牛久大佛を訪れて

 東京からさほど遠くないところに途方もない巨きさの石の大佛像が建っていると聞いて、一度近寄ってみたいと思っていた。私の住む街区からでもマンションの高い階からならば見えるのかもしれない。

 友人たちを誘って出かけることになり、たまたま一年で一番暑い日といわれた梅雨あけの7月14日が選ばれた。このところ盛んに吹いていた風もなく、朝からジリジリ照りつける熱暑の日だった。友人の一人が十数人乗れる大型のレンタカーを用意してくれた。朝8時に友人たちは約束どおり杉並の西荻窪の駅近くに集合した。

 私がこの巨大石像を見たいと思ったのは多少の童心からと多少の美学的動機からだった。車に乗り込んでからすぐに一座の仲間に後者の動機について話をした。「葛飾北斎ですよ。遠近法で見慣れた通例の景色を意図的に壊すために北斎は寸尺の合わないものを並べることをよくやりました。富士山を遠景にして、手前にバカでかい舟や木樽を置いて近景をクローズアップさせ、思い切って中景を省いたショッキング画法はよく知られていますよね。あれですよ。」といささか怪しげな美学の講釈をした。

 私の目論見ではこの現代にピラミッド級の巨大な佛像が建立されれば、近隣に住む人にはえらく目障りに違いないアンバランスな光景が至る処に出現しているだろう、私はそれを見たいと思った。山中湖や河口湖の富士山にはこの驚きはない。甲府の町から見る富士山にはこの視覚上のショッキングがある。私は同じ驚きをカナディアン・ロッキーやドロミーテで経験した。私は牛久にもそれを期待した。だから石像そのものに興味はない。周辺の光景との不釣り合いを見たいのだ、と行きがけの車中で一息にしゃべった。同乗の友人たちは狐につままれたような不可解な顔をしていた。

 近寄って分ったのは石像の周りの環境は森林に覆われた地形が多く、現代的な建造物と重ね合わせるシーンが少ない。写真撮影の機会にも乏しい。それでも何度かシャッターチャンスはあった。皆さんが工夫して撮った数々の面白い映像とそれに伴うこの日の感想の言葉が今日から当ブログを賑わすことになるだろう。同じような似た画像が繰り返されてもよいことにしていただきたい。

 参加したのは次の方々である。
 阿由葉秀峰、伊藤悠可、岡田敦夫、岡田道重、佐藤春生、松山久幸、行澤俊治(現地参加)、吉田圭介の各氏である。

 なお私は病後にもめげず熱暑の中を歩きつづけ、一晩寝ただけで疲れも取れ、体力の自信を回復したことをご報告する。テレビの天気予報は「高齢者は安静にしていても熱中症になる恐れのある日だ」と警告していたので心配していた。

 天気予報は言い過ぎだ。ここまで言うのはかえって不安になるだけで良くない。

阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「四十二」

(6-60)いかなる時代でも、いかなる社会でも、個人の仕事がなにかの新しさを発揮できるとしたら、長期にわたる訓練や修業を積んだあとで、はじめて新しさが可能になるのである。それも努力してやっとわずかばかりの新しさが出せるにすぎない。そういう経験は、今日でもなお実社会を動かしている現実の法則である。日本でも伝統芸能や職人芸はもとより、近代的テクノクラートの職業においてさえも、この法則は決して死んでいない。しかしどういうわけか学校教育だけが、このような法則を避けて通ろうとする。いわく児童や生徒の自主性を育てるという。いわく学生の自由な判断を尊重するという。個性をたいせつに扱うという。しかし結果的に、青少年は無原則、無形式の中で自分を見失い。自己形成の契機をつかめず、かえって古くさい既成の概念にもたれかかり、ステロタイプの枠の中に閉じこめられることが多いのである。

(6-61)個性は決して主張するものでのはなく、意図せずして自然ににじみ出てくるものでなければならないはずである。

(6-62)教育の成果は、求めてただちに得られるものではない。人はそれを長期の研鑚の結果、自然にもつのでなければならない。性急な期待と計算からは、何も生まれてはこないのである。自ら求めるのではなく、静かに成熟の時期を待つべきであって、もしなにかを求めるのだとしたら、人はむしろ罪過と苦痛をこそ求めるべきであろう。すなわち自らに課す掟をこそ求めるべきであろう。

