日米戦争とその背後にある西欧500年史(第二回)
他ブログより
私の講演「日米戦争とその背後にある西欧500年史」は全三回放映されますので、ゆっくり見ていたゞくとして、その前に当ブログの管理人長谷川真美さんが16日に強く訴えた一文をご自身のブログに掲げました。共鳴協賛いたしますので、今日これをお示しします。
美容院で
女性自身最新号5月27日号(2633号)をぱらぱらめくっていて、
おっと驚いた。沖縄の竹富町の記事だ。
女子中学生二人、男子中学生三人、
挟まれて小柄なちょっと年齢が多い女性の写真。育鵬社の教科書を採択したのに、
寄付で集めたお金で東京書籍を使っているという、あの竹富町!あんまり腹がたったので、出版社の光文社に抗議の電話をした。
そして、まとめた文章を書くことにした。つっこみどころ満載の記事なんだけど、
むかむかして、
なかなかまとまらない。いちばん腹立たしいのは、
子供たちの写真を掲載して、中学生を楯にしているところだ。=================
美容院でたまたま女性週刊誌「女性自身」を見ていて、びっくりした。芸能人のあれこれが90パーセントの内容の中に、沖縄竹富町の教科書問題が「シリーズ人間」というコーナーで7ページに渡って取り上げられている。女子中学生が二人、男子中学生が三人、その間に元教師で84歳の沖縄戦の語り部といわれるおばあさんがスクラム組んだ写真が、2ページにまたがって大きく掲載されている。そしてその上に重なって主題を訴えているのは、特大の文字の「中国より安倍さんがこわいです」。
竹富町の新聞沙汰になっている問題のポイントは、教科書無償措置法の中で、八重山地区の採択協議会で同一の教科書を使わなければならないという決まりに、竹富町だけが従わず、異なる教科書を使用していることなのだ。だから文科大臣が「大変遺憾」と言ったのである。もう一度強調しておこう。法令に則っていないことを「遺憾」と言ったのだ。文科省が育鵬社版を押し付けているのではなく、八重山地区で法令に則って決まったのが育鵬社版だから、法令に従えと言っているだけであり、そのことをまるで国家の圧力呼ばわりである。
本当の問題点にはほとんど触れず、まるでつくる会系の教科書を子供たちに使わせたら、再び「また子や孫が戦争にとられるの?」式の、平和念仏教の一種のためにする記事である。
つくる会系の教科書を、憲法改正やアジア地域の緊迫化を強調する、好戦的とも取れる教科書と決めつけている。好戦的とは何をさしているのかと思ったら、尖閣問題を取り上げているからのようだ。そしておそらく憲法改正が九条に関わるから、自衛隊を軍隊と位置付けることが好戦的ということになるのだろう。
現在、アジア地域が中国の強引なやり方に、緊迫の度を増しているのは周知の事実だ。ベトナムも、フィリピンもそうだし、日本にとって、尖閣問題は中国からの挑発そのものである。力を誇示して圧迫してきているのは中国であるのに、それに対抗した力を準備してはいけないということらしい。
沖縄戦の語り部という仲村貞子さんの語っている内容は支離滅裂である。そして、それをそのまま記事にしている女性自身の記者もものごとの道理が全く分かっていないように思える。
たとえば、「『死ね』と強要したのは日本人で、生かしてくれたのが『鬼畜』と教えられた米兵だったのだ。」というが、火炎放射器で洞窟に隠れていた沖縄の日本人を焼き殺していったのは米兵だ。町のそこらじゅうに死体が転がっていたといっているが、民間人も区別なく殺していったのは米兵だったのに、矛盾していないか。
沖縄の人が一人でも多く助かるように疎開させたのに、それが死者を増した原因であるかのように言う。
沖縄を欲しがっている中国にとって、この「女性自身」の記事は大歓迎の内容だろう。
