坦々塾(第十四回)報告(二)

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ゲストエッセイ 
石原隆夫
坦々塾会員

西尾先生は鈴木さんの考察を正面から受け止め、反論の形で日本文明の好ましい面として「複眼の必要/日本人への絶望を踏まえて」と題し、「國体の本義」を取り上げられた。その中で「肇国」「聖徳」「臣節」「和とまこと」の概念とそれを具現する意識として神道に通じた「明き心、浄き心、直き心」を挙げ、それが日本人の美点であることは間違いないが、残念ながらそこには「他者=他文明」が無いことを指摘された。

この事は日本人同士には通じても他者には通用しない思考であり、今迄、日本民族の長所と見做されて国民性となってきた概念が実は、他文明との摩擦の原因となるだけではなく、それを躱そうとして「和とまこと」が顔を出し、その結果が妥協と阿りとを生じるという鋭い指摘でもある。

ならば一体日本民族は今後、どう生きたら良いのか。
道徳論的には「明き心、清き心、直き心」のDNAを持った日本民族の誇りは失うべきではないと思うが、お人好しの日本民族はそろそろ卒業しないと未来はない。
国際に通用する「政治論的」な日本民族とは、「一宿一飯」の恩義に無関心になれるかどうかであるが、両方をうまく使い分ける知恵を持った日本民族になれるだろうか。

神であった天皇という絶対的存在を失ってしまった日本民族は、逆境に耐えられる心棒も失ってしまったのではないか。安易な裏切りではなく、矜持を保つ困難をこそ
選択する「明き心、浄き心、直き心」をもう一度取戻さねば未来はない。

石平さんが「日本人の歴史教科書」に書かれた「嵐山で発見した日本と祖国」を読んで
日本に帰化された時の氏の心境が手に取るように解り、興味深いものを感じた。
中国は滅ぶべしと力説する。石平さんが挙げる中国が滅ぶべき理由もよく分る。
が、滅びない中国、世界で真っ先に生き返りつつある中国が目の前にあるのも現実だ。

日本にとって中国は厄災以外の何ものでもない。
どれほどの日本人が銭や利権や女で手込めにされ、日本を裏切ってきたか、死屍累々と言っても良いほどだ。日本民族をダメにしてきた中国が一日でも早く滅びて欲しいが、私は懐疑的だ。「南巡講話」で金儲けの味を知ってしまった中国大衆が今や大国となった祖国中国を手放すわけはない。昔の中国とは違うし彼等はバカではない。

我々が今、心配しなければならないのは、中国が滅びる前に日本が滅びないように考えること。

大陸進出が日本の命取りになったついこの間の事を、国益より金の亡者になった財界に再教育することであり、「日本は日本人だけのものではない」などと言って国民を裏切る売国奴を政界から葬ることであり、お人好しの日本を喰いものにし、特権を享受しながら、いずれは日本を我が物にしようと企む特亜三国兄弟を日本から追出すことである。

「直き心」だけでは邪悪な者たちには対抗出来ないと知るべきだ。

文:石原隆夫

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坦々塾(第十四回)報告(一)

ゲストエッセイ 
石原隆夫
坦々塾会員

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 期待に違わず刺激的な坦々塾だった。

 殆ど全会員と言って良い55人の塾生が一堂に集り、講師の口から出てくる次の言葉に一喜一憂したのは久しぶりではないか。

 その講師一番バッターは、つくる会でもお馴染みの鈴木敏明さんで、4冊目の御著書、「逆境に生きた日本人」でお書きになった、日本民族の行動原理についてのお話し。
要するに日本人は逆境に追込まれると平気で國を、民族を、仲間を裏切ってきた。

 その節操のない民族がたどり着いたのは自己を裏切る「自虐史観」だと言う。「自虐史観」とは民族の資質が生み出した当然の帰結なのか・・・?

 実は、坦々塾から1週間経ったが、その折り購入した御著書を未だに読了していない。

 ハッキリ言ってもうこれ以上読みたくないというのが本音である。歳とって気弱になったせいか厭な話には拒絶反応が強い。勿論、馬鹿な左翼の本などまっぴらだが、保守の仲間の本でこんな感情が起きるのは珍しい。

 私にとって特にこたえたのは「日系アメリカ人」についての考察である。

 それには理由がある。若い頃と言っても、まだ旅客機がペンシルジェットで1ドル360円で500ドルしか持出せない頃だが、私は会社からハワイの日系の建設会社に研修生として派遣された。周りは殆どが2世で第2次大戦を経験している人ばかりで、当時ハワイでは選民としてその地位を確固たるものにしていた。InouyeとかAriyosiとか言う日系二世が上院議員や知事だった頃である。

 会社のトップやマネージャークラスから時々ホームパーティーに招待されたり、現場監督や大工さんから一杯誘われた時に出てくる話はいつも「大和魂」の精神論であり、具体的には第百大隊や442部隊のヨーロッパ戦線に於ける日系部隊の活躍振りだった。日米戦争が起ると本土の収容所に敵性人として閉じこめられたが、アメリカに生れ、平等に教育を授けてくれたアメリカには「一宿一飯」の恩があるという思いだけで、母国日本に敵対する志願兵になったのだと言う。その思いと、なにくそという気持こそが「大和魂だ!」と誇り高くビールのジョッキを挙げるのだ。

 私は母国に背を向けざるを得なかったそんな日系二世を愛おしく思い、その潔さに同じ民族として長年、誇りにも思っていたのだが、鈴木さんにかかるとそんな日系二世もカタナシになってしまう。私は二世を誇りに思う一方で、同じ収容所の中で最後まで理不尽なアメリカに抵抗し、最後には補償を勝取った二世がいた事を知ると、生理的な違和感を感じ複雑な気分になる。

