暑中お見舞い申し上げます(二)平成23年

『GHQ焚書図書開封 5』の「あとがき」

 本書は『GHQ焚書図書開封』シリーズの第五冊目に当たる。副題に「ハワイ、満州、支那の排日」という言葉が並んでいる。互いに関係のない文字のように思われるかもしれないが、第二次大戦に至る日本の歴史に関わりの深い重要な地名ないし概念であることは一目で分るであろう。

 三冊の非常に良い本に出会うことができた。吉森實行『ハワイを繞る日米関係史』、長與善郎『少年満州読本』、長野朗『日本と支那の諸問題』の三冊である。このほかに長野朗のきわめてユニークな短い満州論も視野に入れることができた。また蒋介石による黄河決壊の蛮行を告発した仲小路彰の格調の高い文章も紹介することができた。

 最初の三冊の本に出会えたのは偶然であった。けれども太平洋を西進するアメリカの覇権意志の起点はハワイ併合にあり、満州への関心は日米両国の不幸な一致点であり、支那の排日はよく知られたこれらの事実の背景をなす泥沼のような現実であった。そう考えれば日米戦争の前史にいずれも関係が深く、三冊の本を見つけたのは偶然でも、三冊を選んでこのようにここに並べたのは決して偶然ではない。戦争に至る歴史のほんとうの姿を知りたいと願ってきた本シリーズの動機に添う選択であって、いよいよ五冊目で戦争の真相探求に次第に迫ってきたともいえるであろう。

 ハワイも満州も戦争の歴史を解く鍵をなす地名である。けれどもハワイについて知る人は少ない。ましてアメリカのハワイ併合に激しく抗議した日本の歴史を知る人はさらに少ない。満州について、たくさんの研究があるが、戦前の日本人がどう感じ、どう考えていたかを具体的に分らせてくれる本は少ない。支那の排日についても、支那人のしぶとさやしたたかさを踏まえて、十重二十重に絡まる複雑な心理的、経済的、政治的原因を手に取るように分解し、説き明かしてくれる本は少ない。この三冊は以上の点で私を満足させてくれただけでなく、ここに大戦に至る前史のこのうえなくリアルで微妙な内容が展開されたと信じている。

 じつは『GHQ焚書図書開封』第六冊目がすでに準備されていて、二、三ヶ月の後には刊行される手筈である。こちらは「日米開戦前夜」と名づけられる予定である。「前史」ではなくいよいよ「前夜」である。私は第六冊目のほうを先に世に送ろうと最初考えていた。しばらく迷って計画変更し、第五冊目と第六冊目をほゞ同時出版することにした。この二冊をもって、昭和16年(1941年)12月8日の真珠湾(パールハーバー)攻撃の70周年記念に時を合わせるのがよいのではないかと考えるに至った。

 第五冊目のハワイをめぐる日米関係史はその意味でいよいよ今こそ知るに値する内容であるといえよう。加えて第六冊目の冒頭が満州をめぐる日米関係史から説き起こされることもお知らせし、ハワイ、満州、支那大陸が大東亜戦争のキーポイントであることをあらためて再認識しておいていただきたいと考える。

暑中お見舞い申し上げます(一)平成23年

 6月末から真夏が始まり、このまま9月末まで猛暑がつづくのかもしれません。私は夏男で、どんなに暑くてもこたえません。血圧の高めの人間はたいていそうで、冬の寒さの方が嫌いです。

 私の書斎は太陽の光の入る地下室で(妙だと思うでしょう)、室温自体は低く、クーラーも扇風機もあまり使いません。しかし冬は地下暖を入れて、それでも腰から下が冷えて困ります。最近は椅子に坐って腰から下を包む電気炬燵を用いています。

 『WiLL』に書いていた震災の感想(5月号)と脱原発論(7月号)が人の目に留まり、KKベストセラーズが数人の論者をあつめて出す単行本に収録することを申し出て来たので、合意しました。刊行は8月で、数人の論者とはだれか、近づいたら詳しい内容を公表します。

 別の出版社から「保守主義者のための脱原発論」を一冊にまとめて欲しいと頼まれ、半ばその気になりながら、決心がつきかねています。

 資料はどんどん貯っています。ジュンク堂に行って20冊くらい原発関連の本を買って来ました。雑誌や新聞やブログに書いたものはそのままでは一冊の本にはなりません。時代が動き、情報もどんどん変わるからです。もう一度一から考えを整理し情報を再構成してみなくては、一冊の本は書けません。私はいわゆる専門家ではないので、一文学者として、一思想家として、一人の人間として、思索の書を書くのでなくてはなりません。まとめるのには相当に時間がかゝりそうな気がしています。

 『WiLL』8月等にはなにも書かないことになります。『正論』の臨時増刊号に相次いで二論文を書いたのはご存知でしょうか。別冊正論15・「中国共産党」特集に「仲小路彰がみたスペイン内戦から支那事変への潮流」、正論8月号臨時増刊号「『脱原発』で大丈夫?」に「さらば原発――原子力の平和利用の誤り」を出しています。

 『GHQ焚書図書開封』5と6とが相次いで刊行されることになります。5の題は「ハワイ、満州、支那の排日」、6の題は「日米開戦前夜」です。5はこの7月中に店頭に出ます。6は12月8日のパールハーバー攻撃70周年記念日までには刊行します。