(6-63) タブーというものは社会が自己保全を必要とするときつねに生まれる。

(6-64) 人間は平等だから同じ教育を受けるべきだという風に考えるのではなしに、人間は同じ教育を受けていてもいなくても平等だ、という風に考えることはできないのだろうか。少なくとも近代の人格的平等、法の前での平等は、右のように考えなくてはならない。
 しかしさらに一歩を進め、人間の頭脳・才能・体力・容姿・家系に関し、要するに個体の差異においていったい人間は平等だろうか。というより平等であった方がよいと考えるべきだろうか。もしも個体の差異をできるだけ消し去った平等が具体化していったとしたら、かえってそこに怖るべき事態が出現するのではあるまいか。現実に平等でないことが、人間にはかえって安心であり、生き甲斐にもなる。現実の不平等が、人間の自己教育と自己鍛錬のためのもっとも有効な教師であるのではないだろうか。

(6-65)平等が正しい、競争はいけない、競争意識は権力意識だ、等々、日本人をとらえている固定観念をいったんは壊してみることが必要である。教育の目標は政治的平等の達成とは直接にはなんの関係もないし、むしろ正反対かもしれないのである。今の日本にだって、金儲けと権力主義ばかりが青年の心のすべてを支配しているわけではあるまい。努力し、競争し、自分の精神的成長のみを求めて、必ずしも権力をめざさない青年もいるはずである。私はそういう人が本当のエリートだと思う。

(6-66)民衆はつねに贋(にせ)の自由より、宿命のほうを望む。民衆は自分の覚悟に対して知識人のように虚飾が無く、正直だからである。民衆は役に立たない偽善や当てにならぬ期待よりも、自分の置かれた事態を正確に見る方を好む。宿命を認めてかからないかぎり、幸福への新たな可能性などは存在しないことを知っているからだ。不幸な人間が、不幸な前提などがまるで存在しないかのように、自分にも他人にも言い聞かせ、ごまかしているかぎり、いつまでたっても、彼は自分の手で自分の幸福をつかみとることは出来ないであろう。

(6-67)人間はなにか価値ある行為をするために生きている。しかし福祉は生きるための条件をよくすることであるから、もし福祉を生きる目的とするなら、人間はなにかのために生きるのではなく、生きるために生きるという以上のことは言いがたい。人間にとって何が価値ある行為であるかを考えるのが先決なのに、それを度外視して、条件づくりにばかり精を出しているのが今の文明の状況である。だんだん人間が動物に近づいていく徴候かもしれない、

(6-68)権力をもっている人間は、若干の後ろめたさと当然の感情とがあい半ばする意識をもって権力を行使する。権力をもたない人間は、いっさいの後ろめたさなしで、自分の正義を主張する。しかしそれが権力をもつ人間に対する復讐であり、怨念であり、変形された権力欲であることにはたいていの場合気がつかない。彼らがもしかりに権力を握れば、自分をのみ正しいとする途轍もなく危険な権力者になる可能性が十分考えられるのである。

(6-69) 不運や不幸や悪条件に見舞われた人間こそが、人間の心の内奥を覗き見、自分の弱さと闘う最大の課題を与えられた「選ばれた人」であるといっても過言ではないだろう。ところが福祉運動家は、不幸な人間が世間に対してとかくみせる「甘え」を保護しようとする。それが不幸を救い、悪条件を匡(ただ)す唯一の道だと単純に信じている。しかし不幸な人々が、不幸な人々同士で嫉妬し合い、いがみ合い、あるいは多少とも恵まれた人々に怨念をいだく等の、社会的な「甘え」は、ややもすると彼らには物事が半面からしか見えていないことの反映である。彼らは他人の悪には気がついても、自分の内部にもひょっとしたら同種の悪がひそんでいるかもしれないという自省の片鱗さえ欠いている場合が多いのである。
 しかし人間が道徳を考え、生きる価値求め、そしてなによりも高貴に生きるとは何か?を問題にするなら、まずこの自省を第一基盤にして、そこから出発すべきではあるまいか。

