牛久大佛を訪れて

 東京からさほど遠くないところに途方もない巨きさの石の大佛像が建っていると聞いて、一度近寄ってみたいと思っていた。私の住む街区からでもマンションの高い階からならば見えるのかもしれない。

 友人たちを誘って出かけることになり、たまたま一年で一番暑い日といわれた梅雨あけの7月14日が選ばれた。このところ盛んに吹いていた風もなく、朝からジリジリ照りつける熱暑の日だった。友人の一人が十数人乗れる大型のレンタカーを用意してくれた。朝8時に友人たちは約束どおり杉並の西荻窪の駅近くに集合した。

 私がこの巨大石像を見たいと思ったのは多少の童心からと多少の美学的動機からだった。車に乗り込んでからすぐに一座の仲間に後者の動機について話をした。「葛飾北斎ですよ。遠近法で見慣れた通例の景色を意図的に壊すために北斎は寸尺の合わないものを並べることをよくやりました。富士山を遠景にして、手前にバカでかい舟や木樽を置いて近景をクローズアップさせ、思い切って中景を省いたショッキング画法はよく知られていますよね。あれですよ。」といささか怪しげな美学の講釈をした。

 私の目論見ではこの現代にピラミッド級の巨大な佛像が建立されれば、近隣に住む人にはえらく目障りに違いないアンバランスな光景が至る処に出現しているだろう、私はそれを見たいと思った。山中湖や河口湖の富士山にはこの驚きはない。甲府の町から見る富士山にはこの視覚上のショッキングがある。私は同じ驚きをカナディアン・ロッキーやドロミーテで経験した。私は牛久にもそれを期待した。だから石像そのものに興味はない。周辺の光景との不釣り合いを見たいのだ、と行きがけの車中で一息にしゃべった。同乗の友人たちは狐につままれたような不可解な顔をしていた。

 近寄って分ったのは石像の周りの環境は森林に覆われた地形が多く、現代的な建造物と重ね合わせるシーンが少ない。写真撮影の機会にも乏しい。それでも何度かシャッターチャンスはあった。皆さんが工夫して撮った数々の面白い映像とそれに伴うこの日の感想の言葉が今日から当ブログを賑わすことになるだろう。同じような似た画像が繰り返されてもよいことにしていただきたい。

 参加したのは次の方々である。
 阿由葉秀峰、伊藤悠可、岡田敦夫、岡田道重、佐藤春生、松山久幸、行澤俊治(現地参加)、吉田圭介の各氏である。

 なお私は病後にもめげず熱暑の中を歩きつづけ、一晩寝ただけで疲れも取れ、体力の自信を回復したことをご報告する。テレビの天気予報は「高齢者は安静にしていても熱中症になる恐れのある日だ」と警告していたので心配していた。

 天気予報は言い過ぎだ。ここまで言うのはかえって不安になるだけで良くない。

阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「四十二」

(6-60)いかなる時代でも、いかなる社会でも、個人の仕事がなにかの新しさを発揮できるとしたら、長期にわたる訓練や修業を積んだあとで、はじめて新しさが可能になるのである。それも努力してやっとわずかばかりの新しさが出せるにすぎない。そういう経験は、今日でもなお実社会を動かしている現実の法則である。日本でも伝統芸能や職人芸はもとより、近代的テクノクラートの職業においてさえも、この法則は決して死んでいない。しかしどういうわけか学校教育だけが、このような法則を避けて通ろうとする。いわく児童や生徒の自主性を育てるという。いわく学生の自由な判断を尊重するという。個性をたいせつに扱うという。しかし結果的に、青少年は無原則、無形式の中で自分を見失い。自己形成の契機をつかめず、かえって古くさい既成の概念にもたれかかり、ステロタイプの枠の中に閉じこめられることが多いのである。

(6-61)個性は決して主張するものでのはなく、意図せずして自然ににじみ出てくるものでなければならないはずである。

(6-62)教育の成果は、求めてただちに得られるものではない。人はそれを長期の研鑚の結果、自然にもつのでなければならない。性急な期待と計算からは、何も生まれてはこないのである。自ら求めるのではなく、静かに成熟の時期を待つべきであって、もしなにかを求めるのだとしたら、人はむしろ罪過と苦痛をこそ求めるべきであろう。すなわち自らに課す掟をこそ求めるべきであろう。

(6-63) タブーというものは社会が自己保全を必要とするときつねに生まれる。

(6-64) 人間は平等だから同じ教育を受けるべきだという風に考えるのではなしに、人間は同じ教育を受けていてもいなくても平等だ、という風に考えることはできないのだろうか。少なくとも近代の人格的平等、法の前での平等は、右のように考えなくてはならない。
 しかしさらに一歩を進め、人間の頭脳・才能・体力・容姿・家系に関し、要するに個体の差異においていったい人間は平等だろうか。というより平等であった方がよいと考えるべきだろうか。もしも個体の差異をできるだけ消し去った平等が具体化していったとしたら、かえってそこに怖るべき事態が出現するのではあるまいか。現実に平等でないことが、人間にはかえって安心であり、生き甲斐にもなる。現実の不平等が、人間の自己教育と自己鍛錬のためのもっとも有効な教師であるのではないだろうか。

(6-65)平等が正しい、競争はいけない、競争意識は権力意識だ、等々、日本人をとらえている固定観念をいったんは壊してみることが必要である。教育の目標は政治的平等の達成とは直接にはなんの関係もないし、むしろ正反対かもしれないのである。今の日本にだって、金儲けと権力主義ばかりが青年の心のすべてを支配しているわけではあるまい。努力し、競争し、自分の精神的成長のみを求めて、必ずしも権力をめざさない青年もいるはずである。私はそういう人が本当のエリートだと思う。

(6-66)民衆はつねに贋(にせ)の自由より、宿命のほうを望む。民衆は自分の覚悟に対して知識人のように虚飾が無く、正直だからである。民衆は役に立たない偽善や当てにならぬ期待よりも、自分の置かれた事態を正確に見る方を好む。宿命を認めてかからないかぎり、幸福への新たな可能性などは存在しないことを知っているからだ。不幸な人間が、不幸な前提などがまるで存在しないかのように、自分にも他人にも言い聞かせ、ごまかしているかぎり、いつまでたっても、彼は自分の手で自分の幸福をつかみとることは出来ないであろう。

(6-67)人間はなにか価値ある行為をするために生きている。しかし福祉は生きるための条件をよくすることであるから、もし福祉を生きる目的とするなら、人間はなにかのために生きるのではなく、生きるために生きるという以上のことは言いがたい。人間にとって何が価値ある行為であるかを考えるのが先決なのに、それを度外視して、条件づくりにばかり精を出しているのが今の文明の状況である。だんだん人間が動物に近づいていく徴候かもしれない、