 一方で、シベリア捕虜収容所で過酷な労働に従事しながらも、恥も外聞もなくソ連に迎合する日本人捕虜が、他国の捕虜や当のソ連兵から蔑まれた話は、身悶えするほど恥ずかしく悲しい。アメリカで強制収容所送りになったのは日系だけで、三国同盟のドイツ系移民もイタリア系移民もお咎めなしの人種差別むき出しの処遇だったが、もし、シベリア同様に、ドイツやイタリア民族と一緒に収容されたら、日系人はどう振舞ったのだろうか。他民族から蔑まれても、やはり「一宿一飯」の恩を感じたのだろうな、と思うのだが、そう思う自分に近年、後ろめたさを感じるようになったのも事実だ。

 その理由は中国系や韓国系アメリカ人の振舞いが頻繁に話題になってからだ。

 アメリカ人として生れ、教育を受けた彼等が、アメリカと母国との対立が起ると、無条件に母国の中国や韓国の立場にたって平気でスパイや工作に従事し、アメリカを裏切る。「一宿一飯の恩」など微塵も感じていない。必ずしも母国の強制があったからでは無く、自然とそうなる。そのような迷いのない彼等の行動規範にも一種、潔さを感じてしまうのだ。

 よく言われるように中国も韓国も血縁第一の社会であり、舞台が国際になれば、血縁第一意識が拡大されて人種的結合が何よりも優先されるのだ。冷戦崩壊後の民族主義の勃興が更にその傾向に輪をかけ、帰化手続が必ずしも国家への忠誠を担保しなくなったのである。

 日本での在日問題にも同じ事が言える。日本人の「一宿一飯」意識など、彼等には意味のない戯言に過ぎない。従って地方参政権を手に入れるまでは如何なる屈辱も堪え忍び、最後はこの日本を乗っ取ろうと真剣に考えている。

 アメリカ軍の中で最も戦死率が高かったのは日系部隊だった。第2次大戦後に日系の州議員、連邦議員やハワイ州知事を輩出して人種差別を超克し、民族の名誉を回復したが、それは名実共に日系人の血で購った結果であった。

 この日系アメリカ人と中韓系アメリカ人の相反する生き方の違いは、民族の生き方としてどちらが好ましいかという重い命題を我々に突きつける。その解は道徳論に求めるか政治論に求めるかで違ってくるのだが、いずれにしても鈴木さんの日本民族に対する冷徹な考察を正面から受け止めないと、これからの国際社会で日本はやっていけない時期に来ている。

つづく

文・石原隆夫

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〈専門家への疑問符〉考(第五回)

ゲストエッセイ 
伊藤悠可(いとうゆうか)
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講 坦々塾会員

 

百科事典は宇宙的ではない
 
 『江戸のダイナミズム』の思惟の内にあった西尾先生は、前掲し引用したグンドルフがいうところの「宇宙的なるもの」のなかで呼吸をしていた、と私は感じていた。

 「宇宙的なるもの」とは最近、流行らない表現である。NASAだとか宇宙開発だとか、そっちの平板な科学に行ってしまうが、まったく違う。コスモスへの観照、民族の直観による世界探究というものに近いと思う。

 先生が「古き神を尋ね、それをときに疑い、ときに言祝ぎ、そしてときにはこれの背後に回り」と表現した言語文化ルネッサンスのドラマは、グンドルフなら「世界建立的な行為者」や「世界視観的な形成者」の情熱や衝動によって行われる仕事ということになるのだろう。人間態の全体に向かえるものは「宇宙的なるもの」だというのである。

 そして、グンドルフはこう区別している。

 「ある目的とか體系とか方法とかを一切の素材に適用することが宇宙的であるのではない。完備ということが完全ということではない。百科事典は宇宙的ではない。総じて、包括的であると言っても、それが血と魂とに於いてでなく、目的と素材とに於いてであるものは、ことごとく宇宙的ではない。組合や学会や連盟はたとえ世界を蔽うにしても部分的である。宇宙的でありうるものはひとり人間のみである」(『英雄と詩人』)

 保守系論者とされる学者が「水平思考は駄目だ、もっと垂直思考でとらえ直さないと」ということを書いたりしているが、床に広げた歴史年表の上を水平に移動し指さすようなことをして、それが垂直思考だと言っている。歴史も素材漁りをする人たちからあれこれ窮屈な扱いを受けている。

 彼らの褒める聖人や偉人は、彼らの思い出す歌や詩は、なぜこうも生命を欠いているのか。歴史の人々もわれわれも「形作りつつ形作りかえられる」(同上)という交互作用の中で生きていることを知らない人が多すぎるからであろう。「歴史は動くもの」と言われた西尾先生の言葉は平易ではあるがなかなか理解されにくい。
 
 思想家は愈々、ひとり悲壮な戦いを続けていて、専門家の多くは愈々、生活を志向しているように見えることがある。

(了)
〈専門家への疑問符〉考

文・伊藤悠可

〈専門家への疑問符〉考(第四回)

ゲストエッセイ 
伊藤悠可(いとうゆうか)
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講 坦々塾会員

 


目的本位主義がついてくる

 露伴を引き合いにして語りすぎたきらいがあるようだ。西尾先生が気づいている専門家観には、もう一つ現実的次元のものがあるのかもしれない。

 例えば「狭隘」ということも、専門家にありがちな性向から来るのではなく、学府で専門家として生きるためには狭く狙いを定めて断章取義をしなくてはやっていけない。専門家も職業人である、職業的(職場的)意識を捨てての研究は成り立たない。

 平たく言うと少しでも新しい境界を拓き、周辺的偏狭的であっても、それを差別化し提出できるテーマがあればそれをものにしておかなければ、学者として評価が得られないという現実はあるのだろう。学問の府でごはんを食べたことのない筆者にはわからないが、そういうことも想像する。

