偏りのない、民間にも目を配った、前例主義に捉われない、公正な競争を前提とした組織であってほしいというのは日本の今の現実に合っていて的確な「自由」の概念の表明である。

 一方米国の大統領選の始末に目をやれば「自由」が見境もなく乱舞した混乱と見えるが、人種や州権による「分断」はあの国の歴史の必然から出ていて現実である。トランプ氏は実にシェークスピアの『コリオレイナス』を思わせる千両役者である。われわれはしばらく推移を見守るがいい。今やロングランの大劇場だ。米国人らしい「自由」の自己表現であって、集票の不正で地に落ちた米国民主主義の信頼の回復は、見えない巨大悪に立ち向かうこの人の無私の情熱、恐れを知らぬ行動の如何(いかん)にかかっているといえよう。(にしお かんじ)

ルポ百田尚樹現象を読んで

松山久幸氏に来たメールですが、西尾先生の意向により、日録本文として掲載します。

松山久幸 様

坦々塾でお世話になっている岡田敦夫です。
ご無沙汰しております。
先月、松山様が西尾先生のインターネット日録へ寄稿された論文を拝読しました。
そして石戸諭氏の「ルポ百田尚樹現象―愛国ポピュリズムの現在地」を小生も買いこのほど読了しました。拙き読後感想を持ちましたので松山様にご報告したくメールする次第です。差支えなければご一読いただければ幸甚です。
(長文にて失礼します)

本来、斯様な感想は日録のコメント欄へ投稿すべきなのでしょうが、最近、他投稿者の皆様との見識の広さに対する小生の僅かな人生経験で発する論の拙さに打ちひしがれており、投稿に躊躇をしております。
また、(こちらの方が本音なのですが)先に読まなければならない西尾先生のご著書を読了していない状態で本書を読了してしまったことが面目ない気持ちもあります。

まず、小生が本書を読みたいと思った理由ですが、主に以下の3点になります。
・松山様の寄稿文に「第二部はつくる会発足の経緯が一般人にも手に取るように はっきりと理解できるほど詳細に語られている。つくる会のことに関して色眼鏡を 付けずに殆ど主観を交えず恐らく事実に対して忠実に淡々と記述されていると思われ、ここはジャーナリストとしての石戸氏の面目躍如たるものがある。このように第三者的立場で書かれたものは他に見当たらない。」
 とありました。
 
小生がつくる会の存在を知ったのは小林よしのり氏のゴーマニズム宣言によります。従って会発足の経緯というものは小林氏の視線によってのみ知り得たことでした。今般、松山様が評価しておられる説明文があるとのことで興味を持ちました。
・小生の認識ではここ数か月の間に、保守層からの百田尚樹氏の人気が急落しているようです。
 今年になってから諸々事情によりYouTube上で虎ノ門ニュースを視聴することが多くなったのですが、コロナ以後、百田氏が出演するとかなりの視聴者からディスる声が上がっているようなのです。その理由についてはいろいろありましょうが、少なくとも現在では百田氏のことを保守系から圧倒的な支持を得ている論客という見方をするのは実態と合わないことだと思います。

 つまり、「え、なぜ今ごろ百田氏なの?」という驚きがあったのです。
・松山様の寄稿文には、石戸氏が本書を書くことにした動機を「川のこちら側」(左派)から「川の向こう側」(右派)へと敢えて足を運んだとのことですが、小生はこの表現に興味を持ちました。
 小生、若いころに「なぜ保守と左翼は会話がかみ合わないのか」について悩んでいたことがあり、ネットでいろいろ調べていた時に下記ページを見つけました。
 
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_uyosayo.html

 記載者はかなりエキセントリックな人であるようで上記以外の文は全く面白くないのですが、ここに書かれている図式には納得させられるものがありました。
 つまり、保守は左翼のことを(高さが違わない)横の関係と捉えるのに対し左翼は保守のことを上下(ただしいつも保守が上)の関係と捉えているということです。この説を読んで以後、小生が左翼の人と話をするときは「この人は小生のことを上下の対立軸で見ているのだな。」と思うようにしています。
 本書において、左側にいる石戸氏が保守の側を「川の向こう側」と表現したということは上記図式に反します。そうすると石戸氏が捉えている対立軸はどのようなものなのか、若しかしたら左翼に立場を置きながら対立軸を横の関係と捉えている人なのかもしれない、という興味を持ったのです。

