今日沖縄は中国の海になった!(その四)

 私にとって今回の事件は「米中はさみ撃ちにあった日本」という悲劇なのだが、中国への反発と民主党政権への怒りばかりが保守系言論メディアを蔽っていて、本当の不安が見えてこない。いつものことである。

 日本は自力で起ち上らないといけない。背筋が寒くなるようなアメリカの冷淡さが認識できていないと、起ち上ることができない。あるいは中国の理不尽な行動がもっとエスカレートしないと今度も起ち上れないかもしれない。

 元編集者の加藤康男さん――工藤美代子さんのご夫君――が私の9月29日付の新聞記事をよんで感想を寄せて下さった。

 今朝の新聞正論を拝読、久しぶりに小気味のいい先生のお言葉で多少胸の鬱憤が晴れました。

日米安保の重要性を説く人は多くても、「安保とはその程度の約束である」と語る「正論」人はなかなかおられないので、いらつく毎日でした。

先生がおっしゃるように、まずは自衛隊が、いや、日本国民が中国と一戦交える覚悟を示さなければ、アメリカはおろか、誰も助けてはくれないのです。
自分の土地は自分で守るという覚悟が、今の日本人にはありません。おっしゃるように、占領政策にその起点はありました。日本人が初めから気概がなかったわけではありません。
今回のような事件が起きて初めて少しずつ目が覚めるのかも知れませんが、時間がかかりますね。

 レアアースの妨害が解消し、フジタ社員の4人のうち3人が解放され、中国側が折れてきた印象であるが、これは中国人船長の釈放の直接の結果とは限らない。中国がアメリカの顔を立てている面がある。国際非難も怖いのである。

 中国の海洋への膨張進出の基本政策は変わっていないから、やがてまた異常な事態が発生するだろう。沖縄内部への工作も着々と行われていると思う。沖縄のメディアの偏向は日本本土への恨みと反米感情のせいだとよくいわれるが、それだけでは決してないはずである。

 アメリカの睨みがそれなりに効いている差し当りの期間に、日本は起ち上らなければ間に合わなくなる。その思いは心ある私の知友には共通している。元自衛隊内局幹部の小川揚司さん――坦々塾会員――がやはり拙文に反応して次のように言ってきて下さった。

中国を増長させるだけでなく世界に大恥を曝した菅・仙谷政権の無様な対応に憤激が治まらぬ日々が続いておりますが、先生の日録と本日(9月29日)の産経新聞「正論」の御文章を拝読し、更に深刻に胸に迫りくるものを痛感しております。
 昨日(9月28日)の「正論」は佐々淳行氏の勇ましい文章でしたが、防衛庁の官房長や初代内閣安保室長を歴任された危機管理の第一人者にしては何とも甘い対策の提言であり、矢張り西尾先生の御洞察が最も冷厳に現実を見抜いておられるものと痛感致しております。
 
 自衛隊(軍隊)はシステムであり、そのトップに乗っかっているのが小心で蒙昧な菅某や北澤某である限りシステムは作動できません。尖閣への自衛隊の出動は訓練名目でも覚束なく、自衛隊が出るのか出ないのか中途半端にマゴマゴしていれば、それを口実に中国軍に機先を制せられて瞬く間に尖閣を占領される情景が目に浮かびます。
 日清・日露の戦役から大東亜戦争までを戦い抜き白人どもの心胆を寒からしめた日本人と、この体たらくの政権与党、その醜態にも激怒せず、まるで対岸の火事を見るような蓬けた数多の日本人と、国家観を喪失すると人間はここまで見事に劣化するものかと、悲痛な思いを反芻しております。

 昨夜は私は「路の会」で、衆議院議員の高市早苗さんをゲストにお招きした。自民党の内部の動きに期待していたが、私たちが外から見ている通り、谷垣総裁とその執行部には格段の大きな変化はないようなお話であった。

 たゞ高市さんは、大変に心強い良いことを数多くなさって下さっていることが分った。例えば「領土教育」の件。学校で領土に関する詳しい授業をする熱心な先生は職員室で孤立し、教材も少いし、困難にぶつかっている。高市議員がそういう先生の連帯を考えて、全国から呼び寄せている。東京にくる出張旅費がつくように取り計らうなど、孤立しがちな少数派の連繋に心をくだいている。

 また大変に感銘を受けたのは、議員立法を作定する能力をもつ数少ない議員のお一人である高市さんは、森林の水資源を外国人から守る法案の作成に目下精を出している。地下水はこれまでいかなる規制もされていないらしい。外国人が買ってはいけない土地を定めた古い外国人土地法のリニューアルも試みているそうである。

 ありがたいご努力である。われわれはこういう政治家と連繋していかなくてはならない。稲田朋美さん、山谷えり子さんといったわれわれがよく知る保守系三人は、互いに協力し合って戦って下さっているそうで、心強い。

 私は序でにいくつかのお願いをした。その中で高市さんが議員立法の対象になる、と言って下さったのは、神田の古本屋街から日本の古地図、清朝以来の海域の地図がなにものかに買い占められてほとんどなくなっている問題である。中国人や朝鮮人が札束をもって動いている。国立国会図書館の竹島の地図は破られてなくなっているそうだ。貴重な地図はマイクロフィルム化して、貸出し禁止にする議員立法を考えて下さるというお話に私は感銘し、勇気づけられた。本当にありがとうと申し上げたい。

 私のような人間は言葉でなにか言っても現実に反映しない。言論はむなしく、実行は遠い。高市さんのような方がいないと現実はなにひとつ変化しないのである。

 『歴史通』に出すと言っていた私の次の仕事は、『WiLL』(尖閣問題特集号10月14日発売)に掲載されることになった。25枚をすでに書き終えている。

今日沖縄は中国の海になった!(その三)

産経新聞【正論】欄より

 悲しき哉、国守る思想の未成育

 9月24日午後、中国人船長が処分保留のまま釈放される、との報を最初に聞いた日本国民は、一瞬、耳を疑うほどの驚愕(きょうがく)を覚えた人が多かったが、私も例外ではなく、耳を塞(ふさ)ぎたかった。日本政府は国内法に則(のっと)って粛々とことを進めると再三、公言していたわけだから、ここで中国の言い分を認めるのは自国の法律を否定し、自ら法治国家であるのをやめたことになる。尖閣海域は今日から中国領になるのだな、と思った。