 それなら企業人と同じであるが、あらゆる学問領域の学風に流れる目的本位主義というものが専門家にもついてくる。一定の論証のために必要な資料を探し出して、分析し配列すれば論文になる、という考え方である。一定の論旨を通すには、また何らかの価値を見いだして学術的に役に立たせるには、材料を集めて按配するという作業が必要になる。

 けれど、専門家はいつでもそこに逃げ込むことが可能だ。本当に興味があるかどうかが前提としては問われない。つまり本当は興味がないから小器用に業績を積み重ねては、突っ込まれないために防御するという非知的行為のほうでエネルギーを消耗することはないのだろうか。

 学術的価値如何ということを言いつつ「成果」を気にしているが、自ら研究の「姿勢」を問わないでは、冒険も意欲も想像も人間としてついえてしまうのではないだろうか。論文になる、というだけなら、人間としてこしらえものに倦んでくるはずだ。

 ここで、一つ断っておかねばならない。
 私は専門家という存在について、極めて大雑把な感想を述べてきたに過ぎないが、異論もあるだろう。専門家は、もっと多方面の分野で多様なかたちで社会に役立っている、そして、彼らは様々な人々の欲求に応えるため新しい学問を確立している、専門家の捉えかたが古くて狭すぎる、と。

 大学に新設される学科も百花繚乱らしい。マンガ学、美容心理学、スポーツイベント学等々、私が今すぐ造語すればそれがクイズの正解になるような学問がいっぱいあると聞く。しかし、それは〈商売〉ではないか。

 佐藤優氏が危惧したほどに、ポストモダン以降の乱痴気騒ぎに似た退行現象を、私は正面から受け止める気がしない。また、受け止めてはならないと思っている。同世代から出た毒は真っ先に同世代が吸引する、と私は思っているが上記のキラキラした怪光は大正期にも出現したし、明治初期にも三十五、六年のときも出現したのではないだろうか。

 この小論の探究力の不足は認めるとしても、〈新造語学問〉の専門家は全く範疇ではない。

思想家だけが「死」と「過去」に寄与する
 
 西尾先生は『江戸のダイナミズム』のあとがきで書いている。帯にもなった次の文章だ。

 「地球上で『歴史意識』というものが誕生したのは地中海域とシナ大陸と日本列島のわずか三地点です。そこで花開いた『言語ルネッサンス』は文献学の名で総括できますが、それは単なる学問ではありません。認識の科学ではありません。古き神を尋ね、それをときには疑い、ときには言祝ぎ、そしてときにはこれの背後に回り、これを廃絶し、新しき神の誕生を求めもする情熱と決断のドラマでもありました」
 
 短い文章に非常に大胆なことが書かれている。この本で単なる学問ではない、認識の科学ではないところのものに踏み込んでみたのだ、と宣言している。「学問」といえば高尚であり「科学」と言えばすばらしい、と暗黙のうちに見ている人はまず頭を叩かれる。

 その方法として時間的、空間的に大きなコンパスを取り出して、思い切って世界に図面を引いてみた、と書かれてある。専門家はたくさんいるが、いっさいそういう仕事はしないし、気がついてもくれない。だから自分は自分なりにやってみる、というふうにも読める。
 
 西尾先生がふと漏らされたに疑問に触発されて、専門家とは如何なる存在か、専門家の仕事とは何なのか、そして専門家が陥っている狭隘なる世界、時折見かける錯誤した自負はどこから生じるのか、ということをここで考えてみた。時代相を冷静にみれば、誰もかれもがいっぱしの「専門家」にならんとして、息せき切って走っていると言えるのかもしれない。
 
 相対主義、機械主義、実証主義などの弊と共に、西部氏が指摘するような方向喪失と価値喪失にゆきついたアカデミズムの世界には、門外からはわからない「知」の荒廃が横たわっていることだろう。
 
 ただ、一つこういうことが言えるのではないか。専門家は益々こんごも「生」と「生活」に寄与するであろうが、「死」と「過去」には寄与しない。そもそも「死」と「過去」のための仕事があるとは夢にも考えたことがない。よって、専門家からは専門家の根本是正は行われないだろう、というのが私の結論である。

 「死」と「過去」に寄与するのは思想家の役割だからである。専門家は〈万古の疑義〉を持たない。

飴のように延びていく未来像

 ニーチェが『悲劇の誕生』を書いたとき、ヨーロッパに流布していたギリシア像は近代主義的合理性、明るい楽天性、人文主義的晴朗さ一辺倒であった、ということを『江戸のダイナミズム』から教わった。ギリシア悲劇の作品のどこにもニーチェが直観したようなディオニュソス神という暗い衝動の神格が影響したという証拠は見つからなかった。

 が、半世紀も経たないうちに、遺跡の発掘が進んで、文明の奥の暗い非合理な神霊的側面が次々と証明され、古典研究の上で大きな影響を今も与えている、とする最終章にある「悲劇の誕生の謎」の頁を覚えている方がおられるだろう。

 「大抵の文献学者は明るい理性を前提として古代を解釈」していたし、それが「客観的」だと信じ込んでいたが、文献や証拠すら無視したニーチェの主観がむしろ客観的で、現在も大きな意味を持ち続けている、と。

 勝手な読者の理解にすぎないが、私には当時の「大抵の文献学者」が現代日本の「大抵の専門家(知識人)」と二重映しになる。しかし、日本の知識層にあるのは明るい理性を前提とした「未来」である。経済危機や環境や少子化などに取り敢えず関与して悩ましい顔をしているが、本質は軽躁である。

