「斬」の解説(七)

 小説の最初の部分に三島事件への著者の感想が述べられているのはこの点でははなはだ抽象的である。

 著者は三島事件の

「政治的・社会的・思想的あるいは文学的背景ならびに意味については本稿の関与するところではない」

 ときっぱり言っている。これがすでに著者の現代への態度を表している。

 三島事件に関与する現代人好みのあらゆる解釈は著者には単なるおしゃべりにしか思えなかったことであろう。

 著者は割腹と介錯に関する、単なる事実だけを問題にしている。

 三島の割腹が常人のなし得ない精神力をもってなされていること、森田の介錯の失敗は、三島が立派に割腹したことに原因があり、森田の浅い傷は彼の臆病の証拠ではなく、彼が介錯者のためを考えていた沈着の証拠である、等々の緻密な分析は、この本の著者でなければ言えない十分に検証的な指摘であるといえる。

 氏は現場に残された事実の記録だけから推理し、思想的ないっさいの解釈を加えていない。

 三島事件に対するこの明確な態度が、また斬という反時代的な行為を小説に描き、現代的な論議から超然としている著者の態度にもつながっているといえよう。

おわり

文春文庫 綱淵謙碇『斬』解説 昭和50年(1975年11月)より

「斬」の解説(六)

 したがってこの小説の読みどころは、時代背景の描写でもなければ、魔性の女に振り廻される男たちの哀れさでもない。あくまで刑執行のリアルな場面の描写である。

 しかも一回ごとに、執行者の心の変動に応じて違って現われる首斬りの諸相のさまざまな変化こそが――いかに恐ろしく目をそむけたくなろうとも――小説として読みがいのある肝心な個所であろう。

 あるときは緊張しつつもうまく斬り、あるときは動揺して斬り損じ、またあるときは多数の罪人を一人で次々と無造作に斬っていく。

 

「斬首ということは無機物を機械的に斬るのではなく、人間が人間を斬るのであるから、斬る人間と斬られる人間とのあいだに一つ一つの場合でそれぞれ異なった心理的触れ合いが生じるのである。したがってつねに偶発性をともなって斬り手の心理なり感覚を揺り動かす事件が絶えない。」

 立派な志士たちは従容として死を迎えたといわれる。ために彼らは斬りいいように斬られていく。

 斬り手にかえって戸惑いが生じるほど立派な死に方をする人々を前に、斬り手の心が乱れ、刀が萎縮する場合があるという。

「だから志士という存在は、一番斬りやすくていちばん斬りにくい。つまり斬る者の心の戦いが生じるからだ」

 というような著者の鋭い分析を混じえた、各斬刑の現場描写が、いっさいの理屈抜きで、この小説の眼目をなす。

 ここには人間行為の直接性の最も極端な姿が描かれている。

 と同時にこの作品は、初めに述べたように、殴られるだけですぐ倒れてしまうようなわれわれ現代人、反省と議論にばかり耽って自分ではなに一つ行為しないわれわれ現代人の生き方に対する批評にもなっている。

つづく

文春文庫 綱淵謙碇『斬』解説 昭和50年(1975年11月)より

「斬」の解説(五)

 作者・綱淵謙碇氏は大正13年樺太の登富津(とうふつ)という漁村に生まれた。旧制新潟高校から敗戦の年の2月に陸軍に入隊し、9月に復員した。学籍はすでに東大に移っていたので、昭和21年4月から翌年3月まで大学に通ったが、学資がつづかず東京生活をやめ、新潟でそれから数年の間職を転々とし、物心両面の苦労がつづいたと聞く。

 昭和26年に大学に復学して英文科を卒業し、中央公論社に入社して、20年近くベテランの編集者として活躍した。編集者時代に谷崎潤一郎全集やエリオット全集を手がけたというが、前者は氏の作風に影響を与えているに違いない。出生の地が樺太であるせいもあって、幕末の樺太や千島といった北方の日本人の暗いロマンチシズムにも氏は強い関心を寄せていると聞くし、樺太を舞台にした大型の歴史小説『狄(てき)』(文藝春秋刊)もすでに書かれている。

 さて、本書を最後まで読んだ読者は、土壇場における死刑囚の血しぶきの匂いに、一方ではやり切れない思いを抱くのではないだろうか。

 さらにまた現代人の多くはこの本に少なからぬ現代的な疑問を抱くかもしれない。まるで殺人機械のように事務的に人間を斬首する山田家の人々は、彼らの日々の仕事に疑いをもつことはなかったのだろうか、というような疑問である。

