緊急出版『尖閣戦争』(その三)

尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223) 尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223)
(2010/10/30)
西尾幹二青木直人

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 編集者が自ら作成した本を自らのことばで紹介する産経新聞の読書欄(産経書房11月13日)に、祥伝社の角田勉氏が次のように書いて下さった。氏から発売後10日で3刷3万部になったとのしらせを受けた。

【書評】『尖閣戦争 米中はさみ撃ちにあった日本』西尾幹二、青木直人著
2010.11.13 07:45

「尖閣戦争」 

「必ずやってくる」中国に備え

 実を言うと、この対談は、別のテーマで取材日が9月25日と設定されていた。ところがその前日の24日に、中国漁船の船長釈放というニュースが飛び込んできたため、急遽(きゅうきょ)テーマを変更し、対談から発売まで1カ月という異例のスピード進行で出来上がったのが本書である。

 それが可能だったのは、この両者の日頃(ひごろ)の言説に触れている人にはおわかりの通り、今回の事態は想定内のことであり、これまで散々に警告を発してきたことであるからである。

 西尾氏はかねてより、米中が経済面においては事実上の同盟関係にあり、利害を一にしている以上、いざというときには日米安保は全く当てにならないこと、そして、アメリカが日米の同盟関係を強調するときは、その裏に、日本の再軍備や核武装論を抑え、米軍の駐留費を引き上げる目的が秘められていることを指摘してきた。

 青木氏は、その精細な中国分析から、中国の海外進出が、歴史的にも国内事情からも周到に準備されてきていることを述べてきた。

 そしてこの両者の一致する見解は、今回の事件が日米中三国関係の構造の変化に伴う必然であり、一過性のものではないこと、中国は次も必ずやってくるということだ。そのために日本はいま何をしておくべきなのか。それは間に合うのか。日本に切れる外交カードはないのか。議論は尽きることなく続いた。

 騒ぎがいったん収まったと言って、安心している場合ではない。ともかく、ここは日本の正念場である。(祥伝社・798円)

 祥伝社新書編集部 角田勉

 さて、最近知ったが、沖縄をめぐる中国の言い分には相当にすさまじいものがある。アメリカが沖縄を日本に返還した1972年に、蒋介石はアメリカに対して激怒したそうだ。沖縄(琉球王国)はかつて中国の朝貢国だったから、アメリカは沖縄を中華民国に返還すべきだったという考えからである。そして、ときの北京政府も同じ立場で、キッシンジャー周恩来会談で、このことが取り上げられたという話である(毎日新聞 2010.10.21)。

 しかし琉球王朝はわが国の薩摩藩にも朝貢していて、いわば両属だった。1871年に日清修好条規が結ばれた。同年琉球の島民66人が漂流中に台湾に流れついて、54人が台湾人に殺害されるという怪異な事件が起こった。

 日本政府は琉球島民の権利を守るために台湾を管理する清国に責任を問うたが、清国政府は台湾人は「化外の民」(自分たちの領土の外に住む人)だからといって責任を回避したので、日本はただちに台湾に出兵し、台湾住人を処罰し、責任を明らかにした。

 この問題の解決に当り、清は琉球島民を日本国民と認めたので、日本は1879年に琉球を日本領として、沖縄県を設置した。これを「琉球処分」という。以上がわれわれの理解する略史である。

 今の中国がもしこれに反対して現状変更を求めようとするのなら、130年前の近代史上の国境確定をくつがえそうというとんでもない企てである。暴力(戦争)以外に方法はない、というのが中国サイドの究極の考え方だろう。

 もう少し歴史を振り返ってみたい。永い間中国はまともな主権国家ではなかった。第一次大戦中の「21か条要求」にしても、よく調べてみると日本はそんな無茶な要求はしていない。袁世凱政権が日本からこんなひどい要求を突きつけられたとウソの内容をでっち上げて内外に喧伝したので、それを聞いて怒った中国国民が反日運動に走ったというのが実情である。いまは詳説しないが、中国人特有の謀略にはめられた日本政府の甘さは、今も昔も変わらない。

 あのころの中国はイギリス、フランス、ドイツそしてアメリカなどに歯向かうことをむしろ避け、弱いものを標的にする排外運動、すなわち排日に走った。一方日本の中国に対する基本姿勢は中国を救済し、西欧列強から防衛するという一方的な善意の押しつけの面があった。優越した立場から「面倒を見る」というのが対中対応であった。巨額の援助金で支援した孫文に裏切られたのがいい例であるが、日本人の善意は大抵逆手にとられ、すべて悪意に仕立てられていった。そして、西欧列強はそういう日本に冷淡で、中国に利のあるときは群がり、危うくなればさっさと逃げ出したのである。

 最近の日本の置かれている立場は当時とまったく同じに見える。尖閣問題は世界のどの国からも同情されていない。関心もほとんど寄せられていない。ドイツの友人から知らされたが、ドイツのテレビには報道もされていないらしい。尖閣が中国に占領されても、たいした話題にもならないだろう。一昨日のG20の経済会議に際し、フランス大統領は目の色を変えて中国との巨額商談をまとめた。少し前にイギリスもドイツも中国詣でに夢中だった。

 たゞアメリカは人民元の安さに苦しめられている。9月末に人民元切り上げを迫る制裁法案が下院で可決された。20%-40%くらい人民元は安いと見て、アメリカをはじめ世界の雇用をおびやかしていると批判した。

 アメリカは制裁法案を実行して本格的に経済戦争をはじめるつもりだろうか、それとも中国の言い分を認め、異常な前近代のままの中国中心の世界経済秩序を認めるつもりだろうか、今、二つに一つの岐路にあるといえる。もし後者の道をアメリカが選べば、日本は完全に見捨てられることになる。

 130年前の「琉球処分」を白紙に戻そうという中国の野望は「近代」を知らない非文明の大国のエゴイズムに文明の側が屈服することにほかならない。しかしこれをはね返すには、なまなかな覚悟ではとうてい及ぶまい。

 例えば あるブログに次のような言葉があった。

フジタの社員が4人スパイ罪で捕まりましたが、スパイだから銃殺される可能性もあった。中国という国はそういう国家であり、フジタもそれを覚悟で中国に進出しているはずだ。だから社員が4人捕まっても自己責任で解決すべきだろう。日本企業は安易に中国に進出することは国益を害するのであり、進出した日本企業は中国の人質なのだ。

「株式日記と経済評論」より

 私はさきに「なまなかの覚悟ではとうてい及ぶまい」と書いたときの「覚悟」とはさしあたりこういうことである。しかも、これに類することが今後相次ぐだろう。例えば、進出企業が中国側に接収さsれるというようなことだって起こり得るかもしれない。