 「日本に流布していた〈未来像〉は近代主義的合理性、明るい楽天性、人文主義的晴朗さ一辺倒であり、そのまま飴のように延びていく〈未来〉を解釈していた」と、遠い将来に誰かに書かれるのではないだろうか。

 「思想家とは、自分自身を含めてその時代に対する、また来たるべき時代のための〈裁断者〉たるとともに〈戦士〉としての任務を進んで引き受けたもの、否むしろ否応なくそれを受諾せしめられたもののことに他ならない」と小野浩元明治大学教授はニーチェに即して語ったことがある。 
 
 この小野教授の定義を思い起こし、これに重なる存在が今なおあることに気がつく人たちは幸福と言わねばならない。

 勿論、ニーチェが生きた時代と同じく、ニーチェの脚元にまつわりついて血を吸う蛭の群れが今あることも変わらない事実である。〈引き受けたもの〉の宿命というべきだろうか。

 けれども、早合点、早とちりをしてはならないだろう。この〈裁断者〉たるとともに〈戦士〉という人は、イデオロギーの衝突の場で頑張っている活動家ではない。イデオロギーの信奉者は「自分自身を含めて」という辛い戦いはできない。

つづく

文・伊藤悠可

〈専門家への疑問符〉考(第三回)

ゲストエッセイ 
伊藤悠可(いとうゆうか)
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講 坦々塾会員

 

自分以外の分野は無知でかまわない
 
 露伴を雑学家とした見方に山本健吉はこう反論している。

 「なるほどそれは今日の細かく分化した知識をそれぞれ分担している専門家たちの学問とは、いちじるしく違っている。それらの人たちから言えば、露伴の学問には雑学的ともいうべき特色があるのは事実である。雑学的というのは、端的にいえば学問としての體系・方法を缺いた、雑多な知識の集積ということだろう。だが、露伴に果たして、體系・方法が見られないと言えるかどうか」
 
 われわれが生きている技術文明の高度化、社会機構の複雑化の進行はめまいを覚えるほどである。社会は新たな課題に応じられる新たな専門家の登場を要請する。

 技術と知識の膨張速度は凄まじく、個人は細かく分断された部分知識を持つことはできるが、全体的な知能と職能を獲得することは不可能となった。分担と共有は宿命的な図式である。が、これを逆にしてみると、個人は自分以外の分野はまったく無知であってもかまわないということである。分担される知識と技術はますます細分化し、専門家はその領域内で深い知識を獲得しているかもしれないが、社会が所有する知識の総和から言えば、個々人の知識と技術は著しく狭い。

 「近代人は古代の素朴な農夫に較べてさえ、個人的な知識と技術との著しい相対的減少が見られる。言い換えれば愚昧になっているとさえ言えるのである」と、山本健吉は人生全体の知恵の喪失を指摘しているのだが、問題が深刻なのは、狭隘な知識の所有者である専門家自らが、必ずしもそうは思っていないことである。
 
 感受性のある日本人なら、一人ひとりが充足完成することのない時代に投げ込まれている現実に、多少は嘆声を漏らしいらだちを覚え寂寞を感じるものであろうし、完結した生涯を持ちえない生、断片的で過程的でしかない人間と化していくことによろこびを抱き、そうした社会に賛辞を与える気持ちは持ち合わせないはずだが、考えの機械的にして精緻なる人たちはそうではないようだ。

 まず、人生における全的人間としての知恵など時代遅れの古い人間の繰り言と蔑んでいるだろう。少なからず彼らは進歩主義者なのである。専門を担っているという自負以上に、誰もが持ちえない専門知識の保持者として社会に貢献しているという高ぶり、専門領域外への無関心、外部からのいかなる発言もゆるさない不寛容という合併症を患っているのではないか。

気にかかるゲーテの言葉

 露伴が雑学的な物知りに見えるのは、一面ではやむをえないと言えるのかもしれない。

 柳田国男は民俗学者として身を立てようとしたわけではないし、内藤湖南も泉下で「私は歴史家として生きた」とは思っていないだろう。南方熊楠となると何が専門なのかと言うことができない。「すぐれた菌糸学者」などと言おうものなら本人は大笑して「俺は革命家だ」というかも知れない。
 
 露伴はどうか。田邊元博士は今でも「博士」という二文字を付けなければ格好がつかないが、露伴は文学博士であるものの、幸田博士と呼ぶ人は皆無である。つまり、博士はよけいなのである。
 
 ちなみに、西尾先生は自分をライターと呼んでいる。物を著すときはただの評論家だ。実際は何も付いていない。西尾幹二は西尾幹二である。たくさん仕事をすると肩書が簡単になり取り払われるのは自然の理である。専門家は相変わらずの肩書主義なのである。

 露伴には雑学的というべき特色はあるが、今日の専門家がする学問に較べて、より全体人間的であり、人生万般的な知識の所有者であった。しかも、近代的細分化される以前の知識風土において、その時代が思索しておかねばならない対象をとらえ、直観力を持ち合わせ、物事の帰趨を決めつけずに限界をはみださない〈反措定〉という節持を自らに課していたといわれる。
 
 そうした節持を今日の専門家は理解しない。限界をはみださない姿勢は「自説に自信を持てないからだろう」くらいに思っている。そうではなく、露伴は問題の立て方が違うのである。学問的というべき答が出ないのは承知で広い立て方しかしていないのである。「完全さに達するのは、学ぶ者のなしうることではない」とゲーテは言葉を残しているが、これを晩年の負け惜しみととらえるほど私はひねくれていない。

徂徠が夢にも思わなかった学問の概念

 露伴が日本の古代中世ばかりか支那の文献、インドの仏典などを縦横無尽に織り込んで物語るとき、誰もがその博識に驚かされるのだが、薄められた知識をひけらかす趣味人の厭味といったものはない。物事の結末をあらかじめ見て取って筆で読者をねじふせるといった押しつけがましさはないように思える。