(6-68)権力をもっている人間は、若干の後ろめたさと当然の感情とがあい半ばする意識をもって権力を行使する。権力をもたない人間は、いっさいの後ろめたさなしで、自分の正義を主張する。しかしそれが権力をもつ人間に対する復讐であり、怨念であり、変形された権力欲であることにはたいていの場合気がつかない。彼らがもしかりに権力を握れば、自分をのみ正しいとする途轍もなく危険な権力者になる可能性が十分考えられるのである。

(6-69) 不運や不幸や悪条件に見舞われた人間こそが、人間の心の内奥を覗き見、自分の弱さと闘う最大の課題を与えられた「選ばれた人」であるといっても過言ではないだろう。ところが福祉運動家は、不幸な人間が世間に対してとかくみせる「甘え」を保護しようとする。それが不幸を救い、悪条件を匡(ただ)す唯一の道だと単純に信じている。しかし不幸な人々が、不幸な人々同士で嫉妬し合い、いがみ合い、あるいは多少とも恵まれた人々に怨念をいだく等の、社会的な「甘え」は、ややもすると彼らには物事が半面からしか見えていないことの反映である。彼らは他人の悪には気がついても、自分の内部にもひょっとしたら同種の悪がひそんでいるかもしれないという自省の片鱗さえ欠いている場合が多いのである。
 しかし人間が道徳を考え、生きる価値求め、そしてなによりも高貴に生きるとは何か?を問題にするなら、まずこの自省を第一基盤にして、そこから出発すべきではあるまいか。

(6-70)福祉は施しでも恩恵でもない。恵まれない人々が生きる勇気をどう獲得するかが最も肝心な要点であることを、実践家は知っている(中略)。みかけの同情や物理的保護も、もちろんときにはたいせつであろうが、いちばんたいせつなのは、悪条件下にある人間にも、ときに自分の責任の欠如や性格上の欠点などに気がつくだけの内省の力をもつことなのである。みんな世間が悪い、自分たちは不幸だ、という観点だけでは、真の勇気は生まれてこない。

(6-71)私は世を怨む失敗者をこれまで無数に見て来たと同じくらいに、自分の能力を知らず、偶然を必然ととり違えた成功者をいかに多数見てきたことであろう。

(6-72)他人に要求する前にまず自分に要求する、あらゆる自分の行為に自由でなく宿命を見る

(6-73) 明らかな社会上の不公平が少しずつでも取り除かれることを正しいとする考え方に反対する理由はなにもないが、しかし今の時代に、権利を侵害された者が黙っていれば損をし、抗議すれば利益が少しは保証されるのは、権利の主張が戦術に依存していることを意味している。抗議が効果をあげるためには、ただおとなしく型通りの抗議をしているだけでは駄目で、集団を組み、あらゆる威嚇の手段を利用して、戦術に訴えなければならない。これは現代のいわば常識である。つまり弱い者の立場を守るのも、じつは正義の理法によってではなく、社会の弱点の利用によってなされている。現代では、強いもの(成功者や既得権者)が自分の才能と知恵によってのみ強くなったと考えるのはまったくの空想であり、これもたいてい社会の弱点の利用によってなされてきた。つまり強者も弱者も同じ原理によって生きている。それだけ人間が同質化し、同一線上に並んで競争し合っている証拠である。既得権者は防衛し、立場を奪われた者は攻撃する。どちらもエゴイズムの拡大という点では共通している。

(6-74)近代に入って、自由競争が人間に繁栄をもたらして来たが、同時に人間を不幸にしたともいえる。競争によって他を出し抜く心理、他人に対する思いやりの喪失があたりまえになってしまったし、すべての者が強者であろうとして、取り残された弱者はただ権利を主張すること(それもやはり強者になろうとする意志の一種である)によってしか、自分を生かせなくなってしまったからである。

(6-75)自分の中の俗物性を認めてかかるという生き方を選ばないかぎり、人間は自己矛盾を犯す可能性もある。誰でも完璧に、自分の論理性を守り、最後まで潔癖でありつづけることは出来ない相談だからである。

(6-76)批評だ、批判だと人々が口にする内容の多くに、どれくらい相手を育てようとする大きな愛情があるだろうか。これは日本の今日のジャーナリズムの問題でもある。にぎやかな世相批判が、ただ風潮に終わって、生産的でないのは、批判している当人にどだい改変への情熱が欠けているからである。批判によって何かを動かそうという気迫が最初からないし、批判という自分の行為をすら信じていない。自分は行動せず、ただ口先でたえず批判的ポーズを示すことが、知識人の身分証明だと思っている。

(6-77)ショーペンハウアーはヘーゲルを憎んだ。トルストイはワーグナーを理解できなかった。ゲーテはベートーヴェンをうるさそうに遠ざけた。ヘルダーリンはゲーテにも、シラーにも評価されなかった。こんな話は歴史の中に無数にある。私はときどき、互いに対立し衝突し合っていたこれら個性同士の葛藤を、現代人が色の褪せた古写真を見るように軽んじて、今頃になって気のきかない調停者の役割を演じては、これをもって「学問」と称しているようにさえ思えてならない。もちろんわれわれが、葛藤のすべてを今や相対化して眺めるに十分な距離を手に入れているのは争えない事実であろう。しかしそれはそうなのだが、生命のなまなましい一部が枯渇して、からからに干あがった結果のようにもみえる。

(6-78)小さな人間の偏見は歴史を歪めるかもしれないが、偉大な歴史家の偏見によって歴史ははじめて枠組を得るのである。一面的な好みや傾向性の展開の中にこそ、かえって普遍性が自然な形式で発露するのでなければならないであろう。そして直接的な人生体験とのつながりをもたないような学問が、どうして豊かな学問として成立するだろうか。

(6-79) 歴史的に思考する者にとっては、過去があるだけで、現在も未来もない。過去の理解が、現代に生きるわれわれの人生体験と切っても切り離せない関係にあるという事情、あるいは未来へ向かうわれわれの意識とも結びついているという事情は、彼らによってはまったく無視されている。

(6-80)過去は固定的に定まっているのではなく、生き、かつ動いているのである。また、過去を認識しようとしている人間もまた、たえず動いている。歴史は、動いているものが動いているものに出会うという局面ではじめて形成される創造行為である。

(6-81)過去をわれわれが意識するのは、過去そのものがわれわれを引っ張るからではなしに、われわれの現在の欲求、あるいは未来をわれわれがどう生きたらよいかという期待に応じて、そのたびごとに過去が違った形でわれわれの前に姿を現わすからだともいえよう。つまり定まった過去像があるのではなしに、現在の関心が過去に対するイメージを決定する場合が多い。