 変動相場は今の市場経済の前提なのに、人民元だけが固定相場である。世界がこれに悩まされながら許しているのが不思議である。非文明の大国のやりたい放題を我慢しているのが奇怪である。隣国の日本が災難を一手に引き受けざるを得ない不運な立場に世界の同情がないのも、大戦前と同じである。

 日本の今後の政策は非文明の大国を文明国家にするべく可能なあらゆる手を打つことである。アジアは経済の成長センターで中国はその希望の中心である、というようなものの言い方をやめるべきである。中国は北朝鮮を巨大にしたレベルの国家にすぎない。規模が大きいだけにソフトランディングの周辺国に及ぼす影響は破壊的である。

 尚最後に付記するが、沖縄の言語(琉球原語)は3世紀ごろに日本語から枝分かれした、世界でただひとつの日本語の親類語である。アイヌ語も朝鮮語も日本語とは系統を異にする。

『GHQ焚書図書開封 4』の刊行(六)

産経新聞【正論】欄2010.10.25 より

文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司

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 ■ 戦前の地下水を汲み保守再生を

 現今の政権がもたらしている亡国的危機の最中にあって、心ある日本人は「保守の再生」ということを考えているに違いない。

 だが、問題は「保守の再生」という言葉が何を意味しているか、である。「保守」とは何か、何を「守り保つ」のか、「再生」とは何か、といった点がどうも明確にされていないように感じられる。人により、使われる場所によって内容が違っているのであり、それがこの言葉を掛け声だけのスローガンのように響かせている。

 今日の日本人が本来の日本人に「再生」するために必要なものについて重要なヒントを与えてくれるのが、この7月に出版された西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封4-「国体」論と現代』だ。
 2年前の6月にスタートしたシリーズの4巻目で、敗戦後、占領軍によって「焚書」された七千数百点の著作の中から順次、選び出して「開封」し論じている。

 ≪≪≪戦後価値観での批判は限界≫≫≫

 『皇室と日本精神』(辻善之助)、『国体の本義』(山田孝雄)、『国体真義』(白鳥庫吉)、『大義』(杉本五郎中佐)などの著作をとりあげた4巻で、氏は、戦後の、そして今日の「保守」の盲点を鋭く衝いて、「戦前に生まれ、戦後に通用してきた保守思想家の多くは、とかくに戦後的な生き方を批判し、否定してきた。しかし案外、戦後的価値観で戦後を批評する域を出ていない例が多い。戦前に立ち還っていない」と書いている。

 これは、保守思想を考える際の頂門の一針ともいうべき指摘であり、「保守の再生」というものも、戦後の保守政治の「再生」ぐらいにとどまっていては仕方がないということである。

 「戦前に立ち還」ることが戦前の思想のすべてを無差別に正しいとすることではないという点は、氏も明言しているところだ。それは「復古」にすぎない。「再生」としての「戦前に立ち還」るということは、戦前と戦後を貫いて日本人の精神に流れているものを回想し自覚することである。

 日本人の精神の中で、戦前と戦後が余りにも激しく分断されすぎた。確かに氏もいうように「戦前のものでも間違っているものは間違っている」。小林秀雄的にいえば、戦前を「上手に思い出す」ことが必要で、それが真に「戦前に立ち還」ることに他ならない。

 「戦後的価値観で戦後を批評する域を出ていない」保守思想が唱える「保守の再生」では、本来の日本人の「再生」にはつながらないであろう。そして、日本人が本来の日本人にならなければ、日本は本来の日本にはならない。福沢諭吉が「一身独立して一国独立す」といった通りだ。国防論議が熱してくるであろう今後、この順序を心に銘記すべきである。

 ≪≪≪保田與重郎再評価を一歩に≫≫≫

 このように、今必要な「戦前に立ち還」ることのひとつとしてとりあげるべきは、保田與重郎の著作であろう。保田は、今年生誕百年であるが、余り問題とされていないようである。戦前、日本浪曼派の中心人物として活躍し、『日本の橋』『後鳥羽院』『万葉集の精神』などの名作を刊行したものの、戦後、一転してジャーナリズムから追放された。この稀有な文人の著作は、GHQによってというよりも日本人そのものによって「焚書」されたといっていい。

 その後、心ある日本人によって「再生」されたが、保田がどのようにとらえられてきたかは、生誕百年を記念して出版された『私の保田與重郎』という本によってうかがうことができる。

 これまで刊行された保田の全集の月報や文庫の解説に書かれた、172名の諸家の文章を集めたものであるが、これを読んで心に残った表現のひとつは、倫理学者の勝部真長氏の「地下水を汲み上げる人」というものであった。

 ≪≪≪まず、日本人たるべし≫≫≫
 
 勝部氏は保田のことを「歴史の地下水を汲み上げる人」と呼び、「地下水にまで届くパイプを、誰もが持ちあはせてゐるわけではない。保田與重郎といふ天才にして始めて、歴史の地下水を掘り当て、汲み上げ、こんこんと汲めども尽きぬ、清冽な真水を、次から次へと汲みだして、われわれの前に差し出されたのである」と評している。
 
 「保守の再生」への国民的精神運動に、保守思想家が貢献できるのは、戦前の「地下水」の中から「清冽な真水」を「掘り当て、汲み上げ」ることに他ならない。現在では、保田自身が「歴史の地下水」になっている。保田の著作から日本の歴史の高貴さを汲み出して、魂の飢渇に苦しむ今日の日本人に「一杯の水」として差し出すことは、大切な仕事であろう。
 
 保田は戦後の著作『述史新論』の中で「我々は人間である以前に日本人である」と書いた。「日本人である以前に人間である」という、戦後民主主義の通念の中で生きてきた日本人は、「人間である以前」の日本人という精神の堅固な岩盤を掘り当てなければならない。そこから「保守の再生」は始まるのである。(しんぽ ゆうじ)

『GHQ焚書図書開封 4』の刊行(五)

 私がまだ教科書の会の代表をしていて、採択運動で全国を飛び回っていた頃、いく人もの秀れた地方の教育指導者や社会科の先生たちに会い、現場の危機を熱心に訴えかけられました。長崎県で出会った山崎みゆきさんもそのようなお一人でした。中学校の社会科の先生で、まだ若く、大学をお出になったばかりの頃だったと思います。今も勿論お若く、しかも活発な女性の先生です。