(6-70)福祉は施しでも恩恵でもない。恵まれない人々が生きる勇気をどう獲得するかが最も肝心な要点であることを、実践家は知っている(中略)。みかけの同情や物理的保護も、もちろんときにはたいせつであろうが、いちばんたいせつなのは、悪条件下にある人間にも、ときに自分の責任の欠如や性格上の欠点などに気がつくだけの内省の力をもつことなのである。みんな世間が悪い、自分たちは不幸だ、という観点だけでは、真の勇気は生まれてこない。

(6-71)私は世を怨む失敗者をこれまで無数に見て来たと同じくらいに、自分の能力を知らず、偶然を必然ととり違えた成功者をいかに多数見てきたことであろう。

(6-72)他人に要求する前にまず自分に要求する、あらゆる自分の行為に自由でなく宿命を見る

(6-73) 明らかな社会上の不公平が少しずつでも取り除かれることを正しいとする考え方に反対する理由はなにもないが、しかし今の時代に、権利を侵害された者が黙っていれば損をし、抗議すれば利益が少しは保証されるのは、権利の主張が戦術に依存していることを意味している。抗議が効果をあげるためには、ただおとなしく型通りの抗議をしているだけでは駄目で、集団を組み、あらゆる威嚇の手段を利用して、戦術に訴えなければならない。これは現代のいわば常識である。つまり弱い者の立場を守るのも、じつは正義の理法によってではなく、社会の弱点の利用によってなされている。現代では、強いもの(成功者や既得権者)が自分の才能と知恵によってのみ強くなったと考えるのはまったくの空想であり、これもたいてい社会の弱点の利用によってなされてきた。つまり強者も弱者も同じ原理によって生きている。それだけ人間が同質化し、同一線上に並んで競争し合っている証拠である。既得権者は防衛し、立場を奪われた者は攻撃する。どちらもエゴイズムの拡大という点では共通している。

(6-74)近代に入って、自由競争が人間に繁栄をもたらして来たが、同時に人間を不幸にしたともいえる。競争によって他を出し抜く心理、他人に対する思いやりの喪失があたりまえになってしまったし、すべての者が強者であろうとして、取り残された弱者はただ権利を主張すること(それもやはり強者になろうとする意志の一種である)によってしか、自分を生かせなくなってしまったからである。

(6-75)自分の中の俗物性を認めてかかるという生き方を選ばないかぎり、人間は自己矛盾を犯す可能性もある。誰でも完璧に、自分の論理性を守り、最後まで潔癖でありつづけることは出来ない相談だからである。

(6-76)批評だ、批判だと人々が口にする内容の多くに、どれくらい相手を育てようとする大きな愛情があるだろうか。これは日本の今日のジャーナリズムの問題でもある。にぎやかな世相批判が、ただ風潮に終わって、生産的でないのは、批判している当人にどだい改変への情熱が欠けているからである。批判によって何かを動かそうという気迫が最初からないし、批判という自分の行為をすら信じていない。自分は行動せず、ただ口先でたえず批判的ポーズを示すことが、知識人の身分証明だと思っている。

(6-77)ショーペンハウアーはヘーゲルを憎んだ。トルストイはワーグナーを理解できなかった。ゲーテはベートーヴェンをうるさそうに遠ざけた。ヘルダーリンはゲーテにも、シラーにも評価されなかった。こんな話は歴史の中に無数にある。私はときどき、互いに対立し衝突し合っていたこれら個性同士の葛藤を、現代人が色の褪せた古写真を見るように軽んじて、今頃になって気のきかない調停者の役割を演じては、これをもって「学問」と称しているようにさえ思えてならない。もちろんわれわれが、葛藤のすべてを今や相対化して眺めるに十分な距離を手に入れているのは争えない事実であろう。しかしそれはそうなのだが、生命のなまなましい一部が枯渇して、からからに干あがった結果のようにもみえる。

(6-78)小さな人間の偏見は歴史を歪めるかもしれないが、偉大な歴史家の偏見によって歴史ははじめて枠組を得るのである。一面的な好みや傾向性の展開の中にこそ、かえって普遍性が自然な形式で発露するのでなければならないであろう。そして直接的な人生体験とのつながりをもたないような学問が、どうして豊かな学問として成立するだろうか。