 ことに幕藩体制が崩壊してから以降は、昨日の正義が今日の犯罪になるこの世の有為転変を、山田家の人々も目撃していた筈である。

 人の世の正義の相対性を、殺すも殺されるも時の運という政治の尺度のはかなさを、痛切に身に染みて経験する立場に彼らはいた筈である。

 とすれば、斬首が刑罰であるからといって、とくに国事犯の場合に、自分が直接に手を下して人を殺すことにいかなる道徳的な根拠もない。山田家の人々はそのことに苦しまなかったのだろうか。

 彼らは立派に死んでいく政治犯につねに最大の敬意を表している。彼らは死に場所での態度いかんが、志士や反逆者の器量を決めることを実際に目撃していた人々である。

 吉亮の斬った人の中には、斬るには惜しいと彼が思う人すらいたと述べられている。それなのに、山田家の人々を苦しめたのは、道徳的な根拠を求めての抽象的な煩悶ではなく、家業を奪われ、社会的地位を失いはしないかというきわめて即物的な不安でしかなかった。そこに現代人の多くはまず大きな疑問を抱くことと思う。

 さらにまた、斬る相手が、国事犯でなくても、人が人を殺すことを職業とすることへの、根源的な不安といったことが、浅右衛門一族に存在していないのはおかしい、とわれわれ現代人は考えたくなるであろう。

 斬られる罪人は勿論それなりの罪を犯している。しかし単なる性格の弱さが、凶悪犯罪を犯させる例があるし、動機の善良が、結果の悪行を生むという例もある。

 実際にこの本の、斬られた罪人の逸話の中にはそうした例が語られている。現代人は、だから当然のことだが、悪とは何か?絶対悪ははたして存在するか?といった抽象的な道徳論議を、法理論に重ね合わせて考える傾向をもっているのである。

 なるほど悪とは何か?という疑問に悩んでいてはおよそ首斬り刑の執行吏は務まらない。したがって浅右衛門一族に抽象的な道徳論、あるいは役人に関する宗教的な煩悶がなかったのは当然であるにしても、しかし作者にそういういわば形而上的な問題意識が欠けているのでは困ると考える人もいるかもしれない。人が人を殺すという主題を扱いながら、作者が人間の存在に関する根源的な問を提出していないのは、文学としてのこの本の最大の欠陥ではないだろうか、と。

 しかし前にも述べたとおり、以上のような抽象的な諸疑問は、この小説を成り立たせている領域の外にあり、これら諸疑問をきっぱり閉め出したところに、この小説の小説としての成立の根拠があるのである。

 勿論、読者が以上のような疑問を抱くのも一方では当然であるが、それはこの小説に対する最初からの「ないものねだり」である。むしろ作者がこうした疑問にかまけていたなら、この小説のもつ本来の長所は死んでしまうことにもなりかねなかったであろう。

 現代人が巻きこまれている思想的・道徳的・政治的なさまざまな反省、そういうものこそがかえって月並みで、ありふれていると、著者はおそらく確信しているに違いない。

 現代的な反省を拒否するところに、小説のリアリティを賭けてみようという思いが、おそらくこの著者の、題材に斬を選んだ最大の動機ではないかと思う。

 したがって浅右衛門一族は、政治によってどうにでも変わる正義の観念にも、、悪とは何かという宗教的な問にも疑問をもたない存在として設定されている。それがこの小説の強みである。

 人間をこのように単純な存在として限定することが、直接的な行為を描くこの小説の本来の目的である。

 私がこれは一種の「観念小説」であると先に述べたのは以上のような意味合いにおいてである。そのため小説『斬(ざん)』は、間接的・抽象的な生き方しか知らない現代のわれわれの文明を裏側から批評している小説になり得ているのである。

つづく

文春文庫 綱淵謙碇『斬』解説 昭和50年(1975年11月)より

「斬」の解説(四)

 幕末から明治にかけての歴史小説はこれまでも無数に書かれてきたが、その多くは英雄や志士の立場から書かれている。そうでない場合でも、時代の動向に対する正邪の判定が、すなわち歴史への評価が、なんらかの形で書きこまれていない小説は稀であろう。

 しかしこの小説にはそういう視点がまったくない。体制を譲るにせよ壊すにせよ、時代へのなんらかの価値判断がありうるわけだが、それを切り捨てたところにこの小説の独自の立脚点がある。

 体制がいかようであれ、斬刑を執行する精密な機械に徹することが、山田浅右衛門一族に課せられたプロとしての職業モラルであった。

 職業選択の可能性の閉ざされていた封建的階級制度下では、誰かが引き受けなければならないこのおぞましい家業を、ともあれ世襲として守り抜くことは一つの倫理ですらあったと思う。一族は社会的な屈辱に耐えながら、しかしプライドをもってこの仕事を守った。それは封建的体制下における一つの役割であったに違いない。役割に徹することにはなんらかの自足があり、安心がある。枠の固定した社会の中では、たとえ卑しまれた立場であれ、自分の分を守るということが、一番尊敬され、それなりの誇りをもちうるよすがにもなりえたのである。