 前置きが長くなりました。

 読後、最も強く印象に残ったことは、石戸氏はこの本を通じてつくる会の教科書運動をポピュリズムであると断定することにより運動そのものを誹謗することが目的だったのだと思いました。一方で石戸氏の取材(というより理論武装?)が甘いため、教科書運動をポピュリズムと断定する証明には至らなかったというのが小生の理解です。

小生はノンフィクションというジャンルの読み物をほとんど読まないのですが、唯一の例外は1998年に最相葉月氏が書いた「絶対音感」です。これも絶対音感というスキルを高尚なものとして持ち上げたいために別の音感スキルである相対音感を矮小化していました。読んで吃驚したのを覚えています。
ノンフィクションって、こんなものなのでしょうか?

石戸氏のストーリーは以下のようなものです。
まず第一部で百田尚樹氏の現在と経歴を丁寧に取り上げ(この辺の記述は面白く読めました。小生は元関西人であり探偵!ナイトスクープは今でも毎週録画して週末に視聴するのが楽しみです)、彼のことを究極のポピュリストである証明をします。そして第一部の最後に無茶振りでつくる会を取り上げ、百田氏の言動はつくる会の運動と連綿と繋がっていると断定をします。
第二部でつくる会の運動の足跡をたどるべく藤岡信勝先生、小林よしのり氏、西尾先生へのインタビューを試みます。その中で藤岡先生および小林氏が運動の支持を普通の人々に求めたということを訊きだし、これを以てつくる会の運動がポピュリズムであると断定しています。

しかしながらこのようなこじつけが通用する訳はなく、本書の記述は常に迷走し続けているようです。例えば、P.127からP.128にかけての記述です。西尾先生の「国民の歴史」と百田尚樹氏の「日本国記」を同列に扱うかのような質問をして西尾先生から「書いた動機が違うんだよ。」と叱られている。にもかかわらずその後も「おかしいなー。つくる会と百田さんとは連続しているはずなんだけどなぜ断絶しているのかなー。」と問いかけている。
終章に至っては、改めてつくる会の運動と百田氏の活動が繋がっていると断定しておきながら詳しい分析に踏み込むと相違点ばかりが浮かんでくる。
これは結局両者は繋がっていないんだという証明になってしまっていると小生は考えますが、著者の石戸氏は分かっていないようです。

 斯様な感想ばかり書いてしまうと、まるで小生が本書を読んだことを後悔しているように感じられたかもしれませんが事実は正反対で、この本を読んで良かったと思います。
ひとつは、つくる会の活動の流れを知ることができたということです。

 小生も2002年から西尾先生が会を離れられるまでの間、短期間ですがつくる会に在籍していたことがあります。そのころを思い出しながら、西尾先生はじめつくる会に携わった方々の思い、悩み、葛藤、苦しみについて少しでも思いを馳せることができた気がします。
次に、登場する人の人物像がよく見えてきたということです。藤岡先生と小林氏は、上述した左翼と保守の分類で言うと若しかしたら左翼側におられるのかもしれないと思いました。本書において両氏とも権威(朝日新聞)に対抗する思いを強く述べています。当然、西尾先生も権威に対する対抗心はお持ちですが藤岡小林両氏の思いは権威との上下関係であるのに対し西尾先生の捉え方は横の関係であるように思います。

 著者の石戸氏はどうでしょうか?小生にはよく分かりませんでした。というのは小生の理解では、石戸氏の捉え方には上下の関係と横の関係の両方が存在する様に思えたからです。
石戸氏は、藤岡先生や小林氏(百田氏も)が権威に対抗する思いを語るとき、わが意を得たりと言わんばかりの反応を示しています。逆に西尾先生にはこういう対立軸を見いだせず、消化不良なインタビューになっています。石戸氏にとっては上下の関係で対立をとらえた方がしっくり来ているように思いました。

 一方で、西尾先生、藤岡先生、小林氏、百田氏に対し著者の石戸氏はきちんと敬意を払って接しているように思いました。思想信条が異なる相手にインタビューをするのですから、対立軸を上下関係に捉えている人だとどうしてもやっかみや(逆に)蔑みなどの感情が露呈してしまいそうなものですが、本書では斯様な感情は見いだせませんでした。
ただ、西尾先生をはじめ、登場人物を全て呼び捨てで表記するのはけしからんと思います。せめて冒頭に断りの一文でも書くのが礼儀ではないかと思いました。