 このところあれやこれや多種の原稿の整理で追いまくられました。というのは、全集の第5巻の校了後、第1巻の再校ゲラ、第2巻の初校ゲラが相次いで出て、やいのやいのと言われているからです。第3巻の目次内容がまだきまらないのでそれも編集部から早くせよと要求されています。

 各巻に私以外に4人の校正者がいて、厳密な作業をしてもらっていますが、私が再校を読んで「後記」を書き、三校を私を含め4人が読み直してそれぞれの巻を終わらせます。各巻600ページですから容易ではありません。

 全集の内容見本は出来ましたが、各巻の収録文の内容はまだ厳密にはきまっていないのです。昔の本を読み直すすべての作業はこれからです。

 全集の内容見本(カタログ)は国書刊行会03-5970-7421に電話すれば送ってくれます。よろしくおねがいします。

 今日『GHQ焚書図書開封 5』の「あとがき」を書き上げましたので、どんな内容か次にお知らせします。

 尚、16日午後8時から一時間放映された水島総氏との討論がYouTubeにありました。

西尾幹二全集発刊にからむニュース(1)

 これからときどき全集発刊までに少しづつ完成していく全集関連の新しい具体的情報をお知らせするようにしたい。

 全集の制作はやはり容易でない。大きな山を登攀(とうはん)する苦しさにも似ている。毎日毎日心をゆるめずに作業しなくてはならない。細心の注意と大胆な判断を必要とする。時間がかゝり、まだるっこしく、いらいらするが、自分のことなので投げ出すわけには行かない。協力者から自分のことなのにちゃんとやらないと叱られたりもしている。

 やっと第5巻(第一回配本)『光と断崖――最晩年のニーチェ』が先週校了となった。内容見本の最終ページをごらん下さい。本はこんな形になる。ここには目次の大略も書いてある。

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 箱入りの古典的全集スタイルだが、箱には帯がつき、帯には宣伝文句が記されることになる。帯の表側と裏側の両方に言葉がある。やっと先週帯の二面に添える言葉がきまった。

すべてを凌駕する決定版 
西尾幹二のニ ー チエ!!!
発狂寸前のニーチェ像を立体化する
名著『ニーチェ』に続く未収録を集大成
『光と断崖―最晩年のニ ー チェ』
国書刊行会 定価:本体5,800円+税

『光と断崖』より
ニーチェの生の概念も、ゴッホの光の効果も、近代を支えていた明るい現世肯定の、影も憂いもない理性に導かれた楽天的な安定性を誇っていない。それらはぐらぐらと揺れている。背後の闇から突き上げて来るものを抱えている。しかも、二人はともに自己崩壊し、精神のこの闇に吸い込まれてしまう直前に、いずれも仏教あるいは浮世絵という思いがけぬものを手掛かりに、自分らの知らぬはるか遠い「異世界」に期待の目を向けたのだった。

次回配本 第1巻『ヨーロッパの個人主義』’12年1月刊。

                    

第5巻の読みどころはやはり「光と断崖」という『新潮』(1987年10月号)に掲載された160枚の論文であろう。もうひとつ逸せられないのは「ドイツにおける同時代人のニーチェ像」で、私が初めて打ち出した、資料に語らせる新しい形式のニーチェ像である。これはなかなか魅力のある読み物だときっと読者は言ってくれるだろう。本邦初公刊である。

西尾幹二全集の内容見本

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 西尾幹二全集(国書刊行会、全二十二巻)の内容見本全12ページが刷り上って、自由に配布されている。ご覧のように当ブログにも掲示するが、内容見本の実物を手に取って見ていたゞくのが一番よく、国書刊行会に電話かファクスかで申し出てもらうと送られてくる。

 全集そのものの注文も電話かファクスかがよい。電話は03-5970-7421、ファクスは03-5970-7427である。各小売書店でも予約は受つけられている。

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 表紙と裏表紙をここに掲示しますが、ここをクリックしていただくと、全部見ることができます。文字が小さい場合はプラスの表示を押し、拡大することができます。また、下にロールダウンするとページが動いていきます。

西尾幹二全集の刊行について(二)

 いま私は西尾幹二全集の編集に追われている。今どんな段階かを説明する前にもう一度全巻の表題を出しておきたい。

西尾幹二全集・二十二巻構成と表題・頁数概要

第一巻   ヨーロッパの個人主義 

第二巻   悲劇人の姿勢 

第三巻   懐疑の精神 

第四巻   ニーチェ 

第五巻   光と断崖――最晩年のニーチェ 

第六巻   ショーペンハウアーの思想と人間像 

第七巻   ソ連知識人との対話 

第八巻   日本の教育 ドイツの教育 

第九巻   文学評論 

第十巻   ヨーロッパとの対決 

第十一巻  自由の悲劇 

第十二巻  日本の孤独 

第十三巻  全体主義の呪い 

第十四巻  人生の価値について 

第十五巻  わたしの昭和史 少年篇 

第十六巻  歴史を裁く愚かさ 

第十七巻  沈黙する歴史 

第十八巻  決定版 国民の歴史 

第十九巻  日本の根本問題 

第二十巻  江戸のダイナミズム 

第二十一巻 危機に立つ保守 

第二十二巻 戦争史観の革新 

 ずいぶんたくさんあるように思われるかもしれないが、これでも自分の書いたすべての評論を入れることはできない。相当カットしなければならない。今そのむつかしい作業をしている。

