「つくる会」FAX通信の「特別報告」が下欄に掲示されています。(5月30日)
福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長)
18年5月28日・記
二ヶ月会長種子島経氏が失敗した原因である三大勘違い
福 地 惇
混乱してしまった「つくる会」を正常化する任務を帯びて登場した種子島前会長が、志半ばで挫折せざるを得なかった三つの原因を指摘したい。三つの勘違いに基づく判断錯誤が失敗の原因である。書きたくもないが、あるブログに出た種子島氏の手記を読み一文を物するものである。
第一 「西尾院政?」を毛嫌いした不明なる勘違い
元会長で名誉会長の称号を帯びた西尾幹二氏と種子島氏が、東大教養学部時代からの知友であることは誰もが知るところである。私は西尾、種子島両氏は気脈を通じつつ会の正常化に取り組むものと理解していた。
西尾氏が怒って名誉会長の称号を返上した直接的原因は、宮崎事務局長処遇問題に対する八木秀次会長(当時)の身勝手な方向転換、「宮崎=四人組」の会運営攪乱工作の「全共闘的礼儀知らず」への怒りであったことは明らかだった。種子島理事も同じく激しく憤っていたと私は見ていた。ところが、八木・藤岡解任、種子島会長誕生に際して、理事会攪乱を狙った産経新聞報道の意図を見破れずにその手に乗せられた。
「西尾院政?」と言われて種子島氏がどうしてウロタエル必要があったのだろうか。西尾氏は種子島氏を信頼して万全に支持していたのだ。会を生み育て上げた盟友から会の正常化を託されたようなものだ。西尾氏から様々な智恵を拝借し、取れる方針は取れるだけ積極的に取れば良かったのである。円満に名誉会長を辞退したのではないことは、他の誰よりも友人なる種子島氏が知っていたのではなかったのか。盟友の名誉を回復せんと頑張るものと胡乱な私などは素直に思っていた。
だが、種子島氏は「西尾院政」と言われるのを極度に嫌った。よその誰様から「院政」だと言われて何の痛痒があるものか。西尾氏のアイデアを借りても、これは会長の俺様のアイデアだと正々堂々と言って、何の問題があったのだろうか。誰が文句を言うのか。左翼や西尾氏に敵対せんとする者だけだろう。友人と相談することと、「院政」などと言う大時代的な用語とは全く異質な次元である。友人としての信義とは何なのか。
要するに、自意識過剰で友人の西尾氏と相談でもしたら、操縦されていると揶揄されるのではと極端に怖がり嫌悪したのであろう。そのために会務を本道に返すと言う彼に与えられた本務を蔑ろにしてしまった。外道と言う可きである。第一の勘違いから導出された重大なる失敗である。
第二 「人事を会長に一任する」が理事会で信任されたとの一人合点の勘違い
青天の霹靂で中継ぎ会長に任命された時、とっさに思いついたのがこれであり、理事会の承認を得たと種子島氏は言い続けた。我々は、新任会長の社会良識を信頼していたから、何の異議もこれに差し挟まなかったのである。だが、あの時、この新会長提案に反対したかったのは、種子島氏を疑惑の目で見ていた「八木=四人組」だったはずだ。
私が思うに、本会理事会は奉仕活動的役務を厭わぬ各界の一端の人々の集合体である。官庁や営利企業体のヒエラルヒーとは異質のフラットな集団なのだ。そこに、アメリカ流マネージメント、当節我国でも一般化しつつあるトップ・ダウン方式を実施しようと本気で思っているとは誰も思わなかったのでは、と私は思う。本理事会にトップ・ダウン方式は本来的に馴染まない。村寄合的合議形態がどうして悪いと言えるのか。それを本気で人事一任を委ねられたと思っていたならば、その不明さは如何ともし難い。日本の文化・伝統を尊重する歴史教科書を作ろうという本会の会長に相応しいかどうか、誰でも分るのではないか。
理事各位の意向を聞きながら会務を推進するのが社会常識と言うものだ。しかも、今回は執行部と事務局トップの瓦解であるから、理事諸氏の合意が形成されるところを目指すのが種子島氏に与えられた責務であろうと私などは考えた。これが間違いだと彼は言う。世間の評価は如何なものなのであろうか。
第三 問題の核心への無知と悪魔の誘いが良く見えた勘違い
①執行部再建問題、②事務局長選任と事務局建直問題、③コンピューター問題の解決が、種子島氏に課せられた三大任務だった。
彼は何を解決したか。何も解決できなかった。その原因は、第一、第二の勘違いであるが、それだけではない。寧ろ更に重大なのは、「八木=宮崎=四人組」たちの会のヘゲモニー掌握への飽くことを知らぬ謀略に乗せられた、この不明さである。
