阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第二十五回」

(8-16)学問の世界は「目的から自由な競争」が活潑に行われることによって、なんら弊害を惹(ひ)き起こさないほとんど唯一の世界である。例えば経済の競争は、独占資本を生み、不自由と不平等を惹起(じゃっき)しかねないが、学問の活動は、競争によって他を制限する可能性に乏しい。学問の世界では一人の指導者に対するいわば防衛手段として、つねに新たな学説や論理の擡頭を必要とする。いかなる才能も能力も懐疑によって、いいかえれば既成の概念に対する闘いによって展開されなければならない。もし学問以外の力に基くヒエラルヒーに制限され、言葉の最も健康な意味における競争心がおおらかに肯定されずに、阻止されるようなことがあれば、それは学問の自己破壊に道を通じるだろう。

(8-17)言うまでもなく、知識の伝達だけが教育のすべてではない。けれども人はどうやって理解とか愛とか人間性とかを他人(ひと)に直(じか)に教えることが出来ると考えているのだろう。現代の教育家はいつからそんな大それた自信を抱くようになったのだろうか。

(8-18)受験勉強などというものを大仰に考える必要もないが、自分の生活を禁欲的に律し、ある一時期に若さの激情を怺(こら)える「修行」としての意味も若干はあるだろう。今の時代に青年が緊張した一、二年を送る修行期間が他にはないのだから、受験が人間性を蝕むというジャーナリズム特有の感傷語がなんと言おうと、そうそう悪い面ばかりがあるわけでもない。

(8-19)成程、教育家は知識を超えたなにかを他人に伝えることに成功しなければ、教育家の名に値しないのかもしれない。しかし、彼が最も教えたいと思っているそれらの価値こそ、厳密に考えれば、他人に教えることの出来ない当のものに外ならない。
 教育家は教育というものの本来のこの限界を弁えていなくてはなるまい。

(8-20)人間は誰でも、結局のところ、自分自身を再体験するだけなのである。

出展 全集第八巻
「Ⅱ 日本の教育 ドイツの教育」
(8-16) P274 上段から下段「終章 精神のエリートを志す人のために」より
(8-17) P277 下段「終章 精神のエリートを志す人のために」より
(8-18) P281 上段「終章 精神のエリートを志す人のために」より

「Ⅲ 中曽根「臨時教育審議会」批判」より
(8-19) P293 下段から294頁上段「自己教育のいうこと」より
(8-20) P294 上段「自己教育のいうこと」より

宮崎正弘氏による全集第9巻 書評

 まだ日本文学が元気だった頃、西尾さんは時評にも精を出されて いた

   石原慎太郎、開高健を評価し、丸谷才一、山崎正和らを斬る

    ♪

西尾幹二『西尾幹二全集 第九巻 文学評論』(国書刊行会)

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 昨師走、忘年会の席だった記憶があるが、西尾さんと飲み始めて最初は保守論壇の活況ぶりが話題だったのに、急に文学論に移行した。そして意外に も石原慎太郎の文学を高く評価したのである。たしか富岡幸一郎氏もとなりにいたが、そのとなりの人とお喋りに夢中だったので、この議論は聞いてい なかった かも知れない。

 西尾さんは政治家としての石原氏を評価されず、首相になりそこなっての都知事は「遅すぎてぶざま」と辛辣で、その原因は「持ち前の用心深さとい よいよとなると自分を捨てない非行動が災いした」。しかし石原慎太郎の小説は、「日本文学の中で誰もかけなかったテーマ」(本全集、795p)、 つまり肉体と暴力を執拗に追求していると、文学のほうは、やけに高い評価をするのである。

 西尾さんが文芸時評を過去におやりだったことは知っていたが、その活躍のさまを筆者は殆ど知らないで過ごした。その殆ど全てがこの集に入っているので、西尾さんの文藝評論家としての軌跡をふりかえることが出来る。1970年代の日本文学と言えば、三島由紀夫事件があり、驚天動地の衝撃を受けた私はその後の人生、三島研究会の結成やら憂国忌、数百回となる公 開講座の手配などが基軸で、ほかに余裕がなくなった。私は小説をまったく読まなくなり、いまこの全集に収められた作家群の、名前こそ知っている が、柏原兵三、阿部昭、辻井喬の三人以外は読んだことがない。高井有一、加賀乙彦、小川国夫、田久保英夫、黒井千次、綱渕謙錠の各氏、名前を知っているだけ である。

 辛辣に丸谷才一と山崎正和を斬っている。江藤淳も批判している。「便利すぎる歴史観」だとして司馬遼太郎と小田実を一刀両断、ついでに平野謙批判 にも容赦がなく、これらは私もまったく評価しない人たちだからそうだそうだと膝を叩きながら読んだ。

 わたしの文学青年時代、文芸評論といえば、まず『文壇の崩壊』を書いた十返肇、大江や倉橋由美子を発掘したと騒いだ平野謙の傲慢なようで文壇的 な批評の凹凸、地道な仕事をこなしていたのは山室静、中村光夫、奥野健男、『批評』に拠った佐伯彰一、村松剛、「朝日新聞」の文芸時評は、なんと 林房雄が書いていた。小林秀雄は時評には手を染めず、孤高としていた。福田恒存は政治論議に傾斜していた。

 そしてハッキリと佐伯、村松らは文芸批評をやめて政治、文化批評、あるいは戦略論へと居場所を変えていた。

 それは文学がじつにつまらなくなってしまったからで、万葉集の伝統も源氏物語のロマンも失われ、それこそ「芭蕉も西鶴もいない昭和元禄」〔『文化防衛論』〕「源氏物語で真昼を体験した日本文学はこれから夕方に向かう」(『日本文学小史』)。そしてその三島自身が文壇から不在となって、私も現代文学には背を向けていた。

