GHQの思想的犯罪(八)

GHQ焚書図書開封 GHQ焚書図書開封
(2008/06)
西尾 幹二

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 ◆GHQの仕掛けた時限爆弾

 さて、そこから今日の話の本題に行くわけですが、そのせっかくのアイデンティティが徐々に徐々に無自覚の形で失われてきている。現在の権力喪失状態、さきほど言った砂山の真ん中から穴が空くような、何となく活性化しない無気力状態になった。物を考えなくなってしまった。戦おうとしなくなった。自分たちのアイデンティティを本当の意味で政治権力にまで高めなければ自分たちが守れなくなる。自分も守れなくなるという自覚がなくなってきたのです。今、日本はアヘン戦争前の清朝末期のような状態になっています。

 こういう恐ろしい事態になっている理由は何だろうか、ということを考えると、それは何らかの時限爆弾が仕掛けられていたのではないか、それが今頃になってパーンと爆発しているのではと思うわけですが、それが正に焚書なのです。

 時限爆弾というと分らない人もいるかもしれませんけど、少なくとも天皇の問題に関してはこの時限爆弾は効いてきているわけですな。ものすごく効き目がある。皇室がおかしくなってきているということの背景にあるのは、やはりアメリカの占領政策なのです。アメリカの占領政策というのは巧妙でした。この巧妙さの由来はアメリカなのかアングロサクソン全体なのか、あるいはローマ帝国時代からのやり方なのか、ちょっと私は戦略問題の歴史を研究していないからよく分かりません。

 しかしはっきり言えることは、巧妙で、上手に統治するために無理なことはしない。何々をしろ、ということは命じないというやり方です。例えば各家庭の門に星条旗を掲げよ、というような露骨なことは絶対に言わない。その代わり、マッカーサーや占領軍の誹謗、悪口を言ったものは厳罰に処しました。恐怖感を与えるわけです。「何々をするな」という命令だけをするわけです。

 「するな」と言われた方が益々怯えて行くというふうになるのです。これは一番巧妙なやり方です。有名な話は、文部省が君が代をいつまでも教科書に入れないのでGHQの方が「なぜ国歌を教科書に入れないのか」とたずねた話がありますね。そしたら、それは最初に入れるなと言われたので、もう入れていいのではという時期になっても入れようとしなかったとこたえたそうです。これはつまり、ひとつの強迫観念ですね。勝手に自分で自分を縛る。恐怖を与えれば上手くいくことを占領軍は知っていた。そういったことをするのがアメリカは上手です。色々なことがそういう形で行われて、やはり「するな」とは言うけれども、「何かせよ」ということは言わない。

 そう見ていきますと、この焚書というのは、「するな」という政策のもっとも極端な形式だったろうと思います。読んじゃいけないというしばりを無意識に与えてしまった。恐怖を与えられていますから、この手のものが例え図書館に残されていても人は読まなくなってしまうわけです。

 この前ある人は、「焚書、焚書と言っても、本があるじゃないか」と私に言ってきました。「焚書というのは、本が物理的に処分され、まったく消えてしまったことではないのか」と。それを聞かされたとき、私は「何てものを知らないのだ」と思いました。

 実は秦の始皇帝の焚書坑儒のときも、宮廷には全冊儒学の本を残していました。なくなったのは秦が滅びて宮殿が燃えたときです。だから焚書をしたときに本を焼いたのも事実ですけど、それでも本がすべてなくなったのではなくて、宮殿の図書館が戦火で燃えてしまったためになくなってしまったのです。それでも本はどこかに隠されていた。壁の中に隠されていた本とか、学者が暗記していたものとか。そういうものは秦が終わってから再現させ、復興するわけですね、漢の時代になって。だから前漢の時代に新しい文書が出てきた時に食い違いがある、そこで文献学が生じたわけです。

 「土の中から掘ってきました。実物です」といったときに、これとこれとでどっちが古いもので正しいのか、とそうなるのが常です。それから学者が暗記していたものよりも土中から掘られてきたものの方がより正確だということになったり、その逆だと分かったり、大騒ぎになったりして、それから偽者が出てきます。中国のことですから(笑)。そこで、中国では儒学の経典の言語学的、文献学的論争が絶えないというわけです。それだけでもって巨大な学問をなしているわけです。経書の文献学的研究だけでね。

 では、日本の場合はどうか。これからお話しますけれども、もちろん本は一部残っているし、今でもインターネットで何冊かは買うことが出来ます。私が自分で集めることも多少は出来ます。リストから20冊くらい調べると、一冊くらいはまだ買えますね。それから古書店を歩き回って集めてくださっている人もいます。五千冊集めたという方も世の中にいます。それからチャンネル桜は千五百冊くらい集めています。結局、そういった形で国立国会図書館には八割くらい残っています。でもそれは見ることはできても、自由に多くの人の心にしみ通り、考えを築くのに役立つようになるかどうかは別の問題です。現実にはね。

 つまり久しく読むことができなくなった本というのは流通が途絶えたということですから、流通を途絶えさせれば事実上、学者は研究者は読むことはできても、多くの人に新しい認識を持たせることはできない。そのことをGHQは知っていたわけです。ここがミソです。それが今、大きな影響を私たちの国に与え続けているのです。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(七)

お知らせ(本日です!)

日本文化チャンネル桜出演(スカパー!216チャンネル)

タイトル :「闘論!倒論!討論!2008 日本よ、今...」
テーマ :「オバマ政権と米中同盟」
放送予定日:前半 平成20年12月18日(木曜日)19:30~20:30
       後半 平成20年12月19日(金曜日)19:00~20:30       
パネリスト:(50音順敬称略)
      青木直人(ジャーナリスト)
      加瀬英明(評論家)
      日下公人(評論家・社会貢献支援財団会長)
      西尾幹二(評論家)
      西部 邁(評論家)
      宮崎正弘(作家・評論家)
司会:水島総(日本文化チャンネル桜 代表)

◆歴史を捨てたドイツ

 日本がアメリカに力を依存した理由の根本は、戦後の経済復興でアメリカが極めて寛大に市場を開放してくれたからです。隣の中国では戦争が続いているし、革命まで起きました。朝鮮半島でも戦争が勃発しました。したがって、日本は自らの経済復興をとげるのにはアメリカに依存する必然から逃れられなかった。

 一方、ドイツはすべての西欧諸国、近隣諸国を相手にして戦争をしました。ですから、その全部と和解し、貿易をしなければ復興することができなかった。ということは、日本よりもはるかにつらい立場ですよね。だから西欧諸国に全部頭を下げなければドイツは生きることができなかったんです。