 拙著について感想を寄せて下さいました。私が教科書の会を退いてからもずっと私の著作活動を見守りつづけて下さっている読者のお一人です。ありがとうございます。

 『国民の歴史』初版以来、私は西尾幹二先生の御著書を読み漁り、新刊が出れば即購入して拝読している。近年、私が特に楽しみにしているのは『GHQ焚書図書開封』である。西尾先生のナビゲーションの面白さもあいまって早く読んでしまいたい衝動にかられ、1、2日で読了する。その理由は、戦前・戦中の日本人がどのように世界情勢を見ていたのか、戦場ではどのような場面があり日本兵はどんな行動をとったのか、戦前・戦中の日本人の思考や感覚、心情にとても関心があり、真実に迫りたいからである。

 昨今のテレビドラマや映画での「戦争」では、市井の人々を描くと空襲の悲惨さや徴兵の無理矢理さを、軍隊や戦場を描くと上官が部下を殴りつける陰湿さや残虐性が強調される。そして戦後民主主義の感覚でものを言う登場人物ばかりで、浅はかである。「戦後〇年」というカウント年数が多くなるにつれ、その傾向は強まってきているのではないだろうか。私は、そんなドラマや映画を見ることで戦争の実態がわかったと勘違いする人々が多くなりはしないかと不安になる。そして、内容を鵜呑みにして、戦時下を懸命に生き祖国のために戦った先人を尊敬できない日本人が増加することを危惧している。

 『GHQ焚書図書開封』第3巻には、中国での日本兵の生と死、息子の戦死に対する両親の複雑な心境、中国逃亡兵の実態、大東亜戦争開戦直後に真珠湾を通り抜け無事帰国した商船・鳴門丸、兵隊の日常、菊池寛の『大衆明治史』など多岐に渡っている。私たちに戦時下の日本人の心のひだや逞しさを感じ取らせてくれる。特に生と死の隣り合わせの中で、日本兵の人間味あふれる言葉や行動は微笑ましくも切なく、時に感涙する。焚書された作品それぞれから、日本人が自分の意志とは関係無しに運命に巻き込まれながらも、その場面において自分にできることを考え、信念をもって行動してきたことが強く伝わってくる。

 第四章の鳴門丸の出来事は私にとっても新たな発見だった。船員・乗客が敵艦に見つからないように船体を灰色に塗り直したり、より安全な航路を選択する必死な様子から、必ず生きて日本にたどり着こうと念じる気持ちが伝わってきた。その一方で、船内には、万が一逃げ切れず敵艦に拿捕されたら船を自沈させるという覚悟もあった。

 戦時中のことを語るとき「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓のために多くの民間人も犠牲になったとする風潮がある。しかし、もともと戦前・戦中における日本人には戦陣訓など関係無しに生き抜こうとする努力とともに、もし敵の手に落ちるなら死を覚悟する気概が備わっていたのではないだろうか。そのようなことを鳴門丸の記述から感じた。

 ちなみに同じ3巻には、どんな汚いことをしてでも生き延びようとする中国敗走兵の記述も収録されている。鳴門丸との対比となり、日本人の覚悟がより強調されている。

 GHQが7.000種数十万冊もの書籍を焚書した影響は甚大であると思う。焚書によって本の内容が人々の記憶から消し去られ、戦前・戦中の日本人の心や感覚を伝えられなくしている。歴史が寸断されているような感覚である。そして、とって代わった戦後民主主義によって戦前・戦中の歴史を断罪し、戦後の感覚で歴史を歪めさせ、日本人が自国を誇れない状態にしている。

 焚書の中身が明るみになるにつれ、日本人が真の歴史を取り戻すことを願う。

長崎県 中学教師  山﨑みゆき

緊急出版『尖閣戦争』(その二)

 アマゾンに早速にも書評が出たので、感謝をこめて紹介する。

崖っぷちに追い込まれた日本人の必読書, 2010/11/1
By 桃栗三年柿八年

レビュー対象商品: 尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223) (新書)
実にタイムリ-な内容。一気に読める。

今般の尖閣危機を踏まえ、日本と米・中関係を軸に、政治・経済・軍事・文化・歴史など多角的な観点から、鋭く深くかつリアルに洞察されており、現在の日本の危機の実像と今後とるべき道筋が鮮明に浮き彫りになる。

東アジア、世界情勢が混迷の度を増す中、無能無責任内閣を頂いてしまった日本を、私達国民はいかなる理念を持ち、いかなる敵と闘い、いかなる形に立て直すのか。

今、求められているのは、非現実的な楽観論でも無責任な悲観論でもない、ましてマスコミに登場する勉強もしない自分で取材もしないような人々が語る知ったかぶりの評論でもない。
まさに、本書のような私達が本気で闘うための手引書である!

 もうひとつ報告しておきたいのは、ブログ「株式日記と経済展望」の10月30日と31日付の二つの文章である。

 「株式日記と経済展望」は私の愛読ブログの一つであり、政治、経済、産業の各方面に目くばりの良くきいた秀れた分析は私の感心を逸らしたことがない。ときおり言語に関してもレベルの高い内容の比較文化論が書かれることがあり、そのつど感銘を新たにしている。

 ブログ更新もほゞ毎日に近い頻度数の高さを誇り、しかも何年前から始まったのであろうか、じつに長期にわたって書きつづけられているその粘り強い書きっぷりにもつねづね驚嘆している。

 このように私が敬意を抱いているブログが10月30日に『尖閣戦争』を大きく取り上げてくれた。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/d/20101030

 このブログはコメント欄が完全に自由化され、自らに失礼な内容のコメントもよくのせているが、今度も言いたい放題の文章はそれなりに参考になった。

 なお、10月31日の記事は私の本への直接の言及はないが、アメリカと中国の両サイドの共有する問題が日本に与える影響の深刻さを論及していて、その点で私の本のテーマと重なっていることに注目した。同一のテーマを逆の方向から見ていて、興味深い。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/m/201010

緊急出版『尖閣戦争』(対談本)

尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223) 尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223)
(2010/10/30)
西尾幹二青木直人

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 対談本『尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本――』(祥伝社新書)¥760が刊行されました。青木直人氏との対談本です。10月30日(土)には店頭に出る予定です。

目次
はじめに――西尾幹二
序章  尖閣事件が教えてくれたこと
一章  日米安保の正体
二章  「米中同盟」下の日本
三章  妄想の東アジア共同体構想
四章  来るべき尖閣戦争に、どう対処するか
おわりに――青木直人

