朝まで生テレビ

若いころ「朝まで生テレビ」に出演した映像を、たまたまインターネットで拾った。

日付もわからないけれど、文字起こししました。

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 ドイツの話が出ているから申し上げますとね、ドイツはその五十年後の前の話はもう忘れて、あるいは許されてというけれども、おそらくドイツは千年後も許されないだろうと私は思いますね。つまり、ドイツのやったことというのは、日本のやったことと根本的に違う。ひとつの民族を地上から抹殺するために、600万700万の人間をですね、強制収容所に入れてガス室で殺したというその犯罪はですね、おそらくスターリンが似たようなことをやっているかもしれないけれど、おそらく全く日本の軍国主義なんかと比肩できるような問題じゃないんですね。

 でそこでですね、日韓という関係でよく言われるのは、ドイツとポーランドの関係なんです。みなさんはね、ドイツのやった犯罪についてはユダヤ人とかジプシーのことばっかりを考えているかもしれないけれど、ドイツのやったポーランドに対する犯罪というのはすさまじくてですね、ドイツ人はポーランドの占領時代に小学校四年生以上の教育は許さないと、百まで数え、五百まで数えられるべく自分の名前が書ければ良いと、あとはドイツ人に従順な奴隷を作るために高等教育を受けたものは粛清されるべきだと言って、実際に占領地時代に百万人の指導階級が虐殺されているんですよ。百万人ですよ。そしてたとえば学校の教師とか弁護士とかってのは軒並み理由もなく連れ去られて虐殺されているんですね。

 そうしてですね、そのようなことをやったポーランドとドイツの関係は複雑ですけれども、そのポーランドですらも露助よりは良いと言っているんです。ドイツには文化があるからと。ロシア人よりはまだいいと、ドイツには文化があるからと。それが世界の歴史のすさまじい現実なんですよ。

 そこで比較して比較で申し上げますよ。小学校四年生以上の教育を与えないといったドイツと日本が朝鮮民族の絶滅を考えたことが一度でもありますか?夢に見たことさえないでしょう、そんなこと。それどころか、日本人になってくれと言ったんじゃありませんか。いいですか、小学校四年どころか、京城には京城帝国大学を作ったんですよ。京城帝国大学は大阪帝国大学よりも前に作っているんですよ。台北にも帝国大学を作りましたが。そしてそれはどういうことを意味したかというと、日本の優越感だったでしょう。高等教育を与えてやっているんだぞという類の、優越感があったことは間違いありません。しかし、それがその後に韓国に切り開いた近代化の道になんにも役に立たなかったなんていうことは絶対にあり得ないはずです。それを素直に認めなければ、日韓関係は正常なものにはならないだろうと、私は思います。

よく時々変なことを言う人がいるんですよね。ユダヤ人に対して十分な償いをしたドイツ人の百万分の一も日本人は韓国にやっていないと。そりゃあやったことが違うんですから。例えばエコノミストというのが七月に日本人が外国からもうとやかく言われるのはもう時代が終わりだと、五十年前の歴史は政治家が議論すべき問題ではなくて、歴史家に委ねるべきだというよう発言がありました。

友人からの応援歌

 WiLL新年号に久し振りに少し力の入った評論を書いた。「トランプよ、今一度起ち上れ」という檄文のようなタイトルの文章である。

 小石川高校時代の友人・河内隆彌君からこれに同意し、応援する趣旨の手紙をもらった。河内君は元銀行員、70過ぎてか友人からの応援歌ら国際政治の名作を次々翻訳して、喝采を浴びた巨才である。その彼から誉められたのでうれしくなって、ここに掲示させてもらう。

 拙論については、他の方々からの論評も出始めているので、各自参考にして、考えをまとめて書きこんでいただけるとありがたい。

 勿論トランプへの批判があってもそれは自由である。

西尾幹二大兄

WiLL1月号読みました。西尾幹二ここにあり、西尾節の復活嬉しく拝見。電話だとうまく会話が続かない懸念あり、お手紙にします。本信のお返事は気になさらないで結構です。

 

 で、大論文ですよね。現代世界の病理、不条理の根源である2020年のアメリカ大統領選挙の不正を糺す内容ですが、雑誌編集部は表紙には出さない、目次の扱いも小さい、ほかのクダラナイものは(岸田とか木原とか)鳴り物入りの扱いが」不満ですが、これがいまの日本なのでしょうか?それでも、貴兄の言論活動復帰は、大いに驚きであり、内容の分量、充実度はいまさらながら敬服しております。

 思えば、トランプの二期目は当然、という空気で、これから彼氏がディープステートや中国とどう戦ってくれるのか、楽しみにしていたユメはあの不正で絶たれてしまいました。しかしこの中間選挙で少なくとも下院を確保、2024年本選挙にユメの復活を賭けたいと思っています。

 木魚の会などで、貴兄が馬淵睦夫氏らに批判的であることは承知していましたが、今度の論文で馬淵氏をいささか評価されていますね。背後にどのような「闇」や「謎」があるのかわかりませんが、何かがなければこういう世の中になるはずはありません。

 「闇」といえば、日本ではやはり安倍さんの暗殺事件だと思います。物事本質の矮小化、焦点すり替え化(?)の典型だと思いますが、この事件はわざと別の方向に誘導されているのでしょうか?容疑者の鑑定留置が切れる11月には検察の態度が決まり、裁判が始まれば少しは真実に近づけるのか、と期待していましたが、鑑定留置期間が来年1月に延長されました。その筋は、何かあいまいに片づけたいと思っているのでしょうかね?

 ウクライナ戦争にしてもトランプが二期目をやっていれば起こらなかっただろうし、すべてがあそこから始まっている気がするけれど、これは「陰謀論」になるのですかね?

 取りあえず本日は大論文の感想まで。 

              河内隆彌   令和4年11月26日

高原あきこ氏について

<西尾幹二より高原あきこ氏あての手紙の説明文>

 「二〇二二年の参議院選挙に当たり、私は元熊本大学教授高原あきこ氏の立候補を支持し、日録にも掲載の推薦文を書いた。この一文は、投票日に先立ち、旗揚げの会場で坦々塾事務局長の浅野正美氏が朗読して会衆はシーンとしづまり返ってご静聴下さったと聞いている。残念乍ら同氏は落選した。その後、同氏はWiLL誌に発言し、これに関連して私あての私書簡でも大変に遺憾な内容の文言を表明している。公開の表現に関わるので、高原氏あての私の私信の一部を以下ブログにも掲示することにした。」

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拝復
 お手紙拝見しました。
 貴女はWiLL十一月号でわざわざ私の名を挙げ、私と交流があると知られると、仲間が離れて行くと冒頭に書きました。「こんな恐ろしい教科書を作っている人」だと言わぬでもいいことも書いています。

 直接私やつくる会を誹謗した表現としてではないけれど、こういう不用意な非難の罵倒語が文中にあると、書き手の認識にも同じ動機があると思われがちなのです。

 まるで貴女が選挙に惨敗したのは西尾のせいだと言わんばかりですね。

 貴女は私あての最新の手紙(二〇二二年十月五日付)で次のように書いています。WiLLの「同記事は九月初めにWiLL編集者(40代くらいの男性)にインタビューを受け、もともとは選挙の話や統一教会の話しなどを聞かれたのですが、安倍晋三元總理の追悼号ということであのようにまとめられたものでございます。あの文自体は私自身の生の声の逐語、私の作文ではなく、編集者の手によるものでございます。時間がなかったとはいえ、ゲラの校正を丁寧にできておりませんでした。」

 貴女は選挙に敗けたのは西尾のせい、WiLLにまずいことを書いたのは若い編集者のせいで自分ではないと言わんばかりの言い分です。

 すべての不始末は他人(ひと)のせいにして、自己責任ではないと言っています。

 貴女の正体が見えました。

 旧統一教会の問題をすべて他人(ひと)のせいにして逃げ回っている自民党議員とよく似ています。お似合いですね。

 しかし私は知っています。貴女は口が軽く、いわゆるゴシップ好きで、「チャッカリ屋」さんです。そういう性格の軽さが現地選挙民に見抜かれたのではないですか。

 さようなら
                                 西尾幹二
       二〇二二年十月十八日

病中閑あり

「九段下会議」から「坦々塾」へ

                     西尾幹二

 私は「路の会」と「坦々塾」という二つの勉強会に関与していた。二つとも政治や社会問題や歴史研究に関心のある方々から成り、月一回の会合に進んで参加して来られた方が多い。「路の会」はプロかセミプロの言論人で、「坦々塾」は私の愛読者が主だったが、やがて噂を聞きつけて集まって来た一般人もおり、会社勤めを終えたいわゆる定年組が多かった。日本では今この層が一番本も読み深く知識を求めている人々で、頼りになる階層である。

 二つの会はどちらも会費を頂かず、会員名簿も作らない。熱心に来て下さる方は歓迎され、去るものは追わず、この自由がかえって会を長続きさせた原因だった。「路の会」は二十年余の歴史があり、この内部から「新しい歴史教科書をつくる会」(以後「つくる会」と略称する)が誕生した。西尾幹二全集第17巻の後記にその経緯が説明されている。「路の会」のメンバーの中心の座にいたのは宮崎正弘氏で、この会から新人として世に出てその後存在感を示した馬渕睦夫氏のような例もある。

 ここでは「坦々塾」成立の経緯とその政治的背景を語っておきたい。私は「つくる会」の会長を2001年9月に退任し、それから2006年1月まで名誉会長の位置にあり、現場の指導は田中英道会長に委ねていた。