さて、話題は全く変わりますが、小生が住む神奈川県藤沢市で、市民としてまことに恥ずかしい出来事が起こりました。来年度より、市立中学校で使う歴史教科書が育鵬社版から東京書籍版に変更されることになったのです。
https://www.asahi.com/articles/ASN705WMXN70UTIL01B.html
コロナ禍に気を取られているすきに、敵は着々と運動を進めています。教科書問題については小生近年は勉強不足であり、どう行動をしたらよいのか戸惑っているところです。ただ一人で憤っているだけではダメだということは解っているのですが、、、、、、、

岡田敦夫 拝

「ルポ百田尚樹現象―愛国ポピュリズムの現在地」を読んで

令和2年7月17日
坦々塾会員 松山久幸

 最近、西尾幹二先生からこれを読んでみなさいと手渡されたのが「ルポ百田尚樹現象―愛国ポピュリズムの現在地」(令和2年6月22日発行、小学館)である。

 まず著者石戸諭(いしど・さとる)氏を簡単に紹介しておきたい。1984年生まれで立命館大学卒業後、毎日新聞社に入社。2016年に退社後2018年からフリーランスとなりジャーナリストとして活躍。

 著者の立ち位置と当著作の動機については序章で次のように述べられている。アメリカのフェミニズム社会学者A・R・ホックシールドの言葉を引用しながら、「橋の向こう側に立ってこそ、真に重要な分析に取りかかれる」として「川のこちら側」(左派)から「川の向こう側」(右派)へと敢えて足を運んだと。

 従って、我々にとって著者石戸諭氏は「川の向こう側」の人だ。「川のこちら側」には西尾先生や百田尚樹氏、藤岡信勝氏、小林よしのり氏(当時)などの「愛国」グループがおって、それぞれベストセラーとなる本を出している。はっきりした右派なのに何故そんなに読む人がいるのだろうかと石戸氏には不思議でならないので「川のこちら側」に来て分析をしてみたくなり、代表的な各氏に精力的にインタビューを試みて書いたのがこの本である。

 第一部では百田尚樹氏に焦点を当て、「百田尚樹現象」とは、百田氏が『永遠の0』や『海賊とよばれた男』で大衆から人気を獲得し大衆の思いを汲み取ることでベストセラー作家の地位を確立し、そして歴史本でまた大いに売りまくっていることを指す。その大衆とは「ごく普通の人々」と石戸氏は規定しているが、百田氏のサイン会に来ていた読者達はインタビューの受け答えから判断するに「ごく普通の人々」よりレベルは上だったように受け取れる。また多くの人々に感動を与えた映画『永遠の0』の中で、『大東亜戦争』ではなく 『太平洋戦争』という言葉が平然と使われていることに石戸氏は疑問を呈し、何故なのかと質問をしていて、「映画は娯楽だから」と百田氏があっさりと受け流したことに驚き、百田氏の大衆迎合の感を強くしたのだろうか。

 また次のように書かれた興味を引く箇所もある。石戸氏が南京事件の否定論などは「歴史修正主義」と呼ばれてもおかしくないのではとの質問をしたのに対して、「僕は歴史修正主義者でもなんでもありませんよ。それまで事実を捻じ曲げてきたことが歴史修正であり、私は『日本国紀』で普通の歴史的事実を書いています。南京大虐殺があった、日本の強制による従軍慰安婦がいた、というほうが『歴史修正』だと思いますよ」と百田氏は明解に答えている。因みに、『日本国紀』は2冊の関連本と合わせて100万部を突破しベストセラー街道を驀進していると石戸氏は記している。

 第二部はつくる会発足の経緯が一般人にも手に取るようにはっきりと理解できるほど詳細に語られている。つくる会のことに関して色眼鏡を付けずに殆ど主観を交えず恐らく事実に対して忠実に淡々と記述されていると思われ、ここはジャーナリストとしての石戸氏の面目躍如たるものがある。このように第三者的立場で書かれたものは他に見当たらない。嘘の従軍慰安婦問題を契機に立ち上げたつくる会は出鱈目な歴史教科書の存在を多くの国民に知らしめた。当時私もその禍々しきことを初めて知った一人であり、これは酷い、何とかしなくてはという強い思いに駆られ直ぐさま会員になることに決めた。それまでの私は唯のサイレント・マジョリティーで、日々の営業の仕事に明け暮れるばかりであり、もしつくる会運動がなければ死ぬまでずうっと無為に日を送っていたかも知れません。昭和45年11月25日の三島由紀夫の死が余りにも衝撃的で、我が人生はそれ以降まさに放心状態であったと言っても過言ではない。そのようなことがあってつくる会の発足は私にとっても実に画期的なことであった。
 