 5月に出る第1回目は第五巻「光と断崖――最晩年のニーチェ」で、これはすでに校正がどんどん進んでいて、初校から再校の段階に入るところである。570ページ前後になる。

 8月に出る第2回目は第一巻「ヨーロッパの個人主義」で、収録作品は確定した。11月に出る第3回目第二巻「悲劇人の姿勢」で、これも内容はほゞ確定した。そこで上記の三巻の目次をここに掲げることにする。

西尾幹二全集 第五巻 光と断崖――最晩年のニーチェ

Ⅰ 最晩年のニーチェ  
    光と断崖
    幻としての『権力への意志』
    ニーチェ『この人を見よ』西尾幹二訳
    著作を「作る」ことを排した決定版ニーチェ全集の出現
         ――イタリア人学者の実証について
    Zweifel über die Authentizität des neu ersetzten Abschnittes im ‚Ecce homo‛
der kritischen Gesamtausgabe

Ⅱ ドイツにおける同時代人のニーチェ像  
  フランツ・オーヴァーベック/フランツ・リスト/フリードリヒ・リチュル/ウルリヒ・フォン・ヴィラモーヴィッツ=メレンドルフ/ハインリヒ・ハルト/フリードリヒ・マイネッケ/フーゴー・フォン・ホーフマンスタール/クリスティアン・モルゲンシュテルン/ハリー・ケッスラー伯/ゴットフリート・ケラー/フリードリヒ・パウルゼン/ヤーコプ・ブルクハルト/ハンス・フォン・ビューロー//エルヴィン・ローデ/カール・グスタフ・ユング/アルノルト・ツヴァイク/ジークムント・フロイト/ルー・アンドレーアス=サロメ/ヘルマン・ヘッセ/シュテファン・ゲオルゲ/デートレフ・フォン・リーリエンクローン/ヘルマン・バール/モーリス・バレス/アルトゥール・シュニッツラー/ローベルト・ムージル/カール・クラウス/テーオドール・フォンターネ/ブルーノ・バウアー/カール・オイゲン・デューリング/カール・ヒレブラント/ハインリヒ・フォン・シュタイン/ゲルハルト・ハウプトマン/レーヴェントロ伯爵夫人フランツィスカ/ヨハネス・ブラームス/アルフレート・デーブリン/ルードルフ・シュタイナー/リヒャルト・デーメル/マックス・ハルベ/ゲオルク・ブランデス/グスタフ・マーラー/リヒアルト・シュトラウス/マルティーン・ブーバー/アルベルト・シュヴァイツァー、ほか
 
Ⅲ 日本におけるこの九十年の研究の展開  

    一 わが国最初の論評と研究書はドイツとほぼ同時代だった
    二 姉崎嘲風のドイツ留学が果たした小さくない役割
    三 澤木梢のオスカー・エーヴァルト紹介――初の形而上学的主題の発見
    四 和辻哲郎の『ニイチェ研究』の着眼の先駆性と叙述方法の限界
    五 翻訳の展開――生田長江、金子馬治、登張竹風ほか
    六 ヒントに富む内村鑑三の片言と〝ニーチェ小説〟の流行
    七 「ニーチェと学問」が問題の核心だと初めて指摘した三木清
    八 西谷啓治の神秘主義的アプローチは戦前日本の理解の最高水準を示す 
   
Ⅳ 掌篇 
【研究余滴】
    人間ニーチェをつかまえる
    高校■ギムナジウム■教師としてのニーチェ
    手製の海賊版
    ニーチェ/ローデ往復書簡集
    「星の友情」の出典
    「バーゼル大学教会史講座をめぐる応答戯れ歌」由来
    裏面史の一こま――ボン大学紛争
【ニーチェと学問】
    私にとっての一冊の本――『悲劇の誕生』
    フロイトとニーチェの出発点
    アポロ像の謎
    「古典文献学■フィロロギー■」ということばの使われ方
    「教養」批判の背景
【方法的態度】
     ニーチェと現代
     実験と仮面――ゲーテとの相違
    批評の悲劇――ニーチェとワーグナーの一断面
    ニーチェのベートーヴェン像
    自己欺瞞としてのデカダンス
    言葉と存在との出会い
    和辻哲郎とニーチェ

後記

西尾幹二全集   第一巻 ヨーロッパの個人主義

Ⅰ ヨーロッパ像の転換  
  
   序 章   「西洋化」への疑問
   第一章  ドイツ風の秩序感覚
   第二章  西洋的自我のパラドックス
   第三章  廃墟の美
   第四章  都市とイタリア人
   第五章  庭園空間にみる文化の型
   第六章  ミュンヘンの舞台芸術
   第七章  ヨーロッパ不平等論
   第八章  内なる西洋 外なる西洋
   第九章  「留学生」の文明論的位置
   第十章  オリンポスの神々
   第十一章 ヨーロッパ背理の世界
   終章   「西洋化」の宿命
   あとがき
 
Ⅱ ヨーロッパの個人主義  
   まえがき
   第一部 進歩とニヒリズム
    < 1>封建道徳ははたして悪か
    < 2>平等思想ははたして善か
    < 3>日本人にとって「西洋の没落」とはなにか
  
   第二部 個人と社会 
    < 1>西洋への新しい姿勢
    < 2>日本人と西洋人の生き方の接点
    < 3>自分自身を見つめるための複眼
    < 4>西洋社会における「個人」の位置
    < 5>日本社会の慢性的混乱の真因
    < 6>西欧個人主義とキリスト教
  
