坦々塾(第十五回)報告(一)

ゲストエッセイ 
浅野 正美 
坦々塾会員
 
9月5日(土)に、第十五回坦々塾が行われました。

福地 惇さん  
西尾先生
水島 総さん 

  の順番で講義をいただきましたが、まず西尾先生のご講演から報告させていただきます。

 宗教戦争としての日米戦争        

 前回「複眼の必要 日本人の絶望を踏まえて」の中でアメリカの特殊性について学んだが、今回は宗教をキーワードとして、何故大東亜戦争が戦われなければならなかったのか、という講義を聴くことができた。

 講義の冒頭、先生が披露したエピソードが大変印象的であり、また今回の講義録をまとめるうえでも大変重要になると思うので紹介する。

 1981年、レーガン米大統領就任演説翻訳文を掲載した朝日新聞には、重要な一文が抜けていた。しかも故意に削除したのではなく、日本人の常識に照らして必要ないと判断されていたという。その文章とは次のようなものである。

 「私は、何万人もの祈りの会が本日開かれていると聞いている。そうして、そう聞いて私は深く感謝している。

 われわれは神の下の国であり(We are a nation under God)、私は神こそがわれわれを自由にしようと思っていると信じている。もしこれから何年間も大統領就任演説の日に、祈りの日であると宣言されれば、ふさわしいし、よいことだと私は思う」。

 この文章にレーガン大統領、万感の思いがこもっていることに我々は気がつかない。ここに日本人のアメリカを見つめる時の盲点がある。普段の生活で私たちは宗教を意識しない。政治にも持ち込まない。若人、弱者、悩める者の心の救済として、あるいは死後の存在としてのみ考え、アメリカにとって宗教こそ共同体のアイデンティティーの問題であるという認識がない。この大きな断絶を理解しないと、「宗教戦争としての日米戦争」という今回の講義の真意がつかめないのではないかと思う。

 アメリカに国教は存在しないが、まぎれもなく神権国家であり、宗教原理主義といってもよい。そこでは個人の上位に共同体があり、共同の理念がある。

 国教はないが、見えざる国教があり、それは聖書を教典とするキリスト教に近い宗教であり、それらの間にのみ信教の自由が認められる。信教の自由とは多種多様な教会を認めることであって、移民、アジア、黒人、インディアン、等に対する寛容ではない。あくまでも身内における自由であり寛容なのである。

 西尾先生から、先進六カ国の国民の宗教観に対するデータが配付されたが、天国、地獄、死後の世界、神、それぞれの存在を信じるアメリカ人は、すべての項目にわたって70%を超えている。特に神の存在に関しては94.4%の回答者がその存在を信じているという。ちなみに我が国は、どの設問においても一番低い数値をしめしている。日本人は国家意識の基礎に宗教がなく、その必要も感じていない。

 平安朝の遣唐使、吉備真備(きびのまきび)に関する逸話も紹介された。唐でつらい留学生活を送る吉備真備に対して、朝廷から難問が出され苦悩する。阿倍仲麻呂が鬼となって現れ助けてくれるが、さらなる難問が出される。そこで吉備真備は、日本に向かい日本の神に助力を乞うたところ、蜘蛛が現れ糸を引いて答えを教えてくれた。吉備真備は仏教を学びに唐に渡ったにも関わらず、「困ったときの神頼み」では、日本の神に祈った。ここに見えるパラドクスこそ古代日本の神認識の姿である。

 縄と紙垂(しで)に囲まれ限定された空間、あるいは氏神様、祖先神、といったように、我が国の神は古来限定された場所で、特定の人によって祀られていた。天照大神は天皇家の皇祖神ではあっても、全国民の神ではなく、国民は祈ることもできない時代があった。

 平安末期以降、我が国では仏教が優勢となる。まず御仏があり、神々はその生まれ変わりの姿であるという本地垂迹説が説かれた。仏と神は一体であり、この時代仏像を模した神像が造られていく。神が刀や鏡に象徴されていた時代から、現実の姿として表現された時代である。われわれが今神様のお姿として思い浮かべるのは、神話の挿絵に出てくる白い衣をまとった姿だが、これは明治になって初めて創作されたものである。

 さて、中世以降天皇家が力を失って行くとともにに、神は国民の信仰の対象へと変わっていく。東西統一権力が成り、鎌倉仏教は天皇家を無視、大本の仏が大事で天照大神はその代替信仰であるという位置付けであった。仏教の中に於ける神道という概念が定着し、幕府もそこに身を置いた。皇祖神の天照大神はこうした中、仏教の手を借りて全国に広まっていく。

 明治に入り、廃仏毀釈となったのはご存じの通り。神祇官が任命され、神社優位となり、国学者、神官は増長した。

 幕末の日本は、アングロアメリカ(英・米)とぶつかった。我が国は、欧米という言葉がしめすように、ヨーロッパとアメリカを同じ文化圏として認識していたが、実は両者は異質のものであった。

 アメリカという国の成り立ちを、南米、北米、北米における南部と北部という点で歴史を振り返る必要がある。

 19世紀初頭、アメリカ大陸の人口は、南米が1,700万、北米が500万であった。南のインディオ、北のインディアンは共に1.5~2万人。ヨーロッパが意識したアメリカは当初南米であった。南米はスペイン王朝が富を獲得をするために利用された。そこでは暴力を行使し、あるいは十字軍的な使命感で、原住民を改宗していった。

 人民は混血し、人種政策はゆるめられた。経済的にはスペインの本国経済と深く結びついていた。

 北米大陸には、南部と北部という問題がある。南部は豊かで土壌は肥沃、農地として適している点では、南米とにている。北部は農業に恵まれず、貿易、造船が大きな経済的基盤であった。独立前すでに造船量は大英帝国の三分の一に達しており、本国の干渉を避け、独立の気風が養われていく。広い国土の自由使用を認め、富を広く豊かに拡げるために平等相続制度を採った。この頃の欧州は長子相続であった。北の世界に対する意識にはキリスト教があった。これが、我が国に深く関係する問題である。

 マタイ伝によるイエスの予言によれば、西に新しい土地があり、そこはキリストが与えた、征服に相応しい土地である。アメリカ大陸侵略を正当化するために、これ以上ない予言であった。選民意識に基づく、約束の地アメリカを、出エジプトに置き換えた物語が生みだされた。ワシントンは、モーゼに擬せられた。こうしてインディアンに対する掃討戦は正当化され、1914年、フィリピン侵略も完成する。すでに日米開戦も間近である。アメリカの宗教戦争はこうして続き、このアメリカの信仰への熱狂は、むしろイスラムに似ているといえる。今のアメリカ人も神を信じている。通常文明の進展と共に国民は脱宗教化するといわれており、アメリカはすでにヨーロッパとは異質な国家となっている。同性愛、人工妊娠中絶が選挙の重要なテーマとなり、教会の政治に対する発言力は極めて強い。アメリカ人にとって信仰は誇りであり、大統領選挙では、当落を左右する問題である。

 翻って我が国は無宗教国家であろうか。決して無宗教ではない。無宗教で天皇を戴くことはできない。江戸時代まで、天皇の認知は謎であった。わずかに思想家のみが考えた。思想的に明治以前に用意されていた国学が、明治の自覚とともに、疑うことを不必要とした。

 国の学問の中心は仏教から儒学へと移り、1670年から書かれた大日本史は孔子の正統主義に基づき、南朝正統を認めた。神話を否定して、神武天皇から南朝最後の天皇である後小松天皇をもって南朝の滅亡とする史観を採用した。道徳的叙述により歴代天皇も批判し(論賛)、1740年にいったん編纂が止まった前編は朝廷に献呈されなかった。

 後期水戸学は神話を復活し、易姓革命史観を否定、論賛を削除した。我が国の歴史の継続性を主張し、日本は一つ、国名も一つ、日本は不要、題号は国史でよいと主張した。これが幕末の国体論につながる。これが前述した「思想的に明治以前に用意されていた国学が、明治の自覚とともに、疑うことを不必要とした」状況に繋がる。

 我が国は尊皇攘夷・尊皇開国(文明開化)の間を揺れ動きながらも、最終的にはアメリカの宗教戦争の仕上げに飲み込まれて行く。アメリカにとって日本は、インディアンやフィリピンと同様、簡単にねじ伏せることができる相手だと考えていたが、我が国の抵抗は想像以上に激しいものだった。戦争には勝ったが、戦後経済の分野で幾多の苦杯を舐める。特に国家を象徴する産業の一つである自動車産業において、アメリカは半世紀の長き敗北を喫した。アメリカは我が国の底力にようやく気がついた。果たして復讐はあるだろうか。

 「神の国」と「神の下の国」という二つの国家の戦いが、大東亜戦争であった。

文責:浅野 正美

坦々塾(第十四回)報告(四)

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ゲストエッセイ 
河内 隆彌(こうち たかや)
坦々塾会員

○「逆境に生きた日本人」― 鈴木敏明さん

 独特のユーモラスな語り口で、きびしいお話をされましたが、面白くうかがいました。「自虐史観」のルーツを日本人の資質に求めるという大変な勉強をされて、いくつかのケース・スタディで実証されました。 挙げられた日本人のひとつの特質、「裏切り」については、言葉どおりであれば、陰険、卑怯というマイナスのイメージもあり、やや納得しがたいところでしたが、それが「変節しやすい」「迎合的」というようなニュアンスであれば分かりやすいところだと思いました。 「スターリン大元帥への感謝状」、早速インターネットで調べました。この話は聞いたことがありませんでした。 「自衛隊の左翼方向でのクーデター」の話、ドキッとしました。日ごろサヨクが「力」(物理的な意味での)を持つ、ということは考えたことがなかったので、それもそうだな、と目が開かれました。(生憎予約しそこなったので、ご著書はまだ読んでいない時点での感想です。)

○「複眼の必要―日本人への絶望を踏まえて」―西尾塾長           

 塾長のお話は、鈴木さんのお話をちょうど受けた格好で、ここまでのテーマは「日本人論」になっていた、と思います。 塾長は、「国体の本義」を取り上げられ、そのなかの、和と「まこと」の心、に潜む危険性に話を及ぼされました。小生は、このお話を伺いながら、唐突に「わが国の振り込め詐欺」のことを思い出していました。オレオレ詐欺の時代から、この犯罪は流行り出してからもう何年経ったろうか?あれだけ警戒信号が発せられながらいまだに騙されている人があとを絶たないようです。(警視庁統計:20年度、7836件、被害額112億 21年4月まで、3023件 被害額36億)この犯罪は外国でもあるのでしょうか?多分あまりないのではないか、と思います。ある意味で、こういう善意の日本人のなかで暮らせること、幸せではあるのですが、憲法前文は日常の暮しにも充分生きているようです。ここまで考えていたら、塾長が「騙され易い日本人」というご本を紹介しておられました。 ちょっと文脈から外れますが、最近とんと目にしない「国体」という言葉、「日本人の歴史教科書」「特別寄稿・天皇と日本」の末尾で、寛仁親王殿下がさり気なく使っておられることが印象的でした。 引用:・・・全く他国に見られない行いを神話の時代から連綿と続けてきました。国民一人一人の、国体を守る、「民族の知恵」を感じざるを得ません。

○「中国の崩壊と日本の備え」―石平さん

 先生は、熱情を以ていまの中国共産党を弾劾 されました。 「権貴資本主義」という言葉を知りました。なるほどなあ、権力と貴族が結びついている、まるきり古代ではありませんか?貧富の格差といったレベルではなく、奴隷制ですね。当日サインを頂いた「中国大逆流」も読みました。8%成長率がいかに大事な数字かよくわかりました。 日本の将来は中国共産党がつぶれるか、つぶれないかに、かかっている、というメイン・テーマですが、つぶれれば、勿論つぶれ方にもよりますが、おとなしくつぶれてくれるわけではないので大問題だし、つぶれなくても いまの世界経済構造(アメリカの消費ー中国の輸出超過ー米国債保有)が破綻しかかっているので、どちらにしても大変化が予想されるわけです。・・・ということを確認させていただいた講演でした。「日本の備え」?果たして間に合うのでしょうか?まもなく行われる総選挙で、だれがどう舵取りをして行くのかわかりませんが、「外交」は間違いなく今後の一大イシューになることでしょう。