 ≪≪≪アメリカ頼み、甘過ぎる≫≫≫

 まさか、中国もいきなり軍事侵攻してくるわけはあるまい、と大方の人が考えているが、私は、それは少し甘いのではないかと思っている。また、アメリカが日米安保条約に基づいて抑止してくれると信じている人も圧倒的に多いようだが、それは、さらに甘いのではないかと思っている。

 アメリカは常々、領土をめぐる他国の紛争には中立だとし、現状の実効支配を尊重すると言っている。だからブッシュ前政権が竹島を韓国領と認定したこともある。北方領土の範囲を最初に不明確に設定したのはアメリカで、日ソ間を永遠に不和のままに置くことが国益に適(かな)ったからだとされる。それが彼らの戦略思考である。

 クリントン米国務長官が23日の日米外相会談で尖閣に安保条約第5条が適用されると言ったのは、日本が実効支配している島だから当然で、それ以上の意味はない。侵略されれば、アメリカが直ちに武力行使するとは第5条には書かれていない。「自国の憲法上の規定及び手続に従って、共通の危険に対処するように行動する」と宣言しているだけだ。議会の承認を要するから、時間もかかるし、アメリカが「共通の危険」と思うかどうかは情勢次第である。

 だから、ジェームス・アワー元米国防総省日本部長は、日本が尖閣の主権を守る自らの決意を示さなければ、領土への正当性は得られず、竹島に対する日本の態度は悪い見本だと批判的である(9月24日付産経新聞朝刊)。

 言い換えれば、自衛隊が中国軍と一戦を交え、尖閣を死守するなら、アメリカはそれを精神的に応援し、事後承諾するだろう。しかし逆に、何もせず、中国に占領されたら、アメリカは中国の実効支配を承認することになるだけだろう。安保条約とは、その程度の約束である。日米首脳会談で、オバマ米大統領が尖閣を話題にしなかった冷淡さは、島嶼(とうしょ)部の領土争いに、米政府は関与しないという意思の再表明かもしれない。

 ≪≪≪善意に悪意でお返しされた≫≫≫

 そうであれば今回、わが国が、中国政府に対し何ら言論上の争いもせず、自国の固有領土たる理由をも世界に説明せず、さっさと白旗を揚げた対応は最悪で、第5条の適用を受ける資格が日本にないことをアメリカ政府に強く印象づける結果になっただろう。

 自分が善意で振る舞えば、他人も善意で応じてくれると信じる日本型ムラ社会の論理が国境を越えれば通用しないことは、近ごろ海外旅行をする国民には周知だ。中国に弱気の善意を示して強烈な悪意をもって報復されたことは、日本の政治家の未熟さを憐(あわ)れむだけで済むならいいが、国益を損なうこと甚大であり、許し難い。

 那覇地検が外交の領分に踏み込んだことは、多くの人が言う通り越権行為である。仙谷由人官房長官が指揮権発動をちらつかせて司法に圧力をかけた結果だ、と情報通がテレビで語っていた。それが事実なら、国家犯罪規模のスキャンダルである。検察官と官房長官を国会に証人喚問して、とことん追及することを要求する。

 
 ≪≪≪根本原因、占領政策にも≫≫≫

 日本の政治家に国家観念が乏しく、防衛と外交が三流にとどまる胸の痛むような現状は批判してもし過ぎることはないが、他方、ことここに至った根本原因は日米安保体制にあり、アメリカの、日本に攻撃能力を持たせまいとした占領以来の基本政策にある。

 講和条約作りを主導し、後に国務長官になるダレス氏は、アメリカが日本国内に基地を保持する所以(ゆえん)は、日本の自衛権に攻撃能力の発展を許さないためだ、と説明している。以来、自衛隊は専守防衛を義務づけられ、侵略に対してはアメリカの協力を待って排除に当たるとされ、独力で国を守る思想が育ってこなかった。日本に国防の独力をもっと与えようという流れと、与えまいとする流れとの2つがアメリカにはあって、日本は翻弄(ほんろう)され、方途を見失って今日に至っている体たらくを、中国にすっかり見抜かれている。

 しかし、アメリカも相当なものであり、尖閣の一件で、在日米軍の駐留経費の日本側負担(思いやり予算)を、大幅に増額させる方針を固めているという。

 日本は米中の挟み撃ちに遭っているというのが、今回の一件である。アメリカに攻撃力の開発を抑えられたまま、中国に攻撃されだしたのである。後ろ手に縛られたまま、腹を足蹴(げ)りにされているようなものだ。そして、今、痛いと言ってうずくまっている姿、それがわが祖国なのだ。嗚呼(ああ)!(にしお かんじ)2010.9.29

今日沖縄は中国の海になった!(その二)

 24日付の拙文「今日沖縄は中国の海になった!」は第一報を聞いただけで書いたもので、私は那覇地検の記者会見もまだ知らなかった。

 あれから土曜と日曜にかけて新聞・テレビ・ネット情報に接して、前後の状況はだいぶ分った。そしてそこでもう一度短い拙文を読み直したが、修正の必要は感じなかった。

 地方の一地検が口出しして外交を動かしたのは多くの人が言う通り越権行為である。仙石官房長官が指揮権発動をちらつかせて司法に圧力をかけた結果だということを情報通がテレビで語っていた。もしそれが事実なら国家犯罪規模のスキャンダルである。

 首相と外相の留守中のあわただしい決定であることに、政府の政治責任逃れの見え透いた芝居ともいえる一面がある。そんなことをしても政府の責任は末代まで免れないのだから、ばかげた子供っぽい措置といっていい。

 アメリカ政府からの暗示があったという説をなす人もいるが、本当の処は分らない。多くの人が今回の結末に怒っているし、余りに愚劣な政府なので、私の怒りも収まらない。

 差し当り三つのことを実行する。

(1) 産経新聞コラム「正論」欄に書く。
(2) 隔月刊誌『歴史通』10月9日発売号に書く。
    『WiLL』は出たばかりなので間に合わない。次の号では遅すぎる。
(3) 緊急出版『尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本』祥伝社新書(青木直人氏との対談本)11月2日刊行発売。対談は昨25日にホテルに6時間缶詰になってすでに完了。11月2日刊は精一杯のスピード出版である。

 以上はほゞ確定した予定だが、これから先のことなので、なんらかの変更ないし取り止めがあることもお含みいたゞきたい。

 以上(1)(2)(3)の仕事は全部、当日録の拙文「今日沖縄は中国の海になった!」の論旨に添うた内容であり、あの短い最初のモチーフを少しづつ拡大し、詳細にした内容となるであろう。