 卑近な人生の場面から形而上的な理念の探究――それはたとえば「運命」と呼ぶしかないようなものを含んで読者に迫る。露伴に體系や方法といったものがないのではなく、人が生きるための體系と方法が横たわっている、と山本健吉は抗議した。 
 
 「見聞広く、事実に行きわたり候を、学問と申事に候故、学問は歴史に窮まり候事に候」は荻生徂徠の有名な一節である。小林秀雄はこれを読んで次のように書いた。

 「徂徠の学問に、厳密な方法がなかったという事は、裏返して言えば、何の事はない、今日の学問より遙かに生活常識に即していたという事なのだ。(中略)今日の学問では、広大な人間的経験の領域を、合理的経験に絞るのを眼目としているから、学者は、必ずしも見聞を広める事を必要としない。いや、人情を解せず、人倫を弁えなくても、学問の正しい道は歩けるのである。徂徠等の夢にも思わなかった学問の概念である」

 徂徠の「学問は歴史に窮まり候事に候」という深淵な部分を今ここで扱うのは目的の外である。また、容易に手に負える課題でもなさそうである。小林がいう「必ずしも見聞を広める事を必要としない」今日の学者のほうに着眼点があるのは言うまでもない。見聞を広めようとすると雑学家の烙印を押されてしまう。西尾先生が以前の日録に「私は知りたがり屋なんです」と書いていたことを妙に思い出してしまう。
 
 「鴎外とか露伴といふ明治己来三代で嶄然と衆峰を抜いた大文士の作品を読んでごらん。日本だけの精神生活の高み深みがこの二人に極まってゐると思ふでせう。しかしこの外にも近代を象徴する詩文はいくらもある。おしくるめて、人めいめいその立場を妥協せずに、書いて、生きて、愛した人達のものが歴史に光って残るのです」
 日夏耿之介は露伴が逝った年(昭和二十二年)にこれを『風雪の中の對話』で書いている。

 簡潔な文章だが滲み入ってくるところがある。田邊博士の露伴評とは正反対である。オーソドックスなことをオーソドックスに表現するのはむずかしい。最後の文節は碑文のように美しいといったら嗜好に寄り過ぎるだろうか。

つづく

文・伊藤悠可

〈専門家への疑問符〉考(第二回)

ゲストエッセイ 
伊藤悠可(いとうゆうか)
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講 坦々塾会員

  
露伴を雑学家と呼んだ田邊元博士

 西尾先生が「業績は尊重するが、理解できない」とした専門家への疑問符とは何かという問題である。

 専門家が専門家然として満足していられるふうに見えるが現実は不安と後退の道を歩いているではないか、研究成果を誇っているが実は自らの末技的仕事に眩惑されて嗜眠状態にあるのではないか、その耕地に留まっているが隣の山は関係がなく海も見る必要はないという視界の狭窄は気にならないのだろうか、と私なりに専門家に抱いている不服があるけれども、先生は何を衝いているのだろう。

 機械的に科学的な世界解釈で事足りているイデオローゲンというタイプが確かにある。ソフィスト風のにぎやかな専門家が蔓延していることもある。だが、直接彼らを今ここで意識しているわけではない、とすると先生が学者としての業績を一応認めながらも、なおその人たちに決定的に不足しているものを想像しなくてはならない。

 それは何であろうか。

 その昔、田邊元博士は弟子の前で幸田露伴を「結局は雑学さ」とけなしたそうである。そのことは山本健吉の露伴全集の解説などを読んで知ったのだが、つまらないことを言う先生だと思ったことがある。田邊博士の研究は何もわれわれのような書生風情を相手にしているわけではなく、世界の哲学者の目を覚まさせるために用意されたのかもしれないが、高尚な学問に比してこのセリフの落差はなんだというものだった。
 
 露伴を雑学者だというなら森鴎外も柳田國男も、それから南方熊楠も内藤湖南も皆雑学者ということになってしまう、と山本は書いた。

  哲学者は崇高な学問を相手にしていて人種が違う、知識の深さも違う、そこいらの文学者と一緒にしてくれるなと、田邊博士は言いたかったのだろうか。それも大いに考えられる、「文学的」という言葉は相手を否定するときの武器としてよく使われる。自然科学者、社会科学者がその急先鋒で、文学的ということは、すなわち「つくりもの」「想像したもの」「化粧・装飾したもの」で実証に耐えないと言いたい実証主義者が心から蔑んでいるものである。

実証というのは素朴すぎる考え

 ところが、これを昨今は歴史家と呼ばれる人間も武器にしだして、われわれは職人であって確かな実証できる事実だけを採用する、小説家や物語を書く人はおもしろおかしく事実を着飾り詩魂に花を咲かせたらいい、というような意味のことを口走っている。何をかいわんや、歴史は文学的というものでなければならず、元来、伝というものは支那でも日本でも、文学の一体であった。いわゆる客観的資料を、年次を追って配列する学問的発掘書なるものは、最近の時代の産物である。
 
 秦郁彦氏は七十年の蒙昧から抜け出し、甲羅を破り、自己過信症状から目覚めるチャンスを西尾先生にもらっていながら気がつかずに家に帰ったのである。対談をよく読めばわかることだが、西尾先生はふだんより抑制的に、ときに老婆心をもって応じている場面がたくさんある。これほど親切に西尾先生は説いているのに、秦氏は親切を迷惑に感じたという一幕であった。

 「具体的な歴史的実際に抽象的、社会学的範疇を適用したため、歴史的実際を殺してしまい、その中から心を引き抜いてしまい、歴史的宇宙をありのまま直観的に観照することを不可能にしてしまった」と言ったのはニコライ・ベルジャイエフである。秦氏は精緻な立証があると讃えられている歴史家らしいが、取り組む心がけというか、はじめの一歩がきっと間違っているのである。