 では、西欧諸国の代表はどこかというとフランスです。ですからフランスに頭を下げる。ドイツは日本と違い、日米関係でなくて独仏関係の進展を要として欧州全体と和解しました。今のEUはパリ―ベルリン枢軸といわれています。パリとベルリンが手を握って成立している。ただ、日米関係と決定的に違うのは、力の源泉の所在です。日米は米の方にありますけれど、独仏関係では誰が見ても力の源泉はドイツの方にあるんですよ。そこが全然状況の違うところです。

 ただし、ドイツが強いられた苦しみというのは、日本の比ではなく、その結果、自国の歴史を捨てたということに現われます。ドイツは自国の歴史の連続性を捨てたんです。嘘をついたのですね。ナチスが支配した12年間は歴史の穴で、それ以前にナチスはなく暴力はなく、それ以降にも暴力はないという歴史を作った。つまり、悪魔が支配した、ならず者の集団が支配した12年間はドイツの歴史ではない。それ以前にならず者はいなかったし、それ以降の歴史にもならず者はいないと。ドイツ民族はならず者に集団的に捕縛されたので、自分たちも被害者であり、自分たちも犠牲者であった、と。

 こんな嘘ありますか?しかし、そういう嘘をつく以外にドイツは生きて行くことができなかった。憲法にまでそう謳っている。その恐るべき嘘によってドイツは生き抜きました。ヴァイツゼッカーの演説もそれです。そしてヨーロッパ諸国はドイツを許している。ユダヤ人迫害にはフランスも、スイスも、東欧にも見に覚えがある。それに、ドイツを許さなければやっていけないからですよ。それがEUの実態なんです。

 ではドイツで今何が起こっているかと言ったら、ドイツは自分の歴史を捨てたから、文化がことごとく没落しました。ドイツ哲学はなくなりました。ドイツ音楽も水準がものすごく低い。演奏でも何でも。ドイツ文学も消えました。ドイツの医学もなくなりました。昔日の花は全くないです。ドイツの教育、これももう、私が『日本の教育、ドイツの教育』を書いていたあのころまではよかったんですが、今はますます酷くなっちゃっている。

 つまりドイツは生きるために文化を捨てたのです。そしてドイツにはたくさんの外国人が入ってきてしまっている。ドイツはアイデンティティを失った。アイデンティティを捨てる代わりに生存を選んだというふうに言っていいかもしれません。

 あるいはヨーロッパの中にもぐりこむ形で自分のパワーを発揮する、ドイツ経済を生かす。そしてドイツ人と他のヨーロッパ文化との間の区別が分らなくなる形でドイツはそのEUという仮面でナショナリズムを満足させているといえるかもしれない。だとしても、それはやっぱり嘘ですから、何かとひずみが出てくるということに現在なっているようです。

 一方、幸いなことにこの日本という国は、一人の天皇が戦争の始まる前から、そして戦争中、さらには戦争の終わった瞬間から戦後の経済繁栄の時期までの全時代を、60数年間にわたり統治してこられた。だからこそ私たちの歴史は連続性が保たれている。日本民族の経て来た時間はどこを切ったって同じなんですよ。そう思うことは非常に幸せなことでもあるんです。それを皆忘れて、戦争責任だなどと未だに言っているのでは話にならない。

 とにかく私たちの文化というのはドイツと違う連続性を守られた。ただそれを本当に守っているという自覚を持っているかどうかは別ですが。無自覚的には日本の統一、日本のアイデンティティというのは無くなってないでしょう。もちろんこれは一千万人の労働者を入れたらなくなります。

 だけどかろうじて日本はアイデンティティを守っている。だからこそ日本人論が盛んに言われたり、日本文化論が絶えず出版されているのです。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(六)

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(2008/06)
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◆日本の「力」を埋めてきたもの

 失った力、奪われた力が何かによって補完されない限り国家は成立しません。ロシア人は石油の力とプーチンの力により、わずか5年で力を取り戻しました。一方、ドイツは完全に取り戻すことはできないでいるのですが、日本の方がまるでさらに駄目なんですね。

 日本はどのように「力」を補ってきたか。皆さん知ってのとおり、その力はアメリカによって埋められました。つまり一切の力をアメリカに委ねた。これは日米安全条約というものが憲法9条とワンセットになっているということで明白です。憲法が発効した日に日米安保条約が効果を発揮して、有効になっています。

 では、そのアメリカの方針がどのように変わってきているのか。アメリカは今日本に、「もう外交と軍事のお手伝いはしませんよ」と言っているわけです。もし尖閣が襲われた時のことを考えても、「日米安保条約が発動される」なんて言っていますけど、そんなことはあり得ないんです。

 私はアメリカが我が国に持つ「力」を手放してくれたらいいと思っています。これは逆にチャンスです。米軍撤退してくれよ、それで日本列島独立できますよ、と。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(五)

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◆ドイツの敗戦

 ドイツは大変な思いをしました。言うまでもありませんけど、ヒトラーが壕で自殺した瞬間にドイツという国家がなくなってしまいました。第一次世界大戦のときとは全く違います。このときもヴィルヘルム二世皇帝が失脚してしまうなどの悲劇が起こっていますが、かろうじて国家は残ります。ですから、第一次大戦のときも第二次大戦と同じように戦争犯罪人の摘発を要求され、裁判を請求されるんですけど、その当時のドイツ政府は、国家が残っていたので、戦争犯罪人の摘発を連合軍に対して全部拒絶しました。

 どうしてもしつこく言ってくるロイド・ジョージなどの要求に対して、当時のドイツ政府は国内で裁判を開き、全部無罪か法廷不成立にしてしまって、アッカンベーということをやったのですよ。そうやったということは、ドイツに国家があった証拠なんです。

 しかし第二次大戦の時には、国家がなくなり、そのために占領地域のドイツ国民が一番ひどい目にあいました。特に旧ソ連の占領地域が残酷だったんですよ。異常なほどの婦女暴行などが激しく起こっているんです。他にも、窓から赤ん坊を投げて捨てられたりとか、悲惨な記録がものすごくたくさん残されていて、読むのも嫌になるくらいです。