(6-79) 歴史的に思考する者にとっては、過去があるだけで、現在も未来もない。過去の理解が、現代に生きるわれわれの人生体験と切っても切り離せない関係にあるという事情、あるいは未来へ向かうわれわれの意識とも結びついているという事情は、彼らによってはまったく無視されている。

(6-80)過去は固定的に定まっているのではなく、生き、かつ動いているのである。また、過去を認識しようとしている人間もまた、たえず動いている。歴史は、動いているものが動いているものに出会うという局面ではじめて形成される創造行為である。

(6-81)過去をわれわれが意識するのは、過去そのものがわれわれを引っ張るからではなしに、われわれの現在の欲求、あるいは未来をわれわれがどう生きたらよいかという期待に応じて、そのたびごとに過去が違った形でわれわれの前に姿を現わすからだともいえよう。つまり定まった過去像があるのではなしに、現在の関心が過去に対するイメージを決定する場合が多い。

(6-82)宗教にとって最重要なのは信仰であって、知識ではない。しかし宗教学は学問である以上、信仰とは一致せず、むしろ信仰を弱め、こわす役割を演じ勝ちである。宗教学者は信仰家である必要はないし、またあってはならないのである。なぜならどれか一つの宗教にとらわれ、凝り固まったなら、いかなる宗教をも正確に客観化することはできなくなるし、さまざまな宗教の比較研究をし、相対化して観察することも、むずかしくなるからである。信じるということは、どれか一つを信じるのであって、あれもこれもを信じるのではない。宗教学者は信じるのではなく、多様な宗教現象を歴史的な相において冷静に、知的に分析することを求められている。彼はどれか一つに限定せず、幅広い知識をもって歴史を展望しつつ、対象をしだいに狭くしぼっていく

(6-83)信仰をどうして学問の対象にすることが出来るだろうか。しかしこの点に関していえば、信仰とは厄介な概念であって、信仰を知るとは物体の運動法則を知ることとはわけが違い、あくまで自分の心が問われるのである。物体の運動法則を知るとは、物体を自分の心の外に対象化し、客観化した後の結果であるが、信仰を知るとは、なにかの対象を知ることではなしに、対象化できないなにかにぶつかることなのである。宗教学者がさまざまな宗教現象を学問研究の対象として眺めているかぎり、彼は信仰についてはほとんどなにも知っていないに等しい。宗教に関する知識をなにももたなくても、敬虔な心をもっている田舎の農婦は、宗教学者よりも信仰において強く、深い可能性がある。ドストエフスキーはこういうコントラストをたびたび描いてみせた。

(6-84)後世のわれわれは、たしかに記録され保存された言葉を介してしか過去の思想家には接し得ないが、言葉の中に思想があるのでは必ずしもない。残された言葉は、思想への媒体にすぎない。比喩にすぎない。内奥は言葉の届かぬ所にある。言葉という間接的な手段を介してわれわれ後世の者は、はるか昔に立派な人間として生きかつ教えていた行為人の誰彼にまでさかのぼって、過去を再構成し、生きた思想の内奥を追体験するところまで行かない限り、その思想を理解したことにはならないだろう。

(6-85)初めに行為ありき、であって、初めに言葉ありき、であるべきでは決してないのだと私は思う。そして行為は瞬時にして消えうせ、言葉をただ媒体として残すのみである。言葉はいかに行為を映し出そうとしても、行為の比喩であり、また影絵でありつづけるほかないであろう。

(6-86)自由は障害を除去することでもないし、制限から解放されることでもない。そういう自由はこのうえなく消極的な概念である。消極的な意味においてすでに自由に達しているにもかかわらず、人間は身体を持つ存在である以上、どうしても自由にはなれない。自由の問題はそこからはじめて出発するのである。

(6-87)今は教養ということが地に堕ちた時代だが、教養とは机に向かって書を繙(ひもと)き、知識を身につける受け身の享受であればよいというそれだけの概念であるなら、衰退するのはむしろ自然の方向だし、そんなに悪いことではないのかもしれない。