 私の筆になった「はじめに」を紹介します。

 はじめに

 尖閣海域における中国漁船侵犯事件は、中国人船長が処分保留のままに釈放された9月24日に、日本国内の衝撃は最高度に高まりました。船長の拘留がつづく限りさらに必要な「強制的措置」をとると中国側の脅迫が相次ぎ、緊張が高まっていたときに、日本側があっさり屈服したからです。

 日本人の大半は敗北感に襲われ、国家の未来に対する不安さえ覚えたほどでした。

 間もなく日中政府間に話し合いの雰囲気が少しずつ出て来て、中国側は振り上げた脅迫カードを徐々に取り下げました。いったん幕は引かれ荒立つ波はひとまず収まったかに見えます。このあとすぐに何が起こるかは予断を許しませんが、こうなると何事もなかったかのごとき平穏な顔をしたがるのが世の風潮です。政府は果たすべき責任を司法に押しつけて逃げた卑劣さの口を拭(ぬぐ)い、「大人の対応」(菅首相)であったとか、「しなやかでしたたかな柳腰外交」(仙谷官房長官)であったとか自画自賛する始末です。マスコミの中にも、これを勘違いとして厳しく戒める声もありますが、事を荒立てないで済ませてまあよかったんじゃあないのか、と民主党政府の敗北的政策を評価する向きもないわけではありません。

 しかし、常識のある人なら事はそんなに簡単ではないことがわかっているはずです。海上への中国の進出には根の深い背景があり、蚊を追い払うようにすれば片づく一過性のものではなく、中国の挑発は何度もくり返され、今度は軍事的にも倍する構えを具えてやってくるであろうことに、すでに気づいているはずです。

 だからひらりとうまく体を躱(かわ)せてよかった、などとホッと安堵していてはだめなのです。中国は必ずまたやって来る。今度来たならどう対応するかに準備おさおさ怠りなく、今のうちにできることからどんどん手を着けておかなければなりません。

 沖縄領海内の今回の事件は、明らかに南シナ海への中国の侵犯問題とリンクしています。中国は今年3月、南シナ海全域への中国の支配権の確立を自国にとっての「核心的利益」であると表立って宣言しています。これに対しアメリカは、7月、ASEAN地域フォーラムで、南シナ海を中国の海にはさせないという強い意思表明を行なっています。

 2008年以来のアメリカの金融危機と、それに伴うEUと日本の構造的不況は、中国に今まで予想もされていなかった尊大な自信を与えています。アメリカの経済回復の行方と中国の自己誤解からくる逸脱の可能性は、切り離せない関係にあります。世界各国がすでに不調和な中国がかもし出す軋(きし)みに気がついています。その現われが劉暁波(りゅうぎょうは)氏への2010年度ノーベル平和賞授与であったといってよいでしょう。

 世界はたしかに中国の異常に気がつきだしていますが、この人口過剰な国の市場への経済的期待から自由である国はほとんどありません。アメリカもEUも日本も例外ではなく、中国を利用し、しかも中国に利用されまいとする神経戦をくりひろげていて、各国も他国のことを考えている余裕がなくなっています。そこに中国の不遜な自己錯覚の生じる所以があります。

 アメリカと日本と中国は三角貿易――本書の二章で詳しく分析されます――の関係を結んでいます。これは互いに支配し、支配される関係です。アメリカは中国に支配され、中国を支配しようとしています。その逆も同様です。アメリカは必死です。経済破局に直面しているアメリカは、日本のことを考えている余裕はないのかもしれません。それでも南シナ海を守ると言っています。しかしいつ息切れがして、約束が果たせず、アメリカは撤退するかわかりません。

 本書を通じて、私共が声を大にして訴えたテーマは、日本の自助努力ということです。アメリカへの軍事的な依頼心をどう断ち切るかは国民的テーマだと信じます。

 私は20年前のソ連の崩壊、冷戦の終焉(しゅうえん)に際し、これからの日本はアメリカと中国に挟撃され、翻弄される時代になるだろうと予想していましたが、ゆっくりとそういう苦い時代が到来したのでした。

 尖閣事件は、いよいよ待ったなしの時代に入ったというサインのように思います。

 今回対談させていただいた青木直人氏は、もっぱら事実に語らせ、つまらぬ観念に惑わされないリアリストであることで、つねづね敬意を抱いていました。氏は国益を犯す虚偽と不正を許さない理想家でもあります。この対談でも、現実家こそが理想家であることを、いかんなく証して下さいました。ありがとうございます。

平成22年10月15日

西尾幹二

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 裏の帯に書かれた細かい文字(編集部によって書かれた)を紹介しておきます。

日本人が知っておくべき衝撃の事実

〇 尖閣を、アメリカ軍は守ってくれない。
〇 中国海軍が、南シナ海でおこなっていること。
〇 日本はアメリカから、ますます金をせびりとられる。
〇 アメリカと中国は、事実上の同盟関係にある。
〇 なぜ米中間には「貿易摩擦」が起きないのか。
〇 EUにはできても、東アジア共同体はできない理由。
〇 修了したはずの中国援助のODAが、アジア開発銀行を迂回して、今も続いている。
〇 神田神保町から、なぜ尖閣・沖縄の古地図が消えたのか。

『GHQ焚書図書開封 4』の刊行(五)

 

 私が「朝日カルチュアーセンター」で講義するという珍しい経験をしたのは、昭和51年(1976年)10月~52年6月の期間だった。

 私のこの時期は、ちょうど40歳代に入ったころで、『ニーチェ』二部作の製作過程にあった。今でこそ各地にあり、珍しくないカルチュアーセンターは、朝日新聞社が初開講して、成人教育――まだ生涯教育ということばは使われていなかったように思う――の新機軸として脚光を浴びていた。私はそこで、もちろん翻訳を用いてだが、『ツァラトゥストラ』を読んで欲しいと依頼された。

 竹山道雄訳(新潮文庫)、手塚富雄訳(中公文庫)、吉沢伝三郎訳(講談社文庫)、氷上英広訳(岩波文庫)という四つの文庫本を用意させ、一回に一、二節ずつ読んだ。原文を使用できないのはまことに不便だった。

 一ヶ月もしないうちに手塚富雄訳だけが残って、他は捨てられた。教室でみんなが他の三つは読んでも意味がわからない、と言ったからである。

 教室に集まったのは20歳代後半から70歳代までの20人くらいだった。私には不思議な印象だった。年齢も職業もまちまちな人々が、特別利益にもならない企てに長期参加する。会は二度延長され、九ヶ月もつづいた。