 実証的とは素朴すぎる考えである。百の事実が消えて一の事実が残るということが歴史にはあるからだ。ただ、こんなことを何度言ってもこの人には分からないだろうという気がする。この人は自分が好きだけれども歴史が好きだという感じがしない。人間を軽蔑しながら歴史を扱っている。勝れた裁定者は客観的でなければならず、むしろ、歴史を好きになっては鋭い歴史眼が鈍るとでも思っていることだろう。

専門家の狭隘と倨傲

 横道にそれてしまったが、田邊博士もまた、文学や物語などを戯画のように見下し、哲学を深淵なるもの偉大なものと考え、一緒にされては困ったのであろう。
 
 多様態哲学『種の論理』をもって学界の注目を集め、西田幾太郎門下の高弟としてゆるぎない地位を築いたという自負や威権から、つい悪口を漏らしてしまったとするならそれはそれでよいし、大学者でも妬忌を行うということはままある。露伴の博識は驚嘆すべきものがあるし、その評判は博士の耳に届いていただろう。

 ただ、露伴を雑学家とした貶斥は失当だと思う。露伴をただの物知りとしてしまうところに、明治以来の学殖の偏向があらわれているようにも感じられる。つまらないエピソードにこだわるのは、専門家の狭隘と倨傲がこんなところにもベットリと付着しているのを見るからである。

 田中美智太郎風に言えば、専門家は国家社会から必要とされているが、教養は単なる必要以上のものなのである。われわれは教養のために自分の専門ではないことを素人として学ばなければいけないということになる。勿論、教養など死語である。そして何の役にも立たない。けれど役に立たないこと大事にしたいと考えるのが人間である。

 私には、露伴の例えば『努力論』一冊のほうが断然大事な本であり、全体人間的な興味から言って露伴はいてくれなければならない人だが、田邊博士は公立図書館の書庫にでも座っていてくれたらそれでよいと言いたくなる。それは私の恣意であるから別の考えもあろう。晩年に、博士は『懺悔道としての哲学』を著し日本の戦争責任を考えたらしいが、自らの学究人生に満足されたのだろうか。

つづく

文・伊藤悠可

〈専門家への疑問符〉考(第一回)

ゲストエッセイ 
伊藤悠可(いとうゆうか)
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講 坦々塾会員

 

  「専門家という存在が理解できない」

 西尾幹二先生の読者は、先生が折節、専門家というものに対して疑問符をつけていることに気づいているだろう。最近では秦郁彦氏との対談(『諸君!』四月号)でも、少し前の『江戸のダイナミズム』の中でも、専門家の見識及び専門家という存在に対して疑問を呈しているところがある。
 
 先生がなぜ、専門家に大きな信頼を置くことはしないと言ったり、また、専門家であることを自負している人の専門家的所見を容赦なく裁断したりするのか、私には大変、興味のある問題であった。

 その指摘は知識人の限界や不備に通じる予感がするし、専門家を任じている人間の無自覚を衝いて、長く置かれたある風潮に警鐘を鳴らしているようにもみえる先生の態度である。勿論、専門的研究、成果そのものについて全否定するという暴論的な鉈を先生がふるっているわけではない。「尊重はするけれども、しかし」と問いなおし、それでよいのかと迫っているものである。

 専門とは無関係な私が興味を持つのは西尾先生が抱いている〈不満足の在り処〉だけである。

 現代は専門家が活躍している時代、より活躍しなければならない時代だと思われている。知識と職能は分化され、特定の領域に専門的習熟者が常住するのがあたりまえという社会のようである。専門家がいなければ、およそ複雑な世の中で信頼するに足る正確な情報、有益な分析、高度な判断というものが一般の生活者には納得したかたちで届けられないと信じられている。
 

 一方で、専門家が信頼するに足りる存在かどうかというと、これほど心もとない時代もないといえる。信頼欠如は甚だしく不安視されている。専門家と称する人々が時勢に応じていろいろな発言をしているけれども大丈夫なのか、信じてよいのかという素朴な疑いが生じている。例えば、多く言葉を費やす必要はないであろうが、経済学者のこの難局における無力、視力の弱さはひどい。
 
 的に刺さった矢を見て、俺の予想は当たっていたというような話が多すぎる。繰り出される見識の混乱、政治的視野を持たない無定見な世界解読に対して、果たしてどれほど真摯な顔で受け取ってよいものか、疑わしい。

 それなら実態予測、実態報告をやめて純粋理論の故郷に帰ればよいのにという気がするが、経済界と疎遠な場所での仕事は閑職だと見られているのかもしれない。

 政局の起伏や選挙の読みだけで暮らしている政治学者を政治学の専門家と呼べるのかどうかわからない。こちらの世界も同じである。二大政党の実現をユートピアのように語る学者を深い眠りから起こしてやるのはむずかしい。否、彼らは眠っているのではなく遊んでいるのかもしれない。かくして、いびつな専門家事情は社会科学はじめ学問領域全般に行き亘っているのかなと想像してしまう。
 
 自然科学分野では発言の逸脱をして一向にその不自然を省みない物理学者がある。ノーベル賞を受賞するとどうして、唐突に憲法九条を死守する平和主義者になりさがるのか。「科学者は最悪の哲学を選択する」という言葉があるそうだが、皇室典範を強引に変改しようとしたロボット工学博士がいたことは記憶に新しい。ここまでくると専門家の壟断としかいいようがない。