   第三部 自由と秩序
    < 1>個人意識と近代国家の理念
    < 2>東アジア文明圏のなかの日本
    < 3>人は自由という思想に耐えられるか
    一九六八年版あとがき
  
   第四部 日本人と自我
    < 1>日本人特有の「個」とは
    < 2>現代の知性について――二〇〇〇年新版あとがきに代えて
 
Ⅲ 掌篇

【留学生活から】
    フーズムの宿
    クリスマスの孤独
    ファッシングの仮装舞踏会
    ヨーロッパの老人たち
    ヨーロッパの時間
    ヨーロッパの自然観
    教会税と信仰について
    ドイツで会ったアジア人
【ドイツの悲劇】
    確信をうしなった国
    東ドイツで会ったひとびと
【ヨーロッパ放浪】
    ヨーロッパを探す日本人
    シルス・マリーアを訪れて
    ミラノの墓地
    イベリア半島
    アムステルダムの様式美
    マダム・バタフライという象徴
【ドイツ体験回顧】
    ドイツ大使館公邸にて

後記

西尾幹二全集   第二巻 悲劇人の姿勢
Ⅰ 悲劇人の姿勢  
 アフォリズムの美学
   小林秀雄
   福田恆存
   ニーチェ
    ・ニーチェと学問
   ・ニーチェの言語観
   ・論争と言語
政治と文学の状況
文学の宿命――現代日本文学にみる終末意識
「死」から見た三島美学
不自由への情熱――三島文学の孤独

Ⅱ 続篇  
行為する思索――小林秀雄再論
福田恆存(文学全集解説)
福田恆存小論
 ・その一 現実を動かした強靭な精神、福田恆存氏を悼む
 ・その二 時代を操れると思う愚かさ
 ・その三 三十年前の自由論
高井有一さんの福田恆存論
三島由紀夫『宴のあと』
三島由紀夫『裸体と衣裳』
竹山道雄『時流に反して』
むしろ現代日本への批評――竹山道雄『ビルマの竪琴』
竹山道雄氏を悼む
田中美知太郎先生の思い出
 
Ⅲ 「素心」の思想家・福田恆存の哲学 
一 知識人の政治的言動について
二 「和魂」と「洋魂」の戦い
三 ロレンスとキリスト教
四 「生ぬるい保守」の時代
五 エピゴーネンからの離反劇
六 「眞の自由」について

Ⅳ 『三島由紀夫の死と私』
はじめに
第一章 三島事件の時代背景
第二章 一九七〇年前後の証言から
第三章 芸術と実生活の問題
第四章 私小説的風土克服という流れの中で再考する
あとがき

Ⅴ 憂国忌 没後四十年

三島由紀夫の自決と日本の核武装
憂国忌没後三十八年記念講演より(抜粋)

後記

西尾幹二全集の刊行について(一)

 私の全集が出ることになりました。個人の著作全集のことです。すでに一部の人には知らせていますが、世の中に公表するのはこの文章が最初です。

 全22巻で、本年5月に第一回配本が始まります。3ヶ月に1巻づつ出る予定なので、完結には約5年かゝることになります。出版社は国書刊行会です。

 2段組みで、約500ページ前後、なかには600ページを越えざるを得ない巻もあります。でも活字は小さくなく、余裕のある版面です。箱入りで、がっしりした古典的な全集のイメージになると思います。発行部数や定価はまだきまっていません。

 各巻には標題を付けることにしました。標題の本を中心にそれに関連するいろいろな文章が集められます。次の通りに決まりました。

西尾幹二全集・二十二巻構成と表題・頁数概要 
 平成二十三年一月十一日現在

第一巻   ヨーロッパの個人主義 512ページ

第二巻   悲劇人の姿勢 480ページ

第三巻   懐疑の精神 512ページ

第四巻   ニーチェ 638ページ

第五巻   光と断崖――最晩年のニーチェ 576ページ

第六巻   ショーペンハウアーの思想と人間像  488ページ

第七巻   ソ連知識人との対話 480ページ 

第八巻  日本の教育 ドイツの教育 672ページ

第九巻   文学評論 480ページ

第十巻   ヨーロッパとの対決 488ページ

第十一巻  自由の悲劇 480ページ

第十二巻  日本の孤独 480ページ

第十三巻  全体主義の呪い 496ページ

第十四巻  人生の価値について 496ページ

第十五巻  わたしの昭和史 少年篇 480ページ

第十六巻  歴史を裁く愚かさ 480ページ

第十七巻  沈黙する歴史 480ページ

第十八巻  決定版 国民の歴史 696ページ

第十九巻  日本の根本問題 528ページ

第二十巻  江戸のダイナミズム 512ページ

第二十一巻 危機に立つ保守 488ページ

第二十二巻 戦争史観の革新 456ページ

 本年5月に出される最初の一冊は第5巻『光と断崖――最晩年のニーチェ』です。今まで私の単行本に集録されていない文章がほとんどです。一般の読者の方には未知の文章がとくに多い一冊です。あれ、西尾はこんな仕事をしていたのかと吃驚りなさる方が少くないでしょう。