 職業も学歴もばらばらだった。団体役員、高校教師、私大事務局勤務の女性、教科書会社のOL、紙問屋の若主人、一級建築士、通信機器メーカー技術者、書道家で立っているご婦人、などなどじつに多種多様な顔であった。けれどもみな成熟した大人で、しかもニーチェが好きなだけにどこか世間ずれしていない純粋なところがあり、そしてまたそのおかげでどこか孤独な一面をも宿していた。

 じつは「ツァラトゥストラ私評」の副題をつけた私の『ニーチェとの対話』(講談社現代新書)は、この講義の中から生まれたのである。

 以下にご紹介する大西恒男さんは一級建築士で、そのときの受講生の一人である。今は京都のお寺の修復工事で設計を担当する芸術家のような仕事をしている。参禅の経験も積んでいる。

GHQ焚書図書開封3.4を読了して

朝日カルチャーセンター「ツァラツストラを読む」受講生 建築士 大西恒男

戦後6年もたって生まれたものにとって、親が控えめに話す切れ切れの体験と戦後作成された戦争を扱うくつかのドラマなどによって先の大戦のイメージはかなり限られていました。世界平和が自明の合い言葉になっている現在でもその実自分は何をすればいいのか分かっていません。

テレビで見る戦争を扱うドラマなどで口角泡を飛ばすシーンなどは最初から結論が分かっている創作者の手腕であって、会社での会議のようにもっと言葉が切れ切れであったり、だれかがときには横やりを入れたりして結論が出てくるのが我々の日常だと思います。野球のナイトゲームの観覧のように決してリプレイのない状況に似て、何かに気を取られゲームのいいところを見逃しているうちに周囲の反響により大きなヒットが分かるような迂闊な状況もドラマではない本当の現実には多くあったと思います。

「焚書図書開封3」で引用され・解説されている第1章の「一等兵戦死」から第3章の「空の少年兵と母」までを読了して、戦後に作られた作家の創作ではない戦争ルポルタージュに魅せられました。淡々とした文章の中に暖かい慈愛があり、横に置いていたティッシュの箱を涙と鼻水でしばらくはなせませんでした。戦後の考えでドラマ化された戦争とはずいぶん違うというのが感想です。少しほっとするような人間味を味わうことが出来たからです。

 GHQがこのような本を焚書にした意味合いが全く分かりません。私の父世代の日本兵には節度や人情があったのでは何か都合が悪いのでしょうか。そこまでしなければいけない理由がよく分かりません。・・よくぞここで取り上げてくださったと感謝しております。

 「焚書図書開封4」の国体論はタイトルを見たときにはこの本を最後まで読みきれるかどうか正直に言いますと少し不安でしたが、丁寧な解説があったので無理をせず読了いたしました。日本の長い歴史を生き抜いた宗教としての「皇室」も理解できたように思います。
複眼の視点で捉えられた6・7章 杉本中佐の「大義」もわくわくして読んだものの一つです。西尾先生は戦闘と禅についてつながるものかどうか少し疑問をお持ちですが、江戸城の無血開城に大きな働きのあった山岡鉄舟は剣・禅・書の達人であったようです。生死を超えたところに身と心を据え自己を空じ尽くしたところに活路を開くという意味ではやはり大きなつながりがあったのではないかと思っております。

『GHQ焚書図書開封 4』の刊行(四)

 8月24日付の本欄で、内田博人氏が各種の「国体」論の真贋を私が区別して、ひとつひとつ善し悪しを吟味して論じている、と評価して下さったことに、私が格別の感謝の念をもったと記したことを覚えていて下さるだろうか。現代の思想書を論じるのなら、個別に善し悪しを吟味するのは当り前である。だが、昭和10年代の思想書となるとこれまで必ずしもそうはならなかった。

 戦後ずっと昭和10年代の本、ことに「国体」論は全体をひっくるめて否定されてきた。その存在すら認められてこなかった。ひとつひとつを吟味する前に、どれも全部吟味に値しないものとして相手にされなかった。ところが最近少し風向きが変わってきた。

 例えば佐藤優氏が今年『日本国家の神髄』を出して、昭和12年文部省刊の『國體の本義』を、一冊をあげて紹介論及した。氏が雑誌連載でこの本のことを取り上げる前か、ほゞ同時期に、私も『國體の本義』をテレビで論及していたのだが、氏の『日本国家の神髄』の方が私の『GHQ焚書図書開封 4』より、半年ほど早く刊行された。

 佐藤氏の著書は「禁書『國體の本義』を読み解く」という副題がついていて、闇に葬られていた戦前の「禁書」をどこまでも肯定的に取り上げているのに対し、私は幾冊もの「国体」論の中の一冊として『國體の本義』を扱い、同書の善い面と悪い面、私からみて評価に値する面と一寸おかしいのではないかと批判した面、この両面を提示した。

 批判したのは同書の「和」と「まこと」の概念の甘さと、鎌倉時代と江戸時代の評価の歪みに対してであった。私の批判の内容が正当か否かは今ここでは問わない。今まで全体としてひっくるめて否定されてきた昭和10年代の「国体」論を、佐藤氏のように今度はトータルに肯定的に扱うのは、無差別、無批判という点で同じことになりはしないかと私は怪しむのである。

 今まで真っ黒だったものをこれからは真っ白に扱うことにためらいを持つべきである。さもないと扱いとして今までと同じことになりはしないか。一冊一冊の「国体」論にはいいものもあれば、バカげたものもある。代表的な国体論である『國體の本義』の内容そのものにも、納得のいく論点もあれば、異様に感じられる論点もある。それは当然であろう。われわれが現代の普通の論著を扱うときの平常心は、戦前の「禁書」を前にしても失ってはならないと私は考えるのである。

 しかしじつは単にそのことが言いたいのではない。そこから歴史に対する大切な問題が立ち現われるとみていい。私は「あとがき」にこう書いた。

「戦前が正しくて戦後が間違っているというようなことでは決してない。その逆も同様である。そういう対立や区分けがそもそもおかしい。戦前も戦後もひとつながりに、切れずに連続しているのである。」

 どうもそのことがすっかり忘れられているように思える。それは戦後の思想、戦後を肯定している戦後民主主義風の思想だけでは必ずしもなく、戦後をしきりに否定してきた保守派の戦前懐古調の思想の中にも宿っている決定的欠陥であるように思えてならないのだ。

 「あとがき」に私はこうも書いた。

「戦前に生まれ、戦後に通用してきた保守思想家の多くは、とかくに戦後的生き方を批判し、否定してきた。しかし案外、戦後的価値観で戦後を批評する域を出ていない例が多い。戦前の日本に立ち還っていない。」