 しかし、ドイツ人はこうした苦しい苦しい境遇について、戦後、一言も国際的に訴えることができなかったんです。言ってしまったら最後、「ナチスのユダヤ人虐殺の犯罪に比べてお前たちのこうむったことなどは何だ」ということになる。しかもちょうど四カ国管理が始まるまでのドイツでは、かのアウシュビッツの惨劇が世界的に知られるようになり、その衝撃が世界に広がりましたから、ドイツ市民に対してはどんな暴行を行っても報復は許されるというのが占領してきた人々の感情だった。ドイツの立つ瀬は全くなく、あのとき本当に一番残酷な仕打ちを受けたんです。長年、その記憶を怒りとともに表現することすらできなかった。

 それが突如として爆発したのが50年後でした。1995年の5月8日の終戦記念日に、ドイツでは我慢していた怒りが堰を切ったように流れ出た。ナチスの罪であるから、自分たちの受けた苦しみを帳消しにしてはいけない、などという要求はもう我慢できないと。そんなバカなことはないじゃないかと。その怒りが初めてやっと出てきて、それからの十年間は色々な場でドイツも果敢に言えるようになってくるわけです。

 それでも以前は「ドイツはそういうことを言って、ナチスの問題を相対化してはいけない」というような議論は相変わらず、アカデミズムなどでは強かったものです。でも様々な学者が出てきて反論しています。まあ、世代は色々動いているようです。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

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GHQの思想的犯罪(四)

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◆敗戦後も存続した大日本帝国

 さて、本日GHQの検閲のお話をするわけですが、この最初に出てくる付録1、つまり、GHQが日本政府に要求したこの封筒の差し出し名の部分を見てください。“Imperial Japanese Government”宛てになっているんです。これは終戦から8ヶ月もたっているんですよ。大日本帝国はあったんですよ、まだ。

 大日本帝国があったということは、大変な事実ですよ。ドイツは国家そのものがなくなっちゃったんですから。ドイツの敗戦と日本の敗戦を比較しますと、日本はずっと条件が良くて、今言ったように、国外で悲劇を蒙った人たちは無権力状態におかれましたが、国内にいた人たちは一定の保護を受けていたのです。確かに、あのころは戦後の混乱もありました。皆さんにも記憶にあるようなたくさんの戦後の悲劇があったのですが、それにしても岩田さんが話された坂口安吾の『堕落論』を読み直してもちっとも感心しないですね。私はいつか、「これはくだらない文章だ」って書こうと思っています。「甘ったれるな」と言いたいですね。

 一方、『麦と兵隊』という作品を書いた火野葦平という従軍作家がいます。あの人の文章は素晴らしい。これは実際に戦場を歩いているからです。先ほどから私が言っているのは、本当に肌でこの国家の崩壊を経験したのは、そういう兵士たちや抑留された人たち、満州から逃げ帰ってきた人たちや、そういう人たちであって、国内にいた人は、知識人も含めてみんな体験が浅く、駄目だったんじゃないかなと、そういうことです。

 せいぜい『リンゴの歌』と『青い山脈』で慰められるようなものではなくて、本当の意味での危機感、無秩序、そういうものに晒されていたらば、権力が必要だということ、国家は本当に骨の髄から秩序という物を作らないと駄目なんだということ、それらが腹のそこから沸き立っていたはずです。

 無秩序、無権力にたいする恐怖、これが当時なかった。ここに来て、この国が陥没している一番の原因はこれではないかと私は思います。しきりにこういうことを思うのは、ドイツとの比較をするからですね。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(三)

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◆ロシアにおける権力の不在

 話を前に戻しますと、現在、権力というものがなくなっている。ところが皆さん、人は権力を求めるものなのです。それは権力がなくなると、途端に自分たちが困るからです。

 1991年にソビエトが崩壊しました。ロシアになり、そこからウズベク共和国やタジク共和国といった多くの共和国が生まれました。新興の共和国に住んでいたロシア人は悲惨な目にあいます。「叩き殺してやる」とか、「出て行け」とか、「いやここにとどまって奴隷になれ」とか。それはもうたちまち無権力状態に放り出されたわけです。つまり、ロシア人が敗戦国民になったんです。これは冷戦という第三次世界大戦の結末、即ちソビエトの崩壊、アメリカの勝利という、つい最近起こった、歴史的事件です。私たちの敗戦経験というのはもう遠い昔なので忘れてしまっているのですが、同じようなことが起こったんですよ。ロシアは敗北したのです。

 しかし、日本やドイツが蒙った敗北ほど酷くはなかったので、程々だったのですが、ロシア語の教育がいっぺんになくなり、ロシア人を否定するような歴史教育にどんどん変わっていきました。それで、ソルジェニーツィンという人が各地を歩き回って、「祖国よ甦れ、どうなっているのか」と嘆いたのでした。これは90年代の話ですが、そういう本が書かれています。ロシアも苦しんでいるんだな、と思っていました。

 そう思っていたら、あっという間にプーチンが出現した。何故プーチンのような独裁者がと皆さんは思うかもしれませんが、ロシア人はもともと体質的に独裁者が好きなんです。しかし、それだけでは説明できないですね。もう一つの理由としては、国内に豊富な石油があって、それが幸運をもたらしたということもあります。

 しかし、プーチンを中心に結集した力というのは、「甦れロシア!」という叫びだったに違いないんです。それによって、不安と絶望と屈辱を強いられたロシア人が、自らの地位と立場、つまり安全保障のためにやはり強力な権力を求めたわけです。

 ここで私、ふと思ったんですけれども、わが国は1945年の崩壊のとき、シベリアに抑留された人や満州から帰国した人が無権力状態におかれました。そして、BC級戦犯は皆、田舎に帰ってきて百姓などをしていたにもかかわらず、再びシンガポールやフィリピンに呼び出されて死刑になりました。このような悲劇を受けた人は、武装解除をされたこの国家の悲劇をもろに受けた多くの人々、全体の国民から言えば少数の人々ですが、国外にいた人たちですね。しかしこの列島の中には無権力状態はなかったんです。国家はかろうじて存続していたのです。

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GHQの思想的犯罪(二)

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 ◆危機に立つ日本

 砂山が海辺に砂を盛り上げて、その砂に水を上から流して行くと、裾野をぞろぞろと水が崩していきます。そんな時代がずっと前から続いていて、その水が砂地の下へともぐりこんでいくのです。そして、ある時期が来るとボコっと真ん中が陥没してしまいます。

 そしてそのボコっと陥没したところへ海からワッと大きな波が来ると、あっという間に砂山はなくなってしまいます。例えるなら、今、そのボコっと陥没したところへこの国は来ているのではないか。私はそういうイメージを持っています。私は今、皇室問題の危機について発言していますが、このテーマはまさに国家の中枢にボコっと穴が開いている証拠じゃないでしょうか。