(6-82)宗教にとって最重要なのは信仰であって、知識ではない。しかし宗教学は学問である以上、信仰とは一致せず、むしろ信仰を弱め、こわす役割を演じ勝ちである。宗教学者は信仰家である必要はないし、またあってはならないのである。なぜならどれか一つの宗教にとらわれ、凝り固まったなら、いかなる宗教をも正確に客観化することはできなくなるし、さまざまな宗教の比較研究をし、相対化して観察することも、むずかしくなるからである。信じるということは、どれか一つを信じるのであって、あれもこれもを信じるのではない。宗教学者は信じるのではなく、多様な宗教現象を歴史的な相において冷静に、知的に分析することを求められている。彼はどれか一つに限定せず、幅広い知識をもって歴史を展望しつつ、対象をしだいに狭くしぼっていく

(6-83)信仰をどうして学問の対象にすることが出来るだろうか。しかしこの点に関していえば、信仰とは厄介な概念であって、信仰を知るとは物体の運動法則を知ることとはわけが違い、あくまで自分の心が問われるのである。物体の運動法則を知るとは、物体を自分の心の外に対象化し、客観化した後の結果であるが、信仰を知るとは、なにかの対象を知ることではなしに、対象化できないなにかにぶつかることなのである。宗教学者がさまざまな宗教現象を学問研究の対象として眺めているかぎり、彼は信仰についてはほとんどなにも知っていないに等しい。宗教に関する知識をなにももたなくても、敬虔な心をもっている田舎の農婦は、宗教学者よりも信仰において強く、深い可能性がある。ドストエフスキーはこういうコントラストをたびたび描いてみせた。

(6-84)後世のわれわれは、たしかに記録され保存された言葉を介してしか過去の思想家には接し得ないが、言葉の中に思想があるのでは必ずしもない。残された言葉は、思想への媒体にすぎない。比喩にすぎない。内奥は言葉の届かぬ所にある。言葉という間接的な手段を介してわれわれ後世の者は、はるか昔に立派な人間として生きかつ教えていた行為人の誰彼にまでさかのぼって、過去を再構成し、生きた思想の内奥を追体験するところまで行かない限り、その思想を理解したことにはならないだろう。

(6-85)初めに行為ありき、であって、初めに言葉ありき、であるべきでは決してないのだと私は思う。そして行為は瞬時にして消えうせ、言葉をただ媒体として残すのみである。言葉はいかに行為を映し出そうとしても、行為の比喩であり、また影絵でありつづけるほかないであろう。

(6-86)自由は障害を除去することでもないし、制限から解放されることでもない。そういう自由はこのうえなく消極的な概念である。消極的な意味においてすでに自由に達しているにもかかわらず、人間は身体を持つ存在である以上、どうしても自由にはなれない。自由の問題はそこからはじめて出発するのである。

(6-87)今は教養ということが地に堕ちた時代だが、教養とは机に向かって書を繙(ひもと)き、知識を身につける受け身の享受であればよいというそれだけの概念であるなら、衰退するのはむしろ自然の方向だし、そんなに悪いことではないのかもしれない。

出典全集第六巻
(6-60)(439頁下段から440頁上段「教育について」)
(6-61)(440頁上段「教育について」)
(6-62)(440頁下段「教育について」)
(6-63)(442頁下段「教育について」)
(6-64)(443頁上段「教育について」)
(6-65)(445頁上段から下段「教育について」)
(6-66)(446頁下段「教育について」)
(6-67)(448頁下段「高貴さについて」)
(6-68)(450頁下段「高貴さについて」)
(6-69)(453頁上段から下段「高貴さについて」)
(6-70)(453頁下段から454頁上段「高貴さについて」)
(6-71)(455頁下段「高貴さについて」)
(6-72)(456頁上段「高貴さについて」)
(6-73)(457頁上段から下段「高貴さについて」)
(6-74)(457頁下段「高貴さについて」)
(6-75)(464頁上段「高貴さについて」)
(6-76)(466頁下段から467頁上段「高貴さについて」)
(6-77)(470頁上段から下段「学問について」)
(6-78)(471頁下段から472頁上段「学問について」)
(6-79)(479頁上段「学問について」)
(6-80)(482頁上段から下段「学問について」)
(6-81)(482頁下段「学問について」)
(6-82)(487頁上段から下段「学問について」)
(6-83)(487頁下段から488頁上段「学問について」)
(6-84)(497頁上段から下段「言葉について」)
(6-85)(499頁下段「言葉について」)
(6-86)((504頁下段から505頁上段「言葉について」)
「後記」より
(6-87)((644頁「後記」)

「トランプ外交」は危機の叫びだ

平成30年6月8日産經新聞「正論」欄より

 やや旧聞に属するが、昨年の東京都議会選挙で自由民主党が惨敗し、続く衆議院選挙で上げ潮に乗った小池百合子氏の新党が大勝利を収めるかと思いきや、野党に旗幟(きし)を鮮明にするよう呼びかけた彼女の「排除」の一言が仇(あだ)となり、失速した。そうメディアは伝えたし、今もそう信じられている。

≪≪≪「排除」は政治的な自己表現≫≫≫

 私は失速の原因を詮索するつもりはない。ただあのとき「排除」は行き過ぎだとか、日本人の和の精神になじまない言葉だとか、しきりに融和が唱えられたのはおかしな話だと思っていた。「排除」は失言どころか、近年、政治家が口にした言葉の中では最も言い得て妙な政治的自己表現であったと考えている。

 そもそも政治の始まりは主張であり、そのための味方作りである。丸く収めようなどと対立の露骨化を恐れていては何もできない。実際、野党第一党の左半分は「排除」の意思を明確にしたので立憲民主党という新しい集団意思を示すことに成功した。右半分は何か勘違いをしていたらしく、くっついたり離れたりを重ね、意思表明がいまだにできていない。
今の日本の保守勢力は政党人、知識人、メディアを含め、自己曖昧化という名の病気を患っている。今後の新党作りの成功の鍵は、自民党の最右翼より一歩右に出て、「排除」の政治論理を徹底して貫くことである。小池氏はそれができなかったから資格なしとみられたのだ。
 
 実際、日本の保守勢力は自民党の左に立てこもり、同じ所をぐるぐる回っているだけで「壁」にぶつからない。新しい「自己」を発見しない。今までの既成の物差しでは測れない「自己」に目覚めようとしない。

≪≪≪秩序の破壊は危険水域を越えた≫≫≫

 世界の現実は今、大きな構造上の変化に直面している。かつてない危機を感じ取り、類例のない手法で泥沼の大掃除をすべく冒険に踏み出そうとしている人がいる。米国のトランプ大統領である。

 彼はロシアと中国による世界秩序の破壊が危険水域を越えたことを警鐘乱打するのに、他国から最もいやがられる非外交政策をあえて取ってみせた。中国を蚊帳の外にはずして、急遽(きゅうきょ)、北朝鮮と直接対話するという方針を選んだ4月以降、彼は通例の外交回路をすべてすっとばして独断専行した。

