『GHQ焚書図書開封 3』の刊行

GHQ焚書図書開封3 GHQ焚書図書開封3
(2009/10/31)
西尾幹二

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 少し刊行がおくれた。すでに「4」が半分ほど出来あがっているのである。どんどん後を追いかけて進行している。

 「3」はとても詠み易い内容になった。そのわけは冒頭の「はじめに」に次のように書かれていることから察していただきたい。

はじめに

 『GHQ焚書図書開封 3』は今までとがらっと様相を変えて、歴史の記録ではなく、昭和の戦争時代における日本人の心を直(じか)に扱うことにしました。心を直に扱うなんてできない話で、ここで言う意味は要するに、あの時代にどんな気持ちで人が生きていたかが伝わる体験記や物語を取り揃えてみたということです。具体的で読みやすく、分かりやすい文章が並ぶ結果になりました。私自身が思わず涙ぐんでしまった母と子のシーンもあるし、敵の城砦を落としてよくやった、と私までが万歳を叫んでしまったシーンもあります。戦後まったく知らされなかった新事実、奇談、珍談の類いもあります。これらは戦後になって回想された反省の文章ではありません。あの時代の人間があの時代のことを語った率直な生活感覚、というより生死へのきわどい思いが綴られた文章で、今読んでも切実さは、哀感を伴って伝わってきます。

 どうかどんな理屈も予備知識もなしで、以下の文章に、黙って素直に入って行っていただきたい。自分があの時代の人間になり切った経験をきっと手にすることができるでしょう。それが言葉の正確な意味で歴史を経験するということになるのだと思います。

 目次は次のようになっている。

 目次

章  戦場が日常であったあの時代

章  戦場の生死と「銃後」の心

章  空の少年兵と母

章  開戦直後に真珠湾のそばをすり抜け帰国した日本商船

章  中国兵が語った「日中戦争」最前線

章   匪賊になって生き延びた中国逃亡兵

章  忘れられている日本軍部隊内の「人情」

章  菊池寛の消された名著『大衆明治史』(一)

章  菊池寛の消された名著『大衆明治史』(二)

章  「侵略」や「侵略戦争」の語はいつ誰によって使われだしたのか 
     溝口郁夫

あとがきに代えて――平成二十一年夏のテレビに見る「戦争」の扱い

 ご覧の通り第十章を溝口郁夫氏に分担していたゞいた。氏は焚書7000冊余の全データをパソコンにとりこみ、数多くの有益な発見を示唆してくれたが、それだけでなく、章題に示したような歴史的解明をも試み成功している。

 溝口氏は昭和20年生れ、北海道大学工学部出身のエンジニアで、新日鉄を定年までお勤めになった、いわば戦後日本の繁栄を支えたお一人である。氏がなぜ現代史に関心をもつようになったかのわけも本書あとがきに記されている。篤実な人生を歩んだ方の晩年における愛国の思い、日本の歴史を歪める者への秘かな憤りには胸をうたれるものがある。

 本書は日経、読売、産経にそれぞれ広告が出た直後なので、いま丁度書店の店頭でお手に入れやすいはずである。以上ご案内する。

『決定版 国民の歴史』の加筆された新稿から(二)

 出版後数年にもわたり歴史学者たちから反論や批判が相次いで、わざわざそのために誹謗本を書く人までが何人も現れたのには驚きましたが、それは『国民の歴史』にとって名誉なことであり、どうぞもっと激しくやってくださいという気持ちでした。私を当時落着かなくさせたのはむしろこの本の評価でした。心外に思ったことが二つほどあります。広告文面などに日本人の誇りを確立させるために書かれた本だ、というような文言が飛び交っていたことでした。

 日本人に誇りを与えるとか自虐史観に打ち克つとか、そんな言葉が当時流行っていて、一緒にされるのは迷惑だなと思いました。私でなくても誰であろうと、簡単な心理的動機で大きな本を書くことはできません。

 もうひとつ心外だったのは、戦後の歴史観に挑戦している本だというような言葉遣いです。これは広くこの本に与えられた通説でした。しかし違うのです。私の目的はもっと大きいのに、なぜ読み取れないのか、と不満に思いました。

 上巻付論「自画像を描けない日本人」に書いた通り、「日本から見た世界史のなかに置かれた日本史」が私の構想であり、私がそれを実現したと言っているつもりはなく、そのための試論、基礎的理念の提供の書であることが本書の狙いでした。

 戦後の歴史観の否定というのは大きな目的のうちの一部にほかなりません。自分にとって不本意な言葉が飛び交っていることに落着かない思いを抱くのはどの著者でも同じでしょう。

下巻付論「『国民の歴史』という本の歴史」より

 

 地球上のありとあらゆる民族の興亡の歴史を念頭に置いた場合、この列島の住人の歴史は比較相対的にみて、一言語・一民族・一国家の特性を示していると言ってもさほど間違いではないのではないかと私は考えます。七世紀半ばという日本の国家的自覚は、ヨーロッパの各国より七百年ほど古く、ヨーロッパの「契約国家」とは異なり、いわば「自然発生国家」でした。長い未完成な国家以前の国家の経過を前提としています。もちろん厳密なことをいえば網野善彦氏が言う通り「列島全域をおおった国家」ではなかったでしょうが、だから「日本」はまるきり存在しなかったと目鯨を立てるのは、比較相対的にみて、大雑把にいってそう言えるという物事を判断する際の「常識」に反します。

 加えて、網野氏は『「日本」とは何か』の第三章で、「日本」という国号は中国から見て東の方向を指す意味であり、中国という「大帝国を強く意識しつつ、自らを小帝国として対抗しようとしたヤマトの支配者の姿勢をよくうかがうことができる」といい、「唐帝国にとらわれた国号であり、真の意味で自らの足で立った自立とはいい難い」と述べ、この国号を大嫌いと言った江戸の国家神道家の例を挙げて、「日本」という国号に思う存分に罵言誹謗を浴びせた気になっています。