 時代は小泉純一郎政権(2001年4月~2006年9月)下にあり、私が「つくる会」名誉会長の名において最も激しく時代に挑戦した最後のこの局面は、小泉首相が世間を騒がせていたあの時代とほぼぴったりと一致することになる。野党の党首菅直人までが、腹を立て私に直接電話を掛けて寄越し、そんなに大きな影響力を発揮したいなら、大学教授を辞めて代議士になって発言せよ、と腹立ちまぎれに言って来たこともある。野党から見ても私の発言はよほど目障りだったに違いない。自民党が箍の外れた水桶のように締まりのない緩んだ状況であったことは今と変わらない。自民党にはより保守的な右の勢力からの批判や攻撃が必要だった。嘗ての民社党のような勢力が必要であった。自民党は左からの批判や攻撃には十分に耐えて来たが、右からの圧力が無く、風船玉のようにフラフラと左右に揺れて来たのはそのためだろう。右からの要求は或る力が代わりをなしていて、自民党を背後から操っていた。それはアメリカだった。アメリカが右からの圧力を省いてくれ、自民党を身軽にしたということは、自民党を甘やかし無責任政党にしたということだ。それがアメリカの政策だった。

 二次占領期が訪れていた。私は思い立った。伊藤哲夫、中西輝政、八木秀次、志方俊之、遠藤浩一、西尾幹二、以上6名を代表代理人にして急遽、「九段下会議」と名付けた保守決起のグループ活動を始め、その先頭に立った。九段下にあった伊藤氏の事務所会議室を借りて運営し始めたので、この名を採用したのである。そして皮切りに月刊誌『Voice』(2004年3月号)に「緊急政策提言」という初宣言を私が書いて発表した。勿論代表代理人の討議を経て、内容は外交、国防、教育、経済ほかの各方面を見渡したものである(西尾幹二全集第21巻Aの630ページ参照)。しかも特徴的なのは、この提言を読んで関心を喚起された一般の方々の文章を募集し、独自のオピニオンを持つ方々を同会議のメンバーに加えるという会の方針を明記した。人数は忘れたが、選ばれて集まった方々は数十人を数え、会議室はいつも満杯だった。

 会議は何度も開かれ、これを聞きつけて安倍晋三、中川昭一を始め、当時勉強熱心で知られる「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」などに参集していた自民党内の若い保守勢力が次第に関心を高めるようになった。安倍晋三に会議の情報を伝えたのはたぶん伊藤哲夫氏と八木秀次氏だったが、とくに伊藤哲夫氏は政治的フィクサーの役を演じ、安倍政権の成立に情熱の全てを注ぐ立場の人だった。八木氏は安倍とは妻同士が親しく昭恵夫人とツーカーの仲であることが自慢で、周囲にも吹聴していた。

 伊藤哲夫、八木秀次に中西輝政を加えた三氏はやがて安倍政権成立の前後に、「ブレーン」の名でメディアに取り上げられ、関係の近さは秘密でも何でもなく公然の事実だった。政治家も不安で、よりはっきりした思想上の拠点が欲しかった時代だった。
 
 「朝日」が後日これを嗅ぎつけて、私と安倍との繋がりを調べに来た。調査は公平で、好意的ですらあったが、出た記事内容は私にも「つくる会」にも悪意に満ちたものだった。

 この頃、小泉純一郎は靖国にこれ見よがしに参拝し、またこれを止めたり、また近づいたり、私には靖国を愚弄しているようにさえ見えた。首相と名の付く人が来て下さるだけで有難いと、靖国側の人々が卑屈に耐えているのがまた哀れで、腹立たしかった。小泉の姿勢が不誠実であり、「自民党をぶっ壊す」との暴言は知性を欠き、政策は郵政民営化一本槍で、五分もスピーチすれば話の種子は尽きるほど、郵政問題にすら深い省察を欠いている虚栄の人、から威張りの無責任男に対する不信感は、心ある人々の間で次第に高まっていた。ただ大衆は逆に小泉の煽動に操られ易く、大言壮語に付和雷同した。

 そのピークは2005年9月の「郵政選挙」だった。党内の至る所の選挙区に刺客を立てるなど、徒に恐怖を煽る小泉の手口は社会全体を不安定にした。日本は国家としてあの時少し危うかったと思っている(西尾幹二全集第21巻A461~538ページ参照)。私が『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』(2005年12月刊)という思い切ったタイトルの本を刊行したのはこの時だった。

 私には恨みもあった。「新しい歴史教科書」をダメにしたのは小泉だった。検定までは容認するが採択はさせない、という腹積もりで彼は韓国を訪問し、立ち騒ぐ韓国政府との妥協を図ったと私は見ている。また教科書採択に当たった全国の教育委員たちが、波打つように小泉政府の無言の指令を忖度して、同一行動をとった動きを私はソフトファシズムの徴候と見て、そう書きもした。「民主主義の危機」と左翼が使うような表現をすら私はついに書いた。
 
 しかし日本は習近平やプーチンのように自分の任期を勝手に無期限にする独裁国家ではなかった。「郵政選挙」から1年後の2006年9月に小泉は安倍に政権を禅譲して、国民は明るい性格の安倍に新たな期待を抱くようになった。私も千代田区立公会堂で「安倍晋三よ、『小泉』にならないで欲しい」と題した市民公開講演を行い、満席の会衆を迎えた。
 
 それに先立つ少し前、まだ小泉時代が続いていた末期に、私は小泉から「ただでは済まさない」という脅迫のメッセージを受け取った。メッセージを私に伝えたのは何と八木秀次氏だった。知らぬ間に何か異変が起こっていた。私の権力を恐れない性格をはた迷惑と冷たい目で見ている人々が私の周辺を脅かし始めていたのに、私は気づかなかった。権力に媚びてでも利益を得たい―それが人間の本性である。勿論誰もそれを非難することは出来ない。

 私はその頃、十日ほどの予定でニュージーランドに観光旅行に出かけた。短い留守中に異変は拡大していた。安倍政権擁立のための運動が具体的に進んでいて、伊藤氏はもとより水島総氏なども旗振り役に加わり、保守運動家たちの大同団結が企てられていた。その後安倍も集会などを主催し、私も一、二度呼ばれて顔を出したこともあった。そのとき分かったのは、安倍は嘗ての政治家に例のないほどに知識人や言論人を必要とし、彼らから知識や統計上の数字を知ろうとしていた。当時南京虐殺事件が国難の一つだった。事件はなかったという主張が保守側に渦巻いていた。安倍は専門家に何度も問い質し、反論のロジックの筋道や数字上の事実確認を繰り返し聞いている場面を私は目撃している。伊藤哲夫氏がその頃役に立つアドバイザーであったことは間違いない。

 その間に「九段下会議」は何処かへ行ってしまった。同じ会議室を使って伊藤氏や八木氏が密議を凝らしていたに違いない。安倍のために全てを投げ打って一致団結する人々から私は敢えて距離を置いていた。「九段下会議」で唱えた理想が継承されるという保証は何処にもなかったからだ。

 ある講演で伊藤哲夫氏は、従軍慰安婦問題について国際社会で日本が抗弁する情勢にはなく、「日本が悪い」の圧倒的な声に我が国は頭を垂れ、謝罪し続ける以外にないと語ったことがあり、私は心密かに反発していた。

 その間に「つくる会」の周辺や内部に不穏な空気が漂い始めた。理事たちの一部が藤岡信勝排斥運動を始めた。藤岡氏は「つくる会」の柱だった。これを倒そうという動きは、理事たちの一部が「日本会議」に通じている面々であることが次第に明らかになったが、それは「日本会議」による「つくる会」乗っ取り事件の様相を呈し始めた。私は慌てた。この場面でも伊藤哲夫氏は暗躍している。
 
 間もなく「つくる会」そのものも分裂した。内紛が起こった。いまさら内紛の歴史を語るつもりはない。しかし外から大きな力が働いたことは間違いない。「つくる会」運動の内部に、力ある人が外から手を突っ込んだのだ。それは小泉ではなく安倍晋三だったと私は今は考えている。あるいは小泉に命じられて安倍が動いたのか、いろいろな推論が成り立つ。しかしその後保守系言論人は雪崩を打ったように安倍晋三シンパになりたくて、一斉に走り出した。今まで黙っていた人の名も、急に安倍、安倍、安倍と叫び出した。小田村四郎氏を筆頭に、岡崎久彦、櫻井よしこ、西部邁、渡部昇一 ……の各氏。

 その頃書いた私の文章「小さな意見の違いこそが決定的違い」(西尾幹二全集第21巻A580~609ページ)を見て頂きたい。当時の保守系言論人の心の動きが手に取るように分かるだろう。

 最初のうち私も安倍を否定していなかった。むしろ肯定していた。「文芸春秋」の次の首相に誰がいいのかのアンケートに私は安倍と書き、巻頭に揚げられた。安倍自身があるパーティで私にそのことのお礼を述べたほどだ。私は安倍に媚びていたのだろうか。そう言われれば言われても仕方がない。しかし「小さな意見の違いこそが決定的違い」なのだ。私は安倍シンパではない。

 「日本教育再生機構」とやらを作って安倍のブレーンとして名を連ねたのは八木秀次氏であり、中西輝政氏、伊藤哲夫氏も含めて三人である。「九段下会議」が見事に分断されたわけだ。「九段下会議」に参集した総勢60人の一般人のうち、分派活動をした安倍シンパの側に回った者は少なく、約八割が私の側にとどまった。

 そこで彼らをどう遇するのかに迷い、「坦々塾」がこの残った反安倍勢力を中心に形成された。政治活動ではなく歴史や政治思想をもっと勉強したいとの声につられて、講演会形式の勉強会として始められ今日に至っている。その活動の実際を伝える講師・演目の一覧表(伊藤悠可氏作成)をここに掲示する。
 
 安倍政権が実際に開始されてしばらくの間異様な動きがあった。「真正保守」とか「保守の星」と呼ばれていた安倍が期待に反し、村山談話や河野談話をすぐに認めると公言し、祖父の岸信介の戦争犯罪も認めると言い出した。「安倍さん、いったいどうなったのだろう?」と世間は首を傾げたものだった。
 
 「左に羽根を伸ばす」が伊藤氏たちブレーンの差し金による戦略であったらしい。政権の座に就く何か月か前に安倍は靖国に参拝していて、首相になった時には「靖国に行ったとも行くとも言わない」というあいまい戦術を展開した。不正直で姑息なこういうやり方に私は首を傾げた。ブレーンという名の謀略家たちは得意だったかも知れないが、安倍は評判を落とした。
 
