GHQの思想的犯罪(十三)

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(2008/06)
西尾 幹二

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(2008/12)
西尾 幹二

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◆アメリカの恐るべき力

 ただ、私は学生のころたくさんこの手の本は古本屋で見ましたよ。今だってあるわけだから。この手の本はあまり買う人がいなかったけど、要するにあったことは、あった。だんだん時間がたつうちに消えてなくなってしまいますけれども。

 しかし、こういう焚書という事実があったということを議論する人が長い間いなかった。何故でしょう。軍国主義の本は悪魔の本だからという宣伝に効き目があったのでしょうね。

 ここで皆さんに言っておきますが、日本に軍国主義はありません。日本にあったのは軍事体制です。軍事体制が強化されたのは間違いありません。それでも、もし日本に軍国主義があると言うなら、当時のアメリカにも軍国主義があったということになります。しかも向こうが先にやっているわけですからね。

 さて、焚書の効果、結果ということはまたお話しますが、それじゃあ約7000冊の本がそういう形になりまして、そのほか似たようなものが1万冊くらいあるようですけれども、それらの本の行方がどうなったかということをお話しましょう。これを見てください。

 焚書と検閲は別です。戦後のマスコミをチェックした検閲関係の文献はアメリカメリーランド大学のプロフェッサー、ゴードン・プランゲという人の名を挙げてアメリカのメリーランド大学を経てプランゲ文庫となっていて、メリーランド大学に全部移送されているのですが、ものすごい分量ですよ。現在、国立国会図書館はいっせいにこれのマイクロフィルム化をすすめまして、現在大部分のものはこれを見ることが出来ます。

 ところで焚書された本はどうなったかというと、勿論パルプにされてしまったものも多く、これは行方が分からなくてだいぶん苦労したわけですが、基本的にはこれはワシントンドキュメントセンターを経て、アメリカ議会図書館にあるらしいということが分かってきました。インターネットで抽出検索をしましたら、ありましたありました。だから、あの段階でアメリカ議会図書館に運ばれているのだということが分かったのです。

 しかし私はその過程で大変ショックを受けたことがあります。例えば焚書はたかが7000冊です。そのうちのある抽出してAならAという著作を、例えば武藤貞一という人の本を開いてみたら、その問題になっている本があったので、それをインターネットで開けるわけですよ、今、日本から。そのアメリカ議会図書館“Library of Congress”というところですね。

 そしたらその武藤貞一の私が目的としている焚書の一冊のみならず、武藤貞一の全著作が全部アメリカの図書館にあるのです。アメリカの収集能力はおそろしいですね。

 きっと私の本なんかみんな持っていかれている(笑)。あれは反米のとんでもない野郎だと、研究、よく検査する、調べることがあるってことでね。何かあったら私の入国はたちまち禁止ですよ。

 しかし、日本はダメですね。この前ある人から聞いたのですが、そういうことをやる国立公文書館の館員がアメリカに2000人ほどいる。そして韓国でも400人いるとのことです。では日本は何人かというと、20数人です。こういうことをやっているのに、人権擁護委員だけは2万人(笑)。何を考えているのかこの国は、と思います。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(十二)

◆焚書に協力した日本人たち

 尾高邦雄というのは、有名なマックス・ウェーバーの研究科です。マックス・ウェーバーの翻訳などを手がけた社会学者で、渋沢栄一の娘がお母さんで、戦後を代表した社会科学者です。お兄さんは法哲学者で尾高朝雄。弟は音楽の指揮者で尾高尚忠。聞いたことあるでしょう。こういう人です。

 それから金子武蔵は西田幾太郎の娘婿で、和辻哲朗の後釜を、つまり東大で倫理学の後継者となった人で、ヘーゲル研究が有名です。まあ色々西洋系の哲学を紹介した人です。牧野英一はそれよりも古い人で、刑法の大家でした。92歳まで生きた明治生まれの、世代的にはもっと前の人です。

 このように三人の名前、素性は私も知っていましたが、三人が焚書についてどういう役割を果したかは明確なことは分かっておりません。ただ、明らかなことは、金子武蔵と尾高邦雄が関与したという事実を自ら文章に残していることと、牧野英一が首相官邸でそうした書類、取り締まった焚書の実態を全部総まとめで決定していたということです。