 しかし何というわからず屋の無知蒙昧のご仁でしょう。古代のわが国が大陸の大文明にとらわれた時代から国の歩みを始めたことは自明であって、それは不幸でも敗北でもありません。大文明から少しずつ独立に向かった歴史の歩みこそが貴重であり、創造的です。独立への心をやれ空威張りだとか、やれ対抗心にとらわれているとかいって嘲ける網野氏のような人間の存在こそが不幸であり、敗北なのです。

 そもそも「真の意味で自らの足で立った自立」を達成した国など何処にもありません。中国の各王朝も治乱興亡の歴史の波間にあり、近代西洋の各国もまた同様です。しかし本書の読者にはもうこれ以上申し上げる必要はないでしょう。「日本」にとらわれているのはむしろ網野氏や同類の日本史学者たちであって、『国民の歴史』はこのうえもなく広大な視野で、文明の興亡を展望し、わが国の歩みをその中に位置づけるべきとした新しい歴史記述のための試論を心掛けたのでした。日本史学者の視野の狭さにはほとほと手を焼きました。通説となっている極西(ヨーロッパ)と極東(日本)の相似性と同時勃興の歴史に関する基礎知識さえ彼らは持っていません。世界史のことは何も知らないのです。言語学や哲学や神話学など他の学問分野のことも何も知らないのが日本史の学者たちです。

下巻付論「『国民の歴史』という本の歴史」より

 さて、『国民の歴史』の方法論の一つが「比較」にあることは前に述べましたが、もう一つの特色として私が多少の自負をもっているのはどのテーマも可能な限り「根源」を目指していることです。縄文土器文明、日本語の起源、中国と日本の王権、中国の文書主義、古代専制国家、儒家と法家、世界史の概念、そして西欧の地球占有。最後のテーマは普通スペインとポルトガルを起源としますが、本書は十字軍、それも北の十字軍を示唆しています。北の十字軍からニュルンベルク裁判まで一直線につながるものがあると判断しています。

 縄文土器文明については、従来の考古学と異なり、地下層の花粉探査をはじめ数々の大規模科学調査に基づく安田喜憲氏の研究成果を知ったのは幸運でした。氏はその後も東アジア全域に調査を広げ、縄文文明の意味を確認しつづけています。

 日本語の起源問題は現代で最も信頼度の高い松本克己氏の論文に依拠しました。氏は世界言語を視野に収めた言語類型地理論の手法で、袋小路に陥った日本語系統論に、壮大で緻密な論考を展開して活路を見出してこられました。私が参考にしたのはまだ雑誌論文でしたが、平成十九年に氏の『世界言語のなかの日本語』(三省堂)が刊行され、新地平を拓きました。本書は安田喜憲氏の縄文と松本克己氏の日本語論が柱をなしたと言っても過言ではありません。

下巻付論「『国民の歴史』という本の歴史」より

 最後の一文は、私がなぜ神武東征から書き始めなかったかの根拠を示しています。しかし、神武東征を含む神話と歴史をめぐるテーマの理論分析が本書の上巻で徹底的に扱われたことは周知に属します。第6章の「神話と歴史」、第7章「魏志倭人伝は歴史資料に値しない」、第8章「王権の根拠―日本の天皇と中国の皇帝」の三つの章にわたる展開をご覧下さい。

 気になっていた第8章の文章の不分明や混迷を今度かなり修正し、整理しました。よみ易くなったはずです。

『決定版 国民の歴史』の加筆された新稿から(一)

 『決定版 国民の歴史』上巻には「まえがき 歴史とは何か」と付論「自画像を描けない日本人」、下巻には付論「『国民の歴史』という本の歴史」と「参考文献一覧」が新しい内容として追加加筆されました。全部で150枚を越える分量です。

 版元の許可を得たので、この中から面白そうな個所、大切な指摘と思われる個所を若干抜き出して二回に分けて掲示してみます。

 私たちは高い山を遠くに望みながら歩けば、角度により、近景のいかんにより、季節により、時刻により山が異なった印象を与えることを経験している。歴史はわれわれが歩くことによって異なって見える高い山の光景に似ている。

 日本史に起こった客観的な諸事実、その年代記的な諸事実は紛れもなく動かずに存在するものである。それが高い山であるとしたら、それが歴史なのではなく、歩くことで現在の私たちの目に新しい光景として映じている山の映像こそがまさに歴史である。

 本書には、葛飾北斎の富嶽三十六景の中から三枚の絵を掲示している。思い切った譬(たと)えを申し上げるなら、富士山は動かない存在、歴史上の客観的な事実である。しかしそれを知ることは誰にもできない。遠望できるだけである。北斎は現在の自分の置かれたポジションの条件を幾重にも組み替えることで、すなわち自分を相対化することで、富士の姿の絶対化を図ろうとした。それは数限りない冒険であり、知的実験であった。

 セザンヌも同様に何の変哲もない、ただの岩塊から成るサント・ヴィクトワール山を三十六枚も描いた。季節により、時刻により、山は絶え間なく変容して見えた。しかし山の形姿そのものが大きく動くわけではない。同一の山をくりかえし描くなどということは西洋美術の伝統になく、セザンヌは北斎からこの実験のヒントを得たに相違ないが、二人に共通するきわどい、執拗で大胆な試み、届き得ない不動の山に、自分をばらばらに解体させる視点の多様化で接近しようとした実験精神こそ、ほかでもない、歴史家が歴史に立ち向かう際のあるべき精神に相似した理想の比喩なのではないだろうか。