 保守は正直で率直であることを好む。安倍は本当に自分の頭で考えているのだろうか、そういう疑問を抱くようになったのは、むしろ長期政権と言われるようになってからだった。

 2017年5月3日に、安倍は憲法九条の二項温存、三項追加という後に大きな問題を招きかねない加憲案を提起した。しかもこの案は安倍が自ら考えたのではなく、これまた伊藤哲夫氏の発案によるアイデアだった。伊藤氏自身がこれを告白している(「日本時事評論」(2017年9月1日号)。ブレーン依存はまだ続いていたのである。国家の一大事であり、安倍の存在理由でさえあった憲法改正の肝心要の発想の根源が他者依存であり、借り物であり、首相になる前から同じ一人の人間の助言に支えられているとは! 安倍ほど評価が二つに大きく分かれる政治家はいない。

 「九段下会議」の「緊急政策提言」については先に見た通りで主に私の筆になるものであるが、これを今読み返すと、如何に安倍政治にこれが反映されたか、安倍晋三の政治はむしろ彼が後日「九段下会議」の立案を下敷にして政治を行っていたのではないかと邪推したくなるほどである。「朝日」の記者が後日密かにさぐりに来たのも正にむべなるかな
である。

 例えば「外交政策」の「開かれたインド・太平洋構想」は言葉まですっかり同じ内容を踏襲している。安倍は私たちから如何によく学んだかが今にして分かるのである。しかし彼は政権を得てからほどなく、「九段下会議」の精神とは全く逆行する行動を繰り返すようになるのである。その最も早い行動は、安倍が従軍慰安婦問題で米国大統領ブッシュ(子)に謝罪するという筋の通らない見当外れな行動に討って出たことだった。これは私がこの「確信なき男」の行方に不安と混迷とを予感し始めた決定的な出来事だった。
(令和4年9月12日 記)

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 私西尾幹二は入院中ですが、二つの勉強会を振り返って「『九段下会議』から『坦々塾』へ」を綴りました。その足跡をたどるようにして、伊藤悠可氏が私の文に対して感想を寄せてくれました。読者諸氏に読んでほしい一文です。(コメント欄への皆様の投稿を希望しています)

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西尾幹二先生の「『九段下会議』から『坦々塾』へ」を読んで

伊藤悠可

 「九段下会議」は、若い頃から一度は会ってみたいと願っていた西尾幹二先生に、実際に会うことが出来た場所という点で、自分にとって大変、意義深い集いでした。また、著作や記事を通じて遠くから見ていた中西輝政さん、福田逸さん、西岡力さん等もいて、その他に各方面の専門家としてときどき媒体に登場する知識人も揃っていて、こういう席に座らせてもらうのかと胸が躍りました。

 一躍有名になられた馬渕睦夫さんの初の講義を自分は聴いています。

 先生の『voice』の「緊急政策提言」が2004年3月とありますから、自分の初参加はもっとあとの2005年の秋か冬ころだったと記憶しています。ちょうど、小泉純一郎の慢心ぶり、悪ふざけに腹が立っていたおりで、前後して『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』を先生が出されたことを知って、誰か小泉を諫めてくれないのか、と思っていた自分の気分が晴れました。小泉の奇態をゆるしているのは、自民党議員であり、国民である。拍手喝采する国民はどうしようもないが、国民をちょろいと見下しながら煽動し踊らせている小泉は嫌いなタイプでした。子ブッシュの前で、プレスリーの物真似をしてふざけて帰って来た日本国の宰相は品位を貶めた罪が深い。

 書いておられるように小泉が「ただでは済まさない」と間接的に先生に言ってきたことは、あの性格なら、さもありなんと思いました。彼なりに現代版の信長になったつもりでいたのかもしれない。たぶん図星だと思う。本で急所を突かれたから、信長だから、相手を恫喝くらいしないといけない。そう思って使いを出した。その役割を果たしたのが八木氏だったと思います。

 個人的体験や記憶だとお断りしますが、八木という人は、挨拶する人と、全く挨拶しない人とに人間を分けていると国民文化研究会の友人から聞いていました。九段下の事務所に向かうとき、彼と信号待ちで出くわし、挨拶したところ、無視されたことがある。一言も返さなかった。ああ、本当だと思いました。彼は大学時代、国文研を退会するとき、先輩諸氏を前にして「あなたたちと付き合っていても自分(の將來)に何の価値もない」と言い放ったことは有名で今でも酒の肴になっているようです。

 一方で当初、伊藤哲夫さん、それからすぐ下の名前は忘れましたが、後輩のなんとかさんの二人は親切で、非常に気持ちのよい人たちだと思っていました。部屋のテーブルをカタカナの大きな「コ」の字でかこむようにして、垣根は低く自由な空気感があって、どこからだれでも発言できる会議場、討論場で、物怖じしやすい自分も、最初から何度か気軽に発言できたことをおぼえております。そのころ先生が、「伊藤哲夫さんは無私の人だ」と褒められたことをよく覚えています。

 当時、〈国家解体阻止宣言〉というスローガンもあって、自分もある種、高揚感を味わっていました。テレビでも流された「つくる会」発足の記者会見に次いで、この人たちが、ひどい国に成り下がっていた日本に覚醒の檄をとばすだけでなく、政治、外交、行政、教育、文化の他方面の領域にわたって数々の提言を行っていくのだろうと思いました。

 小泉から安倍晋三に政権の禅譲がおこなわれた2006年9月は、自分はいろいろと鮮明な記憶がある時期です。15日には、悠仁親王の誕生がありました。前年の暮れには、小泉が面倒臭そうに皇位継承に関する有識者会議をつくって、さっさと女系でも何でも決めてしまえばいいんだと、彼は考えていたと自分は見ています。政権最後のお土産程度に感じていたと自分は見ています。有識者会議のメンバーにロボット工学の博士なんかが居るのですから。

 予算委員会の中継で、安倍晋三が小泉にそそと近寄って耳打ちをしたのをおぼえています。同年2月に紀子さまご懐妊のニュースがありました。ちょうどその第一報が安倍官房長官に届けられ、小泉に知らせたのです。小泉は一瞬、息をとめて驚いたような表情をしました。安倍の功績のうち、あまり取りあげられないが、進行中の皇位継承の議論を中断せよと、きっぱり小泉に迫ったことは評価されてよいと思っています。このときの電光石化の安倍の動きは偉いと感じたものです。あの頃の小泉は、ふんぞりかえって我が世の春を謳歌していましたから。

 しかし、小泉から禅譲される前後から先生が感じておられたように、保守系言論人はそうです、雪崩を打ったように安倍、安倍と言うようになりました。政界の現場、自民党内部の求心力というものではなく、まさに外部の、それも言論人、知識人の側から、安倍大合唱が始まったのではないかと思います。

 中西輝政、伊藤哲夫、八木秀次の諸氏はご指摘どおり首相のブレーンを自他ともに認めていたと思います。公然の事実で、産経以外の大手紙や雑誌も、首相と距離が近く、重要なブレーンであると当たり前に報じていた。そのほかにも、安倍を応援する保守論壇で名の通った人々、岡崎、桜井、田久保といった人は、いくらでも数えることができます。

 「首相動向」に登場する人たちのほか、安倍晋三と会った、安倍さんが事務所に来てくれた、安倍さんの誕生会に出席して祝った、安倍さんの自宅に呼ばれた、銀座のステーキ屋で歓談した……。金美齢さんという人はテレビでしかしりませんが、熱烈なファンであることを公言していましたね。しかし、アグネス・チャンなども夫人の親友として自宅に呼ばれているというのだから、それなら、芸能人、学者に似たタレントも何人もたくさんサロンにいるのだろう。我れ先にと安倍さんとの距離を自慢していた感があります。

 そんな中で、清潔でいいな、と思ったのは曾野綾子さんでした。この人は実際安倍氏と親しかったのかどうか知らないが、大事はそっと一人でやる。フジモリ元大統領が窮しているとそっと助けてやっている。家にかくまってやったと思う。フジモリ氏が正しいか正しくないかは私は知らない。でも、だいたい、曾野綾子という人はこういう時の所作は気持ちがよい。何にも伝わってこない。曾野さんは上坂冬子さんとの開けっ広げの親交も、ユーモアと清潔感があって好ましかった。「私はこの間、安倍さんとああしてこうして」などとは、節操の問題として口にしない人であろう。

 立ち戻りますが、九段下会議が崩壊してゆくなかで、伊藤哲夫さんはなぜ、西尾先生とあらためて肝胆相照らすというか、はらわたを見せて、語るという機会を持たなかったのか、とうとうそれが謎として残っております。政治的な助言者としてやりがいや義務を感じているなら、会議よりそちらが重いというなら、その道に行きたいと打ち明けることもできたはずです。

 安倍が生きがいだと言い放っている小川榮太郎のような人もいるわけです。なんで文芸評論家を名乗っていながら、安倍を応援することが精神の仕事になるのか。どうバランスがとれるのか。そこは理解できないとしても、伊藤哲夫さんなら西尾幹二の心の中に訴えることもできたはずです。

 それとも、やはり総理大臣の相談相手となって、単に舞い上がってしまったということなのでしょうか。たとえば田崎史郎を見ていると、何でも首相の毎日をよく知っているが、首相が日本を良くしているのか、日本を損なっているのかについては、一般の人より眼識は劣っているのではないかと思うことがある。「日本は中国に刃向かってはいけない。勝てるわけがないんだから」とテレビで言っていたことがあるが、その程度なんだと認識しました。

 会議を存続するか否かという判断は別にして、伊藤さんには自分はこういう考えであるから、先生とはこのまま一緒にやっていけない、という割り切りもあるのです。
わかりませんが、それとも出自母体とされている生長の家、その脱退後の有力な人々との見えにくい絆、日本会議との距離間のような彼にとって大事な価値観までさらしたくない何かがあったのでしょうか。

