ゲストエッセイ:吉田圭介
私の感想は以上なのですが、この際少し勇気を出して、慰安婦問題やユネスコ登録問題のような「日本の対外主張の在り方」について私が普段思っている事柄を書かせて頂くことをお許しください。
西尾先生は先般『同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた』という御著書を上梓されましたね。このタイトルの言葉に私は心から賛同致します。そして、究極的にはそれをやらなければ(つまり旧敵国に日本の戦争の意義を理解させなければ)歴史戦は終わらないし、慰安婦・ユネスコ問題を含む歴史認識論争には勝てないと考えて居ります。
安倍さんとその周辺が掲げているような「戦前の日本は間違っていたが、敗戦によってアメリカの指導を受け模範的な自由民主主義国家となった。だから中国よりも道徳的上位にある」という価値観では歴史戦の出口は見えません。なぜなら、中国や韓国は時間軸において「アメリカの指導で模範的自由民主主義国家になる」よりも「前」の日本を断罪しているのですから。戦前の日本の行動の意義、合理性、妥当性、つまり大義を立証しない限り、この問題を終わらせることは出来ないのです。
・・・こんなことは西尾先生には釈迦に説法と言うべきですね。私の申し上げたいのは別のことです。
日本の大義を説く相手として、中韓両国は除外して良いでしょう。無論、究極的にはその両国の国民にも理解して貰いたいですし、その両国にも科学的・客観的視点を持ち日本の主張に耳を傾けるだけの知性が存在することは疑いませんが、彼らの圧倒的大勢が事実を枉げてでも日本に恥辱を与えようと望んでいる現状にあっては、如何なる説明努力も無意味であり、むしろ相手に余計な知恵を授け増長させる結果にもなりかねないと考えます。
そうなると説明する相手は欧米はじめ中韓以外の国々ということになりますが、そこで問題になるのは、そういった国の人々にとって日本と中韓との歴史論争などというものは全く興味の対象外であることですね。欧米の人々にとってアジアの歴史が如何に関心の外に在るかということは、西尾先生が一番よく御存知でしょう(笑)。
興味を持っていない事柄について理解させるには、余程平易に、簡潔に、彼らの感覚にフィットした表現で説明しなければならないと思うのです。歴史上の事実関係の徹底した検証は勿論必要であり、そのための努力をされている研究者の方々には満腔の敬意を持って居りますが、当事者でない諸外国の人々にとっては、日本と中韓との間に起こった一つ一つの歴史的事象の真偽など、理解するには煩雑に過ぎまた判断の付きかねる問題ではないでしょうか。事実関係の検証とは並行して、世界中の誰が聞いても理解でき、共感できるような、平易で簡潔な形の主張の骨子を用意するべきだと考えます。
西尾先生は、「やった事が異なれば謝罪も異なる」という誰もが納得せざるを得ない条理を用いて、日本社会を強固に覆っていた「ドイツ見習え論」を鮮やかに否定されました。外国人労働者問題でも、人権擁護法の問題でも、女系天皇問題でも、先生は、誰もが何が問題なのかをすぐに理解でき、そしてなるほどそうだ、と共感できる説明の仕方で世論の潮流を変えることに成功して来られました。
その『西尾流』説得術を応用してこの問題を検討してみますに、まず、日本側が何を問題にしているのか、日本側がなぜ謝罪や賠償に応じられないのか、という点をハッキリさせるべきでしょう。この場合、「もう謝罪は済んでいるから」では主張として弱いですね。相手は「被害者が納得するまで謝るべき」と反論してくるでしょうし、第三者(日中韓以外の国民)から見れば後者の方が共感し易いでしょう。誰でも綺麗事を好むものです。
やはり、日本が謝罪や賠償に応じられないのは「それが事実でないからだ」という点を徹底的にアピールしたほうが良いと考えます。虚偽に対して抵抗する姿勢は誰でも理解・共感できるものですし、誰も否定できない条理だからです。
もう一点、虚偽に基づく恥辱を受けることが重大な人権侵害であることもアピールすべきでしょう。集団で拉致され監禁され強姦されることは重大な人権侵害です。しかし、やってもいないことで罪を着せられることも重大な人権侵害なのです。歴史問題に対する日本の法曹人たちの姿勢を見ていると、この点に無頓着な人が多いのは実に奇妙です。
以上の二点を踏まえて、西尾先生流の適確・簡潔な説得のフレーズを考えると、
「根拠の無いことを認めることはどうしてもできない」
「やっていないことに対して謝罪することは不可能だ」
「客観的証拠もなく人に罪を着せることはできない」
と、この程度にシンプルな主張にできるのではないでしょうか。
このくらい簡潔な主張を、総理大臣から閣僚、役人、ビジネスマン、海外留学する人、単なる海外旅行者に至るまで、あらゆる日本人が事あるごとに、あたかも決まり文句のように口にしていれば、関心の薄い第三者である諸外国の人々でも、「日本が何と戦っているのか」を理解し共感してくれるのではないか・・・・そんな風に思うのですが、先生は如何お思いになられるでしょうか。
折角ですから調子に乗って、もう一つ私見を述べさせて頂きます。
日本人が海外に向かって何かを主張する場面を見ていて残念に思うのは、先程も書きました相手の感覚にフィットした表現をしようとする工夫が足りないように見えることです。
中韓両国民にはそれができています。日本側がいくら誠実に事実関係の真偽を説明しても、「日本のやったことはナチスと同じだ。なのに日本はドイツのように反省しようとしない」という粗雑な主張のほうが力を持ってしまうのは、ナチスという例えが海外の人々にとって理解し易く感覚的に身近だからでしょう。根本的に意識の低い外国人に何かを説明し理解して貰うためには、彼らの知識や感覚にピンと来る比喩を用いるべきだと考えます。
イラク戦争で、バグダッドにおける市民の犠牲者数を、アメリカ側は一万数千人と発表し、イラク側は十万人以上と発表しました。「南京大虐殺に関する日中の論争というのはコレと同じことだよ!」とアメリカ人に説明すれば、彼らはたちまち理解するのではないでしょうか。
北朝鮮の政治宣伝絵画というものが有ります。勇ましい北朝鮮兵士の姿や慈悲深げな指導者の肖像といったグロテスクで陳腐なものばかりですが、その中に、朝鮮戦争を描いたものなのでしょう、アメリカ軍兵士が泣き叫ぶ赤ん坊を井戸に投げ込む様子や朝鮮の若い娘に襲い掛かる様子を、ことさら残酷におどろおどろしく描いたものもかなり有るのです。「韓国が日本に対して主張しているのはコレと同様のことなんだよ!」と説明すれば、どちらが誇張や捏造をしているのかアメリカ人にはすぐに解って貰えるのではないでしょうか。
・・・と、後半は日頃の妄想ばかりを書き連ねてしまいました。誠に申し訳ありません。
西尾先生のご論考を拝見すると、思考が無限に広がってしまうのです。先生の視点がフラットで自由で俯瞰的で、そして何より未来への意志に基づいているからだと思います。
いつもながら、深遠な洞察に満ちたご論考を拝読させて頂き、有難う御座いました。
了