 同時に中国には鉄鋼とアルミに高関税を課す決定を下した。それは当然だが、カナダや欧州やメキシコなど一度は高関税を免除していた同盟国に対し、改めてアメリカの国防上の理由から高関税を課す、と政策をより戻したのは、いかな政治と経済の一元化政策とはいえ物議を醸すのは当然だった。

 彼はなぜこんな非理性的な政策提言をしたのだろうか。世界の秩序は今、確かに構造上の変化の交差路に立たされている。アメリカ文明はロシアと中国、とりわけ中国から露骨な挑戦を受け、軍事と経済の両面において新しい「冷戦」ともいうべき危機の瀬戸際に立たされている。トランプ政権は、北朝鮮情勢の急迫によってやっと遅ればせながら中国の真意を悟り、この数カ月で国内体制を組み替え、反中路線を決断した。

 トランプ氏は人権や民主主義の危機などという理念のイデオロギーには関心がない。しかし軍事と経済の危うさには敏感である。アメリカ一国では支えきれない現実にも気がつきだした。そのリアリズムに立つトランプ氏がアメリカの「国防上の理由」から高関税を遠隔地の同盟国にも要求する、という身勝手な言い分を堂々と、あえて粉飾なしに、非外交的に言ってのけた根拠は何であろうか。

≪≪≪日本は「自己」に目覚めよ≫≫≫

 トランプ氏はただならぬ深刻さを世界中の人に突きつけ、非常事態であることを示したかったのだ。北朝鮮との会談に世界中の耳目が集まっているのを勿怪(もっけ)の幸いに、アメリカは不当に損をしている、と言い立てたかった。自国の利益が世界秩序を左右するというこれまで言わずもがなの自明の前提を、これほど露骨な論理で、けれんみもなく胸を張って、危機の正体として露出してみせた政治家が過去にいただろうか。

 政治は自己主張に始まり、「排除」の論理は必然だと私は前に言ったが、トランプ氏は世界全体を排除しようとしてさえいる。ロシアと中国だけではない。西側先進国をも同盟国をも排除している。いやいやながらの同盟関係なのである。それが今のアメリカの叫びだと言っている。アメリカ一流の孤立主義の匂いを漂わせているが、トランプ氏の場合は必ずしも無責任な孤立主義ではない。北朝鮮核問題は逃げないで引き受けると言っているからだ。

 ただ彼の露悪的な言葉遣いはアメリカが「壁」にぶつかり、今までの物差しでは測れない「自己」を発見したための憤怒と混迷と痛哭(つうこく)の叫びなのだと思う。日本の対応は大金を支払えばそれですむという話ではもはやない。日本自身が「壁」にぶつかり、「自己」を発見することが何よりも大切であることが問われている。
(評論家・西尾幹二 にしお かんじ)

 六月八日付産經新聞正論欄に「トランプ外交は危機の叫びだ」を出しましたので、九日より以降、どうかコメント欄への自由な書き込みにご活用下さい。

 宮崎正弘氏の最新刊『アメリカの「反中」は本気だ!』(ビジネス社)を読みました。米中政治対決が明確化したという私の予測と理解にそれまでかすみがかかっていた迷いがあったのに、この本で拭い去られました。それが三日前です。二日前に藤井厳喜氏からファクスで、トランプがロシア疑惑を克服したこと、ロシア疑惑はヒラリー陣営をむしろ危うくしているという新情報を与えられました。この二つのニュースを個人的に手に入れて熟読し、八日の産經コラムのあの内容を決定しました。宮崎、藤井両氏の名を挙げるスペースはありませんでした。両氏にここで御礼申し上げます。

 産經コラムの前半の小池百合子氏による「排除」の一語云々の私の政治解釈は、コラムの話を面白くするために例として出しただけで、特別の意味はありません。直接つながらない無関係な二つの主題をあえて結ぶとたぶん面白い刺激になるだろう、という思い付きでやったまでで、うまく行ったかどうか私にも分かりません。今の保守は「壁にぶつからない」とか、「今までの物指しでは測れない『自己』に目覚めようとはしない」等の保守を批判した言葉遣いは、夜中に寝入る前に思いつき、枕元の紙にメモしておきました。

 この産經コラムはいつもそうするのですが、字数合わせもあるので、ペンで二度清書して、大抵三~四行くらいマイナスに削って、夜書き上げ、早朝もう一度見直し、さいごの修正をしてファクス器にかけます。

 なぜ今回はこんな詳しい内情をお話しするのかというと、短文でもこれだけ苦心するのだということ、否、短文だからこそかえって時間がかかるのだということをお知らせしたかったからです。三日を要しています。私はたぶん非能率な人間なのでしょう。

我が好敵手への別れの言葉

「正論」平成三十年三月号より

 人はおりふしに自らの歴史に深い闇を見る。たいていは行動力がそれを気づかせない。否、行動力のある人ほど闇の奥底の色は濃いのかもしれない。

 西部邁氏はフェアーな人だった。私たちが一番頻繁に顔を合わせたのはテレビ朝日の討論番組、朝まで生テレビだった。例えば外国人単純労働者の受け入れ是非をめぐるテーマが討論された場面などで、テレビ出演に慣れない私を西部氏は上手にリードしてくれたものだった。大島渚氏や野坂昭如氏等の名だたる仇役者たちから私を終始守ってくれた。その名だたる中に舛添要一氏がいた。私の位置から一番遠い席より手を大きく振り上げて私を指さして「このレイシスト!」と叫んだ。聞き咎め、窘(たしな)めたのもやはり西部氏だった。場違いだろう、無礼な言葉は慎め、というようなことをたしか言ったのを覚えている。

西―西論争の日々

 それより前であったか後であったか思い出せないが、舛添氏と西部氏と私の三人がパリで落ち合って数日間を一緒に過ごす機会があった。今から約三十年前、1986年9月に読売新聞社主催の円卓会議が日本から七人、ヨーロッパから十二人の知識人を集めてパリで開催された。西部氏の「日本の産業の成功は文化の犠牲の上に成り立つ」という近代日本を否定するポジションペーパーが、ヨーロッパ人の出席者の中で人気を博した。日本の自動車生産台数が世界一になって六年目のこの頃、電子部門の日米ハイテク競争が取り沙汰され始めていた。置き去りにされかねないヨーロッパは日本の進出にひどく神経質になっていた。

 当時のヨーロッパのメディアには、まるで異質な星雲からの未知の生物の出現のように日本人を扱い、日本の教育や労働慣行から休暇の取り方まで嘲る論調さえあった。西部論文の日本批判は彼らにとって渡りに船だった。私はあえて西部氏に異を唱え、反論した。二人の間で日本文化の是非をめぐる激しい論争が繰り広げられた。対立は四つのセッションのうち三つにまで影響した。日本人記者団からは「西―西論争」などと冷やかされたが、ヨーロッパ人の眼前で日本人同士が互いの主張をぶつけ合う光景は彼らの目には新鮮に映ったらしい。会議の最終日に議長のフランス人をして、今回は日本人が多様性を持つ国民であることを初めてリアルに感じさせた、と言わしめたほどだった。