     文責: 河内隆彌

坦々塾(第十四回)報告(三)

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つづきにチャンネル桜出演のお知らせがあります。

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ゲストエッセイ 
浅野 正美
坦々塾会員

 鈴木敏明氏が問題提起し、西尾先生がそれを発展され、石平先生が中国の危機を分析した今回の坦々塾勉強会は、随所に新しい視点が盛り込まれていて、新鮮な感銘を受けた。特に、従来日本人の美質と思われてきた国民性が国際社会では通用せず、かえって文化摩擦を生むという西尾先生の指摘には深く考えさせられた。

  国体の本義第一部にある・肇国・聖徳・臣節・和と「まこと」というキーワードの中では、最後の和とまことこそが問題であるとされた。明き浄き直きこころ(あけき、きよき、なおき)、清明心といった神道の奥義にも通ずる思想であるが、こういった認識は日本人通しには通用しても、国際社会を相手にするときには、だまされやすさに通ずると説く。講座のタイトル「複眼の必要 日本人への絶望を踏まえて」の意味がここにあったことが理解できた。

 近頃の我が国では、過去の道徳をほめ称える風潮が盛んになってきた。また、品格、清貧、武士道、世直しといった言葉が飛び交い、政治家も美しい国、友愛といった空疎な言葉を口にする。過去への郷愁であり、日本人論好きにつながる、日本人とは何かという思いが基本にあるという。西欧の個人主義は、個人と個人の闘争(ホッブス)であり、神と自然と人が一体となって和を成す日本の思想とは相容れない。和とまこと、こそ現代日本につながる概念であり、日本人の弱さになっている。

 鈴木氏は、日本国民には変節の遺伝子があると指摘し、信念を通す人に冷たいと喝破した。日本人の極端から極端に振れる国民性について、西尾先生は、ご自身の体験として、昭和24年6月28日の日記を披露された。その日、舞鶴港にはシベリア抑留引き揚げ船の第二弾、第一船が入港したが、彼ら200人は今までの帰還者とは様子が違い、お互いを同志○○と呼び合い、明らかに人間改造、思想改造されていた。日記には、当時西尾先生が疑問に感じたことが率直に綴られている。13歳の少年の日記とは思えない、深い人間洞察力に満ちた文章である。先生にとっては、人間があのように改造されてしまうことが信じられなかった。とても不思議だった。

 当時の日本は左翼偏重時代、インテリがおかしい時代ではあったが、インテリはそうした事実に不思議を持たなかった。調査もしなかった。ラーゲリーでは日本人が日本人を苦しめた。反ソではなく、反日本人将校であった。先生はラーゲリーに戦後日本があるという。大勢に迎合し、異端を排除し、自らは考えない国民性だろうか。鈴木氏はまた、敗戦直後の昭和20年9月に発行された「日米英会話辞典」がわずか数ヶ月で360万部という大ベストセラーとなった事実をあげて、進駐軍に媚び、迎合する日本人の性向を披露された。西尾先生もまた、戦後すぐ日本人がアメリカになびいたのは、謎だといわれた。当時ソ連、アメリカという権力に、こうも簡単になびいてしまった日本人が、次は中国になびかないとどうしていえようか。

 米中接近にすり寄るために、自民党は靖國も拉致も放棄する裏切りの挙に出た。労組幹部を取締役に取り込んで、労組を弱体化するように、安倍晋三という保守の星を使って保守をつぶす行動に出た。田母神前空幕長否定は、こういった流れにつながっているのではないか。NHK幹部と自民党がつながっているのであれば、「JAPANデビュー」の真の敵は自民党である。考えたくもないシナリオだが、思考停止が一番いけないことであろう。戦後の日本は、いつかいつかといいながら、何もしないままに過ごして、どんどん悪くなるという道を歩んできたと、西尾先生はいう。今また、地殻変動のような世界再編の可能性が取りざたされているこの時期に、同じ轍を踏んではならないと思う。

 石平先生は、中国共産党の至上命題である経済成長率8%死守のからくりと、それが崩壊したときの新たな危険性について豊富な具体例と共に示された。軍、警察、秘密警察、マスコミを権力下に治め、議会も世論もない中国にあって、経済は無情である。共産党の命令を聞かない。これは中国にとって大きな地雷だという。

 ここでも最悪のシナリオが示された。かつて鄧小平が、天安門事件のもみ消しを計って、国民に金儲けに走ろうと号令をかけた「南巡講話」。以来中国は驚異的な経済成長を遂げたが、ただし永遠には続かない。また、成長にともなう腐敗や、貧富の格差の拡大といったひずみやほころびも目立って来た。格差問題が、社会的不安要素となったとき、共産党権力は権力を死守するために、毛沢東原理主義+ナショナリズムで軍国主義化する危険がある。共産党とは権力を守るための執念であり、そのためには何でもするという。現在の中国には、毛沢東時代を懐かしがる風潮があるという。皆が貧しかったが、ユートピアを作ろうとした時代という認識が広まり、毛沢東は外国にも強く主張した偉人として復活する兆しがあるという。

 中国が抱える矛盾が爆発するのを防ぐためには、反日愛国心に求心力を求め、軍事的暴発をする危険性が指摘された。それを防ぐためにも、日本は毅然として国益を守る態度を保持する必要があると強調する。

 また、天安門の時代になくて現在にあるものは、インターネットである。このツールは中国においても極めて有効に機能するであろうといわれた。我が国でも映画「三丁目の夕日」をはじめ、過去を美化する風潮がある。現実のあの時代は、政治的に左右が激しく対立し、公害が国民を苦しめていた時代であった。奇しくも日中が同時に、半世紀以上前の自国の佇まいに郷愁を持つということに何らかの共通点があるのであろうか。

 アメリカはもはや頼りにならない。

         文:責浅野正美

お知らせ

日本文化チャンネル桜出演

タイトル:「闘論!倒論!討論!2009 日本よ、今…」

テーマ:「漂流日本、どこへ行く!?」

放送予定日:平成21年6月26日(金曜日)
        20:00~23:00
        日本文化チャンネル桜(スカパー!219Ch)
        インターネット放送So‐TV(http://www.so-tv.jp/main/top.do)

パネリスト:(50音順敬称略)
       鈴木邦子(外交・安全保障研究家)
       塚本三朗(元衆議院議員・元民社党委員長)
       西尾幹二(評論家)
       西村幸祐(評論家・ジャーナリスト)
       花岡信昭(ジャーナリスト・産経新聞客員編集委員)
       水間政憲(ジャーナリスト)
       三輪和雄(日本世論の会代表・正論の会会長)

司 会:  水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

坦々塾(第十三回)報告(三)

ゲストエッセイ 
足立誠之(あだちせいじ)
坦々塾会員、元東京銀行北京事務所長 
元カナダ東京三菱銀行頭取/坦々塾会員

   西尾幹二先生

 前略、過日の勉強会でのご講義について以下申し上げます。
I
 3月14日のご講義は、時間軸の中で1907年前後、1942年前後を中心に、空間軸では中国を挟んだ日本とアメリカをご考察されたお話と承りました。

 1907年はアメリカでは大統領がセオドア・ルーズベルトからタフトに代わる頃です。タフトは日露戦争の最終段階である明治38年8月に陸軍長官として訪日し、朝鮮については日本が、フィリピンについてはアメリカが、フリーハンドを持つことを相互に認め合った桂・タフト協定を結んだその人です。ですから人的に見た変化は見出し難いのです。

 仰るとおりアメリカもそれまではヨーロッパと同様強国同士のgive and takeの外交であったと思われます。石井・ランシング協定がその最後の例でしょう。然しその後は確かにアメリカの対日政策は変化していることは事実であると思います。背景、原因については残念ながら私などには分かりません。考えたことがなかったからです。

 1941年8月の大西洋宣言で植民地の解放を鮮明にした点については以下のように考えます。

* 1 第一次大戦参戦に際してウイルソン大統領が唱えた民族自決の原則の理念化、理想化。
* 2 アメリカの大衆社会への変化がもたらした人々の意識の変化。
* 3 ルーズベルト政権内のコミンテルンエージェント、シンパの影響。
* 4 ヨーロッパ諸国に比べてアメリカは植民地喪失の打撃が少なかったこと。
* 5 日本がパリ講和会議で国際連盟規約に「人種平等」を盛る提案をしたことの影響。
の5点と考えます。

*1 ウイルソン大統領の掲げた参戦の大義名分である民族の自決は、オーストリア・ハンガリー、オスマン・トルコに従属する多数の民族の自主権、独立を回復させるということでしたが、それは理想化、理念化され、植民地支配を受ける人々にも適用されるべきであるという考えに結びつくものです。時を経るに従いそういう受け止め方が強くなりました。

*2 先生が以前記された通り、第一次大戦でアメリカの産業は大発展し、戦後の社会の質を大きく変えました。大衆社会の出現です。人々の生活の仕方、生きかた、考え方は大きく変わったのです。社会評論家であるフリードリヒ・アレンが1920代のアメリカ社会を描いた「オンリー・イエスタデー」によれば、女性がコルセットをしなくなり、母親が眉をひそめるような”フラッパー”な娘たちが現れ、従来の伝統や考え方は廃れていきます。ラジオが生活に浸透し、情報や理念の伝播がより大規模に急速におこなわれていきます。

 中国に関連することではパール・バックの「大地」がベストセラーになり、麻雀が大流行します。こうしてアメリカの大衆には中国へのロマンが掻き立てられ、好意的な雰囲気が生まれたと考えられます。 こうしたことでその後、コミンテルンのエージェントであったエドガー・スノーの「中国の赤い星」やアグネス・スメドレーのプレゼンスも大きくなったと考えられます。

 こうした変化の下で、植民地保有は悪であるという考え方がアメリカ国民に浸透し、コンセンサスになっていったのではないでしょうか。

*3 ルーズベルト政権内にはコミンテルンのエージェントやシンパが影響力をもっていましたが、マルクス・レーニン主義者あるいはそのシンパは当然植民地解放へとすすめる工作を含むものでありました。

*4 アメリカの領土拡大に関しては、メキシコから奪ったテキサスからカリフォルニアにいたるまでの併合領土は、ハワイも含め直轄領としての併合であり、植民地として得たのはフィリピンだけです。ですから植民地を手放すことでの損失はヨーロッパ諸国に比べると相対的に打撃は少ないものといえたでしょう。

 時代の変化に伴い植民地の保有がアメリカの理念を損なうことになることがはっきりしてきたとき、アメリカはフィリッピンの独立を認めるわけです。アメリカ議会は戦争前にフィリピンが1946年に独立することを認める決定をしています。このことは日本との戦争の原因に係わるものではないかと思います。

*5 これは全くの私見ですが、最大の理由は第一次大戦後のパリ講和会議で国際連盟の設立に際して日本が連盟規約に「人種平等」を入れる提案を行ったことに端を発しているのではないかと考えます。アメリカの反対でこれは実現しませんでしたが、時日を経るに従いアメリカに深刻な問題をもたらすことになったのではないでしょうか。

 アメリカ独立宣言は、人は生まれながらにして神の前では平等であるとしています。これはアメリカの理念であり、アメリカ人の世界に於ける位置づけ、意味付けをなすもの、つまりidentityをなしているのです。日本の人種平等の提案は、アメリカの現実がこの理念に反しているという痛点に触れるものでした。

 この問題で日本に先行され、痛点を突かれるということはアメリカの理念を揺るがすものです。この理念を打ち砕かれればアメリカ人のidentityは揺らぎ、アメリカの団結力が崩壊する危険を孕んでいる。そこにアメリカは危険を感じた筈です。

 アメリカが自己の無謬性を確立するためには、日本に先行して植民地解放のイニシャティブを握らなければなりません。そのためにフィリピンの独立を約束し、1941年の大西洋宣言になったわけではないでしょうか。