 ひきつづく二冊目からは振り出しに戻って第1巻、第2巻……の順序どうりに出す予定です。若い時代のスタートラインで私には三つの動因(ライトモチーフ)がありました。

 第1はドイツ留学に由来するヨーロッパ体験です。第2は小林秀雄論、福田恆存論、ニーチェ論で、批評家としての私の起点ですが、そのとき三島由紀夫の死に出合いました。第3は戦後批判、時代批判、マルクス主義批判です。これが一番の基本だったかもしれません。最初に展開されたのは70年安保ともいうべき全共闘運動に対する行動を伴った批判でした。

 以上の三つのライトモチーフをそのまま反映させて、第1巻から第3巻が編集されています。私の習作時代の文章、学生時代や同人誌時代の文章の精選されたいくつかは第3巻に収録するつもりです。

 生前全集は人生の幕引きの儀式であるとともに自分の一生を見直すいい切っ掛け、自分をあらためて知る大変にありがたい機会ともなると思っています。

 私はミネルヴァ書房から学術者自叙伝という企画を頼まれている最中にこの全集の企画が持ち上がりました。これは幸いでした。

 全集の各巻に約20枚づつ付ける「後記」を書き進めるうちに、自叙伝のほうもどう書くかのヒントが得られるような予感がしています。「後記」に書くことのできない思想の展開史を「自叙伝」の方に記述することができる日が来るのではないかと秘かに期待してもいるのです。

 各巻の詳しい内容は追ってご報告します。

『西尾幹二のブログ論壇』(一)

『西尾幹二のブログ論壇』の表紙を紹介します。

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  目 次

はじめに 二十一世紀のコーヒーハウス(渡辺 望)

【第一章】 『皇太子さまへの御忠言』の反響
祈りについて
不合理ゆえに美しい歴史
「朝敵」と論難されて
「朝まで生テレビ」皇室問題に出演する
『保守の怒り』の求めるもの
「弱いアメリカ」と「皇室の危機」

【第二章】 歴史は変化し動く世界である
「米国覇権と『東京裁判史観』が崩れ去るとき」『諸君!』二〇〇九年三月号論文
「田母神俊雄=真贋論争」秦郁彦 VS西尾幹二『諸君!』二〇〇九年四月号論戦 
『諸君!』四月号論戦への反応
『諸君!』四月号論戦余波
『諸君!』四月号論戦余波(続)

【第三章】 『GHQ焚書図書開封』1・2・3・4…  暗い海への私の73歳の船出
『GHQ焚書図書開封』発刊と新事実発見(石川水穂、力石幸一、中静敬一郎)
『GHQ焚書図書開封2』をめぐって(宮崎正弘)
『GHQ焚書図書開封』3・4と私のライフワーク(新保祐司)

【第四章】 大江健三郎の欺瞞、私の29歳の評論「私の受けた戦後教育」と72歳のそのテレビ朗読
新制中学での私の体験
直輸入教育の犠牲者として
民主教育の矛盾と欠陥
続・民主教育の矛盾と欠陥
教育におけるペシミズム
観念教育のお化け 大江健三郎「戦後世代と憲法」
教師は生徒の模範たれ           

【第五章】 『三島由紀夫の死と私』をめぐって 私の35歳の体験と72歳のその総括
死を迎える前に私も全部を語っておく
二〇〇八年憂国忌記念講演「限界を超えた『芸術と実行』の分離の理念」
書評「三島由紀夫の死と私」(松本徹、坂本忠雄、細井秀雄)

【第六章】 ニーチェ・江戸・小林秀雄
『真贋の洞察』について(富岡幸一郎、竹内洋)
座右の銘に添えて  ニーチェ『ツァラトゥストラ』より
読書の有害について ニーチェ『この人を見よ』より 
『江戸のダイナミズム』感想 (武田修志) 
小林秀雄に腰掛けて物言う人々(伊藤悠可)
小林秀雄『本居宣長』のこと

【第七章】 大寒の日々に
佐藤優さんからのメッセージ
加地伸行氏の直言
大寒の日々に
黄文雄氏と東中野修道氏の人生に感動
渡部昇一さんとの対談そのほか

「西尾幹二のインターネット日録」の歴史(長谷川 真美)
インターネットの良いこといやなこと・・あえて八年前の文章を「あとがき」に代えて

執筆者プロフィール(編集者からのお知らせ)

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管理人長谷川より、補記
 この『西尾幹二のブログ論壇』に登場する大勢の執筆者の方々には、それぞれ連絡を取り、掲載の許可を得ています。ただし、日録に掲載時に許可を頂いたのですが、その後連絡が取れない人が二三人おられます。今後本が正式に出版された後、自分のところに連絡がないと気付かれた場合、至急ご連絡をお願いします。

 この本には当日録に過去において掲載された文章が多く転用されています。そして、日録に掲載されていないものも多く掲載されています。私は今回、この本の原稿に目を通してみて、本を作るということは、料理と同じようなもので、同じ材料を使っていても、その調理方法、味付け、盛り付けなどで、全く違った料理となるのだと感じました。日録愛読者の皆さまにも、このたび日録の文章が装い新たに一冊の本となって皆様の手に届いた時、きっとその料理の出来映えに驚かれ、満足されることと思います。是非、楽しみにお待ちください。

苹@泥酔さんによる 読書前読書感想予想文?