 が、やがて新しい時代が来て、この一族を支えていた精神的支柱が崩れ去る。山田家が〈徳川家佩刀御試御用〉という役割を失い、明治に入って新政府の指示通りに、〈東京府囚獄掛斬役〉になるほかなくなったときに、この一族に荒廃の影がしのびこむ。

 小説を一読した方ならどなたにも明らかなことだが、この荒廃は外と内の両方からやってくる。すなわち廃刀令以来しだいに斬刑が時代遅れの刑罰とみられて、絞首刑にとって代わられていく外側の変化がその一つである。これにより一族が精魂こめて修業した、罪人に苦痛を与えない立派な斬り方という彼らの道徳はナンセンスになっていくからである。

 さらに加えて山田家の内側からひろがる荒廃は、父親の後妻となった素伝(そで)という若い女の存在によって引き起こされる。四人の兄弟はそれぞれ彼女によって感情の混乱の渦の中に置かれる。長男は不倫と放蕩に走り、次男は父に殺意をもって迫ったあげくに父に殺され、四男は家出をして、反政府運動の匂いのある強盗の集団に入る。一族はこうして外と内からしのびこむ荒廃の犠牲となり、運命に翻弄されて、四分五裂の状態に陥るのである。

 この崩壊の感覚が小説全体の主調音である。

 ところで素伝という女の特異な役割であるが、これはおそらく作者の小説的設定であろう。素伝は魔性あるこわい女として設定されているのに、肝心のこの女の描き方が不十分だという批評をある人が述べているのを読んだが、それは尤もな意見だと思う。

 素伝はたしかに魅力と魔性をかねそなえた女としては十分に描かれていない。作中の重要な位置に女を配することで、時代の変化による運命悲劇というこの小説の本来の主題がぼやけてしまうのではないだろうか。つまりこの点でありふれた小説の類型に近づいてしまう部分があることを私も読みすすみながらやはり残念に思った一人である。

 なるほど素伝という女を設定しないかぎり、小説はばねを失い、これだけの分量の長編小説にはなりえなかったかもしれない。しかし女の魔性をもち出すというあまりにも小説的な着色は、男性的な行為の極限を描く小説にはかえって不向きではなかったかと私は思う。

 吉亮の恋愛感情や個人的心理を、少なくとも刑執行の場面などからはできるだけ省いて、即物的な冷淡な描写に終始した方が、文学としての純度は高まったのではないだろうか。つまり歴史の重さの前で、個人の心理などはなにほどのものでもない。吉亮が女囚を斬るとき、母・素伝の幻影を斬っているというような心理的な説明が、私には小説的な空想でありすぎるように思えて面白くなかったのである。

 しかし、それはともかく、この小説は封建体制から近代社会への移行期を、いいかえれば人間が血や行為に直接的であった時代から、すべてが間接化していく文明社会への移行期を、特異な題材と視点をもって描き出した力作である。その功を買われ、この作品は昭和47年度上半期の第67回直木賞を受賞した。同じときに井上ひさし氏も受賞し、直木賞を分けあったが、選者からほぼ満票に近い圧倒的支持を受けたのはこの作品の方であった。

つづく

文春文庫 綱淵謙碇『斬』解説 昭和50年(1975年11月)より

「斬」の解説(三)

 江戸の元禄の頃から明治14年の廃刑まで、死罪における斬首の刑を執行した山田浅右衛門一族は、七代この仕事をつづけた。しかし斬首はこの一族の正式の仕事ではなく、二世吉時の代に〈徳川家御佩刀御試御用〉という役職、いいかえれば試刀家としての最高の地位に着いて、七代の間に富を築いた。

 試刀は徳川家にとってはなくてはならない重要な仕事でありながら、浅右衛門の一族は幕藩体制の内部に組みこまれることなく、終始一貫して「浪人」の地位でありつづけた。

 この不思議な地位についての著者の推理にはなかなか鋭利な観察が秘められている。斬首の仕事はもともと町奉行同心の業務であったが、山田家が彼らのいやがる仕事の代役をなし、その代わりに斬刑後の屍を試し切りに使用する自由と、生肝を抜き取り薬剤として売買する自由を、役得として思うままにしていたというのである。われわれの想像を絶した異様かつ凄絶な業務に、七代にわたり倫理とプライドを賭け、社会的屈辱に耐えながら携わってきた一族の孤独が、この小説の中心を流れている基礎低音である。

