原発という人質
前にも書いたが、政治、経済、軍事、外交の四輪がバランスよく揃ってはじめて車は前へ進む。今までの日本のように、経済の車輪が一つだけ異常に大き過ぎると、車は前へつんのめって倒れてしまいそうになる。そこで、アメリカが後からジャッキで持ち上げて押してくれるので何とか前へ進む。アメリカは代償に、堂々と大きな車輪から取り分を取って、いつまでも半永久的に、おとなしくて便利で可愛い三輪車のままにしておこうとしている。
原発は、日本を抑えこむとても便利な手段のひとつであった。何にしろ、罪がなくても罪があるように言い立てることでおとなしくさせることができる。IAEAの代表者が日本人であることは、黒人のなかから黒人の働く農場の監督が選ばれるのと同じようなことである。
日本は七十発くらいのレベルの高い核弾頭を原潜に乗せて太平洋を遊弋させる程度のことで、戦争をしかけてくる国をなくすことができる。五千発分のプルトニウムは要らない。そんなもののために国内が汚されるのは迷惑である。アメリカの「核の傘」の信頼性を信じている日本人は、今ではおそらくひとりもいないだろう。
まだアメリカは太平洋の制覇を捨てる気はないが、2015─16年頃を境に、軍事予算を急激に減らさざるを得ない財政状態にあることはよく知られている。アメリカに善意があっても、頼れないという現実は近付いている。
自民党の故中川昭一氏が北朝鮮の核実験に際して、わが国も核武装について議論を開始しようと言ったら、ライス国務長官(当時)がすぐ飛んで来て、日本はアメリカの「核の傘」に守られているから安心しなさい、とわざわざ言いに来た。ブッシュ元大統領は、「中国が心配する」と同盟国の名を間違えるようなことを言った。そして、国内でも議論沸騰し、新聞もテレビも日本の核武装を──主として否定的に──論じ合った。そのなかで、自民党の石破茂氏が核武装などとんでもないとテレビで反論したが、そのときこう言った。
「もし日本が核武装したいと言ったら、ウランを売ってくれなくなり、プルトニウムの濃縮もしてくれなくなり、原子力発電はたちまち止まって、わが国の産業は壊滅してしまうだろう」
私はこのことは今でも忘れない。なるほど、原発という人質を取られているのだな、と、そのときひとり合点したのを覚えている。
いまでも石破氏と同じような言葉で脱原発なんてあり得ない。太陽光や風力などをいくらやっても日本の産業力を支えるなんてことはとても無理だ、と言い立てる人は必ずいる。それに、中国やインドや新興国が原発に向かっているので、原発を持たない日本が中国の後塵を拝することになるのは耐えられない、と叫ぶ人も現にいた。保守派はたいていこういう調子のもの言いをするが、中国の風力発電が急成長を遂げているのを知ってのことだろうか。
中国の原子力はまだ二パーセント程度だが、風力発電の伸びは目を見はるばかりで、原発二十~三十基分の電力を作り出し、世界一に躍り出ている。2020年には原発百基分を風力で賄う計画だというが、話半分に聞いてもありそうなことで、この国が世界の動向をしっかり見ている証拠だ。
アメリカもイギリスもドイツも風力に力を入れはじめ、日本の企業がいち早く手を伸ばしているのは洋上風力発電である。三菱電機、伊藤忠商事、住友商事が次々と世界最大級の風力発電に参画しはじめている。日本がやらないから、日本の企業は世界の他の国に手を伸ばす。日本人の知恵と技術が外国の安全と富のために役立つのはいいとして、その分だけ日本が立ち遅れてしまうのは変な話ではないか。
それに、原発推進派に申し上げておきたいが、原発は漸次縮小するほかない明確な理由が日本の国内事情のうちにある。原子力の研究者や技術者がどんどんいなくなっている。東大工学部原子力工学科はすでに存在しない。私が先に日本型「和」の病理の温床と見た学科は、鉱山学科と統合されてなくなってしまったらしい。それはいいとして、今度の事故より以前に、原子力専攻学生が急減し、文部科学省は危機感を募らせている。原発作業員の不足はすでに警告されているが、秀れた研究者や技術者の減少は、これから残った原発を安全に維持管理するうえでも不安要因となっている。
それに、原料のウランが世界で底をつきはじめている。天然ガスや石油のほうが、はるかに長持ちする埋蔵量を誇っている。脱原発は世界のあらゆる国が正視している現実である。日本は増殖炉だのプルサーマルなどと危険な空想を弄んでいるひまはもうないはずなのだ。
了