目次を見て、思い出そうとすると記憶の不正確さに気付くのはいつものこった。あれか、これかと思い出したのが実は別の稿だったりする事も少なくない。それでもタイトル=ヒントから記憶を辿ろうとするのは必ずしも退屈ではないし、今も不図そう思った直後、そう云えば何年か前に西尾先生が退屈について述べていたな、あれが私には最も刺激的だったな、と振り返っては肝腎の内容を忘れている事に気付く。
 
 最初の日録本は売れ行き不調だったそうな。何年も経ってから読み返すと、その時の「内容が」ではなく「時間の流れが」違和感の一因になっていたりする。そりゃそうだ。読み返しているのは今の私で、過去の私じゃないんだもんね。だからかナ、これを「時間の自動編集機構」と呼びたくなるのは(ここで松岡正剛の云う「編集工学」を想起)。それを制御するのは書かれた中身の方だ。そのためか西尾先生は後々、時間に囚われない内容重視型の日録本を出す様になった。『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』然り、『国家と謝罪』然り。…するってぇと、今度の日録本は差し詰め四冊目か五冊目あたりになるのかいな?
 
 どうやら既刊と大きく異なるのは、他の方々の文章の占める割合が激増している点にあるらしい。そこに「ブログ論壇」への視点が垣間見える。執筆者であると同時に編集者でもある形態が、更に本職の編集者の手を経て送り出される。恰も編集行為の重層性が、書物とブログの狭間で(=狭間にあるという手続き記憶が、書物という長期記憶に向かいつつ)他者を呑み込むかの様な。今や西尾先生は或る意味、編集者になろうとしているのではないか。それもただの編集者ではなく、コーディネーターと云うよりはエヴァンゲリスト。マタイとバッハを兼ねたかの様な編集的叙述者。焚書本を次々と世に送り出す西尾幹二のごとくありながらも、焚書本と違って「中の人」は存命中。
 
 だから本は、生きている。そして時間も生きている。もしかしたらこの一冊には、暗に「生きる事で時間を乗り超える」ための思想が提示されてあるのかも知れない。

緊急出版『尖閣戦争』(その四)

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発売日11月20日~12月20日 11月20日より、アマゾンでご購入いただいたお客様へは、西尾幹二、宮崎正弘、渡辺望の三氏による『西尾幹二のブログ論壇』出版記念特別放談の限定映像を、もれなくプレゼントいたします!
 11月20日~12月20日のキャンペーン期間中にご購入いただいたお客様は、限定プレゼント『西尾幹二のブログ論壇』スペシャル放談映像(約90分)」がございます。

【プレゼント応募方法】
応募期間:11月21日(水)~12月20日(日)
1. Amazon.co.jpで『西尾幹二のブログ論壇』を予約/ 購入します。
2. 購入後、Amazon.co.jpから注文確認メールが届きます。17桁の「注文番号」をご確認ください(例 000-0000000-0000000)。
3. 下記の応募フォームに必要事項(お名前/ メールアドレス/アマゾン注文番号)を記入して送信します。
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尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223) 尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223)
(2010/10/30)
西尾幹二青木直人

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ゲストエッセイ 
坦々塾事務局長 大石 朋子

<『尖閣戦争』を読んで思ったこと>

     
 先月、イリハムさんの事務所でベトナム人のユンさんに『今日のミスチーフ、明日の尖閣』と書かれたメモを見せていただきました。

 私は、尖閣の文字を見てミスチーフについては、単に中国の占領ということしか知らなかったので、慌てて調べました。

 アキノ大統領時代「ヤンキー・ゴー・ホーム」といって米軍を1992年に撤退完了させ、その後中国が「領土法」を制定し、1995年フィリピンのミスチーフを中国が占領したという事実を知りました。ここに中国は軍事施設を建設したようです。

 西尾先生と青木さんの『尖閣戦争』を読んで、私なりに尖閣問題について考えたことを書かせていただきます。本の内容とは違うこともありますが、お許し下さい。

【友愛の海の意味?】

 中国が列島線全てを占領した場合、辺境思想の中国がそれで満足するとは思えず、領土(領海)拡大は今現在勢いのある中国がその勢いを止めることはない、と思います。

 シーレーンを喪失するということは、海上封鎖されるということで、石油はもちろん海上輸送に弊害がおこり物資の値上がりにも繋がると思います。
これが友愛の海だとは思えません。

【最低でも県外の意味】

 海兵隊を県外に出し、本土と沖縄の分断を図り琉球として独立させ、その後中国に編入する。

 現に「琉球復国運動基本綱領」には、琉球は日本の植民地であると理解することが出来るような文章があります。そこには、琉球臨時憲法、もちろん現段階では「案」であろうと思われますが、確かに規定されています。
ああ、このやり方は、嘗てのメキシコにやったアメリカのやり方だな。と、ふと思いました。

 尖閣五島のうち、四島は日本人の所有地で、年間2,450万円で賃貸契約を結んでいるということで、殿岡昭郎氏はK氏(日本人埼玉県在住)は国を売るような事をする人ではないと仰いますが、万が一ということを考えると、不安になります。
何故なら、今まで何人の日本人が中国の罠に掛かってきたことかと思うのです。

【下地島の事】

 下地島の空港は民間の離着陸の訓練場として使用されていて、2005年3月下地島伊良部町の町議会で「下地島空港への自衛隊誘致」の請願が賛成多数で可決されたが、一週間と少しで白紙撤回された。