 この人は中央公職適否審査委員会の委員長です。ということは、公職追放の取締まりをやっていた人です。この公職追放というのもまた旧敵国側について、日本側を苦しめたのですが、闇に隠れていて、はっきりとしたことは分からない。まあ、つまり占領政策というものには必ず被占領国民の協力者があるということです。

 ユダヤ人の虐殺、迫害にもユダヤ人の協力者があったというのも有名な話です。いなきゃできないわけですから。同様に、日本の政治占領政策の遂行には被占領国民である日本国民の協力が必ずあったに違いないと私は踏んでいたら、これらの名前が出てきたのです。

 残念ながら現段階では、具体的にこの名が上がった三人の知識人がどのようなことをしたかは分かりません。分からないのですが、アメリカ側がどのようなことをしたかは分かっています。先ほど言ったように、この最後にある“RS”というリサーチセクションが、リストを作成し、そのリストに基づいて没収行為を行ったのは日本政府です。

 二つに分けて考えてください。アメリカがやったのは本のセレクトをし、これを焚書にしますという決定をするリストを作成することです。それに基づいて、命令を受けた日本政府が没収行動に入るわけです。

 リストを作成するには二年半かかっております。即ち、先ほど言ったように、最初の覚書、指令書が出てくるのが、昭和21年3月17日です。そして二年半たつ23年ごろに最終命令書が出ます。それで7700冊が確定するわけです。そのプロセスも、全部、今明らかになって分かっております。本の名前も、すべて今現在明らかになっています。

 そういうわけで、昭和23年に日本政府を通じて文部省に指示がきます。おそらくその段階で東京大学に依頼があって、文学部の仕事だということで先ほどの三人にお声がかかった。その時の東大総長は南原繁です。こいつが色んなことをやったわけですね。だいたいこいつが悪いわけですよ(苦笑)。

 ちなみに、昭和天皇の退位をめぐる運動が戦後たくさん、何度もあちこちで起こるわけですが、その退位をめぐる運動の中心人物はこの南原繁です。吉田茂に「曲学阿世」と罵倒された人物です。私は中学時代、この四文字が新聞の一面に踊っていたのを覚えています。

 さて、昭和23年に整理がついてリストが確定したところで、文部省が文部次官通達を出し、県知事に対して警察と協力して没収を行うことを指導します。知事は没収官を県ごとに任命すること。教育に関係のある有識者を選んでやれという指示です。それが面白いわけですが(笑)。

 但し、現場の教師は任命から外すように、と。ここが微妙ですね。先ほど説明しました、図書館に手を付けるなという命令と、現場の教師を命令から外す。その代わり、出版社や書店にある関連本は徹底的に隠滅するように、流通ルートや輸送中のものも一冊残らず見逃すな。これは文部省の指令書ですよ。没収ですからもちろん金は払いません。そのためにそっと隠しちゃう古本屋などもあったそうです。それが今に残るわけですよ。それが戦後流布するわけです。

 だから数は少なくなっているわけですよね。だけど金を取られるのは嫌だからということで隠しちゃったという例はいくらでもあります。古本屋にも愛国の意地があったのかもしれない。没収されるのは嫌だから、もしその没収に抵抗するものは、あるいはそれに暴行して危害を加えるようなおそれがあるものが出たら、警察の協力を求めるように、というのも文部次官通達に書かれています。

 そのなかで、没収官の身分証明書まで出てきています。かくかくの本を没収する資格を与えるという、そういう雛形までここに印刷されているのです。それから没収したときに、何冊、お前のところを没収したという必ず証拠を置いてくるようにと、その証拠の書類の没収書という書式まで教えている。そのときの紙の大きさなどは自由だとまで書いてある(笑)。

 それで、どちらにも大変興味深いことは、どちらにもこれは秘密だから、第三者には知らせないようにと、没収官もそのことをよく心得ておくように、とある。それから没収された本屋もこういうことは一切、表にしないようにという命令がなされている。

 ただ、それには罰則はありません。だとすると不思議なのは、個人や家庭、図書館のものには手を触れるなとか、現場の教師はやらせるなとか、関係者には口封じだとか、色々と秘密厳守と言ってもその程度のことで罰則はないわけですから、人の口には戸は立てられないはずであります。もっと知れ渡っていてもおかしくはない。にもかかわらず、この日本社会はそのあと麻酔薬でしびれてしまったように焚書の事実を知らん顔してすごしてきたのです。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(十一)

