村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム集(第一回)

 村山秀太郎さんは昭和38(1963)年生。早大大学院修士、社会思想史専攻。大学受験「世界史」の予備校名物講師として知られる。

 16歳で単身ヨーロッパを回遊した。その後世界各国を100か国以上、紛争地帯を含めて踏破し、その知見に基くユニークな講義で名を高からしめた。

 著書は『わかりやすい世界史の授業』『よくわかる中東の世界史』『朗読少女とあらすじで読む世界史』(以上角川書店)、『世界史トータルナビ』(学研)

 シアターテレビジョンで開講中の「村山秀太郎の世界史超基礎講座」に過日、西尾が三回ゲスト出演をした。(まだ放送前)

 村山さんが昔から私の本の愛読者であることは知っていたが、現在私の全集の全巻読破中で、文章からアフォリズムを拾いたいと申し出られたので、そのヨーロッパ体験に共鳴し、お願いした。面白い結果が生まれることを期待している。次々とどんなアフォリズムが出てくるのか、私はまだどれも読んでいないのでまだ知らない。

1)私が使っている言葉や観念はどうなのか?私のものの考え方、生き方の形式はどうなのか?この異質とみえる世界(ヨーロッパ文明 村山注)と不可分に結びついていることはどうあっても疑えないことのように私には思えてくるのである。追いつくとか、追い越すとか、そういう意識からわれわれが完全に自由になり得ていないことが、すでにその証拠であるとさえ言えるかもしれない。  
全集第一巻 ヨーロッパ像の転換 P13上段より

2)日曜には、ひとびとは着かざって、家族づれで散歩する。ヨーロッパ人はじつに散歩が好きなのである。このような狭い町で、散歩するといっても、毎日曜おなじところを歩くしかない。それでもひとびとはけっして飽きないのである。あたかもそこでは時間は停止しているように思えた。
全集第一巻 ヨーロッパ像の転換 P15下段より

3)ヨーロッパ人は(中略)余計な知識をがつがつ身につけようという習慣がないのである。だからヨーロッパでは本もあまり売れない。時間があれば、日がな公園で日光浴をし、子供と遊んで暮すというようなのが西洋の小市民の生き方である。
全集第一巻 ヨーロッパ像の転換 P16上段より

日本文化チャンネル桜出演のお知らせ

日本よ、今…闘論!倒論!討論!2014(350回目)

アメリカはいったいどうなっているのか?

放送予定日時:4月5日(土)スカパー217ch 20時~23時およびインターネット放送「So‐TV」

パネリスト 
 片桐勇治 (政治アナリスト)
関岡英之 (ノンフィクション作家) 
 田村秀男 (産経新聞社特別記者・編集委員兼論説委員)
 西尾幹二 (評論家)
 馬淵睦夫 (元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 三橋貴明 (経世論研究所 所長・中小企業診断士)
 渡邊哲也 (経済評論家)
 
司 会 水島 総 (日本文化チャンネル桜 代表)

3月後半の「日録」

 3月中旬からの「日録」を綴ることにしたい。

 14日に高橋史朗氏の新著『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』という長い題名の本の書評845字を書いた。産経新聞文化部に送った。

 この日安倍総理が河野談話の「見直し」はしないと明言した。日米韓の三国会談をひかえてのアメリカからの圧力があってのことに違いないが、やっぱりそうかとがっかりする。

 クリミア併合へ向けて急展開するウクライナ情勢を横目に見て、「正論」5月号の原稿を書く。20日の情勢まで入れて「ウクライナで躓いたオバマはアジアでも躓く」(30枚)を書き上げた。雑誌の要望で題を短くする必要があり、「無能なオバマは日中韓でもつまづく」に改めた。

 私の家は建てて早くも17年経ち、外壁と屋根を洗浄することになり、建設業者が出入りし始め、20日から3~4日忙殺される。こういうことが起こると落ち着かない。実際の工事は5月末に始まる。

 日本文化チャンネル桜が『言志』というネット雑誌を作っていたが、今度紙の雑誌としても出版することにしたそうで、その第一号のために「日本はアメリカからとうに見捨てられている」を書く。わずか8枚だが、一日かかった。

 3月24日夜、私の呼びかけで、関岡英之、河添恵子、坂東忠信、河合雅司(産經編集委員)に産經新聞社に集まってもらって、「日本を移民国家にしていいのか」を世間に訴える移民問題連絡会をつくった。

 5月に『正論』編集部主催のシンポジウムを開き、それを皮切りに「年20万人移民導入」という自民党案に待ったをかける。

 26日午后3時から福井義高氏と対談。私の『正論』2、3、4月号の「『天皇』と『人類』の対決――大東亜戦争の文明論的動因」は私としては最近では最も充実した一作のつもりである。福井氏にコメントを付けてもらった。書きっぱなし、出しっぱなしではなく、一論文に、直接コメントで感想や異論を付けてもらうのはありがたい。編集長が同席し、面白いのでこれも雑誌に出した方がいいと仰有ったが、どうなることか。

 福井義高氏は欧米の現在のジャーナリズムや学会における第二次世界大戦観について幅広い知識に通じている。西尾の考え方はその中に位置づけてみると異端どころかむしろ正統派に属するのだ、といつも言っている。この点を検証してもらうのがポイントだ。

 27日前橋市に赴き、群馬正論懇話会の講演会で「歴史の自由を取り戻せ」と題して1時間30分語った。翌日新聞に出た内容案内を記しておく。

 西尾氏は、第二次世界大戦を戦った日本を「欧米列強の侵略を免れた唯一の国」とし、「欧米は侵略に『NO』を突きつけた日本を『悪』と決めつけた」と主張。「今もその流れは続いている」と自身の歴史認識を示した。

 安倍晋三首相は平成5年の「河野談話」の見直しを否定したことについて「アメリカの影響があった」とし、「アメリカは中国と韓国を利用して、自らが築き上げた戦後秩序を何としても守ろうとしている」と主張。「米政府は首相の靖国神社参拝に『失望』を表明したが、日本政府も中国の民主化に熱心でない米政府に失望したというべきだ」と訴えた。