 歴史という定まった事実世界を把握することは誰にもできない。歴史に事実はない。事実に対する認識を認識することが歴史である。

 それは私たちが絶え間なく流動する現在の生をいったん遮断し、瞬間の決定を過去に投影する情熱の所産である。相対性の中での絶対の結晶化である。

 今私たちに必要なのは、日本文明を歴史の時間軸と世界の空間軸の上にのせ、全体を俯瞰し、多用な比較を介して新しく位置づけるための認識の決断である。

「まえがき 歴史とは何か」より  

 荻生徂徠という人物がいて、徹底した中国主義者でありますが、古文字に遡っていく徂徠と宣長の精神構造がよく似ているのです。宣長は徹底した日本主義者です。そして、徂徠が逆転して宣長になったとも言える。これは中国文化というものが入ってきたときの古代日本に起こった文字獲得の原初のドラマが江戸を舞台として再演されたことを意味するように思います。私が5「日本語確立への苦闘」の章で書いたあの古代史の戦い、古代日本人が中国語を学んで、さいごに中国語の文字だけを利用して日本語を確立したというドラマが江戸時代にもう一度繰り返されたのです。それがある意味で徂徠から宣長への逆転のドラマではなかったか。いわば言語文化ルネサンスです。

 私の『江戸のダイナミズム――古代と近代の架け橋』の中心モチーフがまさにこれでした。古代の言語の再獲得は、民族の神の再認識のドラマでもあります。江戸時代の儒学というのは、学問や教養としては入ってきたけれども、儒教そのものは日本人の生活の中に入ってこなかった。朝鮮は、徹底した儒教の国です。しかし日本には儒教が生活基盤にまで入ってこないで、国学誕生の言語文化ルネサンスを引き起こし、神の国復活に役立ったことが最良の貢献であったと私は思っています。

 儒教が本当に入ってきたら、必ず科挙が入ってくるはずです。科挙が入ってきて、中国や朝鮮のような文民官僚国家が成立しているはずです。武士階級というものは成立しなかったはずです。そういうことを考えますと、江戸時代の儒学ブームというのは、民族の精神の復活劇として吟味し直す必要があると私は思っています。合理主義としての思考訓練と道徳の教本としての儒学の役割はたしかにありました。合理主義はやがて西洋のそれに取って代わられ、儒教の道徳は現代社会に生きていません。われわれは今どんどん中国文明から離れています。江戸時代の儒学の習得が生活に根ざして本物なら、こんなにかんたんに消え去ることはないでしょう。結局儒学は日本人の信仰に寄与するというまったく別の役割を補佐したのだと思います。

 大陸に対する対応は、べったりするか、距離を取るかしか方法がありませんでした。外から入って来るもう一つの足場がなかったわけですから、日本に西洋が入ってきたときには、一転して中国に対して距離を持つことができるようになったのです。

 逆に言うと、この列島には何が訪れても自分の内部が壊れることはないという例の安心感があります。一見して原理のない、規範を持たない国ですが、すべてを包括し同化し、貯蔵する巨大なタンクのような文化は現代でもなお存続しています。それが結果として、独自文化としての自己主張を、もちろん言えば言えるものがあるのに、それをあえて言わないことをもって強さとする国になっていると言っていいかもしれません。そういう構造を生み出して今日に至っているのではないかという気がします。

上巻付論「自画像を描けない日本人」より

『決定版 国民の歴史』の刊行

 10月10日にようやく『決定版 国民の歴史』(上・下)が刊行されました。文春文庫の棚は全国のほとんどすべての書店にありますので、そこにご覧のような表紙絵の文庫本が二冊横積みに置いてあるはずです。もの凄い勢いで売れた今から10年前のフィーバーよもう一度甦れ、と期待していますが、さてどうなることやら分りません。

『決定版 国民の歴史』上
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『決定版 国民の歴史』下ketteikokumin2.jpg

 過去、当日録にこの本の紹介文章を記しました。もう一度みて下さい。

 ここには目次のみを再度掲示しておきます。新たに加筆した赤文字の個所にご注目下さい。何人かの友人がこの追加部分を早くも読んで、面白いと言ってくれました。

上巻目次

 まえがき 歴史とは何か
1・・・・一文明圏としての日本列島
2・・・・時代区分について
3・・・・世界最古の縄文土器文明
4・・・・稲作文化を担ったのは弥生人ではない
5・・・・日本語確立への苦闘
6・・・・神話と歴史
7・・・・魏志倭人伝は歴史資料に値しない
8・・・・王権の根拠―日本の天皇と中国の皇帝
9・・・・漢の時代におこっていた明治維新
10・・・奈良の都は長安に似ていなかった
11・・・平安京の落日と中世ヨーロッパ
12・・・中国から離れるタイミングのよさ―遣唐使の廃止
13・・・縄文火焔土器、運慶、葛飾北斎
14・・・「世界史」はモンゴル帝国から始まった

 上巻付論 自画像を描けない日本人
――「本来的自己」の回復のために――

下巻目次

15・・・西欧の野望・地球分割計画
16・・・秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか
17・・・GODを「神」と訳した間違い
18・・・鎖国は本当にあったのか
19・・・優越していた東アジアとアヘン戦争
20・・・トルデシリャス条約、万国公法、国際連盟、ニュルンベルク裁判
21・・・西洋の革命より革命的であった明治維新
22・・・教育立国の背景
23・・・朝鮮はなぜ眠りつづけたのか
24・・・アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その一)
25・・・アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その二)
26・・・日本の戦争の孤独さ
27・・・終戦の日
28・・・日本が敗れたのは「戦後の戦争」である
29・・・大正教養主義と戦後進歩主義
30・・・冷戦の推移におどらされた自民党政治
31・・・現代日本における学問の危機
32・・・私はいま日韓問題をどう考えているか
33・・・ホロコーストと戦争犯罪
34・・・人は自由に耐えられるか
原著あとがき
参考文献一覧
下巻付論 『国民の歴史』という本の歴史

 今回「決定版」と名づけたのには幾つかの理由があります。余りにも短い時間に1700枚もの大著を書き上げたので、文章に粗い所や乱れがあり、若干の誤値もありました。それらの修正はもとより、古代史その他に研究上補説の必要な個所も生じ、かなりの書き加えも起こりました。徹底的に見直して、後顧の憂いをなくしたいと思ったのは、私の死後何十年かたってもう一回改版される可能性があるものと信じているからです。テキストの完成はそのためにどうしても必要です。