 下地島に自衛隊を置けば、那覇、尖閣、与那国がカバー出来るだけでなく、インフラを新たに設けることも無いという好条件なのに、何故と思います。

 この問題は、民主党だけでなく、自民党政権からのことであるので、政権を交代する場合、何処に一票を入れれば良いのか迷います。

【中国がミスチーフを占拠したときのやり方】

 「海上避難施設が必要」と主張して上陸して実効支配に持っていく。
これが、尖閣にも行われないと、誰が言えるだろうかと思います。

 嘗て「流木にしがみついて流民として中国人が上陸してくる」という話を聞いたことがあるが、こうなると可能性はかなり高いと思います。

【国防動員法】

 これには習近平が大きな役割を果たしていると聞いています。
18歳から60歳までの中国国民は、国防のため総動員を発令できるというものだが、先の聖火リレーの時は未だ制定されていなかったのに、あれだけの数の中国人が集まったのです。
しかも、日本の警察は日本人を守ってくれませんでした。

 国防動員法が制定されたということは、私たちは便衣兵に常に囲まれて生活しているということです。何と恐ろしいことか。
その人たちに生活保護費を与え、さらに選挙権を与えるなど、とんでもないことだと思います。

 在日中国人の増加は、便衣兵の増加とイコールであると心するべきであると思います。

【ODAの迂回】

 アジア開発銀行のことですが、私たちの多額の税金がこのように使われていたことを国民は知りません。
こうして、日本のお金で中国は力をつけて日本に襲い掛かってくることに対し、私たちは指をくわえて見ているだけしか出来ないのでしょうか?

 テレビでも新聞でもスポンサーが強い力を持っているのですね。
日本のマスコミが日本の為の報道をしないことは悲しいことです。

 今回、尖閣問題が表に出て国民の意識が変わってきたことは良いことだと思います。

 国境防衛の領域警備法についてですが、海上保安庁の仕事ではなく、海上自衛隊にシフトするべきだと思います。
国を守る自衛なのですから、自衛隊の本来の仕事だと思います。

 これで、自衛隊は軍隊だからと反対する人は「奴隷の平和」に甘んずることを良しとする人でしょうが、私は戦うことを望みます。

『西尾幹二のブログ論壇』予約

12月18日発売予定の次の本をご紹介します。総和社という出版社からで、編集担当の佐藤春生さんが書いてくださった内容案内は次のとうりです。
 
 予約すると「おまけ」がつくことになっているそうですので、注意して読んでください。今の時代にふさわしい新しい出版の形式です。その形式に適った革新的で、チャレンジングな内容の本のつもりです。

 一口でいえば、今お読みくださっている「西尾幹二のインターネット日録」が本になったのです。当ブログの管理人長谷川真美さんの永年のご努力に感謝し、彼女とともに喜びたいと思います。

 テーマに応じて再構成し、新しい表現や未発表の論文を多数入れていますので、必ずしもブログと同じ内容ではありません。2008年の憂国忌における私の二時間半に及んだ講演の全部が収録されていますし、出版記念会パンフにおける小林秀雄をめぐる小さな論争もブログにのっていないものです。

 2009年『諸君!』4月号の、話題になった私と秦郁彦氏との論戦を、秦氏のお許しを得て全文掲載できましたことは幸運でもあり、またこの本の記録性に厚みをもたらしました。

 とまれ編集者の紹介文をおよみたまわりたく存じます。

 

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12月18日『西尾幹二のブログ論壇』発売!

11月20日より予約受付開始!!
著●西尾幹二
版型●四六判・並製
定価●1600円(税込)
頁数●400頁予定
発売日●12月18日

『西尾幹二のブログ論壇』内容紹介

■西尾幹二の本を初めて読む方へ

『西尾幹二のブログ論壇』を読むと・「ブログ論壇」の可能性が分かります
・「雑誌ジャーナリズム」の衰退の理由が分かります。
・「皇室」のことがよく分かります
・「昭和史」の偏向ぶりが解ります
・「三島由紀夫」と「江藤淳」の対立軸が理解できます
・「小林秀雄」と「西尾幹二」の違いが分かります
・「GHQ焚書」の実態が分かります
・「保守」の弱点が判ります
・「ニーチェ」の魅力が分かります
・そして「西尾幹二」の魅力が分かります!

 最新の“論争”をすべて収録!

「学界」「論壇」にとらわれず、「右」「左」というイデオロギーに左右されない、“素心の人”西尾幹二はこれまで幾度となく論争となる問題を抽出してきた。西尾幹二の問題提起に対し、『文藝春秋』や『正論』でさえ真っ向から取り組めなかった議題も、一方ネットでは賛否両論盛んに議論され、あたかも「ブログ論壇」の様相を呈している。

 単行本未収録の論文「読書の有害について ニーチェ『この人を見よ』の言葉より」「私の受けた戦後教育」「限界を超えた『芸術と実行』の分離の理念(2008年度三島由紀夫憂国忌記念講演)」を加え「皇室」「昭和史」「GHQ焚書」「保守」についてなど、最新の論争の記録をすべて収録!