 この運動のお蔭で教科書から従軍慰安婦が消えて運動の成果を喜んでいたのも束の間、学び舎なる極左グループによる教科書出現によって従軍慰安婦は復活し、今度はあべこべにつくる会の教科書は不合格に。嗚呼。前川某というトンデモナイ輩が官僚トップになる体たらくの文科省は腐臭が漂うほどに腐り切っている。良識派だと期待を寄せていた大臣萩生田も見掛け倒しでどうにもなりませぬ。西尾先生も初代会長として大いに尽力されたあのつくる会運動は一体何だったのだろうか。今は虚しさだけが漂っております。

 石戸氏のルポに戻りますが、百田尚樹現象とつくる会現象をニュアンスの差はあるにせよ、どちらもポピュリズムの社会現象と石田氏は捉えているが、これは間違っている。ポピュリズムを大衆迎合主義と規定するならば、少なくともつくる会運動はそんな低レベルの問題ではない。日本国家と日本国民の将来を見据え、世に蔓延った自虐史観を糺そうとした崇高なる国民運動ではないか。その結果が多くの国民を覚醒させて、そして既存教科書会社も従軍慰安婦を削除せざるを得なくなった。どうしたことか今はまたその記述が復活してつくる会の努力は無になって仕舞いましたが。

 このようなことから石戸氏がつくる会現象と、ベストセラー作家たる百田尚樹氏の人気現象とが同一のポピュリズム現象であると論ずることには無理があると私には思われます。

 蓋し、ポピュリズムやポピュラリティーという用語を右派自身が使うことはない。この用語は専ら左派が右派を否定的に捉え揶揄する時に使っているのではないか。唯、この左派用語「ポピュリズム」を良識派の新聞たる産経までもが何の疑問を差し挟まずに使っている。一体これはどうしたことか。

 最後に細かいことですが、石戸氏は左翼用語の交ぜ書き「子ども」を使わず「子供」と表記をしている。今は亡き東京都議古賀俊昭氏に倣って古き良き日本文化を守る為、普通に「子供」と書いてほしいと願う私には実に嬉しいことである。(令和2年7月記)

東京は新型ウィルスに襲われている

 春らしからぬ春が過ぎ、夏らしからぬ夏が近づいています。三月末のある夕べ、近くの公園に入りました。満開の桜の通りを覗き見しました。驚いたことに人の姿がまったくありません。夕方の五時ごろでした。国民が素直に政府の要請通りに自宅に籠っていた証拠です。
 
 六月の中頃、友人と久し振りに、本当に久し振りにレストランに入りました。もともとスペースの広い店なのにさらに隣の机を空席にし、非能率の客対応に耐えていました。私と友人はその上さらにテーブルを三つ並べて両端に離れて坐りました。店内に若い男女がビールの杯を掲げて賑やかに叫び合うシーンは見られませんでした。
 
 人の姿のまったく見えない桜並木は何となく不気味なものでした。賑やかな声の聞こえない会食風景は、不気味ではありませんが、若葉の美しい時節にどことなくふさわしくないものに感じられました。

 このどことなく鬱陶しい、神経症的な雰囲気は、全国同じとは思えません。東京は特殊なのかもしれない。

 新型ウィルスの襲来以来、私はわが身にもとうとう来るものが来たのかな、などといったあらぬ思いが心中からどうしても拭えません。

 一人の喜劇タレントの死が切っ掛けでした。私は病気持ちの84歳で、彼よりずっと条件が悪い。感染したら万に一つ助かる見込みはありません。二、三週間で、片がつくでしょう。その間呼吸のできないどんな苦しみに襲われるのだろうか、と生物としての不安が急に想像力の中に入って来ました。テレビはかの喜劇タレントがひとつの骨壺になって遺族に抱かれて自宅に帰ってくるシーンを映し出しました。彼の兄らしい人物が、「恐ろしい病気です。皆さん、気を付けて下さい。」とだけ言った。病中の枕頭への見舞はもとより、遺体との接見も認められなかった事情を言葉少なに語りました。
 