出典全集第六巻
(6-60)(439頁下段から440頁上段「教育について」)
(6-61)(440頁上段「教育について」)
(6-62)(440頁下段「教育について」)
(6-63)(442頁下段「教育について」)
(6-64)(443頁上段「教育について」)
(6-65)(445頁上段から下段「教育について」)
(6-66)(446頁下段「教育について」)
(6-67)(448頁下段「高貴さについて」)
(6-68)(450頁下段「高貴さについて」)
(6-69)(453頁上段から下段「高貴さについて」)
(6-70)(453頁下段から454頁上段「高貴さについて」)
(6-71)(455頁下段「高貴さについて」)
(6-72)(456頁上段「高貴さについて」)
(6-73)(457頁上段から下段「高貴さについて」)
(6-74)(457頁下段「高貴さについて」)
(6-75)(464頁上段「高貴さについて」)
(6-76)(466頁下段から467頁上段「高貴さについて」)
(6-77)(470頁上段から下段「学問について」)
(6-78)(471頁下段から472頁上段「学問について」)
(6-79)(479頁上段「学問について」)
(6-80)(482頁上段から下段「学問について」)
(6-81)(482頁下段「学問について」)
(6-82)(487頁上段から下段「学問について」)
(6-83)(487頁下段から488頁上段「学問について」)
(6-84)(497頁上段から下段「言葉について」)
(6-85)(499頁下段「言葉について」)
(6-86)((504頁下段から505頁上段「言葉について」)
「後記」より
(6-87)((644頁「後記」)

「トランプ外交」は危機の叫びだ

平成30年6月8日産經新聞「正論」欄より

 やや旧聞に属するが、昨年の東京都議会選挙で自由民主党が惨敗し、続く衆議院選挙で上げ潮に乗った小池百合子氏の新党が大勝利を収めるかと思いきや、野党に旗幟(きし)を鮮明にするよう呼びかけた彼女の「排除」の一言が仇(あだ)となり、失速した。そうメディアは伝えたし、今もそう信じられている。

≪≪≪「排除」は政治的な自己表現≫≫≫

 私は失速の原因を詮索するつもりはない。ただあのとき「排除」は行き過ぎだとか、日本人の和の精神になじまない言葉だとか、しきりに融和が唱えられたのはおかしな話だと思っていた。「排除」は失言どころか、近年、政治家が口にした言葉の中では最も言い得て妙な政治的自己表現であったと考えている。

 そもそも政治の始まりは主張であり、そのための味方作りである。丸く収めようなどと対立の露骨化を恐れていては何もできない。実際、野党第一党の左半分は「排除」の意思を明確にしたので立憲民主党という新しい集団意思を示すことに成功した。右半分は何か勘違いをしていたらしく、くっついたり離れたりを重ね、意思表明がいまだにできていない。
今の日本の保守勢力は政党人、知識人、メディアを含め、自己曖昧化という名の病気を患っている。今後の新党作りの成功の鍵は、自民党の最右翼より一歩右に出て、「排除」の政治論理を徹底して貫くことである。小池氏はそれができなかったから資格なしとみられたのだ。
 
 実際、日本の保守勢力は自民党の左に立てこもり、同じ所をぐるぐる回っているだけで「壁」にぶつからない。新しい「自己」を発見しない。今までの既成の物差しでは測れない「自己」に目覚めようとしない。

≪≪≪秩序の破壊は危険水域を越えた≫≫≫

 世界の現実は今、大きな構造上の変化に直面している。かつてない危機を感じ取り、類例のない手法で泥沼の大掃除をすべく冒険に踏み出そうとしている人がいる。米国のトランプ大統領である。

 彼はロシアと中国による世界秩序の破壊が危険水域を越えたことを警鐘乱打するのに、他国から最もいやがられる非外交政策をあえて取ってみせた。中国を蚊帳の外にはずして、急遽(きゅうきょ)、北朝鮮と直接対話するという方針を選んだ4月以降、彼は通例の外交回路をすべてすっとばして独断専行した。

 同時に中国には鉄鋼とアルミに高関税を課す決定を下した。それは当然だが、カナダや欧州やメキシコなど一度は高関税を免除していた同盟国に対し、改めてアメリカの国防上の理由から高関税を課す、と政策をより戻したのは、いかな政治と経済の一元化政策とはいえ物議を醸すのは当然だった。

 彼はなぜこんな非理性的な政策提言をしたのだろうか。世界の秩序は今、確かに構造上の変化の交差路に立たされている。アメリカ文明はロシアと中国、とりわけ中国から露骨な挑戦を受け、軍事と経済の両面において新しい「冷戦」ともいうべき危機の瀬戸際に立たされている。トランプ政権は、北朝鮮情勢の急迫によってやっと遅ればせながら中国の真意を悟り、この数カ月で国内体制を組み替え、反中路線を決断した。