 新聞・テレビ・ネット情報に時間の許す範囲で当ってみたが、今後起こり得る軍事侵攻と安保条約の関係についてきちんと言及した発言はまだひとつもない。中国がこのところ肥大化した異常構造を呈していることを論じた発言は一、二存在したが、尖閣問題で日本が今度アメリカにしてやられていることを論及した発言は――軽く触れたものがほんの一、二あったが――全体としてまだまったく存在しない。

 (3) の対談本の副題が、青木さんと相談の結果、「米中はさみ撃ちにあった日本」であることに注目していたゞきたい。わが国はアメリカに攻撃力を抑えられたまゝ、中国に攻撃されているのである。後手に手足を縛られたまゝ、腹部を足蹴りされたのである。そして今、痛い!といってうずくまっている姿なのだ。

 今度も経済界がうろうろ動いて政府に圧力をかけたようだ。安倍元首相の靖国参拝阻止にも複数の経済人が手を変え品を変え働きかけていたいきさつは、拙論「トヨタバッシングの教訓」(拙著『日本をここまで毀したのは誰か』草思社所収)において初めて証拠をあげて追及している。

 経済人は外交に口出しするな。今、ファシズム化した中国という相手は甘っちょろい日本の企業家の手に負えるしろものではない。私は敢えていうが、中国は怒涛のごとくわが国にあの手この手で襲いかかってくるだろうが、その方がむしろ良いと思っている。

 日本政府も経済界もきりきり舞いするがいい。アメリカはリップサービスはするが、助けてはくれない。日本はうんと苦しむがいい。苦しみが余りにも足りなかった。初めて正念場に立たされる、そういう秋が来なくてはいけなかったのだ。

今日沖縄は中国の海になった!

 24日午後出先で聞いた。尖閣で取調べを受けていた中国人船長がなにもなしで釈放される、とのことであるが、テレビのニュースはまだ見ていない。

 ほとんど信じられない話である。中国の言い分を認めたわけだ。尖閣海域は今日から中国領になったのだ。日本政府は日本の法律に従って粛々と進めると公言していたのだから、今日、自国の法律を否定し、法治国家であることを止めたわけである。

 中国は沖縄全部が中国領だとすでに言っているので、着々と手を打つだろう。尖閣を軍事占領することはあるまいと考えているとしたら、それは甘い。アメリカが安保条約に基いて抑止すると考えているとしたら、さらに甘い。

 安保条約は、領土をめぐる他国の紛争にアメリカは中立だと言っている。実効支配を承認すると言っている。軍事力行使はアメリカ憲法に基いて議会の承認を得る必要があると言っている。

 自衛隊が中国軍と一戦を交え、尖閣を死守するなら、アメリカはそれを精神的に応援し、事後承諾するだろう。安保条約とはその程度の約束である。

 今日は沖縄が中国の海になることを日本が認めてしまった日なのだ。何をされても忍従し、何でもありの平和主義はじつは最後に戦争になるのである。

私の独断的政局論

 小沢が前原とウラで手を握っている、というのが私の推理の基本である。鳩山はそれに気づいていない。

 小沢はつねに誰かを総理にしてやるといって自らが生き延びるのが常套であった。失敗したのはミッチーこと渡辺美智雄だけだった。

 小沢は自らが生きるか死ぬかの瀬戸際にある。否、民主党そのものが瀬戸際にある。前原以外に国民を納得させられる新首相はいない。小沢と前原は対立していると見られているのが好都合である。

 本来は小沢と鳩山は党を二分して死闘を演じてもおかしくはない情勢にある。第一回の検察審議会が「起訴相当」を出してきたときが、鳩山が小沢を蹴落とすチャンスだった。民主党が支持率を回復するチャンスでもあった。しかしそういう気配はまったくなかった。

 次期総理に菅の呼び声は最近次第に小さくなっている。鳩山が前原の台頭にも、小沢と前原の関係にも気づいていないのは、単なるバカだからである。

 東京地検のうしろにはアメリカがいる。これが私の第二の推理である。

 検察庁は権力そのものである。しかし日本という国家には権力はない。『「権力の不在」は国を滅ぼす』は私の本の題だった。

 アメリカは東京地検と組んで小沢をコマの一つとして使うことに決めたようだ。小沢はアメリカに脅されている。

 普天間問題の迷走が始まった8ヶ月前、アメリカは怒ったし、呆れもした。しかし日本の政治の非合理性の根は深く、安定した親米秩序がいつになったらできるのか見通しが立たないことに、アメリカは次第に不安を感じ始めた。

 アメリカは忍耐強いのでは必ずしもない。基地としての日本列島を失うかもしれないことに恐怖を抱きだしたのだ。沖縄民衆の反乱が拡大することをひたすら恐れている。

 アメリカはこの状況を収束させられるのは力しかなく、力を持っている小沢にすべてを托す以外にないと判断したのだろう。

 それがいつの時期かは分らない。鳩山が沖縄海兵隊の抑止力を「学習」したと発言してもの笑いになったあれより少し前だろう。普天間問題が最初の自民党原案に立ち戻り始めたのと歩調を合わせて、検察庁による小沢「不起訴」が繰り返された。

 鳩山は1996年11月の文藝春秋に「民主党 私の政権構想」という論文を書いていて、沖縄の基地問題を論じている。それによると、「革命は未来から」と旗を掲げた上で、「手前から少しづつ前に進むのではなく、未来から大胆に今を直す」のがわれわれの流儀と宣言している。沖縄問題は米軍基地撤廃と完全返還という「未来から」手を着けると言っている。

 これは学生運動家の発想だが、ひどいもので総理になってその通りに実行しようとしたのである。「最低でも県外」と言ったのはそのしるしである。彼はバカなのではなく、確信犯なのである。だから恥しい素振りもみせず、終始図々しいのである。

 国内には鳩山をまだ守ろうとする声がある。支持率は20%台になったというが、まだ依然として20%台なのである。本当は5-7%になってもおかしくはないのに、左翼マスコミもまた確信犯にほかならない。

 しかし起死回生を狙って小沢は前原を擁立するだろう。普天間は時間をかけ自民党原案に落ち着くだろう。それが私の独断的政局論の読みである。時期がいつかは分らない。もちろん予想外のことが起こり得る。検察審査会の第二回目の「起訴相当」はアメリカの影の力をもってしてもいかんともしがたい。