 テキストを正確にするには私の地の文の精査に心を尽くすのは当然ですが、引用文にも書き間違いや写し間違いがあってはなりません。今度文芸春秋の校閲部は数百点にのぼる多種多様な引用書の原書の引用個所にすべて当って、過ちを正し、正確を期することになりました。これには私も驚きました。約400点はある引用書の原本の8割はわが家の書庫にあります。しかし、10年たっているのでどこかの図書館を利用したり人から借りたりして、いま手元にない本も少くありません。

 日本の出版文化はなお校閲部を有する大手出版社に関する限りじつに頼りになるものだと思いました。新潮社や中央公論社で本を出したときにもほゞ同じ経験をしました。文藝春秋の編集担当者は校閲部を手助けするために、普通に手に入らない本や文献――私の自宅にはいま存在しない――をさがして図書館や他の出版社を走り回ってくれました。引用文の正誤を正すためにたった一冊も見逃すまいとしてです。それは血のにじむ努力で、しかも誰も気がつかない目立たぬ努力です。

 文藝春秋と扶桑社とでは出版に対する心がけがまるで違います。扶桑社には校閲部がありません。だから誤植の多い本を平気で出します。その他でも、校閲部のない出版社はざらにあります。「決定版」はやはり文芸春秋レベルでないと出版できないことを確認しました。

 もとより私の『江戸のダイナミズム』のときの同社の校閲班の努力はこの比ではありませんでした。今思うと、不景気の時代によくあんな規模の本を出してもらえたものと思います。

 『国民の歴史』に引用した本の8割は私の書庫に所在しますが、10年経って、どこの位置にあるか書庫は広いし混乱しているのですでに分らなくなっていました。かりに本を見つけても、引用個所がどのページだったか忘れていて、これまた捜すのに一苦労です。一日、担当編集者と共同で作業し、本の必要個所をみつけてコピーし、コピーを校閲部に運んでもらう準備をしましたが、一日では足りませんでした。

 そんなわけで書庫をかき回す作業が何日もつづきました。次第に10年前の熱闘の記憶が甦りました。忘れかけていた内容、読みかけのテーマ、追求途中で放棄した課題――古代から現代に及ぶ日本史・中国史・西洋史のさまざまな問題が心の中に復活し、そうだ、もう一度しっかり勉強し直そうという気にもなってきました。

 『決定版 国民の歴史』の下巻に、「参考文献一覧」が小さい字で12ページにわたりびっしり、各章ごとに分けて提示されています。これはこの新版の新しい特徴です。私はこの文献一覧を作成するために大学ノートを用意し、混乱した書庫を整理してから各種各様の本を読んだり、閉じたり、思案したりしつつ、新しい分類表をつくりました。これは楽しい作業でした。また次への新しい仕事のプランが湧き出てくる心躍る充実した時間でもありました。

 いかに世界には私の思い及ばない知らないことが多いか。この歳までいかに学ぼうとして学び得ないできたか。文章を書くよりも、もっとたくさん読まなければいけない。書くことには時間を要し、つい学ぶことが疎かになる。いつもその反省が私を苦しめます。あまりたくさん書く仕事をしない学者は、私よりもよく勉強し、多くをよく知っている。その事実もたしかにあって、私を焦らせてきました。

 今年の6月と7月は書庫をかき回して必死でした。心に惑いが生じ、不安が芽生え、勇気も湧いてきました。「参考文献一覧」はとても思いの多い仕事となりました。読者の利便に供しただけでなく、読者の興味をも十分にそそる書名と著者名の開示になっているように思えます。ぜひ注目して読んでいたゞきたい。

 しかも普通の参考文献表と違って、ところどころに私の自由なコメントが入っていて、型破りであり、担当編集者をこの点でも面白がらせました。

 上下巻についている各付論とまえがきは併せて150枚はあり、当然語るべきことはたくさんありますが、これは読んで頂くしかありません。今日は普通には目立たない「参考文献一覧」について、あえて一言しました。

『「権力の不在」は国を滅ぼす』

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 新刊の拙著『「権力の不在」は国を滅ぼす』(WAC刊 ¥1524円+税)は8月8日に店頭発売となります。「あとがき」の全文を掲示します。この本の主題はここに集約されています。

 あとがき

 本書で私は皇室問題を論点の一つに揚げていますが、最近もひきつづきマスコミが取り上げている雅子妃殿下のご進退をめぐるテーマが、本書の追及する皇室問題では必ずしもありません。それは昨年上梓した『皇太子さまへの御忠言』(ワック)でほぼ言い尽くしております。

 本書ではまだ不十分なかたちで言及しただけですが、天皇と戦争の関係をあらためて問い直す必要を唱えています。Ⅰ部第1章「危機に立つ保守」とⅡ部第3章「国家権力が消えてなくなった」に、今まで私が踏みこまなかった新しい論題への言及があります。

 今上陛下が本年四月八日のご結婚五十周年の記念の記者会見で述べられたように、象徴としての天皇のあり方は日本の歴史に反するものではもとよりなく、むしろそれに沿うものでしょう。昔から皇室は権力ではなく、権威でした。権力に逆らわず、権力に守られ、静かに権力を超える存在です。しかし、権力のない国家はあり得ない、というのもまたもう一方の真実です。権力がしっかり実在していて、権威が心棒として安定しているときに、この国はうまく回転します。

 そこまでは分かり易いのですが、「権力を握ってきた武家」が昭和二十年以来アメリカであること、しかも冷戦が終わった平成の御代にその「武家」が乱調ぎみになって、近頃では相当に利己的である、という情勢の急激な変化にどう対応するかを無視して、皇室問題を考えることは今ではできなくなってきました。冷戦時代には、世界のあらゆる国が米ソのいずれか一方に従属していましたから、日本の対米従属は目立ちませんでした。しかし今はこの点は世界中から異常視されています。

 北朝鮮からは舐められ、韓国からは侮られ、中国から脅されるような日本の今の危うさは、昭和の御代にはありませんでした。すべて平成になってからの出来事です。平成につづく次の時代にはさらに具体的で、大きな危険が迫ってくると思います。