 死後直ちに焼却炉に入れられたという意味でしょう。屍体の取り違えは起こらないのだろうか、などと私はあらぬ空想に走る自分が恐ろしかったのです。中世末期のやり方と同じだな、とも思いました。その後やはりテレビでブラジルやアメリカやイタリアやスペインの乱暴な遺体処理の現場の遠景を若干覗き見ました。やはり中世と変わらないな、と再び思いました。

 しかし考えてみれば、死は一つであって、自分の死は他の人からどう看取られ、社会的にどう見送られるかのいかんで変わるものではありません。やはり自分の身にも来るべきものがついに来たのだな、とむしろ納得しました。そして夜、秘かに考えました。万が一、高熱が三日つづいて、PCR検査で陽性ときまり、入院せよという指示が出されたとします。私はいよいよ家を出るときに妻にどういう言葉をかけたらいいのだろうか。戸口で永遠の別れになる可能性はきわめて高い。このことだけは考えの中に入れていなかった、と不図気がついて、ゾッと総身に寒気が走ったのです。

 あゝ、そうか、そこまでは考えていなかったなぁ・・・と思うと、さらに想像は次の想像を誘いました。老夫婦二人暮らしのわが家では一方が感染すれば他方もまた必ず感染するに違いありません。ウィルスが家庭中に乱入したら防ぎようがないのです。そして、その揚句、私の住む東京のある住宅地からとつぜん二人の姿が消え、そしてそのあと何事もなかったかのごとく、街はいつもの静けさと明るさに立ち還るだろう。あゝ、そうか、そういうことだったな、とあらためて思い至ったのです。

 そんなこと分かり切っているではないか。お前はこの七月で85歳となることを考えていなかったのか。そう呼びかける声も聞こえて来ました。そうです。考えていなかったのです。あるいは、考えてはいても、考えを継続することを止めていたのです。

 生きるということはそういうことではないでしょうか。迂闊なのですが、迂闊であることは正常の証拠なのです。

 三年前の致命的な大病の結果から脱出しつつある今の私は、日々仕事に明け暮れていた昔日の自分の日常を取り戻そうとしている最中でした。すぐ疲れ、呼吸は乱れがちで、万事をテキパキ手際よく処理して来たかつての能力も今や衰え、あゝこんな筈ではなかったと途中で手を休め溜息をつくことしきりでありますが、毎日何かを果たそうと前方へ向かって生きているのは動かぬ事実です。今は伏せておきますが、私の人生譜の中に出て来なかった新しい主題や研究対象にも少しずつ手を伸ばし始めています。しかし公開する文章はどうしても今までやって来た仕事上のスタイルやテーマに傾き易く、掲載を用意してくれる月刊誌が求めるのも今までの私の常道であった世界と日本の現状分析です。こうして新型ウィルスの出現に揺れる世界と今の私の関係について、二篇の論文を発表しました。周知の通り「中国は反転攻勢から鎖国へ向かう」(『正論』2020年六月号)と、「安倍晋三と国家の命運」(同誌七月号)です。

 この二篇は、自分で言うのも妙ですが、今のところ大変に評判が良く、世界や日本の現実を疑っている人々の心を的確に捉え得ている分析の一例に入るだろう、と秘かに自負を覚えています。しかし「死を思え」と夜半に私を襲った不安の概念と直接には何の関係もありません。私は私を直かに表現していません。自分の生活にも触れていません。自己表現は現代政治論の形態をとっています。だから私の心を揺さぶっている本当のテーマに読者はすぐには気がつかないでしょう。けれども、とつぜん国境を越えた疫病の浸透とその世界史的震撼の図は、日本の一市井人だけでなく、トランプや習近平の胸をもかきむしる根源的不安をも引き起こす「不安の概念」と無関係ではありません。自己の実存のテーマに思いをひそめている人の文章であるか否かは、読者ひとりびとりの判断によって異なるでしょうが、それは読者ひとりびとりの「死を思え」の自覚のいかんに関わってくることだろうと考えています。

 と、そのように私はいま平然と偉そうに語っていますが、万が一感染を疑われ、玄関口を出て入院用の車に乗るあの瞬間に私は妻に何というだろうか、その言葉はまだ用意されていません。それどころか、言葉が見つからず思い悩んだというこの一件を私は彼女にまだ敢えて洩らしていないのです。語らないで済めばそれが一番いい。それが日常生活というものだ、と考えているからでしょう。そして私は日常を失うのをいま何よりも最大に恐れているのです。

(令和二年(2020)六月十八日)