 基地が反米の旗をさらに高く掲げてこれ以上混乱したら、アメリカの苦悩は深まり、次の手を打ってくるだろう。その方がずっとこわい。アメリカは日韓の関係の悪化を今は望んでいないが、日本の「韓国化」をむしろ画策するかもしれない。

 アメリカは占領軍だということを今回ほど如実に感じさせた事例はない。鳩山は寝た子を起こした廉でいづれにせよ罰せられねばならない。

「外国人制限」がタブーになった 

産経新聞3月30日(平成20年)正論欄より

 
 貴乃花が大相撲の改革に乗り出して相撲協会理事に立候補し、当選するという話題をさらう出来事があった。私は貴乃花の提案する改革の内容に注目した。誰が見ても今の相撲界の危機はモンゴル人を筆頭に外国人力士が上位を圧倒的に占有していることである。若い有能な日本人はこれでは他のスポーツに逃げてしまう。

≪≪≪「人種差別」の批判を恐れ≫≫≫
 
 しかし貴乃花は理事に当選する前も、した後も外国人制限に関する新しい何らの提言もしていない。否、スポーツ評論の世界で現実的で具体的なこの点での揚言をなす者は寡聞にして聞かない。西欧の音楽の世界では、オーケストラでもオペラでも東洋人の数を1人ないし2人に制限している。
 自分たちの文化を大切に思うなら、異邦人に対する厳格な総数制限は当然であり、遠慮は要らない。しかし貴乃花にしても誰にしても決して声を上げない。それはなぜであるか。「人種差別主義者」といわれるのを恐れているからである。外国人地方参政権問題でも、困るのはタブーが支配し、唇寒くなることである。
 
 高校授業料無償化法案をめぐって、金正日総書記の個人崇拝教育が公然と行われている朝鮮学校は対象外とするのが当然なのに、方針があいまいなままになっている。ここでも「差別はいけない」の美しい建前が、侮辱的な反日教育に日本の税金を投じるなという常識をついに圧倒してしまった。

 外国人地方参政権法案が通ると、こうした筋の通らぬおかしなことが全国いたる所に広がり、朝鮮総連や韓国民団の理不尽な権利要求は「差別はいけない」の声が追い風となって、何でも通る敵なしの強さを誇り、中国人永住権獲得者がそれに加わって、日本の市役所や教育委員などはただ頭をぺこぺこ下げて、ご無理ごもっともと何ごとにつけ押し切られてしまうだろう。
 
 政府が「国連」とか「世界市民」とか「人権擁護」といった美しい理念に金しばりに遭い、それに歩調を合わせてメディアが「人権差別」という現代のタブーに触れるのを恐れて沈黙し、言論人やジャーナリストが自由にものが言えなくなってしまうのが、外国人受け入れ問題の、受け入れ国側に及ぼす目に見えない深刻な影響である。

≪≪≪欧州では「内乱」状態に≫≫≫
 
 人口比8~9%もの移民を受け入れた西欧各国の例をみると、反対言論を封じられた怒りが反転して爆発し、フランスやオランダを一時、「内乱」状態に陥れた。ドイツは国家意志が「沈黙」を強いられた悲劇に陥っている。
 
 ドイツの首都ベルリンのノイケルンというトルコ、旧ユーゴ、レバノンからの移民が9割を占める地区の小学校の調査リポート、約9分の国営放送制作の貴重なフィルムを、今われわれはインターネットの動画(YouTube)で見ることができる。「ドイツの学校教育とイジメ・移民政策の破綻(はたん)」の文字を入力して、日本の未来を思わせる次の恐ろしい悲劇をぜひ見ていただきたい。
 
 ドイツの小学校の校内は暴力が支配し、カメラの前で2人のドイツ人少年は蹴(け)られ、唾(つば)をかけられ、安心して歩けない。ここは校内撮影を許されたが、別の小学校である児童は「お前はドイツ人か、トルコ人か」と問い詰められ、「そうさ、ドイツ人さ。神さまなんか信じない」と言ったら、いきなり殴られ、学校中の不良グループが集まってきてこづかれ、「僕は何もできなかった」と唇を噛(か)む。ある少女は宗教をきかれ、「そうよ、キリスト教徒よ」と答えると、みんなから笑われ、「あんたなんか嫌いーッ」と罵(ののし)られた。この小学校の調査訪問を申し出ると、撮影は「外国人差別を助長するから」の理由で公式に拒否された。

≪≪≪逃げ出すのが唯一の解決≫≫≫
 
 リポーターはベルリン市の行政の門を叩(たた)く。移民同化政策の担当者はフィルムを見ても「子供の気持ちは分かるが、そもそもドイツの学校はドイツ人のものだという古い考え方は倒錯した考えだ」と紋切り型の言葉を述べる。リポーターは家庭訪問もするが、母親は「街を出るのがいいのは分かっているけど、私はこの街で生まれたのよ」と言う。経済的に余裕のある人はこの地区に住んでいないとリポートは伝える。街を逃げ出すのが唯一の解決なら「共生」という名の移民政策の破綻ではないかと訴える。

 問題を公にする者は差別者のレッテルを張られ、排除される。このスキを狙い、貧困家庭をターゲットにしたカルト教団が動き出している。問題を公に口外できないタブーの支配が政治の最大の問題である、と。

 ドイツは今、税収不足を外国人移民の増加に依存し、それで救われているのが教会であり、国防軍も外国人の若者に頼るという、首根を押さえられた事態に陥っている。外国人に奪われた土俵を見て見ぬふりの貴乃花の沈黙は、やがて日本の社会全体を蔽(おお)う不幸の発端であり、象徴例であるといっていいだろう。(にしお かんじ=評論家)

はてなダイアリー ドイツでも移民問題(オランダの悲劇)

花冷えの日に(三)

 米ソ冷戦の終焉といわれた1989-90年を境に、安全、平和が訪れたのでは必ずしもない。日本はその逆になることが予想されたのに、20年間はほゞ無事に経過した。

 ボスニアヘルツェゴビナの戦乱からイラク戦争へかけ、地球の西方が荒れた。アメリカと中国の谷間にある日本の位置、巨大な人口と経済格差は把捉しがたいほどなので、本当はいつ何が起こってもおかしくはないほどに危うい場所にわれわれは立っている。それなのに20年間も平穏だったのは不自然で例外的だという思いが私の中にはつねにあった。世界の秩序の構造が変わったのに、基本的に不安を持たないで暮らしている人の方が私には不可解である。