 28日新潮社編集部と会談した。私の単行本『天皇と原爆』が8月に文庫化される件について話し合い、巻末解説に渡辺望氏をお願いするかねての提案が確認された。

 28日日本文化チャンネル桜でも移民反対キャンペーンを展開したいとの私の提案について、全面的に了解される。水島氏側でも同様の計画をもっていたらしく、4月以後のスケジュール調整をした。

 お花見のお誘いを各方面からいただいているが、参加できない事情は以上のような過密スケジュールのゆえであり、了承されたい。3月31日付で「GHQ焚書図書開封 ⑨」の『アメリカからの宣戦布告』が出版された。

遺された一枚の葉書

遠藤浩一氏追悼文

 私は1月3日に遠藤浩一さんから葉書をいただいた。5日に知人から「未確認情報ですが、遠藤さんが亡くなったらしいんです」と電話が入った。一体何を言っているのかと訝しみ、福田逸さんに問い合わせた。福田さんも聞いておらず思い切って奥さまに電話を入れて事実を確認し、私にも知らせてきた。奥さまは取り乱しておられる由、私は面識もないので遠慮して電話は控えた。葬儀は執り行われないというのでどうしてよいか判らない。いただいた葉書の日付をみると12月31日に書かれていて、1月1日に投函されている。内容は贈呈した私の新刊本へのお礼である。年賀状の端に書けば済むし、他の人はそうしているのに、十行にわたって本の中味に及んでしっかりした文字で書かれている。年内に間に合わせようと急いで書いて急いで出したものらしい。礼儀正しい人なのである。ひょっとすると絶筆かもしれない。この一枚の葉書をどう扱ってよいか後で考えたい。

 1月10日に彼もメンバーである「路の会」という勉強会の新年の集いがあった。急逝で気を鎮められない人が多く、21人も集まった。しかし急死するようなご病気があったとは誰も聞いていなかった。死の前後の情報も伝わってこない。なぜ逝ったの?と繰り返し呟くのみである。十日経ってこれを書いているが、私はまだ彼の死を受け入れる気持ちになっていない。現代では55歳は夭折である。12年前に坂本多加雄さんの死に私は同じこの夭折という言葉を用いたことを思い出した。

 私が遠藤浩一さんに出会ったのは39年前の1976年、彼が高校三年のときであった。私の側に初対面の認識はない。彼がそう言うのである。彼の母校県立金沢桜丘高校の創立記念祭で私が講演したのは覚えている。彼は会場で聴いていた一人である。数年前に電話でそう言い、何を話したかすっかり忘れていた私に「ちょっと待って下さい」と言ってどこからか講演録をさっと持ってこられた。「どこに置いてあったの?」とその早さにびっくりしていると、いつも書棚の一角に置いてあるんですと言われてさらにびっくりし、ひたすら感激し、申し訳なくさえ思った。

 「個人・学校・社会――ヨーロッパと日本の比較について」と題した私の話を収めた校友会誌のコピーを後日送ってくれた。モントリオールオリンピックの年で、韓国の選手たちは金メダルを獲ると高い報奨金をもらえるのに日本の選手にはそれがない、という不平不満が一種の社会問題になっていた。私は保証のない自由、それが本当の自由ではないか。自由とは自己決定であり、つねに安全とは限らないのではないか。悪を犯す自由も、怠惰である自由も、真の自由のうちには含まれているのではないか、というようなことを高校生を前に必死に説いていた。遠藤少年の琴線に触れたことは間違いない。私と彼とは23歳も違うが、師弟関係ではない。あれからずっと「真の友情」が続いた。民社党の月刊誌『革新』の編集者になってからたびたび私は訪問を受け、今度調べると八回のインタビューが全部彼の手で論文として纏められていた。彼の理解は早く正確だった。

 2002年に「路の会」のメンバー20人で合同討議本『日本人はなぜ戦後たちまち米国への敵意を失ったのか』を出した。遠藤さんは自分は戦争直後を知らない世代だがと断った上で、永井荷風の『断腸亭日乗』の昭和20年9月16日の記述を読み上げた。荷風が「国民の豹変して敵国に阿諛(あゆ)を呈する状況」を見て、戦時中「義士に非ざるも……、眉を顰め」ずにはいられない、と述べている箇所にとくに注目している。荷風は戦時中、日本軍部に秘かに冷や水を浴びせていたことはよく知られ、戦後しばしば賞賛されたが、遠藤さんはそういう個所ではなく、戦後たちまち所を替えて米占領軍に「阿諛(おべっか)」を呈するわが国民に冷や水を浴びせている荷風の姿勢に目を向けている。そして8月15日より以降、荷風が「しばらくの間、休戦」といい、「敗戦」とも「終戦」とも言っていないこと、戦意の継続意志の表明があることに着目し、「義士」にあらざる荷風が解放感で大喜びしたりせず、アメリカは依然として「敵」であり続けたことを重視している。こういう個所を読み落とさず、しかと目を据えている点に遠藤さんの本領があった。

 私に最後にくれた例の葉書でも「安倍総理の靖国参拝に、中韓のみならず、米国をはじめとする世界中の国が騒いでみせていますが、これも日本の国家意志の表明が国際政治を左右しはじめていることの証だと思はれます」と書いていた。右は首相の靖国神社参拝の五日後、彼の死の四日前の認定である。

 遠藤さんは若い頃芝居を書いていて、文学の徒である。アマチュアの役者でもあり、声は張りがあり、朗々としていた。政治論より文学の話題を交わすのが楽しかった。福田逸さんを交えて三人で間を置いて飲み会をやっていた。日本橋に炭火を囲む面白い店を見つけたので年が明けたら集まろうよ、とつい先日言ったばかりなので、私はまだ今日の事態を理解することが出来ずにいる。

『正論』2014年3月号より

慰安婦、オバマ、ウクライナ、フランクリン・ルーズベルト、日米開戦史

 3月14日に安倍首相は正式に河野談話の見直しはしないと表明した。その少し前に菅官房長官が談話の成立過程を政府内研究会をつくって検証すると言った。ワシントンのサキ報道官はこれを承けて首相の決定を「前進」と評価し、今後とも歴史問題を解決するよう日本政府を促していくと語った。すると菅官房長官は日を置かずに、談話の「検証」はするが、その結果いかんに拘わらず「見直し」はしないと重ねて強調した。