①も②も③も、八木派は、悪どい謀略工作を重ねて本会のヘゲモニーを固めようとした。その謀略勢力の本質を見抜こうとしなかった愚である。彼らは、西尾名誉会長、藤岡理事ら有力者を排撃する目的から「謀略工作」「謀略運動」を続けた。これは種子島氏にとっては「想定外」の新事態の出現だったのだろう。
ところで、この「謀略工作・運動」は、名誉毀損や偽証罪や脅迫罪に限りなく近い犯罪行為を伴ってなされたのである。私は種子島さん目を覚ましてくださいと諫言した。会長補佐に任じられていたからである。友人の信義を毛嫌いしても、老会長には犯罪行為への嫌悪は当然有るだろうと信じていたからである。上記犯罪は「国際基準」でも犯罪である。この「国際基準」は、私が「国際基準」のマネージメント違反者だと種子島氏が辞表に非難を込めて書き込んだ文言である。ここに援用する。
閑話休題。一言申し添えるが、マネージメントの達人は、平気で嘘もつく人のようだ。藤岡氏のことは知らないが、私が会長補佐を自ら求めたと虚言で中傷している。「売り込んで来られた」と記述している。彼に要請されたのだ。何をか言わんやである。序に一言、私がマネジメント不能の不良理事であるのは、彼が早寝早起きの生活習慣であるのを知りながら、傲慢にも時間も見図らずに深夜に電話で再三叩き起こされたと言う意味のことを書いている。トンでもない言いがかりだ。私は早朝に態々時間を確かめて電話していたのである。しかし、私がマネージ不能だとの証拠は、この一件だけしか書かれていない。どのようなマネージ哲学なのか理解を超える。
さて、良識派理事の言うことを一切聞くものか、友人西尾氏のアドバイスなぞ絶対に受け容れるものかと頑なになったアメリカ流マネージメントの達人種子島会長に魔の手が及んだ。彼が、本来戦うべきであった勢力が甘い言葉と詭弁で老会長を誘ったのだろう。「西尾幹二や藤岡信勝の言うことを聞くと産経新聞はこの会を見捨てるぞ、八木はフジ産経グループの絶大な信任を得ているぞ、八木の地方支部での人気は大きい、多くの全国会員達の信任を失うぞ」などと言う詭弁で説得されたのだろう。勿論、魔の手の集団は、「八木=宮崎=四人組=産経新聞某記者」である。
さらに、静かな理事達はもう既に殆ど八木派だ、藤岡も福地も間もなく降参して我々の軍門に下る筈だなどと掻き口説いて、種子島氏を陣営の長老に改造したのではないのだろうか、などと性悪の小生などは勘ぐってしまうのだった。その情景を見ていないから推測だが、新田ブログに大量の理事会内外関係情報が掲載されている。それらを分析したならば、或いは確証が取れる可能性もある。だが、そんなことは時間の無駄だ。
孰れにせよ、本会理事会の構成はフラットで、人員は多士済々である。だから、アメリカ流種子島マネージメントは全く馴染まないのだ。古いそして親しい友人との信義を尊重すべきだろう。理事達の意見を公平に聞き、そこから方針を決めてゆくべきであっただろう。本理事会のようなものでは、日本伝統の寄合合議が一番なのだ。仮令それらを古いとか、前近代的だとか、おとしめ揶揄する者達が出でてきたとて、何を懼れる必要があろうか。何を恥ずることがあろうぞ。ご自分の頭で考えたことが、こんなトンでもない魔の手に乗せられることであったのだ。三省、四省すべきではないか。
犯罪は隠蔽しても良いが、合議は恥ずべきなどと言う頓珍漢をなぜ会長に選んだのだろうか、今となっては我々理事全体の不明を恥じるのみである。
二ヶ月会長種子島経氏は、日本の社会良識を峻拒したがために、国際基準に反して犯罪者と手を組んでしまったがために、自ら犯した犯罪行為を隠蔽せざるを得なくなってしまった。詭弁と曲筆を弄して自己正当化に余念がない恥ずべき勢力の長老になると言う、パラドキシカルな運命をたどらざるを得なかった。今や、前老会長は奸知に長けた本来の敵である「八木=宮崎=四人組」におだてられて第二つくる会を立ち上げようとのアジ文書まで撒き散らす恥ずべき立場に立ってしまった。
ああ無情と言う外ない。
(了)
平成18(2006)年5月29日(月)
全国支部長・評議員合同会議の結果報告
原点に立ち返って「つくる会」運動を再構築へ
『新しい歴史・公民教科書』の普及活動を積極的に展開 次期総会(7月2日)で、新体制確立へ
「つくる会」は、5月27日、東京港区の「友愛会館」で「全国支部長・評議員合同会議」を開催し、理事会から「理事会内における一連の紛糾」の経過と「つくる会」をめぐる動向について報告が行われ、この問題をめぐって活発な論議が行われた。論議は午後1時から5時まで4時間にわたったが、「つくる会」存続の問題にも関わる危機感を共有するなかで行われたため、真摯な協議となった。最終的には、今回の「理事会内における一連の紛糾」の集結を踏まえ、「原点に立ち返って『つくる会』運動を再構築していく」方向が拍手で確認された。
