西尾幹二全集20巻 目次紹介

目 次

登場人物年表

第一部 前提編

第一章  暗い江戸、明るい江戸
第二章  初期儒学者が見据えた「中華の『華』はわが日本」
第三章  日・中・欧の言語文化ルネサンス
第四章  古代文献学の誕生――焚書坑儒と海中に没した巨大図書館【アレクサンドリア】
第五章  ホメロスとゲーテと近代ドイツ文献学
第六章  探しあぐねる古代聖人の実像
第七章  清朝考証学・管見
第八章  三段の法則――「価値」から「没価値」を経て「破壊と創造」へ
第九章  世界に先駆ける富永仲基の聖典批判

第二部 展開編

第十章  本居宣長が言挙げした日本人のおおらかな魂
第十一章 宣長と徂徠の古代像は「私」に満ちていたか
第十二章 宣長とニーチェにおける「自然」
第十三章 中国神話世界への異なる姿勢――新井白石と荻生徂徠
第十四章 科挙と赤穂浪士
第十五章 十七世紀西洋の孔子像にクロスした伊藤仁齋
第十六章 西洋古典文献学と契沖『萬葉代匠記』
第十七章 万葉仮名・藤原定家・契沖・現代かなづかい
第十八章 音だけの言語世界から誕生した『古事記』
第十九章 「信仰」としての太陽神話
第二十章 転回点としての孔子とソクラテス

注 /あとがき /参考文献一覧 /人名索引 /書名索引 /事項索引

追補一 世界のさきがけとなった江戸期の文献学 吉田敦彦
追補二 自然と歴史――西洋哲学から『江戸のダイナミズム』を読む 山下善明
追補三 長谷川三千子・西尾幹二対談 荻生徂徠と本居宣長
追補四 友人からのある質問に対する著者の応答 武田修志 西尾幹二
後記

Will 4月号・「岸田外相・御厨座長代理の器を問う!」を読んで(3)

ゲストエッセイ:吉田圭介

 私の感想は以上なのですが、この際少し勇気を出して、慰安婦問題やユネスコ登録問題のような「日本の対外主張の在り方」について私が普段思っている事柄を書かせて頂くことをお許しください。

 西尾先生は先般『同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた』という御著書を上梓されましたね。このタイトルの言葉に私は心から賛同致します。そして、究極的にはそれをやらなければ(つまり旧敵国に日本の戦争の意義を理解させなければ)歴史戦は終わらないし、慰安婦・ユネスコ問題を含む歴史認識論争には勝てないと考えて居ります。

 安倍さんとその周辺が掲げているような「戦前の日本は間違っていたが、敗戦によってアメリカの指導を受け模範的な自由民主主義国家となった。だから中国よりも道徳的上位にある」という価値観では歴史戦の出口は見えません。なぜなら、中国や韓国は時間軸において「アメリカの指導で模範的自由民主主義国家になる」よりも「前」の日本を断罪しているのですから。戦前の日本の行動の意義、合理性、妥当性、つまり大義を立証しない限り、この問題を終わらせることは出来ないのです。

 ・・・こんなことは西尾先生には釈迦に説法と言うべきですね。私の申し上げたいのは別のことです。

 日本の大義を説く相手として、中韓両国は除外して良いでしょう。無論、究極的にはその両国の国民にも理解して貰いたいですし、その両国にも科学的・客観的視点を持ち日本の主張に耳を傾けるだけの知性が存在することは疑いませんが、彼らの圧倒的大勢が事実を枉げてでも日本に恥辱を与えようと望んでいる現状にあっては、如何なる説明努力も無意味であり、むしろ相手に余計な知恵を授け増長させる結果にもなりかねないと考えます。

 そうなると説明する相手は欧米はじめ中韓以外の国々ということになりますが、そこで問題になるのは、そういった国の人々にとって日本と中韓との歴史論争などというものは全く興味の対象外であることですね。欧米の人々にとってアジアの歴史が如何に関心の外に在るかということは、西尾先生が一番よく御存知でしょう(笑)。

 興味を持っていない事柄について理解させるには、余程平易に、簡潔に、彼らの感覚にフィットした表現で説明しなければならないと思うのです。歴史上の事実関係の徹底した検証は勿論必要であり、そのための努力をされている研究者の方々には満腔の敬意を持って居りますが、当事者でない諸外国の人々にとっては、日本と中韓との間に起こった一つ一つの歴史的事象の真偽など、理解するには煩雑に過ぎまた判断の付きかねる問題ではないでしょうか。事実関係の検証とは並行して、世界中の誰が聞いても理解でき、共感できるような、平易で簡潔な形の主張の骨子を用意するべきだと考えます。

 西尾先生は、「やった事が異なれば謝罪も異なる」という誰もが納得せざるを得ない条理を用いて、日本社会を強固に覆っていた「ドイツ見習え論」を鮮やかに否定されました。外国人労働者問題でも、人権擁護法の問題でも、女系天皇問題でも、先生は、誰もが何が問題なのかをすぐに理解でき、そしてなるほどそうだ、と共感できる説明の仕方で世論の潮流を変えることに成功して来られました。

 その『西尾流』説得術を応用してこの問題を検討してみますに、まず、日本側が何を問題にしているのか、日本側がなぜ謝罪や賠償に応じられないのか、という点をハッキリさせるべきでしょう。この場合、「もう謝罪は済んでいるから」では主張として弱いですね。相手は「被害者が納得するまで謝るべき」と反論してくるでしょうし、第三者(日中韓以外の国民)から見れば後者の方が共感し易いでしょう。誰でも綺麗事を好むものです。

 やはり、日本が謝罪や賠償に応じられないのは「それが事実でないからだ」という点を徹底的にアピールしたほうが良いと考えます。虚偽に対して抵抗する姿勢は誰でも理解・共感できるものですし、誰も否定できない条理だからです。

 もう一点、虚偽に基づく恥辱を受けることが重大な人権侵害であることもアピールすべきでしょう。集団で拉致され監禁され強姦されることは重大な人権侵害です。しかし、やってもいないことで罪を着せられることも重大な人権侵害なのです。歴史問題に対する日本の法曹人たちの姿勢を見ていると、この点に無頓着な人が多いのは実に奇妙です。

 以上の二点を踏まえて、西尾先生流の適確・簡潔な説得のフレーズを考えると、

 「根拠の無いことを認めることはどうしてもできない」

 「やっていないことに対して謝罪することは不可能だ」

 「客観的証拠もなく人に罪を着せることはできない」

 と、この程度にシンプルな主張にできるのではないでしょうか。

 このくらい簡潔な主張を、総理大臣から閣僚、役人、ビジネスマン、海外留学する人、単なる海外旅行者に至るまで、あらゆる日本人が事あるごとに、あたかも決まり文句のように口にしていれば、関心の薄い第三者である諸外国の人々でも、「日本が何と戦っているのか」を理解し共感してくれるのではないか・・・・そんな風に思うのですが、先生は如何お思いになられるでしょうか。

 折角ですから調子に乗って、もう一つ私見を述べさせて頂きます。

 日本人が海外に向かって何かを主張する場面を見ていて残念に思うのは、先程も書きました相手の感覚にフィットした表現をしようとする工夫が足りないように見えることです。

 中韓両国民にはそれができています。日本側がいくら誠実に事実関係の真偽を説明しても、「日本のやったことはナチスと同じだ。なのに日本はドイツのように反省しようとしない」という粗雑な主張のほうが力を持ってしまうのは、ナチスという例えが海外の人々にとって理解し易く感覚的に身近だからでしょう。根本的に意識の低い外国人に何かを説明し理解して貰うためには、彼らの知識や感覚にピンと来る比喩を用いるべきだと考えます。