 この時代に西尾さんはこつこつと時評をかかれ、文芸誌に発表された小説をすべて読まれ、多くの逸材の秀作をみつける仕事に没頭されていたとは、 知らなかった。

 ▼日本文学はかくも衰退した

 文学青年時代の私はと言えば、吉川英治、司馬遼太郎、松本清張など通俗作家から、大江健三郎、石原慎太郎、菊村到も野坂昭如も五木寛之も皆読ん だ。新潮社の日本文学全集にはいっていた作家の大半(漱石、鴎外、藤村、荷風、谷崎、川端から幸田露伴、正宗白鳥まで)ともかく濫読した。

 なぜあれほど夥しい量の本を読んだのか、憑かれたように濫読し、サルトルもカミュも読んだが、サルトルの印象は薄く(『自由への道』はやたら長いのに)、米国ではヘミングウェイ、フォークナー、スタインベックの御三家が全盛の頃だった。ヘミングウェイはほぼ全部読んで、夢中になった。ところが期待して入学した英文科で龍口直太朗教授は『ティフェニーで朝食を』『冷血』を書いた変人作家、トルーマン・カポーティだけを論じたのでうんざりしてしまった。

 くわしく書く紙幅もないが、三島以後の日本文学でかすかに残るのは遠藤周作、日野啓三、阿部昭ていど。したがって70年代から80年代にかけて出てきた日本人作家に関して言えば、村上春樹も平野啓一郎も一作とて読んだことがなく、その意欲もなく、強いて一冊をあげるとすれば開高健の『夏の闇』と『輝ける闇』なのである。そして西尾さんは、やっぱりこの作品を高く評価しているのでナルホド、感性の鋭さが光るのである。しかも『輝ける闇』よ り『夏の闇』のほうが優れているという。開高健についてはなにからなにまで同感である。

 ▼収穫は開高健の『夏の闇』と『輝ける闇』

 両作品はきわめてニーチェ的である。

 

「私たちが今どれだけ並外れて異様な時代に生きているか。(中略)遠いところで起こっている(戦争や民族対立、殺戮などの)出来事の情報を次か ら次へと殆ど無差別に受け入れなければならなくなっている」(中略)。

 しかし、戦争など

 

「悲惨な出来事を伝える生々しい写真や報道記事をいっぱいつめた朝刊の横に、コーヒーとトーストを置いてあくびをしながらこの朝刊を読む」という安逸な日常生活に浸り、戦争は「所詮『紙の中』(いまならテレビ画 像のなか)に」

しかなく、

 「頭脳だけは刺激的な外的経験に関する豊富な知識によって水ぶくれに膨れあがっている。そういう人間が、戦争というものの中の人間の静かな呼吸、異常な中の日常を察知するなどということがどんなに困難になっているか」

 そこで開高健の『夏の闇』を読む西尾さんは次のように作品を解剖をする。

 「そういう現代人の抽象的な生活と意識の分裂を描くところに主題をもとめた」のが『夏の闇』であり、「日常の安定と戦場の熾烈さのどちらも現実であって、同時にどちらも幻覚であるという私たち現代人の置かれた生の二重構造と、自分の認識力の不確かさに眼が注がれている」

 

「何か酔えるものを男は探し続け、旅をし、戦に赴き、そこで見たものは傍観者としての自分の姿であり、戦争という熾烈な生の確かめの場もしだいに耐え難く、自分の内部から脆くも崩れ去っていく音を聞く外はない」

 殺伐とした日常生活の精神の希薄さに漂うニヒリズム。『夏の闇』は、開高健の最高傑作だと前から私は思っていたが、西尾さんは、この時評をはるか昔、1972年の『文学界』に書かれていた。そのことを、この全集第九巻で初めて知った。   

   (評 宮崎正弘)

福井雄三氏からの全集第9巻『文学評論』感想

ゲストエッセイ
福井雄三 歴史学者・東京国際大学教授

西尾幹二先生

 ご無沙汰いたしております。西尾幹二全集第9巻『文学評論』、第14巻『人生論集』、夏休みに時間をかけてじっくり熟読いたしました。
 
 先生の芥川龍之介に対する評価については、私もまったく同感です。私はなぜ芥川があそこまで巨匠ともてはやされ天才扱いされるのか、さっぱり理解できな
いのです。芥川はその古今東西に及ぶ希有の教養を土台にした創作活動を行いました。その批判精神に満ちた鋭い知性は、評論やエッセイ、あるいは短編小説の分野で多少見るべきものを生んだが、所詮は単なる教養人、物知りの域を出ることはなく、彼独自の思想・世界観を形成するまでにはいたっていません。私は芥川の作品に対して、清朝時代の訓詁学者のような枝葉末節の緻密さは認めるが、いわゆる芸術作品としての感動というものを感じません。世間で評価されているほどには、彼の作品に対して知性のきらめき、知的興奮というものを、さほど感じないのです。

 芥川は自尊心がきわめて強く、知的虚栄心も強く、マスコミの自分に対する評価を異常なまでに気にしていました。彼が自分の死後の名声にまで汲々としていたことは、遺稿集の中からも明白に見てとれます。先生の指摘されるごとく、彼は自殺したから死後も名前が残ったのです。彼のライバルだった菊池寛は、後年の大衆小説とその私生活のゆえに、ややもすれば通俗作家扱いされますが、そんなことはない。若き日の彼の作品は実に鋭い切れ味と冴えを示しております。私は芥川より菊池寛のほうが、はるかに作家としての天賦の資質を持っているように思います。