 戦争後アメリカは組織的な検閲と焚書により日本を人権と民主主義とは無縁な国であるという虚構を日本人と世界の人々に刷り込みました。

 アメリカは自国が常に正しい、相手国が人権と民主主義に無縁な侵略国家であるとし、日本に鉄槌を加えアジアの平和を回復したという虚構を作り上げました。

 それの最大の目的は自国民を団結させる理念、identityのためであり、日本人から記憶や事実上抹殺することにあったのではないでしょうか。こう考えていくとアメリカの対日戦争の目的はベルサイユ会議で日本が提案した「人種平等」の事実を抹殺することにあったのかもしれません。

 そうだとすると大東亜戦争の発端は1919年であり、日本がどんなことをしてもアメリカの戦争への意図から逃れることは出来なかったのかもしれません。

II.「あの戦争」論者について。
 
 3月14日のお話の中で、シナの驚くべき実態についても触れられました。日本人もアメリカ人も中国の実態について余りに無知です。特に戦前の中国の地方についてはまるで知られていないのです。

 義務教育制度が整うのは日本に遅れること100年の1980年代で、90年に李鵬首相が70%強の児童が小学6年までいくようになったと実績を誇ったのですから。

 都市土地法の関係は今でも外国との関係同然です。大陸で選挙による政権は未だに存在したことがないのです。戦前は殆どの国民が文盲でしたし、形は兎も角内容は常に独裁国家なのです。

 所謂昭和史家が「あの戦争」の評価に当たり①対象期間を昭和3年から終戦までに限定しており、より長い歴史とのつながりを全くかえりみていないこと②戦争の原因を自らのみにもとめ敵国についての研究が皆無に近いことをお話しされました。その通りであると思います。

 更に言えば、先生のご研究による”焚書”がおこなわれたことが全く無視され、”焚書”された資料が全く研究されていないことです。つまり”昭和史家”達は”焚書”により掃き清められた後にわざと置いておかれた”資料”を”発掘”しては彼等の”昭和史”を構築したのです。

 正にアメリカの狙い通りになったわけです。

 1941年の大西洋宣言はその布石であったのであり、そうしたフレームワークを構築するきっかけとなったのはベルサイユ会議で日本が行なった「人種平等」提案であったと考えられるのではないでしょうか。以上独りよがりの意見ですが敢えて申し上げる次第です。早々

足立誠之拝

西尾幹二先生

 前略、一昨日お送り申し上げました掲題に係わる私見に以下追加申し上げます。

 アメリカの対日開戦の大きな原因の一つは第一次世界大戦とその後の講和会議、国際連盟樹立に係わる日本とアメリカの対立にあると考えます。
 
 第一次大戦のはじまりに際し、アメリカは中立の態度で臨みます。一方日本は開戦後暫くして対独宣戦を布告し、青島要塞を攻略しますが、それだけではなく、その後ドイツ領であったマリアナ、カロリン、マーシャルの各諸島を占領しました。そして戦後の講和会議ではこれらの島々を委任統治領にするわけです。これは アメリカにとり大きな脅威になった筈です。なぜならば米本土、ハワイと植民地であるフィリピンを結ぶ通商航海路に日本が楔を打ち込む形になったわけですから。

 アメリカが中立の立場を破棄し英仏側に立って参戦する1917年には、もう太平洋に於けるドイツの領土を得る機会は失われており、戦争の帰趨を決定する重要な役割を担いながら得られるものは殆どなくなっていました。
  
 こうした情況の中で国民を戦争に駆り立てるにはそれなりの理念、スローガンが必要であった筈です。
 
 ウイルソン大統領の唱えた民族自決はこうした理念、スローガンで、アメリカが道徳的に世界をリードする意味が包含されていた筈です。この道徳的な「世界のリーダー」たる自覚、自尊心は、日本が国際連盟規約に「人種平等」を提案したことで脅かされることになったと考えられます。

 日本はこの戦争で中国においてと西太平洋においてと両方で新たな権益をえていますが、ヨーロッパ戦線への派兵要請には応じませんでした。犠牲を払わなかったことになります。

 アメリカはヨーロッパ戦線に大軍を派遣し、犠牲を払いました。こうした情況下でアメリカが有色人種国日本に道徳的なリーダーシップを奪われることは耐え難いことであったと想像されます。
 
 アメリカはこのとき「人種平等」に反対したからです。
 
 このことはその後の世界に於けるアメリカの道徳的なリーダーとしての資格にとり致命的な打撃を与える恐れを孕むものであった筈です。

 やがて第二次大戦が終結し対日占領が始まるとアメリカは直ちに”検閲”と”焚書”の実行開始を手掛けました。”検閲”と”焚書”をあれほど極秘裏に組織的に行なうためには相当の計画性、準備が必要でしょう。
 
 ”検閲・”焚書”は連合国最高司令部(GHQ)の下で行われた形になっていますが、ポツダム宣言に違反するこうした行為がマッカーサーの発意で行われる性格のものではなく、ワシントンの指令により、ワシントンから派遣されたスタッフによって行われたことに間違いはないでしょう。ルーズベルトはアインシュタインの忠告に従い、ナチスに先行する原爆開発のためマンハッタン計画に着手します。

 ルーズベルトは対日戦争での軍事的勝利には自信を持っていたと考えられます。彼はただ単に日本に対して軍事的勝利にとどめることなく、更なる目標を定めていたのではないでしょうか。
 
 むしろ対日戦争の本当の目的は、軍事的な勝利の後に置かれていたのではないでしょうか。
 
 つまりあのベルサイユ会議で日本が「人種平等を提案した」その事実を歴史上から抹殺することです。そうでなければ、そのときに「人種平等に反対した」アメリカが世界の道徳の中心から滑り落ちる可能性を残すことになるからです。
 
 そしてそれは見事に実現しました。
 
 日本は戦後アメリカにより自由も民主主義も人権思想もあたえられたという神話が日本国民に刷り込まれ、世界中の人々にも刷り込まれ、今日に至っているのですから。
 
 昭和天皇のお言葉については今まで多くが記されていますが、殆どは第三者の記録であり、その本当の内容、陛下のお心を正確にお伝え申しあげたものは少ないと考えられます。然しはっきりしたご発言がのこされています。
 
 それは陛下が「不幸な戦争」の原因に触れられたときに、ベルサイユ会議の際に日本の「人種平等」提案が廃案されたことに言及されておられたことです。終戦のご決意を先帝陛下が下されたことで分かることは、先帝陛下が他のだれよりも卓越した洞察力をお持ちであり、俯瞰図を描いておられたことです。

 以上先帝陛下のおことばまで記すことはおそれおおいことですが、私には遠因は第一次世界大戦、ベルサイユ会議での「人種平等」問題であると思えるのです。
草々

足立誠之拝

坦々塾(第十三回)報告(二)

 3月14日の坦々塾のことはすでに一度報告がなされている。その後私のあの日の講演についていくつも感想が送られてきた。最初にご紹介するのは坦々塾の事務局長の大石朋子さんのコメントである。
 

先生のお話の中で、日本は戦争の目的は自存自衛であったがアメリカの目的は何だったか?
私はこの事については考えたことがありませんでした。

ヨーロッパと異なりアメリカは輸出国になって植民地を求める必要がなくなったので戦争を行う必要は無いということですよね?
ヨーロッパ諸国と違い戦争に慣れていなかったから、日本という国に対して恐怖だったという理由だけで戦争し、原爆を落としたのだとしたら、アメリカほど罪深い国を先進国として見習ってきた日本の教育は、つくる会の教科書により歴史を学び直す必要があるということを改めて感じました。

そして西尾先生のGHQ焚書図書開封を多くの人に読んでもらいたいと思いました。

日本はアメリカをヨーロッパの一国と勘違いしていた。
ヨーロッパには有る秩序が、アメリカには無いという事を理解できなかった。
そういう勘違いは私達の身近なところでもあることで、外交の難しさは当時のまま今に至っていると思えます。

私は先日の黄文雄先生の講座を受講したときの事を思い出し、逆にアメリカは日本と中国を同じアジアの国として一つに考えて本当の日本の姿を理解していなかった為、叩きのめすということに躊躇しなかったのだと思いました。
同じように日本がアメリカを理解していなかったのですから、お互いの理解不足から戦争が起きたと考えて良いのでしょうか?

ここ何年かでアメリカが中国に近づき始めたことは、足立誠之さんに以前お話いただいたUSCCを考えると、両国が近づいたから親しくなったと考えるのは間違いであると思います。
日本は情報収集が容易な国であることは中国と比べようがありませんがUSCCの研究が物語っているようにアメリカが中国の情報を収集しようとしているエネルギーを知ると、真のパートナーと考えているとは思えませんが、アメリカと中国で建築基準法を国際基準にしようと日本の頭越しに約束しているところを知るとこれまた自国の利益に走るアメリカの真意が疑問です。

今日の西尾先生のお話でそんな事を考えました。

文章:大石朋子

 日本はなぜアメリカと戦争をしたのか、とばかりわれわれは問うて来て、アメリカはなぜ日本を相手に戦争をしたのかと日本人はこれまで問わないできた。

 アメリカの鈍感さと無作法ぶりは、金融危機以来ますます目立ってきた。1920-30年代のアメリカの無軌道ぶり、傍若無人が問題のすべてだった。歴史は新たに読み直される必要がある。日本人の負け犬根性を叩き直すためにも、歴史が鍵である。

 いま発売中の西村幸祐責任編集の『世界に愛された日本』(撃論ムック)の私の連載第7回「アメリカはなぜ日本と戦争をしたのか、と問うべきだ」(一)に、坦々塾の私の講演の前半部分が掲載されている。

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 さて、坦々塾の会員の浅野正美さんが次の感想をくださった。立派なご文章である。私を過分に褒めて下さっている部分だけ削ってご紹介しようと思ったが、それも不自然になるので原文のまゝにする。私は少し羞しいし、知らぬ第三者の読者は鼻白むかもしれない。

 浅野さんは(株)フジヤカメラの営業部長さんで、49歳である。一度だけご一緒にお酒を飲んだことがある。そのとき彼が私を評して「西尾先生はご損な性格のかたですね。」と仰ったことばに私は少し傷ついた。

 私が何でも大胆に発言するのを損な役割だと評する人は世に多い。私は私なりに慎重な発言をしているつもりだが、他人から見るとそうではないらしい。

 たゞ私は損をしているとか得をしているとかいわれるのが好きではない。浅野さんにそう言われたとき少しムッとなった。私の文業が実績どおりに社会から評価されていないのを哀れと思って彼は「損をしている」と言ったらしいのだが、そう言われると私はますます不愉快になった。

 私には私の「神」がいるのだからご心配には及ばぬ、と言いたかったが、そのときは黙っていた。次に掲げる感想文を今度拝読して、私は浅野さんを誤解していることに気がついた。そしてホッと安堵した。有難いと思った。

 浅野さんは私が考えていたよりもずっと深い処で私を理解してくださっていると判ったからである。

 以下はそんないきさつがあってのご文章である。私のこのような心の内側の打ち明け話に浅野さんもきっと今びっくりされるているだろう。

毎回の西尾先生の講義を拝聴し、それぞれの講義のために費やされたであろう多大な事前準備と、思索の深さにいつも圧倒され、襟を正す思いがしています。先生のお話には独特のリズムとメロディーが感じられ、名曲を楽しむ心地に似た感興も味わっています。これは、活字にはない臨場感と一回性によるものだと思いますが、そうした場に居合わせる幸福は、私の生活にとって何よりも贅沢な時間となっています。

それぞれの講義と精力的なご執筆からは、いつも深い感銘と刺激を受けて参りました。無学な私が感想をなど大それたこと、もとよりお忙しい西尾先生の貴重なお時間をお煩わせすることは本意でないと考えておりましたが、勇気を持って書かせていただきました。

前回の坦々塾のことに限定せず、この一年余り、先生の謦咳に接する機会を得た中で受けた思いを述べさせていただきたいと思います。

この一年、先生からはたくさんの話題が講義や活字で語られてまいりました。金融危機に始まる世界経済の問題。雅子妃殿下をその本質とする皇室問題。三島由紀夫。田母神発言。焚書図書開封。そしてそれらすべてに通奏低音として流れている歴史認識問題。先生は常々、歴史とは現在の人間が過去を裁くためにあるのではないといいます。