 戦後左翼は軍部による統帥権の干犯ということを今次大戦の最大の問題とし、昭和天皇の戦争責任を問うてきました。保守側は軍部の独走を同様にやはり非難する代わりに、天皇は立憲君主の制限枠を守られて責任はなく、一貫して平和主義者であられたと弁護にこれつとめてきました。私はどちらの見方にも反対です。あの戦争を否定してしまうから、この無理な二つのいずれかの見方になるのです。

 私は保守側が天皇の戦争責任を左翼とは違った見地から問い直す時代が来たと考えます。昭和天皇は責任がなかったのではなく、責任を立派にお果たしになったのです。

 憲法九条の改正が喫緊の課題として今や国民の大多数の常識になっていますが、それなら統帥権(軍権)は誰の手に委ねられるべきなのでしょうか。日本国家は将来「宣戦布告」を誰の名において行うべきなのでしょうか。この肝心な一点を考えないで置いて、憲法改正もないではありませんか。

 右の問題追及と新しい認識の確立は、今上陛下がその望ましいあり方を求めてこられたという「象徴」天皇の憲法規定と矛盾するものではありません。また両陛下がすでにサイパンを訪れて戦没者の霊を慰め、今後東南アジアの戦場を訪れたいと仰せになっている追悼の意志とも、いささかも相反するものではありません。

 ところが陛下のご意向、憲法への思いや慰霊行脚を口実にして、これを政治利用する人が早くも出てきました。保阪正康氏は講談社の『本』(2009年6月号)で「平和勢力としての天皇」というエッセイを書いて、「こうした一連の行動(戦没者追悼の)や、その意味するところから考えて、私は、天皇は日本社会の最大の平和勢力ではないかとも考えるに至った。平和勢力という言い方はいささ固苦しいイメージを与えるにせよ、この天皇・皇后が存在する限り、日本は戦争という手段を選ばないとの理解は、国際社会でも確立しているように思う。つまり国益につながっていると考えられるのだ。」と述べています。

 戦争という手段を封じた現行憲法が今まで辛うじて有効だったのは、日米安保条約とワンセットになっていたからにすぎません。冷戦の終結とともに、この条約は共産圏から日本を守る役割を失い、ゆっくりしたテンポで変質しつつあります。日米安保条約は今では国際社会での日本の行動の自由を拘束し、国内では、外交政策や経済構造や司法や歴史教育観などにおける日本の自律を侵害しつづけています。

 日本人は国内に五十個所も米軍基地を許し、関東南部の地上から7500メートルの空域を米軍の管制下に置かれ、戦争はしないと言いつつも米国の意のままの戦争にのみ狩り出される可能性は今後高く、自発的ないっさいの紛争処理能力を奪われる弊害は無気力な退廃を生み――拉致問題を見よ!――保阪氏が言うように「国益につながっている」と考えることなどはまったく出来ません。

 今上陛下は「平和勢力」であり、昭和天皇は「平和主義者」であるというのは一面的な見方であり、悪いのは天皇を利用して独走した旧軍部であるというのも、単純な善玉・悪玉論にすぎません。こうした偏ったものの考え方は現在の世界の現実にも、歴史の真実にも一致しません。平和という念仏を唱えつづけたい人の妄執じみた信仰にほかならないのですが、困ったことに、ものを考えない多数の人の安易さにこれは波及効果があり、しかも天皇の政治利用を絡めている悪質な手法を用いているだけに、油断がならないのです。

 日本はいま国家としての「分水嶺」に立たされていると思います。本当にこの国はどうなるのだろうか、との思いは多くの人の胸中に鬱積しているに相違ありません。

 そしてそれは経済や産業や教育や社会問題の不安だけでなく、むしろ背後においてそれら不安の原因をなしている国家の中枢の変質の問題、ないし権力の空洞化ということと関係があります。私は本書ではその意味において皇室と安全保障とが岐路に立たされていることを考察しました。

 ここで「皇室」と言ったのは、天皇と戦争をめぐる歴史観の再考というテーマであることは右に強調してまいりましたが、話題の皇太子さまご夫妻のテーマもまったく無関係ではありません。

 昨年十二月羽毛田宮内庁長官がいわば天皇の意を体して「皇室そのものが(雅子さまに)ストレスであり、やりがいのある公務が快復への鍵だとの論があるが」それに「両陛下は深く傷つかれた」と発言しました。これは天皇から皇太子ご夫妻へ向けて二人のあり方を真剣に考え直せ、というメッセージであったと思います。この間のいきさつについては本書ではⅡ部第4章記録を復元し、できるだけ詳しく判断の材料を提供しました。

 加えて今年二月の皇太子殿下の誕生日記者会見に殿下からどのようなご回答があるかにも注目し、本書の213―223ページに会見内容を再録しました。ご覧の通り、殿下はいろいろなことをたくさんお話になっていますが、肝心のこの点、記者団から「問二」として出された質問にはするりとすり抜けるようにいっさいお話しになっていません。一番のポイントですが、それだけに難しすぎてお話しになれなかったのだと思います。その点はもちろんご同情申し上げますが、しかし問題は皇室そのものが妃殿下のストレスになるという、まさしくここにきわまっているのです。

 いわゆる適応障害と呼ばれる病気はそんなに長くつづくものではないといわれています。私は雅子妃殿下はご病気かどうかは今もって知り得ないのですが――一人の医師の認定以外に、情報は完全に閉ざされている不自然さゆえに、国民の一人として推理させていただく以外に方法はないことを前提として申しますが――妃殿下にとって皇室がストレスであるとは皇室という環境そのものがいやで、伝統的行事とか日本古来の仕来りとか和歌とか作法とか、そういう世界からできればなるだけ遠ざかっていたいという心理状態なのではないかと思います。美智子皇后への劣等感もそこに重なっているのかもしれません。