 日本ではみんな穏和しくしているが、これは大変な決定である。日本の名誉はこれで永久に救われないことになる。外地で慰安婦像の撤去のための地味な運動をしている日本人愛国者たちに、安倍さんは会わせる顔がないだろう。

 オバマ訪日を前にしてこの動きがきまっていくプロセスのかたわら、ウクライナ問題が進展し、クリミアのロシア支配が決まった。

 私が当ブログの更新を怠っているときというのは、雑誌〆切りの原稿に没頭しているときと思っていたゞきたい。慰安婦、南京、侵略概念という日本を苦しめる歴史のテーマと、ウクライナでアメリカが有効な手を打てず無力をさらし、中国が西太平洋を狙って不気味な沈黙を守っている情勢とはぜんぶつながっている。

 私は『正論』5月号(4月1日発売)に「無能なオバマは日中韓でもつまづく」という論文を出した。これは表紙に出る文字で、目次は少し違って、「ウクライナで躓いたオバマはアジアでも躓く」である。本当は後者が私の立てた題である。長過ぎて表紙に用いるのに具合が悪いので前者の題にしたと編集長が言った。

 私は慰安婦=河野談話問題とウクライナ=オバマ問題を一つながりのテーマとして扱ったので、毎日動いていくニュースを追う関係で時間がかゝり、当ブログはしばらくお休みになった。

 もう一つのより大きなテーマをこの論文にからめている。その話を少しさせて欲しい。フランクリン・ルーズベルト大統領の対日開戦の責任と中国を共産国家にしてしまったアメリカの戦後処理の失敗責任について、アメリカでも研究や議論が進展している。気鋭の歴史家・渡辺惣樹氏の『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』(2013、草思社)は新しいアメリカの歴史の見方を紹介している重要な著作である。

 ところで私の「GHQ焚書図書開封 9」『アメリカからの「宣戦布告」』は3月のうちに全国の書店に出始めている最新刊で、アマゾンではもう売り出されている。渡辺さんの本と私の本とは結論が近づいている。それは何を意味するか。

 日米開戦の責任をめぐる戦勝国の今の認識と敗戦国の当時の認識が接近してきたのである。敗戦国の見ていた歴史の真相を戦勝国も70年経って認めざるを得なくなってきたのである。

 当ブログの読者の皆様へ申し上げたい。『正論』5月号にすべて詳しい、突っ込んだ分析を展開されていますので、まずそちらを見て下さい。当ブログは私の考えの展開の場ではなく、私の活字世界の活動のご紹介の場です。

 私の考え方を正確に知っていただきたいので、以上のようにお願いする。

ウクライナ情勢と安倍外交

 ウクライナの情勢を憂慮しています。ことに日本の立場、安倍外交の判断の難しさは、予想されていたこととはいえ、同情に値します。

 距離が遠い国は、ある程度、あいまいに対応、ずるい逃げの姿勢でいるのを許されることがあります。かつて天安門事件のとき、欧州各国は中国に対し冷淡に拒否的でした。日本政府は孤立する中国を助ける方針を打ち出しました。ロシアのウクライナ政策に対するアメリカと欧州の制裁に日本は必ずしも参加する必要はなく、せっかくうまく行き始めた対ロシア外交を日本政府としては大切に守りたい思いでしょう。ロシアは日本の隣国です。菅官房長官はそういう方針を口にしていました。

 しかしロシアのクリミア奪い取りは中国の尖閣奪い取りと同レベルにも見えるので、ウクライナの主権を平然と犯すロシアの軍事行動を日本が黙認することはブーメランのごとく自分にはね返って来ます。ここは原則尊重で、アメリカや欧州と同一歩調をとることが一応は必要に思えます。しかし、アメリカと欧州の対ロシア制裁はどのていど本気なのでしょうか。

 欧州も戦火を交える気は毛頭なく、アメリカも同じように武力行使など考えていません。ロシアはそこを見越していて、一気にクリミアを併合する構えです。中国はこれを後押ししています。

 日本はアメリカに顔を立てても、たゞロシアの不興を買って、せっかくアメリカからの自立外交として目立っていた対ロシア接近は効果激減となるでしょう。ここは一番踏ん張って、何年か先の政治効果を狙ってロシアの顔を立て、制裁はやならいという方針もあり得るだろうと考えられます。

 しかし、しかし、ここがよく考えなければならない正念場です。ロシアと中国は接近し始めています。一連の動きは「冷戦」は終っていないこと、北方共産回廊が亡霊のごとくユーラシア大陸に再び暗雲をひろげ始めたとも考えられます。

 だとすれば、日本は反共国家として、アメリカと欧州各国の行動に歩調を合わせざるを得ないということになりましょう。結局、そういうことになり、安倍自主外交はしばらくお休みいたゞくことになるのではないでしょうか。

 尤も、この面倒な諸国家間の関係をどう泳ぐかで安倍外交はその真価を試されているともいえます。

西尾幹二全集第9巻『文学評論』の刊行

 私の全集は過去の作品の集合ではなく、再編であり、再生であることを秘かに誇りにしていることを、今度出た第9巻『文学評論』ほどはっきり示した例はないだろう。今まではどの巻にも一冊ないし二冊の主要著作があった。今度はないのである。一巻ぜんぶばらばらのものを再編成した集合作品集である。愛読者の方でも知らない文章が多いはずである。その第9巻がついに出版された。あらためて目次を紹介させて頂く。

 文学評論は私の故地であり、根拠地である。私の発想の基本には文学がある。そのことにすでに気がついている方も多いだろうが、後半生の仕事から私を知った方は、これほどの分量の文学評論が書かれていたことはあまり知らないだろう。