 小林秀雄、福田恆存、三島由紀夫は私が私の人生の門口で歩み始めたときの心の中の師範だった。この人たちを論じることで私は私の人生の起点を形づくった。

 しかし私も75歳に達し、彼らとほゞ同じ時間を生き長らえてきた。加えて、日米関係は大きく変わり、日本をとり巻く国際環境は戦前のそれに近づいてきた。上記三人は戦後的生き方を的確な言葉で批判してきたが、三人の立脚していた戦前の足場は語られることなく、今の私たちからは今ひとつ見えない。深く隠されている。

 だから必ずしも単に彼らのせいではなく、彼らの言葉は戦後的価値観で戦後を批評する域を出ていないように思えることがままある。

 つまり、こうだ。「あとがき」に私はこうも書いた。

「戦争に立ち至ったときの日本の運命、国家の選択の正当さ、自己責任をもって世界を見ていたあの時代の『一等国民』の認識をもう一度蘇らせなければ、米中のはざまで立ち竦む現在のわが国の窮境を乗り切ることはできないだろう。」

 小林、福田、三島の三氏の言葉が戦後の私を導いてくれたのは紛れもないが、今となってはなにか遠いのである。「戦争に立ち至ったときの日本の運命、国家の選択の正当さ」を三氏は決して明らかにしてくれてはこなかった。明らかにしてはならなかった戦後的状況に、三氏はバランスよく合わせて、その範囲の中で、つまり「戦後的価値観」で「戦後を批評する域」にとどまっていたように思えてならないのである。

 時代は急速に動いているのである。私はそれを敏感に感じとるレーダーをまだ失ってはいない。生きている限り失いたくないと思っている。

『GHQ焚書図書開封 4』の刊行(三)

 『諸君!』終刊号の編集長であった内田博人氏から贈本に対する丁寧な礼状をいたゞいた。私には嬉しい内容であったので、ご承諾を得て掲載する。

 どこが嬉しかったかというと、各種の「国体」論者の「真贋」を私が弁別して書いたという処である。「その善悪両面を公平な視点で浮き彫りにされた」とも記されている。たしかにそこがポイントである。

 また文中に319ページという指摘があったので、そこを抜き書きする。岸田秀氏との対談というのは日米の歴史について岸田氏と一冊の対談本を出すことを指す。対談は8月16日、18日に8時間かけて修了した。

謹啓
 酷暑の日々がつづきます。過日は「GHQ焚書図書開封」の第四巻をお送りいただき誠に有難うございました。夏休み中に一気に拝読。多くの示唆に満ち、シリーズ中の、もっとも重要な一巻となるのではないかと感じました。

 思想家の真贋を明快に弁じて文藝批評の本領を示される一方、大衆的な作風で知られる山岡荘八や城山三郎氏の作品を対象にえらばれたのは、意外かつ新鮮な印象でした。

 戦後社会のなかで、まったく忘れ去られていた「国体」の一語をよみがえらせ、その善悪両面を公平な視点で浮き彫りにされた、きわめて意義のふかいお仕事と存じます。

 319頁のご指摘にあるように、国体意識は戦後、正当な歴史的地位をあたえられることもないまま、日本人の無意識の底に追いやられてしまいました。憲法論議における退嬰も、対外的な弱腰も、俗耳になじみやすい網野史観の横行も、結局は、名をうしなった国体論がもたらす厄災の諸相ではないでしょうか。岸田秀氏との対談ではぜひ、このあたりを議論していただきたく存じました。

 国体意識の名誉挽回が、戦後的迷妄を乗り越える、ひとつの突破口になるのではないか、とかんがえます。

 今年後半も刊行のご予定が目白押しで、ご多忙な日々がつづくことと拝察します。何卒ご自愛ご専一にお願いいたします。

 少々涼しくなりましたら、一献、ご一緒させていただければ幸いです。

 略儀ながら書中にて御礼のみ申し上げます。 
              

敬具

平成22年8月17日      

文藝春秋 内田博人

西尾幹二先生

 敗戦を迎えて国家体制が崩壊し、国体という観念は一挙に過去のものとなってしまいました。万世一系の天皇を中心とする国体観念を疑ってはならないとするタブーも、消滅してしまった。だから「天ちゃん」「おふくろ」「セガレ」という呼称も生まれたわけですが、では、かつての日本人が当然のごとく信じていた認識はどうなってしまったのか。みんなが杉本中佐の本を買って一所懸命に読んだ当時の意識はどうなってしまったのでしょう?まったく消えうせてしまったのだろうか?それとも無意識の底に温存されているのでしょうか?

 そのあたりの問題を整理しておく必要があります。国体論のどこが良くてどこが悪かったのか。杉本中佐の思想は単純きわまりないものだったけれども、あれがなぜ広範囲に受け入れられたのか。戦後、そうした吟味はなされたでしょうか。

 徹底した自己検証も行わないまま、単純に「軍国主義」というレッテルを貼って片づけちゃったのではないでしょうか。じつは、「軍国主義」という単純な言葉で否定して後ろを見ない姿勢は城山さんの『大義の末』にも当てはまります。しかし、後ろを見ないということは、かえってたいへんな問題を残すのではないかと思います。本当の意味での克服にならないんじゃないか。「軍国主義」という言葉でばっさり片づけてしまうと、自分の国の宗教、信条、信念、天皇崇拝‥…といったものを他人の目で冷やかに眺めるだけで終わってしまいます。あの時なぜあれほどにも日本の国民が戦いに向かって真っ直ぐに進んでいくことができたのか、という動かしがたい事実がそっくりそのまま打ち捨てられてしまう。その結果として何が起こるかといえば、“別のかたちの軍国主義”が起こるかもしれません。

 国体論でもファシズムでも、これをほんとうの意味で克服するには外科医がメスを入れるような感覚で病巣を切除するだけではダメなのです。――日本人がなぜ国体論に心を動かされたのか。われらの父祖が天皇を信じて戦ったという事実に半ば感動しつつ、半ばは冷静に客観化するという心の二つの作用をしっかりもって考えていかないといけない。真の意味での芸術家のように対応しなければいけないと思います。

 簡単にいえば、ある程度病にかからなければ病は治せないということです。そうしないと問題は一向に解決しない。病は表面から消えても、歴史の裏側に回ってしまう。それは、ふたたび軍国主義がくるという意味では必ずしもなくて、たとえば「平和主義」という名における盲目的な自家中毒が起こることも考えられます。否、すでに起こっています。今度もやはり自分で自分を統御することのできないまま「平和」を狂信して、自国に有害な思想をありがたがって吹聴して歩いたり、領土が侵されても何もせず、国権を犯す相手に友好的に振る舞ったり、国際的に完全に孤立してバランスを崩し、最終的に外国のために、日本の青年が命を投げ出すようなバカバカしいことが起こらないともかぎらないのです。