 イラク戦争で、バグダッドにおける市民の犠牲者数を、アメリカ側は一万数千人と発表し、イラク側は十万人以上と発表しました。「南京大虐殺に関する日中の論争というのはコレと同じことだよ!」とアメリカ人に説明すれば、彼らはたちまち理解するのではないでしょうか。

 北朝鮮の政治宣伝絵画というものが有ります。勇ましい北朝鮮兵士の姿や慈悲深げな指導者の肖像といったグロテスクで陳腐なものばかりですが、その中に、朝鮮戦争を描いたものなのでしょう、アメリカ軍兵士が泣き叫ぶ赤ん坊を井戸に投げ込む様子や朝鮮の若い娘に襲い掛かる様子を、ことさら残酷におどろおどろしく描いたものもかなり有るのです。「韓国が日本に対して主張しているのはコレと同様のことなんだよ!」と説明すれば、どちらが誇張や捏造をしているのかアメリカ人にはすぐに解って貰えるのではないでしょうか。

 ・・・と、後半は日頃の妄想ばかりを書き連ねてしまいました。誠に申し訳ありません。

 西尾先生のご論考を拝見すると、思考が無限に広がってしまうのです。先生の視点がフラットで自由で俯瞰的で、そして何より未来への意志に基づいているからだと思います。

 いつもながら、深遠な洞察に満ちたご論考を拝読させて頂き、有難う御座いました。

Will 4月号・「岸田外相・御厨座長代理の器を問う!」を読んで(2)

ゲストエッセイ:吉田圭介

 さて、岸田外相が日韓合意を発表した時、「軍の関与」という致命的な文言が入っていることに即座に反応したメディアは、産経新聞を含め余り無かったように思います。私は思わずニュース画面にスリッパを投げつけてしまいましたが(笑)。

 「10億円の拠出」や「不可逆」の文言ばかりが取り沙汰されている印象でした。

 西尾先生だけは合意発表直後からその文言の危険性を指摘していらっしゃり、我が意を得た思いが致しました。

 あの河野談話ですら「軍の関与」の範囲として(慰安所の)「設置」と「移送」という一応の限定を付けていたのに、岸田氏はそういった配慮も一切なく実にあっさりとその文言を使ったため、慰安婦問題の最大の焦点である(慰安婦の)「募集」についても軍の積極的関与を認める形となってしまったのではないかと考えます。河野談話より悪化していますね。

 河野談話をめぐる交渉の時も、韓国側は「軍の関与」という文言を入れろ、と執拗に要求したと聞きます。彼らのほうが日本の外交官よりも余程この文言の重大性を理解していると言わざるを得ません。「軍の関与」はすなわち「国家意志」と見做されるということを、岸田氏は認識しているのでしょうか。

 かつて西尾先生は「歴史認識ではドイツを見習え」という主張への反論の中で、「国家犯罪」と「犯罪国家」との違いを定義されました。戦争や内乱といった混乱状態の中で国家が犯罪行為を犯す「国家犯罪」はどこの国でも行い得る。しかし、始めから犯罪を国家意志として実行する「犯罪国家」は極めて特殊であり、ナチス・ドイツやポル・ポト政権といった稀なケースだけである、と。

 韓国にとっては、慰安婦問題がどこの国でも行い得る「国家犯罪」では困るのでしょう。なぜならその基準で測れば自国も被告に立たされ得ることになり、日本と立場が相対化してしまうからです。日本に対して絶対的上位に立つためには、日本が「犯罪国家」でなければならない、そのために必要な文言が「軍の関与」である、という韓国側の狙いを日本側がきちんと理解していれば、あれほど安易にこんな重大な文言の使用を許すはずがないと思うのですが・・・。

 優秀極まりないはずの外務官僚たちがどうして度々重大なミスを犯してしまうのか?

 彼らの思考形成や心理形成の背景にまで深く思いを巡らし、何とかその原因と改善の道を探ろうとする先生のご論考に、胸が苦しくなる思いが致しました。

 先日、先生が御欠席になった坦々塾研修会で、中村さんが宮内庁内部の破壊分子、特に外務省からの出向組の危険性をお話になったのですが、それに対して別の会員の方から「外務省には友人も居るがそこまで確信的に伝統破壊の意図を持っている者が存在するとは思えない。みんな伝統や祭祀は大事だと思ってはいるが人員も予算も不足気味なだけなのだ」という反論が出る、面白いディスカッションがありました。

 祖国に尽くす意志に満ちた外務官僚も沢山いらっしゃると思いますし、その中には西尾先生の発言を注意深く見ている人も必ずあると信じて居ります。

 最終章第七章を読むと、切迫する危機の余りの多さに焦燥感を覚えます。昨年の夏、軽井沢からお帰りになった先生をお迎えして別の会合までご一緒した折、山手線の中で「どうしてみんなこんなに呑気な顔で居られるんだろう!」と先生が大きな声で嘆かれたのを覚えていますが、私も街を歩きながら同じ思いに囚われて居ります。自由民主主義の勝利によって歴史は終焉した、などと能天気に喜んでいた時代は去り、再び全体主義的国家が(少なくとも部分的に)ヘゲモニーを握る世界が到来するのではないかとさえ思います。

 韓国の自滅は、反日という不条理極まりない病理(西尾先生の表現をお借りすれば「とぐろを巻く自家中毒」とでも言うべきでしょうか)による自業自得であって何ら同情する必要もありませんが、仮に北主導による統一朝鮮が出現した場合、日本は否応なく、自らの「力」を行使して自己の運命を切り開くことを強いられるでしょう。問題は日本人が物理的・精神的にそれに耐えられるかということになりますね。

 常識を以て現実を分析し、論理的帰結として得られた結果から目をそらさず、感情論や非思想性の穴倉に逃げ込まない。月並みではありますが、そう腹を決めて物事に臨んでいくより他にないと結論致しました次第です。

 西尾先生は既に25年前の『朝まで生テレビ』で、「統一し核武装した朝鮮半島と日本が対峙することが一番の悪夢であり、そうなった場合我が国の憲法論議は軍事が極めて強いウェイトを占めたものになってしまうかもしれない。そうなっては却って危険だから、冷静に議論ができる今のうちにきちんと軍事力を規定した憲法改正をすべきだ」と発言されています。

 向かい側に座った色川大吉氏、まだピースボートの代表だった辻元清美氏、『インサイダー』の高野孟氏らが嘲るような笑い声を上げましたが、どちらに将来を見通す知性が有ったかは言うまでもありませんね(笑)。真にフラットな視点で世界を見、勇気を持って真実を語っているのは誰なのか。「人物の真贋」の洞察の重要性もまた、今回のご論考を拝読して強く感じました。本文中の「人間がすべてなのです」というお言葉を肝に銘じたいと思います。

つづく

Will 4月号・「岸田外相・御厨座長代理の器を問う!」を読んで(1)

ゲストエッセイ
坦々塾会員・吉田圭介

 最新のご論考への感想を書かせて頂きます。若輩者が甚だ僭越ではありますが、「もっと自分の考えを言葉に出せ!」という、坦々塾会員に向けた西尾先生の年頭の檄に背中を押され、率直に自分の思う所を書いてみた次第です。先生並びに会員の皆様のご高覧を賜れば幸甚に存じます。
 