 トランプ氏は人権や民主主義の危機などという理念のイデオロギーには関心がない。しかし軍事と経済の危うさには敏感である。アメリカ一国では支えきれない現実にも気がつきだした。そのリアリズムに立つトランプ氏がアメリカの「国防上の理由」から高関税を遠隔地の同盟国にも要求する、という身勝手な言い分を堂々と、あえて粉飾なしに、非外交的に言ってのけた根拠は何であろうか。

≪≪≪日本は「自己」に目覚めよ≫≫≫

 トランプ氏はただならぬ深刻さを世界中の人に突きつけ、非常事態であることを示したかったのだ。北朝鮮との会談に世界中の耳目が集まっているのを勿怪(もっけ)の幸いに、アメリカは不当に損をしている、と言い立てたかった。自国の利益が世界秩序を左右するというこれまで言わずもがなの自明の前提を、これほど露骨な論理で、けれんみもなく胸を張って、危機の正体として露出してみせた政治家が過去にいただろうか。

 政治は自己主張に始まり、「排除」の論理は必然だと私は前に言ったが、トランプ氏は世界全体を排除しようとしてさえいる。ロシアと中国だけではない。西側先進国をも同盟国をも排除している。いやいやながらの同盟関係なのである。それが今のアメリカの叫びだと言っている。アメリカ一流の孤立主義の匂いを漂わせているが、トランプ氏の場合は必ずしも無責任な孤立主義ではない。北朝鮮核問題は逃げないで引き受けると言っているからだ。

 ただ彼の露悪的な言葉遣いはアメリカが「壁」にぶつかり、今までの物差しでは測れない「自己」を発見したための憤怒と混迷と痛哭(つうこく)の叫びなのだと思う。日本の対応は大金を支払えばそれですむという話ではもはやない。日本自身が「壁」にぶつかり、「自己」を発見することが何よりも大切であることが問われている。
(評論家・西尾幹二 にしお かんじ)

 六月八日付産經新聞正論欄に「トランプ外交は危機の叫びだ」を出しましたので、九日より以降、どうかコメント欄への自由な書き込みにご活用下さい。

 宮崎正弘氏の最新刊『アメリカの「反中」は本気だ!』(ビジネス社)を読みました。米中政治対決が明確化したという私の予測と理解にそれまでかすみがかかっていた迷いがあったのに、この本で拭い去られました。それが三日前です。二日前に藤井厳喜氏からファクスで、トランプがロシア疑惑を克服したこと、ロシア疑惑はヒラリー陣営をむしろ危うくしているという新情報を与えられました。この二つのニュースを個人的に手に入れて熟読し、八日の産經コラムのあの内容を決定しました。宮崎、藤井両氏の名を挙げるスペースはありませんでした。両氏にここで御礼申し上げます。

 産經コラムの前半の小池百合子氏による「排除」の一語云々の私の政治解釈は、コラムの話を面白くするために例として出しただけで、特別の意味はありません。直接つながらない無関係な二つの主題をあえて結ぶとたぶん面白い刺激になるだろう、という思い付きでやったまでで、うまく行ったかどうか私にも分かりません。今の保守は「壁にぶつからない」とか、「今までの物指しでは測れない『自己』に目覚めようとはしない」等の保守を批判した言葉遣いは、夜中に寝入る前に思いつき、枕元の紙にメモしておきました。

 この産經コラムはいつもそうするのですが、字数合わせもあるので、ペンで二度清書して、大抵三~四行くらいマイナスに削って、夜書き上げ、早朝もう一度見直し、さいごの修正をしてファクス器にかけます。

 なぜ今回はこんな詳しい内情をお話しするのかというと、短文でもこれだけ苦心するのだということ、否、短文だからこそかえって時間がかかるのだということをお知らせしたかったからです。三日を要しています。私はたぶん非能率な人間なのでしょう。