 もうひとつは、長年、この国を統治していた自由民主党の中から権力が消えてしまったということです。そう感じませんか?権力がなくなっちゃったでしょ、この国の保守政党から。中心にいるのが、あの森喜朗さんじゃどうもね(笑)。あの方が権力ですか?さまにならないですよね。権力というものがなくなると、国も組織も成立しない。権力を中心にして人が動き出し、そしていろいろな問題が解決して行くのです。権力が支配することで、とんでもない方向へ行くこともありますが、権力があるから反抗することもできるのです。しかし、権力なき今、反抗する相手がいなくなってしまいました。

 私は次のように思っています。おそらく、自由民主党の国会議員の大半が福島瑞穂みたいなものじゃないか、と。自由民主党の三分の二ぐらいの議員が学生と同じレベルの知能しか持っていないのではないか。三、四十年前、ゲバ棒を振り回していた左翼学生と同じようなレベルです。あの時代、誰もが平気で反体制みたいなことを言っていましたからね。そういう連中が次の世代の総理大臣だというから恐ろしいことです。後藤田正純とか、河野太郎とか、みんな旧社会党みたいなことを言っています。それが次の次の総理大臣候補だというふうに週刊誌で名前が出ているものですから、私はあきれ返りました。

 最近、大変驚いたことがあります。自民党の代議士が二人いて、その場で日米戦争の話が出た。その二人が、三十代か、四十代かは知らないけれど、日米戦争があったことを知らなかったというのです。高校生だったらある話ですが、腐っても代議士ですよ。今やここまできているんですね。

 それはそうでしょう。学校で習ったことしか頭になくて、お父さんが代議士だったから代議士になったという人ばっかりですから。今、独立で全くのゼロからスタートしたという人は絶滅稀種じゃないでしょうか。

 しかし、あの新しい大阪府知事などを見ていますと、世に人材はいるんですね。あの人はテレビで硬派ぶりを発揮したことで人気が出て、世の中への登竜門をくぐれたわけですが、他ではなかなか出現するチャンスがないわけですよね。才ある人に登竜していく道がない、というのがこの国の一番の危機です。こうした状況は、日本がまともな国家としてもう長くはないという証拠じゃないか。そう思わざるをえません。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

GHQの思想的犯罪(一)

《特集》日本保守主義研究会7月講演会記録より

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(2008/06)
西尾 幹二

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◆はじめに

 お暑うございます。さっきまで何だか私の若いときが蘇ったような人が喋っていましたね。大変心強く思いました。やっぱり出てきたな、と。今までずいぶん若い論客の出現を待っていたのですが、なかなか本物には出会えませんでした。

 岩田さんには、私の言おうとしていたことをいま全部先取りしてお話されてしまいました。そのなかで例えば「憤り」という話がありましたけれども、確かに今、この国が憤りをすっかり失っている。

 アメリカによる北朝鮮のテロ支援国家指定解除の告知があって、NPT体制という核に関わる約束事のシステムが無意味になり、日米安保条約が事実上無効になりました。これらに対して、朝野を挙げて激しい論争が起って当然じゃないですか。“NO”という怒りの声があっていい。しかし何の動きもないんですよね。政界になし、言論界になし、そして新聞テレビにも全くない。

 それに比べ、あの開戦を控えた昭和16年の時代には外への恐怖や怒りが沸々とたぎっていました。あの当時の日本人の方がよほど今より上等であろうと思われます。何故ならば、戦争に勝とうが負けようがともかく自分で開戦を選択して、そしてともかく自分で負けたからです。しかし戦後、この国は「自分で」という意志の主体がなくなりました。すべて誰かにゆだねて安心という、骨の髄までそうなっている構造というのは、とてつもなく危機的なことです。

 そして、自分のことを他人ごとのように傍観して、沈黙している。ひたすら沈黙を続けるだけで、“NO”という声、あるいは「どうしたらいいか」という論争ひとつ起らない。とても不気味です。

 実は今日、こうした話を結論に持って行こうと思っていたのですが、岩田さんに刺激を受けて、結論を最初に話すことになってしまったのです。

つづく

「アメリカの対日観と政策 “ガラス箱の中の蟻”」

 11月22日に行われた坦々塾での足立さんのスピーチの内容を紹介する。

足立誠之(あだちせいじ)
坦々塾会員、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

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「アメリカの対日観と政策 “ガラス箱の中の蟻”」

<はじめに>

 過日アメリカ大統領選挙でのオバマ氏の当選では、日本の地方都市、小浜市の奇妙なはしゃぎぶりが報道されました。オバマ氏は北朝鮮との対話を提唱しており、それは拉致・核・ミサイル問題での日本とは大きく対立します。加えてこの地方都市から拉致被害者がでていることは周知の事実です。それなのにそうした点にマスコミは一切触れず、馬鹿騒ぎだけの報道です。

 又、防衛省の空幕長田母神氏の論文が政府見解と異なるとして同氏が更迭されましたが、これを巡る報道も専ら日本侵略国家論、文民統制論のみが書きたてられ、論文のどこが問題なのかの検証に基づく議論は皆無でした。

 こうしたことに、何か肝腎な議論が抜けている、避けられ隠蔽すらされていると感じるのは私だけでしょうか。

 この様な違和感は、この二つだけに留まらず、我国のあらゆる問題の底辺に横たわっているように思われます。本日はこうしたことが何に由来しているのかをお話したいと思います。

 さて、今、私が身内以外で顔を合わせる人は2人のヘルパーさん、歩行訓練士さん、市の職員、ご近所などですが、皆私に関心があるらしく、何かと声をかけてきてくれます。

 先般ルーペを頼りに西尾先生の「GHQ焚書図書開封」を拝読しておりました。

 リビングのテーブルの定位置に置かれた本が皆の目に留まり、色々質問を受けました。「何と読むのですか」「どんな内容ですか」。

 そこで私は逆に質問します。

 「第一次世界大戦後ベルサイユ会議が開かれ、国際連盟が設立されます。このとき連盟規約に人種平等を盛る提案をした国がありましたが、ある国の強硬な反対で廃案になりました。提案した国はどこで反対し廃案にした国はどこであったと思いますか」「アメリカで黒人が選挙権を得たのはいつだったと思いますか」。

 本日ご出席の皆様には先刻ご承知のことでしょうが、私の答えに周りは仰天します。それはそうでしょう。人種平等を日本が提案し、アメリカがそれに反対阻止したことも、日本では既に戦前から25歳以上の男子全員に選挙権が与えられていたのに、黒人に選挙権が与えられたのは、日本で20歳以上の全国民が選挙権を得てから久しい第二次大戦後20年近くもたった1964年であったことも初めて聞くことなのですから。