 私はこの道へ再び立ち戻るかもしれない。やり残したテーマが私を待っているからである。本巻の「後記」を読んでいたゞくとそれが分る。

 全集発刊のペースはじりじり遅れていて、3ヶ月に1巻のペースは少しづつ難しくなっている。全巻講読の機会をとり逃がしていて、それでもまだ講読のお気持をお持ちの方は、国書刊行会の永島成郎営業部長(Tel 03-5970-7421)と相談して欲しい。9巻までを一度に購入しないでも毎月一巻づつ買って9ヶ月で追いつく、等々の便利な方法をいろいろ考えてくれるはずである。よろしくお願いしたい。

 また最寄りの図書館に買い入れ要請をして、そこで読んでいたゞくことも可能だと思う。

  目  次

Ⅰ 初期批評

 批評の二重性
 現代小説の問題(付・二葉亭四迷論)――大江健三郎と古井由吉
 日常の抽象性――開高健『夏の闇』をめぐって
 観念の見取図――丸谷才一『たった一人の反乱』と山崎正和『鷗外闘う家長』

Ⅱ 日本文学管見

 日本人と時間
 『平家物語』の世界
 『徒然草』断章形式の意味するもの
 人生批評としての戯作――新戯作派と江戸文学
 本居宣長の問い
 明治初期の日本語と現代における「言文不一致」
 漱石『明暗』の結末
 芥川龍之介小論
 漢字と日本語――わたしの小林秀雄

Ⅲ 現代文明と文学
 
 智恵の凋落
 批評としての演出――シェイクスピア『お気に召すまま』
 愚かさの偉大さ――黒沢明『乱』とシェイクスピア『リア王』
 オウム真理教と現代文明――ハイデッガー「退屈論」とドストエフスキー『悪霊』などを鏡に
 韓非子の説難
 歴史への畏れ
 便利すぎる歴史観――司馬遼太郎と小田実

Ⅳ 現代の小説

 八〇年代前半の日本文学
 老成と潔癖――現代小説を読む
 「敗戦」像の発見――明るい自由な時代の不安

Ⅴ 文学研究の自立は可能か

 作品とその背後にあるもの

Ⅵ 作家論

 高井有一
 柏原兵三 Ⅰ Ⅱ Ⅲ
 小川国夫
 上田三四二
 綱淵謙錠
 手塚富雄
 江藤淳 Ⅰ Ⅱ Ⅲ
 石原慎太郎

Ⅶ 掌篇

 大岡昇平全集の刊行にふれて
 平野謙と批評家の生き方
 「近代文学」について
 文壇の内と外
 三島由紀夫『青の時代』について
 一度だけの思い出
 ツルゲーネフ『父と子』
 私の読書遍歴
 私が出会った本――ニーチェ『悲劇の誕生』と福田恆存『人間・この劇的なるもの』
 ドイツ文学を選んだこと
 トナカイの置物――加賀乙彦とソ連の旅
 柏原兵三の文学碑
 近代文学 この一篇

Ⅷ 一九八八年文壇主要作品論評

 「新潮」 (一九八八年一~三月、同十月)
 
  告白の抑制――辻井喬『暗夜遍歴』
  言葉の届かぬ領分――高井有一「浅い眠りの夜」『塵の都に』
  健康な、余りに健康な――野坂昭如『赫奕(かくやく)たる逆光』
  自然人の強な生命力――八木義徳『遠い地平』
  生の暗部への対応――黒井千次『たまらん坂』、田久保英夫『緋の山』
  
 「海燕」 (一九八八年九月~八九年二月)
 
  主題不在の変奏――吉本ばなな『うたかた╱サンクチュアリ』、丸谷才一「樹影譚」
  時代の映像――安岡章太郎『僕の昭和史Ⅲ』、新井満『尋ね人の時間』
  日常と深淵のはざま――色川武大『狂人日記』、石原慎太郎『生還』
  世界像の明暗――中野孝次『夜の電話』、村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』
  陰画の必然性――阿部昭『父と子の連作』、坂上弘『突堤のある風景』

Ⅸ 文芸時評
 
 「季刊芸術」(一九七〇年一~三月)
  「日本読書新聞」(一九七二年一~六月)
 文芸時評のこと
 共同通信配信(一九八一~八四年抄録)
 文芸時評家対談・座談会の記録一覧

Ⅹ 書評

評論

小林秀雄『感想』 桶谷秀昭『保田與重郎』 入江隆則『幻想のかなたに』 秋山駿『魂と意匠――小林秀雄』『山口剛著作集』全六巻 高橋義孝『文学非芸術論』 ベーダ・アレマン『イロニーと文学』 島崎博・三島瑤子編『定本三島由紀夫書誌』

小説

芝木好子『隅田川暮色』╱『貝紫幻想』竹西寛子『春』╱『読書の歳月』 上田三四二『花衣』╱『惜身命』 古山高麗雄『小さな市街図』 井上靖『本覺坊遺文』 柏原兵三『独身者の憂鬱』╱『ベルリン漂泊』 高井有一『遠い日の海』╱『夜の蟻』 立松和平『歓喜の市』辻井喬『暗夜遍歴』 中野孝次『はみだした明日』

追補一 桶谷秀昭・西尾幹二対談 戦後三十年と三島由紀夫

追補二 江藤淳・西尾幹二対談 批評という行為――小林秀雄没後十年

後 記

平成26年坦々塾新年会

 2月も雑誌論文で苦労しました。

 『WiLL』4月号に、「アメリカの『慎重さ』を理解してあげよう」を書きました。ただし、これは副題にまわり、「『反米』を超えて」が本題になったようです。本題をつけたのは花田編集長です。

 『正論』4月号は3回の連載が終りました。「『天皇』と『人類』の対決―大東亜戦争の文明論的動因 後篇」です。やっと終りました。3回で100枚論文になりました。

 ところで、1月の坦々塾の新年会の報告分を渡辺望さんに書いてもらいました。以下の通りです。

渡辺 望

 1月25日午後4時より、坦々塾新年会が水道橋の居酒屋「日本海庄屋」でおこなわれました。新年会の進行は前半は西尾先生の新年に際してのお話、そして坦々塾新会員の紹介、そして後半は懇親会という順序でした。