 サブプライムローンに端を発する金融危機は「いよいよ来たな」という恐怖の到来を私に予感させた。あれ以来、国際社会で起こっていることも、日本の政治経済に関わることも、本当のことはなにひとつ解らないのだという自己懐疑がずっと私にはつづいているので、正直にその不明をいま披瀝しておきたいと思う。

 私も人並に経済や金融に関する論説を読み漁る時期があった。最近はやめている。生活から懸け離れた余りに巨きい金額はよく解らないし、精神衛生に悪いのである。現実を把握することをある意味で諦めた立場に立ってみたいと思っている。そういう人間の与太話と思って読んで頂きたい。

 アメリカが背負った負債総額は天文学的数字で語られていたはずである。それにしてはアメリカ経済の立ち直りは早過ぎるのではないだろうか。否、立ち直っては決していないともいわれる。これから「二番底」があるのだという説もよく耳にする。ある人の説で、リーマンショックの時点でアメリカ政府は負債総額を隠蔽したのだそうだ。ブラックホールのようなぽっかりあいた赤字の大穴を外に見せないように蓋をして、欠損を少しづつ小出しにして操作しているのだという。本当だろうか。

 金融機関の多くを国有化し、資本主義の本来のあり方を放棄したかに見えるアメリカ経済の未来はやはり薄明につつまれ、次第に暗雲に閉ざされていくほかないだろうという悲観説は、今でも正しいのだろうか。それとももうそんな段階はあっという間に踏み越えられていて未来は大丈夫と見るべきなのだろうか。アメリカの金融の失敗が世界の運命を左右したことだけは紛れもないので、ここがもう少しはっきりしないと、世界のことはなにひとつ分らないといっていい。私には判断のつかない基本的認識を誰かに教えてもらいたいと切に思うのである。

 サブプライムローンの赤字負債で日本の金融機関は世界の中で最も傷が浅かったとは、当時よく伝えられた。庶民感覚でもこれを聞いてホッと安心したものだった。しかしそれにしては日本の経済の立ち直りが遅い。世界をリードしていいはずなのにそうはならない。株安と円高が同時に到来し、それが長い。いつまで経っても景気は回復せずに、世界の中でも不調の国の代表例のようにみられているのはどうしてなのだろうか。単に政府の政策の失敗と政権交代な どの政局の混乱が原因しているだけなのだろうか。それとも日本の富は1990年代の「マネー敗戦」のように、知らないうちにアメリカに何かを仕掛けられ、徐々に吸い取られているのだろうか。10年の後に「あのとき日本は瞞されていた」とまたしても暴露的に論評されるような経過をいま辿っているのだろうか。

 というのも中国のことがこれと関連してまた解らないからである。北京オリンピックの前には中国の政治体制は明日にも崩壊する、との主張をなす人がかなりいたが、今はそういう説を唱える人は少なく、政治体制は崩壊しないが、中国経済はバブルがはじけて早晩破綻するだろう、という見通しを語る人が中国専門家の中では多くなったように思う。中国の好景気は上海万博までだ、というのは北京オリンピックの前から言われていたことなので、ようやくその節目の年に来ているといえるのかもしれない。

 けれども中国経済が破綻したら、何より困るのはアメリカであり、それに伴い日本であろう。周知の通りアメリカ国債を一番多く買っているのは中国であり、日本がそれに次ぐ。中国の対米輸出の増加は日本の対中輸出をも増加させる。世界のどの国もが共倒れを恐れている。中国政府もそれを知って強気である。このまゝ中国は上昇しつづけ、高止まりで自己維持する可能性のほうが大きいのではないか。

 もしも何かの変動が起こるとしたら、人々の予想に反して経済ではなく、政治体制にほころびが生じて、怒涛のような嵐が内部から突き上げてきて、抑えきれなくなるという事態ではないか。否、そういうことはない、と中国を知る人は皆いうが、アメリカの最近の中国からの政治的離反、離反とまで言えなくても、政治的に距離を置こうとする姿勢は何を意味するだろうか。いつもの「アメリカ民主主義イデオロギー」の表明にすぎないだろうか。

 アメリカは自国の経済の救済を急務としている。トヨタにまで強行した自国企業の防衛力は、中国経済をどう扱うかにより多く発揮されるであろうことは余りにも自明である。最近、世界の投資はブラジルに向かっている。リオデジャネイロのオリンピックとブラジルの工業力への期待からである。中国にあるアメリカと日本の工場がインドネシアに移動しつつある。それに加えてGoogleの中国からの撤退は大きな事件である。

 中国のインターネット検索が「天安門事件」を受けつけないことは前から聞いていたが、性的な文字まで約一万語をはねてしまうというニュースには驚いた。「胡錦濤」と検索されるのを恐れて「胡」の字をはねてしまう、というのは異常な心理状態である。

 アメリカは自国の経済が中国に深入りしたことを恐れ始めているのではないか。時間をかけて中国から脱出しようと考えているのか、それとも政治的にゆさぶって体制崩壊を誘発し、中国に握られているアメリカ国債、すなわち債務を一気にチャラにしてしまおうと狙っているのだろうか。

 そんなことを考えているとしたら中国が許すはずもないから、天下大乱となることは必至である。

 将来のことはもちろん分らないが、アメリカの自ら抱えこんだ経済危機と、中国の自ら抑えられない経済膨張とが、今の地球上の二大不安の要因であることは厳然たる事実である。そして、その中間に位置する日本が経済的にも、軍事的にも、累卵の危うきにあることは一目して瞭然である。

 この二大不安が対立し合うのは日本にとって不利ではない。衝突にまで至るのは困るが、互いにほどよく距離をもって敵対し合ってくれれば、日本に選択肢の自由の幅が広がる。

 中国がギョーザ事件の解決を急いで、いまこの時期に、犯人逮捕を告げたりしたのはなぜなのか。アメリカが普天間基地をめぐる日本政府の迷走に対し当初の高飛車な反発を押さえ、「慎重によく検討する」などと称しじっと忍耐しているのはなぜなのか。両国はともに日本を敵に回すまいとしている。日本の国民世論が反中になるのも、反米になるのも、それぞれの国が警戒している。