 二人の論争は明治以来の日本の西洋化=近代化をめぐる永遠のテーマに関わっているので、簡単に終わる話ではない。それなのにここまで発言しなかった舛添氏が最後になって「本日の二人の論争は私のような若い世代にとってはもう終ったテーマであって、世代の差を感じさせるばかりだ」と言い出したのには驚いた。いったいこの種のテーマに世代論を当てはめることは可能であろうか。え?と私は耳を疑ったほどだった。

 私と西部氏はその夜パリの裏町で生牡蠣にワインを楽しみ、意気軒昂だった。舛添氏の世代論には西部氏も呆れ返っていた。二人は意気投合、パリ会議は激論を戦わせた二人の仲をかえって近づけた。

 主催者の読売新聞社側は、二人にはパリで言い残したことが相当あるに違いあるまいと踏んで同社の月刊誌『THIS IS 読売』(1987年1月号)のほゞ一冊の半分近い大幅ページ数を提供し、論争のつづきを思いのたけ語らせてくれた。公平で面白い全記録が残り、「西尾幹二全集」第10巻に保存された。

 興味深かったのは二人の結論が最終段階で接近したことである。それは理解とか寛容ということとは違う。西部氏は論争の最中も、終結後の資料の扱いにおいても、瑣末事に心乱されることなく、一貫してフェアーだった。

つくる会とテロをめぐる確執

 二人の間に距離が生じ、対立の軋みが見え始めたのは、1996年12月に「新しい歴史教科書をつくる会」が発足してからである。私が歴史、西部氏が公民の教科書の責任者になって以来であった。協力し合わねばならない関係なのに、そのことが苦痛となる事件が相次いだ。一口でいえば、公民の教科書は作りたくないのだけれど仕方がないから作ってやるのだと言わんばかりの彼の横柄な態度、しかも実際には作りたがっていた、そのウラの感情が私は分っているので、相手が素直でないことへの私の苛立ちは半端ではなかった。
 
 同じ一つの会を共同経営していくという責任感情がまるきりないことは次に起こった別の事件でさらに発覚した。私は2000年3月に台湾を旅行し、紀行文を本誌に公表した。西部氏によるそれへの攻撃が始まった。ときはまさに教科書検定の直前に当り、さらに採択をひかえた微妙な時期なので、「つくる会」の会員から内輪もめしないでくれ、という悲痛な手紙が何通も届いていた。私は反論はもとより釈明も弁解も封じられたかたちだった。私のそういう縛られた不自由な条件を西部氏は知っていた。私は氏のもう一つの側面を見た。

 局面いかんにより滅茶苦茶なことを言ったり書いたりする人だ、ということである。ニューヨーク同時多発テロが起こり、保守言論界の一部に左翼返りが生じ、非常に怪し気なムードが辿ったときがある。イスラムのテロリストを見て、真珠湾と特攻を思い出すという、アメリカ人ならともかく、日本人においてはあってはならない倒錯があっと驚くほどの勢いで有名保守系知識人の間にも広がった。旧日本軍をタリバンになぞらえ、弱者の反乱として先の大戦を説明する類の安易な歴史観である。

 私はあのとき西部氏も相当に危ない崖っぷちに立っていたように思える。「テロリズム考」(本誌2002年2月号)で、あらゆる革命はテロであり、大化改新もそうだったから、テロは歴史の進歩の動因の一つで、テロを不当とするなら「退歩が歴史の真相であったことを認めるのか」などと読者に迫るのである。そう脅かしておいて、テロの正当性をまず確認する。次いで社会は法律だけで成り立つのではなく、道徳という価値の体系を持っている。だから「合法ではないが合徳」というテロがあり得る、と言って、言外にアルカイダ・テロルを支持してみせる。しかし、もしそうであるならば、アメリカの軍事行動も「合法ではないが合徳」のテロルの一種とみなしてよいのではないか、という自然に思い浮かぶ読者の疑問には、一顧だにしない。

 保守らしいことを語っていた人が事と次第によってはとんでもない言説を振り回す可能性があることを示唆しているといえまいか。

 氏が主幹である『発言者』(2001年12月号)の座談会で、一人が西部先生の言葉として、「ビンラディンの顔はイエス・キリストに似ているとおっしゃった。私はハッとしました。大直観だと思います」を読んだあの当時、私はあゝ、危いな危いなと思ったものだった。どうして西部氏はキリストの顔を知っているといえるのであろう。知らなければ似ているも何もないではないか。人類の中でイエス・キリストの実物の顔を思い浮かべることができる人が本当にいるのだろうか。氏はここまで意識が浮遊することが起こり得る一人であったことはほゞ間違いない。

どこか、うらめない

 氏は二人が対座しているときに突然自分を茶化すようなおどけたことを言って、思わず微笑ましくなることがある。タクシーの隣りにいて、誰か若い人を叱責したときの話をして、「俺がいくら叱ってもさまにならないんだ。招き猫みたいな顔だって言われるんでねぇー」。そう言って片手を上げてひょいと私の方を見た上半身は薄暗いライトの中でまさに招き猫そのものなのだ。このように自分で自分を笑えるお茶目ぶった余裕があの人がみんなに愛された理由なんだと思う。

 西部先生の業績って何でしょうか、と昨日編集者に聞かれて、私はしばらく考えてからこう答えた。

「彼の学問的業績については私は分らないし、何も答えられません。たゞ、世の中の空気をひとつだけ替えたものがある人です。あの人は、保守だ、保守だと、『保守』という言葉を振り翳して世の中を渡ろうとしましたね。こんなに恥しい二文字を美しく盛り立てて歩き回った人はいませんよ。元来人気のない嫌われ言葉でした。『保守停滞』『保守頑迷』『保守反動』・・・・・これは日本では会社の名にも政党の名にも使えません。それなのにあの人が胸を張って騒ぎ立てたおかげかどうか分りませんが、『保守的』であることを若者が好むようになってきました。でも、若者が好むムード的保守感情は危険な崖っ淵を歩んだあの人の叫びとはまるっきり逆の方向を向いているのかもしれませんがね。でも、どこかうらめない所がある人だったんですよね。」

阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「四十一」

(6-29) 偉大な思想というのはそれ自体が一つの宇宙である。外の現実を内包しつつ、現実とはまたもう一つの別種の現実を形成する。それゆえに現実を追認する思想にとどまらず、現実を見通し、さらに動かす力をも秘める。
 そういう場合に現実と夢との間にいかなる境界線があり得るだろうか。

(6-30)戦争の反省とか、福祉の実現とか、それはそれなりにいかに重要であったにしても、考えてみればそれ自体が決して価値にはなり得ないこうした問題を、これまでさも「思想」であるかのようにかつぎ回って、時間稼ぎをしてきたメッキがついに剝げ落ち、今や目標を欠いたのっぺりした平板さはどうにもごまかしようのないわれわれの現実である。