 まだ12歳の吉亮が、慶応元年(1865年)最初の斬首の刑を執行する日からこの小説は始まる。

 父親吉利が家職を伝えるために、まだほんの子供といってよい年齢の吉亮に、道場でねずみを斬る訓練をさせるところも印象的な描写である。そしてついに12歳の少年は、最初の日を迎え、儀式に従って堂々と罪人の首を落とす。失効後、吉利は屍体から生肝を抜き、二つ胴の試し切りをする。この一場の描写を最初に読む人には、心にある衝撃なしでは、読み通すことができないだろう。

 この小説のここの描写を読んだ福原麟太郎氏が「そのとき私は、こわいという感情を感じた。それ以外に何という言葉をもってその感情を言い表せば良いか知らない。私の用いる日本語の語彙(ごい)の中では、おそろしい、とも、悲しいとも全く違う、こわいである。(中略)私はそこでその小説を読むのをやめ、すこし神経の昂ぶりを感じながら、本を閉じた。とてもさきへ読み進む気にならなかった。」(『文藝春秋』昭和48・3)と語っているのは率直な感想として注目してよいと思う。

 こわい、あるいは嫌悪を感じる、そういう感想をもつ読者がいて少しも不思議ではないのだ。この小説はもっぱらそういう世界を描いているからである。異常な世界を正常な冷静さでもって、抑制のきいた重厚な文体でまじろぎもせずに叙述している。

 小説は吉亮の最初の刑執行の日から17年間、明治14年の最後の斬刑の日まで――この日をもって刑法史上に「斬」の刑罰はなくなるのであるが――を描いている。いうまでもなく幕藩体制の崩壊と近代国家としての日本の出発という動乱の一時代が小説の背景をなしている。したがって処刑される罪人たちも親殺しや夫殺しばかりではない。

 父吉利が処刑したものには吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎といった安静の大獄の志士たちがあり、維新後の吉亮の処刑者には、今度は逆の立場に立つ犯人たち、横井小楠、大村益次郎、岩倉具視を暗殺した犯人たち、国事犯としては雲井龍雄、そのほかには夜嵐お絹、高橋お伝らの名前がみられる。

 すなわち時代の大きな波のうねりを、この一族はもっぱら小伝馬町の囚獄から眺めていた。体制が変わっても彼らは変わらず、どんな体制下でもつねに同じ刑の執行者として振舞うという、幕末を扱った小説としては今までにない新しい視点を提供したといえる。

つづく

文春文庫 綱淵謙碇『斬』解説 昭和50年(1975年11月)より

「斬」の解説(二)

 先日友人たちと雑談をしていて、三木首相が暴漢に襲われた瞬間をNHKのカメラが偶然に捉えた一件に話が及んだ。事件当日のテレビのスロービデオで、私は三木首相が眼鏡をとばされ、ゆっくりと路上に倒れていく一瞬の動きを目にした。

 首相は恐らく不意をつかれたのであろう。不謹慎な感想かもしれないが、私がそのとき感じたのは、単なる殴打によって人間の身体がじつにあっけなく倒れることの驚きであった。しかし屈強な青年でも、不意をつかれればやはり同じような倒れ方をするのかもしれない。

 身体への直接の危害に対し現代人は普通心の用意を怠っているからである。流血に対しつねに備えている緊張した生き方を、文明社会に生きる私たちは平生にはしていない。

 テレビ劇や映画の中では殴ったり殴られたりする場面があれほど氾濫しているのに、大多数の人間は、実際の生活で、他人を殴った経験も、他人から殴られた経験ももっていないのではないだろうか。

 雑談の席にいた数人の私の知友たちに聞いたら、勿論、誰一人そういう経験がないと言っていた。不意に、予期していない場面で他人から殴打されれば、私たちも首相と同じようにあっけなく倒れてしまうことだろう。

 刑罰に対する考え方についても昔と今とでは大きな違いがみられる。幕末から明治初期を描いたこの小説の中で、勅任官に手傷を負わせたというだけで斬罪の刑になる男の話が出てくるが、現代では首相を殴り倒した男はどのくらいの刑になるのだろうか。

 見せしめや報復という考えは今では必ずしも刑罰の中心観念ではない。一般に現代では、犯罪を個人の責任に帰するというよりも、社会的あるいは病理学的要因に還元して、犯罪人の個人責任をできるだけ軽くするという考えが支配的になっているからである。

 先日テレビの報道番組で見たのだが、アメリカのある刑務所では――おそらく凶悪犯は除いてあるのだろうが――塀をはずし、門をなくし、社会との往来を自由にし、囚人は刑務所の中で個室をもらって、音楽を楽しみ、趣味に生き、女囚はお洒落を存分に味わえるという特殊な試みを実験的におこなっている例を見た。この小説の中で展開されている苛酷な刑罰の世界とはまた何という相違だろう。

 私たちは一杯の水を飲んでそれが直接死につながるかもしれないという不安をもって日々の生活を送ってはいない。たいていの病気からは医業によって守られていることを知っているからである。