 では、ご論考の展開に従って述べさせて頂きます。

 冒頭の、沖縄で市街地を回避して不時着したオスプレイの操縦士に対する心無い非難の見苦しさは、私も痛感して居りました。そして、事あるごとに米軍を悪し様に罵りながら、それでいて米国防長官の「尖閣に安保適用」の一言には朝野を挙げて喜ぶ節操の無さも、およそ常識の有る者なら到底居たたまれないような恥ずかしさを覚えるのが当然でありましょう。

 ただ、西尾先生はそういった常識的感覚の欠如の問題よりも更に一歩奥にある日本人の感情に分析を加えていらっしゃると感じました。本文中の、「米軍に守られている自分がじつは本当の自分ではないという不本意な感情、後ろめたさが伴っていることがつねに問題です」という部分です。

 不本意な状況に置かれた者は、確かに卑屈になるものですね。それも不満や怒りを含んだ卑屈さですからタチが悪い(笑)。不貞腐れた状態、とでも言うべきでしょうか。「アメリカの庇護」を有り難がる森本敏氏的右派論客も、「どうせ中国には敵わない」と嘯く孫崎享氏的左派論客も、決して自己の言葉に確信を持った明るく前向きな表情で語ってはいないように思います。存外、両者の心の奥底にのしかかっている不安は共通のものなのかも知れませんね(笑)。

 もっとも、ホリエモンや辻元清美といった人たちの世代になると、現在の日本が「不本意」な状況に置かれているという認識も無さそうで、アメリカや中国の言う通りにすることに何の屈託も感じないかも知れず、それはそれで深刻な問題ではあるのですが・・・。

 さて、その左右問わず全ての日本国民の心を冷え込ませている不安を解消するには、自らの「力」を行使して自己の運命を切り開く、ということへの躊躇を克服するしかないのだと、これはもう論理的帰結として明らかだと思うのですが、それをハッキリと明確な言葉で主張なさっているのは例によって西尾先生だけです。

 卑屈な人間、不貞腐れた人間はイヤなことを考えなくなるものです。自己に都合の悪いことを目にするのさえ厭うようになります。私のような弱い精神の人間にはよく判ります。

「和」という美名に隠れたひ弱なご都合主義を、「無風型非思想性」と一刀両断される西尾先生の一喝に、冷や汗の出る思いが致しました。そういう、容赦なくかつ的確に相手の欠陥の核心を一言で言い表す絶妙の造語(?)も、西尾先生の文章の大きな魅力です。

 「波風が立つほうがよほど生産的で、未来を動かす」という一文にも心を打たれました。どこか暗くて、卑屈に用心深く、それでいて不貞腐れたように投げやりな感じのする当代の論客たちの姿勢に比べて、実に明るく前向きな力強さのあるお言葉だと思いました。思えば我々坦々塾会員も知らず知らずの内に世の風潮の影響を受け、少々「無風型非思想性」に浸食されていたかも知れません。反省して居ります。

 次に、御厨貴氏に関してなのですが、私は不勉強で御厨氏の著書を全く読んでおりませんので余り申し上げるべき所見も思い浮かびません。ただ、TV等での発言を見る限り戦後の国家観・歴史観から一歩も出ない思考の持ち主としか思えず、思想云々以前にその新味の無さ、退屈さから敬遠して居りました。

 御厨貴氏、内田樹氏、加藤陽子氏といった方々が、昨今、政治や歴史に関する議論の場で引っ張りだこの大人気ですが、私にはどこが魅力なのかよくわかりません。彼らの主張は丸山真男や鶴見俊輔といった方々の主張と何も変わらないもので、時代の変化に伴う新しい知見やそれに基づく新たな考察が全く感じられないからです。

 もし彼らに何か新味が有るとすれば、これまでの所謂進歩的知識人に比べ多少「分析的」なところでしょうか。例えば戦前の指導者の書き残した文章や発言、当時の新聞や雑誌の記事、選挙の結果、外交交渉の記録、各種の統計データ等々、実に様々な資料を引用して論考する点が、新しさと感じられなくもありません。

 しかしどうにも理解に苦しむのが、それら様々な資料を分析していけば、戦前の日本が(最善とは言わないまでも)それなりに必然性の有る合理的選択をしていった結果があの戦争であり今日まで日本国と日本民族が歩んできた歴史であることは解るはずなのに、彼らが相も変わらぬ戦前暗黒史観・日本悪玉史観に凝り固まっていることです。

 そして近年国民の中に湧き上がってきた、保守系言論誌からインターネット空間での草の根言論に至る「右寄りの言論」の勢いに対しては、感情論的罵倒を並べるばかり。トランプ現象に対しても、「そんなはずはない」程度のボヤキしか言っていませんね。アメリカ庶民の怒りを正確に分析していた藤井厳喜先生や、その怒りの源を「自由世界を守るために不利益に耐えてきたルサンチマン」だと喝破した西尾先生の深い人間洞察と比べて、その浅薄さ、粗雑さは驚くほどです。

 トランプ当選を伝えるNHKのドキュメンタリーの中で、今は閉鎖され廃墟と化したかつての自分の勤務先の工場を前にアメリカ人らしい筋骨隆々の大男が男泣きに泣きながら昔を懐かしむ映像を見て、「ああ、アメリカ人もこんなに苦しみ怒っていたんだなァ」と、粛然とした気持ちになったのを覚えています。

 「無風型非思想性」で目を覆われた日本人は、このようなアメリカ人の心の底に溢れていた怒りというものに気付いていなかったのですね。油断であり怠慢であったと思います。

 このような人物が皇室の在り方を決める有識者会議の実質的座長とは・・・。文中の引用文の中で御厨氏は天皇を「国の臍」と言っていますね。臍は生まれるときには必要ですがその後は不要でムダなものになります。そういうことが言いたいのでしょう。

 「主権在民」というドグマの中から一歩たりとも視野を広げようとしない硬直性。それでいて、「伝統を尊崇する民意」や「自国優先を支持する民意」は平気で無視する独善性。

 古い古い前時代の左翼と何が違うのでしょうか。

つづく

岸田外相、御厨座長代理の器を問う!」(WILL2017年4月号)を読んで

ゲストエッセー 
坦々塾塾生 仲小路昌備(なかしょうじ まさよし)

 中国・北朝鮮・韓国という“悪友”に囲まれるだけでなく、近年“悪友”の一部が我が国内にじわじわと浸み入りつつある日本国の将来への不安と憂いの思いは尽きません。

 かつて福澤諭吉は、“悪友”への深情けを国益ならず「我は心に於て亜細亜東方の“悪友”を謝絶するものなり」と突き放し、力の行使もやむなしと論陣を張り、陸奥宗光は、“悪友”の身勝手で傲慢な振る舞いに敢然と立ち向かい、結果、日清戦争を勝利に導きました。当時の福澤の時事新報の社説や陸奥の外交記録「蹇蹇録」を読むと、往時の日本人の国益を求め懸命に“悪友”や欧米列強に立ち向かった姿が眼前に見て取れます。

 その日清戦争から50年後に敗戦。一旦緩急あれば自ら義勇公に奉じることのできぬ国となり下がり、敗戦後70余年経っても敗戦国イデオロギーは払拭されず“悪友”との付き合い方は真にさま変わりです。身勝手で傲慢な“悪友”に仲良くしてと自ら妥協に妥協を繰り返し、“悪友”からの提案を待って自らのゴールポストを“悪友”に近づける。そこには、国益を背負った責任も矜持も感じられません。

 “悪友”に国民を拉致され、南京大虐殺や慰安婦強制連行など身に覚えのない難癖をつけられ、大量の密漁船に領海のサンゴ漁場を破壊され、領土・領海・領空を侵犯されても、まともな反論や対抗措置を行使できない日本政府に一般国民がもどかしさや頼りなさを感じて半世紀以上たちます。西尾さんの当論考の岸田外相、御厨座長代理の例を含め、安倍政権の内も外も、内部も周辺も動脈硬化ですが、外務省の動脈硬化はさらに悪性です。