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◆焚書の実践

 では具体的にどういうことが始まったかというと、昭和21年1月17日に、アメリカが日本政府にこういうことをするから、よく心得よ、ということで、命令書を提起します。

 非常におかしなことが行われている。日本政府に対し次のリストにある宣伝用の刊行物を多量に保有している倉庫、書店、書籍取り扱い業者、これは古本屋のことですね、出版社、問屋、広告宣伝会社、政府諸官庁など、一切の公共のルートからこれら刊行物を一箇所に収集することを指示する。そして例として最初に10冊だけ挙げてあるわけです。最初は10冊です。

 10点といっても、一冊につき1万部とか5千部という数ですから、大変な数ですよね。それを全部集めて、保管するように。そして、パルプに再生するための処理については追って指示を出す、ということが書いてある。

 ここで大変面白いことは、バラバラに個別に存在している書物、つまり民間人の家庭にあるものですね、それと、図書館にある書物は右の指令の実行措置から除外する、とされていたことです。つまり、個人の持っている本と、図書館の本は手を付けるな、と。あとで段々分かってきますが、これが極めて巧妙な手口だったのです。

 つまり、アメリカ政府が日本政府に言論の自由と出版活動、あるいはそういったものの自由を憲法にうたうように言っていた時期です。その時期に、当の自分たちがこういうことをやるということは、自らの手を縛る変な話ですから、後ろめたさがあるということです。

 そしてこれは一応、実利的でもあります。つまり先ほどちょっと言ったように、流布、流通していなければ、民間人の誰かが持っているものをこっそり他の人が読もうとか、それから図書館に行ってわざわざ見ようとか、その程度はいい。そんなことはたいした影響がない。

 そうではなくて、自由に流通している本屋、またそれが再販されたり、どんどんどんどん出版物が色んなところへ流れたりする、これを押さえてしまう。それから議論させない。それについて論じさせないということ。それが大事だというのです。つまり心理を知っている。隅々まで集めて燃やし、なくしてしまう必要は無い。一定のブラフをかけておいて、流通から外してしまえば読まなくなります。第一、当時の状況を思い出せばそうです。政府がもう読んじゃいけないと指示している本、しかも何かこれはやばいぞといわれた本を人は読まなくなる。

 しかもあのころはどんどん新しいものにみんな国民の目が向かっていた。たとえば映画『青い山脈』では「古い上着よさようなら」と謡っていたわけですから。古い時代、昔のものはもういい、これから日本人は未来を考えるのだということです。甘いですからね、この国は。

 さっき言ったように『リンゴの唄』と『青い山脈』で騙された口です。つまり「希望のある未来へ」ということを言って、ワーッとなっていた時代です。厭戦気分がありますから、そして軍国主義はけしからんということになって、軍人が肩身が狭い思いをし始める時代でしょう。そんな時代ですから、結局よっぽどの人でなければ今までの本を見たりはしない。

 けれども、それがどんどん流布され、また、出版されたり再販されたりして、自由に横行していれば、その活字が目に触れるわけです。それで議論も起るわけです。そうなれば様子は変わったはずです。それを起さないようにしてしまっておけば、その本が個人の家庭にあっても、また図書館でこっそり読んでノートに書き写そうと、たいしたことじゃない。それが議論になって口論になっていくことを抑えるということで、さっきも岩田さんがひとつの具体例を出しておりましたけど(坂口安吾「特攻隊に捧ぐ」の例。『澪標』7月号、「義憤なき哀しみ」参照)、ああいうことですね。ああいうものが議論になるという事を避けさせるという効果があるのです。

 不思議なことは、まだ実態がよく分からないうちから焚書のやり方についてだけは確固たる方針と強い信念をもう決めてあったということです。つまりスタートの時点、昭和21年の3月の段階では、占領軍はまだどんな本があるか知らないわけですよ。知らないけれども、超国家主義と軍国主義に関する本は、例えば10冊ここに例を出して、こういったものをこれから取り締まるからということで、パッと出して、どんな本かはこれからやりますよと言っている。その前に、もうすでに図書館と個人の下にある本には手をつけないと方針を示しています。その代わり、ありとあらゆるルートからはこれを全部排除して、官公庁にある本さえも排除する。ですから私が時々古い本を見ていると、外務省なんてスタンプ押した本が出てくる。要するにその時、外務省から流出していった、廃棄された本ですね。