女性自身はごくごく普通のおばちゃんが読む雑誌だ。こんないい加減な記事を書いて、竹富町の教科書問題はそういうことかと思ったらどうする。
「戦争は殺すか殺されるかですよね。そんなことにならないように頑張らなきゃ」
というなら、力には力を準備しなければならない。抑止力を持たなければ、やられっぱなしの悲惨さを味わうだけになるではないか。元寇のときに対馬の人々がほとんど皆殺しにあったようなむごいことにならないためにも、中国から近い沖縄が、守りの防波堤になってしまうのは必然ではないか。二度と沖縄が犠牲にならないようにするためにも、憲法九条を改正し、普通の国として手足を縛っていた鎖をほどき、日本だって無茶なことをしたら報復するぞという意思を示し、相手が手出しをできないようにしなければならない。沖縄のためにこそ、つくる会系の教科書が必要なのだ。
「教科書問題は政治的・戦略的に位置づけられているんじゃないかと思う」と言っている人がいるが、
まさにそのとおり、そうやって今まで戦後教育がゆがめられてきたのだ。
日米戦争とその背後にある西欧500年史(第一回)
つづく
阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム(第五回)
21)なにか他を見るということは、その外側に目をさらしていることではなく、他から見られている自分を見ることであり、また、見ている自分を見ることを通じて、他を見ることなのである。言うは易いが、まことにこれほど難かしいことはない。
22)人はつねに自分にとって切実なことのみを語らねばならぬ。私には私自身に見えることしか見えない。君がもし、未来の世界についてかくあるべきと確信がもてるなら、そのような世界は、君にとって、生きる価値のない世界であることを知るがよい。もし未来が光輝あるものでなければならないと決まっていたら、君はいますぐ絶望するしかない。一寸先は闇である。だから生きるに値するのである。現実を解釈してはならない。君の隣人が善意でなかったことを怒る前に、なぜ君は自分の悪意に気がつかないか、自分の失敗を社会の罪にする前に、なぜ君は、成功だけは自分のせいにしたがる自分の弱さに気がつかないか。
23)もし現実の不平等にぶつかって腹をたてる人がいたなら、その人の意識はすでに平等である。平等でなければ腹が立つはずもない。
24)民主主義とは、人間相互のエゴイズムを調和させるために、ほかに仕方がないから、ある妥協の方法として生まれた消極的、相対的な政治形態でしかないのである。放置しておけば人間の欲望には際限がなく、エゴイズムの衝突は、必ず無政府状態か専制独裁か、そのいずれかに結果するしかないが、誰しも他人を独裁者にさせたくないという自分のエゴイズムをもっている。民主主義は、そういう相互のエゴイズムの調節手段としての、最悪よりも次善を選ぶ妥協の産物として成立したにすぎない。
25)人間はけっして平等にはなれない存在なのである。西洋ではそれは常識である。不平等を是認したうえで、それぞれが閉ざされた幸福を築くことをめざしていない日本のような社会では、優勝劣敗は歪んだ心理で意識下にもぐり、ただ欲求不満だけがときとして正義の仮面を被って他人への羨望の焔(ほのお)に身を焼きつくすことになろう。
出展 全集第一巻
21) P221下段より ヨーロッパ像の転換
22) P225 ヨーロッパの個人主義
23) P235下段より ヨーロッパの個人主義
24) P241上段より ヨーロッパの個人主義
25) P244下段より ヨーロッパの個人主義
高橋史朗氏の本の書評
日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと (2014/01/29) 高橋史朗 |
日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと
高橋史朗著(致知出版) 評・西尾幹二
作られた対日誤解や偏見
共産党の国際機関であるコミンテルンの歴史観は日清・日露戦争も含めて日本の近代そのものを侵略戦争の歴史だと考えていた。アメリカは戦後、そんな共産主義者を利用して占領政策を実施した。日教組をつくったのもその一つだが、ソ連のコミンテルン史観とアメリカの「太平洋戦争」史観が合体し、戦後日本の歴史教育の基本となった。日本人はいわば「義眼」をはめられ、それ以来70年も外せずに今日に至っている、と著者は言い、次々と気づかないで来た事例を挙げている。
原爆投下に対しトルーマン大統領は「獣と接するときは相手を獣として扱わねばならない」と言ったそうだ。占領軍は欧米の帝国主義への批判は許さず、「日本人は生まれつき攻撃的・侵略的・軍国主義的な国民」であると決めつけた。たくさんの日本語の使用を禁じた。「国体」や「皇国の道」の禁止は知られているが、「国家」「国民」「わが国」が禁じられていたとは私も知らなかった。「わが国」の「わが」は愛国心に繫がるからだそうである。
臆病なまでに占領軍に気がねし自主規制したケースとして「君が代」を音楽の教科書に載せなかった文部省の例がある。敗戦の衝撃の心理現象と見るが、アメリカでは日本人の民族的性格をフロイト流に病理学的に解釈したルース・ベネディクト『菊と刀』にみられる誤解と偏見が戦中にすでに設定されていた。日本は女性蔑視の国とか、弱者虐待の国とかいう思い込みが先にあり、それが「伝統的攻撃性」を生んだと勝手な解釈に及んでいた。
本書が、ジェフリー・ゴーラーという社会人類学者の日本人の国民性の矛盾分析、乳幼児期の厳しい用便の躾(しつけ)(トイレット・トレーニング)に矛盾の原因があるとする、首を傾(かし)げたくなるような分析を取り上げ、ベネディクトへの影響を論究しているのは新発見である。
著者は本書を中国に起こった『菊と刀』ブームから書き始めている。欧米人の対日誤解や偏見は中国に受け継がれている。否、中国人は受け継ぎたがっている。そこに現代への本書の問いかけがある。
出展 産経新聞4月6日
阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム(第四回)
16)博物館とは、文化形成の行為にではなく、行為の結果としての業績にのみ文化を求める非文化的文化意志の代表作であれば、美術館は、美が創り出される動きよりも、動きの結果としての作品に、美がア・プリオリに内在しているという錯覚信仰の上に胡坐をかいている。
17)そもそも、「自己」をもたないような人がいくら経験を積んでも、さもしい話題さがしの、薄っぺらな体験崇拝に終るだけであることは明瞭であるにしても、今度は逆に、「自己」などというものをおよそ容易に信じている人には、経験によってなにかが新しく開かれるということも起こり得ない。
18)西洋の芸術に関する限り、不思議なことに、知識をもっている日本人ほど感動と感傷とを混同する。この人はおそらくパルテノンをまだ見ぬうちに、飛行機で羽田を飛び立ったときに、すでに「感動」していたに違いないのである。
19)近代というものは、物を見つめる前に、物に関する観念を教えこまれる時代である。まず人間である前に、人間に関するさまざまな解釈に取り巻かれる時代である。
20)「個人」などというものに何の確かさもない。「自己」などというものほどあやふやなものはない。そういう自覚を持つことによってはじめて、自立の何であるかという予感に接することが可能となるであろう。
出展 全集第一巻ヨーロッパ像の転換
16) P168上段より
17) P172下段より
18) P173頁下段より
19) P191上段より
20) P218下段より