 両国が日本にご機嫌を伺う風があるのは、両国が多少とも相反関係に立っているからである。ただし、ご機嫌を伺うといってもせいぜいこの程度までで、アメリカのトヨタ叩きは企業問題ではなく、政府が後ろについている国家的行動であった。中国が東シナ海で譲歩する気配は勿論ない。

 そして明らかにおかしいのは、日本政府がトヨタを守ろうとする国家としての支援行動を起こさないことである。

 これから肝心なのはアメリカと中国からの寒暖両方の風、ときに日本に攻撃をしかけ、ときに日本への秋波を送ってくる対応をそのつどうまくさばき、日本が自己自身を貫く強さを発揮することだろう。その意味で現下の日本政府のしていること、あるいはしたがっていることにはナンセンスなものが多い。

 なぜ今さら核持込みがあったかなかったかと「密約」を暴く必要があるのか。外交に密約はつきものではないか。それに、外から暗黙に密約が予測されるからこそ核の傘は有効になる。アメリカの核の傘が有効でなくてもよいというのか。いよいよ国家的意志の統一が必要な時期に、なぜ「道州制」だの「地方分権」だの呑気なことを言い出しているのか。中国や韓国と歴史観を共にすることなど不可能なことは分っているのに、なぜやらんでもいい共同研究などをして無用な波風を立てるのか。

 大事を忘れ小事に囚われることが多ければ多いほど、自らを毀損することも多くなるのは、個人の生活でも国家の運営でも同じであろう。

花冷えの日に(二)

 トヨタの豊田章男社長がアメリカの公聴会に呼ばれて、謝罪して涙を流した。謝罪したのはまずい、といった論調があったが、他にどんな手があったろう。勿論、謝罪したからには訴訟はこわい。巨額の弁済が求められよう。しかし、トヨタ車がアメリカ市場から叩き出されるという最悪の結果だけは免れたのではないか。

 へたをすると本当はそうなる可能性が十分あった。サンディエゴ近くのハイウェイでプリウスが暴走して止まらないと騒ぎ立てる男がいて、パトカーが駆けつけて止めるという事件が新たに起こった。連日トヨタ非難の声が燃えあがっていたときだったから、まずいときにまずいことが起こったものだと誰もがハラハラした。何の関係もない観客席の私だって、またしても因縁をつけられるのだろうな、とトヨタが気の毒になった。

 現地の新聞が大騒ぎしかけたが、アクセルのメモリーが入っていて、それを点検するかぎり何の異常も発見されなかった。ブレーキもアクセルも正常に作動していた。騒いだ男が怪しいことは明らかだが、トヨタは賢明にもそれを道徳的に糾弾しなかった。男はブレーキとアクセルを両方踏んだんじゃないか、と男に逃げ道を与えてやった。それが効を奏したらしい。アメリカの世論もこれ以上トヨタを弾劾するのはいかにも見苦しい、と気がついたようだ。

 今度の件でアメリカに理性が甦ったかどうかは分らない。事件の最終の帰趨も今のところ分らない。日本企業叩きのリンチ事件をアメリカはくりかえしている。日米スパコン貿易摩擦(1996)、米国三菱セクハラ事件(1996)、東芝フロッピーディスク訴訟(1999)。いずれもクリントン政権時代(1993-2000)の悪夢のような出来事である。

 80年代を通じアメリカの製造業は日本に敗れつづけた。90年代初頭に「戦勝国は日本だったのか」と悲鳴に近い憤怒の声が上ったのを私は忘れない。90年代に入ってバブルが崩壊し、日本が不利になった。アメリカは規制緩和と市場開放の名の下に日本経済の独自のシステムをひとつひとつ壊しにかかった。日本は自分が何をされているのかあのころさっぱり分らなかったのだ。そしてそのかたわら、アメリカは何だかだと難癖をつけて、威勢のいい日本企業を潰すことに余念がなかった。

 アメリカのやってきたことはつねに国家利益を目的とした国家的行動だった。少し大げさにいえば、軍事力を使わない軍事行動である。今度トヨタに加えられた仕打ちもその一つと考えていいだろう。トヨタにほんの少しスキがあれば、GMを追い抜いたトヨタを倒すために、スキを突いていくのはむしろ政治的正義とさえ考えているだろう。私はこの論理はそれなりに分るつもりである。

 私にむしろ分らないのは国家ということを考えない日本の経済人、企業人である。トヨタ自動車の会長で、日本経団連代表としても有名な奥田碩氏は次のようなことばを平然と語りつづけているのにむしろ驚くのである。

 「今のトヨタというのは、国際企業であり、地球企業なのです。」「地球全体を見ながら、社会、経済の仕組みを作っていかないと、とても二十一世紀は乗り越えられない。」「日本の技術で必要なものがあれば、日本は積極的に他国に移転していかなければいけないと思います。」(朱建栄氏との対談本『「地球企業トヨタ」は中国で何を目指すのか』2007)

 「国や地域という垣根にとらわれていては、企業も国も成長できません」「東アジアの連携を強化しグローバル競争に挑みたい。」(時事通信社の講演2003.1.20)

 「摩擦を避けながらアメリカでの業績を上げて行くには、外国人取締役を増やす必要があり、今まで現地生産やGMとの合併事業などを進めてきたが、まだまだ『日本企業』のレッテルが取れないとの思いがある。」(朝日新聞2005.5.10)

 グローバリズムであるとかボーダレスであるとか、幕末と終戦につづく「第三の開国」であるとか、そういうことばがぽんぽん出てきて、そして理想のモデルとしているのがEUの市場統合であるのはまた世の多くの、EUに対する誤解を絵に描いたようなものの考え方なのである。

 サブプライム問題に端を発した金融危機はたしかにあっという間に世界をまきこみ、国境を越え広がった。危機の波及がボーダレスであり、地球規模であったことは紛れもない事実だ。しかしその後に起こったことはまったく正反対の動きではなかったか。つまり危機の克服となると、これは国家単位でなされるほかなかたではないか。

 グローバリズムだのボーダレスだのというのはすべてが順調で、いい環境の下にあり、条件がそろっているときには理想的にみえるが、危機に至ればみな自己中心になる。自国中心行動になる。アメリカがいい例である。

 奥田氏は「日本企業」のレッテルがさながら悪であるかのようにネガティブに語り、日本という国家に守られているくせにそのことに気がついていない。自民党という親米政権が倒れたことがトヨタに不利に働いていることを少しでも考えただろうか。