 おそらく、この場面では、私などにはわからない“雪だるま”が出来ていたのだろうと想像するのです。最初はチラチラと小雪が降っていた。小さな問題(この場合、前を向くと官邸、後ろを向くと西尾先生)も巻き込んで、拳ほどの雪玉を転がしていた。放っておくと、大きく重くなるので、その前に溶かしておくか潰しておくか、しておかなくてはならない。が、ついつい腹のうちを見せる機会を失って、雪玉は大玉転がしの大きさに育ってしまった。

 もっと勝手な邪推をすると、八木氏は八木氏で自分が安倍の最も重要な右腕だと思いたいし、自負もしている。伊藤哲夫とはまたちがう。一緒にされたくはない。しかし、政治家安倍にとっては、皆同じ大切な人くらいに、みえるし、またその形で頼りにしている。優劣はない。中西輝政氏はそういうタイプではないから、そこまで個人的交際はしたくないと考えていた。こんな関係性を肩に背負っていると、結構煩雑である。

 安倍晋三には子供がいない。子供がいない人は歴史がわからない。歴史というより、本当の歴史がわからない、と言いかえた方がいいかもしれない。歴史がわからない人は、「次代を担う子供たち」「後世を託す子孫たち」と叫ぶとき、熱い何かが欠けてしまう。或いは、熱い何かの半分が欠けてしまう。従軍慰安婦問題で、さあこれが一番大事だというとき、安倍はアメリカで間違ってしまった。これは取りかえしがつかない。決して譲ってはならない態度と言葉。それを冒してしまった。謝罪するべきは韓国であって、日本ではないのに。

 なのに、彼は謝ってしまった。彼は、「もう後世の子供たちに謝罪を繰り返させたくない」というような演説を行った。辻褄が合わない。

 日本国内では、そうとうに安倍という保守シンボル像が建立されていたため、このとき自分のように驚いたり怒ったりしている人は少なかった。みんな、安倍にすがっているんです。信じているわけではない、すがっている。

 「子供たちに謝罪を繰り返させたくない」といいながら、日本も悪かったと言って頭を下げてしまった。彼の心の中には、想像の上でも、子供たちの表情や姿は映らなかったんだと思う。将来の子供たち、というとき、彼には教科書の挿絵のような印刷の子供がうかんでいたのかもしれないと思う。子供のいない人を差別しているのではありません。ひりひりした心配は理解できないだろうと言っているのです。子供のいない人は歴史を半分しか感じないでいる。

 西尾先生は麻生太郎が首相の折りにも、手紙で大事を進言されたことがあると聞いたことがあります。具体的なことは忘れましたが、麻生は大事な一点を守れなかった。それで退陣してしまった。安倍はたくさん人を回りにつけながら、西尾先生は敬して遠ざけていたのだと思います。それは苦いからですし、恐いからだと思います。それでもって、少し甘い、心地のよい、やさしい伊藤哲夫、中西輝政を近づけたのかな、と思います。八木に関しては、なんだかわかりません。

 ほんとうは政権なんて短命でいいのに、短命だから言いたいことが言えるのに、だいたいは、長期だけを目指す。こういうことも先生は言っておられました。

 また尻切れ蜻蛉の感想になりましたが、ここに書きつらねました。

参議院議員選挙立候補予定者 高原朗子さんへの激励メッセージ

 第26回参議院議員選挙全国区 に立候補を予定している自民党公認候補の元熊本大学教授の高原朗子(あきこ)氏に対し、6月7日靖国会館で開かれた「高原あきこを励ます会」に西尾幹二が寄せた激励のメッセージです。当日の代読者は坦々塾幹事長の浅野正美氏です。

 「高原さんと私の出会いは、もうかれこれ22年になります。
 私が歴史教科書改善運動を始めていて、高原さんは有力な協力者の一人でした。
 私が長崎で講演をした折、聴衆の一人として前に座っておられたのが最初の出会いでした。

 その時は確か長崎大学の助教授だったと思いますが、国立大学の教官で、しかも政治文化運動の協力者であったのはありがたく、女性であってきっぱりとした意思の持ち主であることもたのもしく、何かと力になっていただき、貴重なご存在でした。

 専門は心理学、特に臨床心理学と聞いています。これは、直接人の為に役立つ学問です。

 弱い立場にある個人への心理学的支援というのが目的の学問でしょう。そういう専門知を目指す人が、いつの間にか国家社会の安全保障を考えるまでに大きく変貌かつ成長されました。それは、必然的な変化でもあったのです。

 どちらも危機救済という点で根は一つだという彼女の思想の深さに私は感動しています。

 自分が関わっている障害者の救済、その背後にある家族、郷土、ひいては国家社会の問題、その存立と安全を考える国防というところまで手を伸ばした開かれた姿勢とパワーに敬意を表します。さらに、日本を守るためには今の憲法を変えていくことが重要ですが、その点も高原さんは深く認識し、すでに精力的に行動を始めています。

 さて、ロシアがウクライナに突如侵攻してから三ヶ月が過ぎました。

 現代日本の今後の運命をどう考えるべきかという課題は、あれ以来ロシアのこの戦争と切り離して論ずることは出来なくなりました。

 端的に言います。日本が大切にし、あの戦争が露骨に奪ったものは、一体何でしょうか。たくさんありますが、最大なものは「自由」と「民主主義」だったと思います。日本は、自由の度合いが行き過ぎたくらいに自由の国であり、議会制民主主義も守られています。もし、ロシアが日本に侵攻したら、日本人は「自由」でなくなり、民主主義も奪われます。空気や水のように、当たり前に思っているわれわれの自由、われわれの民主主義的諸制度が失われることを考えてみて下さい。

 それなら自由と民主主義の産みの親、母体をなすものは何でしょうか。

 国際主義でしょうか。外国から来た理想の言葉でしょうか。国連などの日本の外の組織でしょうか。そう言うものも、無関係ではありませんが、自由と民主主義を生み出し、育てて来た発展の泉をなしてきたもの、それは、外にあるものではなく、国の中にあり、歴史が育んできたものであり、自分自身に発したものです。

 私はあえて次の四つの言葉を強調します。

 すなわち、(一)家族、(二)民族、(三)国民国家、(四)ナショナリズム(この四番目の言葉は、「愛国主義」と言い換えても構いません)

 この四つは戦後久しく自由と民主主義の敵であるかのように言われてきました。それは完全な間違いです。

 四つをもう一度言います。

 家族、民族、国民国家、ナショナリズム、これら四つは自由と民主主義の敵ではなく、むしろ自由と民主主義の側にあり、自由と民主主義を守り育ててきた母胎があったものと敢えて言いたいのです。

 アメリカナイズされた第二次世界大戦後の日本ではなく、明治の開国以来の日本の姿を思い浮かべて下さい。家族制度は健全に守られ、日本人は民族一丸となって誇りを持ち、恐らく幕藩制下に確立されたいち国家の意識も高く、そしてナショナリズムはすべての文化、教育、社会活動の隅々まで行き渡っていました。それが、今のわれわれの自由と民主主義を培ってきたのです。

 日本は、もう一度あのレベルまでよみがえらせなくてはなりません。

 それには、人材が必要です。高原朗子が、今、私の述べたすべてを理解し、体現されている方です。

 今の時代、女性で国家観がある政治家が必要です。その代表格は、高市早苗自民党政調会長でしょうが、高原朗子さんも彼女を支える有力な同志として国政に行くべきであります。こういう理念を体得した高原さんこそが今の日本の政界に特に必要な人材です。

 高原さんは、国立大学の教授だった第一線の知識人であり、3年半前にその地位を投げ打って、今までの知識や技能を国民のために役立てようとしています。

 その人が女性であることは、女性の活力の拡大が期待されている自民党には求めても簡単に得られない人材でありましょう。

 自民党にとってもチャンスなのです。

 保守政界は、こういうチャンスをあだおろそかにしてはいけません。

 政界の知的レベルの向上は日本の政治にとって今や焦眉の急です。時代はまさに人を得たというべきではないでしょうか。

 ご健闘を祈ります。」

                         令和4年6月7日

                     

                             西尾幹二

領土欲の露骨なロシアの時代遅れ

令和4年5月24日 産経新聞正論欄より

 ロシアのウクライナ侵攻から日本人が得た最大の教訓は何だろうか。重要な教訓は単純な形をしているのが常だ。もし日本が侵攻されたら、日本人はウクライナ人のように勇猛果敢に戦えるだろうか。そのような疑問が私の心を離れない。

≪≪≪ 「平和主義」を振りかざすだけ ≫≫≫

 5月1日のNHK朝の各党党首出演の政治討論会を聴いていて驚いた。自民党から共産党までまったく同じ論調なのである。日本列島がウクライナのようになったらどうしようという国民が抱いたに違いない不安を予感させる言葉はだれの口からも出てこない。それどころか日本は輝かしい平和主義の国、平和主義を振りかざしていれば無敵、不安なし、平和主義こそが強さの根拠、と居並ぶ各党党首が口を揃えてそう語っているのだ。

 私は心底たまげた。ここまで口裏を合わせたかのような一本調子の同一論調、ロシアが再び北海道侵攻を言い出している時代だというのに、首相以下我が国を代表する政治家たちのこんな無防備、不用意な討論会を公共放送が放映する必要があるのだろうか。

 雑誌や新聞にロシアに好意的な見方が予想外に数多く見られることにも驚いている。北大西洋条約機構(NATO)が壁をつくったことにも責任があり、ロシアの反発もやむを得ないという同情論である。たしかに孤立したロシアを一方的に追い込むのは危険だという指摘はジョージ・ケナンやキッシンジャーの警告でもあり、人類が歴史に学ぶことがいかに少ないかの例証の一つではある。

 けれども現在のロシアが旧ソ連とどれほど違った新しい国に生まれ変わったかにはむしろ大きな疑問がある。スターリンとヒトラーは気脈を通じ合った同時代人であった。ネオナチは今のロシアを指す言葉だと言った方がいい。