 参加者は10名の新入会員の方を含め48名を数えました。新入会員のお名前を挙げさせていただきますと、赤塚公生さん、伊藤賢さん、片岡紫翠さん、竹内利行さん、田中卓郎さん、恒岡英治さん、松原康昭さん、村島明さん、藪下義文さん、渡辺有さんです。皆様、坦々塾の参加に至る経緯をお話くださいましたが、それぞれ多様な形での西尾先生・坦々塾へのアプローチを経ての参加でした。

 新年会の始まりに際して、西尾先生の本筋でのお話とは別に、2月9日に迫っている東京都知事選への先生の田母神俊雄候補への強い支持期待が表明されました。また西尾先生の著作『真贋の洞察』(文藝春秋社)が、会員の今後の思想考察の深化に役立つよう、会員に一冊ずつ無償で先生より提供されました。懇親会は三時間以上に及ぶ大議論の席となりました。 

 さて、当日の新年会報告を西尾先生のお話を中心に以下記したいと考えますが、当日の先生のお話の主要内容だった、アメリカ論を中核にした近年の日本を巡る国際関係論については、先生の近著の『憂国のリアリズム』『同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説くときがきた』と内容が重なるように感じられます。そこで、両著作と先生のお話を行き来しながら、先生のアメリカ論をまとめることで、新年会報告の大枠にいたしたく思います。

 「反米」と「親米」、あるいは「親米保守」と「反米保守」という言葉が、西尾先生に限らず、最近の論壇人の論考に多く出てくるようになってきているように思います。それについて自分は色々な感想を持つのですが、これは今回の新年会ではなく、前回の年末の全集記念講演会でのことなのですが、先生が「自分は反米ではないんですよ」と言った途端、「意外だな・・・」というニュアンスのような苦笑の集まりの笑い声が聴衆の皆さんから起きたことを思い出します。

 ところがしばらくして先生が「自分は反米ではなく離米だ」といったときには、聴衆の感情的な反応は何もありませんでした。おやおや・・・と私は思いました。聴衆の皆さんは西尾先生の最近のアメリカ論の本当がわかっているのだろうか?と自分は感じました。「自分は反米でも嫌米でもなく離米」、この言葉は新年会の西尾先生のお話でも再び登場しました。それだけではない、私があげた先生の近著でもある言葉です。

 「反米論」というのはそもそも、たいへん雑多な立場を意味します。反米論と親米論、親米保守論と反米保守論という区分がとりあえず可能だとして、現在、最も先鋭に親米保守論の位置にいる(と思われる)論客の一人に田久保忠衛さんがいます。その田久保さんとやはり親米保守論に位置する古森義久さんとの『反米論を撃つ』という対談本があるのですが、この本を読むと、戦後日本の反米論の系譜がよく整理されていて面白い。両者の主張を一言で言えば、戦後日本の反米論の大半が、全くくだらないものだったということです。

 言うまでもなくまず左翼的な反米主義という「伝統的」な反米主義があります。この流れはかなり弱体化したとはいえ、依然として朝日新聞その他に相当数存続している。西尾先生も著書で言われていますが、1970年代くらいまでの日本の言論界はまったくの左翼主導、ソビエト、中国、北朝鮮礼賛で、それらの共産国家に対峙するアメリカを支持すること自体が「保守」である証しでした。福田恆存ですら「日本はアメリカの「妾」でなく「正妻」になれ」と言っていた時代です。この時期におおっぴらにアメリカ批判とナショナリズム的姿勢を一体させていたのは、三島由紀夫と、先生が著書で引かれているような赤尾敏の銀座辻説法くらいのものだったのではないでしょうか。

 「伝統的」な左翼的な反米主義は要するに、アメリカの軍事攻勢を受けている各地域でおこなわれている残酷な情景や管理統制をとりあげて、「反」を突きつける、というやり口なわけですが、当然なことに、アメリカの軍事攻勢の対象になっている勢力の残酷については無視を決め込む、という稚拙なものです。ベトナム戦争でアメリカに対峙する「正義」なる北ベトナム政権がベトナム人民におこなった大量虐殺をベトナム反戦運動が問題にすることは決してなかった。この反米左翼の思潮の相当部分が、(時折、親中国・親韓国化する)アメリカという虎の衣を借る狐になって親米左翼化し生き残ろうとしている由々しき現状も進行しています。

 しかし、以下は田久保さんの本に書かれていることではないのですが、こうした伝統的な反米左翼はもっと根本のところで大きな欺瞞をもっていると考えられます。それは戦後アメリカの軍事攻勢や政治攻勢をラディカルに否定するのなら、大東亜戦争の最終期において、日本は本土決戦を継続すべきではなかったか、という避けて通ることのできない問題を避けてしまっていることです。

 もし本土決戦を続ければ、日本国家は物理的には壊滅し、凄惨な殺戮の中、国土の少なくとも半分は東側陣営に組み込まれ、皇室の存続もあやうくなっていたでしょう。少なくとも今日のような日米安全保障体制はなかったに違いない。しかしそのことはまさに、「アメリカの傘下に入ることを拒否しつくした日本」「アメリカに徹底的に抗戦を続けて壊滅した日本」という、反米主義の実現の極地に至ることを意味したのではないか。日本の破滅と引き換えに、日本が「反米の聖地」になったかもしれないのです。しかし「甘え」に浸っている大半の反米左翼はこの苦しい問題を考えることをしない。

 だから戦後の日本の時間はすべて「虚妄の時間」であるという後ろめたさが本来、反米主義には圧し掛からなければならないことになります。けれど「虚妄の時間」を拒否して、「本土決戦=日本の破滅」を受け入れれば、こうして語っている自分たちも消滅するのかもしれないのですから、それは簡単に拒否できるものではない。「虚妄」はさらに重くのしかかってくる。「反米」は決してやさしい思想ではないのですね。それどころか、戦後最大の難問なのかもしれない。少なくともその難問の重さを、「伝統的」な反米左翼は何ら認識していないといえます。