 繰り返しになりますが、ある程度病にかからなければ病気は治せません。どこまでも他人事(ひとごと)であれば、ほんとうの意味での病を治療し克服することはできないのです。

『GHQ焚書図書開封 4』P319~321

『GHQ焚書図書開封 4』の刊行(二)

『GHQ焚書図書開封 4』

あ と が き

 昭和10年代の言論の世界は、それなりに盛んな時代で、出版界も決して沈黙していなかった。まるで自由のない言論封圧の時代のようにいわれるのは間違いで、戦前にも正当と思われなかった思想が抑圧されていただけである。戦前には戦前に特有の活発な言論活動もあったし、時流に投じたベストセラーもあった。

 「戦前に正当と思われなかった思想」が戦後息を吹き返したのは当然であるが、それだけならいいのに、今度は逆に「戦前に正当と思われていた思想」がずっと抑圧されて、今日に至っているのである。「国体」論はその主要部分である。

 敗戦で日本のすべては変わったという錯覚を日本国民に与えてきたのはGHQである。日本人にとっては自分たちがそれによって生きてきた時代の思想が他人の手でもぎ取られたり、捨てられたりする理由はない。

 私たちは予想外に戦前の「国体」論と同じ思想の波動の中にいる。「日本人論」というような形で与えられてきたものがそれである。また皇室に対する今の国民のさまざまな感情の動きの原型もほとんどすべて戦前の「国体」論の中にある。

 本書では取り上げていない本だが、大川周明の『日本二千六百年史』は鎌倉時代の成立を「革新」として捉えたがゆえに不敬の書であるとして、蓑田胸喜(みのだむねき)らの批判を浴び、東京刑事地方裁判所検事局思想部に摘発されたりもした。鎌倉時代は武家が活躍した時代で、したがって皇室への反逆の時代であるがゆえにこれを低く見るという歴史観が一世を風靡していたからである。信じられない話である。

 戦争の時代には戦争の時代に特有の歴史の見方があり、論争があった。国民は神勅によって確定された天壌無窮の皇統を仰ぎ奉り、ひたすら忠義の心さえ唱えていればそれでよく、国民に主体性や個人に固有の役割などは求めなくてよいという静的な歴史観を基本に置いた立場がまずあった。文部省編の「國體の本義」はそれにほぼ近い。これに対し当時ただちに反論がまき起こった。こんな考え方では総力戦体制で戦おうとしている軍人たちの精神涵養さえ覚束(おぼつか)ないではないか。わが国体はなんらの理由なしに尊厳なのではなく、国民の個々人の主体性の関与があって初めて成立するものなのである。臣民たる分際を静かに守っていればそれでよいという自然的日本人観から、武人の自立を尊重する意志的日本人観への転換が支那事変たけなわの昭和10年代の思想界を二分する争点だった。山田孝雄(やまだよしお)も、平泉澄(ひらいずみきよし)も、三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)も、みなこのポイントを意識して著作活動を展開していたのである。

 平成の言論界においても皇室論や天皇論は最近珍しくなくなってきたが、やはり同じように、臣民たる分際を守って皇室をひたすら仰ぎ見ていればそれでよいという静的な態度と、そんなことでは現代日本の危機に対応できないので一歩踏み込むべきだという動的な態度とのこの二つの様態があることは、おそらくすでに知られているであろう。

 以上は、歴史は敗戦で切れていないことを示す一例である。戦前の思想は、言葉遣いのなじめなさは別として、予想外に私たちの今の実感に身近な存在なのである。

 であるとしたらGHQが勝手に私たちの視野から切り離した思想の世界をここで取り戻し、再現する手続きは、現在の自分の位置を知る上で重要である。

 戦前に生まれ、戦後に通用してきた保守思想の多くは、とかくに戦後的生き方を批判し、否定してきた。しかし案外、戦後的価値観で戦後を批評する域を出ていない例が多い。戦前の日本に立ち還っていない。

 戦争に立ち至ったときの日本の運命、国家の選択の正当さ、自己責任をもって世界を見ていたあの時代の「一等国民」の認識をもう一度蘇らせなければ、米中のはざまで立ち竦(すく)む現在のわが国の窮境を乗り切ることはできないだろう。

 しかし、それは戦前の思想の全てを無差別に正しいとすることと同じではない。そこが難しい。本書で私は「国体」論のある種のものに手厳しい批判を浴びせている。

 戦前が正しくて戦後が間違っているというようなことでは決してない。その逆も同様である。そういう対立や区分けがそもそもおかしい。戦前も戦後もひとつながりに、切れずに連続しているのである。戦前のものでも間違っているものは間違っている。戦後的なものでも良いものは良い。当然である。日本の歴史は連続して今日に至っているという認識に何度でも立ち還るべきと私は考えている。

 本書第八章を分担してくださった溝口郁夫氏は昭和20年生まれ、北海道大学工学部土木工学科卒、八幡製鐡(現新日本製鐡)で定年を迎えられたエンジニアである。氏が現代史に関心を持たれ、研究調査を始められた動機やいきさつは『GHQ焚書図書開封 3』のあとがきに記したのでここでは繰り返さない。

 氏は信念の堅い人であり、文献の実証の仕事も大変に手堅い。今後この方面でのさらなる活躍を祈りたい。本書末尾の付録「焚書された国体論一覧」の作成は氏に負うている。

 今までと同様、本書も(株)日本文化チャンネル桜のテレビ放送を基本にしている。私の番組は平成22年6月までの段階で56回に及んだ。今は月二回が平均である。同社社長の水島総氏、古書蒐集のご努力にたゆまない上田典彦氏、録画スタッフの宮木恵未氏、北村隆氏、三石宗芳氏、阿久津有亮氏の熱意あるご支援にあらためて深謝申しあげる。

 本書の制作に当たっては前回までと同様に徳間書店一般書籍局長の力石幸一氏、同編集部の橋上祐一氏にお世話になった。また、同編集者・松崎之貞氏にも今まで同様に全体の調整と細目の補足修正にご関与たまわった。諸氏にあらためて感謝申し述べたい。

平成22年6月13日

著者

『GHQ焚書図書開封 4』の刊行(一)