 ■目次より

「朝まで生テレビ」皇室問題に出演する/「朝敵」と論難されて/『保守の怒り』の求めるもの
「弱いアメリカ」と「皇室の危機」/観念教育のお化け 大江健三郎「戦後世代と憲法」
「田母神俊雄=真贋論争」秦郁彦VS『諸君!』二〇〇九年四月号論戦/『諸君!』四月号論戦余波
死を迎える前に私も全部を語っておく/小林秀雄に腰掛けて物言う人々
佐藤優さんからのメッセージ/加地伸行氏の直言/渡部昇一さんとの対談そのほか

  編集者から一言

 秦郁彦、保坂正康、半藤一利などいわゆる「昭和史家」への批判論文から始まった第二章「歴史は変化し動く世界である」の大論争が『ブログ論壇』のメインとなります。本書は有名無名を問わず、西尾先生以外の方の文章も収録しておりますが、すべて先生が選ばれた文章で、名文も多いです。渡辺望さんが書いてくれた序文は本書の解説にあたる文章ですが、それに留まらず、西部邁氏へ根本的な批判などもあって、独立した論文として読み応えがあります。
これまでの西尾先生の作品とはちょっと違うものが出来上がりましたので、ご期待下さい。

『西尾幹二のブログ論壇』アマゾン先行予約キャンペーン開催!

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 発売日11月20日~12月20日 11月20日より、アマゾンでご購入いただいたお客様へは、西尾幹二、宮崎正弘、渡辺望の三氏による『西尾幹二のブログ論壇』出版記念特別放談の限定映像を、もれなくプレゼントいたします!
 11月20日~12月20日のキャンペーン期間中にご購入いただいたお客様は、限定プレゼント『西尾幹二のブログ論壇』スペシャル放談映像(約90分)」がございます。

【プレゼント応募方法】
応募期間:11月21日(水)~12月20日(日)
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< 著者について
西尾幹二(にしお・かんじ)
評論家
昭和10年東京生まれ。東京大学文学部独文科卒業、同大学大学院文学修士、文学博士。電気通信大学名誉教授。著書に『ヨーロッパの個人主義』『ニーチェ』『ニーチェとの対話』『江戸のダイナミズム』『決定版 国民の歴史』『GHQ焚書図書開封』1~4、他多数。訳書にニーチェ『悲劇の誕生』『この人を見よ』、ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』など。
【西尾幹二のインターネット日録】

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『GHQ焚書図書開封 4』の刊行(七)

 新保祐司氏は拙著について二つの論評を書いて下さった。ひとつは保田與重郎を論じるのが主であった、産経新聞コラム「正論」(2010・10・25)の記事で、前回すでに紹介した。

 次は月刊誌『正論』(12月号)の書評欄の書評対象としてである。以下に掲示させていたゞく。恐らくこちらを先にお書きになったのではないかと思う。

GHQ焚書図書開封4 「国体」論と現代 GHQ焚書図書開封4 「国体」論と現代
(2010/07/27)
西尾 幹二

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戦前を「上手に思い出す」ことの実践

 二年前の6月に刊行が始まったシリーズの四巻目である。今回は、「国体」論関係の著作がとりあげられている。『皇室と日本精神』(辻善之助)、『國體の本義』(山田孝雄)、『國體の本義』(文部省編)、国家主義者・田中智学の著作、『国體眞義』(白鳥庫吉)、『大義』(杉本五郎中佐)といった「焚書図書」が、「開封」されている。

 シリーズの第一作で、著者は「自分を取り戻すために、目の前から消されてしまった本を取り戻すことから始めなければならないのだと私は考えて、この仕事に起ち上がりました」とその決意を語っているが、このシリーズ四巻目の「国体」論の「開封」は、日本人が「自分を取り戻すために」最も必要なものであろう。

 というのは、この戦前の「国体」論は、戦後の、そして今日の「保守思想」の盲点となっているからである。

 著者は、「戦前に生まれ、戦後に通用してきた保守思想家の多く」の弱点を鋭く指摘している。彼らは、「とかくに戦後的生き方を批判し、否定してきた。しかし案外、戦後的価値観で戦後を批評する域を出ていない例が多い。戦前の日本に立ち還っていない」からである。

 ヨーロッパの保守思想を使っての「戦後民主主義」批判は、よく見られるものであるし、また、日本の思想家でも、福田恆存は援用されることが多いが、保田與重郎はあまり理解されていないといった現状にもそれはうかがわれるであろう。今年、生誕百年の保田のとりあげられ方の淋しさは、「戦前の日本」にしっかりと「立ち還」ろうとする日本人がいかに少ないかを象徴している。「戦後的価値観で戦後を批評する域を出ていない」保守の言論は、精神の垂直性を持っておらず、結局空虚なのである。

 しかし、本書の最もクリティカルな点は、とりあげた「国体」論のある種のものに、著者が実に手厳しい批判を浴びせているところである。例えば、田中智学の著作や文部省の方の『國體の本義』などに対してである。

 「戦前が正しくて戦後が間違っているというようなことでは決してない。その逆も同様である」といい、「戦前のものでも間違っているものは間違っている。戦後的なものでも良いものは良い。当然である」と力強く断言している。

 「戦前」にしろ、「戦後」にしろ、それらを原理主義者のようにとりあげる偏狭さから、著者はその鋭い「批評精神」によって、きわめて自由である。その自由な思考が、戦前の「国体」論の著作を読むにあたり、生き生きと発揮されていて、「戦前」のものを扱う人間の多くが陥りがちな硬直性が感じられないところに、著者の精神の高級さが自ずと発露している。

 戦前の思想のうち、「良い」ものを見抜くこと、これは著者もいう如く「そこが難しい」。しかし、この「難し」さを自覚しながら「国体」を探求するときにのみ、真の「国体」は顕現するであろう。

 

文芸批評家 新保祐司