 帝国図書館がその舞台でした。今の国会図書館は帝国図書館の本をそのまま引き継いでおります。そしてどうやら帝国図書館の本を利用して、それをもとにしてそのリストか実物を見ながら焚書の本選びをやったようです。これは明確にまだはっきりしていません。色んなことが分かっていないので。

 とにかく、さっき言ったように本のリストを作るわけです。内容説明をつけていくから時間が掛かる。帝国図書館長、岡田温という人が、回想記を出していて、その中で、次のようなことを言っています。

 「専門委員として、東京大学の尾高邦雄、金子武蔵の二人を専門委員として任命する。それから本委員会は牧野英一がやると。これは首相官邸で事を行う。」こういうことをちらっと書いていますがこれは全部秘密会議です。これらのことをすべて秘密でやるということもまたGHQの命令です。さて、尾高邦雄、金子武蔵、牧野英一、皆さん分かりますか?私はピンと来ますけどね。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(十)

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◆焚書の実態と準備

 これはチャンネル桜で実際の放送に使ったときのパネルです。また持ってきてみました。ここに書いてある“General Headquarters Supreme Commander for the Allied Powers”の”General Headquaters”とはGHQのことですね。それから“SCAP ”。これも当時よく使われていた言葉で、頭文字をとっています。“Allied Powers”というのは連合軍ですから、「連合軍の総司令部」ということですね。この二つの英単語を覚えていてください。GHQとSCAPとね。

 そして、焚書という言葉をアメリカ人が使うわけがないので、すべて「没収」“Confiscation”を使いました。“Confiscation of the propaganda publications”「宣伝用刊行物の没収」というのが正式に使われた単語ですね。

 「宣伝用刊行物」というのは、日本人が昨日まで語っていた歴史、昨日まで主張していた思想、昨日まで捧げていた道徳、そういうものを、プロパガンダだと敵国が言うのはしょうがない。敵国に対するプロパガンダというか、政府が、戦争指導者が国民に与えていたプロパガンダだと。「そう言え!」とGHQに命令されて、日本政府が直ちに「左様でございますと、あれは私たちの間違いでした、全部プロパガンダでした」と言った。これが話のスタートです。

 ただし、ここで一番初めに理解しておいて欲しいのは、「検閲」と「焚書」は別だということです。検閲は戦後のマスメディアのチェックです。新聞、雑誌、映画、放送、それからその他の出版物、ありとあらゆる戦後のマスメディアをチェックしたのが「検閲」ということです。ですから期間は、1945年から49年の四年間。それを実行した部隊が“Civil Censorship Detachment”通称“CCD”というアメリカ占領進駐軍の機関の“CCD”。江藤淳さんの著した『閉ざされた言語空間』はこの“CCD”の話です。

 その“CCD”の下に「プレス・映像・放送課」、“Press,Pictorial and Broadcast Division”という部局がございまして、それで通称“PRB”といいます。その部局の下に、さらに“RS”、「捜査課」という“Research Section ”というのがあって、その“RS”こそが焚書のリストを作成する作成班でした。これは人数的にいうとわずか六人です。

 したがって戦争前までの本をどう扱うかという問題は、他の部局に人手を割いてしまい人手不足だった。そこで、上級将校が二人、軍属全部合わせてアメリカ人は六人でした。そこに常時九人から二十五人の日本人が参加していた。この“RS”の調査した本の出版期間は1928年1月1日から1945年9月2日までということになるわけです。

 1928年というと、昭和3年ですね。昭和3年1月1日、これは東京裁判で訴状の指定された日にちです。向こうが考えた戦争のスタートということなのかもしれませんね。そして、1945年9月2日というのは正式のアメリカ側の戦争終結日です。したがってこの期間中に出されたすべての本の研究をしてリストを作成し、日本政府にその没収をさせることが焚書ということになるわけですね。

 この昭和3年から、昭和20年までという17年間の間に約22万点の単行本を含む刊行物が日本では出ていました。約22万点。その中から9288点をまず粗選びして、最終的に7769点、それをリストとして確定し、焚書図書として指定しました。つまり「没収図書」です。これがアメリカ側の行った大まかな行動です。今、私は先に荒っぽい全体の構図をお話しております。

