お知らせ

「坦々塾 秋季特別研修会」を、11月26日(土)に、四ツ谷地域センターにおいて、下記の要領で開催することとなりました。
 皇室・宮中祭祀等に関する研究の第一人者とされ(葦津珍彦先生の没後の門人でもある)斎藤吉久先生をお招きし、「今上陛下の「譲位」の思召し、その御真意と国民の責務」と題してご講演をいただき、質疑応答・相互の意見交換をいたします。お一人でも多くの皆様のご参加をご期待申し上げます。

 また今回は、一般(非会員)聴講希望者のお席も「30席」設けて、先着順にご参加を申し受けます。是非奮ってご参加下さい。
 そして、研修会終了後に、近傍のホテルで、講師斎藤先生と西尾先生を囲んでの懇親会も開催いたします。(一般聴講者のご参加も歓迎いたします。)

 以上、会員の皆様、一般聴講者の皆様の奮ってのご参加とご高論を大いにご期待申し上げます。

1.研修会・懇親会の日時・会場
(1)研修会 日 時 : 11月26日(土)16:00~18:45 (受付: 15:30~)
  16:00~16:30 挨拶・講話(西尾幹二先生)
  16:30~18:00 講 演(斎藤吉久先生)
            18:10 ~18:45 質疑応答・相互意見交換
(2)会 場 : 四ツ谷地域センター12階 「多目的ホール」
(東京メトロ 丸の内線「新宿御苑前」下車 徒歩5分 )
  yotuya1 
(3)懇親会 日 時 : 同日 19:00~21:00
会 場 : ホテルウィングインターナショナルプレミアム東京四谷
(四ツ谷地域センターから 徒歩5分 アクセス 別添)

(4)会 費: 研修会 1.000円  懇親会(立食パーティー) 6.000円
 
(5)お申込み: 「研修会・懇親会ともに出席」 又は 「研修会のみ出席」をご明記の上、11月25日(金)までに、事務局(小川)(℡ : 090-4397-09087 FAX:03-6380
         -4547  E-mail : ogawa1123@kdr.biglobe.ne.jp) までお申し込み下さい。
(ただし、一般聴講者の皆様につきましては、30席受付が満員となり次第 〆切とさせていただきます。)

                       西尾幹二坦々塾事務局 小川揚司 拝

 追 伸 : 恒例の坦々塾新年会(西尾先生のご講演と懇親会)を、来年1月21日(土)午後に、水道橋の「内海」で開催する予定でおります。詳細につきましては、西尾先生の
 「年頭メッセージ」に添付させていただきますが、先ずは斯く予告申し上げます。

yotuya2

現代世界史放談(九)

アメリカの世界支配構造

 ピルグリムファーザーというのは、最大多数がプロテストタントなんです。アメリカはプロテスタントの国であるということはアメリカの世界史の支配構造と深く関係しているんですが、これをどう説明するかは難しい。

 結論だけ言いますが、たとえばリンカーンは宗教者です。南北戦争、あれは奴隷を解放するために戦った戦争ではない。13州に分かれていたアメリカを一つのネイションにするという、英語でゼムと書いていた13州をイットにする、単数扱いにする戦争だった。複数を単数にした。それはワシントンから続くアメリカの努力目標だった。しかしその理想もまた、暴力でしか実現できなかった。それが南北戦争です。それによって強引に統一国家になった。南部にはたくさんの問題があったのに、全部切り捨ててしまった。北から南の制圧には凄まじいことが行われた。

 その制圧の仕方を真似したのが、実は日本征服なんですよ。北アメリカが南アメリカを抑えるときにとった政策、たとえば公職追放、指導者を牢屋にぶち込んで罪の意識を与えて、しばらくしてある段階になって釈放し、従順な知識人を復活させて自分たちのほうに取り込むという、アメリカ占領軍はこの北軍のやり方をそっくり日本に当て嵌めました。それが自由民主党の生まれた所以です。それから日本は肝どころを握られ、ずっと支配されっぱなしである。

核問題では日本が一番怖い

 この間、安倍首相の戦後七十年談話に先立ち、外務省主導の21世紀構想懇談会がつくられ、先の戦争を「侵略」戦争と首相に言わせようとした北岡伸一さんという座長がいましたね。懇談会のああいう人士は、いまでもアメリカのコントロール下にあると考えるべきです。少なくとも外務省がアメリカの顔色を窺って、人選に自己規制をかけていると見るのが至当で、「侵略」はそれ以外には考えられない唐突な発言でした。

 あるいはまた、NPT(核拡散防止条約)体制の管理人に天野之弥さんという日本人がなっている。それを日本では出世したかのように言う人がいますが、黒人組織を管理させるには黒人の代表者を連れてきて管理させるんです。同じことが天野さんの役割なんです。核問題では日本が一番怖い。だから日本を抑えるためには日本人を使うんです。