 外務省の動脈硬化対策は、平成になってから少なくとも3回は実施しています。平成11年、外務省機密費流用事件では、曽野綾子女史や平岩外四翁を有識者として改革案をまとめ、平成14年の鈴木宗男事件では、船橋洋一、吉永みち子、岡本行夫各氏等を招いて外務省を「変える会」を、また民主党政権では、岡田克也外相が旗振り役で平成22年に「活力ある外交」を、と外務省改革を夫々実施しています。しかし、実効の程は推して知るべしです。

 動脈硬化罹患の外務省の現行採用試験制度、研修制度、人事制度、そのいずれも同質の外交観を持つ省員を養成するためにあるかと思うほどです。いわば「外務省村社会」の「アジア太平洋局集落」ないし「北米局集落」の中では、課長と言えども既存の政策方針を否定することは難しいでしょう。あえて上司の課長時代の業績を否定し、自身の人事評価を貶めてまで政策変更をする可能性は極めて低いと思われます。

 西尾さんのおっしゃるように外務省改革は喫緊の課題でしょう。
 現在の日本の外交に欠けている国際情勢に対する怜悧なリアリズムと精神-機略、豪気、判断力、気概-。その回復を期して実現困難な荒療治を含めてアイデアベースで挙げると下記でしょうか。

・新人採用試験の抜本的見直し(国家とはなにか、外交および戦争についての識見を問う試験や論文提出の追加等)
・研修カリキュラムの見直し、とりわけ歴史教育の充実。(なお、外交政策、外交に特化した歴史、政治学、国際情勢に関しての講義回数は数多ですが、一般的な歴史教育は寡少です。)
・国際的恥辱問題(南京大虐殺、慰安婦強制連行、端島等)解決タスクの予算・人員倍増
・専門職は同所属原則3年未満勤続制限を解除、専門スキルを深化
・大使館・領事館のインテリジェンス作業強化。他国の機密機微情報の蓄積強化
・イギリス等外交戦略に長けた国のお抱え外交顧問およびお抱え研修講師の招聘
・外務省の若手の自衛隊訓練、ないし米、英、スイス、などの外国兵役訓練に参画、等

 上記に関しては、外務省の現況を憂う保守系OBでは、馬淵睦夫元ウクライナ大使や加藤淳平元ベルギー大使などに外務省現役を紹介いただくなどして現況を確認しつつ、課題解決のフィジビリティスタディを試みるのはいかがかと。

 なお、内閣官房に日本版NSC(国家安全保障会議)という組織が2014年にできました。NSCの中核となるのは総理大臣、官房長官、外務大臣、防衛大臣による「4大臣(機密情報共有)会合」です。米国CIAのようないわばスパイ組織(対外情報機関)は未設置で懸案事項です。この対外情報機関の設置を含め、インテリジェンスの機能増強も日本国の国益および存続の必須要件だと思います。

蛇足:
つい先だって2月17日のトランプ政権下で初めての米中外相会談があり、ティラーソン米国務長官は王毅外相に北朝鮮の核・ミサイル問題について「あらゆる手段を使って北朝鮮の挑発を抑制するよう促す」と圧力強化を求めたとの旨、各メディアにて報道されました。それに対して王毅外相は、「中国に責任を押しつけず、米国みずから対応する必要がある。」(NHKBS1 18日13:57)とオバマ政権時代の対応と異なりトランプ政権の国務長官からの要求に反発の態度を示してのさや当てが始まっています。この二国の交渉結果により半島の情勢が急展開する可能性があります。それに応じた受動的な外交対応を日本国は強いられ、さらに米中・米露が水面下で結託するなど雲行きが怪しくなった時、自主的・能動的な外交ができるのか、石像が外務省の敷地にある陸奥宗光のような外交官を見出しえない昨今、これから先が思いやられます。

落ちこぼれ塾生

ゲストエッセイ
坦々塾塾生:西 法太郎

 サボってばかりの落ちこぼれの塾生ですが、このたびゲストエッセイを求められ、背中がむず痒い思いです。(苦笑)

 そもそも塾長の西尾さんに初めて会ったのは、いつだったろうと思い返しました。
 たしか場所は麹町の弘済会館で、そこで生長の家出身の伊藤哲夫氏の講演があった。
 最前列にいる西尾さんをみとめて、「しなの六文銭です」とあいさつしたら「もっと高齢かと思っていました」とおどろかれました。 

 しかし、還暦を過ぎましたからもう若くはありません。でもまだまだ洟ったれ。
 まず私の近況から。ここ数年三島由紀夫論を書くことに沈潜していました。

 国会図書館に通い資料を漁り、三島と交流があったさまざまな方や三島事件の関係者に会い、それらを学士会館に籠ってPCに打ち込む日々でした。

 その成果(?)を原稿用紙換算で駄文1000枚余に書き上げました。
 そして一昨年一旦ある版元から昨年上梓することになりました。
 ところが紆余曲折があり、原稿が熨斗(うん十万円)をつけて戻ってきました。
学士会館とは春日通りを隔てた至近に移ってきた花田さんにご挨拶に行って、そのことを話したら、「そんなことはめずらしい。もらえるものはもらっときゃいいんだ」と。(笑)

 上梓が延期になったおかげでそのあと「花ざかりの森」の直筆原稿を発掘し、このことも原稿に盛り込むことができました。
 あと四年で三島事件、つまり没後五十年になります。私の三島論はそれまでに世に出せればよいと悠長にかまえています。
 一方霞を食べては生きてゆけないので、今月から何回か「表現者」にその一端を披露します。

 さて、ここからが本題です。私は思いついたことを都度フェイスブックにアップしています。
 そのなかから最近のものを敷衍して述べたいと思います。

 それは今上陛下の退位問題です。
 以前から皇統(天皇制という日共用語は使いません)について関心がありました。
昨年末久々に、坦々塾に参加したのはその関心が私の背を押したからでした。
 幸い講演された斎藤吉久氏と懇親会でじっくり話を交わせました。
 そもそも、ああいうかたちで陛下の意向が漏れたことに不自然さを覚えました。
 そしてそれが「生前退位」という妙な用語で広められたことに違和感を持ちました。
 大騒動になり、陛下のお気持ちに沿い、そうしてさしあげるべきとの国民世論が形成されました。

 そこでヤスバイ政権は半可通たちを〝有識者〟として掻き集め、諮問し、一代限りの特別法で対処する方針に民意を導きました。
 しかしこれは陛下の本当のお気持ちに沿っておらず、政府は陛下が異を唱えることに戦恐としています。
 陛下はご自身だけでなく、今後の皇統においても自由に「譲位」できるようにしたいと思われていると忖度されるからです。
 そこで、私は思うのです。
 明治維新で成った薩長藩閥政権が皇室典範で皇統を縛ったのがそもそも不敬の極みで大過誤であったと。

 権威を権力にむすびつけて国政や外交に利用したことは日本の歴史における大きな過ちだったのです。そして巨きな歪みをうんだのです。
 日本帝国が先の大戦で滅亡し、おおやしまを外国に蹂躙されたのも必然のなりゆきでした。