阿由葉秀峰の選んだ西尾幹二のアフォリズム(第三回)
11)自己をもってしか自己を測らぬというその自己中心的な態度の徹底こそ、われわれが学ばなければならぬヨーロッパの精神の型なのである。
12)外国人がわれわれの文化を好意をもって評価することがあるとすれば、それは彼らのためであって、別にわれわれのためではない。外国人の日本蔑視にはおよそ関心を抱かず、外国人の日本評価のうちには彼らのエゴイズムを読み取り、どちらにせよ、平然としてすごしていられる冷酷なこころの訓練こそが今われわれにはもっと必要なことであろう。
13)日本はアメリカと戦ったのではない。アメリカの背後にある西欧の影と戦って、敗れたのである。その結果、日本は自信を喪い、アメリカ人はヨーロッパ神話をついにうち破ったと信じた。
14)自己の弱点と劣勢を正視し、それを厳格に批判することは我が身を切る痛みを覚悟しなければ出来ないことであり、本当に自信がなければ出来ないことである。自己の弱点を別の面の希望や長所にすりかえるのは、女々しい怠惰な精神のなす作業である。
15)自己の弱点を正視することが本当に自信のあるもののなす態度であろう。
出展 全集第一巻 ヨーロッパ像の転換
11) P134下段より
12) P135上段下段より
13) P143下段より
14) P155上段より
15) P162下段より
阿由葉秀峰の選んだ西尾幹二のアフォリズム(第二回)
6)ヨーロッパの歴史過剰そのことが不健康なわけではない。歴史を喪うまいとするヨーロッパ人の意識過剰が不健康なのだ。
7)善かれ悪しかれ、われわれ日本人は自己の独自性への執着心がうすい。頑迷な自己愛を賤しむ。
8)ヨーロッパの価値観や美意識の延長線上に成立している日本の近代文化は、自分を測る基準を他文明に求めてしまった以上、自分の過去が自分自身の基準にならないという情けない状況におかれていることは誰にでも見易い事実だろう。
9)文化とは出来上がった過去の遺産のなかにあるのではない。文化とはわれわれの現在の生き方のなかにしかない。過去の文化遺産に価値があるのではなく、過去に対するわれわれの関わり方のいかんで価値が定められるのである。
10)人間にはもって生まれた能力の差がある。資質の違いがある。社会にはそれぞれの役割が必要である。もし不平等を前提として認めた安定社会であれば、日本のように平等意識だけが異常に、病的に発達することはないだろう。
出展 全集第一巻 ヨーロッパ像の転換
6) P92上段より
7) P93下段より
8) P118下段より
9) P119上段より
10) P125下段126上段より
帝國海軍に於ける軍令承行權について
ゲストエッセイ
田中卓郎氏は坦々塾の会員、哲学者。
自衛隊を国軍にしない限り日本の軍事力は機能しない、ということについて「軍令承行権」という概念の重要さを私に教えて下さった田中卓郎氏に、この概念の哲学的説明をお願いした。以下の通りである。
帝國海軍に於ける軍令承行權について
― 無制約的な國家主權の直截な發動としての軍事作戰遂行といふ觀點よりの考察 ―田中 卓郎
帝國海軍に於ける軍令承行權の問題と言へば、通常は歴史的事實の問題としての「一系問題」、即ち海軍が戰鬪を行ふ際の指揮權の繼承序列を定めた軍令承行令『軍令承行ニ關スル件』(内令廿二號、明治卅二年三月廿四日發令)「軍令ハ將校、官階ノ上下任官ノ先後ニ依リ順次之ヲ承行ス」の「將校」に、海軍兵學校出身の兵科將校の他に、海軍機關學校出身の機關科士官をも加へて兩者を區別せず、一括して(一系化して)兵科將校(「將校」と「士官」とは一般語法では同義であるが、海軍では區別があつた。その定義や變遷を詳しく辿るのは煩瑣な作業になる。