≪≪≪ 19世紀型植民地帝国主義 ≫≫≫

 今度の侵略で目立つのはロシアの領土欲である。クリミアを手始めに露骨だった。同じことは公海に囲いをつくった中国にも言える。この両国は体制の転換期(1990年前後)に何も学習していない。対して第一次大戦後のアメリカの支配方式は「脱領土」を特徴とする。アメリカも帝国主義的支配を決して隠さなかったが、遠隔操作を手段とし、主として「金融」と「制空権」を以てした。

 第二次大戦まで国家の勢威の指標は領土の広さであったから、英仏蘭は戦後すぐ再び植民地支配に戻ったが、アメリカは国内総生産(GDP)を指標とし、世界はそれに従って今日に及ぶ。

 世界の覇権には軍事力と経済力以外に独自の文明の力を必要とする。科学技術や人文社会系の学問に秀で、映画など娯楽やスポーツ、農業生産力でも世界をリードすることが求められる。アメリカはそれをやってのけた。戦後世界を支配したのは当然である。

 今、覇権の交替を求めている中国には世界を納得させる新しい文明の型を打ち出す力はない。核大国・為替の支配・宇宙進出などアメリカの模倣である。ロシアはそれにさえ及ばない。かくて共産主義の過去に呪われた両国は今では「領土」にこだわる。19世紀型植民地帝国主義を再び演出する以外に手はないようだ。

 勿論アメリカの独自路線も少しずつ後退し、誇らしかった月面初到達も今や昔話だ。そして地球の問題を決めるのに少しずつ国際的民主化が進んでいる。

≪≪≪ いわれのない妄想捨てよ ≫≫≫

 民主化は良いことのようにみえるが、それは自由の幅を広げ、その分だけ不決断ないし無秩序が広がることを意味する。だからバイデン大統領はプーチン大統領が核に一寸でも手をつけたら、アメリカは断固モスクワを核攻撃しますよ、とは決して明言しない。ただ独裁国家の悪を道徳的に非難するばかりで、ロシアへの経済制裁とウクライナへの追加支援を積み重ねていくばかりである。誰しもが全体の状況を読み切れず一般的不安の中にいる。もし大戦争に拡大したら「貴方がこうすれば私もこうします」とはっきり言わないアメリカ大統領に半ば以上の責任がある。世界の政治はだんだん日本の政治に似てきている。「バイデン」は「岸田」に似てきている。

 5月10日、フィンランドのマリン首相が突如、日本にやってきた。訪日目的も明確ではない。フィンランドから見て、日本政界の太平天国の暢気さ、平和主義こそが自国の強さの根拠だという、いわれのない日本人の妄想が不思議でたまらず、現場に行って問い質し確かめたいと思ったのではないだろうか。岸田文雄首相は二言目には「自分は広島の出身だから」と言う。首相が広島県人であることが国の安全保障にどう関係があるというのか。できの悪い高校生みたいなことを言うな。

 日本は被爆国であるからこそ同じ体験を二度と味わわないためにはりねずみのように外敵が手を出したら直ちに同程度の報復をする準備体制を完備することがノーモア・ヒロシマの意味ではないか。今のままでいけば日本が3度目の被爆をする可能性は決して小さくはない。  (にしお かんじ)

『日本の希望』書評(3)

ゲストエッセイ
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和三年(2021)11月19日(金曜日)
通巻第7120号より

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「自由と民主主義は大切である。しかしそこから先が問題なのだ」
家族、民族、国民国家、ナショナリズムは自由と民主主義の敵ではない

西尾幹二『日本の希望』(徳間書店)

 約束の時間に間に合わないところだった。最初から引き込まれて半分まで読んだところで先約に気がつき、慌ただしく椅子を離れた。
 題名に「希望」とあって、一縷の望みが日本にはまだあると西尾氏は言う。
私たちが守ろうとしてきた祖国は、もはや存在しないのではないかと訝っている読者の脳幹を刺激するだろう。
現代日本は精神の曠野である。

 ものごとの本質を理解できない半藤某とかが皇室にご進講に及び、あろうことか内閣ごときが皇室典範にあれこれと口を挟む。
 日本に牙をむく中国の侵略には眼を瞑り、商売だけは続けたいと経団連につどう財界人はトランプの対中強硬策にたじろぎ、反発し、批判していた。なにしろ「人権」で中国制裁を緩めないとポーズだけは勇ましいバイデン政権だが、それを支えるウォール街とIT企業は、中国べったりでまだ儲け話があると踏んでいる。
世の中、先の読めない人だらけだ。

 「自由と民主主義は大切である。そこまでは大方の人の意見が一致する共通ラインからもしれない。しかしそこから先が問題なのだ。家族、民族、国民国家、ナショナリズムーーこれらが自由と民主主義の敵ではなく、むしろ自由と民主主義の側にあり、自由と民主主義を守り育ててきた母胎である」。
こんな基本を忘れ、家族、民族、国民国家を破壊しようとしているのがグローバリズムである。
そうだ、共産主義者が姑息に仮面としているのがグローバリズム、メディアは「新市場主義」などと持て囃す。新市場主義なるものは、左翼陰謀の隠れ蓑である。

 さて、民主主義は全知の神ではなく、次善の政治制度であり、ましてや「文化の概念ではない」。
西尾氏はこう言われる。
「日本国憲法は文化の原理である天皇の役割を冒頭に掲げ、上位概念として政治の原理を支配する文化の原理の優位を明白にしている。ならば文化の原理としての天皇の優位は何を根拠にしているのか。神話である。天孫降臨神話である。三種の神器の継承権である」。

 後鳥羽天皇は正統を求め、承久の乱を起こした。後醍醐天皇は最後まで正統を求め、戦い続けた。
ところが現代日本で教えられている歴史教科書は「縄文弥生の一万数千年を日本の歴史の始まりと定めていて、神話の格別の意味を持たせない。今なおつづく敗戦後遺症である」(17p)。
ならば中国の歴史観なるものはいったい何か。

 「唐代の韓愈は『夫れ史を為る者、人禍あらざれば、すなわち天刑あり』と言っている。歴史を書くものの身にはろくなことはおこらない」のだが、それでも史家は命がけで歴史を書いた。
孔子は魯の正史をまとめた(『春秋』)が辱められ、不遇の死を遂げた。齋の太史は殺され、司馬遷は『史記』の著して処罰を受け、『漢書』を書いた斑固も獄死している。『晋史』の王隠は誹謗されて失脚した。
 以下同様に

「北魏の国史を編纂した崔浩、『後漢書』を書いた氾華は、誅せられて一族皆殺しにされた。『魏書』の魏収は、嗣子なくして家が絶えた。齋史、梁史、陳史など多くの史書の書き手も、その身が栄達し、子孫も栄えている例があるとは聞いていない」(170p)

 歴史を叙するとはいったい何か。その行為が何を意味するかを追求したところが、本書の肯綮である。
 大病を克服中の西尾氏の最新論文集、刺激されること夥しい書物だ。
               (註「氾華」の「氾」は草冠。「華」は口篇)

『日本の希望』感想文(2)


ゲストエッセイ(小山先生のブログより転載します)
小山常美 新しい歴史教科書をつくる会理事

 西尾幹二『日本の希望』(徳間書店、2021年11月)を読んだ。誤読などもあるかもしれないが、印象に残ったこと、感じたことを記していきたい。

本書は、この30年間ほど、「日本」というものを思想的に、そして肉体的に背負って言論活動を行ってきた西尾幹二氏の、今という時点(あるいはここ20年間ほど)における言論をまとめた論集である。

欧米人が小泉首相の謝罪に点数を付けることへの不快感

「肉体的」という表現を使ったのは、例えば、2005年4月のバンドン会議で小泉首相が「侵略」と「植民地支配」を謝罪したときに欧米が日本を評価したこと、そのことに日本人が喜んだことに対して、西尾氏は単に精神ではなく、肉体からして不快になったのではないかと感じたからである。

  氏は、《二つの世界大戦と日本の孤独》(『諸君!』2007年7月号/同年5月中旬執筆)という論文の「言葉による戦争が始まっている」という小見出し部分で次のように記している。

  二〇〇五年四月バンドン会議で小泉前首相がわが国の「植民地支配」と「侵略」を例によって謝った。中国が折しも反日暴動に謝罪しない傲慢さで世界の非難を浴びていたさなかだったので、小泉演説は大人の印象を与え、政治的に点数を稼いだ。米紙ウォールストリート・ジャーナルは「今度は北京が謝罪する番」と書いた。欧米や国連の論調はたしかに日本に好意的だった。それだけにそのときだんだん私は腹が立ってきた。中国の強圧的無礼に屈した形になったことより、謝罪演説が欧米に評判がいいことの方が私にははるかに不快だった。

  約九十カ国の代表が集っていたアジア・アフリカ会議の場である。そこで欧米人がアジア人である日本人に点数を付けている。しかもドイツと比較している。それを日本人が喜んでいるような構図自体が私には許しがたいことに思えた。アジアへの「植民地支配」と「侵略」をしたのはいったいどこの国だったというのであろう。……

  アジア・アフリカへの「植民地支配」と「侵略」をそもそも日本の首相が謝るのはおかしいのではないか。しかもそれを欧米人に評価されて満足するような状況をつくる日本の政治家の歴史常識の欠如、自己主張の乏しさに、ただただ私は暗然たる思いがしたのだった。
 323~324頁

全く正論である。本当におかしな構図である。植民地支配と侵略をさんざん行ってきた欧米人が日本人に点数を付けることなどできないはずである。だが、傲慢にもそういうことが行われたのである。その構図が、氏には「許しがたい」ことであった。

ブッシュ大統領が安倍首相の謝罪を受け入れるという構図への怒り

  この文章につづけて、2007年に安倍首相が「慰安婦問題」についてブッシュ大統領に対して謝罪した件が取り上げられている。氏は次のように記している。

 ひるがえって同じことは安倍首相の謝罪訪米にもいえる。慰安婦問題を謝るべきかどうかの前に、……首相が終始米国に向かって謝っていたことがいかに異様かということを言っておきたい。そしてブッシュ大統領が「首相の謝罪を受け入れる」と語ったことばも、いかに歴史常識から外れたばかばかしいポジションを米国がつねに日本に強要し、日本が唯々諾々とそれを受け入れているかを示すいい例証である。 324頁