 田久保さん古森さんの本に戻りましょう。この本は後半に至り、「反米保守」の旗をかかげた西部邁さん小林よしのりさんへの激しい批判を展開します。これは小林さんたちが田久保さんたちを批判したことの再批判という面もあるようですが、つまり保守主義的立場からの「反米」が可能か、という問題になります。西部さんはかつては湾岸戦争でアメリカの軍事介入を前面支持したように、一面的な反米主義者ではなかったのですが、ここ10年間くらいに、猛烈な反米主義に転じました。その西部さんに私淑している小林さんがそれに追随して反米主義のアジテーションをあちらこちらでしているということは、案外よく知られていることです。

 西部さん小林さんの幾つかの反米主義の本(『反米の作法』など)田久保さん古森さんの批判本を読み比べる限り、両者の対立は田久保さん側の「完勝」です。田久保さん古森さんはこれでもかこれでもかと西部さん小林さんを言葉遣いの間違いのレベルからこきおろしているのですが、残酷なくらい全部あたっているんですね(笑)

 言葉遣いの面はともかくとして、全体的にみて、西部さん小林さんが掲げている「反米」は、反米の「反」だけしかわからないのは、私のようにアメリカ論の専門家でない人間にもよくわかります。批判対象のアメリカの実体がぜんぜん見えてこない。たとえば西部さんは「アメリカ=WASP」論を振りかざしますが、田久保さんが批判するように、アメリカの主導権を握っているのは相当がユダヤ人であるという常識的な視野がゼロ。またあるいは英米可分論と英米不可分論という、近代史で時期をわけて慎重に論じなければならない重要テーマについても西部さんはイギリスは伝統主義の国だといい、「アメリカはヨーロッパという故郷を喪失している」というふうに断じているだけで、アメリカ=反伝統、ヨーロ
ッパ=伝統主義というブツ切りにしているだけです。

 アメリカが嫌いで仕方ないのは個人的趣向としていいとして、西部さんたちにはアメリカという国への「驚き」がないのではないか、と私は思います。史上かつて存在したことのない国家であるアメリカという国への「驚き」がない。驚きがないから、アメリカを既存の歴史の概念の枠組みに強引に単純に当てはめる。西部さんはアメリカを「ソビエトと同列の左翼国家」なんていっているんですね。そんなふうにいうならフランス革命の思想を輸出してきた近代フランスだって立派な「左翼国家」ではないでしょうか(笑)

 この「アメリカ嫌い」にはリアルポリティックスへの考察もないですから、北朝鮮をどうするか、ベトナム戦争はどちらが正しかったのかどうかという言及もない。もしアメリカが不在だったら、北朝鮮に「戦後日本」が独力で対峙し、ベトナム戦争にだって「戦後日本」は介入しなくてはならなかったでしょう。イラクの問題と違い、これらは近隣の東アジアでの日本にかかわる出来事です。言及したっていいのですが、そこまでの想像力はなく、結局、西部さんがやっていることはイラク擁護みたいなことに陥り、これはベトナム戦争のべ平連の思想と何も変わらず、つまり伝統的な反米左翼と同じになっていく。
 
 言うまでもなく、西尾先生のアメリカ論は西部さんのような乱暴なアメリカ論とは無限の距離があります。新年会のお話で「日本はアメリカに依存して生きている。安全防衛だけでなく食料や水までも依存している。この依存しているという事実から離れられないことは認識しなければならない」と先生は言われました。このお話を私なりに解釈すると、日本がアメリカに依存してきたこと、そして戦後世界でアメリカがしてきたことは全部が全部、間違いだったということではない、それは厳然たる事実で見つめないと話が観念的になってしまうよ、ということになると思います。

 たとえばベトナム戦争でのアメリカの介入自体は間違いではなかった。北ベトナムに正義なんてなかったのです。もちろん、イラクにも北朝鮮にも正義はない。これは親米保守だろうが反米保守だろうが、「保守」の面から揺り動かすことのできない点であって、この点は田久保さんたち親米保守派と西尾先生は見解を一にされると思います。

 問題は、アメリカの「正義」が、短期間的な戦後のリアルポリティックスからみれば妥当なのだが、長期的に考察すればだんだんといかがわしい面が見えてきて、リアルポリティックスから本質論に向いて考えざるを得なくなるという点です。たとえば、なるほど、ベトナム戦争や朝鮮戦争はアメリカの正義であり、西側自由主義の聖戦だった。しかしそのことと、20世紀前のアラスカやハワイ、フィリッピンの侵略は軌を一にしないものなのかどうか。中国と組んで日本に包囲網をつくったアメリカと、冷戦終了後も世界に軍事基地を維持しているアメリカは、同一のものなのではないか。同じ根源から同じように起きていることが、時代によって正義に見え、時代によって侵略そのものに見えるとしたら、そ
の根源とは何なのか。

 親米保守論が依拠しているリアルポリティックスの「リアル」は、せいぜい1950年から1990年くらいまでの現実でありアメリカの歴史です。それを崩すような反米論がありうるとすれば当然、もっと長いスパンでのアメリカの歴史になるのですが、戦後の反米論は米西戦争や南北戦争を何も問題にしてきませんでした。西部・小林のコンビも然り。そうした長いスパンでの歴史論が田久保さんたち親米保守論の最大の弱味であるにもかかわらず、です。

 比べて西尾先生の親米論への反駁が強力であるのは、歴史論で武装している幾重にも面があるからに他なりません。西部さん小林さんのアメリカへの悪罵を何十並べても、「南北戦争の北軍に20世紀のジェノサイドの起源があった」という西尾先生の反アメリカ論の重みに適うことは決してないでしょう。常に「歴史論からリアルポリティックス論へ」、この順序が反米論のあるべき方法論ではないかと思います。

 「アメリカは気まぐれである」というのも西尾先生がよく言われる歴史論です。これはアメリカが、世界中に果てしなくアメリカニズムを輸出する本能と、そうではなくて非介入の方に縮こまる本能の両極に揺れ動く不可思議な二面性をもっている国だ、ということです。この前者と後者の揺れ動きの気まぐれが、国際政治の現実にその都度、創造や破壊をもたらし続けてきている。西尾先生がよく引かれる例ですが、中国国民党と提携して日本を叩いたかと思えば、突然、中国国民党を見限って結果、中国大陸の共産化が生まれてしまった。二面性あるいは多面性がアメリカの本質で、一面的にしかアメリカを見ない西部さんたちの反米論はぜんぜん的外れだといえます。