(6-31)ここまでは言葉で言えるが、ここから先は言えないという断念、あるいは言えば勝手な空想になるからそれはしないという自己限定が世の多くの批評文にどれほど欠けていることだろう。なにか非常に気の利いた思いつきを批評対象にかぶせるようにして、文明論の構図の中に巧みにこれを按配(あんばい)し、いかにも巧妙にわかったような物の言い方がなされる。が、その対象についてはそうも言えるが、またその反対のことも言えるのではないかという自己疑問が総じて乏しい。

(6-32)今のこの変化の激しい社会のなかで、なにびとが保身なしで生きられよう。だが、それが保身にすぎぬことを知っている人は意外に一貫した姿勢をとりつづけているものである。自分の僅かな保身にも鋭敏であり、自分の僅かな虚偽にも自覚的だからである。だが、その僅かな虚偽もまた、虚偽とは言えず、結局は「自己」なのだということにも敏感でなければならない。

(6-33)現代では物を有り難いと思う気持ちがなくなっているのに、それでいてどういうわけか、ちょっとした物品の不足に、敏感に、神経質に反応する習慣が身についてしまっている。

(6-34)実際にはなにものをも所有せずにいて、しかもすべてを所有しているのと同じ落ち着きをもって生きることは、われわれ凡人には容易になしがたい理想であるとはいえ、ひょっとしたらこれが幸福の観念のきわまるところであるのかもしれない。

(6-35)いくら昔より今の方が豊かになったと言われてみても、人間は昔の苦痛などをたちまち忘れ、今の不足をかこつばかりである。これは人間性の常である。人はただ目の前の自分の富と他人の富とを比較することしか知らない。

(6-36)人間は自分とほぼ同じような人間が自分よりも恵まれているということこそが、もっとも許し難いことに思われる

(6-37)より良き生活以外に生活の目標がないということは、人間がなにかのために生きるのではなしに、生きるために生きることのうちにしか生の目標が存在しないということに外ならない。このような現実に人は息長く耐えることが出来るのであろうか。

(6-37’)芸術や学問の仕事のうちに本当に人生の目標があるといえるのかどうか、そういう疑問にぶつかっていないような人の芸術や学問などは、およそ信用に価しないであろう。どんな仕事にも目標などはないのだ。むしろそう悟った方がいい。この人生に目標がないように。とすれば、この文明が目標もなくただ果てしなく前進しているのと同じように、つきつめて考えれば、すべての仕事に目標はなく、だからといってなにか有意義な課題を外部に求めて、教養とやらを身につければそれでなにかの目標に達したと考えるような甘やいだ教養主義も、単なる自己満足でしかなく、暇つぶしの一つだくらいにきっぱり考えた方がいい。
 そう悟ったときに人は解決を外に求めず、自分自身に立ち還るより他に道がないことに気がつくであろう。そこから先は各自の課題である。自分を導いてくれるいかなる処方箋も、いかなる指導書も存在しないのだ。このことをはっきり知ること以外に、生活への強い信頼は生まれてはこないはずである。

(6-38)外的条件の窮乏が人に強制する精神的緊張は、窮乏が解除されればたちまち消えてなくなるのであるから、もともとがけっしてまっとうな緊張とはいえないのである。外的条件が現在のように弛緩(しかん)し、生活環境がぬるま湯のような状態であるときに、人がなお緊張と向上と自己の豊富さを実現することこそ、人間としての本来のあり方だといってよいであろう。

(6-39)すべて賢いことは古典のなかで言われつくされている。人間はいつの時代にも同じ愚かさを繰り返しているので、昔の本は幸いにもいつまでも新しさを失わないでいられるようだ。

(6-40) 他人を笑うことはたやすく、自分を笑うことは難しい。
 他人の目からみれば取るに足らないことが、当人にとっては真剣このうえないことになるのは、考えてみれば、これが人生の当たり前のことであって、その限りで人生にはつねになにほどかの喜劇性が秘められている。

(6-41)近代小説は人間をありのままに知ろうとする情熱、すなわち人間性への謎の認識欲によって進歩してきた。しかしそこにはそれなりの欠陥がある。近代小説には何のために人間をありのままに知ろうとするのか?という目的がそもそも欠けている。

(6-42)ニーチェを読むことは、読者の側の一つの変身であり、運動であり、闘いである。

(6-43)われわれはとかくその場にいない友人の悪口を言う。悪口という快楽から逃れられる人間は少ない。しかし一つだけ、言ってはならない悪口がある、と私は思う。誰々さんが君のことをこんな風に悪く言っていた、という告げ口である。その場合相手は誰々さんよりも、告げ口した人間にやがて深い怨みを抱くようになるだろう。なぜなら悪口を言われた当人は、その場に居合わせていない友の、知らなかった一面をはじめて覗き見た思いがして、背筋の寒くなる思いがするとともに、あんな話は聞かない方が良かったのだとやがて後悔するに違いないからである。

(6-44)一般に、道徳上の告白は、他人に知らせたくない秘事を公開するのであるから、真実の表現に違いないとみなされがちである。けれども告白者がある部分の真実を告白することで、代わりに、別の部分の真実を見まいとして、告白の動機そのものに蔽いを掛けてしまう場合も決して少なくない。

(6-45)友人が真実を告白し、自分は卑怯であったとか、罪を犯したとか語る言葉の背後にひそむ彼自身のもう一つの心の闇に、私たちはじっと目をこらす必要があるだろう。たいがいの場合、告白した人間をやがて私たちがうとましく思うようになるのは、彼の過去の罪を責め始めたからではなく、告白によって罪を軽くしようとしている彼のもう一つの動機に、私たちがなにか釈然としない、胡散臭い性格をかぎ当てているからである。

(6-46)競争が悪いのではなく、競争が人間性を破壊する関係ないし状況がいけないのである。そもそも人間社会から競争がなくなってしまったら、人間は成長しなくなる。競争はいわば発展の母である。

(6-47)私たちは決して友人が欠けているのではない。人の友たる資格が私たち自身にあるのかどうか、自分に対するその問いが、なによりも吟味されなくてはならないのである。

(6-48) 青年の純粋さなどは当てにならないのである。
 青年は世間との不調和をたやすく自己の高貴さととり違える。だがなにか世間的な事柄に成功して、不調和がとり除かれると、そういう孤独な青年に限って、意外にいや味な出世主義者に変貌することがままあるからである。不調和にいじめられ、心がねじくれたあげくに、人間の弱さというものがたどる運命は見えすいている。
 若い時代に、いかにも世間がわかったような老成したものの言い方をする青年も私は好かないが、しかしその反対に、自分の若さに盲目的に溺れている青年も私にはうとましいのである。そういう人は意外に早く年をとるものである。