大雜把に言へば、軍令承行權を有つ兵科將校のみが「將校」であり、その他の兵種は「將校相當官」としての「士官」であると理解すれば宜しいかと思ふ)と爲し、兩者が共に戰鬪の指揮權を有つやうに改め、海軍内に於ける兩者の深刻な對立をやつと終戰の前年の昭和十九年八月に解消した、といふ歴史的事實を意味するが、この論稿はかかる歴史的事實に關するde factoな歴史學的考察では全くない。本稿の目的は、軍政と區別される軍令(作戰、用兵に關する統帥權)を遂行することは、無制約的な始源的權能としての國家主權の現實に於ける最も直截な現れなのであり、これの繼承遂行序列たる軍令承行令が海軍に於ける最重要事項であり續けたといふことを、de factoの問題としてではなく、帝國海軍が近代主權國家の國軍である限りさうあらざるを得なかつたのである、といふde jureの問題として考察することである。この論理の必然が存在し續けてゐたことそのことを考察の對象とするのであつて、現實にこの「一系問題」が海軍に於いて如何に弊害を齎したかを歴史的事實として檢證することが本稿のテーマなのではない。
帝國海軍に於ける現實の「一系問題」とは、殆ど專ら兵科將校と機關科士官との權限爭ひであり、その原因は兵科將校が所屬戰鬪部隊に居る限り、機關科士官は如何に階級が上で更に實戰經驗等が豐かで軍人として如何に有能あつても、機關科士官である限りは部隊を指揮して戰鬪する權限たる軍令承行權が認められない、といふ軍令承行令の規定にあつた。この状態が實に昭和十九年八月の軍令承行令の改訂まで續いたである。これに對する機關科士官の怒りと不滿は尋常ではなく、その結果兩者の對立は海軍の戰力にも否定的な影響を及ぼしたといふことが「一系問題」の内實であり、當時の海軍將校、士官達の認識も、書き遺されたものの幾つかを讀む限り、殆どそのやうな程度に留つてゐたと思はれる。この問題が帝國海軍に於いて、この論稿で明らかにされるやうな意味に於いてどの程度認識されてゐたのかは、管見の限りでは判らず、從つてこれを探求することは大變意義深く魅力的な歴史學的テーマではあるが、それは本稿のテーマではない。
本稿のテーマは、地上の政治權力の最終根據である無制約的な國家主權の直截な現象形態である國軍(無制約的武力)がその本質を顯現するのは國家主權の行使たる戰爭であるが、かかる戰爭に於いて部隊を指揮する權限(軍令承行權)を如何なる身分の軍人が所持するのかといふことが、海軍の組織に於ける最重要事項の一つであり、これを承行する兵科將校が海軍最高のエリートであると位置附けられてゐたことが、近代主權國家の國軍の在り方として、現實にはその運用方法(規定)の重大な誤りゆゑに多大の弊害を齎し、殆ど弊害としてのみ認識されてゐたにも拘らず、原理的には正しいことであつたといふことを論證することである。
大日本帝國憲法に於いて、國家主權の體現者たる天皇が國家主權の最終的支柱たる國軍を指揮する最高の權限である統帥權を有つと規定されたことは、國家主權の性格と國家元首としての天皇の地位とを考へ合せれば論理的に當然のことであり、このことに依り、國家主權の無制約的始源性は正しく國軍に於いて保持されてゐる。この天皇大權としての統帥權の獨立は、昭和期に入り、軍縮條約を繞つて軍部により惡用されて「統帥權干犯」問題を引き起した元兇と一般に解釋されて惡名高いものであるが、かかる歴史的事實を捨象して純粹に論理的に考へるならば、國家主權の直截な現象形態であり、且つその最終的な支柱でもある國軍は、國家にとつて、行政機關としての政府、立法機關としての議會、司法機關としての裁判所といふ三權分立機關よりも國家主權に近いといふ意味に於いてそれらに先立ち、それらより始源的で無制約的な、謂はゞ生の力であり、ゆゑにそれらとは區別され、それらから制約され得ない獨立してゐる組織であると位置附けられることは、論理的には正當なことであると言はなければならない。