 アメリカは南北戦争によって統一国家kになり、国家意思というものを鮮明にしました。

 この国家の持つ膨張性格を雄弁に語ったのは、リンカーン大統領のウィリアム・スワード国務長官です。

 彼が太平洋侵略を考え出した最初の帝国主義者でした。そこから先は長い話になるので、今日はできません。太平洋をアメリカのものにするのは、リンカーンの時代から始まったのです。

 其の後、ドイツがやられ、日本がやられ、ロシアがやられ、いま中国がやられかけていますが、さてどうなるでしょう。地球は再び大破壊を被る。あと10年先か20年先か分かりませんが・・・・・・。そうなる前に、アメリカが覇権意志を本気で捨て、ドル支配もなくなり、地球はカオスに陥るかもしれません。

 何が起こるかわからないんです。今日は何が起こるかわからないという話で終わることをお許しください。(2016年2月29日、日本工業倶楽部での講演に依る)

月刊Hanada 2016年6月号より

現代世界史放談(八)

アメリカの覇権の背景

 はたしてそれを中国ができるのか、定かではありませんが、この大きな中国の賭け、その前に今日は歴史を古いところからお話をしたので、もう一度、イギリスとアメリカの覇権争いを思い出してもらいたいのです。第二次世界大戦は、アメリカがイギリスに勝利した戦争です。

 日独はだしにつかわれたようなものかもしれません。アメリカは常に地球の他の覇権国、地域の覇権国を許さないことで始まった国で、まずイギリスを、次にドイツを、そして日本を潰しにかかった。ロシアを許さなかった。次々と地域の覇権国を倒すのがアメリカの国是、いまもそうです。大統領候補のトランプが言っているじゃありませんか、アメリカの意向であり、ずっとそれできている。

 だからトランプは夢をもう一度と叫び、アメリカ人の心を摑んでいる。しかし実力がそれに伴わなければできないので、彼の主張のとおり、アメリカが「世界の警察官」であることを止めればドルは暴落し、アメリカの覇権も終わってしまうのです。アメリカはベトナム戦争からのち、一国で覇権国だったのではありません。日本という懐刀をもっていたので、アメリカは覇権国であることが可能になったのです。日本は黙って国債を買い続けて、その国際は国家予算んのなかに入れないできている不可解な構造が、日米一体でアメリカの覇権を可能にしてきたんです。トランプはそのことが全く分かっていない。

 アメリカは「世界の警察官」であることによってヨーロッパに価値、ロシアに勝ってきましたが、しかし中国に対してはどうか。中国も、アメリカと日本が手を組んで勝つという構造にするのは経済だけでやってもらいたい。それであれば日本は受けて立てばいい。

カトリックとプロテスタント

 冒頭で述べたようにペリーの来航の前から始まって、アメリカはイギリスと戦った。独立戦争ですね。それは何が原因かというと宗教が原因でした。ヨーロッパはキリスト教といってもカトリックとプロテスタントが相争っていた地域です。カトリックは日本の心とも繋がるところがあるのは、自然法を尊重するからです。カトリックは中世の初期にヨーロッパの古代神話の世界を残存させ、それと妥協した宗教なんです。ですからカトリックというのはある意味で異教徒には寛大な宗教なんです。内部の異端には厳しいが、異教徒には譲歩しなければ政治的に自分を存立もできない古い時代を生きました。

 だから、例えば靖国神社を取り潰すとマッカーサーが言ったが、ダメだと言ったのはアメリカのカトリック教徒でした。なぜならば自然法を尊重する、自然信仰があって、堕胎はいけないとか、男は女と結婚するものだとか、民族共同体のために戦った戦士に対しては何であれ、祈祷することは当たり前のことdと考えて、これが自然法で、カトリックは靖国神社を燃やすことに反対した。しかしアメリカは基本的にプロテスタントの国であり、イギリスもそうなんです。

 カトリックは古代人の信仰を残している。プロテスタントはそれを異端として退け、信仰を純粋化しようとした。その自覚が人間の主体性、近代化につながることは間違いありませんが、偏狭でときに破壊的です。

 ヨーロッパはカトリックとプロテスタントの間で17世紀に激しい戦乱を重ねます。それに疲れてしまい、宗派間の争いをやめて妥協するのが啓蒙主義です。カントの永遠の平和のために、なんてものが出てくる。ヨーロッパは宗教間闘争に疲れた。しかしそれがいかに根強いかは私が1960年代に留学した時はまだドイツの小学校はカトリックとプロテスタントに分かれていました。いまは宗派別学校闘争はやめようということになっています。

 ヨーロッパでは20世紀後半になってようやく日本に追いついてきたのです。日本は信長が比叡山を焼き討ちしたときをもって、宗教が政治の脅威となることは大体終わっている。その後島原の乱があり、大正時代に大本教もありますが、そのあと宗教が政治を脅かすことはオウムまでない。日本は大人の国なんです。それが神仏信仰なんです。

つづく

月刊Hanada 2016年6月号より

現代世界史放談(七)

EUの未来

 三番目は、EUの理念の行き詰まりです。EUの未来はどうなるか。結論を言いますが、ギリシャ、スペイン、ポルトガル、イタリアの南ヨーロッパ諸国の経済破綻が非常にはっきりしてきたのはご承知のとおりで、ギリシャ問題はそれの代表例だったにすぎませんが、日本でも似たようなことが起こっているのです。