 大衆人の代表としての専門家

 だが、いったん立ち止まって考えよう。果たしてこんないわゆる専門家に向けて西尾先生は批判の矢を放ったのだろうか。彼らは先生が疑問符をつけるに値しない。先生が「私は専門家の成果を尊重しますが、専門家という存在がどうしても理解できません」(『江戸のダイナミズム』あとがき)という言い方をするとき、別の人々を意識しているのは自明である。
 
 なら、私が挙げた電波や雑誌や新聞に低調な私見をちぎっては投げている専門家とはいったい何物なのか。やはり、いわゆる専門家としておくしかないのだろう。オルテガがいち早く警告した「大衆人の典型」としての〈いわゆる知識人〉についてここで始末を付けておかなければ、先生が首をかしげた意味が遠のいてしまう。

 専門家を知識人の代表として置き換えると、知識の保有量が少ない大衆人が一方にあり、これに対しては知識の保有量とその操作術に勝れた少数の知識人が指導を与えていかなければいけない、という了解の下地がある。西部邁氏によると、こうして知識人と大衆人とを対立的にとらえ、知識人が社会の指導者であるべきとする図式は二十紀前半に提出されたのだという。

 しかし、このような図式は根本的に誤っていると指摘したのがオルテガで、「彼は、今やほとんどの知識人が『いわゆる知識人』になり果ててしまったとみる。ここで『いわゆる知識人』というのは、自分の扱っている知識を疑ってみることをしない人間、自分のもっている知識に満悦している人間のことをさしている。

 その知識が狭隘な専門知であるのは当然のことである。なぜなら、包括的な哲学知を含むような知識はかならず自己懐疑の回路を有しているのであり、知識にたいする自己満悦に耽けることなど論外だからである」(西部邁著『新・学問論』)と説明されるように、今では、知識人が知的リーダーシップを振るい大衆人のために貢献しているという考えは、〈いわゆる知識人〉の側の一方的な思い上がりというべきなのかもしれない。

 「この世界が存立して以来、言葉が今日ほど大衆的に、愚かしく、軽薄に濫用されたことは決してない。賤しい民はつねに存在していたし、また存在せねばならぬでもあろう。けれども彼が今日ほど発言権を獲得したことは曾てなかった」とフリードリヒ・グンドルフがその師シュテファン・ゲオルゲの評伝の中で嘆いたのも前世紀初期のことだが、既に〈いわゆる知識人〉の病根が宿されていた。

 〈賤しい民〉とは当然、知識人を意識しているのである。彼らこそ大衆の中の大衆という風貌をしているのだが、これを追いかけるのが小論の目的ではないので、〈いわゆる専門家〉ではない専門家の話に戻る。

つづく

文・伊藤悠可

お知らせ

 何日も先に起こる複数のスケジュールを意識しながら、いくつもの異なるテーマについて準備をすすめ、しかも今日は今日の課題を果すという時間の綱渡りをつづけています。余り言いたくないのですが、「日録」の更新を怠っているのはこのようにいつも通りの状況だからです。

 6月から日本文化チャンネル桜の放送が正常に復しました。おめでとうございます。新開局皮切りのテレビ討論に誘われ、参加してきました。早速にも今夜放送ですので、お知らせします。

 

日本よ、今・・・闘論!倒論!討論!2009(142回目)
「これからの日本を考える」

● 平成21年6月5日(金)スカパー!219ch 20時~23時
         6月5日(金)インターネット放送「So‐TV」
● パネリスト:(敬称略・五十音順)

加瀬英明(かせ ひであき/外交評論家)
西尾幹二(にしお かんじ/評論家)
西田昌司(にしだ しょうじ/参議院議員)
西部 邁(にしべ すすむ/評論家)
西村眞悟(にしむら しんご/衆議院議員)
松原 仁(まつばら じん/衆議院議員)
宮崎正弘(みやざき まさひろ/作家・評論家)

● 司会:水島 総(みずしま さとる/日本文化チャンネル桜 代表)

コラム「正論」(その二)

 5月13日に岡崎久彦氏が、14日に村田晃嗣氏が私に先立って北朝鮮関連を産経コラム「正論」欄で論じているのをあらためて読んだ。

 岡崎氏は日朝正常化を目標として掲げ、手段として一兆円の代償を提言して、次のように言っている。

 私の提案はこれ(一兆円)を日米同盟の共同財産とすることである。即(すなわ)ち、日米による北との正常化交渉を一体化して、核計画の全廃と拉致事件の完全解決を一歩も譲れない条件として、米国が日韓両国を代表して交渉を行うことである。

 韓国は米朝、日朝国交正常化の最大の利益関係者であり、また、日韓正常化の際の補償との均衡の問題にも関心があろうから、参加は当然である。

 それだけ明確かつ大義名分のある目標があるならば、その実現まで今回のミサイル実験を契機として、いかなる厳しい(経済)制裁であっても、これを実施し継続する正当な理由がある。

文:岡崎久彦

 あくまで外交交渉で解決を図るという考えである。日本の一兆円を米国に委ねて、「米国が日韓両国を代表して交渉を行う」のだそうである。そして、この方法には「明確かつ大義名分のある目標がある」ので、今後北へのいかなる厳しい経済制裁をしても正当な理由があるから非難されないですむというのである。

 北朝鮮は一兆円をもらったら「核計画の全廃と拉致事件の完全解決」を必ずやってくれると信じている。米国まかせで、一兆円を米国の手を経てあの国に奉納しましょうという話である。

 何年も前に逆戻りしたような話である。村田氏も外交交渉で問題を解決するのが「現実的外交」であると言っている点には同じ考え方である。

 26日付の私のコラム「正論」を次に掲げておく。

■【正論】評論家・西尾幹二 敵基地調査が必要ではないか

 《《《戦争と背中合わせの制裁》》》

 東京裁判でアメリカ人のウィリアム・ローガン弁護人は、日本に対する経済的圧力が先の戦争の原因で、戦争を引き起こしたのは日本ではなく連合国であるとの論証を行うに際し、パリ不戦条約の起案者の一人であるケロッグ米国務長官が経済制裁、経済封鎖を戦争行為として認識していた事実を紹介した。日米開戦をめぐる重要な論点の一つであるが、今日私は大戦を回顧したいのではない。

 経済制裁、経済封鎖が戦争行為であるとしたら、日本は北朝鮮に対してすでに「宣戦布告」をしているに等しいのではないか。北朝鮮がいきなりノドンを撃ち込んできても、かつての日本のように、自分たちは「自衛戦争」をしているのだと言い得る根拠をすでに与えてしまっているのではないか。

 勿論(もちろん)、拉致などの犯罪を向こうが先にやっているから経済制裁は当然だ、という言い分がわが国にはある。しかし、経済制裁に手を出した以上、わが国は戦争行為に踏み切っているのであって、経済制裁は平和的手段だなどと言っても通らないのではないか。

 
《《《北の標的なのに他人事?》》》

 相手がノドンで報復してきても、何も文句を言えない立場ではないか。たしかに先に拉致をしたのが悪いに決まっている。が、悪いに決まっていると思うのは日本人の論理であって、ロシアや中国など他の国の人々がそう思うかどうか分からない。武器さえ使わなければ戦争行為ではない、ときめてかかっているのは、自分たちは戦争から遠い処にいるとつねひごろ安心している今の日本人の迂闊(うかつ)さ、ぼんやりのせいである。北朝鮮が猛々(たけだけ)しい声でアメリカだけでなく国連安保理まで罵(ののし)っているのをアメリカや他の国は笑ってすませられるが、日本はそうはいかないのではないだろうか。

 アメリカは日米両国のやっている経済制裁を戦争行為の一つと思っているに相違ない。北朝鮮も当然そう思っている。そう思わないのは日本だけである。この誤算がばかげた悲劇につながる可能性がある。「ばかげた」と言ったのは世界のどの国もが同情しない惨事だからである。核の再被爆国になっても、何で早く手を打たなかったのかと、他の国の人々は日本の怠惰を哀れむだけだからである。

 拉致被害者は経済制裁の手段では取り戻せない、と分かったとき、経済制裁から武力制裁に切り替えるのが他のあらゆる国が普通に考えることである。武力制裁に切り替えないで、経済制裁をただ漫然とつづけることは、途轍(とてつ)もなく危ういことなのである。

 『Voice』6月号で科学作家の竹内薫氏が迎撃ミサイルでの防衛不可能を説き、「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する以外に、技術的に確実な方法は存在しない」と語っている。「独裁国家が強力な破壊力をもつ軍事技術を有した場合、それを使わなかった歴史的な事例を見つけることはできない」と。

 よく人は、北朝鮮の核開発は対米交渉を有利にするための瀬戸際外交だと言うが、それはアメリカや他の国が言うならいいとしても、標的にされている国が他人事(ひとごと)のように呑気(のんき)に空とぼけていいのか。北の幹部の誤作動や気紛れやヒステリーで100万単位で核爆死するかもしれない日本人が、そういうことを言って本当の問題から逃げることは許されない。

 
《《《2回目の核実験を強行》》》

 最近は核に対しては核をと口走る人が多い。しかし日本の核武装は別問題で、北を相手に核で対抗を考える前にもっとなすべき緊急で、的を射た方法があるはずである。イスラエルがやってきたことである。前述の「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する」用意周到な方法への準備、その意志確立、軍事技術の再確認である。私が専門筋から知り得た限りでは、わが自衛隊には空対地ミサイルの用意はないが、戦闘爆撃機による敵基地攻撃能力は十分そなわっている。トマホークなどの艦対地ミサイルはアメリカから供給されれば、勿論使用可能だが、約半年の準備を要するのに対し、即戦力の戦闘爆撃機で十分に対応できるそうである。

 問題は、北朝鮮の基地情報、重要ポイントの位置、強度、埋蔵物件等の調査を要する点である。ここでアメリカの協力は不可欠だが、アメリカに任せるのではなく、敵基地調査は必要だと日本が言い出し、動き出すことが肝腎(かんじん)である。調査をやり出すだけで国内のマスコミが大さわぎするかもしれないばからしさを克服し、民族の生命を守る正念場に対面する時である。小型核のノドン搭載は時間の問題である。例のPAC3を100台配置しても間に合わない時が必ず来る。しかも案外、早く来る。25日には2回目の核実験が行われた。

 アメリカや他の国は日本の出方を見守っているのであって、日本の本気だけがアメリカや中国を動かし、外交を変える。六カ国協議は日本を守らない。何の覚悟もなく経済制裁をだらだらつづける危険はこのうえなく大きい。(にしお かんじ)

平成21年 (2009) 5月26日[火] 先勝

6月のシアターテレビジョン

6月のシアターテレビジョンの各題目

 
     1、いい子ぶりっ子のアメリカの謎

     2、ヨーロッパの打算的合理性、アメリカの怪物的非合理性

     3、中国はそもそも国家ではなかった

     4、日本を徒に不幸にした「中国の保護者」アメリカ

     5、ソ連と未来の夢を共にできると信じたルーズベルト政権

【放送日 放送時刻】

西尾幹ニ/日本のダイナミズム #6

放送日
放送時刻

06月01日
07:30  17:25  25:40 

06月08日
07:30  25:40 

06月15日
07:30  25:40 

06月16日
25:40 

06月19日
24:20 

06月22日
07:30  25:40 

06月29日
07:30  25:40 

シアターテレビ:スカイパーフェクテレビ262チャンネル