 先生は菊池寛の初期の戯曲『義民甚兵衛』をご存じですか。私は中学一年のときこれを読んで異常な衝撃に襲われました。人間のどろどろしたエゴイズムと醜
い姿を、ここまで赤裸々にえぐり出した菊池の才筆に圧倒されたのです。当時東大生で卓抜した秀才だった私の兄が「なに、これは村人たちのエゴイズムさ。最も醜悪なのは村人たちさ」と一刀両断してのけた口調が、いまも鮮明な記憶として残っています。私はこの戯曲にあまりにも衝撃を受けたので、高校の文化祭のクラスの出し物で、この演劇をやろうと提案したのですが通りませんでした。

 彼らの師匠であった夏目漱石についても私は疑問を抱いております。そもそも漱石の文学自体が、非常に通俗で低俗な要素に満ちているというのは、以前から
指摘されていたことです。ドストエフスキーの作品が実は意外にも駄作だらけであるのと同様に、漱石の通俗性についても、かつて昭和初期の新進気鋭の論客た
ちが喝破したことがあります。漱石が朝日新聞の連載小説の人気専属作家であり、締め切りに追われながら原稿を書きまくったこともあいまって、彼の作風が著し
く大衆的であり、一歩間違えば三文小説に転落しかねない、ぎりぎりのきわどい要素をはらんでいることは確かに事実です。この点、彼のライバルであった森鴎外の作風とは、明らかに一線を画す必要がありましょう。

 『こころ』の文学作品としてのできばえについても評価が分かれるところであり、これを駄作とみなす声もあります。Kと先生の二人の自殺が大きなテーマとなっていますが、はっきりいってこの二人が自殺せねばならぬ必然性は、作品の構成上どこにも見当たらない。最後の土壇場で乃木大将の殉死が登場し、先生が号外を片手にして「殉死だ、殉死だ」と叫びながら「明治の精神が天皇に始まり天皇に終わった」などと何やら意味深な言葉をつぶやいて死んでいく。このあたりなどは読者から見れば、はっきり言って三文小説にすらなっていない、ずさんな結末です。

 西尾幹二全集、早いものでもう半ば近くまで刊行されましたね。いつも先生の著書を読みながら、先生の生きてこられた人生を、私自身が追体験しつつ生きているような気持ちになります。私より18歳年長の西尾先生の生き様をたどりながら、私自身の18年後を思い描けるという意味で、これは私の人生の貴重な指針でもあります。それではお元気で、失礼します。

                                    
 平成26年10月7日 福井雄三

阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第二十四回」

(8-11)願望が自分の手に届き得るようになったときに、願望は苦痛の泉となる。ところが繁栄社会はいろいろな願望を万人に撒(ま)き散らしているようなものだから、苦痛を撒き散らしていることにもほぼ等しいのである。

(8-12)どうにもならない不運は人を苦しめないが、うまくやれば回避できたかもしれないという不運ほど、人に大いなる苦しみを与えるものはないとは、ストア派の賢人エピクテトスの言葉だが、現代でもまったくこういう言葉は生きているのである。世襲的身分の違いは人を苦しめないが、自分も参加し、うまくやれば手に入ったかもしれない経験を取り逃した不運は、人を苦しめる。能力本位主義(メリトクラシー)が階層的身分を解体してから以後に起こったすべての事件は、この古人の一語のうちに言い尽くされている。

(8-13)日本人が個人を個人として評価せず、個人の背後につねに属性を見ている―この根本が変わらない限り、学歴問題に部分修正はあっても、閉塞した日本人のある感情の行詰まりに、新しい風穴を開けることは難しいだろう。

(8-14)もし日本に西欧型の個人主義が十分に根づいていたとしたら、産業の効率は今のように高まらなかったかもしれないが、その代わり、知識は人格の一手段にすぎないとの自覚も十分に深められ、学力とか専門知識といった能力の評価が直ちに人間の評価につながるような息苦しい社会的傾向に悩まされずにすんだであろう。

(8-15)変わっていなくても勿論いい。日本は日本である。われわれの「近代」がヨーロッパを追い越す段階に達した今になって、日本はやはり日本だったということがはっきりして来たまでのことである。われわれは江戸時代以来の社会心理、人間関係、エートスを保存したまま、外装だけ近代技術の鎧(よろい)で武装して生きているのだ。それはそれでなんら不思議はない。

出展 全集第八巻 
「Ⅱ 日本の教育 ドイツの教育」
(8-11) P216 上段「第六章 進学競争の病理」より
(8-12) P216 上段「第六章 進学競争の病理」より
(8-13) P223 上段「第七章 日本の「学歴社会」は曲り角にあるか」より
(8-14)) P242 下段「第八章 個人主義不在の風土と日本人の能力観」より
(8-15) P258 下段から259頁上段「第八章 個人主義不在の風土と日本人の能力観」より

阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第二十三回」

(8-5)理想というものはあくまで現実を是認した上で、現実との葛藤(かっとう)を潜(くぐ)り抜けていなければその名に値しないのだ、

(8-6)頭のいい子であればある程、先生が何を望んでいるかを先読みしている。大人にはどう言えば喜んでもらえるかを子供は本能的に知っている。

(8-7)道徳観の育成や社会的躾(しつけ)に関する教育は、本来は親の責任である。なにもかも学校に頼るという日本人の習慣がおかしいのである。その習慣が教師たちに、徒(いたずら)に悲愴感を掻(か)き立てた「教育家としてのプライド」を与えて来たのではないのだろうか。

(8-8)あくまで学校単位、集団単位で人間を評価し、その単位の内部では極力成員を保護し、傷つけないことをもって「教育的」とする。しかし自分の属する学校という一つの集団の外では、他の学校の生徒を学校間「格差」によって判断し、評価し、きわめて恥ずかしい思いを与えて平気でいるのである。この隠された取扱いは日本の社会では黙認され、当然と見做されている。