 八増五減とかいって、議員定数の調整という問題が起こっており、たとえば参院選で島根県と鳥取県を合体させるとか言っていますよね。これはヨーロッパの例と同じです。東京の繁栄と地方の衰微というドラマが、北ヨーロッパの繁栄と南ヨーロッパの衰微という形で表れているんです。

 お金になる仕事は全部、北ヨーロッパ、ドイツやノルウェーに行ってしまう。そのような仕事を持っている人たちは北へ北へと渡って行って、北の富を大きくするのに役立っている。南の国々には公務員と老人と子供ばかりが溜まってくる構造、これが日本の東京と地方の動きとよく似ている。

 日本の場合には、地方交付税という形で地方に還元するという考えがあり、このシステムに誰も反対しません。東京都民は地方を助けないといかんと思っているし、ふるさと納税なんかもあります。

 同じことでドイツが実行すべきことは二つある。ドイツが首都になることです。地方交付税と同じように、どんどんお金をギリシャやスペインに回すということです。文句を言わないで、ドイツはこれまで安くなったユーロで輸出がし易く、儲けに儲けてきたわけですから、ここいらでグローバリズムのために自分を棄てなければいけない。

 しかし、ドイツ人は絶対にやらないでしょうね。なんで我々は、とドイツ人は憤る。ギリシャ国民のあまりに有利な生活保護まで引き受けなければならないのか、と。国というものが邪魔をする。今度はナショナリズムがグローバリズムの邪魔をする。東京と島根県のようにはいかない。でも、私の常識は次のように考えます。

 ドイツが東京都になるか、EUを解体するか二つに一つしかない。当然、動きとしては後者でしょう。十年ぐらいかかるかもしれないでしょうが、そちらにいかざるを得ない。

 EUがなぜできたのかを考えますと、なぜダメになるかの理由もわかります。思想的には、共産主義が崩壊したときに歩調を合わせるかのように始まった。共産主義の普遍主義、国境を取っ払うグローバリズム、それの代替が欲しいということから始まったのがEUです。根は左翼思想なんです。アメリカニズムのグローバリズム、いわゆる連邦主義に対抗する必要もあり、その時に「日米経済同盟」が地球の40%の富を獲得していたんです。1990年代初頭です。ヨーロッパは焦った。

 この日米経済同盟のパワーに対抗するために、ヨーロッパは一つにならなければならない。もう一つは、共産主義のグローバリズムがなくなった代わりに、ヨーロッパは別のグローバリズムを作らなければならない。EUはこうした守りの動機から生まれたので、もともと消極概念でしかない。

 もう一つは1970年にニクソンショックがあって、ドルが兌換紙幣ではなくなり、ドル札を刷ればアメリカの消費は自由気儘だと予想される事態になった。ヨーロッパはすごく恐れた。アメリカは責任なしの消費大国になる可能性がある。実際、そうなっていくわけです。

 それを抑制させていたのは、共産主義社会の存在だったんです。共産主義と張り合っているアメリカがバランスを取っていたんです。つまり1970年から20年間は、ドルがそれほどめちゃくちゃなことにならなかった。

 しかし1990年に共産主義という他山の石がなくなったら、アメリカが慢心して手放しのことをやるようになって2008年のリーマンショックに立ち至るわけですが、そういうことをヨーロッパは始めから恐れていたので、自分たちがグローバリズムに立て籠もるんだということにせざるを得なかった。恐怖からきた守りの思想ですよ。決定的な間違いがそこにはあります。ユーロはドルの代わりができない。なぜなら、統一軍事力がないからです。

 かつて軍事力を伴わない国際機軸通貨があり得たかというと、ない。ボンドもイギリス英国の支えがあり、いまのドルもそうです。湾岸戦争が起こって、あれはドルとユーロの戦いですから、戦争してでもドルを守るという意志をアメリカが示したことになり、ユーロはあそこからどんどん駄目になった。ユーロが力を失っていく勢いというのも激しかったのですが、アメリカはNATO(北大西洋条約機構)を手離さなかった。そしてEUを国として認めなかった。

 EU共通軍隊というのを絶対にアメリカは許さなかった。日本に独自の軍隊を許さないように、EUもアメリカは自分のものとして囲い込み、温存させようとし続けてきたのです。いままではそれでうまくいった。それでヨーロッパ共同体を潰したんです。
 かくて次に中国というのが軍事力と金融による両面の覇権を狙い出しているというのが、アメリカがいま目の前で見ているドラマです。

つづく

月刊Hanada 2016年6月号より

現代世界史放談(六)

ドイツ銀行の破綻

 ドイツには三つの禍があると申しました。一つは難民問題、二つ目はドイツの銀行の破綻です。これはいま急速に起こっているドラマです。

 ドイツ銀行の取引総額は、67兆ユーロ(約8700兆円)。ドイツのGDPの20倍です。ところが、ここに来て、フォルクスワーゲンの1兆ユーロ(120兆円)に上る保証金を全部ドイツ銀行が背負っていることが分かった。