 私たちはよほど特殊な例外を除いては、他人から肉体上の直接の危害を加えられることはない。ましてや血ぬれの身体、人間の切断した四肢や首を目撃するような機会はない。いな身内の臨終の床以外は、屍体を目にする機会すらほとんどないといっていいだろう。

 文明とは何だろうか。あらゆる残酷と直接の危害からわれわれの感覚が遠ざけられることが文明なのだろうか。

 したがって文明の発達した産業社会では、人間と人間との関係はどんどん間接的になっていくほかはない。そしてその分だけ映画・テレビ・小説といった映像や情報の世界には直接的な場面がふえていくのである。

 現代では人間が互いに間接的に交わり、自分ではなにひとつ行為せず、行為の世界を抽象的にしか意識できなくなっている。そしてそれにほぼ比例して、交通事故などによる大量の死、高度の戦争技術による組織的な破壊が、この地上のどこかで休みなくくりかえされていることをわれわれは知っている。それに対してわれわれ現代人はただ不感症になっていくばかりである。

 つまりこの現代では死もまた物体の消滅のように機械的・物理的な現象としか感じられなくなっているのと並行して、生もまた間接的な、なにか曖昧な性格のままに進行していく。

 この『斬(ざん)』という小説の世界は、あらゆる点でこうしたわれわれ現代人の生きている状況とは正反対のところに位置づけられている。少なくともこの小説の出発点はそうである。

 ここには人間が人間の首をはねるという――文学の題材としてははなはだ危険な――戦慄すべき場面がくりかえし描写されている。だが、読者が気をつけなければならないのは、ここには血への嗜虐的趣味が語られているのではなく、人間が人間に対しておこなう直接的な行為のいわば極限が提出されていることである。そしてそれが明治の文明化・西欧化の波の中でしだいに解体していくプロセスが語られているともいえる。

 いいかえれば、この小説はわれわれの今日の文明とは逆の立場から歩き出し、今日の文明をしだいに裏返しに映し出していく批評的な小説であって、首斬りという特殊世界に題材を限定していることが、すでに作者にとってはかなり意図的な設定であるといえよう。つまりこの作品はある種の観念小説であるといってもいいのである。

つづく

文春文庫 綱淵謙碇『斬』解説 昭和50年(1975年11月)より

「斬」の解説(一)

 今から33年前の私の文庫本解説、綱淵謙錠の『斬』の解説を紹介する。

 ある時期から以後、単行本には解説や書評の類は収録しなかった。

 著者綱淵謙錠氏から懇請されて書かれた解説文だが、迂闊にしていて著者のご面識を得ないでいるうちに故人になられた。お目にかかっておくべきであった。どんな動機で私に依頼してこられたのか分らない。

 著者はそのころ51歳。私は40歳の若輩批評家だった。会わずに終ったのは今思うと残念でならない。

 文中に作品の唯一の欠点と見なした女性の扱い、過度の小説的技巧の指摘を著者がどう思ったか、聞かずに終ったのが心残りである。

 文庫本の裏表紙に作品の短い紹介があるので、それを先に記しておく。

“首斬り浅右衛門”の異名で天下に鳴り響き、罪人の首を斬り続けた山田屋二百五十年の末路は、維新体制に落伍したのみならず、人の肝をとり、死体を斬り刻んだ家門内に蠢く暗い血の噴出であった。豊富な資料を駆使して時代の流れを描き、歴史小説に新領域を拓いたと絶賛を博した第67回直木賞受賞の長篇大作。解説・西尾幹二

非公開:『GHQ焚書図書開封』をめぐる二友人の手紙

  『GHQ焚書図書開封』が世に出て、ある程度売れているという以上の情報を持たないが、メールを下さる二人の友人がいて、印象的なご文章を送ってくださった。

 一人は山形で公認会計士をなさっている高石宏典さんで、昔の日録への投稿でご縁ができたが、まだお眼にかかっていない。ひところ手紙の交換を頻繁にした。

 もう一人はここによく書いてくださる足立誠之さんで、カナダでお眼を悪くされて、この本もルーペでお読みくださるといっていた。

 二編つづけてお眼にかける。

拝啓  西尾幹二先生

 一昨日の日曜日は大変お疲れ様でした。そして、どうもありがとうございました。山形の高石です。日本保守主義研究会主催の講演会に私も参加し、先生のご講演を拝聴いたしました。

 講演会の後で、先生にせめてご挨拶だけでもと思いその機会を窺っておりましたが、隣の席の方に話しかけられて時間を逸し、そうこうしているうちに列車の時刻に迫られ、やむなく阿佐ヶ谷の会場を後にしてしまいました。心残りではありましたが、ご講演中、何度か先生と視線が合いその度にドキリとしながらも、西尾先生の謦咳に接することができ忘れられない一日となりました。

 ご講演では、ドイツが戦後生存の必要性からナチスの所業を棚に上げて自国の歴史を否定した結果その連続性を失い、今ではドイツ文化が昔日の面影をすっかり無くしてしまったというお話が印象的でした。GHQの「焚書」によって戦前と戦中の我が国の本当の歴史が分からなくなり、我々日本人が精神的支柱を失い「戦後を自分でなくて生きている事実にすら気がつかなくなって」亡国の道を辿っているのだとしたら、それはドイツと同じことですね。

 『GHQ焚書図書開封』はとても面白く拝読いたしましたが、自分の身に引き寄せて一言だけ感想を申し上げるとすれば、一国家だけでなく一個人においても、自己の歴史を肯定・尊重し精神的独立性を保つことこそが生存の根本的条件であり、それらに事欠くということは生存理由が脅かされかねない大変な問題なんだということを改めて痛感いたしました。先生のご講演も新著もGHQの「焚書」という思想的犯罪を糾弾しつつも、問われているのは実は私たち日本人ひとり一人の心のあり方や生き方なのではないかと感じたのはたぶん私だけではないと思います。

 ニーチェは「教育者としてのショーペンハウアー」の最初の方で、「どんな人間も一回限りの奇蹟である」と言っていますが、また別の箇所では「余人ならぬお前が生の河を渡ってゆく橋は、お前自身を措いて他のなんぴとにも架け渡すことができないのだ。(中略)この世にはお前以外の誰にも辿ることのできない唯一無二の道がある。それはどこに通じているのだろう?問うことをやめ、ただその道を歩いて行きたまえ。」とも言っております。先生のご講演を拝聴した後この文章を認めている間に、昔読んだニーチェの感動的な以上のような言葉の記憶がふと蘇り、埃をかぶった白水社版のニーチェ全集を再読してみました。我が国や日本人というよりは、私個人の行く末を暗示してくれているような言葉もあり、また過去が現在に繋がっていることを実感できた真夏の一日だったようにも思います。

 以上、とりとめのない文章で失礼いたしました。機会があればまたぜひ先生のご講演を拝聴したいと存じます。猛暑の日々、何よりも西尾先生のご健勝を祈念申し上げる次第です。

                                敬具
平成20年7月15日  高石宏典

西尾幹ニ先生

 前略、過日は産経7月24日付け「正論」ご寄稿に関係してお電話と賜り恐縮いたしております。有難うございました。

 本メールでは身の回りで起きている「GHQ焚書図書開封」を巡る反応についてご報告申し上げます。

 現在私のところには毎週ヘルパーさん2人、歩行訓練インストラクターが来てくれておりその他にも市役所の職員が頻繁に来てくれています。

 この4人が夫々リビングの机の上に私が読書中の「GHQ焚書図書開封」に気付きどんな本であるのか聞いてくるのです。

 この質問に私は「第一次世界大戦の後、ベルサイユで講和会議が開かれたのは知っていますね。このときにここで国際連盟が設立されました。その規約に”人種平等”を入れようとある国が提案しましたが、ある別の国が強硬に反対したので結局この提案は実りませんでした。このとき”人種平等”を提案したのはどこだったと思いますか」と質問しましたが、全員が「アメリカでしょう」とこたえたのです。私が「実は提案したのは日本で強硬に反対して廃案にしたのがアメリカなのです」というと彼等はびっくりします。

 そこで私は「この本は日本が人種平等の提案国であり、アメリカがそれを廃案にしたのに、何故今日の日本人はそれを知らないのか。それは人種平等だけではなく沢山あるのですが、何故そうなったのかを研究している本です」と説明しましたが、彼等が受けた衝撃は大きかったようで、その一人はその後「あの本がベストセラーブックの中に入っていいました」等と報告してきました。それで御著書を取り寄せながら、一人一人に貸し「何時返してくれてもOK、また貸ししてもOK」と告げました。

 今日の日本人の大部分はこの4人と同じ認識ではないであると思います。「GHQ焚書図書開封」が国民の間に清とすれば、日本は変わり再生するでしょう。それがなければ日本は滅亡するかもしれません。戦後の戦争に日本が勝利するためには「GHQ焚書図書開封」が鍵をにぎると思います。米国は日本との戦争に原爆で戦争にとどめを刺し、「検閲」と「焚書」で完全に骨抜きにしようとし、それは今まで続いてきました。「GHQ焚書図書開封」は日本の独立のための文字による原爆以上の武器であると信じております。

足立誠之拝

日本の国家基盤があぶない(二)