 つまり、この“RS”という調査課が日本人を使いながらトータルで22万の本の中から7700の本を確定した。それが大変な作業だったわけですね。膨大な時間が掛かった所以です。確かに大変なことだと思います。特に一番大変だったのは、おそらく22万点の中から約9200、つまり約1万の本を粗選びすることが一番大変だっただろうと思います。事実、選ばれた本は非常に荒っぽい選ばれ方をしていて、本来選ぶべきものが抜けていたり、何でこんなものを選んだのだろうかというようなものも入っていたりするわけです。しかもそこから7700点に絞り込むわけですが、このために、各一冊に対してサマリーを作りました。一冊につき2ページくらいの内容説明です。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(九)

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◆『GHQ焚書図書開封』について

 私はこの本は、第一部の第一章が焚書とは何かということで、焚書のいきさつを語ったものです。第三章以下が発掘した焚書を何冊か使った歴史叙述になっております。その後半の歴史叙述を読んでいただくほうが主であって、焚書とは何かということを考えたくない人は考えなくてもいいです。このあと続く第二、第三章は焚書を用いた紹介。ほんの紹介ですね。焚書された本の実態の紹介。これが楽しく読めればもうそれでいいのです。

 では、どうして楽しく読めればいいかというと、さっき岩田さんが「怒りというものが昭和15、6年の日本人にはあったから戦争が始まったのだろう」(『澪標』7月号「義憤なき哀しみ」参照)とおっしゃっていました。しかし、怒りもあったけれど恐怖もあった。恐怖と怒りは一緒です。ただ、その当時の日本人の恐怖は今では形を変えてしまっている。

 それはどういうことかと言うと、この本ではかなり明確に、オーストラリアを取り上げておりますが、オーストラリアとそれから北米大陸で、恐るべきホロコーストが行われた。原住民虐殺です。これはちょうど時期的にいうと江戸時代です。18世紀が大体の舞台ですね。日本が近代史に登場したときにはほとんど終わっていた。ですから、終わってはいるけれども、その歴史の傷跡というものは、ひたひたと感じられていた情勢です。それを戦争前期の日本人は肌で感じることができた。そのことが私のこの本でよく分かります。何が日本をして恐怖させていたか、何が日本をして怒りを感じさせていたか。怒りと恐怖はひとつですから、戦争に人を駆り立てる動機となります。

 確か先ほど岩田さんが言っていましたが、「要するに物量の差が大きい国となんで戦争したのか、そんなことを言っても歴史は説明できない。」(『澪標』7月号、「義憤なき哀しみ」参照)そのとおりであって、なぜ人がそのような形で行動せざるをえなかったか。その中には、ある大きな心理的モチーフがあるはずです。日本が何ゆえに戦争をしなければならなかったのかということの心理的、ならびにその時に日本人への感情移入した説明は、この本を読めば次第に分かります。

 とくに、第二部以降を読んでいただければそれはわかる筈です。第二部の大きな表題だけ言いますと、第二部の最初の章は、「一兵士の体験した南京陥落」。次の章は、「太平洋大海戦は当時としては無謀ではなかった」。その次の章は、「正面の敵は実はイギリスだった」、続いて「アジアの南半球に見る人種戦争の原型」、「オーストラリアのホロコースト」、そして「南太平洋の陣取り合戦」となっています。この陣取り合戦でドイツが果たした役割をかなり詳しく書いています。ドイツが果たした役割と、日本海軍が第一次世界大戦のあと、ドイツと戦って、オーストラリアやイギリスを助けていくそのプロセスが書いてあって、しかも一生懸命助けたのにあっという間に裏切られるプロセルも語っています。

 つづけて、シンガポール陥落までの戦場風景。それから、「アメリカ人が語った真珠湾空襲の朝」・・・というような順序で太平洋に起こった出来事、日本人の生身の体験、当時の日本が幕末から受けていた説明のできない風圧がどんなものであったかということを、いくつかの焚書の中にある引用をしながら語っております。