 ここで指摘したいのは、日本では久しく政府が赤字国債を抱えていると言いますが、日本の銀行、特にメガバンクは赤字を抱えていません。日本政府に借金を集中させているのに比して、ドイツなどの欧州は政府が借金を背負わない代わりに民間銀行にしわ寄せがいっているんです。

 日本はGDP比200%の借金大国だから大変だと大騒ぎされ、ドイツ政府は無借金で素晴らしいことのように言い、メルケルもそう言い、ドイツの知識人も自慢して日本はダメだと言いますが、何のことはない、代わりに銀行が借金を全部背負っているのです。

 ドイツ銀行が引き金になって、リーマンショックのようなことが起こるかもしれません。あのサブプライムローン事件が起こった頃、ヨーロッパのほうがむしろアメリカよりも酷い金融危機だったのですが、これはアメリカが支えた。あの時、アメリカの政策金利は5%あったんです。だから金利を下げることができた。

 ところが、いまはアメリカは極端に金利を下げていますから、これからはドイツ銀行がリーマンブラザーズのように破綻しても、アメリカは助けることはできない。ドイツは火だるまになる可能性があります。

 フォルクスワーゲンは、1兆ユーロ(120兆円)もドイツ銀行に融資をさせています。日本ならばここで公的資金の注入というスタイルで破局を避けるでしょうが、これもEUが邪魔をしている。ドイツ政府がいままでもそういうことが思い切ってできないのは、ヨーロッパ中央銀行が合意しないからです。つまり、ヨーロッパのグローバリズムが正義の建前になっていて、ナショナリズムを抑えている。ですから、この局面はドイツの三重、四重苦になるのではないかと思っています。

つづく

月刊Hanada 2016年6月号より

現代世界史放談(五)

日本人の西洋大誤解

しかし、キリスト教はそうではなかった。巨大な哲学体系が後ろに控えていて、しかもそれを強制する政治制度や軍事力が控えていた。日本人はそれを受け入れる気にはならなかった。ただ、西洋の文化や芸術や学問は危険がないので受け入れた。大変に尊敬し、いまも愛好している。しかし根っこにある宗教を受け入れていないので、日本人の西洋理解は西洋大誤解かもしれない。

日本人は、がらんどうのような何もないのが好きだったのではないでしょうか。そうとしか思えないのです。政治文化を強制してこない。哲学的理念を強いてこない。ひたすらそういう世界に憧れた。西方浄土へのあこがれ、それは平安末期辺りから強くなりますが、日本人の心をずっと摑まえていて、いまでも何か事があると、遠い国で起こった出来事を日本人は尊敬するのです。素晴らしいものは外国にあると信じ、明治以来、長い間、西洋文化を鏡としたのは「西方浄土」に代わった。つまり、仏様はいつの間にか西ヨーロッパ文明に代わったのです。それが旧制高等学校のドイツ語、フランス語崇拝、教養主義礼賛になった。

他方、世界全体の現実を見ようとしなかったのではないか。だから当時、表舞台から消えたイスラムの世界も見ていなかったのです。現実は見ていなかったけれども、西方浄土をひたすら憧れるように、西洋文化をひたすら学んだ。そして夢を育てて、自分のところでそれを移植して自分なりの西洋文化を作ってここまできた。本当にそう思いますよ。

日本では必ずどこかで西洋絵画展をやっているでしょう。ついこの間まで、モネ展をやっていました。去年はスイスのホドラー展もやっていました。近くは何度目かのカラヴァジョ展が開かれます。こんなことをやる国は、アジアで他にありません。日本中のどこかで、必ずいろんな西洋絵画展をやっています。

コンサートも盛んです。最近、ドイツ人はモーツアルトやベートーヴェンをあまり聴かないといいます。そんなもの要るのか、という話らしいのです。オーケストラはほとんど外国人だそうで、十人中八人から九人は外国人。ドイツ人の音楽家がいなくなった。文学も教育も衰滅です。音楽も哲学もダメ。ドイツの限界というか、アイデンティティの喪失ということです。中国人と一緒になって浮かれて金儲けばかりです。

ドイツの三大問題

いまのドイツには、三つの大問題があります。いうまでもなく難民、これもアイデンティティの喪失から引き起こした。ドイツはナチスを抱えた無残な国、酷い国、悪の国と言われ続けてきたことが、ドイツ人の心を破壊し続けてきたと思います。

そこでメルケルは、ドイツは立派な国だ、国際社会の模範になる国だと言いたかった。それゆえに、難民はどうぞいらっしゃいと言い出した。隙を作った。

そもそも難民は存在するのではない、発生するのです。今度の欧州の事件で、そのことがやっと分かったでしょう。隙を作った先進国を目掛けて人の波が出現し、移動してくるんです。隙を作ったら負けなんです。ドイツはそれを自らやってしまった。立派な国であるということを見せたかった。自分を否定していた戦後のドイツのイメージを逆転させたかった。この国は今度の件で、人口の20%近くがイスラム系ということになる。ドイツ文化も失われてしまうでしょう。