 藤原(中臣)家、平家(清盛は皇族でしたが)、足利家、織田信長、徳川家なども皇統に容喙してきました。
 薩長政権もそれに倣ったのですが、法律で縛ったことは千載の憾みとなりました。
 そして戦後、戦勝国も皇統を恣にしました。
 かくなるうえは、このたびの今上陛下のご提言を奇貨として、いままでの悪弊にピリオドを打つべきと考えます。
 皇室以外の者が、皇統に口を差し挟むことを止め、その決定を皇室にお返ししするのです。
 つまり特別法の制定や皇室典範の改定ではなく、〝皇室典範の廃止〟です。
 そうすることが陛下の本意に沿うことになるのでしょう。
 今上陛下個人のお気持ちをそこまで汲み取ることに異論はあるでしょう。
 しかし「皇統を皇室に委ねる」ことが日本の歴史にかんがみて本質的な対処だと考えます。

 そうした場合、日本国憲法の第2条、5条を廃止しなければなりません。
 第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
 第五条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
 そして、政府は皇室の独立性確保のため、これまでの皇室への財政援助、人的支援を引き上げるべきです。
 これには憲法の8条を廃止しなければなりません。
 第八条  皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

 そのままで皇室は立ち行かなくなりますから、戦勝国が不当に奪った皇室財産(主にスイスの銀行口座の資金)の返還を求めます。ヤスバイ政権は戦後皇室が放棄し国有林にしたものを返還しましょう。

 GHQが作成した資料によると以下がその明細です。(単位:円)
現金 33,045,960
有価証券 311,098,337
土地 393,974,680
木材 592,865,000
建物 312,208,475
その他 32,074,621
合計で約十六億七千五百万円(昭和20年9月1日現在)

 これで明らかなように皇室資産の三分の二は木材、土地、建物でした。なお絵画、陶芸品、宝石などは含んでいません。
 明治政府は現在同様、当初は国家予算から皇室経費を出していました。しかし帝国憲法発布のころ予算外の資産をつくりました。
 政府保有株が皇室に移されました。決定的だったのは御料地創設でした。北海道の広大な山林、長野県の木曽川、静岡県の大井川一帯が皇室資産に移されました。

 戦後GHQの意向を受けて、皇室は森林など76万ヘクタール、農地4万ヘクタール、建物4500坪、現金と有価証券2億5800万円を手放しました。
 現金は2%でしたが、ほかに銀行名義のものをもありました。それがスイスなどの銀行にありました。
 これらで皇室はみずからを存続していってもらいます。
 薩長藩閥の後裔たるヤスバイ首相のなすべきことは「皇統を皇室にゆだねる」ことに復することです。そのための改憲です。

 伊勢神宮、春日大社、出雲大社などが民間からの浄財で、数十億から数百億円の遷宮を行っています。皇室にもそういう民間の援助が自ずからあるでしょう。
 陛下が皇統を自由にされたいなら、国民から徴収された税金の投入はできません。それをよしとするご覚悟があったうえでのお気持ちと拝察します。
 日本国政府が皇室をコントロールしていることは、日本政府をコントロールしている同盟国をはじめとする戦勝国のコントロール下に皇室、皇統を置いていることになります。

 皇室を戦前、いえ、明治維新以前の状態に復し、まったき独立性を持たせることが日本国の彌栄になると信じます。以上天下の暴論です。

韓国が国際社会に喧伝するウソ「20万人」「軍関与」 日本は「国際的恥辱」払拭する努力してきたか

 産経新聞 平成29年1月19日正論欄より

 私はつねに素朴な疑問から始まる。日本の外交は国民が最大に望む一点を見落としがちだ。何かを怖がるか、安心していい気になるかのいずれかの心理的落とし穴にはまることが多い。今回の対韓外交も例外ではない。

≪≪≪ウソを払拭しない政府の怠慢≫≫≫

 米オバマ政権は慰安婦問題の真相を理解していないので不当に日本に圧力を加えていた。心ならずも妥協を強いられたわが国は、釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置されたことを受けて、大使らを一時帰国させるという強い措置に出た。日本国民はさぞ清々しただろうといわんばかりだ。が、日本外交は米韓の顔を見ているが、世界全体の顔は見ていない。
 
 慰安婦問題で国民が切望してやまない本質的な一点は、韓国に“報復”することそれ自体にはない。20万人もの無垢(むく)な少女が旧日本軍に拉致連行され、性奴隷にされたと国際社会に喧伝(けんでん)されてきた虚報の打ち消しにある。「20万人」という数も「軍関与」という嘘も、私はふた昔前にドイツの宿で現地新聞で知り、ひとり密(ひそ)かに憤怒したものだが、あれ以来変わっていない。ますます世界中に広がり、諸国の教科書に載り、今やユネスコの凶悪国家犯罪の一つに登録されかけている。

 日本政府は一度でもこれと本気で戦ったことがあるのだろうか。外交官が生命を賭して戦うべきは、事実にあらざる国際的恥辱の汚名をすすぐことであって、外国に報復することではない。

 女の子の座像を街角に建てるなど韓国人のやっていることは子供っぽく低レベルで、論争しても仕方がない相手である。敵は韓国人のウソに乗せられる国際社会のほうであって、日本の公的機関はウソを払拭するどんな工夫と努力をしてきたというのか。

 ≪≪≪なぜミサイル撤去を迫らないか≫≫≫

 実は本腰を入れて何もしなかった、どころの話ではない。一昨年末の日韓合意の共同記者会見で、岸田文雄外相は「当時の軍の関与」をあっさり認める発言をし、慰安婦像の撤去については合意の文書すら残さず、曖昧なままにして帰国した。しかるに安倍晋三首相はこれで完全決着した、と断定した。
 まずいことになったと当時私は心配したものだが、案の定1年を待たずに合意は踏みにじられている。国際社会にわが身の潔白を示す努力を十分に展開していたなら、まだ救いはあるが、「軍の関与」を認めるなど言いっぱなしの無作為、カネを使わない国際広報の怠惰はここにきてボディーブローのように効いている。

 軍艦島をめぐるユネスコ文化遺産登録の「強制労働」を強引に認めさせられた一件の致命傷に続き、なぜ岸田外相の進退が問われないのか不思議でならない。

 私はもう一つ別の例を取り上げる。対ロシア外交において、プーチン大統領来訪の直前、択捉島にミサイルが設置された。

 日本政府はなぜ抗議しなかったのか。せめて平和条約を語り合う首脳会談の期間中には、ミサイルは撤去してもらいたいと、日本側から要請があったという情報を私はただの一度も目にし耳にすることはなかった。

 私は安倍政権のロシア接近政策に「合理性」を見ていて、対米、対韓外交に比べていいと思っている。北方領土は放っておけばこのままだし、対中牽制(けんせい)政策、シベリアへの日本産業の進出の可能性などを考えても評価に値するが、ミサイル黙認だけはいただけない。昔の日本人ならこんな腰抜け外交は決してしなかった。

 ≪≪≪感情的騒ぎを恐れてはならない≫≫≫

 もう一例挙げる。オスプレイが沖縄の海岸に不時着する事故があった。事故機は住宅地を避けようとしたという。駆けつけた米国高官は、日本から非難される理由はない、と憤然と語ったとされるが、私もそう思う。いわゆる沖縄をめぐる一切の政治情勢からとりあえず切り離して、搭乗員がとっさにとった“回避行動”に、日本側からなぜ感謝の言葉がないのか。県知事に期待できない以上、官房長官か防衛相が一言、言うべきだ。これは対米従属行為ではない。礼儀である。

 感謝の言葉を聞かなかったら、米兵は日本をどうして守る気になるだろう。日本は武士道と礼節の国である。何が本当の国防のためになるのかをよく考えるべきだ。
 プーチン大統領には来てもらうのが精一杯で、ミサイル撤去の件は一言も口に出せなかった。沖縄の件はオスプレイ反対運動の人々のあの剣幕(けんまく)をみて、何も言えない。岸田外相が「(当時の)軍の関与」を公言したのも、韓国の感情的騒ぎが怖かったのである。