(8-9)差別を撤廃することがいっそう大きな差別を生む。これはじつに示唆に富んだ心理的逆説ではないだろうか。

(8-10)日本の学校では生徒たちに劣等感を持たせないようにとたえず気を配っている。みんな同じでなくては嫌だという、個人が共通の〝場〟から外されることをひたすら怖れる心理がつねに支配的だから、学校が毀れ物に触れるような態度に出るのは、ある程度やむを得ない処置かもしれない。けれども劣等感なしで生きている人間など世の中にいない。劣等感を持つということと、劣等感に苛(さいな)まれて自分を滅茶滅茶にしてしまうということとは、明らかに別個の事柄である。劣等感が生徒の自己幻想を脅かさない限り、人間性をまで破壊してしまう事態は起こらず、従って劣等感そのものはあくまで有害ではないのである。

出展 全集第八巻
「Ⅱ 日本の教育 ドイツの教育」
(8-5) P71 上段「第一章 ドイツの教育改革論議の渦中に立たされて」より
(8-6) P97 下段「第二章 教育は万能の女神か」より
(8-7) P103 下段「第二章 教育は万能の女神か」より
(8-8) P115 上段「第三章 フンボルト的「孤独と自由」の行方」より
(8-9) P155 下段「第四章 テュービンゲンで考えたこと」より
(8-10)P206 下段「第六章 進学競争の病理」より

阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第二十二回」

西尾幹二先生のアフォリズム 第8巻 教育文明論 より
坦々塾会員 阿由葉 秀峰

(8-1)なにかをするための自由ではなく、なにもしないですますための自由

(8-2)子供の躾や教育に関して、親と学校の間に分担領域の明確な区分がなく、親はなにからなにまで学校に期待しているくせに、学校のやることは信用がならんと疑わしい目で見つめ、子供の面前でさえそう公言して憚らない親もいるほどである。

(8-3)普段から、なんでも蟠(わだかま)りなく口にし、ある程度無遠慮に内心を打明けているような家族同士であれば、ことさらの「話合い」などまず必要がないのである。そういう雰囲気が家庭のなかに醸し出されているのかどうかは、親の責任、ことに父親の責任である。永年にわたる彼の生き方が、家庭内の空気を決めているのである。いい空気が得られるかどうかは、父親の社会的地位の上下とはなんの関係もない。

(8-4)大人が競争したくないために、子供の世界にそれを押しつけている。

出展 全集第八巻
「Ⅰ 『日本の教育ドイツの教育』を書く前に私が教育について考えたこと」
(8-1) P11 上段「今の教師はなぜ評点を恐れるのか」より
(8-2) P23 下段「わが父への感謝」より
(8-3) P29 上段「わが父への感謝」より
(8-4) P48 上段「競争回避の智慧と矛盾」より

 朝日新聞的なるもの

 知人からいただいた残暑見舞いの一文に「韓国からの情報戦に対する政府の反応の鈍さが気がかりです」とあり、目が釘づけになった。8月5日朝日朝刊の「慰安婦問題 どう伝えたか/読者の疑問に答えます」が出てから二週間たった日の出来事である。多くの日本国民は、外電の伝える韓国の変わらぬ居丈高や、米国務省のサキ報道官らの韓国寄り対日道徳的叱責から受ける不快感と、露呈した朝日の取り返しのつかぬ国家犯罪との落差のスケールの余りの大きさに、あれからじっとうずくまるようにして忍耐している。だが無力感に苛まれるばかりで動けない。ネットで怒りの声はたくさん読んだ。朝日記者の国会喚問と社長の謝罪会見はいうまでもない。河野洋平氏の自民党籍剥奪と叙勲取り消しの要望もあった。一連のパフォーマンスで国際社会に強制連行はなかったことを政府が率先して強く訴えてほしい、と念じているが、二週間たってもそういう動きは見えない。「政府の反応の鈍さが気がかりです」の先の一文はこの点に触れている正直な一般国民の不安の表明である。

 二十年以上も前になるが、ドイツの二つの代表紙で日本軍による二十万人の少女の強制連行という記事を読んだときの居たたまれぬ恥辱感が甦る。ウソと知っていたからである。

 中学校の歴史の全教科書に慰安婦の偽りのストーリーが載せられたのを知り、怒りを共にした者が集まって「新しい歴史教科書をつくる会」を起ち上げたのはそれから間もなくであった。慰安婦問題こそが歴史教科書問題に火を点けた着火剤だった。そしてここから「歴史認識」という聞き慣れぬ言葉が一般にも普通に使われるようになった。

 インドに住むあるタイ人女性が挺身隊問題アジア連帯会議というところで、「日本軍さえたたけばいいのか。インドに来た英国兵はもっと悪いことをしたのに」と泣きながら訴える場面があったそうだ。すると、売春問題ととりくむ会という団体の事務局長の日本人女性が「黙りなさい。余計なことをいうな!」といきなり怒鳴ったという話がある記事で書かれていた(産経2014年5月25日)。ほんの少しでも日本軍の残虐行為に異議を唱えるとたちまち逆上するメンタリティ、これこそがほかでもない、「新しい歴史教科書をつくる会」の前に立ち塞がった高い壁、というより黒々とした深い沼のような心の闇だった。彼らの心情は理性では判断できない。正常な感覚では理解できない。つまりある病理学的(パトローギッシュ)なセンチメントの底の深さを目の前に、私たちメンバーはたじろいだ。

 これは日本人に特有の心情で、ドイツでは起こり得ないことを示すいい例がある。私が『諸君!』(1993年11月号)に書いた「ヴァイツゼッカー前ドイツ大統領謝罪演説の欺瞞」の冒頭に紹介した次のエピソードである。