 とすると、ここからが問題で、皇太子ご夫妻が宮中の主人公となられた暁には、公務の質をがらっと替えてしまわれる可能性が高いと思われます。そして、あっという間にご病気は治り、代わりに国民と皇室との一体感は消えて、まるきり異なった関係が生じ、国民を戸惑わせるのではないかと思えてなりません。私が一番心配しているのはこの点です。今の日本では「民を思う心」が皇室にあり、神道の本質ともいえる「清明心」の模範の柱が皇室にあるとの信仰が国民にあります。その二つの型の呼吸がピタと合っています。それが今はまだあります。この両者相俟つ関係が今後もはたして維持されていくのだろうか、それを私は一番心配しているのです。

 独楽を回すと、中心の心棒は動きません。回転が順調で、速ければ速いほどぐらつきません。独楽の運動と心棒の関係は、国民の活力と皇室との関係です。

 天皇が国民の代わりに神に祈って下さる祭祀が最重要の公務であるのは、ここに由来します。

 皇室を守っている権力がしっかりと実在し、権威である皇室がぐらつかない限り、国家は安泰なわけですが、今の問題は、その肝心要の権力が外国にあるということの悲劇があらためて認識され、「権力の不在」が露呈しているのに、国家がなすすべもなく茫然自失している事実です。日本政府は皇統問題の未解決にも、妃殿下のご不例にも手を出しあぐね、テポドン、竹島、東シナ海ガス田等の近隣諸国からの脅威にも手が打てないのですが、方向の異なるこの二種類の無策は同質です。

 「権力の不在」は皇室を荒れ野に放り出しています。政府が何かに怯えてかの田母神論文をわけもなく封じた周章てぶりは、国防をアメリカに丸投げしている魂のも抜けをまるで絵に描いたような椿事でしたが、これはわが国の皇室が戦後GHQ保護下に置かれた秘かなる歴史の後遺症と切っても切り離せない関係にあります。

 そうです!今必要なのは、独立です。日本国家のありとあらゆる面における独立です。

 本書は四十日に及ぶ真夏の総選挙の最中に投げこまれます。この選挙は国家の核を守るのが存在理由である保守政党がその自覚を失ったがゆえに苦戦を強いられ、他方、勢いづく野党は国家意識を持っているのかどうかすら怪しいのです。

 ある人が言いました。「自民党は左翼政党になった。」「では民主党は?」と私は聞きました。「民主党は外国籍の政党です。」

 この不幸な無政府状態のカオスを脱するのに、本書がわずかでも心ある人に道を示すことができればまことに幸いです。

非公開:『GHQ焚書図書開封 2』をめぐって(一)

 『GHQ焚書図書開封 2』は昨年の年末に出版された。比較的よく売れているようだが、詳しいことはまだ分らない。

 「GHQ焚書とは何か」の追及は、第1巻では章立てして論じたが、第2巻ではこれをしていない。歴史書の具体的な紹介だけにしている。そのほうが内容尊重で、今回は大切だと思ったからである。

 恐らく第3巻は再び「GHQ焚書とは何か」の理論的追及の一文を加えるだろう。第3巻は今年8月を予定している。

 草思社の会長の加瀬昌男氏は私のこの仕事に以前から注目して下さっている。昨日葉書をいただいた。

 「このようにまとめられるのは大変なお仕事だったと拝察いたします。戦前戦中の著者たちが、相当な水準にあったことが察しられました。」

とまず書かれていて、今回のバターン死の行進をめぐる冒頭の章を踏まえて、

 「バターンは米比軍の食糧供給が日ましに少なくなっている状況をかつて読んだことがあります。小学生でも歩けるS・フェルナンドまでの道を歩けなかったのは空腹以外にありません。」

と、私の分析と推理をお認め下さり、

「アメリカは自分の責任を全部日本に押しつけたという感じです。西尾さんのお仕事の完成が待たれます。」

と結ばれていた。私はこれに対し、私の焚書の開封は量的にほんの僅かで、まだ0.1パーセントくらいしか出来ていないのだから今後この仕事に「中断」はあっても「完成」ということはなく、条件が許される限り延々とつづけるだけである、と述べ、言論雑誌にほとんど反響がないのは予想していたこととはいえ残念で、夏までに自ら『諸君!』に問題提起の論文を書くつもりである、「いわば自己宣伝しながら驀進あるのみです」と認めた。

 「GHQ焚書とは何か」の理論的追及を言論雑誌に自ら載せて、世論を喚起し、それを第3巻に取り込んでいくつもりである。

 幸い、溝口郁夫氏や岩田温氏がこの仕事に関心を示して下さっているので、共同研究ができればありがたい。私ひとりの力ではもうたいした規模は切り拓けない。

 年頭に宮崎正弘氏が真先に第2巻の書評をご自身のメルマガに書いて下さったので、以下にご紹介したい。いつも素早い対応に感謝している。
  

西尾幹二『GHQ焚書図書開封2』(徳間書店)
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 △近・現代史はペリー来航から総括しなければならない

 「戦中派」の西尾幹二氏とて、林房雄の『大東亜戦争肯定論』に遭遇したとき、新鮮な驚き、しかもペリー来航から百年戦争という視野で近代史を捉えていることに共感したと後書きに吐露されている。
 戦後の偏向教育と左翼マスコミの猖獗により、「短い尺度で考える日本の近現代史のものの見方にいつしか染まっていた」が、「それを毀したのは、たしか二十八、九歳の頃に出会った林房雄の『大東亜戦争肯定論』です。林が幕末からの百年戦争を説いている(中略)、戦争の原因を長い尺度で捉える必要を悟りました」(本書378p)。