 何かを怖がるのと、安心していい気になるのとは同じ事柄の二面である。今度、韓国に「経済断交」に近いカードを切ったのは、ことの流れを知っている私は当然だと思っているが、日本人がこれで溜飲(りゅういん)を下げていい気になってはならない。日本人も本当に怖い国際世論からは逃げているので、情緒的韓国人と似たようなものだと思われるのが落ちであろう。(評論家・西尾幹二 にしお・かんじ)

西欧の地球侵略と日本の鎖国(六)

六/六)
 その次に何がつながるかというと、フランスは力を失っていたのですが、イギリスとロシアにしてやられているのが悔しくて、1785年にフランス政府はジャン・フランソワ・ド・ラペルーズを派遣します。フランスは日本に重大な関心を示して、日本を調べてくるよう命じます。まず南太平洋に入ったラペルーズはハワイ諸島、北アメリカ大陸を巡った後、日本列島の日本海側を通っています。その前に台湾、琉球や済州島を測量して日本海側に入って能登半島を徹底的に測量します。東北地方はすでにクック隊が測量しています。

私が感心するのは、ヨーロッパは「国際社会」で、ベーリングやクックの測量の数値やデータが全部公表されていたことです。だからクックは日記の中でベーリングがやった海洋探検について「素晴らしい。だいたい正確だ」と褒めています。同じようにラペルーズは、クック隊の太平洋側と日本列島の測量も公表されているので、日本海側のデータを揃えて日本列島の「幅」を測量して数値の計算をしています。つまり争っている国同士、競争し合って、時には戦争もする国同士だったにもかかわらず、国際社会の約束やデータを尊重しあう。そういう事で協力し合う、という近代性が備わっていた。これは当時のアジア人には考えられないことでした。なんのかんの言ったって負けているのです。ヨーロッパはこれだけの規模のことをやっていたのです。日本に「鎖国が無かった」などと言えますか! これだけのことをやられていたということで、暗黒の鎖国の中にいたのではないでしょうか。

 1784年にはジェームズ・クックの航海記が刊行されます。クックの死後5年後です。航海記はオープンなので、これが大変に読まれます。ここでラッコの生息地のデータが公開されますが、ロシアは一人儲けをしていたので危機感を覚えます。フランスもクックの航海記を見てから、1785年にラペルーズが出てくるのです。しかしあと4年後に何が起こるか分かりますね。フランス革命です。ですからフランスは国内が混乱してしまい、もう北太平洋の争いに参加することが出来なくなります。フランスはここで退場しますが、イギリスと、そしてアメリカが登場します。そしてロシア。オランダは端からここに入っていません。前にも話しましたがそこが大事なのです。日本はオランダだけを頼りにしていたのですから、ほとんど片肺思考だったのです。

先ほどベーリングの話をしましたが、別働隊を二つ連れていっています。そのうちの一つは千島列島を下って日本列島に来ています。1741年にアメリカ大陸(アラスカ)を発見する2年前の1739年のことで「元文(げんぶん)の黒船」と呼ばれています。1回目は宮城県に来ています。日本の役人が船に乗り込んで、丁重な挨拶をしてロシア側は船上でご馳走やお酒で彼等をもてなして楽しい談話をしたあと、きれいに別れたというだけのことで、ロシア船もこれで満足して帰っていったそうです。2回目は千葉県で、陸上にあがってきて農家を訪ねて軒先で大根と水を貰って(笑)(壊血病があるから大根は必要ですよね)それからお茶を飲んで煙草を呑んで帰って行った。言葉は通じないけれど楽しい話をたくさんして帰って行った。そのとき律儀にも銅の貨幣を置いていきました。それは直ぐに長崎奉行に届けられて初めてロシアの貨幣と分かったのです。そのあとレザノフとかいろいろ出てきますが、日本にロシアが来たのはこれが最初でしょう。これはおそらくラッコの貿易で来たのだと思います。すでにラッコは乱獲されすぎたということで、教科書には捕鯨船がたくさん来たことは書いてあります。

ヨーロッパに物産を持って帰るのではありません。ラッコはシナの貴族に売ってそれが儲かるという話がワーッと広がって次々と船が来たという話です。いかにアジアが富んでいたかということです。有名な話に、イギリス人が清朝の皇帝に会ったら「清朝は何でもあるから貿易などする必要ない」と言って三跪九拝させられて帰ったという話もあります。それくらいアジアは豊かで、日本もまたそうでした。それにしても日本がその当時ラッコの毛皮を買って使ったか、ということになると寒さの度合いも違うしあまり聞いた話ではありません。だからといって日本からラッコの話が消えるのはおかしなことです。

ペリーは日本に捕鯨船で来たといいますが、これは当時の産業に微妙な変化が起こっていて、機械の潤滑油に鯨油が必要になったということが基本にあります。女性のコルセットに鯨髭を使うこともありました。そうなるとラッコはその多くがシナで大金を得るためが目的でしたが、クジラは全部ヨーロッパかアメリカで消費されました。

ここに貿易の質と内容に大きな転換があったと考えられますが、それは間違いなく産業革命です。それによってヨーロッパが力をつけてゆきます。それと、これまでお話してきた情報量です。世界を制覇せんとした勢いです。これはなんのかんの言っても、科学と冒険心と愛国心と、そして経済的な動機と・・・。こういう物が一体となった情熱はどの国にもあり、そして我々の今の時代にももちろんありましたけれど「限界点へ向けての限りなきパッション」これは優れてヨーロッパ的で、それは少し前の時代まではインド洋と南太平洋であったのが、地理的空間の大規模な移動への熱情が北太平洋に変わった、北極海経由の海路に取替わったということです。それは18世紀人からの夢でした。ロシアとイギリスがその夢を牽引したのです。アメリカはその後についてきたのです。

ロシアとイギリスこそがユーラシア大陸を二分したこの後の政治的、次の世紀の軍事的対立のドラマ。すなわち「グレート・ゲーム」とよばれる中央アジアを巡る争い。皆さん知ってのとおり、日本も明治になってそのドラマに参加しますね。関岡英之さんが『帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略』という本を書きました。その「グレート・ゲーム」はこの北太平洋を巡る争いから始まっているのです。日本周辺の海域から始まっているのです。そしてそれは東アジアをも引き裂いて、開国して間もない我が国が英露の代理戦争である日露戦争に引きずりこまれた根本的な背景です。

つまりこれまでの地球を二つに引き裂くドラマは、アメリカが次の時代に登場するまでの世界史だったのです。そしてそれは我が国の目の前で起こっていたラッコから始まっていたということです。ラッコは笑い事ではありません。当時としてはすごいお金だったのです。しかし産業革命が起こって機械文明になってから規模が大きくなり額も跳ね上がりますね。それでいつの間にかみんなラッコのことを忘れてしまいます。帆船は蒸気船になってゆきます。蒸気船が出来るのはやっと明治維新の頃です。ペリーの来航は帆船で、アフリカを回って来ているのです。太平洋航路が無く太平洋を渡れなかったのだから当然です。こんな大きなドラマさえも「外から歴史を見る」ということをしないから分からないのです。