 それよりもなによりも、奥田氏のような日本人としての国家意識をもっていない能天気なリーダーが指導していたがゆえに、トヨタは政治的に攻撃されたのである。トヨタ事件は技術の過失のせいでも、新社長の未熟のせいでもない。朝日新聞が「地球市民」という歯の浮くような言葉をはやらせたように、永年にわたり奥田氏が「地球企業」などという甘い概念をまき散らし、トヨタ社内にだけでなく日本社会にも相応に害毒を流してきた報いがきたのだともいえる。

 今度のトヨタ事件は、世界の各企業が多国籍のようにみえて、それは外観か衣装であって、じつは根底においてはナショナリズムで動いていることを赤裸々に証明したといえよう。

 第三の開国とか東アジア共同体とかアジアとの共生とかいうことばが日本の言語空間にだけ無反省にとび交っているが、法秩序のない中国、国家以前のあの大陸地域と共寝するつもりなのだろうか。

 最近韓国企業の活性化をよく耳にする。韓国経済の好調が伝えられる。麻生内閣の当時、だからほんの一年くらい前だろうが、韓国経済は危機にあり、日中が共同で危機打開の援助を与えたことがあった。その後、ウォン安がつづいたので、それが韓国の輸出力を上昇させている原因ともいえるが、どうもそれだけではないようだ。この国には日本にはない強烈なナショナリズムがある。李明博大統領は官民一体となって世界市場を開拓し、日本が得意としているはずの原子力発電で最近日本を出し抜いてアラブ首長国連邦との巨額契約を獲得した。

 日本が余りにも無警戒で無防備なのは、政治と経済が一体化して動くアメリカ的行動力が韓国にあって日本にない、この点だけでは必ずしもなく、日本企業から技術者が流出して韓国にどんどん技術が移転しつつあるという話をよく耳にすることだ。詳しい事情を知る者ではないが、機密保護法ひとつない戦後日本の自己防衛本能の弱さは、政治や軍事だけのことではなく、経済的な国力の基盤を毀すところにまで次第に及んでいるのではないかとの憂慮を抱いている。

つづく

花冷えの日に(一)

 公園の桜はまだ咲きかけたばかりで、今日は一日雨模様で寒い。しばらく語っていなかった日本をとり巻く政治情勢についてゆっくり考えてみよう。

 政権交代以後わが国の外交が中国に傾いたことは民主党の既定の方針と思われているが、アメリカがそれよりも先に中国に急傾斜したことも無関係ではないと思う。アメリカが余りにも露骨に中国サイドに立った時期があった。日本をないがしろにした。そうなると日本は従来の対米従属の侭では米中両国からもてあそばれる危うい立場になる。中国に接近することでアメリカを牽制する必要があったに相違ない。

 政権交代後の日本の対中接近は不徹底で、動機も不明確だったが、アメリカを警戒させるには十分だった。このところ逆にアメリカの中国離れが目立つ。台湾への武器輸出、ダライラマと大統領の会見、そしてGoogleの中国からの撤退。急に風向きが変わった。日本の対中接近がなんらかの作用を及ぼしていないとはいえない。

 これには経済的動機が大きいことは分っている。人民元を値上げさせ、アメリカの輸出力を回復させる必要もある。2兆ドルを越える中国の外貨準備高は問題である。中国の不動産バブルは崩壊寸前である。アメリカは昔日本に課したような「プラザ合意」を中国にも押し付けようとしている。日本の「マネー敗戦」を知っている中国は今そうさせまいと必死である。

 アメリカと中国が綱の引き合いをしているのが経済的動機にあることは分っているが、日本の政権交代後の対中接近もまったく無関係ではなかったと思う。アメリカの中国離れは日本を眺めながら行われている。

 Googleの撤退が示すアメリカの反共意識の回復はいま日本を安堵させている。やはりアメリカは自由と民主主義のイデオロギーを尊重する国だ。そうなればこれ以上無制限に共産中国に傾くことはあるまいと。

 しかし、90年代のクリントン政権の無節操、中国接近と日本叩きを覚えているわれわれは、同じ民主党のオバマ政権が何を仕掛けてくるか分らない不安をも忘れるわけにはいかない。あっという間にまた風向きが変わるかもしれない。そしてアメリカは日本に不利益を与えるのを平然と承知で中国と手を結ぶかもしれない。米中が共同で日本いじめをする政策がわれわれの悪夢である。

 いずれにせよ風向きはたえ間なく変わっている。昔の米ソ対立時代のような「鉄のカーテン」を向うに回している状況とは違う。アメリカもしたたかで猫の目のように態度を変える。中国と日本が手を組んでうまく行った黒マグロ国際会議のようなケースもあるにはある。アメリカと日本が手を組んで中国やロシアを押さえるケースもきっとあるに相違ない。

 だからいちいち気をもんで一喜一憂しても仕方がなく、日本はこれから薄氷を踏む時代を肚を据えて乗り切っていかなくてはならないのだが、それにしては日本政府が場当り的で、方針が不明確で、CO2-25%減などという国益無視のきれいごと一点張りなのはまことに寒心に耐えない。

 およそ政府に国家理性というものがない。内向きでドメスティックである。そしてオバマ政権も歴代アメリカ政府の中ではやはり同じように内向きで、ドメスティックなほうである。財政破綻も省みず、国民皆保険制度を強行したりした。子供手当てでバラマキの小沢・鳩山政権と似ている処がある。

 私が心配しているのは、日米両政府の非国際的自閉的傾向のこういうときもとき、運の悪いときは重なるものだから気になるのだが、いま北朝鮮の政情が風雲急を告げているのである。今度こそ本当に危ないのかもしれない。デノミが失敗し、韓国の反共政権の援助も途絶えた北朝鮮財政はもうどうにもならないらしい。デノミは上層階級の財産を奪った。軍人が飢えている。暴動が起こったら、今度という今度は軍が金正日を守らないだろう。

 北朝鮮の動乱は周辺のどの国もが望んでいない。だから金正日は延命できたのだった。日、米、中、韓、露のどの国も心の用意がない。日本政府が一番なにも考えていない。こういうときに何か起こったら、まさに天下大乱である。

 実際、日本で話題となっている普天間基地の問題をみていると、議論の中に、国土の安全のためにどうするのが最もよいのか、という観点がない。最重要の観点がない。まったく異様な国である。