理事会はこの会議の結果を受けて、7月2日に開催される「第9回定期総会」までには新会長を選出して新役員体制を確立し、「つくる会」運動の前進に向けた新方針を提案することとする。
なお、会議では、(1)『新しい歴史・公民教科書』の普及活動を積極的に展開する(2)教育基本法の改正に関して「つくる会」の声明を発表することが報告され確認された。
会議は、午後1時に高池会長代行のあいさつで開会、座長に高池会長代行を選出してスタートした。報告事項として新たに選出された新理事5名と監事1名の報告が行なわれ、出席した上杉千年、小林正、石井昌浩の3理事から理事就任に当たってのあいさつと力強い決意が述べられた。
新理事(4月30日 第89回理事会選出)
小川義男 私立狭山ケ丘高校校長
小林 正 元神奈川県教組執行委員長・元参議院議員
石井昌浩 元国立市教育長・拓殖大学客員教授
上杉千年 つくる会評議員・教科書問題研究家
濱野晃吉 つくる会大阪支部長・経営コンサルタント会社社長
新監事(5月26日 第90回理事会選出)
梅沢昇平 尚美学園大学教授
※第90回理事会では、5月22日、中西輝政理事から辞表が提出されたことが報告され承認された。
続いて・『新しい歴史・公民教科書』の普及活動を積極的に展開する・教育基本法の改正に関して「つくる会」の声明を発表することが報告され確認された。
次いで協議事項に入り、藤岡副会長から「『つくる会』をめぐる動向と対応の方針」について資料にもとづいて詳細な説明が行われた後、出席者全員による協議となった。
この協議は、危機感を共有するなかで行われたため真摯に進められ、多くの質問、疑問、提案が支部長、評議員、理事から出された。なかでも「理事会内の紛糾」が長引いたことへの批判と「一刻も早い事態の収拾と新たな体制の確立とつくる会運動の方針を確立すべき」との要望、提案が数多く出された。最終的には、今回の「理事会内における一連の紛糾」の集結を踏まえ、「原点に立ち返って『つくる会』運動を再構築していく」方向が拍手で確認された。
また、執行部から、論議のなかで、八木氏の中国訪問に関する「特別報告」も行われたことを追記する。
-特別報告-
理事会が真に危惧していた八木氏らのもうひとつの”暴走”
中国社会科学院の企図する日本攻略に関して
平成18年5月27日
新しい歴史教科書をつくる会
「つくる会」が目指した教科書改善・正常化運動の妨害者は、国内の左翼勢力のみならず、これと連動した中国、韓国、北朝鮮であることはもはや説明を要しない。
なかでも、中国(中国共産党)は、その中心的位置にある。日本の教科書の検定で、「侵略」を「進出」に書き換えさせたという「誤報事件」から1980年代以降の教科書問題はスタートしている。誤報事件を煽ったのは「朝日新聞」をはじめとする左翼マスコミであるが、これを利用して日本政府に圧力・攻撃を加え続けてきたのが、共産党による独裁国家・中国である。とすれば、私たち教科書改善・正常化を目指す者にとって、中国が”最大の敵”であることは言うまでもない。
中国のねらいは、単に教科書問題に留まらない。あらゆる手段、工作を通じてアジアの覇権を確立するために日本を支配しようとしている。そのためのター ゲットが「教科書問題」や「靖国問題」を貫く「歴史認識」問題なのである。
そのことを理解すること無しに、執拗な教科書・靖国攻撃を理解することはできない。つまり中国は国策としてこれを行っているのであり、「話せばわかる」というレベルの問題ではない。中国はありとあらゆる手段を通じて工作してくる国なのである。中国が如何に教科書問題を重視しているかは、あの執拗な攻撃と、南京の「大屠殺記念館」に、その象徴として「つくる会」副会長の藤岡信勝氏の写真を掲出していることを見ればすでに明らかである。
私たちが好むと好まざるとにかかわらず、「つくる会」は中国にとってそれ程「目障り」な存在であり、それゆえに「ありとあらゆる手段を通じて工作する」対象なのである。
中国の最近の動向が如何に危険なものであるかは、中西輝政氏が、『正論』4月号で「中国の対日工作を予言していた米国の『防諜官』の驚愕証言に学べ」という論文を書き、『文芸春秋』6月号でも「日中戦争はもう始まっている」と題して警鐘を乱打しているとおりである。「つくる会」もこの認識を持たなければならないことはいうまでもない。