  安倍首相の謝罪の件は、さらにおかしな構図である。慰安婦問題で日本に何か落ち度があったと仮定したとしても、なぜ、アメリカ大統領がしゃしゃり出てくるのか。ブッシュに「首相の謝罪を受け入れる」資格などあり得ないではないか。この筋違いの構図、歴史常識から外れた構図に、西尾氏はあきれている。あるいは怒っている。

  脱線するが、少し推測を働かせるならば、2005年から2007年にかけてアジアと日本との歴史認識の問題に米国がしゃしゃり出てきた動きは、恐らく、2006年の「つくる会」分裂ともつながっていたのであろうし、2015年の「安倍談話」や日韓合意にも一直線でつながっているのであろう。

  話しを戻すと、こういうまっとうな感じ方をする人は、少なくともそのことをストレートに表現する人は、特に大物言論人の中では皆無のような気がするので、きわめて印象的であった。

  以下、全体を構造的に紹介することはとてもできないが、特に印象に残ったこと、それと関連して感じたことを記していきたい。

  まずは目次を掲げよう。( )の中は、参考のために私が記したものである。

Ⅰ 
回転する独楽の動かぬ心棒に――今上天皇陛下に改元を機にご奏上申し上げたこと
  (『正論』2019年6月号)
上皇陛下の平和主義に対し、沈黙する保守、取りすがるリベラル
  (朝日新聞インタビュー、2017年12月14日)
講演筆録 歴史が痛い! (坦々塾、2017年10月1日)
宮内庁の無無為無策を憂う(『WILL』2021年9月号)


言論界を動かす地下水脈を洗い出す――自由と民主主義とナショナリズムと
  (『自ら歴史を貶める日本人』新装版まえがき、2021年9月)
そもそも「自由」を脅かすものは一体何か――日本学術会議問題の迷走
  (産経新聞【正論】2020年11月19日)
私が高市早苗氏を支持する理由(産経新聞【正論】2021年9月17日)


安倍晋三と国家の命運(『正論』2020年7月号)
「移民国家宣言」に呆然とする(産経新聞【正論】2018年12月13日)
日本国民は何かを深く諦めている(産経新聞【正論】2018年9月7日)
保守の立場から保守政権批判の声をあげよ(産経新聞【正論】2017年8月18日)


二つの病理――韓国の「反日」と日本の「平和主義」
 〔前編〕(『Hanada』2020年3月号)
 〔後編〕(「問われているのは日本人の意志」『国家の行方』産経新聞出版、2020年2月刊、一部改変)
朝鮮は日本とはまったく異なる宗教社会である(『諸君!』2003年7月号)


中国は二〇二〇年代に反転攻勢から鎖国に向かう(2020年4月5~11日執筆、『正論』2020年6月号)
日本とアメリカは現代中国に「アヘン戦争」を仕掛けている
 ――本来中国は鎖国文明である (『VOICE』2007年12月号)
歴史の古さからくる中国の優越には理由がない(産経新聞【正論】2011年1月12日)
中国に対する悠然たる優位が見えない日本人(『正論』2012年11月号)
「反日」は日本人の心の問題(『言志』14号、日本文化チャンネル桜、2013年10月)


「なぜわれわれはアメリカと戦争をしたのか」ではなく、「なぜアメリカは日本と戦争をしたのか」と問うてこそ見えてくる歴史の真実(『正論』2011年12月号、改題)
今の日本は具体的にアメリカに何をどの程度依存しているか(産経新聞【正論】2016年6月10日)
ありがとうアメリカ、さようならアメリカ(『VOICE』2012年6月号)


二つの世界大戦と日本の孤独(『諸君!』2007年7月号/同年5月中旬執筆)


上皇陛下が天皇をご退位あそばされる頃合いに、
「陛下、あまねく国民に平安をお与えください」と私は申し上げました。
 ――あの戦争は何であったかを、私も陛下の同世代として生涯くりかえし問い続けてきたのです。(別冊正論33『靖国神社創立150年――英霊と天皇御神拝』2018年12月13日、産経新聞社)

あとがき

一 日本よ、生存本能を復活堅持せよ

トランプ大統領の日米安保不公平論に反応できぬ日本

 体系的、構造的に論ずることはできないので、気になった順、印象に残った順に紹介していこう。最も印象的であり、最も私が大事だと思うのは、日本よ、生きる意志があるのか、生きる意志を復活させ堅持せよ、という西尾氏の声である。2011年以降、特に2016年以降、ほとんど月刊誌を読まなくなったから、西尾氏の文章を読むことはほぼなくなったが、昔から氏の文章を読んだとき、言葉に明確に表されていてもいなくてもいつも感じてきたのは、日本よ生存の意志を持て、という叫びだった。

 この叫びが最も表されていると感じたのが、《二つの病理――韓国の「反日」と日本の「平和主義」〔後編〕》(「問われているのは日本人の意志」『国家の行方』産経新聞出版、2020年2月刊、一部改変)を読んだ時だった。

 この論考は、トランプ大統領が唱えた日米安保不公平論の紹介から始まる。トランプ氏は、2019年6月28日~29日、G20大阪サミットの直前に、次のように不満を述べた。西尾氏の文章から引いておこう。

  日本が攻撃を受けたらアメリカは参戦し、たとえ第三次世界大戦を引き起こすことになるとしても戦わなければならない。それに反し、アメリカが攻撃を受けた場合に日本は戦わなくてもよく、ソニーのテレビで戦争を眺めていればいいのだ、これは不公平だ、と彼らしい独特の言い回しで批判を述べた。率直かつストレートな表明で、語られた内容に疑問の余地はない。        144頁

 ところが、トランプ大統領の問い掛けに、日本のマスコミでは誰も正直に反応しなかった。「日本の青年は安全地帯にいて、アメリカの青年は血を流して良い、という前提に立ついっさいの議論はもう通らない」(145頁)と日本側もわかっているにもかかわらずである。

  反応しなかったのは、政界も同じである。「大統領は安倍晋三首相に再三再四にわたり、『安保不公平論』について語っていたと伝えられる」(同)。だが、日本の政治家は誰一人提起された問題を本気で取り上げなかった。安倍首相も同じだった。こんなチャンスはないのに、安倍首相はトランプの問題提起をふまえて9条改正論議をしようとはしなかった。9条②項を削除するか、解釈を変更して自衛戦力を肯定する方向に世論を持っていくチャンスだったのに、全くそのチャンスは生かされなかった。

自民党の右側に立つ政党を

  なぜ、安倍首相は、このチャンスを生かせなかったのか。安倍氏自身の問題もあるが、諸外国の例を参考にすれば、自民党という名の「保守政党」の右側に立つ政党が存在しないことが一番の原因であろう。かつて、一時期、次世代の党という保守政党があったが、この政党が十分に根を下ろさないうちに潰したのが、安倍氏による2014年の解散総選挙であった。この選挙で次世代の党は事実上壊滅し、自民党という、実質的には半ば左翼リベラルの政党が一番右側に位置する体制が継続しているわけである。

話しが少しずれたが、西尾氏は、次のように自民党の右側に立つ政党の不在を嘆いている。

 かくて私は、自由民主党の右側にかつての民社党のように筋の通った批判勢力が結集されなければこの国は救われないだろう、と臍を噬む思いで溜息を洩らしつつ事態の動きを深刻に見つづけているのである。            149頁

 同じことは、《保守の立場から保守政権批判の声をあげよ》(産経新聞【正論】2017年8月18日)で、よりまとまった形で指摘されている。9条➂項加憲論というおかしな改正論が出てきたのも、結局は、かつての民社党のような自民党の右側に立つ政治勢力が存在しないからであるということが指摘されている。

生存の意志が見られない日本国家

 話しを続けよう。上記引用のように、149頁で西尾氏は、安保不公平論に日本の政界が反応できないのは自民党の右側に立つ政治勢力がないからだと述べる。そして、上記引用に続けて次のように述べている。

たった一度の敗戦が戦争を知らない次の世代の生きんとする本能まで狂わせてしまった、というのが実態かもしれない。何としても生きなければならない、という自己保存の本能が消えてしまったとは思いたくないが、今日本はほとんど丸裸で、ミサイルを向けられると学校の子供たちが机の下に隠れるようにと防空訓練を発令する軍事的幼稚さ、非現実的内閣府通達が正気で出されたつい一年ほど前の出来事をうそ寒いことと痛感している。

 先手を打つ敵基地攻撃以外に、ミサイルから身を守る方法はないのである。たった一度の敗戦で立ち竦んでしまうほど日本民族は生命力の希薄な国民だったのだろうか。 149~150頁

 この文章に続けて、氏は、2003年8月26日産経新聞のコラム「正論」で記した文章を引用する。

「一つの有機体が衰微するときには、変化は内からも外からも忍び寄る。リンゴの芯も、腐る頃には、外皮もしなび、ひきつっている。国家も有機体である。内はシーンと静まり返って、死んだように動かない。そうなると、外から近づくものの気配にも気づかない。」 150頁

 この文章は、私には印象的である。2003年時よりも「外から近づくものの気配に」気付く人は格段に増えている。だが、全体を俯瞰すると、日本という有機体は「リンゴの芯も、腐る頃には、外皮もしなび、ひきつっている」状態に見えるし、「内はシーンと静まり返って、死んだように動かない」。内部で動きはあるのだろうが、いかにも弱弱しいし、そもそも動き始めている人の数が少ない。私の印象だが、全体としては、何ら生存の意志を示せないまま、自滅に向っているように見える。

 生存の意志、「何としても生き残ってやる」という想いは、日本の現状からは見えてこない。そもそも諸外国と異なり「核シェルターへの用意がほとんどなされていない」(156頁)し、防毒マスクや解毒剤が売られていない。私流に言えば、「日本国憲法」前文の思想のままに、諸外国に「日本人よ、お前たちは侵略と植民地支配に関する反省が足りないから、殺します」と言われれば、本当は殺されたくないのに何もできずに殺されてしまうような精神状態に、日本人は陥っているのではないかと思われるのである。