また年代記の羅列や、事実とされていることだけを客観的に重視することにも異を唱えます。歴史とは、そのとき、その場に居合わせた人間の営みが産み出した悲喜劇であり、人間の存在とその思考結果、未来に対する期待を考慮しない歴史叙述は不毛であるとして、そういった歴史認識を徹底的に批判します。

歴史は未来からやって来る。

歴史に事実はない。事実に対する認識を認識することが歴史観である。

事実は動く。登山者の目に入る眺めが一歩ごとに変わるように。

相対性の中に絶対を求める。

上記の言葉は、講義の中で先生が語られた中から、特に印象に残ったものをノートから拾い出したものです。どの言葉にも、歴史の本質を捉えるにあたり、我々が肝に銘ずべき事柄が,短い表現で的確にいい表わされています。複雑極まりない人間の綾なす歴史を考える上で、大変示唆に富んだ表現となっています。愚鈍な私は、歴史とは通史のテキストを読めば学習できるものと考えておりましたが、そういった無機質な歴史理解こそ最大の誤りであったということを思い知らされました。

藤原定家は、古今集を編纂するにあたり、「文学は経国の大業にして不朽の盛事なり」といいました。定家は文学の意味を、物語、詩歌に限らず、言葉で書かれたあらゆる事象であると解釈し、物語を小説、歴史を大説と定義、物語も歴史も哲学も宗教も、およそ言葉で書き記されたものはすべて文学であると、そのように考えていたといいます。先生の歴史に対する真摯なお姿と、同胞に対する限りない慈しみや思いを伺いながら、先の定家の言葉をふと思い浮かべました。何かが共通するというのではないのかも知れませんが、先生の歴史観には文学者の視点があると感じておりますので、定家の言葉を連想したのかと考えています。

文学とは、何よりも人間の本質を追究することに主眼があるとすれば、人間が引き起こす歴史から学ぶということは、紛れもなく文学的な営為ではなかろうかと、そんなことをぼんやりと考えています。

かつて先生は、建前や偽善は、それをつねに言い続けることで、いつかそのことが習い性となってしまい、何ら本質に触れないきれい事だけの社会が醸成されてしまう、ということをお話しになったことがあります。人間が人間と関わり合って行くためには、そのような社交術は不可欠でありますが、個人も国家も利己的な存在であるという最低限の認識を持たないナイーブさは、とても危ういものに思えます。

話はそれますが、私の子供達が在籍した小中学校では、10年以上同じことを言い続けています。一つは「夢は必ずかなう」であり、もう一つは「地球温暖化防止」です。温暖化がブームになる前は「地球環境に優しく」でした。

授業でも、課題でも、また折々の行事の訓話においても、必ずこの言葉はセットで語られています。私も負けずに、我が子に向かって「夢は滅多にかなわない」「温暖化防止よりも大切なことがたくさんある」と言い続けなければなりませんでした。「夢は必ずかなう」などということが嘘であることぐらい、現場の教師はとっくに知っているにも関わらず、事なかれ主義と大勢順応で子供達に誤った考えを浸透させています。

普通の認識力があれば、ある程度の年齢を重ねることで、そういったことは幻想であることに気がつきますが、恐ろしいことに、多くの愚かな母親がその言葉を信じてしまうという現実が出来してしまいました。

偽善というものは、見かけは正しく、美しい言葉で飾られていますが、実体はただのきれいごとに過ぎません。そんな理想的な社会は決して実現しません。教育もマスコミも、自分のことは棚に上げて建前ばかりを喧伝して恥ることなく、社会にはそれを是とする嫌なムードが蔓延しています。営利を目的とする企業経営者の中にもそういうことを言う人が見受けられます。

多様性の中に絶対を求める。その多様性が、外の国からもたらされ、それを絶対として信じてきたのが戦後の日本人でした。自らの相対を、我が国の絶対にすり替えたのは、米国であり中国・韓国でした。さらには、相対そのものを捏造するというところにまで、事態は進んでしまいました。今や日本人が内部から外部の相対を絶対視するまでになってしまいました。自ら考えることを放棄した結果でしょうか。

人間は自ら考えることをしなければ、どんなに誤ったことでも信じてしまうほどに弱い存在であるということを、最低限このことを肝に銘じていきたいと思います。

先生の歴史観から受ける何よりの感動は、つねに人間を通して歴史を見るという姿勢にあります。人間の考えは実証できない、などという言葉の何と虚しいことかと思います。人は平気で嘘をつきます。

自らの利害のためであれば、他人をだますことも裏切ることもあります。その同じ人間が高い使命感や、理想のために、自己犠牲もいとわずに行動することもあります。一個の人間の中にすらこのような矛盾する要素が同居して、平気で折り合って生きています。先生は哲学や文学を通してつねにこの不可思議な人間の本質を追究してこられたからこそ、歴史の解釈に血が通っているのではないかと思います。

今でも印象的な場面があります。先生が小学生時代のこと。尊敬する人物として豊臣秀吉をあげたところ、教師から「秀吉は封建主義者だからだめだ」と言われます。それに対して小学生の先生は、こう反論します。封建時代に生きた人間が、封建主義者であるのは当たり前である。人は生まれた時代と、時代の価値観からは逃れられないのであり、その制約の中で精一杯生きていくしかないではないか。その論理でいけば、将来民主主義が否定されれば、あいつは民主主義者だったからだめだ、といって現代の人間を否定することになる。坦々塾に集うほどのメンバーであれば、民主主義の欠陥や欺瞞性は充分わかっていますから、この件では、場内拍手喝采となりました。

前回の坦々塾では、今もまだ厄介な隣人である米国について、何故米国は日本と戦ったのかという疑問が堤呈示されました。米国という国は、腑に落ちない行動ばかりする。いい加減で大袈裟、相手にすると途方に暮れ、世界が翻弄されてきた。知性は幼稚で幻想的である。

日本と欧州は、歴史的に封建時代を経験している。また、ルネッサンスや宗教改革といった文化体験も積んできた。そういった歴史の蓄積によって、双方の社会には文化的成熟が蓄積された。

文化の基底に理解し合える土壌があるが、米国と中国はそういった体験を経ていないため、無秩序である。この話を聞いて日頃疑問に感じていた両国の、大人になりきれていないような振る舞いに納得がいく思いがしました。

その幼稚さがディズニーランドや、大袈裟で騒がしいだけのハリウッド映画を産み出す原動力になっているのかも知れませんが、日本がそういった米国娯楽マーケットの有力な得意先になっているという情けない現実も一方にあります。

勉強会の終わった後、会場でとったノートをもう一度書き写すようにしています。その場では書けなかったことも、思い出せることは付け足すようにして、毎回復習をしています。そうそうたるメンバーの皆様を拝見すると、気後れすることばかりであります。不肖な教え子ではありますが、これからも祖国への強い思いを、先人が未来に向けた理想と期待を、歴史を通して現在を見るという姿勢を貫いて行こうと思っています。

坦々塾の塾生でいられる幸運をかみしめつつ。        文章:浅野正美

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坦々塾(第十三回)報告(一)

ゲストエッセイ 
長谷川 真美/坦々塾会員
   

 久し振りに、本当に久し振りに坦々塾に出席した。いつも東京にいる人たちはいいなぁと言っていたが、今でもそう思う。なにしろ新幹線に四時間も乗らなくてすむのだから。

 今回の坦々塾の話は西尾先生、元ウクライナ大使馬渕睦夫氏、国際ジャーナリスト山際澄夫氏の三先生で、それらの講義が終って、立食懇談会の会場で、西尾先生から今日の報告文を書いてくれないかと言われた。

 えぇ~っ・・・・と私。

 最初はメモをとりながら聞いていたが、だんだんと録らなくなっていたし、そういう気持ちで聞いていたわけじゃないので困った。「いや、貴女の言葉で、貴女の頭に残っている印象をあなた流に書いてくれればそれでいい」と言われたので、こうなったら自分のブログで書くような気軽さで書くしかないと思い、承知した。

 丁度出席していた別の方が上手にまとめてくださっているので、まずそれをご本人の承諾を得て転載する。

1.西尾先生のご講演は、日本、中国をめぐるテーマで、次のような内容だった。
 なぜアメリカは日本と戦争をしたのか? この理由いまだにわからない。
 イギリスやソ連のような、利害と支配の論理なら理解できても、アメリカは一貫性がないし、何をしでかすか読めない。
 植民地支配の放棄をいいだすようになった頃を境に理解不能になった。アメリカはいい子ちゃんに変身する。『大西洋憲章』みたいなきれいごとを言い出す。きれいごとを盾にして日本を占領した。イギリスは版図が広がりすぎて日本の助けが必要となり、日英同盟を結ぶ。GIVE&TAKEの関係が成立した。それなりにわかる。日本はアメリカがヨーロッパの亜流だと思っていたが、見誤った。
 現代の日米構造協議もそうだ。日本の消費者のためだなどときれいごとに騙され、日本の政治家も知識人も旗もちした。
 さて「昭和史」ブームだ。半藤、保坂、秦らは外の世界を見ていないし、歴史を短くしか見ていない。欧州には秩序があったが、支那、アメリカにはない。
 焚書のなかから日本に留学していた中国青年が昭和12年に帰国し、徴兵され、最前線に送られ、残虐な中国兵、逃亡ばかりを狙って、逃げると味方に撃たれるすさまじい中国軍隊の体験記を紹介する。
 『日中戦争』・・清朝以来支那は内乱続き、文化大革命然り。支那には近づかないほうが賢明だった。イギリスは止まったがアメリカは支那に関与してしまった。モンロー主義を捨て、門戸開放、領土保全、を主張した。だれも反対できないきれいごとだ。しかし支那が国家の体をなしていないことにアメリカ世論が気付かない。リットン調査団はヨーロッパだから事態を現実的にみられた。よくないのはアメリカのしかも宣教師だ。中国を助けるアメリカのイメージを振りまいた。NHKも『昭和史』も戦争は日本の主戦派が招いたというが、戦争は相手があってのもの。よく状況を調べよ。
 アメリカにとって支那は膨張するアメリカ資本主義のマーケットであった。ニューディールという社会主義的政策をとったアメリカだが、ソビエトに対する警戒心は欧州や日本とは違い、皆無だった。ルーズベルト政権は容易にソビエトと提携できた。ホワイトなどは、スパイという罪悪感もなく、共産主義とアメリカは手を組めると思いこんでいた。
 日本だって、あの林健太郎氏が、雑誌『諸君』のアンケートで、「日米開戦の知らせを聞いたときどう思ったか」と問われ、「日米という二つの帝国主義が大戦争を起こしてしめたとそのときは思ったものだ」と昔左翼の感想を正直に告白した。
 

2.馬渕睦夫さんの講演。
馬渕さんはわれわれの元々の仲間です。九段下会議からこの会に参加して下さった方には旧知の仲で、味わいのあるユニークなお話で知られる方です。あの直後ウクライナ大使になられて日本を離れました。  この度ご帰国になり、外務省を辞めて、現在防衛大学校教授をなさっています。坦々塾でのご講話は「ウクライナから見た世界」で、このたびのグルジア紛争やウクライナへのガス輸送妨害の事件などにも触れた、リアルな内容のお話をいただけました。

要点は、 ウクライナは欧州最大の国家であること。 不安定な政治体制。しかし経済は比較的安定している。政治家はみな愛国心があり、タフにロシアと渡り合っている。きわめて親日的であり、日本文化を吸収し日本に学ぶ気持ちが強い。小学生で芭蕉を、高校生で川端康成を学習している。 日本外交再生のためには、「自由と繁栄の弧」構想をさらに進め、ロシアとタフにわたりあうことだ、これまでも日本の政治家は能天気で、旧社会党委員長など人間ドックのためにソ連にやってきたり、モスクワ五輪ボイコットの最中に友好訪問などしているようでは、なめられきっている。安倍内閣の時はウクライナ政策は良かったが頓挫してしまった。