自分の国をネガティブに見続けているということが、仇となる。自分の心を苦しめているわけですから、いつかそれが逆になって、素晴らしいドイツにしたいと思うから、メルケルがあのようなことを言っても国民は反対しない。メディアも批判ができなかった。いまようやく反論が激しく出てきていますが、遅すぎますね。そしてそれは、EU全体を壊す問題を起こしている。

日本も違った意味で、同じような危うい弱点があると思うのは憲法9条の愚かなる平和主義です。これが日本人の心を縛っています。とんでもない禍に転換する恐れがある。

みんな軽く考えていますが、北の核は脅威ですよ。4月号の『正論』に、私は「覚悟なき経済制裁の危険」という論文を出しました。経済制裁というのは宣戦布告ということと同じです。第二次世界大戦の直前に、アメリカに経済封鎖されたことは宣戦布告されたのと同じなんだと我々は言い続けてきたのではありませんか。同じことを、我々は北朝鮮に対してすでにやっているのではないですか。

しかもアメリカはそう言って遠くから見ていられますが、日本はすぐ目の前にある島国なんです。ミサイルが飛んで来ても文句が言えない。日本が先に手を出しているのですから。日本人は何を考えているのか。一瞬のうちに、東京のど真ん中に一千万人が焼尽する核が到着することも明日、起こらないとは言えない。

しかもそれは、アメリカや国連頼みで解決する問題ではないんです。日本人が自分で解決する以外にない問題です。国連なんて何も手伝ってくれません。

私は日本はおかしな国で、ドイツの例のように善意が全部逆になるということを申し上げているのです。自分を罪を犯さない善良の国にしたいと思うことは危険なことなんです。自分は適当に悪いこともしている国だと堂々と言えることが、バランスがとれている常識というものなんです。歴史の悪も肯定しなければいけない。これからも必要があれば危いこともしなければならない。それを全部否定してしまったがゆえに、自己を主張すべきところで主張する青磁政策まで否定してしまう。そうすればドイツの二の舞です。

つづく

月刊Hanada 2016年6月号より

現代世界史放談(四)

日本人の宗教心

 ところで、日本はなぜ神道と仏教なのでしょうか。神道と並べて仏教ですね。儒教ではない。儒教は祖先崇拝という点では関係ありますが、日本人の宗教心に入っていないと思います。儒教は道徳として日本に影響を与えましたが、皇帝制度と科挙のシステムに切り離せないほど繋がっています。韓国は儒教なのです。朱子学のイデオロギーであのようになってしまいます。

 日本は儒教を本格的には受け容れませんでした。天皇をずっといただいていますし、王様が二人居続けられた国なので世界に理解されなかったのですが、日本人が心のバランスをとるうえで良かったと思います。つまり、遠いところにある見えない神・仏様と、生き神様である天皇と、すなわち超越神、二神をいただくことで自在に生きることができたということです。

 仏教は本格的に日本人の心に入っていて、日本の宗教心理の根底を形作りました。神道は超越神を持ちませんが、仏教がそれを与えてくれて、二神をいただくことをもって日本人はバランスをとってきたのです。

 日本人はなぜ仏教には抵抗がなかったのか、ということもついでだから考えておきましょう。神道に抵抗がないのは分かりますが、日本人は仏教以外の外来宗教はほとんど受け入れていません。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教もヒンズー教も韓国儒教も、いわゆる原理主義的な宗教を日本人は受け入れません。

 しかし仏教は受け入れました。しかも日本仏教は久しく発展し、独自の展開を遂げました。民族の心の深いところにフィットしたのです。なぜかというと、それぞれの宗教は皆、後ろに政治文化を抱えています。たとえば、儒教は皇帝制度と科挙のシステムを抱えている。ヒンズー教も同様で、インドの社会風俗や生活思想を抱えています。ユダヤ教やキリスト教はさらにそうです。西欧の政治や哲学の一大観念体系を突きつけてきます。

 そういうものと何の関係もない仏教。後ろに何もついていない仏教。無なのです。それが日本の神道と組み合わせしやすかった。日本人の心が無であるということと、深く関係があるのです。

 キリスト教と仏教は、ともに普遍宗教ですが、どちらもそれぞれが生まれ育った土地でどうであったかということが日本に関係ある。仏教はインドの地で徹底的な展開を遂げました。思想展開は小乗仏教、大乗仏教、密教に至るまで。そして形而上的な理論展開を終えてから、外国に出始めるのです。8世紀の密教に至るまでインドの地で発展を遂げますが、そこで忽然と消えてしまったのです。つまり、本当に消えてなくなってしまいます。

 あるイギリスの植民地主義者がインドに渡ってきて大きな立派なお堂があり、それはブディズムの伽藍だと聞いているが、僧侶一人いないし、仏像もないし、経典もない。忽然と消えたのです。それでは仏教が消えたのかといえばそうではありません。インドの地から消えただけです。