このような状況のなかで、八木氏らは昨年12月中旬、「つくる会」の事務局職員有志の観光視察旅行に同行する形で中国を訪問した。盧溝橋にある「中国人民抗日記念館」や南京にある「南京大屠殺記念館」等一連の反日施設の見学がその目的であったということであるが、それに留まっているかぎり、特に問題はない。
しかし、その視察旅行のなかで「つくる会」会長であった八木氏が、中国社会科学院日本研究所を訪れ、蒋立峰所長等と『新しい歴史教科書』を巡って意見交換をする機会を得」たという。ことがここに及ぶと、これは全く別次元の問題となる。八木氏は、この意見交換の内容について、『正論』3月号、4月号で公表しており彼の頭のなかに、この行為が問題であるとの認識は全くなかったようである。先に述べたとおり、中国は「つくる会」にとって「最大の敵」なのである。その中国に「つくる会」の会長が乗り込んで「意見交換」を行うとするならば、「つくる会」にとって大きな方針転換であり、当然、執行部会や理事会で慎重な協議を尽くした上で、十分な準備を行って臨まなければならない大問題である。しかし、私たちは、中国側との対話を全く無意味だと言っているのではない。八木氏は執行部会にも理事会にも全く相談することなく、「意見交換」に臨んだのである。これは、完全な「会長独断による暴走」である。このような「暴走」が、如何に危ういものであるかは、中西輝政氏の指摘するとおりである。そればかりではない。産経新聞5月18日付の報道によると、今度は「中国社会科学院の蒋立峰・日本研究所所長等研究者グループが来日し、新田均氏ら日本側研究者と激論を交わした」「両者は今後も互いの主張を戦わせる機会を設ける」とのことである。
この日本での討論が、何処で行われ、新田氏の他にどのようなメンバーが参加していたのかは不明であるが、4月30日に、「つくる会」内部における一連の謀略等不祥事を行ったことに起因して、和解の呼びかけを振り切って理事を辞任せざるを得なかった人々と、中国の国家機関である中国社会科学院・日本研究所所長等研究者グループが再び会ったということの重大な意味を、八木氏等は認識できないのであろうか。これでは、中国が狙っていた「つくる会」の分断にやすやすと成功したということになるのである。
しかも、今回の中国側の来日が、当時会長であった八木氏の手紙による提案によって行われたものであることが、その後の調査で明らかになった。八木氏は、昨年末、蒋立峰所長宛のお礼の手紙のなかで「正式に合同研究シンポジウム公開討論会のことを提案」していたのである。もちろん、執行部会や理事会に相談することなく全くの独断である。会員の皆様には、この八木氏の独断的行動が会長としてふさわしいのかどうかはご理解いただけるのではないかと思う。
こう考えると、もし4月30日に八木氏と4理事が辞任していなければ、「つくる会」内部での十分な議論も準備もないまま中国との交流路線が「つくる会」の方針にされてしまった危険性が十分にあったのである。
これは明らかに中国の国家機関が仕掛けてきた工作である。否、中国側が仕掛けたのではなく、八木氏らが「飛んで火にいる夏の虫」になったのである。中国側はこれは利用できると考えたのであろう。中国は「意見交換」などどうでもよいのである。「つくる会」会長であった八木氏との交流が明らかになれば、「つくる会」の内部に混乱が生じ、うまくいけば、会の分裂=弱体化が起こると踏んだ中国側の工作がそこから始まったのである。そして、八木氏らは、結果として中国が意図したとおり行動した。中国側の、工作がまずひとつまんまと成功したということになる。
八木氏は、当初多くの会員の期待を集めていたが、残念ながら、その期待に応えるような人物ではなかったという結論にならざるをえない。
このような報告を会員に対して行うことも、ある意味では中国側を利することになることは十分承知している。しかし、八木氏らのグループによってその後も「つくる会」つぶしの悪質な言動が続いていることを看過することはできないことから、「つくる会」を守るために敢えて公表するものである。
桜井よしこ氏が5月21日付産経新聞紙上で「いま、中国に重宝がられる首相を選んではならない」と言っているように、「つくる会」は「いま、中国に重宝がられる会長を選んではならない」のである。八木氏には、この重大な過ちに一日も早く気づいてほしいものである。
理事会は、このような理不尽な妨害をはねのけ、7月開催の第9回定期総会において新たな体制を確立し、教科書改善運動の一層の前進を計っていく決意である。
以上