 私は、こうしたことが何故日本でしられていないのかを解き明かしたのがこの本ですと言うと皆関心を示し、「GHQ焚書図書開封」が私の周りで読まれるようになりました。

 さて本題に映ります。皆さん誰でも小学生の頃、ガラスの容器に土を盛り、蟻を飼育した経験をお持ちだと思います。私は江藤淳氏の「閉ざされた言語空間 」、西尾先生の「GHQ焚書図書開封」に記されたGHQの検閲、焚書の実態をこうした「ガラス箱の中の蟻の国」のイメージで捉えております。

 蟻にされた日本国民に与えられる情報は蟻の餌に相当します。その情報は勿論アメリカの意向そのものです。その様子は、国民が目に見えない壁面のガラスを通して見ていると捉えているものは実はガラスに投影された宣伝映画そのものだった。そんなイメージです。

 私がこういうイメージを抱くきっかけはアメリカ生活からです。

 その前に小学生時代の二つの思い出からはじめさせて頂きます。

 私は昭和23年に小学校に入学しました。翌年の一学期の終業式の後、進駐軍から夏休みの「おやつの配給」が児童・生徒全員に配られました。中身はパイナップルの缶詰、干したアプリコット、レーズン、ビスケット、チョコレートなどでしたが、当時は食糧難時代ですから夢のようなものばかりでした。

 でも、配られたのは我々の学校だけであったこと、そしてナゼ配られたのか、またそれ以降二度と”配給”はなかったことに疑問が残りました。

 3年後の昭和27年のある日、学校から帰り卓袱台の上に置かれていたアサヒグラフのページを開き息をのみました。初めて目にした原爆被害写真でした。それまでも原水爆実験のきのこ雲のニュース映画は見ていましたが、このような日本人の凄惨な原爆被害状況を示す写真はそれまでただの一度も目にしたことはなかったのです。何故その時まで目に触れることができなかったのかということは大きな疑問でした。然し、この二つの疑問もその他の膨大な記憶に比べればほんの僅かなものです。

 日本で溢れる巨大な情報は「日本は間違っていた」は「アメリカは素晴らしい」「アメリカに見習おう」と言うもの一色で、何事も「アメリカでは・・・」で始まるのでした。

 そうした時代に育った私は1976年11月ニューヨークに赴任しました。

<アメリカの力の源泉>

 私は郊外の小さな町のアパートに住み、7時13分発の列車でマンハッタンのグランドセントラル駅に着き、そこから地下鉄でダウンタウンのオフィスへ通う。子供は町の公立幼稚園から小学校へ進学する。そんな生活でした。

 「ガラス箱」の話に焦点を合わせましょう。

 着任したときの担当取引先の一つにTandy Corporationがありました。

 主にエレクトロニクス製品の販売を事業とし、Radio Shackという小ぶりの店舗を全米に数千店を展開する優良企業でした。

 私はフォートワースにある本社で事業内容の詳細を入手しました。大筋は、毎日各店から商品別の売り上げと在庫が報告され、それがコンピューターに入力される。

 アウトプット資料を分析して売れ筋商品へのシフトをおこなう。販売不振の地域には広告を強化することもある。などなどでした。

 その後日本でも広まるPOSシステムの先駆的なものだったわけですが全体を俯瞰し、戦略的目的に沿った枠組み、システムを構築していくわけで正にアメリカの真骨頂であると感心したものです。

<アメリカの対日統治枠組みの原型>

 さて、「ガラス箱」を目の当たりにするのはニューヨーク着任から相当後のことです。地下鉄のストがありました。

 その頃日本では春闘が始まると国鉄の組合による順法闘争で通勤客は大混乱に巻き込まれるのが常でしたから、アメリカでも同じであろうと思っていました。が実際はまるでちがいました。

 スト初日、通勤経路は要所要所に灰色のペンキを塗った木製のバリケードが配置され、大勢の通勤客は川が流れるようにスムースにながれているのです。警官は少数でした。前日までに総てが用意されていたわけです。

 それは正に「ガラス箱の中の蟻」を思わせるものでした。

 戦後のアメリカによる我が国への占領政策はこれと同じ枠組みをとてつもなく巨大なスケールにしたものでしょう。

 彼等は日本国民を、目には見えないバリケードである方向に誘導し、映画のようなにバーチャルな世界を現実・真実であると信じ込ませたと考えられます。

<真実のアメリカ>

 日本国民に真実であると刷り込まれたバーチャルな情報イメージ内容もアメリカ生活で次第に浮き彫りにされてゆきました。

 ニューヨーク赴任当時、日本企業の本社からの派遣社員夫人が警察に逮捕される事件が起きていました。

 ベビーシッターを頼まず外出中に、幼児がアパートのベランダから転落死たことで、子供の保護を怠ったとして刑事犯として逮捕されたのです。

 子供の保護責任は親にあることは日本でも戦前の常識でした。だが今日同じ事件が日本で起これば、ベランダの欠陥が云々され、アパート側の責任が追求されて、親の責任は話題にすらならないでしょう。

 先年六本木ヒルズで子供がビルの回転ドアに挟まれ死亡しました。ビルオーナーとドアメーカーは世論の非難の集中攻撃を浴び、ビルオーナーとドアメーカーが親に補償金を払ったそうです。

 この話を聞けばアメリカ人やカナダ人は仰天するでしょう。

 北米で同じ事件が起きれば、余程の事情がない限り、親が逮捕されます。

 北米では一定年齢以下の子供を連れ外出した場合、子供が事故に合い死亡すれば、親は保護責任義務違反で逮捕され処罰されることになるのです。

 ですから外出する場合、親は子供が走りまわらないように子供の手をしっかり握るなどして必死になります。

 公共の場所で子供が走りまわるのを親が放置し、挙句は微笑みながら見ているなどの光景は、世界では日本だけの、しかも戦後だけの異状な現象でしょう。

 私の子供のアメリカの公立小学校生活は更に興味深いものでした。毎日国旗掲揚とアメリカを讃える歌をみんなで歌う。

 子供が担任の女の先生にいじめにあったと相談に行くと、先生は「戦いなさい」と教えたそうです。

 子供は日本に帰った後、公立中学校でいじめに苦労します。その学校では授業中に窓ガラスが割られる荒れた学校でしたが、一部の女の先生以外放置していたそうです。

 アメリカで「不正に対しては戦え」と教えられた子供は、今でも「日本の教育の最大の欠陥は”正義ヲ貫く”信念が欠如していることだ」と言いきります。因みに月刊現代2000年2月号の対談「だから大リーガーはやめられない」で野茂英雄氏は、バッターが汚いことをした場合にはピッチャーはデッドボールをぶつけても良い、という暗黙のルールがあると述べています。それで骨が折れても構わないのだそうです。