我が好敵手への別れの言葉

「正論」平成三十年三月号より

 人はおりふしに自らの歴史に深い闇を見る。たいていは行動力がそれを気づかせない。否、行動力のある人ほど闇の奥底の色は濃いのかもしれない。

 西部邁氏はフェアーな人だった。私たちが一番頻繁に顔を合わせたのはテレビ朝日の討論番組、朝まで生テレビだった。例えば外国人単純労働者の受け入れ是非をめぐるテーマが討論された場面などで、テレビ出演に慣れない私を西部氏は上手にリードしてくれたものだった。大島渚氏や野坂昭如氏等の名だたる仇役者たちから私を終始守ってくれた。その名だたる中に舛添要一氏がいた。私の位置から一番遠い席より手を大きく振り上げて私を指さして「このレイシスト!」と叫んだ。聞き咎め、窘(たしな)めたのもやはり西部氏だった。場違いだろう、無礼な言葉は慎め、というようなことをたしか言ったのを覚えている。

西―西論争の日々

 それより前であったか後であったか思い出せないが、舛添氏と西部氏と私の三人がパリで落ち合って数日間を一緒に過ごす機会があった。今から約三十年前、1986年9月に読売新聞社主催の円卓会議が日本から七人、ヨーロッパから十二人の知識人を集めてパリで開催された。西部氏の「日本の産業の成功は文化の犠牲の上に成り立つ」という近代日本を否定するポジションペーパーが、ヨーロッパ人の出席者の中で人気を博した。日本の自動車生産台数が世界一になって六年目のこの頃、電子部門の日米ハイテク競争が取り沙汰され始めていた。置き去りにされかねないヨーロッパは日本の進出にひどく神経質になっていた。

 当時のヨーロッパのメディアには、まるで異質な星雲からの未知の生物の出現のように日本人を扱い、日本の教育や労働慣行から休暇の取り方まで嘲る論調さえあった。西部論文の日本批判は彼らにとって渡りに船だった。私はあえて西部氏に異を唱え、反論した。二人の間で日本文化の是非をめぐる激しい論争が繰り広げられた。対立は四つのセッションのうち三つにまで影響した。日本人記者団からは「西―西論争」などと冷やかされたが、ヨーロッパ人の眼前で日本人同士が互いの主張をぶつけ合う光景は彼らの目には新鮮に映ったらしい。会議の最終日に議長のフランス人をして、今回は日本人が多様性を持つ国民であることを初めてリアルに感じさせた、と言わしめたほどだった。

 二人の論争は明治以来の日本の西洋化=近代化をめぐる永遠のテーマに関わっているので、簡単に終わる話ではない。それなのにここまで発言しなかった舛添氏が最後になって「本日の二人の論争は私のような若い世代にとってはもう終ったテーマであって、世代の差を感じさせるばかりだ」と言い出したのには驚いた。いったいこの種のテーマに世代論を当てはめることは可能であろうか。え?と私は耳を疑ったほどだった。

 私と西部氏はその夜パリの裏町で生牡蠣にワインを楽しみ、意気軒昂だった。舛添氏の世代論には西部氏も呆れ返っていた。二人は意気投合、パリ会議は激論を戦わせた二人の仲をかえって近づけた。

 主催者の読売新聞社側は、二人にはパリで言い残したことが相当あるに違いあるまいと踏んで同社の月刊誌『THIS IS 読売』(1987年1月号)のほゞ一冊の半分近い大幅ページ数を提供し、論争のつづきを思いのたけ語らせてくれた。公平で面白い全記録が残り、「西尾幹二全集」第10巻に保存された。

 興味深かったのは二人の結論が最終段階で接近したことである。それは理解とか寛容ということとは違う。西部氏は論争の最中も、終結後の資料の扱いにおいても、瑣末事に心乱されることなく、一貫してフェアーだった。

つくる会とテロをめぐる確執

 二人の間に距離が生じ、対立の軋みが見え始めたのは、1996年12月に「新しい歴史教科書をつくる会」が発足してからである。私が歴史、西部氏が公民の教科書の責任者になって以来であった。協力し合わねばならない関係なのに、そのことが苦痛となる事件が相次いだ。一口でいえば、公民の教科書は作りたくないのだけれど仕方がないから作ってやるのだと言わんばかりの彼の横柄な態度、しかも実際には作りたがっていた、そのウラの感情が私は分っているので、相手が素直でないことへの私の苛立ちは半端ではなかった。
 