 私事にわたるが、評者(宮崎)が林房雄の『大東亜戦争肯定論』というショッキングな題名著作の新聞広告を朝日新聞で見たのは高校生時代、まったくのノンポリ文学青年だったので、この人は当時、朝日新聞で文藝評論を展開され、かつ週刊朝日に『文明開化』を連載され、毎日新聞に『西郷隆盛』を連載している、あの売れっ子作家とは同名異人だろうとおもったほどだった。
戦後派の感覚では「戦争肯定」という後節のシラブルの響きが、なんとも不気味で、後年、鎌倉の書斎に林房雄と訪ねた折、新聞広告でみた、その第一印象を言うと大いに笑われた。
林は朝日の文芸時評で「わたしはいまもあの戦争を肯定している」と二、三行かいた箇所を『中央公論』誌が、「もっと詳しく書いて欲しい」と言ってきたために長い長い連載評論の開始になったのだ。
 戦前「天皇制」とか「皇国史観」、「侵略戦争」という語彙はなかった。
 全部、左翼が戦後、政治宣伝に都合良くするために“発明”したボキャブラリーである。さらに言えば「天皇制」は国際コミンテルン用語である。あたかも東京裁判が、戦前の国際法になかった「事後法」で裁いたように、日本人は戦後、GHQの制定した『事後法』的な言葉狩り、語彙の押しつけ。これらの政治宣伝戦争においてもわれわれは左翼に敗れた。民族の記憶、歴史の記憶が消されかけ、洗脳されてしまった。GHQが重要な書物を焚書としたことに起因するのである。

 西尾氏は講演の中で次のように言う。
 「昭和3年から、昭和20年までという17年間の間に約22万点の単行本を含む刊行物が日本では出ていました。約22万点。その中から9288点をまず粗選びして、最終的に7769点、それをリストとして確定し、焚書図書として指定しました。つまり「没収図書」です。これがアメリカ側の行った大まかな行動です」(日本保守主義研究会7月講演会記録より)。

 さて本書は歴史探訪、昭和史の謎に挑むシリーズの第貳弾。戦後派にとって、GHQによって闇に葬られ、「戦後派」以後の世代にとっては、殆ど聞いたことのない本がずらりと並ぶ。
 これら焚書図書はなにゆえに、いかなる根拠で、しかも誰が選定して発禁としたのか。図書館や個人の書斎から取り上げたのか。「戦後の言語空間」の闇は果てしなく深いことがわかる。
 この第二巻では、戦後マスコミが殆ど取り上げなかった大東亜戦争のもうひとつの主力舞台、つまり太平洋の島々からインドシナ半島へといたる広大な戦線での「真実」である。
評者のような「戦後派」は、殆ど何も教わらなかったし、いや何が戦争中にアジアで起きたかを知る手だてがなかった。かろうじて大岡昇平「レイテ戦記」や阿川弘之の文学作品くらいである。
 パレンバンで日本兵(♪「見よ、落下傘」のモデル)がわずか五名で敵兵百数十を討ち取り、さらに数百を捕虜にしたなどという真実の武勇伝も、のちに山川惣治の物語の復刻で知るほどに、アジア戦線での歴史はかき消されていたのだ。
 ベトナムやインドネシアで、日本兵の活躍で彼らが独立を勝ち得たことも、いまとなっては小説の世界でしか知ることはない。

 火野葦平はフィリピンに従軍して『パタアン半島総攻撃従軍記』を書いた。米軍は食糧不足で自壊した“本当の”事実などに触れながら、所謂「パターン死の行進」の嘘の部分を、フィリピンの捕虜や「アメリカ人捕虜の安らかな夜」などを通して活写している。
 この火野葦平の力作は当然ながらGHQによって消されていた。本書はかなりの頁を割いてパターン半島の真実に迫る。
 またオランダがいかに残虐なインドネシア支配を行ったか、その収奪の反省もしない、植民地からの搾取ぶり、そしてベトナムに進駐した日本軍を、その軍律の厳しさをしったベトナムの民衆が、『日本民族は世界一道義的である』と認識したか。フランスのインドシナ侵略と植民地化の搾取のひどさと比較される。
 フランスはいまもニューカレドニア、タヒチを植民地として支配し、百回もの核実験を行っている。
 これらはすべて連合国にとって「不都合な真実」だった。ゆえにGHQの焚書対象となって、日本から消された。

 仲小路彰という人がいた。『太平洋侵略史』を6巻にまとめ、欧米の侵略歴史を表した。いま、古本ルートで一つだけ入手可能だが、一冊が三万円近い。目次を読んだだけでも、戦前の日本の知識人がいかに客観的に、適切に世界の動きを分析し把握していたかが、明らかになる。

 西尾氏は、これらの焚書図書の重要部分を丹念に拾いながら、第貳巻の最後では大川秀明の『米英東亜侵略史』について演繹され、その神髄にある大川の歴史観を紐解きながら、「ロシアから中国や朝鮮の領土をまもった日本」、「日本をおいつめた米国の尊大横暴」を縦横無尽に論証していく。
快刀乱麻をたつ傑作であり、労作である。
 「アジアを侵略したのは欧米であり、日本ではなかった」という歴史の真実が、焚書を開封することにより、これほど強烈に明らかになるのだ。
 本書はいずれ文庫入りし、国民必読の教養書となるだろうと確信している。

文:宮崎正弘  
  

  

GHQの思想的犯罪(十七)

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◆おわりに~作られた言葉と消された言葉~

 最後に面白いことを一つ、二つ、この本に書いてないことをお話しましょう。この本の付録を作ってくださった溝口さんが気づいたことです。7000冊のデータが全部、溝口さんのコンピュータに入っていますね。ババーッと打ち出すと色んな面白いことが出てくるわけですが、その中でいくつかその面白いことをこのあいだ発見したと言われたんです。

 ある言葉が戦前にはないということです。たとえば「天皇制」という言葉は、本の中にも題名としてもどこにもないのです。これは戦後作られた言葉だという証拠ですね。

 『WiLL』に少し書いたと思いますけど、共産党が「君主制」(Monarchy)というコミンテルンの指令書にあった言葉を「天皇制」というふうに訳した。ということで、私はしゃくに障るから「天皇制度」という違う表現を使っています。

 それから、皇国史観という言葉もゼロですよ。皇国史観というのは、戦後に戦前の歴史観を悪く言うために作られた言葉です。皇国史観その物だったはずの戦前には全く使われてないわけです。

 さらに言えば、逆に「国体」という言葉は戦後、一切なくなりました。現在、国体という言葉は使わないじゃないですか。だから国体は昔あって今はない。皇国史観は今あって昔ないわけです。