 「過日、ベルリンの小さな集会で、日本人とドイツ人が戦争の話をした。ナチ犯罪が相変わらず大きなテーマだった。大学のドイツ語の先生をしているある日本人が、まるで自らの善意を示すかのように、日本にも捕虜収容所があり、南京虐殺などの犯罪があったと、日本人もドイツ人と同じようなひどいことをしたという反省の言葉を語った。すると、そのとき居合わせたあるユダヤ人が、最後に「アメリカにもイギリスにも日本にも収容所はあったが、一民族を根絶するために収容所を作って、それを冷酷かつ合理的に運営した国はドイツの他には例がない」と言ったら、その日本人は顔色なく、シュンとなってしまったそうである。人から伝え聞いた話だが、面白いので印象に残っている」

 この場には勿論ドイツ人もいたはずである。ドイツ人はこんなものの言い方をされてもじつは平気なのである。感情には来ない。自分の世代のしたことではない、と思っているからだけではない。ウクライナでも、ルーマニアでも、ロシアでも、フランスでも、イタリアでも、スイスでもユダヤ人迫害はあった。虐殺もあった。ドイツのやったことは大規模だったが、他の国もみんな脛に傷を持つ身であって、とことん追及なんかできないことをドイツ人は暗黙のうちに知っているからである。ときどき政治的パフォーマンスで「反省」してみせるのは、ドイツが強くなり過ぎるのを周りの国々がこわがっているのだと承知していて、われわれは融和主義で行きますよと広告しているだけで、過去のことで心が震えてなんかいない。しゃあしゃあとしている。ヨーロッパ諸国もこれを了解している。お互いにユダヤ人迫害では歴史の共犯者だから、ドイツを必要以上に責める気はない。いわゆる「独仏和解」とはこういう共通心理の上に乗っている。

 日本人にはどうしてもこれが分からない。このドライな割り切り方と政治環境の違いが分からない。旧日本軍を肯定するとたちまち逆上するかの事務局長の女性や、日本も戦争犯罪をしたとわざわざ外国人の前で善意の反省を吹聴したがった大学のドイツ語の先生の例は、まことに病理学的心理の典型例であって、これが私や私の仲間たちがぶつかった手に負えない壁だった。日本ではこれが大学やメディアや言論界や歴史学界や教育委員会等でいわばとぐろを巻いて伏在している。ほかでもない、これこそが朝日新聞の三十二年間の大虚報を可能にした、他の国では考えられないばかばかしい「心の闇」の正体である。私は名付けて朝日新聞的なるものと呼ぶ。

 本当に子供っぽいのである。しかしこれは手強い。恐ろしい。日本人の愚劣さそのものだが、愚劣さは商売になるからである。朝から晩までテレビのコメンテーターは何を喋りまくっているか知っているだろう。集団的自衛権を批判するのは勿論いい。しかし中国が軍事的威嚇をしているという前提を決して言わない。日本政府が戦争の準備をしているとばかり言う。フェアーではない。愚民は騙される。千年一日のごとくこの調子である。朝日新聞は大誤報を告知したが、このあとも決して変わるまい。知能はあるが、知性のない手合いがこの新聞のお得意さまで、残念ながら後から後から量産される。「天声人語」は入試によく出る知性の結晶というコマーシャルを耳にするたびに、私は腹をかかえて笑う。 

 ドイツの戦争は日本とは違ってまことに能動的積極的な侵略戦争であった。が、ドイツ人は今まで侵略について謝罪もしていないし、反省もしない。ヨーロッパの歴史で各国みなやっていたことを謝る理由はないからである。六百万人とされるユダヤ人の虐殺、ホロコーストについてだけ謝る。それもドイツ民族がやったのではない、ナチ党という例外者がやったのだと言い募り、ドイツ人に「集団の罪」は認めない。罪はどこまでも「個人の心」の問題だと、宗教を持ち出して言い張る。だからドイツ国家に道徳的責任はない。ただし政治的責任があるので金は支払うというのである。これをしないと周辺国と貿易を出来なかったからである。

 私は自己欺瞞を重ねざるを得なかったドイツ人の苦しい胸の内に戦後ずっと同情してきたが、ホロコーストの歴史を知らない日本が謝罪や反省に関してドイツ人に付き合う必要はないと思ってきた。しかしここが「朝日新聞的なるもの」に埋没した人が理解しないか、わざと誤解して踏み出す点で、かれらは南京虐殺を持ち出して、日本はドイツと同じホロコーストをしたと言いふらし、このもの言いが中国や韓国に次第に伝わり、両国に乗り移って今の騒ぎになっている。

 南京虐殺の実在しないことは北村稔氏、東中野修道氏その他多くの方々の献身的作業で論じ尽くされ、敵性国家中国の対日攻撃手段の一つと今では見なされている。つまり南京を言い立てる者は中国のイヌである。そこまで分かってきているが、それでも沼のようなあの「心の闇」に閉ざされている多くの日本人はまだ目覚めない。

「どうして日本と日本人を貶めるストーリーが、巨大なメディアや政府中枢で温存され、発信されるのか。日本は一刻も早く、この病を完治しなければならない」と書いているのは英国人ジャーナリストのストークス氏である。「慰安婦問題だけではない。いわゆる『南京大虐殺』も、歴史の事実としては存在しなかった。それなのに、なぜ『南京大虐殺』という表現が刷り込みのように使われるのか。この表現を報道ではもう使うべきではない」(ZAKZAK8月14日)。 

 思えばまだ慰安婦も南京も話題ですらなかった1960年の安保騒動で、日本の立場を有利にする筈の条約改定の合理性には、いっさい目をつむり、安保改定は戦争への道と騒ぎ立てた筆頭は朝日新聞だった。反米の旗幟鮮明で、反米こそ朝日の平和主義の柱だった。それがアメリカへの甘えだということには気づかず、この会社はそのうちいつの間にか親米に傾き、アメリカの虎の威を借りて日本の国家としての主体性をなくそうとする潮流に今や夢中になって手を貸す方向に動いている。最近同紙に採用される言論人の所説をよく見てほしい。護憲左翼と親米保守が仲良く手を結んでいる曖昧さが特徴である。そこにはあの「心の闇」、世界がたとえ嵐でも駝鳥(だちょう)が砂の中に頭を突っ込んで動かないような盲目的敗北的平和主義、「何もしない」主義の未来喪失の姿を認めることができよう。そしてひたすら中国に媚びるのである。

 GHQが戦後七千余点、数十万冊の日本の本を没収廃棄したことは知られていようが、出版元別にみて最も多く廃棄されたベストスリーは、朝日新聞社百四十点、講談社八十三点、毎日新聞社八十一点の順であった。いうまでもなく戦時体制にその出版物で最も迎合的に協力した筆頭三者である。そしてこの三社は周知の通り、戦後長いあいだ反日左翼のムードを代弁し、日本の侵略、アジアの攪乱を言い続けてきた歴史自虐の代表マスコミである。見事に逆転した心理構造には私は尽きせぬ興味を感じている。ここには間違いなくあの「心の闇」の秘密が潜んでいる。

 岩波書店は日共系知識人に支配された出版社だから、そこの左傾化は純粋に戦後の現象である。朝日、毎日、講談社はそうではない。代表的戦時カラーから代表的戦後カラーにがらっとものの見事に衣替えした。戦前までの自分の姿を忘れたというより、さながら過去の自分を憎んでいるかのごとき情緒的反応である。GHQに「焚書」されたことと深層心理的に深い関係があると私は見ている。

 戦争の敗北者は精神の深部を叩き壊されると、勝利者にすり寄り、へつらい、勝利者の神をわが神として崇めるようになるものだからである。今の朝日新聞は戦争に敗れて自分を喪った敗残者の最も背徳的な無節操を代弁しているように見える。

(月刊誌「正論」10月号より)

池田俊二著「見て・感じて・考へる」の刊行

見て・感じて・考へる 見て・感じて・考へる
(2014/10/20)
池田 俊二

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添え書きの口上  西尾幹二

 私はいつもの悪い癖で、ぎりぎりまで本書の草稿の拝読を怠っていて、著者から再校ゲラも出たのであと一週間しか待てないと言われて慌てて拝読に手を着けた。私の横着がいけないのだが、ちょうど急ぐ仕事が幾つも重なっていて、時期も悪かった。

 途中まで読んではたと困った。私が何か添え書きするのはまずいなとさえ思った。私らしき人物が登場し、その主張的立場を語っているからである。著者が私を尊敬しているというスタイルになっているだけに、私が私をプロパガンダすることになり兼ねない個所が生じている。本書の刊行を祝って口添えするのは恥しいだけでなく、厚かましくもある。しかも私の主張的立場は必ずしも正確には伝えられていない。これも当惑している点である。

 よほど添え書きをお断わりしようかと思ったが、今となっては時すでに遅く、出版に差し障りが生じるかもしれない。というより、右の問題点以外には私が発言しない理由は何もなく、本書の内容そのものは私にとって魅力的であり、ページをめくるごとに共感同感の連続である。そこで、読者はどうかご了解いただきたいのだが、私らしき人物に関する部分はなかったことにして――再校も出ている段階でそこを全部削ってくれといまさら言うのは無茶なので――そういう前提で以下をお読みいただきたい。

 著者の池田俊二氏は私の『人生の深淵について』の生みの親で、私がものを書く仕事のスタートラインに立ったときの目撃証人のような方だった。私の全集14巻『人生論集』の後記でこのいきさつを詳しく語っている。氏を「刎頸の友」とそこで呼んでいる。

 本書は一人の老人が死ぬ前にどうしても言っておきたい世の中への怒りの証言のようなものともいえるが、それは同世代の私が共有しているものでもある。文鳥はだしに使われているだけで、あらずもがなであり、文学効果をあげているとも思えない。ただ、これがないと著者は多分書きにくかったのだろう。自己韜晦の仮面に使っているのである。それほどにも怒りは深く、強く、内攻的でもあるからである。気の合う友人や元同僚、同じ思想を持ち合う二人の娘婿に囲まれている終(つい)の栖という舞台設定も、同じような仮面、表現をしやすくするための著者の工夫でもあるが、似たような生活場面が著者の日々の暮しの中にあるのではないかと推定される。そうした知的環境の中に生きている老後の「主人公」は幸わせでもある。しかし噴き出す思いは烈しく、正直で、生々しくて、ストレートである。若いときから押し殺してきた感情、官庁勤務で表現を阻まれていた思想、しかしどう考えても世の中一般の観念やメディアの通念が間違っていたことは、次第に歴然としてきている昨今の情勢である。それを考えると、何であんな分り切ったばからしさが社会を圧倒していたのか、不思議に思える。著者は若いときから完全に軽蔑しきっていた人や思想がある。しかし世の中がかつてそれらを正道のごとく担ぎ回っていた歴史がある。思えばその歴史において著者は孤独だった。その孤独感を偲べばこそ今の怒りは鮮烈である。