 友人の粕谷哲夫さんが「ニュース拾遺」といって、毎日膨大数の情報、記事やブログやネットニュースをまとめて送って下さる。私以外にも送ってもらっている人は相当数にのぼるはずである。

7月24日付のコラム「正論」(産経新聞)の拙文「日本の国家基盤があぶない」について、「ニュース拾遺」の中で、次のような粕谷さんからの評価があった。

 現今の政治の空気がコンパクトかつコンデンスされた文体で過不足なく総括されている。彼は与えられた字数・枚数にコンテンツを埋め込むプロであることを自負していたが、うなづける。

コンテンツ・コンパクト・コンデンスの<3コン>に欠ける「正論」にも遭遇することがある。

 こう言っていただけるのはありがたい。

 たゞ私はコラム「正論」は滅多に書かないことにしている。昔と違って、よほど肚に据えかねることがあるとき以外には、手を出さない。前回は2月29日に「自衛隊の威信は置き去りに」(イージス艦衝突事故のこと)、を書いている。

 今回の「日本の国家基盤があぶない」について、「東アジアファシズムを斬る」というブログで、以下のような批評があった。この批評の存在を教えてもらったのも、粕谷さんの「ニュース拾遺」からである。

「西尾幹二氏の体内で脈打っているナショナリズム」@東アジアのファシズムを斬る!
2008/7/24

産経の正論に西尾幹二氏のまさに正論が載っていたのでご紹介する

【正論】評論家・西尾幹二 日本の国家基盤があぶない  (本文省略)

私は西尾氏の意見にはほとんど賛成なのだが、全面的にではない。例をあげると、いつまで待っても覇権意志をみせない日本を諦(あきら)め、中国をアジアの覇権国として認め、台湾や韓国に対する中国の外交攻勢をも黙認し始めた。というのは違うと思う。米国は「平和憲法」の押し付け以来、終始一貫日本を属国として取り扱ってきた。もし、覇権国にしたいのなら、日本の核武装を奨励したはずである。6者協議は氏がおっしゃっているように、日本に核を持たさないための協議であることでも明らかである。

このように意見の相違が多少ある西尾氏だが、論文を読むと、いつも感動する。それは氏の体内で脈打っているナショナリズムに共感を覚えるからである。戦後レジームは、贖罪史観と米国依存という長年に渡って日本を支配してきた二つの思想に凝縮されている。

近隣諸国とは波風を立てないのが一番と、「南京大虐殺」も、「強制連行」も、「従軍慰安婦」も中韓の言うがままに認め、侵略への備えは米国任せ。「スパイ活動防止法」すらない体たらくである。これが長い年月拉致を許してきたばかりか、今尚、たった5人しか取り返していない原因である。

中共・北朝鮮というファシズムを倒すには、米国依存では不可能である。ナショナりズムの勃興を図らねばならない。伝統が育んだ日本固有の民族性を無視し、「1000万人の移民受け入れ」などという、売国政治家は放逐しなければならない

 ところでここで述べられている、アメリカが期待していた日本の覇権意志の存在の有無だが、私もそんなことがあったと安易に考えているわけではない。ニクソン=佐藤栄作の時代に、やゝそれに似た構えがアメリカ側にもあったかなと思い出す程度である。

 アメリカの日本封じ込めの対応は戦後一貫していることは私の論題の一つでもある。WiLL 9月号の皇室論(第四作)の一節に私は次のように書いているので、「東アジアのファシズムを斬る」のブログとこの点での意見は同一である。

 米国に「武装解除」され、政治と外交の中枢を握られて以来、60年間操縦席を預けたままの飛行は気楽で、心地いいので、自分で操縦桿を握ろうとしなくなった。米国はこれまで何度も日本人に桿を譲ろうとした、自分で飛べ、と。米国人も今や呆れているのである。尤も操縦桿は譲っても、飛行機の自動運行装置を譲らないのが米国流儀である。日本人はそれが嫌になって投げ遣りになったのかもしれない。

 アメリカの日本封じ込めはここに述べた通りだが、日本に独立への本当に強い意志があればアメリカもなし崩しに譲歩せざるを得ない情勢になったこともなかったわけではない。たゞ、日本側にいつもやる気が欠けていたのである。

 ひょっとすると今がアメリカの譲歩を得る機会が到来しているときかもしれない。日本側に心の用意が出来ていないのは依然として同一で、それが根本問題なのである。

 日本人はいま中国批判に熱心だが、アメリカの虎の威を借りていくら中国批判をしても、もう虎はいなくなったのだからダメである。

 アメリカに日本の核武装を納得させることが先決である。それを試みて失敗したときアメリカの真意が分る。そこから初めて、アメリカからの軍事独立の難しさと同時にその必要性の緊急なることを一層確然と悟るであろう。

日本の国家基盤があぶない(一)