 それから面白いですね、侵略戦争という言葉。これもゼロです。「侵略戦争」という言葉が表題になっている本が一冊も焚書されてない。「侵略戦争」という言葉は戦後作られたのです。

 しかし、侵略戦争はなくて、「侵略」はある。欧米の侵略という言葉はある。「英米の侵略」、それは何十冊とあります。侵略という言葉はこういう形でいくらでもある。しかし、「日本の侵略」という言葉はありません。

 「侵略戦争」という言葉がないのは、この言葉は戦後の歴史観で付けられた言葉だということですね。無論、「日中戦争」という言葉もありません。これは皆さん分かっていますね。

 こうした一連の発見は、溝口さんの功績です。いやーっ、と思ってびっくりしています。さらに言えば、「八路軍」がないですね、「八路軍」が(笑)。

 こういった事実が非常に面白い。概念をちょっと整理しましたら、また好評につき、次の本にでもまとめたいと思っています。

 それでは長い間、ご清聴ありがとうございました。

 了

日本保守主義研究会7月講演会記録より

GHQの思想的犯罪(十六)

◆焚書の効果

 そろそろ、まとめに入ります。重要なのは、この焚書の効果という問題ですね。私は、今ここへ来て、やはりドカンとこの国に効いているなと思います。というのも、皇室や国体、天皇、皇道とか神道、日本精神といった文字が表題になっている書物がことごとく没収されていますから。本来、占領国がやっちゃいけないことだけども、この信仰破壊ということを、アメリカは承知してやっているということですね。

 現在、日本の天皇家はどうあるべきかという問題で、私が大いに疑問を呈して書いているわけですけれども、しみじみ私はアメリカの占領政策にやられていると思います。旧皇族をなくして天皇ご一家を孤立させる政策とか、あるいは皇室財産を全部奪ってしまうとか、アメリカ人を皇太子の教育係にしたとか、等々すべてそれは先を見越したやり方だったのです。皇室の民主化という名の下で。

 そして皇室を特別なものではなくて、一般国民と同じようなレベルのものにしてしまう。それを民主化と称したわけですが、そのために皇室論、皇室、国体論、そういう関連の本がことごとく消えてしまいました。それで今、皇室に高く聳えた独自の歩み方をせよと言っても、無理かもしれないですね。多くの人はもう皇太子殿下ご夫妻とはどのような存在かということが分からなくなっているのです。歴史教育できちんと教えられていない。だからみんなあれはただのセレブだということで。ご本人たちもただのセレブのようにお振る舞いになっている。

 非常に難しい問題にぶつかっていますね、この国は。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(十五)

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◆戦わずして戦う~思想的戦い~

 皆さんの知っている昭和16年の11月の中央公論の「世界史的立場と日本」という有名な座談会があります。京都学派の哲学者が集った座談会です。アメリカとの戦争が一ヵ月後に始まるのに、アメリカは、映画と統計の国だよといって、馬鹿にしている。それでいて、ヨーロッパ文明の克服を論じているのです。非常に観念的ですね。目の前で戦争が始まるっていうときに。

 このように、日本ではアメリカを馬鹿にしていた哲学者や歴史家がいましたが、アメリカでは日本に来たことがない文化人類学、『恥の文化日本』を書いたルース・ベネディクトが、日本人の収容所に出かけて行って多くの日本人に会って、心理調査をして、日本人とはどういうものかということを一生懸命研究した。その内容がそれほど価値があるかどうかは別問題です。私はちょっと怪しいと思いますが。ただし、少なくともそうやって、当面に敵となる日本を調べるという姿勢がある。

 あるいは有名な作家、ヘミングウェイは日米がもし戦えば日本はどんな通路で戦ってくるかというのを一生懸命考えてそういう文章を残しているわけですよ。もちろん知識人や作家だけじゃなく、アメリカ軍当局は日本の戦い方を研究しているわけです。

 でも日本の知識人で、日本の作家で、日本の文学者で、日本の学者で、一体何人が、日米が衝突すればどのような形で合理的に戦えるかということを一生懸命考えた人がいたかというと、いなかったのではないか。そういうことですね。

 まあ、上手に戦うということ、戦うということの中には、戦わずして戦うということもありますから、そういうことが日本人の知識の弱点だということは事実ですね。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(十四)

◆奪われた歴史

 まあこういう研究をしてきたわけですが、それを通してしみじみ感じたことがひとつあります。戦意形成期の大事なこれらの本だけではなく、数多くの記録、文書類のほとんどすべてアメリカに持ち運び去られて、それっきりとなっているということです。なくなってはいないですよ。だから日本が何故戦争に立ち上がらざるをえなかったのか、ということを本格的に研究しようとするにはアメリカに行かなきゃ駄目だということになる。

 一部はすでに防衛省に戻っています。これもまあ、戻していいものだけ戻しているのでしょうけどね(笑)。

 つまり、私たちの戦意の形成の歴史というのは、占領軍にいまだに隠され、われわれは手足を縛られている。そうすると戦意形成を素直な目で理解するということはもうできなくなっているじゃないか。そういうことですよ。だからアメリカの編み出した歴史物語を頭に擦り込まれて、そこからもう脱け出せないでいるわけです。私のこの本を読んでみてください。驚くほどあっと思いますよ。

 例えば、これはおもしろいと言われたのでちょっと言っておきますが、戦争文化叢書という本がありまして、昭和14年から16年の間にかけて出た35冊のシリーズものです。

 本の題名を読んでみますと、『対英戦と被圧迫民族の解放』、『東亜とイギリス』、『東亜共同体論を撃つ』、『日英支那戦争』、『日本世界戦争』、『日本戦争経済史論』、『ファシズム教育』、『日本戦争貨幣論』、『日本史代の建設』、『ルーデンドルフの国家総力戦』、『世界航空文化闘争』云々と、そして『インド民族論』とかそういう本です。ほとんど全部イギリスですよ。アメリカは一冊しかない。いかに当時の日本人が意識していたのはイギリスかということです。イギリスが当面の敵だった。今じゃ理解できないでしょうけども、アメリカじゃなかったんです。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく