長谷川真美
日録でも紹介のあった、「建て直そう日本・女性塾」が10月25日(火)11時から、東京のキャピトル東急ホテルで開かれた。その会に私も出席したことは、日録コメント欄と私のブログでも紹介したが、もう少し詳しく報告しておきたい。出席者は約300名、大盛況で、会場にはイスが継ぎ足され、両サイドはテレビカメラが何台も並び、入りきれない人は廊下で話を聞いたとのことである。幸い私は早めに行っていたので、前から5列目に席をとり、その時写した携帯の画像がこれである。
なお、各パネリストがどんな発言をしたかということについては、ここのブログに簡潔に述べられているので参照していただきたい。
もともとこの塾は鎌倉の前市議、伊藤玲子さんという女性の信念から出発したものである。女性で議員になっている人は、左翼系が圧倒的に多く、家庭を大切にする保守的な女性は政治の場にほとんど出てこない。そのため、政治の上では、左よりの女性の意見が女性の意見の代表のようにして反映されていく。この悪循環を断ち切るには、保守系の女性議員を育てるしかない・・・・・というお考えだ。民主党や、左派の政党は早くからマドンナ戦術といって、女性議員の擁立や、連携する組織を作っているが、保守系にはそういったものが全くなかった。
発言力のあるバカな女性が日本を亡ぼすのではないか、という危機感から、伊藤玲子さんのたった一人からの行動が始まった。この女性塾を立ち上げるために、伊藤さんは遠く広島まで、私にも会いに来てくださった。日本全国そうやって、この人、と紹介された女性には飛んで会いに行かれた。多くの賛同者が現れたことは言うまでもない。
そうして伊藤さんのこの熱意に、自民党の山谷えり子参議院議員が賛同なさり、看板としての塾長を引受けてくださることになった。このことが安倍晋三氏の耳に届き、ご本人がシンポジウムのパネリストに自ら進んでなると言われ、いつのまにやら、この日の大きな会を開く所まで膨らんだのだ。
中山文部科学大臣も含め、18人もの国会議員がお祝いに駆けつけてくださったそうである。
この度の衆議院選挙で、自民党女性議員が7名から26名に増えたということだが、そのことを喜んでばかりはいられない。女性であればいいというものではない。今マスコミでもてはやされている女性議員は、当然この会には現れなかったし、保守系とされている女性議員の中にも、左翼と見まがうばかりの人もいるからだ。
私が教育委員を通常の任期の半分で辞めさせられた時、西尾先生からは市議に出る気はないかと言われた。教科書も、教育も、物事を正していく実際の力はやはり政治なのだというのは、常々感じていることなので、考えないことではなかった。だが、やはり家庭を持っている女性が議員になることは容易なことではない。
普通の仕事と異なり、議員になれば自分の時間の優先順位が自ずと家庭ではなくなる。多くの普通の女性は、まず自分の家庭を守りたいと思っているはずだ。稲田朋美衆議院議員は、衆議院議員に立候補すると子供さんに言ったときに「いいよ、おかあさんはもともと、死んだと思っているから」と言われたという。家族の理解がない限り、女性が議員になることは男性の数倍困難なことである。
シンポジウムの終った後、会場を移して立食の懇親会が開かれた。会場は一杯だったが、加瀬英明さん、中村粲さん、西尾先生なども出席されていた。その西尾先生とは、少し遅れてこられ、岡山へ行く予定で時間がなかったうえ、すぐに人に囲まれてしまうので、ほとんどお話することはできなかった。一年ぶりにお会いする私設勝手秘書としては、少し残念ではあった。
その他インターネットで知り合っていた方の、顔と名前を一致させることができた。会が終るころ、私は何名かの方ともう少しゆっくりお話をしようということで、喫茶店に行くことにした。自分と同じような問題意識を共有する女性は、地元の友人の中にはほとんどいない。ところが、その日出会った女性達とは最初からびんびん響きあえた。すぐに意気投合した。普段は孤立無援のように感じていることが多いのだけれど、仲間がいることを確認できてとても嬉しかった。そのことが、今回の一番の収穫であったかもしれない。
なぜ女性、女性というのだろうかと思われる方がおられるかもしれない。それは、今問題になっている男女共同参画社会基本法のような、フェミニズムが核となっているものに対して正面切って戦うのは、男性にはなかなか難しいことだからだ。男性がフェミニズムを攻撃すれば、かならず差別だと言われて、攻撃をかわされ、うやむやになってしまう。女性の愚かさは同性である女性が指摘しなくては、なかなか有効に作用しないのだ。実力のある、発言力ある女性の議員が求められる所以である。
家族や、国や、日本の良きものを壊そうとしている女性に対抗するためには、伝統的な価値観を持つ、ごく普通の日本的な女性が立ち上がるしかないのかもしれない。そんな思いをあの場に集った多くの方々と共有した一日だった。