 その意味で本書の中で私がいちばんリアリティを感じたのは最後のエピソードである。同窓会で亡くなった二名の友への追悼演説が回想されている。早稲田のロシア文学科に行った友人が共産主義の夢から目覚めたのは新聞社のモスクワ支局長になってソ連を実地体験してからであった。「現場を見てからでなくてはほんたうのことが分らないやうでどうするか。我々は文字を持つてゐる。ものを見ずとも、文字、書物により真実を知ることはいくらでも出来る。」と著者は叫んだ。もう一人の物故者には東大の全学連闘士であった。「何が日本にとつてのプラスなのか、人類にとつてのプラスなのかを考へないのか。時の風潮といふやうなものを情状として私は認めない。」

 これでは追悼演説ではなくて弾劾演説ではないか、と本文中に対話者の相手に言われてしまうが、このエピソードはひょっとして実話ではなかろうか。同窓会でこれに似た立居振舞があったのではないか。真相はもちろん知る由もないが、この場面の扱いだけが身内や親友を相手にした室内の気安い対話ではないのである。第三者に向けた公開の口上なのである。

 そのことが何を意味するかを考えた。孤独がここだけ破裂している。

 考えてみれば私のような評論家は社会的にこの「破裂」を繰り返して来ている。第三者に向けたこの手の「公開の口上」を課題とし、職業化している。それだけに同窓会のような場面では決して口を開かない。無駄口を噤んで穏和しくしている。怒りや軽蔑感を気取られぬようにしている。本書の著者にしても平生は多分そうだろう。永年の官庁勤務の社会生活では自己を隠蔽しつづけて来たであろう。

 本書ではその孤独感がいかに重かったかをいかんなく示す。同じ苦渋を内心に深く抱えて生きている人は少なくなく、否、最近は言葉を求めてあがき出している人々がメディアの空文化の度合いに比例して増えつづけていると私は観察している。本書はそういう人々の喝を癒やすカタルシスの書でもある。しかし、ただ単にそういうことに心理的に役立つ一書であるのではなく、戦後の日本の病理学的な「心の闇」がいまだに克服しがたく、ここを超えなければ今後の日本に未来はないことへの倫理的な処方箋を、思いがけぬ裏側の戸口を開いて見せてくれた一書であるといえるだろう。

 尚、文中に出てくる鴎外、漱石、荷風の文学、あるいは乃木大将をめぐる文学談義の質の高さは、本書が高度な趣味をもつ文人気質の知識人の筆になることをも証してくれている。著者が旧仮名論者であり、福田恆存の心酔者でもあることをお伝えしておく。

平成26年9月23日

西尾幹二全集第14巻「人生論集」読後感

ゲストエッセイ
鳥取大教授 武田修志

 九月も半ばになり、ようやく梅雨のような夏も終わろうとしていますが、西尾先生におかれましては、その後いかがお過ごしでしょうか。

 『西尾幹二全集第十四巻 人生論集』を読了しましたので、いつものように拙い感想を述べさせていただきます。

 今回はこの一巻に、「人生の深淵について」「人生の価値について」「男子、一生の問題」と三篇の人生論が収められていますが、対談「人生の自由と宿命について」のお相手、池田俊二氏と同様、私も「人生の深淵について」を最もおもしろく拝読しました。341ページで池田氏が、「心の奥底をこれほど深く洞察し、心の襞をこれほど精緻に描いたものはどこにもないだろう」とおっしゃっていますが、全く同感です。

 「人生の深淵について」は「新しい人生論」と言っていいのではないかと思います。または、「新たに人生論の可能性を開いた人生論」と。

 どういう意味かと申しますと、三、四十年前までは人生論、あるいは人生論風の教訓的文章はよく出版されていましたし、読まれてもいたと思います。私も高校生から大学生の頃、比較的よく読んだように記憶しています。『三太郎の日記』『愛と認識との出発』といった一昔前の定番の人生論からトルストイ、武者小路実篤、佐古純一郎等、古今東西の人生論あるいは人生論風のエッセーですね。こういう文章が今や誰によっても書かれないし、また読む人もいません。言うまでもなく、こういう文章が、このニヒリズム蔓延の時代を生き抜かなければならない読者にとっても、全く無力だからです。

 小林秀雄が、世間から「私の人生観」を話すように求められながら、「観」とはどういう意味合いの言葉かという話から始めて、明恵や宮本武蔵の話をすることで、間接的に自分の人生観を暗示したに留まったのは、昔ながらの「人生論」の無力、ストレートに自分の生き方を語る不可能を自覚していたせいではないでしょうか。西尾先生もその点では同じだと思います。何か自分はもう人間として出来上がっているかのように、高みに立って、読者に教え諭すように語る、そういう人生論は陳腐であり、不可能である、と。

 それでは、現代においてはどういう「人生論」が可能であるか?

 まさに先生の「人生の深淵について」は、そういう問題意識を持って書かれた「新しい人生論」ではないでしょうか。

 「人生の深淵について」というこの標題が、先生のねらいがどこにあるかを語っています。人生の「深淵」、つまり、人が人生を渡っていく時に出会う「危機の瞬間」に焦点をあてて、人間と人生を語ってみようとしているのだと私は理解しました。人の心の奥底、心の襞を描くに実に巧みな焦点の絞り方です。そして、ここに「現代」というもう一つの視点を持ち込むことで、「怒り」「虚栄」「羞恥」「死」といった古典的テーマへ、先生ならではの洞察を折り込むことに成功しています。全編、これは本当に、読んでおもしろく、同感し、教えられるところの多い、名エッセーだと思いました。

 以下に少しだけ、私が特に同感したところを書き写してみます。

「怒りについて」から――

「(現代社会にあっては)本気で怒るということが誰にもできない。・・・怒りは常に何か目に見えないものの手によって管理されている。」(15ページ)

「・・・怒りは、人生においては何を最も肝要と考えて生きているかという、いわば価値観の根本に関わる貴重な感情と言ってよいのではなかろうか。」(20ページ)