(6-49)孤独に価値があるのではない。また自分を孤独にする世間が本当の敵なのではない。敵は自分の心の中にある。自分を否定する力をもたない者には、肯定すべき自分の唯一の価値が何であるかもわからないのである。

(6-50)思想は出来上がった、動かない完成品でもなければ、思いつきや、気のきいた機智の類でも決してない。
 思想とは私たちひとりびとりの生き方にほかならないのである。

(6-51)ある行為が言葉になったとする。しかし言葉になった瞬間から、秘められていた行為の内奥は、すでになにほどか形骸化しているのである。しかしそれでも、残された言葉がわれわれに語りかける力をもっているのは、言葉の奥にあるもの、言葉では十分に捉え切れていないなにものかが、表面の言葉を支えているからだ。

(6-52)第一どうして人はそんなに本を読む必要があるのか。場合によっては本など読まなくても、人間は立派な生活人として一生をまっとうすることが出来るのである。そして、この観点を欠いたら、いくら多くの読書を重ねてもたいした稔りは得られないだろう。

(6-53)もし優れた本を本当に理解したならば、場合によってはその本が読み手の人生を毒することがあるというくらいのことを、彼は承知していなくてはなるまい。一冊の書を読んで、自分に有益であったなどと気楽な感想を語れる読者は、その書物をまるで理解していないのか、あるいは理解するに値しないほどつまらない書物であったのか、そのいずれかであろう。

(6-54)かつては無教育の人間が他人に支配され易いと信じられていたのに、今では教育をさずけられた人間が、かえって情動に動かされ易く、他人の思想に操られ易い存在と化しつつある。そして能率と繁栄を目標とする以外に歴史を動かす思想はなく、休息と安全性が大衆の唯一の志向となりつつある。
 創造者にはもっともふさわしくない時代が到来しているのである。
 教育や学問は今やそれ自体のためにあるのではなく、右の目的を満たすための手段にすぎなくなっている。

(6-55)人々はなにごとにつけてほどほどで、怜悧になり、あたりさわりのない生き方で、その日その日をやり過ごすことに疑問を覚えない。誰も論争せず、集団で事を構えることはするが、個人の責任で争おうとする者はいない。他人に対する無関心は、表向き冷ややかな社交辞令とほどよい釣り合いをみせている。ときになにか人生や社会の大きな疑問に突き当たってそれを表明する人が現れたなら、たちどころに嘲笑されるのが落ちである。
 こうした状況を「成熟」とか称して現状肯定する思想家がもてはやされ、その分だけ時代の文化は老衰し、活力を失っていく。だが、少量の毒ある刺戟をふり撒いた、いくらかどすをきかせた身振りやポーズが現れると、人々はこれを喝采するが、本気で毒を身に浴びる者はどこにもいない。毒ある刺戟も機智の一種であり、演技であり、芝居であるとみなされている。利口者がなによりも尊重され、あるいは歴史書に慰めを求め、あるいは永生きするための健康書にうつつを抜かす。そして、にぎやかな鳴物入りの漫画のような思想が現れるとぱっととびつき、明日にはそれを屑籠に入れて、人々はともかく一時の快い夢をみることが出来たといって喜ぶのである。

(6-56)現代の指導者は民衆の喜ぶようなことしか言わず、一方民衆は、忍耐して困難を解決していこうとする気持ちを最初から持っていない。どっちにしても「煩わしすぎる」のである。今よりいっそう安楽で、いっそう快適な生活条件を目指すということ以外に、個人も国家も生の目標を見出せなくなっている。今や「地球は小さく」なり、「怜悧な」人間たちは「地上に起こったいっさいについて知識をもっている。」

(6-57)日本人が学校へ行くのは、生活保障のパスポートを手に入れるためである。あるいは階層意識上昇に役立つお墨附きを獲得するためである。その前提は容易にくつがえりそうもない。ありていにいえば損得勘定の問題にすぎない。そしてそれが公平かどうかが疑わしくなると、世を上げて大騒ぎになるのである。

(6-58)わが国では、大学問題が言葉のもっとも本来的な意味での大学問題であったためしがあるだろうか。大学が今世間の関心を集めているようだが、大学における学問研究の内容の適否についてはだれも論じないし、寡聞にして学問の理念が問われたという話も聞かない。受験生の平等・不平等の問題、すなわち青年が社会へ出てからの生存競争に、異常なまでの興味がもたれているのである。

(6-59)大学の文学部においても、外国語の授業以外には言語教育はなされていない。教養課程の学生は、まだまだ国語の「読み・書き」の基本を継続して教えられるべき年齢だと私は思う。しかし実際に文章の緻密な読解という本来の言語教育を行っているのは、ドイツ語やフランス語や英語の授業であって、日本の大学では外国語教育がいわば国語教育の肩代わりを演じているといっても言い過ぎではないのである。文学を自由に多読すべき年齢の、若い柔軟な心に、専門的なおぞましい研究家意識をたきつけ、感受性をずたずたにしてしまうのも、日本の文学部における教育の仕方である。ああ何たることよ、と私は思う。

出典全集第六巻
「Ⅳ ドイツの言語文化」より
(6-29)(250頁下段「北方的ロマン性」)
(6-30)(293頁下段から294頁上段「ドイツの言語文化」)
「Ⅴ 古典のなかの現代」より
(6-31)(330頁下段「知的節度ということ」)
(6-32)(337頁下段「人は己の保身をどこまで自覚できるか」)
(6-33)(341頁下段「富と幸福をめぐる一考察」)
(6-34)(343頁上段「富と幸福をめぐる一考察」)
(6-35)(346頁上段から下段「富と幸福をめぐる一考察」)
(6-36)(347頁上段「富と幸福をめぐる一考察」)
(6-37)(349頁下段から350頁上段「富と幸福をめぐる一考察」)
(6-37’)(353頁上段から下段「富と幸福をめぐる一考察」)
(6-38)(356頁下段「富と幸福をめぐる一考察」)
(6-39)(365頁下段「古典のなかの現代」)
(6-40)(369頁下段から370頁上段「古典のなかの現代」)
(6-41)(373頁下段から374頁上段「古典のなかの現代」)
「Ⅵ ニーチェとの対話―ツァラトゥストラ私評」より
(6-42)(381頁下段「まえがき」)
(6-43)(388頁上段「友情について」)
(6-44)(389頁上段「友情について」)
(6-45)(389頁下段「友情について」)
(6-46)(395頁上段「友情について」)
(6-47)(400頁上段「友情について」)
(6-48)(402頁「孤独について」)
(6-49)(412頁下段「孤独について」)
(6-50)(418頁上段「現代について」)
(6-51)(418頁下段「現代について」)
(6-52)(421頁下段から422頁上段「現代について」)
(6-53)(422頁上段「現代について」)
(6-54)(423頁上段「現代について」)
(6-55)(424頁上段から下段「現代について」)
(6-56)(428頁上段「現代について」)
(6-57)(431頁下段「教育について」)
(6-58)(431頁下段「教育について」)
(6-59)(434頁下段「教育について」)