 同じ一つの会を共同経営していくという責任感情がまるきりないことは次に起こった別の事件でさらに発覚した。私は2000年3月に台湾を旅行し、紀行文を本誌に公表した。西部氏によるそれへの攻撃が始まった。ときはまさに教科書検定の直前に当り、さらに採択をひかえた微妙な時期なので、「つくる会」の会員から内輪もめしないでくれ、という悲痛な手紙が何通も届いていた。私は反論はもとより釈明も弁解も封じられたかたちだった。私のそういう縛られた不自由な条件を西部氏は知っていた。私は氏のもう一つの側面を見た。

 局面いかんにより滅茶苦茶なことを言ったり書いたりする人だ、ということである。ニューヨーク同時多発テロが起こり、保守言論界の一部に左翼返りが生じ、非常に怪し気なムードが辿ったときがある。イスラムのテロリストを見て、真珠湾と特攻を思い出すという、アメリカ人ならともかく、日本人においてはあってはならない倒錯があっと驚くほどの勢いで有名保守系知識人の間にも広がった。旧日本軍をタリバンになぞらえ、弱者の反乱として先の大戦を説明する類の安易な歴史観である。

 私はあのとき西部氏も相当に危ない崖っぷちに立っていたように思える。「テロリズム考」(本誌2002年2月号)で、あらゆる革命はテロであり、大化改新もそうだったから、テロは歴史の進歩の動因の一つで、テロを不当とするなら「退歩が歴史の真相であったことを認めるのか」などと読者に迫るのである。そう脅かしておいて、テロの正当性をまず確認する。次いで社会は法律だけで成り立つのではなく、道徳という価値の体系を持っている。だから「合法ではないが合徳」というテロがあり得る、と言って、言外にアルカイダ・テロルを支持してみせる。しかし、もしそうであるならば、アメリカの軍事行動も「合法ではないが合徳」のテロルの一種とみなしてよいのではないか、という自然に思い浮かぶ読者の疑問には、一顧だにしない。

 保守らしいことを語っていた人が事と次第によってはとんでもない言説を振り回す可能性があることを示唆しているといえまいか。

 氏が主幹である『発言者』(2001年12月号)の座談会で、一人が西部先生の言葉として、「ビンラディンの顔はイエス・キリストに似ているとおっしゃった。私はハッとしました。大直観だと思います」を読んだあの当時、私はあゝ、危いな危いなと思ったものだった。どうして西部氏はキリストの顔を知っているといえるのであろう。知らなければ似ているも何もないではないか。人類の中でイエス・キリストの実物の顔を思い浮かべることができる人が本当にいるのだろうか。氏はここまで意識が浮遊することが起こり得る一人であったことはほゞ間違いない。

どこか、うらめない

 氏は二人が対座しているときに突然自分を茶化すようなおどけたことを言って、思わず微笑ましくなることがある。タクシーの隣りにいて、誰か若い人を叱責したときの話をして、「俺がいくら叱ってもさまにならないんだ。招き猫みたいな顔だって言われるんでねぇー」。そう言って片手を上げてひょいと私の方を見た上半身は薄暗いライトの中でまさに招き猫そのものなのだ。このように自分で自分を笑えるお茶目ぶった余裕があの人がみんなに愛された理由なんだと思う。

 西部先生の業績って何でしょうか、と昨日編集者に聞かれて、私はしばらく考えてからこう答えた。

「彼の学問的業績については私は分らないし、何も答えられません。たゞ、世の中の空気をひとつだけ替えたものがある人です。あの人は、保守だ、保守だと、『保守』という言葉を振り翳して世の中を渡ろうとしましたね。こんなに恥しい二文字を美しく盛り立てて歩き回った人はいませんよ。元来人気のない嫌われ言葉でした。『保守停滞』『保守頑迷』『保守反動』・・・・・これは日本では会社の名にも政党の名にも使えません。それなのにあの人が胸を張って騒ぎ立てたおかげかどうか分りませんが、『保守的』であることを若者が好むようになってきました。でも、若者が好むムード的保守感情は危険な崖っ淵を歩んだあの人の叫びとはまるっきり逆の方向を向いているのかもしれませんがね。でも、どこかうらめない所がある人だったんですよね。」