【正論】評論家・西尾幹二 日本の国家基盤があぶない

 《《《米国の道義的な裏切り》》》

 拉致問題は今では党派を超えた日本の唯一の愛国的テーマである。拉致を米政府にテロ指定させるまでに関係者は辛酸をなめた。北朝鮮の核の残存は日本にとって死活問題である。

 完全核廃棄の見通しの不明確なままの、米政府の45日という時間を区切ったテロ支援国家指定解除の通告は、悪い冗談でなければ、外交と軍事のお手伝いはもうしないという米政府の見切り宣言である。それほどきわどい決定を無責任に突きつけている。

 そもそも北朝鮮を悪の枢軸呼ばわりして寝た子を起こし、東北アジアを一遍に不安定にしたのはブッシュ大統領であった。核脅威を高めておきながらイラク介入前に北朝鮮には武力解決を図る意志のない手の内を読まれ、翻弄(ほんろう)されつづけた。

 今日の米国の体たらくぶりは予想のうちであったから、日本政府の無為無策と依存心理のほうに問題があることは百も分かっているが、それでも米国には言っておかなくてはならない。

 核不拡散条約(NPT)体制は核保有国による地域防衛の責任と道義を前提としている。米国は日本を守る意志がないのなら基地を日本領土内に持つ理由もない。

 テロ支援国家指定解除の通告は、第一に米国による日本への道義的裏切りであり、第二に日本のNPT体制順守の無意味化であり、第三に日米安保条約の事実上の無効消滅である。

 《《《半島関与に及び腰対応》》》

 日本は以後、拉致被害者の救済を米国に頼れないことを肝に銘じ、核武装を含む軍事的独立の道をひた走りに走る以外に自国防衛の道のないことを米国に突きつけられたに等しい。それほどの情勢の変化に政府がただ呆然(ぼうぜん)として、沈黙するのみであるのもまた異常である。

 問題は誰の目にも分かる米国の外交政策の変貌(へんぼう)である。米国の中国に対する対応は冷戦時代の対決から、対決もあり協調もある両面作戦に変わり、次第に協調のほうに軸足を移しつつある。

 いつまで待っても覇権意志をみせない日本を諦(あきら)め、中国をアジアの覇権国として認め、台湾や韓国に対する中国の外交攻勢をも黙認し始めた。戦火を交えずして中国は台湾海峡と朝鮮半島ですでに有利な地歩を占めた。

 最近の米朝接近が中朝不仲説を原因としているか、それとも半島の管理を米国が全面的に中国に委ねた結果なのか、いま論点は割れているが、どちらにせよ米国の半島関与が及び腰で、争点回避の風があるのは否めない。

 中東情勢と米国経済の推移いかんで、米軍のアジアからの撤退は時間の問題かもしれない。そうなれば台湾は中国の手に落ち、シーレーンは中国によって遮断され、日本はいや応なくその勢力下に置かれることになる。それは日本の技術や資本が中国に奪われることを意味する。

 
 《《《日本の核武装を封じる》》》

 これほど危険な未来図が見えているのに、日本の政界は何もしない。議論さえ起こさない。ただ沈黙である。分かっていての沈黙ではなく、自民党の中枢から権力が消えてしまった沈黙である。

 ワシントンにあった権力が急に不可解な謎、怪しい顔、恐ろしい表情をし始めたので手も足も出なくなった沈黙である。

 もし日本が国家であり、政府中枢にまだ権力があるなら、テロ支援国家指定の解除は北朝鮮に世界銀行その他の国際金融機関を通じて資金の還流を許すことだから、ただちに日本から投資されているそれらの機関への巨額資金の引き揚げが用意され、45日以内に宣言されなければならないだろう。

 6カ国協議は日本の核武装を封じるための会議であると私は前から言ってきた。米中露、それに朝鮮半島までが核保有国となる可能性の発生が北朝鮮問題である。太平洋で日本列島だけが核に包囲されるのを指をくわえて見ていていいのか。

 日本はこれに対しても沈黙だとしたら、もはや政治的知性が働いていない痴呆(ちほう)状態というしかない。

 海辺に砂山を築いて周囲から水を流すと、少しずつ裾野の砂が削られる。水がしみこんでしばらくして、ボコッと真中が陥没する。そこへ大きな波がくるとひとたまりもない。

 今の日本はボコッと真中が陥没しかけた段階に来ているのではないか。国家権力の消滅。国家中枢の陥没。

 折しも自民党から日本を移民国家にし1000万人の外国人を導入する案が出された。日本列島に「住民」は必ずいる。しかし日本民族はいなくなる。自民党が国家から逃亡した証しだ。砂山は流され、消えてなくなるのである。(にしお かんじ)

産経新聞 平成20年 (2008) 7月24日[木]より