<アメリカの拉致事件=イラン人質事件とアメリカの指導者・国民>

 アメリカ生活で最も鮮烈な記憶として残るものは、アメリカの拉致事件、在テヘランアメリカ大使館員全員人質事件(以下イラン人質事件と略称)です。私のアメリカ時代はカーター政権と重なりますが、内政、外交とも失敗の多かった政権でした。

 同政権の唱える人権外交の影響もありイランでは反王政運動が激しくなり、1978年末にはパーレビー国王一家が国外に脱出、翌79年初めパリに亡命中であったイスラム教シーア派指導者ホメイニ師が帰国、イスラム革命が成立します。

 そしてアメリカとイランの関係は悪化し、11月にイランの過激派学生によりテヘランのアメリカ大使館員全員が人質となったのです。

 イラン人質事件が起きるとアメリカ社会は一変します。

 子供の通う学校では、毎日の国への忠誠教育に加えて人質大使館員全員の解放のお祈りを指導する教育が始まります。

 テレビではニュース報道の冒頭に必ず「今日で人質事件XX日になります」と告げるようになりました。

 特殊部隊による救出作戦も砂嵐で失敗します。パーレビー国王は亡命先のエジプトで死亡しますが人質事件は続きました。

 事件が起きた翌80年はアメリカ大統領選挙の年でした。選挙戦は現職のカーター大統領と共和党のレーガン候補の間で戦われました。

 マスコミ、特に日本の新聞は鷹派のレーガン候補ではなく現職のカーター大統領が優勢と報道していました。然しアメリカで周囲から受ける印象はまるで違いました。毎朝の通勤列車で同じボックスに座る3人のアメリカ人ビジネスマンの口振りからもそれが窺えました。ABC=Anybody but Carterという言葉が広まっていることも彼等から聞きました。

 テレビに映るレーガン候補はリラックスした様子で首を少しかたむけながら柔らかい口調で「私は当たり前のことを言っているだけです。何故タカ派と言われるのか理解できません」。イラン人質事件についての質問にも、ただ、「当たり前のことをするだけです」と答えるだけでした。

 大統領選挙の結果は、一つの州を除く総てでレーガン候補が勝つという一方的なものでした。

 年が改まり1981年初、新大統領就任式が迫っていました。そんなある日、一大ニュースが飛び込んできました。人質全員が解放され既に帰国の途上にあるというものです。

 全米が歓喜に包まれたことはいうまでもありません。

 学校でのお祈りも、テレビニュース冒頭の「今日で人質事件XX日になります」も昨日で終わりました。

 イランが大統領就任式直前に人質を解放した理由は明らかでしょう。

 レーガン候補は、「当たり前のことをする」と約束し、米国民はそのレーガンに白紙委任状を与えました。

 小学校から「不正に対して戦いなさい」と教育されてきたアメリカ国民にとり「当たり前のこと」の意味は明らかでしょう。イランもそのことは分かっていました。こうしてロナルド・レーガンは大統領になるその前にそれも一発の銃弾も用いず、アメリカ史上類例を見ない難問を解決したのです。

 日本は戦争後今日に至るまで、アメリカをまぶしいほどの民主主義国のモデルとしてきました。そして戦前の日本をその対極として徹底的に一掃しようとしました。

 だが現実に見るアメリカは、日本がモデルとしてきたものとは似ても似つかぬものでした。現実のアメリカはむしろ戦前の日本と共通のものを基盤としていました。

 それが最もはっきりとしているものは、”不正”への対応です。アメリカでは小学校から「不正に対しては”戦”いなさい」と教育されそれが国民にしみこんでいます。

 日本では「どんな不正が行われようと、絶対に戦ってはならない」と60年間教えられそれが刷り込まれています。その結果が、イラン人質事件と、北朝鮮拉致事件への対応の差です。

 一週間前の15日は横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて31年目に当たります。

 然し学校でめぐみさんの無事帰国を祈る教育を児童・生徒にしているところは皆無でしょう。この様な類例を見ない不正を日本国民はわすれようとしています。

 「どんな不正が行なわれようが、絶対に戦ってはならない」ということの帰結がこれです。

 国民性は確実に劣化しています。

<谷内発言で明かされた真実>

 アメリカは自国では「当たり前のこと」であっても日本にはそれを許さない。それが今日の日米関係の真実であることを端的に示す事実が文芸春秋12月号コラム「霞ヶ関コンフィデンシャル」に記されています。

 即ち、前外務事務次官であった谷内正太郎氏が、10月23日ワシントンで開かれた戦略国際研究所(CSIS)のシンポジウムで、安倍内閣の外務政務次官時代に、アジア太平洋の主要民主主義4カ国、日本、アメリカ、インド、オーストらリアによる戦略的対話構想をアメリカに提案し、又ASEAN+3(日・中・韓)とインド、オーストラリア、ニュージーランドにアメリカの参加による東アジアサミット構想を立案しアメリカに提案した。だがいずれもアメリカに断られたとし、アメリカは常日頃民主主義は大切といいながら日本がイニシャティブで提案すると拒否する。その理由が分かりません、との爆弾発言をしたと記し、更に、この勇気ある発言に会場は一瞬凍りついた、と記されています。

 この文芸春秋の記事は二つの重要な真実を明らかにしました。一つは、この程度のこと、内容はアメリカにとってもまっとうと思われることであっても日本がいいだすことは許されない現実が存在していること。

 もう一つは、こうしたことあるいはこの程度の発言が「勇気ある発言」「爆弾発言」と認識され会場を「一瞬氷づかせる」ものであったことです。

 つまりこうした内容の発言は日本側にはタブーであるとの了解が日米間にあること。そのことはマスコミ関係者も知っていた節があるということです。

 それはつまりマスコミにもタブーであったわけです。

 こうした事実が明らかになってくると、日米関係は今もって占領時代の関係、即ちアメリカが日本「をガラス箱の蟻の国」として観察し飼育、管理する状態が変わっていないように思えてきます。