3.産経新聞社出身のジャーナリストの山際澄夫さん。 「メディアはなぜ嘘をつくのか」が演題。マスメディアの内側に関するかなりきわどいお話もうかがえると聞いています。最近の山際さんがお書きになったものでは、宮崎アニメのイデオロギー批判や防衛省内局批判などの目立つ発言がじつに印象的です。(西尾先生の前宣伝口上から)

話があっち飛びしてつかみにくかったのが率直な印象。のっけからハイテンションだ。
政治家はいい加減だが、最も悪いのはマスメディアだ。 テレビコメンテーターは事前打ち合わせを済ませ、テレビに阿っている。 マスメディアは強きに阿り、弱きに居丈高になる。志が低い!! 小沢一郎政治資金規正法違反容疑でも、メディアはだめだ。じつは政治改革の旗手として、小選挙区制導入の小沢を持ち上げてきた。メディアの幹部連がこぞって選挙制度審議会メンバーになり、翼賛体制を作ってきたから、批判できないのだ。

長くなりましたので、この辺で擱きます。 空花 より

 今回、坦々塾にはテレビカメラが入った。二年後には、インターネットとテレビが相互乗り入れをする時代となり、大手のテレビ局が電波を独占している現在の状況が変わるのだそうだ。現在のアメリカのように、視聴者が多くのチャンネルの中から選べる時代になるのだという。お笑いとクイズ番組の日本の大衆迎合路線だけがテレビ、という時代ではなくなるのは大歓迎。スカパーのシアターテレビで、西尾先生には「日本のダイナミズム」というタイトルで時間が与えられるのだそうだ。試験的かどうかは分らないが、その番組の関係者が来て撮影していた。

 2時から6時40分まで二回の休憩を挟み、学生時代の授業のように三者三様の、内容の濃厚な勉強会だった。

※西尾先生のテーマは中国とアメリカについて。

 アメリカは1942年の大西洋憲章で「植民地主義の解放」を主張した。そういった道徳的なきれいごとを言うあの態度はいったいどこから来ているのだろうか、それならアメリカはどうして戦争をしたのだろうか、という西尾先生ご自身の疑問に、いろいろと推理をされる。どうにも中途半端なアメリカ。それに対して、ヨーロッパの基準は日本には理解できるものだったとおっしゃる。

 時間が押し迫り、最後の推論をお話になる時間が足りなくて、懇親会の席で、分りやすく結論の部分をお話くださった。

 それは、おそらく、ヨーロッパは奴隷的なピラミッドの最下層の部分を補充しようとして、外に植民地を求めたが、アメリカには既に国内に黒人がいて、外にそれを求めることをしないで済んだからではないかということだった。それが、植民地侵略において一人正義漢ぶれる所以であったのではないかと。聞いていた私も、周りの人たちも大きく頷いた。

 アメリカが黒人差別を形式的にでもなくしたのは、戦争が終って大分たってからだった。

 一方中国は?

 『日中戦争』(北村稔・林思雲)というの本を紹介されながら、戦争の起こった原因を日本にだけ求めることがまずおかしい。そして、中国というまとまった国、秩序だった国が本当にあったのか?日本は中国という国家と戦争をしたのか?むしろ、中国という地域の想像を絶する内乱に巻き込まれ、足抜けが出来ないうちに、ずるずると戦争になってしまったのではないか?と話された。

 日本は、中世という封建主義を経験していない、個人主義の中国やアメリカと、価値観・原理を異にしていた。そして現代でも、価値観の異なるこの二つの国を相手にしなくてはならない。

※次にウクライナの元大使、馬渕さんのお話。

 どっさりと資料を用意され、お話を聞き逃してもちゃんと後で補強できる状態だったのは、とても今、ありがたい。

 ウクライナという国について、日本人は余り関心を持っていないようだが、実はとても大きなポジションにある国なので、もっと関心を持ってほしいと言われた。ウクライナもその中に含まれる「自由と繁栄の孤」はロシアや中国に対する対抗戦略で、外務省が作成し、麻生氏が外務大臣であったときに発表された外交戦略である。普段余りよく言われていない外務省の仕事としてはとても素晴らしいものであると話された。その証拠に通常軽くあしらわれるロシアから、急に手厚い扱いを受けるようになったことがあったそうだ。

 ウクライナは大変な親日国家だそうだ。独立後の教育で、他国を勉強することが決められており、アジアでは日本について勉強することが指導要領で決まっているという。なんと小学五年生で松尾芭蕉、中学生で川端康成を学習している。日本の美しい伝統と文化を学ぶことが、自国の伝統文化の尊重に繋がるという視点なのだそうだ。馬渕大使は学校の参観にも行かれ、生徒が書いた大変感動的な作文を発表された。

マリーナさんの感想文
「私は『千羽鶴』に感激しました。真の日本の神秘的な姿、秘密でほぼ人跡未踏の部分が目の前に現われたのです。この授業で日本の美しさに触れ、私たちヨーロッパ人かが何を見習うべきかを理解できました。私は夢の国日本が、人間をもっと人間的にし、全世界を幸福と平和に導く階段、地と天をつなぐ階段を、遅くても一歩一歩上がる可能性を与えてくれる昔からの習慣と伝統を、依然として守っていると期待しています。」
   
 外務省はいろいろ言われているが、やはり外交はとても大切なことであるから、しっかりタフに頑張って欲しい。馬渕氏のように素晴らしい外務官僚がまだまだたくさんいるはずだ。ただ、冷戦が終わり、緊張が解け、昔ほど日米安保が磐石ではない現在、日本は毅然とした外交が出来にくくなっていると話されていた。

※最後に山際澄夫氏

 産経新聞の元記者で、現在は国際ジャーナリストとして活躍されている。新聞記者であった間、その会社を背負った肩書きが大変物を言っていたということに気が付かれたのだそうだ。つまり、どんな若い新聞記者でも、「○○新聞」です・・・と言えば、かなり大物の政治家でも取材に応じてくれるという。マスコミの力は大きい。マスコミが情報を歪曲したり、無視したり、煽ったりすることのウラをよく知っておられるから、強烈にマスコミ批判をしておられる。

 今回、田母神事件があった折に、「『歴史の解釈権を取り戻そう』ということでしょ、どうしてそういう人を護らないんだ・・・・」と大きな声で言われたのが印象的だった。なぜ産経新聞一社でも、全面的に護れなかったのかと思うと、悔しくて仕方ない・・・と話された。自衛隊とはかなり良好な関係を築いている産経新聞なのに残念だった。西尾先生が田母神応援のコラム「正論」を書こうと連絡したが、あの話は「打ち切り」ですと言われ、書かせてもらえなかったという話は後で西尾先生から紹介された。産経新聞、最近ちょっと変だが、やはりなくなっては困る新聞。

 産経新聞の社会的な大きな功績が三つある、と言われた。
一、「正論」路線を作り、保守派の論客にスペースを与えたこと
二、土光キャンペーンを張ったこと
三、教科書論争に参入したこと
だそうだ。

 それなのに最後までしっかり守ろうとしないのは残念だといわれた。社内ではつくる会内紛については沈黙だった。あれは社長マターだと言って、皆が口をつぐんでいた。一方的な情報が流布し、新聞社として問題を明らかにしようとしなかったのは残念だ、とも仰った。

 アメリカのマスコミ界は不偏不党ではなく、政治色を明確にしている。その点日本の新聞やテレビは中立を装っている。不偏不党のはずが、テレビは民主党を応援しているし、明らかに片寄っている。今の日本のマスコミは「強きを挫き、弱きを助ける」の反対「強いものに阿り、弱いものをいじめる」ようになっているので、その罪は深い・・・と言われていた。インターネットでマスコミとは違った切り口の情報が流れるようになった今、新聞、テレビが斜陽になっていくのは仕方がないことかもしれないと私も思う。

文:長谷川真美

坦々塾(第十一回)報告

濵田 實
坦々塾会員、元大手コンピューター会社に勤務

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坦々塾の記録(感想)     

日 時 平成20年11月22日(土)14~18時半

 今回のお話は、それぞれ内容も豊富で、記録の量も、いつもの倍はあったようです。この内容が知れ渡れば、日本人もGHQの洗脳から覚めるのではないかと思うほどに濃密なものでした。以下、私の感想というかたちでお話の内容、雰囲気をお伝えします。

● お話の1 「アメリカの対日観と政策“ガラス箱の中の蟻”」

        足立誠之氏(元カナダ三菱銀行頭取、元三菱銀行北京支店長)

● お話の2 「ジャーナリズムの衰退とネットの可能性」

        西村幸祐氏(評論家・月刊『激論ムック』編集長)

● お話の3 「私の人生と思想」

        西尾幹二先生(電気通信大学名誉教授・評論家)

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お話の1 「アメリカの対日観と政策“ガラス箱の中の蟻”」 足立誠之氏

 出だしは田母神論文に関し、 ①日本侵略国家論 ②文民統制論 をおかしな動きとして縷々説明、「侵略論」の裏には村山談話にさえ無い何かが隠されているのではないかと私見を述べられた。またオバマ黒人大統領誕生に関し、何よりも国際連盟で「人種平等案」を提唱したのは他ならぬ日本であったことにも触れられた。

 氏は『閉ざされた言語空間』(江藤淳氏)や『GHQ焚書図書開封』(西尾幹二氏)を読むにつけ、食糧配給などで示したアメリカの「情報操作」を思わずにはおれなかったという。アメリカによる巧みな情報操作は、当時のいろはカルタにさえ「強くてやさしいアメリカ」などという表現で巧妙に情報操作がなされた。日本人の感覚では思いも浮ばないことである。

 渡米後遭遇した地下鉄大混乱(スト騒ぎ)では、大バリケードの光景をみて、アメリカ社会の姿にハッとしたという。それは「ガラス箱の中の蟻」を思わせるものであったそうだ(ガラス箱: 国民が目に見えない壁面のガラスを通して、投影された宣伝映画を見せ付けられているというイメージ)。その他、幼児の、ベランダからの転落死事件におけるアメリカ社会の対応を観察しても、戦後の我が国における「子供を自由にのびのび」とは正反対というお話を聞き、我が国社会は「当たり前」のことを戦後「奪われた」(戦前の日本にはあった)という思いを深くした。

 また氏は渡米して、今では当たり前のPOSシステムの前身を目の当たりに見て、アメリカ社会の戦略思考をまざまざと感じたという。かなり昔、ある雑誌でヤオハンの和田社長(当時)が、同社におけるブラジル等海外進出の動機はアメリカのスーパーチェーンシステムに刺激を受けたことであると読んだ話を思い出した。アメリカ社会を観る視点は徹底してその「戦略志向」にある。外国を学ぶとは、そういうことではないだろうか。私見であるが、日本人の外国の学び方、洞察の仕方に、深い疑義を抱いている。

 その他、イランにおける米大使館人質事件とその対応や、一発の銃弾もなしに人質事件が解決した背景に何があるのか? また谷内(やち)前外務省事務次官が、文芸春秋12月号コラム「霞ヶ関コンフィデンシャル」で当時、爆弾発言をされた話など、その背景に、アメリカの日本の潜在力に対する「脅威」が彼等の心に潜んでいるという興味あるお話もあった。この報告は面白いが長くなり、またブログで詳細文が載るとも聞くので、そちらを参照いただきたい。

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■ お話の2 「ジャーナリズムの衰退とネットの可能性」  西村幸祐氏

 ジャーナリズムのあり方については、西尾先生が『諸君11月号』で彼等の根本姿勢を批判され、佐藤優氏の感想文が本ブログでも紹介されていることは、皆さんご存知のとおり。西村氏は具体的に、戦後言語空間で覆われ反日の構造を挙げられ、戦後日本人の間で進んでいる記憶喪失や情操操作、隠蔽体質等に、メディアの質の劣化が潜んでいると批判された。

 2002年(平成14年)の小泉訪朝以来、国民意識は変わっていないという。ある知識人は、当時、『諸君』、『正論』、『Voice』などの雑誌が元気付いた傾向をして社会の右傾化と評したが、むしろ、本当は「左傾化」であると指摘された。世の中一般は、何となく右傾化、という風潮があるようだ。この説明は、社会の裏側をよく知る人たちには、ある程度気付いていたことだが(=世の中、ますます酷くなっている・・という)、あらためて新鮮は印象を抱いた。