生きんとする意志を持とう

  私流の言い方はともかく、生存の意志が見えてこない現状をふまえて、西尾氏は、この論考を「生きんとする意志」という小見出しの下、次のように締めている。

  憲法第九条にこだわったたった一つの日本人の認識上の過ち、国際社会を感傷的に美化することを道徳の一種とみなした余りにも愚かで閉ざされた日本型平和主義の行き着くところは、生きんとする意志を捨てた単純な自殺行為にすぎなかったことをついに証拠立てている。                     168頁

 「たった一つ」という言い方には引っかかるが、言わんとすることは心から同感する。「国際社会を感傷的に美化することを道徳の一種とみなした余りにも愚かで閉ざされた日本型平和主義」を育ててきたのは、戦後日本の憲法学や国際法学、政治学でもあるが、それ以上に公民教育である。この日本型平和主義は、昭和20年代に強力に推し進められたのだが、平成に入って再び強くなり、とりわけ、グローバリズム万歳を強力に説く平成20年版学習指導要領が出て以降、ますます強くなっている。多少脱線して言えば、この延長上にヘイト法があり、昨年末の外国人に住民投票権を無条件に与えんとした武蔵野市住民投票条例問題があるのである。

 ともかく、生きんとする意志自体を問題の俎上に上げ、日本よ、生きる意志をもてと言い続けている西尾氏の声を、日本人全体が受け止めるべきであろう。

二 日本は普通の戦争をしただけだ、自虐史観からの脱却を

 なぜ、日本人は、生存の意志を示せないのか。それには、二つの理由がある。一つは、もちろん、東京裁判史観を学校教育やテレビ・新聞により、繰り返し注入されてきたからである。もう一つは、学者も含めて国民の多数が国家論を全く学んでこなかった結果、国家が国防という役割を持っていること、自衛権とはどういうものかということをきちんと理解していないことである。この二つの理由と相まって、「つくる会」は『新しい歴史教科書』と『新しい公民教科書』を出し続けている。『新しい歴史教科書』を通じて歴史教育を、『新しい公民教科書』を通じて公民教育を改善しようと試みているわけである。

韓国の反日の意味――繰り返し繰り返し日本人は韓国の言うことを聞け

 西尾氏は、一つ目の理由に関連した言論を本書で展開している。その中で特に面白かったのは、韓国の反日思想、反日運動に関する見解である。それは、まず《二つの病理――韓国の「反日」と日本の「平和主義」〔前編〕》(『Hanada』2020年3月号)に見られる。

 氏によれば、「文筆家の仲間を陰で批評するとき、『あの人は自分の背中が見えていない』という言い方をすることがよくある。文筆家同士でなくても、普通の社会人同士でも通用するものの言い方だ」(134頁)という。

 「自分の背中が見えていない」人とはどういうものか。氏によれば、彼らは自分が評価されない理由をすべて自分の外に求め、評価する側が間違っていると考える。彼らは、自分の力不足が見えておらず、うまくいかない原因を他者に転嫁したがる。要するに、自分の周りの現実が見えていない人である。韓国人は、この「自分の背中が見えていない」人に当てはまるのではないかと氏は言う。

 そして、西尾氏は、呉善花氏による韓国人分析を、次のように紹介し、賛意を表している。

「でたらめな基準で生きている日本人は、真の価値が理解できないからいつも頭を叩いておかないと何をするか分からない、と韓国人は考える。すぐ日本人は考えを変えてしまう。常にきちんと教え込んでおかないといけないのだ。韓国人の言うところの歴史認識とはこれであった。双方の国民がそれぞれ意見を主張しあって互いに歩み寄るというようなものでは決してないのである。日本人がやることは韓国が主張するものを受け取るだけ。反論や異論などとんでもない。繰り返し繰り返し韓国の言うことを日本人は心して聞けという、ということなんです」 138~139頁

  傍線部にはびっくりした。韓国人の考え方がこういうものだとすると、黙って見送る以外に方法はない。お互いに主張し交渉し歩み寄るというスタイルはとりようがない。「日本人はすべてを承知したうえで、拒絶するものは拒絶する。そして付け加えて言うならば、許容と拒絶の境い目は相手が決めるのではなく、自分なりに予め決めておくべきなのだ」(141頁)ということになるのであろうか。

不幸せな史官という存在

 次に《朝鮮は日本とはまったく異なる宗教社会である》(『諸君!』2003年7月号)という論文に見られる。この論文では、最初に、中国の史官のことが語られる。史官の仕事とは「事実を事実として枉げずに率直に記す。危険を冒してもそれをやる」(175頁)ことである。それゆえ、史官といえば、『春秋』をまとめた孔子も、『史記』を作った司馬遷も、『漢書』の班固も、皆、不遇のうちに死んだ。他の史書の書き手も、ほとんどが不幸な目に遭っている。

 翻って、西尾氏は、『新しい歴史教科書』を作ったころから、この論文を記した2003年頃まで、「歴史教科書運動に携わる人はみな個人的に幸せにならなければいけない」(171頁)とよく言っていたという。

 しかし、考えてみれば、「義務教育の歴史教科書は我が国では唯一の官許の『正史』」(同)である。ある意味、中学校歴史教科書の著者たちは史官である。中国の史官のように、『新しい歴史教科書』に携わる者、特に著者には幸せな生活は待っていないような感じがしないでもない。西尾氏自身、自分のことについて次のように記している。

 私自身にしてからが、教科書運動に着手した頃から、私が属する学会の人間はひとり去りふたり去りして離れていった。いつの間にかNHKから声がかからなくなり、朝日毎日の文化蘭が原稿の注文をしてこなくなった。まさか古代中国のように誅殺されることはないだろうが、静かな老年の文章道にいそしむには、余りに烈しいテーマと課題に私はなお毎日取り巻かれている。        172頁

 この史官の話や『新しい歴史教科書』関係の話をしたうえで、日本でベストセラーになった『親日派の弁明』の著者、金完燮氏が受けた苛烈な迫害について、7頁ほど割いて書かれている(172~175頁)。

韓国の反日思想の根拠――日本人は両班、中人、常民、賤民の下

 金完燮氏に対する迫害を生み出すものは韓国の反日思想であるが、その思想について、元東京銀行ソウル支店長の湯澤甲雄氏から聞いた話が紹介されている。湯澤氏によれば、韓国の旧第一銀行で職員のストが始まったが、要求をすべて入れても加藤清正が云々と言い募っていて解決しない。

 そこで調べてみると、彼らが気に入らなかったのは、能率本位で決められたオフィス内の座席配列であった。能率第一に考えて、すぐサービスのできる人をカウンター近くに、機器の近くには操作にたけた人を配置していたのだが、これが彼らには気が食わなかったのだ。それゆえ、古株は奥に、新米は外にというふうに変えたら、ストは止んだ。つまり、儒教的序列になおしたら解決したのである(180頁)。

 この身分制的な意識こそが、反日思想の根拠となっている。本書によれば、朱子学を国教とした李朝以後の時代では、両班、中人、常民、賤民の四階級があるが、日本人は、この下の奴隷階級と位置づけられていた。

 それゆえ、『明日への選択』2003年3月号所収の湯澤氏の論考によれば、韓国人は、日本人が過去に悪いことをしたから、反日意識を持つのではない。「絶対的に優越する韓国人が、絶対的に劣位の日本人に支配されたという現実が起きてしまい、自らを許しがたいと慙愧反省しつつ日本人はもっと許し難いというジレンマが反日となって噴出する」(182頁)のだという。要するに、韓国の反日思想とは、日本人差別思想からくものである。日本人が反省しても反省してもなくなるものではないのである。

 では、なぜ、日本人は絶対的に劣位の存在として位置づけられてしまうのか。日本民族の主体は半島で生きられなくなった敗残の韓民族であるとする説が、韓国の歴史学者によって唱えられているという。とすれば、韓国人は日本人の先祖であるということになり、韓国人の儒教的考え方によれば、先祖である韓国人は子孫である日本人より優位の立場に立つ。しかも、半島での敗残者であるから、さらに日本人は劣位に位置づけられて当然だということになる。両班、中人、常民、賤民の四階級の下に位置づけられて当然だ、絶対的に劣位の存在だ、という理屈になるわけである(184~185頁)。

国家の格を守るために尖閣は守らなければならない

 目次に記したⅣの部分が対韓国をテーマにしたものだとするならば、Ⅴの部分は対中国をテーマにしたものである。そのうち、《中国に対する悠然たる優位が見えない日本人》(『正論』2012年11月号)で記された次の言葉が印象的であった。

 戦後の日本は経済力が国家の格を支えてきたが、逆にいえば、国家の格が経済力を支えてきたともいえるのである。尖閣はだからこそ、経済のためにも死に物ぐるいで守らなければならないのだ。                        237頁

  国家の格が経済力を支えてきたという捉え方は、言われてみれば、なるほどと思わされた。第二次大戦で手ひどい目に遭った日本とドイツが、戦後世界において経済大国となったのは、やはり、その歴史に基づくものであろう。共に軍事強国であり政治大国であった日独は、そのことを一つの遺産として国家の格を守り、経済大国になったと考えられよう。だが、尖閣という小さな領土さえも簡単に奪われてしまうようであれば、国家の格は一挙に下落し、経済も更に地盤沈下していくことになろう。

アメリカの虎の威を借る中韓

  次に、Ⅴの部分で印象的だったのは、《「反日」は日本人の心の問題》(『言志』14号、日本文化チャンネル桜、2013年10月)の中の一節である。この2013年の論文は、「アメリカの虎の威を借る中韓」という小見出しの下、次のように記している。

今の日本人にとって「反日」外国人の代表は韓国人と中国人であろう。けれども彼らはそもそも戦後の最初から親日的ではなく、その点でずっと変わらなかった。とりたてて敵意を込めた「反日」が彼らにおいて最近激化しだしたのは、アメリカの出方と関係がある。旧戦勝国アメリカがあらためてわが国に敗戦の事実を再認識させ、再占領政策を強いていると日本人が感じ始めた情勢の変化に関係がある。そして中国が同じ旧戦勝国の名でこれに同調し、韓国が戦勝国でもないのに、これに悪乗りしている状況の不当さにも関係がある。  244頁