「外から歴史を見る」というのは、私の『国民の歴史』の精神であったことを皆さんご存知かと思います。「外から日本史を見る。そして日本史を中心に外の歴史を見直す。また外から日本史を見直してから、日本史を中心にもう一度外の歴史を見直す」この往復運動こそ歴史の正しい精神ではありませんか? 日本の歴史をやる人は日本の中をごちゃごちゃやるばかり。また世界の歴史、西洋史などをやる人は皆自分の専門をやるばかりで、全体を統合して見ようとしません。だからこんな重大なことが見落とされるのです。何が「鎖国は無かった」ですか?(笑)

1791年にはイギリスやアメリカの毛皮交易船が堂々と博多と小倉に来ます。ラッコの毛皮で一攫千金を狙う外国船はフランス、スペインと後相次ぎます。ジェームズ・クックの航海記が情報に火をつけたと考えられます。ロシア使節アダム・ラクスマンも1792年に日本に漂流者の大黒屋光太夫らを連れて軍艦で日本に来たのですが、本当は国を開いてラッコの貿易をしたいと言ってきたのです。清朝との貿易で認められていたのは内陸ばかりだったので、遠く広東での貿易に手を広げたいから毛皮を運ぶその中継地としても日本が必要でした。さらに毛皮の新しいマーケットとして、我が国の開国を求めたのです。

 私の作った年表に「1789年 ヌートカ湾事件」というのがあります。皆さんあまり聞いたことが無いでしょう。これはたいへん大きな地球的規模の危機だったのです。その前に、1494年のトルデシリャス条約はご存知でしょう。スペインとポルトガルがお饅頭を二つに割るようにしてローマ法王の勅許によって、大西洋の上に線を引いて地球を二つに分割するというもので、それに従ってコロンブスはどんどん西に渡って、これからどんどん西へ行ったところは全部スペインの領土だと言いました。同じようにポルトガルは、アフリカの海岸を南にどんどん下って東に進んでこれは全部ポルトガルの領土だと言いました。その真ん中はどこでぶつかるかというと、ご存知のようにモルッカ海峡よりももっと東で、だいたいオーストラリアの真ん中を貫き西日本の上を通るのです。それが半分なのですから勝手な話です。『国民の歴史』でもヨーロッパはなにを考えているのだろうと強調して、『新しい歴史教科書』にも入っているかと思います。考えることが凄いですね。怪しからんですね。この地理的情熱がどこから来るかといえば、ガリレオとデカルトの幾何学精神です。だから地球を全体として、子午線を引いたり赤道を引いたり、勝手にやったのです。なぜグリニッジ天文台が出来たのかといえば、あれはイギリスの政治戦略なのです。「なぜロンドンにあるのか?」とパリもベルリンも反対したのです。そしてグリニッジ天文台が中心になっちゃった。それと同じことで、これはスペインとポルトガルがやったことをイギリスが後追いしたのです。そして次の時代にはイギリスは勝ったということで、そのドラマの中にまだわれわれがいるということです。

ヌートカ湾事件というのは、オレゴンの海岸の北西部分にスペインの植民地がありました。そこを巡るイギリス、フランス、ロシア、アメリカ(アメリカはほぼ自分自身の土地でしたが)との争いです。スペインは1494年の古証文を持ち出して「ローマ法王が言った通り。北アメリカ大陸も南アメリカ大陸も全部スペインのもの」と言い出します。しかしアメリカは独立戦争の後、フランス革命の年にそういうことを言って抵抗したのです。それでイギリスを中心に衝突するのです。それはスペインの時代遅れの最後のあがきだったのかもしれませんが、実はそうではなかったのです。スペインは太平洋の西側を全部押さえていたのですから・・・。たとえば硫黄島は日本領で日本政府が日本領と宣言しますが、ダメだと言った国はスペインです。スペインはサイパンやテニアンを領土としていました。米西戦争でドイツに渡って、第一次世界大戦で日本領になるのですが、スペインは大変大きな影響力をアジアに持っていたのです。オランダではないのです。オランダの特徴は何かというとインドネシアに拘り過ぎたのです。他の国はどんどん動いたのですが、オランダはインドネシアにペッタリで足を取られて動けなかったのです。ヌートカ湾事件は、一つの地球上の大きな危機を表明して同時にそこで局面が動いたということがお分かりかと思います。

このヌートカ湾事件も全く歴史の教科書には書かれていません。でもやがて書かれるようになります。今日私がお話ししたことは「新しい歴史研究」ですから、やがて書かれるようになります。20年くらい遅れるでしょうけれど、日本はそういうものでしょう。だけど、このヌートカ湾事件もラッコの話も書かなければ歴史にならないからね。ラッコって可愛いのにねぇ。(笑)ということで終わりにします。

 文書化:阿由葉 秀峰

西欧の地球侵略と日本の鎖国(五)

(五/六)
 問題は16、17世紀から18世紀へと移ってゆくときの日本と世界との関係なのです。そこでクックの話をしたいのですが、その前にロシアがどんどんアジアに接近してくるという話があります。コサックがウラルを越えてシベリアに侵入してくるという動きは急を告げていたのですが、その動きに当時の日本は全く気がつきません。それがどういう動きになってくるかというと、ベーリング海やベーリング海峡という名前になって残っているので有名ですが、ヴィトゥス・ベーリングという人です。それまでにロシアは1707年にカムチャッカ半島を領有しています。

 最初の南太平洋のことをいっていた時代から、北太平洋を巡るドラマも始まっていました。そのドラマは何かというと、このベーリング海峡を突き抜けてヨーロッパへ行ったりロシアへ行ったり日本へ来たりする航路を自由に開発、発展出来るのではないかということ。1724年、病床に臥していた晩年のピョートル大帝は、そもそも「ベーリング海峡」が海峡なのかも分からなかったので「今こそロシアの叡智と輝きを以て国家的名誉のためにこの航路の発見を」と海軍大尉ベーリングに命を下しました。実際に出港したのは1728年。その時すでにピョートル大帝は夢を抱いて亡くなっています。

 アラスカ半島から細く伸びた火山帯があって、それがアリューシャン列島です。このアリューシャン列島とシベリアとアラスカに囲まれているのがベーリング海です。その先にベーリング海峡があります。これを探検するのは、遠くから海を渡ってくるよりも内海のようで簡単に見えますが、当時は帆船で、8月でも9月でも凍っている海ですから簡単ではなかったのです。「カムチャッカ半島まで行けば目と鼻の先だから」とピョートル大帝は言いました。「イギリスが考えているよりもずっと楽だろう。イギリスは北の海を突き抜けるのだから、我々ロシア人のほうが有利なはずだ」というのがピョートル大帝の考えでした。それからスタートまでに4年かかります。カムチャッカ半島で船を造るのです。そのために人と物資をシベリアを越えて運ばなければいけない。シベリア鉄道なんてなく、これを陸路運ぶのですから4年くらいかかっているのです。

 ベーリングは1728年の第一回目の航海でやっと海峡の存在、いわゆるベーリング海峡を確認します。そのとき対岸のアラスカ、つまりアメリカ大陸を望んだけれども霧が濃くて一旦戻ります。そして二回目の航海はベーリング海峡の存在は認めたのでもうそれ以上はやらずに、アリューシャン列島の南を通って、いきなりアラスカに入ってゆきます。それは政府の命令で、「アラスカへ行ってちゃんとやりなさい。アメリカ大陸の発見こそが大事な使命なのだから」ということで、1741年にアメリカ大陸に上陸するのですが、僅か6時間しか調査時間を与えることができませんでした。なぜなら季節的にも時間的にも帰路が危うかったからです。そしてそう想像していたとおりに北のある無人島の穴倉で隊員が次々と死んでしまい、ベーリングも死んでしまいます。それでも二度の探検による「アメリカ大陸発見」です。年表の「1741年 ベーリング、アメリカ大陸(アラスカ)を発見」。この北の海から発見した「アメリカ大陸」はコロンブスにも比すべきドラマです。