 それは、田母神論文に関連して、マスコミの一斉批判とレッテル張り、田母神発言封じや、浜田防衛大臣が統合幕僚学校の教育のあり方を見直す(「偏り」を直す)という発言がその傾向を象徴しているというように、現職の自民党大臣がトンデモ発言をする御時世になった。まさに左傾化、政府の没落化であり、物事をみる視点が希薄になったことでなくして何であろう、という印象を持った。しかしその後、田母神氏の姿勢は止まるところを知らず、全国から講演依頼がたくさんきていると聞く。

 国民一般の田母神論文に寄せる感想は圧倒的に支持する意見が多い。田母神氏はサムライとして、内容に隠し立てする必要もなく、正々堂々と正論を貫き通せばいいだけのことだ。きちんと田母神氏をサポートしてゆけば、そのうち言論封じをした政府、マスコミの方が、不利になることは確実である。中韓両国も、田母神氏があまりに堂々としていること、及び今まで中国政府における毒餃子事件反論など、デタラメ対応をみせてきたため、自ら墓穴を掘り、へたにやると日本国民から批判を受けるとして、今回日本を正面から批判できないでいる。今までと違った空気である。

 先の谷内発言のバックに「アメリカが存在する」という暗示を指摘されたが、今後どのように日本政府が将来を切り開いてゆくのかも気になるところである。

 国籍法改正案問題についても触れられたが、某テレビ局は「女子供」をダシにした違法行為是認の偏向、歪曲報道を行い、感情を表に出して法の世界に風穴を開けようと意図的に情報操作した。自分自身が番組をみて、怒りを感じたので、恐ろしい動きがあることを実感しながらお話を聞いた。メディアもたよりにならない。然らば、インターネット(Uチューブなど)やファックスによって、風穴を開けよう(実際その効果が出ている)という西村氏の意見は、現実になりつつあることを、あらためて感じた次第である。

 最後、西村氏は「歴史(事実)情報が忘れられている。原理原則を忘れている。それが常態化していることが根本問題だ」だとして、お話を締めくくられた。

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お話の3 「私の人生と思想」  西尾幹二先生

 社会の「左傾化」はそのとおりだが、先生はある意味、楽観もしているということであった。今の合唱は「断末魔のヒステリー」として、村山談話はアジアの贖罪をアメリカに向って発したもの、それは自己処罰と、アメリカに対する恐怖感に由来すると、さらりと言ってのける先生の思考スタンスが面白い。麻生首相がいつの間にか安倍氏と同じになった・・とも言われた。

 いま、先生はGHQ焚書問題にも力を入れておられるが、その関連で、昭和40年(当時29歳)の雑誌『自由』で当選した「私の戦後感」という論文主旨が今日の言論活動と一本線でつながっていることを、私自身が発見した。さらに言えば、中学時代の先生の日記にも、今にも通じる歴史に対する思考スタンスが萌芽としてあったと感じるのは、私だけではないと思う。その歴史思考を先生は、私見ではあるが、人生の問題としても捉えているのではないかと思う。

 戦後、進歩的文化人が陥った思考の泥沼は、単純に言えば、過去を「否定」し、その後を「肯定(是)」する姿勢、自分だけ救われようという自己弁護である。そういう卑怯な自分をこそ問うべきである。そういう悪を否定する勇気、女々しさを否定する勇気が必要である。考えてみると、西尾先生の論調には、すべてこの批評精神が悠々と、一貫している、ここが真骨頂と思うが、いかがだろう。

 昭和45年の三島由紀夫事件についても、縷々面白い、微妙なお話もされたが、これは新著『三島由紀夫の死と私』(PHP/西尾幹二著)に詳しいので割愛する。

 アメリカ問題に対しても、けっこう時間を割いてお話しされたが、アメリカによって与えられた平和主義が戦後日本の生き方になり、そこに疑義も抱かず、その構造を今の日本人が忘れている。それ自体が、「日本の病理」の全てであるという指摘は、まったく同感である。先生の数ある著書、ブログ文章にも、繰り返し触れられている論点である。

 「自己決定」を避けようという姿勢が、日本人の精神、思考をして稚拙化している要因と思われてならない。その他、サブプライムローンに発するアメリカ及び世界経済の行方、80~90年代の日米関係の振り返り、村山談話をどう見るか、についてもお話をされた。

▼ 最後に一言

 3先生のお話に関して、私(濵田)自身が正直どう受け取っているのか、ごく簡単に書かせていただきます。

 基本認識は正直、殆ど同じですから違和感はありません。私自身が言論の世界で昔から違和感を懐いてきたことは、日本がこれだけ長い歴史・伝統・文化を持ちながら、外国に「位負け」し、自らを貶める言論好きの日本及び日本人に大きな違和感を懐いてきました。私なりにかなりの本を読み込んできた結果、日本の歴史・伝統・文化に強い「信」を懐いております(ミスクソ一緒ではない)。その意味で坦々塾は居心地がいいのです。最近気付かせていただいたこと、それは「真善美」に悖る保守人・・秩序、礼儀を無視する保守人といってもいいでしょう・・、『真贋の洞察』を欠いた保守人、『身近にある危機』を感じない、あるいは知らない(知らぬ振りをする)保守人の不思議な存在です。ここに保守人の劣化、稚拙化、危うさを感じています。最後に日本民族のアイデンティティを確かめるため、『古事記』の(本質的な)世界にもっと入り込んでいいのではないか・・・と個人的には思っております。                            
   以上
文:濵田 實

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坦々塾平成21年新年会

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  むかし九段下会議という政策研究を主とした勉強会に参加していて、小泉郵政選挙の評価等で意見が分れ、解散した。20人くらいのメンバーだったが、解散と同時に13人がせっかく集ったのだから会はつづけたいといって、私の許に再び集まり、坦々塾をつくった。しかしもう政界や政局に直かに結びつくことはやるまい。もっと日本の歴史や時局を深く考える会、自分を磨く会にしたい。何事に対しても「坦々と」歩んでいけばよい、というくらいの気持ちで、会をつづけているうちいつしか50人を越えるメンバーとなっていた。

 1月10日坦々塾新年会が開かれた。48人が参集した。私の旧い友人や愛読者の方々も多いが、定年前後のサラリーマンの方もいるし、学生も何人かいる。集まるたびに相互に知り合いになり、親交を結んでいる。いま大変に気持ちのいい会になっている。

 私が講演をし、依嘱した外部講師の方々が講演を重ね、ときにメンバーが研究発表をすることもある。開始以来の講師と演目は次の通りである。

第一回 (平成 18年 9月 10日) 参加 22人
 ゲスト講師:宮崎 正弘先生 『中国外縁の国々で起こっていること』
 会場 四ツ谷マイスペース 

 *宮崎正弘先生はその後メンバーとして勉強会に参加してくださっています。

第二回 (平成 18年 11月 5日) 参加 24人
 ゲスト講師:高山 正之先生 『反日の世界史』
 会場 四ツ谷マイスペース

第三回 (平成 19年 1月 28日) 参加 23人
 ゲスト講師:関岡 英之先生 『奪われる日本-真の国益を擁護するために』
 会場 四ツ谷マイスペース

『江戸のダイナミズム』出版記念会 (平成 19年 4月 4日)出席 約400人
 会場 グランドパレス市ヶ谷

第四回 (平成 19年 5月 20日) 参加 22人
 ゲスト講師:黄 文雄先生 『日本の天皇・中国の皇帝』
 会場 永田町 星陵会館

第五回 (平成 19年 8月19日) 参加 27人
 ゲスト講師:東中野 修道先生 『南京占領の真実』
 会場 永田町 星陵会館

第六回 (平成 19年 11月 11日) 参加 27人
 発表者:西沢 裕彦 『中国食品の問題』
 ゲスト講師:萩野 貞樹先生 『国語について』
 会場 永田町 星陵会館

第七回 (平成 20年 1月 12日)参加 35人
 発表者:尾形 美明 『ディーリングルームの世界』
     空花 正人 『反日左翼勢力の動向』
     小池 広行 『エネルギー危機と日本の原発』
 会場 六本木 霞会館

  *この月は新年会を行いましたので、ゲスト講師の先生はお呼びしておりません。

第八回 (平成 20年 2月 24日) 参加 33人
 ゲスト講師:宮脇 淳子先生 『モンゴルから満州帝国へ』
 会場 永田町 星陵会館

萩野貞樹先生追悼会 (平成 20年 4月 22日) 109人

 会場 九段会館

* 勉強会にゲスト講師としてお話を伺った萩野先生がお亡くなりになりました。
第六回坦々塾が、萩野先生が外部で行う最後の講演になりました。

第九回 (平成 20年 5月 10日) 参加 43人
 発表者:粕谷 哲夫 『中国旅行で見た今の中国』
     小川 揚司 『吾が国の「防衛政策」の変遷と根本的な問題点』 
 ゲスト講師:田久保 忠衛先生 『最近の国際情勢と日本』
 会場 六本木 霞会館

第十回 (平成 20年 8月 9日) 参加 40人
 発表者:岩田 温   『保守概念の再考』
     早瀬 善彦
 ゲスト講師:平田 文昭先生 『保守活動の挫折と再生』
 会場 六本木 霞会館

第十一回 (平成 20年 11月 22日)参加 42人
 発表者:足立 誠之 『アメリカの対日観と政策“ガラス箱の中の蟻”』
 ゲスト講師:西村 幸祐先生 『ジャーナリズムの衰退とネットの可能性』
 西尾先生 『私の人生と思想』
会場 六本木 霞会館

第十二回 (平成 21年 1月 10日)
 西尾先生 『荻生徂徠と日本の儒学』

  *この月は新年会を行いますので、ゲスト講師の先生はお呼びしておりません。
 会場 六本木 霞会館

第十三回 (平成 21年 3月 14日)
ゲスト講師:山際 澄夫先生 『    』・・・・予定
 会場:六本木 霞会館

 本年の新年会では、私が江戸の儒学は日本の土着の風土といかに噛み合わないかの諸相について、1時間半ほど講義した。「鎖国」とよばれる現象は西洋に対する拒絶反応だとみられているが、そうではなく、中華に対する抵抗と自己調節の努力だったということが私の言いたかった主なテーマであった。

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 つづいて新年会ということで来て下さった飛び入りのゲストの宮崎正弘氏が、いよいよ正体が分ってきたアメリカの金融危機の現状と今後の見通しについて、また同じく飛び入りの平田文昭氏が世界のエネルギー問題の現実と各国の心理的委曲について、各15~20分ほどサービス講話を展開して下さった。ひきつづき熱心なメンバーからの質疑がなされた後、会場を移して、新年宴会が開かれた。

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 数葉の写真から新年会全体の空気を察知していただけよう。宴会からひきつづいてカラオケ店に移動し、21人が六本木のカラオケの夜をたのしんだ。

 ところで坦々塾の前回は11月であった。浜田実氏が11月例会の参加記録を寄せて下さっている。当「日録」では年末、『GHQ焚書図書開封』に関する私の夏の講演を延々と掲示した関係で、例会の報告文を皆さまにお示しするチャンスを逸したまゝに、新年を迎えてしまった。

 ここに遅滞を浜田氏にお詫びし、11月例会の様子も併せて次回にご報告する。

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「アメリカの対日観と政策 “ガラス箱の中の蟻”」

 11月22日に行われた坦々塾での足立さんのスピーチの内容を紹介する。

足立誠之(あだちせいじ)
坦々塾会員、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

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「アメリカの対日観と政策 “ガラス箱の中の蟻”」

<はじめに>

 過日アメリカ大統領選挙でのオバマ氏の当選では、日本の地方都市、小浜市の奇妙なはしゃぎぶりが報道されました。オバマ氏は北朝鮮との対話を提唱しており、それは拉致・核・ミサイル問題での日本とは大きく対立します。加えてこの地方都市から拉致被害者がでていることは周知の事実です。それなのにそうした点にマスコミは一切触れず、馬鹿騒ぎだけの報道です。