 当時の文書の中で私は、真珠湾攻撃の後、日本はハワイを占領すべきだった、同時にパナマを爆破すべきだったということを書いています。それをやろうとする声は当時は非常にあったし、やるだろうとアメリカは見ていた。今の日本人では考えられないけれども、その当時は「ハワイを叩いて何で戻ってきちゃったのか」という見方があった。やるなら第二波、第三波攻撃で全部あそこを動かなくしてしまって、さっさと占領してしまったらおそらくアメリカは参戦しなかったかもしれませんよといったようにです。やるならば徹底してやればいいのに、という声もあった。いつも日本は不徹底なわけですね。不徹底なのがまずいけないけど、無駄なところへ出ていって、肝心な点をやらないとかね。そういう、よく分からない戦略をとっていますね。

 今の日本人だとパナマを攻略するなんて夢にも考えられない話でしょうけど、当時だったらこれは普通の話だった。今から約7、80年位前の周辺の国々の中で、日本の置かれた位置というものを考えたときに、ありうる普通の話だった。しかし今の人々にはそれが信じられない。何故か。そこには歴史の断絶があるからです。

 占領政策の極めて悪質なメカニズムをこれからお話しますけれども、実はそれが主題ではありません。この本の主題はあくまで歴史の物語です。それと同時にその焚書を使った歴史の展開なのです。だからこそ、むしろそれは楽しく読める。買って読んでくださった多くの方々はあっという間に読んでしまったと言ってくださっています。どうか、本の主旨というか意図というものは実はそっちにあるのだということをご理解いただきたく思います。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

『三島由紀夫の死と私』をめぐって(六)

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 『三島由紀夫の死と私』(PHP研究所)が刊行されますので、お知らせします。11月25日発売予定。この本の説明を自分でするのは難しいので、Amazonの広告文をそのまゝ掲示し、そのあと目次をお示しします。

内容紹介
1970年11月25日――日本人が忘れてはならない事件があった。
生前の三島由紀夫から「新しい日本人の代表」と評された著者が三島事件に関する当時の貴重な論考・記録・証言をもとに綴る渾身の力作。

日本が経済の高度成長を謳歌していたかにみえる1970年代前後に、文壇で確固たる地位を得ていた三島の内部に起こった文学と政治、芸術と実行の相剋のドラマを当時いわば内側から見ていた批評家こそが著者であった。

その著者が、戦後の文芸批評の世界で、小林秀雄が戦前に暗示し戦後に中村光夫、福田恆存ほかが展開し、三島由紀夫も自らにもちいた「芸術と実行」という概念のゆくえについて、40年近くもの時を経て、著者としての答を出すことを本書で試みた。

また、著者は「三島の言う『文化防衛』は西洋に対する日本の防衛である。
その中心にあるのは天皇の問題である」として、三島の自決についても当時の論考や証言を引用しつつその問題の核心に迫る。

アマゾンより

はじめに――これまで三島論をなぜまとめなかったか

第一章 三島事件の時代背景

日本を一変させた経済の高度成長
日本国内の見えざる「ベルリンの壁」
「日本文化会議」に集まった保守派知識人
スターリニズムかファシズムか
ベトナム戦争、人類の月面到着、ソルジェニーツィン
娘たちは母と同じ生き方をもうしたがらない
文壇とは何であったのか

第二章 1970年前後の証言から

日本という枠を超えるもう一つのもの
三島由紀夫の天皇(その一)
福田恆存との対談が浮かび上がらせるもの
私がお目にかかった「一度だけの思い出」
総選挙の直後から保守化する大学知識人たち
近代文学派と「政治と文学」
全共闘運動と楯の会の政治的無効性と文学表現
三島事件をめぐる江藤淳と小林秀雄の対立

第三章 芸術と実生活の問題

本書の目的を再説する
芸術と実行の二元論
私の評論「文学の宿命」に対する三島由紀夫の言及
三島の死に受けた私の恐怖
事件直後の「『死』からみた三島美学」(全文)
『豊穣の海』の破綻――国家の運命をわが身に引き寄せようとした帰結
三島の死は私自身の敗北の姿だった
文壇人と論壇人の当惑と逃げ
江藤淳の評論「『ごっこ』の世界が終ったとき」
三島由紀夫は本当に「ごっこ」だったのか
芸術(文学)と実行(政治)の激突だった
「興奮していた」のは私ではなく保守派知識人のほうだった