  保守言論界では、世界的な反日言動の中心には中国がいるという議論が盛んだったが、西尾氏は、いや、むしろ米国が中心であり、中韓はアメリカの虎の威を借りているのだと言うのである。つまり、歴史戦の主敵は、対中韓、特に対韓問題を利用したアメリカ(正確にはアメリカ民主党)ということになる。だが、日本の保守政治家と言われる人たちのほとんどは、「アメリカ占領軍の歴史観をそのまま鵜呑みにしている観があり、再三失望した」(246頁)と西尾氏は言う。氏によれば、防衛問題に見識があるとみられる石破茂氏や前原誠司氏も、小泉進次郎氏や小泉純一郎氏も、弁舌力と気迫で抜群の橋下徹氏も、全員が「反日」の徒である(同)。

中韓との問題から逃避してはいけない

 このように述べたうえで、西尾氏はさらに、最近は、中韓以外のアジアの国々の親日ぶりを報告する論文や書物が目立つが、これはあまり良いことではないという。日本はいいこともやっていた、を主張したがるのは、悪いことをやっていたことを前提として認めているのである。つまり中韓の側が悪いこととして定めている内容を承認した結果なのである」(247~248頁)。

 それゆえ、日本は、対中韓の問題から逃げてはいけない。「中韓の側が悪いこととして定めている内容を承認」してはいけないのである。

「なぜアメリカは日本と戦争をしたのか」という問い

 こうして、対韓国、対中国の問題は、対アメリカの問題に行きつく。Ⅵ、Ⅶ、Ⅷでは、対アメリカ問題が論じられていく。Ⅵの初っ端の論文は、「なぜわれわれはアメリカと戦争をしたのか」ではなく、「なぜアメリカは日本と戦争をしたのか」と問うてこそ見えてくる歴史の真実(『正論』2011年12月号、改題)である。

 戦後の日本人は、「なぜわれわれはアメリカと戦争をしたのか」という問題設定ばかりしてきた。その結果、「あの戦争を日本の犯罪という人はさすがに少なくなった」(250頁)が、ほとんどの人が日本の失敗だと考えてきた。

 だが、本当にそうか。「日本の失敗ではなくて、アメリカの失敗ではないか」。「アメリカの歴史に過失があり、歪みがあり、それが原因で日本はとんでもない迷惑、大被害を蒙った」のではないか。「アメリカが自分の都合で太平洋に進出し、日本との戦争を組み立て、日本を襲撃したと考える見方があってよいのではなかろうか」(同)。

 このように問題設定したうえで、西尾氏は、アメリカ史と世界史の流れを追いかけ、次のような結論、というよりも仮結論に至っている。
 
 私は先にアメリカは膨張国家だと書いた。しかしその膨張の仕方はロシアともイギリスとも中国とも異なる。アメリカは本当は膨張する必要がないのに、建国の理念、宗教的に自らを「正義」の民とするイデオロギーのために膨張せざるを得なくなっているのではないかとの疑念に襲われることがある。もちろんそこにもうひとつ資本の論理が重なってくる。       263頁

 「疑念」という書き方であるから、この2011年の論文では仮結論に過ぎないであろうが、これより後の論考を読むと、本当は膨張する必要がないのに膨張したという捉え方は、西尾氏の中で強固に存在するように思えた。

 結論か仮結論かはともかくとして、「なぜアメリカは日本と戦争をしたのか」という問いかけをして物事を見ていくと、アメリカの不正義、アメリカの出鱈目さがよく見えてくることになる。この見方をすることによって、西尾氏は、アメリカの押し付けてくる東京裁判史観から脱却し、日本は普通の自衛戦争を戦っただけだ、ナチス・ドイツのような「人道の罪」は全く犯していないと自信を持って主張することができるわけである。

アメリカと三年半も戦争できたことは成功だった

 そして、「あとがき」では、膨張する必要がないのに膨張してきたアメリカと戦ったことを明確に、前向きに肯定している。氏は、次のように日米戦争について記している。

 日本の船出は成功でした。第一、アメリカと三年半も戦争ができた。しかも襲い掛かってきた苦難を敗北主義ではなく、敢然と受けて立ち排除しようとして敗れたのであり、これには悔いはないのです。ほかに手段もなかったのです。戦争を引き受けないでいたら、戦後のみじめさは倍加して何もしなかった国家に襲いかかってきたでしょう。戦ったゆえに尊敬もされ、決して屈辱と敗北主義の濡れ衣だけで日本が沈んでしまったわけではない。その日本再興の目は、アメリカが力を衰弱させている今、そして中国が目茶苦茶な国であることがわかった今、日本の戦争も再評価される時期を迎えつつあるのではないだろうか。 361頁

 このように氏は、最初の傍線部にあるように、敗戦も含めて日米戦争の遂行を前向きに捉える。そして、二番目の傍線部にあるように、日本の今後に希望を見いだしている。本書のタイトルも「日本の希望」と付けている。

三、家族、民族、国民国家、ナショナリズムの優位性

家族、民族、国民国家、ナショナリズムこそが自由と民主主義を守る

 では、なぜ、西尾氏は、希望を見いだしているのであろうか。歴史認識が変化していき、日本の戦争が再評価されるだろうという予測も一つの理由だろうが、もう一つ、より重要な理由は、国民国家やナショナリズムの方が世界連邦やグローバリズムよりも自由や民主主義を守り育てるものである、という考え方を氏がとっていることであろう。この点については、Ⅱの《言論界を動かす地下水脈を洗い出す――自由と民主主義とナショナリズムと(『自ら歴史を貶める日本人』新装版まえがき、2021年9月)で記されている。

 自由と民主主義は大切である――そこまでは大方の人の意見が一致する共通ラインかもしれない。しかし、そこから先が問題なのだ。家族、民族、国民国家、ナショナリズム―――これらが自由民主主義の敵ではなく、むしろ自由と民主主義の側にあり、各国の歴史をみても自由と民主主義を守り育ててきた母胎であると今私が言い切れば、まだ百の反論が出て来そうな雲行きであるかもしれない。けれども逆に、移民の自由、国連中心主義、世界連邦、グローバリズム―――これらこそが自由と民主主義の味方であり、民族のエゴイズムを克服して、人類が格差をなくし、永遠の世界平和を実現する高い理想の目標価値そのものにほかならない、と言い切れば、これまた首を傾げる人が限りなく現れるであろう。単に理想が高いからではなく、民族のエゴイズムを否定するそのことが人間の本性に反し、もしこれを無視して強引に人類共生の理として通そうとすれば、美しいワンワールドの名においてどこかの一民族が史上例のない新しい「帝国主義」を実現することに手を貸す以外のいかなる結果をも将来しないであろう、と想定されるからである。   58~59頁

 このように氏は、家族、民族、国民国家、ナショナリズムと移民の自由、国連中心主義、世界連邦、グローバリズムとを対比させているが、明らかに氏の立場は前者の側を支持するものである。

グローバリズムは自由と民主主義の敵対者である

 しかも、世界の動きを見ると、国民国家やナショナリズムの方がグローバリズムよりも自由と民主主義を守るものだとする見方が広がっていっていると氏は捉える。次のように述べている。

おそらく十~十五年ほど前まで、あるいは人によっては最近まで、家族、民族、国民国家、ナショナリズムと並べ立てられたら、否定的概念の連鎖として次に起こるのは独裁主義、全体主義、ファシズム、帝国主義、そして戦争の誘発というふうに相次いでネガティブな言葉が口を継いで出てきたのであろう。そういう鸚鵡返しの思考訓練が学校教育と新聞テレビ等のメディアによって国家内部においてほとんど無意識の自動運動として行われてきたからである。しかし、世界の動きを冷静に見ている者の目に、全体主義や帝国主義を引き起こす主体はナショナリズムではなく、むしろ国境の壁を低くする運動に端を発したグローバリズムの方だと考えられるようになってきている。       64~65頁

 グローバリズムは、家族、民族、国民国家を解体しようとしているし、当然、特に欧米や日本のナショナリズムも否定する。そして、この論文で氏も述べているように、グローバリズムの担い手である国際金融資本も中国共産党も「選挙の洗礼を受けずに人民や国民を支配している」(66頁)し、国際金融資本が支持する米国のバイデン政権は、自由と民主主義の原則を無視して大規模な不正選挙によって、その権力を手にした。明らかに、グローバリズムは自由と民主主義の敵対者になっているのである。

 以上、本書を、生存本能、自虐史観からの脱却、家族、民族、国民国家、という三つの問題に焦点を当てて紹介するとともに、特に印象に残ったこと、思ったことなどを記してきた。誤読などあれば、御寛恕をお願いしたい。

 転載自由

令和四年 元旦

賀正

 自由と民主主義と国土の安全は、我が国では戦後長らく空気や水のように当たり前の存在でした。ところがそう呑気に構えていいのかという不安を最近気にしだしている。それは日本の国内がナショナリズムの熱狂に走ったり、帝国主義化したりする心配ではなく、すべて外国の異常からくる。

 例えば米国国内の信じがたい分断や分裂、中国の時節をわきまえぬ軍国主義化。ソ連が崩壊してから国家を超える連邦の理想は終わったはずなのに、この夢は欧州に乗り移り、国境を低くするというグローバリズムの幻想が生じ、他方、中国が一帯一路の名で経済帝国主義の挙に出た。同時に移民の大波が世界を襲った。だから危険なのは国家ではない。国家の連合である。グローバリズムの行き過ぎた応用の仕方である。

 私は昨年末に『日本の希望』(徳間書店刊)という単行本を出した。そこに家族、民族、国民国家、ナショナリズムはいまや自由と民主主義の敵ではなく、むしろその味方であり、これを守り育ててきた母体ですらあると書いた。日本を取り巻く世界の情勢はいまや明治の開国期に似ていて、何となく「我に利あり」という印象を持っている。

令和四年元旦                 西尾幹二