 又、防衛省の空幕長田母神氏の論文が政府見解と異なるとして同氏が更迭されましたが、これを巡る報道も専ら日本侵略国家論、文民統制論のみが書きたてられ、論文のどこが問題なのかの検証に基づく議論は皆無でした。

 こうしたことに、何か肝腎な議論が抜けている、避けられ隠蔽すらされていると感じるのは私だけでしょうか。

 この様な違和感は、この二つだけに留まらず、我国のあらゆる問題の底辺に横たわっているように思われます。本日はこうしたことが何に由来しているのかをお話したいと思います。

 さて、今、私が身内以外で顔を合わせる人は2人のヘルパーさん、歩行訓練士さん、市の職員、ご近所などですが、皆私に関心があるらしく、何かと声をかけてきてくれます。

 先般ルーペを頼りに西尾先生の「GHQ焚書図書開封」を拝読しておりました。

 リビングのテーブルの定位置に置かれた本が皆の目に留まり、色々質問を受けました。「何と読むのですか」「どんな内容ですか」。

 そこで私は逆に質問します。

 「第一次世界大戦後ベルサイユ会議が開かれ、国際連盟が設立されます。このとき連盟規約に人種平等を盛る提案をした国がありましたが、ある国の強硬な反対で廃案になりました。提案した国はどこで反対し廃案にした国はどこであったと思いますか」「アメリカで黒人が選挙権を得たのはいつだったと思いますか」。

 本日ご出席の皆様には先刻ご承知のことでしょうが、私の答えに周りは仰天します。それはそうでしょう。人種平等を日本が提案し、アメリカがそれに反対阻止したことも、日本では既に戦前から25歳以上の男子全員に選挙権が与えられていたのに、黒人に選挙権が与えられたのは、日本で20歳以上の全国民が選挙権を得てから久しい第二次大戦後20年近くもたった1964年であったことも初めて聞くことなのですから。

 私は、こうしたことが何故日本でしられていないのかを解き明かしたのがこの本ですと言うと皆関心を示し、「GHQ焚書図書開封」が私の周りで読まれるようになりました。

 さて本題に映ります。皆さん誰でも小学生の頃、ガラスの容器に土を盛り、蟻を飼育した経験をお持ちだと思います。私は江藤淳氏の「閉ざされた言語空間 」、西尾先生の「GHQ焚書図書開封」に記されたGHQの検閲、焚書の実態をこうした「ガラス箱の中の蟻の国」のイメージで捉えております。

 蟻にされた日本国民に与えられる情報は蟻の餌に相当します。その情報は勿論アメリカの意向そのものです。その様子は、国民が目に見えない壁面のガラスを通して見ていると捉えているものは実はガラスに投影された宣伝映画そのものだった。そんなイメージです。

 私がこういうイメージを抱くきっかけはアメリカ生活からです。

 その前に小学生時代の二つの思い出からはじめさせて頂きます。

 私は昭和23年に小学校に入学しました。翌年の一学期の終業式の後、進駐軍から夏休みの「おやつの配給」が児童・生徒全員に配られました。中身はパイナップルの缶詰、干したアプリコット、レーズン、ビスケット、チョコレートなどでしたが、当時は食糧難時代ですから夢のようなものばかりでした。

 でも、配られたのは我々の学校だけであったこと、そしてナゼ配られたのか、またそれ以降二度と”配給”はなかったことに疑問が残りました。

 3年後の昭和27年のある日、学校から帰り卓袱台の上に置かれていたアサヒグラフのページを開き息をのみました。初めて目にした原爆被害写真でした。それまでも原水爆実験のきのこ雲のニュース映画は見ていましたが、このような日本人の凄惨な原爆被害状況を示す写真はそれまでただの一度も目にしたことはなかったのです。何故その時まで目に触れることができなかったのかということは大きな疑問でした。然し、この二つの疑問もその他の膨大な記憶に比べればほんの僅かなものです。

 日本で溢れる巨大な情報は「日本は間違っていた」は「アメリカは素晴らしい」「アメリカに見習おう」と言うもの一色で、何事も「アメリカでは・・・」で始まるのでした。

 そうした時代に育った私は1976年11月ニューヨークに赴任しました。

<アメリカの力の源泉>

 私は郊外の小さな町のアパートに住み、7時13分発の列車でマンハッタンのグランドセントラル駅に着き、そこから地下鉄でダウンタウンのオフィスへ通う。子供は町の公立幼稚園から小学校へ進学する。そんな生活でした。

 「ガラス箱」の話に焦点を合わせましょう。

 着任したときの担当取引先の一つにTandy Corporationがありました。

 主にエレクトロニクス製品の販売を事業とし、Radio Shackという小ぶりの店舗を全米に数千店を展開する優良企業でした。

 私はフォートワースにある本社で事業内容の詳細を入手しました。大筋は、毎日各店から商品別の売り上げと在庫が報告され、それがコンピューターに入力される。

 アウトプット資料を分析して売れ筋商品へのシフトをおこなう。販売不振の地域には広告を強化することもある。などなどでした。

 その後日本でも広まるPOSシステムの先駆的なものだったわけですが全体を俯瞰し、戦略的目的に沿った枠組み、システムを構築していくわけで正にアメリカの真骨頂であると感心したものです。

<アメリカの対日統治枠組みの原型>

 さて、「ガラス箱」を目の当たりにするのはニューヨーク着任から相当後のことです。地下鉄のストがありました。

 その頃日本では春闘が始まると国鉄の組合による順法闘争で通勤客は大混乱に巻き込まれるのが常でしたから、アメリカでも同じであろうと思っていました。が実際はまるでちがいました。

 スト初日、通勤経路は要所要所に灰色のペンキを塗った木製のバリケードが配置され、大勢の通勤客は川が流れるようにスムースにながれているのです。警官は少数でした。前日までに総てが用意されていたわけです。

 それは正に「ガラス箱の中の蟻」を思わせるものでした。

 戦後のアメリカによる我が国への占領政策はこれと同じ枠組みをとてつもなく巨大なスケールにしたものでしょう。

 彼等は日本国民を、目には見えないバリケードである方向に誘導し、映画のようなにバーチャルな世界を現実・真実であると信じ込ませたと考えられます。

<真実のアメリカ>

 日本国民に真実であると刷り込まれたバーチャルな情報イメージ内容もアメリカ生活で次第に浮き彫りにされてゆきました。

 ニューヨーク赴任当時、日本企業の本社からの派遣社員夫人が警察に逮捕される事件が起きていました。

 ベビーシッターを頼まず外出中に、幼児がアパートのベランダから転落死たことで、子供の保護を怠ったとして刑事犯として逮捕されたのです。

 子供の保護責任は親にあることは日本でも戦前の常識でした。だが今日同じ事件が日本で起これば、ベランダの欠陥が云々され、アパート側の責任が追求されて、親の責任は話題にすらならないでしょう。

 先年六本木ヒルズで子供がビルの回転ドアに挟まれ死亡しました。ビルオーナーとドアメーカーは世論の非難の集中攻撃を浴び、ビルオーナーとドアメーカーが親に補償金を払ったそうです。

 この話を聞けばアメリカ人やカナダ人は仰天するでしょう。

 北米で同じ事件が起きれば、余程の事情がない限り、親が逮捕されます。

 北米では一定年齢以下の子供を連れ外出した場合、子供が事故に合い死亡すれば、親は保護責任義務違反で逮捕され処罰されることになるのです。

 ですから外出する場合、親は子供が走りまわらないように子供の手をしっかり握るなどして必死になります。

 公共の場所で子供が走りまわるのを親が放置し、挙句は微笑みながら見ているなどの光景は、世界では日本だけの、しかも戦後だけの異状な現象でしょう。

 私の子供のアメリカの公立小学校生活は更に興味深いものでした。毎日国旗掲揚とアメリカを讃える歌をみんなで歌う。

 子供が担任の女の先生にいじめにあったと相談に行くと、先生は「戦いなさい」と教えたそうです。

 子供は日本に帰った後、公立中学校でいじめに苦労します。その学校では授業中に窓ガラスが割られる荒れた学校でしたが、一部の女の先生以外放置していたそうです。

 アメリカで「不正に対しては戦え」と教えられた子供は、今でも「日本の教育の最大の欠陥は”正義ヲ貫く”信念が欠如していることだ」と言いきります。因みに月刊現代2000年2月号の対談「だから大リーガーはやめられない」で野茂英雄氏は、バッターが汚いことをした場合にはピッチャーはデッドボールをぶつけても良い、という暗黙のルールがあると述べています。それで骨が折れても構わないのだそうです。

<アメリカの拉致事件=イラン人質事件とアメリカの指導者・国民>

 アメリカ生活で最も鮮烈な記憶として残るものは、アメリカの拉致事件、在テヘランアメリカ大使館員全員人質事件(以下イラン人質事件と略称)です。私のアメリカ時代はカーター政権と重なりますが、内政、外交とも失敗の多かった政権でした。

 同政権の唱える人権外交の影響もありイランでは反王政運動が激しくなり、1978年末にはパーレビー国王一家が国外に脱出、翌79年初めパリに亡命中であったイスラム教シーア派指導者ホメイニ師が帰国、イスラム革命が成立します。

 そしてアメリカとイランの関係は悪化し、11月にイランの過激派学生によりテヘランのアメリカ大使館員全員が人質となったのです。

 イラン人質事件が起きるとアメリカ社会は一変します。

 子供の通う学校では、毎日の国への忠誠教育に加えて人質大使館員全員の解放のお祈りを指導する教育が始まります。

 テレビではニュース報道の冒頭に必ず「今日で人質事件XX日になります」と告げるようになりました。

 特殊部隊による救出作戦も砂嵐で失敗します。パーレビー国王は亡命先のエジプトで死亡しますが人質事件は続きました。

 事件が起きた翌80年はアメリカ大統領選挙の年でした。選挙戦は現職のカーター大統領と共和党のレーガン候補の間で戦われました。

 マスコミ、特に日本の新聞は鷹派のレーガン候補ではなく現職のカーター大統領が優勢と報道していました。然しアメリカで周囲から受ける印象はまるで違いました。毎朝の通勤列車で同じボックスに座る3人のアメリカ人ビジネスマンの口振りからもそれが窺えました。ABC=Anybody but Carterという言葉が広まっていることも彼等から聞きました。

 テレビに映るレーガン候補はリラックスした様子で首を少しかたむけながら柔らかい口調で「私は当たり前のことを言っているだけです。何故タカ派と言われるのか理解できません」。イラン人質事件についての質問にも、ただ、「当たり前のことをするだけです」と答えるだけでした。

 大統領選挙の結果は、一つの州を除く総てでレーガン候補が勝つという一方的なものでした。

 年が改まり1981年初、新大統領就任式が迫っていました。そんなある日、一大ニュースが飛び込んできました。人質全員が解放され既に帰国の途上にあるというものです。

 全米が歓喜に包まれたことはいうまでもありません。

 学校でのお祈りも、テレビニュース冒頭の「今日で人質事件XX日になります」も昨日で終わりました。

 イランが大統領就任式直前に人質を解放した理由は明らかでしょう。

 レーガン候補は、「当たり前のことをする」と約束し、米国民はそのレーガンに白紙委任状を与えました。

 小学校から「不正に対して戦いなさい」と教育されてきたアメリカ国民にとり「当たり前のこと」の意味は明らかでしょう。イランもそのことは分かっていました。こうしてロナルド・レーガンは大統領になるその前にそれも一発の銃弾も用いず、アメリカ史上類例を見ない難問を解決したのです。

 日本は戦争後今日に至るまで、アメリカをまぶしいほどの民主主義国のモデルとしてきました。そして戦前の日本をその対極として徹底的に一掃しようとしました。

 だが現実に見るアメリカは、日本がモデルとしてきたものとは似ても似つかぬものでした。現実のアメリカはむしろ戦前の日本と共通のものを基盤としていました。

 それが最もはっきりとしているものは、”不正”への対応です。アメリカでは小学校から「不正に対しては”戦”いなさい」と教育されそれが国民にしみこんでいます。

 日本では「どんな不正が行われようと、絶対に戦ってはならない」と60年間教えられそれが刷り込まれています。その結果が、イラン人質事件と、北朝鮮拉致事件への対応の差です。