 ここで最大の通商問題が起こります。それまでロシアの輸出していた品物の大半はキタキツネやリス、ウサギといった森林動物の毛皮でした。ところが海洋動物ラッコがもの凄い繁殖力で、無限大の如く存在するのを発見して、ベーリングはラッコの存在を報告します。持ち帰ったラッコの毛皮が高く売れることが分かり、やがて探検隊が組まれてラッコ獲得作戦がロシアの次の政治目的になります。ロシアが獲得したラッコはロシア人が使うのではないのです。ヨーロッパに売るのでもないのです。何度も言ったようにヨーロッパもロシアも貧しいのです。売ったのは満洲の貴族です。満洲の貴族というのは清朝です。清朝の貴族にラッコの毛皮を売ることが18世紀ヨーロッパの最大の貿易だったのです。

 ラッコの話が世界史に出てこないのはおかしなことで、これから必ず出てきますよ。これは最大のドラマなのです。つまりあれほど騒いでいた香辛料から、いつの間にかラッコの毛皮を巡って次々とイギリス、フランス、アメリカも参入してくるのです。日本の北や南の海に次々とロシア船やアメリカ船が貿易をさせろと言って現れますね。目的は「ラッコの毛皮を買ってくれ」ということなのです。それまでラッコの毛皮は北京にしか行っていないから金がある広東に行って貿易したいので中継地として日本を開いてくれと・・・。アメリカまで参加してきて、これが各国の要望だったのです。ラッコは可愛い動物なのですが、これが何十年かで乱獲されてしまい、19世紀末にはだんだん貿易が成り立たなくなってしまします。

 次にジェームズ・クックの話をしなくてはいけません。クックはロシアのベーリングに続いて立ち上がったイギリスの世界周航で名前を馳せた有名な人で、キャプテン・クックとも言いますね。クックは三回探検しています。第一次が1768年、第二次が1772年、第3次が1776年です。第一次航海はイギリスから出向して南アメリカに沿ってマゼラン海峡を通過して、そしてニュージーランドとオーストラリアの辺りを盛んに動きます。

 タヒチ島にも立ち寄って、このときイギリス政府は金星の太陽からの距離の測定を課題として命じて、そのためにタヒチ島にイギリスの居館を造らせて観測隊が観測をします。そこがイギリスの腹黒いところで、そういう名目でイギリスは各国を騙してニュージーランドやオーストラリアを我が物にしてゆきます。今でもジェームズ・クックの名前はニュージーランドとオーストラリアにたくさん残っていますね。ニュージーランドの北と南の島を挟む海はクック海峡といいます。そこに素晴らしい山があって、私も途中まで登ったことがあるのですが、クック山というのですね。「クック」の名前がたくさん付いているのです。そしてクックはオーストラリアの東海岸を初めて探検します。最初ヨーロッパ人はオーストラリアの西海岸から探検するのですが、海が荒くほとんどが砂漠で魅力も無いものだから、オランダ人も来ていましたが皆諦めてしまいます。ところが東海岸は素晴らしい海岸で、現在有名な町が並ぶのはこの辺なのですが、そこを発見して英国領と宣言するのです。同様にニュージーランドにも三本のイギリスの旗が翻るのです。クックはそういうことをやるために海軍から金を貰って行ったのです。そうしてイギリスへ帰ると大変な評判になります。第二次航海はアフリカを通って逆回りをします。既にニュージーランドの海域はクックにとって「憩いの海域」となっていて、そこで休んで今度は南極探検を始めるのです。もう一息で南極大陸発見には至らず、寒さと勇猛果敢なマオイ族の襲撃でダメになって戻るのですが、南極大陸発見はこの後半世紀後でかなり先になります。それが日本は「1772年 田沼意次老中になる」時代で日本は何をしていたのだろう、と思うでしょう。

 そして1776年に第三次航海です。再びアフリカ周りでニュージーランドをぐるぐるした後、海軍の命令で北太平洋を初めて探検します。これはヨーロッパ人初めてのことです。アメリカ独立宣言の年でもあり、クックはハワイ諸島を発見します。海軍から命令された内容は、ロシア人がやってもまだ出来ていない、ベーリング海峡を越えてイギリスに帰ることで、懸賞が付いていました。当時の「宇宙開発」のようなものだったのでしょう。ずうっと北へ上がってアメリカ大陸オレゴンの辺りで一休みします。スペインと問題が起こりぶつかるのですが、ベーリング海峡を抜けて北極海に出ることには成功します。9月でしたが氷に阻まれて引き返して、ハワイに戻って越冬することにしました。ところがハワイでクックは殺されてしまうのです。最初立ち寄ったときにクックは神にされます。そして神として一度送り出したのに、何ヶ月か経って戻って来たことでトラブルが起こるのです。そのことについては大変複雑なドラマがあったようです。その時の江戸時代の日本人と比較したとき、宗教上の問題で一体どういうことがあり得るでしょうか。日本は鎖国していて西洋人は近づけませんでした。入れば首を切られてしまうのですから日本列島には入れなかったのです。それに対してハワイは入ることができたのですが、不思議な信仰の対象にされて戻った時に殺害されてしまった。そして遺体は返してもらえない。クックの隊員はお百度踏んで遺体を返してもらったのですが、肉が骨から削がれて焼かれていました。宗教上の儀式が行われて、これが何なのか。大変な伝説と宗教上の議論を呼んでいます。それからクック亡き後隊員たちは、ハワイ諸島からカムチャッカ半島に沿って北上して、その帰路で日本列島の東海岸を測量して帰国します。

つづく

御厨貴座長代理への疑問

 私は天皇御譲位をめぐる問題については発言しないことに決めていて、今までのところこれを実行している。

 以下に示すのはやはり同問題そのものへの発言ではない。
御厨貴氏は有識者会議の座長代理である。座長はたしか経済界の有力者で、従って「代理」が事実上の座長であることは他の同種の有識者会議の例にもみられる通りである。
御厨氏は果してこの重要なお役目の座に坐るにふさわしい思想の持主であろうか。

NHKスペシャル「シリーズJAPANデビュー 第二回 “天皇と憲法”」
2009年5月3日放送

東京大学・御厨貴教授:
「で、問題はだからやっぱり、僕は、天皇条項だと思っていて、この天皇条項が、やっぱり、その、如何に非政治的に書かれていても、やっぱり政治的な意味を持つ場合があるし、そういう点でいうと、あそこをですね、やっぱり戦前と同じように、神聖にして犯すべからず、あるいは、不磨の大典としておくのは、やっぱり危険であって、そこに一歩踏み込む勇気を持つことね。天皇っていうのは、だから、その主権在民の立場から、どう考えるかってことを、本格的にやってみること、これね、みんなね、大事だと思いながらね、絶対口を噤んで言わないんですよ、危ないと思うから、危ないし面倒臭いし、ね。だから、ここを考えないと、21世紀の日本の国家像とかいった時に、何で天皇の話が出て来ないってなるわけでしょ、そういう、やっぱり、やっぱり、天皇って、そういう意味では、国の臍ですから、この臍の問題を、つまり日本国憲法においても臍だと思うな、考えないと、もういけない時期に来ている、と僕は思います」

 以上はどう読んでも、皇室の存在は「主権在民の立場」にとっては障害になっている、ということを言っているのではないだろうか。「21世紀の日本の国家像」は共和制がふさわしいという意見の持主ではないだろうか。
こういう先入観をもっている方が今回の有識者会議の事実上の代表であることは果して許されることであろうか。