 こういうときに北朝鮮で何か起きたら、朝野をあげて周章狼狽するだけだろう。見ていられないし、われわれは本当に身の危険を覚える事態になるかもしれない。

 それでもどこか心の中で、アメリカへの期待がある。依存心理がある。正直、私にもある。情ないが(そしてある意味恥しいが)、北沢防衛大臣によりも、交渉しているアメリカの軍人のほうに国家理性を感じる。これは困ったことだ。私の「反米」思想と一致しない。あゝ、何とも耐えがたい矛盾だ。

 というのも、過日トヨタ自動車に向けられたアメリカの対日反感、情念の爆発、衝動的余りに衝動的な攻撃は、私には紛れもなくアメリカという国が引き起こした国家的行動の一つだと思ったからである。腹立たしくもあるあの反日行動は、イラクやアフガニスタンでまき起こされている野蛮の嵐と同じである。

 私はそれを是とはしない。しかし単純に非とはしない。むしろトヨタの奥田碩会長、日本経団連会長が説きつづけてきた「地球企業」の構想、国籍不明のボーダレスの経済行動よりも筋が通っているとさえ考えているからである。

 この話を明日またしよう。明日もまだ桜は咲いている。

つづく

平成22年1月27日  産経新聞「正論」欄より

小沢氏の権力集中は独裁の序章

 東京地検特捜部による小沢一郎民主党幹事長に対する事情聴取が終わって、世間の関心は今、刑事責任追及の展開や鳩山由紀夫内閣に与える政治的激震の予測を占う言葉で騒然としているが、ここでわれわれは少し冷静に戻り、小沢問題とは何であったか、その本当の危うさとは今なお何であるのかを顧みる必要があると思う。

《《《 国民の声を地方から封じる 》》》

 小沢氏は最大与党の幹事長として巨額の政党助成金を自由にし、公認権を握り、地方等からの陳情の窓口を自分に一元化し、年末には天皇陛下をあたかも自分の意の儘(まま)になる一公務員であるかのように扱う無礼を働き、近い将来に宮内庁長官の更迭や民間人起用による検事総長の首のすげ替えまで取り沙汰(ざた)していた。つまりこれは、あっという間に起こりかねない権力の異常な集中である。日韓併合100年における天皇訪韓をソウルで約束したり、問題の多い外国人地方参政権法案の強行採決を公言したりもした。一番の驚きは、訪中に際し自らを中国共産党革命軍の末席にあるかのごとき言辞を弄し、民主党議員140余人を中国国家主席の前に拝跪(はいき)させる服属の儀式をあえて演出した。

 穏やかな民主社会の慣行に慣(な)れてきたわれわれ日本国民には馴染まない独裁権力の突然の出現であり、国民の相談ぬきの外交方針の急変であった。この二点こそが小沢問題の危険の決定的徴表である。恐らく彼の次の手は―もし東京地検の捜査を免れたら―地方議会を押さえ込み、国内のどこからも反対の声の出ない専制体制を目指すことであろう。

《《《 頼りは検察だけという皮肉 》》》

 まさかそこまでは、と、ぼんやりゆるんだ自由社会に生きている一般国民にはにわかには信じ難いだろうが、クーデターは瞬時にして起こるものなのである。今の「権力」のあり方を考えれば、危うさ、きわどさが分かる。

 鳩山首相が小沢氏に「どうか検察と戦って下さい」と言ったことは有名になった。小沢対検察の戦いのはずが、これは政府対検察の戦いになっていることを意味する。民主党は検察の「リーク検証チーム」を作り、反権力を演じた。民主党は政府与党のはずである。自らが権力のはずである。権力が反権力を演じている。とてもおかしな状態である。いいかえれば今の日本は政府が反政府を演じている「無政府状態」になっていることを意味するのである。

 しかもこの反権力は小沢氏の後押しがあって何でもできると勘違いをしている。天皇陛下も動かせるし、内閣法制局も言うことを聞かせられると思っている。逮捕された石川知裕代議士は慣例に従えば離党することになるが、小沢氏の離党につながるので誰もそうせよと言い出すことができない。小沢氏も幹事長職を辞めない構えである。つまり民主党だけが正しく、楯(たて)突く者は許さないという態度である。こんな子供っぽい、しかも危険な政治権力は今まで見たことがない。

《《《 外交方針の暴走に不安 》》》

 小沢民主党のここさしあたりの動きを見ていると、独裁体制がどうやって作られるのかという、さながらドキュメンタリー番組を見ているような気さえする。一種の「無政府状態」を作ってそこでクーデターを起こした。それが今展開されている小沢=鳩山政権である。そのようなファッショ的全体主義的体質の政権を、今まで民主主義を金科玉条としてきたはずのマスコミが何とかして好意的に守ろうとするのはどういうわけなのか。今の日本で唯一の民主主義を守る頼りになる「権力」がじつは検察庁であるというのは決して望ましいことではないにしても、否定することのできない皮肉な現実ではないか。以前にもライブドア事件という似た例があった。裁判所が処罰せずに取り逃がしたホリエモンや村上ファンドを公序良俗に反するとして裁いて自由主義の暴走を防いだのは検察庁だった。

 平和で民主的な開かれた自由社会はつねに「忍耐」という非能率の代償を背負って成り立っているが、自由の余りの頼りなさからときおりヒステリックに痙攣(けいれん)することがある。小泉内閣が郵政選挙で大勝したときも自民党の内部は荒れ果てて、首相の剣幕(けんまく)に唇寒しで物も言えない独裁状態に陥った。自由はつねに専制と隣り合わせている。今度の小沢氏の場合も政権交代の圧勝がもたらした自由の行き過ぎの暴走にほかならぬ。

 ただ今度は自由が専制に切り替わったとき、中国や朝鮮半島の現実を無媒介、無警戒に引き受ける外交方針の急展開を伴って強引な政策として推し進められる恐れを抱いている。それが米国に向いた小泉内閣の暴走とまた違った不安を日本国民に与えている。

 農水大臣は韓国民団の新年会で外国人地方参政権の成立を約束した。幹事長代行は日教組支持を公言し、教職員に政治的中立などあり得ないとまで言っている。もし小沢氏の独裁権が確立されたなら、日本は例を知らない左翼全体ファッショ国家に急変していくことを私は憂慮している。

平成22年1月27日  産経新聞「正論」欄より