<アメリカの対日観>

 それではアメリカが何故一貫して日本が、それが自国では当たり前に行なわれることであっても、日本がおこなうことを阻むのでしょうか。そしてそのことをなぜ隠蔽するのでしょうか。

 それは日本が手強い国、国民であると考え、かつて人種平等やアジアの国々の解放を求め、貧しい国々の経済発展をたすけたような”当たり前で真っ当な”しかし彼らにとってははた迷惑なことを再び日本が行って世界の中での存在感を高めて欲しくないと思うからでしょう。

 私自身、日本は凄い国であると思います。

 ニューヨーク赴任当時、Tandy Corporationに感心したことは既述の通りです。だが、アメリカから日本に帰ると、もっと凄いことが出来上がりつつあった。それはクロネコヤマトの宅急便です。その凄さは仄聞するところ、イラク戦争に際して米軍はロジスティクの枠組み・システムをクロネコ方式に依ったそうです。

 トヨタの看板方式、在庫ゼロ方式が、世界の製造業のシステムを大転換させたことも凄いことです。

 無駄にされていた天然ガスを開発、生産、輸送し、長期契約に結びつけた天然ガスによる発電は世界に20年先行しています。原子力発電の建設技術も世界をリードしている。

 こうしたことに見られる日本国民の潜在力にアメリカは脅威を感じている。それが彼等をして戦後今日までの対日政策の底辺にあるのです。

<広がる溝>

 日本国民がようやく世界の現実に気付いたのは金正日が拉致を認めたときです。

 然しそれはまだまだ甘いものでした。米国議会のいわばシンクタンクであるUSCCは03年7月に北朝鮮核問題をテーマとする公聴会を開催しました。

 そこでの議論では、北朝鮮の核保有はアメリカへの直接的な脅威にはならない、脅威はそれがテロリストに渡ることであるとのことでした。北朝鮮から核を買うことすら示唆する意見まで出たほどです。

 証人の一人は、北朝鮮の核保有は中国や韓国にも脅威ではない。脅威を受けるのはノドン100基(当時)のターゲットである日本である、と証言しています。

 だが、議論はここまででした。委員の一人が「この公聴会は日本のためにおこなわれるものか」と反問し日本の核武装が正当化されてしまうという事実が露見しそうになったためかも知れません。

 つい先月の10月、アメリカブッシュ政権は北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除しました。そうした可能性は既に5年前に内包していたわけです。

 元々北朝鮮問題=拉致・核・ミサイル問題での日本の立場はアメリカよりも遥かに険しいものです。

 アメリカに丸投げしてはならない問題でした。

 今回のアメリカの決定は、平和時にさえ我国の意向がとりあげられない日米安保体制が戦時に果たして日本の防衛に機能するのかという問題です。

 そろそろ結論を申し上げ負ければなりません。冒頭に日本人の原爆被害写真の衝撃について記しました。殆どの日本人と同様私も核には強いアレルギーを持つものです。然し、核の議論さえ我が国ではタブーとしてきたことが結局は米・ロ・英・仏・中の核保有を恒久化せしめ、インドやパキスタンの核保有をもたらし、今日の北朝鮮の拉致・核・ミサイル問題でデッドロックに追い込まれている原因を生んでしまったのではないでしょうか。

 北朝鮮が核を保有するならば、日本も同様な権利を留保する旨アメリカに示唆することで、アメリカは中国を誘い北朝鮮に強烈な圧力をかけたのではないでしょうか。日本の核武装だけは何としても止めたいわけであり、どうでもよいことではなくなるからです。

 小学生時代の「進駐軍からのおやつの配給」の理由について蘇った記憶があります。我々の学区の上級生が進駐軍のトラックにはねられて死亡した事件があったことです。今となっては「おやつ」とこの事件とつながりがあったのか証明の使用はありませんが、軍隊組織が無目的、善意である小学校に一回だけ「おやつの配給」などするわけはないことは当たり前でしょう。こうして見てくると、日米戦争は昭和20年8月25日に終わったわけではないことが分かります。

 日本は降伏したが、アメリカは自らの意思を日本に強制することをやめてはいません。私は江藤淳氏の「閉ざされた言語空間」が世に出たとき、これで日本国民は目覚める、日本は再起するとおもいました。然しそれから四半世紀後の今日も日本国民はアメリカの作った「硝子箱の中の蟻」の状態から抜け出せていません。

 今回の西尾先生の「GHQ焚書図書開封」は日本がガラス箱から抜け出す最後の機会ではないかとおもいます。
文:足立誠之

師走の近況報告

 私はいま四つの会に参加ないし関与している。ひとつは私の主催する勉強会「路の会」で、毎月の例会は順調に開かれている。10月は新保祐司さんの「信時潔について」、11月はヴルピッタ・ロマノさんの「ムッソリーニについて」、そして12月はこれから開かれるが、桶谷秀昭さんの「マルクス『資本論』を読む」である。

 どれも面白いのでそのつどこの日録にレジュメを書きたいと思いつつ、果せない。来年は必ず実行しようと思う。テープ録音しているので、聞き直すことに意味がある。どうも片端から忘れていくので勿体ない。

 もうひとつは坦々塾である。これは3ヶ月に一度の割で開かれ、プロの評論家たちとは違う社会人の楽しい仲間が集う。11月の例会ではメンバーのお一人の三菱カナダ銀行元頭取の足立誠之さん、ゲスト講師として評論家の西村幸祐さん、それに私の三人が各一時間のスピーチをした。

 足立さんのスピーチは文章化されているので近くここに全文を掲示する予定である。私の話は『撃論ムック』の私の連載において評論文体に改め、正確に再現する計画である。次回の坦々塾は1月に新年会を開き、3月に次の例会を開催する。3月の会合のゲスト講師は山際澄夫さんにきまった。

 以上のほかに私は日下公人さんが座長の「一木会」、中曽根元首相を囲む箕山会(きざんかい)のメンバーに誘われ、毎月一度のペースで参加している。そこでの経験も追い追いお知らせしよう。これだけでも大変に忙しい。

 年をとると社会生活が乏しくなるとよくいわれる。だから人に会うのは大切であるとの言葉をよく耳にする。孤独が性に合っているので社交的に行動することは昔から苦手である。年をとったからどうしなければ、ということは私に限ってはない。たゞ大学勤務がもうないので、これくらいの会合に出る時間のゆとりはある。

 このほかに私が定期的にやっていることといえば、(株)日本文化チャンネル桜の「GHQ焚書図書開封」の放映である。放送日が少し間遠になっているが、毎月録画をするのが慣例である。第27回まで実行され、第23回分までが今校了直前まできている同書第二巻に採録される予定である。