(本稿のテーマからは外れるので詳述は出來ないが、國軍のかかる特別な性格ゆゑに軍人は一般の司法權によつては裁かれ得ず、一般の裁判所とは區別される軍法會議が必要となる理由が理解されよう。戰場に於いて軍人が敵兵を殺傷しても殺人罪や傷害罪に問はれず、違法性が阻却される根據は、軍隊が一般の法律の根據たる國家主權の直截な現れであり、軍の行動そのものが即時的に法的な根據となるので、軍の行動を制約し、これを法的規制や處罰の對象とする根據が原理的に存在し得ないからである。正當防衞、緊急避難といふ一般刑法上の規定によつてしか自衞官の敵兵殺傷の違法性を阻却出來ない自衞隊は、かかる點からも國軍ではあり得ないことが明瞭に看取されよう。)
勿論、以上は現實を捨象した國家主權發現の純粹に論理的な經路に過ぎず、これをその儘國制と爲して國家を經營することが無理なのは當然である。天皇が現實に國軍を統帥すると云つても、天皇は高度な專門的軍事知識を有つ軍人ではあり得ないのは當然であるし、又軍隊を統帥すると云つても、戰爭を遂行する戰鬪部隊のみでは軍隊は成立し得ず、これを構成する兵員や豫算の確保等、戰鬪部隊以外の樣々な構成要件を滿たして初めて軍隊は構成維持されることも改めて指摘するまでもない自明なことである。かかる自明の理によつて統帥權は實際の戰鬪遂行の爲の戰略戰術の策定や作戰の立案とその指揮命令を擔當する軍令部門と人事や兵站、豫算等を擔當する軍政部門とに分岐するのは當然の趨勢であらう。 陸軍に於いては前者を參謀本部が、後者を陸軍省がそれぞれ擔當し、海軍に於いては前者を軍令部が、後者を海軍省がそれそれ擔當したのは周知の通りである。かかる概括的な統帥權の二分法に於いて、國家主權の始源的無制約性の發現たる戰爭を遂行する權限である統帥權は軍令部門に集約限定されたと考へてよいだらう。地上の權力の始源たる國家主權の無制約性は、かかる經路によつて正しく帝國陸海軍の統帥部、即ち陸軍參謀本部と海軍軍令部とにその儘の純粹な姿で發現するのである。この經路が帝國海軍に於いては軍令承行令といふ法令によつて明確に法制度化されてゐることが、帝國海軍が大日本帝國といふ國家主權を有つ近代法治國家の正規の國軍であることの原理的な、de jureな證明なのである。
既に申し述べた如く、この事は、軍令承行令の存在が現實には「一系問題」と化し、軍令承行權を獨占的に掌握する兵科將校が、これを有能な機關科士官が作戰を指揮命令することを妨げ、彼らを差別して權勢を揮ふ口實として用ゐ、兩者の深刻な對立抗爭を引き起した、といふ歴史的事實とは原理的に別の事である。國家主權の發現として國軍を指揮命令する權限の經路が軍の法令上明確に規定されて、軍の武力行使が國家主權の發現として嚴格に位置附けられなければ、その武力行使は適法ではなく、單なる暴力行爲となり、敵兵の殺傷は單なる刑法犯罪としての殺人に過ぎなくなり、それを爲す「軍」は正規の國軍ではあり得ず、單なる私兵集團と見做される他はない。國軍の武力行使が正當性を獲得する唯一の方途は、それが正しく國家主權の發現であるといふことが法制上明確に規定され、國家主權から國軍への始源的無制約性とそれに由來する權能の讓渡の經路が明確に示されることである。これを囘避する國軍建設の如何なる方途も原理的に存在し得ない。(因みに、支那では人民解放軍といふ軍隊は中華人民共和國の軍ではなく、支那共産黨に所屬する軍隊といふ位置附けになつてゐるさうである。その理由を私は知らないが、本稿の結論より考察するならば、この事實は、人民解放軍は正規の國軍ではなく、支那共産黨といふ軍閥の單なる私兵集團に過ぎず、かかる徒黨とその私兵集團によつて支配されてゐる中華人民共和國は近代的主權國家、法治國家ではないといふことの端的な證據となるであらう。)
平成廿六年 四月廿五日 金曜日
識