 こんな「気まぐれな国」という性格もまた、世界史上、例がないのですが、その「気まぐれ」が新世紀に入ってきてだんだんひどくなってきて、米中提携論の強化に乗り出したり、日本の慰安婦問題に介入したりすることもしたりして、それはアメリカの国力の減退も大きくかかわってきている。西尾先生がお話の中で言われた「古臭い日本・ナチス同一論が再びアメリカの中にあらわれてきた」ということは、親米派のアメリカ像もまた古臭くなったということであって、こういう段階にさしかかったアメリカと離れる時期に来たと考えるのがまず妥当であろう。これが西尾先生の「離米論」であり、これはきわめて新しい「21世紀の反米保守論」なのです。

 このように親米論も古臭くなってきたのですが、同時に、従来の反米論の古臭さということもあるので、新しいアメリカ論は、今までの親米論・反米論の両方と対峙しなければならないでしょう。田久保さんが幾度も嘆くように、戦後日本にある反米論は保革問わず、西部さんのような「アメリカが嫌いだ」といいたいだけの乱暴な形の反米論、さらには伝統的な反米左翼論に先祖帰りしてしまう傾向がある。これは何度強調しても強調しすぎるということはない。日本が戦時下に受けた空襲その他のアメリカの戦争犯罪と、アメリカが世界各所でおこなってきた軍事的介入の現場での出来事を感情的に同一化してしまう。そこから先は思考停止しか待っていません。単純なる反米論の誘惑、といっていいのかもし
れません。

 西尾先生と福井義高さんの対談で「アメリカには別所毅彦のような直球で対決しては駄目で、関根潤三のような軟投でなければ駄目だ」という話が出たことが思い出されます。西部さん流の古い反米論は「直球」なのでしょう。だから親米保守派に簡単に打たれてしまう(笑)様々な顔=打法を持つアメリカだからこそ、西尾先生の著書には、「さようならアメリカ」という論題もあり、「不可解なアメリカ」もあり、「ありがとうアメリカ」もある。西尾先生のアメリカ論は「軟投」なのです。私はこの「軟投」の意味がよくわかるし、自分もこの「軟投」の立場に組したいと思います。

 一筋縄ではいかないアメリカは、たとえば文学にも現れるのであって、西部さんは小林さんとの対談(『反米の作法』)で、フォークナーとへミングウェイだけ出してアメリカ文学の浅さの個性(?)を語り尽くしている気になっているようですが、ラヴクラフトやエドガー・アラン・ポーのような作家についてはどうなのでしょうか。自分は高校生のときにはじめてポーの作品群を読んだとき、これはフランス象徴派の作家だとしばらく思い込んでしまった。ポーのあの重厚な恐怖の世界は、ヨーロッパとの伝統が切れているどころか、逆により徹底したヨーロッパが実現してしまっているわけで、アメリカ文学の世界はぜんぜん浅くありません。私はポーがアメリカの作家と知ったときの「驚き」は今でも忘れ
られない。以来、私がアメリカについて考えるときは「驚き」がどこかで伴うので、そういう点だけでも、「驚き」に乏しい西部さんたち反米論のアメリカ論に違和感を感じてしまいます(笑)

 西尾先生が「自分は反米ではない」といったときに皆さんに笑いが起きたのは、西尾先生のアメリカ論を、伝統的な反米論とどこかで同一視しているからなのではないか、と感じました。私たちの中には、旧来的な反米論が依然としてどこかにイメージされている。これは繰り返しになりますが、反米論とは、決してやさしい思想ではない。「アメリカ」はあまりにつかみどころのない存在なのです。だからこそ、従来の反米論の系譜とは完全に異質な21世紀の反米論、この西尾先生の試みを皆さんにも正しく理解していただきたいと新年会の西尾先生の話と皆様の反応から私は感じ、このテーマを今年の坦々塾の会で深めていければ幸いと思いました。

 懇親会の時間ののち、20名ほどの面々で二次会のカラオケを楽しむ時間となりました。いろいろな持ち歌の飛び交う場で、楽しい時間はまたたくまに過ぎていきました。

 西尾先生、ご苦労様でした。また幹事代表として最初から最後まで緻密に新年会を運営された小川揚司さん、たいへんお疲れさまでした。新入会員の方を含めた坦々塾の皆様、今年もよろしくお願いいたします。

日本文化チャンネル桜出演のお知らせ

番組名:闘論!倒論!討論!2014

テーマ:「安倍外交とは何か?」

放送予定日:平成26年2月22日(土曜日)20:00-23:00
日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
インターネット放送So‐TV
「You Tube」 「ニコニコチャンネル」オフィシャルサイト

パネリスト:50音順敬称略

 加瀬英明(外交評論家)
 関岡英之(ノンフィクション作家)
 西尾幹二(評論家)
 馬淵睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 三宅 博(衆議院議員)
 宮崎正弘(作家・評論家)
 宮脇淳子(東洋史家・学術博士)

司会:水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)

教育文明論の感想(三)

ゲストエッセイ
武田修志 鳥取大学教授 ドイツ文学

 平成二十五年も余すところ数日となりました。
 お変りなくお元気で御活躍のことと拝察申し上げます。
 こちら鳥取は今日は朝から猛然たる雪降りで、瞬く間に四、五センチの積雪になっています。

『西尾幹二全集第八巻』を読了いたしましたので、ひとこと感想を申し述べます。

 この大冊は、先生ご自身が後記でお書きのように、一つの精神のドラマですね。一九八十年代の十年余りの月日を、日本の教育改革のために、情熱の限りを尽くして孤軍奮闘した精神人の記録です。この全集第八巻に収められた御論考はかつてほとんど拝読したことのあるものですが、今回全編をまとめて読み直し、当時の先生の気迫に圧倒されるような思いが致しました。