 従っていま放映中のものは来年出す第三巻への集録を予定している。少し内容を変えて、第三巻は歴史を離れ、戦時中の日本人の心の秘密をさぐる、という方向の内容を模索している。

第24回放送 日本文明と「国体」
第25回放送 戦場が日常であったあの時代
        ――一等兵の死――
第26回放送 戦場の生死と「銃後」の心
第27回放送 空の少年兵と母

 考えてみると「国体」も「銃後」も死語であり、「七ツ釦は桜に錨」の予科練の「少年兵」ももう実感として知る人は少なくなっている。少年兵と母というところが肝心で、放映中文章をよみ上げながら私は思わず涙ぐんでしまった。

 以上のほかに『WiLL』や『諸君!』や『Voice』等に寄稿したり、関連の講演に出かけたりするのが私の日常だが、今年は例外的に単行本を数多く出したので、そのこともあってひどく忙しかった。

 2月号向きには『諸君!』から「わが座右の銘」アンケートをたのまれ、ニーチェのある言葉に3枚のエッセーをつけて提出した。

 12月20日には既報のとおり、『WiLL』記念四周年の講演会で話すことになっている。話題の田母神前空幕長が私の前に講演されるらしい。詳しくは『WiLL』1月号112ページを見られたい。

 『三島由紀夫の死と私』は出たばかりで、どう読まれているのかは知らない。「つき指の読書日記」で感想文がのったので、ご紹介する。また朝まで生テレビ出演に関して、友人から新しい感想文が届いたので、以下に二つをつづけて掲示し、近況報告を閉じる。

本の論説がいまの私の生きざまに迫ってくる、こんな為体(ていたらく)でよいのかと射ぬいてくるとは思わなかった。日々、読書に明け暮れし、一端(いっぱし)の読書家気取りでこうしてブログで駄文を書き散らかしている。行動とは無縁の状態にある。
 団塊の世代で、当然、全共闘にかかわった世代である。三島由紀夫の事件は、二〇歳過ぎ、東京で学生生活をし、鮮明に記憶に刻み込まれている。それこそ多くの報道や写真に、受動的に眼をとおしていた。
 東大全共闘との三島由紀夫の討論、当時、読んでいた。意外と共鳴する部分の多いのに驚かされた。しかし、同じ世界、拡がりには住んでいるとは思っていなかった。あの事件は異質な出来事、単なるアナクロニズムだとみなし、それ以上は思考を取り止めた。
 西尾幹二『三島由紀夫の死と私』(PHP研究所)を、またしても吸い込まれるように読んだ。ある意味で怖ろしい書である。氏が三島由紀夫との出会いになる『ヨーロッパ像の転換』も、その訪問時の印象を書いている『行為する思索』も読んでいる。手に入らなかったのは『悲劇人の姿勢』だけで、村松剛、徳岡孝夫両氏の本も後に目をとおしている。江藤淳のその部分は読んでいない。その書籍で事件を判断しようとは思わなかった。西尾幹二のように、刃を突きつけられることはなかった。本書の強靱さで、その奥底にある深さ、理解への重い扉をはじめて開いてくれた。
 団塊の世代は全共闘運動をその後、回想することはなかった。内ゲバと浅間山荘で、一括りにできない現実だけが暗鬱に残り、語らないことを当然視しているのは、私だけではない筈である。それほどの思想ではなかった。自分を含め、教養主義の残滓だけ抱えているひとはいる。
 文学も当時とはちがい、芸術とか政治とか、あまり活字が大きくなることは嫌っている。私小説はもともと馴染めなかったし、青臭い話よりはエンタテインメントか、大人の情感に裏打ちされた直木賞を愛するようになった。三島由紀夫の小説も数多く読んでいるが、『豊饒の海』以降は止めた。
 いま西尾幹二は、日本の自立を熱く語りはじめている。現下の問題を超えた、日々の時流に流されず、先々の時流を織り込んだ、俯瞰力のある論をいずれ示してくれるだろう。問題は他国にあるのではなく、足許の日本にある。そこから思考停止せずに組み立てていくしかない、そう思って、迫真の書を置いた。

つき指の読書日記より

F
「日録」に、あの番組についての感想、ほぼ出揃つたやうですね。そのどれもまったうと存じます。
まことにお疲れさまでした。
以前は、私が先生なら、あんな番組には出てやるものかと考へてゐました。あのウジ蟲以下の連中と席を同じうすることは不愉快に決つてゐるからです。思ふだに蟲酸が走ります。この思ひは多分先生におかれても同じでせう。
けれども、最近は、さういふ感情を抑へて出演される先生のお考へが、多少なりとも分るやうになつてきました。如何に癪に觸らうと、言ふべきことを言ひ、視聽者の何%かでも啓蒙できればといふお考へでせう。
そして、これは今囘成功したと思ひます。私の場合、通つてゐる接骨院の待合室で、をばさん達の「あの西尾といふ人、なかなかしつかりしてゐて、いいことを言ふわね」といつた會話を聞いた程度で、何%といふやうなことまでは、とても分析しきれませんが。
先生が大聲を發せられたり、イライラなさる場面、はらはらしながら、痛々しく拜見したことはたしかです。しかし、結果として「きちんと説得的に」話されたことは間違ひありません。だからこそ、下町(場末?)のをばさんまで感ずるところがあつたのだと思ひます。
それにしても、ギャラ(幾らか存じませんが、大した額ではないでせう)に合はぬ、面白からざる役ですね。私なら、やはり「出てやらない」でせう。
田母神さんといふ人、日を經るにつれ、私は好意を募らせてゐます。特に、そのユーモアと生まじめさが好ましい。
そして、誰かが言った「國民の國防意識に大變革を齎すかもしれない」との説には、さうあることを切望します。しかし「まづ國民にショツクを與へること」(ヒトラー)、「民衆をして唖然たらしめること」(マキャベリ)の有效なことを思ふと、田母神さんの、あまりの靜かさ、穩やかさがマイナスになることを危惧します。
田原なぞが口モグモグで、誰も何も言へないうちに、靜かに、堂々と核武裝を進めてくれるやうな英傑の出現は、我が國に於ては望めないのでせうか。
先生によつて教へられた、ミラン・クンデラの「一國の人々を抹殺するための最初の段階は、その記憶を失はせることである」は、日本に於て既に半ば以上成功してゐませう。しかし、なんとかこれを覆したいものです。
先生の御健鬪を祈るや切です。但し、お年と御健康もお忘れなく。