GHQ焚書図書開封4 「国体」論と現代 GHQ焚書図書開封4 「国体」論と現代
(2010/07/27)
西尾 幹二

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 目 次 

第一章 『皇室と日本精神』(辻善之助)の現代性

国体論は国のかたちということ
読者の心に響かない演説口調の文章
日本は世界文明の貯蔵場
仮名の発明に見る日本文化の特質
外国思想を受け入れて変容した国体観念
国体観念の基礎には「皇室」がある
「君民一体の聖徳」が皇室の伝統

第二章 『國体の本義』(山田孝雄)の哲学性

第一節 時間論

山田孝雄博士の“ふたつの顔”
日本語ではなく「国語」、日本史ではなく「国史」
古代の宣命の中にヒントがある
『続日本紀』の文武天皇御即位の宣命
「中今」の解釈をめぐって
アウグスティヌスにおける「時」と「永遠」
ニーチェとハイデガーにおける「時間と生」
「中今」という言葉への注目から出発

第二節 皇位継承論

日本の「万世一系」、中国の「興亡破壊」
江戸幕府は中国を蔑視していた
時間的・空間的統一性をもった日本
日本を貶める網野善彦論文は国体論者への意趣返し
日本の歴史は「もうひとつの世界史」である
皇位継承の三条件
王家には家名があるが皇室には姓がない
皇室のあり方とコマの回転

第三節 神話論

「国生み」神話について
日本は「作られた国」ではなく「生まれた国」
神道は祈らない、感謝するだけでいい
日本人は神の子である
日本国家の三要素
国生みの物語は日本の国家原論である
日本は英仏独伊ではなくヨーロッパ全体と対応する「自然発生国家」だ
「国史」の前にも長い長い「沈黙の歴史」がある
自然発生的国家の「強み」と「弱み」

第三章  部数173万部『國體の本義』(文部省編)の光と影

第一節 神話と皇統

国民教育のスタンダードブック
皇室は神話と一直線につながっている
「現御神」ということ
神話と王権との関係
「神」の観念も中国や西洋とは大いに異なる
日本の天皇は道徳とか人格とかでは測れない

第二節 複眼を欠いた「和」と「まこと」の見方

現代社会に有効に生きている「和」の精神
「和」の世界には他者が存在しない
「個」としての弱さをさらけ出した日本人
「したたかさ」がなければ世界とは渡り合えない

第三節 鎌倉時代と江戸時代の扱い方への疑問

外国と日本のおける「国家」のちがい
日本には「維新」はあるが「革命」はない
記述に偏りのある『國體の本義』
「権権二分体制」という日本人の知恵
武家が活躍した時代を「浅間しい」とする偏見
皇室を永続させたのは「鎖国」と「権権二分体制」ではないか

第四節 恭敬と謙譲――日本人の国民性

豊かな自然、君民相和す正直な心
皇室と日本人の原点は「明き淨き直き誠の心」にある
日本人の「謙虚さ」が普遍文化の吸収を可能にする
「公」=天皇の前で辞を低くする「私」


第四章  国家主義者・田中智学の空想的一面

田中智学という人
 『日本國體新講座』と時代の空気
「日本の国体は万邦無比なり」
時代の節目ごとに「国体学」を叫んできた田中智学
熱に浮かされていた「あの時代」
「建国の三大網」とは何か
なぜ人は「積慶」「重暉」「養生」を見逃してきたのか?
「明治維新は神武天皇の御代への回帰である」
きわめて朝日新聞的な「人類同善世界一家」というスローガン
日本的国家主義の甘さはリアリズムの欠如にある

第五章 『國體眞義』(白鳥庫吉)の見識の高さ

昭和天皇の皇太子時代の歴史教師・白鳥庫吉
日本は現代の有力国のなかで最古の国
日本民族の起源を探る
「高天原」は海の向こうではなく“心の世界”である
白鳥博士の論と拙著「国民の歴史」との暗合
日本民族の起源を知るうえで重要なのは「日本語」と「縄文土器」だ
日本人の宗教は「万世一系の皇室」である
武家も手を出せなかった「天皇家」という謎
天皇は中国における「天」の位置である
天皇は国民を思い、国民は天皇を尊崇する

第六章  130万部のベストセラー
      『大義』(杉本五郎中佐)にみる真摯な人間像

第一節 「国体論」は小説になりうるか

軍神・杉本中佐と遺書『大義』
「唯一絶対神」と捉えた中佐の天皇観
国体論は結局言葉でも哲学でもなく「行動」なのではないか
「思想」と「行動」は小説に描けるか?
「熱烈鉄血の男児・杉本五郎君の参禅を許容せられたし」
「軍人」と「禅」がキーワード
杉本中佐の「結婚の条件」
「陛下の股胘を貴女にお預けします」
「男の姿」「女の思い」を描いたすばらしい一場面
「憂国」の悲憤慷慨談


第二節 あっと驚く『大義』の天皇観

「思想」というより「一神教」
「日本人は己の子すら私すべからず」
「世界悉く天皇の國土なり」
「思想」は単純だったが「実存」は立派だった
中佐は導師が認める立派な禅僧になっていた
「陸軍大学に行けといわれても習うことがない」
「文明開化」と「尊皇攘夷」は対立概念ではない
戦後は軍国主義ときめつけて自己検証をしないできた


第三節 山岡荘八の小説『軍神杉本中佐』の出征風景

地球上の全陸地の九割は白人に支配されていた
昭和十年前後、軍人たちは何を論じ合っていたのか
国民はつねに「世界史のなかの自国」を考えていた
出征前夜――無言で伝わる覚悟の別れ
杉本中佐をめぐる人情話
感動が電流のように走った出征風景
今上陛下にはぜひ「靖国神社ご親拝」をいただきたい

第七章  戦後『大義の末』を書いた城山三郎は
      夕暮れのキャンパスで「国体」を見た

『大義』に惹かれた若者は戦後をどう生きたか
『大義』をめぐる二つの不幸な出来事
「天皇制賛成論」は今やもの笑いの種になる
敗戦による「パラダイム転換」
見えなくなってしまった『大義』の世界
「天皇制」是非をめぐる学園の論争
少年皇太子がキャンパスにやって来た
少年皇太子の姿は『大義』につづく世界を考えるきめ手を与えた
天皇のご存在そのものの重みをはぐらかしてはならない

第八章  太宰治が戦後あえて書いた「天皇陛下万歳」を、
      GHQは検閲であらためて消した
              溝口郁夫

GHQの検閲をうけた太宰治の本
『パンドラの匣』とはどういう本か
『パンドラの匣』にみられる削除と改変
太宰治の天皇尊崇の念は明らか

あとがき

文献一覧
  

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