 チベット仏教・ネパール仏教・中国仏教・日本仏教、南にいけばタイなどの南伝仏教。そういうふうに外に展開したのです。キリスト教はどうかというと全く正反対で、イスラエルの地では一切いかなる理論展開もしないで、ローマとビザンチン、西ローマ帝国と東ローマ帝国で初めて展開しました。

 仏教と違って、他の地域に移っていって初めて形而上的・理論的・学問的展開を遂げました。それに比べると仏教は、後ろに何も政治文化がついていないので日本人に受け入れやすかった。遥か西方浄土にいる仏様は、抽象観念として存在し得たのです。

つづく

月刊Hanada 2016年6月号より

現代世界史放談(三)

宗教戦争

 もうひとつ、別のことをお話しします。イスラム教とキリスト教の宗教戦争が続いているという現実です。日本はどちらの宗教にも関係ないのですから口出しをしてはいけません。下手なことを言ってはならない。

 イスラムはオスマン帝国が18世紀の末まで大帝国を築いていて、19世紀の前半くらいまで、ヨーロッパはオスマン帝国に力においてだけでなく、文化においても頭が上がらなかったのです。

 多くの日本人がその歴史の流れを重視していなかったのは、日本での歴史教育が西洋の優位という一点において全て理解されていて、明治の多くの思想家というと、福沢諭吉も岡倉天心も中江兆民も頭のなかが欧米だった。明治維新以降、日本の歴史のなかにイスラムは入ってこなかった。現実は、明治維新の直前までイスラムが世界を支配していたにもかかわらずです。

 アフリカの西からインドネシアの端までイスラム社会が築かれており、それが逆転されたのが18世紀から19世紀へかけてです。代表のオスマン帝国が滅ぼされたのは第一次世界大戦後です。その恨み骨髄に徹しているのがいまのイスラム教徒で、絶対にキリスト教徒を許してはいません。キリスト教徒は敵なのです。いま起こっているのは、そのような流れの下にある宗教戦争です。

 日本の知識人は、イスラム諸国のイスラム教徒は決してテロリストではない、偏見をもたないようにとしきりに論説します。それはそのとおりでしょう。ですが、どこからお金が出ているのでしょうか。イスラム系の大商人から膨大なお金が流れているに決まっています。つまり積年の恨み、イギリス・フランス・ベルギー・ロシア――――皆、宿年の大敵なのです。

 だから私たち日本人は、黙って見ていたらいいのです。下手に口を出してもいいことは何もない。安倍総理は少し喋り過ぎではないでしょうか。私は西欧に味方するなど口先でも言わないほうがいいと思っています。わが国は神道と仏教の国、争いを知らない別の宗教の国なのです。

鎖国の真実

 イスラムと西欧の関係を、わが国を巡るアジアの展望図に投影してみるとどう見えるか。

 イスラムは長年、主役であったのが18世紀の終わりから20世紀はじめ頃までの百年間に逆転してしまって西洋に地位を奪われたのと同じように、シナは長年、覇者と信じていたのに19世紀になって日本に逆転されてしまいました。イスラムと西洋の二つの関係は、中国と日本の関係とパラレルです。この観点は誰も考えてこなかった。

 つまり、今日の中国人のあれほどの政治的な反日感情は昨日今日の話ではない。第二次世界大戦以後のことでもない。イスラムの西洋に対する敗北、劣等感と敵視、それと同じことがシナ大陸とわが国の間に起こっている。韓国もシナ大陸の属国です。こういう発想が日本の外務官僚には全くない。ずっとずっと分かりやすくなると思いますが、日本の歴史教育のなかにもそういう発想が全くない。

 キリスト教の歴史をみていると悪どいもので、たとえば「ジハード」という言葉があります。あれをイスラム教徒の聖戦に当てはめて、一方的な攻撃戦のように言いますが、剣を振りかざして虐殺したのはキリスト教徒で、それを全てイスラム教徒に擦り付けたのではないか。それがジハードです。

 ちょうど日本人虐殺の通州事件を南京虐殺と読み替えて、日本人がやったようにシナ人が擦り付けるのと同じように。世界中でそういうことがやられている。ところが日本人は、そういうことをされても「へへへっ」と笑っているだけで、糞!やられてたまるか、と国を挙げて反発反撃しようともしない。

 シナは自己中心の国で思い込みが激しく、閉ざされた地域です。もともとシナは鎖国文化圏なのですね。鎖国していたという点では、東アジアはどの国も同じです。海禁政策というのですが、江戸の日本だけではなくシナも朝鮮も同じだった。外と交わらず、自分が全ての中心だと思っている。ただ明、清のシナではキリスト教の布教は許されていました。

 明の時代に、マテオ・リッチというイエズス会宣教師が、地球は丸いことを示す大きな地図「坤與万国全図」を初めてシナにもたらしました(1602年)。それは日本にも伝わり、江戸の日本が地球は丸いということを知ったのは、リッチのこの一枚の大きな地図から始まる。
ritti
 マテオ・リッチはシナの知識人に逆らわないようにするため、地図の真ん中にシナ大陸を置いて、ヨーロッパ中心ではない地図を見せました。すると、日本列島も真ん中に来るわけです。太平洋が右側、シナ大陸が左半分にある。