第四章 私小説的風土克服という流れの中で再考する

小林秀雄「文学者の思想と実生活」より
明治大正の文壇小説と戦後の近代批評
二葉亭四迷の“文学は男子一生の仕事になるのか”
私小説作家の「芸術」と「実行」の一元化
『ドン・キホーテ』や『白鯨』にある「笑い」
“西洋化の宿命”と闘う悲劇人の姿勢
三島由紀夫の天皇(その二)
割腹の現場

あとがき

〈付録〉不自由への情熱――三島文学の孤独(再録)

 尚、私はこの本と同じ題目の講演を第38回「憂国忌」で行います。

 11月25日(火)午後6時(5時半開場)九段会館3階真珠の間¥1000

『真贋の洞察』について(五)

『WiLL』12月号

編集部の今月のこの一冊より

真贋の洞察―保守・思想・情報・経済・政治 真贋の洞察―保守・思想・情報・経済・政治
(2008/10)
西尾 幹二

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『真贋の洞察』西尾幹二

 著者は常日頃「保守を標榜している勢力の思想が硬直している」と嘆く。本書では例えばこう述べる。

 「反米、反中の時代は終わりました。ということは、親米、親中の時代も終わったのです。

 どちらかに心が傾くというのは、イデオロギーにとらわれているということです。イデオロギーにとらわれるとは、自分の好みの小さな現実を尊重し、救われた気になってホッとし、不愉快な現実を含むすべての現実を見ようとしないことです。」

 これはすなわち真贋の「贋」を排そうとする著者の声だが、では「真」とは何か。言論界では「本当のことを言うこと」。それができないのは「大抵は書き手の心の問題」だと言う。そして「真」は自分に心地よいつくり話を書いてしまうきわどさと常に隣り合わせだと警鐘を鳴らす。

 真贋の判定を読者に委ねると言い切ってふるう筆の気概は凄まじい。

「WiLL」12月号より

『真贋の洞察』について(四)

 文芸評論家の富岡幸一郎さんからお葉書をいたゞき、間もなく次のような『真贋の洞察』への懇切なる書評をいたゞいた。『産経新聞』11月2日と『SANKEI EXPRESS』(11月10日)に載った。

【書評】『真贋(しんがん)の洞察』西尾幹二著
2008.11.2
 ■知識人の在り方を問う

 「真贋」とはもちろん本物と偽物の区別ということだが、現代ほどこの区別が見えにくい時代はない。価値の基準、尺度が多様化し、超越的な絶対者が見失われているからであるが、それはいきおい知識人の言論を場当たり的なものにする。これは保守とリベラルといった思想的立場にはかかわりなく、むしろ思想のレッテルをはれば済むという態度こそ、物事の本質を洞察する力を奪う。

 本書を貫くのは、今日の言論界において跳梁跋扈((ちょうりょうばっこ)する「贋」にたいする著書の憤りといってよい。「憤り」というと感情的な反応と受け取られかねないが、「冷静な知性」を装った言論がいかにひどいものであったかは、丸山真男や鶴見俊輔ら戦後の進歩的文化人の屍(しかばね)のごとき言説にふれた一文にあきらかである。これは保守派も同じであり、政局論に落ちた昨今の「保守」言論もバッサリと切られている。

 後半ではグローバル経済の「贋」の構造が、米中経済同盟などの具体的な現実から鋭く言及されているが、その根本に著者が見ているのは、物心ともにアメリカに依存してきた、戦後の日本の欺瞞(ぎまん)である。「日本は独自の文明をもつ孤立した国」と著者はいうが、「孤立」とはネガティブではなく、自国の歴史と伝統を信ずる力を生む。本書の福田恆存論には「『素心』の思想家」という表題が付されているが、「素心」とは時代の“様々なる意匠”のなかで、自らの精神と生き方を貫くことであろう。それは個人の姿勢にとどまらない。明治以降の、そして戦後日本の「近代」化とは、「孤立」をおそれるがゆえに、自分を見つめる「素心」を失い、価値の尺度を西洋(あるいはアメリカ)という他者に委ねてきたことではないか。本書は、政治・経済・社会の喫緊の危機的事実への著者の直言であるとともに、真の思想とは何かという知識人の在り方の本質を問うた批評集である。(文芸春秋・2000円)

 評・富岡幸一郎(文芸評論家・関東学院大学教授)