平成30年の年賀状

賀正

 現代世界の諸問題に囚われ過ぎて生きることは人間の弱点かもしれないと思うようになった。私は現代を研究する二つの勉強会を主宰し、月刊言論誌九冊の寄贈を受け、新聞やネットの方面も気懸かりで、家の中は到来する本を山積みにした気の利かない古書店のように乱雑である。

 耳がまだ聞こえるうちに少しでも良い音楽を聴いて死にたいと名演奏家を世界の涯てまで追いかけていた法律家の友人が四月死亡した。私は眼がまだ見えるうちに入るので、何とかパウル・ドイセンの『ヴェーダ・ウパニシャッド60篇』を読み込みたいと祈願している。これは金沢大で宗教哲学を教えていた友人が、ショーペンハウアーとニーチェを結んだドイセンの大業に直接に触れずしてどうして君は死ねるのか、とオランダで入手したドイツ語原本(第二版1905年)を私に寄贈してくれたものだ。一年前にその友も亡くなった。吉祥寺で二人で食事をした店の前を昨日も私は漫然と歩いていた。

平成30年 元旦  西尾幹二

全集の最新刊(三)

宮崎正弘氏書評 第十八巻『国民の歴史』
 あの強烈な、衝撃的刊行から二十年を閲して、読み返してみた
  歴史学界に若手が現れ、左翼史観は古色蒼然と退場間近だが

  ♪

西尾幹二全集 第十八巻『国民の歴史』(国書刊行会)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 版元から配達されてきたのは師走後半、たまたま評者(宮崎)はキューバの旅先にあった。帰国後、雑務に追われ、開梱したのはさらに数日後、表題をみて「あっ」と小さく唸った。
 二十年近く前、西尾氏の『国民の歴史』が刊行され、大ベストセラーとなって世に迎えられ、この本への称賛も多かったが、批判、痛罵も左翼歴史家から起こった。
初版が平成11年10月30日、これは一つの社会的事件でもあった。もちろん、評者、初版本を持っている。本棚から、ちょっと埃をかぶった初版本を取り出して、全集と比較するわけでもないが、今回の全集に収録されたのは、その後、上下二冊の文庫本となって文春からでた「決定版」のほうに準拠する。それゆえ新しく柏原竜一、中西輝政、田中英道氏らの解説が加えられている。

 初読は、したがって二十年近く前であり、いまとなってはかなり記憶が希釈化しているのは、印象が薄いからではない。その後にでた西尾さんの『江戸のダイナミズム』の衝撃と感動があまりにも大きく強烈だったため、『国民の歴史』が視界から霞んでしまった所為である。
 というわけで、正月休みを利用して三日間かけて、じっくりと再読した。こういう浩瀚な書籍は旅行鞄につめるか、連休を利用するしかない。
 そしてページを追うごとに、改めての新発見、次々と傍線を引いてゆくのだが、赤のマーカーで印をつけながら読んでいくと、いつしか本書は傍線だらけとなって呆然となった。

 戦後日本の論壇が左翼の偽知識人にすっかり乗っ取られてきたように、歴史学界もまた、左巻きのボスが牛耳っていた。政治学を丸山某が、経済論壇を大内某が、おおきな顔で威張っていた。それらの歴史解釈はマルクス主義にもとづく階級史観、共産主義の進歩が歴史だという不思議な思い込みがあり、かれらが勝手に作った「原則」から外れると「業界」から干されるという掟が、目に見えなくても存在していた。
 縄文文明を軽視し、稲作は華南から朝鮮半島を経てやってきた、漢字を日本は中国から学び、したがって日本文明はシナの亜流だと、いまから見れば信じられないような虚偽を教えてきた。
 『国民の歴史』は、そうした迷妄への挑戦であった。
だから強い反作用も伴った社会的事件なのだ。
 縄文時代のロマンから氏の歴史講座は始められるが、これは「沈黙の一万年」と比喩されつつ、豊かなヴィーナスのような土偶、独特な芸術としての高みを述べられる。
 評者はキプロスの歴史博物館で、ふくよかなヴィーナスの土偶をみたことがあるが、たしかに日本の縄文と似ている。
遅ればせながら評者、昨年ようやくにして三内丸山遺跡と亀岡遺跡を訪れる機会をえた。弥生式の吉野ケ里でみた「近代」の匂いはなく、しかも発見された人骨には刀傷も槍の痕跡もなく、戦争が数千年の長き見わたって存在しなかった縄文の平和な日々という史実を語っている。
 魏の倭人伝なるは、取るに足らないものでしかなく、邪馬台国とか卑弥呼とかを過大評価で取り上げる歴史学者の質を疑うという意味で大いに賛成である。
 すなわち「わが祖先の歴史の始原を古代中国文明のいわば附録のように扱う悪しき習慣は戦後に始まり、哀れにも今もって克服できない歴史学界の陥っている最大の宿唖」なのである。
「皇国史観の裏返しが『自己本位』の精神をまでも失った自虐史観である悲劇は、古代史においてこそ頂点に達している」(全集版 102p)

 西尾氏は中国と日本との関係に言語体系の文脈から斬りこむ。
 「古代の日本は、アジアの国でできない極めて特異なことをやってのけた、たったひとつの国である。それは中国の文字を日本語読みし、日本語そのものはまったく変えない。中国語として読むのではなくて日本語としてこれを読み、それでいながらしかもなお、内容豊かな中国古代の古典の世界や宗教や法律の読解をどこまでも維持する。これは決然たる意志であった」(92p)

 「江戸時代に日本は経済的にも中国を凌駕し、外交関係を絶って、北京政府を黙殺し続けていた事実を忘れてはならない」(39p)。

 こうして古代史からシナ大陸との接触、遣唐使派遣中止へといたる過程を通年史風ではなく、独自のカテゴリー的仕分けから論じている。

 最後の日本とドイツの比較に関しても、ほかの西尾氏の諸作論文でおなじみのことだが、ドイツのヴァイツゼッカー元大統領の偽善(ナチスが悪く、ドイツ国民も犠牲者だという言い逃れで賠償を逃げた)の発想の源流がヤスパースの論考にあり、またハイデッカーへの批判は、西尾氏がニーチェ研究の第一人者であるだけに、うまく整理されていて大いに納得ができた。
 蛇足だが、本巻に挿入された「月報」も堤尭、三好範英、宮脇淳子、呉善花の四氏が四様に個人的な西尾評を寄せていて、皆さん知り合いなので「あ、そういう因縁があるのか」とそれぞれを興味深く、面白く読んだ。
 三日がかりの読書となって、目を休めるために散歩にでることにした。