 一週間前の15日は横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて31年目に当たります。

 然し学校でめぐみさんの無事帰国を祈る教育を児童・生徒にしているところは皆無でしょう。この様な類例を見ない不正を日本国民はわすれようとしています。

 「どんな不正が行なわれようが、絶対に戦ってはならない」ということの帰結がこれです。

 国民性は確実に劣化しています。

<谷内発言で明かされた真実>

 アメリカは自国では「当たり前のこと」であっても日本にはそれを許さない。それが今日の日米関係の真実であることを端的に示す事実が文芸春秋12月号コラム「霞ヶ関コンフィデンシャル」に記されています。

 即ち、前外務事務次官であった谷内正太郎氏が、10月23日ワシントンで開かれた戦略国際研究所(CSIS)のシンポジウムで、安倍内閣の外務政務次官時代に、アジア太平洋の主要民主主義4カ国、日本、アメリカ、インド、オーストらリアによる戦略的対話構想をアメリカに提案し、又ASEAN+3(日・中・韓)とインド、オーストラリア、ニュージーランドにアメリカの参加による東アジアサミット構想を立案しアメリカに提案した。だがいずれもアメリカに断られたとし、アメリカは常日頃民主主義は大切といいながら日本がイニシャティブで提案すると拒否する。その理由が分かりません、との爆弾発言をしたと記し、更に、この勇気ある発言に会場は一瞬凍りついた、と記されています。

 この文芸春秋の記事は二つの重要な真実を明らかにしました。一つは、この程度のこと、内容はアメリカにとってもまっとうと思われることであっても日本がいいだすことは許されない現実が存在していること。

 もう一つは、こうしたことあるいはこの程度の発言が「勇気ある発言」「爆弾発言」と認識され会場を「一瞬氷づかせる」ものであったことです。

 つまりこうした内容の発言は日本側にはタブーであるとの了解が日米間にあること。そのことはマスコミ関係者も知っていた節があるということです。

 それはつまりマスコミにもタブーであったわけです。

 こうした事実が明らかになってくると、日米関係は今もって占領時代の関係、即ちアメリカが日本「をガラス箱の蟻の国」として観察し飼育、管理する状態が変わっていないように思えてきます。

<アメリカの対日観>

 それではアメリカが何故一貫して日本が、それが自国では当たり前に行なわれることであっても、日本がおこなうことを阻むのでしょうか。そしてそのことをなぜ隠蔽するのでしょうか。

 それは日本が手強い国、国民であると考え、かつて人種平等やアジアの国々の解放を求め、貧しい国々の経済発展をたすけたような”当たり前で真っ当な”しかし彼らにとってははた迷惑なことを再び日本が行って世界の中での存在感を高めて欲しくないと思うからでしょう。

 私自身、日本は凄い国であると思います。

 ニューヨーク赴任当時、Tandy Corporationに感心したことは既述の通りです。だが、アメリカから日本に帰ると、もっと凄いことが出来上がりつつあった。それはクロネコヤマトの宅急便です。その凄さは仄聞するところ、イラク戦争に際して米軍はロジスティクの枠組み・システムをクロネコ方式に依ったそうです。

 トヨタの看板方式、在庫ゼロ方式が、世界の製造業のシステムを大転換させたことも凄いことです。

 無駄にされていた天然ガスを開発、生産、輸送し、長期契約に結びつけた天然ガスによる発電は世界に20年先行しています。原子力発電の建設技術も世界をリードしている。

 こうしたことに見られる日本国民の潜在力にアメリカは脅威を感じている。それが彼等をして戦後今日までの対日政策の底辺にあるのです。

<広がる溝>

 日本国民がようやく世界の現実に気付いたのは金正日が拉致を認めたときです。

 然しそれはまだまだ甘いものでした。米国議会のいわばシンクタンクであるUSCCは03年7月に北朝鮮核問題をテーマとする公聴会を開催しました。

 そこでの議論では、北朝鮮の核保有はアメリカへの直接的な脅威にはならない、脅威はそれがテロリストに渡ることであるとのことでした。北朝鮮から核を買うことすら示唆する意見まで出たほどです。

 証人の一人は、北朝鮮の核保有は中国や韓国にも脅威ではない。脅威を受けるのはノドン100基(当時)のターゲットである日本である、と証言しています。

 だが、議論はここまででした。委員の一人が「この公聴会は日本のためにおこなわれるものか」と反問し日本の核武装が正当化されてしまうという事実が露見しそうになったためかも知れません。

 つい先月の10月、アメリカブッシュ政権は北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除しました。そうした可能性は既に5年前に内包していたわけです。

 元々北朝鮮問題=拉致・核・ミサイル問題での日本の立場はアメリカよりも遥かに険しいものです。

 アメリカに丸投げしてはならない問題でした。

 今回のアメリカの決定は、平和時にさえ我国の意向がとりあげられない日米安保体制が戦時に果たして日本の防衛に機能するのかという問題です。

 そろそろ結論を申し上げ負ければなりません。冒頭に日本人の原爆被害写真の衝撃について記しました。殆どの日本人と同様私も核には強いアレルギーを持つものです。然し、核の議論さえ我が国ではタブーとしてきたことが結局は米・ロ・英・仏・中の核保有を恒久化せしめ、インドやパキスタンの核保有をもたらし、今日の北朝鮮の拉致・核・ミサイル問題でデッドロックに追い込まれている原因を生んでしまったのではないでしょうか。

 北朝鮮が核を保有するならば、日本も同様な権利を留保する旨アメリカに示唆することで、アメリカは中国を誘い北朝鮮に強烈な圧力をかけたのではないでしょうか。日本の核武装だけは何としても止めたいわけであり、どうでもよいことではなくなるからです。

 小学生時代の「進駐軍からのおやつの配給」の理由について蘇った記憶があります。我々の学区の上級生が進駐軍のトラックにはねられて死亡した事件があったことです。今となっては「おやつ」とこの事件とつながりがあったのか証明の使用はありませんが、軍隊組織が無目的、善意である小学校に一回だけ「おやつの配給」などするわけはないことは当たり前でしょう。こうして見てくると、日米戦争は昭和20年8月25日に終わったわけではないことが分かります。

 日本は降伏したが、アメリカは自らの意思を日本に強制することをやめてはいません。私は江藤淳氏の「閉ざされた言語空間」が世に出たとき、これで日本国民は目覚める、日本は再起するとおもいました。然しそれから四半世紀後の今日も日本国民はアメリカの作った「硝子箱の中の蟻」の状態から抜け出せていません。

 今回の西尾先生の「GHQ焚書図書開封」は日本がガラス箱から抜け出す最後の機会ではないかとおもいます。
文:足立誠之

坦々塾報告(第十回)(二)

等々力孝一
坦々塾会員 東京教育大学文学部日本史学科専攻 71歳

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(4)
 さて、冒頭に、あえて2年前の坦々塾の発足時と、今回の「つくる会」総会とを対比したのは、2年前は、ちょうど西尾先生の「『小さな意見の違いは決定的』ということ」という文章が「日録」で進行中であり、今回の勉強会の「保守運動の再生と日本の運命」というテーマは、西尾先生のこの文章にまで遡ってみる必要がある、と筆者は考えたからである。

 西尾先生のこの文章は、60年安保時代の印象的な場面から始まって、今日の「保守主義者」の政治行動を、当時の「左翼」の政治主義になぞらえて非難するところに繋がってゆく。その論旨は、西尾先生ならではの鋭さに満ちているが、今一歩、真の病巣に論理のメスが届いていないのではないか、というような歯痒さをも心底に残してきたのである。

 それは、安倍政権成立に向けて権力にすり寄ろうとする傾向と、安倍氏の側からの教科書問題等に対する介入については、多くの批判が割かれているのに対して(ただし、そのうち後者については過大評価といわざるをえない。)、当時、西尾先生は、安倍政権を待望すること自体にも批判を向けられていたのだが、それにしては、安倍政権を積極的に形成しようとする動きそのもの(それは、権力に「すり寄る」こととは区別されるべきものである。)に対する批判が不明瞭であったことによるのではないだろうか。

 先生は、右派の「政治主義」に対しては、「もしどうしても集団行動がしたいのなら、政党になるべきである。自民党とは別の保守政党を作る方が、筋が通っている。」という根本的な批判をされているが、その批判は、政権獲得に類する安倍支援の活動にこそ、最も厳しく向けられるべきではなかったか、と考えるのである。

 しかし、ここで先生のこの文章の検討に立ち入ろうとしているのではない。それでは坦々塾勉強会の報告という範囲を逸脱してしまうからである。ここでは単に問題を提起しているに過ぎない。

 ただ、今までそれほど特別視することなく読んできた次の文章も、先に岩田氏の「保守主義」論を肯定的に捉えるとすれば、いやが上にも眼に突き刺さるように飛び込んできて、改めて考えざるを得なくなる。(勿論、岩田氏の「保守主義」が「政治的集団主義」を意味するものでないことは自明である。)

引用――

「どうも保守主義と称する人間にこの手の連中(引用者注:「大同団結主義者」)が増えているように思える。保守は政治的集団主義にはなじまない。保守的ということはあっても保守主義というものはない。保守的生活態度というものはあっても、保守的政治運動というものはあってはならないし、それは保守ではなくすでに反動である。」(「『小さな意見の違いは決定的』ということ」)

(5)
 平田氏の話の中で、日本においては、権力やシステム論が必要なときに、道徳論に入り込んでしまう傾向がある、という例として、藤原正彦「国家の品格」がベストセラーになったことを挙げていた。そこで、念のため、同書に目を通してみた。

 その結果分かったことは、「国家の品格」は、道徳論の本というより、どちらかというと、むしろシステムを論じている本なのである。近代的合理主義を批判して、論理唯一の立場を否定し、情緒の重要性を強調している。結論として、武士道・道徳論を説いているのである。

 藤原氏は、5ページ以上にわたってデリバティブを説明・批判し、今日のサブプライム問題のような金融破綻の發生を予言している。とても「天皇・靖国・大東亜戦争」の3点セット保守などの及ぶところではないのである。

 「国家の品格」に強いて難点を挙げれば、民主主義を支える「真のエリート」の必要性の説明があまりに直接的で、もっとフィクショナルな説明をすべきだ、ということを感じる。第二に、中国との戦争について、スターリン・毛沢東の策謀を認めた上になお、日本の道徳的誤り(侵略)を批判していることであろう。

 平田氏の論点を否定するものではないが、「国家の品格」が売れて読まれたことは、とてもよいことだと思う。坂東真理子「女の品格」などと比較されるべきものではない。(後者については、西尾先生の批判しか読んでいないのであるが。)

(6)
 平田氏の、昭和30年代のシステムの改革に失敗したことが、今日の大きな問題である、という指摘は、今後の最も根本的な研究課題であろう。政治的にはいわゆる55年体制ということになるが、経済的には高度成長を支えたシステムを、国民生活の向上や社会構造の変化、国際化・グローバル化などに応じて、適切に転換できなかったことが、幾多の負の遺産を抱える結果になってしまった。

 安倍内閣の成立から退陣に至る過程の総括は、保守運動にとって喫緊の課題であろう。(筆者は、安倍政権は、本質的に「期待すべき保守政権」というより、「小泉後継政権」としての意味が大きいと考えてきた。)

 「日本会議」的保守の問題は、その全貌が私にはよく分からないところがある。「つくる会」の活動にとってのみならず、平田氏の人権擁護法案反対の活動の前にも、日本会議が立ちはだかっているようであり、保守運動にとっての存在の大きさを感じるが、充分な議論と研究が必要であると思う。

 今回は、挫折した保守運動が再生に至る中間点、踊り場に相当するところに位置するのであろう。再生に向けての諸問題の坩堝とも言うべき会であって、その全体を鳥瞰することさえ、筆者には手に余る。断片的な感想に止まったことをお許し頂きたい。

 最後に、広い視野と厚い知識、豊富な情報量を基礎に、縦横に刺激的な問題提起をして下さった、平田文昭氏に、改めて感謝申し上げます。

(了)