 いろいろな題材についていろいろな時期に書かれた文章なのに、統一テーマをさぐっていたゞけてまことにありがたい。富岡さんには篤く御礼申し上げる。

 先にいたゞいたお葉書には「福田恆存論をとくに感銘深く拝読いたしました。『素心』という言葉の力と美しさに打たれます。」と書かれてあった。

 『素心』は滅多に使われない言葉であり、福田先生も多用されていない。角川版文学全集の、福田恆存、亀井勝一郎、中村光夫の一巻の内扉の自筆書きのページに、筆で『素心』と記されていたのを採った。

 私は11月6日に『三島由紀夫の死と私』(PHP)が校了。目下『GHQ焚書図書開封』第二巻の校正ゲラ修正の大波に襲われている。

 田母神空自幕僚長の一件についてこれから『WiLL』新年号(11月26日発売)に20枚書く。『日本の論点』2009年版(文藝春秋)に、皇室問題について書いてあり、目下発売中である。

 尚『GHQ焚書図書開封』は3刷になったことをお伝えしたい。                

『真贋の洞察』について(三)

 新刊の『真贋の洞察』はよく売れているらしいが、まだ増刷の声はかからない。『GHQ焚書図書開封』と『皇太子さまへの御忠言』とはそれぞれ第二刷になった。前者に対しては書評がかなり寄せられているので、いつかご紹介しながら、考えを述べたい。今回は『皇太子さまへのご忠言』のその後(四)でご紹介した、つき指の読書日記から『真贋の洞察』についての反響をお知らせする。知らない方の読書日記から掲載させていただくのは面映いが、熱っぽい熟読の時間をもってくださる読者の存在はやはりありがたい。篤く御礼を申し上げる。

つき指の読書日記 より

2008/10/16
本の真贋 [ 読書 ]

真贋の洞察楽天ブックス

 またもや恐るべき本に出会ってしまった。
 家人は読書中のぼくの集中力の凄さに驚いている。近寄りがたいと怖れる。実はそんなことはない。本にその力が備わっていないと、そうはならない。
 オピニオン誌の類はまったく読まない。ただ、毎月、主要誌の目次だけは確かめている。ひとつだけ、のがしていた雑誌があった。「月刊WiLL」(編集長 花田紀凱)である。今月からはちがう。
 だからというのもおかしいが、頭の中に必読者リストがあり、再構成され論文集になると、買い求めるのを常としている。即日、注文するのは西尾幹二だけである。氏の本は初期の文芸評論、手に入れようがないので、それと翻訳本、それ以外は過去に遡って読んでいる。
 いやはやぼくの思考回路の薄っぺらさが、贋物ぶりが、いやというほど思い知らされた。対米関係の理解も、軽はずみであった。ここまで現下の経済を、国際政治、国家戦略まで俯瞰し、鋭すぎるほど論じていることを知らなかった。それがその雑誌に掲載されていた。
 内田樹は師を相手に関係なく決めている。青年期のように無謀さを恥じなければ、午前、犬の散歩の折にでも同伴を許してもらい、迷惑承知で、弟子入りを願いたいくらいである。東京にいるうちに。
 最新刊、『真贋の洞察 保守・思想・情報・経済・政治』(文藝春秋)である。近頃、保守の論調があまりにも類似して、読む前から結論がわかり、いささか食傷気味であった。はっとさせられるような真新しい切り口に、だんだん出会えなくなった。保守派の主張の場が増えたことも大きい。だから、だれかれ構わず読むということはしない。見分ける眼力を心がけてはいる。が、いうほど簡単ではない。それは自分をも評価することになる。
 昔を知る先輩からは、保守化に拍車がかかるぼくに距離をおく人も多い。批判はするが、朝日新聞や岩波の本にも目をとおす。若い頃に染みついたものを抜き取る作業にもなる。学生の頃は進歩的文化人の本ばかり読んでいたし、主体性や個性という言葉ほど好きなものはなかった。
 亡父と同年齢の福田恆存も数多く読んでいる。氏との指向性がちがうのも理解できる。
 ただ、軍事的な知識の重要性と大陸中国への認識部分が重なっていたことだけは安堵した。
 こういう凄さのある本はめったにない。是非、一読してもらいたい。

つき指の読書日記より