 それを見たシナの知識人の多くは、こんな地図は間違いだ、と言って聞き入れませんでした。地球の四分の三が自分たちの領土と思っていたからです。断固反対した。しかし、日本人は誰もそんなことを言う人はいませんでした。

 その意味で日本人は謙虚で、外から届けられる知識に対して非常に慎ましく対応して、自分を無にする心があると思います。日本人は鎖国していても、心は西洋に向けて開かれていた。鎖国は半ば以上、シナ大陸に対してなされていたのです。シナ人は江戸市中立ち入り禁止だったことはご存知ですか。

 日本人はキリスト教は禁じましたが、西洋の科学は「窮理の学」として早くから学ぶ気構えでした。自分に囚われず、遠い異文明に心を開くのが日本人の常です。これは他のアジア諸国、シナや韓半島とはまるきり違うところでしょう。

 とりわけ、韓国人はシナ人以上に自分が絶対です。滑稽なドラマがあるのはご承知のとおりです。自分のイデオロギーから抜け出ることができない民族なのですから。朴槿恵大統領は、日本の左翼よりももっと歪んだあのようなおかしな歴史観を本気で信じているのです。子供のときから習っている「正しい歴史観」に日本人を変えなければいけない、と本気で信じています。

 「正しい歴史観」とは、あくまで「韓国はえらい」という歴史観です。それに日本は全部従えと言っているだけですからきりがない話で、相手にしてもしょうがないのです。日本国民の多くはやっとそのことが少し解ってきたのですが、外務省だけがまだ分かっていない。何度でも騙される。繰り返し韓国に騙される日本の政治家と官僚群。

 驚くべきことに、最近の韓国国民は、朴槿恵大統領は外交で戦後一番成功を収めている政治家だと信じているそうです。呉善花さんから聞きました。

つづく

月刊Hanada 2016年6月号より

現代世界史放談(二)

中国の魔力

 アヘンを買い続けたシナは、次には支払うべき銀が足りなくなり、国外へ銀が流出して経済破綻します。いまの中国がまさにそれです。ドルがどんどん流出して、外貨準備高は急速に減り続けています。

 話を遡りますと、1990年代初頭、アメリカは日本の経済に敗れた頃、日米構造協議で日本の社長や経営者の財布の中身にまで干渉してきました。小売店を潰して全部大型店舗にしろなどと言われ、地方都市の商店街はシャッター街になってしまいました。勝手に日本型経営の仕方や経済構造、談合、株の持ち合い、終身雇用、年功序列にまで散々に手を突っ込んだのが日米構造協議でした。アメリカの資本主義を正統と見なし、日本のそれを異端とした。正統が異端を裁くのだという異端糾問裁判が、あの日米構造協議です。

 しかし日本側では、外務省も経済界も寂として声を挙げなかった。改革は日本の消費者のためにアメリカが善意でしてくれるのだと頻りに言い、アメリカに右に倣えとすることを国是とした。それは日本を潰せという方針であって、一斉にいろいろやられたわけですが、日本はアメリカの焦りに気がつかず、自分が間違っているように思い込んだ。

 アメリカはメキシコなど様々な国で工場展開をしましたが、うまくいきませんでした。そこで中国大陸の豊富な労働力と広い土地に目をつけると、鄧小平は待っていましたとばかりに税の優遇措置を提言し、積極的に外貨を導入しようとした。つまり、中国の政策の魔力にアメリカは囚われてしまったのです。

 他方、中国はまるで尻に火が点いたように走り出す。それから十年、十五年、その急激な変化は驚くべき速さです。しかし、これは昔のシナと非常によく似ているのです。

 19世紀のはじめ頃、イギリスも貿易赤字で苦しんでいて、清から絹・茶・陶磁器・木綿などを買っていましたが、それに見合うイギリスからの輸出品は毛織物や時計など玩具の類で、そんなものではとても清から物産を輸入できない。そこで、当時の国際通貨が銀だったのでそれを利用しようとしたが、ロンドンから銀を運んだのではなく、植民地インドから清へ銀が支払われました。

 しかしインドにもそんなに銀があるわけではないので、イギリスははじめインドに綿織物を運んでそれを売って得た銀を使って清からお茶を買い入れたが、それでも銀が足りない。

 イギリス人が次に考えたのは、インド人にアヘンを作らせてそれを清に運ぶことでした。清にアヘンがもたらされると、アヘンを吸飲する風習は瞬く間にシナ人の心を捕えて、イギリスは銀の決済をしなくてもアヘンを持って行けばお茶が買えるということで、悪名高い問題が起こるのはそれからあとです。

 ちょうどいまの中国が近代市民生活に憧れて「爆買い」するように、アヘンをどんどん買います。そのため、清にあった銀の保有量が減ってしまい、銀が急速に外に流れ出したのです。ちょうどその時期の中国といまの中国は似ている。