この長編物語の中で、今回一番心に刻まれた場面は、先生がその大部分をお書きになった「中間報告」の原稿を、文部官僚たちが膝詰めで先生に書き直しを迫ったあの場面です。先生ご本人のみならず、読者まで胸の痛みを感じるシーンです。審議会委員が削除をもとめているわけでもない文案に手を入れたり、削除したりする、これはまさに思想の検閲ですが、更に、深夜先生一人を、座長以下係官十名余りが取り囲んで、先生の文章の上に直接抹消の線を引いたコピーを渡して、一語一語、一文一文書き直しを迫るーいったいこれは何だと、今回改めて憤りが噴出してきましたが、ここで冷静に考えてみますと、この時こそが、先生が十年の間、情熱を傾けて戦われた「敵」との決戦の時であり、主戦場だったのだと思います。先生は屈辱によく耐えられて、先生にできる限りの勝利を勝ち取られたのです。もし先生があの場面で席を蹴って、退席してしまわれたら、先生ご自身がお書きのように、「中間報告そのものがさらに全面的に骨抜きに」なっていたことでしょうから。「中間報告」が文体をもった、肉声の聞こえる文書として公にされたというだけでも、当時あの冊子を読んだ人には、ある感銘を今に残して無意識のうちに影響を与えていることでしょう。

先生はこの孤軍奮闘のドラマの最後に、こう書いておられます、「私は『価値』を問題にしていたのだ。『価値転換』を問題にしていたのだ。ところが、諸氏はすでに存在する一定の価値の範囲における制度の修正、ないし手直しを考えていたにすぎない」と。これは、このドラマの締め括りの言葉として、誠に的確なものだと思います。全編を読んで、まさにこの通りだと思いました。

 文部省の有能な係官たちがどうして、審議委員が問題にしなかった先生の文案を、なんとしても改竄しなければならないと考えたのか。彼らの歴史理解、人間理解が、日教組風な歴史理解や人間理解に染まっていて、先生の理解に密かに違和を感じ、敵意を燃やしていたということもあるでしょうが、根本的には彼らは、個の価値を尊重し、創造性を最も大事にする先生のような生き方をこそ、否定したかったのではないでしょうか。それというのも、彼らは先生に対して、文案の語句を直すという形で迫ったきたわけですが、本当のところは、(彼らが意識していたか、していなかったかは分かりませんが)先生の文章の文体をこそ改変したかったのではないかと思います。文体というものは、筆者の人間そのもの、筆者の生き方そのものだからです。

思えば、先生とお付合い頂くようになりましたきっかけが、『日本の教育 ドイツの教育』を、この書が出版されましてからすぐに、読んだことでした。先生のお若い日の御論考「小林秀雄」を「新潮」紙上で拝読しましたのは、私が大学一年生か、二年生の時でしたが、『日本の教育 ドイツの教育』に出会ったときは、私もすでにドイツ語教師になっていて、三十代の初めでした。この新潮選書を読んで、ドイツ文学者にもこういう本の書ける人がいるのだと、強い憧れのような気持ちを抱いたことをよく覚えています。ドイツ文学者が扱うテーマとして非常に斬新であり、また文章が学者風の重たくおもしろみのないものではなく、はぎれよく、味わいがあるー「この人は自分の手本だな」と思ったものです。その後、ある医学部の二年生のクラスで(当時はまだ医学部の学生は第二外国語を八単位学んでいました)、先生のドイツでの御講演をテキストにしたものを取り上げ、一方、日本滞在の長いあるドイツ人の日本論をドイツ語で読み、これを先生のテキストと比較して、感想を書くよう課題を出し、私自身も多少長い感想を書きました。そして、学生と私の「レポート」を先生へお送りしましたら、先生にたいへん喜んでいただきました。その後先生からはたびたび御著書を送っていただくようになり、私は先生の熱心な読者になったのでした。今回も全集第八巻を通読しますと、例えば「教育はそれ自体を自己目的とする無償の情熱である」という意味の言葉が繰り返し述べられています。更に先生はまた、94ページでこうもおっしゃっています、「私が教育について真っ先に言いたいのは、教育家が学校教育についてつねに謙虚になり、限界を知って欲しいということである。教育はつまるところ自己教育である。学校はそのための手援けをする以上のことはなし得ないし、またすべきでもない。教育はなるほど知識や技術を超えた何かを伝えることに成功しなければ教育の名に値しないが、しかしまさにそれだからこそ、われわれが聖人君子でない以上、学校教育は知識や技術を教えることに厳しく自己限定すべきだと私は言いたいのである。」これらの言葉は、先生の教育についての基本理念と言っていいものだと思いますが、これはまた、こういうふうに先生から教えを受けて、、私が教師生活の中で、いつも忘れずに肝に銘じていた考えです。私は教師になって今年で三十九年になりますが、私の教師人生は、こういう先生のお考えをどういうふうに教室で具体化するか、そのことに終始したように、今、感じられます。教師としてのありよう、教育についての考え方等、先生の御著書をいつも参考にして考え、実戦してきたように思い、今回改めて先生への感謝を新たにしているところです。

 今回の全集第八巻が単に「教育論」と題されずに、「教育文明論」と銘打たれているところに、先生の思いがひとつ表れているかと思います。私の勝手な理解では、この書を単に一九八〇年代の教育改善のための具体的提案や議論の記録として受け取らずに、近代の新しい段階へ踏み出して行かねばならない我々日本人の生き方を問うた書と受け取ってほしいという意味ではないかと思います。この新しい近代では、重要な近代概念の二つである自由と平等がどのようにパラドキシカルに理解されることになるか、その理解を誤まれば、教育も社会もある袋小路へ迷い込んでしまうであろう、と。そういう意味で、この書における先生の御奮闘の姿は、少し距離を置いて見れば、(先生も自覚なさっているように)時代の先を一人行くドン・キホーテの姿と見えるかもしれません。そして、このドン・キホーテの理想は、三十年前には半ばしか理解されませんでしたが、おそらく次の世代において、日本の教育と日本人の生き方が問い直されるとき、よみがえってくるのではないでしょうか。それ故、今回、先生の教育論の全論考がこういう全集の一冊という形でまとめられたのは、のちのちのために非常によかったと思います。

 いつものようにまとまりのない感想になってしまいました。
 今日はこれにて失礼いたします。
 よいお正月をお迎えになってください。

平成二十五年十二月二十八日