「孤独について」から――

「『孤独感』は自分に近い存在と自分との関わりにおいて初めて生ずるものではないだろうか。近い人間に遠さを感じたときに、初めて人は孤独を知るのではないだろうか。」(51ページ)

「理想を求める精神は、老若を問わず孤独である」(57ページ)

「退屈について」から――

「突きつめて考えるとこの人生に生きる価値があるのかどうかは誰にもわからない。われわれの生には究極的に目的はないのかもしれない。しかし、人生は無価値だと断定するのもまた虚偽なのである。なぜなら、人間は生きている限り、生の外に立って自分の生の全体を対象化して眺めることはできないからだ。われわれは自分の生の客観的な判定者にはなれないのである。そのような判定者になれるのは、われわれが自分の生の外に立ったときだが、そのとき、われわれはこの世にはもはや存在しないのである。」(80ページ)

 ・・・・・こんなふうに引用していくと切りがありませんのでやめますが、今回最も教えられたのは「羞恥について」の一編でした。そもそも「羞恥」という感情について反省的に考察したことが一度もなかったので、以下の章句には非常に教えられるものがありました。

 「羞恥」は「誇りとか謙遜とかのどの概念よりもさらに深く、人間の魂の最も秘密な奥所に触れている人間の基本に関わる心の働きである。」(86ページ)

 「羞恥は意識や意図の入り込む余地のない、きわめて自然な感情の一つである。羞恥は自ずと発生するのであって、演技することはできない。演技した羞恥はすぐ見破られ、厚かましさよりももっと醜悪である。しかし、謙遜を演技することは不可能ではない。謙遜が往々にして傲慢の一形式になることは、『慇懃無礼』という言葉があることから分かるが、羞恥にはこれは通用しない。人は謙遜の仮面を被ることはできても、羞恥の仮面を被ることはできない。ここに、この感情が人間の魂の深部に関わっている所以がある。」(87ページ)

「羞恥はより多く伝統に由来している」(92ページ)

 そして、この羞恥という感情が払底しているのが、また現代であると。羞恥心といったものに自分が無自覚だっただけに、なるほどと納得しました。

 さらにまた(これは池田氏が対談の中で指摘されていることでもありますが)この羞恥という感情がなければ、猥褻ということは成立しないという93ページに詳述されている洞察は、実に目から鱗が落ちるような一ページでした。「人生の深淵について」全体の中でも、先生の思考の深さと明晰さが格別光っている部分ではないかと思いました。

 だらだらと長くなりましたが、この『全集第十四巻』の中で、「随筆集(その一)の部の一番末尾に置かれている随筆「愛犬の死」については、是非ひとこと言っておかなければなりません。

 これは、先生がこれまでにお書きになったエッセーの中でも最も優れたものではないかと思います。小品ですが、実にやわらかな、流れるような文章になっていて、しみじみとした味わいがあり、私は三度読み返してみましたが、三度とも涙なしにでは読み通すことができませんでした。ひょっとすると、この一編が読者へ与える、人が生きて行くことについての、また、死んでいくことについての感慨は、残りの六百ページの人生談義が与える感慨に匹敵するかもしれないなあとも思ったりしました。小説をお書きにならない先生の名短編です。

 (私の弟がたいへん犬好きで、今年の冬、愛犬を無くしましたので、この一編を読ませようと思って「全集第十四巻」を一冊送りましたところ、さっそく読んで、「とても感動した」とすぐに返事を寄越しました。)

 今回はまた表面をなぞっただけの雑漠たる感想になってしまいました。ご容赦下さい。
 今日はこれにて失礼いたします。
 お元気でご活躍下さい。

                                          平成26年9月10日

著者からのコメント

 武田さん、いつものような好意あるご評文、まことにありがとうございます。

 「人生論集」ということばで一冊をまとめましたが、仰せの通りこの題は正確ではないかもしれません。「人生論」という語には古臭いイメージがあるのでしょうね。ただ他に言いようがなかったので、こういう題目で一巻をまとめました。

 巻末の随筆集について触れて下さったのは有り難かったですが、『男子 一生の問題』に言及がなかったのは少し残念でした。これは型破りの作品だったので、いつかまたご感想をおきかせ下さい。

 今年は雨が多く、御地も大変だったのではないでしょうか。どうかお元気で。
                                               草々

慰安婦と朝日新聞問題をめぐって

 8月5日に朝日新聞が慰安婦強制連行説の虚報を認めて以来、9月11日の社長の謝罪会見を経て今日までに、私は当ブログにはこれに関連する見解を発表していない。沈黙していたわけではない。沈黙したとしても引き出され、どうしても書かされるのが運命で、以下にまとめると今までに次のような発言をしているので、まとめてみる。旧作の再録もあった。

『正論』10月号―― 「次は南京だ」(これは良い題ではなかった。「朝日新聞的なるもの」に改めたい)

『正論』11月号――「ドイツの慰安婦と比較せよ」

文藝春秋臨時増刊 『朝日新聞は日本人に必要か』――「ドイツの傲慢、日本の脳天気」「朝日論説の詐術を嗤う」(1997年『諸君!』から二篇再録)

WiLL臨時増刊 『歴史の偽造!』――「外国特派員協会で慰安婦問題を語る」

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 以上のうち『正論』10月号「朝日新聞的なるもの」は近くここに掲示可能となる。

 今後の予定は、
 つくる会編 『史』に「外務省が逃げている戦後最大の外交問題」

 『WiLL』12月号 予定として、戦後の個人補償におけるドイツとの比較論の中で慰安婦のテーマが浮かび上った1995年-1997年頃の朝日の異様な意識操作について考えてみる。