 現代ではアヘンではなくて人民元をどんどん刷っていたわけですけれど、最近、人民元の暴落が身近に迫ってきて、まだ値のあるうちに外貨にこれを替えるべく、国家は西側の有力企業を狙い撃ちして爆買いし、富裕層や中流層まで海外送金に目の色を変えている。

 アメリカや日本は、いま中国にアヘンを売っているわけではありません。しかし、閉鎖的で貧しかった中国13億の民に近代生活の富の味を教えた。かくて中国は毒を食らわば皿までと、金持ちになることに無我夢中になっていたけれど、ここへきていったん握ったカネを失いたくない、とドルや円やユーロにこれを替えようとして、急速に富が外に流出する事態になっているということです。

 歴史は不思議にも同じことを繰り返すものだ、と私はしみじみ思います。

つづく

月刊Hanada 2016年6月号より

現代世界史放談(一)

日米戦争の始まり

昔から欧米がアジアで注目するのはシナであって、日本ではありません。ペリーが来航した頃、蒸気船は存在せず、まだ帆船でした。ペリーは太平洋を横断してきたのではなく、その頃、アフリカ南端の喜望峰を廻って上海に行くのに、ロンドンからとニューヨークからとの二つの航路がありました。面白いことに、ニューヨークからの方が近かったのです。

 それゆえ、1810年代の早い時期に、アメリカの対支貿易はイギリスを凌駕していました。スエズ運河ができたのはやっと明治維新の頃、1869年でした。その頃、蒸気船もできて、イギリスがアメリカを引き離し、焦ったアメリカはパナマ運河の開発を考えるようになります。

 パナマを切り拓くためにはカリブ海を自らのものにしなければならず、そのためにはスペイン勢力を同海域から追い払わなければならない。そこでアメリカは、スペインと戦争を始めるのです。スペインは当時、西太平洋にもまだ力を残していました。アメリカがフィリピンを押さえ、同時にハワイを占領し、スペインを倒した米西戦争(1898年)において、太平洋はスペインの海からアメリカの海になります。実は、これが日米戦争の始まりなのです。

その話をすると切りがありませんが、少なくとも当時のアメリカでは、領土を拡大することを嫌がる勢力が国内にかなりおり、膨張主義者たちはそうした内向きの議会勢力を押さえて太平洋へ出ていくために、スペインのフィリピン領有を否定する理由が必要になっていました。フィリピン自体よりも、さらに西側により強大なアメリカの敵があることを議会で主張せざるを得なかった。その敵というのが日本なのです。当時は日清戦争が終結しており、台湾は日本領でした。

その頃から日本がアメリカの最大の敵だったのかと考えますと、そうは思えません。アメリカは一貫してイギリスと争っていたのです。イギリスをいかにして倒すか。英米は絶え間ない張り合い状態にあった。両国の貿易競争で相克するプロセスのなかに日本があった。英米対立の構図における日米戦争、あるいは大東亜戦争のそういう側面を、戦後すっかり忘れられている問題点として指摘しておきたい。

世界の妄想「シナ幻想」

その頃、シナの人口は6億人くらい、広大な土地と巨大な資源が眠るに違いないと思い込む世界中の妄念があり、いまでもそう思い込むふうがあるらしく、人々は「シナ幻想」に踊っています。

ペリーは何としても太平洋横断航路を作らなければいけない、と海軍省に手紙を出します。シナへの中継地として日本が必要であると考え、小笠原諸島を狙います。

しかし小笠原はすでにイギリスが手を付けていて、ここでも英米はぶつかります。このようにシナが本命で、日本は中継地として重要だったにすぎません。でもその力学がずっと働いていて、「シナ幻想」が世界を覆っているからこそ、いまでもシナに「大甘」なのです。

白人は、習近平のような男が居座っているのが異常だと思わないようです。スターリンやヒトラーであれほど苦しんだはずではないかと言いたい。習近平のシナは、明らかにあのスターリン型の独裁国家に急速に変貌しているにもかかわらず、暢気でぼんやりしているのが西側諸国であり、日本政府も共産社会の克服の問題については強いことは言わない。

1992年の「南巡講話」から始まったシナの改革開放路線が生産力を高めて国家的台頭を示したのには、けっして遠い、長い歴史があるわけではありません。この約十年かそこらではないか。実は5年くらいではないかとも思えてなりません。そしていま、急速に峠を越えつつあります。

現代は、アメリカが日本と一緒になってシナ大陸にアヘン戦争を仕掛けていると私は思っています。意外な観点と思われるかもしれません。

21世紀のアヘンは、中国人にとって近代生活の富ときらびやかな便利さなのです。想像もつかないスピードで、中国人は浮かれ出したではありませんか。アヘンに溺れたのとよく似ています。2000年はじめ頃、中国はまだ貧しい、穏和しい国でしたが突然、強気になり出した。日本とアメリカの投資で膨れ上がったからです。それを「自分の力」と錯覚してどんどん借財を作り、自転車操業を繰り返すことによって力を経済的に外にも高めることだけに意を注ぎ、架空の力でここまできているのではないでしょうか。

つづく

月刊Hanada 2016年6月号より